横浜地方裁判所 昭和29年(行)11号 判決 1958年12月04日
原告 川村広与
被告 神奈川県知事・横浜市南農業委員会
補助参加人 服部直次郎
主文
横浜市港南地区農地委員会が昭和二十二年八月二十九日、横浜市南区永田町字三繩田千四百六十一番、畑六畝二十五歩外畦畔二十歩について定めた農地買収計画を取消す。
原告のその余の訴を却下する。
訴訟費用は、原告と被告南農業委員会との間に生じた部分は同被告、原告と被告神奈川県知事との間に生じた部分は原告、参加によつて生じた部分は、補助参加人の各負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、主文第一項記載の農地買収計画及び被告農業委員会が右買収計画に対し原告がなした異議申立を、昭和二十八年十一月二十七日付で棄却した決定並びに神奈川県農業委員会が右決定に対し原告がなした訴願を、昭和二十九年六月二十三日付で却下した裁決を取消す。訴訟費用は被告等の負担とする、との判決を求め、請求の原因として、
主文第一項記載の農地(以下本件土地という)は、原告の所有に属するものであるが、横浜市港南地区農地委員会(後に同市南区農地委員会と改称)は、昭和二十二年八月二十九日、右土地につき、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第一号に基き、農地買収計画を定め、同年九月一日その旨を公告し、同日以降十日間その書類を一般の縦覧に供した。
原告は、昭和二十四年五月末頃に至り、はじめて右の事実を知つて、同月二十八日、改称後の同農地委員会に対し、右農地買収計画につき、異議を申立てたところ、同農地委員会の事務を引継いだ被告農業委員会は、右申立は異議申立期間経過後になされたものであるけれども、宥恕すべき事由があると認めて、実体上の審査をした上、昭和二十八年十一月二十七日付で、これを棄却し、右決定書は、同年十二月六日、原告に送達された。そこで、原告は、同年十二月十四日、神奈川県農業委員会に対し、右決定につき訴願をしたところ、同農業委員会は、昭和二十九年六月二十三日付で、前記異議申立期間の経過については宥恕すべき事由がないとして、訴願を却下し、右裁決書は、同年八月二十六日、原告に送達された。
しかしながら、原告が右期間を経過したのは、次のような事情によるのである。すなわち、原告は、戦前から横浜市中区伊勢佐木町において、家具類の製造販売業を営んでいたものであるが、本件土地は、昭和三年以来自らこれを使用して来たものであつて、かつて一度もこれを他人に貸与したことがなかつたため、これが不在地主の小作地として農地買収計画の対象になろうとは毛頭考えていなかつたところ、昭和二十三年八月被告補助参加人服部直次郎から本件土地が前記買収計画の対象になつたことを知らされたので、早速神奈川県農地課へ数回その真偽をただしに行つたが、当時同課は非常に多忙であつたため、原告の間合わせに耳をかしてくれず、又聞いても調査して回答をしてくれなかつたので、原告は、その処分をした行政庁である前記農地委員会に問合わせようとしたが、その所在が判明せず、諸処を探した末、昭和二十四年五月末頃に至り、漸く同農地委員会(改称後)の事務所が横浜市南区下永谷の交通不便な学校の倉庫内にあるのを発見することができて、係員から前記のとおり本件土地につき農地買収計画が定められたことについて詳細な事実を告げられたので、同年五月二十八日、早速同農地委員会に対し、前記の異議申立をなしたのである。右の次第で、原告が前記の異議申立期間を経過したことについては、何ら原告に責むべき点はないのであるから、右期間の経過については宥恕すべき事由があるというべきである。従つて、これと異なる見解に立つて前記訴願を却下した裁決は違法であつて、取消されるべきである。
又、前記農地買収計画が定められた当時本件土地の地目は畑であつたが現況は宅地で前記のごとくかつて他人に貸与したことはなく原告が食糧補給の必要上家庭菜園として自ら野菜を作つていたものである。仮に、右現況が農地に該当するとすれば自作地と認めるべきである。それ故不在地主の小作地と誤認して定めた前記農地買収計画は違法である。仮にそうでないとしても、本件土地は、原告の所有に属するものであるから、たとえその登記名義が原告の先代亡川村又八となつていたとしても、その買収計画は、原告を所有者として定められるべきであるのにかかわらず、前記港南地区農地委員会は、原告がその所有者であることを知りながら、亡又八を所有者としてこれを定めた違法がある。従つて、右買収計画に対する原告異議申立を排斥した決定も又違法であつてて、右はいずれも取消されるべきものである。
よつて、原告は、被告農業委員会に対し、前記農地買収計画及び異議棄却決定の取消を求め、かつ被告神奈川県知事に対し、農地法施行法(昭和二十七年法律第二百三十号)附則第二十七項に則り、神奈川県農業委員会のなした前記訴願却下の裁決の取消を求めるため本訴請求に及ぶ。
と述べ、被告の出訴期間徒過の主張に対し、本件異議の決定は訴願の裁決を経たものであるからその出訴期間はは、行政事件訴訟特例法第五条第四項により該訴願裁決書が訴願人(原告)に到着した日から起算すべきものなることが明かである。従つて被告の右主張は理由がない、と答え、又被告の訴願却下の裁決の取消を求める訴の外に、原処分たる異議棄却の決定及び農地買収計画の取消を求めて出訴することは不適法であるとの主張に対しては、裁判所において、訴願却下の裁決を違法として取消すべきものであるとするときは、更に進んで訴願につき実体的審査をすることができるものと解すべきであるから、訴願却下裁決の取消の訴の外に、原処分たる異議棄却の決定及び農地買収計画の取消を求める訴を提起しても違法ではない、と答えた。(立証省略)
被告等指定代理人は、前記農地買収計画及び異議棄却決定の取消を求める訴につき、本案前の抗弁として、訴却下の判決を求め、その理由として、前記異議棄却決定の取消を求める訴の出訴期間は当事者が右決定のあつたことを知つた日から一ケ月、又は右決定のあつた日から二ケ月であるところ、本件においては、右訴は、出訴期間経過後に提起されたものであるから、不適法であり、仮に右訴が出訴期間内に提起されたものとしても原告は本件訴訟において同時に訴願却下の裁決の取消を求めているのであるから、仮に裁判所が訴願却下の裁決を違法として取消した場合には、訴願が復活し、訴願裁決庁において、あらためて農地買収計画の当否を審査することになるのであるから、訴願却下の裁決と併せて異議棄却の決定の取消を求めることは無益であり、従つて、かような請求は、訴の利益がなく不適法として却下さるべきである。又原告は本件において農地買収計画の取消を求めるけれども、右訴もまた異議棄却の取消を求める訴に対すると同一の理由により却下さるべきである、と述べ、本案につき、原告の請求、いずれもこれを棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、本件土地が原告の所有に属していたこと、横浜市港南地区農地委員会(後に同市南区農地委員会と改称)が原告主張のような農地買収計画を定め、その公告及び縦覧の手続をなしたこと、原告がその主張の日に、右農地買計画収に対し、異議を申立てたところ、改称後の同農地委員会の事務を引継いだ被告委員会は、実体上の審査をした上、これを棄却し(但し同農地委員会は、異議申立期間の経過につき宥恕すべき事由があるとして実体上の審査をしたものではない)、右決定書が原告主張の日に原告に送達されたこと、右決定について原告の提起した訴願に対し、神奈川県農業委員会が原告主張の裁決をなし、右裁決書が原告主張の日に原告に送達されたことは、いずれもこれを認めるが、その余は争う。なお原告は、昭和二十四年五月末頃に至り、はじめて前記農地買収計画が定められたことを明確にし得た旨主張するが、原告は、昭和二十三年八月六日頃、横浜市磯子農地委員会事務所において、本件土地に関する買収令書の交付を受けているから、遅くとも当時前記農地買収計画が定められた事実を知つていた筈である、と述べた。
(立証省略)
理由
本件土地は原告の所有であること、横浜市港南地区農地委員会(後に同市南区農地委員会と改称)は、昭和二十二年八月二十九日、右土地につき、自創法第三条第一項第一号により、農地買収計画を定め、同年九月一日その旨を公告して、同日以降十日間右書類を一般の縦覧に供したこと、原告が昭和二十四年五月二十八日、改称後の同農地委員会に対し、右買収計画につき異議を申立てたところ、同農地委員会は、昭和二十八年十一月二十七日付でこれを棄却し、右決定書は、同年十二月六日、原告に送達されたこと及び原告が更に同年十二月十四日、右決定につき、神奈川県農業委員会に対し、訴願を提起したところ、同農業委員会は、昭和二十九年六月二十三日付で、原告主張の理由によりこれを却下し、右裁決書が同年八月二十六日、原告に送達されたことは、いずれも当事者間に争がない。
よつて先ず右農地買収計画の取消を求める訴について判断すると、被告は、本案前の抗弁として、訴願却下の裁決の取消の外に農地買収計画の取消を訴求することは訴の利益を欠き不適法である旨主張するが、本件訴願の裁決は異議申立が期間経過後になされた不適法なものであることを理由として実体審査を為すことなく訴願を却下したものであるから、その取消を求める理由は右異議申立の適法に関する事項に限られ買収計画の取消を求める理由とは異るものであり、原告は右訴願却下の裁決の取消を求めるのとは別に農地買収計画の取消を求めるにつき訴の利益を有すると解すべきである(後記の如く却て右訴願の裁決の取消を求めるにつき訴の利益がないと解すべきである)。
ところで、原告の異議申立が期間後になされたことは前記の通りであるから、之につき、宥恕すべき事由があるか否かについて考察すると、成立に争がない甲第一、第五、第八及び第九号証、同丙第四号証並びに証人小島芳郎、同川村カク、同広田勘治の各証言及び原告本人の尋問の結果を綜合すれば、原告は、戦前から横浜市中区伊勢佐木町において、家具類の製造販売業を営んでいたが、昭和十六年同所に有限会社協成木材工業を設立してその取締役となり、昭和二十一年右会社を解散して新たに有限会社川村家具店を設立してその取締役となつたものであること、本件土地は、元屋敷跡で訴外服部為蔵の所有であり、昭和三年一月十二日原告先代川村又八が原告先々代川村又四郎の住居を建築する目的で之を買受けたが、原告先々代が之を希望しなかつた為、そのまゝとなり、原告先代はその地上に檜、松等を植栽し、周囲に鉄条網を張り巡らして放置し、今次大戦中は、原告が右会社の従業員等を使用して、本件土地において自家消費用の野菜等を栽培し、昭和十九年頃いよいよ空襲の危険が増大するに及び一時これを右会社の家具製作用材の疎開場所としたこと及び昭和二十一年六月頃、右用材を他に搬出した後は、原告において再びその家族及び右会社の従業員等を使用して、本件土地において自家消費用の野菜、甘藷等を栽培していたところ、次第に右会社の業務が多忙になつて来たため、昭和二十二年春頃から右会社の雑役夫であつて、農業の経験のある訴外広田勘治をして、その耕作にあたらせ、同年九月頃、同人を解雇するまでこれを継続させていたが、同人は、非農家で(この点は証人服部金蔵の証言により明かである、)平常は右会社の雑役の用務に従い、その都度原告の指示を受けて、本件土地に行つてその耕作に従事していたもので、これに要する農器具、肥料代及び種子代等はすべて原告又は右会社が負担し、収穫物は全部原告又は右会社がこれを収納し、訴外広田に対しては、その稼働日数に応じて右会社において給与を支給していたこと従つて、本件土地は、昭和三年以来前記農地買収計画が定められた当時に至るまで始終原告先代又は原告において自らこれを管理又は使用して来たものであつて、かつて一度もこれを他人に貸与したことはなかつたため、原告はこれが不在地主の小作地として農地買収計画の対象になろうとは毛頭考えていなかつたばかりか、その自創法に基く買収に関しては、何等の通知にも接しなかつたので、本件買収計画が定められた事実は全くこれを知らずにいたところ、昭和二十三年八月頃、本件土地がその地上に栽培していた甘藷を全部何者かに掘り取られ、整地されているのを発見した後、程なく被告補助参加人服部直次郎から、本件土地は、同人が政府から売渡を受けたから、以後同人がこれを耕作する旨を告げられて、はじめて、本件土地が農地買収計画の対象とされたのではないかとの疑念を抱くに至つたこと及びそこで、原告は、所管行政庁に問合わせてその真偽をただそうとしたが、農地関係の法律的知識にくらいため、その所管行政庁がいずれであるか明かでなかつたが、一応神奈川県農地課に問合わせることが至当であると考え、早速同課に再三出頭してこれを問合わせたが、当時同課は農地買収関係事務のため多忙であつたため、要領を得た回答を与えてくれず、只調査の上後日知らせるとのことで、その後、昭和二十四年五月頃に至り、係員から、前記買収計画に関する事務は、横浜市南区農地委員会(改称後)が所管していることを告げられたので、早速同農地委員会の所在を探した末、漸く同年五月末頃、同農地委員会事務所が交通の極めて不便な横浜市南区上永谷町三千五百九十四番地に所在する同市港南農業組合の倉庫を改造した建物内に在るのを発見し、同農地委員会書記若林浜吉に面接して、同人から前記農地買収計画が定められた事実の詳細を告げられ、はじめて、本件土地が農地買収計画の対象とされたことを知り、早速同人から異議申立書の書式等の教示を受けて、その後一週間程経た頃、同委員会に本件異議申立書を提出したこと及び同農地委員会は既に異議申立期間経過後であつたにもかかわらず宥恕すべき事由があるものと認め実体審査を為した後異議を棄却したことを認めることができる。
被告は、原告は昭和二十三年八月六日頃横浜市磯子農地委員会において、本件土地に関する買収令書の交付を受けたから、遅くとも当時前記買収計画が定められた事実を知つていた筈である旨主張するけれども、証人松野三一郎の証言及びこれにより真正に成立したものと認めうる乙第二号証中右主張事実に符合する部分は、前記甲第九号証によれば、右買収令書不到達の理由により、昭和二十五年十一月二十二日、買収令書の交付に代えて公告を為したことが明かであるからこの事実に照しにわかに信用できないし、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。
以上認定の事実によれば、原告は、当時本件土地からかなり距つた場所に居住していたが、本件土地をかつて一度も他人に貸与したことはなく、当時自らこれを使用していたというのであるから、これが不在地主の小作地として農地買収計画の対象になることは全く予期しなかつたと認めるのが相当であり、しかも前記農地買収計画については何等の通知にも接しなかつたというのであるから、右買収計画樹立の事実を知らなかつたことについて、原告に責むべき点はなく、又昭和二十三年八月、本件土地が農地買収計画の対象とされたのではないかとの疑念を抱いた後、神奈川県農地課にその真偽をただしに行つたが、要領を得た回答の得られなかつたため、その後遂に約八ケ月の期間を徒過するに至つたというのであり又一面において前記買収令書は遂に原告に交付されず昭和二十五年十一月二十二日になつて交付に代える公告が為されたのであるが、前記事実に徴し当時すでに原告の住所は明かであつたと認めるべきであり、仮にその頃右買収令書が原告に交付されていたとすれば当時なお原告は之を争う余地が残されていたのであるから、かような本件に現われた諸般の事情を綜合すれば前記異議申立期間の経過については何等原告に責むべき点はなく、右異議申立は期間経過後約一年八ケ月余を経てなされたものであるけれども、なお右期間の経過については宥恕すべき事由があると認めるのが相当である。
しかして前記異議申立に対し、被告南農業委員会は、自創法第七条第二項所定の異議決定期間経過後にその決定をなしたのであるがかように法定期間経過後になされた異議の決定に対する訴願の提起期間は、同法第七条第三項但書の趣旨に従い、右決定書送達の日から十日と解すべきところ、本件においては、決定書が原告に送達されたのは、昭和二十八年十二月六日であり、又これに対する訴願の提起されたのは同年十二月十四日であること前記のとおりであるから、前記訴願の提起は適法になされたものというべきである。尤も、本件訴願の裁決は前記の通り異議の申立が不適法であるとの理由に基き実体審査をなすことなく之を却下したものであるけれどもおよそ訴願が適法に提起された以上、一応行政権の審査の機会を与えているから、裁決庁が誤つてこれを却下して本案について審査をしなかつたとしても、適法に訴願前置の要件を具備したものと解すべきである。
よつて進んで、前記農地買収計画の適否について考えてみると、前記認定の事実によれば、前記農地買収計画の定められた昭和二十二年八月二十九日当時、本件土地の状況は、自創法にいわゆる小作地ではなく、原告が家庭菜園として訴外広田をして蔬菜等の栽培にあたらせていたものであつたと認めるのが相当である。してみると、本件土地が自創法第三条第一項第一号に該当する小作地であるとして定められた前記農地買収計画は、事実の認定を誤つた違法があるから、これが取消を求める原告の請求は、正当としてこれを認容すべきである。
次に、前記異議棄却決定及び訴願却下の裁決の取消を求める訴について判断すると、
被告は、右異議棄却決定の取消を求める訴につき、右訴は出訴期間経過後の提起にかかり、不適法である旨主張し、本件訴提起の日が昭和二十九年九月二十四日であることは記録上明かであるから、本件訴が本件異議の決定が原告に送達された昭和二十八年十二月六日から六月以上を経過した後提起されたことは明かである。けれども、原告は右異議の決定につき、訴願の裁決を経たものであり該裁決書到達の日が昭和二十九年八月二十六日であることは、前記の通りであるから右訴が出訴期間内に提起されたことは行政事件訴訟特例法第五条第四項の規定により明白であつて、被告の右主張は理由がない。けれども、右訴は本件買収計画の取消を求める訴とその理由を同じくするものであり、原告は右買収計画の取消を求める訴を提起する以上之と併合し、重ねて異議の決定の取消を求める訴を提起する利益を欠くといわなければならないし、又、訴願裁決のの取消を求める訴は、本件訴願の裁決は実体審査をなすことなく、異議の申立が期間経過後になされたにもかゝわらず宥恕すべき事由がなく不適法であり、右訴願は適法なる異議を経ないものとして之を却下するというのであること前記の通りであり、その取消を求める請求が本件買収計画の取消を求める請求と理由を異にすることは明かである。けれども原告が之により単に右訴願の裁決の取消を得た後新たに実体審査に基く裁決を求めるというのであれば格別、既に進んで買収計画の取消を訴求するのであるから何等訴の利益を有しないことが明かである。したがつて、原告の本訴請求中、異議の決定及び訴願の裁決の各取消を求める部分は之を却下すべきである。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十二条但書、第九十四条後段を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松尾巖 高沢広茂 松岡登)