大判例

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横浜地方裁判所 昭和23年(ワ)122号 判決

原告 明川清 外一名

被告 鎌倉市

一、主  文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

二、事  実

第一、原告ら訴訟代理人は、「被告は原告らに対し、それぞれ金五十万円と之に対する昭和二十二年八月七日からその支払が終る迄年五分の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次の通り述べた。

一、被告は毎年夏期浴客を誘致する目的を以て、被告観光課所管事務の一として、鎌倉市材木座に海水浴場を主催経営し、海水浴場開催期間中は、その吏員を同所に派遣駐在させて、海水浴場の管理浴客救護等の事務に当らせているものである。

二、仮りに被告が右海水浴場の経営、管理まではしていないにしても被告は毎年その予算に海水浴場費という項目を設け、その中から必要な経費を支出し吏員を同所に派遣して右海水浴場に於ける危険防止遭難者救助等の事案に当つているものである。

三、昭和二十二年の八月は、右海水浴場の監視所には専ら被告の被用者にして当時観光課勤務の吏員石田允比が責任者として被告から派遣されていた。

四、原告らの長男で唯一人の男の子であつた明川博(当時都立高等学校理科第二学年在学十九才)は昭和二十二年八月七日午前十時頃友人堀内晃、羽鳥美貴枝と共に右海水浴場の海岸事務所の前の浜から、沖に向つて泳ぎ始めたところ、右堀内は海岸事務所前三百米位の海上を遊泳中の博に危険を感じ一応博のいた右場所迄泳いで行つたが、引潮が早く救助には舟が必要なことが判つたので、急ぎ引返し上陸して同じく博に危険が起つたことを感じた右羽鳥及び、その頃海岸に来合せた博の妹明川直子らと共に急遽前記石田允比の駐在している事務所に到り、右事情を告げ、救助船を出航して明川博を救助してもらい度いと何回も懇請を重ねた。

五、しかるに右石田は、波間に頭部を出没させて次第に沖の方へ流されてゆく明川博の姿を望見し乍ら、波浪が高くて船が出せないとの理由で右明川直子らの懇請を拒否し、徒に時を過し、当時唯一の可能な救助方法であつた救助船の出航の措置を敢えてとらなかつたものである。

六、しかし当時前記の如く引潮が早いので救助には是非船が必要であつたが、尚他に五、六十名の男女が海岸事務所前の海で遊泳していた位で悪天候という程でもなく、船が出せないと拒否する程に波が高かつたわけではなかつた。

現に前記明川直子らの最初の懇請後一時間半程経て、既に明川博の姿が見えなくなつてから同じ材木座海岸より搜索船を出しているのである。

七、よつて明川博は昭和二十二年八月七日右海水浴場で溺死した。

八、従つて被告はその被用者たる石田允比の右所為(不作為)について使用者として責を負い、これに因つて生じた明川博の死亡による原告らの損害を賠償すべきである。

尚右石田の所為は法規上、職務上の義務違反であるが、もし仮に然らずとするも被告は観光課をして海水浴場に関する事務を掌らしめ、更に現場に監視所を設置し吏員を駐在せしめ、以て一般浴客より危険の防止並に遭難者の救助に関し安全感、信頼感をえているという事情の下では、少くとも公序良俗に反した行為というべく、右と同様被告は原告らの損害を賠償すべきである。

九、又、仮に右石田允比としては十分の救助措置をとろうと努力したにも拘らず、当時吏員の意のまゝに急速に船を出すことが困難な機構がそこにあつたものとするならば、鎌倉市の経済的発展や財政確立のため広く前記浴場に浴客を誘致している被告として、かゝる脆弱不完全な機構の下に右海水浴場を管理しているものとして、その事業の監督上の責を免れ得ないものであり、因つて生じた明川博の死亡による原告らの損害を賠償すべきである。

十、明川博はもし本件事故によつて死亡しなかつたとすれば、昭和二十七年三月、二十四才で東京大学工学部卒業の予定である。

後記原告明川清の学歴や社会的地位からみても又博の生前の真面目さから考えても、同人は相当の地位の会社に就職し得るものであるから、大学卒業後直ちに就職し、低く見積つても手当等を加えて手取月三千円の收入を下らず、而も各年ごとの昇給も手取で月五百円の増額はある筈であるから、同人の停年を満五十五才として昭和五十九年八月迄に金四百二十六万八千円を取得することになる。これを一時に受取るとすれば、年利五分としてホフマン式計算では二百二万八千十二円となる。

原告清は博の就職の日から直ちに扶養をうけねばならない程に困つてはいないが、博が生前の真面目さと孝行とから予想すれば、その就職後必ずやその收入の半額を父母の扶養にあてると信ぜられるから、明治三十六年二月十日生れの原告清が仮定生存年齢六十五才になる迄父として右扶養により得べかりし金員は三十九万四千七十七円であり、明治四十三年三月二十八日生れの原告松子が右清の生存年齢経過後同じく六十五才になる迄母として右扶養により得べかりし金員は二十四万三千五百八十六円となる。しかし原告清については、同人が博の大学卒業迄博のため学費及び生活費として十一万二千円(一ケ月二千円として四年八ケ月分)の出費を要するから、此の金額を原告は博の死亡の日に一時に支払うとすれば、年利五分としてホフマン式計算で九万七千百二十五円になるから、之を前記金額から控除すれば、原告清が取得すべき金額は、二十九万六千九百五十二円となる。

よつて原告らは博の死亡により前掲各金額の得べかりし利益(扶養期待権)を失い、損害を蒙つたものである。

十一、次に博は原告らに対する扶養として前記各金額をそれぞれ支出した後に、尚百三十九万三百四十九円の收入を存するが、このうち少くともその一割十三万九千三十四円を生活の剰余として残す筈であるから、その各半額金六万九千五百十七円をそれぞれ原告らが遺産として相続すべきものとなる。よつて原告らはそれぞれ右金額六万九千五百十七円の相続期待権を失う損失を蒙つた。

十二、原告清は東京帝国大学工学部航空学科を卒業後中島飛行機株式会社に勤務し、昭和十六年富士飛行機株式会社を設立、その社長に就任し、終戦後は同会社が機構を変更し名称を改めた富士興業株式会社の専務取締役となつた。かくの如き社会的地位並に今日の物価状況から考えて、原告両名が博の死亡によつて蒙つた精神的損害に対しては、各々金五十万円の慰藉料を求めるのが相当と考える。

十三、よつて原告清は前記扶養期待権と相続期待権を失つた損害の全部及び右慰藉料の内の十三万五千五百三十一円合計金五十万円の賠償を、原告松子は前記扶養期待権と相続期待権を失つた損害の全部及び右慰藉料の内の十八万六千八百九十七円合計金五十万円の賠償を、又それぞれの右各金員に対し不法行為発生時にして賠償請求権を取得した昭和二十二年八月七日から完済に至る迄、民事法定利率による遅延損害金の支払を求むる為本訴請求に及んだ。

第二、被告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め、答弁として原告らの主張に対し次のようにのべた。

(一)  第一の一の事実中、被告が毎夏原告主張の海水浴場に吏員を派遣していることは認めるも、それは唯海水浴者の危険防止のためであり、右浴場は被告においてこれを主催経営し若くは管理してはいない。

(二)  第一の二の事実は之を否認する。

(三)  第一の三の事実は認める。

(四)  第一の四の事実中、原告主張の日に何人か石田允比のもとに舟を出して救助をしてくれと言つて来たものがある事は認めるが、その余は知らない。

(五)  第一の五の事実中、石田允比が波浪が高くて船が出せないと言つて救助船の出航を拒否したことは認めるが、その余の事実はすべて之を否認する。

(六)  第一の六の事実中、しばらく経つて船を出した事は認めるもその間時余を経たる事はなく、又舟は小坪の岬から出したものである。又当時他に五、六十名の男女が遊泳していたとの事実は知らず、その余の事実は之を否認する。

(七)  第一の七の事実は知らない。昭和二十二年八月七日鎌倉市材木座海水浴場で溺死した者はいない。

(八)  第一の十の事実中、明川博の将来の就職後の昇給額、父母に対する扶養額、卒業迄の学資、生活費の額等すべて否認するが、その余はこれを知らない。

(九)  第一の十一の事実は之を否認する。

(一〇)  第一の十二の事実中、原告明川清の経歴は知らない。

第三、<立証省略>

三、理  由

一、成立に争いない乙第四号証並に証人杉山誠一、同五木田清太郎の各第一、二回の各証言を綜合すれば鎌倉市材木座海水浴場の海岸地域並に水面は官有であつて、その管理に関しては国より神奈川県がその委任をうけて居り、昭和二十二年当時は被告鎌倉市が同県から出店(更衣場、遊戯場、休憩所等の総称)並にその附属建物建設敷地として海岸地域を賃借し、それを更に各出店業者に転貸し、被告としては右敷地の賃貸借の他には、出店業者等よりの指定寄附金及び海水浴場基本財産の利子等を主たる財源として出店業者に代つて余興場、共同便所その他海水浴場全般の利便のための諸般の設備をなす外、浴場の警備、清掃、浴客の監督、救護設備の設置等の任に当つていた事が認められるのであるが、被告が更に進んで右海水浴場を自ら主催経営又は管理しているとの証拠は何ら存せず、却つて同海水浴場の利用状況は所謂自然公物として一般海水浴者の自由な利用にまかせられているものである事が認められる。

従つて原告らの主張中被告が右海水浴場を主催経営又は管理していることを前提として、その被用者たる石田允比の行為につき、又はその施設の管理に瑕疵ありとして、被告にその責任を求めんとする部分は爾余の点につき判断する迄もなく失当である。

二、次に前掲各証拠並に証人村木小四郎の証言によれば、被告は昭和二十二年夏の海水浴季節には、前記海水浴場に事務所救護所を設置し、当時観光課吏員石田允比を責任者として派遣し、遊泳者の危険防止乃至救助のために風浪高き時は、或は赤旗を掲揚して危険を信号し、或はメガホン、拡声機等を以て水泳者に適宜の注意を与え、五百メートルロープ、浮輪等の救命具を設備し、双眼鏡を備えて水中、陸上の海水浴客を監視し、舟一艘、船頭二名を雇傭している等の事実が認められ、右事実と、証人杉山誠一(第二回)の証言により真正に成立したと認め得る甲第三号証、並に同証と対照して同じく真正に成立したと認め得る甲第四号証等を綜合すれば、費用負担や法的根拠の如何は別として、被告はまさしく原告ら主張の如く同海水浴場に於ける水浴者保護、危難防止の一連の諸施設、諸事業の一環として水難者救助をもその仕事の内容として包含している事実を認めることが出来る。

しかし乍ら、成立に争ない乙第二号証同第三号証及び証人杉山誠一の第二回証言によれば、同海水浴場における被告の右水難者救助等の事業は、本来警察保安行政に協助する目的を以て被告の自由な行政作用の一としてなされているものであることが認められるから、仮令一般海水浴客がこれにより利益を享けることがあるとしても、それを権利として要求することの出来る性質のものではなく、従つて原告らの主張中、右事業に使用していた石田允比が救命船を出航させなかつたと云う不作為を以て、違法行為であるとする部分は、失当である。

三、次に人命救助をなすべくその人的物的施設を擁するものが、他から救助を求められた場合、もし之に応じなかつたとすればその所為は公序良俗に反するものと謂うべきであるが、人命救助の義務は救助の施設を有することにより発生するものではなく、被告が前説明の如く人命救助の義務を有しないものである以上、被告又はその被用者たる吏員の所為には道義上批難すべきものがあつても、之が為損害の賠償義務を負はしむることは出来ず、この点に関する原告の主張も亦採用出来ない。

四、之を要するに原告らが不慮の事故により博の若き生命を失つたことにより、蒙つた苦痛は察するに余りあるが、博の死に付被告にその責を帰せしむるの根拠に乏しく、原告らは直ちに救護の手を尽したならば博はその死を免れたものと信じて居るのであろうが、当時の天候風速その他諸般の事情を考慮にいれるときは博は必しも容易に救助せられたものとはたやすく断定し難いのであるから、博の死は免れ難き運命であつて、百年の寿も天地の悠久に比すれば一瞬のものなるを思い諦めるの外はないのである。

以上の如くであるから訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 山本信政 地京武人 樋渡源蔵)

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