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横浜地方裁判所 昭和62年(ワ)1018号 判決 1992年9月03日

主文

各原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は各原告らの負担とする。

理由

第一  請求

一  甲事件引受参加人乙事件被告東日本旅客鉄道株式会社(以下「被告JR東日本」という。)は、原告三橋マツ子、同浅井弥生、同柴崎雅雄、同柴崎禮子、同鈴木新治、同石田竹次郎、同石田志が乃、同斉藤シマ、同神政子、同渋谷きみ江、同小林チサノ、同山崎セキ、同八峠喜平治、同宮岡サト、同鈴木健之、同氏家キミ、同松村操、同島廣子、同長崎清子、同石川賢、同石川光枝及び同石川建一に対し、別紙踏切目録記載の保土ヶ谷駅上岩間踏切及び保土ヶ谷駅東海道踏切(以下、同目録記載の踏切を同目録記載の順に「上岩間踏切」「東海道踏切」「浦島踏切」「小町踏切」「滝坂踏切」「鎌倉踏切」「矢向第二踏切」という。)に各一名の踏切交通保安係(以下「交通保安係」という。)を配置せよ。

二  被告JR東日本は、原告和田伸夫及び同柳田公子に対し、浦島踏切に一名の交通保安係を配置せよ。

三  被告JR東日本は、原告小泉親昂に対し、小町踏切に一名の交通保安係を配置せよ。

四  被告JR東日本は、原告中川康生に対し、滝坂踏切に一名の交通保安係を配置せよ。

五  被告JR東日本は、原告岡崎晃に対し、鎌倉踏切に一名の交通保安係を配置せよ。

六  被告JR東日本は、原告中林茂、同今井光男、同川辺厳彦、同森田秀男、同大久保勝、同中村清二、同中尾卓哉、同山口松雄、同堀切園徹、同渡辺佐知子及び同平井敏彦に対し、矢向第二踏切に一名の交通保安係を配置せよ。

七  甲事件被告日本国有鉄道清算事業団(以下「被告清算事業団」という。)は、原告三橋マツ子、同浅井弥生、同柴崎雅雄、同柴崎禮子、同鈴木新治、同石田竹次郎、同石田志が乃、同斉藤シマ、同神政子、同渋谷きみ江、同小林チサノ、同山崎セキ、同八峠喜平治、同宮岡サト、同鈴木健之、同氏家キミ、同松村操、同島廣子、同長崎清子、同石川賢、同石川光枝、同石川建一、同長峯フク、同和田伸夫、同柳田公子、同小泉親昂、同中川康生及び同岡崎晃に対し、各一〇万円を支払え。

八  被告JR東日本は、原告中林茂、同今井光男、同川辺厳彦、同森田秀男、同大久保勝、同中村清二、同中尾卓哉、同山口松雄、同堀切園徹、同渡辺佐知子及び同平井敏彦に対し、各一〇万円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、昭和六一年九月から昭和六二年一月にかけて、本件各踏切がその設置・管理者であつた日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)によつて無人化されたことにより、各踏切付近に住む原告ら(原告長峯フクを除く。)と長峯光治の人格権が現実に侵害され、あるいは現にその侵害の具体的なおそれがあるとして、同原告らが、いわゆる分割・民営化により国鉄から本件各踏切の施設を承継した被告JR東日本に対し、各踏切に交通保安係を一名あて配置するよう求めるとともに、同原告らと長峯光治の相続人である原告長峯フクが、被告清算事業団または被告JR東日本に対し、人格権侵害による慰謝料として、原告一人につき一〇万円あての支払を求めた事案であり、国鉄の合理化と分割・民営化に反対する国鉄労働組合の支援により提起されたものである。

一  当事者間に争いのない事実

1  国鉄は、日本国有鉄道法に基づいて設立された公共事業体で、鉄道事業とその付帯事業の経営を行い、その事業のために本件各踏切を設置し、交通保安係を配置してこれを管理していたが、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道改革法の施行により、いわゆる分割・民営化が行われた。

被告JR東日本は、分割・民営化により、国鉄から本件各踏切の管理を含む東北及び関東の旅客鉄道事業を承継し、被告清算事業団は、分割・民営化後に残された国鉄の債務を承継した。

2  従前、本件各踏切には交通保安係が配置されていたところ、国鉄は、昭和六一年九月一七日に浦島踏切を、同月二六日に小町踏切を、同月三〇日に鎌倉踏切を、同年一〇月七日に滝坂踏切を、同月八日に上岩間踏切と東海道踏切を、昭和六二年一月二七日に矢向第二踏切をそれぞれ交通保安係の配置されない無人踏切とした。

3  上岩間踏切は、跨線数四、幅五・六メートル、長さ一九メートルの、東海道踏切は、跨線数四、幅七・八メートル、長さ二三・三メートルの、浦島踏切は、跨線数六、幅七・五メートル、長さ三二メートルの、小町踏切は、跨線数四、幅六・九メートル、長さ二三・五メートルの、滝坂踏切は、跨線数六、幅七・三メートル、長さ二六・六メートルの、矢向第二踏切は、跨線数三、幅七メートル、長さ二五・五メートルの踏切である。

鎌倉踏切は、電車区へ通じる二本の軌道を跨ぐ踏切と、東海道線の四本の軌道を跨ぐ踏切が併設された踏切である。このうち、前者の踏切の幅は九・五メートル、長さは一四・八メートル、後者の踏切の幅は一一メートル、長さは一九・五メートルである。

4  無人化前は、上岩間踏切には、昇開式踏切遮断機、交通保安係詰所、電話機、踏切防護スイッチ等が設置され、東海道踏切、小町踏切、滝坂踏切、鎌倉踏切と矢向第二踏切には、昇開式踏切遮断機、踏切警報機、交通保安係詰所、電話機、踏切防護スイッチ等が設置され、浦島踏切には、腕木式踏切遮断機、踏切警報機、交通保安係詰所、電話機、踏切防護スイッチ等が設置され、各踏切とも、その詰所で交通保安係が遮断機の開閉等の操作をしていた。

5  無人化に伴い、いずれの踏切についても従前の踏切遮断機、交通保安係詰所とこれに関連する設備一式が撤去され、上岩間踏切については、腕木式電気踏切遮断機、踏切警報機、踏切障害物検知装置と踏切支障報知装置が新設され、踏切照明装置が改修され、通信設備が改良され、東海道踏切、浦島踏切、小町踏切、鎌倉踏切と矢向第二踏切については、腕木式電気踏切遮断機、踏切障害物検知装置と踏切支障報知装置が新設され、踏切照明装置が改修され、踏切警報機と通信設備が改良され、滝坂踏切については、腕木式電気踏切遮断機、踏切障害物検知装置と踏切支障報知装置が新設され、踏切照明装置が改修され、踏切警報機、通信設備と踏切防護スイッチが改良された。

右の踏切障害物検知装置とは、踏切上で自動車がエンストその他により立往生し列車の通行に支障が生じた場合に、それらを自動的に検知して信号機と特殊信号発光機を停止現示させ、列車を止めて踏切事故を未然に防ぐための装置であり、踏切支障報知装置とは、踏切で事故が生じた場合に、道路通行者が操作器(非常ボタン)を操作することによつて、特殊信号発光機の動作、信号炎管の燃焼、軌道回路短絡器による短絡等により、停止信号を現示させ、列車を止めて踏切事故を未然に防ぐための装置である。

6  無人化後の各踏切の警報開始から進出側の遮断機が降り終わるまでの時間は、上岩間踏切が一七秒、東海道踏切と滝坂踏切が一八秒、浦島踏切と小町踏切が一六秒、鎌倉踏切の各踏切と矢向第二踏切が二〇秒であり、遮断機が降り終わつてから列車が到達するまでの時間は各踏切とも標準が二〇秒、最低でも一五秒である。したがつて、警報開始から列車が到達するまでの時間は、上岩間踏切が三七秒ないし三二秒、東海道踏切と滝坂踏切が三八秒ないし三三秒、浦島踏切と小町踏切が三六秒ないし三一秒、鎌倉踏切の各踏切と矢向第二踏切が四〇秒ないし三五秒である。

二  争点

1  踏切の無人化による原告らの人格権侵害または侵害のおそれについて

(原告らの主張)

(一) 原告三橋マツ子、同浅井弥生、同柴崎雅雄、同柴崎禮子、同鈴木新治、同石田竹次郎、同石田志が乃、同斉藤シマ、同神政子、同渋谷きみ江、同小林チサノ、同山崎セキ、同八峠喜平治、同宮岡サト、同鈴木健之、同氏家キミ、同松村操、同島廣子、同長崎清子、同石川賢、同石川光枝と同石川建一は、いずれも上岩間踏切と東海道踏切の近くに住み、原告小泉親昂は、小町踏切の近くに住み、原告中林茂、同今井光男、同川辺厳彦、同中村清二、同中尾卓哉、同山口松雄、同堀切園徹、同渡辺佐知子と同平井敏彦は、矢向第二踏切の近くに住み、主として徒歩で各踏切を通行している者であり、長峯光治は、昭和六二年八月二六日に死亡するまで上岩間踏切と東海道踏切の近くに住み、主として徒歩で同踏切を通行していた者であるが、各踏切は、踏切の開いている時間が短いうえに、通勤・通学者の通行する時間帯には踏切から溢れるほどの通行量があることや路面に凹凸があつたり雨天に滑りやすかつたりすることなどから、無人化前から自動車や通行人に堰き止められたり、転倒したりして踏切内にいるうちに遮断機が降りて閉じ込められることがあつた。

特に、原告三橋マツ子は、明治四二年生まれの高齢で、足腰が弱いため、原告浅井弥生は、視野狭窄のため、原告柴崎雅雄は、左股関節脱臼による股関節機能障害のため、原告柴崎禮子は、目が不自由のため、原告鈴木新治は、脳梗塞のため、原告石田竹次郎は、明治四三年生まれの高齢で足腰が弱く、また網膜色素変成症で視力も弱いため、原告斉藤シマは、明治三六年生まれの高齢のため、原告神政子は、大正八年生まれの高齢のため、原告渋谷きみ江は、大正四年生まれの高齢で、膵臓が悪く血圧も高いため、原告小林チサノは、大正六年生まれの高齢で、足と目が悪いため、原告八峠喜平治は、明治三八年生まれの高齢のため、原告宮岡サトは明治三八年生まれの高齢で足が不自由であるため、原告中林茂は、左大腿部切断の重度障害者で、義足を装着しているため、原告今井光男は、痛風で、足をひきずり、緑内障のため左眼球を失つていて、遠近感の把握が困難であるため、いずれも、歩行が不自由で、ごくゆつくりしか歩けず、長峯光治も、明治四二年生まれの高齢のため、歩行が不自由で、ゆつくりしか歩けなかつた。

こうしたことから、同原告らと長峯光治は、いずれも踏切を渡るのに危険を感じてきたが、それでも、交通保安係が配置されていたときには、転倒すれば起こしてくれたり、閉じ込められそうになれば遮断機を降ろす速度を加減してくれたりしたので、大事には至らなかつた。ところが、踏切が無人化されて手助けをしてくれる交通保安係がいなくなつたため、突然転倒したり、病気になつたりしたときに、踏切内で列車と衝突する危険が増した。このため、同原告らの中には、事実上踏切の通行を断念し、迂回して保土ヶ谷駅内の自由通路や矢向第二踏切脇の跨線橋を通行せざるを得なくなつた者もある。

(2) 原告和田伸夫と同柳田公子は、浦島踏切の近くに住み、原告中川康生は、滝坂踏切の近くに住み、原告中村清二と同中尾卓哉は、矢向第二踏切の近くに住み、いずれも主として自動車で各踏切を通行しているが、各踏切は自動車の通行量が多く、しばしば渋滞していて踏切内で立往生することがある。このような場合に、無人化前は、交通保安係が遮断機を降ろす速度を加減したりして踏切外に脱出させてくれたが、無人化後はそのようなことをしてもらえないため、従前よりも踏切内に閉じ込められて列車と衝突する危険が増した。

(3) 原告岡崎晃は、鎌倉踏切の近くで幼稚園を経営している者であるが、踏切を通行して通園する園児があるので、無人化後は、遮断機が降りてその園児が踏切内に閉じ込められないかと心配しており、また、無人化により交通渋滞が激しくなつて、通園バスが遅れるようになり、運転手が苛立つたり、園児も待たせたりすることに対する心配もしている。

(4) 原告森田秀男と同大久保勝は、矢向第二踏切の近くに住み、主として自転車で同踏切を通行しているが、同踏切は自動車の通行量が多いため、自動車に接触して転倒するおそれが大きい。無人化前は、交通保安係が助け起こしてくれたり、遮断機を降ろす速度を加減してくれたりしたが、無人化後はそのようなことをしてもらえないため、従前よりも踏切内に閉じ込められて列車と衝突する危険が増した。

(5) このようにして、原告ら(原告長峯フクを除く。)と長峯光治は、本件踏切の無人化により、それまで交通保安係が配置されることによつて享受してきた生命、身体の安全と精神の自由を保持し、平穏、自由で人間らしい生活を営む権利、すなわち人格権を侵害され、同原告らは、将来も侵害される具体的なおそれがある。

(被告らの主張)

(1) 原告ら(原告長峯フクを除く。)と長峯光治が本件各踏切の付近に住み、踏切を通行してきたことは知らない。

本件各踏切の無人化により、原告ら(原告長峯フクを除く。)と長峯光治の人格権が現実に侵害され、または侵害される具体的なおそれが生じたことは否認する。

(2) 被告JR東日本は、踏切障害事故の原因は圧倒的に自動車側にあり、また、歩行者については特に遮断杆くぐり等無理な横断が原因であるのが特徴的であることにかんがみ、重大事故となる危険の大きい自動車による事故への対策を優先的に実施することとし、道路交通量、鉄道交通量、事故歴等を調査して各踏切の状況を把握したうえ、緊急度の高い踏切から順次障害物検知装置を設置する等の保安設備の改良を行つているが、さらに、近年増加している大型車両に対する検知装置を新設するとともに、踏切支障状況を迅速に報知するための踏切支障報知装置を設置する等、踏切事故を未然に防止するための対策を積極的に講じてきた。

また、通行者に対しては、無理な横断をしないよう、踏切通行に際してのマナーの向上を促し、踏切の安全な通行について啓蒙するためのPR、キャンペーン活動等を広く実施してきた。

(3) このように積極的な施策を講じた結果、踏切の無人化後は、被告JR東日本関係の踏切事故件数は、貨物列車によるものを含めて一貫して減少傾向にあり、踏切の無人化により踏切事故が増加したという事実はない。

本件各踏切についても、第二の一の5記載のとおり、安全対策を実施しており、その結果、無人化実施前に比べて踏切事故はむしろ減少しているのであり、無人化によつて踏切の危険が増したということはない。

(4) 原告らの主張する、本件各踏切の無人化による被害とは、結局のところ、無人化された踏切を通行する際に、歩くのが遅かつたり、突然転倒したり、病気になつたりした場合に踏切内に閉じ込められるおそれがあるというのは心理的な不安や危惧感を抽象的にいうにすぎず、無人化により、原告らの生命、健康、日常生活等に対する現実の被害が生じているとか、将来被害が生ずる差し迫つた危険があるとかをいうものではない。

2  人格権の具体的権利性について

(原告らの主張)

人は誰でも生命、身体の安全と精神の自由を保持し、平穏、自由で人間らしい生活を営む権利を有するものであり、この権利は一般に人格権といわれている。

人格権は、人間が人間として生存する以上当然に認められるべき権利であるが、実定法上も、個人としての尊重、生命・身体の自由と幸福追求に対する国民の権利を保障した憲法一三条と、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障した憲法二五条にその根拠を置くものである。そして、人格権が現実に侵害された場合や侵害される危険が切迫している場合には、その侵害を排除する権能が認められることは、判例学説上ほとんど異論をみないところである。

そこで、原告ら(原告長峯フクを除く。)は、その人格権に基づいて、本件各踏切に交通保安係を各一名配置するよう請求するものである。

(被告らの主張)

原告らのいう、法律的に保護されるべき人格権とは、生命、健康、精神、生活もしくは通行に関する利益を包含する一般的人格権であると解されるが、このような一般的人格権は、交通保安係の配置を求め得るような具体的な権利ではない。我が国の法律制度と法体系は成文実定法によつて組み立てられているから、明文の根拠なくして権利の存在が認められるためには、社会的な意味だけではなく、法律的にも厳密な検討をしたうえでの規範性が認知されなければならないが、いわゆる一般的人格権は講学上確定した概念でなく、その成立要件、消滅要件、射程距離、外延も明らかではなく、成文法主義のもとで法的権利といえる内実を備えているとは到底いえないのである。原告らは、一般的人格権の根拠として憲法一三条と二五条を挙げるが、右各条はいずれも綱領的規定であつて、私法上適用される排他的権利の根拠となるものではない。

このように、一般的人格権はまだその内容も明確でないのであるから、一般的人格権に基づく交通保安係配置請求を認めることは法的安定性を損なうものといわざるを得ない。法的安定性が、正義、合目的性とともに、法の目的とされるのは、法の解釈、適用にあたり、その解釈等によつて利益を享受すべき者の法的地位を予測させるとともに、その相手方が安んじて社会活動、経済活動をし得るように、予測可能性を与えることにより、国民全体の正義感、安定感を満足させ、法制度に対する信頼感を醸成させるところにあるが、権利の内容も明確でない一般的人格権に具体的権利性を認めることは、右に述べた法的安定性の要請とは全く相反するのである。

3  不法行為の要件としての故意過失と損害について

(原告らの主張)

国鉄と被告JR東日本による踏切の無人化は、原告ら(原告長峯フクを除く。)と長峯光治の人格権を侵害する違法行為であり、同原告らと長峯光治は、これにより人格権を侵害され、多大の精神的苦痛を受けた。その精神的苦痛に対する慰謝料は、各一〇万円が相当である。

(被告らの主張)

原告らの主張事実を否認する。

第三  争点に対する判断

一  上岩間踏切、東海道踏切、小町踏切、矢向第二踏切関係

1  右各踏切関係の原告ら(長峯フクを除く。)がそれぞれその主張の踏切を通行してきたこと、長峯光治が昭和六二年八月二六日に死亡するまで上岩間踏切と東海道踏切を通行してきたこと、原告長峯フクが長峯光治の相続人であることは、《証拠略》によつてこれを認めることができる。

2  そこで、踏切の無人化により同原告らの主張する人格権が侵害され、または侵害の具体的なおそれが生じたかどうかをみてみる。

(1) 前記のとおり、本件各踏切の警報開始から遮断機が降り終わるまでの時間は、上岩間踏切が一七秒、東海道踏切が一八秒、小町踏切が一六秒、矢向第二踏切が二〇秒であり、遮断機が降り終わつてから列車が到達までの時間は各踏切とも標準が二〇秒、最低でも一五秒である。したがつて、警報開始から列車が到達するまでの時間は、上岩間踏切が三七秒ないし三二秒、東海道踏切が三八秒ないし三三秒、小町踏切が三六秒ないし三一秒、矢向第二踏切が四〇秒ないし三五秒である。

各踏切の長さは、上岩間踏切が一九メートル、東海道踏切が二三・三メートル、小町踏切が二三・五メートル、矢向第二踏切が二五・五メートルであるから、足が不自由などの理由でゆつくりしか歩けないと主張する原告三橋マツ子、同浅井弥生、同柴崎雅雄、同柴崎禮子、同鈴木新治、同石田竹次郎、同斉藤シマ、同神政子、同渋谷きみ江、同小林チサノ、同八峠喜平治、同宮岡サト、同中村茂、同今井光男と長峯光治については、もし、真実ゆつくりしか歩けないのであれば、その歩行速度によつては、警報開始から遮断機が降り終わるまでの間に踏切を渡りきれないおそれがある。例えば時速二キロメートル程度でしか歩けない者が長さ二三・二メートルの東海道踏切を渡る場合を想定してみると、これを渡り終えるには、約四一秒を要するから、踏切に入つた途端に警報が開始した場合には、そのまま進行すると踏切を渡り終わらないうちに列車が到達し、踏切内で列車と衝突する危険があることになる。ことに通勤・通学者の通行する時間帯は踏切内が混雑し、そのおそれが大きいから、このように列車の到達するまでに踏切を渡りきれない者がその危険を避けようとすれば、踏切に入つてからでも進入側が進出側より近ければ引き返すとか、人や自動車の通行量の多い時間帯を避けるとか、近くの保土ヶ谷駅構内の跨線通路や矢向第二踏切脇の跨線橋を通行するといつた方法をとらざるを得ないであろう。しかしながら、それは、警報開始から列車が到達するまでの時間が短いために生じたことであり、その時間は列車の通行量、自動車や人の通行量と歩行速度とのかねあいで定められているものであつて、踏切を無人化したために生じたものではない。つまり、踏切の無人化とは因果関係のないことであるから、交通保安係を配置したところで解消されるものではなく、別の施策に俟つほかないものである。

また、同原告らは、遮断機が降り終わるまで踏切を渡りきれないときに、交通保安係が配置されていれば、遮断機を降ろす速度を加減して踏切内に閉じ込められるのを防いでくれるのに、無人化後は、それがなくなつたので、踏切内に閉じ込められて列車と衝突する危険が増えたと主張するが、無人化前の昇開式踏切遮断機が、丈夫な鋼製のワイヤーで出来ており、一旦降下すると、通行者が押し開けることはできなかつたのに対して、無人化後の腕木式電気遮断機は、遮断杆が軽量で弾力性に富み、踏切の内側から押すと容易に上に開く構造になつていて、その旨が遮断杆の見やすい位置に表示されているから、それを押し開くことによつて、無人化前の昇開式踏切遮断機よりも容易に踏切から脱出することができる。したがつて、交通保安係が遮断機の降りる速度を加減するのと比較して、無人化後に特に踏切からの脱出が困難になつたということはできない。

さらに、同原告らは、無人化により、突然踏切内で転倒したり、病気になつたりした場合に交通保安係の救助が受けられなくなり、列車と衝突する危険があると主張する。交通保安係が配置されていれば、踏切内での病人等を救助することもあるであろうが、しかしながら、交通保安係は、突然転倒したり発病したりした者の救助を主な職責とするものではなく、また、突然の転倒や病気は時と場所を選ばないから、交通保安係が配置されていれば必ず救助してもらえるというものではない。配置されていれば交通保安係に救助してもらえる場合があるといつた程度のことで、いなければ近くの通行人に救助してもらえる場合もあるのである。そのうえ、同原告らが突然踏切内で転倒したり、病気になつたりすることが目前に差し迫つているわけでもないことを考えると、同原告らが主張する危険は、具体的に差し迫つているものではなく、万一、踏切内で転倒したり、病気になつたときに誰にも救助してもらえないかも知れないといつた極めて漠然たる不安にすぎないものというべきであるから、その程度の抽象的なおそれがあることをもつて、同原告らの人格権が侵害されたと認めることはできないし、その侵害の具体的なおそれがあるとも認められない。また、その程度の抽象的危険をもつて、慰謝料の対象となるような精神的損害が生じたと認めることもできない。

(2) このように、足が不自由などの理由で歩行の困難である原告らについてさえ、交通保安係が廃止され、無人化したことによつて同原告らの人格権が侵害され、または侵害されるおそれがあると認められないのであるから、歩行が困難であるとの主張もなく、他に特段の事情の主張立証のない原告石田志が乃、同山崎セキ、同鈴木健之、同氏家キミ、同松村操、同島廣子、同長崎清子、同石川賢、同石川光枝、同石川建一、同小泉親昂、同川辺厳彦、同山口松雄、同堀切園徹、同渡辺佐知子、同平井敏彦と自転車で通行する原告森田秀男、同大久保勝についても、同様に無人化により同原告らの人格権が侵害されたと認めることはできないし、その侵害の具体的なおそれがあるとも認められない。また、その程度の抽象的危険をもつて、慰謝料の対象となるような精神的損害が生じたと認めることもできない。

(3) 原告中村清二と同中尾卓哉は、矢向第二踏切は自動車の通行量が多く、しばしば渋滞していて踏切内で立往生するが、このような場合に、無人化前は、交通保安係が遮断機を降ろす速度を加減したりして踏切外に脱出させてくれたのに、無人化後はそのようなことをしてもらえないため、踏切内に閉じ込められて列車と衝突する危険があると主張する。しかしながら、もともと渋滞していて立往生するような状況のもとで踏切内に自動車を乗り入れることは交通法規上も禁止されていることであるから、そのような状況のときには同原告らが自動車を乗り入れなければその危険は避けられるものであるばかりでなく、交通保安係が遮断機を降ろす速度を加減する程度のことで踏切を脱出することができるものであれば、先に一の2の(1)で述べたように、無人化後の遮断機はこれを踏切の内側から押し開くことによつて容易に脱出することができるようになつているから、交通保安係が遮断機の降りる速度を加減してくれることがなくなつても、特に踏切内に閉じ込められて列車に衝突する危険が増したというものではない。したがつて、無人化により同原告らの人格権が侵害されたと認めることはできないし、その侵害の具体的なおそれがあるとも認められない。

3  以上の次第で、右各踏切の無人化によつて、同原告らと長峯光治の人格権が侵害されたとも、侵害される具体的なおそれがあるとも認められないし、慰謝料の対象となるような精神的損害が発生したとも認められないから、同原告ら(原告長峯フクを除く。)の交通保安係配置請求と同原告らの損害賠償請求は、その余の争点について判断するまでもなく、この点で理由がない。

二  浦島踏切、滝坂踏切関係

原告和田伸夫と同柳田公子が浦島踏切を、原告中川康生が滝坂踏切を、いずれも自動車で通行してきたことは、弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

同原告らは、各踏切は自動車の通行量が多く、しばしば渋滞していて踏切内で立往生するが、このような場合に、無人化前は、交通保安係が遮断機を降ろす速度を加減したりして踏切外に脱出させてくれたのに、無人化後はそのようなことをしてもらえないため、踏切内に閉じ込められて列車と衝突する危険があると主張するが、先に一の2の(3)で判断したのと同じ理由で、その主張は理由がなく、したがつて、同原告らの交通保安係配置請求と損害賠償請求は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

三  鎌倉踏切関係

原告岡崎晃が鎌倉踏切付近で幼稚園を経営する者であることは、弁論の全趣旨によつてこれを認めることができる。

同原告は、幼稚園の経営者として、踏切を通行して通園する園児が踏切内に閉じ込められることがないか、交通渋滞が激しくなつて通園バスが遅れることにより、運転手が苛立つたり、園児を待たせたりすることがないか心配であると主張するが、その程度の心配があることをもつて、無人化により同原告の人格権が侵害されたとも、侵害される具体的なおそれがあるとも認められないし、慰謝料の対象となるような精神的損害が発生したとも認められないから、同原告の交通保安係配置請求と損害賠償請求は、その余の争点について判断するまでもなく、この点で理由がない。

(裁判長裁判官 小林 亘 裁判官 桜井登美雄 裁判官 中平 健)

《当事者》

甲事件原告 三橋マツ子 <ほか二七名>

乙事件原告 中林 茂 <ほか一〇名>

右各原告ら訴訟代理人弁護士 鵜飼良昭 野村和造 福田 護 岡部玲子 岡田 尚 星山輝男 伊藤幹郎 飯田伸一 武井共夫 小島周一 三浦守正 横山国男 木村和夫 林 良二 同森 卓爾 小口千恵子 山田 泰 影山秀人 中村 宏 佐伯 剛 星野秀紀 小野 毅 陶山圭之輔 陶山和子 宮代洋一 湯沢 誠 森田 明 藤村耕造 渡辺利之 小池貞夫 小川光郎 根本孔衛 杉井厳一 篠原義仁 児島初子 岩村智文 西村隆雄 南雲芳夫 古川武志 鈴木義仁 増本一彦 中野 新 中込光一 三竹厚一 滝本太郎 岡村三穂

甲事件被告(踏切保安係配置請求については脱退) 日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長 石月昭二

甲事件の踏切保安係配置請求についての引受参加人

乙事件被告 東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役 住田正二

右被告(引受参加人)両名

訴訟代理人弁護士 井関 浩

右訴訟復代理人弁護士 大木 健

被告日本国有鉄道清算事業団代理人 神原敬治 <ほか三名>

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