横浜地方裁判所川崎支部 昭和44年(ヨ)276号 決定 1970年7月13日
申請人 野上弘蔵
被申請人 東燃石油化学株式会社
主文
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
理由
一、申請人代理人は、「被申請人(以下単に会社という)は申請人を会社の川崎工場に勤務する従業員として取扱い、かつ、申請人に対して昭和四四年一〇月一五日以降本案判決確定に至るまで、毎月一日より末日までを一か月として、月額金四六、五〇〇円の割合による金員を、毎月二五日限り、仮りに支払え。」との裁判を求め、会社代理人は、主文同旨の裁判を求めた。
二、よつて、申請の当否につき検討する。
(一) 次の事実は当事者間に争がない。
(イ) 会社は、石油化学原料半製品並びに製品の製造貯蔵売買及び輸送等を業とし、昭和三五年一二月二四日設立され、現在資本金四五億円の会社であり、肩書地に本店を有するほか、川崎市浮島町二一〇番地に川崎工場を、大阪市に大阪営業所を有するものであり、申請人は昭和三八年三月神奈川県立川崎工業高等学校を卒業し、同年四月会社に雇傭され、以来川崎工場製造部管理課試験係の係員として勤務し燃料分析等の仕事に従事してきたものであつて、会社従業員をもつて組織する東燃石油化学労働組合の組合員である。
(ロ) 会社は、昭和四四年一〇月一四日申請人を解雇する旨の意思表示をしたが、右解雇は、会社が同年一〇月一日付で申請人に対し、セールスエンジニヤとして大阪営業所へ転勤すべきことを命じたところ、申請人がこれを拒否したことを理由とするものであり、会社の就業規則第二一条第六号及び第二二条第一号により懲戒解雇したものである。
(ハ) 右就業規則の各規定は次のとおりである。
第二一条 会社は従業員が次の一に該当するときは譴責または減給を命ずる。反則が軽微であり、または情状酌量の余地があり、改悛の情が顕著なる場合には訓戒にとどめることがある。
(1ないし5及び7は省略)
6 会社の就業規則に違反し、もしくは正当の理由がなく上長の業務命令に従わなかつたとき
第二二条 会社は従業員が次の一に該当するときは、懲戒解雇を命ずる。但し、情状によつて出勤停止にとどめることがある。
1 前条各号に該当する行為が特に重く、情状酌量の余地がないとき
(2ないし9は省略)
(二) 疏乙第二、第三、第四、第五号証によれば、次のような事実が認められる(会社の概要)。
(イ) 会社は当初東京の本社と川崎工場の二事業所を有するに過ぎなかつたが、成長産業である石油化学工業固有の事情に基き、事業規模を逐次拡大しつつあり、昭和三六年一一月には埼玉県大井町に中央研究所を設け、次で昭和四〇年五月には大阪市に大阪事務所(後に大阪営業所となる)を開設し、更に昭和四三年六月には和歌山県有田市に和歌山工場を設置し、現在、以上の五事業所を有するものである。
(ロ) 右大阪事務所は関西地区における会社製品の販売、市場調査等の拠点として設けられたものであるが、昭和四三年四月一日大阪営業所と名称変更するとともに規模を拡大充実し、昭和四四年四月以降、ここに勤務する従業員は所長以下八名となつた。
(ハ) 会社は、その従業員を分けて、社員、試傭者、嘱託、要務員、臨時員の五とするが(就業規則第二条)、職員、工員または事務職、技術職といつた区分をしていない。それは装置産業である石油化学工業の特性に由来するものであつて、製造部門における労働内容ですら、肉体労働は少なく事務、管理部門における職務内容に近いものとなつており、反面事務系の職務に携わるものでも石油化学製品の性状、用途に関する高度の技術的知識を有することが要請されているからである。とりわけ、販売、市場調査、企画等の部門においては右のような専門的知識の必要性が強く、技術系学科出身者が多数配属されている。このように、職務内容の面でも、事務系、技術系の区分が不明確になつている。
(ニ) 申請人が大阪営業所に転勤した場合、携わる予定であつた「セールスエンジニヤ」の職務内容に、会社が最近開発して生産を開始した塗料、接着剤、コーキング剤等に使用できるSK―一〇〇〇と称する新製品(液状石油樹脂)の新規需要家の開拓、製品売込のための技術サービス、データの作成等であつた。
(三) 疏乙第五、第六、第七、第八、第九、第一〇号証によれば、次のような事実が認められる(転勤命令が発せられるまでの事情)。
(イ) 会社は昭和四四年九月一七日SK―一〇〇〇の開発、販売に関する関係部課の会議を開き、「SK―一〇〇〇開発グループ」の設置を決定、右製品の関西地区における開発、販売の拠点となるべき大阪営業所に対し、本社販売部から営業所内の体制作りを指示した。
(ロ) 大阪営業所は右の指示に基き、組織業務分担等を検討した結果、開発販売を推進するために、これに専従する新規要員一名の増員が必要であるとの結論に達し、本社販売部に人員要求をした。
(ハ) その際、両者で、要員の資格、赴任時期等を検討し、資格としては技術系高校卒業者で入社後数年を経た者で、製品に関する知識があり、営業面で対人印象のよい者が望ましい、また、赴任時期は本人の訓練、販売体制の早期確立のため、なるべく早い時期とし、同年一〇月一日付発令を目途とすることなどを決めた。
(ニ) そこで、同年九月一九日、総務部長から同部松本人事課長に対し、右のような事情であるから、至急条件に合う者の人選をするよう指示がなされ、人事課長は直ちに選衡を進めることとなつた。同課長は供給先として、先ず、SK―一〇〇〇の開発販売を進めてきた本社販売部または、同製品の研究開発を進めてきた中央研究所が最も適当と考え、折衝したところ、いずれも、極めて多忙であるのに、人員は不足気味で余力がない、と断わられたため、総務部長と協議して川崎工場の従業員から選定することにし、川崎工場の中原勤労課長に人選を依頼した。
(ホ) 右依頼を受けた中原勤労課長は、製造部管理課試験係から選ぶのが最も適当と判断した。理由は、同係員は皆、品質管理についてどの職場よりもよく教育されており、化学に関する知識も豊富で、製品の取扱いについても慣れていること、近く約七名の余裕人員を生ずる見込であること、試験係は他の製造現場と異なり日勤を主体とする職場であつて、サービス部門としての性格から業務に弾力性があり、一時要員に欠員を生じても、やり繰りができることなどであつた。そして、製造部長、同副部長に人選を依頼して了解を得た。
(ヘ) 同月二二日右両部長より田中試験係長に対し人選の指示がなされ、同係長は先ず同係の中のジヤニーマン職の中の経験年数五、六年の比較的若い層より選ぶこととし、申請人を含む候補者五名を決めた。そして、その中で、申請人は健康であること、独身であり、扶養すべき親族もなく当時親許を離れて下宿生活をしていたから、転勤による私生活面での不利益は妻帯者に比して少ないこと、対人印象もよく、性格的に明朗であつて営業向であること、などから、これを最適任者として第一候補に選んだ。なお、同僚は、従業員の職務能力階層を(一)スーパーバイザー職(二)シニアー職(三)ジヤニーマン職(四)ジユニアー職の四階層に区分し、スーパーバイザー職とは、特殊技能を有し管理者としての能力を要求されるリーダー職をいい、シニアー職とは分析試験における特殊技能を有する職をいい、ジヤニーマン職とは、職務上一応の技術知識をもち、対外的にも社員として一人前の資格を有する職をいい、ジユニアー職とは入社後二年半程度の経験で知識、技能とも未だ十分とはいえない職をいう。
(四) 疏甲第四、第九、第一〇、第一一、第一二号証、疏乙第一一、第一二、第一三、第一六号証によれば、次のような事実が認められる(転勤命令発令後解雇までの事情)。
(イ) 同年九月二六日、申請人の直属の上司である田中試験係長が、申請人に対し転勤の内示を行なつたところ、申請人は仕事の内容が変り、未経験のセールスエンジニヤの仕事は性格にも合わないし、不安がある、私生活が変り経済的に不利益である、申請人が組合活動、政治活動などを活発に行なつているための転勤命令ではないかとの疑念がある、などを理由に、拒否の態度を示したので、会社側は、前記のような事情で業務上の必要があり、申請人を最適任者として選んだのであつて、労務管理上の目的からでないこと、職務内容は技術的知識を生かした新らしい仕事であり、試験係からの転換はさして大巾な職種の変更とはならないこと、独身で下宿生活をしている申請人にとつて経済的不利益はないことを説明して受諾するよう説得し、かつ、万一あくまでも拒否すれば、懲戒解雇ということにもなりかねないことを伝えたが申請人は納得しなかつた。
(ロ) 同年一〇月一日に、工場長が転勤辞令を申請人に交付しようとしたが、申請人はこれを受取らず、同月六日会社に対し書面により、転勤拒否の通告をなすとともに、所属の労働組合執行委員長に対し、配転撤回闘争取り組み要請書を提出して調査要求をした。
(ハ) 会社は、なお申請人の説得に努めるとともに、同月九日工場長名で書面をもつて、速やかに赴任することを求めた。一方、申請人の右要請書を受けとつた組合は、会社側の事情を聴取した上で「(一)会社は内示から発令までの間に申請人に対し、事情聴取を行なつているし、内示から発令までの期間が不当に短かいとはいえない(二)転勤により生活環境が変ることによる不利益も、経済的不利益もない、と認められるから、組合規約にも抵触しない(三)会社は真に業務上の必要により申請人の転勤を命じたことがはつきりしており人事権の濫用とは認められない」との結論に達したとして申請人は組合に対し苦情処理の申立をすることはできない旨の回答をした。
(ニ) 会社は、大阪営業所、和歌山工場その他新設される事業所への従業員の転勤が、今後増加することが予測されるのに川崎から列車で三、四時間の大阪への転勤を拒否され、これを認めるにおいては今後の人事異動制度の適用が困難になるとして、やむなく懲戒解雇することにしたものである。
(五) 申請人は、本件転勤命令は労働契約に違反し無効であると主張する。
申請人に対する転勤命令が職務内容の変更を伴なうものであつたことは前記のとおりであり、勤務場所ならびに職務内容はいずれも労働契約の要素と解するのが相当である。しかし疏乙第二号証によれば、申請人が会社に雇傭された日より以前の、昭和三七年一〇月一日から施行されている就業規則第八条は「会社は業務上または保健上の事由により転勤、配置転換または出向を命ずることがある」と定め、一方疏乙第一号証の一、二によれば、申請人は会社に雇傭されるに際し、「会社の諸規則を守り、上司の命令に従い、職場の秩序を保ち、同僚と協力して忠実義務を遂行する」旨の誓約書を差入れていることが認められる。そして、他に特段の契約を結んだことを認めるに足る疏明がないから、これにより申請人は会社に対し、業務上必要のあるときは、会社がその一方的意思表示により勤務場所、職務内容等の変更を命じ得ることを承認し、会社にその権能を付与することを合意したものと云うべきである。そして右の合意は入社後新設された事業所への転勤についても、これを除外する特約を結ばない限り、当然妥当するものと解すべきであるところ、大阪営業所が開設された際、特約を結んだ形跡も見当らないから、会社の本件転勤命令が労働契約に違反するとはいえない。よつて、申請人の右主張は理由がない。
(六) 申請人は、本件解雇は就業規則の解釈適用を誤つたもので無効である。すなわち、転勤命令等の業務命令に従わないことは、就業規則第二一条により譴責または減給が原則であつて業務命令違反を理由として懲戒解雇をなしうるのは第二二条により、それが「特に重く、情状酌量の余地がない場合」でなければならないところ、申請人は従来の職種が適性であり従来まじめに勤務し、適格を疑われることはなかつたのであるから、試験係で仕事を継続させることができるのであつて、その職場から排除しなければならぬ事情はない。従つて右規定を適用したのは誤りである、と主張する。
しかし、会社は、当時大阪営業所に従業員一名を転勤させなければならない業務上の必要があつたこと、その要員候補者として申請人を最適任者と認めて転勤を命ずることとしたことは、前記(三)に記載のとおりであつて、右転勤命令には合理性が認められる上に、発令日である一〇月一日から同月一四日解雇するまでの間、会社は前記(四)に記載のとおり説得を続けたのに、申請人は頑なにこれを拒否し続けたのであるから、会社が、申請人の業務命令違反はその情が重いと判断したのは相当である。よつて、申請人の右主張は理由がない。
(七) 申請人は、本件解雇は解雇権の濫用であつて無効である。すなわち、転勤命令を拒否したのは正当であつて、何ら業務命令違反がないのに、これを解雇したのは、申請人の組合活動、政治活動を理由とするものにほかならないし、従来真面目に勤務してきて試験係として適格であるのに、右職場から申請人を排除する合理的理由は全くないから、解雇権の濫用である、と主張する。
しかし、本件転勤命令は、前記の如く、申請人が会社に雇傭されるに際してなした、会社との合意に基く業務命令と認められるから、これを拒否したことは業務命令違反となることは疑を容れない。しかも、本件解雇が、申請人の組合活動、政治活動をしたことを理由とするものであること、もしくは試験係の職場から申請人を排除することを目的としたものであることを認め得る疏明はない。すでに述べたように、本件転勤命令は労働契約に違反するものではなく、合理性が認められるのに対し、申請人がこれを拒否するについての正当事由の存在はこれを認め難く、情理を尽した会社側の説得にも拘らず、遂に飜意しなかつたため、会社は止むなく解雇したものであるから、これをもつて解雇権の濫用となすことはできない。よつて、右主張も採用しない。
(八) 更に、申請人は本件転勤命令は、申請人の正当な組合活動を理由とする不当労働行為であり、思想信条を理由とするものであつて無効であり、従つて解雇も無効である、と主張する。
疏甲第一九、第二三、第二四、第二七ないし第三三号証によれば、申請人はその主張のように、昭和三九年頃から組合の青年婦人部学習部長をしたり、機関誌「青婦ニユース」を発行し、あるいは雑誌「群」の編集をしたり、代議員や青年婦人部の書記に立候補し、また昭和四三年に会社が交替勤務制の合理化の提案を行つた際、労働強化である等のことを指摘したりして組合活動をするとともに、日韓条約反対デモに参加したり、反戦青年委員会の集会やデモに参加するなどの活動をしていたことは認められるが、本件転勤命令がこのことを理由とするものであることを認め得る疏明はなく、また、申請人の思想、信条を理由とするものであることを認め得る疏明も見当らない。よつて、申請人の右主張も理由がない。
(九) 以上の如く、申請人の主張する解雇無効理由はいずれも、これを認めることはできないから、申請人の本件仮処分申請は被保全権利の疏明を欠くものといわなければならない。よつて、本件仮処分申請を却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 菅家要 山崎宏八 田村洋三)