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横浜地方裁判所 昭和62年(ワ)2281号 判決 1995年2月28日

原告

鈴木晴美

被告

藤田和男

ほか二名

主文

一  被告藤田和男及び同藤田和博は、原告に対し、各自金六六〇万五二四二円及び内金六〇〇万五二四二円に対する昭和六〇年一月一五日から、内金六〇万円に対する昭和六二年九月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告藤田和男及び同藤田和博に対するその余の請求並びに同神奈川県共済農業協同組合連合会に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一並びに被告藤田和男及び同藤田和博に生じた費用につき、これを二分し、その一を原告の、その余を被告藤田和男及び同藤田和博の負担とし、原告に生じたその余の費用及び被告神奈川県共済農業協同組合連合会に生じた費用は、原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告藤田和男及び同藤田和博は、原告に対し、各自金一二八三万二五六一円及び内金一〇八三万二五六一円に対する昭和六〇年一月一五日から、内金二〇〇万円に対する昭和六二年九月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告神奈川県共済農業協同組合連合会は、原告の被告藤田和男及び同藤田和博に対する本判決が確定したときは、原告に対し、金一二八三万二五六一円及びこれに対する本判決確定の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  右1・2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告神奈川県共済農業協同組合連合会(以下「被告協同組合連合会」という。)の本案前の答弁

(一) 原告の被告協同組合連合会に対する訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  被告三名の本案の答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和六〇年一月一四日午前九時一〇分ころ

(二) 場所 静岡県御殿場市川島田八四四番地の一先交差点付近路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(相模五八む八四九五)

右運転者 被告藤田和博

右所有者 被告藤田和男

(四) 被害車 軽小型貨物自動車(品川四〇せ八九八七)

右運転者 原告

(五) 事故態様 原告が、被害車を運転し、交通整理の行われていないT字路(本件交差点)を左折進行しようとした際、左方の交差道路から被害車に向かつて対面進行してくる加害車を認めて、一時停止の措置を講じたところ、前方等不注視のまま進行してきた加害車が被害車に衝突

2  責任原因

(一) 被告藤田和男の責任

被告藤田和男は、本件事故当時、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づく損害賠償責任がある。

(二) 被告藤田和博の責任

被告藤田和博は、本件事故当時、同人の実父であり加害車の所有者である被告藤田和男から加害車を借用し、これを自己のために運行の用に供していた者であり、かつ、本件事故は、その前方不注視及び安全運転義務違反等の過失によつて生じたものであるから、自賠法三条及び民法七〇九条に基づく損害賠償責任がある。

(三) 被告協同組合連合会の責任

被告協同組合連合会は、昭和五九年三月六日、被告藤田和男との間で、自動車共済約款に基づき、加害車を被共済自動車、被告藤田和男を記名被共済者とし、共済金額を対人賠償一名につき一事故一億円、共済期間を昭和五九年三月六日から昭和六〇年三月六日までとする旨の自動車共済契約を締結した。

右共済約款には、被共済者が損害賠償請求権者に対して負う法律上の損害賠償責任の額について、被共済者と損害賠償請求権者との間で判決が確定したときは、損害賠償請求権者は被告協同組合連合会に対して損害賠償額の支払を直接請求できる旨の定めがある。

したがつて、被告協同組合連合会は、右自動車共済契約の共済約款に基づき、被告藤田和男及び同藤田和博に対する損害賠償責任額が本判決により確定したときは、原告に対し、右共済金額の限度において右の損害賠償責任額を支払う義務がある。

3  損害

(一) 原告の受傷・治療経過・後遺障害

(1) 原告は、本件事故により頸椎捻挫等の傷害(以下「本件傷害」という。)を負つた。しかも、それは単なる心因的要因に基づく軽度のものではなく、外傷性頸部症候群の複雑な病態を呈したことによる難治性・遷延性の経過をたどるものであつたため、原告は、次のような約二年に及ぶ長期の入通院治療を余儀なくされた。

<1> フジ虎ノ門整形外科

昭和六〇年七月一日から昭和六一年一月一一日まで入院(一九五日間)

昭和六〇年一月一四日から昭和六二年三月二八日まで通院(実日数四二〇日)

<2> 藤田学園保健衛生大学病院

昭和六〇年一一月五日から同年一一月八日まで入院(四日間)

昭和六〇年一〇月三〇日から昭和六二年四月二二日まで通院(実日数五日)

<3> 石川眼科医院

昭和六〇年九月六日通院(一日)

<4> エム・アール・アイ診療所

昭和六〇年一一月六日通院(一日)

被告らは、原告は本件事故によつていかなる傷害も負つていないとし、本訴請求は暴利行為であるなどと主張するが、原告が右のような傷害を負つたことは、直接診察に当たつた医師の診断書等によつて明らかであるとともに、本件事故当時、原告は、五歳、三歳、一一か月という幼い三人の子どもをかかえた主婦であり、治療の必要もないのに約二年もの入通院をするはずもない。被告らの主張は極めて不当な暴論である。

なお、被告らは、乙第五〇号証として、工学士大慈彌雅弘作成の「鑑定書」を提出し、同鑑定書は、本件事故によつて原告車に生じた衝撃加速度を推定するなどして、「原告の頸部に医師の治療が必要な傷害が生じるとは考えにくい」としているが、同鑑定書は、工学的鑑定として、形式・内容ともに初歩的欠陥を帯有するものであり、何らの証拠価値を有しない。

(2) そして、本件傷害は、右のような入通院による治療にもかかわらず治癒に至らず、昭和六二年三月二八日をもつて症状固定と診断された、頸の背部痛、頭痛、腰部痛、天候の変わり目等に厳しい疼痛、頸部の運動時痛(特に伸展)、頸部周囲筋・僧帽筋の圧痛、腰部の運動時痛(特に伸展、屈曲)、左アキレス鍵反射等の後遺障害(以下「本件後遺障害」という。)が残つた。右後遺障害は、自賠法施行令二条別表の一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当する。

(三) 具体的損害額

右(一)の受傷等により原告に生じた具体的損害は次のとおりであり、合計一四七八万二五六一円となる。

(1) 治療費 六六八万八四〇〇円

<1> フジ虎ノ門整形外科 六五四万二四八〇円

<2> 藤田学園保健衛生大学病院 一三万〇四七〇円

<3> 石川眼科医院 八八〇〇円

<4> エム・アール・アイ診療所 六六五〇円

(2) 入通院交通費等 一八万九一八〇円

入通院のために支出した交通費・ガソリン代等である。

(3) 入院雑費 一九万五〇〇〇円

入院中に要した雑費であり、一日当たり一〇〇〇円とした一九五日間分である。

(4) メガネ代 一万四四〇〇円

本件事故のため視力矯正が必要となつたことによるメガネ代である。

(5) 休業損害 一七五万七〇五四円

原告は、本件事故当時、主婦として家事労働に従事していたところ、本件事故により前記入通院期間中の少なくとも二五〇日間はこれに従事することができず、休業損害を被つたことになる。その額は、昭和六〇年賃金センサス産業計企業規模計学歴計女子労働者三〇歳から三四歳までの年間平均賃金(二五六万五三〇〇円)を基礎として算定するのが相当であり、次の計算式により右の金額となる。

二五六万五三〇〇円÷三六五日×二五〇日=一七五万七〇五四円(円未満は切捨て)

(6) 後遺障害による逸失利益 五三万八五二七円

原告は、本件後遺障害により少なくとも五パーセントの労働能力を喪失した。その喪失期間は少なくとも五年(ライプニツツ係数は四・三二九である。)とみるべきである。したがつて、原告の本件後遺障害による逸失利益は、昭和六〇年賃金センサス産業計企業規模計学歴計女子労働者三五歳から三九歳までの年間平均賃金(二四八万八〇〇〇円)を基礎として次の計算式により算定するのが相当であり、右の金額となる。二四八万八〇〇〇円×〇・〇五×四・三二九=五三万八五二七円(円未満は切捨て)

(7) 入通院慰謝料 二五〇万円

原告は、本件事故により一九五日に及ぶ入院と延六〇九日(実日数四二〇日)に及ぶ通院を余儀なくされた。これによる精神的苦痛を慰謝すべき金額は二五〇万円を下らない。

(8) 後遺障害慰謝料 九〇万円

本件後遺障害による精神的苦痛を慰謝すべき金額は九〇万円が相当である。

(9) 弁護士費用 二〇〇万円

被告らは、原告の請求にもかかわらず、何ら損害賠償に応じようとしない。特に被告協同組合連合会は、全く誠意を示さないばかりか、原告の請求は利をむさぼるための暴利行為・詐害行為であるなどと主張して、賠償支払を一切拒否している。そのため、原告は、やむなく本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人らに委任し、着手金として五〇万円、成功報酬として一五〇万円を支払うことを約した。

(三) 損害の填補 一九五万円

原告は、本件事故による損害の填補として、自賠責保険金から合計一九五万円の支払を受けた。

(四) 残損害額 一二八三万二五六一円

(二) の損害額一四七八万二五六一円から(三)の填補額一九五万円を控除すると、残損害額は一二八三万二五六一円である。

4  よつて、原告は、本件事故に基づく損害賠償として、

(一) 被告藤田和男及び同藤田和博に対し、右被告らの不法行為を理由として、各自一二八三万二五六一円及び弁護士費用を除く内金一〇八三万二五六一円に対する本件事故の日の後である昭和六〇年一月一五日から、弁護士費用である内金二〇〇万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年九月二二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、

(二) 被告協同組合連合会に対し、本件共済契約の共済約款に基づき、被告被告藤田和男及び同藤田和博に対する本判決が確定したときは、一二八三万二五六一円及びこれに対する右本判決の確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告協同組合連合会の本案前の主張

被共済者である被告藤田和男との間に締結された自動車共済契約の共済引受人は、訴外箱根農業協同組合であつて被告協同組合連合会ではないから、原告が本件共済契約の共済約款に基づいて損害賠償額の支払を直接請求できる相手方は、訴外箱根農業協同組合であり、被告協同組合連合会ではない。

したがつて、被告協同組合連合会は被告適格を欠き、同被告に対する訴えは不適法なものであるから、却下されるべきである。

三  請求の原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  請求原因2は、(一)及び(二)については認め、(三)については否認する。

3  請求原因3は、(三)については認め、その余はすべて否認する。

本件事故は軽微な物損事故にすぎず、原告は、本件事故により、いかなる傷害も負つていない。本訴請求は、交通事故に仮託した暴利行為であり、いわゆるモラルリスク(道徳的危険)、アプセンテイズム(意図的治療)である。被告らに損害賠償義務は一切存しない。

仮に、原告が本件事故により何らかの傷害を負つたとしても、その傷害はせいぜい一、二週間の治療で足りる頸部挫傷にすぎない。

第三証拠

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  請求原因1(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二  同2(責任原因)について判断する。

1  (一) (被告藤田和男の責任)及び(二)(被告藤田和博の責任)は当事者間に争いがない。

2  (三) (被告協同組合連合会の責任)について判断するに、被告協同組合連合会は、同被告は本件訴えにおける被告適格を欠く旨主張するが、給付の訴えにおいては、その主張自体から一般社会通念上法律上の給付請求権が発生するとはいえないことが明らかな場合を除いては、訴えを提起した者が給付義務者として主張している者に被告適格があることになると解するのが相当であるから、右主張は採用の限りでない。

しかしながら、被告藤田和男と被告協同組合連合会との間に原告主張の自動車共済契約が締結されたことを認めるに足りる証拠はない。かえつて、弁論の全趣旨により成立を認める乙第一号証、第二号証によれば、被告藤田和男が右の共済契約を締結したのは訴外箱根農業協同組合との間であることが認められる。そして、弁論の全趣旨によれば、右箱根農業協同組合は被告協同組合連合会傘下の会員であることが認められるが、それだけでは被告藤田和男と右箱根農業協同組合との間で締結された共済契約の効力が被告協同組合連合会に及ぶと解することはできないし、その他、本件において、原告が被告協同組合連合会に対し本件事故による損害の賠償を求め得ると解すべき事由を認めることもできない。したがつて、原告の被告協同組合連合会に対する請求は理由がない。

三  そこで、被告藤田和男及び同藤田和博に対する請求の関係で請求原因3(損害)について判断する。

1  原告の受傷・治療経過・後遺障害について

(一)  成立に争いのない甲第二号証の五、第三号証の一七・一八、同号証の二二ないし七五、第一二号証、第一三号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一一号証の一ないし三、第一四号証の一の一・二、同号証の二、乙第五号証の一、第六号証の一、第七号証ないし第二一号証、第二二号証の一ないし四、第二三号証ないし第四五号証、第四六号証の一、第四七号証の一、弁論の全趣旨により成立を認める乙第五号証の二、第六号証の二、第四六号証の二、第四七号証の二、証人土田和博の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。この認定を動かすに足りる証拠はない。

(1) 原告は、本件事故に遭い、当日(昭和六〇年一月一四日)、主として頸部の痛みを訴えてフジ虎ノ門整形外科を受診し、頸部レントゲン検査及び鎮痛消炎剤の投与を受けた。右レントゲン検査では異常所見は認められなかつたが、同月一九日以降、担当医の指示により、ほとんど連日のように右病院への通院を続け、消炎鎮痛剤等の投与、抗炎鎮痛剤等の注射及び牽引・鍼治療・温熱治療等の理学療法の施行等の治療を受けた。この間、同年一月二一日には頸椎捻挫との診断を受けた。

(2) しかし、その後も、症状は改善せず、かえつて、次第に運動痛が増悪し、背部痛、頸部から背部にかけての強い痛み、目まい、頭痛等を訴えるようになり、加えて同年七月ころには吐き気・耳鳴りも訴えたため、椎骨動脈不全症状が出現したものと判断され、同年七月一日から昭和六一年一月一一日まで一九五日間右病院へ入院した。

(3) 右入院期間中の原告の症状は、肩部・頸部・頭部にかけての痛み、目まいへ右上肢のしびれ感、吐き気等であり、これらの症状に対し、脳循環代謝改善剤・精神安定剤等の投与、神経ブロツク等の注射、牽引・温熱治療等の理学療法の施行等の治療が施され、脳外科及び内科の専門医の診察もなされたが、治療が難渋したことから同年七月一七日からは副腎皮質ホルモンのステロイドの投与がなされたところ、原告は、副作用である副腎皮質ホルモン合併症を併発した。同月二二日頭部のCT撮影が行われ、同月三〇日腰及び頸椎のレントゲン検査が施行されたほか、脳波・眼底検査・平衡機能検査等も施行されたが、いずれの検査結果にも異常は認められなかつた。

(4) 原告は、同年八月中旬ころから視力の低下を訴え、フジ虎ノ門整形外科の担当医の指示により、同年九月六日石川眼科医院において診察を受け、むち打ちによる眼症状の疑いとの診断がなされた。そして、医師の指示に従い、メガネを購入した。

(5) 右のような長期の入院にもかかわらず、症状の改善が見られなかつたため、原告は、身内の者の勧めもあつて、全身のレントゲン検査等を受けることを考え、フジ虎ノ門整形外科への入院中の昭和六〇年一〇月三〇日、名古屋にある藤田学園保健衛生大学病院の外来診察を受け、昭和六二年四月二二日まで通院し(実日数は五日)、その間、昭和六〇年一一月五日から同月八日までは入院するなどした。同病院においても、原告は、従前と同様、目まい、しびれ、視力障害、耳鳴り等を訴えたが、検査の結果では特に異常は発見されず、その症状は心因性の自律神経症状であると診断された。なお、昭和六〇年一一月六日には、同病院の指示により、検査のためエムー・アール・アイ診療所へ一日通院した。

(6) そして、原告は、フジ虎ノ門整形外科から昭和六一年一月一一日に退院した後も、ほとんど連日のように同病院へ通院し、理学療法を中心とする治療を受けたが、その後も、頸部・背部痛、腰部痛、頭痛等の自覚症状の改善は見られず、フジ虎ノ門整形外科の担当医は、昭和六二年三月二八日をもつて、頸の背部痛、頭痛、腰部痛、天候の変わり目等に厳しい疼痛、頸部の運動時痛(特に伸展)、頸部周囲筋・僧帽筋の圧痛、腰部の運動時痛(特に伸展、屈曲)、左アキレス鍵反射等の後遺障害を残して症状固定となつた旨の診断をした。右症状固定日に至るまでのフジ虎ノ門整形外科への通院実日数は四二〇日であつた。

(7) その後、原告の後遺障害については、自動車保険料率算定会によつて自賠法施行令二条別表の一四級一〇号に該当する旨の認定がなされた。

(二)  ところで、被告らは、本訴請求は、交通事故に仮託した暴利行為であり、いわゆるモラルリスク、アプセンテイズムであるなどと主張して、原告の受傷及び後遺障害の有無・程度等を争つているところ、前記請求原因1の当事者間に争いのない事実、成立に争いのない甲第二号証の一・二、同号証の三の一・二、同号証の四、同号証の六・七、第三号証の二〇・二一、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証、乙第四八号証、第四九号証、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、本件事故は、原告が、被害車である軽小型貨物自動車を運転し、交通整理の行われていないT字路交差点を左折進行しようとした際、左方の交差道路から被害車に向かつて対面進行してくる被告藤田和博の運転する加害車を認め、右交差道路が幅員四メートルで、そのまま進行して擦れ違うには狭い道幅であつたことから、右交差点内に入つた地点で一時停止していたところへ、漫然と進行してきた加害車の右前部が被害車の左前部に衝突したというものであり、被害車の破損状況は、左フロントフエンダー、フロントバンパー及びラジエターグリルの交換並びにエプロン等の板金修理等を要する程度のもので、その修理費用も五万九二〇〇円にすぎなかつたことが認められ、このような事故態様や物損の程度からすると、本件事故による原告の受傷はたいしたものではなく、(一)で認定した二年以上に及ぶ治療や後遺障害はいかにも過大であるとの観がないでもない。現に、弁論の全趣旨により成立を認める乙第五〇号証によると、本件のために、被告協同組合連合会から、(1)本件事故の衝突により被害車に生じた衝撃加速度、(2)本件事故により原告の頸部等に傷害が生ずるかの二点について工学上の意見を求められた工学士・大滋彌雅弘は、結論として、被害車に生じた衝撃加速度を一・九九Gと推定したうえ、人体実験のデータや体験実験に鑑み、原告の頸部に医師の治療を必要とする傷害が生じたとは考えにくい旨の意見を述べていることが認められる。

(三)  しかしながら、原告の受傷・後遺障害の有無・程度及びそれと本件事故との因果関係の有無、さらには入通院期間の相当性等については、医学の専門家による次のような意見もまた示されていることが認められる。

(1) 前掲証人土田博和の証言によれば、同証人は、フジ虎ノ門整形外科において直接原告の診察に当たつた医師であるが、次のように述べている。

原告の傷害は頸椎捻挫であり、それは本件事故に原因がある。入院期間が六か月というのは長いとは思うが、途中で内科的な副腎皮質ホルモン合併症を併発し、また、むち打ち症は医学的に解明されていない分野の一つであり、各種合併症にもよる非常に頑固な頸の痛み、頭痛、めまい、耳鳴り等が合わさると、非常に治療が長引くことがある。三年・四年と治療している人もいる。原告について、事故に仮託した暴利行為とか意図的治療というようなことはない。原告には、原告主張のような後遺障害が残つているといつてよい。

(2) 鑑定嘱託の結果によれば、当裁判所による鑑定嘱託に対し鑑定人・医師下村裕(元防衛医科大学校整形外科教授・徳之島徳州会病院院長)名義で提出された鑑定書は、次のように述べている。

平成三年七月四日及び同年八月一日の二回、原告の診察を行つたが、重篤な病的所見は認められず、単純レントゲン撮影及びMRIにおいても異常所見は認められなかつた。原告本人から聴取した事故態様からすると、頸椎捻挫の発生する可能性は否定できないが、仮に発生したとしてもその程度は重篤なものであつたとは考え難い。原告の場合多彩な症状が、両肩部痛、頸部痛以外は事故後一週間以上を経てつぎつぎと起こつているが、これら症状のすべての原因を本件衝突事故に求めることは、原告本人から聴取した事故態様からして極めて困難である。すなわち心因的要素が多分にその基礎にあると思われる。対症的治療が長期間にわたつて加えられていることにも問題がある。本件のケースも交通事故によるいわゆる「むち打ち症」に入れられるべきものであろうから、たとえ頸椎捻挫があつたとしても、その治療は数週間で打ち切られるのが妥当であつたろうと考える。そして、鑑定人による診察の結果では自賠基準の後遺障害に適格に該当するものはないが、器質的原因が明らかでないにもかかわらず頑固な疼痛の訴えを残す場合、自賠法施行令二条別表の一四級が認められることが時としてあり得る。

(3) さらに、弁論の全趣旨により成立を認める甲第一九号証及び第二〇号証によれば、医師乾道夫(東京都監察医務院副院長を経て、順天堂大学医学部講師・江東病院臨床病理科医長である。)は、原告訴訟代理人らから本件事故と原告の傷病との因果関係及び後遺障害の程度等について医学上の意見を求められて作成した意見書において次のように述べている。

本件事故は出合い頭の衝突であるが、その際頭部や頸部に何らかの外力が作用したことは否めない。事故後の原告の症状は、頸部痛・項部痛・右上肢のしびれ感・耳鳴り等で、軽度のバレー・ルー症候群を伴つた頸椎捻挫と考えられ、難治性、遷延性に経過している。原告の病態はいわゆる外傷性頸部症候群で、原告の心因性要因も係わつて難治性に経過しているものと考えられる。後遺障害については、原告の現存する不定愁訴に対して、自賠法施行令二条別表の一四級に該当するとしても矛盾はないものと考えられる。

(4) なお、前掲甲第一九号証及び成立に争いがない甲第二一号証によれば、久留米大孝整形外科教室の医師廣橋昭幸らは、平成元年、「外傷性頸部症候群の予後調査」と題する研究成果を発表した際、「外傷性頸部症候群は、非骨性頸部損傷として交通事故(いわゆるむち打ち損傷)、労災事故など、頸部に何らかの外力が作用して発症する。本症は他覚的所見に乏しく、不定愁訴を主として訴え、一部は補償問題などの心理的要因も加わり、複雑な病態を示し、治療に難渋することがある。」旨を指摘していることが認められる。

(四)  右(一)ないし(三)を総合勘案すると、原告は、本件事故によつて頸椎捻挫の傷害を負い、それに起因する治療のために(一)認定のような長期にわたる入通院を余儀なくされたこと、それにもかかわらず、昭和六二年三月二八日をもつて症状固定とされた、頸の背部痛、頭痛、腰部痛、天候の変わり目等に厳しい疼痛、頸部の運動時痛(特に伸展)、頸部周囲筋・僧帽筋の圧痛、腰部の運動時痛(特に伸展、屈曲)、左アキレス腱反射等の後遺障害が残つたこと、その程度は、自賠法施行令二条別表の一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)に該当するものであること等は、これを肯認し得るものとするのが相当である。前掲工学士・大滋彌雅弘の工学上の意見も、衝撃加速度の程度と傷害の発生との関係については、諸説が錯綜し、未だ定説をみない現状にあると解されることを勘案すると、それだけでは直ちに右のように認定判断することを妨げるものとはいえない。

したがつて、被告らの、本件事故は軽微な物損事故にすぎず、原告はいかなる傷害も負つていない、仮に何らかの傷害を負つたとしても、それはせいぜい一、二週間の治療で足りる頸部挫傷にすぎない旨の主張はこれをそのまま採用することはできない。

しかしながら、他面、本件事故が前記(二)で認定したその態様と物損の程度からすると比較的軽微なものであることや、外傷性頸部症候群については、一般的に、前記(三)(4)のように、「他覚的所見に乏しく、不定愁訴を主として訴え、一部は補償問題などの心理的要因も加わり、複雑な病態を示し、治療に難渋することがある」旨指摘されているだけでなく、本件における原告の病態自体についても、前記(一)(3)のとおり、藤田学園保健衛生大学病院の医師から心因性の自律神経症状と診断され、さらに、前記(三)(2)及び(3)のように、「原告に生じた症状のすべての原因を本件事故に求めることは極めて困難であり、心因的要素が多分にその基礎にあると思われる。その治療は数週間で打ち切られるのが妥当であつたろうと考える」、あるいは、「原告の病態はいわゆる外傷性頸部症候群で心因的要因も係わつて難治性に経過しているものと考えられる」といつた旨の医学上の意見が示されていること、等もまた明らかであり、これらの事情を総合するならば、原告が本件事故による受傷によつて著しく長期にわたる治療を受け、それにもかかわらず完治せず後遺障害が残存したのは、その心因性要因もかなりの程度係わつて、外傷性頸部症候群の複雑な病態を示し、難治性、遷延性に経過した結果と認めるのが相当である。そして、このような原告の心因性要因の係わりは、損害の公平な分担の見地に照らし、これを原告が被告藤田和男及び同藤田和博に賠償を求めることのできる金額に反映させるのが相当であり、被告らの前記主張にはかかる趣旨も含まれているものと解される。

2  損害額について

(一)  右1で認定した事実関係に基づき、まず、本件事故によつて原告に生じた損害を検討すると、次のとおりである。

(1) 治療費

前掲甲第三号証の四〇・四一・四五・五一・五四・五六・五八の一・五九の一・六一・六三の一・六五の一・六九の一・七二、成立に争いのない甲第五号証、第六号証の一ないし四、同号証の五の一ないし三四、第七号証、第八号証及び原告本人尋問の結果によれば、症状固定日である昭和六二年三月二八日に至るまで、治療費として、フジ虎ノ門整形外科分六五四万二四八〇円、藤田学園保健衛生大学病院分一二万四八一〇円、石川眼科医院分八八〇〇円、エム・アール・アイ診療所分六六五〇円、合計六六八万二七四〇円を要したことが認められる。

(2) 入通院交通費

原告本人尋問の結果により成立を認める甲第九号証の一・二、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、症状固定日である昭和六二年三月二八日に至るまで、入通院交通費として、合計一七万二八〇〇円を要したことが認められる。

(3) 入院雑費

原告主張のとおり、一日当たり一〇〇〇円とした一九五日分である一九万五〇〇〇円をもつて相当と認める。

(4) メガネ代

原告本人尋問の結果により成立を認める甲第一〇号証によれば、メガネ代一万四四〇〇円を要したことが認められる。

(5) 休業損害

原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故当時、三四歳の女子で、主婦として家事に従事していたことが認められるところ、その入通院状況に鑑みると、少なくとも二五〇日間家事労働に従事できなかつたものと推認できる。右の事実によれば、その休業損害は、原告の主張にも照らすと、昭和六〇年賃金センサス産業計企業規模計女子労働者学歴計三〇歳から三四歳までの年間平均賃金二五六万五三〇〇円を基礎として右の日数について考えるのが相当であり、次の計算式のとおり、原告主張の一七五万七〇五四円と認められる。

(計算式 二五六万五三〇〇円÷三六五日×二五〇日=一七五万七〇五四円 円未満は切捨て)

(6) 後遺障害による逸失利益

前記のとおり、原告には自賠法施行令二条別表の一四級一〇号に該当する後遺障害が残存しているものと認められるところ、その内容・程度、原告が主婦であること、就労の可能性など諸般の事情を考慮すると、原告の後遺障害による逸失利益は、年収を昭和六〇年賃金センサス産業計企業規模計女子労働者学歴計三五歳から三九歳まで(原告は症状固定日当時三七歳である。)の年間平均賃金二四八万八〇〇〇円、労働能力喪失率を五パーセント、労働能力低下期間を三年とし、中間利息の控除についてライプニツツ係数(なお、原告が、逸失利益の遅延損害金の起算日を事故の翌日としていることに鑑みると、同係数は後記計算式のとおり、二・三五二四とするのが相当である。)を適用して算定するのが相当であり、次の計算式により二九万二六三八円と認められる。

(計算式 二四八万八〇〇〇円×〇・〇五×二・三五二四〔事故時から労働能力低下期間の終期までを原告の年齢によつて計算した六年の係数五・〇七五六から、事故時から症状固定時までを同様に計算した三年の係数二・七二三二を差し引いたもの〕=二九万二六三八円 円未満は切捨て)

(7) 入通院慰謝料

入通院を余儀なくされたことによる精神的苦痛に対する慰謝料は、その傷害の部位・程度、入通院期間等に鑑みると、一五〇万円が相当である。

(8) 後遺障害による慰謝料

本件後遺障害による精神的苦痛に対する慰謝料は、その内容等に鑑みると、七五万円が相当である。

(9) 以上のとおりであるから、本件事故により原告に生じた損害は合計一一三六万四六三二円である。

(二)  そこで、右の損害額に対する前記1(四)で説示した心因性要因の係わりの程度を考えるに、当裁判所は、これを三〇パーセントとし、右損害額のうちの七〇パーセントをもつて本件事故と相当因果関係があり、被告藤田和男及び同藤田和博に対して賠償を求め得るものと判断する。したがつて、右両被告がそれぞれ賠償責任を負うのは七九五万五二四二円(円未満は切捨て)ということになる。

3  損害の填補

原告が本件事故による損害の填補として自賠責保険から一九五万円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。これによれば2(二)で認定した七九五万五二四二円から右の填補額を差し引くのが相当であり、原告の残損害額は六〇〇万五二四二円となる。

4  弁護士費用

原告本人尋問の結果によれば、原告は本件訴訟の提起・遂行を原告訴訟代理人に委任し、その費用・報酬を支払う約束をしていることが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告が本件事故と相当因果関係のある損害として被告藤田和男及び同藤田和博に賠償を求め得る弁護士費用の額は、六〇万円が相当である。

5  以上、損害合計額は、六六〇万五二四二円となる。

四  結論

以上によると、原告の本訴請求は、被告藤田和男及び同藤田和博に対し、各自六六〇万五二四二円及び弁護士費用を除いた内金六〇〇万五二四二円に対する本件事故の日の後である昭和六〇年一月一五日から、弁護士費用の六〇万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年九月二二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告藤田和男及び同藤田和博に対するその余の請求並びに被告協同組合連合会に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根本眞 近藤ルミ子 河村俊哉)

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