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横浜地方裁判所川崎支部 昭和62年(わ)47号 判決 1987年8月26日

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和五三年三月に大学を卒業し、川崎市内にある医療機械の製造販売会社に就職したが、教職への希望を抱いて、勤めの傍ら通信教育を受け、同五六年四月に、小学校の教員免許(二級普通免許)を取得し、同年五月からは、川崎市の臨時任用職員として、同市内の二、三の小学校で勤務し、その後教員の正式採用試験に合格して、同五九年四月川崎市川崎区《番地省略》所在の川崎市立甲野小学校において、特殊学級の担任教諭として、勤務していたものである。本件被害者であるA(昭和五三年五月一五日生・本件当時八歳)は、出生時から頭蓋狭窄症及び多指症で、生後まもなく前額部及び眼窩部等の頭蓋骨を摘出し、再編成縫合するという手術を受けたうえに、先天性の脳障害のため知恵遅れであり、同六〇年四月に小学校に入学する際には、知的には二歳、社会成熟度は三歳程度であって軽度の運動機能の障害もあることから、学校側が養護学校に入学することを勧めたものの、両親の強い希望により普通学級に通うことになり、甲野小学校に入学したが、授業の内容を理解することができず、かえって他の児童の授業を妨害したりするので、当初は実母の付添いを得てかろうじて普通学級で学んでいたものの、実母が妊娠により付き添えなくなった同年一一月ころから、国語と算数の授業時間は、被告人担任の特殊学級(通称X級と呼ぶ)に通級していたものである。ところで、被告人は、児童に対し、口で強く指導しても、言うことを聞かない場合には、本人の能力を伸ばすためには体罰もやむを得ないという考えから、本件被害児童を含め、自分の担任の児童達につき、顔を平手で殴打したり、手拳で臀部を殴打したりするなどの体罰を度々加えており、本件被害児童にも、同六一年五月ころから同年一一月ころにかけて、足ですねを蹴ったり、手で太股をつねったりするなどの体罰を一〇回以上にわたり加えたが、被害者の両親から、被害児童の太股にあざができていることで問い合わせが数回あったことで、以後は、被害者に体罰を加えることは避けていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年一月一九日から甲野小学校で開催される書初め展に備えて、自分が担任をする特殊学級の五名の児童(このうち、本件被害児童を含め三名が普通学級からの通級児童)に対し、右書初め展に出品する作品を書かせる練習を始めたが、本件被害児童である前記Aは、同月一七日を迎えても、一人だけこれが完成していなかったので、同日午前一〇時四〇分ころから、前記甲野小学校の校舎二階にあるX級の教室内において、被告人が「冬のひあびて元気な子 二年A」と書いた見本の上に白紙を乗せ、さらに右白紙に一つ一つの文字の始筆及び終筆のところに鉛筆で丸をつけて、これを右Aにフエルトペンで線結びさせる形で、清書をさせはじめたが、同日午前一一時四五分ころ、同児童が、被告人の指導するとおりに清書をしようとせず、また他の児童がカセットテープレコーダーから流れてくる音楽を聞いて歌を歌うのにつられ自分も歌い出して清書をしようとしないことで、同児についてだけ書初めの作品ができておらず、期限が迫っていたことで焦っていたことも手伝い、言うことを聞かない同児に対し立腹するとともに、最近同児を厳しく指導していないことで、同児が被告人を甘くみているようなので、この際厳しく指導すべきであると考え、右手拳で、被告人の右側に並んで座っている同児の右側頭部を手首を内側に巻き込む形で一回殴打し、続いて右手拳を前に突き出すような形で同児の左側頭部等を二、三回殴打する暴行を加え、よって、同児に左耳介後の頭皮下出血、左前頭頭蓋窩血腫、硬膜外血腫等の傷害を負わせ、同月一八日午後一一時八分ころ、川崎市川崎区桜木二丁目一番五号所在の川崎協同病院において、同児を硬膜外血腫により死亡させたものである。

(証拠の標目)《省略》

(補足説明)

弁護人は、被害児童の左前額部に皮下出血があり、この部位については、被告人が、殴打したという事実はないから、被告人の他に、この部位を殴打した者がいることは明らかであって、しかも左前額部への殴打によっても、被害児童の死因となった硬膜外血腫が生じる可能性があるから、被告人の殴打によって、右硬膜外血腫が生じたと認定することはできないと主張する。

そこで、検討するに、証人Bの当公判廷における供述及びB作成の鑑定書によれば、被害児童の外部及び内部所見で、本件死因の硬膜外血腫に結びつく暴行である殴打により生じたと認定できる創傷は、①左前額部の六・〇センチメートル×四・〇センチメートルの皮下出血②左耳介後部の六・五センチメートル×六・五センチメートルの皮下出血③前額を中心とした一八・〇センチメートル×一三・〇センチメートルの頭皮下、内出血④左側頭から右側頭に至る二〇・〇センチメートル×一〇・〇センチメートルの頭皮下、内出血である。また、証人C及び同Dの当公判廷における各供述、Cの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、Dの検察官及び司法警察員に対する各供述調書並びに押収してあるカルテ二枚によれば、被害児童は、昭和六二年一月一七日午後八時一五分ころ、川崎協同病院において医師の診察を受けた際には、①頭頂部からやや右よりにかけて、直径五、六センチメートル位の皮下血腫②左側頭部に直径三、四センチメートル位の皮下血腫③左耳の上あたりに直径一、二センチメートルの皮下出血があり、翌一八日午後五時五八分ころに、再び同病院で診察を受けた際には、①右側頭部から後頭部にかけ、手の平で覆える位の大きさの皮下血腫②左側頭部に、右側頭部よりも大きいと思われる皮下血腫③左側額部に皮下出血があったことが認められる。以上の事実によれば、被害児童の右側頭部及び左側頭部の皮下血腫は、時間の経過と共に除々に大きくなり、最後には一つにまとまったこと、左前額部から前頭部にかけての皮下出血は、被害児童が当初診断を受けた際には認められなかったこと、がそれぞれ認められる。

ところで、被告人は、捜査段階から、一貫して被害児童の右側頭部を一回、左耳の上後ろあたりあるいは左耳の後ろあたりを二、三回殴打したと供述している。しかしながら、前記認定のとおり、被害児童には、左耳上あたりの皮下出血のほか左側頭部にも皮下血腫があり、この二つの箇所は部位がずれており、従って、被告人が、被害児童の頭部、とりわけその左側に関する殴打箇所について供述しているところは、必ずしもそのまま信用することはできず、その表現においてかなりの誤差があると考えるべきである。

そして、関係各証拠によれば、被害児童は、被告人に殴打され、自宅に帰った直後から頭痛を訴えており、殴打された当日である昭和六二年一月一七日の午後一時ころから同日午後二時ころまでの間、母親の買物に同行して外出したことはあるが、その際誰かに殴打されたとか転倒して頭部を打ったということはなく、また、そのほか両親と一緒に病院に赴いたほかは、一人で外出したということもなく、従って、被害児童が、他の機会に殴打されたり転倒して頭部を打ったという事実は認められないこと、また、前記Dの証言によれば、打撃により皮下の深い位置に生じた出血が、時間をかけて、いわゆる青なじみ、すなわち皮下出血の様相を呈してくることがあると認められること、前記Bの証言によれば、被害児童の左前頭部の皮下出血及び頭皮下、内出血は、表面に著名な打撲傷、挫裂創がないことから手などの比較的軟らかい物で生じたもので、出血の範囲が左前額部から左前頭部にかけてかなり広い範囲にあるから、必ずしも左前額部そのものを殴打したとは限らず、髪の毛の生え際の部位でも起こり得ると認められること、被害児童は八歳の児童で頭部はそれほど大きくなく、左耳の上後ろあたりと左前額部の髪の毛の生え際とはさほどの距離がないこと等の事実を合わせ考慮すると、被告人は、被害児童の左前額部付近についても殴打したものであると認定することができる。

従って、被告人の判示認定の殴打により、被害児童の右側頭部に硬膜外血腫が生じ、死亡に至ったことは優に肯認することができ、弁護人の主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二〇五条一項に該当するところ、所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、小学校の教諭である被告人が、自らの担任する特殊学級に通級していた八歳の児童の頭部を数回殴打する暴行を加え、死亡させたという事案である。被告人は、被害児童に、書初め展に展示する予定の作品を書かせようと指導していた際に、同児がこれに従わなかったことに立腹すると同時に、同児に対し、強く指導することが必要であると考え本件犯行に及んだもので、純粋に教育的懲戒を加える目的で行ったものとは認められず、私的感情を加えたうえ、怒りにまかせて暴行を加えたもので、その動機に酌量の余地は認められない。また、判示のとおり、被告人は、被害児童についてのみ、書初め展の作品が完成していないことで相当焦っていた事実も認められるが、だからといって、被害児童に体罰まで加えて無理に書初めをやらせようとすることが、教育者として妥当でないことは明らかであって、この点につき酌量の余地がないことはいうまでももない。そして、被告人は、全く無抵抗で、そもそも抵抗する能力さえない被害児童に対し、右手拳で同児の右側頭部及び左側頭部付近を数回殴打する暴行を加えたもので、しかも同児の頭部にかなり大きな皮下出血及び頭皮下、内出血が生じていることに徴すれば、その程度は相当強いものであったと考えられ、暴行の態様は、極めて悪質であるといわなければならない。特に、被害児童は、頭蓋狭窄症により生後間もなく頭部に手術を受け、外見からも頭部が変形しており、また普通学級の担任からの引継ぎで、骨に異常があるので扱いに注意するよう言われていたことから、被告人は、被害児童の頭部に障害があり、頭部を殴打してはいけないことを十分に認識していながら、敢えて本件暴行に及んだもので、しかも、被告人は、被害児童の頭部を殴打した理由の一つとして、以前に被害児童の足などに体罰を加え、あざができたことで被害児童の両親から苦情を受けたことがあり、頭部なら、あざができても髪の毛で発見しにくいと思った旨供述していることをも考え合わせれば、被告人の本件暴行は、まさに教師にあるまじき行為であって、単に普通の児童の頭部を殴打したというものでなく、それ以上の強い危険性を有するものであり、極めて悪質かつ卑劣であるといわざるを得ない。また、被告人は、児童が、口で強く言っても、言うことを聞かない場合には、本人の能力を伸ばすために体罰もやむを得ないという考えを懐き被害児童を含め、自己の担任の児童達に、顔を平手で殴打したり、手拳で臀部を殴打するなどの体罰を度々加えており、このことで以前教頭や同僚の教師から、体罰を加えないよう注意されながら、これを改めようとせず遂に本件に及んだもので、教師としての被告人の考え方及び日常の児童に対する指導の仕方についても、問題が大きく、強い非難が加えられるべきである。被告人の暴行の結果、被害児童は、頭痛を訴え続け、遂には死亡するに至ったもので、その結果が重大であることはいうまでもなく、心身に障害を持った被害児童をこれまで懸命に育ててきた両親ら近親者としても、被告人を教育者として信頼し、被害児童を託したにも拘わらず、その託された教師の暴行により被害児童を喪ったという無念の情は、察するに余りがある。被害児童の両親は、現在においても、被告人の厳重な処罰を望んでおり、そのうえ、被告人は、被害者に対し、何ら慰謝の措置を講じていない。以上の諸事情を考慮すると、被告人の刑事責任はまことに重いといわなければならない。

しかしながら、一方、被告人は、教職に就くことを望み、民間会社に入社後、通信教育を受講して教員免許を取得し、本件甲野小学校においては、普通学級以上に教育的成果を得ることに著しい困難を伴うのみならず、ときには、その教育的活動に対する評価が必ずしも十分に与えられるとは限らない特殊学級を担任していたものであるが、各児童の指導につき、色々と教材を自作したりするなど懸命に努力をし、被害児童についても、鉛筆が持てるようになったり、一から一〇までの数唱及び五から一までの逆唱も一応できるように指導するなど、かなりの教育的成果を挙げていたこと、そして、前記のとおり、その動機に酌量の余地はないにしても、被告人の本件暴行は、右のような被告人の教師として熱心な面からなされたという面も認められること、生前被害児童を診察した医師において、頭部にCTスキャンを撮っていれば、出血を発見し、早期の手術により救命の可能性があったと考えられること、被告人は、現在本件犯行につき深く反省していること、被告人には前科前歴がないこと被告人は本件により懲戒免職処分となり、既に、社会的制裁を受けていること等被告人に有利に解すべき事情も認められる。

従って、以上の諸事情を総合考慮すると、被告人を主文掲記の刑に処するのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 畠山芳治 裁判官 沼田寛 若園敦雄)

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