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横浜地方裁判所川崎支部 昭和53年(ワ)344号 判決 1981年5月28日

原告 西村武

被告 国

代理人 石川達紘 石塚欣司 真島吉信 石井宏

主文

一  被告は、原告に対し金一八一万五、九二八円および内金一六一万五、九二八円に対する昭和五三年九月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、それぞれを各自の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金四四一万五、九二八円および内金三八一万五、九二八円に対する昭和五三年九月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決並びに仮執行宣言を付する場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、昭和五二年七月二日、横浜地方検察庁川崎支部(以下、「地検川崎支部」という。)検察官副検事岩間利男(以下、「起訴検察官」または「岩間副検事」という。)により、横浜地方裁判所川崎支部(以下、「地裁川崎支部」という。)に恐喝未遂被告事件(同裁判所昭和五二年(わ)第三六九号事件。以下、捜査・公判段階を通じて「本件被疑事件」または「本件被告事件」という。)の被告人として起訴(以下、「本件起訴」という。)されたが、審理の結果、昭和五三年六月六日、被告人を無罪とする判決(以下、「本件刑事判決」という。)がなされ、右判決は、同月二一日、検察官控訴がなされないまま確定した。

(二)  本件刑事判決確定に至るまでの経過は次のとおりである。

昭和五二年六月一六日 逮捕

同月一八日 勾留の裁判

七月 二日 公訴提起

九月 八日 第一回公判

一一月二日 保釈許可決定

一一月四日 釈放

昭和五三年六月六日 第八回公判・本件刑事判決宣告

六月二一日 本件刑事判決確定

2(一)  検察官は起訴時における証拠により犯罪の嫌疑が十分で有罪判決を得る見込みが存する場合にのみ公訴を提起する職務上の義務を負つているところ、起訴検察官は証拠資料の適正な評価と経験則の適用を誤り、合理的な根拠なく本件起訴をした。すなわち、原告は本件被疑事件において被疑事実を全面否認しており、本件起訴時において原告が有罪であるとする証拠資料は共犯者とされた訴外木済彰(以下、「木済」という。)の供述のみであつたが、右供述は他の証拠資料と比較検討すれば到底信用できないものであるから、起訴検察官が証拠資料を適正に評価し、経験則を適用すれば、木済の単独犯行と認定すべきであるにもかかわらず、補充捜査を十分に行なわず、原告と木済との共同犯行と認定して本件起訴に及んだ。

(二)  したがつて、本件起訴は、被告(国)の公権力の行使に当る公務員である起訴検察官の故意または過失による違法な起訴であるから、被告は原告に対し、国家賠償法第一条第一項に基づき、原告が本件起訴により被つた損害を賠償する責任がある。

3  原告は、本件起訴により、次の損害を被つた。

(一) 休業損害 金六八万三、九二八円

原告は、逮捕当時、訴外大恵産業株式会社(以下、「勤務会社」という。)に勤務しており、逮捕前三か月(昭和五二年三月ないし五月)の一日平均給与額は金五、四二八円であつたが、本件起訴により合計一二六日間休業せざるを得なくなつた。

(計算5,428円×126日=683,928円)

(二) 慰藉料 金三〇〇万円

原告は、本件起訴により、三七〇日間被告人としての地位に置かれ、抑留日数(逮捕・勾留日数)も一四二日間という長期に及んで、勤務会社や同僚社員からも疑惑の目を向けられたばかりか、公判審理の経過により無罪が明らかになつたにもかかわらず、検察官から懲役一年の求刑を受ける等被告人の立場にあつた者でなければ到底理解できない多大の精神的打撃を被つた。原告は終始無罪を主張していたものであり、本件被告事件の内容、本件起訴の事情等を総合すれば、右の精神的苦痛は、金三〇〇万円をもつて慰藉されるべきものである。

(三) 刑事弁護費用 金七〇万円

原告は、本件被告事件のため、弁護人として弁護士戸田孔功、同川口哲史を選任し、報酬(着手金および謝金)として右金額を支払つた。

(四) 弁護士費用 金六〇万円

原告は、本件損害賠償請求事件の訴訟代理を右両弁護士に委任し、着手金金三〇万円を支払い、報酬金金三〇万円を支払う旨約した。

(五) 損害の填補 金五六万八、〇〇〇円

本件被告事件につき、原告に対し刑事補償決定がなされ、被告より金五六万八、〇〇〇円が支払われた。

(六) 前記(一)ないし(四)の損害額の合計から(五)を控除すると、金四四一万五、九二八円となる。

4  よつて、原告は、被告に対し、前記損害金合計金四四一万五、九二八円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和五三年九月二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否並びに被告の主張

(認否)

1 請求原因1(一)(二)は認める。

2 同2(一)のうち、検察官が公訴提起について原告主張の職務上の義務を負つていることは認め、その余は否認ないし争う。(二)は争う。

3 同3のうち、(五)(損害の填補)は認め、その余は争う。

(被告の主張)

次のとおり、本件起訴が違法となるような事実関係は全く存せず、起訴検察官の判断は客観的にみて極めて合理的かつ妥当であり、本件起訴に何らの違法が存しないことは明白である。

1 本件起訴における公訴事実

本件起訴における公訴事実(以下、「本件公訴事実」という。)は左記のとおりである。

「被告人(原告)は、木済彰と共謀のうえ、自己が鹿島定吉(当五〇年)の娘悦子と同宿したことから、さきに被告人において、昭和五一年九月ころから同五二年六月一一日ころまでの間、公衆電話をもつて夜間数回に亘り右鹿島定吉に対し『俺に恥をかかせたな。暴力団を知つているんだ。手前ら一人二人殺すのは訳がない。娘を出せ。』等と申し向けて同人および家人に対し不安感を与えていたことに乗じて右鹿島定吉から金員を喝取しようと企て、昭和五二年六月一二日午後八時ころ、被告人において、公衆電話をもつて川崎市中原区苅宿五二四番地の右鹿島に対し『今晩午後九時半に白衣を着たうえ帽子をかぶり苅宿消防署前に現金二〇万円を持つて来い。』と語気鋭く申し向けて金員を要求し、もし、その要求に応じないときは同人並びに家族の生命身体にいかなる危害を加えるかもしれないと同人を困惑畏怖させ、よつて同人から現金二〇万円を交付させることとしてこれを喝取しようとしたが、同人が中原警察署へ申告し警察官に逮捕されたため目的を遂げなかつたものである。」

2 本件起訴に至るまでの捜査経過

(一) 神奈川県中原警察署は、昭和五二年六月一二日午後八時過ぎころ、訴外鹿島定吉(以下、「鹿島定吉」という。)から「かねてから西村という男に再三電話で脅迫されていたところ、本日午後七時五五分ころ、西村から再び電話があり、今夜午後九時三〇分ころ苅宿消防署前に現金二〇万円を持参するように要求された。」旨の申告を受け、直ちに同署警察官を川崎市中原区所在の苅宿消防署付近路上に張り込ませ、同日午後九時二五分ころ同所に金を受取りに現れた訴外弓崎能照(以下、「弓崎」という。)を恐喝未遂の現行犯人として逮捕し、次いで、同日午後一一時過ぎころ木済および訴外小島喜和(以下、「小島」という。)の両名をその共犯者としてそれぞれ緊急逮捕し、更に右三名の供述および鹿島定吉の供述により原告を本件被疑事件の共犯者と認め、同月一六日通常逮捕し、同月一八日地検川崎支部検察官に身柄付のまま送致した。

(二) 岩間副検事は、本件被疑事件の主任検察官として原告ら四名の被疑者につきそれぞれ勾留を請求し、地裁川崎支部裁判官の勾留状の発付を受けて勾留のうえ、右被疑者らおよび鹿島定吉ら関係人を取調べるなどして捜査を遂行し、原告について前記公訴事実のとおりの犯罪事実について嫌疑十分と認め、同年七月二日、木済とともに原告を恐喝未遂罪により勾留中のまま起訴した(なお、弓崎、小島の両名についても犯罪の嫌疑は認められたが、犯情軽微のため同日付をもつて起訴猶予処分にした。)。

3 公訴提起の適法性の判断基準について

およそ刑事事件について無罪判決が確定したからといつて、直ちに検察官の公訴提起に違法または故意過失があるとすることはできず、それが経験則、論理則に照らして、到底合理性を肯定することができないという程度に達していない限り、当該公訴提起は適法行為として国家賠償法による賠償の対象にならないというべきである。

すなわち、捜査の方法・範囲は当該捜査官の合理的範囲内における目的裁量に、また、収集された証拠の評価は当該捜査官の合理的範囲内における自由な心証にそれぞれ委ねられており、捜査においては、人的、物的、地域的な制約が存する他、逮捕、勾留等の強制処分については厳格な時間的制約が存するところ、検察官は、右の前提の下で、証拠資料等により犯罪の嫌疑が濃厚で、有罪判決が得られる可能性が合理的に認められる場合に起訴を決定するものである。また、刑事訴訟法における当事者主義および証拠能力の厳格な制限を訴訟の動的発展的性格と関連づけて考慮すれば、起訴時と公判終結時とでは、その判断の基礎となるべき証拠資料が必ずしも一致するものとは限らないし、証拠の評価ないしこれに基づく事実の認定過程は複雑困難であるうえ客観的画一的基準が存しないものであるから、検察官と裁判官の判断に相違が生ずることは否定できないが、その場合、それらの判断が漫然となされたものでなく、判断者の識見と信念とに基づいてなされたと認められる以上、相対立する判断の一方に違法または過失があるとすることはできない。

したがつて、検察官の起訴が、起訴時における犯罪の成否に関する諸証拠資料、諸事情を基として、前記の判断者の個人差を考慮したうえ、有罪判決が得られる可能性が合理的に認められる状況のもとになされたものであれば、それは当然に適法であり、かつ、過失がないものとされなければならない。

4 本件起訴の根拠

起訴検察官は、本件被疑事件につき、捜査段階において収集した関係人の供述、特に自らも取調べた鹿島定吉および木済の各供述により、原告に対する犯罪の嫌疑十分と認め、かつ、本件公訴事実につき有罪判決を得る見込みがあると判断して、原告を右木済とともに起訴したものであるが、その判断の基礎とした証拠資料等は次のとおりである。

(一) 鹿島定吉の供述およびその信用性を裏付ける証拠

(1) 鹿島定吉は起訴検察官および司法警察員に対し「昭和五一年九月ころから同五二年六月一一日までの間、夜間多数回に亘り、本件公訴事実記載のような脅迫電話をかけられたうえ、同月一二日夜には金銭持参要求の電話をかけられたが、右一連の電話は終始同一人物の声であつた。」旨および「その半ばころからは原告の声であることがはつきりわかつた。」旨を終始明確かつ断定的に供述していた。

(2) 訴外坂田なか(鹿島定吉の姉で、原告と鹿島定吉の娘悦子との問題に関与し、その後何者かからいやがらせの電話をかけられたことのある者。以下、「坂田」という。)も司法警察員に対し、「昭和五二年二、三月ころ、鹿島定吉から原告が執拗に家に電話をかけて悦子を誘い出そうとするので困まつていると聞かされた。」旨鹿島定吉の供述を裏付ける供述をしていること、鹿島定吉が昭和五一年七月原告と鹿島悦子とが旅館に宿泊したことで当時原告と面談し、更に同五二年三月中ころ鹿島定吉は原告の呼出しを受けて、娘の悦子の馘首問題で原告と面談したことが証拠上明らかであること、原告自身も起訴検察官および司法警察員に対し「脅迫電話ではないが鹿島定吉に電話をかけて話し合つたことがある。」旨供述していること等の証拠関係からすると、鹿島定吉は事件当時原告の肉声のみならず電話の声をも聞き分けることができたものと判断された。

(3) 鹿島定吉は起訴検察官に対し「原告から一連の脅迫電話があつた最中の昭和五二年三月半ばころ、原告から呼び出しを受け娘悦子とともに原告方に赴いたところ、原告から『今、会社で馘首になりそうな者が三人おり悦子さんもその一人だ。自分の口のきき方一つで馘首になるもならないも決まるがどうする。』旨おどかされ、その場はよろしく口添えを頼む旨依頼したが、原告は娘の馘首をおそれていた定吉に恩を着せて金を出させようとの意図であると感じたので、その後も引き続き原告から脅迫電話がかかつて来たとき、原告に『あなたはなんのために電話をかけてくるのか。』と言うと、原告はただ『俺からはそんなことは言えない。』と言つていたが、やはり原告が金銭目当てでいると判断した。」旨供述している。

この点につき、原告は起訴検察官らに対し「昭和五二年二月末ころ八木総務課長らから悦子を退職させる話が出たので、定吉を自宅に呼び寄せそのことを伝えただけのことである。」旨弁解していたが、訴外八木則敬(以下、「八木」という。)は司法警察員に対し「昭和五二年二、三月ころ、会社側には鹿島悦子を人員整理の対象者として退職させるという方針は全くなかつた。むしろ、同年二月末ころ、原告の方から青山常務や自分に『鹿島悦子は仕事の能率も悪く同じ職場の男に色目を使つたりして皆の仕事の邪魔になるので馘首にして欲しい。』旨申し出てきたが、会社側としてはこれに取り合わなかつた。」旨供述しており、八木の右供述により原告の右弁解が虚偽であることが明らかになるとともに、鹿島定吉の右供述により認められる同人に対する原告の右言動は、前記脅迫電話における電話主の言辞とも符合し、原告が鹿島定吉に対して金銭目当に脅迫する意図を有していたことを示す有力な証左であると判断され、鹿島定吉の前記供述の信憑性が確認された。

(二) 木済の供述

木済は、逮捕された当初から捜査官に対し「原告から鹿島定吉に対する金員喝取の意図を打ち明けられたうえその受領を依頼され、友人の弓崎および小島の両名を誘つて、原告に指示された日時場所で鹿島定吉から金員を受領しようとしたものである。」旨供述し、右依頼を受けた状況について「昭和五二年中ころ、会社の宴会の帰途、原告から『悦子と旅館に泊つたことが会社にばれたら自分が馘首になると思う。悦子をやめさせるうまい方法はないか考えてみてくれ。』と頼まれた。」「同年五月三〇日午後五時ころ、会社からの帰途、原告とともに大倉山駅前の飲食店に行つたとき原告から『鹿島のことで鹿島の家へ何回も電話をかけて脅してやつたところ、金で解決すると言つている。お前も俺と一緒になつておやじから金を取つてくれないか。後でキヤバレーに連れていつてやる。』と依頼されたので承諾した。」「その後、同年六月一〇日午後四時半ころ、会社の作業所で原告から『鹿島のおやじが一二日の夜九時三〇分に荏原製作所そばの消防署前に白衣を着て帽子をかぶつて金を持つて来るので受取りに行つてくれ。』と頼まれた。」旨繰り返し供述したが、その供述内容は終始変わらず一貫していた。また、前記供述中、原告から「悦子と旅館に泊つたことがばれたら自分が馘首になると思う。悦子をやめさせるうまい方法はないか考えてみてくれ。」旨頼まれたとの部分は、八木の供述するように、原告が八木らに対し鹿島悦子を馘首するよう求めていた事実と符合するものである。

(三) 弓崎および小島の供述

弓崎および小島は起訴検察官の取調べに対し「昭和五二年六月一二日午後五時過ぎころ、小島方で木済から『実は俺は会社の同僚の西村という者に頼まれて金を取りに行くことになつているが、一緒に行つてくれないか。』と言われて頼まれた。」旨供述し、本件金員受領行為が原告の依頼に基づくものであるとの木済の供述を間接的に裏付けている。

(四) その他の適法性を裏付ける事情

(1) 金銭持参時の被害者の目印は原告の着想による疑いが濃厚であつたこと

本件事件前に木済と鹿島定吉とが面識を有していた形跡はないのに対し、原告は昭和五一年七月ころと同五二年三月ころに鹿島定吉と会つていること、昭和五一年七月ころに原告と鹿島定吉とが会つた際同人は仕事で菓子を配達する時に着用している白衣を着て、古いソフト帽をかぶつていたことからすると原告が右目印を考えついた疑いが濃厚であつた。

(2) 原告は鹿島定吉方の電話番号を知つていたうえ、坂田方のそれも知つていた疑いが存すること

木済が鹿島定吉方の電話番号をかねてから知つていたと認めるに足りる証拠はなく、坂田についてはその存在も知らなかつたと考えられるのに対し、原告は鹿島定吉方へ数回電話したことがあり、坂田方を訪問したことがあつた。

(3) 木済は知能程度が低く同人の発想で本件事件のような知能的犯行をなしうるとは考えられないこと

木済は義務教育を修了しているものの特殊学級への編入すら考慮されたほど知能が低く、起訴検察官は取調べを通じ、木済の鈍重な応答態度、稚拙な言語などから、木済が原告と鹿島悦子との問題を察知し、これに藉口して金員を喝取することを企て、被害者に目印となる服装を指示するなど木目細かい措置を着想する能力はないとの心証を抱いた。これに対し、原告については、原告が通常人の能力を有していること、本件事件は原告と鹿島悦子とが同宿したことに端を発していること、右同宿の事実が露見した後、原告は鹿島悦子を退職させるべく策動し、更に昭和五二年三月中旬、同女の馘首問題につき鹿島定吉に対し「俺の口のきき方一つで馘首になるもならないも決まるがどうする。」などと暗に金員を要求しているとも受けとれる言動をしていることが認められることなどから、原告から犯行を使嗾された旨の木済の供述は細部に若干の誤りがあるとしても大筋において首肯するに十分であるとの心証を抱いたものである。

三  被告の主張に対する原告の反論

本件起訴は、次のとおり、証拠の矛盾、捜査の不足があり、到底適法な起訴であるとはいえない。

1  本件事件当夜、鹿島定吉方へ脅迫電話をかけた者が原告であるとした点について

(一) 起訴検察官は、鹿島定吉が終始脅迫電話の声の主が原告ではないかと考えていたところ、同人は最終的に声の主が「俺は西村だ。」と言つたためそれが原告であると判断しただけであるのに、右鹿島定吉の供述から原告が脅迫電話をかけたものと認定した。しかし、電話の声の主の右言動から直ちにそれが原告であると断定できないことは言うまでもなく、むしろ犯罪者が自ら名乗ることは不自然であり、起訴検察官はこの点を解明すべきであるにもかかわらず、原告および木済の肉声、電話による音声等について比較検討するための補充捜査をしなかつた。なお、公判廷において検証した結果、鹿島定吉は木済の声が脅迫電話の音声に間違いない旨証言した。

(二) 本件起訴時における証拠資料を総合すると、木済は昭和五二年六月一二日午後七時半前後に苅宿消防署前から電話をかけていること、同時刻ころ鹿島定吉方に脅迫電話があつたこと、木済は小島、弓崎に対し「俺と一緒に苅宿の三菱の近くに行き、そこから相手の家へ電話して持つてくるように言う。」旨話し、苅宿消防署前で電話をかけ終えた後、同人らに「今相手に電話をした。」旨言つていることが認められるところ、他方で木済は右電話先は喫茶店「絹」であると供述しており、明らかに右供述間に矛盾が存するにもかかわらず、起訴検察官は右矛盾に気づかなかつたため、補充捜査を行なつていない。この点につき、公判廷において、木済は電話先を「ラタン」と訂正し、服部という人物と待合せていた旨証言したが、服部は待合せの事実はないと供述し、喫茶店「絹」は「あぐ」と店名を変更し、「ラタン」に該当する店は「カルチエラタン」であることが弁護人の調査によつて判明し、そもそも木済のいう午後九時ないし一〇時に同店において待合せることが不可能であることが明らかになつた。

(三) 起訴検察官は、本件事件当日の原告の行動を知つていたと思われる原告の内妻水口幸江から事情聴取をしていないが、右水口を取調べれば、木済の供述に疑問を抱かざるを得なかつたはずである。

2  原告と木済との共謀の事実並びにその内容について

(一) 起訴検察官は「昭和五二年六月一〇日 原告から金を取りに行つて欲しいと頼まれた際、その日時場所は同月一二日午後九時半、苅宿消防署前であると言われた。」旨の木済の供述に基づいて右のとおり共謀日時、内容を認定したうえ、本件起訴をした。しかし、本件起訴時における証拠資料によれば、右六月一二日午後九時半という時刻は、同日午後七時半過ぎころになつてはじめて、鹿島定吉の一方的な都合によつて決まつたこと、二〇万円という金額並びに苅宿消防署前という場所も右同日になつて初めて決まつたことが認められ、木済の右供述とは明らかに矛盾しているにもかかわらず、起訴検察官は右矛盾に気づかず木済の供述を信用しており、証拠評価を誤つている。

(二) 本件事件当夜午後七時ころ、木済らは、小島方を出かけており、この点につき木済は「場所がわからないので下見をするため早いが午後七時半ころに出た。」旨供述するが、本件起訴時における証拠資料によれば、木済は苅宿消防署前から電話をした後、弓崎に対し「時間があるのでひまつぶしに行こう。」旨言つていること等の事実が認められるところ、起訴検察官は右矛盾に気づいていない。

(三) 本件起訴時における証拠資料によれば、木済は弓崎らに対し「持つてくるのは中年の男で、白衣を着て帽子をかぶつている。背中が少し小さくて中年のおつさんだ。」と話していることが認められるところ、木済は「鹿島定吉と会つたことはなく、原告からも鹿島定吉の風体を聞いていない。」旨供述しているが、起訴検察官は右矛盾に気づいていない。

第三証拠 <略>

理由

一  本件起訴並びに本件刑事判決について

1  請求原因1(一)(二)の事実は当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、本件公訴事実の要旨(第一回公判期日において訂正されたもの)は被告の主張1(本件起訴における公訴事実)のとおりであることが認められる。

2  また、<証拠略>によれば、本件刑事判決は、(一)鹿島定吉への一連の脅迫電話並びに金員要求の電話が原告のものでないことは明らかで、木済によるものであつた疑いが極めて濃厚であり、(二)原告が木済と本件犯行について共謀したと確信を抱かせるに足りる証拠はないとの理由により原告を無罪としたものであることが認められる。

二  本件起訴の違法性並びに起訴検察官の過失について

1  公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示に他ならないから、刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに違法となることはなく、起訴時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断をすれば有罪判決を得られるとの嫌疑がある限り適法である。そして、右にいう嫌疑とは、裁判所が訴因について有罪判決をする場合のように合理的な疑いをさしはさむ余地がない程度の心証までは要しないが、逮捕・勾留の要件である罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由程度の心証では足りず、適切に収集した証拠資料に基づく合理的な嫌疑を指すものである。

したがつて、検察官が事案の性質上当然なすべき捜査を怠るなど適切な証拠収集に努めず、不十分な証拠資料によつて安易に犯罪の嫌疑を認定したり、あるいは収集された証拠に対し合理性を肯定しえないような評価を下して事実を誤認するなど検察官としての職務上の権限を逸脱して、有罪判決を得る可能性が乏しいにもかかわらずこれを看過して公訴を提起するに至つた場合には、かかる起訴行為は違法であり、かつ、これにつき検察官には過失があると言わざるを得ない。

2  まず、本件起訴に至る捜査経過をみると、<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件被疑事件の捜査は、昭和五二年六月一二日午後八時過ぎころ、鹿島定吉が神奈川県中原警察署に来署し「今夜午後七時五五分ころ、以前より脅迫電話をかけてきていた原告から、今晩苅宿消防署前に現金二〇万円を持つて来いという電話があつたが、時間を午後九時半にして欲しい旨返答した。」と申し立てて保護を求めてきたことを端緒として開始された。

(二)  同署警察官が右指定場所に張込みをしていたところ、同日午後九時二五分ころ、金を受取りに現れた弓崎を恐喝未遂の現行犯人逮捕し、同人を取調べた結果、共犯者は木済、小島の二名であるとの供述を得た。更に、鹿島定吉の長男雅明から「午後一一時ころ、鹿島定吉方へ、午後一一時五分ころに指定場所へ鹿島定吉を来させるようにという電話があつた。」との通報を受けたので、同署警察官が右指定場所へ急行したところ、木済、小島の両名がいたので職務質問をすると、共犯者であることを自供したため、右両名を緊急逮捕した。そして、同月一六日、被疑者である木済、小島、弓崎の三名および被害者である鹿島定吉の各供述に基づき、原告を本件犯行の共犯者として通常逮捕した。

(三)  原告は、逮捕以来一貫して本件犯行を全面否認していたが、本件被疑事件の主任検察官であつた岩間副検事は、後記認定の証拠資料を総合して、小島、弓崎の両名を起訴猶予にし、同年七月二日、原告、木済の両名を匂留中のまま本件公訴事実により地裁川崎支部へ起訴した。

以上の事実が認められる。

3  本件起訴時の証拠状況についてみるに、<証拠略>によれば、本件起訴時において起訴検察官が収集していた証拠資料のうち、原告と本件犯行とを関係づける主なものは、鹿島定吉作成の被害届、鹿島定吉の司法警察員に対する供述調書(以下、「警察官調書」という。)一通および検察官に対する供述調書(以下、「検察官調書」という。)二通(以下、一括して「鹿島定吉の供述」という。以下、同様。)、小島喜和の警察官調書二通および検察官調書一通、弓崎能照の警察官調書二通および検察官調書一通、八木則敬、坂田なか、平川保三の警察官調書各一通、木済彰の警察官調書四通および検察官調書二通であることが認められる。

4  そこで、本件起訴の前記趣旨における合理性について検討する。

(一)  <証拠略>並びに前示認定事実を総合すれば、起訴検察官は前記3で認定した証拠資料に基づき、(1)原告において、鹿島定吉に対し、昭和五一年九月ころから同五二年六月一一日ころまでの間脅迫電話をかけ、かつ、同月一二日午後八時ころ金員要求の電話をかけた(実行行為)、(2)原告は、昭和五二年六月一〇日午後四時三〇分ころ、勤務会社の作業場において、木済と本件犯行について共謀した(共謀)と認定して起訴したが、刑事事件の審理において右二点が争われ、いずれも証明なしないしは証明不十分として無罪判決がなされたことが認められるところ、本件起訴の合理性について、右二点に分けて検討する。

(1) 原告が脅迫電話をかけたとする起訴検察官の認定について

<証拠略>によれば、鹿島定吉は若干の供述の変遷はあるものの昭和五二年六月一二日午後八時ころ同人方に原告から金を要求する電話がかかつてきた、そして、その大分前から頻繁に原告とおぼしき者からいやがらせないし脅迫電話がかかつてきたという点では概ね一致しており、とくに甲第一七号証(鹿島定吉の昭和五二年六月一八日付検察官に対する供述調書)によれば、同人は検察官に対して、「昭和五一年九月ころから男の声で脅迫電話がかかつてくるようになり、同年一一月ころからは毎週土曜日の夜かかるようになつた。当初はそれが誰であるかわからなかつたが、ずつと同じ声であつたので昭和五二年三月ころに原告であるとわかつた。脅迫電話の内容は酔払つたような声で『娘を出せ。俺に恥をかかせたな。』『俺は暴力団を知つている。手前ら一人、二人殺すのは訳がない。』等というものであつた。昭和五二年六月一一日午後一〇時ころにも原告から電話があり、その際電話をする目的を尋ねると、原告は『俺の方からは言えない。そんなことわかるだろう。』と言つたが、この時自分は原告が金目当てであることがはつきりとわかつた。翌一二日午後八時ころ、原告から電話があり、最初長男雅明が受け、途中で自分が替わつた。原告は『わかるだろう。』と繰り返していたが、自分は原告が金目当てで電話しているものと思つたので『何だ金か。いくら欲しい。二〇万か三〇万か。』と言うと、原告は『二〇万でいい。』と答えた。その時に自分が金の受渡しの日時場所を『当日午後九時半、苅宿消防署前』と指定した。その際原告は『他の者が行くから白衣を着て帽子をかぶつていろ。』と指示した。」旨供述していることが認められ、また、<証拠略>によれば、坂田なかは「昭和五二年二月か三月ころ、鹿島定吉から『原告がしつこく電話をかけてきて娘の悦子を誘い出そうとするので困まつている。』という話を聞き、土曜日の夜には悦子を自分の家に預かることにした。」旨鹿島定吉の供述内容を裏付ける供述をしていることが認められる。

ところで、<証拠略>によれば、木済は原告が脅迫電話をかけているとして、「昭和五二年五月三〇日ごろ、原告から『鹿島悦子のことで鹿島の家へ何回にも亘つて電話をかけてやつたら金を出すと言つている。』という話を聞いた。その後同年六月一〇日に原告から『鹿島の親父が六月一二日午後九時三〇分に荏原製作所のそばの消防署前に二〇万円を持つてくる。来る時には白衣を着て帽子をかぶつてくるので、金を受取りに行つてくれ。』と言われた。」旨供述し、その後「二〇万円という金額については六月一〇日に原告から聞いていない。金額については、六月一二日午後一一時ころ、鹿島方へ電話をした際、息子から鹿島定吉が二〇万円を指定場所へ持つて行つたという話を聞いて初めて知つた。」旨供述を訂正していることが認められる。

しかし、鹿島定吉、木済の右各供述は、原告が脅迫電話をかけたとする点で一致するようであるが、その供述内容を仔細に検討すると、昭和五二年六月一二日午後八時ころ原告が脅迫電話をかけたとする点について看過できない重大な矛盾ないし疑問点が存する。すなわち、鹿島定吉の供述によれば、要求金額、受渡しの日時場所は、昭和五二年六月一二日午後八時ころ原告がかけてきた電話の話の中で、鹿島定吉の申出によつて初めて決まつたことになるが、木済の供述によれば、木済が原告から指示を受けたとする同年五月三〇日以前に、原告と鹿島定吉との間で金の受渡しの日時場所が決まつていたか、少なくとも原告自身が右日時場所を指定しなければならないことになるからである。そして、鹿島定吉の右の点に関する供述は、受渡しの場所について当初は原告の方で指定したように供述し後に訂正しているが、金額、日時の点は終始一貫して自分で指定した旨供述しており、事件直後の被害者の供述であることからすれば、その供述内容は十分信用に値すると認められる。しかるに、<証拠略>によれば、木済は右六月一〇日以降原告と連絡をとつていない旨供述していることが認められるから、如何にして木済は金銭の受渡しの日時場所を知り得たのかが大きな疑問点とならざるを得ない(なお、<証拠略>によれば、取調警察官は、すでに昭和五二年六月二九日、木済に対し、「先に君に時間と場所を教えておいてその後に原告が鹿島の父親に時間と場所を指定するのはおかしいではないか」と質問していることが認められ、右の疑問点に気がついていたことをうかがわせる。)。

また、<証拠略>によれば、小島は「昭和五二年六月一二日、木済は自分の家で『友達に頼まれて金を取りに行く。一緒に苅宿の三菱の近くに行き、自分が相手の家に電話をして金を持つて来るように言うから、お前がその金を受取つてくれ。』と言つていた。同日午後七時ころ、木済、弓崎と自分の家を出て、苅宿消防署の前に行つたが、木済はそこにあつた公衆電話から相手の家に電話をかけ、『今、相手に電話したら、相手は午後九時半ころ苅宿消防署の前に白衣を着て帽子をかぶつた人が金を持つて来ると言つた。』旨自分と弓崎に話した。」旨供述していることが認められ、<証拠略>によれば、弓崎は「昭和五二年六月一二日午後七時半から八時ころに木済が公衆電話をかけた。どこにかけたか自分にはわからないが、木済は電話から戻ると『今夜九時半に苅宿消防署前に金を持つて来るから取つて来てくれ。』と話した。」旨供述していることが認められる。

小島、弓崎の右各供述によれば、木済が公衆電話をかけた日時と、鹿島定吉方へ金員要求の電話があつた日時とがほぼ符合することになり、電話をかけた後の木済の言動、並びに木済が如何にして金の受渡しの日時場所を知つたのかという前記疑問点とを合わせ考えれば、<証拠略>によれば、木済は右電話について「当夜待ち合わせをしていた服部という人に連絡をとるために喫茶店『絹』へ電話をした。」旨供述していることが認められるけれども、木済が昭和五二年六月一二日午後八時ころ鹿島定吉方へ金員要求の電話をかけた疑いが極めて強いと言わざるを得ない。

しかるに、起訴検察官は、服部なる人物や喫茶店「絹」について裏付捜査をせず、また、前示認定事実によれば、昭和五二年六月一二日午後八時ころの金員要求の電話の声と、同日午後一一時ころの木済の電話の声、並びに一連の脅迫電話の声を聞いていると認められる鹿島雅明(鹿島定吉の長男)を取調べることなく、前示認定をした。

たしかに、鹿島定吉は一連の脅迫電話並びに金員要求の電話の声は原告であると一貫して供述し、<証拠略>によれば、鹿島定吉は娘悦子の外泊の件、勤務会社の人員整理の件で原告と二回面談していることが認められるけれども、肉声と電話の音声とは必ずしも同質ではないから、鹿島定吉の供述をもつて直ちに電話の声が原告のものであるとは断定できないし(なお、<証拠略>によれば、鹿島定吉は、刑事事件の証人尋問において、受話器を用いて木済と原告の声を対照して聞いた結果、木済の声が本件犯行の電話の声であると証言していることが認められる。)、坂田なかの供述は鹿島定吉の伝聞供述にすぎないから、いずれも本件起訴時における証拠資料に存する前記矛盾ないし疑問点を解消し、あるいはこれを捨象して考えてよい程の強い証明力を有するものではない。

そうすると、前記矛盾ないし疑問点の存する以上、起訴検察官の脅迫電話に関する認定は合理性を欠くものと断ぜざるを得ない。

(2) 原告と木済との共謀に関する起訴検察官の認定について

<証拠略>によれば、木済は原告との本件犯行に関する共謀について、「すでに昭和五二年六月一〇日の段階で原告から『鹿島悦子の父親が六月一二日夜九時半に荏原製作所そばの消防署前に現金二〇万円を持つてくることになつている。悦子の父親は帽子をかぶつて白衣を着た男だから現金を受けとつて来い。』と言われた。」旨警察官に供述し、更に検察官に対しても、「昭和五二年五月中旬、勤務会社の社長の父親の米寿の祝が料理屋であつた折、その帰り道に原告から『鹿島悦子を旅館に誘つて関係をもつたが、悦子が会社にいると自然にばれてしまうので、悦子を会社から追い出したい、悦子を辞めさせるのを手伝つてくれ。』と相談されたのがきつかけであつた。その後同月三〇日午後五時過ぎに、大倉山駅前にあるいわた屋という一杯飲み屋において、原告から『鹿島悦子を辞めさせるといつて悦子の親父を何回も電話で脅迫したら、金で解決することになつたので一緒に鹿島の親父から金を取ろう。』と誘われ、承諾した。更に、同年六月一〇日午後四時半ころ、勤務会社作業所内において、原告から『鹿島の親父が六月一二日午後九時半に荏原製作所近くの消防署前に現金二〇万円を持つてくることになつている。悦子の父親は帽子をかぶつて白衣を着た男だから現金を受取つて来るように。自分は大倉山のパチンコ店に行つているから、受取つたらここへ来てくれ。』と言われ、これを承諾した。自分はこの時初めて鹿島定吉から現金二〇万円を取ることがわかつたが、自分としてはそれまでせいぜい二、三万円位にしか考えていなかつたので、この話を聞いた時は驚いてしまつた。」旨供述していたが、その後捜査官から鹿島定吉の供述との喰い違いを指摘されると、「昭和五二年六月一〇日原告から金の受取りを指示された時には、金額まで聞いていない。金額については、六月一二日午後一一時ころ、鹿島定吉方へ電話した際、息子の話を聞いて知つた。」旨供述内容を訂正していることが認められる。

また<証拠略>によれば、小島、弓崎はそれぞれ、「本件犯行前に木済が原告から頼まれて金を受取りに行くことになつていると話していた。」旨供述していることが認められ、前示認定のとおり鹿島定吉は原告が一連の脅迫電話並びに金員要求の電話をかけてきたと供述しており、右各供述は一応木済の右供述と符合していた。

しかし、前示認定のとおり、金額、金員の受渡しの日時場所は、昭和五二年六月一二日午後八時ころ鹿島定吉の指定によつて決まつたとみられるから、木済の六月一〇日の共謀に関する供述には重大な矛盾ないし疑問点が存するし、<証拠略>によれば、鹿島定吉は昭和五二年六月一一日夜に電話の相手が金目当であると考えて初めて金のことを話した旨供述していることが認められるが、前示認定のとおり木済は同年五月三〇日に原告が鹿島定吉から金を受取ることに決まつたと話した旨供述しており、この点の供述が符合しない。

また、<証拠略>を対比すれば、木済と小島、弓崎との本件犯行についての共謀について、木済は「同人らに対し、『原告が会社の女性に手を出したが、女の父親に電話をかけて金で解決することになつた。自分が金を受取りに行くのを手伝つてほしい。』と打明けた。」旨供述するのに対し、小島、弓崎は「木済から『勤務会社の同僚の原告から頼まれて金を取りに行く。』と言われたにとどまり、まともな金でないとわかつたけれども、金の趣旨については聞いていない。」旨供述していて右供述間に喰い違いが存することが認められるなど、木済の供述内容は、他の証拠資料と対照すると前示のとおり矛盾、喰い違いが少なからず存するうえ、その供述内容には自己弁護と責任転嫁の態度が強く窺われ、にわかに措信し難いと言わざるを得ない。

しかるに<証拠略>によれば、岩間副検事は前記木済、弓崎、小島、鹿島定吉の各供述の矛盾、喰い違いは、単にいずれかが勘違いをしたものと判断し、木済を再度取調べ、それまでの供述の確認並びに一部訂正(金額の点について)する供述を得て、これと前記証拠資料と総合したうえ、木済と原告とが昭和五二年六月一〇日に共謀に及んだと認定したことが認められる。

しかし、前示認定のとおり、木済の供述はにわかに信用し難いものであるし、電話の声が原告であるとの鹿島定吉の供述は同人の推断を述べたものにとどまり、また原告と木済との共謀を窺わせる小島、弓崎の供述は木済からの伝聞供述にすぎない。

したがつて、右各供述、とりわけ木済の供述を裏付ける証拠、例えば原告と木済とが本件犯行について相談ないし共謀をしたとされる日時(昭和五二年五月中旬、同月三〇日、同年六月一〇日)における原告の行動、右相談ないし共謀をしたとされる場所の状況、昭和五二年六月一二日の原告の行動、同日原告と木済とが待合せたとされるパチンコ店の状況等を捜査して得られる証拠がないままに、信用性に重大な疑問が存し、また矛盾ないし疑問点が少なからず存する右供述をはじめとする起訴時における前記証拠資料をもつて、原告と木済との共謀を認定した起訴検察官の認定は合理性を欠くものと言わざるを得ない。

(二)  <証拠略>並びに前示認定事実を合わせると、本件被疑事件の捜査は電話で脅迫された被害者の通報を端緒として開始され、共犯者とされる者が逮捕され、その供述に基づいて原告が逮捕されるという経過を辿つたが、原告は一貫して本件犯行を否認し、かつ、本件犯行は木済によるぬれぎぬである旨申述していたことが認められる。右捜査の経過からすると、本件被疑事件は電話による脅迫という直接犯人の姿を捉えられない犯行態様であるうえ、否認事件であつて、嫌疑の認定をするにあたつては共犯者の供述によるところが大きくならざるを得ない事情にあるから、起訴検察官としては、裏付捜査を尽し、共犯者とされる者とりわけ木済の供述の信憑性を十二分に吟味し、かつ、他の参考人の供述を検討して慎重に認定をする必要があつたと言わなければならない。

しかるに、<証拠略>並びに前示認定事実を合わせると、岩間副検事は原告と本件犯行を共謀した旨の木済の供述を最も重視し、これに脅迫電話の声が原告のものであるとの鹿島定吉の供述、弓崎、小島が木済の指示で本件犯行に加担した事実から、捜査当初より原告が本件犯行の主犯であると判断していたため、前示のとおり金の受渡しの日時場所の特定、脅迫電話および金員要求の電話をかけた人物の特定等に関し、木済の供述に供述調書を精査すれば直ちに発見できる重大な矛盾ないし疑問点を看過し、また、前説示の本件被疑事件の特徴にもかかわらず裏付捜査を十分になさないまま、安易に原告の嫌疑を認定したものと認められる。

(三)  そうすると、本件起訴は、起訴検察官が事案の性質上当然なすべき捜査を怠りかつ起訴時において収集された証拠資料に対し合理性を肯定しえないような評価を下して事実を誤認してなしたもので、前記趣旨における合理性を有するとはとうていいいえないから、本件起訴は違法であり、起訴検察官には起訴したことにつき過失があると言わざるを得ない。

5  そして、検察官の起訴行為が公権力の行使にあたることはいうまでもないから、被告は国家賠償法第一条第一項により、原告が本件起訴によつて被つた損害を賠償する責任がある。

三  損害

次に、本件起訴により原告が被つた損害について検討する。

1  休業損害 金六八万三、九二八円

前示認定事実によれば、原告は昭和五二年七月二日勾留中のまま本件起訴をされ、同年一一月四日保釈許可決定により釈放されるまで合計一二六日間起訴後の勾留による身柄拘束を受け、右期間中、勤務会社を休業せざるを得なくなつたものと認められる(なお、起訴前の勾留による休業は本件起訴とは相当因果関係がない。)。

そして、<証拠略>によれば、原告の本件起訴当時の一日平均給与額は金五、四二八円であることが認められるので、右休業による損害は金六八万三、九二八円と認めるのが相当である。

(計算 5,428円×126日=683,928円)

2  刑事弁護費用 金五〇万円

<証拠略>によれば、原告は本件被告事件の刑事弁護人として、原告ら訴訟代理人を選任し、その着手金、成功報酬として合金七〇万円を支払つたことが認められるところ、<証拠略>をあわせることによつて認められる右被告事件の公判の経過その他諸般の事情を考慮すると、金五〇万円が本件起訴と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

3  慰籍料 金一〇〇万円

<証拠略>並びに前示認定事実を合わせると、原告は昭和五二年七月二日から同年一一月四日まで一二六日間起訴後の勾留によつて身柄を拘束された他、昭和五三年六月二一日本件刑事判決が確定するまで約一年間被告人の地位に立たされ多大の肉体的精神的苦痛を受けたことが認められるから、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮したうえ、原告の慰籍料は金一〇〇万円が相当と認める。

4  損害の填補 金五六万八、〇〇〇円

原告が、本件被告事件に対する刑事補償金として、被告から金五六万八、〇〇〇円を受領したことは、当事者間に争いがない。

5  民事弁護士費用 金二〇万円

原告が本件訴訟代理人である弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任したことは、訴訟上明らかであるところ、事案の難易、請求額、認容額その他諸般の事情を考慮のうえ、原告が被告に対して請求しうる弁護士費用は金二〇万円をもつて相当と認める。

四  結論

よつて、原告の本訴請求は右損害1ないし3の合計から4を控除した金一六一万五、九二八円および5民事弁護士費用金二〇万円並びに右金一六一万五、九二八円に対する本訴状送達の日の翌日である昭和五三年九月二日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を各適用し、仮執行の宣言を付することは相当でないと考えるのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 小笠原昭夫 上村多平 小池裕)

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