横浜地方裁判所 昭和59年(レ)91号 判決 1988年2月12日
控訴人 上野美恵子
右訴訟代理人弁護士 谷口隆良
右同 谷口優子
被控訴人 重田重盛
<ほか一名>
右被控訴人両名訴訟代理人弁護士 成毛由和
右被控訴人両名訴訟復代理人弁護士 佐々木和美
成田茂
主文
一 原判決を取消す。
二 被控訴人らは、控訴人に対し、被控訴人重田重盛が控訴人から金四〇〇万円の支払を受けるのと引換に、別紙物件目録記載(二)の建物部分を明渡し、かつ、控訴人において右金員を提供したにもかかわらず、その明渡をしないときは、右提供の翌日から明渡完了まで各自一か月につき金三万五五〇〇円の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 控訴費用は、第一、第二審を通じて、これを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
控訴人は「原判決を取消す。被控訴人らは、控訴人に対し、別紙物件目録記載(二)の建物部分を明渡し、各自昭和五三年一二月二一日から右明渡済まで一か月四万円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人らは「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 控訴人は、別紙物件目録記載(一)の建物(以下「本件建物」という。)を、昭和五三年一二月二一日以降から所有している。
2 被控訴人重田重盛(以下「被控訴人重盛」という。)及び同重田光子(以下「被控訴人光子」という。)は、昭和四七年一〇月から、本件建物のうち別紙物件目録記載(二)の部分(以下「本件建物部分」という。)を占有している。
3 本件建物部分の相当賃料額は昭和五三年一二月二一日以降一か月につき四万円である。
4 よって、控訴人は、被控訴人らに対し、所有権に基づく妨害排除請求として本件建物部分の明渡を求めるとともに、賃料相当損害金として昭和五三年一二月二一日から右明渡完了まで各自一か月につき四万円の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2 同2の事実は認める。
3 同3、同4は争う。
三 抗弁
1 被控訴人重盛は、昭和四七年一〇月一一日あるいは同月一二日頃、訴外金子ノイ(以下「訴外ノイ」という。)と店舗賃貸借契約を締結し、本件建物のうち別紙物件目録記載(三)の部分(以下「本件賃借部分」という。)を、賃料一か月一万五〇〇〇円、期間三年の約定で賃借した(以下「本件賃貸借契約」という。)。
2(一) 被控訴人重盛と訴外ノイとは、昭和五〇年一〇月一〇日、合意のうえ、本件賃貸借契約を更新し、更新後の賃貸借の期間を同月一一日から昭和五三年一〇月一〇日まで三年間と定め、更新後の賃料を一か月につき二万円に増額した。
(二) なお、被控訴人らは、本件賃貸借契約所定の三年の期間が経過した昭和五〇年一〇月あるいは昭和五三年一〇月以降も、本件建物部分の使用収益を継続しており、本件賃貸借契約は当然に更新されたことになる。
3(一) 訴外ノイは、昭和三〇年一〇月三日、前主から本件建物を買受けた。したがって、訴外ノイは本件建物の所有者であり、本件賃貸借契約は有効に成立した。
(二) 仮に、控訴人が本件建物の共有者であったとしても、控訴人は、予め、訴外ノイに対し、本件建物全部の管理を委ね、単独で賃貸借契約を締結して本件建物の一部を他に賃貸する権限を与えていた。
4 訴外ノイは、昭和四七年秋頃、同郷の不動産業長崎不動産こと訴外本城ツタヨ、同本城保夫妻に、家賃収入を上げるために本件建物の玄関部分を店舗用に賃貸したいので希望者を紹介してほしいと依頼した。訴外本城ツタヨ及び保夫妻は、喫茶店用の店舗を捜していた被控訴人重盛を本件建物に案内して、訴外ノイに紹介したところ、その際、控訴人が本件建物に居合わせ、「こんな範囲で喫茶店ができますか。」と言い、また、「私も喫茶店のお手伝いをしたい。」とも言っていた。本件賃貸借契約の契約書は、最終的に昭和四七年一〇月一一日または一二日頃、本件建物の玄関口で作成されたが、その場には、被控訴人重盛、同光子、訴外ノイ、同本城ツタヨ及び保夫妻、並びに控訴人が立会っていた。被控訴人重盛は、契約後直ちに喫茶店の増改築に着手して昭和四七年一二月一二日の開店の前日まで工事を行い、本件賃借部分を本件建物部分に拡大して喫茶店用に改装したのであるが、その間、控訴人は、しばしば工事現場に現われ、被控訴人重盛に対して種々の意見を述べていた。被控訴人重盛は、本件賃貸借契約を締結すると同時に、訴外ノイから本件建物二階の奥の居室を居住用に賃借し、約一年後には同じ本件建物二階の表側の居室に移り、昭和五七年五月までそこに居住して本件建物部分における喫茶店経営を続けていたのであるが、控訴人は、この間、右居室の賃料、並びに右居室と本件建物部分の清掃代として一か月各五〇〇円、合計一〇〇〇円を何ら異議をとなえることなく受取っていた。
このように、控訴人は、本件賃貸借契約締結、本件賃借部分の改装及び被控訴人らの喫茶店営業開始について事態を掌握していたのにかかわらず、何らの異議も述べないまま経過した。右の事実経過に照らすと、控訴人は、本件賃貸借契約の締結に同意し、あるいは、少なくとも事後承認を与えて追認したものということができる。
5 被控訴人光子は、被控訴人重盛の妻であり、本件建物部分において同人と共同して喫茶店「コロラド」を営んでいるにすぎないから、被控訴人重盛の占有権原を援用し、控訴人の本訴請求を拒むことができる。
よって、被控訴人らは、本件建物部分について占有権原を有し、控訴人の本訴請求は、いずれも失当である。
四 抗弁に対する認容
1 抗弁1の事実は認める。但し、契約日時は昭和四七年一〇月一一日である。
2 同2(一)の事実は認める。同2(二)のうち、被控訴人らが昭和五〇年一〇月あるいは昭和五三年一〇月以降も本件建物部分の使用収益を継続していることは認め、その余は争う。
3 同3(一)の事実は否認する。そもそも、本件建物は、登記簿上昭和三〇年一〇月三日訴外ノイが売買により所有権取得した旨記載されているが、実際には控訴人がその代金全額を支出して取得し、その後昭和四六年九月頃二階建に増改築して二階部分をアパートとした際も、その費用四〇〇万円余を控訴人が支出ないし借入れたのである。本件賃貸借契約締結当時の本件建物の所有者は控訴人である。
4 同3(二)の事実は否認する。
5 同4の事実のうち、控訴人が立会ったことは否認し、訴外ノイが被控訴人重盛に対して本件建物の二階奥の居室を賃貸したことは認め、その余の主張事実は争う。被控訴人重盛は、訴外ノイに無断で表側の居室に移ったものである。また、控訴人が五〇〇円を受領したのは使用損害金としてであり、本件賃貸借契約を認めて清掃代として受取ったものではない。加えて、本件建物二階の居室の賃貸借が居住用の建物であるのに対し、本件賃貸借契約は店舗に関するものであるから、両者は別個の賃貸借であって、その間に関連性はない。
6 同5は争う。被控訴人光子は単独で喫茶店「コロラド」を営んでいる。
五 再抗弁
1 昭和三〇年当時本件建物を買受けたものが訴外ノイであったとしても、控訴人は、昭和四六年九月一三日、訴外ノイから本件建物の共有持分二分の一を贈与された。本件賃貸借契約締結当時、控訴人と訴外ノイとは、本件建物について、それぞれ二分の一の共有持分を有していた。したがって、控訴人の同意がない限り、訴外ノイが単独で締結した本件賃貸借契約は、控訴人に対して効力がない。
2 抗弁2の本件賃貸借契約更新の合意は、三年後の明渡を約する旨の即決和解手続による和解調書作成を条件としていたところ、被控訴人重盛は、昭和五〇年一一月一二日の即決和解期日において和解に応じなかったので、前提条件が成就していない。右合意による更新の効力は発生せず、本件賃貸借契約は終了した。
3(一) 被控訴人重盛と訴外ノイとは、本件賃貸借契約において、賃料の支払は翌月分を毎月末日までに持参すること、被控訴人重盛が賃料の支払を一か月以上怠ったときは、訴外ノイは直ちに店舗の明渡を請求することができる旨約した。
(二)(1) 本件賃貸借契約所定の昭和五一年二月分の賃料について支払期日が経過した。右の定めにより、本件賃貸借契約は当然に解除された。
(2) 本件賃貸借契約所定の昭和五八年八月及び九月分の各賃料について支払期日が経過した。控訴人は、被控訴人重盛に対し、昭和五八年九月二九日到達の書面をもって、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした。
(三) したがって、本件賃貸借契約は既に終了している。
4(一) 本件賃貸借契約は、被控訴人重盛が、「三年後に本格的に喫茶店を始めるのでそれまで試験的に貸してほしい。」と申し入れ、これに対し、訴外ノイが「建物が大変古く危険なので、三年後には大改造をするが、それまでなら貸してもよい。」と答え、双方が三年にかぎる理由を明示して一時使用の目的で締結されたものであるから、借家法の適用がなく、解約申入に正当事由あることを要しない。
(二) 控訴人は、被控訴人らに対し、本件賃貸借契約について当初約定の契約期限が到来した後、たびたび本件建物部分の明渡を求め、被控訴人らによる使用収益の継続に異議を述べた。
(三) 控訴人は、被控訴人重盛に対し、昭和五三年一二月二〇日到達の書面をもって、本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示をなした。
(四) よって、本件賃貸借契約は既に終了している。
5(一)(1) 訴外ノイと被控訴人重盛とは、本件賃貸借契約において、「自費増改築店舗一坪未満」と約したにもかかわらず、被控訴人重盛は抗弁4記載のような増改築工事を行ったのであるが、これは、本件賃貸借契約に違反するばかりでなく、建築基準法にも違反するものであって、被控訴人重盛は鎌倉市建築指導課から取壊等の警告を受けた。
(2) 本件建物は、元来大変古いものであったところ、昭和四六年に二階部分を増改築する際三年後に一階部分も改築することを予定して、いわゆる「おかぐら式」という工法を採ったため、梁の切れ目が沈下するなどの異常が生じているのであって、このままでは崩壊の危険があるから一階部分を大改築する必要がある。
(3) 控訴人の家族は、現在四名であり、子供達の成長とともに、本件建物を改築して居住用に供する外はなく、本件建物部分を玄関として本件建物を自己使用する必要性が高まっている。
(4) 訴外ノイは、本件建物部分の明渡交渉が難航したことから、心労が重なってノイローゼになり、昭和五〇年一一月から精神病院に入院したが、同五一年一二月二六日、ついに回復しないまま自殺してしまった。
(5) 前記再抗弁4(一)のとおり、本件賃貸借契約はもともと一時使用目的で締結されたものにすぎない。
(6) 被控訴人重盛は、抗弁2の本件賃貸借契約更新の合意の際、訴外ノイに対し、三年後には明渡を行う旨を約束し、当事者間において本件建物部分の明渡の合意が成立していた。
(7) 被控訴人重盛は、前記再抗弁3(二)、(三)のとおり賃料不払を重ねた。
(8) 鎌倉簡易裁判所における本件建物部分明渡の調停(昭和五四年一月一一日申立)期日において、被控訴人重盛は、明渡に一旦同意しながらも、最終的には膨大な明渡料を要求して譲らず、ついに右調停は不調に帰した。
(二) 控訴人は、被控訴人重盛に対し、昭和五四年三月頃の前記調停期日及び本件原審和解期日において、それぞれ明渡料として三〇万円を支払う旨表明し、本件賃貸借契約を終了させる旨の意思表示をなした。
(三) 控訴人は、被控訴人重盛に対し、当審和解期日において明渡料として三〇〇万円を支払う旨表明し、本件賃貸借契約を終了させる旨の意思表示をなした。
(四) よって、本件賃貸借契約は、既に終了している。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実は否認する。本件建物は、登記簿上昭和四六年九月一三日訴外ノイが控訴人に対し二分の一の共有持分を贈与した旨記載されているが、これは単なる形式上のものである。すなわち、訴外ノイが本件建物の二階部分をアパートに増改築するに際し、当時満七三歳になっていた訴外ノイの単独名義のままでは、年齢の関係で融資を受けられなかったので、その増改築工事資金を調達する手段として控訴人との共有名義に変更したにすぎない。本件賃貸借契約締結当時、本件建物の実質的所有者は訴外ノイであって、控訴人は管理権も有していなかった。
2 同2のうち、被控訴人重盛が昭和五〇年一一月一二日の即決和解期日において和解に応じなかった事実は認めるが、その余は争う。
3(一) 同3(一)のうち、契約書にそのような約定が記載されていることは認め、その余は争う。
(二) 同3(二)(1)の支払期日が経過した事実は認め、その余は争う。
(三) 同3(二)(2)の事実は認める。
(四) 同3(三)は争う。
4 同4のうち(三)の事実は認め、その余は否認ないし争う。
5(一) 同5(一)(1)のうち、契約書に「自費増改築店舗一坪未満」と記載されていることは認め、その余は争う。訴外ノイと被控訴人重盛とは、被控訴人重盛の費用で本件賃借部分を増改築して店舗に改造することを認めた上、その範囲については、未だその設計図もできていなかったことから、現地において具体的に協議することを約したのであって、その約定に基づき、被控訴人重盛は、訴外ノイに、その規模、範囲をよく説明して、同人立会のもとに細部に亘って指示、了解を受けて工事を実施したのであるから、契約違反はない。
(二) 同5(一)(2)ないし(5)の事実のうち、控訴人の家族が現在四名であること、訴外ノイが昭和五一年一二月二六日に死亡したことは認め、その余は争う。同(6)の事実は認め、同(7)は争う。同(8)のうち、控訴人が昭和五四年一月に調停の申立をしたこと、右調停が不調に終わったことは認め、その余は否認する。
(三) 同5(二)の事実は争い、同5(三)の事実は認める。
(四) 同5(四)は争う。
七 再々抗弁
1 被控訴人重盛は、前記長崎不動産こと本城ツタヨ(以下「訴外ツタヨ」という。)に委託し、昭和五一年一月三〇日、控訴人に対し、本件建物部分と本件建物二階アパート一室の賃料合計四万五〇〇〇円を提供したところ、控訴人は、右アパート一室の賃料二万五〇〇〇円のみを受領し、本件建物部分の同年二月分の賃料二万円の受領を拒絶した。
2 被控訴人重盛は、昭和五一年二月一八日、右賃料二万円を供託した。
3 被控訴人重盛は、昭和五八年九月二九日、同年八月分及び九月分の賃料合計四万円を供託した。
4 よって、被控訴人重盛に賃料債務の不履行はなく、再抗弁3の主張は失当である。
八 再々抗弁に対する認否
再々抗弁1の事実は否認し、同2ないし4は争う。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1(所有)、2(占有)の各事実については、当事者間に争いがない。
二1 抗弁1(本件賃貸借契約締結の事実)及び同2(本件賃貸借契約合意更新の事実)については、当事者間に争いがない。
2 《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。《証拠判断省略》
(一) 訴外ノイは、昭和三〇年一〇月三日頃、訴外清水孝治から、同人所有の本件建物を買受けた。訴外ノイの長女である控訴人は、昭和三三年に上野易男と結婚後も本件建物に同居していたが、昭和三六年頃、鎌倉市植木六九二番地所在の中古住宅を購入して同所に転居した。
(二) 訴外ノイは、昭和三三年以降も引続き平家建の本件建物に単身居住していたが、昭和四六年、本件建物を活用してアパート経営を行うことを企て、同年一一月頃までに増改築して二階建に変更した。右工事費用四〇〇万円余りのうち二〇〇万円は日本住宅金融株式会社から控訴人名義で借入れ、残余の二〇〇万円余りも控訴人が出捐した。訴外ノイは、右工事に先立って、昭和四六年九月一三日、本件建物の共有持分二分を一の控訴人に贈与した。
(三) 昭和四六年に行われた本件建物の増改築は、本件建物一階部分に訴外ノイが居住し二階部分をアパートとして賃貸し、賃料収入を得ることを目的としたものである。訴外ノイは、本件建物の居室等の賃貸借契約について、長崎不動産や後藤不動産等の不動産業者に仲介を依頼し、賃貸借契約を自己の単独名義で締結したほか、独自に銀行の貸金庫を借りて、本件建物の登記済権利証等の重要書類を保管し、財産を控訴人とは独自に管理していた。訴外ノイは、アパート経営を始めてから、一か月の半ば以上の日数は、鎌倉市植木六九二番地所在の当時の控訴人宅に寄宿し、毎月賃料集金の時期、その他必要なときに本件建物の一階の居室に泊るという生活振りであった。本件建物について賃料の集金は訴外ノイが行っており、集金した本件建物部分、その他の賃料のうち、一か月四万三〇〇〇円前後を日本住宅金融株式会社からの前記借入金の返済に充てるため銀行に入金していた。
(四) 被控訴人重盛は、松竹株式会社の美術監督をしていたものであるところ折からの映画不況により収入が不安定かつ減少したため、右松竹株式会社の大船撮影所の近辺で妻である被控訴人光子とともに喫茶店を経営してその収入の不安定を補うことを計画し、訴外ツタヨの斡旋を受けた末昭和四七年一〇月一一日、被控訴人重盛は、訴外ノイと、本件賃貸借契約を締結するとともに、本件建物の二階の居室一室についても賃貸借契約を締結し、訴外ノイに対し権利金、敷金等合計一六万六六〇〇円を、訴外ツタヨに対し仲介手数料合計四万円をそれぞれ支払った。被控訴人らは、右契約締結の際に控訴人も同席しており、その日時は同月一二日であったかもしれない旨を主張し、右主張に沿う供述も行っているが、右供述内容はあいまいで措信できない。
(五) 被控訴人重盛は、昭和四七年一〇月一三日頃から同年一二月一二日頃までの間に増改築し、当初約二坪の玄関にすぎなかった本件賃借部分を、床面積合計五・四五坪の店舗(本件建物部分)に改造した。右改造によって増した面積は約三・四五坪であって、当初の契約書に記載された増築面積一坪に比較すると、大幅に拡大しているけれども、予め訴外ノイ、あるいは控訴人から了承を得た事実を認めるに足りる証拠はない。しかし、訴外ノイは、右改築終了後に本件建物に臨んでおり、右増築の結果を知りながら、なお従前の契約とおりの賃料を受領している。訴外ノイは、右改造を事後に承認したものと窺われる。
(六) 控訴人は、本件賃貸借契約が締結されたことは、昭和四八年一月三日に訴外ノイから契約書を見せられて知り、その後、被控訴人らに対して明渡要求を繰り返した旨の供述をしている。右契約書には「(自費増改築店舗一坪未満)」という記載がある。また、当時の控訴人宅と本件建物との距離は、さ程遠いものではなく、控訴人にとって、改造後の本件建物部分に臨んで見分することは、たやすく可能であった。控訴人は、遅くとも昭和四八年中には、本件建物部分の増改築を知ったものと窺われる。しかるに、控訴人において、被控訴人らに対し、本件建物部分の増改築が当初の契約条項記載の増築面積よりも大幅に広いことを咎めて改修を求めるといった行動に及んだことを認めるに足りる証拠はなく、右増改築について、不承不承でも、黙認したものと窺われる。
(七) 被控訴人らは、当初約定の賃貸期限が経過した昭和五〇年一〇月一一日以降も本件建物部分を返還せずに使用継続している。したがって、更新の合意がなくとも、本件賃貸借契約は従前どおりの内容で更新されることになる(借家法二条参照)。
訴外ノイと被控訴人重盛は、「昭和五〇年一〇月一〇日付店舗賃貸借契約書(更新)」を作成し、本件賃貸借契約の更新に際し、賃料を月額二万円、契約期限を昭和五三年一〇月一〇日と定めることを明らかにした。被控訴人らの賃料支払状況を通覧すると、本件建物部分の賃料として、昭和五〇年九月分以前は当初約定どおりの月額一万五〇〇〇円、同年一〇月分は月額一万八三〇〇円、同年一一月分以降は月額二万円が授受されており、右の一〇月分については契約期限到来前の上旬の分は従前どおりの金額が、更新後の中旬及び下旬の分は値上げ後の金額が支払われている。しかも、右の一〇月分は同月四日に授受されており、値上げの合意は遅くとも同月四日以前に成立していたものと窺われる。また、同年一二月二日以前の賃料の領収記録には「金子」名義が使用されているが、昭和五一年一月以降の領収記録には「上野」名義が使用され、賃料の受領者が、この間に、訴外ノイから控訴人に交代したものと窺われる。
(八) 控訴人の夫である訴外上野易男は、訴外奥山軍治に対し、昭和五〇年一〇月付及び同年一一月付の即決和解申立書二通の起案作成を依頼している。右二通の申立書添付の和解条項は、いずれも、申立人が相手方(重田重盛)に対し本件建物部分を、昭和五三年一〇月一〇日まで賃貸し、相手方は賃料月額二万円を前月末日限り持参して前払いし、賃貸期間満了と同時に退去明渡して返還する旨を内容とするものであって、大差がない。元来、賃貸借契約は、相手方に目的物を引渡してその使用収益を許し、相手方は、右使用収益の対価として賃料を支払い、かつ契約終了後目的物を返還する旨の合意を本質的要素とするものであるところ、右和解条項は、更新後の契約期限を昭和五三年一〇月一〇日までと定めた点に意義があるにすぎないものであって、借家法二条あるいは民法六一九条所定の事由がなければ、右期限後の更新を阻止できないことは、従前の本件賃貸借契約、あるいは、右の「昭和五〇年一〇月一〇日付店舗賃貸借契約書(更新)」の記載条項と同様である。
(九) 訴外ノイは、昭和五〇年一一月三日頃身体の不調を訴え、同月五日から大船中央病院に入院した。控訴人は、同月上旬頃、訴外ノイと連名で前掲の昭和五〇年一一月付即決和解申立書を提出した。鎌倉簡易裁判所は右申立に係る昭和五〇年(イ)第二〇号建物明渡請求和解事件について、和解期日を同年一二月九日午前一〇時と指定し、控訴人、訴外ノイ及び被控訴人重盛の三名を呼出したが、被控訴人重盛は右期日に出頭しなかった。このため、控訴人は、訴外ノイと連名の同月一二日付通告状を被控訴人ら宛に送付し、本件建物部分を昭和五一年六月三〇日限り明渡すことを要求した。(なお、証人奥山軍治、同上野易男及び控訴人本人は、金子ノイ単独名義で最初に即決和解申立を行った時期が、昭和五〇年九月中であったなどと供述しているが、《証拠省略》の作成日付が同年一〇月となっていること、その本文中に「本年一〇月一日既に経過し……」などという文言があることに照らすと、右各供述はいずれも措信し難い。)
3 前項(二)のとおり、訴外ノイは、昭和四六年九月一三日、控訴人に対し、本件建物の共有持分二分の一を贈与し、以後は、控訴人と二人で本件建物を共有していたにすぎないから、控訴人の了承なしに、本件建物を変更し、あるいは本件建物の管理に関する事項を決することができない筋合となる(民法二五一条、二五二条参照)。
しかし、本件において、前項(一)ないし(九)の認定事実を総合すると、控訴人は、訴外ノイに対し、本件建物二階増築工事が完成した昭和四六年一一月以降も、賃貸借契約の締結その他、本件建物の利用と管理については持分贈与を受ける以前と同様に訴外ノイの判断に任せ、被控訴人らが行った一階の本件建物部分の増築改修についても黙認していたものと推定することができる。控訴人本人は、本件建物についてアパート居室等の賃貸借契約を締結する前に、控訴人自らが人物等を判断してから自ら署名押印して契約していたとか、訴外ノイは自分の名前を書ける程度であったなどと、訴外ノイが文盲に近く、控訴人が本件建物についてアパート賃貸等の決定を行っていたところ、被控訴人重盛との本件賃貸借契約については、予め昭和四七年一〇月五日頃母から聞いていたが、賛成せず、昭和四八年一月に契約書を見るまでは、まさか契約するとは思っていなかったなどと、訴外ノイが権限なしに契約した旨の供述を行っているけれども、前記認定のとおり、即決和解が不調に終わる以前は、専ら訴外ノイ単独名義で賃貸借契約の締結、賃料の授受が行われており、控訴人とその夫の上野易男もこれを了承していたものと推認できること、また、本件建物と当時の控訴人宅とは遠距離でなく、控訴人が本件建物部分に臨んで容易に見分可能であったうえに、訴外ノイは一か月の半ば以上の日数を当時の控訴人方に寄宿するという生活振りであって、控訴人が訴外ノイから本件建物部分の賃貸状況について何らかの説明を受ける機会も多く、控訴人は本件賃貸借契約についても当初から内容を把握していたものと推定できること、更に、控訴人は、昭和四八年一月三日に契約書を見せられて内容を知ったことを自認しているが、増改築事実を知りながら更新時期が来るまでそのままの状態の使用を了承していたこと等の事実に照らすと、控訴人本人の右供述は措信できず、他には右推定を妨げるに足りる証拠がない。
4 控訴人は、昭和五〇年一〇月一〇日付の更新合意には、即決和解手続による和解調書作成を条件とする旨の附款があった旨を主張し、証人前川茂雄は、昭和五〇年九月前に更新拒絶の意向を訴外ノイから聞き、同月中に被控訴人らと交渉した旨を供述し、証人上野易男は、最後は私と二人で重田重盛と会い、前記即決和解申立書記載のとおりの条件で即決和解をしても良いと合意し、同月一五日に奥山司法書士に依頼し、一〇月一日に裁判所に提出した旨を供述しており、控訴人本人も、「九月のまだ暑い時に大船駅で待ち合わせて前川さんに来て貰ったことは、はっきり覚えている。」「即決和解ができるのなら良いということと、賃料二万円とか三年間の期間というのは前川さんと主人と母と重田さんとで決めた内容と同じだし、私は即決和解が条件だと言われたので判を押したよということを母から聞きました。」などと、右主張に沿う供述をしている。しかし、右の点については被控訴人らの供述と内容が真向からくい違っていること、証人上野易男及び控訴人本人の供述は、反覆するうちに供述内容に変化を生じており、果たして正確な記憶に基づく供述であるか疑わしいこと、二通の即決和解申立書に記載された作成年月日は、昭和五〇年一〇月と同年一一月であって、右の各供述の内容と時期に相違があること、並びに右の昭和五〇年一〇月付申立書の本文中には「本年一〇月一日既に経過し……」という文言があることは先に認定したとおりであって、以上の各証拠及び各認定事実に照らすと、前掲各供述部分はたやすく信用することはできず、他に再抗弁2(一)の附款があった事実を認めるに足りる証拠はない。
5 したがって、訴外ノイ単独名義で締結された本件賃貸借契約及び昭和五〇年一〇月一〇日付の更新合意は、いずれも本件建物の共有者に対して有効であり、控訴人もその効力を否定できない。
6 更に、右の更新合意所定の契約期限が経過した事実は明白であるところ、被控訴人らが本件建物部分を返還せずに使用継続している事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば、本件賃貸借契約は、昭和五三年一〇月一一日以降も期限の定めなしに更新されたものと認められ、反証は存しない。被控訴人重盛において、訴外ノイに対し、昭和五〇年一〇月頃に本件賃貸借契約更新の合意を行った際、三年後には明渡を行う旨を約束していた事実は先に認定したとおりである。控訴人は、右合意が本件賃貸借契約について法廷更新を阻止する事由になるかの如く主張しているが、契約期限到来後の目的物返還の合意は賃貸借契約の本質的要素にすぎなく、右は主張自体失当である。
三1 被控訴人重盛と訴外ノイとが、本件賃貸借契約の条項中において、「乙は賃貸借料翌月分を毎月末日までに甲方に持参し支払うこと、万一乙が借賃の支払を一か月以上怠ったときは、甲は直ちに店舗の明渡を請求することができる。」旨を約した事実、本件賃貸借契約所定の昭和五一年二月分賃料、昭和五八年八月及び九月分の各賃料について支払期日が経過した事実は、当事者間に争いがない。
2 しかし、右約定は、無催告解除に関する特約条項にすぎなく、しかも、催告しなくても不合理とは認められない事情が存する場合に限って無催告解除が許される旨の約定であると解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷昭和四三年一一月二一日判決・民集二二巻一二号二七四一頁参照)。
したがって、被控訴人重盛が昭和五一年二月分の賃料の支払を怠ったから本件賃貸借契約は当然に解除されたという控訴人の主張は失当である。
3 控訴人が昭和五八年九月二九日到達の書面をもって被控訴人重盛に対し、本件賃貸借契約解除の意思表示をした事実も当事者間に争いがない。しかるに、《証拠省略》によれば、昭和五〇年一一月頃、控訴人は、訴外上野易男と訴外前川茂雄とを介して被控訴人重盛に対し、本件賃貸借契約が控訴人に対抗できないこと及び無断増改築を理由として本件建物部分の明渡を申入れていること、控訴人は本件建物部分の明渡について即決和解の申立をしたが、被控訴人重盛がこれに応じなかったため同年一二月九日に不成立となったこと、訴外ノイは同年一一月五日から同五一年一月一七日まで大船中央病院に入院し退院後も鎌倉市植木所在の控訴人方に居住して本件建物の一階にはいなかったこと、同五〇年一二月二日、被控訴人光子は訴外ノイに対し本件建物部分及びアパート部分の各一二月分の賃料合計四万五〇〇〇円を支払っていること、同五一年一月一八日、控訴人は訴外ツタヨから被控訴人重盛が賃借しているアパート部分の賃料二万五〇〇〇円を受領していること、昭和五一年一月三〇日、被控訴人重盛は、訴外ツタヨに本件賃貸借契約の賃料二万円をアパート部分の賃料二万五〇〇〇円とともに預けその支払を委託したところ、同年二月一日、長崎不動産を訪れた訴外上野易男はアパート部分の賃料二万五〇〇〇円のみを受取っていること、同年二月一八日、被控訴人重盛は、本件賃貸借契約の一月分及び二月分の賃料合計四万円を横浜地方法務局鎌倉出張所に供託し、その後も二、三か月分まとめるなどして支払期限に遅れることがあったものの、昭和五八年六月二四日までに同年七月分までの賃料を供託し、同年八月分、同九月分、同一〇月分については、控訴人から本件賃貸借契約を解除する旨の内容証明郵便を受取った同年九月二九日に供託していることが認められ(る。)《証拠判断省略》右事実によれば、被控訴人重盛が昭和五一年一月分ないしは二月分の賃料を提供したところ控訴人はその受領を拒絶したものと推認することができ、その後の供託は有効になされたものということができる。被控訴人重盛は、本件賃貸借契約に基づく約定賃料を二、三か月分まとめて供託して支払期限に遅れることがあったものの、昭和五八年六月二四日までに同年七月分までの賃料を供託しており、控訴人が本件賃貸借契約を解除する旨の内容証明郵便を発したときには同年八月分、同九月分の賃料が遅滞となっていたに過ぎなかったこと、被控訴人重盛は、右内容証明郵便を受取った同年九月二九日に、右遅滞となっていた同年八月分、同九月分の賃料に加えて同一〇月分の賃料を供託していることは先に認定したとおりであって、右賃料供託の態様においては、右催告しなくても不合理とは認められない事情が存するものということはできず、他に右事情を基礎づける事実は認められない。
してみると、控訴人のなした賃料不払に基づく解除の意思表示には効力がない。
四1 控訴人が、被控訴人重盛に対し、昭和五三年一二月二〇日到達の書面をもって本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示をなした事実は当事者間に争いがない。弁論の全趣旨によれば、控訴人が被控訴人重盛に対し、昭和五四年三月頃の鎌倉簡易裁判所における調停期日及び本件原審和解期日において、それぞれ明渡料として三〇万円を支払う旨表明し、本件賃貸借契約を終了させる旨の意思表示をなした事実が認められる。更に、控訴人が被控訴人重盛に対し、当審和解期日において明渡料として三〇〇万円を支払う旨表明し、本件賃貸借契約を終了させる旨の意思表示をなした事実は、当事者間に争いがない。
2 控訴人は、本件賃貸借契約については、被控訴人重盛と訴外ノイとの間で、期間を三年に限る理由を明示し、一時使用目的の合意が成立していたから、借家法は適用されないと主張し、《証拠省略》中には右主張に沿う部分があるけれども、《証拠省略》によれば、本件賃貸借契約の契約書第二条において、賃貸借の期間は昭和四七年一〇月一一日から昭和五〇年一〇月一〇日まで三か年間と表示されてはいるが、但書として協議の上更新することができる旨も規定されていること、本件賃貸借契約は、店舗賃貸借であって、期間が三か年とされたのは本件建物所在地近辺の慣例に従ったものにすぎないこと、被控訴人重盛は、約三〇〇万円の費用をかけて本件賃借部分を増改築して喫茶店「コロラド」として営業していること、被控訴人重盛、同光子が本件建物で右「コロラド」を営むに至った動機は、松竹株式会社の美術監督をしていた被控訴人重盛の収入が不安定かつ減少したこと及び右松竹株式会社の大船撮影所の関係者を主な固定客として見込んでいたことから地理的・場所的に適していたことにあって、それ故、被控訴人重盛は、そこで継続的に営業してゆく意思を有していたことが認められ、加えて、本件賃貸借契約が昭和五〇年一〇月一〇日被控訴人重盛と訴外ノイとの間で賃料を二万円を増額したうえ更新されていることは先に当事者間に争いのない事実として摘示したとおりであり、以上の事実に照らすと、前記の証人上野易男及び控訴人本人の各供述を措信することができず、他には、一時使用目的の合意が成立していたという事実を認めるに足りる証拠はない。したがって、本件賃貸借契約について借家法が適用され、更新拒絶あるいは、解約申入れをするには、正当事由が必要となる。
3(一) 《証拠省略》を総合すれば、昭和四六年に本件建物を二階建に増改築した際いわゆる「おかぐら式」という工法が採用されたこと、右工法を採った場合には一階部分の梁に二階部分の加重がかかり、建物の老朽化が早まること、本件建物の一階部分の建てつけが悪くなっていることが認められる。但し、控訴人主張のように建物崩壊の危険があると認めるに足りる証拠は存しない。
(二) 控訴人の家族が現在四名であることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、控訴人ら夫婦は昭和五一年頃から本件建物一階に転居し、二人の子供は共に成人に達する年齢であって家族四人が居住するには本件建物一階部分は若干手狭となったこと、本件建物には勝手口程度の出入口しかなく、現状のまま居住家屋として利用するには不便であることが認められる。
(三) 訴外ノイが昭和五一年一二月二六日に死亡したこと、控訴人が調停の申立をしたこと、その調停が不調に終ったことは当事者間に争いがない。《証拠省略》によれば、訴外ノイは、昭和五〇年一一月から入退院を繰返した末に、昭和五一年一二月二六日自殺したこと、控訴人が昭和五〇年一一月頃から被控訴人らに対して本件建物部分の明渡を請求しはじめたこと、控訴人は昭和五四年一月一一日鎌倉簡易裁判所に対し被控訴人重盛を相手方として本件建物部分の明渡の調停を申立て、被控訴人重盛は右調停期日において、明渡には同意したものの、多額の明渡料を要求し、合意に達しなかったことが認められる。
(四) 被控訴人らにとって、本件賃貸借契約の目的である本件建物部分は、専ら営業用の喫茶店店舗として使用するものであり、しかも、被控訴人らが、昭和五七年五月頃に本件建物二階の居室部分から鎌倉市大船二丁目二二の一三カーサ・ノブレ三〇二号に転居し、本件建物部分と被控訴人らの住居との近接性が薄れたから、正当事由の存否の判断にあたっては、この点を考慮すべきところ、被控訴人らは昭和四七年末に約三〇〇万円の費用をかけて本件建物部分を増改築したと説明しているが、それ以来既に約一五年が経過しているから、投下資本の回収は一応なされているものと推定できる。また、被控訴人らは本件建物部分で喫茶店「コロラド」を営業し、その利益を生活費の一部に充てていると説明するが、賃料の供託が時々期限に遅れて行われており、本件紛争の過程において明渡料の相当額が問題になっているにもかかわらず、右喫茶店「コロラド」の営業収支を明らかにする証拠を提出しようとせず、右喫茶店の営業収益はさほどの額ではないと窺われる。
(五) 以上によれば、右(一)ないし(四)の事情のみによっては正当事由を満たしたものということはできないが、被控訴人らがいわゆる明渡料の名目で相当程度の金銭的補償を受けることができるならば、正当事由の補完事由として、控訴人による相当額の明渡料の支払を条件とした解約申入に基づく明渡請求を認めて妨げないものと解される。
4 そこで、控訴人の申出にかかる明渡料の金額について検討する。
(一) 鑑定人迫俊昭の鑑定の結果によれば、本件賃貸借契約の継続賃料額は、昭和五三年一二月二一日現在で二万六七五〇円、昭和六〇年四月一日現在で三万四〇〇〇円が相当であると認められるところ、本件賃貸借契約の現実の賃料は、本件建物部分について紛争が継続していたためとはいえ、昭和五〇年一〇月一〇日以来月額二万円のままに据え置かれていて、右鑑定結果どおりの相当賃料との差額を、本件口頭弁論終結時である昭和六二年九月四日までの期間について積算累計すると九一万六五一一円となる。
(二) 《証拠省略》によれば、本件建物部分と同程度の喫茶店を近隣で新装開店するためには、物件購入費ないしは賃借費用を別にしても八五〇万円ほど要すること、五坪程度の店舗の保証金としては二五〇万円から五〇〇万円を要することが窺われる。但し、明渡料の提供は、他の諸般の事情と総合考慮され相互に補充しあって正当事由の判断の基礎となるものであって、明渡によって借家人に被るべき損失のすべてを補償するに足りる程度のものでなければならない理由はない(最高裁判所第一小法廷昭和四六年一一月二五日判決・民集二五巻八号一三四三頁参照)。
(三) 右(一)、(二)の事情に加え、前項で説示した(一)ないし(四)の事情、並びに前記認定の本件賃貸借契約に関する経過事実、控訴人が従前から保有し居住していた鎌倉市植木六九二番地所在の居宅を手放したと認めるに足りる証拠がなく、現在もこれを保有していると推認できること等の諸般の事情を総合すると、本件建物部分の明渡料としては金四〇〇万円をもって相当というべきである。
5 本件においては明渡料として四〇〇万円の支払を表明して解約申入をした事実は存しない。
しかし、正当事由を補完するものとして明渡料の提供が表明されている場合には、特別の事情のないかぎり、賃貸人は右表明した明渡料と格段の相異のない一定範囲内で裁判所の決定する金員を支払う意思を有するものというのが相当であるところ、明渡料の申出を伴わなかった昭和五二年一二月二〇日の解約申入、並びに、その後の明渡料三〇万円を呈示した解約申入については、右認定の明渡料四〇〇万円と金額がかけ離れているから、有効な解約申入と認めることができない。これに対し、本件和解期日中における解約申入の意思表示は、明渡料として三〇〇万円を明示したものであったところ、控訴人の三〇〇万円の明渡料の提供の意思が、特に三〇〇万円を上限とすると窺うべき特別の事情を認めるに足りる証拠はない。
なお、右三〇〇万円の明渡料の提供の表明がなされた時点は、記録上一義的に特定することが困難であるところ、賃貸人が賃借人に対し所有権に基づく建物明渡請求訴訟を提起している場合であっても、その中で解除ないし解約申入による賃貸借の終了を主張しているときには、賃貸人が当該賃貸借関係の存続を欲しない意思であることを推認することができるから、当該訴訟継続中は口頭弁論終結時まで、もし先になした解除ないし解約申入がその効力を生じないならば、改めて解約する旨の意思表示を黙示に表明しているものと解するのが相当である(最高裁判所第二小法廷昭和二八年一〇月二三日判決・民集七巻一〇号一一一四頁参照)。
してみると、控訴人の明渡料三〇〇万円の支払表明を伴った解約申入の意思表示がなされた時期は、遅くとも当審における最終和解期日である昭和六一年四月二二日であったものと認めることができ、本件賃貸借契約は、右同日から六か月経過した同年一〇月二二日限り、前記明渡料四〇〇万円の支払を条件として終了したものということができる。
五 そこで、本件賃貸借契約終了後の本件建物部分の相当賃料額について、更に検討するに、本件賃貸借契約における約定賃料が昭和五〇年一〇月一〇日以降一か月二万円に据え置かれたままであること、並びに本件建物部分の継続賃料の額は、昭和五三年一二月二一日当時は月額二万六七五〇円、昭和六〇年四月一日当時は月額三万四〇〇〇円が相当であることは先に説示したとおりであり、これにその後の期間の経過、並びに公知の事実であるその間の物価上昇程度等を勘案すると、昭和六一年一〇月二二日当時の継続賃料額は月額三万五五〇〇円をもって相当と認める。右認定を妨げるに足りる証拠は存しない。
六 《証拠省略》によれば、本件建物部分で営まれている喫茶店「コロラド」の経営者は被控訴人光子とされてはいるものの、被控訴人光子は同重盛の妻であって夫婦の生活費に充てるために右「コロラド」を営み、被控訴人重盛もこれを手伝っていて、共にアパート部分に昭和四七年一〇月一三日頃から同五七年五月頃まで居住していたことが認められる。右事実によれば、被控訴人光子の本件建物部分の占有は、被控訴人重盛と別個の権原に基づくものではなく、本件賃貸借契約に基づき、右同人と共に、その履行補助者として本件建物部分を使用し得るにすぎないというのが相当である。被控訴人光子は、本件賃貸借契約が終了したときは、被控訴人重盛と共に退去して明渡さなければならない。
七 以上の次第で、控訴人の請求は、被控訴人らに対し、控訴人が被控訴人重盛に対し明渡料四〇〇万円を支払うのと引換に本件建物部分の明渡を求め、控訴人において右金員を提供したにもかかわらず、その明渡をしないときは一か月三万五五〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言の申立は相当でないから却下する。
(裁判長裁判官 髙橋久雄 裁判官 榮春彦 田中寿生)
<以下省略>