大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和56年(ワ)2693号 判決 1984年4月26日

原告

鈴木久雄

右訴訟代理人

鈴木稔充

被告

江並ムメ

関戸亀吉

小沢清

小林友子

岩田樹彦

岩田弘一

右六名訴訟代理人

松田良雄

被告

鈴木晴雄

右訴訟代理人

猪狩庸祐

被告

岩田保幸

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告らとの間において、原告が別紙物件目録(一)、(二)記載の土地につき、所有権を有することを確認する。

2  被告小沢清、同江並ムメ、同関戸亀吉、同小林友子、同岩田保幸、同岩田樹彦、同岩田弘一は、別紙物件目録(一)、(二)記載の各土地の三分の一の持分につき主位的に、昭和二七年三月一一日時効取得を原因とする、予備的に昭和三七年九月三〇日時効取得を原因とする持分移転登記手続をせよ。

3  被告鈴木晴雄は別紙物件目録(一)、(二)記載の各土地の三分の二の持分につき主位的に、昭和二七年三月一一日時効取得を原因とする、予備的に昭和三七年九月三〇日時効取得を原因とする持分移転登記手続をせよ。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告小沢清、同江並ムメ、同関戸亀吉、同小林友子、同岩田樹彦、同岩田弘一、同鈴木晴雄)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)(1) 原告は昭和二七年三月一一日から一〇年間、所有の意思を以て別紙物件目録(一)、(二)記載の土地(以下「本件各土地」という。)の換地処分前の土地である高座郡寒川町倉見二三一番一、畑、一反一畝二一歩及び同所二三一番二、宅地、五〇坪(以下「換地処分前の各土地」という。)を占有した。

(2) 原告は昭和二七年三月一一日当時、換地処分前の各土地が自己の所有に属すると信じるにつき無過失であつた。

(二) 原告は昭和二七年三月一一日から換地処分までは換地処分前の各土地を、換地処分後は本件各土地を継続して二〇年間所有の意思を以て占有した。

(三)(1) 原告は昭和三七年九月三〇日から一〇年間所有の意思を以て本件各土地を占有した。

(2) 原告は、昭和三七年九月三〇日当時、本件各土地が自己の所有に属すると信じるにつき無過失であつた。

2 原告は右取得時効を援用した。

3 本件各土地は亡鈴木竹太郎(以下「竹太郎」という。)が他から譲受けて所有権を取得し、登記簿上同人の所有となつている。

4 竹太郎は、昭和二〇年五月三一日小菅冨代(以下「冨代」という。)と婚姻してその旨届出し、昭和二〇年一一月二〇日死亡した。当時竹太郎は実父である戸主鈴木光次郎(以下「光次郎」という。)の家族であり、死亡により遺産相続が開始した。

冨代は、竹太郎と婚姻する前に、昭和六年四月二〇日鈴木清と婚姻し、その旨届出し、両名の間に、昭和六年四月一三日鈴木晴雄(被告)が出生し、冨代と鈴木清とは昭和一九年一一月一三日協議離婚し、そのころその旨届出した。

冨代は、昭和二四年四月二〇日小林松五郎と婚姻し、その旨届出し、昭和四〇年五月二四日死亡した。

小林松五郎は子が無く、昭和四八年五月一八日死亡した。その当時小林松五郎の父母は共に死亡していた。

小林松五郎の姉小林ツルは子である小沢清(被告)を得て昭和一九年六月一四日死亡し、弟小林忠蔵は子である小林友子(被告)を得て昭和二〇年一月一〇日死亡し、弟岩田庄太郎は、子である岩田保幸(被告)、岩田樹彦(被告)、岩田弘一(被告)を得て昭和二一年五月一八日死亡した。被告江並ムメは小林松五郎の姉であり、同関戸亀吉は同人の弟である。

5 被告らは本件各土地の所有権を主張して原告の所有権を争つている。

よつて原告は、被告らとの間において、本件各土地につき原告が所有権を有することの確認を求め、被告らに対し、請求の趣旨記載の持分移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告小沢清、同江並ムメ、同関戸亀吉、同小林友子、同岩田樹彦、同岩田弘一、同鈴木晴雄)

1(1)  請求原因1(一)(1)の事実は知らない。同1(一)(2)の事実は否認する。

(二) 請求原因1(二)の事実は知らない。

(三) 請求原因1(三)(1)の事実は知らない。同1(三)(2)の事実は否認する。

2  請求原因3の事実は認める。

3  請求原因4の事実のうち、被告小沢清、同江並ムメ、同関戸亀吉、同小林友子、同岩田樹彦、同岩田弘一は、竹太郎の死亡、冨代が当時竹太郎の妻であつたこと、冨代の死亡、当時小林松五郎が冨代の夫であつたこと、小林松五郎の死亡、右被告らが各自小林松五郎の相続人であることを認め、被告鈴木晴雄は、竹太郎の死亡、冨代が当時竹太郎の妻であつたこと、冨代の死亡、右被告が冨代の子であることを認める。

4  請求原因5の事実は認める。

三  抗弁

(被告小沢清、同江並ムメ、同関戸亀吉、同小林友子、同岩田樹彦、同岩田弘一、同鈴木晴雄)

換地処分前の各土地は竹太郎が大正一五年三月二〇日に訴外岡村久蔵から買受けたものであり、竹太郎は右土地の東側部分五〇坪に昭和一一年八月家屋を建てて住んでおり、原告は右事実を知つていた。昭和三七年の土地改良に際し、竹太郎名義で右土地の分筆、地目変更の登記、換地処分が行なわれており、自らは使用借人として届出ている。又、本件各土地の固定資産税も同人名義で納付されている。従つて、原告の占有は他主占有である。

四  抗弁に対する認否

本件各土地を竹太郎が買受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、本件各土地が同人の父である光次郎の遺産の一部であり、それを原告が相続したと思つていたのである。

五  被告岩田保幸の答弁

被告岩田保幸は、公示送達による適式の呼出を受けたが、本件口頭弁論に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

第三  証拠<省略>

理由

一換地処分前の各土地が竹太郎の所有であつたこと、被告らが同人の権利義務を相続により承継した者であることは当事者間(被告岩田保幸を除く。)に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、請求原因1(一)の(1)、(二)及び(三)の(1)の事実が認められる。(但し、所有の意思を以てとする部分を除き、また換地処分前の各土地のうち、寒川町倉見二三一番二の宅地五〇坪について、原告本人は、昭和二八年ころ、竹太郎の弟であり、原告の兄である西山文蔵が家を建てたと述べるところ、原告と西山文蔵との間に敷地使用に関しいかなる合意がなされたのか、或いは全くさような合意が無く建築がなされたのかについて、これを明らかにする証拠がなく、むしろ原告はその占有を失つたと認められるから、換地処分前の寒川町倉見二三一番二の宅地の占有に関する部分を除く。)

二原告は換地処分前の各土地の占有を始めるにあたつて、或いは本件各土地の占有を始めるにあたつて、所有の意思であつたと主張し、被告岩田保幸を除くその余の被告らは、これを争うからこの点について判断する。

<証拠>によれば次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

1  竹太郎は、明治二八年五月二五日生れで、大正八年一月一四日生れの原告より相当年長であり、同胞が皆外に出て、同人が父光次郎の生業である農業を次ぐことについて家族が了解していた。昭和九年五月一一日竹太郎は鈴野トリと婚姻したが同一七年七月一八日離婚した。

2  ところが竹太郎は一時結核を患い農業に携わることができず、光次郎が農業に精を出していた。

3  原告は、昭和一六年に応召して戦地に赴き、昭和二二年に復員した。換地処分前の各土地は、光次郎所有の各土地とは離れたところにあり、原告はそこに竹太郎の土地があるとかねてから知つていた。復員当時はそこは光次郎が耕作管理していた。原告は間もなく日産自動車に勤務を始め、かたわら農業もした。

4  原告は、復員後、竹太郎と冨代との婚姻のこと、竹太郎の死亡、葬儀のこと、冨代が葬儀に出席しなかつたことなどを家族から聞き、冨代の消息を知り得る立場にあつた。

5  光次郎は昭和二七年三月一〇日死亡し、原告の同胞はいずれも相続を放棄し、農業は原告が継ぐことになり、各相続放棄申述は同年六月二〇日受理された。

6  間もなく周辺土地について耕地整理の話が始まり、昭和二八、九年ころ、土地改良区の設立が認可され、原告はこれに所有者兼換地処分前の各土地の耕作者として参加した。土地改良区理事者の説明では、換地処分前の各土地は、放置すれば国有に帰するから、原告の関与を明らかにするのが良いというのであり、昭和三七年九月二九日に高座郡寒川町倉見土地改良区により換地処分がなされ、改良区理事長の申請により換地の登記が昭和四二年二月一六日こうなされるに至るまで、原告は換地処分前の各土地の使用借人との扱いであつた。

三右に認めた各事実にもとづいて考えるのに、光次郎が竹太郎の所有にかかる換地処分前の各土地を耕作し、従つてこれを占有したことがあつたにせよ、跡とりと決めた子の土地であるから、これを管理するための占有の域を出ることがなく、他主占有であつたと認めるほかないが、原告が換地処分前の各土地の占有を始めたのは、父親である光次郎の地位をそのまま受け継いだものであるから、やはり他主占有となる筋合である。

無論、原告がなす占有には、相続を離れた固有の面もあり、それが諸般の事情から所有の意思を以てする占有と見るのが合理的であるとされる場合は、自主占有が新たに開始したとする余地がある。ところが、原告の換地処分前の各土地に対する占有には、この様な事情は見当らない。

<証拠>によれば、光次郎死亡後換地処分前の各土地、本件各土地について、原告がその名で固定資産税、都市計画税を納付し来つたこと、昭和二八年ころ西山文蔵が養家先に実子を残して、換地処分前の寒川町倉見二三一番二の土地に家を建てて住みたいと希望したのでこれを容れたことが認められるが、公租公課について、所有者以外の者がこれを納付することはまれでないこと、<証拠>によれば、固定資産課税台帳上換地処分前の各土地の所有者は竹太郎であつたと認められること、西山文蔵が家を建てるについては、原告と同人との間にいかなる合意がなされたのか全く明らかでなく、時期が光次郎死亡直後のことであり、原告、西山文蔵ともに光次郎の相続人であつたのだから、西山文蔵の建築を許容したからと言つて、所有者でなければなし得ない処分をした外観があるとも断じ難いことを考え併せると、右の事情は、先の、原告が換地処分前の各土地を占有したのが自主占有であると見るべき事情には該らないというべぎである。

また、原告に対し冨代から、土地の権利について特段の申出があつたことを窺わせる資料は無いが、冨代は昭和二四年四月二〇日小林松五郎と婚姻し、光次郎方とは縁遠くなつていた(被告鈴木晴雄、同岩田保幸を除く被告らと原告との間では、この点に争いがなく、右両被告と原告との間では、<証拠>によりこれを認める。)ことにてらすときは、これを、権利者が事情を知つて異議を言わないものと見るのは相当ではない。

原告本人の供述中には、換地処分前の各土地は、光次郎の死により、相続財産として自己に帰したと信じたとする部分があるが、はじめに認めた各事実にてらし簡単には信用できない。仮にその様に思つたとすれば、光次郎の相続について放棄申述手続をすすめるなど法的手続に入りながら、公簿上の竹太郎の所有名義が全く等閑視されている点において、著しく軽率な思い込みであるといわなくてはならない。

そうすると、原告が、光次郎の死後換地処分前の各土地を占有したのは、その態様、外観において光次郎時代のそれと著変なく、所有権が自己に帰したと信じたことは簡単に認め難く、たといその様に思つたとしても、著しく軽率な判断であると言わざるを得ないという事情のもとでは、他主占有であつたと認めるべきである。

原告は、換地処分後本件各土地を一〇年間占有したから、これを時効取得したというのであるが、本件各土地の占有は、換地処分を機に、処分前の各土地の占有を継続する趣旨で始められたことは原告の自認するところであり、換地処分前の各土地に対する占有が他主占有であつたとすべきであるから、本件各土地について自主占有が始められたとするためには、特別の事情を要するところ、これに該当する事実は証拠によるも認められない。原告本人の供述中、土地改良組合の理事者から、原告が耕作者として土地整理の手続を進めれば、やがて原告の所有になるといわれたかに言う部分は、合理性に欠け、直ちには信用できない。

四以上のとおり、原告が換地処分前の各土地及び本件各土地を占有したのは、いずれも所有の意思でなかつたと認められるから、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。 (曽我大三郎)

物件目録<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例