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横浜地方裁判所 昭和55年(ワ)2946号 判決 1982年12月24日

原告

長崎くに

右訴訟代理人

宮代洋一

若林正弘

被告

橋本歓作

右訴訟代理人

岡田尚

引受参加人

拓銀観光株式会社

右代表者

市川康雄

右訴訟代理人

萩秀雄

小林芳男

主文

一  被告は原告に対し金三五万七六七七円を支払え。

二  引受参加人は原告に対し別紙物件目録記載(二)の建物を収去して同目録記載(一)の土地を明渡し、かつ昭和五七年一月二八日から右明渡しずみまで一か月金一万八〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告及び引受参加人の負担とする。

五  この判決は第一、第二項に限り仮に執行できる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金五〇万五七四一円を支払え。

2  主文第二項のうち金額を「金二万六八〇〇円」とするほか同項と同じ。

3  主文第三項と同じ。

4  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告及び引受参加人とも)

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  別紙物件目録記載(一)の土地(以下「本件土地」という)は原告の所有である。

2  被告は昭和五五年五月三一日以前から本件土地上に別紙物件目録記載(二)の建物(以下「本件建物」という)を所有していたが、引受参加人は昭和五七年一月二八日競落によりその所有権を取得し本件土地の占有を承継した。

3  本件土地の昭和五五年六月一日以降の相当地代額は一か月金二万六八〇〇円である。ちなみに同年五月三一日当時は一か月金一万八〇〇〇円であつた。

4  従つて被告は原告に対し昭和五五年六月一日から本件建物の所有権を喪失した日の前日である昭和五七年一月二七日まで一か月金二万六八〇〇円の割合による地代相当の損害金合計金五〇万五七四一円の支払義務があるから、原告は被告に対してその支払を求める。

5  引受参加人は原告に対し本件建物を収去して本件土地を明渡し、右同日から右明渡しすみまで一か月金二万六八〇〇円の割合による地代相当の損害金の支払義務があるから、原告は引受参加人に対してその履行を求める。

二  請求の原因に対する認否

(被告、引受参加人)

請求原因1、2の事実は認める。同3のうち、前段の事実は否認する。

(被告)

請求原因4は争う。

(引受参加人)

請求原因5は争う。

なお、引受参加人は本件建物を借地権付で代金二五七五万二〇〇〇円で競落したものであり、現在借地法により賃借権譲渡の承諾に代わる許可の裁判を求める申立てをしている。

三  被告の抗弁

1  被告は昭和二五年六月一日長崎定夫(以下「定夫」という)から本件土地を建物所有の目的で賃借したが(以下「本件賃貸借契約」という)、昭和四七年五月一九日同人が死亡し、原告が相続により本件土地所有権及び本件土地の賃貸人の地位を承継した。

2  被告は本件土地賃借後間もなく本件建物を建築して所有していたところ、昭和五五年五月三一日本件土地賃貸借期間が満了するにあたり、同月二一日頃原告に対し契約の更新請求をなし、また右期間満了後も引続き本件土地の使用を継続した。

3  従つて本件賃貸借契約は従前と同一の条件をもつて更新された。

四  抗弁事実の認否

抗弁1の事実は認める。同2のうち、被告が更新請求をした事実は否認し、その余の事実は認める。同3は争う。

五  再抗弁

1  原告は被告の更新請求に対して昭和五五年五月二二日頃異議を述べ、また、被告の本件土地使用継続に対しても直ちに異議を述べた。

2  右異議には次のとおり正当事由がある。

(一) 原告の長男長崎正幸(以下「正幸」という)は立教大学理学部教授であるところ、未だ借家住いであり、その社会的地位からしても、本件土地に建物を建てて居住したい。また、同人の妻は緑内障で左眼が眼球瘻で見えず、右眼も葡萄膜炎兼近視性乱視(強度の近視)で日常生活にも支障が大きい。例えば、妻の看護はもとより買物なども正幸自身がせざるを得ず、研究生活も非常に困難となつている。

ところで、本件土地の隣地には原告及び原告の長女和子(以下「和子」という)夫婦並びに次女澄子が居住しているので、正幸が本件土地に居住すれば、妻の看護並びに日常生活上の諸々の援助も期待できて非常に好都合であるのみならず、かような親族の援助がなければ、正幸の家庭は成り立ち得ない窮状にある。その意味で同人の本件土地での居住は緊急かつ絶対の必要事である。

そこで、原告は昭和五三年一〇月七日以来再三にわたつて被告に対し本件土地の明渡しを求めてきたのである。

(二) 一方、被告の本件土地の必要性は非常に稀薄である。元来本件土地は亡定夫が職場の同僚であつた被告に対し、終戦後の住宅困窮期に居住のために使用する約束で貸与したものであつた。しかし、被告は昭和四五年頃横浜市戸塚区に新宅を建築して転居しその後は本件建物を第三者に賃貸してきた。昭和五五年三月一六日には本件建物を空家とし、その一部を訴外森川忠之に倉庫代りに使用させていた程度である。

被告は

(1) 横浜市戸塚区若竹町一五八番四五ないし五九(宅地合計170.64平方メートル)を自己並びに家族名義で所有し、

(2) 同所に木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建居宅(床面積一階74.52平方メートル、二階28.98平方メートル)を所有して居住している。

(3) 更に、右自宅のすぐ近くに店舗を貸借し、同所で橋本商店(燃料・食料品等の販売)を経営し、手広く営業活動をしている。

このように被告は自己所有の土地・建物を所有して住居に困つておらず、自らは神北食糧株式会社に勤務するほか、他にも右のとおり店舗を賃借して営業活動をしており、本件土地使用の必要性は殆んどなく、本件賃借権は充分にその目的を達した。

3  以上により本件土地賃貸借契約は昭和五五年五月三一日限り終了した。

六  再抗弁事実の認否と主張

1  再抗弁1の事実は否認する。

同2(一)の事実は不知。同(二)のうち、本件土地を被告の居住のために使用する約束で本件賃貸借がなされたこと、被告が横浜市戸塚区に自宅を建築した時期が昭和四五年であること、被告が自己並びに家族名義で同区若竹町一五八番五一ないし五八の土地を所有していること、被告が橋本商店を経営していることは否認し、その余の事実は認める。被告が前記自宅を建築した時期は昭和四八年である。また、前記一五八番五九の土地の地目は宅地ではなく、山林である。被告所有地は同番四七、四八、五〇のみで面積合計69.31平方メートルに過ぎない。

2(一)  本件土地約四〇坪及びこれと隣接し、現在原告が使用している約50.02坪をあわせた別紙物件目録記載(一)冒頭の土地約九〇坪はもと渡辺喜八の所有であつた。終戦後定夫は右渡辺からこれを賃借したが、自己が使用する分としては五〇坪程度で十分であつたので、職場の同僚であつた被告に本件土地の転借方をもちかけたのである。

被告は右転借に際し定夫に対して権利金として金四万円を支払つた。

その後定夫は昭和四一年頃渡辺から右九〇坪の土地を買受けた。その際被告は定夫に対し本件土地の売渡方を求めたが拒否された。

以上のように、定夫と被告は一筆の土地を分けてほぼ同時にその使用を開始し、継続してきたのであつて、この経緯は正当事由の判断においても考慮されるべきである。

(二)  被告は昭和五四年五月頃原告から昭和五五年五月末日限りで本件土地の明渡しを求められ、一旦はこれを拒否したが、原告の再三の懇請により条件さへ折合えば明渡してもよい旨回答した。

被告としては世間一般の相場から更地価格の七ないし六割程度で少なくとも一五〇〇万円位の支払を受け得るものと考えていたが、原告は建物買取費用として金二〇〇万円を提示するのみであつたので、結局話し合いは決裂した。

(三)  被告は大正元年九月生れの高令者で、昭和五五年五月当時は神北食糧協同組合参与の職にあつたが、昭和五六年五月末には退職の予定であつた(その後退職した)し、その報酬は生計を維持するのに十分ではなく、本件土地上の本件建物の賃料収入に依存する割合が大きかつた。

(四)  原告主張の正幸の妻の病気の件は従来全く主張されていず、それが始めて主張されたのは本訴提起直前の昭和五五年一一月一二日の話し合の席上である。

(五)  原告は、従来の話し合の過程で被告が本件土地の明渡を拒否したところ、更新料として坪金一〇万円(合計金四〇〇万円)を要求したことがあり、必ずしも本件土地の明渡しを必要としない。

以上の次第で、原告の異議申立には正当事由がない。

七  被告の各主張に対する原告の認否

(一)のうち、本件土地を含む約九〇坪の土地がもと渡辺の所有であつたこと、定夫がこれを渡辺から賃借してそのうち本件土地を被告に転貸したこと、その後原告が右約九〇坪の土地を渡辺から買受けたことは認める。ただし右買受の時期は昭和三二年三月頃である。その余の事実は否認する。

(二)のうち、原告が被告に対し建物買取費用として金二〇〇万円を提示したことは認め、その余は否認する。原告が被告に対し本件土地の明渡しを請求した時期は昭和五三年一〇月からである。

(三)のうち、被告の生年月、職業は認めるが、その余の事実は否認する。

(四)は争う。

(五)は認めるが、これは被告が立退料として「世間一般の金額」を要求し、二〇〇〇万円以上の金額をちらつかせたが、原告としてこれに応じることは不可能なので、解決に苦慮し、一時更新の詰をしたこともあるが、すぐ立消えになつた。

第三  証拠<省略>

理由

第一被告に対する請求について

一請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二本件土地の昭和五五年六月一日以降の相当地代額が一か月金二万六八〇〇円であることを認めるに足りる証拠はなく、後記のとおり、それは一か月金一万八〇〇〇円であると認めるのが相当である。

三次に抗弁1の事実は当事者間に争いがなく、同2のうち、被告が昭和五五年五月二一日頃原告に対し契約の更新請求をしたことは、成立に争いがない甲第二一号証の記載によりこれを認めることができ、その余の事実は当事者間に争いがない。

四再抗弁1のうち、原告が被告の更新請求に対して昭和五五年五月二三日頃異議を述べたことは、<証拠>によりこれを認めることができる。また被告の本件土地使用継続に対して直ちに異議を述べたことは、これを明らかに認めるに足りる証拠はないが、昭和五五年一二月二八日被告に対し本件建物収去、土地明渡請求の訴が提起されたことは本件訴訟の経過上明らかであり、これをもつて、異議を述べたものと解すべきはいうまでもないところ、<証拠>によれば、原告は長男正幸もしくは長女和子を代理人として昭和五三年秋以来被告に対し本件賃貸借期間満了後の本件土地明渡しを求めて交渉を継続してきたこと、期間満了直前にも昭和五五年五月二日付及び同月二二日付書面でその旨を通知していることが認められ、この事実に照らすと、右異議は期間満了時から約七か月経過後ではあるが、なお遅滞ない異議と解して差支えない。

五そこで、右各異議の正当事由の有無について判断する。

1  <証拠>によれば、原告は明治三八年九月生れで昭和五三年五月当時七二才であつたが、本件土地の隣地(別紙物件目録記載(一)冒頭の土地の一部)上の建物に長女和子夫婦及び次女澄子と共に居住していること、長男正幸に以下のような事情があるので、被告から本件土地の明渡しを受けて正幸に使用させる必要があること、正幸は立教大学理学部教授の職にあるが、清瀬市内で借家住いをしており、居室が六畳二間、四畳半一間の住居に妻及び男子二名と共に居住していて手狭でありその職務上ないし社交上、同僚、知人、学生等を自宅に招きたくても事実上不可能であり、かつその社会的地位に相応する住宅を他に求めることは経済的に困難な事情にあること、また、同人の妻光子は昭和五二、三年頃、左眼球瘻、網膜剥離等の手術を受け、併発した白内障の手術を昭和五四年に受けたが、現在でも左眼は辛うじて明暗が分る程度であり、右眼も葡萄膜炎兼近視性乱視であるほか虚弱体質で風邪にかかり易いので、日常家事も思うにまかせないこと、従つて正幸が妻の看護はもとより、例えば、買物は勤務先からの帰途にしたり、或いは炊事洗濯も努めて同人がしなければならないような状態が数年来継続しており、研究生活にも種々支障を来していること、正幸は本件土地の明渡しを受ければ、同地上に住宅を建築して居住したい意向をもつており、そうすれば、隣地に居住する原告や妹らにより、妻の看護や日常生活上の諸々の援助も期待できて非常に好都合であること、そこで原告は、正幸や和子により、昭和五三年秋以来被告に対し契約期間満了後の本件土地の明渡しを求めて交渉を重ね、建物買取代金として金三〇〇万円の支払を提示したが、被告から借地権価格相当分として金二〇〇〇万円の支払を求められたので、話し合がまとまらなかつたことが認められる。

2  また、<証拠>によれば元来本件土地は定夫が職場の同僚であつた被告に対し居住のために使用する約束で賃貸したものであつたこと、被告は昭和四七年四月頃本件建物から他へ転居し昭和四七年一一月から昭和四八年五月頃までに横浜市戸塚区若竹町に自己及び家族名義で土地を取得し、昭和四八年一一月同地上に住宅を新築して居住するようになり、本件建物は第三者に賃貸してきたこと、被告は昭和五五年五月当時神北食糧協同組合参与の職にあつたが、昭和五六年三月退職し、以後年金を受給していること、被告には昭和五六年一〇月現在で三九才の長男を頭に二九才の四男まで男子四名があるが、いずれも結婚して独立しており、長男は被告の自宅近くのマーケット内に店舗を賃借して米穀販売店を経営していること、被告は妻及び三男夫婦と同居していること原告は昭和五五年一二月一八日訴外大久保利勝に対し本件建物につき金二五〇〇万円の消費貸借上の債務につき抵当権を設定したところ、その後その実行を受け昭和五六年五月六日横浜地方裁判所において競売開始決定を受け、昭和五七年一月二八日引受参加人によつて競落されたことが認められる。

3(一)  被告は本件土地賃貸借並びに使用開始時の事情を種々主張するが、正当事由の有無の判断につき格別斟酌すべき事情とは考えられない(なお、被告は本件土地賃貸借に当り、定夫に対し権利金四万円を支払つたと主張し、その本人尋問においても同旨の供述をするが、これを裏付ける確証がないのでにわかに信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない)。

(二)  また、被告は、正幸の妻光子の病気の件は本件契約期間満了前の交渉の過程では全く主張されていず本訴提起直前に始めて主張されたものであるというが、光子が原告主張の眼病等に罹患していることは前記認定のとおりであり、仮にこのことが原告の明渡交渉の過程において主張されていなかつたとしても、正当事由の有無の判断に当つて斟酌すべからざるものでないこというまでもない。

(三)  被告は、正幸が明渡交渉の過程において、契約更新を前提とする更新料支払の要求を提示したことがあると主張し、その本人尋問で同旨の供述をするが、証人長崎正幸の証言によれば、右交渉の過程で、被告の請求にかかる明渡料の額が原告の負担能力をこえるものであつたので、仮に更新すれば、更新料の額は幾何になるかが話題になつたことがあるものの、原告から更新意思の下に提案されたものではなく、原告としてはあくまで明渡を求めていたものであることが認められ、被告の前記供述は採用できない。

4  以上認定の原、被告双方の諸事情を比較検討すると、原告の本件土地使用の必要性は被告のそれに比して数段優るものと認められるので、原告がした前記各異議申立は正当事由を具備するものというべきである(なお、前記各異議の正当事由の有無の判断に関し事情を異にするものはみ当らない)。

六そうすると、本件土地賃貸借契約は昭和五五年五月三一日限り終了したというべきである。

七以上の事実によれば、被告は本件建物を所有することにより、昭和五五年六月一日から昭和五七年一月二七日まで本件土地を権原なく占有し、原告に対して地代相当の損害を与えたのであるから、これを支払う義務あるところ、弁論の全趣旨によれば、当時の地代は一か月金一万八〇〇〇円であつたことが認められる。原告は右同日以後の相当地代は一か月金二万六八〇〇円であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

従つて結局被告は原告に対し前記期間の右割合による金員即ち、金三五万七六七七円を支払う義務があるから、原告の被告に対する請求は右金額の限度で正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。

第二引受参加人に対する請求について

一原告が本件土地を所有すること、引受参加人が昭和五七年一月二八日本件建物の所有権を取得して本件土地を占有していることは当事者間に争いがなく、本件土地の地代相当損害金の額が一か月金一万八〇〇〇円であることは第一、七で認定したとおりである。

二本件土地の占有権原については引受参加人において格別の主張立証はない(なお、引受参加人は現在借地法により、土地賃借権譲渡の承諾に代わる許可の裁判を求める申立てをしているというが、第一においてみたとおり被告の本件土地賃借権は既に昭和五五年五月三一日限り消滅しており、引受参加人はその後において本件建物の所有権を競落取得したのであるから、もはや譲渡を受けるべき賃借権は存在しないものといわなければならない。)

三してみれば、引受参加人は原告に対し本件建物を収去して本件土地を明渡し、昭和五七年一月二八日から右明渡しずみまで一か月金一万八〇〇〇円の割合による地代相当の損害金を支払う義務あるものというべく、原告の引受参加人に対する請求は右の限度で正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

第三総括

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。 (佐藤安弘)

物件目録<省略>

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