横浜地方裁判所川崎支部 昭和56年(ワ)558号 判決 1991年4月25日
主文
一 被告は、原告上坂元正篤に対し、金一六七一万六九六五円原告持田喜美子に対し、金一六一六万六九六五円及び各原告に対し、右各金員に対する昭和五六年四月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを六分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
理由
【事 実】
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告上坂元正篤に対し、金一九四八万六七五八円、原告持田喜美子に対し、金一八九三万六七五八円及び各原告に対し、右各金員に対する昭和五六年四月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告上坂元正篤(以下「原告正篤」という)は、亡上坂元真澄(昭和五三年八月三〇日生まれ、以下「真澄」という)の父、原告持田喜美子(以下「原告喜美子」という)は、真澄の母である。
(二) 承継前の被告秋山静枝(以下「静枝」という)は、川崎市《番地略》において秋山内科小児科医院(以下「秋山医院」という)を開業している医師であつた。
2 症状及び治療の経過
(一) 真澄は、昭和五六年四月三日に秋山医院で静枝の診察を受け、その後、同月六日、同月一〇日から同月一五日まで毎日、同月一七日、同月二〇日、同月二一日に同医院に通院して静枝の診察を受けた。
(二) 同月三日時の真澄は、咳が少し出て、扁桃腺が腫れ、胸部にラッセル音が聴取された。静枝は上気道炎と診断したが、気管支炎等も頭に入れて診察し、抗生剤としてエリスロマイシンを三日分処方した。
(三) 同月六日、真澄の右肺については前後部とも、左肺については後部にラッセル音が聴取された。静枝は下気道炎の初期症状であると診断し、気管支炎を考慮してマドレキシンを二日分処方した。
(四) 同月八日は、原告喜美子が秋山医院へ行き、真澄の熱が上がつたり下がつたりの状態であると報告し、静枝はこれを聞いて、気管支炎に罹患していると診断した。
(五) 同月一〇日、真澄は三八度ちよつと熱があり、咳が多発し、同月六日と同様にラッセル音が聴取された。静枝は、肺炎に近い気管支炎であると考え、エリスロマイシンを三日分処方した。
(六) 同月一一日、真澄は熱が上がつたり下がつたりの状態で、咳が出ており、胸部に捻髪音が聴取された。静枝は、肺炎になりかけた細気管支炎であると診断し、注意を要する症状であると考え、ケフレックスを二日分処方した。
(七) 同月一三日もラッセル音が聴取され、咳があり、熱が高く、静枝は、真澄が完全に細気管支炎になつていると診断した。
(八) 翌一四日は、真澄の左肺後部の症状が少し良くなつており、静枝は、ケフレックスを一日分処方した。
(九) 翌一五日も、真澄の左肺後部の症状が少し良くなつていたが、左肺前部はまだラッセル音が残つており、ケフレックスを一日分処方した。
(一〇) 同月一七日、真澄は咳が強い状態であつた。静枝は、真澄の左肺前部の症状も少し良くなつていると診断し、エリスロマイシンを二日分処方した。
(一一) 同月二〇日、真澄は、夜間に強い咳と鼻汁が出て、特にベットの中で咳が強く出るという状態であり、胸部に笛声音、捻髪音が聴取された。静枝は、真澄の心臓が少し汚れており、細気管支炎であつてしかも同月一七日よりも病状が悪化していると診断し、再度ケフレックスを一日分処方した。
(一二) 同月二一日、真澄の右肺の前後部に捻髪音が聴取され、静枝は注意しなければならないと考え、ケフレックスを二日分処方した。
(一三) しかしながら、真澄は同月二二日午前一一時二〇分ころ、肺膿瘍及び膿胸を原因とする呼吸不全及び心不全により死亡した。
3 責任
(一)(1) 真澄の死に至る経緯は、まず肺炎を起こし、その炎症性変化が高度に進行し、右肺膿瘍、右膿胸を惹起し、肺機能の減退、停止をきたしたため、呼吸不全及び心不全となつて死亡したと考えるのが相当であり、右肺炎、肺膿瘍、膿胸の原因細菌は溶血性黄色ブドウ球菌と考えるのが相当である。
(2) 真澄が肺炎(細気管支炎を含む)に罹患しているか否か、当該肺炎が細菌性のものであるか否か、起炎菌がいかなる細菌であるか、膿瘍が発生しているか否かの各診断は治療行為に大きな影響を及ぼすものであつて、極めて重大である。
(3) 静枝は、初診日である昭和五六年四月三日には、気管支炎を念頭に入れて診察していたのであり、同月一〇日には肺炎に近い気管支炎との診断をし、翌一一日には肺炎の可能性を考え、しかも、抗生剤の投与によつて真澄の病状に変動があることから、細菌性のものである可能性があると認識しており、また、他の通院患者に黄色ブドウ球菌肺炎の患者がいたことからも、真澄の肺炎も、起炎菌が黄色ブドウ球菌であることは容易に認識し得る状態にあつた。したがつて、同月一一日から同月一三日の段階で、静枝が真澄につき、レントゲン撮影、血液検査、菌の培養・分離及び感受性(耐性)検査等の検査を実施していれば、肺炎の進行程度、細菌性肺炎であるか否か、その起炎菌及び抗生剤への耐性につて適確な判定・診断を行うことが可能であり、適切な抗生剤の投与、入院等を含む、より適切な治療行為が可能であつた筈である。
それにも拘わらず、静枝は、右のような検査等を全く実施せず、漫然と聴診等のみによる診察を継続したため、真澄が、黄色ブドウ球菌肺炎に罹患していることを看過し、後記のとおり、適切な抗生剤を選択することなく漫然と抗生剤を投与し、入院等を含む適切な治療行為を受けさせず、その結果、真澄を右肺膿瘍、右膿胸に至らしめて、死亡させたものである。
(4) 静枝は、同月一一日から一三日ころの段階で、細菌性肺炎の可能性を認識していた。細菌性肺炎の起炎菌としては当然黄色ブドウ球菌も考えられるのであり、ブドウ球菌肺炎には肺膿瘍、膿胸が多く伴うこともよく知られた事実である。よつて、静枝は真澄に肺膿瘍、膿胸が発生することは充分に予見し得た筈であり、これらの発生の有無を看過しないよう適時にレントゲン撮影等を実施すべき義務があつたにも拘わらず、これらの検査を行わなかつた。
更に、黄色ブドウ球菌による膿胸の進行が急激であることを考慮しても、死亡後、真澄の胸腔に九〇〇ミリリットルもの膿瘍が貯留されていたこと、右肺が板状となつて完全に萎縮していたこと等から、少なくとも真澄は、死亡時の二ないし三日前から、即ち昭和五六年四月二〇日午前中ころには、肺膿瘍が発生していたものと考えるべきである。しかも同月二一日の時点では、既にチアノーゼが出ている可能性も大きく、静枝も同月二〇日の段階で、真澄の心臓がやられているとの認識をもつていたのであり、また、真澄は生前に相当の高熱を出していた可能性も大きく、これらの兆候からすれば、静枝は、同月二一日の段階で直ちにレントゲン撮影をする等の措置をとつて、真澄の肺炎の進行程度、肺膿瘍の発生の有無について適確な把握、診断をなすべきであつた。
しかしながら、静枝はこのような措置をとることなく漫然と従来と同様の簡単な診察を行つたのみであつたため、真澄の肺膿瘍または膿胸の発生を看過し、真澄に適切な治療を受ける機会を逸しせしめ、もつて、真澄を死に至らしめたのである。
(5) 抗生剤の投与は、極めて慎重かつ適確な判断が要求されるところ、幼児の細菌性肺炎は場合によつては重大な経過を辿るのであり、特に、真澄は当時ブドウ球菌肺炎の可能性も否定し得ない状況にあつたのであり、このような幼児に対しては、当該肺炎の根治をみるまで適切な量、期間の抗生剤の投与が不可欠である。
それにも拘わらず、静枝は、同年四月一一日から同月一三日ころの段階で、真澄が細菌性肺炎に罹患していたと診断していながら、真澄に対し、同月一一日から一五日までの四日間はケフレックスを処方したものの、一応病状の改善がみられたということでその投与を中止し、同月一七日には、従来の処方においては効果のみられなかつた、また、黄色ブドウ球菌に対して何らの効果も存しないエリスロマイシンを処方し、真澄の細菌性肺炎を重篤化せしめ、同人を肺膿瘍、膿胸に至らしめたものである。
また、幼児に対する抗生剤の経口投与には限界も存するのであり、病状の如何によつては点滴等により大量にこれを投与するべき場合もある。静枝は遅くとも同月一三日には細菌性肺炎の可能性を認識し、また、同月二〇日には肺膿瘍の発生を懸念していたのであるから、遅くとも、エリスロマイシンの処方によつて病状が悪化して、再度ケフレックスを投与するに至つた同月二〇日の時点で、抗生剤の点滴による投与も検討すべきであつた。
しかしながら、静枝は病勢の適確な判断を誤り、抗生剤は一応同月二〇日から再びケフレックスに変えたものの、漫然と従来の経口投与を継続したため、真澄の肺炎、右肺膿瘍、右膿胸の進行を阻止しえずに、同人を死亡させたものである。
(二) 前記のとおり、同年四月一三日にはレントゲン撮影、血液検査、起炎菌の培養、耐性テスト等の検査が実施されるべきであつたのであり、秋山医院でこれらの検査を実施することが設備的に不可能であつたとすれば、静枝はその段階で、直ちに設備の整つた病院に真澄を転送すべきであつた。
また、幼児の細菌性肺炎、特にブドウ球菌肺炎においては、医学的知識に富んだ専門家の継続した状態観察が必要であり、その進行が、時に急激な場合もあることからも、これに即応し得る人的、物的施設を具備した病院への入院措置が必要となる。静枝は、遅くとも同年四月一三日には、真澄が細菌性肺炎に罹患していると診断していたのであるから、この時点において、直ちに入院の必要性を原告らに伝え、転送の措置をとるべきであつたにも拘わらず、これを行わなかつた。
更に、前記のとおり、同月二〇日ころには、既に右肺膿瘍は発生していたものと考えられ、静枝も、同月二〇日の段階で、肺膿瘍の発生を懸念し、また、真澄の心臓が衰弱していることを認識しているのであり、同日、翌二一日の段階で、相当に病状が悪いと認識していたのであるから、遅くとも同月二〇日の時点において、直ちに転送の措置をとるべきであつたにも拘わらず、これを懈怠した。
(三) 真澄は、昭和五六年四月三日から静枝の診療を受け、静枝と真澄(法定代理人原告ら)との間において、適確に真澄の病状を診断し、同人に対し適切な治療を行う旨の診療契約が締結された。また、静枝は、医師として、患者の病状を適確に診断し、適確な治療を行う義務がある。しかるに、静枝は、前記のとおり、過失により右契約上の義務及び医師としての義務を怠り真澄を死に至らしめた。
静枝は、本訴提起後の昭和六一年六月二七日に死亡し、被告がその相続人である。
よつて、被告には、静枝の右契約違反、または、不法行為に基づいて、後記の損害を賠償すべき義務がある。
4 損害
(一) 逸失利益 金一四四三万三五一七円
昭和六二年賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者全年齢平均の年間賃金は金二四七万七三〇〇円であり、生活費としてその三〇パーセントを控除し、一八歳から六七歳まで就労可能であるとして、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、真澄の逸失利益は、左記のとおり金一四四三万三五一七円となる。
(二四七万七三〇〇×〇・七)×(一九・一六一〇-一〇・八三七七)=一四四三万三五一七
原告らは、それぞれ右逸失利益の二分の一である金七二一万六七五八円の請求債権を相続した。
(二) 慰謝料 金二〇〇〇万円
真澄は、原告らの最初の子供として健康な生活を送つていたものであるが、静枝の杜撰な診療のため、僅か二歳で死亡するに至つたものであり、真澄の精神的損害に対する慰謝料としては、金二〇〇〇万円を下回ることはない。
原告らは、それぞれ右慰謝料の二分の一である金一〇〇〇万円の請求債権を相続した。
(三) 葬儀費用 金五〇万円
原告正篤は真澄の葬儀を行い、金五〇万円以上の費用を出費した。
(四) 弁護士費用
原告らは、原告ら訴訟代理人に対し、本件訴訟の遂行を委任し、着手金及び報酬を支払う旨約したが、これらのうち、原告正篤については金一七七万円、同喜美子については金一七二万円が、本件事故と相当因果関係のある損害である。
5 よつて、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償金として、原告正篤は金一九四八万六七五八円、同喜美子は金一八九三万六七五八円及びこれらに対する真澄死亡の日の後である昭和五六年四月二三日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1(一)及び(二)の各事実はいずれも認める。
2(一) 同2(一)の事実のうち、真澄は、昭和五六年四月三日から同月二一日まで、秋山医院に通院して静枝の診察を受けたことは認める。
(二) 同2(二)の事実は認める。
(三) 同2(三)の事実は認める(但し、ラッセル音が聴取されたのは、真澄の胸部の両背部、右前胸部中・下部である。)。
(四) 同2(四)、(五)、(六)の事実は認める。
(五) 同2(七)の事実は認める。なお、同日、真澄の左胸部、左背部に捻髪音が聴取された。
(六) 同2(八)、(九)の事実は認める。
(七) 同2(一〇)の事実のうち、同月一七日、静枝は、真澄の左肺前部の症状も少し良くなつていると診断し、エリスロマイシンを二日分処方したことは認め、その余は否認する。真澄は咳が残つていたが、咳が強い状態ではなかつた。
(八) 同2(一一)、(一二)の事実は認める。
(九) 同2(一三)の事実のうち、真澄が同月二二日午前一一時二〇分ころ死亡したことは認め、死因は否認する。
3(一) 同3(一)及び(二)は争う。
(二)(1) 真澄の疾病が、原告ら主張のとおり気管支炎から肺炎を続発し、更に膿胸が続発したものであるとしても、静枝は、昭和五六年四月一〇日の段階で、打診、聴診、全身症状の把握によつて、真澄が肺炎(厳密には細気管支炎)に罹患している可能性が高いと診断し、更に、同月一三日には同人が肺炎に罹患していることの診断をしていた。したがつて、この点についての検査は充分に行われていた。
(2) そもそも、静枝のような入院施設を持たない診療所の開業医にとつて、肺炎を当初診断した時点で、その起炎菌を特定するための検査を行うことは必須の義務ではない。当初、起炎菌を特定する検査を行い、起炎菌を固定し、それだけに対する療法を実施していたとすれば、かえつてマイナスであるとさえいえるのであり、患者の全身状態、症状の程度等を考え、その肺炎がウイルス性であるかマイコプラズマ肺炎か、細菌性肺炎かの区別をし、更に、細菌性肺炎である場合には、起炎菌について見当をつけ、さらに絞りをかけていくとの手法がとられるべきである。
(3) 仮に、同月一三日までにレントゲン撮影を行つたとしても、肺炎の存在が把握できたとは断定できず、もし肺炎の診断ができたとしても、その際なされるべき治療は、結局は適切な抗生剤の投与であつて、静枝の治療行為に何らの変更を及ぼすものではない。また、血液検査についても、その必要性は存しなかつたし、仮にこれを実施したとしても静枝の治療行為に変更を与える結果が出たとはいい難い。更に、菌の培養、分離、感受性の検査をしたとしても、必ず起炎菌を正確に発見することが可能なわけではない。
加えて、真澄の死につながつた肺膿瘍、膿胸を併発せしめた肺炎が、同月一三日ころに発症した肺炎と同一の起炎菌によるものとは必ずしも一概に断定できない。そして、同日以降真澄の左肺に発症していた肺炎は、その後良好となり、死亡時においてさえも軽度に近い中程度であつたのであり、真澄の死には連結していないのである。
したがつて、これらの検査を行わなかつたことと真澄の死亡との間には因果関係はなく静枝の検査義務の懈怠及び過失は存在しない。
(4) 更に、仮に、真澄が同月一三日ころ罹患した肺炎の起炎菌がスタフィロコッカスオーレス(黄色ブドウ球菌)であつたとしても、この細菌はケフレックスに対し耐性がなく、ケフレックスはまさに適切な抗生剤であつて、静枝は適切な抗生剤を投与しているのであり(なお、エリスロマイシンも黄色ブドウ球菌に対し感受性が強かつた)、この点についての過失も存在しない。
(5) また、同月三日以降同月二一日の診察までの間に、真澄が肺膿瘍に罹患したことを疑わせる臨床症状はなく、同人の全身状態からすると、同人が肺膿瘍を続発させたとしても、その時期は、同人の死のかなり短時間前であつただろうと推測される。したがつて仮にレントゲン撮影等の検査を行つたとしても、肺膿瘍の発病を発見できたかどうか極めて疑問であつたといわざるを得ず、これらを実施しなかつたことについて静枝に過失があるということはできない。
仮に、肺膿瘍が発症していたとしても、膿瘍自体は死亡の原因にはなり得ないといわれており、静枝が肺膿瘍を発見できなかつたことと真澄の死亡との間に因果関係は存在しない。
更に、肺膿瘍の治療は抗生剤を投与することであり、静枝は前記のとおり適切な抗生剤であるケフレックスを投与してきたのであるから、静枝には何らの過失も存在しない。
(6) 同様に、同月二一日の静枝の診察までの間に、真澄が膿胸に罹患したことを疑わせる臨床症状もなく、前記のとおり、肺膿瘍、膿胸は同月二二日の午前中に発症し、極めて電撃的に増悪の一途を辿つたとしか考えられない。したがつて、仮に、同月二一日までの間にレントゲン撮影等の検査を行つていたとしても、膿胸の発症を確知し得たかは極めて疑問であり、これらの検査を行わなかつたことが、膿胸の発症に関連して、静枝に過失があるとすることはできない。
また、真澄の症状を考えると、同月二一日までの間に排膿行為を行わなかつたことが過失であるとは到底いい難い。
(7) なお、抗生剤の大量投与については、副作用が認められるのであるから、従前、左肺の肺炎についてはケフレックスの経口投与で改善されており、しかも、前述のとおり同月二一日の診察時までに肺膿瘍、膿胸の発症を疑わせる症状が出ていなかつた以上、静枝のケフレックスの投与方法は誤つた処方ではない。
(8) あらゆる細菌性肺炎、ブドウ球菌肺炎について入院が必須であるということはできず、患者の状態からみて、当面入院によらずとも必要な治療手段が確保されれば、必ずしも入院は必要ではない。同月二一日の診察時の真澄の症状は、「右胸部、右背部の捻髪音やや粗大に聴取」というものであり、咳もなく、帰宅後もいつもより水分を摂取し、食欲も示し、熱も平熱の状態で、呼吸困難や顔色が悪くなるなどの症状も示さなかつたのであり、このような症状から考えると、同月二一日の診察時までの間に、真澄には、入院をさせて加療すべき症状は存在しなかつたし、入院を必要とするような容態の徴候もなかつた。したがつて、真澄に関して転送を指示すべき必要性があつたとはいい難く、静枝に転送指示の義務があつたとはいえない。
同月二二日の午前一〇時五〇分ころ、真澄の容態に変化が生じ、直ちに入院の必要性があつたことは明らかであるが、原告らから真澄の容態の急変を知らされた後、静枝は直ちに転送を指示し、病院の受入れのための連絡を行うなどしており、転送指示に欠けるところはない。
(9) また、前記のとおり、原告らの主張する検査実施義務は本件では存在せず、治療についても適切な抗生剤の投与を実施していたのであるから、静枝には、原告らが主張するような検査実施の必要性や治療の必要性を前提とした転送義務の懈怠は存在しない。
(10) なお、本件では静枝の転送義務は存在しないが、静枝は、原告らに対し、念のため同月一一日以降は来院の度に転送を指示していた。
4 同3(三)のうち、静枝と真澄との間で診療契約を締結したこと、静枝は、本訴提起後の昭和六一年六月二七日に死亡し、被告がその相続人であることは認め、その余は争う。
5 同4(一)及び(二)の事実は否認し、同4(三)及び(四)の事実は知らない。
6 請求原因5は争う。
三 抗弁
過失相殺
真澄のような幼児の場合、親権者たる原告らが、その表情や全身状態を常に見て何か異常がないか注意し、病状の変化を医師に報告しなければならない。そして、仮に、真澄が昭和五六年四月一一日以後に黄色ブドウ球菌を起炎菌とする肺炎に罹患し、その後、同月二二日に同人が死亡する一週間前から肺膿瘍、膿胸が発症していたとすれば、同人に三九度、四〇度位の高熱が生じていたり、チアノーゼが生じていた可能性が充分あつたにも拘わらず、原告らはこれを看過し、静枝に告知しなかつた。また、静枝が処方した薬をその指示どおりに服用させなかつた。したがつて、真澄の死亡に対して、原告らには重大な過失がある。
第三 証拠《略》
【理 由】
一 当事者
請求原因1(一)及び(二)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 症状及び治療の経過
1 請求原因2(一)の事実のうち、真澄が、昭和五六年四月三日から同月二一日まで、秋山医院に通院して静枝の診察を受けたこと、同2(二)、(三)(但し、ラッセル音が聴取された部位については除く)、(四)ないし(九)の各事実、同2(一〇)の事実のうち、同月一七日、静枝が、真澄の左肺前部の症状も少し良くなつていると診断し、エリスロマイシンを二日分処方したこと、同2(一一)、(一二)の各事実、同2(一三)の事実のうち、真澄が同月二二日午前一一時二〇分ころ死亡したことは当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実に、《証拠略》を総合すると、次の各事実が認められる。
(一) 昭和五六年四月三日、真澄は風邪ぎみであつたため、秋山医院へ行き、静枝の診察を受けたが、そのときの真澄は、咳が少し出て、扁桃腺が腫れ、胸部にラッセル音が聴取されるという状態であつた。そこで、静枝は上気道炎と診断したが、気管支炎も頭に入れて診察し、炎症止め、咳止め等の薬とともに、抗生剤としてエリスロマイシンを三日分処方した。
なお、そのころ、子供の気管支炎、肺炎、膿胸の例が非常に多かつた。
(二) 同月六日、真澄は秋山医院へ行つて診察を受けたところ、真澄の右肺の前後部、左肺の後部にラッセル音が聴取された。静枝は下気道炎の初期症状であると診断したが、同時に、気管支炎、肺炎、心臓のうつ血性心不全等の併発も考え、当時、肺炎に移行し、膿胸となつて死亡する例が多かつたことから、気管支炎の予防のために、細菌感染を防ぐ目的でマドレキシンを二日分処方した。なお、抗生剤をエリスロマイシンからマドレキシンに変えたのは、マドレキシンの方が効果があると考えたからであつた。
(三) 同月八日、原告喜美子が秋山医院へ薬を貰いに行き、その際同原告は、真澄は熱が出たり下がつたりの状態であると告げた。これを聞いて、静枝は、気管支炎になつていると判断したが、この日は真澄を診察していないことから、抗生剤は処方せず、熱さまし等の薬を処方した。
(四) 同月一〇日、真澄は三八度強の熱があり、咳が多発し、同月六日と同様にラッセル音が聴取された。静枝は、肺炎に近い細気管支炎であると考え、同月六日に処方したマドレキシンがあまり効いていないと判断し、また、真澄に下痢もなかつたことから、抗生剤をエリスロマイシンに戻し、これを三日分処方した。
(五) 翌一一日、真澄は熱が上がつたり下がつたりの状態で、咳が出ており、胸部に捻髪音が聴取された。静枝は、肺炎になりかけた細気管支炎であると診断し、注意を要すると考え、カルテの表紙に「すぐみる人」と記載した。そして、前日エリスロマイシンを処方したものの、真澄がこれを服用していないことと、エリスロマイシンが効かないのではないかと考えたことから、抗生剤をケフレックスに変え、二日分処方した。
なお、静枝は、真澄の場合は、細菌性の肺炎ではないかと予想していた。それは、同年二月ころから、秋山医院には黄色ブドウ球菌による患者が多く、真澄も、黄色ブドウ球菌による肺炎の可能性もあると考えられたからである。
(六) 同月一三日も、真澄の左肺の前後部に捻髪音が聴取され、咳があり、熱が高く、同月一一日よりも症状が悪くなつていた。静枝は、真澄が完全に細気管支炎になつていると診断した。
なお、このころ静枝は、真澄に付添つて来ていた原告喜美子に対し、真澄に氷の入つた冷たいジュースをたつぷり飲ませ、食べるものは、口の開く限り好きなものを充分に与え、なるべくカロリーの高いものを食べさせるようにとの指示をした。
(七) 翌一四日は、真澄の左肺後部の症状が少し良くなつているが、左肺前部はラッセル音が残つており、静枝は、ケフレックスを一日分処方した。
(八) 翌一五日も、前日と同様、左肺後部の症状は少し良くなつているが、左肺前部はまだラッセル音が残つており、ケフレックスを一日分処方した。
(九) 同月一七日、真澄は咳は強かつたが、左肺前部の症状も少し良くなつており、全身症状は割合と良かつた。そして、ケフレックスは高価薬であり、また、真澄の肺の症状が好転してきていたことから、静枝は、今回はエリスロマイシンを二日分処方した。その際、静枝は、原告喜美子に対し、寒さに気をつけることと、食事と飲物についての指示をした。
(一〇) 同月二〇日、真澄は、夜間に強い咳と鼻汁が出て、特にベッドの中で咳が強く出るという状態であり、胸部に笛声音、捻髪音が聴取された。静枝は、細気管支炎であつて、しかも気管支の細かいところまで炎症が進んでいて同月一七日よりも病状が悪化しており、また、心臓もあまり良くない状況であると診断し、再度ケフレックスを一日分処方した。なお、真澄は、同月一七日に処方された薬を服用していなかつた。
このころから、静枝は、真澄の肺に膿が発生しているかもしれないという懸念を持つていたが、人員不足から、レントゲン撮影は行わなかつた。
(一一) 同月二一日、真澄の右肺の前後部に捻髪音が聴取され、静枝はケフレックスを二日分処方した。そして、症状が悪くなつており、注意しなければならないと考え、原告喜美子に対し、真澄の具合が悪くなつたら電話するようにと告げて、自宅の電話番号を教えた。
(一二) 同年四月中ごろからは、真澄は食欲がなく、殆ど寝たままの生活であつたが、同月二一日は、秋山医院から帰宅すると、水分をたくさん欲しがり、夜は、ラーメンを食べたいと言い出し、御飯とラーメンを二、三口ほど食べ、更に、夜中には苺を七、八粒食べた。そして、同日は熱もなく、咳も止まつていたが、夜は殆ど眠れない状態であつた。翌二二日朝も、真澄の状態は変わらなかつたが、同日午前一〇時五〇分ころ、急に手を組んで震え出し、白目をむき、唇は紫色になつたため、原告正篤が直ちに静枝に電話をかけ、真澄の症状を伝えたところ、静枝は、稲田登戸共済病院へ真澄を連れて行くように指示した。そこで、同原告は救急車を呼び、真澄を同病院へ連れて行き、その途中に車中で、救急隊員により酸素吸入、心臓マッサージの処置が取られたが、同日午前一一時二〇分ころ、真澄は肺膿瘍及び膿胸を原因とする呼吸不全及び心不全により死亡した。
三 責任
1 《証拠略》を総合すると、次の各事実が認められる。
(一) 真澄の死亡当日である昭和五六年四月二二日午後六時二〇分より行われた解剖によると、同人の右胸腔内には約九〇〇ミリリットルの膿汁が貯溜しており、右胸壁内面に灰黄色膿苔が付着していた。右肺は、形が全く原形を留めず、腱状膜様に萎縮し、手掌大の薄い板状を呈しており、表面には膿苔が付着し、組織は肥厚し固くなつていた。また、左肺は、形態はほぼ正常に膨隆していたが、下葉には全体的に炎症性変化が認められ、気管支粘膜は充血し、気管支内及び主要気管支枝内には粘稠な血性の分泌液があつた。
(二) 真澄の胸腔より採取した膿汁について、細菌培養を行つたところ、溶血性黄色ブドウ球菌が認められた。ところで、細菌によつて抗生剤に対する感受性が異なるところ、本件の黄色ブドウ球菌の場合、ケフレックスは一番感受性のある抗生剤であつたが、エリスロマイシンに対しては感受性がなかつた。
2(一) 前記二2及び三1認定の各事実、《証拠略》を総合すると、真澄はまず黄色ブドウ球菌を起炎菌とする肺炎を起こし、その炎症性変化が高度に進行して、肺膿瘍、膿胸を惹起し、肺機能の減退、停止をきたしたため、呼吸不全及び心不全となつて死亡したものと考えられる。時間的経緯としては、昭和五六年四月三日の段階では上気道炎、同月六日には下気道炎となり、同月一〇日には細気管支炎となつて、肺炎の徴候がみられるのであり、肺膿瘍、膿胸の発症は、同月一六、一七日から同月一九、二〇日ころであつたと推測される。
なお、《証拠略》によると、幼児のブドウ球菌肺炎は、発生、進行が急激であることが認められるが、前記1(一)認定の、真澄の死亡時の右肺の状況、膿汁の貯溜の量などから考慮すると、少なくとも、真澄の死亡日の二、三日前には、肺膿瘍、膿胸が発症していたと考えざるを得ない。
また、被告は、真澄の死亡の原因となつた右肺の肺炎と当初発症した左肺の肺炎とは別のものである旨反論するが、確かに昭和五六年四月一七日ころ、外見上左肺の肺炎の症状は好転したと認められるものの、そのことによつて、当然に左肺の肺炎それ自体が治癒したとまではいえないのであり、やはり、左肺の肺炎と右肺の肺炎とは同じ細菌が原因で発症したものと考えるのが自然である。
(二)(1) そこで、本件において、静枝はどのような検査、治療を行うべきであつたかにつき検討するに、患者を診療する医師としては、患者の病状、その原因を正確に把握するために適切な検査を行つたうえで、病状に適した治療を行うべき義務がある。また、人的、物的設備が不十分であるため、自己の病院ではこのような検査、治療が不可能な場合には、転院の措置をとるべき義務があるというべきである。
(2) 《証拠略》によると、ブドウ球菌肺炎の診断方法として、レントゲン撮影、血液検査があり、治療方法として適切な抗生剤の投与があり、また、前記のとおり、幼児のブドウ球菌肺炎の進行は急激であることから、入院をしたうえで、経過観察、治療を行う必要があると認められる。
(3) 本件では、真澄に対し投薬を開始してから一週間が経過しても、症状が悪化の傾向にあり、昭和五六年四月一〇日ころには肺炎の徴候もみられ、同月一三日には完全な細気管支炎(肺炎)であると診断されたのであるから、静枝は、真澄の病状、その原因を把握するため、同月一一日ないしは同月一三日には血液検査、レントゲン撮影を行うべきであつたといわざるを得ない。そして、《証拠略》によると、秋山医院ではレントゲン設備はあるものの、人的要員の不足から、子供のレントゲン撮影を行うことが困難であつたと認められるのであるから、静枝は、そのころには、真澄を他の施設の整つた病院へ転院させる措置をとるべきであつたといわざるを得ない。
静枝は、右のような義務があつたにも拘わらず、検査、転院の措置を怠つたため、真澄の肺炎の症状及び起因炎を把握することができず、その結果、ケフレックスの投与により真澄の外見的な症状が好転したことを理由に、本件の起因炎には効果のないエルスロマイシンを投与し、更に、肺膿瘍、膿胸を予測できずに、入院のうえ適切な治療を行う機会を失い、その結果、真澄を死亡に至らしめたと認めざるを得ず、この点につき、静枝には、過失があつたものというべきである。
(4) なお、前記二2認定のとおり、確かに静枝は昭和五六年四月一一日から一五日まではケフレックスを投与しているが、エリスロマイシンを投与した同月一七日前後が前記のとおり肺膿瘍、膿胸の発症時期と考えられることから、右エリスロマイシンの投与が肺膿瘍、膿胸の発症に影響があつたと推認することができる。
また、《証拠略》によると、静枝は診察の際、原告喜美子に対し、具合が悪くなつたら大病院へ行くようにと告げていたことが認められるが、右程度の指示では、転院の時期、転院先等、内容的に転院の指示としては不充分なものであるといわざるを得ず、更に、前記のとおり、昭和五六年四月一一日から一三日ころには、転院の必要性があつたと認められるところ、静枝は、そのころ、原告らに対し直ちに転院するようにと指示していたとの事実については、これを認めるに足りる証拠はない。
3 よつて、その余の点について判断するまでもなく、静枝には不法行為責任が認められる。
四 損害
1 逸失利益
昭和五六年賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者全年齢平均の年間賃金は金一九五万五六〇〇円であり、生活費としてその三〇パーセントを控除し、一八歳から六七歳まで就労可能であるとして、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、真澄の逸失利益は、左記のとおり金一一三九万三九三一円となる。
(一九五万五六〇〇×〇・七)×(一九・一六一〇-一〇・八三七七)=一一三九万三九三一
原告らは、それぞれ右逸失利益の二分の一である金五六九万六九六五円の請求債権を相続したと認められる。
2 慰謝料
前記認定事実によると、本件における真澄の精神的損害に対する慰謝料としては、金一八〇〇万円が相当である。
原告らは、それぞれ右逸失利益の二分の一である金九〇〇万円の請求債権を相続したと認められる。
3 葬儀費用
《証拠略》によると、同原告は真澄のために葬儀を行つたことが認められ、本件不法行為と相当因果関係のある葬儀費用として、金五〇万円が相当である。
4 弁護士費用
弁論の全趣旨により、原告らは原告ら訴訟代理人に対し、本件訴訟の遂行を委任し、着手金及び報酬の支払いを約したことが認められ、右弁護士費用のうち本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告正篤については金一五二万円が、原告喜美子については金一四七万円が相当である。
5 過失相殺
真澄に、死亡する数日前から、三九度ないし四〇度位の高熱が生じていたり、チアノーゼが生じていたとの被告主張については、これを認めるに足りる証拠はない。また、《証拠略》によれば、昭和五六年四月一〇日及び同月一七日に、静枝が処方した薬を真澄は服用しなかつたが、原告喜美子は直後の受診日に静枝にその旨を告げ、静枝も右事実を了知していたことが認められるのであるから、右薬の不服用が、真澄の死亡に対して直ちに重大な影響を与えたとまでは解し難い。よつて、被告の過失相殺の主張は採用しない。
6 以上のとおりであるから、本訴請求のうち、被告に対し、原告正篤が金一六七一万六九六五円、原告喜美子が金一六一六万六九六五円及び原告両名が右各金員に対する不法行為の日の後である昭和五六年四月二三日から支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれをいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 根本 久)
裁判官 沼田 寛は転官につき、裁判官 八木貴美子は転補につき、いずれも署名押印することができない。
(裁判長裁判官 根本 久)