横浜地方裁判所 昭和53年(ワ)597号 判決 1982年4月20日
原告(反訴被告)
社会福祉法人
伸愛学園
右代表者理事
伊達直利
右訴訟代理人
梓澤和幸
被告(反訴原告)
宗教法人
遍照寺
右代表者代表役員
柴良全
右訴訟代理人
永田喜與志
同
池田晴美
主文
一 原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間で、原告(反訴被告)が別紙物件目録(二)記載の土地部分につき、左記の内容の転借権を有することを確認する。
記
賃貸人 被告(反訴原告)
転貸人(賃借人) 内田光代
転借人 原告(反訴被告)
目的 普通建物所有
存続期間 昭和四七年一二月一日から昭和六七年一一月三〇日まで
賃料 月額金一万八一五〇円
二 原告(反訴被告)の本訴主位的請求及びその余の本訴予備的請求を棄却する。
三 被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。
四 訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを三分し、その二を被告(反訴原告)の負担とし、その余を原告(反訴被告)の負担とする。
事実《省略》
理由
第一本訴請求について
一主位的請求に対する判断
1 本訴請求原因1項(一)の事実は当事者間に争いがなく、同1項(二)の事実のうち、亡音松(その資格の点は除く)が昭和二七年一二月一日付で、被告法人の前身である遍照寺(責任者柴良戒)との間で、同寺から本件(一)の土地を原告主張の約定で賃借する旨の賃貸借契約を締結したことは当事者間に争いがない。
2 そこで本件(一)の土地について原告法人が設立と同時に当然に本件(一)の土地の賃借権を取得したかどうかについて検討する。
<証拠>を総合すると、
(一) 亡音松は、大正一五年一一月少年保護団体自彊舎を設立して横浜市西区平沼町にその事務所を置き、司法少年保護事業を主宰してきたものであるが、右事業の発展に伴い、昭和四年四月被告の前身遍照寺(責任者柴良戒)から個人の資格において本件(一)の土地を普通建物所有の目的で賃借し、同土地上に事務所、収容所を移して同事業を主宰し、同事業の内容の充実を計つたこと、
(二) 亡音松は、児童福祉法の施行に伴い、昭和二四年四月右少年保護団体自彊舎を同法による養護施設伸愛園に切換えこれの認可をえて、個人の資格で、本件(一)の土地を使用して右養護施設を経営する事業を行つてきたこと、
(三) 亡音松は、社会福祉事業法の施行に伴い、後記のとおり、右養護施設伸愛園を廃止し、また後記のとおり、原告法人設立代表者として原告法人を設立し、原告法人が右伸愛園のなしてきた養護施設経営の事業を引き継いだこと、
(四) 原告法人設立に伴い、本件(一)の土地についての前記亡音松の借地権についても、これの更新を確認する趣旨で右土地につき昭和二七年一二月一日付で前記賃貸借契約が締結され、また、原告法人設立認可申請手続のため必要書類としてその形式を調えるため右契約の契約書(甲第三号証)が作成されたが、右契約の締結、右契約書の作成につき、その当事者たる亡音松、被告の前身に当る遍照寺(責任者柴良戒)双方とも、本件(一)の土地の従前の賃貸借関係の内容に変更を加える意思は毛頭なかつたこと、特に、亡音松の個人的人格を信頼し、養護施設経営の熱意に敬服して本件(一)の土地の賃貸を継続してきた前記遍照寺ないしは被告法人設立後の被告代表者らは、右土地の賃借人は終始一貫して亡音松個人ではあるが、第三者たる原告法人が設立されこの者が現実に右土地全部を直接使用し始めたため自然に同土地が又貸しの形になつてしまつた旨認識していること、
以上の事実を認定することができる。
もつとも、
<証拠>によると、原告法人の設立につき、(ア)亡音松は、昭和二七年七月一日、外五名の者とともに、発起人として原告法人設立を決議し、その際、他の発起人からその設立代表者及び設立後の原告法人の代表者に選任され、原告法人設立手続に関する一切の権限を委任されたこと、(イ)亡音松は、原告法人設立代表者の資格において、昭和二七年一二月一五日付で厚生大臣に対する原告法人の設立認可申請手続を行ない、昭和二八年一一月九日付で原告法人の設立は認可され、同月二六日に原告法人の設立登記が経由されたこと、(ウ)そして、原告法人は、昭和二八年一一月二六日付で県知事に対する児童福祉施設設置の認可申請手続を行ない、同年一二月一日付でこれが認可され、他方、それまでの養護施設伸愛園は同年一一月三〇日付で県知事の承認を得て廃止されたこと、(エ)亡音松は、原告法人の設立認可、児童福祉施設設置認可に伴い、当時本件(一)の土地上に存在した同人の個人所有の養護施設伸愛園の施設たる建物を原告法人に寄附していること、以上の事実を認めることができるが、前記(一)ないし(四)に認定した原告法人設立の沿革、昭和二七年一二月一日付の賃貸借契約締結の経緯、特徴に徴すると、養護施設の経営を終始主宰し、これに情熱を傾けてきた亡音松につき、右(ア)うないし(エ)の事実が認定できるのはむしろ当然のことと理解されるのであつて、この事実から、亡音松が、原告主張のように、原告法人設立準備委員会代表者たる資格において前記賃貸借契約を締結したと認めることは困難であり、また、右事実の存在は、もとより前記(一)ないし(四)の認定の妨げとはならない。
また、<証拠>(被告発行の賃料領収書)によると、その宛名が伸愛学園と表示されていることが解るが、このことも、<証拠>(被告発行の他の賃料領収書)の宛名が伸愛園内田音松あるいは伸愛園と表示されていることならびに後記説示のとおり、原告が適法な転借人であつたことに照らすと、これをもつて原告の右主張事実認定の資料となし難い。
なお、前掲各証拠によると、昭和二七年一二月一日付の前記賃貸借契約の契約書(甲第三号証)には、その賃借人の表示として「伸愛園長内田音松」なる名称が用いられていること、しかしながら、同日当時すでに亡音松は原告法人設立代表者として選任されていたものであること、右の伸愛園は亡音松が個人の資格で経営していたものであることが解るのであつて、このこともまた前記(一)ないし(四)の認定を支えるものである。
他に右認定を左右するに足りる証拠はなく、右認定事実からすると、かえつて、本件(一)の土地の賃借人は亡音松個人であつたと認むべきであるから、同土地の賃借人が原告法人であつたとする原告の主張は理由がない。
以上の次第で、原告の主位的請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
二予備的請求に対する判断
1 本訴請求原因2項(一)の事実は当事者間に争いがない。
2 同2項(二)の(1)、(2)の事実は、前記一2冒頭掲記の各証拠を総合すれば、これを認めることができる(但し、亡音松が原告に対し本件(一)の土地のうち、少くも本件(二)の土地部分を転貸したこと及び右転貸につき被告が承諾したことは、当事者間に争いがない。)。<反証判断略>
3 同2項の(三)の事実、同項の(四)のうち、亡音松が昭和四七年七月死亡し、その妻内田光代が相続により、被告に対する賃借人の地位及び原告に対する転貸人の地位を承継した事実、同項の(五)の(1)の事実及び同項の(五)の(2)のうち、被告と内田光代間の賃貸借契約更新に伴い、内田光代と原告間の転貸借契約も、昭和四七年一二月一日付で合意により存続期間二〇年の約定で更新された事実、以上の事実は当事者間に争いがない。
そして、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によると、内田光代と原告との間で、昭和四七年一二月一日付で存続期間二〇年の約定で更新された転貸借契約の土地の範囲が本件(一)の土地全部であること、また、その後両者間で改定された転貸賃料も原告主張のとおり月額二万四九〇〇円(被告と内田光代間の本件(一)の土地賃貸借契約につき、その後改定された賃料の月額と同じ額)であることを認めることができ、これに反する証拠はない。
4 そこで、本訴抗弁2項について検討する。
(一) 本訴抗弁2項の(一)の事実は当事者間に争いがない。
(二) そこで同項の(二)の事実の有無について判断するに、<証拠>を総合すれば、原告法人は、昭和四九年三月当時原告が当時自ら使用しておらず、内田光代が自宅等の敷地として使用していた土地部分(本件(一)の土地のうち、本件(二)の土地部分を除いた部分)については、遅くとも昭和四九年三月二四日の理事会までには本訴抗弁2項(一)の被告と内田光代間の賃貸借契約の合意解除に同意し、右土地部分については、その後、被告と内田光代との間で昭和四九年四月に新たに賃貸借契約を締結している事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかしながら、本件(一)の土地のうち本件(二)の土地部分については、右被告と内田光代間の合意解除に原告が同意したことは、前掲乙第六、第七号証の記載自体によつてもこれを認めることができず、証人の各証言もこれを認めるに十分でなく、他に、右事実を認定するに足りる証拠はなく、かえつて前掲証拠によれば、昭和四九年三月当時原告は本件(二)の土地部分を使用して事業の継続を考え、種々の対策を講じていたことが窺われる。
結局、本訴抗弁2項の(一)、(二)については、本件(一)の土地のうち本件(二)の土地部分を除く部分については理由があるが、本件(二)の土地部分については理由がない、ことに帰する。
(三) ところで、賃借人が賃借土地を第三者に転貸し、賃貸人がこれを承諾した場合においては、賃貸人と賃借人とが賃貸借契約を合意解除しても、転借人において右合意解除の効果を甘受すべきような特別の事情のない限り、右合意解除の効果を転借人に対抗することができない、と解するのが相当であるところ、被告の本訴抗弁2項の(三)は、結局、本件において右の特別の事情がある旨の主張と解しうるので検討する。
<証拠>を総合すれば、本訴抗弁1項の(一)の事実、(二)の冒頭及び(ハ)の事実、(三)の事実及び右認定の火災を契機に、当時の原告の理事らは原告学園を廃止する方針を決め、昭和四八年一〇月頃、突然、職員の全員に解雇を申渡したこと、原告法人の一部職員らは学園存続、解雇撤回を要求して右理事らに団体交渉を申入れたが右理事者らが行方をくらますなどしてこれに容易に応じなかつたので、同年一一月上旬頃二、三日間にわたり、右一部職員らは外部の支援グループの者とともに当時本件(一)の土地のうち本件(二)の土地部分を除いた土地上の建物に居住していた当時の理事伊藤甫二江、同内田光代方に押しかけて団体交渉を強くかつ執拗に迫つたこと、そのため、理事側の要請により数回警察官の出動をみたこと、しかしながら、当時の原告法人の理事者側も、昭和四九年の初め頃には、横浜市当局の指導もあつて、従前の原告学園廃止の方針を変更し、前記の解雇の意思表示を撤回し、将来に向けて同学園を存続する方針に転換したうえ、自分達は同年三月限りで理事を辞めて、同年四月以降は横浜市の斡施した新理事に同学園の経営をまかせることを決意したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。本訴抗弁1項の(二)の(イ)、(ロ)のうち右認定以外の事実を認めるに足りる証拠はない。
右認定の事実関係に徴すれば、火災後の原告法人の再建方針、全職員の解雇をめぐる理事者側と職員側との内紛については、一部職員において度を過ぎた行動に出た点が確かにあり、この点は厳に戒められねばならず、この行動が近辺に檀家を持つ宗教法人たる被告に対し好ましくない影響を与えたことは十分に窺うことができるけれども、右内紛も一時的なものであつて、前記のとおり治まつたこと、右内紛によつて被告において受忍限度を超える被害を受けたことは証拠上認められないこと、また、前記の一部職員の度を過ぎた行動によつて、内田光代が精神的に苦痛を被つたことは容易に推認できるけれども、右の内紛が激しくなつたことについては原告学園廃止の方針の打出し方、原告職員の全員解雇の申渡し方、及びこれらに関する団体交渉に対する対応の仕方等についての内田光代をはじめとする当時の理事の不手際もその原因の一つとなつていると認められ、内田光代も理事の一人として右精神的苦痛はある程度甘受すべき立場にあるといわざるをえず、また、光代も理事の一人として昭和四九年初め頃には結局原告学園廃止の方針を変更し、全員解雇の意思表示を撤回し、原告学園存続の方針を肯認したこと、原告学園存続のためには本件(二)の土地部分の使用が必要不可欠であること、以上が明らかであつて、これらの諸事情を考量すると、原告法人の火災以後の内紛に関する諸事実を考慮しても、原告において、本件(二)の土地部分につき、被告と内田光代との間の本件合意解除の効果を甘受すべきような特別の事情ありとみることは困難であり、他にこれを首肯させる資料はない。
結局、本訴抗弁2項の(三)は理由がない。
(四) 本訴抗弁2項の(四)については同2項の(三)の抗弁が認められない以上被告がその主張するような解除権を取得するに由ないから、右抗弁は主張自体失当であつて排斥を免れない。
5 以上の次第で、原告は、訴外内田光代に対し、本件(二)の土地部分につき、普通建物所有の目的の、存続期間昭和四七年一二月一日から昭和六七年一一月三〇日まで、賃料月額金一万八一五〇円(前記認定の賃料月額金二万四九〇〇円に、本件(一)の土地面積に対する本件(二)の土地部分の面積の比率を乗じて算出した数値、及び成立に争いのない甲号証ならびに弁論の全趣旨を総合して認定)の転借権を有するものと認むべきである。
第二反訴請求について
反訴請求原因1、2項の各事実は当事者間に争いがなく、反訴抗弁及び反訴再抗弁に対する判断は、本訴請求原因及び本訴抗弁に対する前記判断と同じである。
従つて、原告は、被告所有の本件(二)の土地部分につき占有権限(転借権)を有することになるから、反訴請求は理由がないことに帰する。
第三結論
以上によれば、原告の本訴請求については、予備的請求のうち、原告が被告との間で、本件(二)の土地部分について主文一項記載の転借権の確認を求める部分に限り理由があるから、右の限度でこれを認容し、主位的請求及びその余の予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、被告の反訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を各適用して主文のとおり判決する。
(海老塚和衛 菅原敏彦 氣賀澤耕一)
(別紙)物件目録、図画<省略>