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横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)91号 判決 1984年2月29日

原告

大用寿子

右訴訟代理人

岡本秀雄

被告

安田生命保険相互会社

右代表者

水野衛夫

右訴訟代理人

小林資明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一昭和五五年九月、原告の内縁の夫武内と被告との間において本件保険契約(但し、保険金額の内訳及び月額保険料額の点は除く)が締結されたこと、被保険者の武内が、同五六年一月二一日午前〇時三〇分ころ、飲酒のうえ帰宅したこと、ポリ容器に入つていた灯油を着衣にかけていたこと、上半身四〇パーセントに第Ⅱ度ないし第Ⅲ度の熱傷を負い、救急車により相模原中央病院に収容されたが、同月二二日午後一時〇五分死亡したことは当事者間に争いがない。

二<証拠>によれば、本件保険契約の保険金額については、特別保障期間中の死亡保険金が一〇〇〇万円、同期間中の災害割増特約の災害割増保険金が五〇〇万円、傷害特約の災害保険金が五〇〇万円となつていることが認められるところ、本件保険契約に関するオーダー設計の保険普通保険約款二条一項は、「被保険者が責任開始の日からその日を含めて一年以内の自殺により死亡したときは死亡保険金を支払わない」旨、災害割増特約一一条一項一号及び傷害特約一四条一項一号は、いずれも「契約者または被保険者の故意または重大な過失によるときは災害割増保険金を支払わない」旨定めていること及び被保険者の武内の死亡は本件保険契約成立の日から一年以内であることは当事者間に争いがない。

三被告は武内が自殺したものである旨主張するので、検討する。

前記事実に加え、<証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。

原告(昭和六年一二月一七日生)は、昭和四九年ころから武内(同一六年六月一一日生)と内縁関係にあつて、原告の長男大用裕之(同三三年八月二日生)、同次男信一(同四〇年四月一二日生)と武内の長女利佳子(同三九年二月一五日生)と一緒に原告所有の家屋で暮らしていたこと、原告は自宅でスナックを経営し、武内は有限会社武内商事土木を経営し、土木工事の下請をしていたこと、武内は酒乱であつて、同人の実家からも出入りを禁じられていたほどであり、いやなことなどがあつたときにはよく酒を飲み、酔つたときには口癖のように「死ぬ、死ぬ」といつて暴れ出し、物を毀したり、原告に対しても殴る、蹴るなどの暴行を加え、また自らもブロックに頭をぶつけたり、石油を浴びたり、電話線のコードで自分の首を締めるなどしたこともあつたこと、同五六年一月ころは、武内は自分の仕事も余り思わしくなく、借金も嵩んでいたこと、武内は裕之とは仲が悪かつたところ、裕之は当時美容学校に通つていたが、交通事故を起し、家族でその跡始末に苦慮していたこと、同月二〇日、武内は、午後五時三〇分ころ帰宅し、夕食時にビールを飲んだうえ、同八時ころ再び外出し、同月二一日午前〇時三〇分ころ酒に酔つて帰宅し、一階六畳間の夫婦の寝室に入つて来たが、喘息がひどくて横になっていた原告と口論となり、武内は原告に対し、「俺一人だけ働いていて面白くない、死んでやる」などといつて暴れ出し、テレビ台を倒すなどしたので、原告は恐しくなつて二階の裕之の部屋に逃げ込んだこと、武内は玄関に置いてあつたポリ容器に入つていた灯油を着衣の上から浴びたので、これを知つた信一と利佳子が武内を宥め、右着衣の灯油を拭くなどして一旦騒ぎが治つたかに見えたが、武内は矢庭に階段を上り踊場付近で所持していたライターで着衣に点火したので着衣は燃え上り、同人は階段から転げ落ち、上半身四〇パーセントに第Ⅱ度ないし第Ⅲ度の熱傷を負い、救急車で相模原中央病院に収容されたが、同月二二日午後一時〇五分死亡したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、武内は、灯油を浴びてこれに点火し、その結果死亡したものということができるから、同人の死は自殺といわざるをえない。

従つて、被告の前記主張は理由がある。

そうすると、武内は本件保険契約成立後一年以内に自殺したものということになるから、被告は原告に対し、本件保険契約に基づいて保険金を支払う義務を負わないことになるといわざるをえない。

四よって、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(古館清吾)

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