大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。
官報全文検索 KANPO.ORG
月額980円・今日から使える・メール通知機能・弁護士に必須
AD

横浜地方裁判所 昭和62年(ワ)951号 判決 1992年3月03日

原告

鈴木春子

鈴木太郎

右両名訴訟代理人弁護士

瑞慶山茂

蒲田孝代

高橋修一

被告

神奈川県

右代表者知事

長洲一二

被告

甲野一郎

乙川二郎

丙沢三郎

丁海四郎

右五名訴訟代理人弁護士

福田恆二

被告神奈川県指定代理人

那知上仁

外六名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  申立て

一  請求の趣旨

被告らは連帯して、原告鈴木春子に対し二二〇万円、同鈴木太郎に対し一一〇万円及びこれらに対する昭和六一年六月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文一項と同旨

第二  主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告鈴木太郎は、昭和六一年六月当時、私立独協大学助教授であった者であり、鈴木春子は、その妻である。

(二) 被告神奈川県は、普通地方公共団体で、神奈川県警察を設置し管理運営するものである。

(三) 被告甲野一郎(警部補)、同乙川二郎(同)、同丙沢三郎(巡査長)、同丁海四郎(巡査)は、いずれも、昭和六一年六月当時、神奈川県警察小田原警察署に所属していた警察官である。

2  原告春子に対する逮捕行為着手に至るまでの経緯

(一) 原告春子は、昭和六一年六月一日深夜、原告太郎所有の普通乗用自動車(以下「原告車」という。)を運転し、神奈川県小田原市内の国道一三五号線を走行していた。原告車には、原告太郎、訴外織田二夫、同市原三夫、同加藤夏子及び原告夫婦の娘二人(当時七歳と四歳)が同乗していた。原告車は、同日午後一一時三〇分ころ、同市内の早川交差点に差しかかった。同交差点は、道路標識により原告車が走行してきた方向からの右折が終日禁止されていたが、原告春子は、助手席に同乗していた織田から「この交差点は、時間制限の交差点だから今は大丈夫。」と言われたので、その言葉を信用して小田原厚木道路に入るため右折した。そのときは、対向車もなく、対面信号は青であった。

(二)(1) 右折後、原告車が一〇〇メートルも走行しないうちに、早川交差点から一二〇メートルほど離れた対向車線上に駐車していた乗用車のすぐ後ろに停車していたと思われる無灯火のパトカーが、突然赤色灯を点灯して、原告車に対しスピーカーを通じて停止命令を出した。

(2) 原告春子は、対向車線上を走ってくるパトカーとすれ違ってから間もなく、前記駐車車両を通り越した所にある早川小学校入口交差点の手前で原告車を止めた。

(三) パトカーは、原告車の後方五メートル付近に停止し、中から制服を着た二名の警察官(被告丙沢及び同丁海)が降りてきた。織田は、自分の言葉に従って原告春子が右折してしまったことからその責任をとるつもりで、被告ら二名に対し、同女が右折してしまった理由を説明して、「切符を切るなら自分に切ってください。」と言った。また、織田は、故意に違反したわけではない原告らを捕まえて、故意に違反を犯す暴走族を捕まえようとしないのはおかしいと訴えた。被告ら二名は、二、三分の間、質問もせずに織田のしゃべるのに任せていた。その様子は、自分たちがドライバーにとって納得のいかない取締りを行っていたことを指摘され、応答に窮しているように見えた。早川交差点が原告車の進行方向からみて右折禁止になっているのは、昼間は反対方向からの左折車が多いため右折を許すと交差点で渋滞が発生してしまうからであり、通行量が減少する夜間まで禁止する必要はないところ、終日右折が禁止されているため、夜間それを知らずに右折してしまう車が多いことから、被告ら二名は、違反を摘発しやすい同交差点付近で待ち伏せて、原告らを不当に検挙したものである。

(四)(1) 原告太郎は、路上での話は危険であり他の車の交通妨害にもなると思い、被告丙沢の了解を得て、原告春子に車を発進させ、六〇メートルほど前方にある東海道新幹線のガード下の左に折れる横道を入った所に停車させた。

(2) パトカーは原告車の後ろに停車し、被告ら二名が降りてきて原告車の運転席に近づき、被告丙沢が原告春子に対し、右折違反であることを告げて免許証の提示を求めた。原告春子は、すぐに免許証入れから免許証を取り出して、原告車の窓ガラス越しに提示した。現場には水銀灯が二本立っており、被告丙沢は、その照明の下で懐中電燈を手にして窓ガラス越しに原告春子の免許証を見たが、「よく見えない。」と言ったので、原告車の右後部座席に乗っていた同太郎が同女から免許証を取って同被告に手渡した。同被告は、免許証の写真と原告春子の顔とを照合し、「鈴木春子さんですね。住所は、草加市北谷町に変わりありませんね。」と言って同女の身元を確認した。

(3) その直後、織田が原告車から降りて、原告春子に右折違反を犯させた責任をとるつもりで、同女の免許証を被告丙沢の手から取り上げ、引換えに自分の免許証を渡そうとした。同被告は織田に対し、代わりに切符を切ることはできないことを告げただけで、被告ら二名とも、原告春子の免許証を織田から取り戻そうとはしなかったし、公務執行妨害という名の下での警告を発することもなかった。織田は、右免許証を原告春子に渡した。

(4) その後、原告太郎も原告車から降りて、昭和四二年八月一日付け「道路交通法一部改正とこれに伴う交通指導取締り等の適正化と合理化の推進について」と題する警察庁通達に言及し、被告ら二名に対して、同人らの取締りが、違反を犯しやすい所で待ち伏せする、いわゆる隠れた取締りであることを指摘すると同時に、事故が起きるような危険な状況ではなく故意に犯した違反でもないので、右通達に従い警告による指導で済ませてくれるよう訴えた。しかし、被告ら二名は、「そんな通達は知らない。」と言って、原告太郎の訴えに耳を貸そうとしなかった。

(5) 原告太郎は、織田や自分の訴えが無視されたため、納得のいかない取締り方法について後日警察に抗議しようと考え、被告ら二名に対し、警察手帳規則等に従い同手帳を提示して氏名を明らかにするように求めた。被告ら二名は、それぞれ自己の姓を名乗ったが、原告太郎は、それらが本名かどうかを確認する必要があると考え、再度警察手帳の提示を求めたところ、被告らは警察手帳規則の存在を否定したが、結局、被告丙沢が同手帳の表紙だけは見せたものの、中の恒久用紙は見せようとしなかった。

(五)(1) 原告太郎は、自分たちの訴えに耳を貸そうとしない被告ら二名の態度を不当であると思い、一一〇番して状況を説明し自分たちの主張に間違いのないことを確認したうえ、被告ら二名の取締り態様や応接態度について抗議しようと考えた。同時に、午前〇時近くになってきたのに、被告ら二名を相手にしていたのでは今後違反の処理にどれだけ時間がかかるか確信が持てなくなり、埼玉や東京にある自分や織田らの家に電話連絡しなければならないと考えた。しかし、小田原市内で立ち寄った飲食店の支払いを済ませたときに、原告ら一同には小銭の持ち合わせがほとんどないことを知っていたので、テレホンカードが使用できる公衆電話を利用する必要があった。原告らは、小田原厚木道路小田原料金所(以下「小田原料金所」という。)に、そのタイプの公衆電話があることを知っていたので、被告丙沢に一一〇番しに行くことを伝え後をつけてくるように言ったうえで、同料金所に向かった。

(2) 原告春子は、以前、警察官によって道路交通法違反をでっちあげられた経験があり、同様のことが起きたときの用心のため車にテープレコーダーを積んでいた。原告太郎は、当初、被告ら二名を刺激しないようにするため録音を控えていたが、同人らの応対にだんだん我慢がならなくなり、後々のためにやりとりを録音しておこうと考え、小田原料金所に向かう際テープレコーダーで録音を開始した。

(3) 原告らが、時速三、四〇キロメートルで小田原料金所に向かっている途中、原告車を追尾してくる被告ら二名から停止命令を受けたことは一度もなかった。

(六)(1) 原告春子は、小田原料金所が見えてきた地点で速度を落とした。被告ら二名が乗ったパトカーは、原告車を追い抜き、三つある料金所のゲートのうち閉じられている一番左側のゲート手前の所に停止した。原告春子は、その後ろに原告車を止めた。

(2) 加藤が一一〇番のため車を離れ、その間、被告丙沢が原告春子に免許証の再提示を求めたのに対し、同太郎及び織田は、取締り方法について抗議を繰り返し、警察手帳の提示を要求した。

(3) 原告春子は、同所に到着後間もなく、原告太郎から飲み物(レモンティーなど)を買ってくるよう頼まれ、原告車から降りて駐車場の売店に行った。

(4) 被告ら二名の上司である被告甲野及び同乙川が、パトカーで同所に到着した。被告らは、原告春子に対し免許証の再提示を求めたが、原告らは、既に免許証を提示して原告春子の身元確認は済んでいることを説明し、被告らが警察手帳を提示すれば免許証の再提示にも応じると述べた。しかし、これに対しては、被告甲野が、加藤の目の前で警察手帳の表紙をちらっと見せたにとどまった。

(5) 被告らは、原告春子の身元を確認する手段として、同女に免許証の提示を求めるだけで、同女に対し口頭で氏名、住所等を尋ねることをせず、また、照会センターに免許照会することを通じて同女の身元を確認することもしなかった。さらに、原告太郎は、被告らに対し、照会センターに車両照会することを要請し、被告らが右照会によって原告車の所有者が同太郎であることを確認し、所有者を通じて運転者である同春子の身元を確認するうえで手助けになるようにと、自分の身分証明書を示したにもかかわらず、被告らはこれを無視し、同乙川は、道交法違反で現行犯逮捕すると言って原告らを脅した。

(6) 原告らは、被告らが、原告春子の身元を既に確認済みであるにもかかわらず、警察庁通達や警察手帳規則などを持ち出す原告らに対し嫌がらせをするために、免許証を見せなければ現行犯逮捕すると脅すような態度をとるのであれば、これ以上同所に留まる必要はないと考え、被告らに原告車の前方をふさいでいるパトカーをどかすよう頼んだうえで、原告車を発進させようとしたが、被告らが応じなかったために発進できなかった。

3  原告春子に対する逮捕行為(暴行)着手から、同女の現行犯逮捕に至るまでの経緯

(一)(1) 原告らと被告らとの間で、警察手帳と免許証の提示要求が相互に繰り返されたが、被告甲野が、六月二日午前〇時五〇分ころ、突然、原告車の後部座席右側のドアの前に立ち、一〇センチメートルほど開いていた窓から左腕を突っ込んだ。原告春子は、被告甲野がドアのロックを外して車内に侵入してくるのを恐れて、ドアロックを右の手の平で覆った。被告甲野は、何も言わずに、左手で原告春子の右手首を力一杯締めつけるようにつかみ、窓の外へ引っ張り出そうとした。右後部座席に乗車していた加藤は、原告春子が腕を引っ張られて右手の甲が窓ガラスの縁に擦りつけられるのを見て傷つくのを心配し、窓ガラスを一〇センチメートルほど下げた。被告甲野は、さらに、右手で原告春子の手首とひじの間をつかみ、両手で同女の右腕をねじるように引っ張った。原告春子は、引っ張られる右腕が伸びきって、ひじが窓ガラスに当たる際の激痛に耐えきれず「腕が痛い、痛い。」と叫び続け、痛みを和らげるために尻を少し持ち上げた。

(2) 原告太郎と織田は、この様子を見て、当時妊娠八か月の原告春子が流産するのを心配して、被告甲野に対し、同女の腕を離すように頼んだ。しかし、被告乙川は、「わけの分からないことを言ってんじゃねえ。あんたたちには関係ないんだから。」と怒鳴り、同甲野は腕を引っ張り続けた。さらに、織田が「妊婦なんですよ。」と警告したが、被告甲野は「妊婦は分かっている。」と答えて、原告春子の右腕を離そうとしなかった。被告らは、その後も、同女が実際に妊婦であるかどうかを確認しようとしなかった。

(3) 被告甲野は、一分三〇秒くらいの間、原告春子の右腕を引っ張っていた。同女は、右暴行によって、加療約二週間を要する右上肢打撲後皮下血腫の傷害を負い、三回通院した。

(4) 原告太郎らも、被告乙川に腕をねじられるなどの暴行を受けた。

(二)(1) 原告らは、これ以上同所に留まっていたら、被告らから何をされるか分からないと思い、再度発進しようとしたが、パトカーに囲まれていたため果たせなかった。

(2) 被告らが、その後も、「道路交通法違反の現行犯で逮捕する。」と脅すので、市原は小田原市内の新聞社に無法警官の実態を通報するため、また、原告太郎は弁護士に助言を求めるため、それぞれ電話をかけに行った。

(3) 被告らは、その間、原告車を運ぶためレッカー車を呼ぶ措置を採った。また、原告春子に対し免許証の提示を求めたが、同女は、既に身元確認が済んでいること、また、免許証の提示は道交法上任意であることを理由に拒絶した。被告らは、逮捕すると脅し、また、原告車のフロントガラスを新聞紙で覆い始め、レッカー車で運ぶと威圧した。電話から戻った原告太郎がフロントガラスを新聞紙で覆う法的根拠を質したが、被告らは、道交法に根拠があると言っただけで明確な返答をしなかった。

(4) 原告太郎は、レッカー車が来るまでの間に、被告らに対し、自分の身分証明書を見せて原告車の所有者が自分であることを告げ、逃走のおそれがないのに逮捕すれば職権濫用で告訴すると警告し、警察手帳の提示を求めた。すると、被告丙沢が警察手帳を提示したので、原告太郎は、同人の番号と氏名を確認した。原告らは、他の被告らも警察手帳を提示してくれれば、原告春子も免許証を再提示すると告げたが、被告らは応じなかった。

(5) そこへ毎日新聞の記者が車で到着し、同記者は原・被告らの説明を聞いて、被告らに対し、警察手帳を提示するよう説得したが、被告らは応じなかった。このやりとりの際、被告丙沢は、原告春子の免許証を見たことを認めた。

(6) 原告春子が、フロントガラスを覆っている新聞紙を剥がして原告車の中に取り込んだところ、被告甲野は、これを取り戻そうと、運転席の窓から右腕を差し入れた。原告春子は、同被告がドアのロックを外すためにそうしたと思い窓ガラスを上げたが、同被告の腕が挟まれないように二〇センチメートルほど開いた状態のところで止めた。しかし、同被告は、テープレコーダーが近くにあるのを見て、腕が挟まれていないにもかかわらず手が痛いと言って挟まれているふりをした。原告太郎は、同被告が挟まれていると言い張るので、原告春子に窓をいっぱいに下げさせた。

(7) 原告らが、被告らに警察手帳を提示するよう説得している間にレッカー車が到着したらしく、被告乙川が原告車を持ち上げると告げた。

被告らは、その後も、逃走のおそれがあることを理由に逮捕すると脅したので、原告太郎は同春子に対し車から降りるように言い、同女は運転席から降りた。すると、被告甲野が、素早く原告車の運転席に乗り込み中からロックした。原告太郎が抗議すると、被告乙川は、原告車を差し押さえると言った。

(8) 原告太郎が被告甲野に対し原告車から降りるように説得している間に、被告乙川と同丙沢が原告春子の両腕を引っ張り、もう一人が背中を押して、パトカーの方へ手荒く連れて行こうとした。原告春子は、被告甲野が原告車から降りるまでは応じない態度をとり、原告太郎らが乱暴な扱いをやめるように頼んだので、被告らは同女の身体を離した。原告春子は、身に危険が及ぶのを恐れて、市原の誘導に従い原告車の右後部座席に避難し、ドアを閉めてロックした。

(9) 被告乙川は、原告春子に対し、原告車から降りてパトカーに乗るように命じたが、同女は、被告甲野が降車しないため応じなかった。被告乙川は、原告春子を逮捕すために車を壊すと言って原告車を叩いた。毎日新聞の記者が、被告らのうち責任者の名前が明らかになるのであれば妥協したらどうかと提案したので、原告太郎は、被告らがこれに応じれば原告春子の免許証を再提示すると被告甲野に告げたが、同被告は拒否した。

(10) 被告乙川は、原告春子に対し、道路交通法違反で現行犯逮捕する旨を告げ、窓をたたき、ドアを開けるように命じた。原告春子が、これに応じてロックを外すとドアが開けられ、被告乙川と同丙沢が同女の腕を引っ張って車外に出そうとした。原告太郎が乱暴な行為をやめるように頼むと、被告乙川は、公務執行妨害で逮捕すると言ったが原告春子の腕を離した。同被告は、原告春子に対し、自分で外へ出るように言ったが、同女は、傍らの娘が泣き、また、自分自身も乱暴されるのではないかと怖かったので、外に出ることはできなかった。被告乙川と同丙沢が原告春子を車外に引っ張りだそうとしたので、市原が被告らと同女の間に割って入ったが、被告らに押し退けられ車に頭や顔をぶつけて負傷した。原告春子は、一層の身の危険を感じて、後部座席の右側から左側へ移動した。

4  原告春子の現行犯逮捕と原告太郎に対する暴行

(一) その直後である六月二日午前三時五分ころ、手錠をかけろという声が飛び、被告乙川がドアを開けるよう命じたので、原告春子はドアを開けた。被告丙沢は原告春子の右手首を持ち、被告乙川は同女の左手首をつかみ、同丙沢が同女の両手に手錠をかけた。

(二) 原告太郎らは、妊婦である原告春子に幼い娘たちの目の前で手錠をかけるという、被告らの残虐な行為を記録しておこうと考え、新聞記者に写真を撮るよう頼んだ。被告丙沢は、写真に撮られるのを恐れて、原告春子にかけた手錠の真ん中をつかみ車外に引っ張り出そうとし、その際、同女は手首に擦り傷を負った。

(三) 原告太郎が乱暴な行為をしないように頼むと、被告丙沢は手錠をつかんでいた手を離した。しかし、被告乙川に促されて原告春子が車外に出ると、被告丙沢が再び手錠を引っ張り、同乙川が同女の背中を押して、乱暴にパトカーの方へ連れて行こうとしたので、原告太郎がやめてくれるよう頼むと、被告乙川は、振り向きざまに「貴様も逮捕してやる。」と怒声を発して、原告太郎に大外刈りをかけた。原告太郎は、背中と腰から地面に落下し、被告乙川は、仰向けに倒れた原告太郎に馬乗りになり同人に手錠をかけようとした。織田が何度も手錠をかけないように頼んだので、被告乙川は思いとどまった。この際、原告太郎は、当初の診断によれば全治二週間の腰部打撲の傷害を負った。

5  原告春子の身柄拘束

原告春子は、その後、手錠をかけられたままパトカーで小田原警察署に連行された。取調室では、土屋警部補から、切符を切ると言われた後、子どもについての話の相手をさせられたが、同警部補からは、違反のことも氏名や住所などについても聴かれることはなかった。その後、被告丙沢が入ってきて、免許証を返却され指紋を採ったり写真を撮られたりし、六月二日午前五時一〇分ころ釈放された。

6  原告春子の現行犯逮捕の違法性

原告春子は、早川交差点を右折した後、被告丙沢ら二名の停止命令に従って直ちに原告車を停車させ、右折違反の事実を認めて自身の免許証を提示し同被告らに身元確認の機会を与えた。かつ、原告春子の右折違反の事実については警察官二人が目撃したというのであるから、同女に罪証隠滅の余地はない。さらに、原告春子が、ガード下の横道から小田原料金所に移動したのは、被告ら二名の取締り方法について抗議する目的で一一〇番するためであり実際にも一一〇番したこと、免許証の再提示についても、原告らは、被告ら全員が警察手帳規則に従って同手帳を提示すれば、道交法上提示義務のない免許証の再提示に応じるという柔軟な態度を示したにもかかわらず、被告らが同手帳の提示を拒み続けたために、再提示にするに至らなかったことからすれば、同女には逃走のおそれもない。したがって、原告春子の現行犯逮捕は、逮捕の必要性を欠いたものであって違法であり、原告春子に対する逮捕に伴う有形力の行使、同女の身柄拘束、同太郎に対する有形力の行使も、すべて違法である。

7  責任

(一) 被告神奈川県の責任

被告甲野、同乙川、同丙沢、同丁海は、いずれも被告神奈川県の地方公務員であり、その職務を行うについて、前記のとおり故意または重過失により原告らに対し後記の損害を加えたものであるから、被告神奈川県に対しては、国家賠償法一条一項に基づき後記損害の賠償を求める。

(二) その余の被告らの責任

その余の被告らの前記各行為は、順次(1)特別公務員暴行致傷罪、(2)特別公務員職権濫用罪、(3)特別公務員暴行致傷罪に該当し、これらは、いずれも同被告ら全員が共謀して行ったものであるから、同被告らに対しては、民法七〇九条、七一九条に基づき後記損害の賠償を求める。

同被告らの行為は、いずれも故意に基づくか、捜査に携わる警察官として遵守すべき初歩的な規範に違反した重大な過失によるものであるから、被告神奈川県に国賠償法上の責任が認められた場合においても、同被告らは個人責任を免れえないというべきである。

8  損害

(一) 原告春子

(1) 慰謝料 二〇〇万円

(2) 弁護士費用 二〇万円

(二) 原告太郎

(1) 慰謝料 一〇〇万円

(2) 弁護士費用 一〇万円

二  請求原因に対する認否

1  請求原因事実1は認める。

2(一)  同2(一)のうち、早川交差点の対面信号が青だった点、織田の発言内容及び原告春子がそれを信じた点は不知。その余は認める。

(二)(1)  同2(二)(1)のうち、パトカーが赤色灯を点灯して原告車に対し停止命令を出した点は認め、その余は否認する。

被告丙沢と同丁海は、いずれも制服、制帽を着用し、帯革、拳銃を着装のうえ、丁海運転のパトカー(以下「小田原五号」という。)で、小田原市早川二丁目四番地付近路上を時速約二〇キロメートルで走行中、原告車が約七〇メートル前方の早川交差点を右折して対向してくるのを目撃し、これを道路交通法(指定方向外進行禁止)違反車両と認めた。丁海は、運転席の窓から右手を水平に差し出して、原告車に対し停止を指示した。

(2) 同2(二)(2)のうち、原告春子が車を停止させた点は認め、停止位置については否認する。停止位置は、原告車が小田原五号とすれ違った地点から約一三〇メートル前方にある新幹線ガード下である。

(三)  同2(三)のうち、被告ら二名が小田原五号を原告車の後方に止め原告車に向かった点及び織田が自分に対して切符を切るように言った点は認め、その余は否認する。

被告丙沢らは、原告春子に対し、違反内容を告知するとともに免許証の提示を求めたところ、同女は、容疑を否認し免許証の提示に応じなかった。織田は、原告車の助手席から降り、被告丙沢と原告車の間に割り込むようにして、酒臭をぷんぷん漂わせながら、「俺が曲がれと言ったんだ。俺の免許証で切符を切ればいいじゃないか。」と食ってかかった。被告丙沢は、原告春子に対し、再度免許証の提示を求めたところ、同女は、窓ガラスを閉めたままの状態で免許証入れに入れたまま見せたので、内容を確認できなかった。被告丙沢が車が降りて見せるように言うと、原告春子は、渋々窓ガラスを五センチメートルほど下げて窓越しに免許証を差し出した。被告丙沢が免許証を受け取り内容を確認しようとしたところ、織田が「俺の免許証でやってくれ。」と文句をつけ、同被告が断ると、やにわに同被告から免許証を取り上げ、原告春子に渡した。同女は、免許証を受け取ると窓ガラスを閉めてしまい、以後、被告丙沢らが免許証の提示を求めても一切応じなかった。

(四)(1)  同2(四)(1)のうち、原告車が新幹線ガード下の横道(同市早川二丁目一〇番一号先路地)に停車したことは認め、その余は否認する。被告丙沢が交通上の支障、危険が生じることを考慮して、原告車を誘導し約一五メートル先の横道に移動させたものである。

(2) 同(四)(2)のうち、被告ら二名が同所においても原告春子に対し免許証の提示を求めた点は認め、その余は否認する。原告春子は免許証の提示を拒否した。

(3) 同2(四)(3)は否認する。

(4) 同2(四)(4)のうち、原告太郎が車外に出て、被告ら二名に対し警察庁の通達に反する取締りであると文句を言った点は認め、その余は否認する。同原告は、降車すると、酒臭をぷんぷん漂わせながら、被告らに対し、「暴走族の取締りもしないで、何でこんな違反を取り締まるんだ。こんな違反はいいだろう。勘弁しろよ。」などと暴言を吐いた。被告ら二名は、このような状況では不測の事態も考えられるとして、無線で小田原警察署に応援を要請した。

(5) 同2(四)(5)のうち、原告太郎が被告ら二名に対し警察手帳の提示を求めた点は認め、その余は否認する。同原告が被告ら二名に対し、「君たちの名前は何と言うんだ。警察手帳を見せろ。そしたら、免許証を見せてやる。」などと述べたので、被告丙沢が警察手帳を開いて見せた。すると、同原告がこれを強く引っ張ったため、警察手帳を上衣に結んだ紐が切れそうになった。

(五)(1)  同2(五)(1)のうち、原告らが小田原料金所方向に車で向かったことは認め、その余は否認する。原告太郎は、被告丙沢が警察手帳の提示に応じたにもかかわらず免許証の提示に応じないばかりか、「やっぱり偽警察官だ。電話で確認する。電話のある所まで行こう。」などと行って原告車に乗った。原告春子は、被告丁海が電話はすぐそこにあると言ったのを無視して、原告車を発進させ、時速三、四〇キロメートルで同料金所方向に向かった。

(2) 同2(五)(2)のうち、原告らがテープレコーダーで録音していた点は認め、録音の開始時期は否認する。原告らは、最初に停止した時点から録音を開始していたものである。

(3) 同2(五)(3)は否認する。被告ら二名は、小田原五号で原告車を追尾したところ、原告車は、途中に公衆電話があっても停車しようとせず、被告丙沢がスピーカーで何回も「この先は有料道路で、公衆電話はありません。停止しなさい。」と注意しても、全く応じようとしなかった。

(六)(1)  同2(六)(1)のうち、小田原五号が原告車を追い抜いて小田原料金所のゲート手前で停止し、原告車がその後ろに停車したことは認め、その余は否認する。被告ら二名は、発進地点から約八キロメートルも追尾し小田原料金所付近に差しかかった際、原告車がそこを通過すれば停止させることは事実上困難になると判断し、六月二日午前〇時過ぎころ、原告車を追い抜いて、当時一か所だけ開いていた中央寄りのゲート手前で停止し、小田原五号の後ろに原告車を停止させた。

(2) 同2(六)(2)は認める。被告ら二名が原告車の運転席に近づこうとすると、原告太郎がその前に立ちはだかり、小型のテープレコーダーを所持した市原及び加藤も降車して、被告ら二名に対し、「早く警察手帳を見せなさい。」などと言って詰め寄った。原告太郎は、その後、市原らに対し一一〇番と新聞社へ電話するよう命じ、市原は、近くの公衆電話の方へ行き、しばらくして戻ってくると電話してきた旨報告し、加藤のみが原告車内に戻った。

(3) 同2(六)(3)は否認する。

(4) 同2(六)(4)のうち、被告甲野が警察手帳の表紙だけを見せたにすぎないという点は否認し、その余は認める。被告甲野は、同乙川とともに、制服及び制帽を着用し、帯革、拳銃を着装したうえ、パトカー(以下「小田原一号」という。)で到着した後、原告春子に対し何回も免許証の提示を求めたが、同女は、容疑を否認して免許証の提示を拒否し、原告車内にたてこもるという、いわゆる亀の子戦術を継続した。被告甲野は、警察手帳を提示する必要はないと思ったものの、同手帳を提示すれば免許証の提示に応じるかの如き原告らの甘言を信じて、原告車の運転席の横に行き、原告春子に対し、窓越しに同手帳の表紙及び第一葉を提示したが、原告らの態度は変らなかった。

(5) 同2(六)(5)のうち、原告太郎が自分の身分証明書を提示したとの点及び被告乙川が原告らを脅したとの点は否認し、その余は認める。原告太郎は、身分証明書をちらつかせたにすぎない。

(6) 同2(六)(6)のうち、原告らがパトカーの移動を執拗に要求して原告車を発進させようとした点は認め、その余は否認する。

3(一)(1) 同3(一)(1)のうち、被告甲野が原告車の後部座席右側の窓から手を入れて原告春子の右手首付近をつかんだ点は認め、その余は否認する。同被告は、六月二日午前〇時三〇分ころ、たまたま同窓が全開になっているのを見て、そこから右手を差し入れ、原告春子に対し逮捕する旨告げて、その右手首付近を順手でつかんだ。同女の手を窓の外へ引っ張り出すことはなかった。原告春子は、助手席のテープレコーダーの方に向かって「痛いよ。」「骨が折れちゃうよ。」などと甲高い声で叫んだ。

(2) 同3(一)(2)は否認する。被告甲野は、原告春子が芝居をしていると判断し、「早く降りなさいよ。」と言って、そのまま同女の右手首をつかんでいたところ、原告太郎が「何をするんだ。」「手を離せ。」と叫びながら飛んできて、同被告の左上腕部を引っ張った後、同被告と原告車の間に強引に割り込むようにして同被告の右腕を力一杯引っ張ったため、同被告は、原告春子の右手を離さざるをえなかった。同被告は、このとき、原告太郎の右暴行によって右前腕擦過傷及び左上腕皮下出血の傷害を負った。

(3) 同3(一)(3)及び(4)は否認する。

(二)(1) 同3(二)(1)のうち、原告らが再度発進しようとしたが果たせなかった点は認め、その余は否認する。原告春子は、ハンドルを右に切りつつクラクションを連続して吹鳴させ原告車の発進を強行しようとしたが、被告らが制止したため、同車を約五〇センチメートル前進させたのみで停止した。

(2) 同3(二)(2)のうち、市原が新聞社に電話をかけに行ったとの点は否認する。

(3) 同3(二)(3)のうち、被告らがレッカー車を呼ぶ措置を採った点、原告春子が免許証の提示を拒否した点及び被告らが原告らの逃走を防止するため原告車のフロントガラスに新聞紙を貼り付けた点は認める。

(4) 同3(二)(4)のうち、原告太郎が被告らに対し自分の身分証明書を提示した点は否認し、その余は認める。

(5) 同3(二)(5)のうち、毎日新聞の記者と名乗る者が現場に来た点は認め、その余は否認する。同人は、被告丁海から事情を説明されると、それに納得した態度を示した。

(6) 同3(二)(6)のうち、原告春子がフロントガラスに貼り付けてあった新聞紙を剥がして原告車内に取り込んだため、被告甲野がこれを取り戻そうと運転席の窓から右腕を差し入れたところ、原告春子が窓ガラスを上げた点は認め、その余は否認する。原告春子が窓ガラスを上げたため、同被告は右腕を挟まれた。

(7) 同3(二)(7)のうち、原告らが被告らに対し警察手帳の提示を執拗に要求した点、レッカー車が到着した点、原告春子が原告車から降りた点及び被告甲野が逃走を防止するため原告車の運転席に飛び乗った点は認め、原告春子が同太郎の言葉に従って自発的に原告車から降りたとの点は否認する。

なお、被告甲野は、原告太郎が「警察手帳を見せれば、免許証を見せる。」と言って同手帳の提示を執拗に要求したので、事態を収拾するため、同原告に対し再び同手帳を開いて提示したが、同原告は、約束を実行しなかった。

原告春子が原告車から降りた経緯は、被告らがレッカー車を呼んで原告車を移動させる態度を示せば事態が進展するのではないかと相談したうえ、被告乙川が大声で「それじゃ引っ張るか。」と言い、レッカー車に近づいたところ、同女は、驚いたように原告車から飛びだして、同車の右後方にいた原告太郎に駆け寄ったというものである。

(8) 同3(二)(8)のうち、被告乙川及び同丙沢が逮捕のため原告春子の方に向かった点及び同女が原告車の右後部座席に駆け込んだ点は認め、その余は否認する。原告太郎らが、被告らの逮捕行為を妨害したものである。

(9) 同3(二)(9)のうち、被告乙川が原告春子に対し原告車から降りるように説得したが、同女がこれに応じなかった点は認める。同被告は、原告車に駆け込もうとした同女を追尾し、右後部座席のドアが閉まる直前にドアと座席の間に割って入り、同女に対し道路交通法違反の現行犯の現行犯で逮捕すると告げ、同女の右腕を軽くにぎって降車を促したが、同女は応じなかった。

(10) 同3(二)(10)のうち、被告乙川が原告春子に対し道路交通法違反で現行犯逮捕すると告げた点、同被告が同女の手を引っ張って降車させようとした点、市原が同被告と同女の間に割って入った点及び同女が後部座席の右側から左側へ移動した点は認め、その余は否認する。市原は、被告乙川が同女に対し降車を促していたところ、これを妨害するため両者の間に割り込み同女の膝の上に腰かけたうえ、同被告が同女の手を引っ張って降車させようとしたとき、右手で天井を押し同被告の手を払うようにしていたが、その際額を天井にぶつけた。そこへ、原告太郎が来て、被告乙川の服などを引っ張ったので、同被告は市原の手を離し、その間にドアが閉められて、同女は後部座席左側に移動した。

4(一)  同4(一)のうち、時刻が六月二日午前三時五分ころであるとする点、原告春子が自発的にドアを開けたとする点及び被告丙沢が同女の右手首を持ったとする点は否認し、その余は認める。原告春子を逮捕する機会をうかがっていた被告甲野は、同日午前二時二五分ころ、運転席から手を伸ばして左後部座席のドアロックを外し、ドア付近に立っていた同乙川らに対し、「ドアを開けろ。」と叫んだ。それに合わせて、被告乙川がドアを開けて原告に降車を求めたが、同女が応じなかったため、同被告は、同女の両手首付近をつかみ「逮捕する。」と告げたうえ、被告丙沢に手錠をかけさせた。

(二)  同4(二)は否認する。被告丙沢が原告春子に対し降車を促したところ、同女は、しばらくして、実際に痛いとは到底考えられないのに、「痛い、痛い。」と言いながら降車したが、すぐに両手を高く上げて、新聞記者に対し、大声で「ここを写真を撮ってください。」と言った。

(三)  同4(三)のうち、被告乙川が原告太郎に対し大外刈りをかけた点及び同被告が同原告の逮捕を思い止まった点は認め、その余は否認する。同原告が同被告らの逮捕行為を妨害しようと、同被告を背後からはがい締めにして後方に約三メートル引きずったため、同被告は、妨害を排除すべく、同原告の頭部を右手でかばいながら大外刈りをかけた。同被告が公務執行妨害で同原告に手錠をかけようとしたところ、織田、市原及び加藤が同被告に対し、腕、腰、帯革をつかんで引っ張るなどの暴行を加えたため、同被告は、原告春子の逮捕が完了していることなどを考慮し、同太郎の逮捕を断念した。

5  同5のうち、原告春子が小田原警察署に護送され、その後、指紋を採取するなどし、免許証の返却を受けて釈放された点は認め、その余は否認する。同女は、六月二日午前二時四五分ころ、同警察署に護送され、同署の土屋正次警部補から弁解の機会を与えられたのに対し、違反事実を否認して調書への署名押印を拒否した。同女は、同日午前四時三〇分ころ、釈放され、反則行為の告知を受けたが告知書の受領等も拒否した。

6(一)  同6ないし8は、いずれも争う。

(二)  仮に、被告甲野、同乙川、同丙沢、同丁海が、原告主張のような不法行為を行ったとするならば、その損害賠償責任は、同被告らの所属する地方公共団体である被告神奈川県が原告に対し負担することがあるのは格別、右被告らが個人として、原告らに対し、直接損害賠償責任を負うべき根拠はなく、右被告らに対する原告らの請求は主張自体失当である。

理由

第一被告甲野、同乙川、同丙沢、同丁海の責任について

公権力の行使に当たる国又は地方公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国又は地方公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責任を負わないと解するのが相当であるから(最高裁昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁参照)、右被告らに対する請求は、いずれも失当である。

第二被告神奈川県の責任について

一前記事実摘示記載の争いのない事実と証拠(原告春子、同太郎、被告丙沢、なお、その余の証拠は各認定事実の末尾にかっこ書で記載する。)によれば、以下の事実が認められる。

1  原告春子に対する逮捕行為の着手に至るまでの経緯

(一) 原告春子は、昭和六一年六月一日午後一一時三〇分ころ、原告太郎、織田、市原、加藤及び原告夫婦の娘二人を乗せて原告車を運転し、国道一三五号線を走行中、神奈川県小田原市早川一丁目一二番五号先の早川交差点に差しかかったところ、同交差点は、道路標識により原告車が走行してきた方向からの右折が終日禁止されていたが、助手席に同乗していた織田から「この交差点は、時間制限の右折禁止だから大丈夫だ。」と言われたため、同時刻においては右折は禁止されていないものと考え、小田原厚木道路に向かうため同交差点を右折した。

(二) 小田原警察署勤務の被告丙沢(巡査長)及び同丁海(巡査)は、いずれも制服、制帽を着用し、帯革、拳銃を着装のうえ、丁海が運転するパトカー小田原五号で、小田原市早川二丁目四番地付近路上(片側一車線、幅員片側3.75メートル)を、時速二、三〇キロメートルで走行中、原告車が約七〇メートル前方の早川交差点を右折して対向してくるのを目撃し、これを道路交通法(指定方向外進行禁止)違反車両と認め、捜査、検挙することにした。被告丙沢は、小田原五号搭載の赤色回転灯を点灯させ、同丁海は、小田原五号を停止させ、窓から右手を水平に出して原告車に対し停止するように合図した。しかし、原告車は、直ちに停止せず走り去ったため、被告丁海は、小田原五号を転回させ原告車を追った。原告車は、約一三〇メートル先の同市早川二丁目九番地先路上(新幹線ガード下)に停止した(<書証番号略>)。

(三) 被告丁海は原告車の後方に小田原五号を停止させ、同丙沢とともに原告車の運転席の所へ行った。被告丙沢は、運転席に座っていた原告春子に対し窓を開けるように言い、同女が窓を三、四センチメートルくらい開けたので、早川交差点は右折禁止となっていることを告げた。原告春子は、「この道路は、七時から九時までじゃないんですか。」と言い、被告丙沢から免許証の提示を求められても初めは出し渋っていた。そこへ、酒の臭いを発散させた織田が原告車の助手席から降りてきて、「俺が右折しろと言ったんだ。運転手には関係ない。俺の免許証でやってくれ。」と言った。被告ら二名は織田に対し、そのようなことはできないと言い、被告丙沢は、織田の相手を同丁海に任せて、原告春子に対し再度免許証の提示を求めた。原告春子は、免許証を免許証入れに入れたまま運転席の窓ガラスに向けた。被告丙沢は、よく見えないので降りて見せるように言った。原告春子は、降りてはこなかったものの、免許証入れから免許証を出して窓の隙間からそれを被告丙沢に渡した。被告丙沢が免許証で顔写真、免許の種別、有効期限をチェックし、住所欄の「草加市」まで確認したとき、突然、織田が二人の間に割り込んできた。そのため、被告丙沢は、織田との間で前記と同様の口論をせざるをえなくなったが、その最中に織田にいきなり免許証を取り上げられた。被告丙沢は織田に対し、「何をするんだ。」と言って免許証を返すよう求めたが、同人は、免許証を運転席の窓の隙間から原告春子に渡してしまい、同女は、これを受け取ると窓ガラスを閉めてしまった。

(四)(1) 被告丙沢は、酒気を帯びた織田が道路の中央まで出ていったりしたので、このまま路上で取調べを続けることは交通の障害になると考え、原告春子に対して、約五メートル前方の左に入る路地(小田原市早川二丁目一〇番地先路上)に原告車を移動するように指示し、同女はこれに従った。

(2) 被告丙沢は、そこでも原告春子に対して繰り返し免許証の提示を求めたが、同女は「違反はしていません。」「免許証を見せる必要はありません。」と言って提示を拒否した。そこへ、酒気を帯びた原告太郎が原告車の右後部座席から降りてきて、被告丙沢に対し、「なぜ、こんな違反を取り締まるんだ。暴走族を取り締まらないで。こんな違反いいだろう、勘弁しろ。」と言った。被告丙沢が勘弁するわけにはいかず、道路交通法違反として反則切符を切る旨告げたところ、原告太郎は、「道路交通法の目的並びに通達を知らないのか。」と反駁した。被告丙沢が通達を知らないと答えると、原告太郎が被告ら二名の名前をきいたので、被告丙沢は、小田原署の丙沢と丁海である旨答えた。しかし、原告太郎は、「通達も知らない奴は偽警察官だ。警察手帳を見れば分かる。」と言って、同手帳の提示を要求し、「警察手帳を見せたら、免許証を見せてやる。」とも言った。被告丙沢は、警察官であることは一目で分かるので提示の必要はないと思ったが、原告太郎が執拗に提示を要求したので、同人に対し、上着左胸のポケットから警察手帳を出し、同被告の名前、手帳番号などが記載されている第一葉を開いて見せた。原告太郎は、これを両手で受け取り、右後部座席に座ろうとした。そのため、同手帳と制服をつないでいる紐が張って結着が取れそうになったので、被告丙沢は、同手帳を原告太郎から取り上げた。被告丁海は、この間の午後一一時五〇分ころ、小田原五号搭載の無線機で、小田原署の外勤幹部に対し、応援を要請した。

(3) 原告太郎は、「やっぱり偽警察官だ。今度は電話で確認する。」と言ったので、被告丁海が「電話ならそこにあるよ。」と答えた。被告丙沢は、原告太郎がその電話の所に行くと思い、原告春子に対して免許証の提示を求めたが、同女は応じなかった。原告太郎は、原告車に乗り込み、「一一〇番しに行こう。」と言って同春子に出発するよう指示した。原告春子は、「どこへ行くのですか。」と言って原告車の発進を制止しようとする被告丙沢に対し、「赤電話の所までですよ。」と答えて、車をUターンさせ発進した。被告ら二名は、最寄りの公衆電話の所で取調べを続行するつもりで、原告車を追尾した。原告夫婦は、同春子が以前二回ほど交通違反で検挙された件について、警察によるでっち上げであると考えていたことから、同様の事態に備えて原告車に小型テープレコーダーを積んでいたが、遅くともこのころから、それによる録音を開始した(以上、<書証番号略>)。

(五) 被告丙沢及び同丁海は、原告車が八か所の公衆電話(カード式のものを含む。)を通過していくので原告春子がこのまま逃走しようとしているのではないかと思い、被告丙沢が小田原五号搭載のスピーカーで「この先は有料道路なので止まりなさい。」と呼びかけたが、原告車は停止せず、小田原西インターから国道二七一号線(小田原厚木道路)に入り厚木方面に向かった。被告丙沢は、小田原厚木道路に入った後も、荻窪インター手前の非常駐車帯に停止するようスピーカーで呼びかけたが、原告車は停止しなかった。小田原厚木道路に入ってから小田原料金所(小田原市飯泉三五二番地)に至るまでの約八キロメートルの間には、非常駐車帯が九か所ほどあったが、被告らは、前記のような織田の行動などに照らし、他の車両が傍らを通過するそれらの地点で取調べを行うのは危険だと判断し、途中で原告車を強制的に止める措置は採らなかった(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。

(六)(1) 被告丙沢は、原告車を停止させて取調べをするのに十分な広さがある所は、小田原料金所のゲート手前だけであり、また、原告車がこのゲートを通過してしまうと再び停止させるのが困難になると判断し、小田原料金所のゲート手前約一キロメートルの地点で原告車を追い抜き、同料金所の三つあるゲートのうち一つだけ開いていた中央寄りのゲートの手前約二〇メートルの地点に停車して、原告車が来るのを待った。原告車は、六月二日午前〇時一、二分すぎころ、同所に到着し、原告太郎は、いつでも発進できるように小田原五号の前に停車するよう原告春子に指示したが、後ろの方がいいと思い直して、小田原五号の後方約七、八メートルの地点に停車させた。原告車からは誰も降りてこなかったので、被告丙沢及び同丁海は原告車の所へ行き、丁海が「ここは危険だから、道路左側の方に寄ってください。」と指示したところ、原告車は約二〇メートルくらい左側に移動した(<書証番号略>)。

(2) 被告丙沢及び同丁海が原告春子を取り調べるため、原告車の運転席の方に行こうとすると、原告太郎が降りてきて「これは職権濫用だ。」「警察手帳を見せろ。」などと怒鳴り、小型のテープレコーダーを持った市原、加藤及び織田も降車して、「名前を言いなさい。」などと言ったりするなど、被告らの制止も聞かずに原告春子に対する取調べを妨害した。テープレコーダーは、その後原告らによって原告車から出入れが繰り返された。この間、原告太郎は、加藤に対し一一〇番するように指示し、加藤は料金所そばの売店の電話から一一〇番し、匿名で「料金所の所でパトカーに似た車が一般車を停めて警察の者と言っている。調べてください。」と話した。被告丙沢は、それらの者の相手を同丁海に任せ、運転席に座っている原告春子に対し免許証の提示を求めたが、同女は「違反はしていません。免許証は見せる必要はありません。」などと述べて応じなかった(<書証番号略>)。

(3) 小田原警察署勤務の警部補である被告甲野及び同乙川は、被告丁海の応援要請を受けて、午前〇時一〇分ころ、いずれも制服、制帽を着用し、帯革、拳銃を着装のうえ、パトカー小田原一号で同所に到着した。被告丙沢が両被告に一連の経過を説明し、一緒に原告春子に対し説得にあたることになった(被告甲野、同乙川)。

(4) 被告甲野は、運転席横に行き、原告春子に対し免許証の提示を求め、身元確認に応じるよう説得したが、同女は「免許証はさっき見せました。」と答え、同被告や被告乙川が再三免許証の提示を求めても同じ答えを繰り返すばかりであった。原告太郎は、被告甲野に対し、「車のナンバーから所有者が分かれば、運転している者の身元も分かるではないか。」と言ったが、同被告は「所有名義は分かっても、運転者が誰かは確認できない。」と答えた。原告太郎は、右手を背広の内ポケットの方に入れて、身分証明書らしきものをちらっと見せるような恰好をしたが、それを見せるとか、自分の氏名、住所などを話すことはなかった。また、原告太郎は、免許証の提示は任意だが警察手帳の提示は義務であると言って、執拗に同手帳の提示を要求し、同手帳を見せれば免許証も提示するとも言ったので、被告甲野は、事態を穏便かつ迅速に処理するため、原告春子に対し、運転席の上げられている窓越しに同手帳の表紙を確認させたうえ、第一葉を見せた。その後、原告太郎にも同じように提示した。しかし、被告甲野が、その後も、原告太郎に応対しながら、機会をみて運転席にいる同春子に対し再三、免許証の提示を求めたにもかかわらず、同女は既に確認済みなどと繰り返すばかりであった(<書証番号略>、被告甲野、同乙川)。

(5) 被告甲野及び同乙川は、原告春子に対し、「どうしても身元が確認できないときは、道路交通法違反の現行犯として身柄を拘束することになる。」と警告した。原告太郎は、「こんなもので逮捕できるわけはない。警察手帳を早く見せてください。職権濫用ですよ。」などと繰り返し、織田、市原らも車外でこれに同調した(<書証番号略>、被告甲野、同乙川)。

(6) 原告らは原告車に乗り込み、「これ以上、引き止めると、職権濫用ですよ。」「お巡りさん、車をどかしてください。」などと繰り返し、原告春子はクラクションを鳴らして発進させようとする気配を示した(<書証番号略>)。

2  原告春子に対する逮捕行為の着手から、同女の(準)現行犯逮捕に至るまでの経緯

(一) 被告甲野は、午前〇時三〇分ころ、これまでの経過からみて、原告春子を現行犯として逮捕するほかはないと判断するに至り、とにかく同女を降車させようと考えていたところ、原告車の後部座席右側の窓が全部開いていることに気づいたので、そこから右手を入れて、まず、同女の右上腕部付近を軽くたたいて降車を促したが同女が無視したので、同女の右手首を順手でつかんだ。すると、原告春子は、「腕が痛いよ。骨が折れちゃうよ。」などと甲高い声で叫び続けた。織田が「妊婦なんですよ。」と言ったが、被告甲野は、ただ車の中で原告春子の右手首を順手でつかんでいるだけで、大袈裟に痛がるような状況では全くなかったので、同女を逮捕すべく降車を促すため、その手を離さなかった。そこへ、原告太郎が「手を離せ。」と叫びながら被告甲野の左上腕部をつかんで同人を引っ張り、次いで、同被告と車の間に強引に割り込むようにして、同被告の右手を車の中から引っ張り出したので、同被告は原告春子の手を離した。この揉み合いの際に、被告甲野は右前腕擦過傷及び左上腕皮下出血の傷害を負い、原告春子は右上肢打撲後皮下血腫(通院日数三日)の傷害を負った(<書証番号略>、被告甲野、同乙川)。

(二) 被告甲野らは、原告春子に対し、免許証を提示するよう、さらに説得したが、原告太郎は「行くぞ。」などと声をかけて、同乗者全員が原告車に乗り込み、原告春子がクラクションを鳴らしハンドルを右に切って発進しようとしたが、被告甲野が原告車の前に立ちはだかって制止したため、原告車は五〇センチメートルくらい動いただけで停止した。被告らは、原告車の発進を阻止するため、小田原一号及び五号を、原告車が発進しづらいように、より原告車に近づけて停めるとともに、被告甲野が料金所事務所に行ってもらってきた新聞紙をセロテープで原告車のフロントガラスに貼りつけた。一方、原告太郎は市原に対し、新聞社へ連絡するように指示し、市原は小銭を持って料金所そばの売店まで行き、そこから、新聞社の者に対し、「大変です。何もしていないのに、警察官から集団で暴行を受けている。小田原厚木道路の小田原料金所の所にいるから来てください。」と電話した。また、原告太郎も弁護士に電話をかけに行った(<書証番号略>、被告甲野、同乙川)。

(三) 被告甲野は、原告春子に対し、降車して免許証を提示するよう説得したが、同女は応じなかった。被告甲野は、レッカー車を呼んで原告車を牽引するということになれば原告春子も降車してくるのではないかと考え、同乙川がレッカー車の派遣を電話で要請した(<書証番号略>、被告甲野)。

(四) 原告太郎は、電話から戻って来ると、原告車のフロントガラスに新聞紙が貼られているのを見て異議を唱え、また、被告らに対し、再三警察手帳の提示を求め、そうすれば免許証の提示にも応じるかのような態度を示した。そこで、被告丙沢が警察手帳を開いて原告太郎に差し出したところ、同原告は、それを両手で持ち、原告車の右後部座席の横に立っていた者から差し出されたテープレコーダーのマイクに向かって、同被告の名前、手帳番号などを読み上げた。しかし、原告太郎は、さらに被告ら全員の警察手帳の提示を要求して、原告春子の免許証の提示には応じなかった(<書証番号略>)。

(五) 市原からの連絡を受けていた毎日新聞の記者が、午前一時一五分ころ、自動車で到着し、同記者は、以後、現場にいて原・被告らのやりとりを聞き、原・被告ら双方に対し、免許証及び警察手帳の提示をするよう提案するなどした。

レッカー業者廣石陸昭が、午前一時三〇分ころ、レッカー車に乗って到着したので、被告乙川は、同人と車両の移動方法について協議した。

原告春子は、午前一時四〇分ころ、原告車のフロントガラスに貼られていた新聞紙を取り去り車内に持ち込んだ。被告甲野は、新聞紙を取り返すため、運転席の窓から右手を車内に入れたところ、原告春子が窓ガラスを上げたため、同被告の右腕が挟まれる形になった。被告甲野は、結局、新聞紙を返してもらい、再度フロントガラスに貼ろうとしたが、セロテープが効かずワイパーで新聞紙を押さえた(<書証番号略>、被告甲野)。

(六) 被告甲野は、午前二時ころ、レッカー車での移動が準備態勢に入れば事態が打開できるのではないかと考え、廣石に準備に取りかかるよう依頼し、同人は、これに応えてレッカー車の方に歩み寄った。そして、被告乙川が「それじゃ、引っ張るか。」と大声で言ったところ、原告春子が初めて原告車から降り、同車の右斜め後方にいた原告太郎の所へ駆け寄った。被告甲野は、原告車の発進を阻止するため、運転席に乗り込んだ。被告乙川が原告春子に駆け寄って逮捕しようとすると、同女は原告車の右後部座席に逃げ込みドアを閉めようとした。被告乙川はそのドアを押さえ、同丙沢もその横でドアをつかんだ。被告乙川が原告春子に対し、右手で同女の右腕を軽くつかみ降車するように説得していたところ、市原が両者の間に割って入って、同女の膝の上に乗るような形になり、また、原告太郎は、被告乙川の上着の袖などをつかんで引っ張った。被告乙川は市原に対し、すぐに退くように言い、同人の手を引っ張って車外に出そうとしたが、同人は抵抗し、その際、額を車の天井にぶつけた。結局、被告乙川は、その場での原告春子の逮捕を断念せざるをえなかった。その後、ドアが閉められて、原告春子は後部座席の左側に移動した(被告甲野、同乙川)。

3  原告春子の(準)現行犯逮捕と同太郎に対する公務執行妨害の排除措置

(一) 被告甲野は、原告春子を逮捕する機会をうかがっていたが、午前二時二五分ころ、運転席から手を伸ばして左後部座席のドアロックを外し、ドア付近に立っていた被告乙川らに対し、「ドアを開けろ。」と叫んだ。被告乙川がすぐにドアを開けて、原告春子の両手首付近を両手で握り、同女に対し降車するように言ったが、同女が従わなかったため、同被告は被告丙沢に命じ、原告車内で同女に手錠をかけさせ逮捕した。被告丙沢が原告春子に対し、その腕をつかんで外へ出るように言うと、同女は、あきらめたように降車した(被告甲野、同乙川)。

(二) 原告太郎は、その間、被告乙川を後方から、はがい締めにして引っ張った。被告乙川は、原告太郎の方に向き直り、同人の奥襟をつかみ、右手で同人の頭をかばうようにしながら大外刈りをかけて、公務執行の妨害行為を制圧した。被告乙川は、原告太郎を公務執行妨害罪で現行犯逮捕しようとしたが、織田、市原、加藤らに妨げられて断念した。この際、被告乙川は打撲兼皮下出血(右上腕二か所及び左上腕)、右示・中指基節部打撲及び右肘部擦過傷の傷害を負い、原告太郎は腰部打撲等(通院日数二日)の傷害を負った(<書証番号略>、被告乙川、同甲野)。

4  原告春子逮捕以降の事情

被告丙沢及び同丁海は、原告春子を逮捕した後、小田原五号で同女を小田原警察署に連行し、午前二時四五分、同女を同署外勤課の土屋正次警部補に引致した。原告春子は、同警部補の弁解録取に対し、「交通違反はしていません。」と供述し、弁解録取書への署名押印を拒否した。しかし、原告太郎が同春子の運転免許証を提出して身元が判明したため、原告春子は午前四時三〇分ころ釈放された。

二ところで、原告らは、①本件逮捕は逮捕の必要性を欠いた違法な逮捕であると主張し、その根拠として、本件右折禁止違反は警察官二人が目撃しているから罪証隠滅の余地はなく、また原告春子は違反事実を認めて免許証を示して身元確認の機会を与え、逃走の意思も事実もなかったといい、②あわせて、本件逮捕の際の有形力の行使も違法であると主張するので判断する。

1 前認定の事実によれは、原告春子は、被告丙沢及び同丁海から停止を求められて停止した後、一旦は免許証を被告丙沢に手渡したものの、同被告が内容を確認する前に、同乗者の織田がこれを取り上げ同女に渡すと、以後は頑強に免許証の提示を拒否し、さらには容疑をも否認する態度を明確にしたこと、同乗者である原告太郎及び織田が酒気を帯びた状態で、原告春子について何らの処分も行わないよう強硬に申し入れるなどして、同被告らの原告春子に対する取調べを妨害する行動に出たこと、原告らは、新幹線ガード下の路地から発進するに際し、同被告らに対して、単に一一〇番するため赤電話の所まで行くと告げただけで行き先も明示せず、かつ、途中八か所あった公衆電話の脇をことごとく通過し、被告丙沢の停止要求を無視して、小田原料金所まで約八キロメートルを走行したこと、同料金所に至って停止させられた後も、原告春子は原告車から降車しようとせず免許証の提示を拒否し、原告太郎ら同乗者も警察手帳の提示を執拗に求めるなどして、被告らの原告春子に対する取調べを妨害し続け、ついには、原告春子が原告車を発進させる気勢を示したこと、原告車の所有名義は、車両ナンバーを照会することによって容易に確認できるとしても、右のような状況下において原告春子が所有者と同一人物であるか否か、否とすれば誰であるのかを確認する手段を被告ら警察官が有していたとはいい難いことなどの諸点が認められる。

これらの事情を総合すれば、被告甲野が、原告春子を逮捕しようと、原告車の右後部座席の窓から右手を差し入れて同女の右手首をつかみ降車を促した時点において、既に、原告春子をこのまま放置すれば後日の出頭を確保できず捜査が難航するおそれがあることと、ここに至る事実の経過からして、同女には逃走のおそれがあり逮捕の必要性があったと認められる。また、右程度の有形力の行使は、社会通念上逮捕をするために必要かつ相当な限度内のものであるから、被告甲野の逮捕着手行為は適法であると判断される。

さらに、その後においても、原告春子は再度原告車を発進させようとして、現に車を五〇センチメートルほど動かし、原告太郎らも従前どおりの妨害行為に出たほか、レッカー車による移動の気配に狼狽した原告春子が降車した後、被告乙川らがこれを逮捕しようとした際、原告太郎及び市原が実力で阻止を図ったなどの事情があるから、被告乙川及び同丙沢が原告春子を実際に逮捕した時点において、逮捕の必要性は、より一層認められるというべきである。また、その際、被告乙川の逮捕行為を妨害する挙に出た原告太郎に対し、同被告が、これを排除するため同原告の頭をかばいつつ大外刈りをかけた点も、社会通念上逮捕行為に対する妨害を排除するために必要かつ相当な範囲内のものと認めることができる。この後、原告春子が、約二時間にわたり、被疑事実についての取調べのため身柄を拘束された点も、適法な(準)現行犯逮捕に基づく必要最小限度の身柄拘束として違法ではないと認められる。

2  なお、原告らの主張中には、原告春子には免許証の提示義務がない旨を強調するような部分があるので一言するに、免許証の提示義務の存否と逮捕の必要性の判断とは別個のものである。

すなわち、同種事犯の大量かつ適正迅速な処理を必要とする交通法令違反事件においては、被疑者たる運転者の人定事項の確認は、その携帯が法令で義務づけられている(道交法九五条一項)免許証の提示によって極めて容易かつ確実に行いうるものであるから、道交法上の免許証提示義務が、無免許運転、酒気帯び運転等道路交通の危険防止という行政的観点からみて特に危険性の高い一定の被疑事実があると認める場合に限られる(同法九五条二項、六七条一項)としても、取締りに当たる警察官は、交通法令違反事件一般について、人定事項を確認するに当たり、被疑者たる運転者に対し広く免許証の提示を求め、運転者もこれに応じているのが通例であると思われるが、このことは免許証の提示があれば被疑者の人定事項の確認が容易に行われるという事実上の効果を示しているにすぎない。逆に、免許証の提示がなく、他に人定の方法がないため被疑者の特定ができない場合であって、逮捕の必要性があると認められることもあるのであろうが(本件はその一例である。)、その場合に免許証の提示義務がないからといって逮捕が違法になるということもないのである。もっとも、原告らは一方において、原告春子が警察官に免許証を提示して身元確認の機会を与えたことが、本件逮捕の必要性を否定する事情に当たると主張しているので、原告らの主張をどのように把握すべきかは疑問の余地なしとしないけれども、いずれにしても、本件逮捕の必要性を判断する際に免許証の提示義務について論じることは適切でない。

また、原告らは、警察手帳の提示義務についても云々するけれども、これもまた原告春子の逮捕の必要性とは関係のない議論であるから採用の限りではない。

三以上のとおりで、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。

(裁判長裁判官清水悠爾 裁判官杉山正己 裁判官野原利幸)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例