横浜地方裁判所 昭和38年(ワ)544号 判決 1965年3月29日
原告 海商株式会社
被告 沼田喜久枝 外八名
主文
原告に対し
被告沼田喜久枝は金一六六、六六六円、
被告河崎光代、沼田伸一、井筒君子、沼田安右衛門、沼田喜久子は各自金五一、二八二円、
被告石塚正子、石塚安太郎、石塚美智子は各自金二五、六四一円、
および右各金員に対する昭和三七年四月二五日から支払ずみまで年六分の金員を亡沼田安蔵の相続財産中民法九三五条所定の残余財産の限度で支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は十分し、その九を原告の負担、その一を被告等の連帯負担とする。
この判決の第一項は仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、原告に対し、被告沼田喜久枝は金一六六、六六六円、被告河崎光代、沼田伸一、井筒君子、沼田安右衛門、沼田喜久子は各自五一、二八二円、被告石塚正子、石塚安太郎、石塚美智子は各自二五、六四一円および右各金員に対する昭和三七年四月二五日から支払済まで年六分の金員を支払え。訴訟費用は被告等の連帯負担とする旨の判決と仮執行の宣言を求め、請求の原因として
一、訴外亡沼田安蔵は生前の昭和三七年一月二七日訴外湯地宗一に宛て、金額五〇万円、満期同年四月二五日、支払地振出地とも横浜市、支払場所株式会社横浜銀行の約束手形一通を振出し、原告は右湯地宗一から同手形の裏書譲渡をうけ、現にその所持人である。仮りに、右手形が受取人白地で振出されたとすれば手形を取得し、かつその補充権を与えられた湯地がこれを右のように補充した。
二、原告は右手形を満期に支払のため、支払場所で呈示したが、支払を拒絶された。
三、振出人沼田安蔵は昭和三七年七月一八日死亡し、同人の妻である被告喜久枝、同嫡出子である被告光代、伸一、君子、安右衛門、喜久子、同非嫡出子の被告正子、安太郎、美智子は右手形債務を法定の相続分に応じ相続により承継した。
四、よつて、被告らに対し、右相続分に応じた手形金と、これに対する満期から支払済まで、手形法所定の年六分の利息の支払を求めるため、本訴に及んだ、
と述べ、
被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決を求め、
一、原告主張の請求原因一項の事実中、亡沼田安蔵が原告主張の約束手形を受取人白地のままで作成したこと、原告が現にこれを所持していることは認めるが、訴外湯地宗一にあて振出または交付し同人がこれを取得したとの点は否認する。同二項は認める。同三項中、沼田安蔵が原告主張の日に死亡し、その妻、嫡出子、または非嫡出子である被告等が相続により同人の権利義務を承継したことは認める。
二、右の手形は、沼田安蔵が金融をうけるため訴外三洋商事株式会社に受取人白地のまま交付したところ、金融をうけないうちに同会社の取締役であつた訴外湯地宗一がこれを盗み出し、原告会社に裏書交付したもので、当時原告は湯地が右のようなやり方で手形を取得したことも知つていたから、原告は正当な手形所持人ではない。
三、被告等は安蔵の死亡後法定の期間内の昭和三七年一〇月一〇日共同して横浜家庭裁判所に対し財産目録を提出し、限定承認をする旨の申述をし、同年同月三一日これを受理せられるとともに、被告沼田伸一が相続財産管理人に選任された。
原告は前記のように正当な手形所持人ではなく、仮りにそうでないとしても、被告等は原告が正当な手形債権者であることを知らなかつたので個別の通知をして債権の申出を催告することはなかつたが、管理人は就任後遅滞なく同年一一月一〇日発行の官報に「相続人等が限定承認をしたから、債権者受遺者はその翌日より二月以内に申出られたく、期間内に申出がなければ弁済より除斥する」旨を公告したが、原告は期間内に債権の申出をしなかつたため、本件手形金債権は弁済より除斥されることとなつた。なお、相続財産は資産一六六、三二五、一七四円であるに対し債務一九五、六六〇、一六四円であるから、残余財産を生じる見込もない。
四、仮りに、原告の債権が除斥せられないとしても、被告等は前記限定承認により、相続財産の限度においてのみ支払の義務があるにすぎない。
と答え、
原告訴訟代理人は、被告等の右答弁に対し
一、原告が本件手形の悪意の取得者であるとの点を否認する。訴外湯地の手形取得に被告等主張の不法な行為があつたとしても、原告はこれを知らず、重大な過失なくして取得したから、正当な所持人である。
二、被告等主張のような公告が官報に掲載されたこと、原告においてその催告期間内に本件手形債権の届出をしなかつたことは認めるが、被告等は相続財産の一部を処分したから単純承認をしたものとみなされ、限定承認の申述は効力を生じない。
すなわち、亡沼田安蔵は、本件手形の支払を拒絶する際、銀行取引停止処分を免れるため、支払場所の横浜銀行を通じ横浜銀行協会に保証金五〇万円を寄託したが、安蔵死亡後二日目の昭和三〇年七月二〇日被告等は右寄託金を取戻し、これを処分した。
三、のみならず、被告等は原告が本件手形債権を有することを知つていたから、原告において公告の期間内に債権の申出をしなくとも、この債権を弁済から除斥することはできない。
と再答弁し、
被告等訴訟代理人は、右再答弁事実に対し、
本件手形の支払を拒絶するにつき、銀行取引停止処分を免れるため横浜銀行に寄託した五〇万円は、沼田安蔵がこれより先の昭和三六年三月一〇日同銀行から金四五〇万円を弁済期同年五月三一日の約で借受け弁済をしないでいたため、同銀行は昭和三七年八月一〇日内容証明郵便により、被告らに対しこれらの債権債務を対等額で相殺する旨の意思表示をした。このように、右寄託金五〇万円は被告等が取戻したことはなく、同銀行の相殺の意思表示により消滅したものである、
と述べた。
立証<省略>
理由
一、訴外亡沼田安蔵が生前本件約束手形を受取人白地のままにして作成し、金融をうけるために訴外三洋商事株式会社に交付したことは被告等の認めるところであるから、右は反証のない限り、受取人の記載補充を三洋商事株式会社またはその後の手形取得者にまかせる趣旨で同手形を流通においたものとみられる。したがつて、この手形の振出行為には欠けるところがなく、その後、被告等主張のように盗まれたにせよ、振出行為が不成立または無効となるものではない。
二、甲第一号証の本件手形、真正に成立したものと認める甲第二号証と口頭弁論の全趣旨によれば、訴外湯地宗一において右受取人として自己の氏名を補充し、かつ、被裏書人白地のままでこの手形を原告に裏書譲渡したことが認められ、この手形を現に原告が所持することは当事者間に争いがない。
被告等は、この手形は金融をうけるため交付しておいた訴外三洋商事株式会社で盗まれたものであり、原告はこの事情を知りながら手形を取得したと抗弁するがそのような事実を認めるに足る証拠はない。したがつて、裏書の連続があることにより原告は適法の所持人とみなさるべきであるし、仮りに三洋商事株式会社で手形を盗み出された事実があつたとしても、原告の悪意または重過失の立証がない本件では、手形法七七条一項一号、一六条二項により、原告が手形上の権利を取得する点においては右と変りがない。
この手形が満期に支払場所で呈示されたのに、支払を拒絶されたことは真正に成立したものと認める甲第一号証の付箋によつて明らかである。
三、とすれば振出人の沼田安蔵は右手形金と満期の日から支払ずみまで手形法所定の年六分の利息を支払う義務があるが同人が、原告主張の日に死亡し、被告等はその妻、嫡出子または非嫡出子として法定の相続分、すなわち妻は三分の一、その余を嫡出子は平等の割合、非嫡出子は嫡出子の二分の一の割合で同人の権利義務を相続したこと、は争いがなく、成立に争いがない乙第一号証によれば、被告等がその主張するように、横浜家庭裁判所に限定承認の申述をしこれを受理せられ、被告沼田伸一が相続財産管理人に選任されたことが認められる。
原告は、被告等が安蔵の遺産である横浜銀行に対する寄託金を取戻し処分したから右限定承認は無効であると主張するが、成立に争いない乙第四、五号各証によると、右寄託金は、被告等がいうように、横浜銀行に対する安蔵の四五〇万円の債務と相殺せられて消滅したことが認められ、被告等が取戻す余地のないことが明らかであるから、右主張は採用しない。
すると、他に特段の事由がない限り、前記限定承認は有効といわなければならない。
四、相続財産管理人である被告沼田伸一が官報による公告で被告等主張のような債権者受遺者申出の催告をしたこと、ただし、原告に対し個別の催告はしていないことは争いがない。
前記乙第四、五号各証と証人河崎政雄の証言によれば、被告等相続人は、おそくとも、昭和三七年八月一〇日付内容証明郵便により前記横浜銀行が発した相殺通知書中の記載で原告が本件手形の所持人であることを知つたものと認められる。しかし、前記甲第一号証の付箋、証人河崎政雄の証言、被告沼田伸一本人尋問の結果により成立を認める乙第六、七号証と同尋問の結果によれば、沼田安蔵は、「訴外協和興業株式会社代表取締役石川数一を介し、前記三洋商事株式会社に五〇〇万円の金融を依頼し、昭和三七年一月二七日本件手形を含む金額五〇万円の約束手形一〇通を交付したところ、約旨の期限である同月末日を経過しても、金融をうけられず、種々交渉の結果、同年二月二〇日他の九通の手形は返還されたが、本件手形は返還されず横領された」と主張して、同年四月一〇日上野警察署に告訴状を提出し、三洋商事株式会社代表取締役桜井政孝と同会社常務取締役湯地宗一の処罰を求めていたもので、本件手形の満期にあたつても、支払場所の横浜銀行に「手形を詐取された」ことを理由に支払拒絶の手続をとり、取引停止処分を防止するため手形金額に相当する金五〇万円を同銀行に寄託し、終始本件手形については支払義務がない、との態度をとつていたことが認められる。このような安蔵の態度は、手形所持人が原告であり、かつ、本件口頭弁論における双方の主張立証の限りでは誤りとするほかはないこと前記のとおりであるけれども、被相続人が手形債務を争つている以上その相続人もまたこれにならうのはやむを得ないことで、その限定承認にあたり、原告を債権者と認めず、これに個別の債権申出催告をしなかつたのを咎めることはできない。民法九二七条二項、七九条三項にいう「知れたる債権者」とは、相続人が債権者と認めている者を意味し、相続人が認めない原告のような債権者には、個別に債権申出を催告する必要はない、と解すべきである。
五、すると、原告が公告の催告期間内にその債権の申出をしていないことは争いがないので、民法九三五条により原告は、(一)催告期間内に申し出た債権者受遺者、(二)申出でなくとも相続人に知れた債権者受遺者、(三)特別担保権者に弁済した残りの財産についてのみその権利を行うことができるにすぎない。
被告等は、安蔵の相続財産は資産一六六、三二五、一七四円であるのに、債務一九五、六六〇、一六四円であるから、右の残余財産を生じる見込がない、と主張し、証人河崎政雄はほぼこれにそう証言をするが、右証言だけではその主張事実を確認するに足らないし、残余財産が生ずるか否かは資産換価の巧拙、物価の変動等により影響を免れず、何人も適確には予測できないことでもあるから、右の程度の予測をもつて前記原告の権利を否定すべきではない。
六、よつて、原告の本訴請求は、右残余財産のある限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 森文治)