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横浜地方裁判所 昭和37年(ワ)1080号 判決

○当事者

原告

早川康人

原告

菊地規之

ほか三名

右菊地聡子、同美幸法定代理人後見人

菊地規之

右原告五名訴訟代理人弁護士

梶田徳市

被告

富士商事有限会社

右代表者代表取締役

桜井英弐

被告

竹内寿夫

右被告両名訴訟代理人弁護士

横溝貞夫

降籏巻雄

○主   文

(一) 被告等は、各自、原告早川康人、同菊地規之に対し各金三三九、九九三円、原告菊地祥允、同菊地聡子、同菊地美幸に対し各金五三九、九九三円および右各金員に対する昭和三六年七月一四日から各完済まで年五分の割合による金員を支払うべし。

(二) 原告等のその余の請求を棄却する。

(三) 訴訟費用は三分して、その二を被告等の、他の一を原告等の各負担とする。

(四) 第一項は、仮りに執行することができる。

○事   実

第一、双方の申立

(一) 原告等 「被告等は連帯して各原告に対し金七八六、九五四円づつおよびこれに対する昭和三六年七月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払うべし、訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求める。

(二) 被告等 「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする」との判決を求める。

第二、請求の原因

(一) 被告竹内寿夫は、被告富士商事有限会社に雇われ、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三六年七月一三日午前零時五〇分頃、被告会社所有の大型貨物自動車(五屯積ダンプカー)神一せ五九八六号を運転し、川崎市大島町二丁目三二番地先田島県道を、同市浜町方面から川崎駅方面に向い、車道中心線の左側を中心線に沿つて時速五〇粁で進行中、反対方向から車道中心線の右側を中心線に接近して進行して来た訴外佐藤芳夫の運転する小型乗用自動車の右側面に自己の自動車の右前照灯附近を衝突させ、さらに右斜め前方に約一〇米進行して、右佐藤の自動車の後方を続いて進行して来た訴外鹿島武士運転の小型乗用自動車の前面に自己の自動車の前部を衝突させたため、右鹿島の運転する自動車に乗つていた訴外菊地正幸に対し頭部打撲を与え、これによる頭蓋内出血により、同人を即死させてしまつた。

(二) 右事故は、被告竹内の過失によつて生じたものである。すなわち、右事故現場附近は道路が右に緩くカーブしており、かつ当時雨が降つていたため前方の見とおしが十分でなく、また被告竹内は、佐藤の自動車が道路中心線に接近して反対方向から進行して来るのを約五〇米手前で発見したのであるから、自動車運転者としては、右佐藤の自動車とすれちがう際にこれと接触することを避けるため、進路を左方にずらして進行するよう、危険の発生を未然に防止すべき業務上当然の注意義務があつたにかかわらず、被告竹内はかような注意義務をつくすことなく。そのまま道路中心線に沿つて進行してしまつたため、佐藤の自動車に衝突し、続いて鹿島の自動車にも衝突してしまつたのである。

(三) 右のとおり、本件事故は被告竹内の過失によつて生じたものであるから、被告竹内は直接の不法行為者として、民法第七〇九条の規定に従い、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があり、一方、本件事故は被告竹内が被告会社のためその所有の自動車を運転中に惹き起したものであるから、被告会社は右自動車の保有者として、自動車損害賠償保障法第三条の規定に基いて、損害賠償の責任を負うべきである。

(四) 亡菊地正幸は、本件事故当時満二七才の健康な男子であつて、昭和三四年七月から川崎大島町三丁目六二八番地でプラスチツク加工業を営んでおり、その死亡前一年間(昭和三五年七月一日から昭和三六年六月三〇日まで)に二六八、二〇七円一四銭の営業収益を挙げていたが、その必要経費は収益の一割五分とみるのが相当であるから、これを差引いた残額二二七、九七六円(以下切捨)が同人の年間純収益となるわけである。一方昭和三六年度川崎市民所得推計結果報告書(統計川崎特集号所収)によると、昭和三六年度の川崎市民の消費支出は、一世帯平均四・一人で月額三六、一六七円とされており、一人当りの月額消費支出は八、八二一円二二銭であるから、その年間合計額は一〇五、八五五円となり、正幸の生計費もこれと同額とみるべきであるから、これを正幸の前記年間収益額から差引いた残額一二二、一二一円が同人の年間純所得額となるわけである。ところで、厚生省統計調査部作成の第一〇回生命表によると、二七才の男子の平均余命は四二・三五年であるから、正幸は本件事故がなかつたならばなお四〇年間は働くことができたはずであり、この間合計四、八八四、八四〇円の収入を得ることができたはずである。そこでホフマン式計算法を用いて年五分の民事法定利率により一年ごとにその中間利息を控除すると、その現在額は二、六四三、〇一五円となり、正幸は本件事故によつて死亡したことにより、右同額の得べかりし利益を失つたことになる。

(五) ところで、本件事故後、正幸の受けた財産上の損害に対し、自動車損害賠償責任保険金七〇八、二四五円が支払われたから、その限度で正幸が本件事故により蒙つた得べかりし利益の喪失による損害が填補されたことになり、その残額は一、九三四、七七〇円となる。

(六) 原告早川康人は正幸の兄であり、原告菊地規之、同祥允はその弟、原告菊地聡子、同美幸はその妹であつて、正幸の死亡により共同でその権利義務を承継した。

(七) 従つて原告等五名は、前記一、九三四、七七〇円の五分の一に当る三八六、九五四円づつの損害賠償債権をそれぞれ相続により取得しているわけである。

(八) 他方、正幸は、昭和三二年三月明治大学法学部(夜間部)を卒業したのであつたが、これよりさきの昭和三〇年頃から東京都大田区にある合成樹脂加工業株式会社大沼製作所に入社して約四年間勤務し、一カ月三〇、〇〇〇円以上の収入を得ていたところ、父幸之助が昭和三三年四月二七日死亡し、次いで昭和三四年七月一八日母秋子も死亡してしまい、長男たる原告早川康人が昭和三四年二月一八日訴外早川米子と結婚し、その両親といわゆる婿養子縁組をして、同人らと生活を共にすることになつたので、弟妹たる原告菊地規之以下四名の原告らの養育の責任が、正幸の双肩にかかることになつた。そこで正幸は、昭和三四年七月右大沼製作所を退社して独立してプラスチツク加工業をはじめ、その収益で弟妹らの養育の任に当つて来た。このように、原告等は両親亡きあと、正幸を唯一の頼りとして生活して来たのであつたが、わずか二年余りで頼みの綱というべき正幸を失い、生活の拠りどころをなくしてしまつたのであるから、正幸の死亡により、原告らは兄弟として深刻な精神的打撃を受けたといわざるをえない。原告らの受けた精神的苦痛は、各金四〇〇、〇〇〇円をもつて慰藉さるべきが相当である。

よつて被告らに対し、原告ら各自に対する前記損害賠償金三八六、九五四円と右慰藉料金四〇〇、〇〇〇円との合計七八六、九五四円およびこれに対する昭和三六年七月一四日(本件不法行為の翌日)から完済まで年五分の民事法定利率による遅延損害金の各自支払いを求める。

第三、被告らの答弁

(一) 原告等主張の(一)の事実は、被告竹内が鹿島武士の運転する小型乗用自動車の前面に自己の自動車の前部を衝突させたとの点を除いて、その余の事実を認める。同(二)の事実は否認する。同(三)の事実は争う。同(四)の事実は知らない。同(五)の事実中、原告らの主張の保険金が支払われたことは認めるが、その余の事実は争う。同(六)の事実は知らない。同(七)の事実は争う。同(八)の事実は知らない。

(二) 本件事故は、被告竹内の運転する自動車が佐藤芳夫の運転する小型乗用自動車と衝突した際、被告竹内が急ブレーキをかけ、その余勢で道路の右側に出たところ、右佐藤の自動車の後方を進行して来た鹿島の自動車が適切な停車措置を怠つたため、自ら被告竹内の運転する自動車に衝突した結果生じたものである。右のように、被告竹内が急ブレーキをかけてその余勢で道路の右側に出たことは、緊急やむを得ざる処置の結果であつて、不可抗力とみるべく、これに適切な停車措置をとることを怠つた鹿島の自動車が衝突したのであるから、被告竹内に不法行為による責任はなく、また被告会社にも自動車保有者としての責任はないといわなければならない。

第四、証拠関係≪省略≫

○理   由

原告ら主張(一)の事実は、被告竹内が鹿島武士の運転する小型乗用自動車の前面に自己の自動車の前部を衝突させたとの点を除いて、当事者間に争いがない。

そして、(証拠―省略)を綜合すると、被告竹内の運転する自動車と鹿島の運転する自動車とが衝突したのは、被告竹内の運転する自動車が、まず佐藤芳夫の運転する自動車の右前部に衝突した反動で右側にハンドルをとられて、さらに右斜め前方に約一〇米進行したため、右佐藤の自動車の後方を続いて進行して来た鹿島の運転する自動車に正面衝突させるにいたつたものであること、右各衝突事故の発生については、被告竹内に原告らが(二)で主張するような過失があるほか、被告竹内が時速四〇粁の制限速度をこえて風雨の暗夜を時速約五〇粁で安易に進行した過失によるものであることを認めることができ、他に以上の認定を動かすに足る証拠はない。

被告らは、被告竹内の自動車が佐藤の自動車に衝突した後、さらに鹿島の自動車に衝突したことは不可抗力とみるべく、これについては被告竹内に過失の責はない旨主張するが、さような事実を認めるに十分な証拠は何もない。

してみると、被告竹内は、直接の不法行為者として民法第七〇九条の規定により、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務あることが明かであり、また本件事故は、被告竹内が被告会社のためその所有の自動車を運転中に惹き起したものであること、(証拠―省略)によつて明かであるから、被告会社は右自動車の保有者として、自動車損害賠償保障法第三条の規定に従い、やはり損害賠償の責任を負うべきものである。

よつて以下、損害額について順次検討を加える。

(証拠―省略)を合せ考えると、亡菊地正幸は昭和九年一月一七日生れの健康な男子であつて、東京実業高等学校を卒業後、二〇才の頃から東京都大田区にある大森合成樹脂加工株式会社大沼製作所に勤務するかたわら、明治大学法学部(夜間部)に通学して昭和三二年三月卒業したが、昭和三三年中に父幸之助が死亡し、長兄たる原告早川康人が早川米子と婚姻して別居していたので、一家の生計を背負つて立つべく、右大沼製作所を退職して、独立して菊地化成なる名称で、プラスチツク加工業をはじめたこと、その営業収益(加工賃)は、昭和三五年七月二一日から昭和三六年六月三〇日まで約一年間に少くとも二六七、四九七円一四銭を挙げていたこと、右プラスチツク加工業における必要経費としては、電気代、油代、ガソリン代、機械の減価消却等を合わせ、収益の一割五分をこえない範囲の額を計上すれば足りるものであることを認めることができる。

してみると、他に格別の反証がない本件にあつては、正幸は死亡当時、少くとも、右二六七、四九七円一四銭から一割五分の必要経費を控除した残額二二七、三七二円(円以下切捨)の年間純営業収益を挙げていたと認めるのが相当である。

ところで、(証拠―省略)によると、川崎市総務局統計課のまとめた昭和三六年度川崎市市民所得推計結果において、非農家たる川崎市民の年間個人消費支出額は、一人当り一〇五、八五五円とされていることを認めることができ、正幸もこれと同額の生計費を必要としたとみるのが相当であるから、前記年間純収益二二七、三七二円から右年間消費支出額一〇五、八五五円を控除した残額一二一、五一七円が、正幸の年間純所得額となるわけである。

一方、正幸が本件事故当時満二七才(昭和九年一月一七日生れ)で健康な男子であつたこと、さきに認定したとおりであり厚生省統計調査部発表の第一〇回生命表によると、満二七才の男子の平均余命は四二・三五年あることが明らかであるから、本件事故がなかつたならば正幸もなお四二・三五年間生存することが可能であり、この間さきに認定したプラスチツク加工業を営むものとすれば、満六五才までなお三八年間は働くことが可能であつたとみるのが相当である。

してみると、正幸は、本件事故がなかつたならば、なお三八年の間毎年一二一、五一七円の純所得を挙げることができたはずで、その合計額は四、六一七、六四六円となるが、ホフマン式計算法により年五分の民事法定利息をもつて一年ごとにその中間利息を控除するため、右一二一、五一七円に期間三八年の単利年金現価率二〇、九七〇二(以下切捨)を乗ずると、二、五四八、二三五円となり、これが前記合計額の現在額である。

しかし他方、正幸は労働可能な六五才をこえてから天寿を全うするまで四年間(一年未満四捨五入)は無収入となり、この間はそれまでに得た収入のうちから生活費を支弁するものとみるのが相当であるから、その間も前記年間の総支出額を現在額にひきなおすと、その額は一四〇、〇二四円(以下切捨)となる。

105,855円×(222,930−209,702)=140,024

222,930…期数42の単利年金現価率

209,702…期数38の単利年金現価率

そこで、右一四〇、〇二四円を前記二、五四八、二三五円から控除した残額二、四〇八、二一一円が、正幸が本件事故によつて死亡したことにより蒙つた得べかりし利益の純喪失額たる損害額となるわけである。

ところで、本件事故後、正幸の受けた財産上の損害に対し、自動車損害賠償責任保険金七〇八、二四五円が支払われたことは、当事者間に争いがないから、正幸の受けた得べかりし利益の喪失による損害は、その限度で填補されたことになり、その残額は一、六九九、九六六円となる。

そして正幸の父幸之助がすでに死亡していたことはさきに認定したとおりであり、(証拠―省略)によると、正幸の母秋子も昭和三四年七月一八日死亡していたこと、原告早川康人に正幸の兄、原告菊地規之、同祥允はその弟、原告聡子、同美幸はその妹であること、正幸は死亡当時未だ独身であつたことを認めることができるから、正幸の死亡により、原告ら五名が共同でその権利義務を相続したことが明かであつて、原告ら五名は、前記一、六九九、九六六円の五分の一に当る三三九、九九三円(以下切捨)づつの損害賠償債権を、それぞれ相続により取得したことになるわけである。

次に、原告らの慰藉料の請求について検討する。

原告等は正幸の兄弟ないし妹であつて、民法第七一一条に列挙された身分関係者には当らないのであるが、当裁判所は、死亡した被害者の兄弟姉妹であつても、被害者と密接な特別の生活関係があり社会的見地からみて、被害者の死亡によつて格別の精神的打撃を受けたであろうと認めることができるかぎり、これらの者にも慰藉料請求権ありとみるのが相当と考える。

ところで、原告らは昭和三三年中に父を失い、次いで昭和三四年中に母をも失つてしまい、長男たる原告早川康人が早川米子と婚姻して別居していた関係で、正幸が一家の生計維持のため独立してプラスチツク加工業をはじめたものであつたこと、さきに認定したとおりであるが、(証拠―省略)によると、正幸の死亡当時、原告早川康人を除くその余の原告らが正幸と生活を共にしていたが、原告菊地規之はすでに富士電機製作所に勤務して月収一二、〇〇〇円位を得ていたほかは、被告菊地祥允、同聡子、同美幸はいずれも未成年で高校ないし小学校に在学中であり、専ら正幸の収入に依存し、同人の養育を受けていたことを認めることができる。してみると、原告早川康人、同菊地規之は、一応社会人として独立の生計を維持するに足る能力を備えていたのに反し、原告菊地祥允、同聡子、同美幸の三名は、未だ自活の能力を欠き、正幸をいわば親代りとして、専ら同人に依存した生活をしていたわけであるから、正幸の死亡によつて受けた精神的打撃は、とりわけ大きかつたことが容易に推測することができる。

右認定の諸事情に照らすと、原告早川康人、同菊地規之も正幸の兄弟として、その死亡による悲哀感の深かつたであろうことは想像するに難くはないが、さきに説明した見地からみて、正幸の死亡による慰藉料請求権は、とりわけ精神的苦痛の大きかつたと認められる原告菊地祥允、同聡子、同美幸の三名だけに認めるのが相当である。そしてその額は、さきに認定した諸事実からみて各金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。原告早川康人、同菊地規之の慰藉料の請求は、理由がない。

以上の説明により、被告らは各自、原告早川康人、同菊地規之に対しては損害賠償として各金三三九、九九三円づつ、原告菊地祥允、同聡子、同美幸に対しては各損害賠償金三三九、九九三円と慰藉料二〇〇、〇〇〇円との合計金五三九、九九三円づつ、および以上の各金員に対する昭和三六年七月一四日(損害発生の後の日)から各完済まで年五分の民事法定利率による遅延損害金を支払うべき義務あることが明かであり、原告らの各請求はそれぞれ右の限度で理由があり認容すべきであるが、その余はいずれも失当として棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官 森文治 裁判官 石沢健 裁判官 井野場秀臣)

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