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横浜地方裁判所川崎支部 昭和37年(ワ)251号 判決 1965年4月23日

原告 小林文子 外二名

被告 折笠久馬 外三名

主文

被告らは各自

原告小林文子に対し金一九八万五九八九円六三銭

原告木下悦子に対し金五万円、

原告武田躬行に対し金五七万八、〇〇〇円、

および右各金員に対する昭和三七年一二月二八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は三分し、その二を被告らのその一を原告らの各負担とする。

この判決中原告ら勝訴の部分に限り、原告小林文子において金五〇万円、原告木下悦子において金三万円、原告武田躬行において金一八万円の各担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は被告らは各自原告小林文子に対し金三四二万一、三七一円、原告木下悦子に対し金一〇万円、原告武田躬行に対し金五七万八、四〇〇円および右各金員に対する昭和三七年一二月二八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告らの負担とするとの判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告小林文子は訴外亡池田幸子の母であり、同訴外人および原告木下悦子はいづれも川崎市南幸町三丁目九番地所在第二国道診療所に見習看護婦として勤務し、かつ同所に寄宿していた者、原告武田躬行は右診療所の建物を所有し同診療所を経営する医師であり、被告折笠久馬および同根本幸英は共同して浜北建材商会の名称で自動車による運送事業を営む者、被告阿久津六郎は大型貨物自動車の運転免許を有し自動車運転手として、同本木征支郎は自動車運転助手として、いづれも被告折笠および同根本に雇用され右業務に従事する者であるところ。

被告阿久津および同本木は被告折笠および同根本の保有する静1-せ〇一四〇号大型貨物自動車(以下本件事故車という)に鉄材三屯許りを積載し、これを運転して静岡県天竜市より横浜市を経て東京都に向う途中、横浜市内において被告本木は被告阿久津に代り、以後本件事故車を運転して第二京浜国道を進行中、昭和三六年一一月一七日午前四時三〇分頃前記診療所前の地点において、運転上の操作を誤つたため本件事故車を右診療所建物に突入させ、よつて同建物一階医務室にいた亡幸子を本件事故車により圧轢即死させ、同所にいた原告木下に全治三週間の傷害を与え、かつ右医務室およびその隣室の食堂を大破し什器等を破損した。右事故による損害は左のとおりである。

一、原告小林の分

(イ)  亡幸子は本件事故当時一八才であつて、統計によれば事故がなかつたならば今後五三・一七年の余命があつた筈であり、原告武田の親戚に当る関係から、同原告の経営する前記診療所に五五歳の停年まで結婚の有無に拘らず看護婦として勤務することになつていて、将来主任看護婦、婦長の地位も約束されており、本件事故の翌年三月には看護婦学校を卒業し、知事施行の試験に合格して准看護婦となり、それから三年間実務を修得し、次いで勤務の傍ら正看護婦学校に入学、二年を経て卒業し正看護婦の資格を享け得べきであつた。

以上の如き亡幸子は死亡当時見習看護婦として原告武田から月額金一万四〇〇円の給与を受け、そのうちから一か月金二、七〇〇円の食費を控除されていたのであるが、前記診療所の給与規定によれば亡幸子は死亡の翌年四月からは准看護婦として月額金一万二、七〇〇円を給与され、そして右給与額は毎年逓増し一方食費は据置かれることになつていた。

亡幸子の職業が看護婦という特殊職業であり、かつ前記の事情から亡幸子は結婚した後も右診療所に勤務し得られるのであつて、仮に統計の示すとおり女子の結婚平均年令二四・八才で結婚したものとし、収入の半額を生活費に充てたとしても右逓増した給与の半額は亡幸子の得べかりし利益となる。よつて収入額では右給与規定によるものとし、支出額では二四才末までは右食費額を控除し、その後は収入の半額を支出したものとし、昭和三九年末までは中間利息の控除をなさず昭和四〇年一月から右収支残額合計を一年後のホフマン式計算法によると、亡幸子の得べかりし利益は合計金四〇二万八、八七九円となる(その計算は別表<省略>のとおりである)。

亡幸子の得べかりし利益は右のとおりであるが本訴においてはそのうち金三四二万一、三七一円を請求するに止める。

そして亡幸子の相続人は原告小林を措いて他にない。

(ロ)  亡池田幸子を本件事故により失つた母として原告小林が受くべき慰藉料は金三〇万円が相当である。

二、原告木下の分

前記事故により負傷した精神的衝撃に対する慰藉料は金一〇万円が相当である。

三、原告武田の分

前記建物に対する損害金七九万三、〇〇〇円同建物内什器等の破損による損害金二九万四〇〇円合計金一〇八万三、四〇〇円である。

以上の損害について

一、被告折笠および同根本は事故車輛の保有者として、かつ使用者である被告阿久津同本木に対する事業上の責任監督上の注意を怠つたことにより本件事故を惹起したものであるから使用者として、

二、被告阿久津は運転免許を有しない被告本木が本件事故車を無断運転する可能性が充分存するに拘らず同被告の無断運転を敢えて黙認しており、仮に然らずとしても同被告が運転しない様適宜の措置(例えばエンヂンキイを外ずす)を採らずにおいた業務上の重大な過失が存することにより、

三、被告本木は運転免許を有しないのに交通量の多い前記国道を本件事故車を運転し、かつブレーキとアクセルを踏み違えるなど運転上の操作を誤つて本件事故を惹起した重大な過失により、いづれも前記死亡、傷害ならびに建物等の破損について一切の責に任ずべきである。

しかして原告武田は被告根本より昭和三六年二月一七日金五、〇〇〇円を受領し、昭和三七年四月末日金五〇万円に相当する自動車一台の引渡を受け同額で相殺したので合計金五〇万五、〇〇〇円の支払を受けたことになり、残額金五七万八、四〇〇円について、また原告小林および同木下は前記各損害金について、いづれも被告らから支払を受くべき権利を有するところ、被告らは原告らの請求にも拘らずこれに応じないので右各金員およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和三七年一二月二八日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求めるため本訴請求におよんだ旨陳述した。

立証<省略>

被告らは、いづれも、原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とするとの判決を求め。

被告折笠同根本および同阿久津は答弁として、原告ら主張の事実中被告折笠同根本が共同して運送事業を営み本件事故車の保有者であるとの点、被告阿久津に過失ありとする点および亡池田幸子の得べかりし利益についての原告小林の主張事実を否認する、原告木下の傷害の程度および原告武田の建物等損壊の程度は不知、原告小林および同木下の各慰藉料の数額、原告武田の損害の数額を争うがその余の事実は認めると述べ、なお被告根本は本件事故車は同被告の鋼材販売業に使用していた同被告所有のものであり、被告折笠は右事業に関係がないと述べ。

被告本木は答弁として原告ら主張の事実中原告ら主張の如き損害の程度および数額を争うがその余の事実は認めると述べた。<証拠省略>

理由

原告小林文子が訴外亡池田幸子の母であること、亡幸子および原告木下悦子がいづれも川崎市南幸町三丁目九番地所在第二国道診療所に寄宿していたこと、原告武田躬行が右診療所の建物を所有し、同診療所を経営する医師であること、被告阿久津六郎が大型貨物自動車の運転免許を有していること、被告本木征支郎が自動車運転免許を有しないで鉄材約三屯を積載した本件事故車を運転し、第二京浜国道を東京都に向い進行中原告主張の日時場所において、運転上の操作を誤つた過失により本件事故車を右診療所に突入させ、よつて同建物一階医務室にいた亡池田幸子を本件事故車により圧轢即死させ、同所にいた原告木下に傷害を与え、原告武田所有の右医務室およびその隣室の食堂等を損壊した事実(以下本件事故という)は当事者間に争がない。

被告本木を除くその余の被告らは被告折笠および同根本が本件事故車を共同して保有する者であり、かつ被告阿久津および同本木の共同使用者であることを争うのでこの点について判断するに、被告根本の関係においては成立に争がなく、被告折笠同阿久津の関係においては証人佐藤悌四郎の証言により真正に成立したものと認める甲第一一号証、同証言および被告本人本木ならびに原告本人武田(第三回)各尋問の結果を総合すれば、被告折笠は本件事故車の所有者であり、同被告および同根本は共同して浜北建材商会なる名称を用い本件事故車を含む数台の貨物自動車を使用して建築材料等を静岡県天竜市方面から東京都内に輸送する運送業を営む者であることおよび被告阿久津が自動車運転手として、被告本木が自動車運転助手として、いづれも被告折笠および同根本に雇われ右運送事業に従事していた者であることが認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

次に被告阿久津は本件事故について過失の存在を争うのでこの点について按ずるに、被告本人本木尋問の結果によれば、被告阿久津は本件事故車に運転手として乗務し、本件事故の前夜静岡県天竜市二俣町を出発して東京都に向う途中同県袋井市において助手として同乗していた被告本木と交代し、爾后の運転を自動車運転免許を有してない同被告に委せ、自己は本件事故発生まで助手席で仮眠していて、そのため本件事故が惹起するに至つた事実が認められ、右の如く自動車運転免許を有していない被告本木にいわゆる無免許運転を許した被告阿久津に過失の存することは明かである。

そこで本件事故により生じた損害の数額について判断するに、

(一)  訴外亡池田幸子の損害

成立に争のない甲第三号証によれば、亡池田幸子は昭和一八年一月二一日生れで前記死亡当時満一八歳であつたことが認められ、厚生省発表第一〇回生命表によれば満一八歳の女子の平均余命は五四・一一年となつている。そして亡幸子が本件事故により死亡するまで原告武田の経営する第二国道診療所に見習看護婦として勤務していたことは当事者間に争がなく原告本人武田躬行尋問(第一回)の結果により真正に成立したものと認める甲第一六号証同第一八号証証人桑原季六の証言原告本人武田躬行(第一ないし第三回)同木下悦子の各尋問結果を総合すれば、亡幸子は原告武田の親戚である関係から前記診療所に満五五歳の停年に達するまで看護婦として勤務したであろうこと、亡幸子は本件事故による死亡がなかつたなら本件事故の翌年である昭和三七年三月一三日川崎市医師会附属准看護婦学校を卒業し、その直後に行われる神奈川県知事または他の都県知事の行う准看護婦試験に合格して准看護婦の資格を得、同年四月一日以後は右診療所に准看護婦の資格で勤務したであろうこと、亡幸子が右診療所に勤務する間原告武田から受ける給与は、見習看護婦としては月額金一万四〇〇円准看護婦としては月額金一万二、七〇〇円(初任給)であること、亡幸子の生活費は右診療所内での寄宿を続けるものとして、原告武田に支払う食費月額二、七〇〇円とその他の費用金二、七〇〇円合計金五、四〇〇円を要するものと認められる、従つて亡幸子の得べかりし利益は(イ)昭和三六年一一月一七日より昭和三七年三月三一日まで(四か月間)は毎月金五、〇〇〇円(ロ)同年四月一日より停年退職の前日である昭和七二年一月二〇日まで(四一八か月間)は毎月金七、三〇〇円と認めるのが相当であり、そして以上の毎月得べかりし金額とその期間に従い、昭和三六年一一月一七日現在における価額を法定利率年五分(一か月をその一二分の一として計算す)一か月毎のホフマン法により計算すると、前記(イ)の分は一万九、七九四円(ロ)の分は一七六万六、一九五円六三銭(イ)(ロ)の合計は一七八万五、九八九円六三銭となり、右が亡幸子の昭和三六年一一月一七日現在における得べかりし利益の全部であり、亡幸子は同額の損害賠償を請求し得るのである。ところで亡幸子の相続人が原告小林のみであることは当事者間に争がなく、そうとすれば原告小林は亡幸子の有する前記損害賠償請求権を承継取得したものといわなければならない。

なお、原告小林は亡幸子の前記診療所から受ける給与は給与規定に基き亡幸子三六歳昭和五五年の給与月額金三万五、一〇〇円に達するまで毎年逓増し、亡幸子の得べかりし利益の一部となる旨主張するが、原告本人武田躬行尋問(第一回および第三回)の結果ならびに前記甲第一六号証によれば、前記診療所の給与規定に原告小林の主張する如き給与逓増の定めが存することは認められるが、右給与規定は本件事故当時は右診療所の内規に止り、従つて右給与規定は診療所を経営し亡幸子の使用者である原告武田を法律的に拘束するものではなく、亡幸子としても右給与規定に定める給与の逓増は単なる期待であるに過ぎないことが認められる。元来給与の逓増を得べかりし利益の一部として認めるには、その給与の逓増か法令または契約に基く権利として認められる場合、または給与の逓増が何人にもその実現に合理的な疑を容れない程度に確実なものと信じられる場合であることが必要であると思料するところ、本件においては右いづれの場合をも認めるに足る証拠が存在しないので、原告小林の右給与の逓増を理由とする得べかりし利益の主張は採用することができない。

(二)  原告小林の損害

成立について当事者間に争のない甲第四号証、被告根本同本木の関係において成立に争がなく、被告折笠同阿久津の関係において証人佐藤悌四郎の証言により真正に成立したものと認める甲第八号証、その方式および趣旨により真正に成立したものと認める同第二五号証(戸籍謄本)および原告本人武田躬行尋問の結果(第一回)を綜合すれば、原告小林は訴外亡池田兼次郎との間に儲けた亡幸子を出生の当座は手許で養育していたが六か月程後にその父兼次郎とその事実上の妻訴外藤田よしのの許に遺り自己はその後訴外小林正三と結婚して二児を儲けた事実、亡幸子は父兼次郎の死後は訴外藤田よしのの手で養育され、中学校卒業の後前記診療所に見習看護婦として住込勤務しその後は事実上の養母ともいうべき訴外藤田よしのに対しては送金して生活の援助をしたこともあるが生母である原告小林との間には見るべき交渉がなかつた事実が認められる。

以上の如き事情の下においては実の親子関係にあるとはいえ、原告小林が亡幸子の本件事故による死により精神上被つた苦痛は必しも多大であつたとは認め難く、従つて原告小林の精神的苦痛を慰藉するためには金二〇万円が相当と認める。

(三)  原告木下の損害

原告木下が前記診療所に見習看護婦として勤務していることは当事者間に争がなく、同原告が本件事故により蒙つた傷害の程度は証人桑原季六の証言同証言により真正に成立したものと認める甲第二一、二二号証原告本人木下尋問の結果によれば、同原告の傷害は全身打撲症であつて、当初の診断は全治三週間であつたが、その後の経過は治療に要した日数一〇日間その後の静養日数四日間であり、後遺症はなく、唯受傷後一時恐怖症の如き症状を呈したことがあつた事実が認められ、右事実と原告本人木下尋問の結果により認められる、同原告が昭和一六年生れで高等学校卒業後前記診療所に見習看護婦として住込勤務し、勤務の傍ら准看護婦学校に通学して深夜通学中本件事故に遭遇した事実を併せ考えると、同原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉するには金五万円が相当と認むべきである。

(四)  原告武田の損害

原告武田本人尋問の結果(第一、二回)右尋問の結果(第二回)により真正に成立したものと認める甲第一七号証、右尋問の結果(第一回)により真正に成立したものと認める甲第二六号証を綜合すれば、原告武田が本件事故により蒙つた損害の額は、その所有建物については金七九万三、〇〇〇円右建物内に存置してあつた医薬品テレビ等については金二〇万円合計金一〇八万三、〇〇〇円であることが認められる。

そして原告武田はその後被告根本より現金五、〇〇〇円の支払と金五〇万円相当の自動車の引渡を受け、合計金五〇万五、〇〇〇円の賠償を受けたとして残額の支払を求めておるがその額が金五七万八、〇〇〇円であることは計算上明かである。

以上原告らの損害ないしその残存額について、

被告本木は前記争のない事実の如く運転免許を有しないで本件事故車を運転し、かつブレーキをアクセルと踏み違える等運転上の操作を誤つて本件事故を惹起した過失により前記(一)ないし(四)の損害について、

被告阿久津は前記認定の如く被告本木の無免許運転を許した過失により同被告の惹起した本件事故の結果として発生した前記(一)ないし(四)の損害について、

被告折笠同根本は自動車損害賠償保障法第三条に掲げる免責事由の主張立証をしない本件においては同法条に規定する自動車保有者として前記(一)ないし(三)の損害について、また使用者である被告阿久津同本木の選任監督について過失のない旨の主張立証をしない本件においては民法第七一五条に規定する使用者として前記(四)の損害について、

ならびに、右各損害金に対する本件事故発生の翌日からの民法所定の遅延損害金についていづれも損害賠償請求権を有する原告らにこれを賠償すべき義務を負担しているというべきである。

本件訴状送達の翌日が昭和三七年一二月二八日であることは本件記録中の郵便送達報告書(四通)の記載と暦により認められる。

然らば被告らに対する原告らの本訴請求は原告小林については前記(一)および(二)の合計金額、原告木下については前記(三)の金額、原告武田については前記(四)の金額および右各金員に対する昭和三七年一二月二八日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める限度においてこれを正当として認容し、原告らのその余の請求は理由がないのでこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項本文仮執行の宣言について同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 香取嘉久男)

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