横浜地方裁判所 昭和51年(わ)1424号 判決 1979年9月28日
被告人 小川卓
大一五・七・二〇生 会社員
主文
被告人を禁錮二年に処する。
この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四九年八月一六日から雄洋海運株式会社所有の機船第拾雄洋丸(総トン数四三、七二三・九一トン、危険物タンク船、以下雄洋丸という。同船の要目は別紙一の一、略図は別紙二の1記載のとおりである。)の船長として同船に乗組み、操船指揮等の業務に従事していた者であるが、同船にナフサ約二万キロトン、プロパン約二万キロトン、ブタン約六、四〇〇キロトンを積載し、同年一〇月二二日サウジアラビア王国ラスタヌラから京浜港川崎区に向け航行し、同年一一月九日一二時二〇分(午後〇時二〇分、以下二四時制による。)ころ浦賀水道航路南方で進路警戒船おりおん一号(以下おりおん号という)と会合し、被告人の指揮の下に二等航海士姉崎栄司がレーダー看守、首席三等航海士友尻金也がおりおん号との連絡、次席三等航海士中島逸平がテレグラフの操作、甲板員二名が操舵及び見張りに当りながら、おりおん号に進路の警戒を行なわせつつ、続航し、同日一三時一八分ころ時速約一二・六ノツト(対地速力、以下同じ)で中ノ瀬航路(進行方向左側に順次一号、三号、五号、七号燈浮標((以下ブイという))設置、各ブイの間隔約二、四〇〇メートル、航路の幅員約七一〇メートル、全長約七、二〇〇メートル、北方へ一方通行の航路)の一号ブイを左舷正横約二〇〇メートルの距離で通過し、その後同航路をこれに沿つて基準針路約二一度で進航し、同時三一分半ころ五号ブイを約四五〇メートル航過した際、木更津航路から中ノ瀬航路北側出口付近に向け西進中のパシフイツク・バルク・キヤリアー社所有の機船パシフイツク・アレス号(船長羅耀南、総トン数一〇、八七三・九四トン、貨物船、以下パ号という。同船の要目は別紙一の二、略図は別紙二の2記載のとおりである。)を真方位約六〇度(右舷船首約三九度)、距離約一・五海里付近の海上に認め、直ちに同船の方位を計り、約一分経過後(五号ブイを約八三九メートル航過した地点)も方位に変化が無く、そのまま航行を続ければ同船と中ノ瀬航路外北側出口付近で衝突する危険が生じたが、右北側出口付近は、木更津航路の西側出口と接近し、両航路の出航船の進路が直角に近い角度で交差する特異な海域で、木更津航路出航船に対し、中ノ瀬航路の北側出口付近を北方に迂回して航行するよう行政指導が行なわれていたが、当時は海上交通安全法(昭和四八年七月一日施行)が施行されて間もないころで右行政指導も必ずしも徹底しておらず、右海域において船舶衝突を回避すべき航法も明確ではなかつたこと、中ノ瀬航路の左右両側は、浅瀬が多く、転舵の措置は危険を伴うおそれがあり、衝突回避の方法としては減速、停船の方法しかなかつたこと、雄洋丸は全長二二七・一メートルに及ぶ巨大船であり、緊急停船の措置を講じても前記速力から停船するまでには約一、四三〇メートルを要するのに対し、衝突の危険が生じた前記地点から右北側出口まで約一、五六一メートルしかなかつたこと、雄洋丸は、危険物を満載していたことから、かかる場合同船の操船指揮に従事していた被告人としては、直ちに自船の機関を停止し、全速後進を指令し、緊急停船の措置をとりパ号との衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右措置をとらず、パ号の側で避航措置を講じるものと軽信し、長音一回の汽笛を鳴らしただけで、漫然従前の速力で航行を続けた過失により同時三三分半ころに半速前進、同時三四分ころに微速前進、同時三四分半ころに機関停止の機関操作を命じたものの、漸次パ号との接近を深め、同時三六分少し前ころに至りパ号と至近の距離にまで接近し、急きよ全速後進を命じたが及ばず、雄洋丸をパ号の前方に進出させ、同時三七分ころ中ノ瀬航路北側出口七号、八号ブイを結ぶ線(以下北側限界線という)の北方約一四〇メートル付近の海上において、雄洋丸の右舷(船首より約三〇メートル後方)にパ号の船首を衝突させ、右衝撃により自船に積載していたナフサ等に引火、炎上させて右両船を全焼するに至らせ、もつて両船を破壊するとともに、右衝突により別紙三記載の死亡者一覧表のとおり姉崎栄司外三二名を溺死等により死亡させ、別紙四記載の負傷者一覧表のとおり、谷田秀雄外五名に顔面熱傷等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)(略)
(本件事故の外形的諸事実について)
本件事故は、前判示のとおり、東京湾内中ノ瀬航路を北上して航行する被告人の操船指揮にかかる雄洋丸が、同湾内木更津航路を出て西進して航行するパ号と白昼右中ノ瀬航路外北側出口付近の海上で衝突したものであるが、弁護人は、本件事故につき、大略「雄洋丸は、一三時一八分ころ中ノ瀬航路一号ブイを左舷側二〇〇メートルばかりに通過し、以後必要に応じて小角度の進路の修正を行ないながら、対地速力約一二・五ノツト、同航路に沿う二一度の針路で進行し、一三時三〇分半ころ船橋が五号ブイを左舷側二〇〇メートルばかりに通過した後、右舷方向のもやの中から航行してきたパ号を発見し、機関停止、全速後進の措置を講じたが及ばず、一三時三七分少し前ころ、同航路北側限界線を約一〇〇メートル超えた地点(船橋は約五五メートル、船尾は約九七メートルいずれも右北側限界線の手前航路内)、同西側限界線の延長線の東側約二〇〇メートルの地点でパ号と衝突した。衝突時のパ号の速力は約一〇ノツト、衝突角はほぼ九〇度であつた。」旨主張するので、被告人に対する過失責任の有無を判断するに先立ち、まずその前提となる本件衝突時刻、衝突地点、雄洋丸及びパ号両船の速力等について検討する。
第一衝突時刻について
弁護人は、衝突時刻を一三時三七分少し前であるとして、検察官が衝突時刻を一三時三七分ころとするのは誤りであり、一三時三七分以前である旨主張するので検討すると、第九回公判調書中の証人佐藤信夫の供述部分、第三管区海上保安本部司法警察員海上保安官中村恒夫作成の「第一〇雄洋丸、パシフイツクアリス号衝突火災事件に関する交信について(報告)」と題する書面によれば、当時雄洋丸の進路を警戒しこれと併航していたおりおん号の船長佐藤信夫は、本件衝突事故発生の直後、無線で横浜海上保安本部を呼び出したが応答がなかつたので、応答がないまま衝突事故発生の事態を通報中、同保安本部通信所との連絡がとれたこと、したがつて衝突時刻と、右通信所における無線の交信開始時との間に若干の経過時間があること、同通信所備付の無線業務日誌には、おりおん号との交信開始時刻が一三時三七分と記載されていることは、いずれも弁護人の主張するとおりであるが、中村恒夫の海上保安官に対する供述調書によれば、右無線業務日誌は海上保安官中村恒夫の記載したものであるが、同人が一三時三七分と記載したのは、一三時三七分〇秒の趣旨ではなく、交信開始は一三時三七分を少しすぎたころであつたことが認められるから、右無線業務日誌の記載から本件衝突時刻が一三時三七分以前であつたと断定し難く、かえつて平井慎吾の検察官に対する供述調書によれば、雄洋丸の乗組員平井慎吾は当時船内のサロンでテレビ番組を見ているときに全速後進による船体の振動を感じたが、その時は歌手ちあきなおみが「喝采」という歌を歌い始めてから間のない時間であり、それから一分もたたないうちに衝突のシヨツクを感じ、椅子から立ち上り、サロンの丸窓から船首の方をみると火柱が上つているのを認めたこと、海上保安官作成の供述裏付け捜査報告書によれば、右「喝采」が放送された時間は午後一時三五分四〇秒から同時三七分一五秒までの間であること、押収してある雄洋丸機関部備付のベルブツク一冊(昭和五二年押第四四八号の一)には一三時三六分に全速後進にした旨記載されていること、が認められ、これらの事実をも合わせて考えると本件衝突時刻は一三時三七分ころと認定するのが相当である。
第二衝突地点について
本件はいわゆる洋上の衝突事故で、衝突後両船体は移動しており、目撃者の衝突時の供述も必ずしも明確ではなく、衝突地点を直接確認できる証拠は存在しないのであるが、本件衝突地点については、横浜海上保安本部所属の本牧船舶通航信号所内港内交通管制室(以下本牧レーダーサイトという)において、おりおん号の発する前記緊急無線連絡を傍受し、いち早く同所設置レーダーにより衝突した両船の重なり合つた映像をレーダースコープ上に発見し、その方位、距離、時刻を確認しているので、右測定点を確定し、雄洋丸が中ノ瀬航路一号ブイを通過した一三時一八分を基準として雄洋丸の同航路内の航行速力を算出することにより、本件衝突地点を確定することができる。
一 本牧レーダーサイトの映像位置記入と測定時刻
高木正幸、田村一雄、田中芳幸の検察官に対する各供述調書、海上保安官田中芳幸作成の昭和四九年一一月一四日付報告書及び「第十雄洋丸、パシフイツクアレス号衝突にかかる報告書」と題する書面を総合すると、横浜海上保安本部本牧レーダーサイトにおいて勤務中の田村一雄、高木正幸は、おりおん号から横浜海上保安本部あての前記緊急無線連絡を傍受し、田村は直ちに班長の田中芳幸に報告し、高木はレーダーのレンジを一〇キロレンジから一六キロレンジに切り変えて見たところ、レーダースコープ上に「ト」の字形に接触している両船の船影を認めたこと、高木は色鉛筆で両船の位置をスコープ上に記入し、田中が大きい方の映像の中心(雄洋丸の船体の中心)にカーソルを合わせ方位、距離を計測したところ、真方位一一一度、八、七〇〇メートルであつたこと、田中が測定が間違いないことを確かめ、高木に時刻を聞き、一三時四〇分と確認したこと、が認められる。
右事実によればレーダースコープ上に高木が最初に位置記入をした時刻と一三時四〇分との間には若干の時間のズレが生じるようであるが、固定物標ではなくて移動性の物標をレーダーで測定する場合には位置記入した時刻を表示すべきことはいうまでもないところであつて、海上保安庁のレーダー専門官である右田中らが、位置記入した時刻と大幅にずれのある時刻を記入したとは考えられないし、海上保安官作成の第十雄洋丸・パシフイツクアレス号衝突にかかる報告書添付の「一六kmレンヂ衝突船漂流経路図面には、雄洋丸の衝突後の移動状況が時刻・距離の数字をもつて表示されており、これは当該時刻における雄洋丸の船位を示すものと認められることを考慮すると、右時間のずれは検察官が主張するように一分四五秒間もあつたとは到底考えられず、本牧レーダーサイトで前記のとおり位置記入した時刻は一三時四〇分か、又はそれに極めて近い時刻であつたと認めるのが相当である。
本牧レーダーサイトが測定した雄洋丸の船位(船体の中心点)は、前記認定のとおり、真方一一一度、距離八、七〇〇メートル(ただし、方位につきマイナス一度、距離につきマイナス四〇メートルの各誤差修正をすると、真方位一一〇度、距離八、六六〇メートルとなるが、この点については後述)を、中ノ瀬航路北側限界線を基準とし、右レーダーサイトと同航路七号ブイ間の方位と距離(真方位一一四度、八、四五〇メートル)、同航路の方位(真方位二一度)を考慮し、正弦定理により計算すると、右測定点は、中ノ瀬航路北側限界線の外側(北北東)約五九三メートル、同航路西側限界線の延長線の東側約二二〇メートルの地点となる。(別紙五)。
二 雄洋丸の航行速力
雄洋丸の中ノ瀬航路内の航行速力は、同船が衝突前に、前判示のような機関操作(以下判示エンジン・モーシヨンという)を行ない速力を減じているので、その場合逓減する速力及び進出距離の三〇秒毎の数値についての鑑定人谷初蔵作成の「第拾雄洋丸の挙動に関する鑑定について」と題する書面添付の鑑定書(以下谷鑑定という。なお、同鑑定は、初速を一三・九二ノツトとしたものであるが、第一〇回公判調書中の同証人の供述部分によれば、初速を異にする場合には、同鑑定書中の第二図運動経過のグラフを基にして平行移動の方法により近似値を求めることができる。―別紙六、七)を考慮し、雄洋丸が同航路一号ブイを通過した一三時一八分を基準として同船の航行速力を算出すると、雄洋丸が判示エンジン・モーシヨンを起すまでの航行速力は時速約一二・六ノツトとなる。(この点について、検察官は時速約一三・〇二ノツトと主張し、弁護人は時速約一二・五ノツトと主張するのであるが、前記の方法で逆算すると、右測定点において、検察官主張の時速では二七九メートルプラス、弁護人主張の時速では七四メートルマイナスの各誤差が生じるので、右主張はいずれも採用することはできない。別紙一の1)
なお、証人福岡竜美の当公判廷における供述及び太田和雄、望月春三の各検察官に対する供述調書によれば、雄洋丸の中ノ瀬航路航行中の機関回転数は港内全速の毎分九〇回転であつたこと、雄洋丸のプロペラピツチ(四・八五メートル)を基にして、機関回転数毎分九〇回転時の速力を算出すると約一四・一四ノツトとなることが一応認められるが、右はプロペラピツチを基とする計算上の理論速力にすぎず、風圧、潮流、経年変化、スリツプ、トリム、積荷による喫水の変化、浅水域等の影響による速力の低下を勘案(被告人の検察官に対する昭和五一年六月一〇日付供述調書)すると、これをもつて右認定のさまたげとはなし難い。そこでこの一二・六ノツトでの雄洋丸の本件航行経過を一三時三一分以降三〇秒毎に具体的に示すと別紙八記載のとおりとなる。(なお、本件では雄洋丸が衝突後前記測定点に達するまで、その針路及び速力に、衝突による特異な変化があつたとは認められない)
三 衝突地点の確定
以上の認定事実に基づいて本件衝突地点を確定すると、衝突時、雄洋丸の船橋は、中ノ瀬航路北側限界線の手前(同航路内)約一八メートル(同航路西側限界線の東方約二二〇メートル)の地点に位置していたことになるから、これに、船橋位置から衝突個所までの距離(一五八メートル)を加えると、本件衝突地点は、同航路北側限界線を超えた(同航路外)約一四〇メートル地点の海上であることが認められる。
弁護人は、本件衝突地点を本牧レーダーサイトで測定した方位と距離を基にして確定することは、当然のことながら誤差が大きく誤りである旨主張するので付言すると、田中芳幸の検察官に対する供述調書、海上保安官田中芳幸作成の昭和四九年一一月一四日付報告書によれば、本牧レーダー局備付のレーダーによる測定値には、方位でプラス一乃至二度、距離でマイナス五〇乃至プラス六〇メートルの誤差(測定距離一、九五〇メートル乃至八、四五〇メートル)があることが認められるのであるが、距離の誤差については、雄洋丸の進行線(中ノ瀬航路西側限界線の東方約二〇〇メートル)を考慮すると、プラス四〇メートル(正確には三七メートル)の誤差(測定値より四〇メートルを減じる)と認めるのが相当であり、また方位の誤差については、第九回公判調書中の証人佐藤信夫の「パ号は八号ブイの一〇〇メートル位北側を突込んで来たようである」旨、第一〇回公判調書中の証人谷田秀雄の「スモーキングルームで休息中異様な振動を感じ、左舷側の甲板上に飛び出したところ、軽い衝撃があり、船首から火柱が上つた。その時海上を見ると真横より若干後方に黒ブイを見た」旨、第七回公判調書中の証人中島逸平の「衝突時の船橋位置は中ノ瀬航路七号ブイと八号ブイを結んだ線か若しくはやや内側である」旨、第八回公判調書中の証人友尻金也の「衝突時の船橋位置は七号ブイと八号ブイを結んだ線の内側である」旨の各供述部分を総合すると、衝突時の雄洋丸の船橋は中ノ瀬航路北側限界線よりやや後方に位置していたことが認められるから右目撃者の各供述を考慮すると、プラス一度の誤差(測定値より一度を減じる)と認めるのが相当であり、右のように測定値の誤差を、他の証拠により修正することができる本件では、本牧レーダーサイトの測定値に基づいて本件衝突地点を算出することが誤りである旨の弁護人の主張は当らないといわなければならない。
第三パ号の運行状況について
一 パ号の航行針路
第一二回公判調書中の証人山下俊孝の供述部分によれば、パ号は水先人山下俊孝の水先案内のもとに、同日一二時三五分木更津港を出港し、木更津航路の中央よりやや左寄りを同航路に沿つて針路約三〇〇度、速力約八ノツトで進行し、同航路二号ブイから約六〇〇メートルばかりのところで速力を約六ノツトにし、山下水先人は離船したこと、パ号で使用中の海図(海上保安庁刊行の第一、〇六二号海図)には木更津港口一号、二号ブイは記載されていなかつたが、中ノ瀬航路及び付近の各ブイはすべて当時の現状どおり記載されており、中ノ瀬のD、C、B、Aの各ブイの外側(中ノ瀬航路から見て)を順次結ぶ針路線が記入されていたこと、山下水先人はパ号の羅船長に対し木更津港口一号、二号ブイを指示しながら右海図に記入したことが認められる。
右認定事実に、第七回公判調書中の証人中島逸平、第九回公判調書中の証人佐藤信夫の各供述部分により認められる初認後パ号が進路を変更した様子が見られないこと、及び前記第二で認定した本件衝突の具体的地点とを総合すると、パ号は木更津港口二号ブイを左舷約二〇〇メートルに見る地点までは木更津航路に沿つて針路約三〇〇度で進行したが、それ以後は中ノ瀬Dブイを目指し、針路をやや左に転じて進行したが、当時の風潮流の影響により左へ圧流されて本件衝突地点に至つたものと推認することができ、右認定事実を前記海図上に作図するとパ号の具体的進路は別紙九記載の参考海図のとおりで、パ号の衝突角度は、真方位約二八七度(雄洋丸の針路方向からみて八六度)となる。
二 パ号の航行速力
被告人の当公判廷における供述、第七回公判調書中の証人中島逸平、第八回公判調書中の証人友尻金也の各供述部分によれば、雄洋丸が接近してくるパ号を、真方位六〇度に初認し、約一分間コンパス方位を見守りその方位に変化がなかつたことが認められるから、これをもとにして初認当時のパ号の速力を正弦定理により算出すると約一〇・八四ノツトとなる。(別紙一〇の2)。雄洋丸はその後判示エンジン・モーシヨンを行なつたが、衝突を避けることができず、船橋から約一五八メートル前方の個所でパ号と衝突したこと、海上保安官作成の「リベリヤ船籍パシフイツクアレス号の機関室(機室)調査報告書」と題する書面、検証調書及び同四九年一一月一三日付実況見分調書によれば、操縦ハンドルは手前に引かれ主機械の回転方向は後進、起動ハンドルの位置は停止になつていたこと、海上保安官作成の「パシフイツクアリス号要目表等の入手報告書」と題する書面に添付されているたじま丸(パ号の旧名)の海上公試運転成績によれば、後進力試験ではパ号は後進発令されてから主機が停止するまでに三一秒、主機が始動するまでに三分二〇秒要すること、同海上公試運転成績によれば、旋回力試験ではパ号の転舵による最大進出距離は約四一〇メートルであるのに、転舵(右旋回)による措置を講じる間もなく雄洋丸と衝突したことが認められ、これらの事実を総合すれば、パ号は木更津航路を出てからは約一〇・八四ノツトで進行したが、本件衝突の約一分前に全速後進を発令し、機関を停止し、操縦ハンドルを後進位置に入れたが、後進燃料を入れることができる状態にならないまま時速約七・〇四ノツトで雄洋丸と衝突したものと推認される。(別紙一〇の2)
この約七・〇四ノツトという速力は元良誠三外一名作成の鑑定書によるパ号の衝突時の推定速力約五ノツト前後という数値と対比すると、かなり高速力ということになるが、証人元良誠三の当公判廷における供述及び第一二回公判調書中の同証人の供述部分によれば、右鑑定は衝突エネルギーから衝突時の速力を推定したもので必ずしも精度が高いものとは認められないので、右事実も、以上の認定を左右するに足りない。
第四雄洋丸がパ号を初認した地点と時刻
雄洋丸が中ノ瀬航路を航行中、右舷方向の海上を進行して来るパ号を視認した地点と時刻について、被告人は当初捜査官(海上保安官及び検察官。以下同じ)の取調に際し、中ノ瀬航路を時速約一四・五ノツトで航行中、同航路三号ブイを通過後約一、五〇〇メートル(同五号ブイの手前約九〇〇メートル)の地点で、真方位約六〇度、距離約二乃至二・五海里の地点に、進行して来るパ号を認めた(初認時刻は、同航路一号ブイ通過一三時一八分を基準として、一三時二六、七分ころとなる)旨供述していたが、雄洋丸機関室備付のベルブツクが押収され(同年一一月一五日)、衝突前に被告人が行なつた判示エンジン・モーシヨンが明らかとなつた後、捜査官に対し、同航路を時速約一三ノツトで航行中、同航路五号ブイを通過して約一、四〇〇メートルの地点で、真方位約六〇度、距離約一海里の地点に、進行して来るパ号を認めた(初認時刻は、同様一三時三三分二七秒ころとなる)旨供述を訂正し、さらに同五一年六月二二日検察官の取調に際し、同航路を時速約一二・五乃至一二・六ノツトで航行中、前記五号ブイを通過後三〇〇乃至四〇〇メートルの地点で、真方位約六〇度、距離二海里の地点に、進行して来るパ号を認めた(初認時刻は、同様一三時三一分一二乃至二二秒ころとなる)旨再度供述を訂正し、当公判廷において、大略「同航路を時速約一二・五ノツトで航行中、前記五号ブイを通過後約四〇〇メートルの地点で、真方位約六〇度、距離約一・五海里の地点に、進行して来るパ号を認めた。初認時刻は一三時三一分半ころだと思う」旨供述するに至つたので、右当公判廷における供述につき、検討を加えると、当時雄洋丸の船橋で勤務中、被告人と同時にパ号を視認した次席三等航海士中島逸平の第七回公判調書中の「パ号を誰が最初に発見したか判らないが、船長から、パ号が停船しているかどうかきかれた。私が見たのは中ノ瀬航路第五号ブイを通過して四〇〇乃至五〇〇メートルの地点で、方位は右舷船首四〇度、距離は目測で一・五海里あつた」旨の供述部分、被告人、中島逸平らと共にパ号を視認した三等航海士友尻金也の第八回公判調書中の「私は船長からいわれてパ号が進行して来るのに気付いた。船長から命ぜられてパ号の船位を測つた。方位は真方位六〇度、距離は目測で一、二海里あつた。衝突より五、六分前だつたと思う」旨の供述部分、第七回公判調書中の証人中島逸平、第一二回公判調書中の証人山下俊孝の各供述部分を総合して認められる当時の視界は約一・五海里であり、パ号の発見が視界の限界で肉眼によりなされたことを合わせ考えると、被告人の当公判廷における前記供述は、ほぼ信用できる供述であるといえるが、当裁判所が認定した前記各事実を勘案すると、雄洋丸は、時速約一二・六ノツトで中ノ瀬航路を航行中、一三時三一分半ころ、同航路五号ブイを通過後約四五〇メートルの地点で、真方位約六〇度、距離約一・五四海里の地点に、進行して来るパ号を発見したと認定することができる。(別紙一〇の2)
(被告人の過失責任の有無について)
弁護人は、雄洋丸は海上交通安全法(以下海交法という)に基づいて、中ノ瀬航路をこれに沿つて航行している船舶であるから、パ号と見合関係が成立した時点で、パ号は同法三条一項により雄洋丸の進路を避けなければならない避航船であり、他方雄洋丸は、海上衝突予防法(昭和五二年法律六二号による改正以前のもの。以下旧予防法という)二九条の二、二一条本文により針路及び速力を保たなければならない義務を負うていた保持船で、雄洋丸としては、両船が間近かに接近したため、避航義務を負うパ号の動作のみでは衝突を避けることができないと認めたときに限り、同法二一条但書により衝突を避けるために最善の協力動作をしなければならないのであつて、本件で被告人のとつた措置は右針路、速力保持義務、最善の協力動作を果たしたもので、被告人には過失はない旨主張するので被告人の過失責任の有無を判断するに先立ち、本件に適用すべき航法について検討する。
第一適用航法について
航路外から航路に入り、航路から航路外に出、若しくは航路を横断しようとし、又は航路をこれに沿わないで航行している船舶は、航路をこれに沿つて航行している他の船舶と衝突するおそれがあるときは、当該他の船舶の進路を避けなければならない(海交法三条一項)こと、二隻の船舶のうち、一隻が他の船舶の進路を避けなければならない場合は、他の船舶は、その針路及び速力を保たなければならない(旧予防法二九条の二、二一条)ことはいずれも関係航海法規の定めるところであり、被告人の操船にかかる雄洋丸が、海交法に基づいて、中ノ瀬航路をこれに沿つて航行する船舶であつたことは所論のとおりであるが、前記認定のとおり、パ号は中ノ瀬航路北側出口付近の同航路外の海上を横断しようとしていた船舶で、海交法三条にいう「航路から航路外に出、若しくは航路を横断しようとし、又は航路をこれに沿わないで航行している船舶」のいずれにも該当しないことが明らかであるから、同法条に基いて、パ号は雄洋丸の進路を避けなければならない避航船であり、雄洋丸は針路及び速力を保持しなければならない保持船であるとする弁護人の主張は、前提を欠くものといわざるを得ない。
弁護人は、「二船間に衝突のおそれがある見合関係が発生した場合における航法適用の基本原則は、見合関係発生時点における、互に肉眼で視認しうる両船の状況をもとにして適用航法を確定させることである。海上で他船を視認した場合、衝突のおそれの有無はその方位の変化の有無で簡単にわかるが、他船の進路、会合点の正確な判定は肉眼では不可能であるから、航路横断線を文理的に厳密に解すると、航路航行船の操船者に非常に困難な判断義務を負わせる不合理な結果となり、右航法適用の基本原則に反し、実務に適さない。したがつて海交法三条にいう航路を横断しようとする船舶というのは、航路外を含む航路出口付近を横断しようとする船舶をも含むと解するのが相当である」旨主張するのであるが、二船間に衝突のおそれがある見合関係が発生した場合、見合関係発生時点における互に肉眼で視認しうる両船の状況を基にして適用航法を確定させるのが通常妥当であること、海上で他船を視認した場合、他船の進路、他船との会合点を肉眼で正確に判定することは往々にして困難であることはいずれも所論のとおりであるとしても、他船の進路、他船との会合点を肉眼で判断することが不可能であると即断することはできない(なお、被告人は捜査段階以来終始一貫して、パ号と衝突のおそれがある見合関係が発生した際、パ号が木更津航路を出航した船舶で、中ノ瀬航路七号ブイの左方にあるDブイの北側を目指して進行していること、同船との会合点は、中ノ瀬航路北側限界線を出た付近の海域であることを肉眼で判断し得た旨供述している)のみでなく、弁護人の主張するように海交法三条にいう航路を横断しようとする船舶とは、航路外を含む航路出口付近を横断しようとする船舶をも含むと解すると、航路の区域、ひいては海交法適用海域が不明確となり、航路出口付近を横断しようとする船舶の側においても自船に避航義務があるかどうかについて画一的な判断をすることができず(両船共に、相手船に避航義務があるものと考え航行するおそれがある)、かえつて海上衝突の危険が増大する結果となることを考慮すると、弁護人の前記解釈にはたやすく左袒することはできず、また弁護人の援用する判例は、本件とは事実を異にするもので、適切ではない。
次に雄洋丸について、旧予防法一九条(横切り船の航法)に基づく避航義務があるかどうかについて検討すると、雄洋丸がパ号と前記認定のとおり見合関係が生じた時点で、両船は互に進路を横切る関係にあつて、衝突のおそれがあり、雄洋丸はパ号を右舷側に見る船舶であつたとしても、パ号が後記認定のとおり旧予防法二九条にいう船員の常務として必要とされる注意義務を怠り、中ノ瀬航路出口に極めて近接したコースを航行した本件については旧予防法一九条により同船に針路及び速力を保持する義務を課し、海交法にしたがい、同航路をこれに沿つて航行している雄洋丸に避航義務を課するのは相当ではないといわなければならない。換言すれば、二船間に衝突のおそれが生じた場合、一船に避航義務を課し、他船に針路及び速力保持義務を課することにより衝突を回避するのが航法の原則であることは弁護人の論述するとおりであるが、本件衝突地点付近の海域は、適用すべき航海法規(航法)が明確でない特異の海域であつたといわざるを得ないから、かかる海域内で衝突のおそれが生じた場合には、操船者において衝突を回避する十分余裕のある時期に、ためらわずに(旧予防法第四章前文一項)、衝突を避けるために最善の措置を講じなければならないことは当然であつて、右措置を怠つたと認められる場合には旧予防法二九条にいう船員の常務として必要とされる注意を怠つたものとして、これにより生じた結果についての責任を免れないといわなければならない。
第二被告人の過失について
一 本件衝突の回避は可能であつたかどうか
被告人が前記認定のとおり、パ号と衝突するおそれがあると判断した時点(一三時三二分三〇秒ころ、同航路五号ブイ通過約八三九メートルの地点)で雄洋丸につき、直ちに機関停止、全速後進を指令したとすれば、最短停船距離は約一、四三〇メートルであるから、(雄洋丸と同型の「第二雄洋丸」の試運転成績書によつて認められる初速一六・六ノツト、満載時の公式試運転による後進試験成績を、初速一二・六ノツトに平行移動した場合の最短停船距離―別紙一一)、本件衝突時における雄洋丸の船橋位置(同航路北側限界線の手前約一八メートルの地点)より約一一三メートル手前の地点で雄洋丸は停船することになり、衝突時、雄洋丸の船首が衝突個所より約三〇メートル手前に出ていたことを考慮しても、優にパ号との衝突を回避し得たことは明らかである。(別紙一〇の3)。また仮に被告人が判示エンジン・モーシヨンを行なつた時点より約三〇秒前の地点(一三時三三分ころ、同航路五号ブイ通過約一、〇三四メートルの地点)で、前同様雄洋丸につき機関停止、全速後進を指令したとすれば、パ号が衝突地点を完全に通過しおわる所要時間(パ号の全長に雄洋丸の横幅を加えた長さを、時速約七・〇四ノツトの速度で通過する所要時間)は約五二秒であり、一三時三七分五二秒ころの雄洋丸の船首は、通過後のパ号左舷船腹のえがく直線に達しない位置にあるから、パ号とすれ違いにより衝突を回避することもまた可能であつたことになる。(別紙一〇の4)。
二 本件過失内容
二隻の動力船が約一・五海里距てて互に進路を横切る関係にあり、衝突のおそれがあつて、一船が他船の進路を避けなければならない場合には、他船の進路及び速力を注視し、適宜減速、転舵の措置を講ずることにより、通常は、容易に衝突を回避することができ、特段の事情のない限り、直ちに緊急停船の措置(機関停止、全速後進指令)を講じなければならないものとは考えられない。しかしながら本件の場合について検討すると、前掲各証拠によれば、
1 本件衝突地点である中ノ瀬航路北側出口付近の海域は、同航路中央部の北側延長線上六〇〇メートルの地点で、木更津航路中央部の西側の延長線がほぼ直角に交差する特異な海域(中ノ瀬航路北東端八号ブイと、木更津港口北西端二号ブイとの距離約一、八〇〇メートル)で、中ノ瀬航路を北上する船舶の進路と木更津航路を出航し西進する船舶の進路とが、直角に近い角度で交差することになるから、木更津航路を出航して西航する船舶は、中ノ瀬航路を北方に迂回して進行すべきであり、またそのような行政指導も行なわれていたが、当時は、右中ノ瀬航路を設定した海交法が施行されて間もない頃で、右行政指導も、必ずしも徹底しておらず右海域において適用すべき航海法規(航法)も明確ではなく、常時衝突の危険が潜在していたこと、
2 中ノ瀬航路(幅員約七一〇メートル)の左右両側は浅瀬(水深約一五乃至一八メートル)が多く、転舵の措置は危険を伴うおそれがあり(雄洋丸の喫水は前部一二メートル、後部一一・八五メートル)、雄洋丸がパ号との衝突を回避する方法としては、減速乃至停船の方法しかなかつたこと、
3 当時付近の海上はもやのため視界は約一・五海里しかきかなかつたこと、被告人はパ号を右視界の限界で視認したもので、その以前におけるパ号の挙動については全く判らず、視認後においても、パ号の側で雄洋丸の進路を避けるための何らかの措置を講じていると思われる状況は全く窺えなかつたこと、
4 雄洋丸はいわゆる巨大船で、当時積荷を満載していたため、直ちに緊急停船の措置を講じても、停船するまで、約一、四三〇メートルを要したのに対し、被告人がパ号との衝突のおそれがあると判断した地点から、同航路北側出口まで約一、五六一メートルの距離しかなかつたこと、
5 被告人の操船指揮する雄洋丸は、当時前判示のとおり、ナフサ(粗成ガソリン)、プロパン(液化石油ガス)等合計約四六、〇〇〇キロトンを積載しており、船舶衝突の事故が発生した場合、衝突船舶及びその乗組員は勿論、付近の海上に、はかり知れない災害が生じる危険があつたこと、
以上の事実を認めることができ、右認定事実に基づいて被告人に対する本件過失責任の有無を検討すると、まず本件衝突事故は、パ号の側において、当時の行政指導に基づき、木更津航路出航後は、中ノ瀬航路の出航船が他船を避航しうる十分余裕のある海域に進入しないよう針路を右転し、同航路北側出口を迂回して航行するか、右海域外で停船して避航措置を講ずるのが船員の常務として要求されるところであつて、これに違反して右海域を横断しようとして進入したパ号操船者に重大な注意義務の懈怠があつたといわざるを得ないのであるが、被告人の側においても、右のようなパ号の異常な航行を約一・五海里の距離に視認し、これと衝突の危険があると判断した場合、直ちに機関停止、全速後進を指令し、緊急停船の措置を講ずべき特段の事情があつたものといわなければならない。(また被告人に右のような措置を講ずべき業務上の注意義務を課したとしても、被告人において右措置を講じることは容易であり特段苛酷な義務を課することになるとも思われない)。そして被告人においてパ号と衝突のおそれがあると判断した時点から約三〇秒以内に、緊急停船措置を講じていたとすれば、停船又はすれ違い回避の方法により本件衝突を回避し得たことは前記認定のとおりであるから、被告人において、右措置をとることなくパ号の避航を期待し、前判示のとおり、単に汽笛を吹鳴して警告しただけで、漫然従前の速度で航行を続け、前記時点より約一分間を徒過して(距離にして約三八九メートル航過)はじめて判示エンジン・モーシヨンを行なつたが間に合わずパ号と衝突するに至つた被告人の所為は、操船者としての業務上の注意義務を怠つたものというべく、これによつて生じた結果につき過失責任を免れない。
三 信頼の原則の適用について
弁護人は、被告人は雄洋丸を操船し、中ノ瀬航路をこれに沿つて航行していたもので、パ号に優先して同航路出口至近を航行することが是認されていたのであり、パ号が雄洋丸の進路に進入してくるおそれは著しく少かつたから、被告人としてはパ号が右出口至近のところに入つてくることはないものと信頼して航行することができ、かりに被告人の協力動作に若干問題があつたとしても、被告人が当時とつた協力動作以上の「臨機の措置」をとるべき義務は、信頼の原則の適用により免除されるから被告人には過失はなかつたと主張する。
しかしながら、パ号が海交法三条にいう、航路を横断しようとする船舶に該当しないことは前説示のとおりであるから、雄洋丸がパ号により進路を妨げられない船舶(優先船、保持船)であることを前提とする弁護人の主張は、前提を欠くものといわなければならないのみでなく、パ号が当時雄洋丸の進路に進入してくるおそれが著しく少なかつたとは認められないから、弁護人の主張はこの点でも失当であり、証拠を検討してみても、本件は、信頼の原則を適用すべき事案であるとは認められないので、弁護人の主張は採用しない。
(法令の適用)
被告人の判示所為中業務上過失往来妨害(機船破壊)の点は刑法一二九条二項、一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、姉崎栄司外三二名に対する業務上過失致死、谷田秀雄外五名に対する業務上過失傷害の各点はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条により刑期及び犯情の最も重い姉崎栄司に対する業務上過失致死の罪の刑で処断することとし、所定刑中禁錮刑を選択し、右刑期の範囲内で被告人を禁錮二年に処し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は、海上交通のふくそうする東京湾内において惹き起こされた大型タンカーと貨物船との衝突炎上事故で、右事故により判示のとおり多数の人名が失われたものであり、当裁判所は右事故の原因及び責任の所在について慎重な審理検討を行なつたのであるが、本件事故の原因は、まずパ号操船者が当時の行政指導にしたがわず、中ノ瀬航路の北側出口に接近した海域を、雄洋丸の進路を横切るコースで、しかも衝突直前(約一分前)まで速力を減じることなく、無謀にも横断航行しようとした(原因は明らかではない)ことに起因するといわざるを得ないが、中ノ瀬航路をこれに沿つて航行していた雄洋丸の船長である被告人としても、このような異常事態に直面し、雄洋丸は巨大船で、しかも危険物を満載していたのであるから、非常の場合に予想される災害を防止するため、十分余裕のある時期に、衝突回避のための最善の措置を、ためらわず、迅速果敢に講ずべきであり、またその余裕も十分あつたと認められるにも拘らずこれを怠り本件衝突事故を惹起するに至つたことは誠に遺憾であり、本件が衝突の規模、死傷者の数、損害の程度からみて海難史上まれにみる大惨事であり、一般社会に与えた衝撃的影響を考慮すると被告人の刑事責任はまことに重大なものがあるといわざるを得ないが、本件事故は、中ノ瀬航路を設置した海上交通安全法が施行されて間がない時期に発生したもので、同航路北側出口付近を航行する船舶間の航法も必ずしも明確ではなく、衝突回避等安全確保の施策も十分ではなかつた状況下の事故であること、しかも前記のとおり衝突事故の主たる原因はパ号の無謀な航行にあり、被告人の個人責任のみを強調することは酷であること、被告人は昭和一九年一二月大島商船学校を卒業して甲種二等航海士の資格を取得し、その後同三三年四月甲種船長の資格を取得して操船業務等に従事していたもので、その間特段の前科前歴がなく、本件後は操船業務から転じ、真面目に陸上勤務に従事しており、改悛の情も認められること、死亡者の遺族との間に示談が成立し、補償金も支払われており両船及び積荷の損害も保険により填補されていること、その他諸般の情状を合わせ考慮し、主文の刑を量定する。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 石橋浩二 草野芳郎 高橋隆一)
別紙一
雄洋丸とパ号の主要目
一 雄洋丸
1 総トン数 四三、七二三・九一トン
2 全長 二二七・一〇メートル
3 幅 三五・八〇メートル
4 深さ 二〇・七五メートル
5 船橋の中心位置 船尾端から約三九メートル
二 パ号
1 総トン数 一〇、八七三・九四トン
2 全長 一五四・一〇メートル
3 幅 二二・二〇メートル
4 深さ 一二・一〇メートル
5 船橋の中心位置 船尾端より約三〇メートル
別紙二の1
機船雄洋丸船体略図<省略>
別紙二の2
機船PACIFIC・ARES船体略図<省略>
別紙三
死亡者一覧表(略)
別紙四
負傷者一覧表(略)
別紙五 計算表(一)<省略>
別紙六
雄洋丸が判示エンジン・モーシヨンを行なつた場合の三〇秒毎の逓減速力(谷鑑定の数値を初速一三・〇二ノツト・一二・五ノツト・一二・六ノツトに各平行移動したもの)
時刻(分秒)
初速一三・〇二
初速一二・五
初速一二・六
〇
一三・〇二
一二・五
一二・六
〇・三〇
一二・六一
一二・〇九
一二・一九
一・〇〇
一一・九九
一一・四七
一一・五七
一・三〇
一一・三七
一〇・八五
一〇・九五
二・〇〇
一〇・八六
一〇・三四
一〇・四四
二・三〇
一〇・四一
九・八九
九・九九
三・〇〇
九・六二
九・一〇
九・二〇
三・三〇
八・六八
八・一六
八・二六
四・〇〇
七・七七
七・二五
七・三五
四・三〇
六・九一
六・三九
六・四九
五・〇〇
六・一〇
五・五八
五・六八
五・三〇
五・三二
四・八〇
四・九〇
六・〇〇
四・五四
四・〇二
四・一二
六・三〇
三・八〇
三・二八
三・三八
七・〇〇
三・〇七
二・五五
二・六五
七・三〇
二・三五
一・八三
一・九三
八・〇〇
一・六一
一・〇九
一・一九
八・三〇
〇・八九
〇・三七
〇・四七
九・〇〇
〇・一五
停船時間
(九分五秒)
(八分四五秒)
(八分五〇秒)
別紙七
前同、三〇秒毎の雄洋丸の進出距離
経過時間
一三・〇二ノツトの場合
一二・五ノツトの場合
一二・六ノツトの場合
(分秒)
三〇秒間の進出距離(m)
累計(m)
三〇秒間の進出距離(m)
累計(m)
三〇秒間の進出距離(m)
累計(m)
〇・三〇
一九八
一九八
一九〇
一九〇
一九一
一九一
一・〇〇
一九〇
三八八
一八二
三七二
一八三
三七四
一・三〇
一八〇
五六八
一七二
五四四
一七四
五四八
二・〇〇
一七二
七四〇
一六四
七〇八
一六五
七一三
二・三〇
一六四
九〇四
一五六
八六四
一五八
八七一
三・〇〇
一五五
一、〇五九
一四七
一、〇一一
一四八
一、〇一九
三・三〇
一四一
一、二〇〇
一三三
一、一四四
一三五
一、一五四
四・〇〇
一二七
一、三二七
一一九
一、二六三
一二〇
一、二七四
四・三〇
一一三
一、四四〇
一〇五
一、三六八
一〇七
一、三八一
五・〇〇
一〇〇
一、五四〇
九二
一、四六〇
九四
一、四七五
五・三〇
八八
一、六二七
八〇
一、五四〇
八二
一、五五七
六・〇〇
七六
一、七〇四
六八
一、六〇八
七〇
一、六二七
六・三〇
六四
一、七六八
五六
一、六六四
五八
一、六八五
七・〇〇
五三
一、八二一
四五
一、七〇九
四七
一、七三二
七・三〇
四二
一、八六三
三四
一、七四三
三五
一、七六七
八・〇〇
三一
一、八九四
二三
一、七六六
二四
一、七九一
八・三〇
一九
一、九一三
一一
一、七七七
一三
一、八〇四
(八・四五)
一
一、七七八
(八・五〇)
一
一、八〇五
九・〇〇
八
一、九二一
(九・〇五)
〇
一、九二一
別紙八
雄洋丸の航行経過(船橋位置基準)
時刻
累計時間
(分秒)
三〇秒間の進出距離
(m)
一号ブイからの累計距離
(m)
各ブイからの距離
(m)
備考
一三時一八分
〇
〇
一号
〇
〃 三一分
一三・〇〇
一九四
五、〇五六
五号北
二五六
〃 三一分半
一三・三〇
一九四
五、二五〇
〃
四五〇
パ号初認
〃 三二分
一四・〇〇
一九五
五、四四五
〃
六四五
〃 三二分半
一四・三〇
一九四
五、六三九
〃
八三九
〃 三三分
一五・〇〇
一九五
五、八三四
〃
一、〇三四
〃 三三分半
一五・三〇
一九四
六、〇二八
〃
一、二二八
半速前進
〃 三四分
一六・〇〇
一九一
六、二九一
〃
一、四一九
微速前進
〃 三四分半
一六・三〇
一八三
六、四〇二
〃
一、六〇二
機関停止
〃 三五分
一七・〇〇
一七四
六、五七六
〃
一、七七六
〃 三五分半
一七・三〇
一六五
六、七四一
〃
一、九四一
〃 三六分
一八・〇〇
一五八
六、八九九
〃
二、〇九九
全速後進
〃 三六分半
一八・三〇
一四八
七、〇四七
〃
二、二四七
〃 三七分
一九・〇〇
一三五
七、一八二
七号南
一八
衝突時
〃 三七分半
一九・三〇
一二〇
七、三〇二
七号北
一〇二
〃 三八分
二〇・〇〇
一〇七
七、四〇九
〃
二〇九
〃 三八分半
二〇・三〇
九四
七、五〇三
〃
三〇三
〃 三九分
二一・〇〇
八二
七、五八五
〃
三八五
〃 三九分半
二一・三〇
七〇
七、六五五
〃
四五五
〃 四〇分
二二・〇〇
五八
七、七一三
〃
五一三
レーダー記入時※
※ レーダーの測定点は七五メートル前方(誤差五メートルマイナス)
別紙九 参考海図<省略>
別紙10
計算表(二)
1<1> 時速13.02ノツトの場合
1,852m×13.02÷60≒401.88m…1分間の速力401.88m×15.5+1,768m(判示エンジン・モーシヨン後6分30秒間の進出距離)-7200m(中ノ瀬航路の全長)+75m(船橋位置と船体中心部との離距)≒872m
872m-593m=279m(誤差)
<2> 時速12.5ノツトの場合
1852m×12.5÷60×15.5+1664m-7200m+75m≒519m
519m-593m=-74m(誤差)
<3> 時速12.6ノツトの場合
1852m×12.6÷60×15.5+1685m-7200m+75m≒588m
588m-593m=-5m(誤差)
2 パ号初認時のパ号の速力と初認距離
A……パ号を初認した時の雄洋丸の船橋位置
B……その時のパ号の船首の位置
C……両船の進路の交点
D……A点より1分経過後の雄洋丸の位置
E……B点より1分経過後のパ号の位置
∠CAB=60°-21°=39°
∠CAB=47°海図による実測値
∠CAB=94°
<1> 初認時速力
AD/sin47°=BE/sin39°
BE/AD=sin39°/sin47°=6.6293/0.7314
12.6ノツト×0.6293/0.7314≒10.84ノツト(パ号速力)
<2> 衝突時速力
AC=2090m
BC=AC×sin39°/sin47°≒1798m
1798m-(1852m×10.84÷60×4.5)-16m(雄洋丸の中心から衝突個所までの距離)≒276m
1852m×(10.84+x)/2÷60×1(1分間)=276m
x≒7.04(ノツト)
<3> 初認距離
AB/sin94°=AC/sin47°
AB=AC×sin94°/sin47°=2090m×0.9976/0.7314≒2851m
2851m÷1852m≒1.54(海里)
3 緊急停船措置による停船回避の可能性
緊急停船指令時刻13時32分30秒
緊急停船指令地点5号ブイ通過839m地点
◎839m+1430m+188m-2400m=57m……緊急停船時における船首が中ノ瀬航路北側限界線を超える長さ
◎140m-11m(パ号の横幅22m×1/2)-57m=72m……衝突ラインからの船首の隔り
4 緊急停船措置によるすれ違い回避の可能性
緊急停船指令時刻13時33分
緊急停船指令地点5号ブイ通過1034m地点
13時37分52秒時の船首位置
◎1273m+(1313m-1273m)×12/20=1297m……4分52秒間の雄洋丸の進出距離
◎1034m+1297m+188m-2400m=119m……13時37分52秒時における船首が中ノ瀬航路北側限界線を超える長さ
◎140m-11m-119m=10m……衝突ラインからの船首の隔り
<図面 省略>
別紙一一
第二雄洋丸の公式試運転における後進試験成績を初速一二・六ノツトに平行移動した場合の二〇秒毎の逓減速力及び進出距離
時刻(分秒)
初速一二・六
二〇秒毎の進出距離(m)
累計(m)
〇・二〇
一二・五
一二九
一二九
〇・四〇
一二・二
一二七
二五六
一・〇〇
一一・八
一二三
三七九
一・二〇
一一・二
一一八
四九七
一・四〇
一〇・四
一一一
六〇八
二・〇〇
九・七
一〇三
七一一
二・二〇
九・〇
九六
八〇七
二・四〇
八・二
八八
八九五
三・〇〇
七・五
八一
九七六
三・二〇
六・八
七四
一、〇五〇
三・四〇
六・一
六六
一、一一六
四・〇〇
五・四
五九
一、一七五
四・二〇
四・八
五二
一、二二七
四・四〇
四・二
四六
一、二七三
五・〇〇
三・六
四〇
一、三一三
五・二〇
三・〇
三四
一、三四七
五・四〇
二・五
二八
一、三七五
六・〇〇
一・九
二三
一、三九八
六・二〇
一・三
一六
一、四一四
六・四〇
〇・八
一一
一、四二五
七・〇〇
〇・二
五
一、四三〇
七・〇九
〇
〇
一、四三〇