横浜地方裁判所 平成9年(行ウ)4号 判決 2001年6月27日
原告
生田緑地の自然を守る会(X1)
同代表者代表役員
江田雅子
原告
新井揆博(X2) (ほか120名)
上記原告ら訴訟代理人弁護士
佐和洋亮
同
海野浩之
同
坂元雅行
同
関口佳織
同
朝倉淳也
上記朝倉訴訟復代理人弁護士
古島ひろみ
上記原告ら輔佐人
鬼頭秀一
同
小林直樹
被告
(川崎市長) 髙橋清(Y2)
同
財団法人川崎市まちづくり公社(Y1)
同代表者理事
髙橋清
被告
(元同市教育長) 大熊辰熊(Y3)
同
(元同市教育長) 小机實(Y4)
上記被告ら訴訟代理人弁護士
石津廣司
主文
1 本件訴えのうち原告松尾かおり及び同丸山乾介の請求に係る部分をいずれも却下する。
2 原告松尾かおり及び同丸山乾介を除くその余の原告らの
(1) 被告大熊辰熊に対する請求に係る訴え部分をいずれも却下する。
(2) その余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、原告松尾かおりと被告らとの間においては弁護士佐和洋亮、同海野浩之、同坂元雅行、同関口佳織及び同朝倉淳也の連帯負担とし、その余の原告らと被告らとの間においては同原告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告髙橋清(以下「被告髙橋」という。)は、川崎市に対し、71億1092万1543円(うち67億8213万3592円については被告財団法人川崎市まちづくり公社(以下「被告公社」という。)と、うち1億3798万7455円については被告小机實(以下「被告小机」という。)とそれぞれ連帯)及びこれに対する平成12年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告公社は、川崎市に対し、被告髙橋と連帯して、67億8213万3592円及びこれに対する平成12年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告小机は、川崎市に対し、被告髙橋と連帯して1億3798万7455円及びこれに対する平成12年11月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告大熊辰熊(以下「被告大熊」という。)は、川崎市に対し、被告髙橋と連帯して、1億4708万1170円及びこれに対する平成9年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の内容
1 概要
本件は、川崎市(以下「市」ということがある。)が計画、準備し、被告公社にその実施を委託した仮称岡本太郎美術館建設事業(以下「本件事業」という。)が市の条例等に違反し、同事業に対する公金支出が違法であるとして、原告ら市民が、市に代位して、被告公社に対し美術館施設の譲受代金の不当利得の返還と、市長又は市教育長であったその余の被告らに対し別紙一覧表記載の各公金支出に係る額の損害賠償とを求めた住民訴訟である。
原告らは、当初本件事業に係る費用の公金支出差止訴訟をも提起していたが、上記美術館が訴訟係属中に完成し、その支出が全て終了したので、最終的には専ら損害賠償請求をしている。
2 基礎となる事実(末尾に証拠等の記載がない事実は争いがない。証拠等の記載があるものは主に当該証拠等により認定した事実である。)
(1) 当事者
ア 原告生田緑地の自然を守る会は、肩書住所地に事務所を置き、川崎市の住民を主な構成員とする自然保護団体であり、意思決定の組織・方法、財産管理等について定めた会則を有する法人格なき社団である(資格証明書としての「生田緑地の自然を守る会」会則、弁論の全趣旨)。
イ その余の原告らは、川崎市の住民である(弁論の全趣旨)。
ウ 被告髙橋は、平成元年11月から川崎市長の地位にある者である。
エ 被告大熊は平成7年3月31日まで、被告小机は平成7年4月1日から、それぞれ川崎市教育長の職にあった者である。
オ 被告公社は、市における良好な都市環境の形成に関する調査及び研究並びに都市環境に適した施設等の整備を行うことにより、活力に満ちた魅力あるまちづくりの推進を図り、もって市民生活の向上に寄与することを目的とするために、財団法人川崎市耐火建築助成公社を平成6年に改組して、市がその基本財産の96.2パーセントを出資した公益法人であり、公共施設又は公共的な施設の設計、工事監理、建設及び管理の受託等の事業を行う(〔証拠略〕)。
(2) アセス条例及びアセス規則に基づく指定開発行為の定め
川崎市は、環境に影響を及ぼすおそれのある土地の造成等で規則で定めるものを川崎市環境影響評価に関する条例(以下「アセス条例」という。〔証拠略〕)1条2号により指定開発行為とし、指定開発行為を実施しようとする者、指定開発行為者及び市長等に種々の手続上の義務を課している。同条例1条2号に定める規則である川崎市環境影響評価に関する条例施行規則(以下「アセス規則」という。〔証拠略〕)は、指定開発行為の一つとして、開発区域面積が1ヘクタール未満のものを除く都市計画法4条12項に規定する開発行為を規定している(同規則3条・別表第1の(1))。
(3) 本件事業の概要(全体につき概ね争いがないが、一部詳細は弁論の全趣旨及び適宜略記した証拠による。)
ア 故岡本太郎による作品の寄贈と本件事業の構想
市は、平成3年11月ころに同市出身の著名な芸術家である故岡本太郎(平成8年1月7日に死亡)から、同人の所有する芸術作品1779点の寄贈を受けたのを契機として、同人及びその両親である故岡本一平・かの子の業績を展示・保存するための美術館(以下「本件美術館」という。完成したものが現在の「川崎市岡本太郎美術館」。)を建設することとした。同事業(本件事業)の計画は、仮称岡本記念館建設構想委員会による平成5年3月発表の「川崎市仮称岡本記念館建設基本構想」(〔証拠略〕)、仮称岡本記念館建設基本計画策定委員会による同年7月2日発表の「川崎市仮称岡本記念館建設基本計画」(〔証拠略〕)として徐々に具体化された(〔証拠略〕)。そして、本件美術館の建設予定地としては、川崎市多摩区及び宮前区にまたがる川崎都市計画緑地1号生田緑地(別紙図面1の緑色部分。以下「生田緑地」という。)が候補となった。
イ 本件事業の当初計画内容
市は、株式會社オオバ(以下「オオバ」という。)に委託して平成5年11月から建設予定候補地の生田緑地内の環境調査を実施し、その結果、平成6年3月に、同緑地内の噴水広場奥の谷戸地域(別紙図面1の黄色部分)を予定地に選定した(〔証拠略〕)。なお、市建築局(平成9年4月からまちづぐり局)は、オオバとの連名で、平成6年2月に本件美術館建設に伴う環境調査報告書を、同年9月に環境影響評価報告書(〔証拠略〕)をそれぞれ作成した。
これと前後して、市は、平成6年5月24日に株式会社久米設計横浜支社(以下「久米設計」という。)に本件美術館の基本設計を委託し(〔証拠略〕)、久米設計は同年8月に「仮称岡本美術館基本設計」(〔証拠略〕。以下「基本設計」という。)を作成したが、当時の市議会においては、本件事業について、第1委員会の継続審議とされていた。
本件美術館についての基本設計の内容は、市の関係者の理解では、敷地面積8600平方メートル、延床面積4990平方メートル、地上1階地下2階建てであった(〔証拠略〕)。
ウ 本件美術館建設予定地の変更と基本設計の修整
平成7年7月に建築予定地の変更が決定され、市長及び市教育長は、同月25日、市教育委員会定例会において、本件美術館建設予定地を、谷戸地域から同じ生田緑地内で谷戸地域の西方に位置する川崎国際生田緑地ゴルフ場内練習場として利用されていた草地(別紙各図面の赤色部分の周辺地。以下「本件建設地」という。)に変更する旨表明した。
そして、市は、再びオオバに委託して、同年10月24日から平成8年3月29日まで本件建設地の環境調査を実施し、市建築局とオオバの連名で、同年3月に本件建設地に係る「仮称岡本太郎美術館建設に伴う環境調査報告書」(〔証拠略〕。以下「本件報告書」という。)を、同年5月に環境影響評価報告書を、それぞれ作成した。
前後して、市は、平成7年10月17日に久米設計に本件美術館の建設地の変更に伴う基本設計の修整を委託し(〔証拠略〕)、久米設計は同年12月に「仮称岡本太郎美術館基本設計修整業務設計報告書」(〔証拠略〕。以下「修整基本設計」という。)を作成した。本件美術館についての修整基本設計の内容は、市の関係者の理解では、敷地面積9490平方メートル、延床面積4990平方メートル、地上1階地下2階建てであった(〔証拠略〕)。
エ 本件美術館の当初実施設計(修整基本設計に対応するもの)
ウの修整基本設計が作成されたので、市は、引き続いて、久米設計及び株式会社現代芸術研究所(以下「現芸研」という。)に対し、それぞれ本件美術館本体及びそのシンボルタワーである母の塔(以下「母の塔」という。)建設の実施設計を委託した。実施設計に係る各図面が平成8年3月29日ころに完成した。(〔証拠略〕。以下、この実施設計を「当初実施設計」という。)
本件美術館についての当初実施設計の内容は、市の関係者の理解では、敷地面積9468平方メートル、延床面積4993.8平方メートル、地上1階地下1階建てであった((証拠略〕)。
オ 市議会における予算の可決と当初実施設計に基づく本件事業の実施
市議会は、平成8年3月に本件事業に係る部分を含む平成8年一般会計予算を可決し(〔証拠略〕)、市長は、同年4月19日に、被告公社に本件事業の実施を依頼した(〔証拠略〕)。被告公社は、同年9月20日に本件美術館本体工事等の建設請負契約の入札を主宰して、これを落札した戸田・北島共同企業体との間で同年11月1日に契約を締結し、同企業体は、同月20日に工事に着手(〔証拠略〕)、平成9年5月7日には土工事に着手した。
カ 当初実施設計の変更
市は、平成8年8月に、本件美術館建物に係る日影時間について、建築基準法上の規制から余裕を持たせるために、別紙図面2ないし4の各赤色部分に相当した本件美術館の敷地を約1メートルほど北方へずらすようにした(その面積9468平方メートル(〔証拠略〕)は、同敷地の移動の前後を問わず変わらない。以下、文脈上明らかであるので、移動の前後を特に区別せずに、同敷地を「本件敷地」という。)のを初め、同月から平成10年12月にかけて、4度にわたって、久米設計又は現芸研に対し、本件美術館の実施設計の変更を委託し、その結果、実施設計が変更された(〔証拠略〕。以下、まとめて「変更実施設計」という。)。
キ 本件美術館の完成と開館
被告公社は、平成11年7月30日に本件美術館本体を、翌年ころに本件美術館のシンボルタワーである母の塔を、それぞれ本件敷地上に竣工して市に引き渡した。市は、本件美術館本体の引渡しを受けた後の平成11年10月30日には、本件美術館を開館した。(〔証拠略〕)
(4) 市の財務会計行為
市は、本件事業に係る費用を負担しているが、そのうち、原告が問題とするものは、平成7年10月29日以降に支出された別紙一覧表記載1ないし21の各費目に係るものである。市は、それらの金額を、同表「現実の最終決裁者」欄各記載の者の決裁において負担するとともに、これを市教育委員会事務局経理課長の支出命令に基づいて支出した(弁論の全趣旨。以下、まとめて「本件公金支出」という。)。このうち本件美術館及び母の塔の各取得代金については、市は、それぞれ平成11年10月20日と平成12年10月31日に、これを被告公社に対して支払った。
(5) 住民監査請求の経由
原告丸山乾介を除く原告らは、市監査委員に対し、平成8年10月29日、爾後、違法・不当な本件美術館の建設に対して公金を支出しないこと及び同建設工事をしないことの市長への勧告を求めて住民監査請求をしたが、市監査委員は、同年12月26日付け8川監公第10号をもって、同請求は理由がない旨請求人らに通知するとともに、これを公表した(〔証拠略〕)。
3 主な争点
本件の主な争点は、以下のとおりである。
(1) 財務会計上の行為(以下「財務行為」という。)の違法性とその原因となる非財務的な先行行為(以下「非財務行為」又は「原因行為」という。)の違法性との関係
(2) 本件事業の違法性の有無
ア 川崎市環境基本条例(以下「基本条例」という。)違反の有無
イ アセス条例違反の有無
(ア) 本件事業の指定開発行為該当性の有無
(イ) 本件建設地において実施された環境調査の意義
ウ 周辺住民の生命及び身体に対する危険の有無
エ 川崎市都市景観条例(以下「景観条例」という。)違反の有無
(3) 本件事業に係る原告ら主張の違法事由と個別の各費目に係る本件公金支出の違法性との関係
4 争点に関する当事者の主張
(1) 財務行為の違法性と非財務行為の違法性との関係(争点(1))について
(被告らの主張)
ア 住民訴訟制度の趣旨
住民訴訟の対象は、地方自治法242条1項の掲げる違法な公金の支出、財産の取得・管理・処分、契約の締結・履行、債務その他の義務の負担、公金の賦課徴収を怠る事実、財産の管理を怠る事実であり、財務行為に限られている。
地方公共団体におけるあらゆる行政は財政の裏付けなしには行うことができないのが実情であるから、非財務行為の違法が直ちに公金支出の違法をもたらすとすれば、非財務行為の適否が住民訴訟の審理の対象となり、広く行政一般の非違をただすことを許す結果となり、住民訴訟の対象を財務行為に限った地方自治法の趣旨を逸脱し、没部することになる。
イ 非財務行為の違法が公金支出の違法をもたらす場合
非財務行為の違法がその経費たる公金支出の違法をもたらすのは、当該非財務行為が法的には抽象的にも当該地方公共団体の公務として成立する余地の全くない場合、又は、それ以外の単なる違法にあっては、先行行為たる非財務行為を行うことの主たる目的が実質的に見て後行する公金支出に向けられていると評価でき、若しくは先行行為たる非財務行為を行うことによって手続上他に何らの支出負担行為(支出決定)を要せず当然に地方公共団体が後行する公金支出義務を負担することになる場合に限られるものである。そして、この場合の非財務行為(原因行為)の違法は、あくまで地方公共団体の財産的利益を擁護する観点からの評価、いわば対内的関係における違法であって、住民・国民に対する対外的関係における違法では全くない。対外的違法は国家賠償訴訟等の主観訴訟で取り扱うべき問題であって、このことは、住民訴訟が地方財務行政の適正な運営の確保を本来の目的としていることから当然というべきである。
ウ 本件への適用
本件の場合、本件美術館建設の主たる目的が実質的に見て後行する本件公金支出に向けられていると評価できるものではないことはいうまでもないし、本件美術館の建設行為を行うことによって手続上他に何らの支出負担行為(支出決定)を要せず、当然に市が後行する公金支出義務を負担する場合にも当たらず、また、原告らの主張する本件美術館建設の違法事由は、単なる住民・国民に対する対外的違法か、非財務行為の手続上の違法にすぎず、これが抽象的に市の公務として成立する余地がないとするまでの違法ではないから、原告ら主張の本件事業の違法は、本件公金支出の違法をもたらすものではない。
(原告らの主張)
ア 住民訴訟制度の趣旨の実効性の確保
非財務行為そのものは住民訴訟の対象とはならないが、このことは、住民訴訟において、非財務行為の違法性がおよそ審理の対象とならないことを意味するわけではない。財務行為それ自体の手続は会計法規に違反することはなく、支出行為等を規制する財務実体法規違反もないが、先行行為と後行行為との間に原因関係が存在し、後行行為としての財務行為が、原因行為の瑕疵・違法性を引き継いだ結果、違法性を帯びる(いわゆる違法性の承継)場合には、原因行為たる非財務行為の違法性が審理されなければならない。地方公共団体による住民の税金の管理・処分行為は、一連の行政手続の中で実現されていくから、納税者たる住民による地方公共団体の財務会計行政の適法性監視という住民訴訟制度の目的を実効あらしめるためには、財務行為の会計法規違反等のみを審理の対象とするだけでは到底不十分であり、原因行為の適法性を財務行為の適法性評価に当たって考慮せざるを得ない。
イ 被告らの主張に対する反論
先行行為に違法がある場合に無制限に後行する財務行為を違法としたのでは、住民訴訟の対象を財務行為に限定した趣旨が没却されるので妥当でないことは当然である。これに対し、被告らの主張する違法性の承継の基準は、要するに、本来財務行為に含めて考えるべきものを殊更に取り出して違法性承継論として論じているだけで、実質的に違法性承継論を否定するものに等しく、住民訴訟制度の意義を没部するから、著しく妥当を欠く。
ウ まとめ
本件事業による本件美術館の建設行為が、本件公金支出の直接の原因行為となることは明白であり、したがって、前者の違法が後者の違法として評価されるべきこととなる。
(2) 本件事業の基本条例違反の有無(争点(2)ア)について
(原告らの主張)
基本条例2条は、「市の環境政策は、市民が安全で健康かつ快適な環境を享受する権利の実現を図るとともに、良好な環境を将来の世代に引き継ぐことを目的として展開するものである」と規定するが、これは、市民が、生物多様性の豊かな環境の中で生き、かつ生物多様性を自ら保全する権利としての環境権を有することを意味するものであり、この環境権は、具体的権利と認めるべきである。
生田緑地及びその中の地域である本件建設地は生物多様性が豊かであったから、本件事業の敢行は、生物多様性の豊かな環境で生きる原告らの権利に対して重大な侵害を生じさせた。また、本件事業の実施に当たっては、基本条例4条及び5条に違反して市民参加の手法が執られずに行政意思決定がされているから、本件事業の敢行は、市民運動等の自らの表現活動又は生物多様性に影響を与える行政の政策決定過程への参加を通して生物多様性を自ら保全する原告らの権利をも侵害した。また、本件事業に際して、市長らは、環境調整会議を経ずに、市環境保全局(平成9年4月から環境局)を排して行政意思を形成したところ、この事実は基本条例10条及び11条にも違反する。
(被告らの主張)
基本条例2条1項は、市の環境政策の理念・目標を規定したものであり、これにより個々の市民に対して直接市に対する具体的権利を付与したものではないから、その権利侵害が問題となる余地はない。また、環境調整会議は、市内部における連絡・調整のための組織であり、意思決定機関ではないことはもとより、諮問機関でもなく、地方自治法上市長に認められた権限の行使を補助するための一組織であって、同会議を経なかったからといって、市長の権限行使が違法となるものではない。さらに、同会議の付議事項は、環境基本計画の策定及び変更に関すること、環境施策に関すること、その他環境行政の総合的推進に関すること、すなわち市全体に及ぶ基本的な環境政策の立案・実施に関することに限られており(基本条例10条・11条)、本件事業のような個別的な施設建築事業までを対象とするものではない。なお、本件美術館の建築は、市環境保全局を含む組織的な協議・検討を経て決定されたのであり、同局を排して決定されたのではない。
(3) 本件事業の指定開発行為該当性の有無(争点(2)イ(ア))について
ア 開発行為の意義と取付道路等に係る工事の開発行為該当性の有無
(原告らの主張)
(ア) アセス条例及びアセス規則上の開発行為及び開発区域
自然環境は1度破壊されると回復が2度とできず又は著しく困難になるので、このような自然環境の本質にかんがみれば、アセス条例及びアセス規則上の開発区域は、主として建築物等の建築の用に供する目的で土地の区画形質の変更が行われる区域のみならず、その利用目的・物理的形状・位置等からしてこれと一体と認められる土地に切土・盛土等の区画形質の変更が及んでいる場合にはその区域をも包含するというべきである。
一般の開発許可申請が建築確認に先行することからも分かるとおり、都市計画法(以下「都計法」という。)上の「開発区域」は建築基準法上の「敷地」の範囲とは無関係であり、図面上引かれた線による机上の概念である「敷地」と異なって、「開発区域」は、当該土地の実状に即して判断された、現実に建築物の建築の用に供する目的で区画形質の変更を予定された一団の土地そのものである。土地の区画形質の変更を伴う全ての開発行為は、その環境に与える影響が強いので、厳格な環境影響評価手続(以下「アセス手続」という。)を履践すべきであり、開発行為に係る土地の主たる利用目的が建築物の建築に係るものかどうか及び将来にわたる継続的な土地利用形態の変更の有無自体は重要ではない。
(イ) 開発区域決定における客観性の必要
対象事業の開発区域面積等をわずかに不足させて厳格なアセス手続を入口の段階で回避するいわゆるアセス逃れの行為はあってはならず、さもないと、アセス条例の趣旨が容易に潜脱されてしまう。したがって、法解釈上も、アセス規則別表第1の(1)記載の適用除外については厳格に解し、開発区域面積は、事業者の主観(恣意)を排除して客観的に決定すべきである。とりわけ、民間の指定開発行為に対して規制をかける自治体等主体の開発行為は、より厳格に解されるべきである。
川崎市宅地開発指針も、開発区域外の道路に接続させる目的で道路を新設する必要がある場合には、新設する道路の部分についても開発区域に当たるとしている。
(ウ) 開発区域の決定時期
なお、アセス手続は、指定開発行為の実施に先立ち、これが環境に与える影響を事前に予測及び評価すべきものである以上、指定開発行為の該当性判断は当然に開発行為の実施前にされるべきものであり、工事着工後の計画変更はその違反を治癒するものではない。本件においては、当初実施設計図面に基づいて、アセス手続実施の要否の判断をすべきである。
(被告らの主張)
(ア) 開発行為の意義
都計法上の開発行為は、主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行われるものでなければならない。土地の区画形質の変更も、将来にわたる継続的な土地利用形態の変更のみを指すことは明らかであり、それは、あくまで当該区画形質の変更後の土地の主たる利用目的が予定建物の用に供するものであったか否かにより決すべきである。本件美術館については、敷地の容積率等の関係において必要とされる敷地面積は本件敷地内に確保されており、その外の土地を本件美術館の敷地とする必要はない。
(イ) 原告らの主張に対する反論
原告らは、アセス条例及びアセス規則上の開発行為について、都計法と同様の意味に解釈すべきではないと主張するが、法令の文言を離れてアセス条例を拡張適用しようとするもので失当であり、事業主体が自治体であるか民間であるかによっても差異はない。
なお、都計法39条は、「開発行為」とともに「開発行為に関する工事」の用語を用い、開発行為と同時に行われるが開発行為には該当しない取付道路・下水道工事等の関連工事の存在を明確に認めているところ、「開発行為に関する工事」の存在を認める余地がないことになる原告らの見解が誤りであることは明らかであって、既存の道路に接続させるために設置する取付道路等に係る土地の部分は、「開発区域」には含まれない。
イ 専修大学側通路の工事の開発行為該当性の有無
(原告らの主張)
(ア) 本件通路の必要性及び本件事業との一体性
本件敷地から専修大学側に工事用と称して設置された通路(別紙図面2の茶色部分で、幅員4から8メートル、長さ約300メートル、面積約1620平方メートル。以下「本件通路」という。)は、当初実施設計の造成計画平面図上の切土・盛土を行うとされた部分(面積10780.45平方メートル。本件敷地からはみ出るのが別紙図面3の紫色(切土)及び黄土色(盛土)部分。)の範囲をはるかに超えた広い範囲にわたって、切土・盛土・鉄骨H鋼の打ち込み等を行う恒久的な工法により設置され、これに伴い自然環境に大きな影響が与えられた。そして、本件通路は、既存の道路によってアクセスすることが全く不可能な本件美術館への物品の搬入等のための取付道路として、本件事業計画の当初から、本件事業の一部として、本件建設地と密着した位置に建設された。
(イ) 本件通路の客観的な恒久性
前記アに述べたことからすると、本件通路が仮設か否かはその指定開発行為該当性に関係がないが、そもそも本件通路は、平成8年8月の住民説明会において「本設」と説明され、とりわけ盛土の上に建設された部分は、客観的に見て当初から原状回復・撤去が予定されていたとはいえないから、明らかにアセス条例上の開発行為に当たる。客観的に開発区域に含まれるものを、単なる主観に基づいて、後で撤去した又は原状回復したと主張することは許されない。
(被告らの主張)
本件通路は、工事用仮設進入路として工事期間中一時的に使用されたものであって、擁壁は設置せず、その構造は、既存のゴルフ場管理用道路を仮舗装して利用した部分以外は、主に工事現場内で移動した土砂により仮造成した盛土及び取り外しが容易なボルト類で鉄骨H形鋼、鉄板、覆工板等を緊結して組み立てた構台である。しかも、本件通路は、工事終了後原状に復旧された。したがって、本件通路は、将来にわたって継続的に土地利用形態の変更をしたものではない。
ウ 本件敷地の外側の工事と本件事業の一体性の有無
(原告らの主張)
開発行為の意義について、被告らの主張のように、本件美術館の建築の用に供する目的で、かつ、将来にわたる継続的な土地の区画形質の変更のみを指すと解したとしても、以下の各工事区域は本件事業に係る開発行為の区域(以下「本件開発区域」という。)に含まれるというべきである。
被告らは、本件敷地の外において行われる土地の形質の変更が公園整備であるとするが、当初実施設計によれば、本件事業に係る工事は、本件敷地境界線(別紙図面2ないし4の赤色の線)の内外を区別することなく一体的に行われ、完成後も一体的に利用されることが予定されていた。それにもかかわらず、同工事の名目を主観的に公園整備でありこれに係る地域は本件開発区域でないと強弁したところで、それは行政内部での担当部局又は予算名目の違いであるにすぎず、恣意的かつ悪質なアセス逃れとのそしりを免れない。
(ア) 屋外附帯工事
以下のとおり、当初実施設計においては、本件敷地境界線を越える部分にも屋外附帯工事が予定されていた。その工事の内容は、土地の区画形質を変更するものであり、工事後の土地が本件美術館の建築の用に供される。そうすると、同工事による土地の区画形質の変更が将来にわたる継続的なものであることが明らかである。したがって、その工事範囲は本件開発区域に算入すべきところ、その場合の本件開発区域の合計面積は10977.97平方メートルである。
a 排水施設計画平面図及び湧水排水平面図上の排水設備設置工事
本件建設地はすり鉢状の地形で、本件美術館はその底に当たる部分に建設されるので、同建物に対する雨水及び地下水の影響は大きく、その存立・維持のためには排水設備の設置が不可欠なところ、本件敷地境界線の外にU字溝(別紙図面4の水色部分)及び地下排水設備である透水管(同図面の青色部分)を設置する工事が行われ、これらは本件美術館の安全及び衛生の保持に資する。
仮に被告らの主張するように、U字溝又は透水管が既存の公園内の排水施設としての機能を維持する効果又は公園地中の湧水を排除する効果を有するとしても、本件美術館建物の用に供されることが否定されるものではない。
b 擁壁配置図上の擁壁設置工事
本件美術館本体建物には近接して急傾斜の崖地が存在しているので、土砂崩れによる同建物存立の危険を回避するために、本件敷地境界線の外側の別紙図面4の藍色部分に擁壁を設置する工事が行われる。
本件建設地は、宅地造成等規制法による宅地造成工事規制地域に指定されており、宅地造成に伴い崖崩れ又は土砂の流出を生ずるおそれが著しいとされているのであって、同所が建物の存立に危険性があるとまでいえるほどの地形ではない旨の被告らの主張は、工事の影響を無視したものである。
c 土地利用計画図上のその他工事
別紙図面4の橙色部分には、本件敷地境界線内外を何ら区別することなく、道路、階段、広場、緑地、植え込み、池及び流れを造る工事が行われる。
(イ) 奥の池周辺地域の整備工事
本件敷地の東端から奥の池周辺地域を通過して生田緑地東口に至るまでの道路(別紙各図面の黄緑色部分)は、本件通路の撤去後拡張されて、本件美術館への来訪客はもちろん、美術作品の搬出入を含む運営管理車両及び緊急車両の通行のため、まさに生田緑地外の公道から本件美術館へのアクセス道路として本件美術館建物の用に供される。これには相当程度の土地の形質の変更を伴うから、同区域は、アセス条例上の指定開発区域に該当する。
なお、市教育委員会が平成8年に公開した本件事業費概算書によれば、本件事業費のうち「建築・展示工事費」の項目中に「奥の池周辺整備工事費」が含まれており、同区域の整備は、もともと本件事業の一部として計画されていた。
被告らは、本件美術館にアクセスする既存の道路が存在する旨主張するが、本件美術館への進入路は、様々なサイズの美術品の搬出入のための車両や大型の緊急車両が、スムーズな方向転換、複数台の臨場、負傷者搬出のための特殊な行動等を可能にするものでなければならないにもかかわらず、既存の経路では、奥の池周縁部と道路端との間の距離に余裕がなく、路面の状態も劣悪であるから、上記の車両進入路の確保は不可能である。
(被告らの主張)
本件敷地の外側の土地の形質の変更は、以下のとおり、本件敷地周辺一帯の公園として整備していくものにすぎず、本件美術館の建設の用に供するためではないから、開発行為に該当しない。
(ア) 屋外附帯工事
原告ら指摘の屋外附帯工事は、公園整備の1つとして行う予定としていたものであり、本件美術館建設と並行して行う予定であったため「屋外附帯工事」と称しているだけのことであって、「屋外附帯工事」という名称のみによってこれを本件美術館建設の用に供するものとしている原告らの主張は失当である。詳しくは次のとおりである。
a 排水施設計画平面図及び湧水排除平面図上の排水設備設置工事
公園内数ヘクタールを流域面積とする集水枡が本件建設地に既に設置されていたところ、本件美術館の建設に伴いこれが消滅すると、公園内の雨水の処理ができなくなるため、本件敷地の外側の公園整備予定地の外縁に沿って新たに設置して雨水排除の対策を実施するためにU字溝を設けることとしたものである。したがって、U字溝は、既存の排水施設の機能を維持するためのもので、本件美術館の建設の用に供するためのものではない。
また、透水管は、それが存在する部分を公園として整備するため、その部分の地中の湧水排除の処理対策として計画され、その用に供するためのものであって、本件美術館の建設の用に供するためのものではない。
b 擁壁配置図上の擁壁設置工事
本件美術館及びその周辺部は、長期にわたり現況の地形が維持されており、建物の存立の危険性があるとまでいえるほどの地形ではない。原告ら指摘の擁壁を設置する傾斜地部分は、従前、ゴルフ練習場の奥まったところにあり、十分な管理がされず放置され、地肌が露出しているところもあって、これが放置されたままでは新たな植栽も不可能である等、公園にとってふさわしい景観ではなかったため、同傾斜地の下部付近に窪地として取り残されることになる部分に盛土をして地肌の露出を解消することにより景観を整えることとし、この盛土の土留めとして擁壁を設置するようにした。
宅地造成工事規制区域は、一定の広がりをもった区域として指定されるものであり、区域内のあらゆる傾斜地部分が擁壁工事を必要とするわけではない。本件建設地及び隣接する公園用地は、公園等公共の用に供する施設の用に供せられている土地として、宅地造成等規制法の適用除外となっている(同法2条1号・2号)。
したがって、上記擁壁は、公園整備のために設けられるもので、本件美術館の建築の用に供する目的で設置されるものではない。
c 土地利用計画図上のその他工事
本件敷地境界線の外側が公園である以上、これを公園としてふさわしく整備することは当然のことであり、標記の工事は、本件美術館の建設の用に供するためのものではない。なお、この公園整備工事については、市において別途幅広く本格的な公園整備を行うこととしたため、本件美術館建設の屋外附帯工事としては実施しないことになった。
(イ) 奥の池周辺地域の整備工事
都計法上、取付道路等に係る土地の部分が開発区域に含まれないことは前記アのとおりである上、生田緑地の外側の公道から本件美術館にアクセスする道路としては既設の緑地内園路があり、奥の池周辺地域の整備はあくまで公園整備として行われるものである。
原告らは、本件事業費中に「奥の池周辺整備工事費」が含まれていた旨主張するが、奥の池を含む本件敷地周辺部分において、本件美術館建設に並行して限定的ながら公園整備を図る予定であったことから本件事業費中に計上していたにすぎず、当初からその性格は公園整備である。別途の事業である公園整備事業について、本件事業において費用を計上したのは、上記公園整備事業が本件事業の実施により計画された関連事業であることによる。
エ まとめ
(原告らの主張)
本件開発区域の合計面積は1ヘクタール以上であり、本件事業はアセス条例1条2号の指定開発行為に当たる。
(被告らの主張)
本件開発区域は、本件美術館の敷地である本件敷地9468平方メートルにとどまるから、本件事業は指定開発行為には該当しない。
(4) 本件建設地において実施された環境調査の意義(争点(2)イ(イ))について
(被告らの主張)
市は、アセス条例の趣旨を踏まえ、平成7年10月から平成8年3月までの間、本件建設地周辺の約10ヘクタールを対象に本件美術館の建設が及ぼす影響について環境調査及び環境影響評価を実施し、本件事業が環境への著しい影響を及ぼすことはないとの評価を得ている。
その際の環境調査についての報告書(本件報告書)について市長が川崎市環境影響評価審議会(以下「アセス審議会」という。)の意見を聴いていないことは認めるが、市は、本件報告書を開示して、関係住民との説明会、話し合いを行ったし、調査は、現地調査のほか文献調査も行った。
(原告らの主張)
アセス条例においては、指定開発行為者の作成した評価書を告示して縦覧に供し、指定開発行為者が関係住民に対して説明会の開催等の措置を執り、アセス手続を主宰する市長が、評価書に対して中立の立場から、アセス審議会の意見を聴取し、必要に応じて公聴会を開催した上で審査書を作成し、これを公表した後でなければ、指定開発行為者は開発行為に着手してはならないとされているが、本件報告書については、このような情報公開も上記審議会への具申もされず、上記の手続が履践されていない上、アセス条例において提出できることとされている市民の意見も反映されていない。
また、開発行為の是非を判断するのに必要な情報は、四季を通じて最低1月に1回、1年間は調査しなければ収集し得ないはずであるが、本件報告書に係る調査日数は各項目について1日間ないし3日間であって、杜撰である上、これに係る評価も誤っている。
本件報告書における調査の手法や評価にいたる意思形成過程には、中立・公正性の担保がなく、到底正規のアセス手続に代替できるものではない。
(5) アセス条例違反の有無(争点(2)イのまとめ)について
(原告らの主張)
本件開発区域の面積は1ヘクタール以上であり、アセス条例上の指定開発行為に該当するにもかかわらず、市長である被告髙橋及び市教育長である被告小机は、開発区域面積を恣意的に操作してアセス逃れ行為を行い、アセス条例所定の手続を経なかった。
(被告らの主張)
本件事業は指定開発行為に該当せず、アセス条例の適用除外であって、同条例に基づくアセス手続はそもそも不要であるから、これを欠くことをもって本件事業を違法とすることはできない。
(6) 本件事業の周辺住民の生命及び身体に対する危険の有無(争点(2)ウ)について
(原告らの主張)
本件建設地は、脆弱な地盤上にあり、現に昭和46年11月11日には生田緑地内で崩落事故が発生しているところ、同土地に本件美術館のような建築物を建築することは、地滑り・土砂崩れ等により、本件建設地内で生活若しくは成育する自然又は生田緑地を訪れる原告らの生命・身体に危害を加える蓋然性の極めて高い違法な行為である。
(被告らの主張)
本件建設地には、地表面から3メートル以深に非常に固く安定した砂質泥岩層が存在し、本件美術館はその基礎を同層に定着させるから、極めて安全であるし、周辺部の斜面についても、地滑りや土砂崩れの前兆を示す変状も全くなく、崩落・地滑りによる危険は全くない。
原告ら主張の事故の発生は認めるが、同事故は、透水性が高く崩落しやすい捨て土という人工堆積物に対して崩落を起こす意図をもって多量の散水を行った結果発生したものであり、これをもって、本件建設地の地盤が脆弱で崩落しやすいとは到底いえない。
(7) 本件事業の景観条例違反の有無(争点(2)エ)について
(原告らの主張)
景観条例においては、大規模建築物等の新築等を行おうとする者は、都市景観形成基本計画と齟齬しないよう、その内容を市長に届出又は協議し(19条)、市長は場合によってそれに対して指導・助言等を行うことができる(20条)とされ、また、市は、周辺地域の都市景観の形成について先導的な役割を果たすよう努めなければならない以上、大規模建築物等に該当しなくても、同条例6条にいう公共施設についても、同計画に反してはならない。
母の塔建設は同計画に反するにもかかわらず、これにつき届出又は助言等を得ることを怠っているのは同条例に反する。
(被告らの主張)
景観条例19条・20条の適用があるのは高さ31メートルを超える工作物であるところ、母の塔は高さが30メートルでこれに該当しない。
なお、母の塔は純白でシンプルな色彩で、造形も柔らかいデザインであることから、周辺の緑の景観との整合が図れ、また、周辺の文化的イメージとも一体となってこれを景観の中に反映させ、地区の魅力を高めるものであるから、都市景観形成基本計画に反するものではない。
(8) 本件事業に係る原告ら主張の違法事由と個別の各費目に係る本件公金支出の違法性との関係(争点(3))について
(被告らの主張)
原告らは、市が本件美術館を本件建設地に建設する工事に適法に着手するための要件を満たしていないことが違法であり、このため本件公金支出も違法であるとするから、仮に原告らの主張を前提としても、本件公金支出が違法であるというには、本件公金支出が、本件建設地に本件美術館を建設するために、平成9年5月7日にその土地の区画形質の変更に着手した後の経費としてされたものでなければならないが、本件公金支出は、以下のとおり、いずれもこの要件を欠く。
すなわち、本件公金支出のうち、<1>別紙一覧表記載1及び2の各費目に係るものについては、各実施設計委託の業務はあくまで本件美術館建設の準備行為として実施されたものにすぎず、その経費としての委託料の支出には違法の問題は起こらない。また、<2>同記載3ない19の各費目に係るものについては、いずれも本件美術館の建設地がどこであるかに関係なく支出されたものであり、本件建設地に本件美術館を建設することを前提とした支出ではないから、原告らの主張を前提としても違法の問題は起こらない。さらに、<3>同記載20及び21の各費目に係るものについては、本件美術館が財産的価値を有するものであることはいうまでもないところ、市がその財産的価値に相当する対価でこれを買い取っても、本件美術館の取得契約の締結が、普通地方公共団体の財産利益を擁護する観点から判断すべき財務会計法規上の義務違反に該当するものではない上、同契約については川崎市議会の議決を経ているから、市長たる被告髙橋が損害賠償責任を負うことはない。
(原告らの主張)
本件事業に関するアセス条例違反の点を除く原告ら主張の違法事由は、生田緑地内に本件美術館を建設することが違法というものであるから、本件公金支出が違法であるためには、本件美術館が同緑地内に建設されることが決定された平成5年7月2日以降に同美術館建設のために必要として現に支出されたものであれば足りる。
また、アセス条例違反の点についての原告らの主張から帰結されるのは、本件事業について指定開発行為申請をすることができたにもかかわらずこれを怠った時期以降に、当該指定開発行為(本件事業)のために必要として現にされた公金支出は全て違法になるということであって、本件美術館の建設予定地が別の場所であっても支出されたであろうものをあえて除外することに何らの根拠もない。
被告らの主張のように、契約の目的物が違法に形成されたような場合であっても、財産的価値に相当する対価であればおよそ違法の問題を生じないとする帰結は、財務会計行為の適正という枠内においてもおよそ妥当性を欠く。
本件公金支出のうち、寄贈作品の管理又は追悼展に係るものが違法でないことは認めるが、その余のものについての適法性は争う。
(9) まとめ(被告髙橋及び同小机の故意又は過失及び市の損害又は損失の有無を含む。)
(原告らの主張)
ア 被告髙橋及び同小机は、市長又は市教育長として、違法な本件公金支出のうち別紙一覧表同被告ら欄に各○印を付したものに関与したところ、これをすべきでないことを認識し、又はこれを認識すべきであるにもかかわらず過失によりこれを認識しなかったものである。
よって、原告らは、市に代位して、同被告らに対し、各人に共通する限度の額において連帯して、別紙一覧表同被告ら欄に各○印を付した費目に相当する支出額と同額の損害賠償金及びこれに対する不法行為の日の後である平成12年11月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員の支払を求める。
イ また、本件事業が違法であることにより、市と被告公社との間の本件事業の委託契約は無効であるにもかかわらず、同被告は、別紙一覧表同被告欄に○印を付したとおり、同表記載20の本件美術館本体代金及び同記載21の母の塔代金の支払を受けた。
よって、原告らは、市に代位して、被告公社に対し、被告髙橋と連帯して、上記代金額に相当する不当な利得額及びこれに対する上記代金支払の日の翌日又は後である平成12年11月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員の支払を求める。
(被告らの主張)
争う。
第3 当裁判所の判断
(事実を認定する場合には、認定事実の末尾に当該事実を認める根拠となる証拠等を適宜略記する。)
1 原告松尾かおり及び原告丸山乾介の訴えについて
(1) 原告松尾かおりは本件訴えの提起時未成年であり(同原告に係る戸籍謄本)、その法定代理人である父母の共同親権に服していた(民法818条1項3項)ところ、当裁判所には父松尾末喜名義の訴訟委任状しか提出されていない。
そこで、当裁判所は、平成11年1月27日に成年に達した原告松尾かおりの追認を得るよう、平成13年1月22日の口頭弁論終結期日ころ原告ら訴訟代理人らにその補正を促したところ、これを得ることができなかった(当裁判所に顕著な事実)から、同原告の訴えは、適法な訴訟追行権限のある者によってされたとはいえず、不適法として却下を免れない。
原告ら訴訟代理人弁護士朝倉淳也は、同原告に係る訴えの取下書を提出しているが、訴訟追行権限のない者による不適法な訴えを代理人として提起した者が取下げ行為自体をするためにも訴訟追行権限のある者からの訴訟委任が必要である(行政事件訴訟法7条、民事訴訟法55条2項2号)以上、その取下げは効力を有しない。
(2) 原告丸山乾介は、本件に係る住民監査請求をしたとは認められない(前記第2の2(5)参照)から、その訴えは、いわゆる監査請求前置主義に違反し、不適法であるというほかはなく、これを却下すべきである。(以下、上記の2原告を除いた原告らを指して、単に「原告ら」ということがある。)
2 被告大熊に対する訴えについて
(1) 経緯
原告らは、当初被告大熊に対しても、被告髙橋と連帯して、川崎市に1億4708万1170円及びこれに対する平成9年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求めていたが、平成12年7月13日に至って同被告に対する訴えを取り下げる内容を含む同月17日付け請求の趣旨変更申立書を当裁判所に提出したところ、同被告は、同月17日の本件第25回口頭弁論期日において同取下げに対して異議を述べた(記録上明らかな事実)。
(2) 本案の答弁の有無
ところで、同被告は、請求の趣旨に対する答弁として明示的に訴え却下の判決を求めていたわけではなく、他の被告らと共に、住民監査請求(平成8年10月29日)の1年以上前の支出は適法な監査対象ではないから、これらの支出に関する訴えは、適法な監査請求を経ておらず、不適法である旨の主張をするにとどまり(平成9年7月14日付け準備書面)、その後は、本案の主張をしている。そうすると、被告大熊は、民事訴訟法261条2項にいう「本案について準備書面を提出し、…(中略)…又は口頭弁論をした」ことに該当するといわざるを得ず、終始、本案前の主張を主位的に、本案の主張を予備的に行い、本来、本案の権利関係の存否に関する判断を求めていない(東京高裁平成8年9月26日判決・判時1589号56頁参照)、というような事実関係にはない。
(3) 訴えの取下げの帰趨
したがって、原告らが被告大熊に対する訴えを取り下げるには、原則どおり同被告の同意を要するといわなければならないのであり、同被告に対する訴えの取下げの内容を含む前記平成12年7月17日付け請求の趣旨変更申立書の提出にかかわらず、同被告の同意がないので、その取下げの効力は生じていないというべきである。
(4) 訴えの適否
そこで、被告大熊に対する訴えの適否を検討する。
被告大熊が市の教育長の地位にあったのは、平成7年3月末までである(前記第2の2(1)エ)が、本件において原告らが問題とする市の財務行為は、別紙一覧表記載の本件公金支出であって、これらの支出の当時、同被告は財務会計権限のある地位にあったものではない。そうすると、同被告は、本件公金支出との関係において、地方自治法242条の2第1項4号前段に定める「当該職員」には該当しないから、同被告に対する訴えは、同法の予定しない類型の訴えとして不適法であって、却下を免れない。
また、仮に原告らが、同被告に対する訴えとの関係においては、本件公金支出以前の市の公金支出の違法をなお主張していると解しても、本件に関する監査請求(甲81・81の2)は平成8年10月29日にされたもので(前記第2の2(5))、請求時より1年を超えた前にされた公金支出を問題とすることはできない(地方自治法242条2項)から、その場合、当該公金支出についての適法な監査請求を経由していないことになり、その意味でも被告大熊に対する訴えは、却下を免れない。(以下、同被告を除いた被告らを指して、単に「被告ら」ということがある。)
3 財務行為の違法性と非財務行為の違法性との関係
(争点(1))
そこで、1記載の原告以外の原告らの被告公社、同高橋及び同小机に対する請求について検討する。原告らは、これらの請求において、本件事業が条例等に違反するから、本件事業に対する本件公金支出が違法であるとして、これに係る損害賠償又は不当利得返還を求める。
ところで、地方自治法242条の2第1項各号に定める住民訴訟は、地方自治体の執行機関又は職員の違法な財務行為又は怠る事実の適否に関する訴訟であり、この点を訴訟の対象とするものであるが、上記の行為が違法となるのは単にそれ自体が直接法令に違反する場合だけではなく、その原因となる行為が法令に違反し許されない場合の財務行為もまた、違法となるというべきである。例えば、原因行為の適法性が財務行為の要件でない場合には原因行為の違法は財務行為の違法をもたらさない(最高裁昭和59年11月6日第三小法廷判決・集民143号145頁参照)し、原因行為と財務行為との間に直接の関係ないし結び付きがある場合には、前者が違法であれば後者は違法となるものと解するのが相当である(最高裁昭和58年7月15日第二小法廷判決・民集37巻6号849頁参照)。このように原因行為と財務行為との関係を制度の仕組みから検討しなくては、原因行為の違法が財務行為の違法に直ちに結び付くかどうかを判断するのが困難である。
そこで、上記の見地に立って、原告ら指摘の各条例違反等の事由との関係における本件事業の適否が別紙一覧表記載の各費目に係る本件公金支出とどのような関係にあり、公金支出の違法をもたらすか否かを、以下、各別に検討する。
4 基本条例適合性の有無と本件公金支出との関係
基本条例(〔証拠略〕)は、市の環境政策の理念及び基本原則、環境施策の基本となる事項及びその施策の策定に関する手続等を定めたもの(1条参照)であり、同手続の定めも環境施策一般についての規定であって(8条から16条)、努力義務を定めた宣言的な規定と解するべきである。すなわち、原告ら指摘の環境調整会議についていえば、その付議事項は、環境基本計画の策定及び変更に関すること、環境施策に関すること、その他環境行政の総合的推進に関することである(基本条例10条・11条)。また、基本条例は、具体的な事業を想定して、執らなければならない手続を定めたものではないし、原告らの主張するように、同条例が個別の市民に環境権を保障したものでもないと解される。
そうすると、本件事業が環境調整会議の議を経ずにされたかどうかというような点を含め、基本条例に適合しているかどうかは、本件事業の違法に結び付くものではなく、もとより本件公金支出の違法をもたらすものではない。
5 アセス条例適合性の有無と本件公金支出との関係
(1) 指定開発行為をする場合におけるアセス条例による手続の概要
ア 一般の者が指定開発行為を実施しようとする場合の手続
原告らは、本件事業が指定開発行為に関するアセス条例及びアセス規則に違反すると主張するところ、アセス条例(〔証拠略〕)及びアセス規則(〔証拠略〕)は、一定の行為を「指定開発行為」と定義し(条例1条2号、規則3条。そのうち同規則別表第1の(1)に掲げるものの内容について、後記(3)アで検討する。)、指定開発行為を実施しようとする者は、原則として基本計画の段階で、同条例の定めるところにより、当該指定開発行為の実施に係る環境影響評価を行わなければならないと定めており(条例4条2項、規則4条)、その手続は、具体的には、以下のとおりである。
指定開発行為を実施しようとする者は、当該指定開発行為に係る一定の事項を、環境影響評価報告書(以下「アセス報告書」という。)等を添付して市長に届出をしなければならない(条例6条)。届出をした者が届出内容を変更しようとするときは、その旨を届出しなければならない。届出内容の変更が指定開発行為の種類・計画内容である場合には、新たな届出とみなされて、新規届出に対する手続がされる(条例7条)。届出を受理した市長は、当該届出を受理した旨及びアセス報告書の要旨を告示するとともに、その写しを縦覧に供する(同9条)。指定開発行為者は、その縦覧期間中、関係住民に対し、当該指定開発行為に係る環境影響評価について周知させるための措置を講じ、関係住民その他アセス報告書について意見を有する者は、一定期間内に市長に対して意見書を提出することができ、市長は当該意見書の写しを当該指定開発行為者に送付し、指定開発行為者は、当該意見書に基づき、アセス報告書の修正の有無を書面で市長に報告する(同10条から12条)。市長は当該修正に係る報告書を縦覧に供するとともに、当初のアセス報告書及び修正に係る報告書の内容を審査し、アセス審議会の意見を聴いて環境影響評価審査書(以下「審査書」という。)を作成し、その写しを指定開発行為者に送付するとともに、これを公表する(同13条及び15条)。また、市長は、関係住民又は指定開発行為者から要請があった場合で必要と認めるときは、アセス規則の定めるところにより公聴会を開催する(同14条、規則14条から23条)。指定開発行為者は、審査書を遵守しなければならず、これが公表された日以後でなければ、当該指定開発行為を実施してはならない(条例16条及び17条)。6条の届出をせず、又は偽りの届出をした者は5万円以下の罰金に処せられる(同27条)。また、審査書の公表前に指定開発行為を実施した者は、2万円以下の罰金に処せられる(同28条)。
もっとも、6条の届出をしなかった場合に、その者に係る開発行為を差し止め、あるいは、届出をしないでされた開発行為を原状に回復する権利が意見書を提出した住民や市長にある旨を定めた規定はないから、そのような違反を民事的に是正する法的手段までは設定されてはおらず、刑事罰をもって違反の防止を図るという手法が採用されているにとどまると解するほかない。
イ 市が指定開発行為をしようとする場合の手続アセス条例8条、アセス規則7条は、国、地方公共団体又は同規則で定める各種公団・公社等につき、指定開発行為に係る一定の事項をアセス報告書を添付して届出することに代えて、あらかじめその旨を市長に通知して、アセス報告書の提出について協議すべき旨を定めている。上記のような公的団体が指定開発行為をする場合には、審査主体である市長と類似する公的団体であることに照らして、一般の者が指定開発行為をする場合とは異なり、アセス報告書の提出自体を義務的ではなく裁量的にし、同書を提出をすべきかどうかについて協議をしなければならないとしたものと解される。そして、一般の指定開発行為をしようとする者の場合には、アのとおりに当該行為の届出受理から審査書の作成・公表等の一連の手続が用意されているが、上記団体の場合にはそのような手続を経る旨は定められていない。しかし、これは、上記団体の場合には、およそそのような手続が不要とされているというわけではなく、どのような手続にするかの点も「環境影響評価報告書の提出について協議しなければならない」旨の規定中の「協議」により定められると解される。もともと、市長は、市民の健康で安全かつ快適な生活を確保するためのあらゆる施策を実施するに当たって必要があると認めるときは、国、県等に対し、適切な措置をとるように要請しなければならないとされている(アセス条例2条)ことに照らしても、上記団体の場合にはおよそ無条件に審査が免除されるとするとは考えられないからである。
なお、川崎市自身が指定開発行為を行おうとする場合にも、他の地方公共団体が指定開発行為を行おうとする場合と同様に担当部局間での協議が必要であると解される。
そうすると、市は、指定開発行為を実施しようとする場合、基本計画の段階で、あらかじめその旨を市長に通知して、アセス報告書の提出について協議しなければならず、協議の結果によっては、適宜の措置が必要となることもある。
(2) 指定開発行為該当性に疑義がある場合と公金支出の違法との関係
ア 指定開発行為該当性の判断の基準時
本件では、市は、本件事業が指定開発行為に該当しないとしてこれを実施しようとしたのに対し、原告らが反対に本件事業は指定開発行為に該当するとして、その実施に異議を唱えたものである。
このような場合、〔要旨2〕指定開発行為に該当するかどうかの判断は、原則として開発行為についての基本計画を対象としてされることとなり(アセス規則4条)、その変更があった場合にはその変更内容を対象としてされることになる(アセス条例7条2項)。したがって、その判断の基準時は基本計画(基本設計)の時点であるのを原則とし、その変更がされた場合には当該変更後の基本設計の時点であり、計画に係る開発行為の面積等の基本的な内容が実施設計の段階で変更された場合については、アセス条例及びアセス規則は何ら定めていないが、着工がない以上は、その時点で改めて指定開発行為該当性等のアセス条例適合性を審査するのが適切である。同様に、実施設計の変更がされた場合には、それが着工前のものである限り、その変更後の実施設計の時点において、当該計画のアセス条例適合性を判断すべきである。
イ 指定開発行為該当性の判断に誤りがある場合と公金支出の違法との関係
このように判断して、〔要旨3〕本件事業が本来指定開発行為に該当するにもかかわらず、市が、これに該当しないとして、届出に代わるアセス条例8条所定の通知及び環境影響評価報告書の提出について協議しなかったときは、アセス条例違反の違法があることになる。
その場合には、当該開発行為はアセス条例違反の違法行為となる上、アセス条例所定の手続を遵守しなければ本来次の段階に適法に進めないのであるから、アセス条例違反のある場合におけるその後に事業を進めるための公金支出は、定められた法手続を遵守しなかったという意味で違法であるといわざるを得ない。もちろん、その違法の程度を左右する要因はいろいろあり、根本的に計画をやり直す必要があるとされる蓋然性の高い計画かどうか、開発行為主体が同行為に該当することが分かっていながらこれに該当しないとして該当性を仮装隠蔽するようなものであったかどうか、といったことにより、その後にされた公金支出の違法性の程度に差が生ずると解される。また、ここでの違法は、文字どおり手続法に反したというものにとどまり、損害の有無や賠償請求権の有無とは直ちに結び付くものではなく、それらについては別途検討する必要がある。
(3) 本件事業のアセス条例違反の有無(争点(2)イ)
まず、本件事業が、アセス条例に違反したものであったか否かを検討する。
ア アセス規則別表第1の(1)に係る指定開発行為の意義
(ア) アセス条例及びアセス規則の規定
アセス条例は、「環境に影響を及ぼすおそれのある土地の造成、工場及び事業所の設置等で規則で定めるもの」を指定開発行為とする(1条2号)。
そして、これを受けたアセス規則は、指定開発行為として「都市計画法(昭和43年法律第100号)第4条第12項に規定する開発行為」と規定し、そのうち「開発区域面積が1ヘクタール未満のもの」を適用除外とする(3条・別表第1の(1))(前記第2の2(2))。
(イ) 都計法上の開発行為との異同
原告らは、上記アセス規則にいう「開発行為」は、アセス条例に規定されたものであるから、都計法上の概念とは異なる意味に解釈すべき旨を主張する。
しかし他に格別の規定もない以上、文理解釈上は、文字どおり、都計法上の開発行為の意味に解するのが正しく、他に解する余地はない。
そして、規定の趣旨からしても、このことを肯定することができる。すなわち、アセス条例は、「環境に影響を及ぼすおそれのある事業」のうち、類型的に一部のもののみを取り上げ(アセス規則別表第1の左欄)、その中でも概ね規模の大きいもの(同右欄)のみを定型的に指定開発行為として、これを実施しようとする者には環境影響評価をすべき法的義務を課す(4条2項)一方で、環境に影響を及ぼすおそれがありながら指定開発行為ではない事業を行う者に対しては、努力・協力義務を謳う(同条1項)にとどめ、この2つを明確に区別している。同条例は、アセス規則別表第1において環境に影響を及ぼすおそれのある行為を網羅しようとしたのではなく、そのうちの一定の行為のみを指定開発行為に該当するとして、当該行為を行おうとする者に対してのみ、環境影響評価をすべき法的義務を課したものと解されるのである。
したがって、原告らの冒頭の主張は採用することができない。
(ウ) 「開発行為」の意義(取付道路の開発行為該当性の有無)
都計法4条12項は、主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行う土地の区画形質の変更を「開発行為」という旨規定しているところ、同法は都市の健全な発展と秩序ある整備を図ること等を目的としている(1条)から、同法29条による開発許可の対象である「開発行為」として想定されているのは、都市の秩序ある整備に影響を与えるもの、すなわち、土地の区画形質の変更が将来にわたって継続するものであると考えられる。
この点に関連して、被告らは、既存の道路に接続させるために設置する取付道路等に係る土地の部分は開発区域に含まれない旨を主張する。
しかし、「開発区域」とは、開発行為をする土地の区域をいうとされている(都計法4条13項)とおり、これに当たるか否かの判断基準はもっぱら当該区域において行われる行為が開発行為であるか否かにある。いわゆる取付道路等に係る工事の場合であっても、それが建築物の建築という本来の開発行為の目的にとって事実上便利であるという程度のものであれば、道路工事等それ自体は開発行為に該当しないが、本来の開発行為の完成にとって不可欠で開発行為の一部を将来的にも構成するような道路工事等であれば、それ自体も開発行為の一部に該当するというべきである。都計法39条又は40条等が、「開発行為」と「開発行為に関する工事」とを分けて規定しているとしても、その区別も以上に従って判断すべきである(〔証拠略〕)。取付道路等に係る土地である場合におよそ開発区域に含まれないというのは正確でない(被告ら指摘の〔証拠略〕は限定的に解するべきである。)。
(エ) まとめ
したがって、アセス条例1条2号、アセス規則3条・別表第1の(1)に規定する指定開発行為は、主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行われる、将来にわたって継続する土地の区画形質の変更であって、その区域面積が1ヘクタール以上のものをいう、と解される。
そこで、本件事業による開発行為が上記の指定開発行為に該当するかの点を検討する。
イ 本件敷地の外側の工事(屋外附帯工事)の開発行為該当性の有無
本件敷地の外側における原告ら指摘の「屋外附帯工事」が、本件美術館の建設に係る開発行為であったといえるか否かを判断する。
(ア) 盛土・切土工事並びに透水管及び擁壁設置工事
a 事実の経緯
標記の各工事に関して、以下の事実が認められる。
平成7年12月時点の修整基本設計(〔証拠略〕)においては、本件美術館の輪郭等が直線的であり、かつ、その敷地境界線付近において1から2メートルの高低差を生じる部分があり、その部分には境界線内に土留壁を設置するという計画であった。この点について、美術館が周囲の公園風景から浮いた感覚を抱かせるので、公園風景に溶けこむような設計にすべきである旨の意見が市の公園管理部局から建築部局に対してあった。そのため、平成8年3月の当初実施設計に際しては、修整基本設計において予定されていた擁壁に代えて、本件敷地と段差がなくなるように盛土することとした。また、本件敷地南西側部分についても、同様に公園管理部局からの指摘を受けて、本件敷地境界線から数メートル外側の土地に張り出して現れている樹木の根や地肌を覆うように盛土するとともに本件敷地内外(別紙図面4の藍色部分)にわたり擁壁を設置することとした。このようにして盛土工事が計画されたうち本件敷地境界線外にわたる部分が別紙図面3の黄土色部分であり、そのうち本件敷地北西側に比較的広い範囲に張り出した部分については、盛土部分がぬかるまないよう別紙図面4の青線のように透水管(ポラコン)を設置することとした。
さらに、別紙図面3の紫色部分についても、周辺に比べて盛り上がった地形となっていたため、公園管理部局から建築部局に対し、修景の見地から連続的になるように変更するようにとの要請がされた。そこで、建築部局は、当初実施設計の中で、本件敷地境界線の外側の同図面紫色部分につき、切土することとした。
(以上全体につき、〔証拠略〕)。
しかし、その後平成10年1月に、変更実施設計がされて、本件敷地境界線の外側の盛土及び切土は中止され、また、透水管も本件敷地内に限って設けられた(〔証拠略〕)。
b 当初実施設計を基礎とした判断
aの事実のとおり、当初実施設計において「屋外附帯工事」といわれているもののうち、一部の盛土及び透水管設置の工事は、本件美術館を擁壁で支持するという修整基本設計の計画に代えて、本件敷地境界線の外側にまで盛土し、その盛土を保護するために透水管を設置しようとした(〔証拠略〕)ものと認められる。また、他の盛土及び切土並びに擁壁設置の工事も、本件敷地境界線の内外にわたり一体として計画されている。したがって、この盛土・切土工事又は透水管若しくは擁壁の設置工事の計画は、主として本件美術館の建築の用に供する目的で行われる将来にわたって継続する土地の区画形質の変更であり、開発行為に該当するというべきである。
被告らは、当初実施設計におけるaの盛土・切土並びに透水管及び擁壁設置の各工事について、もっぱら公園の修景・整備のためのもので、本件美術館を建築するのみであれば必要ない旨を主張し、〔証拠略〕も同旨の意見を述べる。そして、被告らは、この工事区域は本件開発区域に含まれず、本件開発区域は、本件敷地境界までの範囲である旨を主張する。
しかし、美術館敷地の外縁部分を土留めによるか、盛土によるか等の選択が可能であるとしても、またその工法選択のきっかけが公園の修景・整備ということであっても、本件美術館敷地となる範囲の土地を盛土又は切土により整地し、その土地上に美術館を建築するという建築方法を選択した以上は、盛土又は切土の部分までが本件開発区域に含まれるのは当然である。この盛土・切土又は透水管若しくは擁壁がなければ本件美術館の安全及び衛生に支障を来すおそれは高い(〔証拠略〕)のであって、その盛土・切土又は透水管若しくは擁壁は本件美術館の建築の用に供するためのものにほかならない。被告らの主張は、要するに、狭い面積での工事が技術上可能であるから、現実に採ろうとする工法にかかわらず、当該技術上想定し得る区域のみが開発区域であるというに等しく、妥当を欠くのであって、採用することができない。
c 変更実施設計を基礎とした判断
ところが、a末尾のとおり、当初実施設計で計画された本件敷地外の盛土・切土工事並びに透水管及び擁壁設置工事は変更実施設計により行われなくなった。この変更実施設計を基礎とすると、盛土・切土工事又は擁壁設置工事のない部分にはもとより開発行為はなく、また本件敷地内でされた透水管設置工事は開発行為ではあっても開発区域を拡大するものではないことになる。
d 上記b又はcの選択
ところで、前記(2)アのとおり、指定開発行為かどうかの判定は、基本設計の段階でするのが原則であるが、基本計画と異なる実施設計がされた場合にはその実施設計が、また実施設計の変更があった場合には、それが着工前のものである限り、その変更後の実施設計が、指定開発行為かどうかの判断対象となる。
これを本件についてみると、屋外附帯工事を変更するために設計された変更実施設計は、本件美術館の建築に着手された後の平成10年1月にされたのであって、本件事業に係る着工前の最新の基本計画は、当初実施設計に係るものというべきである。そうすると、bのとおり、盛土・切土工事並びに透水管及び擁壁設置工事は、本件美術館の建築の用に供するための開発行為に該当する。
(イ) U字溝設置工事
a 当初実施設計を基礎とした判断
標記の設計に関して次の事実が認められる。
当初実施設計における「屋外附帯工事」の一部として、別紙図面4の水色線部分にU字溝設置工事がされることとなった。本件建設地がもともとゴルフ練習場として使用されていた窪地にあり、周辺地域からの雨水がここに流れ込むことが予想されることからすれば、U字溝がなければ本件美術館の安全・衛生等に悪影響を及ぼしかねない。(〔証拠略〕)
したがって、同工事の計画は、主として本件美術館の建築の用に供する目的で行われる予定の将来にわたって継続する土地の区画形質の変更であったというべきである。
主として本件美術館の建築の用に供する目的の工事であるか否かは、本件美術館と一体として工事の行われる範囲によって定められ、仮に当該工事が行われない場合に本件美術館の存立に影響を及ぼすような工事もこれに含まれるというべきであって、その契機が公園管理部局からの指摘であった(〔証拠略〕)としても、工事の性質には関係がないというべきである。
b 変更実施設計による影響の有無
その後平成10年1月に、変更実施設計がされて、本件敷地内にU字溝が設置されることとなり、そのとおりにされた。(〔証拠略〕)
しかし、指定開発行為に該当するかどうかの判断は、ここでも着工前の最新の設計内容である当初実施設計を基礎として行うべきであるから、上記U字溝設置工事の計画は、開発区域を本件敷地以上に拡大する開発行為に該当すると判断するべきである。
ウ 専修大学側通路工事の開発行為該当性の有無
(ア) 事実の経緯
次に、本件敷地の専修大学側の通路に関して、以下の各事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
a 市は、平成7年秋ころ、本件建設地に係る環境調査を実施し、前後してされた修整基本設計の委託に当たっては、本件美術館への来館者用のアクセスとして、東方の奥の池側からと西方の専修大学側からとの双方向のアプローチ(通路)を検討していた(〔証拠略〕)。ところが、修整基本設計の委託中に、専修大学側の通路の一部を管理用道路として使用している隣接ゴルフ場及び専修大学等から、本件美術館への通路は奥の池側からのみにしてほしい旨の要請があり、市はこれを受け入れ、専修大学側の通路は本件事業のための仮設にすることとした(〔証拠略〕)。
b 平成8年3月29日付けの当初実施設計中には、仮設道路基本計画図以下の道路関係図面の中に専修大学側からのアプローチを可能にする道路計画平面図(〔証拠略〕)があるが、これとは別に同年12月24日付けの仮設進入路平面図(〔証拠略〕)があり、そこに記載されているのが本件通路である(〔証拠略〕)。
c 本件通路は、現実には、平成9年1月から4月にかけて、管理用道路を利用した部分、構台部分及び盛土部分の3通りの構造を持つものとして設置され、その後本件美術館の建設工事期間中、工事用に利用される(〔証拠略〕)とともに、その竣工ころに常設展示用の美術作品の搬入に利用された後、撤去された(〔証拠略〕)。
d 本件美術館建物周辺には、物品の搬出入に使用することができると思われるエリアとして、修整基本設計においては1階北西部に「荷解場」に連なる「搬入口」が設けられていた(〔証拠略〕)。同「搬入口」は、当初実施設計によって変更され、対応する場所は、当初実施設計上はその「ELVホール」に連なる「屋外作業スペース」とされ、別途地下1階北東部に「カフェテリア」脇の「テラス」に連なる「搬入スペース」が作られた(〔証拠略〕)。変更実施設計においても、当初実施設計において存在した両スペースは存在するが、うち「搬入スペース」については、地下1階で「テラス」から大扉を通って企画展示室に往来できるようになった(〔証拠略〕)。
竣工後も、北西部の「屋外作業スペース」にはひさしがあり、さらに建物の内外を仕切るシャッターを開けてそこから建物内部に大型トラックを後ろ付けできるような構造になっているのに対して、東側の「搬入スペース」は、地上に開放されているにもかかわらず、ひさしはない。しかし、「搬入スペース」でも、テラスとの間を仕切る扉にトラックを横付けすることは可能で、本件通路の撤去後は臨時展示用の美術作品を同スペースから搬出入している。(〔証拠略〕)
(イ) 当初実施設計時点における「本件通路」の仮設性の有無
a 上記(ア)の各事実によれば、現に本件美術館の建設工事期間中に設置された本件通路は、平成8年12月の当初から「仮設」進入路としての設計に基づき設置され、その設置工事は、その時点においても、将来にわたって継続しない態様のものであったと認められる。
鉄骨を使用した頑強な構造となっているが、29か月という長い工期を想定し(〔証拠略〕)、また構台部分の高さが相当高いと認められる(〔証拠略〕>以上、強固であっても仮設であるということは不自然ではない(〔証拠略〕)。また、公園管理部局が景観を重視していた(前記イ(ア))から、景観の点から問題のある構台式の道路を本設で設置するということは考えられない。
b なお、当初実施設計中の道路計画平面図(〔証拠略〕)は、「仮設道路基本計画図」の次に置かれている(〔証拠略〕)から、図面の名称にこそ「仮設」という言葉は入っていないものの、その性質は当時から仮設にとどまっていたものと解される。その後、仮設進入路の設計としてこれをやり直した理由は必ずしも定かではないが、いずれにせよ、平成7年までにはゴルフ場や専修大学からの要請があって、専修大学側からのアプローチが困難になっていた事情は認められるというべきであって(前記(ア)a)、当初実施設計の時点においては、市の内部で専修大学側の通路を仮設にするという方針が固まっていたと認めるのが相当である。
また、平成8年8月3日に市が開催した住民説明会における亀岡茂雄の説明(〔証拠略〕)中に「半永久的」という言葉があるが、終始仮設道路という言葉について説明した中での使用文言であり、その真意が仮設道路と矛盾するものでないことは明らかである。
c したがって、本件通路が恒久的な使用を予定していたとする原告らの主張は採用することができない。
(ウ) 潜在的な恒久道路構想の有無(専修大学側の整備事業の有無、同事業と本件事業との一体性の有無)
前記(ア)dの認定事実によれば、本件美術館においては、設計上も、美術作品の搬出入には「屋外作業スペース」を利用する方が便利かつ機能的であることは揺るがしようがなく、現実に常設展示用の美術作品は、本件通路の撤去前に、これを利用して搬入されている(前記(ア)c)し、市の関係者においても、法的な位置づけは別として、本件美術館完成後の時点においてもできれば専修大学側の通路の延伸を図りたい旨の希望を抱いている節が見受けられる(〔証拠略〕)。そして、仮に当初から専修大学側の通路が建設される予定で本件美術館が設計されていたとすれば、同道路部分も一体として本件開発区域となり、全体が1ヘクタールを優に超えアセス手続を要するものとなる。それにもかかわらず、単に時期をずらして道路部分と本件美術館敷地部分とを分けて建設すると、本来一体として指定開発行為に該当したものが時間的に分断されることによりこれに該当しないとしてアセス手続が回避されることになりかねない。それでは不都合であるので、このような計画が当初から一貫して潜在的に存在していなかったかを検討する。
しかし、本件において、市は、前記のとおり、ゴルフ場と専修大学からの要望という外部からの要因によったとはいえ、一旦は専修大学側からのアプローチを真実断念したと認められるのである。その後専修大学側通路の延伸への期待が増したのは、上記の両者が態度を軟化させたことによるところが大きい上、なおそれは期待にとどまる(〔証拠略〕)。専修大学側の道路と本件事業との関係について、市において詰めた検討がされていたかはともかく、当初実施設計の時点において、仮設の進入路を建設し、これを撤去した後、さらに本設の新設道路を本件美術館のために建設することを計画していたというような事実、すなわち時間差を利用した指定開発行為の分断を図る意図を市の関係者が当初から一貫して有していた事実は認められない。
したがって、仮に、今後、本件美術館の専修大学側において本件美術館のための新設道路の整備が行われることがあっても、これと本件事業とが、当初実施設計の時点において一体であったということはできない。
(エ) まとめ
そうすると、専修大学側の通路に係る工事は、本件事業と一体の開発行為であると認めることはできない。
エ 奥の池周辺地域の整備と開発行為との関係
原告らは、奥の池周辺地域から生田緑地東口までの道路は、本件通路撤去後に拡張されて、生田緑地の外側の公道から本件美術館へのアクセス道路として供されているから、同地域は本件開発区域に該当する旨を主張する。しかし、奥の池周辺地域は、従前から、本件美術館の利用者のみならず、生田緑地の利用者に広く使用されていた空地である(〔証拠略〕)から、たとえこの地域の整備がされたとしても、特別の明示的な証拠でもない限り、それは主として公園自体の整備というべきであって、本件美術館の建築の用に供するためのものとはいえない。
原告らは、本件事業に係る予算中に奥の池の周辺整備に係るものも含まれている旨を主張する。確かに、本件事業が契機となってこの地域の整備が図られることになった(〔証拠略〕)といえる面がある。しかし、開発行為は、それ自体の性質として、大規模な歩行者・車両動線の変動をもたらし(〔証拠略〕)、周辺施設の工事意欲を刺激することがあり得るのはある意味で当然である。したがって、そのような見地から、本件事業に係る予算中に奥の池の周辺整備に係るものが組み込まれることがあり得るのであり、そのようにして発生する周辺工事は開発行為に該当するものではなく、せいぜい「開発行為に関する工事」にとどまるものというべきである。
したがって、奥の池周辺地域の拡幅・整備は、本件事業に係る「開発行為」ではないというべきであって、同地域が本件開発区域に該当するとはいえない。
オ まとめ
したがって、原告らの指摘する各工事のうち、「屋外附帯工事」は、本件美術館の建築の用に供する目的で行われる将来にわたって継続する土地の区画形質の変更、すなわち本件事業と一体の開発行為であったというべきである。そうすると、本件開発区域の範囲は、本件敷地及びその外側の屋外附帯工事区域であり、その合計面積は、計測上の誤差を考慮しても、1ヘクタール以上あることが明らかであるというべきであって(〔証拠略〕)、本件事業はアセス条例にいう指定開発行為に該当する。
そうすると、市は、当初実施設計の時点において本件事業がアセス条例上の指定開発行為に該当していたにもかかわらず、アセス手続を経ないまま、この当初実施設計を久米設計に委託したのであり、本件事業には、その限りにおいてアセス条例に違反する違法がある。
なお、本件建設地において市が環境調査を実施している(第2の2(3)ウ)が、厳格なアセス手続が安易に代替されてはならないから、市長がアセス審議会の意見を聴いていない(争いがない。)以上、その余の点につき判断するまでもなく、上記調査をもって本件事業に関しアセス手続を経たものとはいえない。
(4) アセス条例との関係における本件公金支出の違法の有無
ア そこで、(2)の考え方を(3)の違反の内容に適用して、本件公金支出の違法の有無を検討する。
イ (3)のとおりアセス条例違反があるので、(2)の考え方を当てはめると、本件事業を進めるための本件公金支出もアセス条例に定められた手続を遵守しない違法があるといわざるを得ない。
なお、別紙一覧表記載3ないし19の各費目については、どのような規模形式であれ、本件美術館を建設する以上必要な費用というべきで、いずれも本件事業がアセス条例上の指定開発行為に該当するかどうかとは無関係であるとも考えられる。仮にそうであるとすれば、本件事業がアセス条例に違反しても上記の各費目に係る本件公金支出が違法であることにはならないが、後記(5)のとおり、いずれにせよ、本件事業がアセス条例に違反したことにより、市に損害は生じておらず、上記の各費目に係る本件公金支出の適否は、原告らの請求の成否には影響しない。
ウ そうすると、本件公金支出の少なくとも一部は、アセス条例違反の違法をいわば承継した違法な性質を有する。
(5) 損害の有無
ア そこで、このように本件公金支出の違法がある場合において、市が損害を被ったかどうかについて検討する。
イ まず、市の損害を確定する上では、当該公金支出の違法がなかった場合に市の財政状況がどうであったかということを考慮することが避けられないところ、本件事業についてアセス手続を実施していたらどうなったかは想定上の問題でもあり、その内容を完全に明らかにすることはできない。
しかし、本件におけるアセス条例違反の内容は、仮にアセス手続を実施し、これにつき指導勧告がされていたとしても、その当不当は別にして、手続的には、当初実施設計による指定開発行為の通知と協議の申入れとを取り下げて、形式上は新規に開発行為を行うことで、少なくともアセス手続を要することなく対処することができたと考えられる内容のものである。そして、本件開発区域を1ヘクタール未満とする変更実施設計に基づいて本件美術館が施工され、同変更実施設計を有償でやり直したとの事実は認められず(当初実施設計の成果を流用したものと考えられる。)、一旦着工した美術館が建て直されたようなこともない。本件事業について現実に辿った事実関係が以上のとおりであることからすると、本件事業に係るアセス条例違反の内容は、再度費用をかけずに、これを同条例に適合させることのできる性質のものであった可能性が高い。なお、開発区域を大きく確保するか、最小限にするか、すなわちゆったりとした敷地を有する建築物にするか、ともかく狭い場所に建築するに足る最小限のものとするかは、建築主の意向によるので、面積によって指定開発行為該当性を区分する方法を採っている以上、開発区域を1ヘクタール未満にすること自体を一概に非難することは相当ではない。
これらの点は、前記(4)で認定した本件公金支出の違法の程度にも関係するものではある(なお、違法の程度を判断する上では、市の関係者の主観的な認識についても考慮する必要がある。)が、市に生じた損害を判断する際にも考慮を避けられないものである。
ウ また、市が本件事業について当初実施設計時点において適正にアセス手続を執っていたとすれば、市はこれにより、アセス報告書の作成、アセス審議会の意見聴取、審査書の作成及び公聴会の開催等又はこれらに代わる協議手続に伴う諸費用を支出することが避けられず、市が本件事業につきアセス手続を経ていないことによって、これらの本来支出すべき費用の支出を免れている事実自体は否めない(なお、最高裁平成6年12月20日第三小法廷判決・民集48巻8号1676頁参照)。
エ 以上を総合的に判断すると、本件公金支出の違法によって、市に損害が生じているとはいえず、原告らの請求は理由がない。
なお、上記のような判断をすると、アセス条例違反の手続が是正されないことになるが、それは、本件公金支出について市の損害が明らかでなく、そのために損害賠償請求を通じて是正することができない事案であるというにすぎず、一般的にアセス手続を経ずにされた公金支出の違法が損害発生をもたらさないとまでいうものではない。
6 周辺住民の生命及び身体に対する危険の有無と本件公金支出との関係
(1) 原告らは、脆弱な地盤上にある本件建設地に本件美術館のような建築物を建築することは、地滑り・土砂崩れ等により生田緑地を訪れる原告らの生命・身体に危害を加える蓋然性の極めて高い違法な行為である旨を主張する。
この主張が、本件事業について自らの生命・身体に対する主観的な違法を主張する趣旨であれば、客観訴訟における違法事由の主張としては失当というべきであるが、その趣旨を善解すれば、危険な建築物である本件美術館の建築に公金を支出したのが違法であるから、その賠償を求めるというものと解される。
(2) しかし、建築物の建築によって直ちに市に損害が生じるわけではなく、市は未だ財産的な損害を被ったというわけではないから、原告らの上記主張をもっても被告らに対して損害賠償請求をすることは未だ困難である。
なお、本件美術館の建設又はその建築物自体がそのような危険の切迫したものであるとの事実を認めるに足りる証拠もない。
(3) したがって、いずれにしろ、(1)記載の違法を理由とする原告らの請求は理由がない。
7 景観条例適合性の有無と本件公金支出との関係
(1) 原告らの主張
原告らは、母の塔の建設は景観条例に違反し、同条例上の都市景観形成基本計画に齟齬する旨を主張する。
(2) 景観条例の内容
景観条例(〔証拠略〕)は、原則として、同条例18条各号に定める大規模建築物等(高さ31メートルを超える工作物等)について、新築等の行為を行おうとする者は、当該行為に係る法令上の手続の日の4週間前までに、規則で定めるところにより、その内容を市長に届けなければならず(19条1項)、届出を受けた市長は、必要な措置を講ずるように助言し、又は指導する等を行うことができる(20条)。国、地方公共団体その他規則で定める者が同様の行為を行おうとするときは、届出に代えてあらかじめ市長に協議しなければならない(19条2項)と定めている。市自身が大規模建築物等の新築等を行おうとする場合においても、届出に関する上記の規定の適用が直ちに除外されるものではなく、協議の場で適宜の措置が講じられることとされていると解される。なお、この条例には罰則がない。
他方、市は、公共施設の整備等を行う場合において、都市景観の形成について先導的な役割を果たすよう努めるものとする旨定められている(同条例6条)が、この規定は、市の努力義務を規定したにとどまり、これが直ちに裁判規範性を有するものとは解されない。
そうすると、市が同条例にいう大規模建築物等を新築等しようとする場合において、これに該当しないとして景観条例19条2項に定める手続をしないことは同条例違反となる。
ちなみに、このような手続違反の判断の基準時、及び違反があった場合のその後における新築等に係る費用の公金支出の違法については、アセス条例違反の場合についての前記5(2)と同様に解するのが相当であり、判断の基準時についていえば、着工前の最新の設計によるというべきである。
(3) 本件事業の景観条例19条2項違反の有無(争点(2)エの一部)
そこで、上記の見地に立って、本件事業が、景観条例19条2項に違反したものであったか否かを検討するに、母の塔は、当初実施設計より後の平成9年10月ころから北西方向に約6メートル移動するとともにその建設地盤高を2.5メートル低くし、高さを30メートルに変更する内容の実施設計の変更が検討され(〔証拠略〕)、平成10年1月ころに母の塔が変更実施計画どおりに新築された(〔証拠略〕)。
前記のとおり、景観条例違反かどうかは、着工前の最新の設計に基づいて判断すべきであり、これに当たる変更実施設計によれば、母の塔の高さは31メートルを超えないものであったから、母の塔の新築は景観条例違反とはならず、したがって母の塔に関係する本件公金支出に景観条例違反による違法はない。
8 本案についてのまとめ
以上によれば、本件事業の違法原因として原告らから指摘されている事由のうちアセス条例違反の違法は認められ、それに伴う本件公金支出の違法はあるものの、それが市に損害をもたらしたものではないから、原告らの被告らに対する請求は、結局いずれも理由がない。
9 結論
したがって、本件訴えのうち原告松尾かおり及び同丸山乾介の請求に係る部分及びその余の原告らの被告大熊に対する請求に係る部分は不適法であるからこれを却下し、同原告らのその余の被告らに対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法70条、69条2項、65条1項、61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 窪木稔 平山馨)
(別紙一覧表)
支出年度 費目 金額 支出負担行為権者 現実の最終決裁者 被告髙橋 被告小机 被告公社
1 平成7年度 建設実施設計委託料 \85,696,000 市長 同左 ○
2 展示・シンボルタワー(母の塔)実施設計委託料 \104,339,000 市長 同左 ○
3 平成8年度 臨時的任用職員賃金 \969,375 教育長 同左 ○ ○
4 追悼展監視職員賃金 \757,800 教育長 同左 ○ ○
5 運営準備協議会食糧費 \26,440 準備室長 教育長 ○ ○
6 寄贈作品整備委託料 \25,038,167 教育長 同左 ○ ○
7 原型作品化委託料 \19,864,446 教育長 同左 ○ ○
8 建設委員会委託料 \998,246 準備室長 教育長 ○ ○
9 運営準備協議会会場借上げ料 \9,200 準備室長 教育長 ○ ○
10 追悼展開催委託料(セレモニー等) \765,496 準備室長 市長 ○ ○
11 平成9年度 臨時的任用職員賃金 \1,039,290 教育長 同左 ○ ○
12 特別展監視職員賃金 \780,806 教育長 同左 ○ ○
13 寄贈作品整備委託料 \25,557,525 教育長 同左 ○ ○
14 映像記録委託料(映像ライブラリー) \9,893,660 教育長 同左 ○ ○
15 同(太郎の芸術) \12,873,000 教育長 同左 ○ ○
16 同(太郎の生きざま) \10,972,500 教育長 同左 ○ ○
17 同(太郎が影響を受けた芸術の背景) \11,000,000 教育長 同左 ○ ○
18 情報システム開発委託料 \10,920,000 教育長 同左 ○ ○
19 収蔵作品ポジフィルム作成委託料 \7,287,000 教育長 同左 ○ ○
20 平成11年度 本件美術館本体取得代金 \5,747,078,400 市長 同左 ○ ○
21 平成12年度 母の塔取得代金 \1,035,055,192 市長 同左 ○ ○
合計 \7,110,921,543 \7,110,921,543 \137,987,455 \6,782,133,592
※「準備室長」は、岡本太郎美術館準備室長。