横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)928号
原告
本田英男
右訴訟代理人弁護士
川又昭
(ほか三名)
右川又昭訴訟復代理人弁護士
猪俣貞夫
輿石英雄
被告
東京芝浦電気株式会社
右代表者代表取締役
土光敏夫
右訴訟代理人弁護士
鎌田英次
同
竹内桃太郎
同
渡辺修
右当事者間の懲戒処分受忍義務不存在確認請求事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
1 被告が昭和四五年二月二五日原告の同年二月分の賃金から金四四六円を差引いてなした減給処分の無効であることを確認する。
2 被告は、原告に対し、金四四六円およびこれに対する昭和四五年六月四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者双方の求める裁判
一 原告
主文と同旨の判決および主文第二項につき仮執行の宣言。
二 被告
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者双方の主張
一 請求原因
1 被告は、電気機械等の製造・販売等を目的とする株式会社である。
原告は、昭和四二年三月一七日被告に準社員として雇われ、同年一〇月一日に社員となり、以来、横浜市鶴見区所在の鶴見工場において勤務し、昭和四五年一月当時同工場変圧器組立工作課のコイル絶縁組立吉沢組に属していた。
2 被告は、昭和四五年二月二五日、原告に対し同年二月分の賃金額から金四四六円を差引いて残りの金二万四八九九円を支給し、もって、金四四六円の減給処分(以下「本件減給処分」という。)をなした。
3 しかし、本件減給処分は何ら正当の理由の存しない違法、無効のものである。
4 原告は、本件減給処分を受けたことにより、将来制裁を科せられるような場合、一層不利な処分を招く虞れのある不安定な立場にあるばかりでなく、今後の昇給、賞与の支給等において不当な差別的な取扱いを受ける虞れもある。したがって、原告としては、その控除された金員の返還のみでなく、本件減給処分それ自体の無効確認を求める利益を有するというべきである。
5 よって、原告は被告に対し、本件減給処分の無効であることの確認と右控除された金四四六円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年六月四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否および抗弁
1 請求原因1、2の事実はいずれも認めるが、同3、4の主張は争う。
2 本件減給処分の理由は、次のとおりである。
原告は、昭和四五年一月一四日朝、安保摘発海芝実行委員会作成名義の「海芝の青春」第二号「,七〇のバラッド」と題するビラを、鶴見工場七号館内の便所三か所、合計一一の大便所の中の水洗の把手に吊るし、誰でも任意に持ち去ることができるようにしておいた。
ところで、被告の就業規則第六条には「一般的規律」を定めて、冒頭に、「社員は、次の各号に掲げる行為をしてはならない。」とうたい、その五号には、「工場構内において、許可なく集会、放送、掲示、ビラの配布等を行うこと。」と規定しているところ、原告の右所為は同号にいう「ビラの配布」に該当するので、被告は減給処分事由を規定した同規則第九八条一五号(「就業規則及びこれに基く諸規程に違反したとき」)に従い、原告に対し本件減給処分をしたものである。なお、「ビラの配布」とは、ビラの内容を知らせ訴えるために、ビラを他人に取得させる措置をとることをもって主体とするのであって、その手段、方法としては、直接手渡すこともあれば、ビラ・スタンドの如きものに積み上げておくこともあるが、しかし、こういう原型的な場合に限られるわけではなく、原告の本件ビラ吊り行為もこれに含まれることは明らかである。
三 抗弁に対する認否
1 抗弁事実(二の2)のうち、原告が被告主張の日時、場所、態様のもとにビラ吊り行為をしたこと、就業規則第六条五号、第九八条一五号にはその主張のとおりの規定のあることは、いずれも認める。なお、原告は、ビラを三枚位ずつ、その角に糸を通して括り、吊り下げたもので、これを吊した時間は、始業時刻の午前八時以前である同七時一五分頃から七時三〇分頃までのおよそ一五分間であった。
2 原告の右ビラ吊り行為が就業規則第六条五号にいう「ビラの配布」に該当するとの点は否認する。すなわち、「ビラの配布」という概念は、同号に規定されている集会、放送、掲示などと同様にその行為自体が直ちに人の耳目の感覚機能に訴えるものであるが、原告のビラ吊り行為は本質的に右と類型を異にし、場合によっては人の耳目にふれることなく終るものであるから、その内容、態様からいって上記の概念には該当しないというべきである。
四 再抗弁(本件減給処分の無効事由)
1 (手続上の瑕疵)
本件減給処分には、次のような手続上の瑕疵があるので無効である。
就業規則第九七条二号には、「減給は、一回の額が平均賃金の半日分、総額が締切期間の給与の一〇分の一をこえない範囲内で給与を減ずる。」と規定され、さらに、同条冒頭には、右処分は「原則として文書を交付して……これを行う。」旨規定されているから、これら規定の趣旨に照らせば、被告は減給処分を科する場合には、被処分者に対し、事前に文書または少くとも口頭で、減給の額を知らせる義務があるというべきである。しかるに本件においては、昭和四五年二月六日午後四時頃、原告の上司佐藤武変圧器部長が同部長室において、同部副部長清水栄、同部庶務係山下光広および石原主任の立会いのもとに原告に対し減給に処する旨の同日付示達書(<証拠略>)を交付し、その際、同年二月分賃金から減給する旨およびその減給期間は長期にわたるべき旨を言明したにとどまり、減給すべき金額については何らの告知もなかった。原告が減給額は四四六円であることを知ったのは、同月二五日に、賃金の支給を受けた折、交付された給与明細書(<証拠略>)に「減給」として四四六円と記載され、同額の金員が差引かれているのを見たときである。
よって本件減給処分は、その手続上、重大な瑕疵が付着しているので、効力を有しないものと解すべきである。
2 (懲戒権の濫用)
仮に、原告の本件ビラ吊り行為が外形上就業規則第六条五号に該当するとしても、本件減給処分は次の理由により、懲戒権の濫用によるものであって無効である。
(1) 本件ビラは、原告をその構成員とする「安保摘発海芝実行委員会」の発行したものであり、ビラの趣旨とするところは、“安保条約がある限り沖縄を含め日本全土がアメリカ帝国主義のベトナム侵略の基地とされ、ひいては自衛隊の核武装化にも繋がり、アメリカ帝国主義と結託している日本独占資本はこれによって益々肥え太ろうとしている、他方、原告ら労働者は低賃金、労働強化、合理化によって考える力、生きる意欲さえ奪われようとしている、安保条約体制による破滅の道に進むか、それとも安保条約を廃棄して平和の道を進むか、いまこの二つの道の何れをとるかの真ただ中に置かれているこの現実を直視せよ”というもので、すぐれて政治的内容をもつものであり、こうしたビラの配布を含む政治活動の自由は、民主主義を基本原理とするわが日本国憲法下においては、最大限に保障されるべきであること。
(2) 従来、被告の従業員以外の日本共産党員、日本民主青年同盟員らが工場門前でビラの配布をしても、被告の職制や守衛が監視していて、一般従業員は受け取りたくとも中々受け取れず、受け取っても門の近くに容器が置いてあり、そこに捨てるよう書いてあるため、職制らの右監視と相まって、ビラは捨てざるを得ないような状態になっていた。かかる事情から、原告としては便所の把手に吊るしておけば、門前で配布するときのように無理に受け取らせようとしなくても済み、かつ、ビラを取ったり読んだりすることを誰からも監視されず、また、それによって被告からいわれのない不利益な処置を受けないで済むという利点があると考え、ビラ吊り行為に及んだのである。
かように、原告の本件ビラ吊り行為はやむを得ずなされた所為であるとともに、その時間、内容、態様からして、行為それ自体被告にとって極めて軽微な、改めて取り上げるに足らぬものというべきであること。
(3) 使用者が労働者に対し懲戒処分を科し得るためには、単に形式的に懲戒条項に該当する行為が存したというだけでは足りず、右行為によって経営秩序が乱され、企業活動に支障を来たす危険が現実かつ具体的に存在すると認められる場合でなければならないところ、原告のビラ吊り行為にはそのような危険の存在は認められず、その行為自体からみて、一般従業員が用便の際持ち込んだ新聞紙や出勤の途次受け取ったビラなどを便所内に放置してくる所為と何ら差異はないこと、まして、鶴見工場の従業員用便所内には、従来から赤鉛筆、ボールペン、マジックペン、チョーク等様々な用具によって多くの落書がされており、その中には労働組合活動に関するもの、例えば春闘の妥結額が一万円以下なら反対しようとか、春闘を戦闘的に戦おうなどという趣旨のものも見られ、そのため大抵の便所では、遅くとも半年に一回、早ければ三、四か月に一回位の割合でペンキ塗装されているが、ビラ吊り行為を右のような落書と区別して扱わなければならない合理的理由はないこと。
(4) 就業規則第九八条は、その冒頭に、「次の各号の一に該当するときは、減給に処する。但し情状により譴責にとどめることがある。」旨規定しているところ、原告の本件ビラ吊り行為の内容、態様に照らせば、本件減給処分は、もはやその程度、方法において客観的妥当性を有せず、必要、かつ、最少限度の範囲を超えていることは明白であること。
(5) 以上(1)ないし(4)の事由によれば、本件減給処分は懲戒権の濫用にわたるものとして無効である。
3 (思想、信条による差別)
被告は、原告が日本共産党員あるいは日本民主青年同盟員であるとしてその思想、信条を嫌悪し、その結果、原告に対し本件減給処分を科したものにほかならないから、これは憲法第一四条、第一九条および労働基準法第三条に違反し、無効である。
すなわち、被告は就業規則の適用について、日本共産党員、日本民主青年同盟員と目される者とそうでない者(労使協調路線をとる者)とを截然と区別し、前者が社内便(各職場に必要に応じて設けられ、工場構内における仕事上の事務連絡に用いられている私設郵便箱)を私的に利用したときは始末書の提出をもって迫り、後者の社内便利用に対しては全く問責せず、また、前者が組合役員に立候補したときは、昼休み時間、それも実質三〇分位しか立候補挨拶が出来ない状態に監視しているのに対し、後者が組合役員に立候補したときは、就業時間中に各職場を自由に挨拶回りしても何ら規律違反を問わず、さらには、国会議員の選挙に関して特定政党の機関紙、特定候補の励ます会入会申込書を就業時間中一定工場の全組合員に配付しても、それを全く放任し、注意も与えないという態度をとっている。そして、右のような差別的扱いは、社員資格の取得や賃金の点にまで及んでいる。
かように被告は、日本共産党員等に対しその思想、信条を嫌悪して種々の分野で差別的取り扱いをなしてきており、原告に対する本件減給処分も、右と同じ観点に立脚して発せられたものにほかならない。このことは、次に述べる諸事情によって裏付けられる。
(1) 所持品検査の異常性
原告は本件ビラ吊りをした当日(昭和四五年一月一四日)、その退社時に、守衛所において所持品の検査を受けたが、この検査は原告をビラ吊りの行為者と定めて行った狙い打ち的なものであった。すなわち、入社以来一度も一緒に帰ったことのない上司の三橋主任がその日はたまたま一緒になったような態度を装って原告とともに退社し、守衛所に差し掛かったところ、同主任は自分の鞄のチャックを自ら開けて中を見せるという態度に出たが、それに続いた原告は、守衛からその所持する紙袋の中の物を取り出されて、本件ビラと同種のものを見付けられたのである。これは、被告の意を受けた守衛と三橋主任が、意思を通じてなした原告狙い打ちの所持品検査であることは明らかである。
(2) 取調べの異常性
原告は本件ビラ吊りをした翌々日(同年一月一六日)、その件について、勤労課員一名および吉沢組長の立会いのもとに、石原寛総務部勤労課主任に午後二時頃から同五時一五分頃まで三時間余にわたって取調べを受けた。原告は、真実を言えば差別扱いをされると思い、自分を守るために暖昧な返事をしていたところ、石原主任は机を叩きながら感情的になって、脅したり、なだめたりあるいはすかしたりしながら追及してきたため、結局事実を認めてしまったのである。当時、まだ未成年の原告に対し、三人掛りで三時間余にわたって取調べを強行するということは、たとい原告が曖昧な申し開きをしたからといって、それ自体極めて異常なことである。
(3) 上司の原告に対する言動
同年二月一〇日から一四日にかけて、原告の当時の上司である中村作業責任者、斎藤班長および原告の入社当時の上司である武井班長らは、こもごも原告に対し、原告が民青の活動をしていることを前提としてその活動をやめるよう干渉してきた。
(4) 大橋寮長の言動
原告は同年二月一九日頃、福島県伊達郡川俣町の実家から母が風邪で寝込んでいるから帰って来るようにとの電話があった旨寮母より伝言を受けたが、翌二〇日夜、原告が自ら電話したところ、父母らはかわるがわる母は病気ではないが、とにかく会社をやめて帰郷し、新しいところに就職せよということであった。これは、大橋寮長が原告の実家に対し、本件ビラ吊り行為のため、今後原告はボーナスを三分の一に減らされ、昇給、昇格もないから帰郷を促した方が良いというような連絡をしたことによるものである。こうした経緯から、原告は一旦帰省したが、実家では原告のために就職先(ガソリンスタンド)まで定めていた程である。
このようなことが大橋寮長の一存でなされたとは到底信じられず、同寮長が被告の意を受けて原告の退職方を強く働きかけたことは明らかである。
(5) 原告の社員資格および賃金
昭和五二年四月の時点において、原告は勤続満一〇年余、年令は二六歳であるが、社員資格は二級、基準賃金は金九万一五〇円に押えられている。被告の標準に照らせば、原告と同年令の者はすべて社員一級(一一パーセント)か技士補(八九パーセント)かであり、基準賃金は一〇万三四八九円となっている筈である。原告の現社員資格は二〇歳の者と同じであり、現賃金は二三歳の者が受ける賃金とほぼ同額であり、その手取り月額は金六万七五〇〇円という、独身なるがゆえに生活扶助を受ける資格に欠けるに過ぎないほど徹底した低賃金に押え込まれている。
これは、原告が本件裁判闘争を継続していることなどの理由とともに、被告が原告を共産党員等と目しその思想、信条を嫌悪していることの証左にほかならない。
五 再抗弁に対する被告の認否と反論
1 (手続上の瑕疵の主張に対し)
原告の主張事実(四の1)のうち、就業規則第九七条冒頭、同条二号にはその主張のとおりの規定があること、その主張の日時に主張の場所で、佐藤武部長が、原告主張の者ら立会いのもとに原告に対し減給に処する旨の示達書を交付したことおよび原告主張の日に原告に交付した給与明細書に、その主張のような表示をし、主張の金額の差引きを行なったことはいずれも認めるが、その余は否認する。懲戒処分としての減給処分は事実行為であると解すべきであるから、減給額の「事前の告知」は必要でないというべきである。したがって、本件のように一個の行為につき減給が科せられる場合には、就業規則上、一回の額は平均賃金の半日分と明定されているのであるから、要は、被処分者に対し懲戒として減給が行われることおよびそれが同人の如何なる行為を理由として行われるものであるかを了知せしめれば足り、減給額については、減給が現実に行われるとき、すなわち、賃金支払いの際に知らしめれば足りるのである。
本件においては、前記昭和四五年二月六日に、佐藤部長は原告に対し、懲戒減給として同月分の賃金から平均賃金の半日分を差引く旨告知し、同趣旨の文書をも交付しておいて、実際の賃金支払の際にその告知通りの控除を行ったのであるから、懲戒方法としての減給の本質からしても、就業規則の定めに照らしても、なんら誤りはない。
仮に、懲戒方法としての減給を、減給相当額につき賃金請求権の発生を妨げ、または、発生した賃金請求権を消滅させる形成的効果を持つ意思表示と解して、「事前の告知」を要するものとしても、被告は原告に対し、書面をもって懲戒該当の事実を特定したうえ、就業規則所定の懲戒条項を引用して「減給に処する」旨明示し、さらに口頭で減給が二月分賃金について科せられる旨告知しているのであるから、就業規則第九七条二号の規定と相まって、「平均賃金の半日分」減額の効果は生じているというべく、手続上些かも瑕疵はない。
2 (懲戒権濫用の主張に対し)
(1) 本件ビラの内容は概ね原告の主張するような趣旨(四の2・(1))であることは認めるが、しかし、その内容が安保条約廃棄を推進する啓蒙的ビラであるとの点は、本件において何ら問題になる余地はない。
(2) 本件ビラ吊り行為の動機が原告主張のような趣旨(四の2・(2))であるとすれば、原告は右行為を、被告の許可を得ないで、秘匿して敢行すべく積極的に意図して行ったものであることが明白であり、これは、原告において工場構内の秩序維持上重要な禁止条項の一つを意図的に侵害し、これを空文化しようとしたものと言わざるを得ない。そうであれば、原告の責任は重大である。
(3) 原告は、懲戒処分の要件として経営秩序に対する具体的危険の存在を主張(四の2・(3))しているが、しかし、就業規則第六条五号は、工場秩序に対する危殆を未然の段階で防止せんとするもので、いわゆる抽象的危険の観点から禁制されたものであるから、右主張自体失当である。すなわち、工場は本来、専ら生産活動の用に供されている施設であり、個々の従業員が工場への立入りを許容される根本は、そこで労働契約上の労務を提供し、求められる生産活動に専念するためにほかならない。したがって、工場が専ら生産活動の場に徹し、そこでは最高の効率をもって生産活動が展開されているということ、それこそが工場における規律であり、秩序そのものである。このような場において、一定の主義、主張あるいは行動を呼びかけるビラ配布行為を放任すれば、ひとつの行為は第二、第三の行為を呼び、更に次々と連鎖的に新しい行為を誘発して、遂には収拾すべからざる状態にまで立到らないとは何人も保障し得ざるところである。そしてこのような場合、連鎖的に発展する現象を、その途中におけるいずれかの一時点に限って、その前を許される行為とし、それ以降を許されざる行為とすることはできず、一律的な取り扱いをすべきであり、ビラ配布禁止についても、原告の主張するような経営秩序に対する具体的危険の発生をその要件とすることは妥当ではない。
また原告は、本件ビラ吊り行為が就業時刻前であったことを強調しているが、しかし、構内における無許可ビラ配布禁止は、従業員の職務専念義務違反を問題とするものではなく、工場構内における秩序維持の問題であるから、右秩序侵害行為を禁遏すべき必要は、行為者の勤務時間中であると否とにかかわるものではない。
さらに原告は、本件ビラ吊り行為は一般従業員が持込んだ新聞やビラを放置するのと差異はないと主張するが、右行為の動機、内容、態様に照らせば、両者はその本質の異なるものであることは明らかである。
そして、原告の例示する落書といえども決して許された行為ではなく、これが建物を毀損するに至れば、就業規則第九八条一二号の「会社の施設、機械、器具、製品、用度品、文書その他の物件を損じたり、なくしたり、濫用したりしたとき」に該当し、減給または譴責の懲戒事由となるのであり、ただ、事の性質上、その行為者を把握し難いために、その責を問うことができないだけのことである。
(4) 就業規則第九八条冒頭に原告主張(四の2・(4))のとおりの規定のあることは認めるが、原告のビラ吊り行為の内容、態様に、本件減給処分が減給額金四四六円であることを併せ考えると、右処分は決して過重ということはできない。
(5) 右(1)ないし(4)のとおり、原告が懲戒権濫用として主張している事項は、いずれも主張自体失当であり、本件減給処分は相当なものというべきである。
3 (思想、信条による差別の主張に対し)
原告は、本件減給処分は被告が原告を日本共産党員等と目し、その思想、信条を嫌悪してなしたものである旨主張し、その証左としていくつかの情況的事実を挙示(四の3・(1)ないし(5))しているが、しかし、(1)の所持品検査は、そもそも三橋主任は原告の本件ビラ配布行為については全く関知していなかったのであるから、この点に関する主張はその独断的な推測にすぎないし、また、(2)の取調べは、原告が曖昧な態度で事実を隠蔽しようとしたのであるから若干時間がかかったとしてもやむを得ないことであり、(3)の上司の言動も、本件減給処分は既に昭和四五年二月六日に原告に通告されていたのであるから、その後の上司の言動は問題となる余地がないばかりか、斎藤は直属班長、武井は原告入社当初約二年半の班長ということから、むしろ親心をもって原告のため心配してやったにすぎず、(4)の大橋寮長の言動については、同寮長は、当人のみならずその妻も原告と同郷で、原告入社時にその父親から原告のことを個人的に頼まれた関係があり、ために、仮に原告主張のような言動があったとしても、それは本件減給処分通告後のことであるうえ、原告との私的な関係に由来するもので、被告の与り知らない事柄であり、そして、(5)の原告の社員資格、賃金のごときは、本件とは無関係である。
以上のように、原告の挙示する情況的事実はすべて無意味であり、被告が原告について何らかの関心ないしは警戒を抱いていたこともないから、本件減給処分をもって原告の思想、信条の自由に対する干渉の一環と解すべき余地は全くない。
第三証拠関係(略)
理由
一 請求原因1、2の事実については当事者間に争いがない。
二 本件ビラ吊り行為について
1 (行為の内容)
原告が昭和四五年一月一四日朝、安保摘発海芝実行委員会作成名義の「海芝の青春」第二号「,七〇のバラッド」と題するビラを鶴見工場七号館内便所三か所、合計一一の大便所の水洗の把手に吊るし、誰でも任意に持ち去ることができるようにしておいたことは、当事者間に争いがないところ、(証拠略)によれば、それは始業時刻前である午前七時一五分頃から同七時半頃にかけて行なわれ、その態様は、ビラを三枚位ずつ、一隅を糸で綴じて吊り下げたものであることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。
2 (ビラの内容)
本件ビラの要旨が再抗弁2・(1)記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。
3 (原告の動機)
原告本人尋問の結果(第一回)によれば、原告としては、本件ビラを、守衛、時には管理職なども監視している工場門前で配布すれば、ビラの内容などから配布する原告自身が被告から将来不利益な処置を受ける虞れがあるし、一方、配布を受けた者も守衛等の目を意識してビラを読み通すことなく直ちに捨て去るなどの行為に走りがちになると考え、かような結果を避けるため、本件ビラ吊り行為に及んだことが認められる。
4 (被告の対応)
(1) (証拠略)によれば、本件に先だち昭和四四年一二月二四日にも同じ「安保摘発海芝実行委員会」作成名義の「海芝の青春」と題するビラ(<証拠略>)が鶴見工場の便所一〇か所、約三〇の大便所に、本件と同様な方法で吊るされていたので、被告は早速そのビラ約五〇枚を回収し、同工場の勤労課において行為者を調査したが判明しなかったこと、さらに、本件ビラ吊り行為のあった昭和四五年一月一四日には、他にも同工場の便所六か所(五号館内二か所、八号館内一か所、九〇号館内二か所、九号館内一か所)、約一七の大便所に本件ビラと同一のものが、同様の方法で吊るされてあったので、被告は本件ビラを含め合計約五〇枚のビラを直ちに回収するとともに行為者の調査を始めたことが認められ、これを動かし得る証拠はない。
(2) (証拠略)を総合すれば、昭和四五年一月一四日午後五時半頃、退社しようとしていた原告は、たまたま同行してきた上司である三橋主任とともに通用門(海芝浦門)に差し掛かったところ、守衛によって所持品の点検を受け、携帯していた紙袋の中を調べられて在中していた本件ビラと同一のビラ一二枚(三枚綴りのもの四組)を発見されたこと、さらに、翌々日の同月一六日午後二時過ぎ頃、原告は、その上司である吉沢組長を介して鶴見工場総務部勤労課の事務所(同工場五号館内)に呼び出され、吉沢組長立会いのもとに同課の石原寛主任ほか一名から事情聴取を受けたこと、その際原告は、当初本件ビラ吊り行為を否認し、所持品点検において発見されたビラは昼休みに同工場七号館内の便所に置かれていたものを持ってきた旨弁明していたが、石原主任らに鋭く詰問されるに及んで、本件ビラを、みずから前記のように七号館内の便所三か所、合計一一の大便所に吊るしたことを認めるに至ったこと、石原主任は、同日発見されたその余のビラおよび昭和四四年一二月二四日の件についても原告を追及したが、これらについては原告は無関係である旨申し述べたため、午後五時過ぎに事情聴取を終了したこと、かくしてその場で、原告は、石原主任の指示に従い、本件ビラ吊りの前後における一月一四日の行動を記述し、かつ、その末尾に、「今後はもうやりません。」と記載した「てん末書」と題する書面(<証拠略>)を作成し、これを同主任に交付したこと、以上の事実が認められ、これを左右し得る証拠はない。
三 そこで、前項に認定の事実に基づいて、本件減給処分の効力につき検討する。
1 被告の就業規則第六条には「一般的規律」を定め、その冒頭には、「社員は、次の各号に掲げる行為をしてはならない。」とうたい、その五号には、「工場構内において、許可なく集会、放送、掲示、ビラの配布等を行うこと。」と規定されていることは当事者間に争いがないところ、原告は本件ビラ吊り行為は、右にいわゆる「ビラの配布」に該当しないと主張する。
思うに、用語の厳密な使用方法にかかずらわれば、本件ビラ吊り行為が右規則にいう「ビラの配布」という概念の中に包含されると解することには、いささか違和感もないではない。しかしながら、ビラの配布を就業規則上許可にかからしめて、これを規制しているゆえんは、行為それ自体がその方法、規模、態様の如何により、職場の規律、能率に支障を及ぼす可能性を有していることによるばかりでなく、ビラの内容によっては、右内容そのものが職場の秩序をびん乱させ、かつ、連鎖反応的にびん乱を増幅させる結果をもたらすことを危惧することによるものと解せられるから、そうであれば、本件ビラ吊り行為は、その効果の点において、不特定多数の人に直接手渡す、いわゆる通常のビラの配布と少しも変りなく、その動機の点において、これが前認定のとおりビラの門前配布の代替としてなされていることを併せ考えると、就業規則第六条五号にいう「ビラの配布」にあたるものと解するのが相当である。したがって、原告の上記の主張は採用することができない。
2 就業規則第九七条二号には、「減給は、一回の額が平均賃金の半日分、総額が締切期間の給与の一〇分の一をこえない範囲内で給与を減ずる。」と規定され、また、同条の冒頭には、右の処分は「原則として文書を交付して……これを行う。」と定められていること、被告の佐藤武変圧器部長は、昭和四五年二月六日午後四時頃、同部長室において同部副部長清水栄ら立会いのもとに、原告に対して減給に処する旨の同日付示達書(<証拠略>)を交付したこと、そして、同月二五日に賃金を支給した際、原告に交付した給与明細書(<証拠略>)に「減給」として四四六円と表示し、同額の金員の差引きを行なったことは、いずれも当事者間に争いがない。
ところで、原告は、減給処分を科する場合には、被処分者に対してあらかじめ文書または少くとも口頭で具体的な減給の額を知らせる義務があるとし、これをしていない本件減給処分には手続上の瑕疵がある、と主張する。しかしながら、上記就業規則の定めは、労基法九一条の規定を参照して勘案すれば、減給は、一回の規律違反について平均賃金の半日分以内、もし違反が数回繰り返されたときは一賃金支払期における賃金(例えば月給)の一〇分の一以内でなければならない、という意味に解すべきである。とすれば、平均賃金の算定については、減給の意思表示が被処分者に到達した日、すなわち本件においては昭和四五年二月六日を基準にすべきものと解するのが相当であるから、おのずから被処分者たる原告は減給額の最高限度を了知しているわけであり、他方、右の限度内における減給額の如何によって不服申立の方法に差異があるなどという事情もないのであるから、賃金から現実に控除のなされる以前に被処分者にあらかじめ具体的な減給額が告知されていなくとも、同人の利益が害される理はない、といわなければならない。してみれば、上述の経緯に鑑みるとき、本件減給処分の手続には何らの不備もないというべきであり、この点についての原告の主張は採用のかぎりでない(なお、原告は、示達書の交付にあたって、佐藤武部長は原告に対し、本件減給処分は長期にわたると述べた旨主張し、<証拠略>の記載および同供述には、右主張に添う部分があるけれども、これら記載および供述は、<証拠略>に対比して措信し難い。)。
3 次に、原告の懲戒権濫用の主張について検討する。
就業規則第九八条には、その冒頭に、「次の各号の一に該当するときは、減給に処する。但し情状により譴責にとどめることがある。」と定め、その一五号には、「就業規則及びこれに基く諸規程に違反したとき。」と規定されていることは、当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない(証拠略)によれば、右就業規則においては、「懲戒は譴責、減給、出勤停止及び懲戒解雇の四種」(第九七条冒頭)とされ、かつ、「譴責は、将来を戒める。」(同条一号)とされていることが認められる。
そこで翻えって、被告が原告に対し本件ビラ吊り行為につき減給処分をもって臨んだことが相当であったか否かにつき考究するに、
<1> 原告は本件ビラ吊り行為につき、昭和四五年一月一六日、勤労課の石原主任らから取調べを受けたうえ、同人の指示に従い、末尾に「今後はもうやりません。」と記載したてん末書を作成提出していることは前認定のとおりであり、そして、(証拠略)に徴すれば、被告の就業規則には特に始末書あるいはてん末書などに関する規定は設けられておらず、叙上のてん末書は、被告が本件ビラ吊り行為の過程を確認するため原告に作成せしめたものであることが窺えるけれども、しかし、前認定のような事情聴取の経緯および用いられた文言等に照らせば、右てん末書の作成提出は、被告にとっては、原告の規律違反行為を認定し、原告に対して将来同様の違反行為を繰り返さないよう戒める意味をもつ行為であるとともに、他面、原告にとっては、右規律違反行為の存在を自認して、将来これを繰り返さない旨の申述というべく、したがって、これは、なかば懲戒の一種としての譴責にひとしい実質を有するものと評価できること、
<2> そして、右てん末書の作成提出ののち、二〇日以上も経った昭和四五年二月六日になって、被告は原告に対し、前記のとおり減給に処する旨の示達書を交付しているが、その間、原告に新たな規律違反行為など特段の変化が生じたと認むべき証拠は存しないこと、
<3> 本件のようなビラ吊り行為は、被告においてその行為者を容易に特定し難く、したがって、その禁遏も困難な、隠微卑劣な方法と解しうるけれども、他方、吊るした場所などから推して、これが多数の目に触れ、原告の企図した目的を達するには多分に偶然の要素が介在することも否定できないところであるのみならず、原告不知の間に、被告あるいはビラの内容、行為の態様等に反撥を覚える他の従業員によって、いち早く廃棄されてしまう可能性をも蔵しており、所詮、当時一八歳であった原告の幼稚、無思慮な方法ともみられること、さればこそ、前認定のとおり、ビラ吊り行為に供せられたビラは、その大半が早期に被告によって回収され、右ビラ吊り行為のために被告の企業秩序が乱され、あるいは乱される虞れがあったと認められる資料も見当らないこと、
<4> (証拠略)を総合すれば、同じく被告の従業員である野口薫(当時二四年)が、昭和四〇年四月中旬頃、回転機設計部のある鶴見工場一一号館内において、被告の許可なく、「大船撮影所を見学に行う!」と題する無署名のビラ約四〇枚を配付したところ、この件については被告もその所為を本件ビラ吊り行為と同じく就業規則第六条五号に違反するとしながら、同工場総務部勤労課において、同人から、その末尾に、「今後このようなことはいたしません。」と記載した、回転機設計部長あての同年六月一日付始末書を提出させただけで事を済ませ、懲戒処分に及んではいない事実が認められること、
<5> もっとも、前認定のとおり、鶴見工場の便所では、昭和四四年一二月二四日のみならず、本件ビラ吊り行為の発覚した当日にも、他に同様の方法によるビラ吊り行為が行なわれていること、そして、原告は被告の事情聴取に対して素直にこれに応ぜず、かなりの時間を経たのちようやく本件ビラ吊り行為を自認するに至ったものであること、以上のような事態が原告に対する被告の心証を害し、本件減給処分を導引した一因になったであろうことは推測に難くない。しかしながら、本件ビラ吊り行為以外のビラ吊りを、その行為者を確定できぬまま原告に対する懲戒処分に斟酌することの許されないものであることは固より、被告の取調べに対して、当初は頑迷な態度をとっていたとはいえ、終局的にはてん末書の作成提出までに至っているのであるから、原告の当時の年齢等を考慮すれば、直ちに右のような姿勢自体をその責任加重の一事由とみなすことも当を欠くといわねばならないこと、
右<1>ないし<5>に、原告の経歴など本件に顕われた諸般の事情を総合して判断すれば、原告に対し、本件ビラ吊り行為について最も軽い譴責処分にとどめることなく減給処分をもって臨んだことは、減給額が金四四六円にすぎないということを配慮しても、なお衡平妥当を欠き、合理的な裁量権の範囲を逸脱したものといわざるをえない。
3 してみれば、本件減給処分は、懲戒権を濫用してなされたものというべきであるから、その効力を有しないものと解すべきである。
四 原告としては、本件減給処分の存在により、将来にわたって昇給、昇格などにつき不利益な取扱いを受ける虞れがあるものと解せられるから、これが無効を確認する利益があるというべきである。
五 よって、原告が本件減給処分の無効確認を求め、かつ、減額された金四四六円とこれに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四五年六月四日から民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める本訴請求は、いずれも理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用し、なお、金員支払部分についての仮執行の申立てについてはその金額と本件事案の性質とに照らしその必要性が認め難いので却下することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中田四郎 裁判官 本田恭一 裁判官 杉本正樹)