大判例

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横浜地方裁判所小田原支部 昭和24年(タ)10号 判決

原告 中山週造

被告 中山菊江

一、主  文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告との間に生まれた長女斐子の親権者を被告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は「原告と被告とを離婚する。原被告間の長女斐子の親権者を原告と定める。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因を次のように述べた。

一、原告は昭和十八年五月八日被告と結婚式を挙げ昭和十九年十月二十八日婚姻届を了した。

二、原被告は、はじめ東京で原告の母と共に同棲し、昭和十九年九月二十六日には長女斐子が出生したが、戰災にあい、一時神奈川縣足柄下郡国府津町の被告の姉の婚家古谷市藏方二階八疊を借受け疎開し、昭和二十二年暮平塚市の現住所に建物を買求めて移轉した。なお昭和二十年三月頃からは戰災で住居を失い、かつ他に身寄りのない原告の叔母宮西コトが同居するようになつた。

三、被告は生來強情な上に我儘で、些細なことから原告や母又は叔母と衝突することが多かつたが、現住所に移つてからは、原告が前記住宅を買うのに被告の実兄等から一時金を借りたことがあつたため、被告はこれを鼻にかけて増長し、反抗的態度が強くなり「この家は半分は自分のものだから毀して持つて行く」と云つたり昭和二十三年になつてからのこととしては、

(一)  原告の母に対し、

(1)  気に入らない注意を受けた場合又は口論の際などに、(イ)今に出る所へ出ても追出してやるぞ婆あ、(ロ)糞婆-今に見ていやがれ、もう五年も経つたらお尻をひねり上げてやる、(ハ)ミミヅク-鬼婆-青鬼、(ニ)あんな婆に扶持あてがつて置くから増長するんだ、等と罵り、

(2)  同年三月九日被告が原告の蒲団を縁側に持ちだし、その上に寝そべつているのを母にたしなめられたところ、それが原因で口論をし、立廻りを演じ、挙句のはてに母の手を引つかいて血を出させ、

(3)  同年夏夜半二時頃までも、被告は歌を歌つていたので、母が制止すると「まだ寝ていないのかさつさと寝ろ」と放言し、

(二)  叔母に対し、

(1)  (イ)「乞食ー、上野のガード下へ行つて野たれ死ねー、このムヂナ婆ー」、(ロ)「ボロヤー物干竿でなぐつてやろうか」、(ハ)「居候は汚い所だけ掃除してりやいゝのだ」、(ニ)口癖のように「居候はだまつていろー」等と云い、

(2)  同年三月八日には、叔母の手を引掻いて血を出させた外、屡々殴つたり、引つかいたり、流し水を浴せかけたり等し、

(三)  原告自身に対しても、

(1)  同年六月頃の夜原告がラヂオの音を低くしたのを、わざと高くするので、今度はスイツチを切つたら被告はこれをつけこんなことを結局原告に殴られるまで数回繰返し、

(2)  同年九月頃被告は原告が母の居室で新聞を読んでいたところに外出先から帰宅し、母の部屋に行つたとてひどく怒り、怒つたまぎれに、原告の制止をきかずに七輪を座敷の眞中に持ち込んで炭火をおこそうとし、煙るので原告がこれを台所に持ち出すとまた座敷に持ち込み、

(3)  「籍をくれゝば何時でも出て行く、兄弟達で私の面倒を見てくれると云つている」と公言し、

(4)  ある時は出勤の際に「金を置いて行けー置いて行かなきやメシを食わせないぞ」と云い、翌日出がけに金を渡すと、後で母達に「デレスケ野郎、二本棒野郎、金を置いて行きやがつた、惚れてやがる」と言つたとのことである。

なお、同年三月頃からは、被告の意図から、家の襖に目張りをして、母叔母等と起居も炊事も別々にするようになつたが、原告は何とかして、家庭の不和を除きたいとの考えから、同年十月頃までの間数回に亘つて仲人や被告の兄弟達に集つて貰い、公平な判断を求めたが、その都度被告は從來の不心得を詫び、将来の改心を誓つたけれども永続きしたことがなかつた。

四、以上の数例でもわかるように、当時の原告の家庭は、被告と原告の母、叔母、原告等とが相反目し、罵り合う醜い場面を連続して展開し、全く居るに堪えなかつたので、原告は毎日のように東京の会社からの帰りは終列車を待ち、あるいは外泊するようになり、被告も亦家事を放擲しては、親族友人等を訪問して遊び歩く始末で、被告との家庭生活は落莫たるものとなつたため、原告は同年十一月叔母と被告とが些細なことで口論を始めたのを機会に、遂に被告を実家に去らせたのである。

五、その後被告は昭和二十四年二月二十一日原告の不在中、実兄及び実姉と共に原告方に來り、母及び叔母を暴力で制し、長女斐子を連れ去り、原告から再三斐子を連れ帰るよう要求したが、被告はこれに應ぜず今日に至つている。

六、以上の次第で、原告は被告との婚姻に希望を失い、さきに横浜家庭裁判所小田原支部に離婚の調停申立をしたが不調に終つた。しかしながら、前示被告の原告、原告の母及び叔母に対する一連の言動は、原告の家庭を完全に破壊してしまつたものであつて、仮にその責任の一部が原告側にあるとしてもなお民法第七百七十條第一項第五号にいわゆる婚姻を継続し難い重大な事由のあるときに該当するから、こゝに被告との離婚を求め、なお被告は長女斐子に対し何等の愛情を持つていないから同人の親権者を原告と指定せられるよう望むものである。

被告訴訟代理人は「原告の請求は之を棄却する。」との判決を求め、答弁として次のように述べた。

原告の主張事実中一、二の事実及び原告が離婚の調停申立をし不調に終つたことは之を認めるが、その余の事実は全部否認する。原告一家が平塚市の現住所に移轉する前は全然家庭に風波等なく、殊に国府津町の古谷市藏方に疎開中は食糧事情の最も悪い時期であつたが、被告は連日の如く実家より米、麦、甘藷、野菜等の食糧を貰つて運び、一家の生活を一手に引受け、母に孝養を盡したもので母及び叔母から感謝され、気の毒がられていたものである。平塚市に移つてからは、被告と叔母宮西コト及び母との間に多少の紛爭は起つたが、それは宮西コトが居候の立場にあるところから、母に取り入り身の安全を計ろうと言う考の下に、被告のことを種々中傷し母がこれを眞に受けた結果起つた姑の嫁いびりに過ぎないものであり、被告はむしろ被害者であり紛爭の責任は全然ない。原告も被告のつらい立場は十分に諒解し、蔭に廻つては慰さめて呉れたものであり、原被告間には何等感情上愛情上の疎隔はなかつたものである。一体夫婦間には何のいざこざもないのに、親との間の折合が悪いからと言うので離婚しなければならないとするのは、家中心の封建的な考え方で、夫婦中心に構成された新しい親族法の精神に添わぬものであり、全く理由のないものであつて、原告の請求は棄却さるべきものである。

<立証省略>

三、理  由

成立を認めるべき甲第一号証(戸籍謄本)の記載及び当事者の合致した陳述によれば、原告主張の一及び二の事実を認めることが出來る。

次に被告本人の供述により成立を認める甲第五、第六号証の各一、二の記載、証人井本兼四郎、宮西コト、中山はり、木村彦三郎、古谷ハヤ、野地繁光、古宮善太郎、石塚徳次郎の各証言及び原告本人被告本人の各供述(以上いずれも一部)を総合して考えると次の事実を認定することが出來る。

被告は生來強情で我儘であり、これに対して原告の母及び叔母は勝気で負けず嫌いで、いわゆる旧幣の持主であり、その間にあつて原告は意志が弱く母さえよければと云う態度を持するために、原告一家が東京に住んでいた間及び国府津町の古谷市藏方二階八疊に疎開していた間にも、時に被告と原告、母、叔母等との間の衝突は免れなかつたが、その衝突が激化して原告の家庭が全く荒んだものになつたのは、原告が昭和二十二年に現住する建物を買い求めて、一同こゝに移つてからのことである。右建物の代金は八万円だつたが、内金三万円は被告の兄野地繁光から、内金二万円は被告の義兄古宮善太郎から、夫々借り受けたものであり、右借金はその後弁済したけれども、被告は右の事実を鼻にかけ「この家は私がいたからこそ買えたのだ、半分は自分のものだから壞して持つて行く」など、放言するとともに、態度は著しく不遜になり母や叔母を相手に喧嘩口論を繰り返し時には原告とも衝突した。被告の言動の具体的事例としては原告主張の(一)乃至(三)(但し(一)(1) (イ)を除く)の如きを挙げることができるが、決してこれにとゞまるものではなく昭和二十三年三月頃からは一軒の家に住みながら、原被告と原告の母、叔母とは居室を別にし、遂にはカマドまでも別にすると云う状態になり、原告は家庭からは何の慰安もうけられず、却ていやなことばかり聞かされるために面白くなく、自然夜遅くまで外で遊んで帰ることが多く、外泊するようなこともあつた。一方被告も外出勝で、実家や姉の婚嫁先などを訪問して歩くことが多くなつた。その間原告は家庭内の不和を除きたいとの考えから、昭和二十三年中に数回仲人や被告の親族に集つて貰つて話し合つたが、被告側は原告の母に親らしい態度を要求し、母は嫁らしくすることを求め、容易に話がまとまらず、結局被告は良く仕えるよう諭されるのであつたが永続きはしなかつた。かくて同年十一月叔母と被告とが魚を買う金のことで、爭いをしたことがあつたが原告も遂に意を決し、これを機会に被告を実家に帰してしまつたものである。前記各証人の証言及び本人の供述中以上の認定に牴触する部分はいずれもこれを採用しない。原告と被告とが同棲していた間の家庭の状況は概ね以上に認定した如くであつて、被告の言動は妻としての協力義務に著しく反するものと云わなければならないが、甲第五号証の二の記載及び証人井本兼四郎、木村彦三郎、原被告本人の尋問の結果を総合すれば、被告の惡口雜言は賣言葉に対する買言葉として発せられ各種の暴行も亦その結果として行われたものが多いことを窺知することができる。從つて事をこゝに至らしめた責任を被告のみに負わしめることは相当でなく、当裁判所としては、その根本の原因は、上に認定した原被告及び原告の母と叔母の互に相容れない性格と思想から來た対立相克にあるものと判断する。然る上は、その解決の方法は離婚か、原告の母と叔母とから別れて暮す外はない。ところが原告は母親の手一つで成人したものであり、感情の上からも又経済的な理由からも母との別居を望まず、一方被告に対しては、前認定のような被告の行動に対しむしろ無批判に不満、憤を感じ、強く離婚を求めている(原告本人の供述による)。かゝる事情にある以上原告と被告との間には婚姻を継続し難い重大な事由があるものと言うべく、原告の本件離婚の請求はこれを認容すべきである。

次に長女斐子は目下被告の監護の下にあり、証人古宮善太郎、野地繁光の証言によれば、被告は斐子を可愛がり幼稚園にも入れていることが認められ、この状態を変更する必要は認められない。そして親権も実際監護に当つている被告に行わせるのがこの場合妥当であると考えるので、斐子の親権者を被告と定める。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九條を適用し主文のとおり判決をする次第である。

(裁判官 三淵乾太郎 室伏壮一郎 宮崎順平)

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