横浜地方裁判所 昭和27年(ワ)345号 判決
原告 淡野ぶん
被告 石橋利幸
一、主 文
一、被告は、原告に対し、金四十七万七千八百円及び内金二十二万五千六百五十七円に対する昭和二十七年五月二十三日以降、内金二十五万二千百四十三円に対する昭和二十七年十月十二日以降、いずれも支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告その余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は被告の負担とする。
四、この判決は、第一項に限り原告が被告に対し金十万円の担保を供すればかりに執行することができる。
二、事 実
第一、当事者の求める裁判
1、原告訴訟代理人は「被告は原告に対し、金四十七万七千八百円及びこれに対する昭和二十七年五月二十三日より完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決並に保証を条件とする仮執行の宣言を求めた。
2、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する」との判決を求めた。
第二、請求原因及び答弁
1、原告訴訟代理人は請求原因として、次の通り述べた。
(イ) 原告の夫淡野万吉は、昭和十二年六月二十六日青木都之輔から、その所有にかゝる横浜市中区常盤町四丁目四十六番地宅地六十九坪九合三勺の内十九坪七合五勺(別紙添付の図面<省略>斜線の部分-以下係争地と言う。)を普通建物所有の目的で、存続期間二十年、賃料一ケ月二十円、毎月末日払の約で賃借し、その地上に登記したる木造亜鉛葺二階家一棟建坪十五坪五合、二階八坪五合の建物を所有していた。
(ロ) 右淡野万吉は、昭和十六年四月二十八日死亡し、淡野泰男が、又右泰男は昭和二十年一月二十三日死亡し、原告が、それぞれ家督相続をし、前記建物の所有権を取得すると共に右青木との係争地に関する賃借人の地位を承継した。
(ハ) 前記原告所有家屋は、昭和二十年五月二十九日空襲によつて罹災焼失した。
(ニ) 被告は、青木都之輔より昭和二十二年九月頃、係争地を含む前記宅地を売買により所有権を取得し、その旨の登記を経て、前記原告との間の賃貸人としての地位を承継した。
(ホ) 然るに、被告は更に前記宅地を昭和二十七年四月十四日武井武司に売渡したので、原告と被告との間の係争地に対する賃貸借契約は、右武井に対抗することができなくなり、これにより被告の賃貸人としての義務は履行不能となつた。しかもその履行不能は、被告の責に帰すべき事由によるものであるから、被告はその履行不能に因つて原告の被つた一切の損害を賠償すべきである。
しかして、原告の右係争地に対する賃借権の価格は右履行不能時(昭和二十七年四月十四日)は金二十二万五千六百円であつたが、その後同年七月二十七日係争地に対する駐留軍の接収が解除されて、その価格が騰貴し金四十七万七千八百円になつたが、右接収解除は右履行不能時に於て一般人の予見し得べきことであつたから、被告は右騰貴した価格の賠償義務を免れない。
(ヘ) よつて、右四十七万七千八百円と、本訴で右請求をなした日の翌日である昭和二十七年五月二十三日より完済にいたるまで年五分の遅延損害金の支払を求める。
2 被告訴訟代理人は、次の通り答弁した。
(い) 請求原因(イ)の事実は知らない。
(ろ) 同 (ロ)の事実の内、原告主張の日時に、淡野万吉及び淡野泰男が死亡し、泰男と原告が順次前者の家督相続をしたことは認めるが、その他の事実は知らない。
(は) 同 (ハ)の事実は知らない。
(に) 同 (ニ)の事実の内、原告主張の日、原告主張の宅地を青木より被告が買受け、その登記をしたことは認めるが、その他の主張は争う。
(ほ) 同 (ホ)の事実の内、原告主張の宅地を昭和二十七年四月十四日被告が武井武司に譲渡したこと、係争地が昭和二十七年七月駐留軍より接収解除されたことは認めるが、その他の事実は否認する。
第三、被告の抗弁及びこれに対する原告の答弁
1、被告訴訟代理人は、抗弁として次の通り主張した。
「かりに、原告が青木都之輔に対し、原告主張の賃借権を有したりとするも、青木は罹災都市借地借家臨時処理法第十二条により、昭和二十二年八月二十九日当時住所不明の原告に対し、同年十月三日迄に係争地の借地権存続の意思があるかどうか申出るように、公示の方法で催告したが、被告より催告期間内に右申出がなかつたので、原告の係争地に対する借地権は同年同月三日の満了によつて消滅した」
2、原告訴訟代理人は、右抗弁に対し、次の通り答弁した。
「青木が、被告主張のような公示催告をしたことは知らない、かりに、そのような手続をしたとしても、当時青木は原告の住所を知つていたのであるからその公示催告は不適法であつて、何等の効力を生じない」
第四、証拠<省略>
三、理 由
一、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認める甲第二号証成立に争のない甲第七号証と証人青木都之輔の証言並に原告本人尋問の結果を総合して判断すると、淡野万吉は、昭和十二年六月二十六日係争地上にあつた木造亜鉛葺二階家一棟、建坪十五坪五合、外二階八坪五合の建物を淡野猪作から買受け、即日その旨の登記を経た上、係争地の地主であつた青木都之輔から係争地を引続き普通建物所有を目的とし、存続期間三十年(原告は期間二十年と主張するが同一性を失わない)賃料一カ月二十円、毎月末日払の約で賃借したことを認めることができる。
二、淡野万吉は昭和十六年四月二十八日死亡し、淡野泰男が、又右泰男は昭和二十年一月二十三日死亡し、原告が、それぞれ家督相続をしたことは、当事者間に争がないから、青木都之輔と淡野万吉との間の前記係争地の賃貸借契約は原告に承継せられたものと言うべきである。
三、成立に争のない乙第二号証、乙第三号証の一乃至八によれば、青木都之輔は罹災都市借地借家臨時処理法第十二条により昭和二十二年八月二十九日青木泰男に対し、同年十月三日迄に係争地の借地権存続の意思があるかどうか申出るように公示の方法で催告したことが認められるけれども、前記認定のように当時は既に原告が本件係争地の賃借人であつたばかりでなく、証人角田辰江の証言と、原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二十一年八月二十八日青木都之輔をその住所に尋ね引続いて係争地の賃借を申出でたことが認められ、青木都之輔は右公示催告の当時、原告の住所を知つていたことが窺われるから(これに反する証人青木都之輔の証言は信用しがたい)右公示による催告は不適法であつて、被告の借地権消滅の抗弁は採用しない。
四、証人青木都之輔の証言、原告本人尋問の結果と、弁論の全趣旨によれば係争地上の前記原告所有の建物は昭和二十年五月二十九日戦災によつて焼失したことが認められ、且つ、被告が昭和二十二年九月頃青木都之輔より係争地を含む前記六十九坪九合三勺の宅地を買受けたことは当事者間に争がないから、原告の前記借地権は罹災都市借地借家臨時処理法第十条の規定により被告に対抗し得ることは明かである。
五、しかるに被告が昭和二十七年四月十四日更に前記宅地を武井武司に売渡したことは当事者間に争がなく、右武井が特に賃貸人の地位を承継したことの認められない本件に於ては、原告の被告に対する係争地の借地権は武井に対抗することができなくなつたと認められるから、被告の賃貸人としての義務は履行不能に陥り、しかもその履行不能は被告の責に帰すべき事由にもとずくものと言うべきであるから、被告は右履行の不能によつて原告の被つた損害を賠償する責を免れない。
六、よつて被告の賠償すべき損害額を判断する。
1、土地賃貸人の賃借人に対する債務が履行不能となつた場合、賃借人の損害額如何と言うに、およそ借地権とは借地人が、その借地を利用しうる権利であつて、その被るべき損害は右土地の利用価値に対応する損害と言うべきであるが、右利用価値はそれ自身客観的に評価される財産的価格を有することも現時の社会通念によつて明かなところであるから、特に反証のない限り、右損害額は借地権の客観的価格と一致し、少くとも右額を下らないものと解せられる。従つて借地権者が借地権の価格をもつて賠償請求額の基礎となすことは理由があると言うことができる。
2、原告は履行不能時(昭和二十七年四月十四日)の借地権の価格によらず昭和二十七年七月二十七日係争地に対する駐留軍の接収が解除され、その価格の騰貴した結果にもとずいて賠償を請求する。そこでその当否を判断する。
およそ債務の履行不能による債務者の賠償額は、原則としては「履行不能時の物の価格」によるべくその後その物が騰貴したとしても、その騰貴価格によるべきではないが、たゞ「債務者の履行があつたならば(履行不能なかりせば)債権者がその騰貴した価格による利益を確実に享受したであろうと言う特別の事情があり、且つその事情を履行不能時に於て、債務者が予見し、又は予見し得べかりし場合」は例外として債権者に於てその騰貴利益を請求することができるとされ、しかもこの場合の主張、立証の責任は債権者にあるとされる。
そこで右の法理を本件に当てはめて考えて見るのに、土地の賃貸借契約は継続的関係であつて特別の事情のない限り、賃借人はその賃借期間中借地権の客観的価格に対応する、利益を享受し得るものと解すべく、本件土地が昭和二十七年七月二十七日駐留軍より接収解除されたことは被告の争わないところであるから、被告の不履行がなかつたならば、原告は解除によつて騰貴した価格による利益をも確実に享受したと見るべきである。しかも、右履行不能時(昭和二十七年四月十四日)に於ては我が国は既に連合国の諸国と平和条約を締結し、その効力の発効すべき日時も確定しておつたことは顕著な事実であるから、右履行不能時に於ては、進駐軍接収の土地も近く解除されるであろうことは善良なる管理者の注意をもつ一般人の予想し居つたものと推認すべく、特に右接収解除が右昭和二十七年四月十四日より極めて近い昭和二十七年七月二十七日になされた以上その接収解除が当時(不能時)見通しのつかない程困難であつたとの事情の特に証明されない本件に於ては被告はその接収の近く解除さるべきことを少くとも予見すべきであつたと解すべく、従つて被告は接収解除による騰貴価格の賠償義務を免れない。しかして、鑑定人山高民三郎の鑑定の結果によると係争地の本件賃借権の接収解除直後の価格は金四十七万七千八百六十三円であるから、被告はその範囲内である原告の請求する金四十七万七千八百円(以下単に賠償額と言う)の賠償義務があると言うべきである。
七、原告は右賠償額に対する昭和二十七年五月二十三日以降年五分の法定遅延損害金の請求をするけれども、原告の主張によるも、当時係争地は連合軍により接収中であり、借地権の価格は鑑定人山高民三郎の鑑定の結果によると金二十二万五千六百五十七円(以下単に不能時価格と言う)であるから、原告はその部分の遅延損害金を請求し得るに過ぎないものと解すべく、賠償額と不能時価格との差額についてはいまだ被告に支払い遅滞の責はなく、むしろ右借地権の価格騰貴後原告が本訴に於て、その請求をなしたと見られる。
第二請求の趣旨並に請求の原因補充書と題する書面が被告の訴訟復代理人に送達された日の翌日である昭和二十七年十月十二日より遅滞の責に任ずべきであり、右差額に対する昭和二十七年五月二十三日より同年十月十一日迄の損害金の支払を求める部分は失当であつて棄却を免れない。
八、以上の理由により金四十七万七千八百円と、内金二十二万五千六百五十七円に対する昭和二十七年五月二十三日以降、残金二十五万二千百四十三円に対する同年十月十二日以降いずれも完済に至るまで年五分の支払を求める、限度に於て原告の請求を認容し、その余の請求を棄却し、訴訟費用は大部分敗訴した被告に負担させ、仮執行宣言の必要を認め、主文の通り判決する。
(裁判官 地京武人)