横浜地方裁判所 昭和34年(ワ)684号 判決 1963年7月10日
原告 横浜興行株式会社
右代表者代表取締役 福田豊
右訴訟代理人弁護士 田口正英
被告 大映株式会社
右代表者代表取締役 永田雅一
右訴訟代理人弁護士 一松定吉
同 一松弘
同 柏木薫
同 田坂幹守
主文
被告は原告に対し金六百万円及びこれに対する昭和三四年九月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は原告において金二百万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
原本の存在及びその成立に争のない甲第十号証の四≪中略≫によれば、原告は、訴外中村清七の求めに応じ、被告が他から手形割引による金融を受け、但しその決済のための資金は、被告において各その満期迄に原告に提供する趣旨の下に、別紙第一手形目録記載のとおり、本件各手形合計十二通を振出し、これを訴外中村に交付したこと及び訴外中村は本件各手形を他で割引きその割引金を取得したことを認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はないから、原告は、本件各手形を訴外中村に交付したことにより、同人との間に、各手形の満期を弁済期とする手形金相当額の金銭消費貸借契約(以下各契約を包括して本件契約と略称する)が成立したものとみとめるのが相当である(被告にその法律効果が帰属することは後記の通りである)。
原告は、まず、訴外中村は本件契約締結につき被告を代理する権限を有していたものである旨主張するが、証人中村清七の証言中右主張に符する部分は信用できないし他には之を認めるに足りる証拠はない。
そこで、原告の表見代理の主張について判断する。成立に争のない甲第五号証の一ないし七十三(但し同号証の五十四を除く)≪中略≫を綜合すると、訴外中村は、被告関東営業部営業第四課長を経て、昭和二九年一二月一日東京都及び神奈川県担当の同営業部営業第一課長、次いで昭和三二年一〇月五日新潟県及び東北六県担当の同営業第三課長となり、各課所属のセールスマンを指揮して担当区域内の映画館主との間に被告製作の映画フイルムの賃貸借契約を締結し、その賃貸料の回収をなす権限を有していたこと、当時被告は毎月樹立する営業計画に基づき全国五つの営業部に対し毎月の映画フイルムの賃貸による収入予定額を割当て、各営業部においても営業各課及び各地域担当の営業課員(セールスマン)に対し各別の割当額を定め、各課長及びセールスマンはこの割当の枠を目標に上映館主と取引し、その結果実際の収入額がこの目標額に達しなかつた場合には、不足分の一部又は全部を補うため、前借の名目であるいは融通の趣旨で、取引先の映画館主から現金の交付又は手形の振出しを受ける等の方法により金借し、その返済にはその後の取引による賃貸料をもつて振替えあるいはさらに他から金借する等の方策を取るといつたいわゆる「水増し」営業の状態が継続しており、被告もかような営業の実情を知りながらこれを黙過していたこと、訴外中村も課長在任当時原告その他の取引先の映画館主からいわゆる「水増し」のために現金の交付あるいは融通手形振出の方法による金借を行なつていたものであること、しかるに、関東営業部内においては右のような「水増し」による割当額補填の方法が放慢となり、その額もまた膨大となつたため、被告は昭和三三年二月一日同営業部長を更迭して新に訴外鶴田孫兵衛を任命し累積した債務の弁済を中心に従来の「水増し」営業の整理に乗り出したが、同時に前認定のとおり訴外中村は営業第三課長を免ぜられ、以来昭和三四年七月一三日に解雇されるまでの間、同営業部長付又は同支社長付として特定の業務をなす権限は何ら有していなかつたものであることをそれぞれ認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。原告は、訴外中村が本件契約締結以前に「水増し」の目的のために被告を代理して原告から金借する権限を有していたものである旨主張し、被告が各課長及びセールスマンによる「水増し」の実情を黙過していたことは右認定のとおりであるけれども、この事実を以て被告の黙示による権限授与行為とは認めがたく、他に被告が訴外中村等営業各課長及びセールスマンに対し明示的に又は黙示的にかような金借の権限を授与していたことを認めるに足りる証拠はなく、さらに右に認定した事実によれば、訴外中村が関東営業部の課長在任当時に有していた映画フイルムの賃貸借契約の締結、その賃貸料回収の権限は昭和三三年二月一日に消滅したものであることが明らかであるから、訴外中村の本件契約締結に関する行為は、代理権の消滅後にその消滅前の代理権の範囲を越えてなされたものというべきである。
ところで、右のような場合、原告が訴外中村の代理権消滅につき善意、無過失であり、その行為につき訴外中村に権限があるものと信じ、かつそのように信ずるにつき正当の理由を有するときは民法第百十条、第百十二条により被告に本件契約上の責任を問いうるものと解すべきであるから、進んでこれらの点について検討する。訴外福田豊が昭和二二年以降被告から映画フイルムの供給を受けて映画興業をなし、昭和二六年九月以降は原告が引き続き被告から映画フイルムの供給を受けて映画興業をなして来たことは当事者間に争いがなく、各記載の時期における被告関東支部内部の配置図であることにつき争のない乙第四十九号証≪中略≫によれば、原告及び訴外福田は、本件契約以前にも訴外中村を始め関東営業部のセールスマンらの求めに応じ被告の映画フイルムの料金割当額の不足を補填する趣旨で別紙第二手形目録記載の融通手形を被告宛に振出したが、これらの内同目録一二二の約束手形を除き他はすべて各満期までに訴外中村又は他の関東営業部の社員から額面相当の現金を原告方に持参するなどして原告及び訴外福田には何らの負担もなく決済されていたこと、訴外中村は、営業第三課長を免ぜられて関東営業部長付になつた際、同営業部室内において原告に対し今回部長の職務を代行する重要な職務についたのでよろしくとの挨拶をしたことがあること、訴外中村は同営業部長付になつた後もなお平常他の社員から課長と呼ばれ、その執務用の机もまた課長と同列にみられるような位置におかれており、さらに、昭和三三年九月一日附訴外鶴田孫兵衛名義の挨拶状(乙第六号証)には、支社長、次長、各課長とともに支社長付として訴外中村の氏名が併記されている等外部の者からは訴外中村が少なくともなお課長と同程度の権限を有しているとみられるような状態であつて、昭和三三年二月一日以後被告から原告等取引映画館主に対し営業部長付又は支社長付としての訴外中村には何らの業務上の権限もない旨を明確に告知したことはなく、また訴外中村に対しては金員や手形の貸付をしないようにして欲しいとの要望をしたこともなかつたこと、原告代表者訴外福田は、従来の経緯から訴外中村が前記「水増し」に関し被告のために手形による消費貸借をなす権限を有しその権限に基づき本件契約を締結するものであると確信していたことをそれぞれ認めることができ、右認定を動かすに足りる証拠はない。右のような諸般の事情及び前認定の被告が「水増し」営業を黙過し後に債務の弁済等その整理をなした事実に徴すれば原告は訴外中村の本件契約締結に関する行為がその消滅前の代理権の範囲内の事項に属するものと信じ、かつそのように信ずべき正当の理由を有していたものとみるべきであり、さらに特段の事情がない限り同人の代理権消滅について善意、無過失であつたものというべきである。尤も証人中村清七の証言≪中略≫によれば、被告は昭和三二年一〇月七日付を以て、訴外中村が同月五日付営業第一課長から同第三課長に転じた旨、又昭和三三年九月一日付を以て同人が関東支社長付となつた旨当時被告と取引関係のあつた常設映画館及び被告と同業の会社等に通知したことを認めうるから、之等はその当時原告に対してもまた通知されたものと解するのが相当であるけれども、之等の事実は以上の認定を動かすに足りない。又、別紙第二手形目録中七八ないし一二二の約束手形四十五通及び本件各手形の内九通の各第一裏書人の記載が大映株式会社取締役営業部長鶴田孫兵衛となつていることは当事者間に争いがなく、原告代表者福田豊の尋問の結果によれば、本件各手形の担保として訴外中村から原告に交付された第三者振出の約束手形数通の第一裏書人の記載もまた右と同様であつたことを認めることができ、これらの記載が訴外鶴田の正式の役職名と相違しあるいは当時その地位にあつた者の氏名とも相違していることは前認定の事実から明らかであるが、前出甲第七号証≪中略≫によれば、右各手形の内第二手形目録中七八ないし一二二の各手形は本件訴提起当時まで支払場所である訴外株式会社駿河銀行横浜支店に保管されていたものであり、また本件各手形はいずれもその最終の振出日(昭和三四年五月三〇日)以後に原告の手許に戻つて来たことが認められるので、本件契約締結当時までには原告にはその各第一裏書人の記載を見る機会がなかつたものと考えられるばかりでなく、原告が右各手形の一部又は全部の第一裏書人の記載を知りこれが真実の役職名や当時その地位にあつた者の氏名と相違していることを認識していたとしても、このことから直ちに原告が訴外中村の代理権消滅又は権限踰越について悪意であつたものとは到底認め難く、また訴外鶴田は終始被告内部における枢要な地位にあつたこと(同人の証言により認められる)及び前認定のとおり従前原告が振出した手形が円滑に決済されていた事情からみても、原告が右のような裏書人の記載に疑問を抱き訴外中村を介してなす貸付につき被告に問いたださなかつたことをとらえて取引上の注意義務の懈怠とみることは困難である。さらに、証人斯波昌吉≪中略≫の各証言によれば、訴外斯波昌吉、同黒田日出夫、同吉成忠雄の三名は、原告とともに飲食をした際、原告に対し訴外中村は支社長付で何の権限もないから同人には金を貸さない方が良い旨の忠告をなしたことを認めうるけれども、その時期については右各証言では明確でなく、むしろ原告代表者福田豊の尋問の結果を考えあわせると、その時期は本件契約締結後の昭和三四年六月頃と認めるのが相当である。そして、他には訴外中村の代理権の消滅について原告が悪意であつたこともしくは善意であることについて過失があつたことを認めるに足りる証拠はなく、原告において訴外中村の行為が消滅前の代理権の範囲内の事項であると信じ、かつそのように信ずるにつき正当の理由があつたことは前記のとおりであるから、被告は訴外中村が原告との間になした本件契約につき民法第百十条、第百十二条によりその責に任ずべきである。
以上の次第で、被告は、原告に対し、本件契約に基づく貸金債務合計金六百万円及びこれに対する右債務の弁済期以後完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきところ、昭和三四年九月一日以前に右債務の最終の弁済期が到来していることは冒頭で認定した事実により明らかである。
よつて、原告の本訴請求は理由のあることが明らかであるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松尾巌 裁判官 小山俊彦 裁判官奥山恒朗は転任につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 松尾巌)