横浜地方裁判所 昭和49年(モ)222号 判決 1974年9月12日
債権者
横浜市土地開発公社
右代表者理事
飛鳥田一雄
右訴訟代理人
増田次則
外一名
債務者
阿部昭吾
右訴訟代理人
近藤博和
外二名
第三債務者
国
右事務管掌者東京地方裁判所
歳入歳出外現金出納官吏
裁判所事務官
井坂英雄
主文
右当事者間の当庁昭和四八年(ヨ)第一一六七号債権仮差押申請事件について当裁判所が同年一二月二七日にした仮差押決定を取消す。
債権者の本件仮差押申請を却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者双方の申立
(債権者)
「主文掲記の仮差押決定(以下本件仮差押決定という。)を認可する。訴訟費用は債務者の負担とする。」との裁判を求める。
(債務者)
主文第一ないし第三項同旨の裁判を求める。
第二 当事者双方の主張
(債権者)
一、債権者は横浜市の依頼により同市の都市整備再開発等の推進のために必要な土地等の先行取得をすること等を業務とする特殊法人であり、申請外石川正一は債権者の業務部長の地位にあつた者である。
二、債権者は、昭和四六年一月二一日横浜市から市内保土ケ谷区狩場町所在の土地を南バイパス市道高速二号線ならびに清掃局用地として買収してほしい旨の依頼を受け、右依頼に基づき同年三月一八日申請外丸井産業株式会社から同町所在の土地約三万三〇〇〇平方メートルを代金約五億七五〇〇万円で買収した。
右の土地売買は債権者と右申請外会社との直接取引により行なわれたが、申請外株式会社サンドーこと小野重明は、右取引の仲介をしたと称して、暗に仲介料の支払を求めて債権者の事務所に出入りしていた。
石川正一は、当時債権者の専務理事であつた申請外加藤貞次と共謀の上、前記小野重明の利益を図る目的をもつて、同年六月三〇日、理事長の承認を受けないまま、債権者が申請外横浜南農業協同組合から特別融資を受けるためと称して、担当係員に命じて債権者振出の額面二〇〇〇万円の小切手を作成させ、これを右小野に売買仲介料名下に交付して、債権者に同額の損害を与えた。
三、石川正一は、昭和四七年六月七日右行為により背任罪の容疑で東京地方検察庁に逮捕され、同月二七日同罪名で東京地方裁判所に公訴を提起された。
四、債務者は、石川正一の選任により同人の弁護人となつた弁護士であるが、同年七月一四日石川正一の保釈保証金として一七〇万円を第三債務者に納付し、保釈許可決定を得て、石川正一は保釈出所した。
五、右保釈保証金は石川正一の弁護人たる債務者の名義で納付されているが、その実質的な権利者は石川正一であつて、右保釈保証金が第三債務者から債務者に還付されたときは、債務者に対し石川正一が返還請求権を有するものである。
仮に右保釈保証金を出捐したのが債務者主張のとおり申請外石川俊一であつたとしても、右保釈申請および保釈保証金の納付はあくまでも石川正一の依頼に基づく同人に対する刑事弁護の一環としてなされたもので、保釈手続のみの依頼が別個になされたものではないから、債務者に対して返還請求権を有するのはやはり依頼者たる石川正一であつて、石川俊一は、石川正一との間の金銭貸借契約に基づき、同人に対して返還請求権を有するもの解するべきである。右のような場合、仮に何らかの理由により保釈保証金が没取されたときには、その出捐者たる石川俊一は石川正一に対しその返還を請求することになるが、これは右両名間に金銭貸借契約が成立していることによるものであり、債務者の主張するような法的構成をもつてしては右の場合を十分に説明することはできないと思われる。
六、債権者は、石川正一に対し同人の前記不法行為によつて債権者の蒙つた損害の賠償を求める訴訟を提起する予定であるが、同人は、債権者に多額の損害を与えながら未だに被害弁償をしない態度から推して、本件保釈保証金についても、債務者からその返還を受けた後これを他に隠匿するのは火を見るよりも明らかである。かくては、後日債権者が勝訴判決を得て強制執行をしても、その目的を遂げられないおそれが強いので、同人に対する強制執行保全のため、同人が債務者に対して有する本件保釈保証金として納付するために寄託した金員の返還請求権に代位して、債務者が第三債務者に対して有する右保釈保証金還付請求権の仮差押を求める。
(債務者)
一、債権者主張事実のうち、第三項および第四項の事実は認めるが、その余は争う。
二、債務者は、昭和四七年六月八日かねてからの知合いである石川正一の実弟石川俊一から兄正一の弁護を依頼され、東京拘置所において正一と面会し、同人の選任によりその弁護人となつたものである。しかして債務者は同月二八日東京地方裁判所に対し正一の保釈を請求したところ、同年七月一三日同裁判所から保釈保証金を一七〇万円として保釈決定があつた。債務者は保釈保証金を一〇〇万円程度と見込み、右保釈請求と同時に、これを用意しておくよう石川俊一に連絡し、同人はこのことを直ちに正一の妻真紀恵に連絡したが、真紀恵には手持金が全くなかつたところから、俊一が手持金の中から兄正一のためにこれを出捐することとし、俊一は七月一三日一〇〇万円を持参して債務者に同行して東京地方裁判所に赴いた。ところが、債務者と裁判官との保釈面接の結果保釈保証金が一七〇万円とされたため、俊一において不足の七〇万円を調達せざるを得なくなり、同人は実姉木内登紀子から七〇万円を借受け、翌一四日自己手持金からの前記一〇〇万円と合わせて一七〇万円を債務者に手渡し、債務者がこれを第三債務者に納付したものである。
三、右の事実関係からすれば、右一七〇万円は俊一が正一に贈与又は貸与したものではなく、正一のためこれに代つて出捐し、債務者に寄託したものであり、本件保釈保証金については、俊一が実質上の権利を有し、正一は何らの権利を有しないというべきである。したがつて、債務者が第三債務者から本件保釈保証金の還付を受けた場合、債務者に対して寄託金の返還請求権を有するのは俊一であつて正一ではないから、同人が債務者に対して右返還請求権を有するとしてなされた本件仮差押申請は被保全権利を欠くものとして却下されるべきである。
四、本件仮差押申請は、債権者の正一に対して有する債権に基づき、同人の債務者に対する前記寄託金返還請求権を代位行使するというにあつて、その被保全権利は右寄託金返還請求権であるから、保全の必要性はあくまでも右返還請求権の債務者たる本件債務者について考えるべきであるにもかかわらず、債権者はこの点についての主張ならびに疎明を尽していない。
債務者は、一四年余の職歴を有し、東京の中心である銀座に法律事務所を有する弁護士であつて、今までその財産を差押えられるようなことは一度もなく、第三債務者から本件保釈保証金の還付を受けた場合にも、その寄託者たる石川俊一にその返還を拒絶するおそれは全くないし、またこの程度の金員であれば直ちに返還しうるだけの資力は十分に有しているのである。
したがつて、本件仮差押には保全の必要性は全くないというべきである。
第三 疎明関係<省略>
理由
一債務者主張事実のうち、第三項および第四項の事実は当事者間に争いがなく、同第一項および第二項の事実は<証拠略>によつて一応認めることができる。
二ところで、刑事訴訟法上、勾留されている被告人の保釈保証金は、裁判所のいわゆる代納許可を受けた場合を除き、保釈請求者がこれを納付すべきものであり(九四条二項)、納付された保釈保証金はその納付者に還付される。そして、弁護人の付された被告事件においては、弁護人が独立行為権もしくは包括代理権の行使として保釈請求をし、保釈保証金を納付するのが通例であると考えられ、この場合、保釈保証金の現実の出捐者が被告人以外の第三者であつても、弁護人による右保釈保証金納付の訴訟上の法律効果は被告人に及ぶけれども、そのことから直ちに保釈保証金に対する実質上の権利がつねに当然に被告人に帰属するものということはできず、弁護人が国から還付を受けた場合の弁護人に対する保釈保証金返還請求権の帰属は、専ら、被告人、弁護人および現実の出捐者の間の私法上の実体的法律関係によつてこれを決するべきである。
そこでこれを本件についてみるに、<証拠>によれば、債務者主張第二項の事実および右一七〇万円は石川俊一が石川正一に贈与もしくは貸与したものではなく、同人のためこれに代つて出捐し、提供したにすぎないことが一応認められる。
右の事実関係によれば、本件保釈保証金に対する実質上の権利者は石川俊一であつて石川正一ではないと認められるから、債務者が第三債務者から本件保釈保証金の還付を受けた場合、債務者に対してその返還を請求し得るのは石川俊一であり、石川正一は右返還請求権を有しないというべきである。
債権者は保釈保証金が没取された場合の法律関係に言及するが、被告人以外の第三者が出捐し、弁護人が国に納付した保釈保証金が保釈取消等の理由により没取された場合、被告人と右第三者との間に保釈保証金として提供された金員に関して何らかの権利義務関係が発生するか否かおよびその内容如何は、まさに右両者間の私法上の実体的法律関係によつて決せられるというべきであり、右出捐者が被告人に対してつねに当然に右金員の返還請求権を有するものとは解されないから、債権者の主張はその前提を欠き失当である。
三してみると、本件仮差押申請は、被保全権利の疎明がないに帰し、保証を立てさせてこれに代えるのも相当でないからその余の点につき判断を加えるまでもなく、却下されるべきであり、これを容れてなされた本件仮差押決定は取消を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法七五六条の二、一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(魚住庸夫)