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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)992号 判決 1988年9月29日

原告

本山栄次

右訴訟代理人弁護士

関一郎

谷正昭

林良二

被告

社団法人日本海員掖済会

右代表者理事

河毛一郎

右訴訟代理人弁護士

藤井暹

西川紀男

橋本正勝

右訴訟復代理人弁護士

太田眞人

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立て

(原告)

1  被告は原告に対し、七九九五万四三六八円とこれに対する本件訴状送達の日の翌日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

以上の判決と仮執行の宣言を求める。

(被告)

主文と同旨の判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 被告は横浜掖済会病院(以下「被告病院」という。)を経営する医療法人である。

(二) 原告は昭和五二年二月一二日、右肩及び腰部の痛みのため被告病院で診察を受けて椎間板ヘルニアの診断を受け、同日被告との間で、椎間板ヘルニアの治療を目的とする診療契約を締結した。

なお、当時原告は内縁の妻の姓である三田の姓を用いており、その後内縁の妻と離別して本山姓を名乗っている。

2  医療事故の発生

(一) 原告は昭和五二年八月頃、被告病院の堀井秀和医師(以下「堀井医師」という。)から、入院して治療を受けるように指示された。

堀井医師は、同日午後二時頃から三時頃にかけて原告に対し、造影剤としてイオフェンディラート(商品名マイオジール。以下「マイオジール」という。)を脊椎腔内に注入して脊椎造影(以下脊椎造影を「ミエログラフィー」といい、被告病院で行った右ミエログラフィーを「本件ミエログラフィー」という。)を行った。

(二) 原告は本件ミエログラフィーの実施後に発熱して高熱が三日間程続き、以後頑固な頭痛、味覚障害、記憶力減退、性欲減退等の症状が継続したため、痛み止めの注射や、鎮痛剤等の投薬を受け、現在も右症状のため就労ができない状態である。

3  被告の責任

被告病院の医師には、原告との間の診療契約の履行につき、つぎのような不完全履行ないし過失があったところ、原告に生じた前項記載の身体上の障害は、このような債務不履行、過失によって生じたものであるから、被告は原告に生じた後記損害について賠償の責任がある。

(一) 本件ミエログラフィーの必要性の欠如

マイオジールは、脳脊髄膜炎症、意識・知覚障害・麻痺、発熱、癒着性蜘蛛膜炎及び重篤な神経障害等を惹起する副作用があるから、マイオジールを使用して行うミエログラフィーは、問診・診察・諸検査等によって明らかに椎間板ヘルニアの手術が必要と判断された場合に、手術実施のための検査としてのみ行われるべきものである。

しかるに、原告には腰痛と、レントゲン撮影の結果によって得られた第四腰椎の椎体分離像という所見しかなかったのであるから、椎間板ヘルニアであるとした判断は、判断を早まったものであり、また、脊髄腫瘍を念頭においた諸検査もなしておらず、同腫瘍の存在も疑い得ない状況にあったのであから、結局ミエログラフィー実施の必要性は存在しなかったにもかかわらず、堀井医師はこれを実施した。

(二) 説明義務違反

マイオジールは、前記のような副作用を伴うものであるから、堀井医師は本件ミエログラフィーを実施するに当たって、あらかじめ原告に対し、その必要性、実施による得失、マイオジールの有害性について説明して、ミエログラフィーを行うことの承諾を得ておくべきであったのにこれをしなかった。

(三) 本件ミエログラフィー実施上の注意義務違反

マイオジールを使用してミエログラフィーを行うに当たっては、マイオジールの副作用による障害の発生を防止するため、マイオジールの注入を終えても腰椎穿刺針を抜去することなく、造影検査を終了した後透視台下で穿刺針の針尖にマイオジールを集めてこれを注射器で吸引除去すべきであり、かつ、マイオジールが頭蓋内に流入しないように万全の処置をとるべきであったのに、堀井医師はマイオジールを注入後腰椎穿刺針を抜き取り、その後マイオジールの吸引除去を行わなかったし、マイオジールが頭蓋内に流入することを防止するについて何らの注意を払わず、その一部を頭部に流入させる結果を生じさせた。

また、原告は同年八月一五日被告病院の外科において、腸内に造影剤を注入して行うレントゲン撮影検査を受けたが、その際にも、さきに本件ミエログラフィーで注入されたマイオジールが頭部に流入することがないような姿勢をとらせるべきであったのに、被告病院外科の松田医師は、原告に頭部を低くするような姿勢をとらせて撮影したため、一層残留マイオジールが頭部に流入する結果を生じさせた。

4  損害

(一) 原告の症状

原告は本件ミエログラフィー実施後、鋭い頭痛、味覚喪失、記憶力の極端な低下、食欲の減退、性欲の減退等の症状が生じ、右症状は現在まで継続している。

原告は昭和五二年八月八日被告病院を退院し、被告病院、横浜市立大学病院(以下「市大病院」という。)その他三箇所で治療を受けたが、前記症状は改善をみない。

(二) 通院交通費、諸雑費  一五万円

被告は昭和五二年八月一八日から同五四年四月末日まで少なくとも一五〇日間通院し、その間に要した通院のための交通費、雑費は一日当たり一〇〇〇円を下らないから、その合計は一五万円を下らない。

(三) 将来の治療費

原告は、現在一箇月三万円の治療費を出費しているところ、原告の右症状は原告が死亡するまで継続するものと推認される。

原告は昭和一八年九月一一日生まれで、その平均余命は三六年であるから、その間の治療費は年五分の割合による中間利息を、ホフマン方式によって控除して計算すると七二九万九〇〇〇円になる。

(四) 逸失利益  五〇〇〇万三六八円

原告は昭和五二年八月一八日被告病院を退院した後は、前記各障害のため就労することができず休業している。

原告は被告病院に入院前の同年二月には大型トラックの運転手として稼働していたが、同年一月から遡って三箇月間における給与及び賞与を平均した賃金は一日当たり八六八九円であったところ、六七歳まで三三年間就労が可能であると考えられるから、前同様に、ホフマン方式により中間利息を控除してその間の得べかりし利益を計算するとその総額は五〇〇〇万三六八円になる。

(五) 慰藉料      一五〇〇万円

原告は本件医療事故により労働能力を全く奪われ、闘病生活を余儀なくされている上、本件医療事故の影響もあって内縁の妻との夫婦仲が悪くなって離別するにいたり、現在は妹の援助によって単身で生活している状況にある。

このような原告の苦痛を慰謝するには、一五〇〇万円の支払をもってするのが相当である。

(六) 弁護士費用     七五〇万円

原告は本件訴訟の提起について、原告の本件訴訟代理人らに依頼し、事件の完了後に手数料、謝金として七五〇万円を支払うことを約束した。これは、本件医療事故と相当因果関係のある損害である。

よって、診療契約の不完全履行による損害賠償又は不法行為に基づく損害賠償として、以上の損害合計七九九五万四三六八円と、これに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日以降完済まで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因事実に対する認否

1  請求原因1の事実について

(一)の事実は認める

(二)の事実中被告病院における診療に関する事実及び診療契約締結の事実は認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2の事実について

(一)の事実は認める。

(二)の事実のうち、本件ミエログラフィー実施後に発熱し、三日間程高熱が続いた事実は認める。発熱時、原告には咽頭部に発赤、腫張があり、かぜによるものであって、抗生物質、解熱剤の投与により平熱に復したものである。

現在も就労不能な状態であることは否認する。その余の症状については知らない。

3  同3の事実について

前文の主張は争う。

(一)のうち、マイオジールを使用して行うミエログラフィーの適用に関する主張は争い、マイオジールの副作用の内容及び原告について本件ミエログラフィーの適用がなかったとの主張及び主張事実は否認ないし争う。原告には、腰部に棘突起圧痛、傍脊椎筋部圧痛、両側バレー氏症候強陽性、上臀神経圧痛、ラセーグ氏症候強陽性(右四五度、左六〇度)等の症状がみられ、腰部椎間板ヘルニア及び坐骨神経痛との診断を受けて、昭和五二年二月一二日から二回にわたる入院と通院により、腰椎持続牽引、脊髄硬膜外にデカドロン注入等の治療を受けた。しかし、症状が増悪し保存的治療法は既に限界に達しているため、椎間板ヘルニアとして手術の適用を考慮するにいたった。しかも、残尿感、尿失禁等膀胱直腸障害を考えさせる症状を伴っていたので、椎間板ヘルニアであるとの疑いが極めて強度ではあったが併せて脊髄腫瘍の可能性も考慮せざるをえず、手術の前提として、確定診断のためにも髄液検査、ミエログラフィーを行う必要があり、そのため、同年八月八日入院の上、同日午後腰椎穿刺して髄液を採取して検査した後、マイオジール三ミリリットルを注入して本件ミエログラフィーを行った。同月一七日に、注入したままにしてあったマイオジールを使用して再度造影検査を行ったが、直ちに手術を実施しなければならない程度の明確な造影通過障害の映像を認めるに至らなかったので、暫時通院を続けて経過を観察することにし、その旨を原告に説明した。

マイオジールの副作用として、一時的な腰仙部の疼痛もしくは違和感、頭痛等の症状が起きることがあるが、多くは一過性で長期間続くことはない。

(二)については、主張のような説明義務を負うことは争い、堀井医師が何らの説明もしなかったとの主張は否認する。堀井医師は、同年七月二六日の診察日において、原告に対しマイオジールの危険性について説明し、疾患の病理、治療法、予後に関しては、診察時に折りに触れて説明している。

(三)については、マイオジールの吸引除去義務、頭蓋内流入防止義務について原告の主張を争う。堀井医師が、マイオジールの頭蓋内流入について何らの注意も払わなかったとの主張は否認する。マイオジールの一部が頭蓋内に流入した事実は認める。腰椎穿刺針を永く刺したままでおくと、細菌感染を招く弊害があり、かつ透視撮影、診断等のために患者の体位を変えることにより穿刺針の折損を招く恐れがある上、透視に際し穿刺針が障害になるので、注入後穿刺針を一旦抜く方が安全である。また、注入したマイオジールの全量を吸引除去することは困難で、無理に除去しようとすれば患者に苦痛を与えることになる。マイオジールの一部が頭蓋内に流入することは通常みられることであって、何ら支障はない。

4  同4の事実について

(一)の事実のうち、原告が主張の日に被告病院を退院し、被告病院及び市大病院で治療を受けた事実は認める。その余の事実は知らない。原告が頭痛を訴えたのは、昭和五二年一〇月二五日からで、市大病院における診断は「緊張性(心因性)頭痛及び血管性頭痛」というのであり、本件ミエログラフィーとは相当因果関係がない。

(二)なしい(六)の事実中、原告が大型トラックの運転手として稼働していた事実は認めるが、その余の事実は知らない。

第三  証拠の提出、援用及び認否<省略>

理由

一診療契約の成立

被告が被告病院を経営する医療法人であること、原告が和五二年二月一二日、右肩と腰部の痛みを訴えて被告病院整形外科で診察を受けたこと、被告病院の医師であって、同科に所属する堀井医師の診察を受けて椎間板ヘルニアと診断され、同日被告との間において右疾病の治療について診療契約を締結した(以下「本件診療契約」という。)ことの各事実は当事者間には争いがない。

なお、<証拠>によると、原告は被告病院との間で右診療契約を締結した当時、訴外三田好子と内縁関係にあったところから、同訴外人の姓を名乗っており、被告病院で診療を受けた際も終始三田栄次の名を使用していたものと認められる。したがって、診療記録に現れる三田栄次と原告は同一人と認める。

二ミエログラフィーの実施

昭和五二年八月八日本件診療契約に基づいて、堀井医師が原告に対して、造影剤としてマイオジールを使用して、本件ミエログラフィーを行ったことは当事者間に争いがない。

三本件ミエログラフィー実施後おける原告の身体上の障害

<証拠>によるとつぎのように認められる。

1  原告は本件ミエログラフィーを実施した翌日である昭和五二年八月九日に三八度の発熱を生じ、翌一〇日には三九度に達したが一一日には37.5度に下がり、一二日には平熱である36.5度に戻った(本件ミエログラフィー実施後三日間にわたって発熱したことは当事者間に争いがない。)。

2  原告は本件ミエログラフィー実施後の昭和五二年八月一九日被告病院を退院した後も被告病院の整形外科に通院して、引続き腰部痛の治療を受けていたが、同年一〇月二五日被告病院の整形外科外来において堀井医師の診療を受けた際、同医師に対して頭痛を訴え、頭痛薬の投与を受けたがその後も継続して頭痛を訴えた。原告はその後昭和五三年一一月九日までに被告病院整形外科で腰痛と頭痛に対する診療を受けていたが、その間昭和五二年一二月一六日からは横浜市内の十全二ツ橋病院で、頭痛を訴えて診療を受け、更に昭和五五年四月には横浜市内の汐田病院で、同年九月には高知市内の久米外科整形外科でいずれも頭痛を訴えて診療を受け、同年一〇月一一日からは国立横浜東病院で診療を受け、気管支拡張症兼常習性頭痛の診断のもとに継続して治療を受けたが頭痛を訴え続けている。

原告本人尋問の結果中には、八月終わり頃から頭が痛くなってきた旨の供述があり、前掲甲第五号証(原告作成の原告訴訟代理人に対する報告書)には、退院した昭和五二年八月一八日頃から頭痛が生じ堀井医師及び被告病院院長に訴えた、九月中旬頃には頭痛が続くのでマイオジールを抜いて貰いたい旨堀井医師に申し出たが断られた旨の記載があるが、被告病院整形外科における診療録である前掲乙第五号証の一ないし一〇を検討しても、同年一〇月二五日まで頭痛の記載がないばかりでなく、原告がそのころ整形外科と併行して診療を受けていた被告病院外科における診療録(成立に争いがない乙第六号証の一ないし二二)を検討しても、同年一一月四日に頭痛を訴えて投薬を受けた旨の記載があるが、それ以前に頭痛を訴えた旨の記載はないのであって、原告本人尋問の結果及び前掲報告書中の頭痛発生時期に関する右供述及び記載は措信できない。

以上のように認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

四マイオジールの副作用と使用上の注意義務

<証拠>を総合するとつぎのように認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  マイオジールは、イオフェンディラートを主剤とするヨード系・油性造影剤で、脊髄、脳室、リンパ系の造影剤として開発され、昭和三〇年頃から一般に使用されるようになった。それまで、同じ用途の造影剤としてはモリヨドールが販売され、広汎に使用されていたが、モリヨドールは粘稠性が強いため注入及び吸引除去が困難であり、体内に吸収されないため、しばしば体内に残留した薬剤によって後期障害を生じることがあった。これに対してマイオジールは同じ油性ではあるがモリヨドールに比較して粘稠性が弱く、注入が容易で、検査終了後に吸引除去することも容易である上、体内に残留したときも体内に吸収されるため、ヨードに対する過敏反応によるショックのほかは、問題とすべき副作用が少ないとされ、使用が開始されてからしばらくの間は副作用の心配のない薬剤であるといわれていた。しかし、使用例が増え使用期間が長くなるにしたがって、注入初期において薬剤による脊髄刺激症状及び神経刺激症状として、一過性の障害(主として、頭痛、発熱、悪心、嘔吐、項頸部強直、腰部痛の増悪、知覚障害、痙攣等。)が生じることが比較的多くあるが、これらの症状は、多くは数日で消失し、長い場合でも数週間で消失すること、マイオジールも油性の薬剤であるため体内に吸収されることは遅く、長期間吸収されないで脊髄腔、頭蓋腔内に滞留する例があり、その結果、稀に嚢胞化されて、癒着性蜘蛛膜炎や骨髄炎を生じて重篤な神経障害を生じ、大量に使用した場合には肉芽腫(オレオーマ)を形成することがあるなどの症例報告がされるようになった。そこで、マイオジールは手術を前提としてのみ使用すべきであって診断のために使用すべきではないこと、検査終了後の吸引除去を励行する必要があることが主張されるようになり、更には、手術箇所の確定にもミエログラフィーは不用であると主張する意見もみられた。これに対して、マイオジールは、これを除去しようとしてもその全量を除去することは困難であり、除去するために脊髄腔内に穿刺することによって感染症を生じる危険があるし、注入した際の針をそのままとして検査終了後にこの針を使用して吸引するためには針が折れるなどの危険を伴うことになる上吸引によって患者に苦痛を与える(患者が痛がる)ことにもなるから、注入量が三ミリリットル以下のように少量であるときは吸引除去の必要はないと主張する意見もある。本件ミエログラフィーが実施された昭和五二年当時のマイオジールに添付されてあった能書には、脳室、脊髄造影に使用した場合に残留による障害が報告されているので、検査後は必ず本剤を除去する手段を講じ、できるだけ多くの量を除去すること、原則として手術が予定されている場合にのみ使用すること、頭蓋内蜘蛛膜下腔に流入すると除去が困難になるので注意することなどと記載されていた。

2  以上によって検討するに、マイオジールは、薬剤の刺激によって注入直後に一時的に生じる、頭痛等の障害(初期障害)と、薬剤が体内に長期間滞留することによって生じる障害(後期障害)の二種の障害を生じる危険性をもっており、前者は一過性のものに過ぎないのに対し、後者はその例を多くみるものではないが、一旦生じると重篤な後遺障害となるため、少なくとも椎間板ヘルニアに関しては、他の診断方法によって椎間板ヘルニアの診断が得られ、一応手術を要するものとの判断に到達した上で、その診断を確定し、手術部位を確定するためにマイオジールによる脊髄腔造影検査をなすべきであり、単なる椎間板ヘルニアか否かの診断のために使用すべきではないというべきである。

また、マイオジールは脳室造影用の薬剤で、頭蓋内にも注入されるものであるから、それが頭蓋内に入ったからといって直ちに重篤な障害を生じる危険を生じるというべきものではないが、刺激性の障害を伴うものであることは前記のとおりであり、また、頭蓋内蜘蛛膜下腔に入ったときは重篤な障害を生じる危険があるというものであるから、脊髄腔造影検査において、使用したマイオジールが頭蓋内に流入することがないように注意すべきものというべきである。

注入したマイオジールの吸引除去について、後期障害の発生を予防するために吸引除去することが望まれるところであるが、その全量を吸引除去することが困難である上、吸引除去には新たな危険と患者に対する苦痛を伴うところからすると、吸引除去は注入されたマイオジールの量、患者の状態等によってその必要性が判断されるべきもので、すべての場合において吸引除去すべき義務があるものとまでいうことはできない。

五本件ミエログラフィーにおけるマイオジール使用上の被告病院医師の過失

1  ミエログラフィー実施の必要性の判断

<証拠>を総合するとつぎのように認められる。

堀井医師は、昭和五二年二月一二日の初診時における問診、触診、下肢の機能等の検査(ラセーグ氏症候等)の結果に、同月一四日における同様の診察、経過観察、レントゲン撮影検査の結果等を総合して、原告の腰部痛については椎間板ヘルニアであると診断し、この診断のもとに、原告に休業して静養するように指示すると共に、牽引、ホットパックなどの理学療法と消炎剤、沈痛剤等の投与を続けたが一向に症状が軽快しなかった。そこで、入院して治療を受けたいとの原告の希望もあり同月二四日入院させて同様の治療を継続した結果同年三月下旬頃から症状が軽快し始め、同年四月四日退院した。その後引き続き通院していたが症状が悪化し、退院時より更に症状が進行した状態を示すようになった。そこで同月一四日再度入院させ、従前同様、椎間板ヘルニアの診断のもとに従前同様の治療を継続した。同年七月一二日になって、腰痛も軽度になり、坐骨神経痛の障害程度を検査するラセグ症候も、再度の入院当時において、右四五度、左三〇度であったものが、左右とも七〇度(正常は九〇度)となっていたので、同日退院させた。退院に際し堀井医師は原告に対し、更に症状が悪化するようであれば、つぎには手術するのほかないものと説明した。原告は退院後も引き続き被告病院整形外科に通院していたが、同月二六日にはラセーグ氏症候が左右とも四五度に低下し、下肢の痛覚鈍麻も認められるようになり明らかな症状の悪化が認められたので、堀井医師は原告に入院して手術することを勧め、そのために精密検査、脊髄造影検査を行うことになる旨を説明した。以上の経過を経て原告は同年八月八日被告病院に三度目の入院をした。堀井医師は原告の腰部痛については、それまでの診断結果により椎間板ヘルニアと判断しており、原告の症状が保存的療法の継続にかかわらず軽快せずかえって悪化しているところから手術の必要があるものと判断し、これを前提として、最終的な確定診断と、手術部位の確定の必要からミエログラフィーを行うことを決定した。なお、堀井医師は、原告に下痢が続いていたこと、残尿感があるといっていることから、腰部痛の原因として脊髄腫瘍が存在する可能性をも疑っていた。しかし、本件ミエログラフィー実施直前に原告から採取した脊髄液の検査によって、脊髄腫瘍の疑いは一応否定された。

以上のように認められ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、右認定に供した前掲各証拠に照らして措信できないし、他に右認定に反する証拠はない。

右認定にかかる事実によってみると、本件ミエログラフィーは、堀井医師が原告について、椎間板ヘルニアであるとの診断のもとに、ヘルニアの摘出手術を行うことを前提として、椎間板ヘルニアであるとの診断をより確定すると同時に、手術部位を確定する目的で行ったもので、単に椎間板ヘルニアであるか否かを確定診断するために行ったものではないと認められ、本件ミエログラフィーの実施がその適用を誤ったものということはできない。

もっとも、前掲各証拠によると、本件ミエログラフィーの実施によって、原告には椎間板ヘルニアとしての明確な髄核の突出像が確認できなかったため、堀井医師は、その段階では椎間板ヘルニアの手術をするのは適当でないと判断して手術をしなかったことが認められる。しかし、堀井医師がそれまでに原告について確認した症状、経過、触診、下肢機能の検査等により椎間板ヘルニアと診断し、併せて脊髄腫瘍の存在を多少疑ったほかには他の疾病を考えていなかったものであることは既に認定したところによって明らかなところであり、前掲証人堀井の証言によると、ミエログラフィーにより髄核の突出像が認められないからといって椎間板ヘルニアではなかったとはいえないし、堀井医師は本件ミエログラフィーの結果にかかわらず、原告について椎間板ヘルニアであるとの診断は変えていないというのであり、その診断を誤りであるとすべき資料も認めらないから本件ミエログラフィーの結果手術するにいたらなかったことをもって、椎間板ヘルニアと確定できないのに本件ミエログラフィーが行われたということはできない。

原告本人尋問の結果中には、被告病院を退院したのち他の病院で診察を受けた結果椎間板ヘルニアではないと診断された旨の供述があるが、その裏付けになるような資料がなく、椎間板ヘルニアでないとすれば原告の腰部痛についてはどのような診断がなされたのかについても明らかでないから、右供述は採用できない。

2  マイオジールの吸引除去の処置及び頭蓋内流入防止の処置

本件ミエログラフィー実施後のマイオジールについて、堀井医師が吸引除去の処置を取らなかったこと、原告の脊髄腔内に残留していたマイオジールが、原告の頭蓋内に流入したことの各事実は当事者間に争いがない。

ミエログラフィー終了後において、マイオジールに添付されている能書等において、注入したマイオジールによって生じるおそれのある副作用を防止するためできるかぎりこれを吸引除去することとされていることは既に認定したとおりであるが、反面、注入したマイオジールの全量を吸引することが困難であるのに対し、吸引のために患者に生じる危険性のある新たな障害、苦痛も考慮しなければならないとされることも既に認定のとおりであるところ、前掲証人堀井の証言によると、堀井医師は本件ミエログラフィーの数年以前に、注入後のマイオジールを吸引する試みをしたことがあるが、患者が苦痛を訴えることが多く、吸引によって除去できるマイオジールの量は到底全量に及ばないのに対し、残留したマイオジールによる副作用であると確認し得る事例が僅少であることから三ミリリットル程度の少量を使用するときは吸引除去しないことにしていたこと、本件ミエログラフィーにおいても使用したマイオジールの量は三ミリリットル(一アンプル)であったので吸引除去をしなかったことが認められるのであって、右事実から判断すると、本件ミエログラフィーにおいて、マイオジールの吸引除去をしなかったことをもって、医療処置上の過誤と断ずることはできないというべきである。

しかし<証拠>によると、原告は本件ミエログラフィーが行われた七日後である昭和五二年八月一五日に被告病院の外科において、腸内造影検査(以下「注腸」という。)を受けたこと、同検査では頭部を下にする姿勢を継続して維持させるなど脊髄腔内に残留していたマイオジールが頭蓋内に流入する危険があったこと、被告病院外科の医師は、原告が本件ミエログラフィーを受け、その結果脊髄腔内にマイオジールが残留していることを認識しており、堀井医師も外科において注腸が行われることを知っていたことの各事実が認められ、マイオジールがいつどのような経過によって原告の頭蓋内に流入したものかを直接確定するに足りる証拠はないが、前掲甲第五号証によると、本件ミエログラフィーの際には、枕をさせて頭を高くして行っていたというのであり、原告本人尋問の結果によると外科における注腸が、頭を低くする姿勢を継続して維持させて行われたと認められること、原告が被告病院を退院してから市大病院で頭蓋内にマイオジールが流入したことが確認されたときまでの経過が四箇月程度で、その間に特にマイオジールが頭部に流入したような事情が認められないことを総合すると、注腸の際に頭蓋内に流入したものと推認される。頭蓋内にマイオジールが流入することによって直ちに身体上の障害を生じるといえないものであることは既に判示したとおりであるが、頭蓋内に流入することによって障害を生じるおそれがある以上、できる限り、無用に頭蓋内に流入することがないように注意を払うべきである。

そうであるとすれば、被告病院の整形外科の医師と外科の医師は、注腸を行うに際して、互いに連絡を取りあって、残留しているマイオジールが頭蓋内に流入することがないように注意を払うべきであり、必要に応じては、注腸に先立って残留しているマイオジールを除去するなどの処置をとるべきであったというべきところ、これらの注意を尽くしたものと認めるに足りる証拠は見当たらず、かえって、前掲証人堀井の証言、原告本人尋問の結果によると、堀井医師はマイオジールが頭蓋内に流入しても特段の障害を生じるものではないとの認識、判断のもとに、マイオジールが頭蓋内に流入することに対して特段の予防処置を講じなかったと認められ、注腸を行った被告病院の外科医師もこの点について特段の注意を払うことをしなかったものと認められる。

以上のとおりであるから、原告に注入されたマイオジールが原告の頭蓋内に流入し、その結果原告に身体上の障害を生じたとすれば、その結果については被告病院における医療処置上の過誤によるものとして、被告病院はその責めを負わなければならないというべきである。

六マイオジールの頭蓋内流入と原告における障害との因果関係

1  本件ミエログラフィー実施の翌日に生じた高熱について

マイオジールの注入により、その刺激によって、注入後間もなく、一過性の症状として発熱を生じることがあることは既に認定のとおりであり、原告に生じた発熱が、本件ミエログラフィーの翌日から三日間にわたって継続し、その後平熱に戻ったものであることは既に認定のとおりであるから、原告に生じた発熱が、本件ミエログラフィーにおいて注入されたマイオジールによるものと推認できないでもない。しかし、<証拠>によると原告は本件ミエログラフィー実施の日において既に三七度近くの体温があり、本件ミエログラフィー翌日生じた発熱について、堀井医師、被告病院の内科医師が原告を診察したところ咽頭部に発赤が認められたところから、発熱はかぜであると診断し、かぜに対する投薬として抗生物質等の薬品を投与した結果、発熱は三日間継続した上で平熱に復したことが認められるのであり、右発熱は、マイオジールの刺激症状として生じたものともかぜによる発熱とも考えられ、いずれとも断定することが困難である。

右発熱が、マイオジールによるものであるとしても、原告における発熱がそのようであったように一過性のものであり、本件ミエログラフィーの実施が医療処置として相当なものと判断すべきことは既に判示のとおりであるから、右発熱をもって被告病院医師の医療処置の過誤によって生じたものということはできない。

2  その余の障害について

原告が、昭和五二年一〇月二五日はじめて堀井医師に頭痛を訴えてのち継続して頭痛の訴えをし、現在にいたるまでそれが継続していること、その間被告病院だけでなく数名の医師の診療を受けている経過については既に認定したとおりである。

そこで原告が訴えているこれらの頭痛と、マイオジールの頭蓋内流入との間の因果関係について検討する。

原告本人尋問の結果によると、本件ミエログラフィー実施以前においては原告には頭痛が存在しなかったことが認められ、これに反する証拠はなく、原告の頭痛の訴えが本件ミエログラフィー実施後間もなくから生じていること、マイオジールに前記認定のような副作用が存在するとされていることからすると、原告の訴えている頭痛が本件ミエログラフィーにおいて注入されたマイオジールによって生じたのではないかと考えられないでもない。

しかし、原告が頭痛を訴え始めた時期が、本件ミエログラフィーの実施から二箇月半以上を経ており、頭蓋内に流入した可能性が最も強いと推認される注腸実施の時からでも二箇月余を経ており、その頭痛の訴えが極めて長期間継続している点に、マイオジールの副作用について既に認定したところを照らし併せると、原告の頭痛の訴えが、マイオジールの注入(頭蓋内流入)によって生じる刺激性の障害(初期障害)に当たらないことは明らかである。

つぎに、マイオジールが頭蓋内に滞留して生じた障害(後期障害)であるかについては検討するに、原告が頭痛を訴えた時期が、マイオジールを注入してから二箇月余に過ぎないことからすると、マイオジールが頭蓋内に滞留して生じた障害であるとするには、頭痛の発生の時期が速すぎるように見られる。また<証拠>によると、昭和五二年一二月一四日に市大病院脳外科でレントゲン検査を受けた結果では原告の頭蓋内に認められたマイオジールは中頭蓋窩に点状に認められるに過ぎないもので、滞留によって障害を生じる程度に多量のマイオジールが頭蓋内に滞留しているものではないと認められるものであり、障害の原因となるような嚢胞を形成したり、頭蓋内の蜘蛛膜下腔に流入している事実を認めるに足りる資料もない。しかも<証拠>によると、市大病院脳外科の増田肇医師は、昭和五二年一二月七日から翌五三年四月一二日までの間原告の頭痛の訴えについて診療した結果、原告については、前掲レントゲン所見のほか、脳波検査の結果は正常であること、原告には、初診時には大後頭神経に著明な圧痛が認められたが、その後の診察では小後頭神経の圧痛に変化し、頭痛を訴える部位も診察時によって移動したこと、眼球の追跡運動はまるでできないが、随意運動は正常であること、通常の会話は全く正常にできること、その他神経学的に問題は認められないことの所見を得、これらの所見に基づいて、頭痛の部位が移動するのは偏頭痛(血管性頭痛)の特徴であるところから偏頭痛の存在を、また後頭神経の圧痛は緊張性(多くは心因性)の頭痛の特徴であるところから、併せて緊張性頭痛の存在を認め、これに対する投薬を行ったが、原告の頭痛がマイオジールによる髄膜炎を生じていることに起因しているとすれば、髄炎に伴って生じるべき、継続的発熱、頭蓋内圧亢進、眼底における鬱血乳頭所見、長期乳頭所見等の症状が認められないので、頭痛の原因としてマイオジールによる髄膜炎の発症は否定し、また、マイオジールにより三叉神経が侵襲を受け三叉神経痛が生じる可能性もあると考えられるのでこの点を検討したが、痛みを訴えている部位が三叉神経の存在する位置と全く異なるためこれも否定されたことが認められる。さらに、原告がその後診察を受けた前記認定の各病院医師(十全二ツ橋病院、汐田病院、久米外科整形外科病院、国立横浜東病院、内藤クリニック)のうち、高知市内の久米外科整形外科病院を除いては、頭痛の原因がマイオジールに起因する旨の診断は全くみられない。(<証拠>)。久米外科整形外科病院のみが、造影剤による頭痛と診断している(<証拠>)が、同病院は脳外科あるいは脳神経外科の専門医ではない上、どような診察を行い、いかなる診察、検査結果に基づいてそのように診断したかについて全く明らかでなく、右診断結果は到底措信できない。

以上によると、原告に生じた頭痛は、その発生の時期、頭痛の態様において、マイオジール頭蓋内滞留によって生じた副作用によるものとは異なるものであり、頭蓋内に滞留しているマイオジールの量の点において通常滞留による障害を生じさせるに足りないこと、頭痛のほかに障害を窺わせる症状が認められないこと、頭痛は緊張性頭痛、偏頭痛として診断することができることの各点に照らすと、原告の訴えている頭痛がマイオジールの頭蓋内滞留によって生じたものとは到底認められないというべきであり、他に原告の訴えている頭痛が、マイオジールの滞留によって生じたものと認めるに足りる証拠は見当たらない。

原告は、他に味覚障害、記憶力の極端な低下、食欲の減退、性欲の減退の各障害が生じた旨主張し、原告本人尋問の結果中にはその趣旨の供述がみられるが、原告の作成した報告書(前掲甲第五号証)には全くこれに触れた記載がなく、被告病院の整形外科、外科及びその後診療を受けた前掲病院に対してこれらの障害について訴えた形跡は全くない(昭和五二年一〇月一八日に食欲不良を訴えた記録がある(乙第一九号証の六)が、その日かぎりのものであり、かつその以前から下痢を伴っていた)のであって、主張のような明確な障害があったものと認めることはできない。

七以上のとおりであって、本件においては、原告の主張する障害が、被告病院医師の医療処置として注入されたマイオジールによって生じたものと認めることはできないものというべきであるから、その余の点について判断をすすめるまでもなく、原告の請求は理由がないものして棄却するほかない。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官関洋子 裁判官上原裕之は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官川上正俊)

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