大判例

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横浜地方裁判所 昭和46年(ワ)28号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕三、<証拠>によると次の事実を認めることができ、<反証排斥>。

1 亡豊次郎は、昭和二七年一月一六日訴外当志子と結婚し横浜市南区清水丘二〇七番地に世帯を構えて二人の子供をもうけたが、同二九年九月頃、亡豊次郎の実家である千葉県銚子市内浜町一、五四八番地に転居した。ところが、その頃から、訴外当志子は性格不一致との理由から亡豊次郎と不和になりはじめ、又、同人の両親とも円満を欠くようになつた。

2 亡豊次郎は、右転居の二、三ケ月後、船員として船に乗るため横浜に出たが、訴外当志子は子供と共に銚子市に残り、亡豊次郎の父親の所有するアパートの一室を無償で貸与をうけ、これに住みこんだ。そして、亡豊次郎からの仕送りの金員と、魚を加工する工場に働くなどして生活をしていた。

3 亡豊次郎は、横浜に出てから波工業株式会社でボートの艇長をしていたが、昭和三一年頃から原告と同棲をはじめて右会社を辞め、原告と共同して屋台店を出して商売していた。

原告は、離婚した夫から財産分与とか慰藉料等として、横浜市南区清水丘一一番地にあるバラック一棟を分与されたので、昭和三三年四月一日右バラック一棟を金一五五、〇〇〇円で売却し、なお訴外鈴木から金一〇〇、〇〇〇円ほど借金し合計金二五〇、〇〇〇円位で船を買い入れた。そして、原告は亡豊次郎から通船業の技術を教えてもらい、爾来共同して通船業を行い、亡豊次郎がなまけて仕事をしないときは原告がその仕事を引受けて行つていた。亡豊次郎が本件交通事故に遭遇した頃には若い衆を雇い、船も買い入れて四艘にふえており、亡豊次郎が死亡後は原告がその通船業を引継ぎ現在に至つている。

4 昭和三九年三月頃亡豊次郎の父親が銚子の前記アパートを売却し、横浜の亡豊次郎の姉の家で世話をうけることになつたので、訴外当志子はアパートから退去を余儀なくされ横浜に出てくることになつた。そこで、原告と亡豊次郎は横浜市保土ケ谷区和田町二二二番地に借間をさがし、訴外当志子は同年三月二九日移転して来た。

原告は、亡豊次郎の妹にあたる訴外松田トミ子を通じて訴外当志子に対して、亡豊次郎と離婚し籍を抜いてほしい旨申し入れたが、訴外当志子は、亡豊次郎と一緒に住むことは絶対にできないが、子供の学校が終る迄は籍を抜くことはできないとの返答であつた。

5 原告は、昭和三一年以来一四年間亡豊次郎と同棲をつづけ、世間的にも夫婦と見做され、亡豊次郎が本件交通事故後死亡する迄看病し、原告の家で葬儀も行つた。一方訴外当志子は亡豊次郎の看護をしないで、同人が死亡した夜だけ一晩泊つたにすぎない。

右認定事実によると、原告と亡豊次郎との内縁関係は重婚的な内縁関係にあるけれども、訴外当志子と亡豊次郎との婚姻関係がすでに形態化しているのであるから、原告は、かかる場合には一般に法律上の配偶者に準じて、本件交通事故による扶養請求権、慰藉料請求権が認められるべきである。

四 扶養請求権

被害者の遺族が、扶養請求権侵害による損害賠償請求権を取得するためには、被害者がその遺族を扶養できる状態にあつたことのほかに、その遺族が自己の財産又は労働によつて生活できないという扶養を必要とする状態にあつたことが必要である。

しかして、前記認定事実によると、原告は自己の資金を出して船を買入れ、亡豊次郎と共同して通船業を行つており、同人死亡後も引継いで今日に至つているというのであるから、原告が亡豊次郎の扶養を必要としていた状態でなかつたことは明白である。よつて、原告主張の扶養請求権侵害による損害賠償請求は理由がない。

五、慰藉料

本件交通事故に関する前記認定事故と弁論の全趣旨からすると、被告と亡豊次郎の過失割合は、被告八割、亡豊次郎二割と解するのが相当である。

又、原告本人尋問の結果によると、原告は最近心臓を悪くし労働に困難を感じていることが認められる。

右の事実に、原告が事実上の夫を失つた悲しみその他諸般の事情を斟酌すると原告に対する慰藉料の額は金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。 (石藤太郎)

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