横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)189号 判決 1984年5月15日
原告
今井明彦
原告
今井貴実子
原告ら訴訟代理人
淡谷まり子
弘中悼一郎
被告
横浜市
右代表者市長
細郷道一
右訴訟代理人
上村恵史
会田努
山崎明徳
大沢公一
主文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一準委任契約の成否
一請求原因1(一)の事実のうち懐胎の事実及び同(二)の事実のうち原告貴実子と被告との間に原告貴実子の出産に関する契約が成立したことは当事者間に争いがない。同(一)の事実のうち婚姻の事実は<証拠>により認められる。被告は右契約の内容を争つているが、当事者間に争いがない出産の経緯(請求原因2(二)の事実)に照らせば、契約の内容が原告貴実子の主張のとおりであつたことは明らかである。
二次に、原告明彦と被告との間にも右と同旨の契約が成立したか否かの点については、これを肯認するに足る何らの証拠もなく、また、出産に関する契約においては父たるべき者が当然に契約の当事者となるとはいえないから、原告明彦の債務不履行に基づく請求はすでにこの点において理由がない。
第二帝王切開をすべきであつたか否かについて
一<証拠>によれば次の事実が認められる。
1 遷延分娩について
(一) 産科医は、一般に、一時間に六回または一〇分以内に一回の割合による子宮の規則的収縮が始まつた時から子宮口全開大時までを分娩第一期、子宮口全開大時から娩出終了までを分娩第二期とし、第一期と第二期に要する時間を合計したものを分娩時間と定義する。
(二) 通常、第一期は一〇ないし一二時間、第二期は一〇分ないし二時間であるとされる。分娩時間が初産婦において三〇時間以上である場合は遷延分娩とされ、特別の注意を払つて介助に当らなければならない。
(三) 臨床的には、陣痛周期及び発作持続、子宮口開大度、胎児下降度並びに胎児心拍などにより、分娩の遅れが異常か否かを総合的に判断する。
(四) 帝王切開術による出産を抽象的に観察すると、積極面としては、短時間に胎児を取出すので、母子ともにストレスが少なく、臍帯脱出などによる血行遮断の危険がないなどの点があり、消極面としては、児の呼吸不全症候群発生の虞れがあり(産道通過に伴う圧迫が出生後の胎児に自発呼吸の契機を与える。)、また、腹膜と子宮切開創との癒着が避けられないので次回の出産も帝王切開術によらざるを得ないため多数回の出産は不可能となるなどの点があることを考慮する必要がある。
(五) さらに、妊娠四二週を超えると胎盤機能が低下する虞れが大きくなり、また、陣痛も長期化すれば産婦が疲労して肝心の時に必要ないきみができなくなつたり、陣痛のたびに胎児にかかる圧迫が胎児を疲労させ遂には死産にいたることもある。個別具体的な場合に経膣分娩が可能か否かは、右のような危険も考慮しつつ、帝王切開への方針変更の最後の機会(証人石井暎禧の証言によれば、それは排臨の前後までであると認められる。)まで慎重に見定めなくてはならないものである。
2 分娩経過について
(一) 陣痛の強さについては正確な測定は困難であるが、産科医は、一般に、陣痛周期が二分以内である場合を娩出にとり好ましいとし、五分以内で二分以上の場合でも漸次短い周期に連なつていくのであればこれを通常の陣痛とし、周期が五分より長い場合は陣痛はまだ弱く娩出は遠いものと考えている。
(二) 原告貴実子は、入院当初陣痛は弱く、頸管未成熟の状態(子宮口が開大せず、子宮頸管や膣などから形成される軟産道が固く、娩出の条件が整つていないことを意味する。)にあつたため、被告病院の医師は、薬効の比較的弱い分娩促進剤を投与してその結果を見ることを考え、八月一〇日午後一時からプロスタルモンE2という薬物を利用した。
(三) その結果いつたん二分周期の陣痛が現われたものの、八月一一日午前一時ころには七分或いは八分周期に戻り(乙第三号証中の医師作成にかかると認められる部分には八月一〇日午後七時から同日午後一一時過ぎまでの間陣痛は消失したとの趣旨の記載が、看護婦或いは助産婦作成にかかると認められる部分には右の間にも陣痛が続いていたかに解し得るグラフ記載があつて、何れとも判断し難い。)、さらに八月一一日午前一〇時過ぎから薬効のやや強いプロスタルモンFの点滴を試みた結果、八月一一日午後五時には周期二分の陣痛発来を見たものの、その後やはり周期は長くなり、最後に八月一二日午前九時一五分に原告貴実子が分娩室に入つてからも陣痛促進剤であるアトニンの点滴を必要とした。
(四) その後陣痛周期は次第に短かくなり、同日午後には二分周期の陣痛が得られ、この状態は娩出に至るまで持続した。
(五) 周期については右のとおりであるものの、陣痛の強さは、被告病院の医師によつても、娩出の時まで十分に強い陣痛が現われたとは認められない状態であつた。
(六) 原告貴実子の内診点数(分娩の進行を、子宮頸管の硬さ、頸管の長さ、子宮膣部位置、子宮口開大度及び児の固定度の五項目について、〇点、一点及び二点に各々採点して合計点の増加から判断しようとする方法であり、産科医は一般にこれに依つている。)は、入院当初一点であつたが、八月一〇日午後二時には五点となり(採点対象の性質から推して、陣痛周期とは異なり、不可逆的であるものと推認し得る。)、子宮口は同日午後五時には二センチメートルに、八月一一日午後六時には六センチメートルに、八月一二日午前八時には九センチメートルにそれぞれ開大し、同日午前一一時四七分には既に全開大の状態に至つた。
(七) 陣痛周期が短かくならずその強さも十分でない場合を微弱陣痛といい、そのうち、当初から弱い場合を原発性微弱陣痛と言い、いつたんは娩出へ向けて十分に強い陣痛の発来を見ながらその後弱くなつてしまう場合を続発性微弱陣痛と言つて、特に後者の場合には子宮腫瘍等産婦の疾患を疑うのが一般であるが、原告貴実子の場合は原発性微弱陣痛に該当する。
3 胎児の状態について
(一) 被告病院では、分娩中、分娩監視装置を用いて胎児の心音や胎動の有無に現われる児の健康状態の変化を追跡している。
(二) 原告貴実子の場合、右の装置によつて一時的には潜在的な低酸素症を疑うべき心音の変化が捉えられたものの、児の危険を具体的に考えるべき程度の変化は皆無であつた。
(証人石井暎禧の証言中には八月一二日午前一一時四七分に観察された羊水混濁はそれ以前に児の状態が芳しくなかつたことがあることを示していると述べている部分があるが、同証人はまた以前にあつたと推測される芳しくない状態がどの段階までどの程度の影響を及ぼしたかは明らかでないと述べているし、<証拠>を見分しての意見であると認められる右の証言は<証拠>中に記載された羊水混濁の記載の前提について土屋医師と理解を異にしているとも疑い得るので、右の証言部分は前記の判断を左右するに足りない。)
4 胎児の大きさの予測について
(一) 骨盤位のうち臀位(初男はこの状態にあつた。)の場合は、児頭最大周囲と先進部(臀部)との大きさの差は僅かであるから、臀部が骨盤に嵌入するのに支障がなければ経膣分娩は通常可能と見ることができる。
(二) 初男の場合、娩出に至るまでの間、所要時間は長かつたが、児の状態に著変はなかつたのであるから、初男の体重、従つて体躯の大きさの予測が正確になされたか否かを判断する必要はない。
(三) 産婦の骨盤腔のもつとも狭い部分である恥骨後面と仙骨腰椎交点とを結ぶ産科的真結合線の長さと児頭最大横径との差が1.5センチメートル以下である場合を経膣分娩が適当でないときとするのが被告病院の扱いであり、一般の例より長目に余裕を見たものである。
(四) 初男の場合はこの差が2.5センチメートルもあつた。測定基準日である七月二一日以後の胎児の成長を考慮するとしても、児頭径がさらに一センチメートル増加して被告病院の限界基準に達するためには、体積比で三五パーセント以上の増量を必要とするところ、胎児の成長が身体各部についていかなる割合でどの程度の速さで現われるかは証拠上必ずしも明らかでないが、七月二一日から八月一二日の間に三五パーセント程度の成長を遂げたであろうと窺わせる証拠は何らない。
5 産道強靱の予測について
(一) 初産婦の場合軟産道は概して固く難産の原因ともなるが、一般にはある程度まで柔かくなるので、破水前であれば時間をかけて柔化を待つて良いと考えられている。
(二) しかし、産婦によつては最後まで軟産道が強靱で円滑な出産を妨げることもあるために、産科医は先の内診点評価に産道の硬さを含めている。
(三) 産道の硬さは、子宮口の開大度とは意味を別にし、しかも触診によるため、同一医師の継続観察がなされない場合はその変化の判断に特に慎重を要する。そこで、子宮口開大度や陣痛周期を継続的に観察し、そこから典型を取り出して軟産道強靱を予測する手法が種々考案されている。
(四) 原告貴実子の場合は娩出の時まで軟産道が提靱であり、このことが本件出産を困難とした(証人古屋博は、子宮口全開大時から臀部娩出に二時間程を要しているところから、通常五分ないし三〇分で完了すると考えられるのと比較して、軟産道が強靱であつたと推察されると証言している。)。
(五) 被告病院医師土屋新一は、原告貴実子は入院した当日の診察をした結果から軟産道強靱の場合に該るのではないかと考えたが、先の一般的事情を考慮しつつ、分娩の経緯から推して娩出を妨げる事情とはなるまいと判断し、初男の体躯の娩出を待つた。
(証人石井暎禧の証言中には、分娩開始後二四時間程度を一つの目処として経膣分娩を選ぶか帝王切開を選ぶかを考え、微弱陣痛の場合、他の事情が許せば薬物による陣痛促進をはかるのも良いが、その結果右の程度の時間の範囲内で以後の分娩が自然の好ましい経緯をたどると認められる場合のみ成行にまかせ、そうでなければ方針を帝王切開に変更するのが望ましく、本件の分娩については、局面毎の対処に誤りはないものの、全体としての見極めを誤り、陣痛促進の結果自然の経過に乗らなかつたのに乗るものと判断して経膣分娩の方針が維持されたものであるとする部分があり、一個の見解として十分尊重するに値するものの、当事者間に争いない分娩の経過事実によれば、分娩開始と認める八月一〇日午前一〇時ころから二四時間を経た後にも分娩が進行して、子宮口は開大を続け児の下降もあつたことが明らかであり、かつ、薬効の比較的小さいものを選択して促進を試みたというのであるから、方針を変更しなかつたことが不適切であつたとするには足りないと言うべきである。)
6 娩出力について
原告貴実子は、分娩最後の段階にも、弱いながらいきむ余力を残していたことが明らかである。
(原告貴実子本人尋問の結果中には、原告貴実子は、入院後、食事ができず、歩けず、眠れないという激しい疲労が続いたとする部分があるが、その程度が問題であり、分娩の長期化が産婦を疲労させいきみができなくなるという危険が本件の場合に具体化したと認めるには足りない。)
二本人の帝王切開希望について
<証拠>によれば、原告両名が被告病院医師に対し帝王切開の希望を伝えたことが認められる(もつともその時期ははつきりしない。)。
原告貴実子と被告との関係を準委任契約と見ることが許されるのであるから、帝王切開術の施行を内容とする契約の成立を考えることはできるが、原告らはそのような内容の契約の成立は主張しておらず、分娩方法の選択をも委ねた準委任契約に依つて判断する限り、本人の希望は帝王切開に対する同意と何ら異なる意義を有するものではない。被告の債務不履行とは何ら関わりのない事柄である。
三以上の判断から、当初より帝王切開をすべきであつたとする原告貴実子の主張が理由を欠いていることは明らかである。また、八月一二日午後一時ころまでに帝王切開術への方針変更がなされるべきであつたとする主張についても、被告病院医師は原告が主張する諸々の危険を考慮しつつ経膣分娩の方針を維持したのであり、その判断は不適切であつたと認めるに足りないので、理由がない。
第三被告病院医師らの手技について
一原告らは原告貴実子の分娩が熟練者によつてなされるべきであつたと主張するが、医療機関が、複数の医師を擁する場合、特定の医師を以て診療行為に当らせなかつたことが債務不履行になることは原則としてないというべきである。
二<証拠>によれば次の各事実を認めることができる。
1 被告病院産科は興石、土屋、根本及び小清水の四名の医師で構成され、小清水医師は医師免許取得後一年未満であつたが、他の者は四、五年以上の経歴を有し、土屋医師は、昭和五二年八月一二日当時既に八〇〇ないし九〇〇人の出産に立会つた経験を有し、そのうち骨盤位娩出介助の経験は五〇例程あつた(積極的に児を引き出す技術を施す場合を骨盤位牽出と言つて、介助と区別するのが習いである。)。
2 小清水医師は一度だけ横八字法を試みたが、そのため一〇秒程度を要した。土屋医師はファイトスメリー法を試みる際児の口を産道内で捜すのにやや手間取り、結局、側切開をしてから娩出までに合計五分程度を要した。
3 児頭の娩出に三分以上を費やすようであると、臍帯圧迫により児に危険が生ずる。
三証人糸山美知子の証言中には、医師土屋新一が二度切開を入れた(従つてその分時間を費やした。)と述べる部分があり、現場の観察者が無根の事実を述べるはずもないと考えられるものの、証人土屋新一は、ファイトスメリー法に取り掛れば両手がふさがり改めて切開術を行うことは不可能であると述べてこれを否定するので、そのいずれとも認定し難い。
四原告貴実子は児頭の娩出に一〇ないし二〇分かかつたと述べるが、観察の姿勢や置かれた条件から推してその正確性には疑問が残る。
五右の事実と当事者間に争いがない分娩経過に基づいて考えるに、原告貴実子の出産に立会つた被告病院の医師らの技倆が平均的医師の域に達せず立会自体が不適当であるとか、放漫な施術がなされたとか言うには到底足りない。もつとも、娩出に手間取つた原因が産道の性質や陣痛の強さにもあると考えることができるが、牽引の以前の予測に特に非難すべき点が見当らないのであるから、結果的に軟産道が強靱であつた等のために円滑な分娩を妨げられたとしても、これをもつて医師に不完全履行があつたとすることはできない。
なお、原告貴実子は、根本医師が原告貴実子の上に跨がりその腹部を手で圧迫したことが、初男の頭部に無用の力を加え、依つて頭蓋内出血を引き起こしたかに供述するが、証人古谷博の証言によれば、陣痛が弱いなどの場合、分娩を介助する趣旨で産婦の腹部に跨がり左右均等に腹部を手で押えることがしばしば行われていると認められ、根本医師の介助の方法が相当でなかつたことを窺うに足る証拠は何らない。
第四以上によれば、債務不履行を理由とする原告貴実子の請求は理由がない。
第五原告らは不法行為に基づく損害賠償をも請求しているが、第二及び第三で述べた諸点から判断して、被告病院の医師らには原告らの主張する過失は認められず、他に初男の死を結果することを窺わせる事実の主張はない。
よつて、不法行為に基づく損害賠償請求も理由がない。<以下、省略>
(三井哲夫 曽我大三郎 加藤美枝子)