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横浜地方裁判所 昭和42年(行ウ)25号 判決 1978年3月29日

第一

当事者

神奈川県横浜市中区山下町七八番地

原告

河原英雄

右訴訟代理人弁護士

庵治川良雄

上野久徳

矢野欣三郎

今井春乃

同県同市中区山下町三七番九号

被告

横浜中税務署長

徳永輝夫

右指定代理人

中島尚志

松津節子

名取康彦

渡部渡

斉田信

梅崎俊行

主文

一  被告が原告に対し昭和四二年三月九日付でなした所得税の更正および賦課決定における総所得金額のうち、

昭和三八年分は金三〇、〇七六、二八五円を、昭和三九年分は金二六、〇〇五、七八五円を、昭和四〇年分は金一〇六、一二九、九二八円を、各超過する部分を取消し、かつ、昭和三九年分の過少申告加算税賦課決定を取消す。

二  その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余の一を被告の負担とする。

事実

一  請求の趣旨(原告)

(一)  被告が原告に対し昭和四二年三月九日付でなした所得税について、

1  昭和三六年と昭和三七年との二か年に対する決定および無申告加算税の賦課決定を、

2  昭和三八年分の総所得金額を金三〇、五一二、六七〇円とする更正のうち金一六九、一三〇円を超過する部分および重加算税の賦課決定を、

3  昭和三九年分の総所得金額を金二八、一四九、七九九円とする更正のうち金一八八、一七〇円を超過する部分および過少申告加算税・重加算税の賦課決定を、

4  昭和四〇年分の総所得金額を金一〇六、六四六、六二四円とする更正のうち金三八七、六五一円を超過する部分および重加算税の賦課決定を、

それぞれ取消す。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する申立(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

三  請求の原因(原告)

(一)  (本件課税処分)

原告は、昭和三六、三七年の二か年分の所得税の申告をしなかつた。次いで昭和三八ないし四〇年の三か年分の所得税につき別表一七のうち「申告欄」のとおり申告した。

ところが、被告は昭和四二年三月九日付をもつて右五か年分の所得税につき別表一七のうち「本件課税処分欄」のとおり、決定(昭和三六、三七年分)、更正(昭和三八ないし四〇年分。なおこの三か年分は青色申告の承認を受けていたので、この承認を取消したうえで更正。)および各加算税の賦課決定(以上を一括して「本件課税処分」という。)をしてきた。

(二)  (前審手続)

原告は本件課税処分を不服として昭和四二年四月四日東京国税局長に対し審査請求をした。その後六か月以上経過しても、何らの裁決も受けず、現在に及んでいる。

(三)  (取消事由)

1  原告は、昭和三六年と昭和三七年とは無職で何の営業もしていなかつた。したがつて税務署へ申告すべき所得は全然なかつた。もつとも、原告は、昭和二九年ころから一億数千万円の現金資産を有し、そのうち相当額を銀行預金にしていたので、その利息収入はあつたが、銀行預金の利息は分離課税から申告する必要はない。

しかるに、被告は何の根拠もなく漫然と本件課税処分のうち昭和三六、三七年分につき決定をしたが、該処分は全く不当不法である。

2  原告は、昭和三八年六月から昭和四一年六月まで小規模の宝石類小売業を営んでいたが、前述のように巨額の資産を有したので、営業で収益を得る必要は全然ないが、健康な身体をもてあました結果、知人のみを相手とする、形ばかりの宝石商を始めたのである。

したがつて、その収入たるや微々たるものであつて、経費を差引いた年間総所得は、昭和三八年が一六九、一三〇円、昭和三九年が一八八、一七〇円、昭和四〇年が三八七、六五一円であり、該所得はその都度税務署へ申告済である。

しかるに、被告は何の根拠もなく漫然と右三か年分につき本件課税処分のうち更正をしたが、該処分は全く不当不法である。

(四)  (結論)

よつて、昭和三六、三七年分は全部、昭和三八ないし四〇年分は各申告総所得額を超過する部分につき本件課税処分の取消を訴求する。

四  請求の原因に対する答弁(被告)

(一)  請求の原因第(一)、(二)項の事実は認める。

(二)  同第(三)項のうち、

1  預金利息(所得)が分離課税である事実、被告が昭和三六、三七年分につき別表一七の該当欄のとおり課税決定した事実は認める。その余の事実は争う。

2  原告が昭和三八年六月から宝石類の小売業を営んできていた事実、原告が昭和三八ないし四〇年分につき、その主張のとおり確定申告した事実、これに対し別表一七の該当欄のとおり更正および賦課決定した事実は、いずれも認める。その余の事実は争う。

(三)  同第(三)項は争う。

五  本件課税処分の正当性(被告)

(一)  (前提)

原告(大正九年九月二一日生)は、昭和三三年に横浜市中区山下町の通称「中華街」に転居してきてから、バー「セブンシー」(但し、昭和三六年一〇月に(有)セブンシーと組織替えをし、昭和三八年五月に同会社を解散)を経営し、次いで、昭和三八年六月から美術工芸品宝石等の販売業「カワハラ」を昭和四一年九月まで経営していた。

所得税の申告関係は別表一七のとおり、昭和三六、三七年の二か年分は無申告、昭和三八ないし四〇年の三か年分は青色申告書提出の承認を受けていたので、同表のとおり青色申告をした。

(二)  (簿外取引を発見)

1  被告は、昭和四一年六月ころから八月ころの間、原告の物品税について調査をしたところ、原告の取引銀行である住友銀行横浜支店の原告の貸金庫(すなわち、原告借用の保護箱)に無記名定期預金証書一五枚一億五千二百余万円および中根利雄名義普通預金通帳、原告名義定期預金証書等総合計一五三、四四〇、四〇〇円の預金証書通帳のほか、多数の宝石、印鑑等が発見された(乙第四六、四七、二四、一二八号証)。さらに、東京国税局査察部で右銀行支店を調査したところ、原告のものと認められる巨額の取引のある架空名義の普通預金口座二〇口(乙第二四、三七、四四号証)、無記名定期預金口座三五口(乙第一一号証の一、二、同一三号証の一、三)の各預金口座が発見され、次いで、原告居宅の金庫内から前述物品税調査の際、右銀行支店で発見されたものを含む無記名定期預金証書一四枚一億五千余万円、本人名義定期預金証書一枚一〇〇万円、無記名積立預金証書二枚一〇〇万円、中根利雄名義普通預金通帳一通一〇万円の各証書、通帳および使用印鑑のほか、宝石類等一七三点が発見された(乙第四八号証)。

2  さらに、原告およびその関係者に対して調査した結果、原告は右発見された預金等の財産のほか、不動産その他の財産(以下「蓄積資産」という。)を所有しており、それら財産のほとんどは、原告が被告に提出した青色申告決算書(乙第一二〇ないし一二二号証)に記載のない継続的取引(以下「簿外取引」という。)すなわち、白金を除く時計、トランジスターラジオ、ライター、カメラその他の密輸または密輸以外の営利を目的とする何らかの継続的事業による取引(以下「密輸等取引」という。)、および白金売買の取引(以下「白金取引」という。)によつて得た利益の蓄積であることが判明した。しかも右利益の蓄積について他に特段の理由も認められなかつた。

3  簿外取引にかかる売上または仕入を昭和三三年から昭和四〇年までは別表一、二記載の原告名義三口(乙第一五、一六、一八号証)妻名義二口(乙第一九、二号証)、架空名義八口(乙第三ないし一〇号証)の預金口座に合計回数四四五回、合計金額一九億五千五百万円余にのぼり入金し、または合計回数三七七回、合計金額一九億一千四百八拾万円余にのぼり、出金する等の万法により、あるいわ昭和四〇年においては別表三のとおり枚数一、二六一枚、合計金額三億一六〇〇万円余にのぼる多額の預手(銀行支店長振出の預金小切手、以下「預手」という。)の振出を宍戸等ほか四二の名義を使用して銀行に依頼し(乙第四二、四五号証)その振出された預手を右取引に使用するという万法により、簿外取引による所得を得ていながら、これを隠ぺいし、公表決算書である青色申告決算書(乙第一二〇ないし一二二号証の各一)に計上せず、所得税の申告をしなかつたものである。

4  原告は、右所得税法違反の嫌疑により、横浜地万検察庁の取調べを受けた際、担当検察官に対し、「普通預金の出し入れは原告が自由に出し入れしていた。」と供述した(乙第一四八号証)。これらの普通預金のうち、本件係争年分の所得計算に関するもの一三口の入金および出金の回数、金額は、別表一「普通預金入金状況表」、別表二「普通預金出金状況表」記載のとおりとなる。これらの普通預金口座は同各表で明らかなとおり「11」の預金口座を除き「1」の預金口座の設定から「13」の預金口座設定にいたるまで、後の預金口座が設けられると時を同じくして前の預金口座の使用がなくなり解約されるという万法で、順次その使用する預金口座が変えられ、かつ、その入出金の頻度(回数)および金額は同一性をもつて反覆継続されている。これに加えて、原告は検察官もしくは収税官吏またはその両者に対する供述において「右各表「1」ないし「6」の普通預金口座は原告の預金口座であり、その入出金は原告の簿外取引に使用したことおよび別表一〇「定期預金増減表」記載の定期預金は原告の預金である。」と、いずれも自認している(乙第一四八、一四九、一五六、一五七号証)。さらに、原告は昭和四〇年中においては別表三「預手手交一覧表」記載のとおり合計枚数一、二六一枚、合計金額三億一六五〇万円にものぼる多数かつ多額の預手を(乙第四五、四二号証)、昭和四一年四月から六月の間には合計枚数一、三二〇枚、合計金額三億三〇〇〇万円にものぼる預手を(乙第四二号証)、それぞれ銀行員(望月鉱一または関根勝夫)から交付を受けている。しかも、これら原告が受領した多数かつ多額の預手は、国外(香港、台湾、フイリツピンなど)を流通した後、決済(現金払い、交換払い)されている(乙第六七ないし七九号証)。

5  右各預金が原告に帰属するものであり、原告がこれらの預金口座預手を使用して簿外取引をしていた事実は、これらの預金口座の入出金の動き、預手の性格と使用状況、関係者の供述等からも明らかである(乙第六一ないし六三号証、同第一〇〇号証、第一〇二号証の一ないし九、第一二九号証)。

以上のとおり別表一、二の各1ないし6の預金は原告の預金であり、その入出金は原告の簿外取引のためのものである事実、原告が銀行から交付を受けた多数かつ多額の預手が国外を流通した事実、別表一、二の各1ないし13の各預金の設定解約が同一性をもつてなされ継続し、しかも、多数かつ多額の頻度(回数)と金額の入出金が同一性をもつて反覆継続している事実および別表一〇の合計一二一、九九〇、四〇〇円の定期預金口座が原告の預金である事実をみれば、原告が別表一、二記載の預金および別表三記載の預手を使用して簿外取引をしたことは明白である。そして、たとえそれらが原告の密輸等取引そのものでないとしても、右事実をもつてすれば、原告が営利を目的として継続的に何らかの事業をしていたことを推認するに充分であつて疑う余地はない。

6  なお、預手の裏書人名義について付言すれば、密輸取引に預手を利用する場合、法違反が直ちに犯罪検挙の端緒とされるような裏書人名義を密輸取引関係者が自ら裏書人として明らかにしないことが充分推認される。その預手を換金するためには、両替商(たとえば香港の銭荘)に持込みさえすれば、容易に希望の国の通貨に換金できるのである。しかも、その段階では、裏書は不要である。その預手はその後も現金と同様に流通されるのである。そして裏書が必要なのは、その後、銀行に支払を求めるために呈示するときにおいて始めて裏書がおこるのである。

したがつて、以上の事実からみれば、本件預手の裏書人は、密輸等取引の関係者と全く切断されていると考えることも当然である。

(三)  (簿外取引に対する推計課税万法)

本件課税処分における簿外取引による所得金額を算出するのに、昭和三六、三七年分については比率法を、昭和三八ないし四〇年分については純資産増減法をそれぞれ用いた。

すなわち、右の蓄積資産が簿外取引によつて得られたものである以上、右簿外取引が過去数年間にわたつて継続してなされておれば、その数年間にそれぞれ利益が発生したとみるべきである。これについては原告は何ら所得の申告をしていない。

ところで右数年間のうち、現在時より遡及して右五年間までしか課税し得ない(国税通則法(以下「通則法」という。)七〇条二項、三項、)のである。したがつて、遡及した五年を超える年分は課税し得ないところから、それを現在の利益蓄積額合計額から控除して、課税し得べき利益蓄積額、すなわち五年間にわたる継続された簿外取引による利益の合計額を算出する必要がある。ところで個人の所得は、暦年課税が建前であるので(通則法一五条)、右五年間をそれぞれの年分にわけ、それぞれ幾何の利益を稼得したかを確定する必要がある。

そこで被告は、原告が税務調査に非協力であり、かつ、その所得を明らかにする帳簿書類その他の資料を一切備え付けていないので、所得等の実額を把握できず、実額による課税が不可能であるため、やむをえず、その調査により判明した事実を基礎として右五か年間にわたる本件各係争年分の簿外所得を推計により算出した。

そこで昭和三六、三七年分については、その判明している仕入額を基として特定の比率をもつて所得金額を推算する比率法をもつてすることが、また昭和三八ないし四〇年分については、その各年の期首と期末の資産および負債を比較してその純資産の増加額にその年間の生活費その他の消費金額を加算したものをもつて所得金額とする純資産増減法による推計万法が、いずれも事案に適切でもつとも合理的と認められるべきものである。したがつて、被告は、その調査結果を基礎として右比率法により昭和三六、三七年の両年分の原告の所得金額を推計(旧所得税法(昭和四〇年法律三三号による改正前のもの、以下「旧所得税法」という。)四五条三項)のうえ、別表一七のとおり所得金額および税額を決定(通則法二五条)し、無申告加算税を賦課決定(同法三二条一項三号)した(同法七〇条三項)。

また、原告には所得税法一五〇条一項三号に該当する事実があつたので、被告は、原告が昭和三八年分から受けていた青色申告書提出承認を取り消した後、右と同様の調査結果に基づき、昭和三八ないし四〇年分の原告の所得を、原告記帳にかかる取引(以下「公表取引」という。)による所得(以下「公表所得」という。)と簿外取引による所得(以下「簿外所得」という。)とにそれぞれ区分したうえ、前者の所得金額は青色申告決算書(乙第一二〇号証ないし第一二二号証)を実際の資料により修正して算定し、後者の所得金額は資産増減法による推計により算定し(旧所得税法四五条三項、所得税法一五六条)、右両者の所得金額をそれぞれ合計して右各年分の所得金額を計算のうえ、別表一七のとおり総所得金額および税額を更正(通則法二四条)し、過少申告加算税および重加算税を賦課決定(同法三二条一項三号)した。

(四)  昭和三六、三七年分の所得金額およびその計算根拠

この二か年分の所得金額は、

昭和三六年分 五、七八二、九五二円(別表一八C)

昭和三七年分 一〇、七四四、〇〇〇円(別表一八F)

であり、その金額の範囲でなされた右両年分の本件課税処分は違法である。

なお、その計算の根拠は、次のとおりである。

1  右二年分の所得金額計算の概要

原告は、簿外取引にかかる所得を実額により算定すべき資料は全く保存しておらず、被告が調査により知り得たのは、預金の存在と原告の供述のみであつた。そこで、被告は、原告が簿外取引の仕入に預金を使用したという原告の供述およびその預金口座の出金により右取引にかかる仕入金額を計算し、右各取引にかかる仕入金額に対する利益率を乗じて所得金額を推計したのである(旧所得税法四五条三項)。

2  仕入金額および計算根拠

原告は、検察官または収税官吏に対する供述において、「別表二の1ないし6の預金口座は、簿外取引に使用した。」と自認している(乙第一四八、一四九、一五六、一五七号証)。すなわち「別表二の1ないし4の預金口座の入出金内容は密輸等取引が主である。」旨供述し(乙第一五六号証)、「同表二の5の預金口座については、密輸等取引よりもむしろ白金取引の万が多く入つている。どれが密輸等取引であり、どれが白金取引であるという具合に区別することはできないけれども、原告の記憶ではたしか白金取引の万が多かつた。」旨を供述し(乙第一五六号証)、また、「別表二の6の預金口座については、出金は仕入に使おうと思つて引き出したものであり、出金のうち、一、〇〇〇万円以上のものは白金取引に使用したのであるが、その余の出金は密輸取引である。」旨供述した(乙第一五七号証)。

したがつて、被告は、原告の右供述中「むしろ」または「たしか」多いという供述を六割と計算することが経験則に合致し、原告にとつても不利とならないので、右別表二の5の預金口座の出金のうち六割を白金取引の仕入金額と推認し、残四割を密輸等取引の仕入金額と計算したほか、別表二の1ないし4および6の預金口座の出金については、前述の原告供述のとおりの金額を仕入金額と計算した。これを区分すれば別表四「取引別出金(仕入金額)区分表」のとおりとなり、各年分の仕入金額は、同表順号7記載のとおりとなる。

3  仕入金額に対する利益の割合およびその計算根拠

(1) 密輸等取引の仕入金額に対する利益の割合〇・一

右割合は、原告が昭和三八ないし四〇年中に仕入れに充てたと推認される別表二の5ないし13の各普通預金口座の純出金額の合計金額一、五三七、八一〇、〇〇〇円に占める右三年間の純資産増加額(利益)一七一、四三一、四〇四円(別表八、五H参照)の割合(少数点二桁以下切捨)を計算したものである。元来、密輸等取引は被密裏になされるものであつて、他の比準すべき者等の資料が存在しないのが通常であるから、本件の場合にも、右割合は原告自身の利益率であるから、原告の所得金額の推計上最も合理的な割合というべきである。

(2) 白金の仕入金額に対する利益の割合〇・〇一四

右割合は、原告と同業者の関係にある早崎豊春の売買実例による利益の割合を採用したものである。すなわち、原告は別表二の8宇佐美保名義普通預金口座(乙第五号証)から二、一〇〇万円を出金して預手を取組み、これをもつて右早崎から白金一五、〇〇〇グラムを仕入れた(乙第六一、一四八号証)がこれに対応する右早崎の仕入金額は二、〇七〇万円であるから、その利益は三〇万円である(乙第六一号証)。よつて仕入金額に対する利益の割合は、右利益三〇万円を仕入金額二、〇七〇万円で除した〇・〇一四である。

右早崎の原告との取引にかかる利益率を原告の所得金額の推計上採用したのは、原告のように、通常の白金売買をなす業者とは異なつて大量の白金を他に秘匿して売買している場合には、一般の同業者の利益率をあてはめるのは妥当でないからである。また、原告は、右早崎から白金を仕入れたのは右一回だけのようであり、その他の仕入れは、右早崎と同様の万法で他の仕入先(例えば訴外石福金属(乙第一〇一、一〇二号証の各証、一二九号証)から白金を仕入れ売却していたのである。ところで、早崎は、石福金属から仕入れて、これを原告に販売していたのであるから(乙第六一、一四八号証)、原告が元仕入先の石福金属から直接買入れた場合でも仕入単価としては中間業者たる早崎から仕入れたものよりはかえつて原告にとつて中間利潤だけ低くなるものと考えられるので、原告の利益にしたがいすべて早崎が得ていた利益の割合で計算したのである。したがつて、原告の所得金額推計にあたり右原告と早崎との取引にかかる早崎の利益割合が最も合理的とみるべきである。

4  昭和三六年分の所得金額五、七八二、九五二円(別表一八C)

原告の当年分の所得金額に、前述の仕入金額に対する利益の割合を乗じて計算した金額である。すなわち、

(1) 密輸等取引にかかる所得金額については、その仕入金額五三、三一二、〇〇〇円(前述2参照別表四の7上段の金額)にその仕入金額に対する利益の割合〇・一(前述3(1)参照)を乗じて、密輸等取引にかかる利益(所得金額)五、三三一、二〇〇円を計算した。

(2) 白金取引にかかる所得金額については、その仕入金額三二、二六八、〇〇〇円(前述2参照、別表四の7中段の金額)にその仕入金額に対する利益の割合〇・〇一四(前述3(2)参照)を乗じて白金取引にかかる利益(所得金額)四五一、七五二円を計算した。

(3) 右(1)密輸等取引にかかる所得金額五、三三一、二〇〇円に、右(2)白金取引にかかる所得金額四五一、七五二円を加えて計算した五、七八二、九五二円が原告の昭和三六年分の所得金額である。

5  昭和三七年分の所得金額一〇、七四四、〇〇〇円(別表一八F)

原告の当年分の仕入金額前述のに仕入金額に対する利益の割合を乗じて計算した金額である。すなわち、

(1) 密輸等取引にかかる所得金額については、その仕入金額一〇、一〇〇万円(前述2、別表四の7上段の金額)に、その仕入金額に対する利益割合〇・一(前述3(1))を乗じて、密輸等取引にかかる利益(所得金額)、一、〇一〇万円を計算した。

(2) 白金取引にかかる所得金額については、その仕入金額四、六〇〇万円(前述2、別表四の7中段の金額)に、その仕入金額に対する利益の割合〇・〇一四(前述3(2))を乗じて、白金取引にかかる利益(所得金額)六四四、〇〇〇円を計算した。

(3) 右(1)密輸等取引にかかる所得金額一、〇一〇万円に、右(2)白金取引にかかる所得金額六四四、〇〇〇円を加えて計算した一〇、七四四、〇〇〇円が原告の昭和三七年分の所得金額である。

(五)  昭和三八ないし四〇年分の所得金額およびその計算根拠

原告の各年分の総所得金額は、

昭和三八年分 三一、八三〇、二九四円

(別表五I、別表一八I)

昭和三九年分 二九、〇三五、七一〇円

(別表五J、別表一八M)

昭和四〇年分 一一一、三五九、二九〇円

(別表五K、別表一八Q)

であり、その金額の範囲内でなされた本件課税処分は適法である。

1  昭和三八ないし四〇年分の総所得金額計算の概要

原告は、昭和三八ないし四〇年中において、別表一、二の各6ないし13の各預金口座または、預手を使用して簿外取引をなし、預金、不動産、その他の財産を蓄積したと認められることについては、前述のとおりである。しかし、原告は、検察官または収税官吏に対する供述において、「右各預金が原告に帰属すること、多数かつ多額の入出金および預手の使用は簿外取引に使用されたこと」をいずれも否認し、「すべて米国人アミーの依頼によるものである。蓄積された定期預金、不動産等の財産については終戦後、中国から持帰つた宝石とか、呉市で屑鉄により得た利益、時計の密輸等による利益等が顕在化したものである。」と供述した。

しかしながら、被告が調査によつて知り得たのは、原告が簿外取引により多額の財産を取得したことであり(別表八)、中国からの宝石の持ち帰りや屑鉄による利益が存在しなかつたことであつた。なお、原告は右三か年分について青色申告決算書に基づき確定申告をしていたが、その決算書にも誤りがあつた。

そこで、被告は右三か年分の所得を公表所得と簿外所得とに区分し、前者の所得は実際の資料により青色決算書を修正し、後者の所得は純資産増減法により推計し、それぞれの所得金額を計算したうえ、右両所得金額を合算して総所得金額を算出した。

なお、右総所得金額とその内訳は、別表五「昭和三八年ないし昭和四〇年分の総所得金額およびその内訳表」のとおりであり、その計算根拠は次のとおりである。

2  公表所得金額およびその計算根拠

原告の青色申告決算書の所得金額を実際の資料により修正したものである。

(1) 昭和三八年分公表所得金額二〇一、二〇〇円(別表五4、別表一九)

当年分の青色申告決算書(乙第一二〇号証の一)の所得金額一六九、一三〇円に期末たな卸計上もれ額四三、六一六円を加え、減価償却費過少計上額一一、五四六円(建物以外一〇、一一〇円、建物一、四三六円)を減じた額である。

右期末たな卸計上もれ額は、商品台帳(乙第九九号証目録番号1)とたな卸表との差額であり、減価償却費は、原告の計算額(乙第一二〇号証の二)と別表六「昭和三八年ないし昭和四〇年分の公表分の建物以外の資産にかかる減価償却費計算表」および別表七「昭和三八年ないし昭和四〇年分の公表分建物減価償却費計算表」記載の正当な計算額との差額である。

(2) 昭和三九年分公表所得金額一、六五一、一二七円(別表五4、別表一九)

当年分の青色申告決算書(乙第一二一号証の一)の所得金額一八八、一七〇円に期末たな卸計上もれ額一、五七四、二五六円および経費過大計上額五五、二九三円を加え、これから期首たな卸計上もれ額四三、六一六円および経費過少計上額一二二、九七六円を減じた額である。

期首期末のたな卸計上もれ額は商品台帳(乙第九九号証目録番号1)とたな卸表との差額であり、経費の過大または過少計上額の内訳は次のとおりである。

イ 経費過大計上額は、<1>昭和三九年一〇月三一日に支出した交際費は二万円が正当であるのに(乙第九六号証)これを三一、八〇〇円と計上した(乙第九八号証の三)接待交際費の差額一一、八〇〇円と、<2>決算書計上減価償却費二一六、八八一円(乙第一二一号証の二)と正当額一七三、三八八円(別表六、七)との差額四三、四九三円との合計額である。

ロ 経費過少計上額は、消耗品費四一、二〇〇円、燃料費八円、新聞代五三二円、固定資産減失損八一、二三六円の合計額である。

(3) 昭和四〇年分公表損失金額九六三、二〇三円(別表五4、別表一九)

事業所得の損失額五七二、一二五円(別表五1)と譲渡所得の損失額三九一、〇七八円(別表五3)との合計額である。

イ 事業所得の損失額五七二、一二五円

原告の当年分の青色申告決算書(乙第一二二号証の一)の所得金額三八七、六五一円に、期末たな卸計上もれ額七〇九、九九八円および原告が組合費として計上した山下町商店街協同組合に対する出資金三万円(乙第一〇四、一五四号証)を加え、これから期首たな卸計上もれ額一、五七四、二五六円および経費過少計上額一二五、五一八円を減じた額である。

期首期末のたな卸計上もれ額は、商品台帳(乙第九九号証目録番号1)とたな卸表との差額であり、経費過少計上額の内訳は、自動車税一一、五〇〇円、保険料七三、〇六〇円、手数料二、四〇〇円および決算書計上減価償却費(乙第一二二号証の二)三八三、四七七円と正当額四二二、〇三五円(別表六、七)との差額の三八、五五八円の合計額である。

ロ 譲渡所得の損失額三九一、〇七八円(別表五3)

右は原告の所有していた車両トヨペツトの譲渡損である。それはその車両の譲渡時における価額四二一、〇七八円(取得価額から減価償却費を控除した額)から下取り価額三万円を控除した金額である。

3  簿外所得金額およびその計算根拠

(1)昭和三八年分簿外所得金額三一、六二九、〇九四円(別表五4、別表一八G)

すべて事業所得であり、その計算根拠は、後述4のとおりである。

(2) 昭和三九年分簿外所得金額二七、三八四、五八三円(別表五4、別表一八JK)

事業所得金額二七、五一四、七四〇円(別表五1)から原告が簿外で取得したウインドーケースの譲渡にかかる譲渡所得の損失額一三〇、一五七円(減価償却後の取得額二一〇、一五七円から譲渡金額八万円(乙第一五八号証)を減じた金額、別表五3)を減じた金額であり、事業所得金額の計算根拠は後述4のとおりである。

(3) 昭和四〇年分簿外所得金額一一二、三二二、四九三円(別表五4、別表一八NO)

事業所得金額一一二、二八七、五七〇円(別表五1)と不動産所得金額三四、九二三円(原告が簿外で取得した横浜市中区山下町八〇の三所在の日本住宅公団山下第一団地第一号棟三〇二号室の賃貸収入四万円(乙第一二五、一四八、一五四号証)から必要経費五、〇七七円を控除した金額。別表五2、別表一六)との合計額であり、事業所得の計算根拠は後述4のとおりである。

4  右簿外所得のうち事業所得金額にかかる計算根拠

(1) 右各年初、年末における財産額およびその年中における増減額

原告が右各年中において簿外取引により事業所得を得たことについては前述のとおりである。被告は、原告の右取引にかかる所得をいわゆる純資産増減法により推計した。なお、被告が調査により知り得た原告の総財産のうち、公表取引にかかる財産を除いた原告の簿外取引にかかる右各年の年初(前年末の金額が翌年初の金額と同額となる。)、年末における資産負債は、別表八「昭和三八年ないし昭和四〇年分の簿外取引にかかる純資産増加額表」のとおりであり、その詳細は次のとおりである。

(A) 昭和三七年末現在における原告の簿外取引にかかる純資産二七、三〇三、五〇〇円(別表八「昭和三七年末現在額」欄C)の計算根拠

純資産増減法により所得金額を推計によつて算出するには、まず原告の期首財産が幾何存在していたかを確定する必要がある。そこで被告は、原告の昭和三七年末現在における簿外取引にかかる純資産額を次のとおり算出した。

原告は、「昭和三三年横浜に転居した際に、呉市で鉄材の荷抜きをした利益一億円(乙第一四〇号証三項、同一四二号証二項、三項)、神戸市で時計の密輸をした利益一、五〇〇万円(乙第一四〇、一四二号証各四項)、および神戸市で中国から持ち込んだ宝石売却によるもの一、〇〇〇万円(乙第一四二号証四項)の現金合計一億二五〇〇万円を呉から神戸へ、そして横浜へ原告以外にはたとえ妻にさえその事実を漏知させず秘匿して運んだ。」と供述した。しかし、原告の関係者に対して被告の調査したところでは、右原告の供述を裏付ける資料は全く得られなかつたのみならず、かえつて、原告は無資産の状況のまま、横浜に転居したことが確認された(乙第二二、二三号証、同四九ないし六〇号証、同六四ないし六六号証、同八〇ないし八三号証、同八六号証、同一三〇ないし一三八号証)。

そこで、被告は、原告の簿外取引にかかる昭和三七年末現在における純資産額を算出するために、原告が横浜市に転居した時の昭和三三年四月ころから昭和三七年末までの期間において、原告がその間に得た密輸等による事業利益と、その間の生活費等の支出を推計して右昭和三七年末現在における純資産額がどの程度残存していたかを確定する必要がある。

したがつて、被告は原告の右期間における稼得した利益三〇、七二三、五〇〇円および原告が同期間に費消した生計費三四二万円をそれぞれ次のとおり推計し、前者の額から後者の額を減じて算定し、そして右年末における簿外取引にかかる純資産額二七、三〇三、五〇〇円の内訳を別表八「右各年末現在額」欄のとおりと算定した。なお、右利益および費消した右生計費の計算は次のとおりである。

イ 原告が稼得した利益三〇、七二三、五〇〇円の内訳

次の(イ)密輸等の取引による利益二八、九七一、七〇〇円および白金取引による利益一、五一一、八〇〇円の合計額三〇、四八三、五〇〇円に(ロ)給与額二四万円を加えた金額である。

(イ) 前述(四)2(仕入金額の計算根拠)と同様の理由で、別表四1ないし6の昭和三三年ないし三七年における普通預金口座の出金を同表「左の5年分計」欄の「合計」欄のとおり密輸等取引と白金取引との仕人金額を算定し、前述(四)3(仕入金額に対する利益の割合の計算の根拠)と同様の理由で、密輸等取引については〇・一一一(少数点以下四桁四捨五入)、白金取引については〇・〇一四の各利益率を乗じて、右各取引の利益を算定し、これを合計したものである。これを算式で示せば次のとおりである。

密輸等取引の利益=密輸等取引の仕入金額×利益率

(別表四7上段計)

28,971,700円=261,007,000円×0.111

白金取引の利益=白金取引の仕入金額×利益率

(別表四7中段計)

1,511,800円=107,986,000円×0.014

(ロ) 給与額二四万円

原告が(有)セブンシーから昭和三六年一〇月から同三七年三月までの六か月の間に毎月四万円あて支給を受けていたので、同給与の額の合計額である。

ロ 原告が費消した生計費三四二万円

原告が昭和三三年四月から昭和三七年末の五七か月の間に毎月六万円あて費消した(乙第八四号証一三項)生計費の額の合計額である。

(B) 昭和三八ないし四〇年の各年初年末における原告の簿外取引にかかる資産負債は別表八「昭和三八年ないし昭和四〇年分の簿外取引にかかる純資産増加額表」のとおりであるが、さらに、科目ごとの根拠は次のとおりである。

<1> 現金(別表八<1>)

昭和三七年末現在における現金五、八二八、八四二円は、前述(A)のとおり昭和三三年より昭和三七年末までの間に原告が稼得した利益から、原告が費消した金額を控除し、その残額から、さらに他の財産の取得に要した金額(別表八)を減じた金額を同日における現金在高と算定した。昭和四〇年末における現金在高八〇〇万円は、原告が昭和四〇年一二月三〇日住友銀行横浜支店加藤道夫名義普通預金口座(乙第一〇号証)から出金しており、これを同日使用せずに手持していたとして算定したものである。なお、昭和三八、三九年末現在における現金在高は、記帳がなく、その金額を確認できる資料がないので、そこで各年を通算すれば原告に不利益とはならないため零円と仮定した。

<2> 普通預金(別表八<2>)

普通預金の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額の内訳は、別表九「昭和三八年ないし昭和四〇年の普通預金増減表」のとおりである。

<3> 定期預金(別表八<3>)

定期預金の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額の内訳は別表一〇「昭和三八年ないし昭和四〇年の定期預金増減表」のとおりである。

<4> 貸付金(別表八<4>)

貸付金の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額の内訳は別表一一「昭和三八年ないし昭和四〇年の貸付金増減表」のとおりである。

<5> 有価証券(別表八<5>)

原告が昭和三八年中に取得した電話債券の金額であり、その金額は本訴上争いがない。

<6> 出資金(別表八<6>)

原告の(有)セブンシーに対する出資金の額である(乙第一五五、八九号証の二)。

<7> 車両(別表八<7>)

原告が昭和四〇年中に取得したトヨペツトクラウンの金額であり、その金額は本訴上争いがない。

<8> 器具備品(別表八<8>)

器具備品の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額は別表一二(1)のとおりであり、その金額は本訴上争いがない。

<9> 建物(別表八<9>)

建物の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額は別表一二(2)のとおりであるが、その詳細は次のとおりである。

イ 原告の昭和三八年中増加額四七八万円は、横浜市中区山下町七八番地所在在宅兼店舗の建物の簿外による取得金額である。それは、原告が同年中に右建物の建築費として東京都渋谷区下通二丁目五番地松尾建設に支払つた六九四万円から、公表帳簿に計上された金額二一六万円(乙第一二〇号証の三)を減じた金額である(乙第一五五、九二号証)。

ロ 右建物の昭和四〇年中増加額五、八四二、七七三円は、(有)セブンシーの昭和四〇年六月三〇日の清算結了により、同社が建設会社に支払つた右建物の建築費に相当する金額を出資者である原告に帰属せしめた金額である。

それはすなわち、右建物の建築費は、右会社支払分五、八四二、七七三円(乙第八八号証の二、四)と原告個人支払分六九四万円との合計一二、七八二、七七三円であつたが(乙第一五五号証)、昭和四〇年六月三〇日、右会社は、清算によりその支払つた建物代金五、八四二、七七三円に同日の現金残五五四、五五五円を加えた金額六、三九七、三二八円と原告からの借入金四、八七六、六〇〇円(乙第八八号証の三、四)とを相殺した後、その差引残の残余財産一、五二〇、七二八円を出資額に応じ分配した(乙第八九号証の二)。ところで、右会社は全額原告の出資にかかる会社であるから(乙第一五五号証)、右会社の前記支出した建築費と、その建物の所有権はすべて原告に帰属したこととなる。したがつて、右会社の支出した建築費に相当する金額は、右清算結了とともに原告の建物が増加したこととなる。

ハ 原告の昭和四〇年中増加額一、二〇八、八一一円は、次のとおりである。すなわち、原告が横浜市中区山下町八〇の三、山下第一団地の土地、建物を区分せずに総額三、五七六、八一〇円で笹本利之から昭和四〇年一〇月四日取得したので(乙第九一号証の二、同一五四号証)、固定資産税課税台帳、登録証明書の評価額(建物については乙第九一号証の三、土地については同号証の四)により右建物の取得価額を按分計算したものである。これを算式で示せば次のとおりとなる。

建物評価額=900,000円(乙第91号証の3)

土地評価額=<省略>

(乙第91号証の4)

建物増加額=土地建物の取得価額×建物の評価額÷(建物の評価額+土地評価額)

1,208,811=3,576,810円×900,000円÷(900,000円+1,997,343円)

<10> 土地(別表八<10>)

<11> 未経過保険料(別表八<11>)

土地および未経過保険料の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額は、別表一三「昭和三八年ないし昭和四〇年の土地増減表」および別表一四「昭和三九年ないし昭和四〇年の未経過保険料内訳表」のとおりである。

(その金額は、いずれも原告は認めている。)

<12> 店主貸(別表八<12>)

店王貸の右各年中の増加額は、原告が右各年中に簿外事業所得のうちから支出した家事上の経費(別表一五1ないし15)および原告が簿外で取得したウインドケースの譲渡にかかる譲渡所得の損失額(別表一五16)であり、いずれも事業所得の金額の計算上必要経費とならない支出または損失であるので(所得税法三七条、旧所得税法一〇条二項)、店王貸として純資産に加えたものである。右店王貸の各年中の増加額の内訳は、別表一五「昭和三八年ないし昭和四〇年の店王貸内訳表」のとおりである。

<13> 未払金(別表八<13>)

未払金の右各年初年末における現在額および右各年中の増減額は、原告が(株)豊商会から購入したガソリン等の未払金である。(その金額を原告は認めている。)

<14> 店王借(別表八<14>)

店王借の右各年中の増加額は、原告の右各年中における簿外所得にかかる純資産増減額のうちには、事業所得以外の利子所得および不動産所得の金額が混入しているので、原告の簿外事業所得の金額の計算上、収入金額とならないから(所得税法二七条、旧所得税法九条四項)、店王借として純資産から控除したものであり、その内訳は別表一六「昭和三八年ないし昭和四〇年の店王借内訳表」のとおりである。

(2) 昭和三八ないし四〇年分の簿外事業所得の計算

被告が調査したところの原告の簿外取引にかかる右各年分の年初年末における純資産額および各年の純資産増減額は、別表八記載のとおりであるが、それは昭和三八、三九年末における現金在高を確認すべき正確な資料を欠き、各年分を通算すれば原告に不利とならないので、右両年末現在の現金在高を零と仮定して計算した結果による金額である。

ところで、原告には昭和三八ないし四〇年の三年間において、別表一、二の各5ないし13記載の各普通預金口座を別表一、二の各14記載のとおり多額かつ多回数にわたり入出金し、かつ、別表三記載のとおりの多数かつ多額の預手を使用する万法によつて、昭和三七年末においては別表八欄記載の二七、三〇三、五〇〇円であつた純資産を、昭和四〇年末にかいては別表八欄記載のとおり一九八、七三四、九〇四円に増加せしめた明白な事実がある。

さらに、一般に、売買取引による利益が、その取引回数、金額に比例して増減するということは経験則上明らかな事実である。

しかも、右事実を裏付けるものとして、別表一、二記載の原告の実名名義、他人名義、架空名義の預金口座の設定、入出金、解約の万法の手口に一連の継続性が顕著であつて、その間異質なものを見出すことはできないのみならず、特に昭和四〇年分において、その取引頻度、金額が増加すると軌を一にして原告の無記名定期預金が著しく増加している事実がある。

ところで、各年分の純資産が正確に把握できない場合には、本来各年分の純資産増減法による正確な所得の算出は不可能である。

しかし前述したように、取引金額の増減が通常所得金額の増減に比例すると考えられ、原告は右三年間において純資産が増加したことは明白な事実であるので、昭和三八、三九年末現在における純資産が明確に把握できないとしても、右取引金額を基準として三年間における所得金額を按分計算して算出することは最も合理的であるというべきである。

しかも、この推計万法をとることによつて、その所得金額が各年分ごとに平準化され、所得税法における累進構造の高率な税率適用を避けることにより、その税額が少額となる結果となるから(青色申告者でない原告の場合、損失額の繰越はできない)原告にとつても最も有利な推計万法なのである。

そこで被告は、原告の昭和三八ないし四〇年の三年間における純資産増加額を右三年間の簿外事業所得金額であると計算し、これを原告の右各年中における普通預金口座の入金取引割合により按分計算して原告の右各年分の簿外事業所得金額を算定したものである。

右推計万法による計算内容は、別表五1のとおりである。これを具体的に述べれば次のとおりである。

(A) 昭和三八ないし四〇年の三年間における簿外事業所得金額一七一、四三一、四〇四円(別表五H)

原告の昭和四〇年末における純資産額一九八、七三四、九〇四円(別表八の「昭和四〇年末現在高」欄の金額)から、昭和三七年末における純資産額二七、三〇三、五〇〇円(別表八の「昭和三七年末現在額」欄の金額)を減じた金額であり、その金額は右各三年間の純資産の増減額の合計額と符合する。

(B) 昭和三八ないし四〇年の三年間の取引金額に対する各年分の取引割合

昭和三八年〇・一八四五、同三九年〇・一六〇五、同四〇年〇・六五五。

右の割合は原告の右三年間における別表一の普通預金口座の純入金合計額一五億七〇四九万円(別表五Dの金額、別表一14<3>の右各年の金額の合計額)で、右各年中における別表一の普通預金口座の純入金額(別表五A、B、Cの各金額、別表一14<3>の右各年の金額)をそれぞれ除して計算したものであり、それを算式で示すと次のとおりとなる。

イ 昭和38年分の取引割合(別表五<2>)=昭和38年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>A)÷昭和38年ないし40年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>D)

0.1845=289,890,000円÷1,570,490,000円

ロ 昭和39年分の取引割合(別表五<2>)=昭和39年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>B)÷昭和38ないし40年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>D)

0.1605=252,000,000円÷1,570,490,000円

ハ 昭和40年分の取引割合(別表五<2>)=昭和40年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>C)÷昭和38ないし40年中における普通預金純入金額合計(別表五<1>D)

0.655=1,028,600,000円÷1,570,490,000円

(C) 昭和三八ないし四〇年分の簿外事業所得金額

昭和三八年分三一、六二九、〇九四円(別表五1E)

昭和三九年分二七、五一四、七四〇円(別表五1F)

昭和四〇年分一一二、二八七、五七〇円(別表五1G)

右各年分の簿外事業所得金額の計算根拠は前述(A)の右三年間における原告の簿外事業所得金額一七一、四三一、四〇四円(別表五H)に、前述(B)の取引割合をそれぞれ乗じて算定したものであり、これを算式に示したものは別表一八G、J、Nの各(注)のとおりとなる。

(六)  (総所得金額)

本件係争各年分の各総所得金額として、被告が本訴における王張額の骨子は別表一八のとおりに帰する。

したがつて、右被告の王張額の範囲内でなされている本件課税処分における総所得金額を前提とする本件課税処分は適法である(別表二三のAB)。

(七)  各種加算税の賦課決定処分の適法性について

1  昭和三六、三七年分について

原告は、昭和三六、三七年分の所得税の確定申告書を提出する義務があるにもかかわらず、その期限までに提出していなかつたので、被告は、右各年分について所得金額および税額を決定した。

原告が確定申告書を提出しなかつた事実は、昭和三六年分については旧所得税法(昭和三七年法律第六七号による改正前のもの)五六条三項三号、昭和三七年分については、通則法六六条一項一号に該当する。

したがつて、被告が右各条項の規定により無申告加算税を賦課決定したことは適法である。

2  昭和三八ないし四〇年分について

(1) 原告は、日日の取引のうち簿外取引については、その取引事実を全く青色申告の帳簿に記載しなかつたのみならず、右取引に関する銀行取引(普通預金取引および預手の発行依頼)にあたつては、田中百合子名義ほか多数の架空名義を用いるなどの万法により、右取引を仮装又は隠ぺいし、もつて、実際の所得から右簿外取引にかかる所得金額を除外して確定申告をしていたものである。

右の事実は、通則法六八条一項に該当する。

したがつて、被告が昭和三八年分ないし四〇年分について、重加算税の賦課決定をしたことは適法である。

(2) 昭和三九年分の総所得金額のうち、公表所得金額は一、六五一、一二七円であり、青色申告決算書の所得金額一八八、一七〇円を上回ること一、四六二、九五七円に及ぶので、かかる事実は通則法六五条一項に該当する。

しかも、当年分の課税総所得金額が「零」と申告されているので、右公表所得金額一、六五一、一二七円を前提に、所定税率等を適用のうえ、過少申告加算税一三、九〇〇円を賦課決定したことは適法である。

六  右正当性の王張に対する答弁(原告)

(一)  右王張第(一)項の事実は認める。

(二)1の事実は争う。但し、被告側において原告の物品税に関する調査をした事実、被告側において昭和四一年九月原告万を家宅捜索をした結果、原告が多額の預金と多数の宝石を所有していたことを発見した事実は認める。

2の事実は否認。但し、原告が不動産、その他の財産を所有していた事実は認める。なお、それは二億円弱に及ぶ蓄積資産である。

3の事実は否認。但し、別表一、二のとおりの入出金の存在した事実は認める。しかし、同各表1ないし5の入出金は妻百合子の密輸(時計)取引に利用され、6「田中百合子」分は妻百合子の密輸取引と米国人アミーからの「預り金」とが混同している。その余の7ないし13は全部米国人アミーのものである。アミーからの預り金であり、かつ、その要求により入出金した金であつた。架空名義の預金は銀行員が適当につけた名義である。

4のうち、原告が所得税法違反(昭和三九、四〇年分)の嫌疑で横浜地万検察庁の検察官に取調べを受けた事実(但し、嫌疑不十分で不起訴処分ずみである。)別表一、二のとおりの入出金が存在した事実、別表一〇の定期預金が原告のものである事実は認める。

その余の事実は不知。

5の事実は否認。但し、別表一〇の定期預金が原告の預金である事実は認める。

6は争う。昭和四一年、横浜において、大掛りな金の密輸事件が発覚し、その容疑者の一人として原告が取調べを受けた。その際、原告が使用したものと指摘する多数の預手(甲第一号証)の受取人(裏書人)多数を検察庁において綿密に捜索したようであるけれども、遂に、原告と簿外取引した者を発見することが不可能であつたため、「脱税の嫌疑なし」として原告は身柄の釈放を受けている。

(三)  同第(三)項の事実は否認。

但し、原告が昭和三八年分から受けていた青色申告書提出承認を被告において取消したうえで本件課税処分をした事実は認める。

簿外取引をしたことのない原告としては、そのための帳簿書類等が存在しないことは当然の事実である。

(四)  同第(四)項の事実は否認。

但し原告が昭和四〇年か昭和四一年ころ早崎から白金を買入れた事実はあつた。その取引価格は一、〇〇〇万円位であり、利益率は〇・〇一であつた。

(五)  同第(五)項は争う。但し、公表所得金額が被告王張のとおり、青色申告決算書のとおりであつた事実は認める。

別表八に対する認否は次のとおりである。

<1>は否認。

<2>は原告のものでない。但し、入出残等の数的な面は争わない。

<3>は認める。

<4>は争う。

貸付金について被告は「セブンシーの出資四、八七六、五〇〇円は、同会社解散のとき原告の建物勘定に変つた」と王張しているが、実際は解散のとき残余財産はなかつたので建物勘定に変つていない。

杉田建設への貸付金というのは同人が原告に「五〇万円貸してくれ」というので、原告は貸してやり、毎月五万円宛の月賦で返済を受けて現在は完済されている。

<5>は認める。

<6>は争う。

<7>は認める。

<8>は認める。

<9>建物の所有は認める。被告は「原告の元帳の記載が正確でなかつた」と王張しているが、これも認める。しかし個人の財産であるから敢て元帳作成の必要はないのであるが、ただ心覚えに作つていたところ追加支払分の記帳を失念していたのである。

<10>は認める。

<11>は認める。

<12>は争う。但し昭和三八ないし四〇年の各生活費(別表一五のうち)は認める。

<13>は認める。

<14>は争う。但し、別表一六のうち定期預金と通知預金との利子所得が原告に帰属している事実は認める。普通預金は原告のものでないから、その利子も原告のものでない。

(六)  同第(六)項は否認。

要するに、当時原告には小店舗と夫婦二人に小さな子供との生活(使用人も居らず)で、被告が王張するような頻繁な大きな取引ができるような状態でなかつたことは常識上明白である。

(七)  同第(七)項は争う。

七  原告の積極的王張

本件課税処分の前提として争いとなつた約二億円弱の蓄積資産を原告が保有するにいたつた原因は、次の(一)、(二)、(三)に基づくものであり、被告が王張するように横浜における簿外取引(昭和三六ないし四〇年の稼得)に基因するものではない。

(一)  持ち帰り宝石換価金六、〇〇〇万円

原告は、大正九年九月二一日広島県の農家に生れ、昭和一五年陸軍に入隊し、満洲を経てから中国戦に参加し、宣撫班として勤務していたところ、終戦を迎えた。終戦に不満を抱いた原告を含む多数の兵士は武器を携えて逃亡し、抗戦を続けるべく離脱したけれども、二か月足らずで離散してしまつた。

原告も、その一人であり、漢口において焼鳥屋などをやつて生活をしていた。帰国できる見込がついた時期に、原告は知人の手引きにより、隠匿されていた宝石(ダイヤ・ヒスイ)を持ち出した。さらに妻百合子は母から贈与を受けた宝石を持つていた。そして昭和二一年六月、原告と妻百合子とは一般引揚者として中国から日本に引揚げてきた。その際に原告夫婦が中国から右宝石を持ち込んできたのであり、隠匿していたところ、その後、右宝石の大部分を神戸において約六、〇〇〇万円で売却し、横浜に昭和三三年にくる以前に現金化した。

なお、その残部が昭和四一年九月原告万の家宅捜索を受けたときに保有していたものであつた。

(二)  呉市における収益計六、五〇〇万円

(内訳)

1 金の密輸売買利益

原告は、昭和二八年、金の密輸入事件で検挙され、それまでに持つていた金は全部没収されてしまつた。しかし、右刑事事件で保釈された後に、再び金の密輸売買を行い、これによる利益として五、〇〇〇万円相当の金の延棒を得た。

2 鉄屑、非鉄金属の取引による利益

原告は、呉市にきて始めのうちは、酸素を四国へ運搬し、帰りには米や、みかんを積んで帰るという運送に従事したり、鉄屑の拾い屋、小規模の屑鉄の売買等をしたりしていたが、後には沖に出て沈没艦船の解体業者の下請から非鉄金属の闇取引をして利益を得た。原告からの買手は海上で現物の受渡をなし、また原告が直接神戸や大阪に出て売却した。

3 ドル交換による利益

原告が呉市広町において女の子を四、五人おいてバー「入舟」を経営していた。呉市のバーにはインバウンドとアウトバウンドという二種類があつて、外国軍人はインバウンドにしか入れないことになつていたが、実際には何の区別もなかつた。原告の店はインバウンドであつた。

外人兵士はドル、軍票、日本円などを持つて飲みにきた。そしてドルや軍票は日本円に交換する必要があつた。幸に原告には平岡という女の知合があり、同人は米軍の王計中尉と密接な関係があつて、同人に頼めばいくらでも簡単にドル交換をしてくれた。当時、呉市は国際都市のような状態でドルの交換は必要欠くことのできない事態であつた。

原告にはよい交換ルートがあるということが知れ渡るにつれ、いろいろな人から交換を依頼された。その交換をしてやると相当の手数料を貰えた。

以上のような次第で原告はバーの経営では余り利益はなかつたが、ドル交換は原告が神戸に移住してからも続けていたのでこの利益は相当額に達し、右2記載の利益と合せて約一、五〇〇万円位に達した。以上1、2、3の行為で原告の所得は約六、五〇〇万円位あつた。もちろん何の記録もないし、特に1と2とには違法性も伴うので、この行為でいくらと明確にすることは困難である。

(三)  応安甫からの預り金七、二〇〇万円

応安甫は、昭和二七年五月に日本へきて、昭和二八年末か昭和二九年始めころ香港に帰つた。同人は妻、河原百合子の母の弟で貿易商であるが、莫大な資産を持つていたので香港での身の危険を感じて日本へ逃げてきたらしい。

同人は神戸で都ホテルを所有していたが、これを売却し、香港へ帰るときに二〇万ドル(当時邦貨換算七、二〇〇万円)を百合子に預けて帰つた。

(四)  しかし、原告の右(一)(二)の行為は既に約三〇年前のことであり、(三)行為も既に二二、三年を経過しており、しかも右(一)(二)の行為は違法または不当の行為が伴うので、記帳も日記もなく、したがつていろいろな点で思い違いや、忘却、又は記憶が莫然としている点もあるが致し万のないものである。

呉市には小原組という暴力団や不ていの徒が多く、原告が多額の財をなしたことをねたみ脅迫をしたり、いんねんをつけたりする者があつたので、原告は、現金をそのまま床下等に保管し、かつ、その生活はみじめを装つていた。それでもなお繁雑な事情があつたり、他面朝鮮動乱が終了して屑鉄業の妙味もなくなつたので、暴力団や不ていの徒から逃れる意味で昭和三〇年頃東京の武蔵野市にきて約一年位行商をなし、次で昭和三一年神戸にきて中国人の経営するキヤバレー「香港」の支配人となつた。

原告が神戸に居住していた時に妻百合子の時計の密輸行為があつたのが、原告夫婦が横浜にきてから発覚した。原告が貿易商人と信じていた米国人アミーを知り同人の現金を預つて原告名義で預金したり、またこれを引出したりしていた。原告は神戸にきてからも現金の大部分は床下に保管していた。

次で原告は、昭和三三年七月横浜へきた。横浜へきてからも現金を大部分床下へ保管していたが、火災や天災地変の場合のことが気になり、次第に原告名義や無記名の定期預金に振替えるようにした。

ともあれ、原告が呉市で儲けた金や神戸市で売却した宝石の取得には不法原因に基づくものが存するといえども、事実は事実として取扱うべきであつて、今日となつてこれに制裁を加えんとして曲げて昭和三六ないし四〇年の所得として課税せんとするが如きは到底許さるべき行為ではない。

八  右原告の積極的王張に対する認否(被告)

原告が二億円近い蓄積資産を保有していた事実は認める。しかし、この資産は簿外取引に基因する稼得である。

第(一)項のうち、原告が大正九年九月二一日広島県で生まれ、現役で陸軍に入隊し、満洲を経て中国に参戦し、終戦を迎え、逃亡兵となり、昭和二一年六月漢口から上海を経て一般引揚者として日本へ帰国した事実、昭和四一年九月原告万の家宅捜索の折に宝石類が押収された事実は、いずれも認める。その余の事実は争う。原告の王張するが如き多量の宝石類の持ち帰りの事実はない。

第(二)項中、

1  原告が金の密輸売買に関与して検挙され、刑事事件となつた事実は認め、その余は否認。

なお原告は、右刑事事件により昭和二八年七月一四日神戸地万裁判所において懲役八月(実刑)に処せられ、控訴棄却、上告棄却により昭和二九年九月一八日確定したうえ昭和三一年に右刑の執行を受けた。

2  原告が呉市を根拠地として屑鉄商をしていた事実は認めるが、その規模は小さなものであつた。その余は争う。

3の事実は争う。

第(三)項の事実は否認。応安甫は昭和二七年一〇月三〇日出国したままである。したがつて、原告の王張の時期(昭和二八年末か昭和二九年始めころ)には応安甫は日本に滞在していなかつたことになるので、右の時期に在日していたことを前提とする応安甫からの預り金の王張は失当である。

第(四)項の事実は争う。

九  証拠

(一)  原告

1  甲第一、二号証、第三号証から第六号証までの各一、二、第七、八号証の各一、二、三を提出。

2  証人河原碩松、室井重雄、宇治出千代子、柴田耕作、関根勝夫、河原百合子、田端孝一、望月鉱一、片岡仲次の各証言、原告の本人尋問の結果(第一、二回)を援用。

3  乙号証の成立の認否は次のとおりである。

(1) 成立を認める分

乙第四八号証、第八五ないし九九号証(枝番のあるものは、それをも含む)、第一〇一号証の二、第一〇四、一〇五号証、第一一二号証、第一二〇ないし一二二号証(各枝番を含む)、第一六〇ないし一六六号証(枝番のあるものは、それを含む。但し第一六六号証の三は「区長の印」のみ認める。)、第一八八号証(枝番を含む)、第一九〇ないし一九二号証、第一九三号証の一。

(2) 原本の存在を含めて認める分

乙第二ないし一三号証(枝番のあるものは、それをも含む)、第一五、一六号証、第一八ないし二一号証、第一九三号証の二、三。

(3) 否認の分

第一二六号証から第一五七号証まで。

(4) 認否しない分

第八四号証。

(5) 不知の分

その余の乙号各証(但し、第一八九号証の一、二は原本の存在を含めて不知)。

(6) 提出に異議のある分

乙第八四号証、第一二六ないし一四九号証。

右は不起訴事件(原告に対する金管理法違反・所得税法違反被疑事件)記録のうち、原告側に不利益な極く一部にすぎない書証である。しかも、横浜地万裁判所をとおりして記録送付嘱託(取寄)手続を再三にわたり横浜地万検察庁に要請してすら取寄を拒否し続けられた。それにもかかわらず、右書類を被告が所持していること自体不思議であり、偽造物としか考えられず、司法の公正を疑わしめるものである。したがつて、提出に異議がある。成立は否認。

(二)  被告

1  乙第一ないし一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証、第一三号証の一、二、三、第一四ないし二四号証、第二五号証の一、二、第二六号証、第二七、二八号証の各一、二、第二九号証の一、二、三、第三〇ないし八七号証、第八八号証の一ないし四、第八九号証の一、二、第九〇、九一号証の各一ないし四、第九二ないし九六号証、第九七号証の一、二、第九八号証の一、二、三、第九九、一〇〇号証、第一〇一号証の一、二、第一〇二号証の一、二、三、第一〇二号証の四の一、二、第一〇二号証の五、六、第一〇二号証の七の一、二、第一〇二号証の八の一、二、第一〇二号証の九の一、二、第一〇三号証の一、二、三、第一〇四ないし一一八号証、第一一九号証の一ないし五、第一二〇号証の一、二、三、第一二一号証の一、二、第一二二号証の一、二、第一二三ないし一六四号証、第一六五号証の一、二、第一六六号証の一、二、三、第一六七号証の一、二、第一六八号証、第一六九号証の一、二、第一七〇ないし一七五号証、第一七六号証の一ないし四、第一七七ないし一八七号証、第一八八号証の一ないし四、第一八八号証の五のイ、ロ、第一八八号証の六のイ、ロ、第一八八号証の六のイ、ロ、第一八八号証の七のイ、ロ、第一八九、一九〇号証の各一、二、第一九一、一九二号証、第一九三号証の一、二、三を提出。

2  証人前田繁寿、荒川浩平(第一、二回)、関根勝夫、の各証言を援用。

3  甲第一、二号証の成立は認め、その余の甲号各証の成立はいずれも不知。

4  乙号証提出についての異議に対する答弁(被告)

原告は「検察庁が裁判所にも送付しない刑事事件記録の供述調書の一部を、被告が乙第八四号証、乙第一二六ないし一四九号証として所持していること自体不可思議であり、これらを提出することは司法の公正を疑わせしめるものである。」旨王張し、右の提出に異議を述べている。

しかし、右乙号各証は、原告を被疑者とする所得税法違反被疑事件につき、横浜地万検察庁検察官等が、被疑者・参考人の取調べをなした際の供述録取書の写である。そして右被疑事件につき、かねてから東京国税局査察部において「原告の所得税ほ脱事犯」として立件し、調査を進めてきていたが、原告の協力が得られないこともあつて、右検察庁の捜査と右査察部の調査とが同時に併行・協同して実施されたために、検察庁の捜査資料と査察部の調査資料とは随時その写が交換されて正確な事実確認がなされるための情報交換が行なわれていた。その一環として横浜地万検察庁から交換資料として東京国税局において入手したものが右乙号各証である。したがつて右乙号各証を被告が保有することにつき、不思議はなく、提出しても司法の公正を疑わせるものではない。

理由

一  (争いのない事実)

請求の原因第(一)項(本件課税処分)、第(二)項(前審手続)の事実は、当事者間に争いがない。

二  (蓄積資産の取得原因)

本件係争各年(昭和三六ないし四〇年)の総所得金額として、原告は、「別表一七申告欄のとおりにすぎなかつた」旨主張し、被告は「別表一八C、F、I、M、Qのとおりであり、その範囲でなされた本件課税処分(別表一七本件課税処分欄)であるから適法である。」旨争うので、その端緒となつた原告の二億円弱の蓄積資産の取得原因から検討する。

(一)  (前提)

原告は、大正九年九月二一日広島県に生まれ、現役で陸軍に入隊し、満洲を経て中国に参戦し、昭和二〇年八月の終戦を迎え、逃亡兵となり、昭和二一年六月、中国の漢口から上海を経由し、一般引揚者として日本に帰国したのち、一旦、広島県の郷里に落着き、同県呉市から神戸市を経て、昭和三三年に横浜市中区山下町の通称「中華街」に転居してきてバー「セブンシー」(但し、昭和三六年一〇月に(有)セブンシーと組織を替え、昭和三八年五月に解散・廃業)を経営し、次いで、昭和三八年六月から美術工芸品宝石等の販売を業とする「カワハラ」を昭和四一年九月まで経営していた。その間、原告は「昭和三六・三七の両年分は申告すべき所得がなかつた。」として無申告であり、昭和三八ないし四〇年の三か年分については青色申告の承認を得て別表一七の「申告欄」のとおり所得税の申告をしていた。ところが、昭和四一年八月ないし九月にかけて、原告の物品税あるいは所得税法違反けん疑事件により原告が調査を受けた結果、定期預金等、多数の宝石類、不動産その他の財産(この総合計額は二億円弱に達する。)を所有している事実が発覚した。

以上の事実は、当事者間に争いがないか、もしくは明らかに争いがないところである。

(二)  (蓄積資産についての原告の積極的主張に対する検討)

右発覚した二億円弱の蓄積資産の取得原因は「本件係争各年(昭和三六ないし四〇年)よりも以前に既に発生取得したものであるから、本件課税処分の対象とすべき所得ではない。」旨の原告の主張につき順次検討する。

1  第一点。原告は、「昭和二〇年八月の終戦に伴い妻と共に中国から引揚げてきた際に、宝石類を持ち帰り、これの大半を神戸市において(昭和三三年横浜市へ転居してくる前に)、約六、〇〇〇万円に現金化して所持してきていた。」旨主張する。そして相当量の宝石類を中国から持ち帰つた旨の右主張に副う原告の検察官および大蔵事務官に対する各供述調書部分、原告の本人尋問の結果、証人河原百合子の証言部分は、次の事実と対比していずれも措信できない。

すなわち、原告は、当初昭和四一年一〇月の段階において検察官に対し、「原告が中国で児玉機関の宣撫班に所属していた当時、宝石類の移動監視取締を行つた際に中国人から宝石を没収し、これを日本に引揚げの際、米袋の中に隠して五千数百個を持ち帰つた」と供述していた(乙第一四〇号証)。

しかし、「原告が児玉機関の宣賦班に所属していたという事実はなく、また原告が所属していた軍隊の材料廠の任務は、建設資材の補給、機材の修理であつて、宝石のあつたような場所へ行つたという事実もうかがえず、野戦で宝石を手に入れることは到底あり得ない状況であつた(乙第五三、八〇、一三〇号証)。

なお、原告の武昌における軍隊逃亡後の漢口においての生活はみじめなもので、原告および原告の逃亡仲間は、金も品物も持つておらず「着たきり雀」の最低生活の状態であつたので、軍隊の不必要な品物をとつてきては中国人の市場で売りさばいて生活資金を作つたり、「焼鳥屋」等をやつて生活費を稼ぐのが精一杯で、とても宝石類を保有していた様子はなかつた。

また、原告は、仮屋根の下で右逃亡仲間らと起居を共にしていたのであつて、仮に原告が何らかの方法で宝石を取得したとしても、ひとり隠しとおせる状況ではなく、原告の右仲間であつた室井重雄(乙第二二号証)および大石彰(乙第五二号証)の両名に対する査察官の質問調査においても原告が宝石を持つていたとの事実は認めることができなかつた。」旨の証拠が被告側から提出されたことに伴い、原告は、宝石の入手経路について、「日本軍が、終戦前、没収し保管していた場所から、引揚げ直前に分取つてきた宝石があり、かつ、そのほかに妻百合子が保有していた宝石もあつたので、これらを一緒にして日本に持ち帰つた。」旨、主張を変更していることは、弁論の全趣旨によつて認められる。妻百合子が宝石類を持ち込んだ旨の申立は、少くとも本訴提起前には、全くなされていなかつた事実は、証人前田繁寿の証言によつて認められる。

成立に争いのない乙第五二号証、第五四号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二二号証、第八二号証、第一三一号証、第一三三号証(最後の二通は、原本の存在も含めて)によれば昭和二一年当時、中国から日本へ引揚げてくる際には、宝石類は持ち帰り禁止物品として指定されており、現に中国側の官憲の数次に及ぶ所持品検査は厳重を極め、女性であつても裸体にして検査を実施していたほどであつて、ひとり原告夫婦だけが右検査をのがれて多量(原告の主張では、当初五千数百個、最終段階では「原告が分取つてきた分として五合升に半分位」と「妻百合子の所持していた分」との合計)の宝石類を持ち帰ることは不可能な状況にあつた事実が認められる。

右認定の一部に反する証人室井重雄の証言は措信しない。のみならず、帰国後、原告夫婦は広島県の郷里に落着いたものの、住む家もなかつたため、原告が採石夫としての働き先の裏山に小屋を建て居住し、以後、数年間、とりあえずの食生活に困らない程度のまずしい生活を継続していた事実が認められる。

以上のとおり、宝石入手経路についての供述・主張の変更とあいまいさ、その後の生活態度からみて、多量の宝石類を原告夫婦が保有していたとは認め難いというべきである。したがつて、右宝石持ち帰りの原告の主張は肯認できない。

2  第2点。原告は、「呉市における収益が合計金六、五〇〇万円あり、その内訳は次の三項目であつた。」旨主張する。

(1) 原告は「金の密輸売買により五、〇〇〇万円の利益を得た。」旨主張する。そして、原告は「金管理法違反幇助事件の被告人として昭和二八年に起訴された後においても、保釈され、呉市において金の密輸売買を行い、五、〇〇〇万円位を儲けた。」と供述している(昭和四九年一〇月一七日分、原告の本人尋問の結果)。

成立に争いのない乙第一六〇号証によれば、右の第一審である神戸地方裁判所において昭和二八年七月一四日「懲役八月」の実刑に処せられた当時、呉市に居住していた事実が認められるにしても、成立に争いのない乙第一六一号証によれば、右事件の控訴審たる大阪高等裁判所において、控訴棄却の宣告を受けた昭和二九年三月二三日当時神戸市に居住していた事実が認められる。

成立に争いのない乙第一六二号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一三五号証によれば、次の事実が認められる。すなわちその後、昭和二九年九月一八日原告は「上告棄却」の宣告を受けた当時、東京都武蔵野市付近に夫婦して転居してきて、豆腐の行商をしたり、旋盤工として工場に勤務したりしており、妻百合子は編物やミシンによる縫物の内職をして地味な生計をたてていた。

成立に争いのない乙第五一号証によれば、原告が右懲役八月の服役中の昭和三一年当時、妻百合子は神戸市内において経済的に困り、内職をしながら乏しい生活を送り、夫たる原告の出獄を待つていたが、原告の出獄後、原告夫婦は夜逃げ同様にして何処かへ引越してしまつていた事実が認められる。

したがつて、右保釈の当時、原告が金の密輸売買により五、〇〇〇万円もの収益をあげていたとは認め難いとはいわざるを得ない。

(2) 原告は、「鉄屑・非鉄金属の取引による利益、ドル交換による利益として合計金一、五〇〇万円を得ていた。」旨主張する。

イ 右屑鉄等の取引による利益の点について、原告は、本人の尋問において、「屑鉄の闇取引によつて、一、〇〇〇万円位儲かつた。」と述べ、右取引の時期、場所、方法、相手方及び価格等について述べている(昭和五〇年一一月一二日、同年一二月一〇日の各原告の本人尋問の結果)けれども、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二三号証、成立に争いのない乙第五〇号証、第五五号証によれば、次の事実が認められる。

原告は、呉市において終戦後の昭和二二年頃から二、三トンの船を使用し青果物等の運搬や、青果物の売買の仕事をしていた。その後昭和二五年頃から青果物の運搬、青果物の売買をするかたわら屑鉄の売買を始め、さらに酸素ボンベの運搬をも五、六トンの船を使用して業としていた。原告がしていた屑鉄売買の規模は小さなもので、大手業者の沈船解体作業によるこぼれもの、又は村の海岸にあつた屑鉄をその権利者から買受け、右五、六トンの船で運搬し販売する程度の仕事であつたものであり、市中の買出人すなわち、いわゆる「拾い屋」的存在にしかすぎなかつた。

なるほど、原告の供述するように、「当時沈船の解体作業中に抜荷をして売買する者もあつたこと」はうかがえるが、それは解体作業に従事している人夫がわざと落したいわゆるこぼれものを、右人夫から買い取る程度のものであつて、解体した金属を大がかりに抜取ることは不可能の状態にあり、原告保有の五、六トンの小船では可能な業ではなかつた。のみならず、原告が右酸素ボンベ運搬用に船を買替えた折に、原告は訴外小林文吉から約一〇万円を借金したにもかかわらず、一部を弁済したのみで、呉市広町から何処かへ引越してしまつたまま、現在までも残余が弁済されていない。

ロ 右「ドル交換による利益」の点について。

原告は「呉市広町においてバー「入舟」を経営するかたわらさらに神戸へ移住後もドルの交換を行い、これにより一、五〇〇万円位の収益をあげた。」旨、本人尋問において述べている(昭和五〇年五月二一日分、同年六月四日分、同年一二月一〇日分)。ところが、前出の乙第五五号証、成立に争いのない乙第五八号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一八七号証によれば、次の事実が認められる。その後、原告に昭和二七年五月ころから右「入舟」を開業したけれども、場末のためか繁盛せず、そのうえ右「入舟」は、駐留軍当局から兵隊の出入り店としての指定を受けているいわゆるインバンドの店ではなく、右指定を受けていないアウトバンドであり、立地条件も不良で、店舗も狭あいで、多くの外国兵が客として来店していたとは認められない。しかも、客として来店する外国兵は、英連邦の兵が大部分であり、右外国兵らは市中では通常日本円を使用していたものであり、例外として、全体の一割程度はポンドを使用していたことが認められるものの、ドルはほとんど使用されていなかつたのである。さらに、原告は、「昭和二九年ころ原告夫婦が神戸に移住してからも、ドル交換差利益をあげていた。」旨主張し、これに副うことを本人尋問等で供述しているが、しかし前説示のとおり、原告が服役中(昭和三一年当時)、妻百合子は神戸市内において内職をしながら乏しい生活を送り、原告の出獄後は、原告夫婦共に夜逃げ同様に何処かへ引越してしまつている事実から推測しても、本件で問題にしている二億円弱の蓄積資産の取得原因となるような、右ドル交換差利益をあげていたとは認め難い。したがつて、右主張に副う原告の本人尋問の結果等は措信できない。

したがつて、右屑鉄等の取引による収益、入舟の営業ないしはドル交換差利益があつたにしても、当座の生活費を賄う程度のものであつて、それ以上に一、五〇〇万円もの残存利益をあげ、これが蓄積資産の原因になつた利益とは到底認め難いというべきである。

3  第三点。原告は、「定期預金等の資金源には、妻百合子が昭和二九年ころ神戸市において同人の伯父応安甫が香港に帰る際に法定額超過額として持ち帰りができなかつた二〇万ドル(邦貨換算額七、二〇〇万円)を右伯父から預つたが、右金員も含まれている。」旨主張し、これに副うが如き甲第三、六号証の各一、二、第七号証の一、二、三(いずれも応安甫からの書簡)を提出し、証人河原百合子の証言、原告の本人尋問等で同趣旨のことを述べているけれども、右証拠は措信できない。すなわち、成立に争いのない乙第一六五号証の二、第一六六号証の三によれば、応安甫という者は、昭和二七年五月二一日羽田で入国し、東京都中央区新富町三丁目一に居住した形跡があり、その後同年一〇月三〇日再入国の許可を得て出国している事実が認められる。その後入国した事実を認め得る証拠はない。

また、原告は、原告本人尋問の際に、外国人登録原票(乙第一六五号証の二)に貼付された応安甫の写真を示されたところ、「字は同じだが顔は違う。」と否定している(昭和五〇年一二月一〇日原告の本人尋問の結果)。

次に、原告は「応安甫は昭和二九年ころまで神戸市生田区で「都ホテル」という名称でホテルを経営していたところ、これを売却した代金二〇万ドル(邦貸換算七、二〇〇万円)を河原百合子に預けて香港へ帰国してしまつている。」旨主張するけれども、証人片岡仲次の証言によれば、右ホテルの売却価格を想定するとしても、その価格は三〇〇ないし四〇〇万円位であつた事実が認められ、右七、二〇〇万円には遠く及ばない数額である。

さらに、応安甫なる者から預つたとする二〇万ドルを日本円に換金するについて、妻百合子は「原告が銀行で交換の手続きをした。」旨証言(河原百合子の証言)するに対し一方、原告は「二〇万ドルの金は見たこともなく、日本円に換えたのは家内が換えたかどうかわからない。」旨供述しており(昭和五〇年一二月一〇日原告の本人尋問の結果)両者の供述内容は矛盾している。また、原告は「応安甫からの預り金が二〇万ドルであつたことを、国税局に持つて行かれて初めて知つた。」旨供述(同日同結果)しているが、原告の右主張が真実であるならば、税務調査により二億円弱の蓄積資産が発覚された段階で、右預り金である旨を当局側へ申立ててしかるべきものと考えられるところ、その挙に出たことを肯認できる証拠はなく、本訴半ばにいたつて、はじめて右の主張をし始めた事実が、弁論の全趣旨によつて認められる。のみならず、「昭和二九年ころ河原百合子に二〇万ドルを預けた。」としても、昭和四一年、税務調査を受けた当時はその旨の申述をせず、原告が預かつたと称する時期から一〇年以上にわたり、その返還もしくは送金の挙に出た証拠がないのは不自然すぎる。

以上の諸点を総合すれば、応安甫からの預り金の主張は立証なしというべきである。

4  以上のほか、原告は本件訴状請求の原因第六項において、蓄積資産の取得原因を「昭和二五年から同二九年まで呉市広町で鉄屑等の売買業を営んでいたが、朝鮮動乱に際会し、鉄屑は暴騰を重ねたので全く嘘のように儲かり、数年の間に一億数千万円の財をなすことができたのである。」旨主張していた(弁論の全趣旨により認められる。)ところ、その後の本人尋問において「呉市内において金の密輸売買等による儲を除々に蓄積して金の延棒四〇〇本にして所持していたが、一時これを原告の姉に預けたこともある。」旨供述し(昭和四九年一〇月一七日、昭和五〇年五年二一日分)、その蓄積原因を鉄屑の商売から金の密売に変更してきており、しかも原告の姉は「金の延棒を預かつたことがない。」旨右預りの点を全面的に否定している(この事実は、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一八五号証、第一八六号証によつて認められる。)要するに、蓄積資産の取得原因について、その場限りの主張や立証(主に原告の本人尋問の結果ないし妻百合子の証言等)のくりかえしにすぎず、結局のところ、右取得原因について原告の主張を肯認するに足りる立証がなかつたことに帰するものというべく、原告の右各主張は採用できない。

(三)  (簿外取引)

次に、被告主張の簿外取引につき検討する。

1  原告は、昭和三三年五月一一日住友銀行横浜支店に二万円を入金して原告名義の預金口座を開設したのを初めとして、その後別表一、二記載のとおり、入出金のために使用する預金口座を同各表1から2へ、2から3へと順次13まで切替え、6田中百合子から13加藤道夫まで八名分が架空名義であり、昭和四〇年末まで同各表のとおり入出金を反覆継続してきてその合計は同各表の14のとおりに達した。

以上の事実は、当事者間に争いがない。証人望月鉱一の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第二四、三九号証、証人関根勝夫の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第四四、四五号証、証人柴田耕作の各証言によれば、架空名義の預金口座の開設は原告の指示に従つた次第であり、原告の指示どおりに右銀行に入出金してきており、右多数回かつ多額の現金の授受または預手の授受は、右の銀行または原告方においてすべて右銀行員関根勝夫またはその後任者望月鉱一と原告または妻百合子との間でのみ行なわれた事実が認められる。

その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一四八、一四九、一五六、一五七号証によれば別表一、二の須号1から6までの預金口座の入出金を原告が簿外取引に使用した旨を原告自身、自認していた事実が認められる。

前出の乙第四五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認め得る乙第四二、六七ないし七九号証によれば、昭和四〇年中において限定してみても、別表三のとおり、昭和四〇年三月五日以降同年一〇月三〇日まで合計一、二六一枚、三億一六五〇万円に達する多数かつ多額の預手を住友銀行横浜支店の銀行員望月鉱一から原告または妻百合子に直接交付されていた事実が認められる。のみならず、原告の受領した右預手は国外を旅通した後に決済されている事実も認められる。

2  なお、原告は、「右入出金、預手の授受は、別表一、二の各1ないし5および6の一部が妻百合子の密輸取引に利用し、その余のすべてが米国人アミー(貿易商人)の指示に従つて、原告が単なる受け渡しをしたにすぎず、その実質的帰属者は右両名であり、原告の取引に使用したものではない。旨強調し、これに副うことを原告は昭和四一年一〇月の段階から主張・供述をしてきている(乙第一四八、一四九号証)けれども、妻百合子の密輸取引に利用されとの主張を肯認するに足りる証拠はなく、アミーに帰属するとの点についても、その内容はあいまいかつ、矛盾するものであつて、次のとおり、到底信ずることはできない。

すなわち、まずアミーを知つた時期については、当初昭和三八、九年ころと供述したにもかかわらず、のちにいたり「昭和三四年ころ知り合つた」と申述している(乙第一四九号証)。ついで「アミーの日本における居所や同人の本国における住所等はもちろん、アミーとの連絡方法についても、アミーから一方的に連絡してくるだけである。」と述べるのみで、原告とアミーとの関係について何ら具体的に明らかにされていない。そればかりでなく、アミーとの現金の授受は、その都度あらかじめアミーから電話による指示があつて、原告の店で行うと供述する一方(乙第一四八、一四九号証)、原告の家族や同居人は、「アミーが原告の家へ出入りしたり、電話をかけてきたことさえも全く知らない。」と供述している。

以上の如く原告の供述は極めて矛盾したものである。

ちなみに、昭和三五年から同四〇年までの間の前記普通預金口座の入金回数は三六六回、出金回数は三二三回(別表一、二の各14、<3>参照)合計回数は実に六八九回にも及ぶものであつた。したがつて、仮に、アミーとの現金の授受をその都度原告宅で行つたとすれば、アミーは、少なくとも右回数程度原告宅を訪問したこととなり、その間、家族や同居人に全く知られることなく原告ひとりのみが、アミーと会つたり、連絡を受けることができたなどということは、「原告方においては、家族による小規模店の個人的経営であつた。」との原告の主張からみても、あまりにも不自然すぎると考えられる。この認定に反する証人宇治田千代子の証言は措信できない。

原告は、「アミーを直接同行のうえ銀行員望月ら、および右銀行支店長柴田耕作に面会させ、紹介した。旨供述しているけれども、証人柴田耕作、関根勝夫、望月鉱一の各証言によれば、右の如き紹介は一切なかつた事実が認められる。

右普通預金口座がアミー自身の取引であつたとの事実を裏付ける立証がないというべく、のみならず、かえつて、右事実関係からは右普通預金口座が原告のものとして認めるに十分なものである。

以上の認定事実によれば、原告は、横浜市中区山下町の通称「中華街」に転居した昭和三三年四月頃から東京国税局査察部による調査を受けた昭和四一年九月頃まで、バー「セブンシー」又は美術工芸品宝石等の販売業「カワハラ」を経営するかたわら、密輸取引及び白金取引をなし、その取引にかかる売上または仕入を昭和三三年から同四〇年までは原告名義三口(乙第一五、一六、一八号証)、妻名義二口(乙第二、一九号証)および架空名義八口(乙第三号証ないし一〇号証)の普通預金口座に合計回数四四五回合計金額一九億五千五百万円余にのぼる入金をし、また、合計回数三七七回合計金額一九億一千四百八十万円余にのぼる出金をする等の方法により、あるいは昭和四〇年においては枚数一、二六一枚合計金額三億一千六百万円余にのぼる住友銀行横浜支店長振出の預手の振出を宍戸等ほか多数の名義を使用して銀行に依頼し(乙第四二、四五号証)、その振出された預手を使用するという方法等により、簿外取引をなし、主として、これにより蓄積資産を形成せしめたものと推認するのを相当とする。

三  (総所得金額)

(一)  (骨子)

本件課税処分にかかる昭和三六ないし四〇年の五か年分の総所得金額を次の方法(別表二〇)により算出するのを相当とする。すなわち、右五か年分をとおして、簿外所得として右「簿外取引」による事業所得分(別表二一)と「簿外取引以外」の所得分とに区別して算出する。そして、右五か年分のうち、昭和三八ないし四〇年の三か年分に限り確定申告(青色申告)をしているので、この青色申告決算額たる公表所得を実際の資料により修正を加え(別表二二)、かつ、右簿外所得を合算して算出する。

したがつて、昭和三六、三七年の二か年分は簿外取引による所得のみである。昭和三八ないし四〇年の三か年分については簿外所得(すなわち簿外取引による所得とその余の取引による所得とを含む)と公表所得(修正ずみ後の額)との合算額をもつて総所得金額とする(別表二〇)。

(二)  (簿外取引による((事業))所得についての推計・・・純資産増減法)

1  右説示のとおり、蓄積資産のほとんどは簿外取引(いわゆる継続的事業)によつて得た利益の蓄積であると認められるところである。

証人荒川浩平、前田繁寿の各証言、弁論の全趣旨によれば、原告は、右簿外取引について帳簿書類その他直接的資料を一切保有しておらず、被告側に対し昭和三六、三七年分についての一部の簿外取引を肯定したにすぎず、「妻百合子の密輸に使用され、あるいはアミーの指示に従つて別表一、二の入出金をしたにとどまる。」等との申述をくりかえし、本件係争各年分について全体的には否定し、密輸等取引を主体としていると認められる簿外取引部分については、その事柄の性質上もあつて、相手方、利益率を肯認できない事実が認められる。

右の事実関係においては、実額による課税はできず、推計課税の要件を充足しているものというべきである。

2  簿外事業所得についての推計方法について、被告が「昭和三六、三七年分については比率法を、昭和三八ないし四〇年分については純資産増減法を、各適用している。」事実は弁論の全趣旨によつて認められる。

ところで、本件課税処分の端緒が、二億円弱の蓄積資産(別表一〇の定期預金を含む)と別表一、二の入出金とを骨子としたことは、被告の主張自体によつて認められるところである。

しかし、右二点の各内訳(蓄積経過)を詳かに肯認できる証拠はないというべきである。のみならず昭和三六、三七年分は、その簿外取引の内訳として「密輸等取引分を六割、白金取引を四割と推定し、また、入出金のうち、一、〇〇〇万円未満の場合が密輸等取引分であり、一、〇〇〇万円以上の場合が白金取引分である(乙第一五七号証、前田証言、別表四)」としているところ、それ程までに、あえて区別しなければならない合理的理由がある事実を肯認できる立証はない。

被告主張にかかる密輸等利益率(〇・一)を算出するためには、原告の申述のみならず、「昭和三八ないし四〇年の純資産増加類を必要とすることになつている。」というべきであるから、結論を前提の前提としていることになるので合理性に疑問がある。さらに、昭和三七年末の純資産額二七、三〇三、五〇〇円を算出するのに、被告の主張自体あまりにも技巧的すぎるというべきである。

以上の点を考慮して、被告主張の比率法と純資産増減法との二本建ての推計課税によらないこととする。したがつて、被告が昭和三八ないし四〇年の三か年分の純資産増加額を各年の預金の純入金額(売上)の構成比で按分する方法を拡大し、昭和三三ないし四〇年の純資産増加額を課税各年の純入金額の構成比で按分するという方法で、本件課税処分にかかる五か年分を純資産増加額法一本で簿外取引による所得(すなわち簿外事業所得)を推計するのを相当とする。

3  右推計方法による簿外取引による所得(簿外事業所得)は別表二一のとおりと認められる。

(1) 右別表二一の「簿外取引による所得(簿外事業所得)」を算出する必要な書類は別表一14「純入金額」と別表八C「昭和四〇年末の差引純資産額」を主体とする。この別表一14の数額は当事者間に争いがなく、これが原告に帰属する入金であることは既に説示したとおりである。次に別表八C「昭和四〇年末の差引純資産額」一九八、一二六、七五四円を算出するためには同表中「別表」欄の各別表(すなわち別表九ないし一六)等を必要とするところ、その証拠は各別表の「証拠」欄の証拠等により認め得るので、次に説示する。

<1>現金。原本の存在および成立に争いのない乙第一〇号証、証人望月鉱一の証言により真正に成立したものと認められる乙第二四号証によれば、昭和四〇年末に原告は八〇〇万円を所持していた事実が認められる。

<2>普通預金。「別表九」のとおりの普通預金の入出金残等が存在したこと自体は原告の認めている事実であり、これが別表一、二の延長にあり、これが原告に帰属する預金である事実は既に説示したところから判明しているものといえる。

<3>定期預金。「別表一〇」のとおり原告に帰属している事実は当事者間に争いがない。

<4>貸付金。「別表一一」のとおりの貸付金は同表証拠欄掲記の証拠(成立に争いのない乙第八八号証の三、四、乙第八九号証の二、乙第一〇五号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一五二、一五五号証)より認められる。

<5>有価証券。この事実は当事者間に争いがない。

<6>出資金。前出の乙第八八、一五五号証により認められる。

<7>車両。この事実は当事者間に争いがない。

<8>器具備品。「別表一二(1)」この事実は当事者間に争いがない。

<9>建物。「別表一二(2)」のとおり建物が原告の所有である事実は争いがない。

<10>土地。「別表一三」のとおり土地が原告の所有である事実は争いがない。

右<9><10>の一部において計算上訂正をしておくべきものと認められたので「別表一二」と「別表一三」とする。

<11>未経過保険料。「別表一四」この事実は当事者間に争いがない。

<12>店主貸。「別表一五」のうち昭和三八ないし四〇年の各生活費の事実は当事者間に争いがない。別表一五3生命保険料は、被告掲記の乙第九四号証をもつてしても認められない。同表5没収金は被告掲記の乙第九〇号証(枝番を含む)をもつてしても、各年一、〇〇〇円宛だけしか確認できないので、むしろ、この項目を「零」とし、生活費から支弁されたものと推認するのを相当とする。その余の項目は「証拠」欄掲記の各証拠(その方式および趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一四一、一五〇、一二八、一二三号証成立に争いのない乙第一一二号証、前出の乙第一五五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五〇、一〇八ないし一一一、一一三、一五八号証)により認められる。したがつて別表一五は計数上差異が生ずるので「別表一五」とする。

<13>未払金。この事実は当事者間に争いがない。

<14>店主借。別表一六のうち定期預金と通知預金との利子が原告に帰属している事実は当事者間に争いがない。別表一、二の延長にあると認められる普通預金の利子は原告に帰属しているものと認める。不動産所得は別表一六「証拠」欄掲記の証拠(その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき乙第一二五、一四八、一五四号証)により認められる。

(2) 昭和三三年四月以降昭和三七年末までの五七か月分の生活費三四二万円(毎月六万円宛位の生活費を必要とした事実は、その方式および趣旨において公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第八四号証により認められる。)を加算する。

(3) 給与二四万円(昭和三六年一〇月ないし昭和三七年三月までのセブンシーからの給与分。被告の主張額であるが、原告に有利のため、そのまま計算の基礎とする。)と利息一〇四、〇五五円(昭和三三年ないし昭和三七年分。原本の存在および成立につき争いのない乙第二、三、一五、一六、一八、一九号証によつて認められる。)とを控除する。

(4) 以上の加減により昭和三三ないし四〇年の純資産増加額は二〇一、二〇二、六九九円となり、これを前提に簿外取引の所得を算出すると別表二一のとおりとなる。

(三)  (昭和三六、三七年分の所得金額)

この両年分の所得は、簿外取引による所得(簿外事業所得)のみであるから、右(二)説示のとおりの純資産増減法に従い算出すると、別表二一、A、B欄のとおり、昭和三六年分は八、六七一、八三六円、昭和三七年分は一五、八九五、〇一三円であることは計数上明らかである。

(四)  (昭和三八ないし四〇年の総所得金額)

1  簿外所得

簿外所得は簿外取引による分と簿外取引以外の分とに区別される。

(1) 簿外取引分

昭和三八ないし四〇年の三か年分の簿外取引による所得(簿外事業所得)は前(二)説示のとおりの純資産増減法に従い算出すると別表二一、CDE欄のとおり

昭和三八年分は二九、九一八、八四一円

昭和三九年分は二六、〇一五、五〇八円

昭和四〇年分は一〇六、一九四、七八四円

であることは計数上明らかである。

(2) 簿外取引以外の分

イ 昭和三九年分の譲渡所得の損失額一三〇、一五七円

かねてから原告が所有してきていた「店内ウインド・ケース」(昭和三九年中売却額、いわゆる帳簿価額が二一〇、一五七円であつた事実は当事者間に争いがない。別表一二(1)1)を昭和三九年に売却したところ、その下取価額が八万円であつた(この事実は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一五八号証によつて認められる。)から、右差引残一三〇、一五七円は譲渡に伴う損失額となる(別表二〇、F)。

ロ 昭和四〇年分の不動産所得三四、九二三円

前出の乙第一二五号証、同一四八号証、同一五四号証によれば、原告が簿外で取得した建物(横浜市中区山下町八〇の三、日本住宅公団山下第一団地第一号棟三〇二号室)を昭和四〇年九月から四か月間月額一万円で賃貸したことにより計四万円の収入をあげた事実を認め得る。その減価償却費は五、〇七七円である(所得税法四九条二項、同法施行令一二九号、減価償却資産の耐用年数等に関する省令((昭和四〇年大蔵省令一五号))、これにより算出すると四、六六六円((別表一二、(2)、4、昭和四〇年分減価償却額))となるであろうけれども、被告側で右よりも高い五、〇七七円を償却額としているので、このままとする。)。右差引残三四、九二三円をもつて昭和四〇年分の不動産所得(簿外)というべきである。

2  公表所得の修正分(別表二二)

(1) 昭和三八年分公表所得金額一五七、四四四円

原告の当年分の青色申告決算の所得金額が一六九、一三〇円である事実は当事者間に争いがない。

減価償却費過少計上額として計一一、六八六円があるので、これを右申告額から減額することとする。この過少計上額の内訳は、次のイ、ロである。すなわち、

イ 別表六、昭和三八年分の差引額計一〇、二五〇円

なお、この分として被告は一〇、一一〇円と算出しているけれども、同年分の「金文字」の償却費として一、六一二円と計上しているが、それは一、七五二円の計算誤りと認められるので、その差額一四〇円を加えて一〇、二五〇円をもつて右過少計上額と認める。

ロ 別表七、昭和三八年分の(3)差引金額一、四三六円である。右差引残一五七、四四四円をもつて昭和三八年分の公表所得と認めるのを相当とする。

なお、被告は「期末たな卸計上もれ額四三、六一六円を加算する。」旨主張するけれども、これを肯認するに足りる証拠はない。

(2) 昭和三九年分公表所得金額一二〇、四三四円

原告の当年分の青色申告決算の所得金額が一八八、一七〇円であつた事実は当事者間に争いがない。

イ 経費過大計上額五五、二四〇円があるので、これを右申告額に加算する。この過大計上額の内訳は次の<1><2>の合計である。

<1> 接待交際費の差額が一一、八〇〇円ある。すなわち昭和三九年一〇月三一日に支出されている交際費は二万円である(成立に争いのない乙第九六号証により認められる。)ところ、これを三一、八〇〇円と計上している(成立に争いのない乙第九八号証の三により認められる。)ので、この差額は経費過大計上額の一つである。

<2> 減価償却費の差額が四三、四四〇円ある。すなわち、当年分の減価償却費の正当額は一七三、三三五円であるところ、これを二一六、八八一円と計上している(成立に争いのない乙第一二一号証の二により認められる。)ので、この差額四三、四四〇円は経費過大計上額の一つである。

なお、被告は「右差額は四三、四九三円である(別表六、七の各最下段の数額の合計である。)」旨主張しているところ、前記四三、四四〇円との差額五三円を生ずるが、これは別表六、昭和三九年分償却額のうち「看板」につき三八、九九〇円を計上しているけれども、「三八、九六一円」が計算上正しいので、二九円差(過少償却)が生じている。次に「シヤツター設備」につき一、二一一円を計上しているけれども「一、二九三円」が計算上正しいので、八二円の差(過大償却)が生じている。したがつて、右八二円と二九円との差引残五三円が被告の主張(四三、四九三円)額と当裁判所の右説示額(四三、四四〇円)との差となつているものである。

ロ 経費過少計上額一二二、九七六円があるので、これを右申告額から減額する。この内訳は、消耗品費四一、二〇〇円、燃料費八円、新聞代五三二円、固定資産減失損八一、二三六円である。これらは被告の主張額である。ところで、これらの金額を算出するに足りる証拠はないけれども、いずれも原告の決算額よりも右被告の主張額の方が原告に有利であるから、立証を不用として、被告主張額のとおり経費過少額として減額計算の基礎とする。

以上の、青色申告決算額に右経費過大計上額を加え、右経費過少計上額を減額すると差引残一二〇、四三四円をもつて昭和三九年分の公表所得額と認めるのを相当とする。

なお、被告は「期末たな卸計上もれ額一、五七四、二五六円を加え、期首たな卸計上もれ額四三、六一六円を控除する。」旨主張するけれども、これを肯認するに足りる証拠はない。

(3) 昭和四〇年分公表損失金額九九、七二九円

原告の当年分の青色申告決算の所得金額が三八七、六五一円である事実は当事者間に争いがない。

イ 出資金計上もれ額三万円

成立に争いのない乙第一〇四号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一五四号証によれば、原告が昭和四〇年一月二八日訴外山下町商店街協同組合の出資金として金三万円を支払つているところ、これを組合費に計上してあるけれども、資産と認められる。したがつて右三万円を「出資金計上もれ額」として前記申告額に加算する。

ロ 経費過少計上額の計一二五、五一八円を減ずる。

この内訳は次のとおりである。すなわち、昭和四〇年五月に自動車(クラウン)を取得し、同年七月に自動車(コロナ)を取得したことにより発生した分として、自動車税一一、五〇〇円、保険料七三、〇六〇円、手数料二、四〇〇円である。これらは被告の主張額であるが、いずれも原告の決算額よりも右被告の主張額の方が原告に有利であるから、立証をまたずに、被告主張額のとおり経費過少計上額として減額計算の基礎とする。

さらに、減価償却費の過少計上額分として三九、三四二円がある。すなわち、青色申告決算上における減価償却費(原告記帳額)が三八三、四七七円である。(この事実は、成立に争いのない乙第一二二号証の二により認められる。)ところ、その正当額は四二二、八一九円(但し、別表六、昭和四〇年分償却額を、後述のとおり一部訂正し、別表七を加算した額)であるからその差額三九、三四二円を過少計上額として前記申告額から減ずることとする。

なお、別表六、昭和四〇年分償却額欄の訂正は次のとおりである。すなわち、「トヨペツトコロナ」、欄六七、三二八円を「六八、〇〇一円」に、「看板」欄三八、九九〇円を「三八、九六一円」に、「シヤツター設備」欄二、〇七七円を「二、二一七円」に、「正当額計」欄三九四、八一九円を三九五、六〇三円に、したがつて、「差引額計」欄五〇、二二二円を「五一、〇〇六円」に、各計算誤りとして訂正する。これを前提に、右訂正後の「差引額計五一、〇〇六円」と別表七(3)昭和四〇年分償却額「差引金額△一一、六六四円」とを差引した残が頭初の三九、三四二円となる。

ハ 譲渡所得の損失額三九一、〇七八円があるので、これも前記申告額から減ずる。

すなわち、原告の所有にかかる自動車(トヨベツト)の譲渡時における価額四二一、〇七八円(取得価額から減価償却費を控除した額)から下取価額三万円を控除した金額である。これは被告の主張額であるが、原告に有利であるから、立証をまたずに、減額計算の基礎とする。

したがつて以上の加減をすると、昭和四〇年分の公表所得は損失額九九、七二九円となる。なお被告は「期末たな卸計上もれ額七〇九、九九八円を加え、期首たな卸計上もれ額一、五七四、二五六円を減ずる。」旨主張するけれども、これを肯認するに足りる証拠はない。

3  右三か年の総所得金額は次のとおりとなる(別表二〇)。

昭和三八年分・・・三〇、〇七六、二八五円。

昭和三九年分・・・二六、〇〇五、七八五円。

昭和四〇年分・・・一〇六、一二九、九二八円。

四  (結論)

本件係争各年の各総所得金額として当裁判所は別表二三「当裁判所認定額」欄のとおり認めるので、昭和三六、三七年の二か年分については、「当裁判所認定額」の範囲内で本件課税処分がなされていることに帰するから右課税処分は適法である。しかし、昭和三八ないし四〇年の三か年分については「当裁判所認定額」をいずれも超過している(なお、この超過額は別表二三D「本訴で取消すべき額」欄のとおりである。)ので、「本件課税処分における額」欄の各総所得金額を前提とする本件課税処分は、右超過額部分を前提とする処分部分に限り取消すこととする。

次に、昭和三九年分の過少申告加算税は、青色申告決算額一八八、一七〇円を超過する公表所得があつたとして賦課決定されている。しかし、既に説示したとおり、当裁判所の認定した当年分の公表所得は一二〇、四三四円であるから(別表二二昭和三九年分。別表二〇Ⅰ)、右青色申告決算額を超過していないことは計数上明らかである。したがつて、右超過額があることを前提とする右過少申告加算税は全部取消されるべきことに帰する。

よつて本訴請求中、右取消されるべき限度において認容し、その余を失当として棄却すべく(なお昭和三八ないし四〇年分が青色申告書提出の承認を取消されたうえ、本件課税((推計課税))処分されている事実は、当事者間に争いがない。)訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤広国 裁判官 籠前三郎 裁判官 川勝隆之)

別表一 普通預金入金状況表

(備考欄を除き金額単位 千円)

<省略>

注 区分欄の<1>は入金総額 <2>は利息額 <3>は<1>から<2>を控除した純入金額である。なお、順号6の口座の昭和38年の<2>の金額5,047千円には、利息額のほか他の預金口座からの振替入金を含む。

別表二 普通預金出金状況表

<省略>

注 区分欄の<1>は出金総額 <2>は他の預金に振替えのための出金 <3>は<1>から<2>を控除した純出金額である。

別表三 預手手交一覧表

<省略>

<省略>

<省略>

別表四 昭和33年ないし昭和37年の取引別出金(仕入金額)区分表

<省略>

(注)「回数」「金額」欄の、上段は密輸等取引、中段は白金取引、下段はその他のそれぞれの出金(仕入金額)である。

別表五 昭和38年ないし昭和40年分の総所得金額およびその内訳表

<省略>

(注)1.金額単位は、<1>については千円、その他は円である。

2.△印は損失額である。

3.H=171,431,404円=198,734,904円-27,303,500円

(別表八40年末現在額)(同表37年末現在額)

別表六 昭和38年ないし昭和40年分の公表分の建物以外の資産にかかる減価償却費計算表

<省略>

別表六 昭和38年ないし昭和40年分の公表分の建物以外の資産にかかる減価償却費計算表

<省略>

別表七 昭和38年ないし昭和40年分の公表分建物減価償却費計算表

<省略>

(注)耐用年数償却率

昭和38,39年分について 旧所得税法(昭和40年法律第33号改正前)10条の3、1項、同法施行規則(昭和22年勅令110号)10条1項、3項、同法施行規則(昭和22年大蔵省令29号1条の11(昭和39年分については1条の12)旧固定資産の耐用年数等に関する省令、昭和26年大蔵省令50号)

昭和40年分について 所得税法第49条2項、同法施行令129号、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年大蔵省令15号)

別表八 昭和38年ないし昭和40年分の簿外取引にかかる純資産増加額表

<省略>

(注)△印は、減少を示す。

別表八 昭和38年ないし昭和40年分の簿外取引にかかる純資産増加額表

<省略>

(注)△印は、減少を示す。

別表九 昭和38年ないし昭和40年の普通預金増減表

<省略>

別表一〇 昭和38年ないし昭和40年の定期預金増減表

<省略>

別表一一 昭和38年ないし昭和40年の貸付金増減表

<省略>

別表一二 昭和38年ないし昭和40年の器具備品、および建物の増減表

(1)器具備品

<省略>

(2)建物

<省略>

(注)耐用年数償却率

昭和38、39年分について 旧所得税法(昭和40年法律第33号改正前)10条の3、1項、同法施行規則(昭和22年勅令110号)10条1項、3項、同法施行規則(昭和22年大蔵省令29号)1条の11(昭和39年分については1条の12)旧固定資産の耐用年数等に関する省令(昭和26年大蔵省令50号)

昭和40年分について 所得税法49条2項、同法施行令129号、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年大蔵省令15号)

別表一二 昭和38年ないし昭和40年の器具備品、および建物の増減表

(1)器具備品

<省略>

(2)建物

<省略>

(注)耐用年数償却率

昭和38、39年分について 旧所得税法(昭和40年法律第33号改正前)10条の3、1項同法施行規則(昭和22年勅令110号)10条1項、3項、同法施行規則(昭和22年大蔵省令29号)1条の11(昭和39年分については1条の12)旧固定資産の耐用年数等に関する省令(昭和26年大蔵省令50号)

昭和40年分について 所得税法49条2項、同法施行令129号、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年大蔵省令15号)

別表一三 昭和38年ないし昭和40年の土地増減表

<省略>

別表一四 昭和39年ないし昭和40年の未経過保険料内訳表

<省略>

別表一三 昭和38年ないし昭和40年の土地増減表

<省略>

別表一四 昭和39年ないし昭和40年の未経過保険料内訳表

<省略>

別表一五 昭和38年ないし昭和40年分の店王貸内訳表

<省略>

別表一五 昭和38年ないし昭和40年分の店王貸内訳表

<省略>

別表一六 昭和38年ないし昭和40年分の店王借内訳表

<省略>

別表一七

本件課税処分の経緯

<省略>

注税額算出

<省略>

別表一八 被告主張の所得の計算表

<省略>

<省略>

別表一九 被告王張の公表所得(38~40年分)の計算表

<省略>

別表二〇 当裁判所の認定した所得の計算表

<省略>

<省略>

別表二一 当裁判所の認定した簿外取引による所得

<省略>

<省略>

別表二二 当裁判所認定の公表所得 (38~40年分)

<省略>

別表二三

総所得金額の対比

<省略>

注 A=別表一七の総所得金額

B=別表一八

C=別表二〇

D=A-C=本訴で取消すべき額

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