横浜地方裁判所 昭和53年(行ウ)46号 1983年9月29日
原告
株式会社新幹線ビル
右代表者代表取締役
瀬戸三郎
右訴訟代理人弁護士
岡昭吉
被告
神奈川県地方労働委員会
右代表者会長
江幡清
右訴訟代理人弁護士
日下部長作
被告補助参加人
合化化同一般総連化学一般労連関東地方本部全統一労働組合
右代表者中央執行委員長
水野邦夫
右訴訟代理人弁護士
野村和造
柿内義明
宇野峰雪
鵜飼良昭
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が補助参加人を申立人とし原告ほか一名を被申立人とする神労委昭和五二年(不)第六号不当労働行為申立事件について同五三年一一月一日付でした命令中原告に関する部分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は新幹線ビル(小田原駅西側隣地所在)の管理運営を目的として昭和四五年七月一日に設立された株式会社であり、原告の経営については、瀬戸三郎会長、小川一誠社長、牧野勇専務の三名の代表取締役が中心となってこれにあたり、更に重要事項については新幹線ビル共有者兼敷地所有者で構成する地権者会議においてこれを決定していた。
2 被告は、補助参加人を申立人とし、原告及び東和精巧株式会社(以下「東和精巧」という。)を被申立人とする神労委昭和五二年(不)第六号不当労働行為申立事件につき、同五三年一一月一日付で別紙のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発した。
3 しかしながら、本件命令は事実誤認に基づく違法なものであるから、原告は本件命令中原告に関する部分の取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1のうち、地権者会議が原告の経営に関する事項を決定していたことは不知、その余の事実は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3の主張は争う。
三 抗弁
1 補助参加人は組合員約八〇〇〇名によって組織される労働組合である。山田熊吉、栗原勇、剣持好蔵、大塚春太郎の原告従業員四名は昭和五一年五月二五日新幹線ビル労働組合を結成したが、右労働組合は同年六月一五日補助参加人に加入し、同組合新幹線ビル分会となった。
2(一) 大塚は昭和五〇年六月一八日原告との間で雇用契約を締結してその従業員となり、爾後主として新幹線ビルのショッピングセンター利用客のための専用駐車場(以下「本件駐車場」という。)の管理業務に従事した。
(二) 昭和五〇年当時原告は社会保険の適用事業所でなかったが、大塚は社会保険の適用を強く申し入れていたことから、同年一〇月二六日付で社会保険の適用事業所である東和精巧に移籍された。しかしながら、これは大塚の社会保険加入の便宜上形式的にされたものにすぎず、右移籍によっても原告と大塚との間の雇用契約関係には全く変化がなかった。
(三) 仮に右移籍により大塚の雇用契約上の雇主が東和精巧になったとしても、その後も大塚は原告の業務である本件駐車場の管理業務や新幹線ビルの守衛業務に従事し、同人に対する業務上の指揮監督は原告の役員や従業員がしていただけでなく、同人に対する賃金の支払いも原告においてされていたのであるから、同人の労働関係を実質的に支配していたのは原告であり、原告は大塚との関係で労働組合法七条の「使用者」にあたる。
(四) 東和精巧は昭和五一年一一月二四日大塚に対し翌二五日付で解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。
(五) 大塚は小田原地区労との連絡役となり、昭和五一年五月二五日新幹線ビル労働組合を結成した際の中心人物であり、その後も小田原地区労幹事として新幹線ビル分会の指導的立場にあって組合活動に積極的に取り組んでいたが、原告はこれを嫌悪し、東和精巧の名で本件解雇をしたのであるから、本件解雇は大塚の正当な組合活動を理由とする不利益取扱いであるとともに補助参加人に対する支配介入であって、労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為である。
3 原告は新幹線ビル労働組合が結成された直後からこれに対して敵対的な態度を示し、同組合が補助参加人に加入した後間もない時期に、いずれも当時原告の従業員であった山田や栗原に対し組合から脱退することを要求したり、新幹線ビル分会が補助参加人から脱退すべきことを要求するなどしたが、原告の右行為は補助参加人に対する支配介入であって、労働組合法七条三号に該当する不当労働行為である。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1のうち、大塚、剣持が原告の従業員であることは否認する。補助参加人が組合員約八〇〇〇名によって組織される労働組合であることは不知、その余の事実は認める。
2 同2の(一)のうち、大塚が昭和五〇年六月下旬から本件駐車場の管理業務に従事したことは認めるが、その余の事実は否認する。大塚との間で雇用契約を締結して同人の雇主となったのは原告の代表取締役である瀬戸三郎個人であり、雇用契約締結の時期は同月二〇日すぎである。
同2の(二)のうち、大塚の東和精巧への移籍が同人の社会保険加入の便宜上形式的にされたものにすぎないこと、右移籍によっても原告と大塚との間の雇用契約関係に全く変化がなかったことは否認し、その余の事実は認める。
同2の(三)のうち、大塚の東和精巧への移籍により同人の雇用契約上の雇主が東和精巧となったこと、その後も大塚が本件駐車場の管理業務に従事したことは認めるが、その余の事実は否認する。
同2の(四)の事実は認める。
同2の(五)のうち、原告が大塚の組合活動を嫌悪して本件解雇をしたこと、本件解雇が同人の正当な組合活動を理由とする不利益取扱いであるとともに補助参加人に対する支配介入であって労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為であることは否認し、その余の事実は不知。
3 同3の事実は否認する。
五 原告の反論
1 大塚との関係で労働組合法第七条の「使用者」にあたるのは東和精巧であって原告ではない。それは次の諸事情から明らかである。すなわち、第一に、原告と大塚との間には本件解雇以前に雇用関係が存在したこともなく、近い将来雇用関係が予定されていたこともなかった。第二に、本件当時原告と東和精巧とは互いに相手方会社の株式を保有していなかったし、原告の取締役、監査役も東和精巧の株式を保有していなかった。また原告と東和精巧との間には役員の派遣や兼務の関係もなかった。したがって、原告と東和精巧との間には法人格否認の法理を適用するような事情もない。第三に、原告と東和精巧との間には従業員の出向や兼務の関係もなく、原告と東和精巧とは相互に補完関係のない別個の業務を営んでいたのであって、東和精巧が原告の専属的下請という関係にあったわけでもなく、東和精巧は主体的に大塚の労働条件を決定し、同人の業務を指揮監督していたのであるから、原告は大塚の労働関係上の諸利益に対し、現実かつ具体的に支配力を有するものでなかった。
2 原告は大塚の解雇には何ら関与していないが、東和精巧の大塚に対する本件解雇の解雇理由は次の二点である。
(一) 大塚は性格的にも融通がきかず、年令も五五才を過ぎて人当たりが良くなく、本件駐車場の受付時刻が午後七時までと指示されていたのに午後六時半になると客の利用申込みを拒否するなどして、買物客やテナントからの苦情が絶えなかった。また勤務に関する指示にも反抗的な態度を見せ、何度か注意されたにもかかわらずその態度は是正されなかった。解雇理由の第一点は大塚のこのような勤務成績不良である。
(二) 東和精巧の本来の業務はオルゴール及び箱根木工細工の製造販売であるが、右製造販売額は年々減少し、昭和四八年から同五二年までの間に商品販売量は三分の一と激減した。また同社は本件解雇当時他に採算のとれる業務を営んでいなかった。同社はこのような営業不振により、同五二年一月期の決算では当期純利益が約一八万円、次期繰越損失が約二六六万円で、過去五年間株主配当は全くなかった。しかも、同社は大塚の移籍を受けいれるに伴い本件駐車場管理の代償として瀬戸三郎から月額金一〇万円を受け取ったが、これは大塚の賃金と同額のため、社会保険料の使用者負担分相当額は同社の赤字となった。解雇理由の第二点は東和精巧のこのような業績不振である。
3 東和精巧は昭和五二年一二月二七日大塚に対し同月末日付で解雇する旨の意思表示をしたが、その解雇理由は次の二点である。
(一) 大塚は本件に関する被告における審問手続において、会社側が労働基準監督署を通じて検察庁に提出したタイムカードを会社側の偽造したものと証言して原告及び東和精巧の名誉、信用を侵害しただけでなく、真実に反する就業時間を労働基準監督署に申告して不正に多額の賃金を取得しようとしたり、本件解雇後のこれに対する反対運動として新幹線ビル内の洗面所鏡や通路その他にボンド等の強力な接着剤によるビラ等を貼付した。これは大塚の、自己の利得になるならば不正、違法な行為を敢えてする性格のあらわれというべきであり、東和精巧の業務に耐えられないものである。よって右行為は東和精巧の就業規則一三条一号、二号の解雇事由に該当する。
(二) 東和精巧は昭和五二年七月三一日会社解散を決議し、同年八月二五日解散登記が経由され、同五四年三月一〇日をもって清算も終了しており、残余財産はない。右解散は前記就業規則一三条二号の解雇事由に該当する。
六 原告の反論に対する認否
1 原告の反論1の事実は否認する。
2 同2の(一)の事実は否認する。同2の(二)のうち、東和精巧の本来の業務がオルゴール及び箱根木工細工の製造販売であることは認めるが、その余の事実は不知。原告主張の事実が本件解雇の正当理由となることは争う。
3 同3のうち、東和精巧が昭和五二年一二月二七日大塚に対し同月末日付で解雇する旨の意思表示をしたことは認める。同3の(一)は争う。同3の(二)のうち、東和精巧が昭和五二年七月三一日会社解散決議をし、同年八月二五日解散登記が経由されたことは認めるがその余の事実は不知。原告主張の事実が右解雇の正当理由となることは争う。
第三証拠関係
本件記録中書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 補助参加人を申立人とし、原告及び東和精巧を被申立人とする神労委昭和五二年(不)第六号不当労働行為申立事件について被告が同五三年一一月一日付で本件命令を発したことは、当事者間に争いがない。
二 そこで本件命令の適否について判断する。
1 原告、東和精巧、株式会社豪華(以下「豪華」という。)、大塚春太郎、山田熊吉並びに補助参加人らについて
(証拠略)を総合すると
(一) 原告は、小田原市城山一丁目の東海道新幹線小田原駅西隣地にある通称新幹線ビル(地下一階付一五階建)ショッピングセンター部分(地下一階から地上三階までの部分)の共有者兼敷地所有者(以下「地権者」という。)の委託を受けて同ビルショッピングセンター部分の管理運営をすることを目的として昭和四五年七月一日設立された株式会社であり、同ビルのショッピングセンター部分につき最も多くの持分割合を有する瀬戸三郎、小川一誠、牧野勇(なお、昭和五三年当時のショッピングセンター共有部分の持分割合は、瀬戸三郎が約三一・六パーセント、同人が代表取締役である豪華が約一二・九パーセントで、両者をあわせると約四四・五パーセント、小川が約一九・八パーセント、牧野が約一〇・〇パーセントであり、以上合計で約七四・三パーセントとなる。)の三名が代表取締役となって業務の運営にあたる建前となっていたが、三名の業務分担は特に定められておらず、実際は、瀬戸三郎が他の代表取締役や取締役会の事前の承諾なしに独断で業務に関する決定、執行をすることがしばしばあった。
また、ショッピングセンターのテナントや原告から地権者に対し費用負担を求められた事項やショッピングセンター内の共用部分の使用方法に関する事項等は地権者で構成する地権者会議に諮られていたが、地権者会議の権限は右にとどまりこれを超えて原告の運営に参加することはなかった。
(二) 東和精巧は、オルゴール及び箱根木工細工の製造販売等を業とする株式会社で(同事実は当事者間に争いがない。)、代表取締役は瀬戸孝勇(瀬戸三郎の実子)、取締役は瀬戸清孝(瀬戸三郎の実子)と村上金蔵(瀬戸孝勇の叔父)であり、株主は右三名のほか村上ヒロ、井上重子(いずれも瀬戸孝勇の叔母)であった。同社は昭和五二年七月三一日株主総会において解散決議をし、同年八月二五日解散登記が経由され(同事実は当事者間に争いがない。)、同五四年三月一〇日清算が結了した。
(三) 豪華は、不動産の売買及び賃貸等を業とする株式会社で、代表取締役は原告の代表取締役でもある瀬戸三郎、取締役は前記瀬戸孝勇と福田興久(瀬戸三郎の女婿であり、原告の取締役でもある。)、監査役は瀬戸キヌ(瀬戸三郎の妻)であり、実質的には瀬戸三郎個人の意思のみによって運営されている会社である。
(四) 原告の従業員である山田熊吉、同栗原勇、訴外剣持好蔵及び同大塚春太郎(ただし雇主が誰であるかはしばらく措く。)の四名は昭和五一年五月二五日新幹線ビル労働組合を結成したが、右労働組合は同年六月一五日補助参加人に加入し、補助参加人神奈川地方本部新幹線ビル分会となった(この事実は当事者間に争いがない。)。
以上の事実を認めることができ、(証拠略)中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比してたやすく措信できず、他に右認定に反する証拠はない。
2 大塚春太郎に対する解雇について
(一) 大塚が昭和五〇年一〇月二六日東和精巧に移籍され(雇主が誰であるかは措く。)、同五一年一一月二四日同社から同月二五日付で解雇する旨の意思表示を受けたことは、当事者間に争いがない。
(二) まず大塚の雇用関係について勘案する。
(証拠略)を総合すれば次の事実が認められる。すなわち
(1) 瀬戸三郎は昭和四七年頃、新幹線ビルの公道を隔てた向い側の土地をその所有者北沢馨から賃借し、月極賃貸駐車場として運用していたが、同五〇年四月頃、右土地の賃借人名義を瀬戸から豪華に変更した。
(2) 新幹線ビルのショッピングセンターは、同年五月二四日に開業したが、原告がテナントを募集するにあたり、ショッピングセンターには買物客専用駐車場があると宣伝していたこともあって、右開業に先立つ同月一二日頃開かれたショッピングセンターのテナントによるテナント総会の席でテナント側は原告に対し前記駐車場をショッピングセンターの買物客専用駐車場にしてほしいと要望したので、原告も右駐車場を買物客専用駐車場とすることに同意した。
(3) 右駐車場の使用方法は、客がショッピングセンターにおいて買物又は飲食をした場合は当該テナントにおいてその代金が一〇〇〇円を超えた場合には一つ、三〇〇〇円を超えた場合には二つの駐車印を押し、駐車印のある場合にはその一つにつき三〇分間無料で駐車することができ、制限駐車時間内のものについてはテナントが駐車時間相当額の駐車料を月末に精算して支払い、制限駐車時間を超えた場合には超過時間三〇分につき五〇円を、駐車印のない場合には一時間につき二〇〇円を、いずれも当該利用客が右駐車場において支払うというものであった。そのため、本件駐車場には管理人を置く必要があったが、同駐車場は場所が狭くて収容台数が十一、二台にすぎず、原告がこれを経営した場合、管理人の人件費によって採算割れとなる虞れがあるので、地権者会議においては、原告の収支計算で駐車場を管理運営することによる赤字分を地権者が負担することに難色を示したことから、本件駐車場の管理運営方法の決定は、当時本件駐車場の敷地の賃借人たる豪華の代表者でもあり、かつ原告において最も強い権限を有する瀬戸三郎に事実上委ねられることとなった。そこで瀬戸三郎は原告の従業員をして本件駐車場の管理にあたらせることに決め、ただ駐車場敷地の賃借名義人が豪華であるところから名義上の管理人は豪華とすることとした。
(4) 大塚は同年六月一八日新幹線ビル内で瀬戸三郎の面接を受けた結果本件駐車場の管理人として月額一〇万円の賃金で採用された。その際、瀬戸三郎は原告会長の肩書のある名刺を大塚に渡しただけで同人を瀬戸三郎個人が雇うとか原告或いは豪華が雇うとかということについては明言しなかったため、大塚は名刺の趣旨から原告と雇用契約を締結してその従業員になるものと信じた。そして大塚は同月二三日から本件駐車場の管理人として勤務を始めた。
(5) その後大塚は瀬戸三郎に対し社会保険の適用を申し入れた。しかし、瀬戸三郎個人はもちろん、原告も豪華も社会保険の適用事業所でなく、瀬戸孝勇が代表取締役をしている東和精巧が社会保険の適用事業所であることから、瀬戸三郎は大塚に社会保険の適用を受けさせる目的で、瀬戸孝勇及び大塚の承諾を得た上、同人の社会保険適用の関係における雇主を東和精巧にすることとし、前記のとおり同年一〇月二六日付で同人を東和精巧に移籍した。しかし、東和精巧への移籍は大塚に社会保険の適用を受けさせるだけのための便宜的なものであったため、瀬戸孝勇は大塚の移籍を受けいれるにあたり同人と面接をすることも雇用条件について話し合うこともせず、大塚もその後本件解雇に至るまで東和精巧の事務所や工場へ一度も行かず、また勤務時間や賃金等の関係についても東和精巧の就業規則が同人に適用されたことはなかった。
(6) 原告には、ショッピングセンターの開業前から昭和五〇年暮ころまでの間、東和精巧から岩田州巨がショッピングセンターのテナント募集、宣伝広告、テナントの店舗レイアウト、インテリア関連設計業務のため原告企画部長の肩書で出向してきていたが、大塚が東和精巧に移籍される前後を問わず本件駐車場に関する業務の指揮監督は瀬戸三郎と岩田が行なっており、また大塚は本件駐車場の利用客から直接受け取った駐車料金についてはこれを岩田に渡し同人において点検、照合をしていた。本件駐車場の駐車料金のうちテナントから徴収すべきものについては、岩田がこれを集計して請求書を作成し、原告の計理事務担当者である山口寿々子がテナントからの徴収を行っていた。岩田は更に本件駐車場に関する収支計算をも担当していた。
(7) ショッピングセンターの開店時間は飲食店を除いて午前一〇時から午後七時までであったので、大塚の勤務時間も午前一〇時から午後七時までと定められ、大塚は瀬戸三郎の指示により新幹線ビルの地下にあるタイムレコーダーでタイムカードを打刻していた。そしてショッピングセンターのうち飲食店は午後一〇時まで営業していたため、大塚は午後七時になると本件駐車場に駐車中の車の鍵を新幹線ビルの守衛(この身分関係は後に触れる。)に預け、以後は同ビルの守衛において本件駐車場を管理していた。
なお、大塚は本件駐車場の管理人として勤務するのが原則であったが、新幹線ビルの守衛業務(原告の業務)に就くこともあった。
(8) 大塚が東和精巧に移籍される前後を問わず、大塚に対する賃金の交付は瀬戸三郎又は山口が行い、山口が交付するときは原告において用いている給料明細書に山口が明細を記入していた。これに対し、東和精巧の社員に対しては瀬戸孝勇の妻が賃金を計算してこれを交付していた。
(9) 新幹線ビルの守衛は当初湘南警備保障有限会社が原告から請け負っていたが、同社の従業員として同ビルに派遣されていた栗原勇は同社従業員山田熊吉とともに同五〇年七月上旬瀬戸三郎の面接を受けた上、原告との間で雇用契約を締結してその従業員となり、同ビルの守衛を含む警備の全部をこの二人で担当することになった。ただ、勤務の分担は山田と栗原とにおいて自主的に決めていたことから、原告は同人らとの契約を請負類似のものと認識していたこともあって、同人らはタイムレコーダーによるタイムカードの打刻はしなかった。
同人らは当初原告に対し社会保険の適用を必ずしも強く要求していなかったため、大塚とともに東和精巧に移籍されることはなかったが、その後同人らも社会保険の適用を強く要求したため、原告は昭和五一年二月頃社会保険の適用事業所となり、同人らは原告において社会保険に加入した。
以上の事実が認められる。原告代表者本人の供述中には、大塚を雇用したのは瀬戸三郎個人であり同人が大塚に対する賃金を支払っていたとの部分があるが、他方では豪華の代表者として大塚を雇ったと述べるなどその供述に一貫性はなく、たやすく措信できない。また、右原告代表者の供述と同趣旨の(証拠略)もまた原告代表者の供述と同様たやすく措信できず、他に前記認定に反する証拠はない。
右事実によれば、瀬戸三郎は大塚との採用面接の際雇用主が誰であるかを明言しなかったが原告会長の肩書の付された自己の名刺を大塚に交付していること、大塚は雇用されて後瀬戸三郎及び原告従業員の指揮監督の下に駐車場管理の仕事に従事していたこと、駐車場管理は原告の業務であり実際上の業務の執行は原告から任された瀬戸三郎があたっていたこと、瀬戸三郎は駐車場管理の仕事に従事する従業員として大塚を採用したことは明らかであるから、かかる事実に鑑みると、瀬戸三郎は原告の代表者たる資格において大塚を本件駐車場の管理業務に携わる従業員として雇用したものと認めることができる。
もっとも大塚は前記のとおりその後東和精巧へ移籍されているけれども、前記認定事実によれば、右移籍は、大塚の希望により同人に社会保険を適用させるためのみにとられた形式的な措置にすぎないものであって原告との雇用関係に変動を生ずるものではないというべきである。
よって原告と大塚との間には雇用関係があり、原告は大塚との関係において労組法七条の「使用者」に該るものと認めることができる。
(三) 次に本件解雇の解雇理由の存否について勘案する。
大塚に対する解雇の意思表示は前示(一)のとおり東和精巧からなされているが、さきに認定したように大塚に対する原告から東和精巧への移籍は形式だけであって原告が雇用主である実体には変動がないから、右解雇の意思表示はその形式にかかわらず実態は原告からなされたものとして、以下に解雇理由の存否につき検討する。
(イ) 原告は昭和五一年一一月二五日付解雇の解雇理由の第一点として大塚の勤務成績不良を挙げる。そして(人証略)によると、大塚は昭和五一年二月頃駐車場に来た客と口論しけがをさせられたことなど駐車場利用客との間に紛争を起こしたことが二、三度あったことが認められる。しかし(証拠略)を総合すると、大塚の勤務態度は大体においてまじめであり、瀬戸三郎においても新幹線ビル労働組合が結成される以前は従業員である山田や栗原に対し大塚の勤務態度を高く評価していると述べていたことが認められるのであって、大塚の勤務成績が原告の主張する如く解雇に値する程度に不良であったとは到底認め難い。
(ロ) 原告は同解雇の解雇理由の第二点として東和精巧の営業不振を挙げる。しかし大塚の東和精巧への移籍は同人に社会保険の適用を受けさせるためその限りにおいてされた形式的なもので原告が雇主であるとの実体上の雇用関係に変動が生じなかったものであることは前記説示のとおりであるから、東和精巧の営業不振を理由としては原告と大塚との間の雇用契約を解除することはできない。また右を事由として解除を認むべき特段の事情も存しない。
(四) また、原告は同人の大塚に対する昭和五二年一二月末日付解雇が本件命令において判断されていないと主張する。
果して右が、被告の発した本件命令の取消事由のひとつとして主張されているのか単なる事情として主張されているのか明確ではないが、仮に前者としても本件命令が大塚に対する昭和五一年一一月二五日付解雇に関する救済命令であることは当事者間に争いのない本件命令の主文並びに(証拠略)によって認められる右命令の理由から明らかであるから、原告主張の前記事由が本件命令の全部取消の事由に該当しないこともまた明白である。ただ、本件命令中の原告に対し大塚を原職相当職に復帰させ且つ解雇から原職復帰までの間の賃金等の支払を命ずる部分(主文1の(1)(2))が、もし仮に昭和五二年一二月末日付解雇が適法に効力を生じている場合には不当な表現になるといい得るのであれば、その限りにおいて原告主張の前記事由が本件命令の一部取消の事由となるものということができる。そこで原告主張の昭和五二年一二月末日付解雇の当否について判断する。
(イ) 東和精巧が大塚に対して昭和五二年一二月末日付で解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、右解雇の意思表示が実態においては原告からなされたものとすべきことについては前示(三)において述べたとおりである。
(ロ) 原告は昭和五二年一二月末日付解雇の解雇理由の第一点として、大塚が被告における審問手続において、会社側が労働基準監督署を通じて検察庁に提出したタイムカードを会社側の偽造したものであると証言して原告及び東和精巧の名誉、信用を侵害したこと、同人が真実に反する就業時間を労働基準監督署に申告して不正に多額の賃金を取得しようとしたこと、同人が本件昭和五一年一一月二五日付解雇後これに対する反対運動として新幹線ビル内の洗面所鏡や通路その他にボンド等の強力な接着剤によりビラ等を貼付したことを挙げる。
そして(証拠略)を総合すると、大塚が被告における審問手続において、東和精巧が検察庁に提出したタイムカードを偽造であると供述したこと、大塚は昭和五一年一一月労働基準監督署に対し約五〇万円の未払賃金があるとしてこれが支払を求める申告をし、更にその後右不払いを理由として東和精巧とその代表者瀬戸孝勇を告訴したが、検察庁が起訴にあたり大塚に対する未払賃金として認めた額は四六六八円にすぎなかったこと、大塚が昭和五一年一一月の解雇後これに対する抗議運動として新幹線ビル内の壁、窓ガラス、洗面所入口、通路等に接着剤でビラを貼付したこと、以上の事実が認められる。
しかしながら、労働委員会における不当労働行為救済申立事件の審問手続において労働者が証拠を提示し、又は発言したことを理由としてその労働者を解雇することを不当労働行為に該当するとして禁止している労働組合法(七条)の精神に鑑みれば、審問手続において労働者が供述した内容に誇張や事実にそぐわないものがあったとしてもそれを捉えて当該労働者を直ちに解雇することは許されないものと解しなければならず、また、雇主に賃金未払の労基法違反事実があるとしてした労働者の告訴事実と告訴を受けた検察庁が捜査の結果に基づき裁判所に起訴した事実との間に相違するものがあったとしてもそのことから直ちに当該労働者を解雇できる権限が雇主に生ずるとは到底解することはできないところであり、さらに雇主の不当な解雇に対し労働者がこれに抗議し解雇撤回を求める運動を起こした場合において、労働者側にビラ貼り等に関し多少の行き過ぎがありその行為自体だけを取り上げれば雇主の就業規則等に定める解雇事由に該当するときでも、これを理由として解雇することは、健全な社会通念に反するものとして容認することはできない。
これによって本件をみれば、原告は大塚の前示行為を理由として同人を解雇することができないものというべきである。
(ハ) 原告は昭和五二年一二月末日付解雇の解雇理由の第二点として、東和精巧の解散を挙げる。
しかしながら、東和精巧が昭和五二年七月三一日会社解散を決議し、同年八月二五日解散登記が経由されたことは当事者間に争いがないが、さきにした説示のとおり、大塚は原告に雇用され、原告の業務に従事しているのであるから、東和精巧の解散を事由としては原告と大塚との間の雇用契約を解除することができないものである。
よって、原告の昭和五二年一二月末日付解雇に関する主張は採用の限りではない。
(五) 大塚に対する本件解雇の不当労働行為性
(証拠略)を総合すると、大塚は原告に雇用された後山田、栗原、剣持らと共に新幹線ビル労働組合を結成したが、右四名のうちでは山田が最年長であったため同人が委員長となり、年令に従って栗原、剣持が副委員長、書記長となったこと、しかし大塚は右組合では常に中心的存在であって地区労との連絡等対外的な組合活動も同人があたっていたこと、瀬戸三郎は原告と新幹線ビル労働組合(新幹線ビル分会)との団体交渉においては原告の代表者として出席していたが組合側の主張をきこうとする姿勢は常に示さなかったこと、瀬戸三郎は同組合が補助参加人に加入して間もない昭和五一年六月頃、山田及び栗原に対し、「組合をやめれば賃金を引き上げ、賞与もちゃんとしてやる。」などと述べ、さらに同年八月頃同人らに対し、「剣持と大塚はうるさくてしようがないから解雇する。解雇書類ももうできている。」などと述べたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
かかる事実から推せば原告は大塚の組合活動を嫌悪し、これを決定的理由として形式的な雇主である東和精巧の名を借り大塚の解雇を謀ったものと認めるのが相当である。
よって、大塚に対する前記解雇は同人の正当な組合活動を理由とする不利益取扱いであるとともに補助参加人に対する支配介入行為であるというべきであるから、右は原告による労働組合法七条一号、三号に該当する不当労働行為であるといわなければならない。
3 山田らに対する組合脱退勧告について
山田、栗原が昭和五〇年七月上旬原告との間で雇用契約を締結してその従業員になったことは前記認定のとおりであり、前記2の(五)で認定した瀬戸三郎の発言は、山田らに対する新幹線ビル労働組合(新幹線ビル分会)並びにその加入団体である補助参加人からの脱退強要と評価せざるを得ない。よって瀬戸三郎の右発言は原告の補助参加人に対する支配介入行為であって、労働組合法七条三号の不当労働行為に該当するものというべきである。
三 以上の次第であるから、大塚に対する本件解雇並びに山田らに対する脱退強要等の言動が原告の補助参加人に対する不当労働行為に該当するとして発せられた本件命令は適法かつ相当であって、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 安國種彦 裁判官 山野井勇作 裁判官 佐賀義史)
(別紙) 救済命令(主文)
1 被申立人株式会社新幹線ビル及び同東和精巧株式会社は、共同して次のことを含め大塚春太郎に対する昭和五一年一一月二五日づけ解雇がなかったと同様の状態にしなければならない。
(1) 原職または原職相当職に復帰させること。
(2) 解雇の日から原職復帰までの間支払われるべき賃金相当額に年五分相当額を加算して支払うこと。
2 被申立人株式会社新幹線ビル及び同東和精巧株式会社は、分会長山田熊吉に対し脱退強要を行うなどして申立人組合の運営に支配介入してはならない。
3 被申立人株式会社新幹線ビル及び同東和精巧株式会社は、本命令交付の日から一週間以内に縦一メートル以上、横二メートル以上の紙に下記のとおり明記し、守衛所付近の見易い場所に毀損することなく一四日間掲示しなければならない。
誓約書
貴組合の組合員大塚春太郎に対する昭和五一年一一月二五日づけ解雇及び貴組合の組合員に対する組合脱退強要について、神奈川県地方労働委員会から労働組合法第七条第一号及び第三号に該当する不当労働行為であると認定されました。
会社は、これにつき深く反省するとともに、今後かかる行為を再びくりかえさないことを誓約いたします。
昭和 年 月 日
合化化同一般総連化学一般労連
関東地方本部全統一労働組合
中央執行委員長 水野邦夫殿
株式会社新幹線ビル
代表取締役 瀬戸三郎
東和精巧株式会社
清算人 瀬戸孝勇