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横浜地方裁判所川崎支部 昭和63年(ワ)668号 判決 1998年8月05日

二次訴訟原告

宮田福松

外一〇〇名

三次訴訟原告

土井貞夫

外九七名

四次訴訟原告

川崎留雄

外九五名

右原告ら訴訟代理人弁護士

矢島惣平

久保博道

加藤満生

鈴木繁次

木村和夫

猪狩庸祐

岩村智文

篠原義仁

西村隆雄

根本孔衛

岩橋宣隆

山田泰

同(四次訴訟のみ)

中村弘

飯田伸一

星山輝男

森田明

藤村耕造

武井共夫

同(三、四次訴訟のみ)

鈴木義仁

同(四次訴訟のみ)

山本英二

池田昭

原希世巳

牧浦義孝

大河内秀明

岡本秀雄

同(三、四次訴訟のみ)

間部俊明

村野光夫

滝本太郎

三竹厚行

同(四次訴訟のみ)

影山秀人

同(四次訴訟のみ)

南雲芳夫

同(四次訴訟のみ)

鈴木裕文

原告ら訴訟復代理人弁護士

藤田温久

三嶋健

渡辺登代美

高橋宏

栗山博史

菅野善夫

同(二、三次訴訟のみ)

中村弘

同(二次訴訟のみ)

鈴木義仁

同(二、三次訴訟のみ)

山本英二

同(二次訴訟のみ)

間部俊明

同(二、三次訴訟のみ)

影山秀人

同(二、三次訴訟のみ)

南雲芳夫

三木恵美子

山崎健一

杉本朗

折本和司

小村陽子

二ないし四次訴訟被告

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

二ないし四次訴訟被告

首都高速道路公団

右代表者理事長

三谷浩

右被告ら指定代理人

加藤裕

外七名

被告首都高速道路公団訴訟代理人弁護士

奥毅

被告国指定代理人

藤田柾

外二〇名

被告首都高速道路公団指定代理人

野口脩

外三名

主文

一  被告らは、連帯して、後記「認容額一覧」の「原告名」欄記載の原告らに対し、「認容額」欄記載の各金員及び右各金員に対する「遅延損害金起算日」欄記載の各日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  右原告らのその余の金員支払請求及び右原告らを除くその余の原告らの金員支払請求をいずれも棄却する。

三  別紙「差止原告目録」記載の原告らの差止請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、後記「認容額一覧」の「原告名」欄記載の原告らに生じた費用の七分の一を被告らの負担とし、被告らに生じた費用の二五分の三を右原告らの負担とし、その二五分の二一を右原告らを除くその余の原告らの負担とし、その余は各自の負担とする。

認容額一覧

原告番号

原告名

認容額

遅延損害金起算日

(二次訴訟)

2

田中久子

三五九万六六七〇円

平成九年一〇月二三日

4

福田金太郎

一四四万三四二〇円

平成二年一〇月二四日

10

井上義雄

一一七万六一二〇円

昭和五九年八月一一日

11

池上幸一

一四一万五七〇〇円

平成九年一〇月二三日

12

大山ツル子

二八二万五九五五円

平成五年二月一二日

17

古川日出夫

三九八万五七四〇万

平成九年一〇月二三日

23

髙坂秀

二九七万三二六七円

平成九年一〇月二三日

28

齋藤錬太郎

六二四万四四二五円

平成九年一〇月二三日

31

伊藤廣

一三九万八二七六円

平成九年一〇月二三日

85

水田節子

三九二万〇四〇〇円

平成九年一〇月二三日

100

森島ヨシ

三九二万〇四〇〇円

平成九年一〇月二三日

102

塩崎雪子

六六四万八八四〇円

平成九年一〇月二三日

103

秋元太一

一八九万四八六〇円

昭和五八年一二月二八日

(三次訴訟)

8

金末南

一一七万〇六七五円

平成元年六月一日

11

多木芳子

二九〇万四六六〇円

平成九年一〇月二三日

12

粕加屋サチ子

二九五万六六三五円

平成九年一〇月二三日

14

小野寺教子

五六七万三六九〇円

平成九年一〇月二三日

23

中島美惠子

二九三万三一七二円

平成九年一〇月二三日

39

小野タミ

二一三万〇三八一円

平成四年一一月二四日

41

五十嵐シゲ

四一三万三三四九円

平成九年一〇月二三日

42

内田信子

四七八万九一二五円

平成九年一〇月二三日

57

土田ヨシエ

五一七万八一九五円

平成九年一〇月二三日

65

十河タツ

五二九万四〇二五円

平成九年一〇月二三日

67

倭文ヨシ

二八〇万三六八〇円

平成三年一〇月七日

70

山田ふさ

六四〇万〇三五〇円

平成九年一〇月二三

71

孔福順

四九六万一八八〇円

平成九年一〇月二三

74

千金岳

三七三万六二六〇円

平成元年二月一八

78

朝倉志津子

三七二万四三八〇円

平成九年一〇月二三

102-1

寺坂淑子

九三万九二六二円

昭和六〇年四月二

102-2

寺坂正

四六万九六三一円

昭和六〇年四月二

102-3

寺坂照男

四六万九六三一円

昭和六〇年四月二

(四次訴訟)

3

太田トシ江

四三七万七七八〇円

平成九年一〇月二三

11

大野喜代寿

二〇〇万四七五〇円

平成九年一〇月二三

30

早瀬紀大

四四〇万五〇〇五円

平成三年一月九

32

佐藤阿つ子

二七九万一八〇〇円

平成五年五月三一

33

鈴木ヤエ子

二八二万三五七九円

平成九年一〇月二三

34

加覧軍吉

二五八万六三七五円

平成九年一〇月二三

35

館野あきえ

一三五万九二七〇円

平成九年一〇月二三

36

金子千代

八〇万一九〇〇円

平成四年一一月一四

39

仲澤忠

一九二万〇九九六円

平成九年一〇月二三

43

佐藤志津子

一七八万〇五一五円

平成九年一〇月二三

48

土屋ツル

三二三万九七七五円

平成九年一〇月二三

51

金福仙

五一五万一九六〇円

平成九年一〇月二三

57

申載分

四三七万九二六五円

平成九年一〇月二三

58

深澤登羊子

一九〇万五七五〇円

平成九年一〇月二三

64

浅川壽々代

一二三万四九二六円

平成九年一〇月二三

70

油井きみ

一六九万二九〇〇円

平成九年一〇月二三

76

曺徳順

四五四万八二五八円

平成九年一〇月二三

事実及び理由

第一章  当事者双方の請求等

第一  原告らの請求

一  被告らは、連帯して、別紙「道路一覧表」記載の道路を自動車の走行の用に供することにより排出する左の物質について、別紙「差止原告目録」記載の原告らの居住地において、左の数値を超える汚染となる排出をしてはならない。

物質 数値

1 二酸化窒素 一時間値の一日平均0.02ppm

2 浮遊粒子状物質 ① 一時間値の一日平均0.10mg/m3

(粒径一〇μ以下のもの) ② 一時間値0.20mg/m3

二  被告らは、連帯して、別紙「当事者目録」記載の原告らに対し、別紙「請求金額目録」の合計額欄記載の金員及びこれに対する同目録の遅延損害金起算日欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  被告らの本案前の抗弁

原告らの差止請求に係る訴えを却下する。

第二章  事案の概要

本件は、現在又は過去において、川崎市川崎区又は同市幸区(両区を併せて、以下「本件地域」という。また、川崎市内の地名については、以下「川崎市」を省略する。)に居住又は勤務し、公害健康被害補償法(以下「公健法」という。)に定める指定疾病(慢性気管支炎、肺気腫及び気管支ぜん息)の認定を受けた患者ら(以下「患者原告ら」という。)又は死亡した患者(以下「死亡患者」という。)の相続人らが原告となり、本件地域を走行する国道一号線、同一五号線、同一三二号線、同四〇九号線及び神奈川県道高速横浜羽田線(以下「横羽線」という。また、右五路線を併せて、以下「被告道路」という。)並びにこれと接続する神奈川県道及び川崎市道(両者を併せて、以下「関連道路」という。また、被告道路及び関連道路を併せて、以下「本件道路」という。)が自動車の走行の用に供されたことにより排出された大気汚染物質を原因とする健康被害を受け、また、受け続けているとして、国道一号線、同一五号線、同一三二号線及び同四〇九号線を設置・管理する被告国及び横羽線を設置・管理する被告首都高速道路公団(以下「被告公団」という。)に対し、「差止原告目録」記載の原告らの居住地に環境基準(二酸化窒素については旧環境基準)を超える二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の排出の差止めを請求するとともに、関連道路を設置・管理する神奈川県及び川崎市と被告らとの間に共同不法行為が成立すると主張し、損害賠償を請求する事案である(なお、平成八年一二月二五日、被告国及び被告公団とともに被告となっていた日本鋼管株式会社外一二社と原告らの間に訴訟上の和解が成立した。)。

第三章  争いのない事実及び明らかに争わないから自白したとみなされる事実(文中に証拠等の引用のないもの)並びに証拠及び弁論の全趣旨により認定した事実(文中に証拠等の引用のあるもの)

第一  当事者

一  原告ら

1 別紙「請求金額目録」記載の原告ら(ただし、二次訴訟原告番号一〇三ないし一〇八、三次訴訟原告番号一〇〇ないし一〇三の3、四次訴訟原告番号九九及び一〇〇記載の原告らを除く。)は、現在又は過去において、公健法に定める第一種地域である本件地域に居住又は勤務し、別冊「個人票」の認定関係欄記載のとおり、同法に定める指定疾病の認定を受けている患者である。

2 別紙「請求金額目録」記載の二次訴訟原告番号欄一〇三ないし一〇八、三次訴訟原告番号欄一〇二の1ないし一〇三の3及び四次訴訟原告番号欄九九、一〇〇記載の原告らは、過去において、本件地域に居住又は勤務し、別冊「個人票」の認定関係欄記載のとおり、同法に定める指定疾病の認定を受け、その後に死亡した患者らの相続人であり、それぞれ法定相続分又は遺産分割協議により別紙「請求金額目録」の備考欄記載の相続分にしたがって権利義務を承継した者である。

二  被告ら

1 被告国は、本件地域を走行する国道一号線、同一五号線、同一三二号線及び同四〇九号線を設置・管理し、これらを自動車の走行の用に供している者である(なお、右各道路の道路法上の管理者は、国道一号線、同一五号線及び同四〇九号線の川崎区旭町・千葉県木更津市永井作字鶴島前間が建設大臣、国道一三二号線及び同四〇九号線の右区間以外の区間が川崎市長である。)。

2 被告公団は、首都高速道路公団法に基づく特殊法人であり、道路整備特別措置法に基づき、横羽線の道路法上の管理者である神奈川県及び昭和四七年四月一日に政令都市に指定された以降の川崎市に代わってその権限を代行し、料金を徴収する有料道路として本件地域を走行する横羽線を設置・管理し、これを自動車の走行の用に供している者である。

第二  本件地域の概要

一   本件地域の地理(甲一一〇四、一一〇五の1、2、乙四〇一〜四〇三、四三二の1、2、丙一〇五、証人竹本雅俊)

本件地域を含む川崎市は、神奈川県の東部に位置し、北及び北東は多摩川を挟んで東京都、南東は東京湾、南西は鶴見川を挟んで横浜市に接する。なお、本件地域の面積は約四三〇〇ヘクタールである。また、本件地域は、昭和六〇年の人口が三三万一二六〇人、昭和四五年の人口密度が九四七六人/km2である。

二  本件地域の工場及び事業所の位置関係(乙四一一、四一二、四九六、五二三、五二四、丙一〇五、証人竹本雅俊)

いわゆる川崎臨海工業地帯は、川崎区内の夜光町、池上町、浅野町、浜町、南渡田町、白石町等のほか、川崎区内の浮島町、千鳥町、水江町、扇町、大川町、東扇島、扇島等の臨海埋立地に形成されている。日本鋼管株式会社等の事業所の所在地及び主要な生産品目は図表一のとおり、その位置関係は図表二のとおりであるが、本件地域においては、右事業所以外にも昭和六三年の事業所数は一二五六か所であり、大気汚染防止法の対象となる工場及び事業場も多数存在する。

第三  本件道路

一  本件道路の概要

本件道路の名称、起点・経由地・終点及び本件地域における幅員・実延長は別紙「道路一覧表」及び図表三のとおり、その位置関係は図表二のとおりである。国道一五号線、横羽線及び県道東京大師横浜線(以下「産業道路」という。)は、川崎区内において、国道一号線は、幸区内において、おおむね南北に縦断するのに対し、その他の本件道路は、本件地域において、おおむね東西に横断しており、本件地域において、産業道路周辺及びそこから臨海側を除き、本件道路が互いに近接する間隔は四〇〇ないし六〇〇mである(甲九一七、九一八)。

二  被告道路の建設・拡幅の経緯

1 国道一号線(甲五七四、五七五、七五一、九一八、九七三、丙一〇二、一〇三、一三八、一六三、一六八〜一七一、証人竹本雅俊)

(一) 旧国道一号線は、明治九年六月、太政官達第六〇号により国道として指定され、明治一八年二月、内務省告示第六号に基づき、東京・横浜港間の路線として指定され、大正七年から大正一四年までの間の京浜国道改修工事により多摩川以南が現国道一五号線のルートとなった上、東京都との境界の六郷橋と横浜市との境界の間が幅員一八mに拡幅されたが、その後、昭和二一年八月、幅員五〇mに拡幅する都市計画が決定された。その間、内務省は、京浜工業地帯の発展により旧国道一号線の自動車交通量が増加したため、昭和九年、東京・横浜間の国道を新設することを計画し、昭和一一年六月から新設工事に着工し、昭和二六年四月、幅員二三mの道路が完成し、旧国道三六号線として併用を開始した。その後、昭和二七年一二月、一級国道の路線を指定する政令により旧国道一号線が国道一五号線(第一京浜国道)に、旧国道三六号線が国道一号線(第二京浜国道)に改称された。

国道一号線は、当初高速車道部分が幅員一一mであり、その両側に低速車道部分があり、植樹帯もあったが、昭和三五年ころから植樹帯を撤去し、自転車専用道路部分を自動車専用車線に転用する拡幅工事が着工され、昭和三六年、高速車道部分が幅員一一mから幅員一八mへ拡幅された。

(二) 国道一号線は、遠藤町交差点において国道四〇九号線と、幸区内において県道川崎町田線と接続している。

2 国道一五号線(甲五七五、七五一、九一八、九七三、丙一〇二、一〇三、一六三、一六八、一七〇、一七三、証人竹本雅俊)

(一) 国道一五号線(第一京浜国道)は、前記のとおり、旧国道一号線として供用を開始し、昭和二七年一二月、旧国道一号線が国道一五号線に改称された。

国道一五号線は、昭和三七年四月、幅員一八mから幅員五〇mへの拡幅工事が着工され、昭和三八年四月、幅員五〇mへの拡幅が完成し、供用を開始した。ただし、池田一丁目と横浜市との境界の間は従来の幅員一八mのままである。

(二) 国道一五号線は、本件地域において、国道四〇九号線、同一三二号線、市道皐橋水江町線、県道扇町川崎停車場線、市道南幸町渡田線と順次接続している。

3 国道一三二号線(甲四六、五七〇、五七八、九一八、丙一〇二、一〇三、一六三、一九五、証人竹本雅俊)

(一) 国道一三二号線は、昭和二八年七月、県道川崎停車場塩浜線が国道川崎港線に区域決定され、その後、国道一三二号線に改称された。

国道一三二号線は、従来幅員5.5mないし17.8mであったが、昭和四〇年一〇月、台町・宮前町間の延長二六七三mが幅員15.2mないし17.8mから幅員二五ないし三六mへ拡幅されてから、昭和四六年六月、四谷上町内の延長三七〇mが幅員一六ないし20.5mから20.7ないし37.8mへ拡幅されるまで順次拡幅された。

(二) 国道一三二号線は、川崎港千鳥橋詰において、海底トンネルにより東扇島地区へ通じる川崎市管理の中央道路と、宮前町交差点において、県道川崎府中線と接続している。

4 国道四〇九号線(甲四六、五六九、五七〇、五七八、九一八、丙一〇二、一〇三、一六三、一九五、証人竹本雅俊)

(一) 国道四〇九号線は、県道大師河原幸線及び県道川崎府中線の一部が国道に認定された道路であるところ、県道大師河原幸線(旧県道川崎大師河原線)は、大正九年四月、路線認定され、従来幅員三m、国鉄ガード下の高さ二mであったが、昭和三四年、第一京浜国道・幸町二丁目間の延長五〇六mで幅員三mから幅員二〇m(車道13.5m)への拡幅工事が着工された。その後、昭和三五年四月、右路線認定を廃止し、新たに大師河原末広島・幸町間の延長九〇九四mが県道として区域決定され、昭和三八年二月、拡幅が完成し、また、浮島町においても、昭和三五年四月、県道に区域決定され、昭和三九年九月、全工事が完成した。その後、昭和四〇年一〇月、本町二丁目・東門前一丁目間の延長二〇九三mが幅員7.5mないし二五mから幅員二〇ないし二五mへ拡幅されてから、昭和四五年五月、上殿町耕地・東門前三丁目間の延長五五八mが幅員一八mから幅員二五mへ拡幅されるまで順次拡幅された。

県道大師河原幸線は、幸区幸町・川崎区浮島町間の県道であったが、昭和五六年、国道四〇九号線として路線指定され、昭和五九年、県道川崎港線へ改称され、その後、右県道及び県道川崎府中線の一部(幸区幸町・高津区溝口間)は、昭和六一年三月、国道四〇九号線として区域決定され、国道と県道の二重の性格を有することになった(なお、道路法一一条により国道に関する規定が適用される。)。

(二) 国道四〇九号線は、本件地域において、横羽線、産業道路、国道一五号線、同一号線及び県道川崎府中線と順次接続している。

5 高速横浜羽田空港線(甲五六九、五七八、九一八、一一九〇、丙一〇三、証人竹本雅俊)

(一) 高速横浜羽田空港線(横羽線)は、京浜間臨海地帯の自動車交通量の激増に対応して計画され、昭和三九年六月、東京都大田区羽田旭町・横浜市神奈川区千若町間の延長13.7Kmの都市計画が決定され、昭和四〇年二月から産業道路の工事と同時期に新設工事が着工され、昭和四三年七月、横浜市神奈川区神奈川通と川崎区浅田の間の、同年一一月、川崎区浅田と東京都大田区羽田旭町の間の供用がそれぞれ開始された。

(二) 横羽線は、自動車専用道路であり、本件地域において、産業道路上の高架構造で川崎区浅田・殿町間を走行し、大師(羽田からの流出及び羽田への流入)、浜川崎(羽田からの流出及び羽田への流入)及び浅田(横浜への流入及び横浜からの流出)のランプが設置されている。

三  関連道路の建設・拡幅の経緯

1 県道東京大師横浜線(甲五六九、五七〇、五七八、九一八、一一九〇、丙一六三、一七三、一九五、証人竹本雅俊)

(一) 県道東京大師横浜線(産業道路)は、大正九年四月、県道田島羽田線として路線認定され、従来幅員24.4mであったところ、昭和二一年八月、工場地帯との連絡交通に重点を置いて戦災復興計画に組み入れられ、幅員一〇〇mへの拡幅が計画されたが、昭和二六年四月、幅員四〇mに計画変更され、昭和三〇年三月、県道東京大師横浜線に改称された。その後、横羽線の新設にともない、昭和四〇年一〇月、横羽線の工事と同時期に浜町三丁目と鋼管通三丁目の間の延長五三七m(第五工区)及び浅田町二丁目内の延長四五六m(第四工区)が拡幅され、供用を開始し、昭和四二年二月、殿町一丁目・浅田町二丁目間の延長五五八三mが拡幅され、供用を開始した。

(二) 産業道路は、本件地域において、横羽線の高架下を通り、国道四〇九号線、同一三二号線、市道皐橋水江町線、県道扇町川崎停車場線、市道南幸町渡田線と順次接続している。また、横羽線の大師、浜川崎及び浅田の各ランプが産業道路上に設置されている。

2 県道川崎府中線(甲五六九、五七八、九一八、丙一〇二、一〇三)

(一) 県道川崎府中線(府中県道)は、大正九年四月、砂子町と上菅(東京都との境界)の間の県道として路線認定され、幅員7.5mであったところ、川崎駅北側の堀川町ガード下が混稚したため、昭和三六年度から川崎駅前と幸町一丁目の間の延長一九〇mの拡幅工事が着工され、昭和四〇年一一月、拡幅が完成し、堀川町ガード下が幅員一八m(車道部分一三m)に拡幅された。県道川崎府中線は、昭和六一年三月、幸区幸町・高津区溝口間が国道四〇九号線の一部に区域指定され、国道と県道の二つの性格を有し、県道固有の区間は川崎区宮本町・幸区幸町間である。

(二) 県道川崎府中線は、宮前町交差点において、国道一三二号線と、幸区幸町において、県道川崎港線と接続している。

3 県道扇町川崎停車場線(甲五七八、九一八、丙一六三、一七三)

(一) 県道扇町川崎停車場線(旧県道田島川崎停車場線)は、大正一二年四月、川崎停車場と渡田の間の県道として路線認定され、昭和二一年八月、戦災復興計画に組み入れられ、幅員三二mへ拡幅されたが、昭和三五年四月、右路線認定が廃止され、扇町と川崎駅前の間の延長四六二一mが県道扇町川崎停車場線として区域決定された。

(二) 県道扇町川崎停車場線は、浜町交差点において、産業道路及び横羽線と、新川通交差点において、国道一五号線と、境町交差点において、市道皐橋水江町線と接続している。

4 県道鶴見溝の口線(甲九一八)

県道鶴見溝の口線は、本件地域において、県道川崎町田線及び市道南幸町渡田線と接続している。

5 県道川崎町田線(甲九一八)

県道川崎町田線は、本件地域において、県道鶴見溝の口線、国道一号線及び市道南幸町渡田線と接続している。

6 市道皐橋水江町線(甲九一八、弁論の全趣旨)

(一) 市道皐橋水江町線は、昭和四二年六月、大師臨港地帯土地区画整理事業第一工区として池上新町と産業道路の間の、昭和四二年一〇月、右区画整理事業第二工区として産業道路と水江町の間の、昭和四七年七月、戦災復興土地区画整理事業第二工区として境町と藤崎の間の各拡幅を完成し、幅員二五mとなった。

(二) 市道皐橋水江町線は、池上新町交差点において、産業道路及び横羽線と、境町交差点において、県道扇町川崎停車場線と接続している。

7 市道南幸町渡田線(甲五六九、九一八、丙一六三、一七三)

(一) 市道南幸町渡田線は、戦前に地下道建設工事が着工されたが、戦時中に中絶され、昭和二一年八月、戦災復興計画に組み入れられ、昭和二七年一一月、地下道建設工事が再開され、約三年半で地下道が完成し、昭和三一年四月、延長三八五m、幅員二二mの右地下道(プール道路)の供用を開始した。

(二) 市道南幸町東渡田線は、元木町交差点において、国道一五号線と、川崎区鋼管通において、産業道路と接続している。

四  本件道路及び関連道路の自動車交通量(甲五四〇〜五五八、九一三、九三〇〜九三二、九四八の1、2〜九五五、甲一一〇九の1〜10)

本件道路の自動車交通量の経年推移(横羽線を除き一二時間値である。)は図表四のとおりである。

第四  環境行政

一  被告国における環境対策の概要

1 ばい煙の排出の規制に関する法律

ばい煙の排出の規制に関する法律(以下「ばい煙規制法」という。)は、昭和三七年六月、大気汚染に係る最初の立法として制定され、工場及び事業場からのばい煙の排出規制を図り、著しい大気汚染が発生している地域を規制の必要な地域として指定し、右地域内において、所定のばい煙発生施設を設置する場合には事前の届出を必要とし、ばい煙発生施設から排出されるばい煙の濃度が一定の基準を超える場合には同施設の構造改築等の措置を取るべきことを事業者に命ずる旨を規定した。同法の規制対象物質はすすその他の粉じんであり、各施設毎に排出基準が定められていたが、同時に亜硫酸ガス及び無水硫酸を対象とし、昭和三九年九月、第二次指定として二酸化窒素を対象とした。

2 公害対策基本法

昭和三〇年代以降において、経済の発展とともに都市化、工業化が進み、人口の都市集中化が進行したが、このような急激な経済的、社会的変動の過程において、次第に大気汚染や水質汚濁の影響が問題とされたため、政府の公害対策の基本方策を確立する目的で、昭和四一年一〇月の公害審議会の「公害に関する基本施策について」の答申に基づき、昭和四二年八月三日、公害対策基本法が制定され、同法においては、政府の公害被害者の救済に関する行政的措置を講ずべき旨が規定された(同法二一条二項)。なお、同法の制定により環境基準が設定された。

3 大気汚染防止法

(一) 大気汚染防止法は、昭和四三年六月、ばい煙規制法の廃止にともない制定され、亜硫酸ガス及び無水硫酸を一括した硫黄酸化物及びすすその他のばい塵を規制対象物質としたほか、自動車排出ガスを規制対象物質とした。また、硫黄酸化物について、K値規制方式(着地濃度の規制)の採用、指定地域の拡大、汚染の著しい地域についての特別排出基準の設置、高濃度汚染の発生した緊急時における措置の強化等を図った。

(二) 大気汚染防止法は、昭和四五年一二月、改正され、調和条項の削除、指定地域制の廃止、規制対象物質の拡大、都道府県の上乗せ基準・横出し基準制度の導入、直罰制度の導入、燃料規制制度の導入、粉じんの規制及び緊急時の措置の強化等が定められた。

(三) 大気汚染防止法施行令の一部は、昭和四六年六月、改正され、ばい煙中の規制対象有害物質の範囲が拡大され、窒素酸化物が加えられるとともに、自動車排出ガス中の有害物質としても窒素酸化物が加えられた。

(四) 浮遊粒子状物質については、道路を走行する自動車、特にディーゼル自動車の急激な増加により移動発生源からの浮遊粒子状物質が問題となったため、平成三年三月、従来ディーゼル車に対する黒煙規制のみであったものを粒子状物質及び黒煙の許容限度を設定、強化し、平成八年一月、車両総重量一二トン超のトラック、バスを除き、粒子状物質、黒煙の許容限度が強化されるなどの対策が講じられた。

4 自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法

(一) 昭和五〇年代前半、窒素酸化物による大気汚染の防止の観点から自動車からの窒素酸化物の排出規制が開始され、昭和五三年、二酸化窒素の環境基準が緩和された上、右環境基準の達成期限が昭和六〇年度とされた。その後、環境庁は、窒素酸化物対策検討会を設置し、その原因を検討した結果、二酸化窒素の環境基準の不達成の原因は自動車走行量が増大したこと、車両の耐久期間が伸びたことにより新規制適合車への代替が遅れたこと、車両のディーゼル化の進展(特に窒素酸化物の排出の多い直噴ディーゼル車の増加)等により一台あたりの排出量が増大したことを挙げ、昭和六〇年一二月、「大都市地域における窒素酸化物対策の中期展望」を取りまとめ、緊急の対策の必要を提言し、さらに、昭和六三年一二月、「窒素酸化物対策の新たな中期展望」(新中期展望)を取りまとめ、地域全体の自動車排出ガスの総量抑制、自動車交通量の抑制(特に都市部への自動車の乗り入れ抑制)及び低公害車の普及促進という窒素酸化物汚染の対策を提言した。

(二) 平成四年、「自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法」が制定され、自動車から排出される窒素酸化物による大気の汚染状況にかんがみ、その汚染の防止に関して国、地方公共団体、事業者及び国民の果たすべき責務並びに汚染が著しい特定の地域について、総量削減計画を策定し、かつ、特定の車種について規制を加える旨を規定した。なお、本件地域は汚染が著しい特定の地域に指定された。

二  環境基準

1 二酸化窒素

(一) 旧環境基準

二酸化窒素に係る環境基準は、昭和四八年五月八日、一時間値の一日平均値が0.02ppmであることと定められた。

(二) 新環境基準

二酸化窒素に係る環境基準は、昭和五三年七月一一日、一時間値の一日平均値が0.04から0.06ppmまでのゾーン内又はそれ以下であることと改定された。

2 浮遊粒子状物質

浮遊粒子状物質に係る環境基準は、昭和四七年一月一一日、連続する二四時間における一時間値の平均値が0.10mg/m3以下であることと定められた。

3 二酸化硫黄

(一) 旧環境基準

硫黄酸化物に係る環境基準は、昭和四四年二月一二日、以下のように定められた。

(1)① 年間を通じて、一時間値が0.2ppm以下である時間数が、総時間数に対し、九九%以上維持されること

② 年間を通じて、一時間値の一日平均値が0.1ppm以下である日数が、総日数に対し、七〇%以上維持されること

③ 年間を通じて、一時間値が0.1ppm以下である時間数が、総時間数に対し、八八%以上維持されること

(2) 年間を通じて、一時間値の平均値が0.05ppmを超えないこと

(3) いずれの地点においても、年間を通じて、緊急時の措置を必要とする程度の汚染の日数が、総日数に対し、その三%を超えず、かつ、連続して三日以上続かないこと

(二) 新環境基準

二酸化硫黄に係る環境基準は、昭和四八年五月八日、一時間値の一日平均値が0.04ppm以下であり、かつ、一時間値が0.1ppm以下であることと改定された。

三  神奈川県及び川崎市における環境対策の概要

1 神奈川県における規制

(一) 神奈川県は、昭和二六年一二月、神奈川県事業場公害防止条例を制定し、事業者の自主的な調査請求に基づき、公害についての必要な指導を行うことを中心としたが、昭和三四年四月、右条例の一部改正により公害発生のおそれのある機械の設置や作業について、事前の届出制を採用した。

その後、神奈川県は、昭和三九年三月、右条例の廃止とともに、「公害防止に関する条例」を制定し、規制の拡大、許可制度の導入、届出を要する範囲の拡大、公害の防止に関して行う命令・勧告等の範囲の拡大、罰則の強化等を規定した。

(二) 神奈川県は、昭和四六年三月、「良好な環境の確保に関する基本条例」を制定、施行するとともに、従来の条例を全面改正し、新たに神奈川県公害防止条例を制定し、同年九月から施行し、指定工場の設置許可制の採用、硫黄酸化物及びボイラーから排出される煤塵等の排出総量を規制する総量規制方式を導入した。

(三) 神奈川県は、昭和五三年三月、従来の条例を全面改正し、新たに神奈川県公害防止条例を制定し、同年九月から施行し、工場及び事業場の設置についての規制の充実強化を図るとともに、事業者の自覚を促し、工場内部における自主的な公害防止の機運を高揚させることとした。

2 川崎市における規制

(一) 川崎市は、昭和三五年一二月、神奈川県公害防止条例で除外した環境衛生面の公害を対象とした川崎市公害防止条例を制定した。

(二) その後、川崎市は、昭和四七年三月、新たな川崎市公害防止条例を制定し、独自の環境目標値を設定し、右目標を維持するため、地域の汚染負荷量を勘案して川崎市を三地域に区分し、地区毎に硫黄酸化物、窒素酸化物、煤じんについて許容排出量を設定し、右地区別許容排出総量が維持されるように工場等から排出される大気汚染物質の排出基準を規定した。

また、川崎市は、昭和四七年九月、右条例に基づき、硫黄酸化物、浮遊粒子状物質に係る環境目標値、地区別許容排出総量基準、排出基準及び使用燃料当たりの排出基準を設定し、昭和四九年一月、右条例に基づき、硫黄酸化物、煤じんに係る総量規制基準を、同年一〇月、二酸化窒素に係る目標値及び地区別許容排出総量基準を設定した。

(三) 川崎市環境影響評価に関する条例

川崎市は、昭和五一年一〇月四日、川崎市環境影響評価に関する条例を制定し、新たな開発行為に対する環境影響評価、既存の一定の施設に対する環境調査報告書による報告等を規定した。

四  公害健康被害補償制度

1 公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法

(一) 昭和四三年一〇月の中央公害対策審議会(以下「中公審」という。)の「公害に係る紛争の処理及び被害の救済の制度についての意見」の具申に基づき、昭和四四年一二月一五日、公害対策基本法に対応し、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(以下「救済法」という。)が制定され、一部が即日、残部が昭和四五年二月一日から施行された。

(二) 救済法は、事業活動その他の人の活動にともない相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁が生じたため、その影響による疾病の多発した場合において、当該疾病にかかった者に対し、医療費、医療手当及び介護手当の支給の措置を講ずることによりその者の健康被害の救済を図ることを目的とし(同法一条)、補償給付は、医療費、医療手当及び介護手当とされ(同法四条ないし九条)、これらに要する費用は、事業者が二分の一、国及び地方公共団体が二分の一の負担とされた(同法一〇条以下)。また、指定地域に係る大気の汚染の影響による疾病は慢性気管支炎、気管支ぜん息、ぜん息性気管支炎及び肺気腫並びにこれらの続発症と規定された(同法施行令一条)。なお、大師及び田島地区は救済法上の指定地域とされ、昭和四五年二月一日から支給を開始し、昭和四七年二月一日から中央保健所管内の東海道本線以東が指定地域に追加された。

2 公害健康被害補償法

(一) 中公審の答申

環境庁長官は、昭和四七年四月、中公審に対し、公害に関する費用負担は今後いかにあるべきか、また、環境汚染により生ずる損害賠償費用はいかに負担すべきかについて諮問し、これに対し、中公審は、昭和四八年四月五日、以下のとおり、「公害に係る健康被害損害賠償保障制度について」を答申した。

(1) 本制度は、その対象とする被害の発生が原因者の汚染原因物質の排出による環境汚染によるものであり、本来的にはその原因者と被害者との間の損害賠償として処理されるものについて、制度的解決を図ろうとするものである以上、基本的には民事責任を踏まえた損害賠償保障制度として構成すべきである。

(2) 非特異性疾患といわれる大気汚染系疾病(閉塞性呼吸器疾患)にあっては、多くの場合、個々に厳密な因果関係の証明を行うことはまず不可能である。したがって、このような特性を有する大気汚染系疾病を本制度の対象とするためには疫学を基礎として人口集団について、因果関係ありと判断される大気汚染地域にある指定疾病患者は一定の暴露要件を満たしていれば因果関係ありとし、指定地域、暴露要件及び指定疾病という三要件をもって、個々の患者について、大気の汚染との間に因果関係ありとみなすという制度上の取決めをせざるを得ない。

(3) 損害賠償の費用は、汚染原因者がその寄与度に応じて負担するのが原則である。しかし、大気汚染系疾病にあっては、個々の原因者の汚染原因物質の排出行為と大気の汚染又は疾病との因果関係を量的に、かつ、正確に証明することもまた不可能に近い。したがって、この場合においても、汚染原因物質の総排出量に対する個々の排出量又は汚染原因物質を含む原燃料の使用量の割合をもって、大気の汚染に対する寄与度とみなし、これをもって賠償を要する健康被害に対する寄与度とし、費用負担を求めるという制度的割切りが必要である。

(4) 非特異性疾患における補償費の給付水準は、公害裁判における判決にみられる水準、社会保険諸制度の水準等をふまえ、公害被害の特質、本制度における因果関係についての考え方、慰藉料的要素等を総合的に勘案し、結果的には全労働者の平均賃金と社会保険諸制度の給付水準の中間になるような給付額を設定することが適当である。

(二) 公健法の制定

右答申に基づき、同年一〇月五日、救済法が廃止されるとともに、公健法が制定され、昭和四九年九月一日から施行された。その補償給付は、療養の給付・療養費、障害補償費、遺族補償費、遺族補償一時金、児童補償手当、療養手当及び葬祭料とされた。なお、本件地域は、昭和四九年一一月三〇日、全地域が第一種地域に指定された。

(三) 公健法上の補償給付

(1) 療養の給付・療養費

療養の給付は、被認定者の指定疾病について、公害医療機関で現物給付として支給されるものであり、現物給付が困難であると認められる場合には療養の給付に代えて療養費が支給される。

(2) 障害補償費

一五歳以上の被認定者について、障害の程度(特級、一級、二級、三級)に応じて毎月支給される。なお、給付額は男女別年齢別の平均賃金の八〇%を基準額とし、労働能力の喪失に応じ、特級及び一級はその一〇〇%、二級はその五〇%、三級はその三〇%の割合で支給される。

(3) 遺族補償費

被認定者が指定疾病に起因して死亡した場合、一定範囲の遺族に対し、一定期間定期的に支給される。

(4) 遺族補償一時金

被認定者が指定疾病に起因して死亡した場合において、遺族補償費を受ける遺族がいないときは一定範囲の者に対して支給される。

(5) 児童補償手当

一五歳未満の被認定者について、その障害の程度に応じて、その者を養育している者に対して支給される。

(6) 療養手当

被認定者が指定疾病について、療養の給付を受けている場合に通院に要する交通費や入院に要する諸雑費等実費的な費用が病状の程度に応じて支給される。

(7) 葬祭料

被認定者が指定疾病に起因して死亡した場合に通常葬祭に要する費用として、埋葬を行う者に支給される。

(四) 公健法の改正

環境庁は、硫黄酸化物の減少等の大気汚染の態様の変化を踏まえ、昭和五八年一一月、中公審に対し、今後における公健法の第一種地域の在り方について諮問し、これに対し、中公審は、昭和六一年一〇月三〇日、答申し、これに基づき、昭和六二年、公害健康被害補償法の一部を改正する法律により公健法が改正され、これにともない同法施行令も改正され、昭和六三年三月一日、本件地域を含む第一種地域の指定が全て解除された。

3 公健法上の公害健康被害補償制度

(一) 認定の要件

慢性閉塞性呼吸器疾患を指定疾病とする第一種地域において、指定地域に該当すること、指定疾病に該当すること及び一定の居住又は勤務等の期間があること(暴露要件)の三要件をもって、個々の患者について大気の汚染との間に因果関係ありとみなしている。

(1) 指定地域(同法二条、旧施行令一条)

指定地域は、非特異的疾患関係の第一種地域と特異的疾患関係の第二種地域とに分けられ、前者は事業活動その他の人の活動にともない相当範囲にわたる著しい大気の汚染が生じ、その影響による疾病が多発している地域として政令で定める地域である(同法二条一項)。

(2) 指定疾病(同法二条、旧施行令一条)

第一種地域の指定疾病は、いわゆる指定四疾病すなわち慢性気管支炎、気管支ぜん息、ぜん息性気管支炎及び肺気腫の四疾病並びにその続発症である。

(3) 暴露要件(同法四条、旧施行令二条)

暴露要件は、申請の時に第一種地域の区域内に住所を有しているか一日のうち八時間以上の時間を過ごすことが常態であり、かつ、住所を有していた期間及び一日のうち八時間以上の時間を過ごすことが常態であった期間が一定期間以上であることであり、居住や勤務等の期間が連続していない場合についても、一定の要件の下に暴露要件を満たすものとする。

(二) 認定の手続

第一種地域内を管轄する都道府県知事等は、指定四疾病にかかっていると認められる者からの申請に基づき、申請者が暴露要件を満たしていれば、当該疾病が当該第一種地域における大気の汚染の影響によるものであるとの認定を行う(同法四条)。

(1) 認定の申請

認定を受けようとする者は、氏名、性別のほか、健康状態の概要、当該疾病について受けている療養の概要等、所要の事項を記載した申請書に戸籍抄本等や認定申請に係る疾患についての医師の診断書等の書類を添付し、認定権者である都道府県知事等に提出する(同法施行規則一条)。

(2) 認定の審査

認定申請書を受理した都道府県知事は、主治医の診断書に基づき、さらに申請書の当該疾病についての所要の医学的検査結果等に基づき審査を行い、認定要件を満たしていれば認定を行う。当該疾病にかかっていると認められるか否かについては、公害健康被害認定審査会の意見を聴いて行われる(同法四条)。

なお、公害健康被害認定審査会は、本制度における認定及び補償給付の支給等についての意見を述べるなどの事項を行わせるために、第一種地域等の全部又は一部をその区域に含む都道府県等に置かれ(同法四四条)、医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関して学識経験を有する者のうちから都道府県知事等が任命する一五人以内の委員をもって組織される(同法四五条)。

(三) 費用の種類と財源

(1) 補償給付費

補償給付費は、全額汚染原因者負担とし、硫黄酸化物を排出する事業者から徴収する汚染負荷量賦課金と移動発生源による汚染相当分について充てるもの(自動車重量税収の一部引当て)が財源である。

(2) 公害保健福祉事業費

公害保健福祉事業費の二分の一を汚染原因者負担、残りの二分の一を公費負担とし、公費負担分の半分(全体の四分の一)を国、残り半分(全体の四分の一)を都道府県又は政令指定都市が負担している。

(3) 給付関係事務費及び徴収関係事務費

給付関係事務費は、本制度が公的制度として実施されるという見地から全額公費負担とし、その二分の一を国、残り二分の一を都道府県又は政令指定都市が負担している。徴収関係事務費は、一部を国、残りを汚染原因者(ただし、移動発生源による分は含まれていない。)が負担している。

4 川崎市における公害健康被害補償制度

(一) 大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則

川崎市は、救済法の制定に先立ち、昭和四四年一二月二四日、「大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則」を制定し、昭和四五年一月一日から大師及び田島保健所管内を地域指定し、右管内の認定患者に対し、医療費の支給を開始した。

(二) 大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する規則

川崎市は、昭和四六年三月一一日、「大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する規則」を制定し、同年四月一日から中央保健所(現川崎保健所)管内を地域指定し、医療費及び医療手当の支給を開始した。

また、川崎市は、昭和四七年六月一日、右規則を改正し、幸区役所及び川崎区役所の所管区域の一部を地域指定した。

(三) 川崎市公害病認定患者死亡見舞金支払要綱

川崎市は、昭和四六年五月一日から「川崎市公害病認定患者死亡見舞金支払要綱」を施行し、死亡した救済法又は大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則の認定患者の遺族に対し、見舞金の支給を開始した。

(四) 川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例

川崎市は、昭和四八年二月一五日、川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例を制定し、遡及的に同年一月一日から以下の項目の支給を開始した。

(1) 療養生活補助費

公害認定患者のうち一五歳以上の者に対し、生活の安定を助長する目的で病状の程度に応じて支給される。

(2) 療養手当

公害認定患者のうち一五歳未満の者を養育している保護者に対し、その養育を助長する目的で支給される。

(3) 弔慰金

公害認定患者が死亡した場合、その遺族に対し、支給される。

(五) 川崎市公害健康被害補償条例

川崎市は、昭和四九年一〇月八日、川崎市公害健康被害補償条例を制定し、遡及的に同年九月一日から以下の項目の支給を開始した。

(1) 療養補償金

公健法及び右条例により市長が認定した者(以下「被認定者」という。)又はその者を養育している者が公健法による障害補償費又は児童補償手当を受けられない場合に支給される。

(2) 医療手当

被認定者が公健法による療養手当を受けられない場合に支給される。

(3) 遺族補償金

被認定者が死亡した場合、遺族に対し、支給される。

(4) その他の給付

公健法の適用外の一部地域について、同法による療養の給付・療養費、障害補償費、児童補償手当、療養手当及び葬祭料の支給の例により支給される。

(六) 川崎市公害健康被害補償事業のうちいわゆる過去分の補償に関する確認書及び財団法人川崎市公害対策協力財団公害健康被害補償事業実施要領

川崎市は、昭和四九年一一月一一日、「川崎市公害健康被害補償事業のうちいわゆる過去分の補償に関する確認書」及び「財団法人川崎市公害対策協力財団公害健康被害補償事業実施要領」を施行し、過去の損害に対する補償として以下の項目の支給を開始した。

(1) 補償一時金

救済法及び大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則に基づき、昭和四五年四月一日から昭和四九年八月三一日までの間、川崎市長から認定を受けた者(生存者)に対し、支給される。

(2) 遺族補償金

右期間に認定を受け、死亡した認定者の遺族に対し、支給される。

第四章  当事者の主張及び主要な争点

第一  当事者の主張

当事者の主張の骨子は以下のとおりである。

一  原告らの主張

1 本件道路からの大気汚染物質の排出量

問題となる大気汚染物質は二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄であり、本件地域における大気汚染は、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質が環境基準を超えるなど激甚であり、特に本件道路の沿道地域においては顕著であるところ、道路からの大気汚染物質の排出量は車種別自動車走行量(走行台Km)に車種別排出係数を乗じたものに道路延長を乗じて算出できるので、この方法でシミュレーションや自動車交通量調査に基づき、本件道路からの排出量を算出すると、本件道路は本件地域における大気汚染物質の発生源として圧倒的な規模を有している。

2 大気汚染物質の到達の状況

原告らの依頼による大気拡散シミュレーションに基づき本件道路の一般環境大気への大気汚染物質の到達状況を算出すると、その寄与率は窒素酸化物において半分以上であり、本件道路からの浮遊粒子状物質の到達も大きい。また、本件道路沿道の測定局とそれ以外の測定局の二酸化窒素の濃度の対比、右シミュレーション結果、距離減衰調査、沿道地域における実測調査等からすると、二酸化窒素において、本件道路の道路端から五〇mまでほとんど減衰せず、二〇〇mでようやく半減するから、ここまで高濃度の大気汚染が継続し、このような傾向は浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄においても同様である。

3 指定疾病の発症又は増悪の因果関係

(一) 大気汚染と指定疾病の発症又は増悪の因果関係

各種疫学知見、動物実験、人体負荷実験及び大気汚染と健康被害との関係の評価からすると、各大気汚染物質と指定疾病の発症又は増悪の間に因果関係が認められ、高濃度の各大気汚染物質が複合した本件地域の大気汚染が相加的又は相乗的に指定疾病の原因となっている。

(二) 原告らの個別的因果関係

原告らは本件地域の一般環境大気の中で生活しているから、本件道路からのものを含む大気汚染の影響を受けており、これが原告らの指定疾病を発症又は増悪させたことは明らかである。

4 被告らの責任

(一) 共同不法行為

本件道路は、その近接性、設置・供用・拡幅の同時期性、人的・主体的一体性、道路網の形成からみて社会通念上の一体性があり、特に横羽線と産業道路は構造・機能上の一体性等がある。したがって、被告らと神奈川県及び川崎市の間に共同不法行為が成立する。

(二) 営造物責任における違法性

本件道路は指定疾病を発症又は増悪させる大気汚染物質を排出しているところ、被告らは本件道路からの大気汚染物質の排出を防止する措置をほとんど取っていない。また、本件道路は地域住民の日常生活に必要不可欠な公益的有用性の高い道路ではなく、広域の輸送や京浜工業地帯の産業用輸送手段としての性格が強く、一部に偏った貢献をしている道路であるから、公共性の程度は低く、また、本件道路からの被害や害悪の広汎性、重大性も考慮すべきである。したがって、本件道路からの大気汚染物質の排出には違法性がある。

(三) 免責の抗弁への反論

(1) 予見可能性

昭和三〇年代半ばから既に自動車排出ガス中の窒素酸化物の健康被害を指摘する知見、調査があり、昭和三九年には二酸化窒素をばい煙規制法上の特定有害物質に指定しており、自動車排出ガスによる健康被害の発生は予見できた。

(2) 回避可能性

また、都市部の道路に対する種々の被害回避措置は、昭和四〇年代から既に研究、提案され、現にこのような措置が具体的に実施され、また、被害回避措置には道路の設置・管理者が有する権限でできる措置の他におよそ可能な措置全てを総合的に検討すべきであるから、被害回避措置を取ることは可能であり、自動車排出ガスによる健康被害の発生は回避できた。

5 原告らの損害

(1) 包括請求

原告らの被害は指定疾病を発症又は増悪したことによる総体としての被害であり、これらの被害全体を包括するものを損害として請求する。なお、補償給付の範囲内で治療費等の積極損害は発生していないから、これを除いて請求する。

(二) 補償給付の損益相殺への反論

補償給付は、社会保障的性格等損害賠償責任とは同一の事由にあるとはいえないし、また、原告らはこれを除いて請求しているから、損害額から損益相殺されるべきではなく、仮に損益相殺が認められるとしても、純粋慰藉料については、損益相殺されるべきではない。

(三) 和解金(解決金)の損益相殺への反論

和解金(解決金)は日本鋼管株式会社外一二社と原告らとの間の和解に基づくものであり、これらの企業の寄与した損害の賠償に関するものであり、被告らの寄与した損害の填補を目的としたものではないから、損益相殺されるべきではない。

6 差止請求

(一) 本案前の主張に対する反論

被告が専門的知識を有するにもかかわらず、請求の特定を専門的知識を有しない原告らに要求することは不合理であり、具体的数値を示す不作為の形態の差止請求は適法である。不作為命令の執行方法として将来の適当な処分又は間接強制が考えられるところ、将来の適当な処分で判決裁判所と執行裁判所の判断が異なるおそれはないし、間接強制が可能であることは明らかである。違反状態を測定、把握することは測定局の測定が実施されている現在の技術で不可能ではなく、道路直近の原告らの居住地における大気汚染物質の排出をもって、道路からの大気汚染物質の排出の違反状態を規定できる。したがって、原告らの差止請求は適法である。

(二) 本案の主張

本件地域において、二酸化窒素を中心とする大気汚染の状況は一向に改善されず、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質ともに環境基準を超える汚染状態が継続し、特に本件道路の沿道地域における大気汚染濃度は著しいところ、原告らの被害は拡大、進行しているから、本件道路からの一定の数値以上の大気汚染物質の排出を差し止める必要性がある。また、原告らの差止基準は科学的知見に基づく最低限の基準である。

二  被告らの主張

1 原告らの本件道路からの大気汚染物質の排出量の誤り

原告らの主張する排出量の算出は夜間交通量が年々増加する傾向に反した昼夜率の採用、自動車交通量の最も大きい数値を採用した横羽線の自動車交通量の採用、現在検討中である浮遊粒子状物質排出係数の採用に問題があり、本件道路からの排出量が過大に算出されている。

2 大気汚染の到達の状況に対する反論

原告らの依頼による大気拡散シミュレーションは排出量の推計、拡散パラメータ・初期拡散幅・有効煙源高等の設定に問題があり、過大な濃度計算値を算出し、実測濃度との検証も実施しておらず、川崎市の実施した大気拡散シミュレーションは計算結果と実測値との整合性が検証されており、より信用性が高い。川崎市の実施した大気拡散シミュレーションから算出すると、本件道路の大気汚染物質の到達の寄与率は低く、また、大気汚染は室内汚染、アレルゲン等と並ぶ因子の一つにすぎず、指定疾病の発症又は増悪への寄与度がほとんどないから、原告らの指定疾病の発症又は増悪との因果関係はない。また、本件道路から排出された窒素酸化物は本件道路の道路端から二〇mで急速に減衰し、一〇〇から一五〇mでバック・グラウンド濃度程度に減衰するから、本件道路から排出された窒素酸化物は一般環境大気にはほとんど到達しない。

3 指定疾病の発症又は増悪の因果関係に対する反論

(一) 大気汚染と指定疾病の発症又は増悪の因果関係の不存在

大気汚染に関する疫学調査の結果は必ずしも一定の傾向を示さず、統計学的にも関連性が認められないものも多い。また、疫学調査においては、喫煙等の撹乱因子の検討が必ずしも十分ではなく、大気汚染と疫病との関連性の正確さに疑問がある。動物実験においては、種差や実験方法に問題があり、その結果を人に適用することはできない。したがって、疫学調査の結果から大気汚染と指定疾病の発症又は増悪の因果関係を定量的に確定することはできない。

(二) 原告らの個別的因果関係の不存在

指定疾病を発症又は増悪させる因子には大気汚染以外にも喫煙、アトピー素因等があり、原告らが本件地域の一般環境大気の中で生活しているからといって、大気汚染と原告らの疾患との因果関係が認められるわけではなく、このような他因子の疑いがある場合には右因果関係が否定される。そして、原告らの一部には現に喫煙、アレルギー素因等があり、大気汚染以外のこれらの因子が原告らの指定疾病の発症又は増悪の原因となっている疑いがあり、これらの個別的な因果関係は認め難い。そもそも原告らが指定疾病に罹患しているか疑問がある。

4 被告らの責任の不存在

(一) 共同不法行為の不成立

本件道路が道路網を形成していることは通常の関係にすぎず、また、被告国と被告公団は全くの別法人であるから、共同不法行為で要求される強い関連共同性はなく、被告らと神奈川県及び川崎市の間に共同不法行為は成立しない。

(二) 営造物責任における違法性の不存在

本件道路の公共性は極めて高度であり、これによる利益は国民全体が享受しているものであるから、仮に道路を走行する自動車からの排出ガスにより沿道の住民に何らかの被害が生じ得るとしても、受忍限度の判断において、公共性は重視されるべきである。したがって、本件道路からの大気汚染物質の排出には違法性はない。

(三) 免責の抗弁

(1) 予見可能性の不存在

従来自動車排出ガスとして言及されていたのは一酸化炭素、鉛等であり、窒素酸化物が大気汚染物質として注目されるようになったのは昭和四五年の立正高校事件を契機としてであり、昭和四六年の大気汚染防止法施行令の改正により規制対象物質として窒素酸化物が指定されるまでは自動車排出ガス、特に二酸化窒素の指定疾病への影響について認識することができず、また、そのころにディーゼル排気微小粒子についての調査、報告もなく、指定疾病との関連も問題とされていなかった。したがって、被告らは免責されるべきである。

(2) 回避可能性の不存在

道路の設置・管理者には道路行政権、道路管理権等があるにすぎず、また、道路の供用の停止・廃止は大きな影響があり、その他の措置も社会的・財政的・技術的制約が大きいから、このような措置を取ることは不可能又は困難である。したがって、被告らは免責されるべきである。

5 弁済又は損益相殺の抗弁

(一) 補償給付

補償給付は、原告らの損害を填補する目的を有しているから、これを損害額から損益相殺すべきである。

(二) 和解金(解決金)

日本鋼管株式会社外一二社と原告らの間に成立した和解に基づく解決金は、その限度で原告らの健康被害に対する損害を填補しているから、弁済又は損益相殺の対象となり、原告らの被告らに対する損害額から控除されるべきである。

6 差止請求の不適法

原告らの差止請求は、すべきでない作為を特定していないこと、その実現のためには多数の方法があるところ、すべき作為を特定していないこと、審理の対象、範囲を不明確とし、適切、迅速な審理、判断を困難にすること、強制執行が可能な程度に一義的に特定していないことから請求として特定されておらず不適法である。また、被告ら及び執行裁判所において、刻々変化する大気汚染物質の数値及び発生源を測定、把握することは極めて困難であり、原告らの居住地における大気汚染物質の数値を認識することも極めて困難である。したがって、原告らの差止請求は不適法であり、却下を免れない。

第二  主要な争点

一  大気汚染の推移

1 大気汚染物質

2 本件地域における大気汚染の推移

(一) 窒素酸化物の実測値

(二) 浮遊粒子状物質の実測値

(三) 硫黄酸化物の実測値

二  本件道路からの大気汚染物質の排出

1 自動車排出ガスの排出機序

2 本件道路からの排出量

(一) 窒素酸化物

(二) 浮遊粒子状物質

(三) 硫黄酸化物

三  大気汚染物質の到達

1 大気拡散シミュレーション

(一) 本件地域を対象としたシミュレーションの実施

(二) シミュレーションの評価

2 浮遊粒子状物質の発生源割合

3 本件道路から一般環境大気への大気汚染物質の到達

(一) 窒素酸化物

(二) 浮遊粒子状物質

(三) 硫黄酸化物

4 沿道汚染

(一) 距離減衰調査

(二) 沿道地域における実測値

(三) 測定局の実測値の対比

5 本件道路から沿道地域への大気汚染物質の到達

(一) 窒素酸化物

(二) 浮遊粒子状物質

(三) 硫黄酸化物

四  指定疾病の概要

1 慢性気管支炎

2 肺気腫

3 気管支ぜん息

4 重要な病因

(一) 喫煙、アトピー素因等

(二) 大気汚染

五  疫学知見等

1 疫学総論

2 道路沿道における知見

3 一般環境大気における知見

4 動物実験

5 人体負荷実験

6 大気汚染と健康被害との関係についての評価

六  本件地域における大気汚染と指定疾病との関係

1 二酸化窒素

2 浮遊粒子状物質

3 二酸化硫黄

4 複合大気汚染

七  被告らの責任

1 共同不法行為

2 営造物責任

(一) 違法性の諸要素

(二) 公共性

(三) 被害防止に関する措置

3 免責の抗弁

(一) 予見可能性の不存在

(二) 回避可能性の不存在

八  原告らの損害

1 個別的因果関係

2 原告らの損害の範囲

(一) 補償給付の損益相殺

(二) 損害額の減額

3 被告らの分割責任

4 和解金(解決金)の損益相殺

九  差止請求

1 差止請求の適法性

2 差止めの本案の可否

第五章  大気汚染の推移

第一  大気汚染物質

一  大気汚染物質の種類

1 主要な大気汚染物質として挙げられるものは、硫黄酸化物(SOX)・二酸化硫黄(SO2)・窒素酸化物(NOX)・二酸化窒素(NO2)及び浮遊粒子状物質(SPM)である。

2 窒素酸化物(甲二六〇〇の1、2、乙一六八、四〇七、四六七、証人横山長之)

窒素酸化物は、主に化石燃料の燃焼の過程を通じて発生する。これらの発生源にはボイラー等の固定発生源に加えて、自動車等の移動発生源がある。なお、一般に発生源から大気中に放出される窒素酸化物のかなりの部分は一酸化窒素であり、残りが二酸化窒素であるが、これらの物質は反応性に富み、比較的短時間のうちに一酸化窒素が化学的に大気中のオゾンと反応して酸化し、二酸化窒素となり、その濃度比は初期の状態から通常二酸化窒素の増加する方向へ変化する。

3 浮遊粒子状物質(甲九八一、九八四、九八七、二六〇〇の1、2、乙一六八)

浮遊粒子状物質は、浮遊粉じん(SP)のうち粒径一〇μ以下のものをいい、沈降速度が小さく、大気中に比較的長時間滞留し、気道又は肺胞に沈着して呼吸器に影響を及ぼす。その発生源は、工場や事業場の煙突から出るもの、堆積場、コンベア、ふるい等から発生するもの、自動車の走行にともない発生するもの、風による土壌粒子の舞い上がり等の自然環境によるもの等のほか、硫黄酸化物、窒素酸化物等のガス状物質が大気中で他の物質と反応し、浮遊粒子状物質になるもの(二次生成粒子)もある。なお、浮遊粒子状物質は、拡散時間が一時間以上に及ぶ場合、粉じんの拡散中の重力落下により地表面への沈積・沈着、雨によるウォシュアウト等により大気中から除去されるものが増加する一方、大気中における二酸化硫黄、窒素酸化物等の粒子状ガス物質から二次生成される浮遊粒子状物質が増加するという特性がある。

4 硫黄酸化物(乙一六八)

二酸化硫黄は、主に燃料又は原材料中の硫黄分が燃焼により酸化して発生する。

二  全国における大気汚染の推移(乙一六八)

1 窒素酸化物

昭和四三年度から継続してザルツマン法により二酸化窒素濃度を測定している全国の一五測定局(ただし、昭和四三年度及び昭和四四年度は六局)における昭和四三年度から昭和五九年度までの間の二酸化窒素の年平均値の経年推移は図表五のとおりであり、昭和四八年度以前は増加傾向がみられたが、それ以降はおおむね横ばいの傾向にあり、一五測定局の単純平均値は0.025から0.028ppmの範囲内で推移している。

なお、既汚染地域以外の代表的な平野部における大気の状況を把握するため、全国八か所に設置されている国設環境大気測定所における測定結果によると、二酸化窒素の大気汚染がほとんどないと考えられる地域における濃度(バック・グラウンド濃度)は0.007ppm前後である。

2 浮遊粒子状物質

昭和四一年度から継続して光散乱法により浮遊粒子状物質又は浮遊粉じん濃度を測定している東京及び大阪の五測定局における昭和四一年度から昭和五九年度までの間の浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんの年平均値は図表六のとおりであり、その濃度は昭和四九年ころまでは減少傾向を示したが、その後は0.05から0.07mg/m3でおおむね横ばい傾向にある。

なお、二酸化窒素と同様の測定結果によると、浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんのバック・グラウンド濃度は0.02から0.03mg/m3程度である。

3 硫黄酸化物

昭和三二年度から昭和四二年度までの間の主要都市における二酸化鉛法による硫黄酸化物濃度の経年推移は図表七のとおりであり、その間、硫黄酸化物濃度はおおむね増加傾向にあり、昭和四〇年度から継続して溶液導電率法により二酸化硫黄濃度を測定している全国の一五測定局における昭和四〇年度から昭和五九年度までの間の二酸化硫黄の年平均値の経年推移は図表八のとおりであり、一五測定局の単純平均値は昭和四二年度の0.059ppmをピークに減少を続け、昭和五九年度は0.012ppmである。

なお、二酸化窒素と同様の測定結果によると、二酸化硫黄のバック・グラウンド濃度は0.005ppm前後である。

第二  本件地域における大気汚染の推移

一  川崎市内の大気汚染測定局の概要

1 環境汚染測定局における測定(甲九一二、一二四四〜一二五六)

川崎市内においては、昭和三一年に降下煤じん量の測定が、昭和三二年に二酸化鉛法による硫黄酸化物の測定がそれぞれ開始され、本件地域においては、昭和四〇年に川崎保健所(昭和四七年に川崎市公害監視センターへ移設)及び大師保健所において、昭和四二年に田島保健所において、昭和四六年に幸保健所(昭和四五年から二酸化鉛法による測定を実施)において、それぞれ環境大気汚染測定局(以下「一般局」という。)が設置され、連続自動測定器による硫黄酸化物の測定が開始され、昭和四二年に田島一般局において、昭和四六年一月に川崎一般局において、同年七月に幸一般局において、同年八月に大師一般局において、それぞれ自動計測器による一酸化窒素及び二酸化窒素の測定が開始され、昭和四九年から浮遊粉じんの補正濃度による浮遊粒子状物質の測定も開始され、順次測定項目が増加されて現在に至っている。

2 自動車排出ガス測定局における測定(甲九一二、一二四七〜一二五六)

本件地域においては、自動車排出ガス濃度の汚染状況を把握するため、昭和四七年八月に遠藤町において、同年一〇月に市役所前において、昭和四九年九月に新川通において、昭和五六年五月に池上において、それぞれ自動車排出ガス測定所(以下「自排局」という。)が一般局とは別に設置され、自動計測器による一酸化炭素、一酸化窒素及び二酸化窒素の測定が開始されて現在に至っている。なお、現在では川崎市内の自排局及び一般局合計一八測定局はテレメータ化により川崎市公害監視センターで集中管理されている。

3 測定局の位置関係(甲九一二、一二五六)

本件地域の一般局及び自排局の所在地及び本件道路との位置関係は以下のとおりである。

(一) 一般局 所在地 本件道路との位置関係

大師 大師保健所屋上 産業道路及び横羽線から五〇〇m

国道四〇九号線から五〇〇m

国道一三二号線から二五〇m

田島 田島保健所屋上 産業道路及び横羽線から四〇〇m

川崎 川崎市公害監視センター屋上国道一五号線及び同一三二号線から二〇〇m

幸 幸保健所屋上 国道一号線及び同四〇九号線から一〇〇m

(二) 自排局 所在地 本件道路との位置関係

池上 池上新田公園前 産業道路から一〇m

横羽線から一七m

新川通 川崎警察署敷地内 国道一五号線から8.5m

市役所前 川崎市役所敷地内 国道一五号線から一〇〇m

遠藤町 御幸小学校敷地内 国道一号線から二〇m

同四〇九号線から一八m

二  窒素酸化物の実測

1 窒素酸化物の測定方法(甲一二四五〜一二五六)

窒素酸化物の測定方法は、試料大気をザルツマン試薬(N―1ナフチル・エチレンジアミン二塩酸塩、スルファニル酸及び酢酸の混合溶液)に通じるとジアゾ化反応が起こり、液が赤紫色に発色するところ、この呈色度を吸光度法により測定し、二酸化窒素を定量するという吸光度法である。なお、一酸化窒素については、硫酸酸性の過マンガン酸カリウム溶液で酸化(酸化率約七〇%)し、二酸化窒素とした後、右吸光度法により測定している。

ザルツマン試薬を用いる吸光度法においては、昭和四八年五月から二酸化窒素の亜硝酸イオンへの変換係数(ザルツマン係数)として0.72が用いられていたが、環境庁は、昭和五三年七月、二酸化窒素の環境基準改訂の際、ザルツマン係数を0.84に改定したため、その間、川崎市はザルツマン係数を0.72、0.84と順次変更し、窒素酸化物濃度の公表においては、ザルツマン係数を0.72としたもの、ザルツマン係数を0.84としたもの及び従来の係数0.72を係数0.84に換算したものがある。

2 一般局における実測値

(一) 年平均値(甲九一二、九七四、一一九八、一二五〇、一八六五〜一八七三)

本件地域の一般局の昭和四三年から平成七年までの間の二酸化窒素の年平均値の経年推移は図表九及び一〇のとおりである(ザルツマン係数0.72及び0.84併記)。ただし、大師、川崎、幸及び中原一般局で流量計の流量が約二三から二四%不足し、昭和五三年から昭和五八年の間の実測値が正確でないことが同年に判明したため、右期間中の濃度については、田島一般局の数値のみを示す。また、大師及び幸一般局は昭和四七年からの、川崎一般局は昭和四六年からの経年推移である。なお、右事情は、以下の実測値においても同様である。

(二) 日平均値最高値(甲九一二、九二〇、九五七、九七四、一一九八、一二五〇、一二五四、一二五六、弁論の全趣旨)

本件地域の一般局の昭和四三年から平成七年までの間の二酸化窒素の日平均値最高値の経年推移は図表一〇及び一一のとおりである。

(三) 日平均値二%除外値(甲九一二、九七四、一一九八、一二三九、一二四〇、一二四七、一八五八〜一八七三)

本件地域の一般局の昭和四七年から平成二年までの間の二酸化窒素の日平均値二%除外値(年間九八%値)の経年推移は図表一〇及び一二のとおりである。

(四) 日平均値濃度別出現頻度(甲九一二、九二〇、九五七、九七四、一一九八、一二四〇、一二五四、一二五六、一八五八〜一八六〇、一八六八〜一八七三、弁論の全趣旨)

本件地域の一般局の昭和四七年から昭和五二年までの間の二酸化窒素の旧環境基準日平均値0.02ppmを超えた日の出現率(ザルツマン係数0.72)、昭和五三年から平成元年までの間の0.04ppmを超えた日の出現率、現行環境基準下限値0.04ppm、上限値0.06ppmを超えた日の出現率及び0.04ppm以上0.06ppm以下の日の出現率(ザルツマン係数0.84)の経年推移は図表一〇及び一三のとおりである。

3 自排局における実測値

(一) 年平均値(甲九一二、九二〇、九三九〜九四七、九五六〜九五九、九七四、一一九八、一二四〇、一八六八〜一八七三)

本件地域の自排局の昭和四九年から平成二年までの間の二酸化窒素の年平均値の経年推移は図表一四及び一五のとおりである。なお、昭和五〇年、昭和五三年及び昭和五四年においては、一部の月の測定がないめ、年平均値を算出することができない。

(二) 日平均値の年間九八%値(甲九一二、九二〇、九五六〜九五九、九七四、一一九八、一二四〇、一八六八〜一八七三)

本件地域の自排局の昭和五五年から平成二年までの間の二酸化窒素の日平均値の年間九八%値(二%除外値)の経年推移は図表一五及び一六のとおりである。

(三) 一時間値最高値(甲九一二、九三九〜九四七、九五六〜九五七、九七四)

本件地域の自排局の昭和四九年から昭和六一年までの間の二酸化窒素の一時間値最高値は図表一七のとおりである。

(四) 一時間値の一日平均値最高値(甲九一二、九三九〜九四七、九五六〜九五九、九七四)

本件地域の自排局の昭和四九年から昭和六一年までの間の二酸化窒素の一時間値の一日平均値最高値は図表一八のとおりである。

(五) 旧環境基準値との関係(甲九五六〜九五九、一二四〇、一八六八〜一八七三)

本件地域の自排局の昭和五七年から昭和六一年までの間及び平成二年から平成七年までの間の二酸化窒素の旧環境基準値0.02ppmを超えた日の出現率は図表一九のとおりである。

三  浮遊粒子状物質の実測

1 浮遊粒子状物質の測定方法(甲一二四四〜一二四七)

浮遊粒子状物質の測定方法は、本来大気中の粒子状物質をろ過紙に捕集し、その重要濃度を測定する重量濃度測定法又はその方法により測定された重量濃度と直線的な関係を有する量が得られる光散乱法である。しかし、重量濃度としての一時間値を直接的に測定できる測定器がないため、浮遊粉じん濃度を測定している光散乱法の測定器(デジタル粉じん計)による相対濃度を重量濃度に変換する方法として、一〇μ以上の粒子状物質を除去するローボリューム・エア・サンプラーで約二〇日間ろ紙上に捕集した粒子状物質の濃度とデジタル粉じん計による相対濃度(CPH)との比(Ft値)から変換係数(F値)を求め、これをデジタル粉じん計の相対濃度に乗じて重量濃度を算出している(補正濃度)。

2 一般局における実測値

(一) 年平均値(甲一一九八、一八五九〜一八七三)

本件地域の一般局の昭和四九年から平成七年までの間の浮遊粒子状物質の年平均値の経年推移は図表二〇及び二一のとおりである。

(二) 日平均値最高値(甲一一九八、一二四九〜一二五六、一八五九〜一八七三、弁論の全趣旨)

本件地域の一般局の昭和五一年から平成七年までの間の浮遊粒子状物質の日平均値最高値の経年推移は図表二一及び二二のとおりである。

(三) 一時間値最高値(甲一一九八、一二四九〜一二五六、一八五九〜一八七三、弁論の全趣旨)

本件地域の一般局の昭和五一年から平成元年度までの間の浮遊粒子状物質の一時間値最高値の経年推移は図表二一及び二三のとおりである。

(四) 環境基準値を超える一時間値及び日平均値の出現割合(甲一一九八、一二四七〜一二五六、一八五九〜一八七三)

本件地域の一般局の昭和四九年から平成七年までの浮遊粒子状物質の日平均値二%除外値、環境基準日平均値0.1mg/m3を超えた日の出現割合及び一時間値0.2mg/m3を超えた時間の出現割合の経年推移は図表二〇及び二一のとおりである。

3 自排局における実測値(甲一一九八)

本件地域の自排局においては、従来浮遊粒子状物質の測定を実施していなかったが、池上自排局において、平成七年から浮遊粒子状物質の測定が開始され、池上自排局の同年の実測値は、年平均値が0.077mg/m3、一時間値最高が0.644mg/m3である。その他の本件地域の自排局においては、浮遊粒子状物質の測定を実施していない。

四  硫黄酸化物の実測

1 硫黄酸化物の測定方法(甲一二四四、一二五六)

硫黄酸化物の測定方法は、従来硫黄酸化物を測定するための円筒カバー(長谷川型)シェルター又は円形ルーバー型(米国NASA型)シェルターを用いた二酸化鉛法であったが、その後、試料大気を吸収液(硫酸酸性過酸化水素水)中に通じると、二酸化硫黄が過酸化水素によって酸化され、硫酸となって捕集されるところ、硫酸の生成に応じて吸収液の導電率が増加することから右導電率の変化を測定することにより二酸化硫黄を定量するという溶液導電率法に代わった。

2 二酸化鉛法による測定(甲一八五五)

本件地域の田島地区の扇町、大師地区の東門前二丁目、川崎地区の砂子一丁目等の昭和三二年から昭和三九年までの間の二酸化鉛法による硫黄酸化物の年平均値の経年推移は図表二四のとおりである。

3 一般局における実測値

(一) 年平均値(甲一二五〇、一八六三)

本件地域の一般局の昭和四〇年から昭和五五年までの間の二酸化硫黄の年平均値の経年推移は図表二五のとおりである。

(二) 日平均値最高値(甲一二五〇〜一二五二)

本件地域の一般局の昭和四〇年から昭和五四年までの間の二酸化硫黄の日平均値最高値の経年推移は図表二六のとおりである。

(三) 一時間値最高値(甲一二五〇、一二五二)

本件地域の一般局の昭和四〇年から昭和五四年までの間の一時間値最高値の経年推移は図表二七のとおりである。

(四) 日平均値出現頻度

(1) 昭和四〇年から昭和四三年までの間(甲一〇二〜一〇五)

本件地域の大師及び川崎一般局の昭和四〇年から昭和四三年までの間(大師一般局は昭和四〇年三月から)及び田島一般局の昭和四三年の硫黄酸化物の日平均値出現頻度の経年推移は図表二八のとおりである。

(2) 昭和四四年から昭和五五年までの間の環境基準値との対比(甲一二五〇、一二五三)

本件地域の一般局の昭和四四年から昭和五五年までの間の二酸化硫黄の環境基準値との対比(日平均値二%除外値、一時間値が0.1ppmを超えた割合及び日平均値が0.04ppmを超えた割合)の経年推移は図表二九のとおりである。

4 本件地域の自排局においては、硫黄酸化物の測定を実施していない。

第六章  本件道路からの大気汚染物質の排出

第一  自動車排出ガスの排出機序

一  自動車エンジンの種類及び主要な排出ガス(弁論の全趣旨)

1 自動車エンジンの種類

現在使用されている自動車エンジンは、大別するとガソリン又は液化石油ガス(LPG)を燃料とする火花点火式エンジン及び軽油を燃料とする圧縮着火式エンジン(ディーゼル・エンジン)の二種類である。前者を使用している自動車はガソリン車又はLPG車といい、乗用車、軽自動車、小型トラックの大部分が該当するが、一般に走行しているこれらの車両の多くはガソリン車でLPG車は極めて限られている。後者を使用している自動車はディーゼル車といい、小型車の一部及び大型のトラック、バス等が該当する。

2 主要な排出ガス

ガソリン車から排出される主要な物質は、窒素酸化物、硫黄酸化物、一酸化炭素、炭化水素、鉛化合物及び黒煙(すす)であり、ディーゼル車から排出される主な物質は、窒素酸化物、ディーゼル排気微粒子(DEP)、硫黄酸化物、一酸化炭素、炭化水素及び黒煙(すす)である。その他にガソリン車及びディーゼル車に共通して自動車の走行にともなうブレーキ、クラッチ、タイヤ及び路面の摩耗により浮遊粒子状物質が発生する(なお、大気汚染防止法においては、窒素酸化物、粒子状物質、一酸化炭素、炭化水素及び鉛化合物を自動車排出ガスと規定している。)。

二  排出ガスの発生機序(弁論の全趣旨)

1 窒素酸化物

窒素酸化物は、霧化した燃料が空気と混合して完全燃焼する際、空気中の窒素が反応して発生する。燃焼過程で生成される窒素酸化物の大部分は一酸化窒素であるが、前記のとおり、排出後に空気中で酸化して二酸化窒素となる。

2 浮遊粒子状物質

自動車エンジンから排出される粒子状物質は、燃料の燃焼過程で生じる無機鉛化合物の微粒子、ピレン類等の炭化水素、黒煙等であるが、高負荷運転時の燃料と空気の混合が十分でないことによるディーゼル・エンジン内における局所的な燃料の不完全燃焼、始動時や低負荷時における燃料に未燃分の排出、潤滑油の不完全燃焼によりディーゼル排気微粒子がディーゼル・エンジンから排出される。これに対し、ガソリン・エンジンは、電子制御等により点火時期がきめ細かく制御され、運転条件にあった適正な混合気が得られるようになったため、現在燃焼は制御され、粒子状物質の発生は極めて低い。

ディーゼル車からのディーゼル排気微粒子は、約0.01から0.08μ程度の範囲内で平均粒径0.02から0.04μの球形粒子より成り立っており、それらが会合して鎖状等の凝集体となり、より粒径の大きい粒子(平均0.5μ)となる。その他に自動車走行のタイヤの摩耗による粒子状物質、自動車走行による風及びタイヤの作用により大気中に巻き上げられる道路の土砂その他の粒子状物質、ブレーキライニングやクラッチの摩耗により生じるアスベスト等の微粒子がある。そして、大気中に排出されて浮遊している粒子状物質が浮遊粒子状物質である。

3 硫黄酸化物

硫黄酸化物は、ディーゼル車の燃料である軽油中に0.4%程度の硫黄が含まれており、これが燃焼過程で酸化して生成される。なお、硫黄はガソリンにも含まれているが、軽油と比べるとごくわずかであるので、硫黄酸化物の発生源は軽油を燃料として使うディーゼル車が主である。

第二  本件道路からの排出量

一  排出量の算出

1 本件道路からの窒素酸化物、硫黄酸化物及び浮遊粒子状物質の排出量は、自動車の車種別の各物質の排出係数(自動車一台が単位距離を走行した場合の平均排出量を算出した係数)に本件道路の車種別の自動車走行量(走行台Km)を乗じることにより算出することができる(甲九八四、二六〇〇の1、乙四〇六、四〇七、四七七、四七八)。川崎市は右算出方法に準拠して大気拡散シミュレーションを実施し、その中で昭和四九年度及び昭和五二年度における川崎市内の幹線道路及び細街路から窒素酸化物又は二酸化硫黄の年間排出量を算出している(乙四〇九、四八二、四一〇の1、2)。

右算出方法は推計値を算出するものではあるものの、被告らにおいて、本件道路からの窒素酸化物、硫黄酸化物及び浮遊粒子状物質の排出量を明らかにせず、その他に右排出量を推計する適切な方法もない事情の下にあっては、可能な範囲で排出量を推計する右算出方法には合理性が認められるから、右算出方法に準拠して算出された推計値をもって、本件道路からの窒素酸化物、硫黄酸化物及び浮遊粒子状物質の排出量であると認めるのが相当である。

2 算出方法の概要

本件道路からの排出量の算出方法の概要は以下のとおりである。

(一) 各年度の自動車交通量は、当該年度において、建設省が実施した「全国道路交通情勢調査(道路交通センサス)」等の自動車交通量実測調査に基づき、一定の観測地点における自動車交通量をこれに連続する一定の範囲の道路における自動車交通量の代表とみなして算出する。

各種交通量調査は、主に昼間一二時間(午前七時から午後七時までの間)で実施されているため、同時に又は近接して実施された車種別の二四時間自動車交通量調査に基づき、車種別の昼夜率(昼間一二時間の交通量を一とした場合の二四時間の交通量の比率)を算出し、これを当該地域全体の昼夜率として昼間一二時間の交通量に乗じ、一日当たりの自動車交通量を算出する。

(二) 一日当たりの自動車交通量が妥当する道路の特定区間を分け、その区間長に車種別の一日当たりの自動車交通量を乗じ、一日当たりの特定区間の車種別の自動車走行台Kmを算出する。

(三) 一日当たりの特定区間の車種別の自動車走行台Kmに各物質の車種別の排出係数を乗じ、その全車種の数値を合計し、一日当たりの特定区間の各物質排出量を算出する。

(四) 各種交通量調査は、平日に実施されているため、平日の自動車交通量に対する休日の自動車交通量の比率を算出し、その比率分を一日当たりの特定区間の各物質排出量から減じ、特定区間の各物質年間排出量を算出する。

二  窒素酸化物の排出量

1 昭和六〇年度(甲九三五)

(一) 排出係数(甲九二〇)

川崎市内の一般道路における平均車速二〇Km/hの排出係数は図表三〇のとおりである。

(二) 自動車走行台Km

各道路の自動車交通量は、建設省が実施した昭和六〇年度の「全国道路交通情勢調査(道路交通センサス)」(甲九一三)及び川崎市の実施した同年度の「道路交通量調査報告書」(甲五五四)により算出し、「川崎市における今後の窒素酸化物対策について(答申)」(甲九一八、九二〇)において、幹線道路とされている各道路について、ほぼ同一の自動車走行量があると判断される範囲を基礎に各道路を区分すると、その各区間の道路延長(区間分け及び区間長)は図表三一のとおりである。

なお、右「道路交通センサス」における本件地域の代表的な四地点(国道一号線の幸区小向仲野町、同一五号線の川崎区旭町、同一三二号線の川崎区夜光町及び産業道路の川崎区大師河原一丁目)における貨客車と小型貨物車の比率の平均値55.7%対44.3%を算出し、これに基づき、右「道路交通量調査報告書」における小型貨物車を貨客車と小型貨物車に区分する。

(三) 昼夜率

右「道路交通センサス」については、二四時間値を利用し、右「道路交通量調査報告書」については、本件地域の代表的な右四地点における右「道路交通センサス」の二四時間値から算出した右四地点の車種別の昼夜率の平均値1.3750に基づき、本件地域の車種別の昼夜率を算出し、二四時間交通量を算出する。

(四) 年間排出量の推計

横羽線を除き、以上により一日当たりの車種別走行台Kmを算出し、これに右排出係数を乗じ、平日一日当たりの排出量を算出する。

そして、昭和四九年度の休日の平均交通量は平日の約七〇%と算定され(乙四八二)、これに基づく平日と休日を平均化した全日の走行台Kmは平日の走行台Kmの0.94574倍であるから、一年三六五日を0.94574倍にした345.19を平日一日当たりの排出量に乗じ、窒素酸化物の年間排出量を算出する。

なお、横羽線について、高速走行における排出係数が示されていないが、横羽線は当時の川崎市内で唯一都市高速に分類されるから、その年間排出量の推計は356.03tと算出される(甲九二〇)。

(五) 昭和六〇年度の排出量

以上の結果、本件道路等からの年間排出量は図表三一のとおりである。

2 昭和五二年度(甲九三三)

(一) 排出係数(乙四一〇の2)

自動車の窒素酸化物排出係数は、都市内走行モードの形態、車種、年式構成により異なるため、各種規制年度別のエミッション及び経過年度別車両構成比率により車種毎及び速度毎の排出係数を算出すると、昭和五二年度の窒素酸化物排出係数は図表三〇のとおりである(なお、高速の排出係数は横羽線のみに適用される。)。

(二) 自動車走行台Km

各道路の自動車交通量は、建設省の実施した昭和五二年度の「全国道路交通情勢調査(道路交通センサス)」(甲九一三)及び川崎市の実施した同年度の「道路交通量調査」(甲五五〇)により算出し、「窒素酸化物専門部会報告」(乙四一〇の1、2)において、幹線道路とされている各道路について、ほぼ同一の自動車走行量があると判断される範囲を基礎に各道路を区分すると、その各区間の道路延長(区間分け及び区間長)は図表三二のとおりである。

なお、右「道路交通量調査」における普通乗用自動車と小型自動車を合計して乗用車とし、また、本件地域の代表的な前記四地点における貨客車と小型貨物車の比率の平均値54.8%対45.2%に基づき、右「道路交通量調査」における小型貨物車を貨客車と小型貨物車に区分する。

(三) 昼夜率

右「道路交通センサス」においては、本件地域の代表的な前記四地点において、二四時間測定を実施しているので、これから算出した右四地点の車種別の昼夜率の平均値1.248に基づき、本件地域の車種別の昼夜率を算出し、二四時間交通量を算出する。

(四) 年間排出量の推計

以上により一日当たりの車種別走行台Kmを算出し、これに右排出係数を乗じ、平日一日当たりの窒素酸化物の排出量を算出する。

そして、昭和四九年度の休日の平均交通量は、平日の約七〇%と算定され(乙四八二)、これに基づく平日と休日を平均化した全日の走行台Kmは平日の走行台Kmの0.94574倍であるから、一年三六五日を0.94574倍にした345.19を平日一日当たりの排出量に乗じ、窒素酸化物の年間排出量を算出する。

(五) 昭和五二年度の排出量

以上の結果、本件道路等からの年間排出量は図表三二のとおりである。

3 昭和四九年度(甲九三四)

(一) 排出係数(乙四〇九)

昭和四九年度の窒素酸化物の排出係数は図表三〇のとおりである(なお、高速の排出係数は横羽線のみに適用される。)。

(二) 自動車走行台Km

各道路の自動車交通量は、建設省の実施した昭和四九年度の「全国道路交通情勢調査(道路交通センサス)」(甲九一三)及び川崎市の実施した昭和四八年度の「道路交通量調査報告書」(甲五四八)により算出し、窒素酸化物拡散シミュレーション結果報告書」(乙四〇九、四八二)において、幹線道路とされる各道路について、ほぼ同一の自動車走行量があると判断される範囲を基礎に各道路を区分すると、その各区間の道路延長(区間分け及び区間長)は図表三三のとおりである。なお、川崎市においては、昭和四九年度に交通量調査を実施していないが、右「道路交通量調査報告書」の最終調査日が昭和四九年二月二〇日であるから(甲五四八)、これを昭和四九年度の走行台数とみなす。

ところで、横羽線については、両者の調査において、車種別交通量が測定されていないため、昭和四九年度の「第一一回首都高速道路起終点交通調査報告書」(甲九三一)における横羽線大師ランプ・羽田ランプ間の方向別二四時間区間別自動車交通量上り三万三九六九台、下り四万〇四五四台に「第一五回首都高速道路交通起終点調査報告書」(甲九三二)における昭和五二年度及び昭和五三年度の横羽線の車種別走行台数割合の測定結果により算出した横羽線の標準的車種別走行量比率を乗じ、これを横羽線の車種別走行台数とみなす。

また、右「道路交通センサス」における本件地域の代表的な前記四地点の貨客車と小型貨物車の比率の平均値四7.8%対52.2%及び軽乗用車と軽貨物車の比率の平均値61.6%対38.4%に基づき、右「道路交通量調査報告書」における小型貨物車を貨客車と小型貨物車に、軽自動車を軽乗用車と軽貨物車に区分する。

(三) 昼夜率

昭和四九年度の昼夜率を示す適切な資料がないため、昭和五二年度の車種別の昼夜率を利用する。

(四) 年間排出量の推計

以上により一日当たりの車種別走行台Kmを算出し、これに右排出係数を乗じ、平日一日当たりの排出量を算出する。

そして、昭和四九年度の休日の平均交通量は平日の約七〇%と算定され(乙四八二)、これに基づく平日と休日を平均化した全日の走行台Kmは平日の走行台Kmの0.94574倍であるから、一年三六五日を0.94574倍にした345.19を平日一日当たりの排出量に乗じ、窒素酸化物の年間排出量を算出する。

(五) 昭和四九年度の排出量

以上の結果、本件道路等からの年間排出量は図表三三のとおりである。

4 昭和四〇年度(甲九六一)

(一) 排出係数

自動車からの窒素酸化物の排出規制は昭和四八年に初めて一部車種に実施されており(甲五八三、二六〇〇の1、2)、その直後の昭和四九年度はほとんど未規制車が走行し、同年度の排出係数は右排出規制の影響をほとんど受けていないということができるから、同年度の排出係数を未規制時の昭和四〇年度についても適用する。

(二) 自動車走行台Km

各道路の自動車交通量は、川崎市の実施した「川崎市街路交通量調査集計表」(甲五四四)により算出し、「窒素酸化物拡散シミュレーション結果報告書」(乙四〇九)において、幹線道路とされている各道路について(昭和四三年に開通した横羽線を除く。)、ほぼ同一の自動車走行量があると判断される範囲を基礎に各道路を区分すると、その各区間の道路延長(区間分け及び区間長)は図表三四のとおりである。

また、昭和四〇年度の道路交通センサスが実施されていないため、昭和四九年度の貨客車と小型貨物車の比率及び軽乗用車と軽貨物車の比率の平均値に基づき、右「川崎市街路交通量調査集計表」における小型貨物車を貨客車と小型貨物車に、軽自動車を軽乗用車と軽貨物車に区分する。

(三) 昼夜率

昭和四〇年度の昼夜率を示す適切な資料がないため、昭和五二年度の車種別の昼夜率を利用する。

(四) 年間排出量の推計

以上により一日当たりの車種別走行台Kmを算出し、これに前記排出係数を乗じ、平日一日当たりの排出量を算出する。

そして、昭和四九年度の休日の平均交通量は平日の約七〇%と算定され(乙四八二)、これに基づく平日と休日を平均化した全日の走行台Kmは平日の走行台Kmの0.94574倍であるから、一年三六五日を0.94574倍にした345.19を平日一日当たりの排出量に乗じ、窒素酸化物の年間排出量を算出する。

なお、右「川崎市街路交通量調査集計表」においては、全ての本件道路について測定がされていないため、比較的交通量の少ない道路の年間排出量をその道路の昭和四九年度の年間排出量と比較して算出した平均値0.833に基づき、昭和四〇年度の測定のない道路の昭和四九年度の年間排出量から昭和四〇年度の年間排出量を算出する。

(五) 昭和四〇年度の排出量

以上の結果、本件道路等からの年間排出量は図表三四のとおりである。

三  浮遊粒子状物質の排出量

1 排出係数

(一) 粒子状物質の排出係数についての知見と評価

(1) 「小型ディーゼル車からの汚染物質排出実態」(甲九八五)、「大型ディーゼル車からの汚染物質排出実態」(甲九八六)、「自動車排出ガスと大気汚染」(甲一七三四)

東京都は、自動車の走行にともない排出される粒子状物質の排出量をシャーシダイモメーター、排出ガス分析装置等を用いて実験又は調査したところ、その結果は以下のとおりである(単位mg/Km)。

① 大型ディーゼル車の排出係数(走行モードM―一五)

予燃焼式  直噴式   渦室式

排出量

九〇九   八〇三   四六一

車両重量

3.56t 5.36t 1.91t

規制年次

昭和五四年 昭和五二年 昭和五二年

② 小型ディーゼル車の排出係数(走行モードM―一五)

予燃焼式  直噴式   渦室式

排出量

三一三   四六一   五二〇

車両重量

1.89t 1.91t 1.86t

③ ディーゼルトラックの排出係数

排出量

一七三  三六五 五〇五 六五六

車両重量

二t   四t  八t  一〇t

④ ガソリン車の排出係数

乗用車   中量車   重量車

排出量

一二    一〇    二二

(2) 「浮遊粒子状物質汚染の解析・予測」(甲九八四)

環境庁大気保全局大気規制課が、名古屋市公害対策局の報告等を勘案し、排気口からの排出ガス中の粒子状物質の排出係数のおおよその値を取りまとめたところ、その結果は図表三五のとおりとなった。なお、高速度時の変化においては、若干の増加又は減少の報告があるが、平均車速二〇Km/h以上全都市走行状態における特性を示しているものと考えられる。

(3) 「都市域における浮遊粒子状物質の拡散特性についての調査研究報告書(首都高速道路公団委託)」(甲九八七)

財団法人首都高速道路技術センターが、北林の推計結果等浮遊粒子状物質排出係数についての知見を踏まえ、浮遊粒子状物質排出係数に係わる解析結果をまとめたところ、その結果は大型車の排出係数が一g/台・Km、小型車の排出係数が0.3弱g/台・Kmとなった。

(4) 「粒子状物質予測手法検討会報告書」(甲九八八)

通商産業省立地公害局が、寺西の報告値等粒子状物質排出についての知見を用い、車速等を考慮せず、暫定的に自動車走行にともなう浮遊粒子状物質排出係数を推定したところ、その結果は図表三六のとおりとなり、その合計は、軽自動車が0.29g/台Km、普通乗用車が0.317g/台Km、小型貨物車が0.636g/台Km、乗合バスが1.86g/台Km及び普通貨物車が1.81g/台Kmである。

(二) 浮遊粒子状物質排出係数の推計

前記東京都の知見に基づき、車種別、エンジン型式別、車両総重量区分別構成率及び八車種別交通構成率を総合すると、標準的な走行モード(M一五/一〇)におけるエンジンからの車種別の浮遊粒子状物質排出係数は大型車が八〇六mg/Km、小型車が一〇四mg/Kmであるところ(甲九八九)、これに前記環境庁の知見におけるタイヤ摩耗及び走行巻き上げによる粒子状物質排出係数を加えると、自動車走行による粒子状物質全部の排出係数は小型車が三〇〇mg/Km、大型車が一〇〇〇mg/Kmである。右数値は「都市域における浮遊粒子状物質の拡散特性についての調査研究報告書(首都高速道路公団委託)」(甲九八七)における数値とほぼ同様であり、また、「粒子状物質予測手法検討会報告書」(甲九八八)における数値を下回るものである。したがって、小型車が三〇〇mg/Km、大型車が一〇〇〇mg/Kmをもって、少なくとも車種別の自動車走行による浮遊粒子状物質排出係数であると認めるのが相当である。

2 各年度の排出量

右排出係数に基づき、窒素酸化物と同様の方法で浮遊粒子状物質の昭和四〇年度、昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度の年間排出量を算出すると、本件道路等からの各年度の浮遊粒子状物質排出量は図表三七のとおりである。

四 硫黄酸化物の排出量

1 排出係数(乙四〇九)

川崎市の実施した昭和四九年度のシミュレーションにおける同年度の二酸化硫黄排出係数は図表三八のとおりである。ところで、ディーゼル・エンジンの燃料である軽油中の硫黄分は、昭和四〇年代から現在に至るまで約0.4%で推移しているところ、自動車単体の二酸化硫黄排出規制は実施されず、また、昭和四九年以降、ディーゼル・エンジン車の比率が増加傾向にあるから、少なくとも昭和四九年度の排出係数をもって、各年度の二酸化硫黄の排出係数と認めるのが相当である。

2 各年度の排出量(甲九三六〜九三八、九六二)

右排出係数に基づき、窒素酸化物と同様の方法で昭和四〇年度、昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度の二酸化硫黄の年間排出量を算出すると、本件道路等からの各年度の二酸化硫黄排出量は図表三九のとおりである。

五 まとめ

1 以上からすると、本件道路からの各大気汚染物質の年間排出量の経年推移は図表四〇のとおりであると認めるのが相当である。

2(一) 被告らは、以下のとおり、排出量の算出には問題があり、これをもって、本件道路からの排出量であるとみることはできない旨反論する。

(1) 昼夜率は、一般的傾向として年度を追う毎に増加傾向がみられ、昭和四〇年度及び昭和四九年度における実際の数値は昭和五二年度より小さくなるのが合理的であるから、同年度の昼夜率を用いた場合、昭和四〇年度及び昭和四九年度の二四時間交通量は過大に算出される。

(2) 昭和四九年度の横羽線の交通量は、最も交通量が多い区間である羽田・大師間のものを利用しているが、横羽線は川崎市に入ってすぐ大師ランプがあり、右区間のほとんどは東京都内であるから、東京都内の区間の交通量を計上した昭和四九年度の横羽線の交通量は過大に算出されている。

(3) 浮遊粒子状物質排出係数については、各知見の数値にかなりのばらつきがみられ、現在未だ検討段階であり、浮遊粒子状物質の寄与に用いるほどの精度がない。

(二) しかし、被告らの反論は、以下のとおり、採用することができない。

(1) 昼夜率は昭和五二年から主要な測定地点において、二四時間交通量が測定されているものの、それ以前は川崎市において、原則として昼間一二時間交通量のみが測定され、主要地方道川崎府中線のみが二四時間交通量を測定されているところ、右道路の昭和四九年度と昭和五二年度の昼夜率の対比は1.38対1.35であり(甲九一三)、必ずしも以前の年度の昼夜率が低いわけではないから、昭和五二年度以前の昼夜率を示す具体的資料がない事情の下にあっては、昭和五二年度の昼夜率をそれ以前の年度に採用することにも合理性が認められる。

(2) また、横羽線の羽田・大師間は川崎市内を通過している上、線源としてそこから排出された大気汚染物質が本件地域の大気中に拡散・到達されるから、本件地域における横羽線を代表する交通量を示す資料のない現状にあっては、羽田・大師間の交通量をもって、横羽線の交通量とすることにも合理性が認められる。

(3) そして、前記浮遊粒子状物質排出係数は、それまでの知見を総合して排出係数を推測した「浮遊粒子状物質汚染の解析・予測」(甲九八四)、「粒子状物質予測手法検討会報告書」(甲九八八)、「都市域における浮遊粒子状物質の拡散特性についての調査研究報告書」(甲九八七)その他の知見の示す排出係数とほぼ同様かより低いものであり、最低限の排出係数として算出されたものとみることができるから、合理性が認められる。

第七章  大気汚染物質の到達

本件地域における本件道路からの大気汚染物質の到達状況を明らかにし、原告らが受けている大気汚染物質の状況を明らかにするため、以下において検討する。

第一  大気拡散シミュレーション

一  大気拡散シミュレーションの意義

1 大気拡散シミュレーションは、大気汚染物質の排出・拡散の現況調査及び将来予測を行うため、発生源及び気象をそれぞれモデル化し、大気拡散式を利用し、コンピューターによる汚染物質の排出・拡散をシミュレーション(模擬実験)するというものである(甲九七五の1、乙四七六、証人横山長之)。

2 大気拡散シミュレーションは推計値を算出するものではあるものの、特定の発生源からの大気汚染物質の排出・拡散の実測がほとんどなく、また、発生源の異なる大気汚染物質が複合するという大気汚染物質の特性から発生源を特定した実測が困難であるという事情の下にあっては、特定の発生源からの大気汚染物質の排出・拡散の状況を判断するための合理的な方法であり、これに基づく大気汚染物質の排出・拡散の状況をもって、本件地域における大気汚染物質の到達の状況であると認めるのが相当である。

二  「川崎南部地区道路大気拡散シミュレーション調査」(甲九七五の1〜3、二六〇〇の1、2)

右シミュレーション(以下「青山報告」という。)の内容は以下のとおりである。

1 シミュレーションの目的

株式会社環境総合研究所は、本件地域を対象として、昭和四〇年度、昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度における幹線道路である本件道路上を走行する自動車から排出・拡散される大気汚染物質(窒素酸化物、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質)の沿道地域及び対象地域全域における汚染の寄与濃度を推定する目的で、現時点で入手可能なデータをもとにコンピューターによるシミュレーション(模擬実験)を実施した。

2 窒素酸化物

(一) シミュレーションの概要

(1) シミュレーションモデル

① 大気拡散シミュレーションモデルは、一つの煙突から大気汚染が風下に拡散していく状態を数式で表現したものであるところ、発表されている複数のモデル(JEAモデル、プリューム・パフモデル等)のうち有風時に適用するモデルとしてプリュームモデル、無風時に適用するモデルとして正規パフモデルを採用した(両者を併せて、以下「プリューム・パフモデル」という。)。

② 拡散パラメータモデル

拡散パラメータ(拡散係数)は、大気汚染が風下方向に拡散する際、風下距離によりどの程度大気汚染が広がるかについての目安を与え、大気の乱れ度合をモデルに反映させるものであるところ、有風時に適用するモデルとしてパスキル・ギフォードモデル、無風時に適用するモデルとしてシアモデルを採用した(なお、これらのモデルは最も一般的に利用されている。)。

大気安定度については、川崎市を含む国内においては、年間を通じて大気安定度Dの出現割合が約七〇%を超えて最も多いこと、過去の年次に遡り、実際の大気安定度出現割合にかかるデータを入手できないこと、直近道路からの濃度勾配シミュレーションのみでなく、複数道路からの累積的な濃度影響(面的シミュレーション)を行うこと、膨大な数のシミュレーション計算を実施するため、シミュレーション計算の費用対効果を考慮せざるを得ないことから大気拡散シミュレーションにおける拡散パラメータとして、有風時にパスキル・ギフォードモデルの大気安定度D、無風時にシアモデルの大気安定度D相当値を採用した。なお、鉛直方向の初期拡散幅は1.5mを採用した。

③ 煙源高

道路の煙源高は、平坦道路が高さ一m、高架道路が高さ一〇m、道路に遮音壁等がある場合はこれに一mを加えた高さとし、点煙源を道路の形状に沿って連続的に配置するモデル(連続点煙源モデル)を用いた。

(2) 基礎資料

環境測定局測定結果(測定局概要、大気汚染、風向、風速)、交通量、排出係数等の基礎資料は、基本的に川崎市の実施した大気拡散シミュレーション、建設省の実施した「道路交通センサス」、川崎市の実施した「自動車交通量調査」等公刊されている各種資料を採用した(ただし、昭和四〇年度の排出係数については、対応する調査がないため、昭和四九年度の排出係数を採用した。)。また、交通量時間変動係数については、道路種別毎の実測交通量から算出した平均時間変動係数を採用した(ただし、昭和四〇年度については、夜間の交通量調査結果がないため、昭和四六年度の時間変動係数を採用した。)。

(3) シミュレーション評価手法

① 画的汚染シミュレーション

画的汚染シミュレーションは、複数の対象道路から排出される汚染物質の対象地域における累積的な寄与濃度を推定するための方法であり、対象地域を五〇m四方の格子(メッシュ)により東西二四四、南北一七一の正方形に区切り、格子点位置の地表面から1.5mの高さにおける濃度を算出し、川崎区及び幸区において、一定以上の濃度がどれだけの面積を占めるかの集計を行い、年平均値の濃度分布を分析した。

② 沿道濃度勾配シミュレーション

沿道濃度勾配シミュレーションは、直近対象道路の沿道一一地点の道路端から垂直方向断面への距離毎の濃度の変化を推定するための方法であり、図表四一のとおり、被告道路上に定めた一一地点(道路断面)における当該道路から寄与濃度を道路端(官民境界)から一〇m毎に四〇〇mまでの地点の高さ1.5mにおける濃度の変化(濃度勾配)として計算した(ただし、横羽線は産業道路の上部に高架道路として存在し、産業道路からの寄与と切り離して考えることは適当でないため、産業道路からの寄与濃度を併せて示し、また、昭和四〇年度の時点で横羽線は存在しないが、参考として産業道路のみからの寄与濃度を示す。③においても同様である。)。

③ 沿道濃度別出現日数シミュレーション

沿道濃度別出現日数シミュレーションは、直近対象道路の沿道一一地点の道路端から一定の距離において、一年間に出現する日平均値濃度の濃度分級別の出現頻度であり、沿道勾配シミュレーションと同じ地点(道路断面)において、道路端から〇、二〇、五〇、一〇〇mの地点における当該道路からの一日平均寄与濃度が一定の濃度を超える日数が一年間に何日あったかを年間八七六〇時間(三六五日間×二四時間)の風向・風速データを用いて一年間三六五日の一日平均濃度を算出し、その結果を集計した。

(4) 二酸化窒素濃度の算出手法

① 窒素酸化物背景濃度年平均値の推計

窒素酸化物の背景濃度の推計値は、各断面に最も近い一般局の実測値から式を用いて計算した自動車からの寄与濃度を引いて求めた(ただし、昭和四〇年度については、実測値がないため、昭和四九年度の背景濃度の推計値を採用した。)。

② 二酸化窒素濃度年平均値への変換

対象物質が窒素酸化物である場合、実際には自動車の排気口から排出された一酸化窒素が大気中で酸化され、二酸化窒素に変化するところ、これをシミュレーションで扱うため、大気拡散シミュレーションにおいて、窒素酸化物を予測し、その結果を変換モデルにより二酸化窒素濃度に変換する必要があるが、その変換モデルとして最も一般的な統計モデルを採用し、川崎市の大気測定局における二酸化窒素及び窒素酸化物の実測データを統計的に解析(回帰分析)することによりその変換係数を求め、本件地域の自排局(昭和五五年度から平成二年度)及び一般局(昭和四七年度から平成五年度)の実測値を用いて、以下の変換式により窒素酸化物年平均濃度から二酸化窒素年平均濃度への変換を回帰計算した。なお、濃度により係数が変化するため、対象道路からの窒素酸化物濃度のみを対象に変換することはできず、対象道路に最も近接する一般局の窒素酸化物実測濃度から右一般局の位置における自動車からの窒素酸化物寄与濃度を控除して算出された背景濃度と対象道路からの窒素酸化物濃度を合計し、その濃度を対象として変換した。

二酸化窒素濃度=A×(窒素酸化物濃度のB乗)

A         B

一般局(低濃度)

0.2048219 0.6639267

自排局(高濃度)

0.0966346 0.3824172

切替え濃度

0.0693572

③ 二酸化窒素濃度日平均値の年間九八%値への変換

窒素酸化物の年間九八%値濃度の環境基準に相当する値を推定するため、本件地域の自排局(昭和五五年度から平成二年度)の日平均値の最高値及び一般局(昭和四七年度から平成五年度)の平均値の九八%値の実測値を用いて、窒素酸化物の年間九八%値から二酸化窒素の年間九八%値への回帰式の係数を算出し、これに基づき、以下の変換式により日平均値の年間九八%値を回帰計算した。右変換式からすると、二酸化窒素の日平均値の年間九八%値の環境基準値に対応する窒素酸化物年間九八%値は0.154ppmであった。

二酸化窒素濃度=A×窒素酸化物濃度+B

A         B

係数

0.2034023 0.0287303

(二) シミュレーションの結果

(1) 本件道路から一般局への窒素酸化物の寄与度

昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度の大師、田島、川崎及び幸一般局の実測濃度に対する本件道路からの窒素酸化物の寄与濃度(年平均値)は図表四二のとおりである。なお、二酸化窒素の本件道路からの寄与濃度は窒素酸化物寄与濃度から変換せず、窒素酸化物濃度における寄与率を二酸化窒素の実測濃度に乗じて算出した。

(2) 自動車排出ガスの面的汚染への寄与度

昭和四七年度から昭和六〇年度までの間の一般局の窒素酸化物年平均値の平均0.067ppmに対する本件道路から到達する窒素酸化物濃度の寄与率は、昭和四〇年度で川崎区内の最も濃度の低い地域が約二〇から三〇%、国道一号線と同一五号線の間の地域が約七〇%であり、昭和四九年度で川崎区内が約五〇%であり、昭和五二年度で横羽線沿道が高いことを除き、昭和四〇年度と同様であり、昭和六〇年度で本件地域が約二〇%である。

(3) 自動車排出窒素酸化物濃度出現メッシュ数

本件道路又は被告道路からの影響により窒素酸化物年平均値五〇ppbを超える本件地域のメッシュは図表四三のとおりである。

(4) 道路沿道における二酸化窒素濃度

背景濃度の推計値を含む被告道路から前記被告道路沿道一一地点への二酸化窒素の拡散の状況(年平均値)は図表四四のとおりであり、道路端〇mの濃度に対し、窒素酸化物は五〇mで四八から六〇%、一〇〇mで二八から四四%、二〇〇mで一五から二九%に減衰しており、二酸化窒素は五〇mで六二から七六%、一〇〇mで四五から六一%、二〇〇mで二九から四六%と窒素酸化物よりも勾配が緩くなっている(ただし、横羽線は産業道路からの寄与濃度を併せて示し、また、昭和四〇年度の時点で横羽線は存在しないが、参考として産業道路のみからの寄与濃度を示す。)。

(5) 短時間値による高濃度汚染に対する寄与

被告道路の道路端から〇m、二〇m、五〇m、一〇〇mの位置において、被告道路からの窒素酸化物の寄与濃度のみにより環境基準値に相当する窒素酸化物日平均値の年間九八%値0.154ppmを超過する日数は図表四五のとおりである(ただし、横羽線は産業道路からの寄与濃度を併せて示す。)。そして、日平均値が0.154ppmを超過する日が八日以上あった場合、濃度シミュレーション地点において、環境基準が未達成であると評価できる。

3 浮遊粒子状物質

(一) シミュレーションの概要

(1) 浮遊粒子状物質においては、長時間の拡散及び二次生成粒子に係る問題があるため、浮遊粒子状物質の広域の大気拡散シミュレーションは実施せず、浮遊粒子状物質に特有の落下、沈着、ウォッシュアウト等による減少や二次生成による増加という要素を無視できる一時間に満たない拡散時間の道路沿道における大気拡散シミュレーションに限定して実施した。

(2) 道路近傍における浮遊粒子状物質の大気拡散シミュレーションモデルについては、ガス状物質において一般的に用いられているモデルが利用でき、窒素酸化物と同様のモデルや資料による大気拡散シミュレーションを用いて、被告道路から排出される浮遊粒子状物質の沿道濃度勾配を分析した。なお、沿道濃度勾配は、道路端又は官民境界線から道路に直角方向への寄与濃度の減衰特性を把握・推定するため、被告道路上に定めた一一地点(道路断面)における当該道路からの寄与濃度を道路端から一〇mおきに四〇〇mまでの地点の高さ1.5mにおける濃度の変化(濃度勾配)を計算した(ただし、横羽線は、産業道路の上部に高架道路として存在し、産業道路からの寄与と切り離して考えるのは適当でないため、産業道路からの寄与濃度を併せて示し、昭和四〇年度においては、横羽線は存在しないため、参考として産業道路のみからの寄与濃度を示す。)。

(二) シミュレーションの結果

被告道路から前期被告道路沿道一一地点の浮遊粒子状物質の拡散の状況(濃度勾配)は図表四六のとおりである。

三  川崎市の実施した大気拡散シミュレーション

川崎市の実施した大気拡散シミュレーション(以下「川崎市報告」という。)の内容は以下のとおりである。

1 「窒素酸化物拡散シミュレーション結果報告」(乙四〇九、四七六、四八二、証人横山長之)

(一) シミュレーションの目的

川崎市公害局は、環境改善へ向けてより確かなシミュレーションを実施することにより汚染物質排出量と環境濃度との定量的な関係を的確に把握し、今後の合理的な総量規制の施策を樹立するための基礎資料とする目的で、昭和五三年三月、環境庁大気保全局大気規制課が策定した「総量規制マニュアル」(乙四〇六、四七七)に準拠して二酸化硫黄数値シミュレーションを窒素酸化物に適用し、昭和四九年度の川崎市全域を含む一般環境地域を対象とした窒素酸化物の年平均値を評価期間とする長期間平均濃度の大気拡散シミュレーションを実施し、併せて同年度の二酸化硫黄の大気拡散シミュレーションを実施した。

(二) 窒素酸化物

(1) シミュレーションの概要

① 川崎市の位置する地理的条件を考慮すると、汚染の傾向として隣接地域からの寄与を無視できないため、川崎市全域と隣接する東京都、横浜市域等を含む広範囲を対象とし、計算メッシュはシミュレーションモデルの精度をより高めるため、川崎市を原則として五〇〇m正方メッシュ、一部を一Km正方メッシュとした。

② 汚染源排出量は、固定発生源、自動車、船舶、航空機、民生(家庭、商業)毎に算定した。

自動車の場合、汚染源排出量は、昭和四九年及び昭和五〇年「道路交通量情勢調査」における測定地点から一二時間断面交通量が七〇〇〇台以上の道路を抽出し、幹線ネットワーク(リンク数一一二)を作成した上、二四時間車種別時刻別交通量及び休日交通量を推定し、リンク別車種別時刻別交通量にリンク長を乗じて走行台Kmを算出し、これと車種別モード別排出係数を積和して求めた(なお、非幹線道路についても、同様に走行台Kmと車種別モード別排出係数を積和して汚染排出量を求めた。)。

③ 固定発生源及び移動発生源をそれぞれの種類、規模、内容等に応じて点源、面源、線源としてモデル化し、同時に発生源の稼動形態及び排出条件等により季節時間帯区分と有効煙突高をモデル化した。

自動車の場合、幹線道路を線源に、その煙源数を二二〇に、その有効煙突高を静穏時五m、有風時三mに設定した(なお、非幹線道路は面源に設定した。)。

また、季節区分を非暖房期(四月から一一月)及び暖房期(一二月から三月)、時間帯区分を朝(八時から一一時)、午後(一二時から一七時)、夜(一八時から二三時)及び夜中(二四時から七時)に設定した。

④ 気象のモデル化は、風向を一六方位及び静穏時、風速階級及び代表風速を七区分、大気安定度を有風時にパスキル安定度、静穏時にターナー安定度を用い、季節別時間帯別に区分した。なお、一般局で得られた気象観測値の観測高度を考慮し、地表煙源(自動車、民生)に適用する風速の補正をした。

⑤ 拡散式は、有風時(風速0.5m/s以上)にプリューム式を、静穏時(風速0.4m/s)にパフ式を用いた。

⑥ 環境庁大気保全局大気規制課が策定した「総量規制マニュアル」(乙四〇六、四七七)に準拠して二酸化硫黄拡散モデルにおける回帰係数0.8から1.2の範囲、相関係数0.71以上をモデルの良否の判定基準として設定し、整合性の検討及び高濃度日実測データによる濃度再現性を検討した結果、年平均値においては、回帰係数0.974、相関係数〇九七三、季節別時間帯別においても、良好な結果が得られた。

(2) シミュレーションの結果

川崎市内全自動車及び川崎市内幹線道路を走行する自動車の窒素酸化物の寄与率は以下のとおりである(括弧内は寄与濃度)

一般局 市内全自動車

市内幹線道路 市内固定

大師  29.9%(16.71ppb)

26.4%(14.78ppb)

27.1%(15.17ppb)

田島  39.7%(29.79ppb)

35.7%(26.78ppb)

25.4%(19.06ppb)

川崎  36.2%(22.47ppb)

33.8%(20.95ppb)

21.4%(13.26ppb)

幸   46.8%(31.49ppb)

43.9%(29.57ppb)

13.6%(9.16ppb)

(三) 硫黄酸化物

(1) シミュレーションの概要

① 二酸化硫黄特有の数値(自動車の排出係数等)のみを置き換え、窒素酸化物と同様の方法で実施した。

② 環境庁大気保全局大気規制課が策定した「総量規制マニュアル」(乙四〇六、四七七)に準拠して回帰係数0.8から1.2の範囲、相関係数0.71以上をモデルの良否の判定基準として設定し、二酸化硫黄拡散計算をした計算値と実測値の季節別時間帯別平均値及び年平均値の照合により拡散シミュレーションの整合性を検討した結果、年平均値においては、回帰係数0.905、相関係数0.929、季節別時間帯別においても、暖房期の夜中を除き、極めて良好な結果が得られた。

(2) シミュレーションの結果

川崎市内幹線道路を走行する自動車の二酸化硫黄の寄与率は以下のとおりである(括弧内は寄与濃度)。

一般局 市内幹線道路

市内固定

大師 7.2%(1.81ppb)

34.4%(8.68ppb)

田島 10.3%(3.02ppb)

32.2%(9.47ppb)

川崎 9.9%(2.23ppb)

27.2%(6.12ppb)

幸 15.6%(2.94ppb)

20.0%(3.77ppb)

2 「窒素酸化物対策専門部会報告」(乙四一〇の1、2)

(一) シミュレーションの目的

川崎市公害対策審議会窒素酸化物対策専門部会は、川崎市の二酸化窒素に係る当面の目標値の達成を図るため、窒素酸化物総量規制シミュレーションにより各種発生源からの影響を把握し、川崎市の固定発生源許容排出総量算定の基礎資料とする目的で、昭和五五年八月、環境庁大気保全局大気規制課が策定した「総量規制マニュアル」(乙四〇六、四七七)に準拠し、総量規制シミュレーションフローにしたがい、一般環境及び沿道地域を対象として(メッシュの中心点が直近一般幹線道路端から五〇m以内及び高架幹線道路端から一五〇m以内にあるメッシュを沿道地域メッシュに、沿道メッシュ以外のメッシュを一般環境メッシュに区分)、昭和五二年度の窒素酸化物の長期間平均濃度としての年平均値の大気拡散シミュレーションを実施した。

(二) シミュレーションの概要

(1) 現状窒素酸化物排出量の算定は、発生源別に固定、自動車、船舶、航空機、民生毎に算定し、これを地域別(川崎市とそれ以外)に整理した。

自動車の場合、川崎市の実施した昭和五二年度の「交通量情勢調査」及び「交通量調査」並びに建設省の実施した同年度の「交通量常時観測調査」から幹線、非幹線それぞれの車種別時間別交通量及び走行台Kmを推定し、これに車種別排出係数を乗じて排出量を算出した。

(2) 濃度場の計算は、川崎市全域と隣接する東京都、横浜市について実施し、計算に利用した地図の原図は二万分の一の地形図の川崎市国土基本図メッシュ図に基づき、川崎市を原則として五〇〇m正方メッシュ、一部を一Km正方メッシュとした。

(3) 各種発生源のモデル化、季節及び時間帯区分、有効煙源高を設定した。

自動車の場合、川崎市内の幹線道路を線源に、その煙源数を一九五に、その有効煙源高を静穏時・有風時別に一般道路を1.5から7m、高速道路を一〇m又は一五mに設定した(なお、その他の地域及び川崎市内の非幹線道路は面源に設定した。)。

また、季節区分を非暖房期(四月から一一月)及び暖房期(一二月から三月)、時間帯区分を朝(八時から一一時)、午後(一二時から一七時)、夜(一八時から二三時)及び深夜(二四時から七時)に設定した。

(4) 気象のモデル化は、風向を一六方位及び静穏時に、風速階級及び代表風速を七区分に、大気安定度を有風時にパスキル安定度を、静穏時にターナー安定度を用いた季節別時間帯別に区分した。なお、一般局で得られた気象観測値の観測高度を考慮し、地表煙源(自動車、民生)に適用する風速の補正をした。

(5) 拡散式は、有風時にプリューム式、静穏時にパフ式を用いた(ただし、線源のメッシュ中心点の直近線源のみいずれもJEA式を用いた。)。

(6) 使用したシミュレーションモデルの妥当性について、具体的判定基準を用いた精度ランク(誤差が小さい順にA、B、C)に基づき評価したところ、非暖房期及び暖房期は、時間帯区分がいずれも精度ランクC、期間平均がBであり、年平均は、深夜が精度ランクC、その他の時間帯区分がB、期間平均がAであった。

(三) シミュレーションの結果

川崎市内全自動車の窒素酸化物の寄与率は以下のとおりである(括弧内は寄与濃度)。

一般局 市内全自動車

市内固定

大師 25.7%(14.76ppb)

22.4%(12.88ppb)

田島 36.3%(24.18ppb)

18.7%(12.46ppb)

川崎 39.5%(27.91ppb)

12.9%(9.08ppb)

幸 45.5%(33.28ppb)

9.0%(6.61ppb)

3 「川崎市における今後の窒素酸化物対策について」(甲五八五、九二〇)

(一) シミュレーションの目的

川崎市公害対策審議会は、自動車対策の成否が二酸化窒素環境濃度の改善に大きく影響することから、自動車対策を中心に検討する目的で、平成元年三月、環境庁大気保全局大気規制課が策定した「窒素酸化物総量規制マニュアル」(乙四〇七、四七八)に準拠して昭和六〇年度の一般局における窒素酸化物の発生源別寄与状況の大気拡散シミュレーションを実施した。

(二) シミュレーションの概要

(1) 昭和六〇年度の二酸化窒素及び窒素酸化物の環境濃度について、月別時刻別平均濃度を解析した上、川崎市内の工場、事業場及び自動車からの窒素酸化物排出量の時刻別変動を解析し、その解析結果に基づき、期間区分を春(四月から六月)、夏・秋(七月から一〇月)及び冬(一一月から三月)に、時間帯区分を朝(七時から一一時)、昼(一一時から一七時)、夜(一八時から二三時)及び深夜(二四時から六時)に設定した。

(2) 自動車からの窒素酸化物排出量は、昭和六〇年度の「道路交通センサス・一般交通量調査」(建設省)、同年度の「道路交通量調査報告書」(川崎市企画調整局)及び調査のために実測した交通量と道路区間距離から求めた走行量に排出係数調査結果から得られた排出係数を乗じて推計し、幹線道路及び準幹線道路を線煙源に、それ以外の道路(細街路)を面煙源に設定した。

その結果、川崎市内全自動車の排出量は年間四一七五t、川崎市内幹線道路の自動車の排出量は年間三八九四tであった。

(三) シミュレーションの結果

川崎市内全自動車の窒素酸化物の寄与率は以下のとおりである。

一般局 市内全自動車 市内工場等

大師  27.4% 12.9%

田島  42.2% 9.9%

川崎  35.2% 8.8%

幸   39.6% 5.4%

四  「川崎南部地区道路大気調査報告書」(丙三四七、甲二六〇三の1、2)

右シミュレーション(以下「関東地建報告」という。)の内容は以下のとおりである。

1 シミュレーションの目的

建設省関東地方建設局は、青山報告の中で問題があると思われる条件について、より妥当と思われる条件を用い、併せて調査対象道路の範囲を整理して寄与濃度を推定し、青山報告と比較する目的で、昭和四九年度の本件地域の埋立地を除く範囲を対象地域とする窒素酸化物の測定局濃度及び面的濃度(二五〇m正方メッシュ)を年平均値で計算した。なお、対象道路は、横羽線、国道一号線、同一五号線及び同一三二号線のほか、必要に応じて区域指定前の国道四〇九号線及び産業道路を加えた。

2 シミュレーションの概要

(一) 発生源モデル

八車種別日交通量に基づき、時間変動係数を設定して交通量を時刻別に分解し、別途設定した排出係数を乗じて窒素酸化物排出量を求めた。なお、道路の座標、高さ、幅員も考慮したが、青山報告のデータを用い、できる限り青山報告に合わせた。

(二) 気象モデル

青山報告と同様に昭和四九年度における大師一般局及び中原一般局の風向・風速一時間値データを使用し、気象頻度分類及び風速補正をケース毎に設定した。

(三) 拡散モデル

発生源モデル及び気象モデルで整理したデータを使用して拡散計算を実施した。青山報告と同様にプリューム・パフモデルを拡散式に使用し、拡散パラメータ及び鉛直方向の初期拡散幅はケース毎に設定した。

(四) 計算ケース

以下の三つのケースについて拡散計算を実施し、寄与度を推計した。

(1) ケース一

青山報告となるべく近い条件で計算し、これを再現、確認するため、窒素酸化物排出量、有効煙源高、気象頻度分類、拡散パラメータ及び鉛直方向の初期拡散幅を青山報告と同様の数値及びモデルで設定し、推計値を計算した。

(2) ケース二

ケース一とケース三の中間で計算条件の感度を把握するため、窒素酸化物排出量、気象頻度分類及び拡散パラメータを青山報告と同様の数値及びモデルで設定したほか、有効煙源高及び鉛直方向の初期拡散幅を川崎市報告と同様の数値で設定し、推計値を計算した。

(3) ケース三

川崎市報告となるべく近い条件で計算し、これを再現、確認するため、窒素酸化物排出量を青山報告書と同様の数値で設定したが、有効煙源高、気象頻度分類、拡散パラメータ及び鉛直方向の初期拡散幅を川崎市報告と同様の数値及びモデルで設定し、推計値を計算した。

3 シミュレーションの結果

(一) 測定局濃度

各ケースにおける実測値と被告道路及び産業道路からの寄与濃度及び平均寄与率は図表四七のとおりである。なお、ケース一において、青山報告にほぼ相当する結果が得られることを確認することができた。

(二) 面的濃度

累積窒素酸化物濃度ランク別出現メッシュ割合及び行政区別窒素酸化物平均濃度は図表四八のとおりである。

五  大気拡散シミュレーションのまとめ

1 大気拡散シミュレーションの検討

(一) 青山報告、川崎市報告、関東地建報告の三つの大気拡散シミュレーションが存在するところ、そのうち関東地建報告は青山報告を弾劾し、川崎市報告を確認する目的、内容であるから、大気汚染物質の到達の状況を認めるための大気拡散シミュレーションとして青山報告と川崎市報告を検討する。

青山報告は、環境庁大気保全局大気規制課が策定した「窒素酸化物総量規制マニュアル」(乙四〇七、四七八)又は建設省が策定した「道路環境整備マニュアル」(丙三一九)に採用されているプリューム・パフモデル、統計モデル、初期拡散幅(1.5m)、有効煙源高(路面位置+一m)等を採用するなどしており、そのシミュレーション方法に合理性が認められる。

他方、川崎市報告は、環境庁大気保全局大気規制課が策定した「総量規制マニュアル」(乙四〇六、四七六、四七七、証人横山長之)及び「窒素酸化物総量規制マニュアル」(乙四〇七、四七八)に準拠し、窒素酸化物ないし硫黄酸化物についてプリューム・パフモデルを拡散モデルとして、パスキル・ターナーモデルを拡散パラメータとして採用し、季節別時間帯別に大気安定度を設定したほか、実測値と計算値との整合性の検討を実施するなどしており、やはりそのシミュレーション方法に合理性が認められる。

以上のとおり、青山報告と川崎市報告はいずれも大気拡散シミュレーションとして合理性が認められ、その精緻さにも優劣がつけ難い。したがって、前記のとおり、青山報告より本件道路からの窒素酸化物の寄与度が小さく推計されている川崎市報告の数値をもって、少なくとも本件道路から本件地域の一般局への窒素酸化物の寄与度であると認めるのが相当であり、同様に硫黄酸化物についても、川崎市報告の数値をもって、その硫黄酸化物の寄与度であると認めるのが相当である。

(二) 原告らの反論

原告らは、川崎市報告について、実測値と計算値の整合性の検証を試みてはいるものの、年平均値においては、整合性が認められる一方、一年を八パターンに区分した場合の検証においては、短時間評価(一時間単位)と対比して整合性が高く出やすいにもかかわらず、窒素酸化物の暖房期夜中の場合のように、極端に相関係数が低い時期があるから、年平均値における整合性は見せかけのもので実際には多くの誤差を含んでおり、年平均値における整合性が高くても、八つに区分されたパターンにおける整合性に問題がある以上、実測値と計算値の間の整合性が検証されたとはいえない旨反論する。

確かに、発生源における寄与を公正に評価するためには整合性が高く出る傾向のある長期平均値のみではなく、拡散モデルにより計算される最小時間スケール一時間値における整合性の確認が望ましいものの(甲一一七六、二六〇三の1、2)、川崎市報告も一年を八つのパターンに分けるなど細分化して整合性を検証しており、最小時間における整合性の検証がされていないからといって、川崎市報告が直ちに信用できないということはできない。また、川崎市報告のみにおいて、実測値と計算値の整合性の検証が実施され、窒素酸化物ないし硫黄酸化物ともに年平均値のほかに季節別時間帯別の平均濃度においても、おおむね良好な整合性が得られている上、整合性の検証は必ずしも相関係数及び回帰係数のみで判断するものでもないから(乙四〇七、四七八)、川崎市報告の季節別時間帯別の一部の数値の相関係数又は回帰係数が低いことをもって、実測値と計算値の整合性の検証が明確に実施されていない青山報告より川崎市報告が直ちに信用できないということはできない。

第二  本件地域における浮遊粒子状物質の発生源割合の調査

一  「川崎市における浮遊粒子状物質の発生源寄与率の算定」(甲九八二)

1 川崎市環境保全局公害部大気課は、浮遊粒子状物質削減対策を実施するために環境(リセプター)と発生源(ソース)との関係を明らかにする目的で、昭和五八年度から昭和六〇年度までの間の田島地区の浮遊粒子状物質濃度等に基づき、発生源から排出された粒子の地域における大気中濃度と発生源から排出された粒子中の元素を割合を乗じ、環境大気中の元素の濃度を算出する方法(CEB法)により浮遊粒子状物質の年平均の発生源別寄与率を算定した。

2 その結果は図表四九のとおりであり、自動車走行にともない道路、ディーゼル車及びガソリン車から排出される浮遊粒子状物質の昭和六〇年度の平均寄与率は約五〇%である。

二  「浮遊粒子状物質対策調査事業総括」(甲九八一、一七八二)

1 神奈川県公害防止推進協議会浮遊粒子状物質対策検討部会は、神奈川県内の一五測定局を対象に実施された調査データを利用し、各発生源の特徴を表す成分(指標元素)の浮遊粒子状物質中の含有量を調べることにより各発生源との関係を解析し、寄与率(寄与の程度)を算定する方法(CMB法)により平成五年度の田島一般局の浮遊粒子状物質の発生源種類別の寄与率及び寄与濃度を算定した。

2 その結果は図表五〇のとおりであり、自動車走行にともないディーゼル車から排出される浮遊粒子状物質の平均寄与率は約三二%、微小粒子の平均寄与率は約三七%である。

第三  本件道路から本件地域の一般環境大気への大気汚染物質の到達(寄与度)

一  本件地域における一般環境大気及び本件道路の状況

1 一般局の地域代表性

前記のとおり、本件地域においては、大師保健所屋上に所在する大師一般局が産業道路及び横羽線から五〇〇m、国道四〇九号線から五〇〇m及び同一三二号線から二五〇mの位置に、田島保健所屋上に所在する田島一般局が産業道路及び横羽線から四〇〇mの位置に、公害監視センター屋上に所在する川崎一般局が国道一五号線及び同一三二号線から二〇〇mの位置に、幸保健所屋上に所在する幸一般局が国道一号線及び同四〇九号線から一〇〇mの位置に点在しているところ、いずれも本件道路から離れている上、前記のとおり、右各一般局の周辺において、大気汚染物質濃度に特に寄与する事業所は存在せず、その他に大気汚染物質濃度に特に寄与する発生源が存在する形跡もない(乙四一一、四一二、四九六)。したがって、右各一般局において測定された大気汚染物質の実測値は、これらの所在する地域の一般環境大気における大気汚染物質の状況を代表していると認めるのが相当である。また、前記のとおり、右各一般局の実測値は、幸一般局が若干低い傾向があるものの、ほぼ同様の濃度値、経年推移を示しているところ、本件地域において、一般環境大気が面的に広がっていることも考慮すると、本件地域の四か所に点在している右各一般局の数値を平均化した数値をもって、本件地域全体の一般環境大気における大気汚染物質の状況を代表していると認めるのが相当である。

2 川崎市内の道路と本件道路の関係

本件地域の一般局は本件道路以外の川崎市内幹線道路と離れているから、右各一般局における川崎市内全自動車からの窒素酸化物の寄与度はほぼ本件地域の道路からのものであると認めるのが相当である(甲九一二、九一八、一二五六)。そして、本件地域の道路のうち幹線道路は本件道路とほぼ同じであるから、右各一般局における本件地域の幹線道路からの窒素酸化物の寄与度はほぼ本件道路からのものであると認めるのが相当である(甲九一八、九二〇、乙四〇九、四一〇の2)。

二  窒素酸化物の寄与度

1 窒素酸化物全体

前記のとおり、川崎市報告の数値が本件道路から本件地域の一般局への窒素酸化物の寄与度であると認められるから、大気拡散シミュレーションを実施した川崎市報告に基づき、本件道路から本件地域への窒素酸化物の寄与度を判断する。

(一) 昭和四九年度

昭和四九年度の本件道路から本件地域への窒素酸化物の寄与率は本件地域の一般局における川崎市内幹線道路の寄与率とほぼ同じであると認められるから、川崎市報告の結果からすると、川崎市内幹線道路から本件地域の一般局への平均寄与率である約三五%をもって、同年度の本件道路から本件地域の一般環境大気への寄与率であると認めるのが相当である。

(二) 昭和五二年度

実際の環境大気中においては、影響を与える発生源が複数あり、それぞれの間の排出量が異なった比率で変動している場合、明確には排出量比と濃度比が対応しないけれども、同じ地域の同じ使われ方をしている道路と特別偏らずにある程度の数が分布して散らばっている測定局であれば、その排出量比と濃度比の間にはかなりの比例関係があるところ(甲二六〇〇の1、2、二六〇三の1、2)、昭和五二年度の川崎市全体の道路の排出量(一日当たり1万3889.3kg)に対する川崎市内幹線道路からの排出量(一日当たり1万2545.3kg)の比率が約九〇%であり(乙四一〇の1、2)、川崎市内幹線道路の寄与率は川崎市内全自動車の寄与率の約九〇%ということができるから、川崎市報告の結果からすると、川崎市内全自動車から本件地域の一般局への平均寄与率である約三七%の約九〇%である約三五%をもって、同年度の本件道路から本件地域の一般環境大気への寄与率であると認めるのが相当である。

(三) 昭和六〇年度

前記のとおり、同じ地域の同じ使われ方をしている道路と特別偏らずにある程度の数が分布して散らばっている測定局であれば、その排出量比と濃度比の間にはかなりの比例関係があるところ、川崎市報告における昭和六〇年度の本件地域全体の道路の排出量(年間1585.89t)に対する本件地域の幹線道路からの排出量(年間1417.69t)の比率が約八九%であり(甲九二〇)、本件地域の幹線道路の寄与率は川崎市内全自動車の寄与率の約九〇%ということができるから、川崎市報告の結果からすると、川崎市内全自動車から本件地域の一般局への平均寄与率である約三六%の約八九%である約三〇%をもって、同年度の本件道路から本件地域の一般環境大気への寄与率であると認めるのが相当である。

(四) 昭和四〇年度

拡散に影響を与える気象条件も昭和四九年度が特別異常な年度ではないから(甲二六〇〇の1、2)、本件道路の排出量の推移から昭和四〇年度の窒素酸化物の寄与濃度を推計することができ、その結果は以下のとおりである。しかし、前記のとおり、本件地域の一般局及び自排局において、同年度の窒素酸化物濃度は測定されていず、川崎市は、昭和四〇年度の窒素酸化物の寄与のシミュレーションを実施していない。したがって、同年度の本件地域における窒素酸化物の状況が不明であるから、本件道路の寄与率を認めるに足りる証拠がないことになる。

年度 (昭和)  排出量

排出量比率  寄与濃度

四〇年度 1401.612t

六九%   17.4ppb

四九年度 2020.540t

一〇〇%   25.1ppb

(五) その他の年度

前記のとおり、昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度のみしか本件道路の寄与率が明らかでない。しかし、前記のとおり、本件地域における窒素酸化物濃度は、測定が開始された昭和四三年以降、年毎に上下があるものの、おおむね横ばい傾向にあったこと、本件道路の自動車交通量は、昭和四〇年以降、年毎に上下があるものの、おおむね横ばい又は漸増傾向にあったこと、本件道路の年間排出量は、昭和四九年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度において順次減少していたにもかかわらず、右各年度の本件道路の窒素酸化物の寄与率は約三〇から約三五%の間であったこと、その間に本件道路以外に窒素酸化物濃度に特別に寄与する発生源が新たに発生した形跡がないことからすると、前記のとおり、より小さい川崎市報告の数値をもって本件道路の寄与率としたことも考慮し、本件道路の窒素酸化物の寄与率は昭和四三年ころから約三〇%程度で推移していたと認めるのが相当である。(なお、昭和四三年以前の本件道路の寄与率を認めるに足りる立証がない。)。

2 二酸化窒素

排出された窒素酸化物中の一酸化窒素は、二酸化窒素へ酸化するけれども、自動車からのものとそれ以外の発生源からのもので酸化の速度や割合に違いがなく、排出からある程度時間が経過した後の一般環境大気においては、自動車からのものとそれ以外の発生源からのものとの酸化の程度はほぼ等しくなっており、窒素酸化物の寄与率がそのまま二酸化窒素の寄与率であるということができるから、各年度の前記窒素酸化物の寄与率をもって、本件道路の二酸化窒素の寄与率と認めるのが相当である。

三  浮遊粒子状物質の寄与度

川崎市の昭和六〇年度の浮遊粒子状物質の発生源割合の前記調査結果に基づき、本件道路から本件地域の一般局への浮遊粒子状物質の寄与度を判断する。

1 昭和六〇年度

前記のとおり、田島一般局は本件地域の一般環境大気を代表する測定局の一つであるところ、昭和六〇年の浮遊粒子状物質の年平均値(0.044mg/m3)はその他の本件地域の一般環境大気を代表する川崎及び幸一般局の同年の年平均値(いずれも0.043mg/m3)とほぼ同じ数値であるから(大師一般局の実測値は参考値である。)、田島一般局の昭和六〇年の年平均値における自動車の寄与率約五〇%をもって、一般環境大気における道路の浮遊粒子状物質の寄与率であると認めるのが相当である。

そして、前記のとおり、本件地域外の幹線道路は本件地域から離れているから、道路の寄与率のほとんどは本件地域の道路からのものである。ところで、前記のとおり、浮遊粒子状物質は周径一〇μ以下と非常に微小であり、大気中においては、粒子状ガス物質である窒素酸化物とほぼ同様の動きをするということができるところ、前記のとおり、本件地域の幹線道路の排出量の本件地域の道路全体の排出量に対する比率は約八九%であるから、これをもって、本件地域の道路全体に対する本件道路の浮遊粒子状物質の比率であるとみなすことができ、本件地域の道路全体の浮遊粒子状物質の寄与率約五〇%の約八九%である約四五%をもって、同年の本件道路の本件地域への浮遊粒子状物質の寄与率であると認めるのが相当である。

2 昭和四〇年度、昭和四九年度及び昭和五二年度

(一) 前記のとおり、昭和六〇年度のみしか本件道路の寄与率が明らかでない。しかし、前記のとおり、浮遊粒子状物質は周径一〇μ以下と非常に微小であり、大気中においては、粒子状ガス物質である窒素酸化物とほぼ同様の動きをするということができるところ、前記のとおり、窒素酸化物と同様の粒子状ガス物質である浮遊粒子状物質についても、同じ地域の同じ使われ方をしている道路と特別偏らずにある程度の数が分布して散らばっている測定局であれば、その排出量比と濃度比の間にはかなりの比例関係があるということができるから、本件道路の排出量の推移からその他の年度の浮遊粒子状物質の寄与度を推計することができる(なお、拡散に影響を与える気象条件も昭和六〇年度が特別異常な年度であった形跡はない。)。

(二) 年間排出量の比率

各年度の本件道路の浮遊粒子状物質排出量の比率は以下のとおりである。

年度(昭和) 本件道路の排出量

四〇年度

二〇万〇七九三t(六一%)

四九年度

二八万三九七〇t(八六%)

五二年度

二六万八三九一t(八一%)

六〇年度

三三万一二〇八t(一〇〇%)

(括弧内は昭和四九年度を一〇〇とした場合の比率)

(三) 本件道路の寄与濃度

右浮遊粒子状物質排出量の比率に基づき、右各年度の本件道路の一般局への平均寄与濃度を算出した結果は以下のとおりである。

年度(昭和) 本件道路の寄与濃度

四〇年度

0.012mg/m3(六一%)

四九年度

0.017mg/m3(八六%)

五二年度

0.016mg/m3(八一%)

六〇年度

0.019mg/m3(一〇〇%)

(四) 本件道路の寄与率

右各年度の平均寄与濃度を前記一般局の平均実測値(年平均値)と対比して右各年度の本件道路の平均寄与率を算出した結果は以下のとおりである(ただし、昭和六〇年度は大師一般局を、昭和五二年度は幸一般局を、昭和四九年度は大師及び幸一般局を除く実測値である。)。なお、昭和四〇年度の一般局の実測値を示す証拠がないから、同年度の本件道路の寄与率を認めるに足りる証拠がないことになる。

年度(昭和) 一般局の実測値

本件道路の寄与率

四九年度 0.072mg/m3

二五%(0.017mg/m3)

五二年度 0.066mg/m3

二五%(0.016mg/m3)

六〇年度

四五%

3 その他の年度

前記のとおり、本件地域における浮遊粒子状物質濃度は、測定が開始された昭和四九年から昭和五四年ころまでの間、年平均値がおおむね0.060mg/m3を超えていたが、その後はほとんど年平均値がおおむね0.060mg/m3を超えず、減少傾向にあること、本件道路の自動車交通量は、昭和四九年以降、年毎に上下があるものの、おおむね横ばい又は漸増傾向にあったこと、本件道路の年間排出量は、昭和四九年度及び昭和五二年度がほぼ横ばいであったのに対し、昭和六〇年度が増加したこと、本件道路の浮遊粒子状物質の寄与率は、昭和四九年度及び昭和五二年度が約二五%であったのに対し、昭和六〇年度が約四五%であったことからすると、昭和五〇年代前半までの本件道路の寄与率は約二五%程度で推移していたが、昭和五〇年代後半からの本件道路の寄与率は約四五%程度で推移していたと認めるのが相当である(なお、昭和四九年以前は本件道路の寄与率を認めるに足りる証拠がないことになる。)。

四  硫黄酸化物の寄与度

前記のとおり、川崎市報告の昭和四九年度の二酸化硫黄のシミュレーション結果が同年度の本件道路から本件地域の一般局への二酸化硫黄の寄与率であると認められるから、大気拡散シミュレーションを実施した川崎市報告に基づき、本件道路から本件地域への二酸化硫黄の寄与度を判断する。

1 昭和四九年度

昭和四九年度の本件道路から本件地域への二酸化硫黄の寄与度は本件地域の一般局における川崎市内幹線道路の寄与率とほぼ同じであるから、川崎市報告の結果からすると、川崎市内幹線道路から本件地域の一般局への平均寄与率である約一〇%をもって、同年度の本件道路から本件地域の一般環境大気への寄与率であると認めるのが相当である。

2 昭和四〇年度、昭和五二年度及び昭和六〇年度

(一) 前記のとおり、昭和四九年度のみしか本件道路の寄与率が明らかでない。しかし、前記のとおり、拡散に影響を与える気象条件も昭和四九年度が特別異常な年度ではないところ、窒素酸化物と同様の粒子状ガス物質である二酸化硫黄についても、前記のとおり、同じ地域の同じ使われ方をしている道路と特別偏らずにある程度の数が分布して散らばっている測定局であれば、その排出量比と濃度比の間にはかなりの比例関係があるということができるから、本件道路の排出量の推移からその他の年度の二酸化硫黄の寄与度を推計することができる。

(二) 年間排出量の比率

各年度の本件道路の二酸化硫黄排出量の比率は以下のとおりである。

年度(昭和) 本件道路の排出量

四〇年度

212.213t(七九%)

四九年度

270.084t(一〇〇%)

五二年度

250.419t(九三%)

六〇年度

327.318t(一二一%)

(括弧内は昭和四九年度を一〇〇とした場合の比率)

(三) 本件道路の寄与濃度

右硫黄酸化物排出量の比率に基づき、右各年度の本件道路の一般局への平均寄与濃度を算出した結果は以下のとおりである。

年度(昭和) 本件道路の寄与濃度

四〇年度 2.0ppb(七九%)

四九年度 2.5ppb(一〇〇%)

五二年度 2.3ppb(九三%)

六〇年度 3.0ppb(一二一%)

(四) 本件道路の寄与率

右各年度の平均寄与濃度を前記一般局の平均実測値(年平均値)と対比して右各年度の本件道路の平均寄与率を算出した結果は以下のとおりである(ただし、昭和四〇年度は大師及び川崎一般局のみの実測値である。)。なお、昭和六〇年度の一般局の実測値を示す証拠がないから、同年度の本件道路の寄与率を認めるに足りる証拠がないことになる。

年度(昭和) 一般局の実測値

本件道路の寄与率

四〇年度    九五ppb

二%(2.0ppb)

四九年度

一〇%

五二年度    二三ppb

一〇%(2.3ppb)

3 その他の年度

前記のとおり、本件地域における二酸化硫黄濃度は、測定が開始された昭和四〇年以降、ほとんど減少傾向にあり、同年と対比して昭和五五年は約一六%と著しく減少したこと、本件道路の自動車交通量は、昭和四〇年以降、年毎に上下があるものの、おおむね横ばい又は漸増傾向にあったこと、本件道路の年間排出量は、昭和四〇年度と比較して昭和四九年度が増加し、昭和四九年度と昭和五二年度がほぼ横ばいであったこと、本件道路の二酸化硫黄の寄与率は、昭和四〇年度が約二%であったのに対し、昭和四九年度及び昭和五二年度が約一〇%であったことからすると、昭和四〇年代前半までは本件道路以外の発生源の寄与度が大きく、本件道路は寄与率の極めて小さい発生源であったが、昭和四〇年代後半から昭和五〇年代前半までの間の本件道路の寄与率は約一〇%程度で推移していたと認めるのが相当である(なお、昭和五五年以降は本件道路の寄与率を認めるに足りる証拠がないことになる。)。

第四  道路沿道汚染の調査

一  距離減衰調査

本件地域内外において、窒素酸化物ないし二酸化窒素の距離減衰調査が実施されているところ、その概要は以下のとおりである。

1 本件地域における調査

(一) 「自動車排出ガス影響調査」(甲九一四、一一八九)

(1) 川崎市公害局は、特定地域を選定し、その地域における自動車走行状況と環境濃度の実態を詳細に把握し、自動車排出ガスの環境への影響を定量的に把握するための最適な拡散モデルを検討する目的で、昭和六〇年一一月、池上地区及び遠藤町地区において、二酸化窒素、一酸化窒素等の道路からの濃度減衰、二酸化窒素への転換等の大気環境実態調査等を実施した。

(2) 池上地区における調査(甲九一四)

横羽線及び産業道路沿道の池上地区において、産業道路車道端、道路敷地境界及び境界から五〇mまでの間に連続的に測定点を設置し(敷地境界から六m及び二五m地点においては、地上一から一二mの高さに簡易サンプラーを設置)、横羽線及び産業道路からの窒素酸化物及び二酸化窒素の沿道濃度(距離変化及び鉛直分布)の分布(日平均値)を測定した(なお、池上自排局は、道路敷地境界から約三mの距離にあり、自動測定器が設置されている。)。その結果は図表五一のとおりであり、敷地境界から三m地点と四五m地点における二酸化窒素濃度は、道路と直角の毎秒1.26mの風速下で四七ppb対五二ppb、道路とほぼ平行の毎秒3.49mの風速下で五三ppb対四四ppb、道路とほぼ平行の毎秒3.06mの風速下で六二ppb対四五ppbであり、横羽線及び産業道路沿道においては、車道端直近から約五〇m離れた地点付近まで二酸化窒素濃度の顕著な距離減衰はみられなかった。

(3) 遠藤町地区における調査(甲一一八九)

国道一号線遠藤町交差点沿道において、その道路端から九〇mまでの間に連続的に測定点を設置し、右交差点の窒素酸化物及び二酸化窒素の交差点部沿道濃度(距離変化)の分布を測定した。その結果は図表五二のとおりであり、風速及び風向により変動はあるものの、ほぼ同様の傾向を示したが、南南西から西南西の風の場合には急激な減衰がみられた。

(二) 「自動車排出ガスによる道路周辺での大気汚染に関する研究」(甲二六〇)

横浜市公害研究所大気部門中村貢らは、道路近傍における窒素酸化物の汚染を把握する目的で、昭和五二年一二月から昭和五三年二月までの間、住居地域である横浜市神奈川区三ツ沢及び商業地域である川崎区貝塚を選定し、道路から二〇〇m以内の風上一か所、風下五、六か所において、地上1.5mでザルツマン式窒素酸化物自動測定器を用いて測定を実施し、道路周辺における窒素酸化物の濃度、距離減衰、気象との関係等の解析について調査した。

その結果は、両地域において、酸化窒素、二酸化窒素、窒素酸化物の減衰のパターンが類似し、一酸化窒素の濃度が二酸化窒素の濃度に比べて減衰が大きく、特に三、四〇m付近までは減衰が著しく、また、二酸化窒素が六〇m付近で減衰がみられなくなるのに対し、一酸化窒素が最遠地点の一三〇mまで減衰がみられた。また、減衰のみられなくなる濃度はそれぞれの地域のバック・グラウンド濃度によるところが大きく、特に二酸化窒素においては、バック・グラウンド濃度の影響が道路からの窒素酸化物と比較して相対的に高く、道路からの減衰の認められる距離が短くなっていた。

2 本件地域外における調査

(一) 「近畿地建沿道調査〜西淀川・出来島地区」(甲九七九)

近畿地方建設局は、昭和五二年一一月八日から同月一五日までの間、大阪市西淀川区出来島地区において、道路端から〇、二五、五〇、一〇〇、二〇〇mの距離における一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物の一時間値の距離減衰を調査した。

その結果は図表五三のとおりであり、道路端を一〇〇%とした場合、一酸化窒素は、二五mで約81.6%、五〇mで37.4%、一〇〇mで24.2%に減衰し、その後はほとんど減衰しないのに対し、二酸化窒素は、道路端を一〇〇%とした場合、二五mで98.1%、五〇mで105.6%、一〇〇mで約68.5%、二〇〇mで53.7%に減衰するものの、その減衰は緩やかであった。

(二) 「三重県公害センター年報」(甲九二四)

三重県公害センターは、昭和四八年五月三一日及び同年六月一日、三重県桑名市において、自動車排出ガスによる風下方向の窒素酸化物濃度分布を調査した。

その結果は図表五四のとおりであり、二酸化窒素は道路端から風下一〇〇m地点で約二分の一に減衰した。

(三) 「国道四三号線公害総合環境調査」(甲九二五)

兵庫県生活部環境局は、国道四三号線沿線の生活環境破壊が問題となっている現況に対し、適切な防止対策の推進を図る目的で、昭和四九年八月及び九月、同四三号線以外の影響(風上方向となる同四三号線南側のバック・グラウンド濃度)を差し引いた同四三号線のみの自動車排出ガス濃度とバック・グラウンド濃度未補正の場合の距離減衰等を調査した。

その結果は図表五五のとおりであり、尼崎市において、窒素酸化物の距離減衰は、道路端の濃度に対し、四〇m地点で七五%、八五m地点で五〇%、一五〇m地点で二四%であり、一五〇mを超えると、減衰があまりみられないのに対し、二酸化窒素の距離減衰は、道路端の濃度に対し、二〇から五〇m地点で増大する傾向がみられ、一五〇m地点で約六〇%、二〇〇m地点で約五〇%であった。

(四) 「自動車排出ガス(CO、N)の道路からの減衰」(甲九二六)

兵庫県公害研究所は、市街地域を走る国道四三号線に直角に交差した道路上において、そこに進入する自動車排出ガス(一酸化炭素及び窒素酸化物)の拡散分布を明らかにする目的で、昭和四九年八月及び九月、尼崎市において、測定点の値からバックグラウンド値を差し引いた同四三号線の影響を調査した。

その結果は図表五六(上表)のとおりであり、二酸化窒素は、道路端から約五〇m地点まで道路端と同程度又はより高い値を示し、五〇m以上で減衰が始まり、一〇〇mで道路端の約七〇%、一五〇mで約五〇%と減衰は極めて緩やかであった。

(五) 「高速道路大気質長期定点測定」(甲九二七)

日本道路公団は、大気汚染の状態の長期的評価を実施する目的で、昭和五二年四月から同年七月までの間、東名高速道路において、道路構造別、風向別に窒素酸化物等の減衰率の調査を実施した。

その結果は図表五六(下表)のとおりであり、高架の場合、風下時、平行風時、平穏時のいずれも、道路端から九一m地点において、二酸化窒素は半減しなかった(なお、窒素酸化物は半減した。)。

(六) 「横浜市自動車公害防止計画」(甲九二八)

横浜市公害対策局は、各種道路構造別の窒素酸化物濃度及び二酸化窒素濃度の距離減衰を調査した。

その結果は、直角風の平坦道路における道路端濃度を一〇〇%とした場合、道路端から二〇m地点において、窒素酸化物が五〇%、二酸化窒素が五八%に、一五〇m地点において、窒素酸化物が一六%、二酸化窒素が三三%に、二〇〇m地点において、窒素酸化物が一三%、二酸化窒素が三一%に減衰した。

(七) 「複合大気汚染に係る健康影響調査総合解析報告」(甲二九二)

東京都衛生局は、昭和五九年一〇月二日から同月八日での間、板橋区、杉並区において、窒素酸化物について、各地区三地点(〇、五〇、一五〇m付近の地点)の環境測定を実施した。

その結果は、一酸化窒素について、板橋区においては、道路端が七日間平均0.092ppm、二〇m地点が同0.011ppm、一五〇m地点が同0.009ppm、杉並区においては、道路端が七日間平均0.071ppm、二〇m地点が同0.022ppm、一五〇mが同0.008ppmであり、いずれにおいても顕著な距離減衰が認められ、特に道路端と二〇m地点の濃度差が大きかったのに対し、二酸化窒素について、板橋区においては、道路端が七日間平均0.041ppm、二〇m地点が同0.021ppm、一五〇m地点が同0.019ppm、杉並区においては、道路端が七日間平均0.031ppm、二〇m地点が同0.026ppm、一五〇m地点が同0.017ppmと距離減衰が認められ、板橋区においては、その傾向がはっきりしていた。

(八) 「トレーサーガスを利用した自動車排出ガスの拡散に関する実験」(丙二一二)

建設省土木研究所は、道路構造と拡散現象の観点から自動車排出ガス拡散の問題を捉える目的で、トレーサーガスを道路端から放出して追跡した際、併せて自動車排出ガスによる窒素酸化物濃度分布を調査した。

その結果は図表五七のとおりであり、トレーサーガスについては、平面構造の道路の場合、道路端から約二五m地点で道路端濃度の半分、一五〇m地点で一、二〇%程度に、高架構造の道路の場合、地上1.5mの濃度と地上9.1mの濃度が道路から離れるにしたがって近い値となり、道路端から七、八〇m以降でほぼ等しくなっている。そして、各道路構造ともにトレーサーガスと窒素酸化物の濃度比の距離減衰はよく合っており、道路内の初期拡散には若干の違いがあるものの、道路端からの拡散特性は一致している。

3 距離減衰のまとめ

(一) 以上の調査結果を総合すると、右各調査結果にはかなりのばらつきがみられるものの、少なくとも交通量の多い幹線道路において、自動車から排出された窒素酸化物の距離減衰は、おおむね道路端から五〇m地点において、約二分の一程度に減衰し、その後も減衰し続けるのに対し、自動車から排出された二酸化窒素の距離減衰は、緩やかに減衰し、おおむね道路端から五〇m地点において、約三分の二程度にしか減衰せず、その後も緩やかに減衰し、道路端から一五〇m地点において、約二分の一程度に減衰すると認めるのが相当である(なお、原告らは、高架道路の場合、道路端から五〇m地点においても、ほとんど減衰しない旨主張するが、右調査結果中には原告らの右主張に沿わないものもあり、高架道路と平坦道路とで距離減衰に明確な相違があるとは認められない。)。

したがって、前記のとおり、交通量の多い幹線道路である本件道路沿道において本件道路を走行する自動車から排出された二酸化窒素は、道路端から五〇m地点において、約三分の二程度に、道路端から一五〇m地点において、約二分の一程度に少なくとも減衰すると認めるのが相当である。

(二) 被告らは、自動車から排出された窒素酸化物の濃度は道路端から二〇m離れるだけで急速に減衰し、一〇〇ないし一五〇m離れた地点においては、ほぼバック・グラウンド濃度になることが明らかである旨主張する。

しかし、人体に対する影響が取り上げられ、環境基準も設定されている物質は窒素酸化物ではなく、そのうちの二酸化窒素であるところ、窒素酸化物は、かなりの部分が一酸化窒素、残部が二酸化窒素であるが、一酸化窒素は時間が経つにしたがって二酸化窒素へと酸化するため、二酸化窒素は一酸化窒素又は窒素酸化物に比べてより距離減衰しにくいという特性があるから、二酸化窒素と窒素酸化物の距離減衰は必ずしも同じ傾向を示さない。したがって、窒素酸化物一般の距離減衰を取り上げることは相当でない。

二  本件地域の道路沿道における測定調査

1 川崎市における調査

川崎市は、本件地域の道路沿道における二酸化窒素濃度及び二酸化硫黄濃度の測定並びに右測定結果と直近の一般局の測定結果の日変化の対比を調査した。

2 「川崎市主要道路環境調査報告」(一一八六、一一八七)

(一) 二酸化窒素

昭和五七年八月一五日から同年九月二八日までの間の横羽線及び産業道路沿道の臨港警察署と大師及び田島一般局の対比は図表五八のとおりであり、右測定点の濃度が大師及び田島一般局の濃度を上回った。

(二) 二酸化硫黄

(1) 昭和五四年一〇月一四日から同年一一月八日までの間、国道四〇九号線沿道の国鉄塩浜信号支区において、二六日の有効測定日数のうち二日(7.7%)が二酸化硫黄の環境基準日平均値0.04ppmを超えていた。

(2) 昭和五七年八月一五日から同年九月二八日までの間、右臨港警察署において、四五日の有効測定日数のうち一日(2.2%)が二酸化硫黄の環境基準日平均値0.04ppmを超え、その一時間値最高が二酸化硫黄の環境基準一時間値0.1ppmに近い0.096ppmであった。

3 「川崎市主要道路環境実態調査報告」(甲一一八八)

(一) 二酸化窒素

昭和六二年一一月六日から同年一二月二一日までの間の国道四〇九号線沿道の日本貨物鉄道株式会社塩浜施設区と大師及び田島一般局の対比は図表五九のとおりであり、右測定点の濃度が大師及び田島一般局の濃度を上回った。

(二) 二酸化硫黄

(1) 昭和六二年一一月六日から同年一二月二一日までの間、国道四〇九号線沿道の日本貨物鉄道株式会社塩浜施設区において、四六日の有効測定日数のうち四日(8.7%)が二酸化硫黄の環境基準日平均値0.04ppmを超え、一時間値最高値が二酸化硫黄の環境基準値の一時間値最高値0.1ppmに近い0.098ppmであった。

(2) 同月二七日から昭和六三年二月九日までの間、横羽線及び産業道路沿道の四谷小学校において、四五日の有効測定日数のうち四日(8.9%)が二酸化硫黄の環境基準日平均値0.04ppmを超えていた。

(3) 右測定点の日平均値の推移を直近の大師及び田島一般局と対比した結果は図表六〇のとおりであり、右各測定点の濃度が大師及び田島一般局の濃度を上回っている。

三  一般局と自排局の実測値の対比

1 本件道路の大気汚染の寄与

(一) 前記のとおり、本件地域においては、池上新田公園前に所在する池上自排局が産業道路から一〇m、横羽線から一七mの位置に、川崎警察署敷地内に所在する新川通自排局が国道一五号線から8.5mの位置に、川崎市役所敷地内に所在する市役所前自排局が国道一五号線から一〇〇mの位置に、御幸小学校敷地内に所在する遠藤町自排局が国道一号線から二〇m及び同四〇九号線から一八mの位置にあり、いずれも本件道路に近接しているところ、本件道路の大気汚染物質の排出量が相当量に達しており、大気汚染物質の発生源となっている一方、右自排局の周辺において、大気汚染物質濃度に特別に寄与する事業所が存在せず、その他の大気汚染物質の発生源が存在する形跡もないから、本件地域の一般環境大気を明らかにする右各一般局の実測値とこれに近接する右自排局の実測値の濃度差の原因は右自排局に近接する大気汚染物質の発生源である本件道路にあると認めるのが相当である。

(二) 被告らは、一般局について、大小様々な企業や工場等が発生源として存在する都市型、生活型複合汚染の中において、一般局の位置関係や距離等の諸条件により必然的に様々な影響を受け、その実測値は一般局毎の現況実測値を示すにとどまり、自排局についても、自排局毎の現況実測値を示すにとどまる旨反論するが、一般環境大気や道路沿道の状況を示す適切な資料や方法がない事情の下にあっては、実際に測定した一般局や自排局の複数の実測値に基づき、一般環境大気や道路沿道の状況を推計する方法には合理性が認められる。

2 二酸化窒素

(一) 一般局と自排局の平均濃度の対比

本件地域の一般環境大気を代表する大師、田島、川崎及び幸一般局と被告道路及び産業道路沿道に所在する池上、新川通、市役所及び遠藤町自排局の昭和五五年から平成七年までの間の二酸化窒素の前記年平均値の濃度差は図表六一のとおりであり、本件地域の自排局は、本件地域の一般局に対し、平均約0.009ppm(約二八%)高い濃度である。

(二) 近接する自排局と一般局の濃度の対比

(1) 横羽線及び産業道路沿道

横羽線(距離約一〇m)及び産業道路(距離約一七m)沿道に所在する池上自排局とこれに近接する大師及び田島一般局の昭和五六年から平成七年までの間の二酸化窒素の前記年平均値の濃度差は図表六一のとおりであり、池上自排局は、大師及び田島一般局に対し、約0.016ppb(約四七%)高い濃度である。

(2) 国道一五号線

国道一五号線(距離約8.5m)沿道に所在する新川通自排局とこれに近接する川崎一般局の昭和五五年から平成七年までの間の二酸化窒素の前記年平均値の濃度差は図表六一のとおりであり、新川通自排局は、川崎一般局に対し、約0.01ppb(約二八%)高い濃度である。

(3) 国道一号線及び同四〇九号線沿道

国道一号線(距離約二〇m)及び同四〇九号線(距離約一八m)沿道に所在する遠藤町自排局とこれに近接する幸一般局の昭和五五年から平成七年までの間の二酸化窒素の前記年平均値の濃度差は図表六一のとおりであり、遠藤町自排局は、幸一般局に対し、約0.006ppb(約一七%)高い濃度である。

3 浮遊粒子状物質

横羽線(距離約一〇m)及び産業道路(距離約一七m)沿道に所在する池上自排局とこれに近接する大師及び田島一般局の平成七年度の浮遊粒子状物質の前記年平均値の濃度差は0.077mg/m3対0.042mg/m3(大師一般局)、0.049mg/m3(田島一般局)であり、池上自排局は、大師及び田島一般局に対し、約六、七〇%高い濃度である。

第五  本件道路からその沿道地域への大気汚染物質の到達

一  窒素酸化物の寄与度

1 本件地域の道路沿道における前記測定調査の結果及び一般局と自排局との濃度の対比は、沿道地域毎に高低があるものの、おおむね前記距離減衰調査の結果と同様の傾向を示しており、以上の調査や対比を総合すると、交通量の多い幹線道路である被告道路及び産業道路の道路端から五〇m地点までの沿道地域においては、二酸化窒素濃度が一般環境大気より約三〇%(三分の二/二分の一)高く、右濃度の高さは右道路が寄与していると認めるのが相当である。そして、右沿道地域における右道路の寄与率は右濃度の高さと一般環境大気における右道路の寄与度を合計した約四五%(三〇%+三〇%/一〇〇%+三〇%)であると認めるのが相当である。

2 それ以外の本件道路

それ以外の本件道路も比較的交通量の多い幹線道路であることからすると、被告道路及び産業道路沿道におけると同様の二酸化窒素濃度の状況があるということができるから、右道路以外の本件道路の道路端から五〇m地点までの沿道地域においても、被告道路及び産業道路と同様に二酸化窒素濃度が一般環境大気より約三〇%高く、右濃度の高さは右道路以外の本件道路が寄与していると認めるのが相当であり、本件道路の沿道地域における本件道路の経年の寄与率は右濃度の高さと一般環境大気における寄与度の合計である約四五%であると認めるのが相当である。

3 したがって、本件道路の道路端から五〇m地点までの沿道地域への二酸化窒素の経年の寄与率は約四五%であると認めるのが相当である。

二  浮遊粒子状物質の寄与度

1 前記のとおり、浮遊粒子状物質についても、本件道路の排出量が相当量に達しており、また、平成七年の自排局の実測値が一般局の実測値より高いから、本件道路の沿道地域における浮遊粒子状物質濃度は一般環境大気の浮遊粒子状物質濃度より高い状況にあると推定されるが、浮遊粒子状物質の距離減衰調査がなく、また、自排局の実測値も平成七年のもののみであるから、沿道地域における本件道路の寄与度を明確にできない。したがって、一般環境大気における本件道路の寄与率をもって、沿道地域における本件道路の寄与率とすることもやむを得ない。

2 原告らは、窒素酸化物と浮遊粒子状物質の相関関係の調査結果及び本件地域外の自排局と一般局との浮遊粒子状物質の濃度差を本件地域の一般局又は自排局の実測値と対比することにより本件道路沿道における浮遊粒子状物質濃度を推測することができる旨主張するが、大気汚染の状況は発生源や気象の関係で地域毎に異なるというべきであるから、本件地域外の実測値をもって、本件道路沿道の浮遊粒子状物質濃度を推測することはできない。

三  硫黄酸化物の寄与度

1 前記のとおり、二酸化硫黄についても、本件道路の排出量が相当量に達しており、また、昭和五四年度の国道四〇九号線沿道、昭和五七年度の横羽線及び産業道路沿道並びに昭和六二年度の国道四〇九号線、横羽線及び産業道路沿道において、二酸化硫黄の日平均値が環境基準を超過しているから、本件道路沿道地域における二酸化硫黄濃度は一般環境大気の二酸化硫黄濃度より高い状況にあると推定されるが、二酸化硫黄の距離減衰調査がなく、また、自排局の実測値がなく、道路沿道における調査も短期間のもののみであるから、本件道路の寄与率を明確にできない。したがって、一般環境大気における本件道路の寄与率をもって、沿道地域における本件道路の寄与率とすることもやむを得ない。

2 原告らは、本件地域外の自排局における二酸化硫黄と二酸化窒素との実測値又は本件地域外の自排局と一般局との二酸化硫黄の濃度差を本件地域の一般局又は自排局の実測値と対比することにより本件道路沿道における二酸化硫黄濃度を推測することができる旨主張するが、大気汚染の状況は発生源や気象の関係で地域毎に異なるというべきであるから、本件地域外の実測値をもって、本件道路沿道の二酸化硫黄濃度を推測することはできない。

第八章  指定疾病の概要

第一  呼吸器の基本構造及び機能

一  呼吸の意義(証人滝沢敬夫、弁論の全趣旨)

呼吸は、生体が代謝を営むため、外界から体内に酸素を送り込み、代謝物である炭酸ガスを体外へ排出する行為であり、内呼吸と外呼吸がある。外呼吸は、必要な酸素を大気中から血中へ取り込み、血中の炭酸ガスを体外に排除することである。内呼吸は、このように血中に採り入れられ、運搬された酸素が組織内に取り入れられ、組織から血中に炭酸ガスが放出される組織レベルの呼吸である。

二  呼吸器の構造(証人滝沢敬夫、乙二〇五、二〇六、丙一一八の1)

呼吸器は、外呼吸を営む器官であり、鼻腔・口腔、咽頭、喉頭、気管、気管支、肺胞を主要な部分としている。気管は、二分岐により左右気管支となり、気管支は、さらに二分岐を繰り返しながら段々と細くなり、一〇分岐あたりで軟骨を持たない細気管支となり、細気管支の末端の領域(一五分岐あたり)を終末細気管支という。終末細気管支の末梢から呼吸細気管支となり、壁に肺胞を保有するようになり、次に肺胞道になり、その全周に多数の肺胞をつけ、末端で肺胞嚢となる。鼻腔から吸い込まれた空気が右の経路で肺胞に至る通り道を気道という。

三  呼吸器の防御機能(証人滝沢敬夫、乙二八、二〇七〜二一〇、丙一一八の1)

呼吸器系には空気中の細菌等の異物が肺胞に達しないように防御する機能がある。鼻腔へ到達した粒子は鼻腔のろ過機能により排除される。また、鼻腔、気管、気管支へ到達した粒子は、粘液膜に沈着し、線毛上皮細胞にある線毛の波動運動によりエスカレーターのように咽頭へ向けて粘液とともに輸送され、これにより輸送されない粒子は咳発作により排除される。なお、この粘液は気管支腺、杯細胞等から分泌される。線毛のない肺胞に到達した粒子は、マクロファージやリンパ球の働きにより排除される。

四  本件疾病

本件において問題となる疾病は、前記のとおり、公健法上の指定疾病とされている慢性気管支炎、肺気腫及び気管支ぜん息(以上を併せて、以下「本件疾病」という。)並びにその続発症である。

第二  慢性気管支炎

一  定義及び類型

1 定義(甲一五一八、一五三四、丙三七四)

慢性気管支炎は、主気管支から細気管支に至るまでの気道の慢性炎症により咳、痰が持続するものである。形態学的には気管支壁にある気管支腺及び気管支上皮細胞の一つで分泌顆粒を有する杯細胞の分泌構造が肥大し、気道分泌量の増加をもたらし、臨床的には慢性、持続性の喀痰量の増加と捉えられる。フレッチャーも、慢性気管支炎は痰をともなった慢性又は持続性の咳を主症状とする疾患であり、肺、気管支、上気道の限局的病巣や心疾患によらないものであることを条件とし、かつ、具体的に少なくとも二冬連続して冬の間、三か月以上にわたり、ほとんど毎日、咳、痰が存在することを基準としている。

2 類型(甲一五三四、証人宮本昭正)

早朝起床時や洗面時等に痰の喀出がある状態の「慢性カタル性気管支炎」、冬の間に繰り返して風邪にかかったり、または風邪が長引いて、咳、痰の増強、特に膿性の喀出をみるような気道感染の合併した状態の「慢性感染性気管支炎」及び咳、痰に加えて、気道閉塞症状すなわち喘鳴、息切れ等が生じ、他覚的には低・高調の乾性ラ音の聴取、肺機能検査で一秒率が低下、閉塞性障害の存在が指摘される状態の「慢性閉塞性気管支炎」がある。

3 死の転帰(丙一一八の5)

慢性気管支炎は、病状が進展すると、閉塞性換気障害が高度となり、肺気腫、肺気腫と同様の肺機能障害又は肺性心を合併して死に到ることがある。また、死亡の最も重要な原因は脱水であることが多く、これに次いで喀痰の喀出困難がある。

二  診断基準

1 臨床の診断基準は、一つの目安的な条件として、フレッチャーの前記基準を一応の指標とする傾向が大勢を占めており、単年度だけのもの又は何年間かにわたって断続しても、短期間のものは慢性気管支炎とは考え難い。また、慢性気管支炎の主な症状は呼吸器疾患の所見としてありふれているから、診断に当たり、慢性咳、痰の症状を呈するびまん性細気管支炎、肺結核、気管支拡張症等の気道性疾患との鑑別が重要である(甲一五一五、一五三八、丙一一八の1、三七四、証人滝沢敬夫)。

2 診断方法(甲四五一、四六五、一五一五、一五三四、一五三八、丙の一一八の5、三七四)

(一) 患者に対する問診により長期間持続する咳、痰の存在を把握する。

(二) 胸部X線所見は除外診断に有用であるところ、慢性気管支炎に特異的なものはなく、異常を認めない症例も相当程度存在し、特に初期には異常を示さない症例が少なくないが、比較的多くみられるものとしては、線状影、索状影の増加、輪状影の出現、トラムライン等があげられ、肺紋理の乱れ又はダーティチェストという外観を呈する。右所見は、肺間質の病変、気管支壁の肥厚、気管支周囲の線維化、気管支の拡張性変化、粘液の貯留、肺血管系の変化等を反映する。また、感染が反復し、喀痰量も多く、病態の遷延化するものにおいては、末梢肺野に散布性陰影等が出現し、気道閉塞症状をともなうものにおいては、肺過膨張所見も加味される。

(三) 肺機能検査により臨床的分類と閉塞性換気障害の重症度を判定する。また、理学的所見により乾性ラ音や湿性ラ音を聴取する。

三  病因(丙一一八の1、5、三七四、証人滝沢敬夫)

慢性気管支炎の病因は、生物学的因子(加齢、性、人種)、喫煙、感染因子、環境因子(気候、職業的因子、大気汚染)、肺の防御機能の破綻等が考えられる。このうち主な病因として臨床的に喫煙があげられる。

第三  肺気腫

一  定義及び類型

1 定義(甲四五一、一七〇三、一六〇一、乙三四、丙一一八の1、三七四、証人滝沢敬夫)

肺気腫は、肺胞壁の破壊的変化により終末細気管支梢から末梢の含気区域が異常に拡大していることが特徴の解剖学的変化であり、肺胞壁の破壊をともなうものである。肺胞壁の破壊があるため、呼気時に閉塞性障害が起きる。病理学的には肺胞中隔の萎縮や断裂、細気管支壁の肥厚と炎症性変化、血管系の閉塞性変化等があげられる。

2 類型(甲一七〇三、乙三四、丙一一八の1)

肺気腫は、病理学的に小葉内における発生部位の優勢度により小葉(細葉)中心型、汎小葉(汎細葉)型、分類不能型の三つに分類される。小葉中心型は呼吸細気管支領域の破壊、拡大が小葉又は細葉の中心部にみられるもの、汎小葉型は呼吸細気管支、肺胞道及び肺胞嚢領域の破壊、拡大が小葉又は細葉全体にみられるもの、分類不能型は小葉又は細葉の大部分が著しく破壊、拡大し、最初の発生が小葉中心型か汎小葉型か不明のものである。

3 死の転帰(甲一五一〇)

肺気腫として終息する患者もいるが、大多数は気管支、細気管支の慢性炎症を合併するようになり、気道閉塞、ガス交換障害は徐々に進行し、何度も急性増悪を繰り返し、最終的には呼吸不全に陥り、死に至ることがある。

二  診断基準(甲一六〇一、丙三七四)

1 自覚症状、理学的検査、胸部X線所見、肺機能検査所見等によりびまん性汎細気管支炎等閉塞性障害を来す疾患を鑑別した上で総合的に診断するが、形態学的な肺気腫を的確に診断することが難しいため、形態学的な肺気腫と臨床的な肺気腫を区別し、臨床的な肺気腫の診断基準として、一九六二年の肺気腫研究会において採用された診断基準が広く使用されており、肺の異常な膨張を示すものとして肺気量の増大があること、呼出時間の延長の関連として呼出障害(肺の弾性異常と気道の閉塞性機序等の総合的結果)があること及び非可逆的破壊をともなうという観点から気管支拡張剤その他による治療効果に限界があり、完全に無症状で肺機能が正常な間歇期のないことから診断する。

2 診断方法(甲一五一〇、一六〇一、丙三七四、証人滝沢敬夫)

(一) 自覚症状として、労作時の呼吸困難を特徴とし、呼吸困難は持続的、経年的に進行し、時に喘鳴又は喘鳴様呼吸困難発作を来し、しばしば慢性の咳、痰の症状をともなう。

(二) 肺機能検査所見においては、一秒率及び一秒量の低下を来すが、一秒率の低下が呼気障害を最も特徴的に捉え、これが肺気腫の診断の重要なポイントであり、その数値が五五%以下であれば肺気腫の確率が高い。

(三) 胸部X線所見においては、肺野のX線透過性の亢進、心後腔及び胸骨後腔等の肺の過膨張(横隔膜の低位・扁平化)、肺野の末梢血管陰影の狭細化等の末梢血管陰影の変化等がある。

(四) 理学的所見においては、視診では痩せや樽状胸廓である。胸廓の打診においては、肺の鼓音が特徴で心濁音界の縮小がある。聴診では呼吸音の減弱、呼気延長があり、特に乾性ラ音が聴かれることもある。口唇、口膜粘膜、爪床にチアノーゼを呈することがある。

三  病因(甲一六五九、乙三四、丙一一八の1、三七四、証人滝沢敬夫)

肺気腫は、何らかの肺組織障害(素因、加齢、喫煙、環境汚染、感染等)の基盤の上に圧力負荷(閉塞性障害、過換気、咳嗽、胸腔内圧の変化等)が加わって発生する。なお、小葉中心型においては、外的因子が、汎小葉型においては、内的因子がより多く関与している。主な病因として臨床的に喫煙があげられる。

第四  気管支ぜん息

一  定義及び類型

1 定義(甲一五三六、一六〇九、丙三五二、三五四、三七四)

気管支ぜん息は、種々の刺激に対する気管、気管支、細気管支の反応が亢進し、自然又は治療によりその強さが変化する広汎な気道閉塞により症状を現す疾患であり、気管支炎、肺気腫、心血管系疾患によるものや気管の狭窄が本質的でない気管支、肺、心血管系疾患により類似の症状を起こすものを除いたものである。したがって、気管支ぜん息は、広汎な気道狭窄をもつこと、可逆性をもつこと、気道過敏性をもつこと及び他の心肺疾患によるものを除くことの四つに要約される。

なお、米国国立心・肺・血液研究所及び国際保健機関の策定した「喘息管理・予防のグローバルストラテジー」においては、ぜん息は慢性の炎症性気道障害で多くの細胞、特に肥満細胞、好酸球及びTリンパ球が関与するものであり、素因を有する者にはこの炎症により喘鳴、息切れ、胸部圧迫感及び咳の発作が特に夜間又は早朝に繰り返し起こり、これらの症状にともない、通常広範であるが、変動する気流制限がみられ、自然又は何らかの治療により少なくとも部分的には可逆的であり、また、気道の炎症は種々の刺激に対する気道過敏性の原因となると指摘されている。

2 類型(甲四八五、一五八二、一六一〇、一六九一、丙二八九の1、二九〇の1、二九四、三〇三、三〇四、三五四、三七四、証人宮本昭正)

(一) 気道収縮をおこす原因の多くがアレルギーか気道感染である点に注目したスワインホルドの「アトピー型」、「感染型」の分類に「混合型」を加えて修正した分類がよく用いられる。

(二) アトピー型

アトピー型は、気道の収縮が原因抗原(アレルゲン)とこれに対する抗体(レアギン)によるアレルギー反応により誘発されるものである。小児期又は思春期の発病が多く、アレルギーの家族歴、既往歴がある。アレルゲンの吸入や食事によって発症し、水様性鼻汁、くしゃみをともなうことが多い。また、幼少のころからぜん息のほかに湿疹、鼻炎等の合併が多い。

アレルギー反応によるぜん息の機序は、抗原(アレルゲン)が生体内に侵入すると、生体内にこれと結合するIgE抗体という蛋白質を産生し、抗体が抗原に結合し、抗原が白血球により処理されやすくなり、排除されるが(抗原抗体反応)、抗体は相当期間体内に存在し(感作の成立)、同一の抗原が生体に再度侵入すると、抗体が抗原と結合してヒスタミン等の化学伝達物質を遊離させ、これが直接に気道に作用して気道の平滑筋の攣縮、気道粘膜の浮腫、気道の過分泌を起こし(即時型反応)、また、好酸球遊走因子等の化学伝達物質を遊離し、好酸球を気道粘膜に浸潤させて気道の平滑筋の攣縮、気道粘膜の浮腫、気道の過分泌を起こし(遅発型反応)、これにより気道の狭窄が起きる(アレルギー反応)。また、好酸球が顆粒蛋白を放出し、気道粘膜上皮を損傷して剥離させ、知覚神経を露出させて刺激を受けやすくし、気道過敏性が形成される。アレルギー反応はⅠからⅣ型に分類されるが、そのうち機序が確立しているのはIgE抗体の関与するⅠ型アレルギーである。

(三) 感染型

感染型は、アトピー素因がないにもかかわらず、風邪等の気道感染を繰り返した後、ぜん息を発症するものであり、感染病原体(細菌、ウイルス)の毒素により起こされる気管支粘膜の破壊、病原体に対する生体防御反応として炎症により起こされる粘膜の腫張、分泌の亢進、炎症細胞の浸潤等から気管支腔の狭窄、閉塞を生じ、気道過敏性も高まり、発作が誘発されるものである。

感染によるぜん息の機序は、感染により気道粘膜の下にある刺激を感じるレセプターが粘膜から露出され、気道の反応性が亢進すると考えられているほか、病原体自体がアレルゲンとして作用すること、感染による気道の炎症がアレルゲンの通過をよくすること、病原体が気道に対する刺激となることも指摘されている。

(四) 混合型

混合型は、アトピー型の中において、感染による気道の非特異的な炎症が原因となり、気道感染が発作の誘因となっているものである。アトピー型の罹患年数が長くなると、症状は慢性化し、気道感染を合併しやすくなる。

3 死の転帰(甲一五三六)

気管支ぜん息による死亡は成人になってからぜん息が発病した非アトピー型ぜん息(感染型ぜん息)に多いといわれている。ぜん息発作そのものによる窒息死が全体の約半数を占め、その他にぜん息発作に引き続き起こった続発症(肺性心等)、合併症(心筋梗塞等)、薬剤やストレスによる事故死等があげられる。

二  基本病態及び診断基準

1 基本病態

(一) 呼吸困難(甲一五三六、一六一〇)

呼吸困難(息切れ)は、気道閉塞がチェックバルブにより呼気時にさらに強まるために発生するところ、発作初期においては、気管支平滑筋の攣縮による気道閉塞から吸気相も呼気相もともに等しく息切れを訴え、重積状態においては、気管支粘液栓の形成による気道閉塞から吸気と呼気両相の換気仕事量が著しく増加し、そのために苦痛を訴え、この時期になると、通常の背臥位、側臥位等の横臥位を取ることができず、横隔膜及び呼吸補助筋を動員するのに一番楽な姿勢である起坐呼吸を取るようになる。

(二) 発作時の努力動作(甲一六一〇)

喘息発作時の患者は、呼吸困難に対する苦しみを現し、そのため、顔面は蒼白、静脈の怒張を伴ってやや浮腫気味となり、冷汗をともなう。

(三) 咳(甲一五一一、一六一〇)

ぜん息発作に先立って、乾性咳嗽を訴えることも多く、咳嗽発作が次第に激しくなるうちにヒューヒューしていたという訴えが多い。この場合は、比較的速やかにぜん息状態に進展する。一般のぜん息発作においては、咳は必ずしも多くはないが、時には咳が強く、血痰の出る場合もあり、稀には咳嗽失神を起こすこともある。気道感染により発作が誘発される場合、一般に咳が多く、咳により発作が誘発され、発作自体も咳によりますます強くなっていく場合が少なくない。

(四) 痰(甲一五三六、一六一〇)

ぜん息の初期から極期にかけては、通常乾性の咳嗽が主となって痰の喀出がないことが多いが、極期を過ぎるころから高い粘稠性の固く白い痰(時に黄色)が出はじめ、その後、湿性咳嗽となり、痰も次第に低粘性のものになって量も増加してくる。寛解期に近くなると、唾液と区別し難いほどの泡沫を伴う粘液状となり、無色に近くなる。感染性ぜん息の場合、痰の量は常に多く、その性状は奬液性のものから粘液性、膿性まで色々の程度のものを喀出する。

(五) 喘鳴(甲一五一一)

発作が起きると、ゼイゼイ又はヒューヒューという喘鳴をともなった呼吸困難を生じるのがぜん息発作の一つの特徴であり、ほとんど必ず現れる。

(六) チアノーゼ(甲一六一〇)

ぜん息発作の初期には息切れの訴えが強いにもかかわらず、チアノーゼは認められないが、ぜん息発作が進行すれば、チアノーゼが現われる。

(七) 発汗(甲一六一〇)

発汗は、発作の初期より認められ、換気労作が増加するために起こる。

(八) 発熱(甲一六一〇)

ぜん息は通常発熱がないが、感染の合併を生じた場合は発熱をともなう。

(九) 消化器症状(甲一五一一)

食欲は発作時には減退し、特に重症発作において著しい。また、発作時に腹痛、嘔吐、下痢等をともなうことがある。

(一〇) 循環器症状(甲一五一一)

強い発作時には一過性の右心負荷を来し、慢性気管支炎や肺気腫を合併すると、右心肥大、右心不全を来すこともある。心電図には通常特別の変化を認めないことが多いが、発作時には洞性頻脈やP波が増高して肺性Pの傾向を示すことが比較的多い。

(一一) 気道の絞扼感、胸痛及び頭痛(甲一六一〇)

気道閉塞感、絞扼感は、より中枢側の閉塞において強く、極端な例においては、気管の狭窄感のみを訴えることがある。ぜん息重積状態の場合、横隔膜及び腹筋の換気仕事量が増すため、筋肉の疲労により胸痛が起こることが多い。また、ぜん息重積状態の場合、高炭酸ガス血症により脳動脈の拡張が起こり、脳血流量の増加による脳圧の上昇のため、頭痛が起こることも多い。

(一二) 意識障害及び全身衰弱(甲一六一〇)

ぜん息重積状態に陥ると、高炭酸ガス血症及び呼吸性アシドーシスによる興奮状態、意識の混濁、時には昏睡状態に陥ることがある。また、換気努力による疲労、不眠、食事摂取不能による栄養低下や二次性脱水が加わって、体力消耗による全身衰弱を来すことがある。

(一三) 発作重積状態(甲一六一〇)

発作重積状態は、治療、特に気管支拡張剤(アミノフィリン、エピネフリン等)に抵抗性であり、呼吸困難が極めて高度なことが多く、このような発作が二四時間以上続いている状態であり、ぜん息発作の最も重篤な状態である。痰は粘稠度を増し、気道に貯留、固形化して、これによる気道閉塞が持続し、この状態が二四時間以上、時には数日間続くことがある。

2 診断方法

(一) 気管支ぜん息の四つの条件を満たすか否かにより気管支ぜん息を診断する。まず、喘鳴をともなう呼吸困難発作の反復等を問診する(甲一六〇九、乙二〇一、二〇二、二〇四、丙三七四、証人宮本昭正)。

(二) 広汎な気道狭窄(甲一六〇九、一六一〇、一六九三、乙二〇四、丙二一七、三五四、三七四、証人宮本昭正)

気管支ぜん息の呼吸困難は広汎な気道狭窄により生じる。広汎な気道狭窄は、気管支を取り巻いている平滑筋の痙攣収縮により気管支の内腔が狭くなること(気管支の収縮)、気管支の内側の粘膜が炎症のために肥厚して気管支の内腔を狭くすること(気管支粘膜の浮腫)、気管支粘膜から粘稠な分泌物が増え、痰の量が多くなり、気管支の内腔を狭くすること(気管支粘膜の過分泌)により起こる。したがって、気道の閉塞が不完全なところ(狭窄部)を通過する空気の振動による笛声音(ヒューヒュー)及び気流によって起こされた気管内分泌物の振動による軋音(ゼーゼー)による乾性ラ音が生じ、また、気道内に低・中粘稠性の分泌物が多いときには湿性ラ音(プップッ等の水泡音)を混じえることがある(喘鳴)。したがって、広汎な気道狭窄は、聴診器を用い、または用いずに気道の狭窄音(喘鳴や乾性ラ音)を全胸壁で聴取することにより診断する。

(三) 可逆性(甲一六〇九、乙二〇四、丙三五二、三五四、三七四、証人宮本昭正)

可逆性は、呼吸困難が自発的に出現し、それが緩解すると、自覚的にも理学的にも著明な改善を示すことである。したがって、可逆性の診断はこのような臨床的観察を実施するが、具体的には発作時に気管支拡張剤を吸入させ、一秒量の改善率や呼吸抵抗により診断する。

(四) 気道過敏性(甲一六〇九、乙二〇四、丙三五二、三五四、三七四、証人宮本昭正)

気道過敏性(気道反応性の亢進)は、種々の刺激に対し、気道の反応性が亢進している状態である。したがって、気道過敏性は、通常アセチルコリン等の薬品を吸入させて、一秒量を経時的に測定する方法(吸入試験)により診断する。

(五) 他の心肺疾患によるものの除外(甲一六〇九、乙二〇四、丙二一七、丙三七四、証人宮本昭正)

ぜん息の基本病態の症状はびまん性汎細気管支炎、心臓ぜん息、気管支拡張症等の疾患においてもしばしばみられるため、診断に当たり、他の疾患との鑑別が重要であるところ、他の心肺疾患は、胸部X線、心電図等の諸検査により他の心肺疾患の有無を検討し、これによる呼吸困難を除くことにより鑑別する。

三  病因等(丙三五二、三五四)

気管支ぜん息の病因(発病に関わる危険因子)としてあげられるものは、個人の有する素因としてアトピー素因(アレルギー体質)、発病因子としてアレルゲン、職業性感作物質、薬物及び食品添加物、寄与因子(原因因子への暴露後に発病する可能性を高める因子)として喫煙、大気汚染、ウイルス性呼吸器感染、出生時低体重、食事、寄生虫感染があげられる。

第五  慢性閉塞性肺疾患について

一  慢性閉塞性肺疾患概念の策定(甲一六〇二、一六五九、一六六一、一六二八の1、2、乙一六八)

慢性閉塞性肺疾患(COLD)は、慢性、び慢性の不可逆的な気道閉塞により特徴づけられる疾患であり、慢性気管支炎、肺気腫、気管支ぜん息の三疾患が含まれている。これは、英国におけるチバゲストシンポジウムが、一九五八年、慢性気管支炎、ぜん息、肺気腫の診断は米国と英国とでは同じ患者に対し、異なった診断名を下す傾向が見られるので、これらの気道系疾患を一緒にして慢性非特異性肺疾患(CNSLD)と呼称することとする旨を提案し、これを踏まえて、米国胸部疾患学会(ATS)の治療委員会が、一九六五年、米国で肺気腫、英国で慢性気管支炎と呼ばれている慢性の気道閉塞に関する混乱を少なくするため、その臨床像と病理像との関連をもっと正確にできるようになるまでは慢性閉塞性肺疾患というような非特異的な言葉を使用した方がよい旨を提案し、米国胸部疾患学会(ATS)が定義したものである。

二  慢性閉塞性肺疾患概念の有用性(甲四五〇、四五一、一六〇九、一六二八の2、一六五九、一六六一〜一六六三、一六八九、一六九四、乙一六八、丙一一八の1、三七五)

気道過敏性を最大の特徴とするぜん息は様々な細胞成分又は化学伝達物質が関与する炎症が最大の特徴であると考えられるようになったため、慢性閉塞性肺疾患とぜん息を区別するべきであり、また、区別した方が有用的でもあると理解されるようになってきているが、高度に進歩した診断技術から各々が独立した疾病として診断されるべき気管支ぜん息、慢性気管支炎、肺気腫についても、これらの疾病がお互いに重なり合っている場合や明確に鑑別することが不可能な場合が実際にはあり、また、慢性閉塞性肺疾患という用語は現在でも広く使用されており、これらの疾病を包括する上でこれに代わる適切な用語も現時点では見出しがたいから、その限度で慢性閉塞性肺疾患概念にはなお有用性が認められる。

第六  続発症

一  続発症の定義(甲四五三)

環境庁は、昭和四九年九月二八日付け「第一種地域の大気の汚染に関する続発症の範囲について」と題する通知(環保企第一一〇号)において、公健法上の第一種地域の大気の汚染に係る指定疾病には慢性気管支炎、気管支ぜん息、ぜん息性気管支炎及び肺気腫の四疾病のほか、原疾患の続発症を含む旨を示し、続発症を二群に分け、その事例疾病を示してその目安を設けた。ただし、指定疾病の続発症を事例として示した疾病に限定する趣旨ではなく、従来どおり、あくまで主治医等の判断を尊重しつつ、続発症の範囲、名称を明示しない場合の欠点を補うように配慮するものとした。

二  続発症の具体例(甲四五三)

続発症の具体例は以下のとおりである。

1 指定疾病の進展過程において当該指定疾病を原疾患として二次的に起こりうる疾患又は状態として、肺繊維症、慢性肺性心、気管支拡張症、肺炎、自然気胸、気管支ぜん息発作が基盤となったと考えられる流産やヘルニア等、慢性肺気腫や慢性気管支炎に関連した消化性潰瘍があげられる。

2 指定疾患の治療又は検査に関連した疾病又は状態として、気管支ぜん息等の治療のために長期間ステロイドホルモンを用いた時に発生又は悪化した消化性潰瘍等、慢性気管支炎等の治療のために長期間抗生物質を連用したときにおこったビタミン欠乏症、血液疾患、肝障害、腎障害、診断確定のために行ったアレルゲンテストや気道過敏性テスト等に引き続きおこった重症気管支ぜん息発作又はショック状態等があげられる。

第七  重要な病因

一  指定疾病の重要な病因は以下のとおりである(なお、指定疾病毎の影響については、各因子において説明する。)。

1 喫煙(乙二七、二二三、丙八〇の3、一一八の1、二八二、二八三、二九〇の1、二九一の1、2、二九二の1、2、三七四、三七八、証人滝沢敬夫、証人長岡滋)

(一) たばこの煙には四五〇〇種以上の化学物質が含まれており、このうち約二〇〇種が有害化学物質であるといわれている。このうち重要なものは、大別して発癌物質、ニコチン、刺激性化学物質及び一酸化炭素の四群に分けられ、特に呼吸器に影響を与えるのは発癌物質と刺激性化学物質である。後者は慢性気管支炎、肺気腫等の発症因子、増悪因子として作用するとされている。たばこの煙には窒素酸化物も極めて高濃度(二五〇ppm前後であり、そのうち二酸化窒素は四〇から五〇ppm)に含まれている。喫煙者はこのような刺激性有害ガスを長期間吸入しているので、慢性気管支炎、肺気腫等の閉塞性肺疾患に罹患する率が高くなり、肺気腫及び慢性気管支炎患者の圧倒的多数は喫煙歴を有することが指摘されている。

喫煙は、粘液線毛の動きを悪化させ、防御機能を損傷し、分泌される粘液の量を多くする上、たばこの煙中のオキシダントが気管支上皮細胞を直接破壊するほか、蛋白分解酵素を遊離させる作用がある一方、抗蛋白分解酵素を抑制する作用があると考えられ、蛋白分解酵素が抗蛋白分解酵素より不均衡に強くなった場合、上皮細胞を破壊し、気管支ぜん息を増悪させると考えられ、また、同じ機序で肺胞の蛋白を破壊して肺気腫を発症させると考えられる。

なお、喫煙の影響については、一日喫煙本数より喫煙期間、喫煙開始年齢を重視すべきであることが指摘されている。

(二) 受動喫煙

たばこの火がついた部分から立ち込める煙である副流煙にはたばこの吸い口から喫煙者が吸込む煙である主流煙よりニコチン及びタールが三倍、二酸化窒素が四倍、一酸化炭素が五倍等多量に含まれている。したがって、換気の悪い部屋で喫煙すると、室内の空気がたばこの煙で汚染され、たばこを吸わない人が知らないうちにたばこの煙を吸わされる受動喫煙によりたばこを吸わない周囲の人の健康に悪影響を与える可能性がある。特に、感受性の強い幼児、老人、呼吸器疾患の患者等に対する受動喫煙の影響が懸念されている。

2 室内汚染(丙六一、証人前田和甫、証人滝沢敬夫)

色々な汚染物質が室内に増加しているため、家屋の密閉度が非常に高いと室内汚染が慢性気管支炎の発症に影響すると考えられ、東京都区内在住の主婦若干名においては、暖房期の非排気型(開放型)ストーブの使用により二酸化窒素の個人暴露濃度の上昇が認められ、二酸化窒素の個人暴露濃度を規定する要因としては二酸化窒素の室内濃度の寄与が最も大きいなど色々な汚染物質が室内に増加しているため、家屋の密閉度が非常に高い場合、室内汚染が肺気腫の発症に影響すると考えられている。

3 職業性暴露(丙二八四、証人長岡滋)

窒素酸化物暴露は、溶接、硝酸化合物使用工程、硝酸洗浄、硝酸や硝酸金属塩、トルエン、ニトロセルロース、ニトログリセリン、ダイナマイト等の製造、鉱山発破、トンネル内自動車運転作業等で起こっている。

4 加齢(乙三四、丙一一八の1、証人滝沢敬夫)

肺の胸郭の老化により呼吸筋力が弱くなって肺の弾力収縮力が低下し、また、種々の因子が肺に蓄積されるため、肺胞の破壊が発生すると考えられ、患者の年齢層も高い。

5 内的因子

(一) 呼吸器系の脆弱

呼吸器系が脆弱であると、粘液線毛の輸送系の異常を来し、慢性気管支炎の発症に寄与すると考えられ、これによる慢性気管支炎は比較的若年で発症し、就寝中に後鼻漏を気道に供給し、自ら痰の発生や感染源を作出し、膿性痰であることが多い。

(二) α―アンチトリプシンの欠乏(乙三四)

α―アンチトリプシンの欠乏は高度の欠損型と中間型に分類され、このような患者は蛋白分解酵素(プロテアーゼ)が遊離されるが、抗蛋白分解酵素(アンチプロテアーゼ)の活性が低いため、肺胞の蛋白が破壊されて肺気腫を発症させると考えられる。

(三) アトピー素因(丙三七四、三七七の1、2)

アトピー素因は、アレルゲンに反応してIgE抗体を大量に産生される体質(アレルギー体質)であり、アトピー型気管支ぜん息を発症又は増悪させるものである。

アトピー素因を示唆すると考えられる指標は、IgE高値又はハウスダスト皮内反応テストが陽性であること、アレルギー疾患の既往歴がみられること、減感作療法を行っていること、小児期に発症していること、家族歴があること、発症の季節性、抗アレルギー薬を使用していること、末梢血好酸球値が高値を示すことであり、一つ又は複数に該当する場合、ぜん息患者にアトピー型ぜん息が示唆される。

二  大気汚染物質

1 大気汚染物質も指定疾病の重要な病因であることが指摘されている。

2 大気汚染物質の呼吸器への吸入(甲一三八、四六四、一六二八の1、2、一六六六、一六六七)

(一) 大気汚染と関連する気道浄塵能としては、鼻腔があり、粒子の大きいものほど沈着率も大きく、さらに鼻道を通り抜けた粒子は大部分が上気道、気管、気管支に沈着し、その浄塵能によって除去されるから、肺深部にまで到達するのは一般に一ミクロン以下の微細な粒子とされ、その沈着部位として取り上げられているのが細気管支、特に小葉型肺気腫の病変の主座がある呼吸細気管支の領域である。

(二) 二酸化窒素は、気道に対する刺激作用を持ち、気道に対する影響として、より末梢気道及び肺胞領域まで侵入する。また、二酸化硫黄は、その科学的性質として比較的よく水に溶けるので、濃度が0.05ppmでは五〇%が気道の上部で捕捉され、その場で刺激作用を呈するが、濃度が0.1ppmになると、上部気道での捕捉率が五%にまで下がり、大部分は肺の深部まで到達する。

(三) 浮遊粒子状物質のうち一〇ミクロン以上は鼻腔及び咽喉頭でほとんど捕捉されるが、五ミクロンまでは九〇%が気道及び肺胞に沈着し、五から0.5ミクロンまでは沈着率が次第に減少し、0.5ミクロンで二五から三〇%の沈着率であるが、これより小さいものは沈着率が再び増加する。肺胞沈着率は二から四ミクロンの間が最大であり、0.4ミクロンで最低になるが、0.4ミクロン以下の沈着率は再び増加する。

3 大気汚染物質と指定疾病についての知見

大気汚染物質と指定疾病についての主な知見は以下のとおりである。

(一) 「内科セミナーRES3(閉塞性肺疾患、間質性肺炎、肺繊維症)」(甲四四七、一五一四、一六二八の2)

鼻腔、気管支を通って侵入してきた汚染物質は、まず主気管支に接触し、この部位に沈着した粒子(浮遊粒子状物質)及び粘膜の液層に溶解した刺激性のガス体(窒素酸化物、硫黄酸化物等)が影響を及ぼす。その影響が長期にわたれば、線毛運動の低下、粘膜線の分泌亢進及び肥大を招来するようになり、このような変化は臨床的には慢性の咳、痰になり、慢性気管支炎が発症する。この部位に付着しやすい粒子は刺激性のガスとともにいつでも障害を引き起こす可能性を持っているが、線毛運動が盛んであれば排除されるので、被る影響は少ない。したがって、汚染物質により線毛上皮系が障害されることが汚染物質の影響が十分及んで慢性気管支炎へと発症させる最も重要な要因となる。また、直径0.5ミクロン以下の微少粒子がガス体とともに肺胞に到達すると、マクロファージや多核白血球が集積し、プロテアーゼ、特にエラスターゼが遊離し、肺胞領域の組織が破壊された場合、肺気腫へ進展すると考えられている。

(二) 「新訂大気汚染と呼吸器疾患」(甲四六四、一六二七の2)

(1) 二酸化硫黄は、気道に対する刺激作用を持ち、吸入により咽頭、気管、気管支の呼吸抵抗を増強する。二酸化硫黄の人の呼吸器に対する影響はすべて気道抵抗の増加による結果と考えられている。比較的上部の気道においては、刺激に対する反射としての攣縮と気道の深部からヒスタミン等の細気管支攣縮作用を持つ物質が分泌され、呼吸抵抗の増加、気道閉塞性の影響が現れ、この状況が繰り返されることにより気道からの粘液の過剰分泌、粘膜の過形成等が起こり、閉塞性の変化が形成される。

(2) 二酸化窒素の生体影響の標的は呼吸器であり、低・高様々な濃度で暴露した動物の肺組織の変化は、線毛の消失、粘膜の変性と分離、分泌亢進、細気管支及び肺胞上皮細胞の増生、肺胞壁の浮腫状化、肺胞腔の拡張と肺気腫様変化であり、これにより末梢気道に閉塞性呼吸器障害を起こすと考えられている。その他に免疫学的影響として抗体産生能の低下、線毛の欠落による気道の異物排除能の低下等の結果として感染抵抗性の低下がよく知られている。

(三) 「気管支ぜん息と大気汚染」(甲四八四)

(1) 浮遊粉じんは、眼、鼻、口、咽頭、喉頭等の上気道を刺激して咳、痰を出し、気管、気管支を刺激して攣縮症状となり、肺に粉じんが貯留した場合、肺の線維化を形成する。

(2) 二酸化硫黄は、気管、気管支粘膜を障害し、一部は上気道より吸収され、血行を介して呼吸細気管支や肺胞を障害する。線毛細胞の運動減少、気管上皮の偏平上皮化生及び萎縮、杯細胞の増加、気管支周囲組織の浮腫、肺の貧食細胞の機能抑制等により迷走神経を介する気管支収縮、粘液分泌増加、感染防御能の低下を来す。

(3) 二酸化窒素は、呼吸細気管支から細胞、血液中にまで侵入する。I型(膜型)肺胞上皮の障害、肺胞食細胞の貧食能の低下、インターフェロン産生能の阻害、赤血球のヘモグロビンのメトヘモグロブリンヘの変化を来す。

(4) 大気汚染物質が粘膜固有層まで障害すると、気管支粘膜末端にあるβ―アドレナジックレセプターの反応性低下をもたらし、ATPからのサイクリックAMPの生成が減少するため、気管支が収縮しやすくなる。特に二酸化硫黄は気管の太い部分のイリタント受容体を刺激し、迷走神経反射により神経末端からアセチルコリンが遊離し、気道の収縮、気管支平滑筋にあるムスカリン性アセチルコリン受容体の刺激又はアセチルコリンエステラーゼの障害による気管支の過敏が起こるとされる。また、気道の粘膜が障害されると、真菌その他の吸入性アレルギン物質や細菌、ウイルスが気道の奥深くまで侵入し、気道内でアレルギー反応が起こりやすくなり、ヒスタミン、SRS―A等のケミカルメディエーター(化学伝達物質)や細菌感染により白血球からロイコトリエン等が放出される。

第九章  疫学知見等

第一  疫学総論

一  疫学の意義(乙一六八、丙二、三、八〇の3、証人香川順)

疫学は、集団における健康に関する因子を調べる学問である。疾病の疫学は、一般に集団における疾病の発症及び増悪に関する諸因子を調べ、これらの諸因子と疾病との関連を調べ、因果関係を検討し、発症及び増悪を引き起こす原因を探求することであり、個人における疾病の発症や増悪に関連した因子を探求することは通常含まれないものである。

人口集団に対する疫学は、疾病の該当人口集団に関わる集団特性を検討し、疾病の予防を図るために行うものであり、集団の属性としての物理的・化学的環境因子、社会経済因子等を勘案しつつ、対象とする人口集団における環境因子と疾病の関わりを調べ、その自然史を明らかにするものである。

二  疫学調査

1 調査計画(乙一六八、丙八〇の3、二七八、証人香川順、証人福富和夫)

(一) 疫学調査を計画する場合の留意点は、仮説の定率か仮説の検証か、その仮説は定性的仮説か定量的仮説か等調査の背景と目的を明確にすること、目的達成のためにはどのような疫学的接近方法がよいかを決めること、対象集団及び比較のための対照集団の設定基準と選択方法、当該因子への暴露と疾病への影響の関係の評価のためのデータ収集方法、解析方法の検討である。

(二) 調査対象の抽出

調査対象となる資格を有する特定の集団を母集団(対象の範囲)というが、これから調査対象を選定するには全数調査(悉皆調査)と標本抽出調査がある。全数調査は、母集団に含まれる単位(人口構成員)を残らず調査する方法であり、標本抽出調査は、母集団から一定の方法で調査対象(標本)を選定する方法であり、無計画抽出法、有意選択法、マッチング法、無作為抽出法がある。実際には無作為抽出法が採られることが多く、これは母集団に属する全ての標本が同じ確率で抽出されるようにして抽出する方法であり、さらにその中には母集団をいくつかの層に分類し、各層からその大きさに応じて標本を任意抽出する方法(層別法)が採られることが多い。

2 汚染濃度の把握(甲三〇四、丙三三、八〇の3、証人香川順、弁論の全趣旨)

大気汚染の疫学の場合、環境大気の汚染を仮説因子とし、それと疾病との関連を明らかにするため、一般的には大気汚染測定局のデータが用いられている場合が多い。

ただし、二酸化窒素のように、室内と室外の両方に発生源が存在するような汚染物質に関し、その健康影響に主眼を置いた疫学研究を実行する場合、室内環境を無視した調査は成立せず、二酸化窒素の場合、特に開放型ストーブの影響については特別の注意を払う必要があり、また、対象地域が広くなると、地理的状況や気候的条件が大気汚染物質の濃度の変動をもたらすから、一般測定局の大気汚染物質の実測値を地域代表とするのがかなり難しくなることが指摘されている。

3 健康影響の把握(乙一〇八、一六八、丙二、三、八、一一、三一、三二、七〇の1、2、八〇の3、証人香川順、証人福富和夫)

(一) 健康影響の把握方法

大気汚染の疫学の場合、呼吸器の健康影響について、質問票を用いて呼吸器系疾病の有症者を把握するのが一般的である。これを把握するための質問票として「BMRC質問票」及び「ATS―DLD質問票」(ATS質問票)が用いられる。

(1) BMRC質問票

BMRC質問票は、英国医学研究協議会(BMRC)が一九六〇年に発表したものであり、一九六六年及び一九七六年に改定された。これは、慢性気管支炎やその関連疾患の有症率や有病率に関する研究を容易にしようと作成されたものである。従来の疫学調査はBMRC質問票が広く使用されてきた。

質問票の内容は、慢性気管支炎及び関連疾患の基本症状である咳及び痰、喘鳴、気管支炎の増悪、息切れの頻度及び程度、呼吸器疾患の既往歴、喫煙、職業、居住歴の項目で構成され、冬の朝や昼間に年に三か月ほどほとんど毎日のように出る咳を「持続性せき」、同様の痰を「持続性たん」、両者が出るものを「持続性せき・たん」とし、これにイエスと答えた者を把握することにより慢性気管支炎の有症率を明らかにするものである。質問票は、事実を引き出し、異なった質問による偏りをなくすため、よく訓練された面接者により実施されることになっている。

「たん」以外の質問項目は単に調査対象者の有訴率にすぎず、信頼性がないから、調査票の有効性が認められているのは「たん」に関する質問項目だけであること、「持続性せき・たん」の症状のある疾患は慢性気管支炎以外にも結核、気管支拡張症等があるから、質問票で把握されるのは「持続性せき・たん」の症状にすぎないこと、質問票は特別の訓練を受けた面接者により実施される必要があるから、自記式で実施するのは問題が多いことが指摘されている。

(2) ATS―DLD質問票

ATS―DLD質問票は、米国胸部疾患学会(ATS)肺疾患部会(DLD)が一九七四年に発表したものであり、一九七九年に実情に合わせて一部改定して日本語版として導入されたものである。発表以来、特に児童用の質問票が出されたため、一部改定して広く使用されている。ATS―DLD質問票を用いた調査は、昭和五〇年代後半から本格的に実施されており、その調査においては、学校を通じて児童に質問票を配布し、その親が質問票に記入し、学校を通じて回収する方法が一般的である。

ATS―DLD質問票の特徴は、ぜん息、喫煙歴、家族歴及び児童の呼吸器疾患の評価に関する質問事項を加えたこと、成人用と児童用の質問票が別々に作成されていること、面接者による偏りや費用を軽減するため、自記式に適するように工夫されていること、追加質問として家庭暖房、厨房の熱源等の種類、保護者の喫煙習慣についての項目も含まれていること等である。

また、ATS―DLD質問票の発作、呼吸音等の項目により「ぜん息様症状・現在」の有症者を明らかにするが、医師にぜん息等と診断されたことの有無も質問項目であるから、さらに気管支ぜん息等の疾病を把握することもできる。

調査対象者の回収率が低いと、調査未了者中に偏りが発生するおそれがあり、信頼性が乏しいことが指摘されている。

(二) 健康影響指標

健康影響の指標化として、有症率、有病率、罹患率等がある。罹患率は、一定の期間内の新患者の人口に対する割合であり、これを把握するためには追跡調査が必要である。有病率は、ある一時点における有病者の人口に対する割合である。一時点は厳密な意味の断面時点であるべきであるが、有病者をこのような時点で捉えることは極めて困難であり、実際上はその疾患が急性か慢性かを考慮して時間の幅を持たせている。有病率は、ある一時点における有症者の人口に対する割合である。

三  疫学的因果関係の検討

1 疫学の接近方法(乙一六八、丙二、三、二七七、証人宍戸昌夫)

疫学の接近方法は記述疫学、分析疫学及び実験疫学である。

(一) 記述疫学

記述疫学は、集団における疾病分布の状況を時間(月別、年別等)、空間(地理別、生活環境等)、人(性別、年齢別、職業別、社会経済状態等)の特性について観察することにより疾病との関連を疑うことのできる因子について仮説を設定するものである。

(二) 分析疫学

分析疫学は、記述疫学で設定された仮説因子について分析的に観察し、仮説因子と疾病との間の関連性を確認するものである。分析疫学における観察方法は、対照関係から分類して患者対照研究と因子対照研究に、また、時間的関係から分類して横断研究(断面調査)と縦断研究に大きく分類される。

(1) 患者対照研究は、集団中で問題の疾病を有する患者群がその疾病を有しない患者群(対照群)に比べ、仮説因子をより高率に保有しているかを調査する方法であり、因子対照研究は、仮説因子を有する集団と有しない集団又はそれが多い集団と少ない集団について、問題の疾病の発生状況や有病状況を比較する方法である。

(2) 横断研究は、ある時点における因子の保有状況を断面的に調査する方法であり、断面研究は、さらに後向き研究とコホート研究(追跡調査)に分類され、後向き研究は、後向きにある期間を振り返って因子の作用状況を調査する方法であり、コホート研究は、問題の疾病が新しく発生する状況を追跡的に調査する方法である。

(3) ただし、横断研究はある時点において実施される断面調査のため、特定因子との間の因果関係を推定する場合、原因か結果か全く無関係かを慎重に判断されなければならないこと、後向き研究は特定因子が発病に影響したのか発病後の病状経過を左右しているのかを慎重に判断しなければならず、また、その疾患に関する情報が記録や記憶に頼らざるを得ないことや対象集団の過去における人口移動等が正確に反映されにくいことが指摘されている。これに対し、コホート研究は仮説因子のあるなし又は因子の程度別にみた死亡や罹患の状況を直接観察して仮説の検定ができるので効果的であるとされている。

(三) 実験疫学

実験疫学は、分析疫学で関連性が確認された仮説因子について、これを与えれば疾病が発病し、これを与えなければ、疾病は全く発病しないか有意に低い割合でしか発生しないことを実験的に確認するものであり、これにより因果関係が確立される。このような実験疫学には動物実験及び人体負荷実験がある。

ただし、動物実験については、幾何学的因子(実験動物と人は個体全体のみならず、身体の各部の微細な構造に至るまで大きく異なっていること)、時間的因子(目的物質の代謝時間が動物により異なる上、動物の色々な生物学的段階が時間的にどのように配分され、位置づけられているかが動物により異なっていること)、量的因子(身体の大きさが異なれば、当然身体の中に含まれている物質の絶対量が異なる上、その相違は単に絶対量の差だけではないこと)、質的因子(臓器の構造、薬物代謝酵素その他の代謝酵素系等の質的差異があり、危害因子に対する反応に差異があること)から動物実験におけるデータを基準として人における数値を求める外挿の具体的方法や理論が確立されていないことが指摘され、また、人体負荷実験については、観察研究において統計的関連性が認められた因子を実際に人間集団に与えるものであるため、倫理上問題となることが多い上、人間集団において個体差や生活環境の違いを等質化することは実際上極めて困難であり、人を対象とした実験疫学はかなり制限されることが指摘されている。

2 有意性の検定(甲二〇九、二一〇、丙一、五、証人福富和夫、証人坪田信孝、弁論の全趣旨)

有意性の検定は、仮説因子と健康影響との関係が独立であり、両者の間に関連がないか科学的な意味で関連があるかを吟味するため、母集団に設定した仮説(対立仮説)について、これを否定する仮説(帰無仮説)を設定し、仮に帰無仮説が正しいとされた場合に得ることのできる検定統計量が統計学的な確率分布において、どの程度の確率で生じるかを求め、その確率がある有意水準(通常五%又は一%)以下の場合、帰無仮説は誤りであったとして棄却され、対立仮説は統計的に有意であり、統計的関連性が認められるという検定方法である。

検定方法にはx2検定、t検定、F検定等があり、仮説のタイプに適応した方法がとられる。

3 攪乱因子(丙四三、八〇の3、証人香川順、証人福富和夫、弁論の全趣旨)

(一) 意義

攪乱因子(修正因子)は、対象とする特定の疾病を引き起こす原因と考えられる仮説因子以外の因子で当該疾病に影響を与える因子であり、大気汚染の疫学の場合、性別、年齢、人種、喫煙、社会階層、職業、遺伝的因子、既往歴、生活様式、居住地域、住宅事情、教育水準等が一般的にあげられる。さらに、攪乱因子は、仮説因子以外で無関係に当該疾病に作用する因子(修正因子)と当該疾病に影響を及ぼし、かつ、仮説因子とも密接な関連を有している因子(交絡因子)に分類される。

(二) 攪乱因子の処理

攪乱因子の処理方法として層別解析、標準化、加重平均による訂正、無作為再抽出法、標準化等があり、層別解析、標準化が多く用いられている。層別解析は、因子の有無別にそれぞれ比較し、関連を検討するものであり、標準化は、コントロール可能な攪乱因子を統計的に修正することである。

4 疫学的因果関係の判定基準

疫学的因果関係の判定基準について主に提案されているものは以下のとおりである。

(一) 米国公衆衛生局長諮問委員会の五条件(乙一六八、丙二九四)

米国公衆衛生局長諮問委員会の五条件は、関連性の一致(誰がどこで調査しても、同様な結果が得られ、その関連性に一貫性があること)、関連の強固性(量―反応関係がみられること)、関連の特異性(一定の疾病に必ず特定の因子が原因として対応すること)、関連の時間性(疾病の発症前に一定の因子が存在していること)及び関連の整合性(ある因子により一定の疾病が発症することが生物学的に矛盾なく説明できること)である。なお、これは喫煙と肺癌に関するものである。

(二) ヒルの九視点(乙一六八、丙三四、四九、証人香川順)

ヒルの九視点は、強固性(当該因子がどの程度強く作用しているか。)、一致性(誰がどこでいつ調査しても同じような結果が得られるか。)、特異性(疾病に必ずある因子が介在しているか。)、時間性(疾病が起こる前に当該因子に暴露されているか。)、生物学的勾配(量―反応関係があるか。)、妥当性(現在の生物学的な知見で現象が説明できるか。)、整合性(調査結果に基づく原因・結果の解釈が自然史及び疾病生物学の一般に知られた事実と著しく矛盾しないか。)、実験(実験的又は半実験的証拠が存在するか。)及び類推(調査結果に対し、類似の証拠があるか。)である。

第二  道路沿道における知見

主な道路沿道における疫学調査及びその解析の知見は以下のとおりである。

一  「主要幹線道路沿道における大気汚染が学童の呼吸器症状に及ぼす影響」(甲一七七二、丙三九〇の1〜4)

1 千葉大学医学部公衆衛生学教室田中良明らは、自動車排出ガスを中心とする幹線道路沿道部の大気汚染が学童の呼吸器症状、特に気管支ぜん息に及ぼす影響を明らかにする目的で、千葉県内において、主要道路が学区を貫通する都市部六小学校(千葉市、船橋市、市川市、柏市)と学区内に自動車交通量が二万台を超える主要道路が存在しない田園部四小学校の平成四年の一年生から四年生を対象として、一年目が標準化呼吸器症状質問票(ATS―DLD小児版に準拠)、二年目及び三年目が最近一年間のぜん息症状と受動喫煙、家屋・暖房器具の状況についてのみの質問紙を用いて、三年間の追跡調査を実施した。なお、都市部のうち幹線道路から五〇m以内に居住する者を「沿道部」、五〇mを越えて居住する者を「非沿道部」とした。

2 調査結果

(一) 各小学校に近接する一般環境測定局における平成元年から平成五年までの間の二酸化窒素の五年間平均濃度は都市部0.025から0.031ppm、田園部0.007から0.020ppmであり、浮遊粒子状物質の五年間平均濃度は都市部0.048から0.057mg/m3、田園部0.030から0.047mg/m3であり、いずれも都市部が高濃度である。

(二) ぜん息症状有症率の比較

女子において、一年目から三年目までいずれも沿道部、非沿道部、田園部の順となっており、統計学的に有意であった。男子は二年目の沿道部、非沿道部、田園部の順のみ有意であった。

三年間の有症率の推移をみると、田園部においては、男女とも対象学童の学年が進むにしたがって有症率が直線的に減少しているのに対し、沿道部においては、有症率に変化がみられなかった。非沿道部は女子では学年とともに減少傾向がみられたが、男子では顕著ではなかった。

(三) ぜん息症状発症率の比較

(1) 二年間に新たにぜん息症状を発症した者の頻度(再発を含む。)は、男女ともにいずれも沿道部、非沿道部、田園部の順であり、この傾向は有意であった。ぜん息症状に関係すると考えられる関連要因一二項目(受動喫煙、暖房器具の種類、家屋構造等)を独立変数とした多重ロジスティック回帰による解析の結果、地区別の傾向性の検定で男女とも有意な関連がみられた。

(2) 新たにぜん息症状が発症する危険は、地区別要因調整オッズ比によれば、田園部を一とすると、男子が非沿道部1.92、沿道部3.70、女子が非沿道部2.44、沿道部5.97であった。

(3) その他のぜん息の発症に関連する要因としては、本人のアレルギーが有意であったのみであり、その他の呼吸器疾患の既往歴、受動喫煙、家屋構造等の影響も考慮したが、いずれも有意ではなかった。

二  「複合大気汚染に係る健康影響調査」(甲二九二、二九五、一六三八)

1 東京都衛生局は、窒素酸化物を中心とする複合大気汚染の健康影響を科学的に解明する目的で、調査方法を検討した上、昭和五三年度から昭和六〇年度までの間、種々の調査、解析等を実施した。

2 症状調査

(一) 道路からの距離による自動車排出ガスの濃度差に着目し、対象地域に満三年以上居住している満四〇歳以上六〇歳未満の主婦を対象として、ATS―DLDに準拠した質問票を用いて、地区別の症状項目別の「持続性せき」、「持続性たん」、「持続性せき・たん」等の有症率の比較を中心に分析し、呼吸器の自覚症状に関する質問調査を実施した。

(二) 昭和五七年の調査

(1) 昭和五七年一〇月、板橋区及び北区の環状七号線及び国道一七号線の周辺地域において、幹線道路端から二〇m以内、二〇から五〇m、五〇mから一五〇mの三地区に分類し、集計・分析対象を確定して調査した。

(2) 調査結果

① 昭和五七年の二酸化窒素の七日間平均値は、道路端が0.057から0.048ppm、二〇m地点が0.046から0.040ppm、五〇m地点が0.047から0.044ppm、一五〇m地点が0.042から0.040ppmであった。

② 「持続性せき」、「持続性たん」、「持続性せき・たん」、「せき・たんの増悪」、「ぜん息様発作」が二〇mから五〇m地区で高率であり、その他の有症率項目は二〇m以内地区で高率である。属性(関連要因)別にみても、この傾向は変わらない。地区間で有症率の差が有意と考えられたのは、「持続性せき」、「持続性たん」、「持続性せき・たん」のみであった。

(三) 昭和五八年の調査

(1) 昭和五八年一〇月、杉並区、練馬区、保谷市及び田無市の青梅街道周辺地域において、幹線道路端から二〇m以内と二〇mから一五〇mの二地区に分類し、集計・分析対象を確定して調査した。

(2) 調査結果

① 二酸化窒素については、全般的には距離減衰が認められたが、一酸化窒素を比べて明確ではなく、特に杉並地域A地点と練馬地域B地点においては、道路端と二〇m地点においてほとんど差は認められなかった。

② 「持続性せき」、「持続性たん」、「持続性せき・たん」、「せき・たんの増悪」、「喘鳴」、「ぜん息様発作」、「息切れ(重度)」等が二〇m以内地区で高率であり、属性項目(関連要因)別にみても、この傾向はほぼ一定である。地区間で有症率の差が有意と考えられたのは「持続性せき」、呼吸器の病気のみであった。

3 患者調査

(一) 昭和五八年八月から昭和五九年一〇月までの間、杉並区及び狛江市において、大気汚染に敏感に反応すると思われる乳幼児を対象として、「乳児コホート用調査用紙」を用いて、三、四か月健診に来所した乳児に対する気道疾患の罹患状況のコホート研究及び三歳児健診に来所した三歳児に対する気道疾患の罹患状況の後向き研究を実施した。

(二) 調査結果

乳児のコホート研究においては、幹線道路から五〇m以内が発熱ありの上気道炎や上気道疾患の罹患率が高く、呼吸器疾患の高頻度罹患者の占める割合も多い傾向がみられ、また、三歳児の後向き研究においても、幹線道路から五〇m以内が呼吸器疾患の罹患率が高く、罹患回数も多い傾向がみられたが、統計的な有意差はみられなかった。

4 疾病調査

(一) 昭和五七年一二月から昭和五九年一二月までの二年間、中野区内において、同区内の小学三年生を対象として、毎月一回の肺機能検査、尿中ヒドロキシプロリン(HOP)測定等の前向き研究を実施した。

(二) 調査結果

(1) 平均濃度は、中野区の二酸化窒素二二から三七ppm、二酸化硫黄七から一〇ppm、青梅市の二酸化窒素一二から二五ppm、二酸化硫黄四から六ppm、中央区の二酸化窒素一九から四四ppm、二酸化硫黄一〇から一四ppmであった。

(2) 肺機能検査

中野区内の学童の健常者から作成した身長との回帰曲線は、千葉県の大気清浄地区の学童を対象として作成した身長との回帰曲線と比較すると、女子のFVCを除き、身長の増加とともに相対的に低下していき、傾斜又は高さ(定数項)を比較したところ、二地区の回帰曲線には多くの有意差(F検定)が認められ、中野区内の学童は身長の増加にともなう肺機能の増加がやや劣る傾向がうかがわれた。

また、この二年間の四月から六月、九月から一一月のデータが全て揃っている五六名を対象として、身長、年齢との回帰を改めて作成し、肺機能に対する大気汚染の急性影響について検討したところ、ほとんどの肺機能指標が大気汚染濃度の増加(二酸化窒素の日平均値0.016から0.043ppm、時間最高値0.039から0.160ppm等)にともない低下する傾向を示し、二酸化窒素に対するFEV0.75等に有意な相関がみられた。

(3) 尿中HOP測定結果

同時期の六月及び一月、中野区、青梅市及び中央区内の小学五年生を対象として、尿中ヒドロキシプロリン量(HOP/CRE値)を測定すると、大気中二酸化窒素濃度の高い中野、中央地区に比べ、二酸化窒素濃度の低い青梅地区は、二酸化窒素濃度と尿中ヒドロキシプロリン量の相関が係数0.221で正の有意相関を示し、学童の尿中ヒドロキシプロリン量が有意に低い値を示した。

5 基礎的実験的研究

(一) 都立衛生研究所が中心となり、動物実験により二酸化窒素、オゾンの生体影響の特性を明らかにし、長期の低濃度暴露及び野外暴露の組み合せにより現実の大気汚染濃度レベルに近い二酸化窒素、オゾン濃度における影響の検出等をする目的で、動物実験による研究を実施した。

(二) 実験結果

(1) ラットへの二酸化窒素0.3ppmの三か月から一八か月長期暴露実験において、肝重量の減少、気管支上皮の肥大傾向や気管支粘膜における突出細胞の減少傾向等の病理学的変化を見出し、従来0.5ppmが長期暴露における変化を生ずると定説化されていたのに比べ、さらに低い0.3ppmで影響を確認した。

(2) ラットへの二酸化窒素0.15ppmとオゾン0.1ppmの三か月から二四か月複合暴露実験において、肺や肝の酵素活性の変化がみられ、二酸化窒素0.15ppm単独群においても、その変化がみられた。

(3) ラットへの二酸化窒素二ppmとオゾン0.12ppmの三〇日複合暴露に野外暴露を組み合せた実験において、複合影響が末梢気管支から肺胞領域において強められ、上皮細胞の肥大性変化、肺胞壁に単核の大型細胞の増加と炎症性細胞の浸潤、膠原繊維の増加による肺胞壁の肥厚、肺胞腔内にマクロファージの増加が認められた。

三  「大気汚染保健対策に係る健康影響調査」(甲一六五三)

1 東京都衛生局は、昭和六一年の「複合大気汚染に係る健康影響調査」(以下「前回調査」という。)の中で窒素酸化物を中心をする複合大気汚染と健康影響との関連が示唆されたが、大気汚染と健康影響との因果関係については調査方法の改善等を実施し、より科学的に解明される必要があるとされたことを受けて、自動車排出ガスをはじめとした東京都内の大気汚染についての健康影響を科学的に解明するとともに、大気汚染による健康監視システムの構築等をする目的で、昭和六二年度から平成元年度までの間、「大気汚染保健対策」を立案し、各種の調査を実施した。

2 学童の健康影響調査

(一) 昭和六二年度から平成元年度までの三年間、対象小学校及び学童数を増やし、過去一〇年間の窒素酸化物累積値の高い傾向の目黒区A小学校、板橋区B小学校、窒素酸化物累積値の低い傾向の東大和市C小学校の三小学校を選定し、昭和六二年七月時点で対象となった三、四年生を対象として、呼吸器症状調査、肺機能検査、尿中HOP/CRE等を実施し、大気汚染による学童の健康への急性又は慢性影響の有無について継続調査を実施した。なお、浮遊粒子状物質は、三地区ともにほぼ同様の値を示した。

(二) 調査結果

(1) 呼吸器症状調査

ATS―DLD質問票に準拠した調査の結果、小学校別有症率は、男子においては有意差がみられないが、女子においては東大和市C小学校が全ての呼吸器症状で低率であり、「ぜん息(グレード2)」、「ぜん息様症状(現在+寛解)」、「ぜん息様症状(現在)」は目黒区A小学校が東大和市C小学校より有意に高率であった。

また、目黒区A小学校の女子は、東大和市C小学校の女子に比べ、サッシを利用している者で、「ぜん息(グレード2)」、「ぜん息様症状(現在)」が有意に高く、また、湿疹のある者及び集合住宅に住んでいる者のそれぞれで「ぜん息様症状(現在)」が有意に高かった。

呼吸器症状調査結果について、二校間に差があるという調査仮説に基づき、東大和市C小学校に対する目黒区A小学校のオッズ比を推定し、その値が有意であるか否かを組み合わせ症状項目別に交絡因子(学年、居住歴、家庭内喫煙、暖房方法、家屋構造)を調整して男女別に解析すると、東大和市C小学校に対する目黒区A小学校の男子においてはいずれの症状項目のオッズ比も有意ではなかったが、女子においては「ぜん息様症状(現在)」、「喘鳴(グレード2)」の二つの症状項目で交絡因子の調整の有無にかかわらず、有意であった。また、東大和市C小学校に対する板橋区B小学校の男子においてはいずれの症状項目のオッズ比も有意ではなく、女子においては「ぜん息様症状(現在)」、「喘鳴(グレード1)」の二つの症状項目のオッズ比が交絡因子の調整がない場合には有意であったが、調整すると、板橋区B小学校の有症率が東大和市C小学校よりも高い値を示したものの、有意ではなかった。

(2) 肺機能検査

検査の結果、FVC、FEV0.75の調査月別修正平均値(性、学年、身長によるもの)は、昭和六三年三月及び平成元年一一月を除き、目黒区A小学校が一貫して低値を示したが、板橋区B小学校及び東大和市C小学校はほぼ同様の傾向を示した。

また、慢性影響の検討として、昭和六三年と平成元年の年間平均変化量(前年の年齢、身長、肺機能、身長の年間増加量、性を補正)は、三月から六月までの間、目黒区A小学校が有意に低値を示し、全体の平均をみると、FVC、FEV0.75、V二五は、東大和市C小学校の年間変化量が最大であった。

(3) 尿中ヒドロキシプロリン量(HOP/CRE)測定

尿中ヒドロキシプロリン量測定の結果、早朝第一尿の三年間の傾向をみると、多少の変動はあるが、板橋区B小学校、目黒区A小学校、東大和市C小学校の順であり、東大和市C小学校と目黒区A小学校、東大和市C小学校と板橋区B小学校に多くの有意差がみられた。

3 道路沿道の健康影響調査

(一) 昭和六二年から平成二年までの間、墨田区の水戸街道、明治通について、自動車排出ガスの影響を強く受けているとみなされる幹線自動車道路端から二〇m以内の地区(墨田沿道)、それに続く二〇から一五〇mの地区(墨田後背)及び東大和市の一部地域(東大和)の三地区において、対象地域に三年以上居住している満三〇歳以上六〇歳未満の女性及びその子供で一年以上居住している満三才以上六歳未満の小児を対象として、無作為抽出した上、呼吸器症状調査、肺機能検査、尿中HOP/CRE測定等を実施し、地域の健康影響の差を調査した。

(二) 調査結果

(1) 呼吸器症状調査

成人及び小児に対するATS―DLD質問票の成人用及び児童用を用いた調査の結果、成人の呼吸器症状の有症率は、「ぜん息様症状」を除き、墨田沿道、墨田後背、東大和の順となり、「持続性せき」、「持続性たん」、「喘鳴」、「息切れ」においては、三地区間の有症率に一定の傾向(墨田沿道、墨田後背、東大和の順)がみられた。また、小児の呼吸器症状の有症率は、「持続性ゼロゼロ・たん」で墨田沿道、墨田後背、東大和の順となる傾向が認められた。

呼吸器症状調査結果について、墨田沿道、墨田後背、東大和の順という調査仮説に基づき、地区間の有症率の傾向性を検定すると、成人の場合、交絡因子(年齢、居住歴、職業の有無、喫煙状況、暖房方法、家屋構造)で調整した場合であっても、「ぜん息」、「息切れ」で有意であり、「持続性せき」、「持続性たん」で傾向性を示したものの、有意ではなかったが、東大和に対する墨田沿道のオッズ比は、交絡因子で調整しても、「持続性たん」、「喘鳴」、「息切れ」で有意であった。また、小児の場合、地区間の有症率の傾向性を検定すると、女子の「持続性ゼロゼロ・たん」のみ有意であった。

(2) 肺機能検査

検査の結果からFVC及びFEV1.0の各共分散分析をすると、年間平均変化量(修正平均値)はいずれも墨田沿道がマイナスであり、最も減少率が大きかった。

4 健康監視モニタリング

(一) 昭和六二年度から平成元年度までの三年間、過去一〇年間の窒素酸化物の累積値及び自動車走行台数により九地域を選定し、各地域の道路周辺地区に居住する満三〇歳以上六〇歳未満の女性を対象として、無作為抽出した上、道路端から二〇m以内(沿道)と二〇から一五〇m(後背)に分類し、呼吸器症状調査、肺機能検査等を実施した。

(二) 調査結果

(1) 一〇年間の窒素酸化物累積濃度は、0.800(板橋区)から0.284(青梅市)ppmであった。

(2) 呼吸器症状調査

ATS―DLD質問票に準拠した質問票による調査の結果、呼吸器症状の有症率は、九地区合計で「持続性たん」、「息切れ(グレード3)」、区部で「息切れ(グレード3)」において、沿道が後背より有意に高率であった。また、区部が市部より有意に高率であったのは、沿道における「息切れ(グレード3)」、後背における「ぜん息様症状(現在)」、「喘鳴(グレード1)」であった。

要因(年齢、居住歴、サッシの使用、開放型暖房器具の使用、部屋数、喫煙、職業)別に九地区を合計し、沿道と後背を比較すると、「持続性たん」、「息切れ(グレード3)」において、沿道が有意に高い傾向を示し、居住歴三年から九年の者が「息切れ(グレード3)」で有意に高率であり、居住歴一〇年以上の非喫煙で非開放型暖房器具を使用している者が後背より沿道で有意に高率であったのは九地区合計における「息切れ(グレード3)」、区部における「息切れ(グレード2)」であった。

そして、「持続性たん」は、一酸化窒素、二酸化窒素等との間に、「ぜん息様症状(現在)」は、二酸化窒素等との間に、「息切れ(グレード3)」は、一酸化窒素との間にそれぞれ有意な正の相関が認められた。

健康被害の大きさは、一〇地区ともに沿道地区は後背地区より大きいという調査仮説に基づき、後背に対する沿道のオッズ比を推定し、症状項目について、その値が有意であるか否かを交絡因子(地区、年齢、居住歴、職業、喫煙状況、暖房方法、家屋構造)を調整して検討すると、交絡因子の調整の有無にかかわらず、「持続性たん」、「息切れ」、「息切れ(グレード3)」で有意であった。

(3) 肺機能検査

検査の結果からFVC及びFEV1.0の各共分散分析をすると、年間平均変化量(修正平均値)は、いずれも後背に比べ、沿道の減少率が大きい傾向がみられ、また、大気汚染の高い地区の方が年間減少量が大きくなる傾向を示したが、いずれも有意な関連はみられなかった。

四  「幹線道路沿道における大気汚染と住民の健康影響に関する疫学的研究」(甲一七七三)

1 国立公害研究所環境保健部小野雅司らは、特に都市における重要な汚染源である自動車等移動発生源に起因する大気汚染物質のうち浮遊粒子状物質と二酸化窒素に重点を置き、都市沿道周辺に位置する家屋内外の大気汚染状況を把握するとともに、沿道周辺住民を対象に沿道汚染が人の健康に及ぼす影響を明らかにする目的で、昭和六一年から昭和六二年までの間、葛飾区内の水戸街道及び環状七号線(昼間一二時間交通量約三万五〇〇〇台)沿道において、各道路端から二〇m以内(A地区)、二〇から五〇m(B地区)、五〇から一五〇m(C地区)の三区分に分類し、三年以上居住し、かつ、昭和四九年四月から昭和五七年三月までの間に出産した小児のいる世帯を抽出し、昭和六一年一一月、ATS―DLD標準質問票(環境庁版)を用いて、留置法による呼吸器症状に関する健康調査を実施し、その中から二〇〇世帯を選び、昭和六一年の三月、七月、一一月、昭和六二年の二月、五月の五回(平日四日間連続)、屋内の浮遊粒子状物質濃度、屋内外の二酸化窒素濃度を測定した。その他、家屋構造、家庭内禁煙、暖房器具及び調理用ガス器具の質問調査も実施した。そして、呼吸器症状有症率は、児童と成人(年齢三〇から四九歳)に分けて地域間比較を実施し、有意差検定はA地区とB、C地区間で片側t検定を実施し、汚染質濃度も同様の有意差検定を実施した。

2 調査結果

(一) 浮遊粒子状物質は、道路から距離にしたがって緩やかな減衰傾向を示し、二酸化窒素は、屋内外ともに道路端に近い地域ほど有意に高い濃度を示した。

(二) 児童の地区別有症率

児童の地区別有症率について、A地区の有症率は、「持続性せき」、「持続性ゼロゼロ・たん」、「ぜん息様症状」、「ぜん息様症状・現在」、「喘鳴症状」、「たんをともなうひどいかぜ」と全ての症状でB、C地区より高率であり、「ぜん息様症状」、「喘鳴症状」、「たんをともなうひどいかぜ」は有意差が認められた。

(三) 成人の地区別有症率

成人の地区別有症率は、父親が「持続性のたん」、「息切れ」がA地区で高い有症率を示し、母親が「持続性のせき」、「持続性のたん」、「持続性のせきとたん」、「持続性のせきとたん・二年以上」、「喘鳴症状」、「息切れ」がA地区で高い有症率を示し、父親の「持続性たん」、母親の「喘鳴症状」は有意差が認められた。既往歴については、父親が肺炎、アレルギー性鼻炎、肋膜炎、慢性気管支炎、心臓病で、母親が肺炎、アレルギー性鼻炎、慢性気管支炎でそれぞれA地区が高率であり、一部で有意差がみられ、また、喫煙の有無別に三地区間で呼吸器症状有症率の比較を実施した結果、父親の非喫煙群、母親の喫煙群で対象が少なくばらつきが大きかったが、喫煙群、非喫煙群ともにほぼ同様の傾向を示した。

(四) 各属性別の対象割合に関しては、家屋構造と居住歴、暖房方法、性別、年齢構成、アレルギー既往症で三地区間に差がみられたため、各要因について、訂正有症率を求め、粗有症率と比較すると、いずれの場合も有症率の順位に変化は認められず、また、粗有症率と訂正有症率の差もごくわずかであった。

(五) 地域人口集団を対象とした大気汚染と呼吸器症状有症率の関係については、環境庁が昭和五〇年代後半に全国規模で実施した疫学調査が同様の方法により実施されている。そこで、これと比較すると、児童の「ぜん息様症状・現在」の有症率は、都内五区平均で5.1%、全国都市部平均で4.4%であるところ、B地区とC地区でほぼ同様の有症率であるが、A地区で高い有症率が観察された。一方、成人の場合、「持続性のせきとたん」の有症率は、都内五区平均で男1.7%、女0.6%、全国都市部平均で男2.1%、女0.7%であるところ、A地区で男女ともに高い傾向がみられた。他の呼吸器症状に関しても、類似の傾向を示すものが多かった。

五  「東京都内幹線道路沿道住民の呼吸器症状に関する疫学的研究」(甲二九四)

1 国立公害研究所環境保健部新田裕史らは、自動車排出ガスの呼吸器症状に対する影響を捉える目的で、昭和五四年一〇月、板橋区、練馬区及び中野区の環状七号線周辺地域(以下「環七地域」という。昭和五二年度が交通量四万三六八三台、昭和五五年度が同三万六一三九台。)並びに八王子市の国道二〇号とそのバイパス周辺地域(以下「八王子地域」という。昭和五二年度が交通量一万四四九三台、昭和五五年度が同一万四三一九台。)において、道路端から二〇m以内の地区(A地区)とこれに続く二〇から一五〇mまでの地区(B地区)に分類し、昭和五四年七月一日現在で対象地域に満三年以上在住している満四〇歳以上六〇歳未満の女性を対象として、A地区で該当者全員を抽出し、B地区でほぼ同数を無作為抽出した上、ATS―DLD質問票の日本版に準拠した質問票を用いて、呼吸器症状の調査を実施した。

2 調査結果

(一) 昭和五四年度及び昭和五五年度に実施した二酸化窒素の環境測定結果は、環七地域、八王子地域ともにA地区とB地区の濃度差は、約一〇から二〇ppb存在し、測定時間が短いこと(昭和五四年度が二日、昭和五五年度が五日)を考慮しても、両地区間の二酸化窒素濃度には平均的にみてある程度の差が存在する。

(二) 地区別有症率

環七地域、八王子地域ともに各症状の有症率は、いずれもA地区がB地区よりも高く、環七地域においては、「持続性のせき」、「持続性のたん」、「せき・たんの増悪」、「喘鳴②」、「軽度の息切れ」で統計的に有意差が認められ、八王子地域においては、「持続性のせき」、「持続性のたん」、「持続性のせき・たん」、「喘鳴②」、「軽度の息切れ」にA地区、B地区間で統計的に有意差が認められた。

(三) 地区別・各因子別有症率

職業の有無別の有症率は、職業を持っている群においては、八王子地域で症状項目の四つに両地区間の有意差が認められ、B地区の有症率の方が高い傾向にある症状も認められるが、一般にA地区の有症率がB地区より高くなった。職業を持っていない群においては、環七地域で症状項目の三つに両地区間の有意差が認められ、全体でほぼ一貫してA地区の有症率が高い傾向にあった。

在住年数別の有症率は、A地区とB地区を比較すると、A地区の方が各症状項目ともに高い傾向にあるが、必ずしも一貫していなかった。

喫煙状況別の有症率は、非喫煙者群においては、環七地域で症状項目の七つに両地区間の有意差が認められ、全ての症状項目でA地区が高く、また、八王子地域で症状項目の三つに両地区間の有意差が認められたが、必ずしも各症状項目でA地区が高いわけではなかった。前喫煙者群及び喫煙者群においては、B地区が高い症状項目も多くあり、有意差も認められなかった。

開放型ストーブ使用別の有症率は、開放型ストーブを使用している群も使用していない群も、全体としてA地区の方がB地区より高い有症率を示し、開放型ストーブ非使用群においては、環七地域で症状項目の六つに両地区間の有意差が認められた。

六  「大気汚染地域における小児の健康影響に関する研究」(甲一七七四、丙三九二の3)

1 岡山大学医学部衛生学教室柳楽翼らは、排気ガス汚染と学童集団の上・下気道、粘膜系の症状等との関連性を疫学的手法を用いて明らかにする目的で、昭和五四年七月、芦屋市及び尼崎市において、国道四三号線に隣接する芦屋市清道小学校(東方約1Kmの打出測定局の昭和五一年度から昭和五三年度までの間の二酸化窒素平均値0.043ppm)及び尼崎市西小学校(隣接の武蔵川測定局の同平均値0.032ppm)を対象とし、両校に比較して低汚染校である芦屋市山手小学校を対照校に選定し、その全学童に上・下気道症状、眼粘膜症状等に関する自記式問診票を配付し、父母による記入を求め、そのうち現住所に三年以上居住する者を対象として、自覚症状有訴率と学童の住居から国道四三号線までの距離との関係(距離減衰傾向)の有無をスコア法による有症率の線型傾向の検定により分析して調査した。

2 調査結果

(一) 有訴率は、大多数の項目において、清道小、西小、山手小の順となり、いくつかの項目については、x2検定により統計学的に有意差が認められた。有症率の学校別差異は、二酸化硫黄、二酸化窒素を中心とする大気汚染状況の近年における学校別及び校区別の差異により説明できると考えられた。

(二) 多彩な上・下気道、眼粘膜症状において、国道四三号線と住居間の距離が大になるにしたがって有訴率が低下する傾向(距離減衰傾向)が認められ、特に清道小学校の全項目、西小学校の大多数の項目において、線型傾向が有意に認められた。国道四三号線沿道における有訴率の高率発生の原因として、自動車排出ガス汚染との関連を考えなければならない。

七  「自動車排気ガスの人体に及ぼす影響について」(甲一七三)

1 三重大学医学部北畠正義らは、移動発生源としての自動車排出ガスと呼吸器系疾患との関係を明らかにする目的で、昭和五二年二月、固定発生源による汚染が少なく、かつ、交通量の多い主要幹線道路が横切る地区として四日市市富田、富州原地区を選び、その地区を走る国道一号線(一日交通量二万六四九一台)及び名四国道(同四万八三三三台)について、各道路端から三〇m毎に五ゾーンを設定し(ただし、名四国道の第一ゾーンは六〇m)、各ゾーン別の国民健康保険加入者を対象とし、昭和四八年三月から昭和五〇年一一月までの間に呼吸器系疾患で受診した者を受診レセプトから抽出した上、呼吸器系疾患を急性型(感冒等)、ぜん息型(気管支ぜん息等)、上気道型(咽頭炎等)、慢性型(慢性気管支炎、肺気腫等)及び閉塞型(気管支ぜん息、慢性気管支炎、肺気腫等)の患者群に分類し、夏期(五月から八月)、冬期(一一月から二月)別に道路からの距離別に呼吸器系疾患受診率を求め、自動車排出ガスによる呼吸器系疾患への影響を調査した。

2 調査結果

(一) 急性型においては、年間、夏期、冬期別の各集計ともに道路からの距離にはほとんど関係なく受診しており、自動車排出ガスによる影響の差を確認できなかった。夏期に比べて冬期の受診率が著明に高くなっており、局所的な排出ガスの影響よりも季節的因子が強く作用していると考えられた。

(二) ぜん息型において、自動車排出ガス濃度が最も高いと考えられる第一ゾーンの受診率が高く、第二から第五ゾーンまではほぼ同程度であった。季節的変動による差は小さく、ゾーン別には国道一号線及び名四国道ともに第一ゾーンより高い受診率を呈し、自動車排出ガスの影響によりその受診率を高くしているものと考えられた。

(三) 上気道型においては、国道一号線プラス名四国道、国道一号線の年間と冬期において、道路から距離を隔てるとともに、上気道型の受診率が低下しており、自動車排出ガスの拡散濃度分布とかなり一致するのではないかと考えられた。

(四) 慢性型においては、名四国道沿線の第一ゾーンに高い受診率を認め、第一ゾーンとその他のゾーンとの間に著明な差を認めたが、国道一号線沿道のゾーンには差を確認できなかった。

(五) 閉塞型においては、各道路からの影響ともに第一ゾーンに高い受診率を認め、名四国道においてその差が著明であった。

第三  一般環境大気における知見

主な一般環境大気における疫学調査及びその解析は以下のとおりである。

一  坪田信孝らの岡山県の調査の解析

1 「岡山県における呼吸器症状に関する疫学的研究―とくに「持続性せき・たん」有症率を中心として―」(甲二〇二、二〇九〜二一二の1〜3、証人坪田信孝)

(一) 岡山大学医学部公衆衛生学教室坪田信孝らは、現状の複数の大気汚染物質による大気汚染と呼吸器症状との関係の有無について評価する目的で、昭和四九年度及び昭和五〇年度の岡山県の調査の結果について解析した。なお、岡山県の調査は、昭和四九年度及び昭和五〇年度、岡山県内の一二地区において、三年以上居住している四〇歳以上六〇歳未満の男女を対象として、BMRC質問票に基づき作成した質問票を用いて、個別面接方式で住民健康調査を実施したものである。

(二) 解析結果

(1) 単回帰分析により窒素酸化物(二酸化窒素濃度、二酸化窒素の日平均値の0.02ppm超過率、二酸化窒素プラス一酸化窒素濃度)及び硫黄酸化物(二酸化硫黄濃度、二酸化硫黄の日平均値0.04ppm超過率)を指標とした大気汚染と「持続性せき・たん」訂正有症率及び平均呼吸器症状点数(米国で用いられている指標でより軽度の症状を考慮したものである。)を指標とした呼吸器症状との間における解析において、両者間に関係がないとはいえないとの成績を得た。この成績は、濃度に関し、測定局の位置、個数及び測定時間を考慮して作成した種々の指標を用いて解析を実施した場合も変らなかった。

(2) 重回帰分析の変数選択法により第一位には一八列中一六列で窒素酸化物に関する指標が、二列で硫黄酸化物に関する指標が選択された。第二位には前者の一六例中一〇例で硫黄酸化物に関する指標が、五例で浮遊粒子状物質に関する指標が、一例で光科学オキシダントに関する指標が選択され、後者の二例においては、窒素酸化物に関する指標が選択された。また、これらの第二位までの変数を使用した場合の母重相関係数は全ての例(一八例)で零とみなされなかった。

(3) 一連の成績から大気汚染と呼吸器症状との間に線型関係があるとの仮説を立て、この仮説が実際のデータより認容できるか否かを検討するため、線型関係は存在しないという帰無仮説を検証し、帰無仮説が棄却された成績である。この際の線型性仮説の第一種の過誤は五%以下である。したがって、呼吸器症状に与える大気汚染の影響は統計疫学的見地からは否定できないものであると考えられた。

(4) 呼吸器症状に大気汚染が寄与しているとの仮説は、その内容を詳細に検討すれば、岡山県における呼吸器症状に対する汚染物質毎の寄与の程度は、窒素酸化物、硫黄酸化物の順と考えられた。

2 「大気汚染と持続性せき・たんの有症率の関係―無作為再抽出によって有症率を訂正しx2による回帰分析を応用した成績について―」(甲二〇三、二〇九〜二一二の1〜3、証人坪田信孝)

(一) 同坪田信孝は、回帰分析を応用する目的で、昭和四九年度及び昭和五〇年度の岡山県の調査の結果について、回帰分析に先立ち、大気汚染以外の因子(性、年齢、喫煙歴)の地区毎の分布に差があるか否かをx2検定を実施した上、差のある因子について、その因子と「持続性せき・たん」の有症率とに関係があるか否かをx2検定を実施した結果、性と女性の喫煙歴とは訂正の必要があると考えられたが、従来の加重平均による訂正有症率にx2統計量による回帰分析は適用できないため、女性の喫煙者を除外した上、性について、無作為抽出法により訂正し、x2統計量による回帰分析を実施した。

(二) 解析結果

(1) 回帰分析により一般的な回帰分析に比べ、より詳細に大気汚染と有症率との関係を把握することができた。すなわち、岡山県南部地域の地区毎の有症率には有意の差が認められ、この差を説明する因子として、窒素酸化物、硫黄酸化物を指標とした大気汚染が考えられた。また、これらの指標で表わされる大気汚染の増加にともなって有症率が増加するという傾向は有意であり、かつ、直線的なものとみなすことができた。

(2) 以上の成績は、窒素酸化物、硫黄酸化物を指標とした大気汚染と有症率に関係があると考えられた前記「岡山県における呼吸器症状に関する疫学的研究―とくに「持続性せき・たん」有症率を中心として―」における成績と矛盾しないものであった。

3 「大気汚染と「持続性せき・たん」有症率の関係―とくに低濃度汚染地区を含むデータによる用量―反応関係について―」(甲二〇四の1、2、二〇九〜二一二の1〜3、証人坪田信孝)

(一) 同坪田信孝は、大気汚染と「持続性せき・たん」の有症率の関係を用量―反応関係として把握する目的で、従来の回帰分析で行われていた直線モデルの仮定は論理整合性に欠け、用量―反応関係は他の科学物質と同様にS字状の曲線(プロビットモデル)を仮定する方がより論理的であると考え、昭和四九年度及び昭和五〇年度の一二地区に新たに昭和五二年度の岡山県の調査の対象となった低濃度地区を含む五地区を加えて、従来の解析とともに、プロビットモデルを仮定した回帰分析を実施した。なお、昭和五二年度の右調査方法は前二回と同様である。

(二) 解析結果

(1) x2統計量により検定した結果、地区毎の有症率には有意の差があり、窒素酸化物(二酸化窒素、二酸化窒素プラス一酸化窒素)を大気汚染の指標とした場合、直線モデル、プロビットモデルともに容認され、その際、大気汚染の増加にともなって有症率が高くなるという傾向は有意であった。したがって、窒素酸化物と有症率の間には他の多くの化学物質と生体反応に認められると同様の用量―反応関係があると考えられた。その際の二酸化窒素の一から三か年平均値は、0.006ppmないし0.030ppm(ザルツマン係数0.72)であった。

(2) 硫黄酸化物と有症率の関係は有意であった。しかし、この検定の基礎となったモデルは、直線モデル、プロビットモデルともに適合性が否定された。したがって、硫黄酸化物により現状の地区毎の有症率の差を説明することは困難と考えられた。さらに、以上の成績により有症率の地区差を説明する指標として、窒素酸化物の方が硫黄酸化物よりよい指標と考えられた。

二  六都市調査

1 「複合大気汚染健康影響調査」(甲一四六)

(一) 環境庁環境保健部は、硫黄酸化物等による環境汚染の態様と地域人口集団の健康との関連性の把握、汚染の態様に即応した地域的健康管理体制の確立並びに今後予測される汚染物質による健康影響に関する資料の収集等公害防止対策を推進するための資料を得る目的で、昭和四五年度から昭和四九年度までの間、市原市及び佐倉市、東大阪市及び南河内郡太子町、大牟田市及び福岡市の一部の地域において、各調査地区内に三年以上居住している比較的地域定着性が高いと考えられる三〇歳以上の女子及び六〇歳以上の男子を対象として、BMRC質問票による呼吸器症状等に関する面接質問調査、呼吸機能検査、喀痰検査、胸部レントゲン検査、一般理学的検査及び尿検査の断面調査を実施した。

(二) 調査結果

(1) 調査地区の各汚染物質の濃度は、昭和四五年度から昭和四九年度までの間の平均値は、二酸化硫黄について、東大阪地区(0.032ppm)及び大牟田地区(0.033ppm)が相対的に高い値を示し、佐倉地区、富田林地区及び福岡地区が低い値を示し、二酸化窒素について、東大阪地区(0.0043ppm)が相対的に高い値を示し、市原地区及び佐倉地区が低い値を示し(ザルツマン係数0.72)、浮遊粉じんについて、大牟田地区(四一五μg/m3)が相対的に高い値を示し、市原地区(一〇九μg/m3)が低い値を示した。各汚染物質の濃度について、六地区平均値を昭和四五年度から昭和四九年度にかけて、経年的にみると、硫黄酸化物、浮遊粉じん及び降下煤じんは漸次低下傾向を示したが、窒素酸化物はこのような傾向は認められなかった。

(2) 呼吸器症状(せき、たん及び「持続性せき・たん」)の有症率を地区別に比較すると、六地区間においては、東大阪地区及び大牟田地区の有症率が相対的に高く、市原地区、佐倉地区、富田林地区及び福岡地区の有症率が相対的に低かった。

また、呼吸器症状を年度別に比較すると、質問票の全項目について質問を実施した昭和四五年度、昭和四八年度及び昭和四九年度の「持続性せき・たん」の有症率については、昭和四五年度から昭和四九年度にかけて低下傾向が認められた。なお、呼吸器症状の有症率を喫煙習慣別にみると、男女ともに喫煙者(一日平均一本以上喫煙している者)は非喫煙者の二から三倍以上の有症率を示した。

(3) 各大気汚染物質の濃度又は量と呼吸器症状の有症率の関係を統計学的に分析したところ、一部の例外を除き、両者の間には順相関がみられた。これらの相関のうちいくつかの組合せについては、統計学的に有意であったが、大部分は有意でなかった。一方、大気汚染と呼吸機能検査の結果との相関については、一部の年度の一部の項目を除いて統計学的に有意な関係はみられなかった。

2 「大気汚染と家庭婦人の呼吸器症状及び呼吸機能との関係について」(甲一五五)

(一) 国立公衆衛生院次長鈴木武夫らは、地域の大気汚染とその地域人口集団及び健康への影響を観察する目的で、前記「複合大気汚染健康影響調査」のうち女子に関する調査を利用し、大気汚染の態様と地位人口集団の健康との関連性を把握し、かつ、大気汚染の状態の変化とその健康への影響との関連性、大気汚染とその健康への影響の時間的ずれ等について解析した。

(二) 解析結果

(1) 「持続性せき・たん」の有症率と大気汚染との間の単相関係数について、昭和四五年度と昭和四九年度を比較すると、二酸化硫黄、硫黄酸化物、一酸化炭素及び浮遊粒子状物質が昭和四五年度に、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物が昭和四九年度に大きかった。大気汚染の指標が調査機関の間に硫黄酸化物、浮遊粒子状物質から窒素酸化物へと変貌していることが人口集団への影響との関係からもみられた。

(2) 「持続性せき・たん」の有症率と大気汚染との関係の有無について、x2検定を各年度について実施したところ、昭和四七年度は二酸化硫黄、二酸化窒素、窒素酸化物、浮遊粒子状物質及び下降煤じん、昭和四八年度及び昭和四九年度は一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物と有症率との関係が統計学的に有意であった。昭和四七年度以降、三回にわたる面接調査において、「持続性せき・たん」の有症率と窒素酸化物との間に統計学的に有意であったことが注目された。

(3) 年間六五〇〇時間以上測定された二酸化窒素及び二酸化硫黄の濃度と、月一回二四時間測定された浮遊粒子状物質の濃度についての年平均値が得られた地区は一一か所であったが、それに対応する成人女性の「持続性せき・たん」の有症率をそれぞれの濃度との関係について総合して考察すると、二酸化窒素、二酸化硫黄及び浮遊粒子状物質の年間平均濃度がそれぞれ約0.02ppm、0.03ppm及び一五〇μg/m3以下であれば、「持続性せき・たん」の有症率は二%以下であり、それを越すと有症率は四から六%であった。

三  「千葉における慢性気管支炎症状の疫学的研究」(甲一五〇、乙二〇、六八の1、六九、丙一六〜一八)

1 千葉県大学医学部教授吉田亮らは昭和四六年から昭和五〇年までの間、千葉県内の二一地区において、四〇歳以上五九歳以下の男女を対象としてBMRC質問票を用いて実施された成人の呼吸器症状有症率調査の資料を解析した。

2 解析結果

(一) 大気汚染濃度(年平均値)は、二酸化硫黄が0.009ppm(千葉市泉地区)から0.042ppm(千葉市A地区)、二酸化窒素が0.013ppm(市原市高滝地区)から0.041ppm(千葉市A地区)、一酸化窒素が0.005ppm(市原市姉崎地区)から0.043ppm(千葉市工場地区)で分布していた。

(二) 「持続性せき・たん」の訂正有症率又は呼吸器症状指標と二酸化硫黄、一酸化窒素、二酸化窒素及び窒素酸化物の年平均値との相関をみると、汚染物質単独でも相関を示したが、重回帰分析を実施した結果、さらに相関が強まった。また、「持続性せき・たん」有症率が自然有症率とされている三%以下に持続されるためには二酸化硫黄及び二酸化窒素が相加的に作用していると考えれば、両者の環境基準がともに達成されることが必要であり、これを年平均値としてみると、例えば二酸化硫黄0.018ppm以下、二酸化窒素0.009ppm以下という組合わせが考えられる。

四  「大気汚染の慢性気管支炎有症率におよぼす影響」(甲一四九、乙七四、丙一二)

1 宮崎医科大学公衆衛生学教室常俊義三らは、慢性気管支炎有症率と各種大気汚染物質との関係を明らかにする目的で、昭和四六年度以降、大阪府及び兵庫県内の七地区において、居住する四〇歳以上の全住民を対象として、呼吸器に関するアンケート調査を実施し、調査票にせき、たんの症状の記載のあるものを対象としてBMRC標準質問票を用いて面接調査、呼吸機能検査を実施した。

2 調査結果

(一) 対象地区における大気汚染の推移(年度平均値)は、昭和四七年度において、二酸化硫黄0.024から0.037ppm、二酸化窒素0.016から0.09ppm、浮遊粉じん二四から一六〇μg/m3、昭和四八年度において、二酸化硫黄0.020から0.032ppm、二酸化窒素0.024から0.07ppm、浮遊粉じん四九から一〇四μg/m3、昭和四九年度において、二酸化硫黄0.018から0.029ppm、二酸化窒素0.019ppmないし0.057ppm。浮遊粉じん四一から一〇九μg/m3であった。

(二) 慢性気管支炎有症率と大気汚染指標との関係については、単独汚染指標よりも複合汚染指標の方が慢性気管支炎有症率との間に高い相関があり、とりわけ二酸化硫黄、浮遊粉じんの相加的な汚染指標が慢性気管支炎有症率によく対応することが明らかにされた。そして、重回帰分析の結果、慢性気管支炎有症率に及ぼす窒素酸化物の影響が硫黄酸化物、浮遊粉じんに比べて少ないことが示されたことは窒素酸化物の影響が下部気道であるとすれば、これを説明し得るものである。

(三) 地区の慢性気管支炎有症率を推定するには複合汚染指標を用いた重回帰分析による回帰式を用いるのが最も妥当であると考えられた。

(四) 「持続性たん」の有症率は、他の呼吸器症状に関する有症率より各種大気汚染指標との間に相関関係が強く、大気汚染に最も鋭敏に対応することが明らかにされた。

(五) 解析結果は、慢性気管支炎の発生機序、病態生理に関する知見に一致するものであった。

五  環境庁による全国調査

1 「質問票を用いた呼吸疾患に関する調査」(甲一五五六、一六二九、乙一六八、丙三八六、三八七)

(一) 環境庁環境保健部は、各地域の有症率を把握するとともに、大気汚染と健康被害との関係についての検討に資する目的で、昭和五六年度から昭和五八年度までの間、群馬県から宮崎県までの太平洋側を中心とした九都道府県三三地区において、これらを都市形態別に人口密度五〇〇〇人/Km以上の地域(U)、一〇〇〇人以上五〇〇〇人/Km未満の地区(S)及び一〇〇〇人/Km未満の地区(R)に分けた上、ATS方式に準拠した質問票を用いて、小学校(九二校)に通学する全児童、昭和五七年度、昭和五八年度について同居する成人(父母及び祖父母)を対象とした呼吸器疾患に関する疫学調査を実施し、居住歴六年以上の児童及び居住歴三年以上の三〇歳から四九歳の成人について解析した(以下「環境庁a調査」という。)。

(二) 調査結果

(1) 大気汚染濃度

都市形態別の経年変化は、年平均値及び九八%値において、U、S、Rともに二酸化硫黄は年々減少傾向にあるが、二酸化窒素は横ばい、浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんは昭和五〇年ころまで減少し、その後横ばいであるところ、都市形態間の濃度の順位は昭和五〇年度の浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんの九八%値を除き、二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんの年平均値及び九八%値は、U、S、Rの順を除き、二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質又は浮遊粉じんの年平均値及び九八%値は、U、S、Rの順となっており、都市形態別の大気汚染濃度は、人口密度が大きい地域ほど高くなっており、その傾向は二酸化窒素において顕著であった。また、地区別の昭和五八年度の一般環境大気測定局の年平均値は、二酸化硫黄5.0から13.0ppb、二酸化窒素3.0から37.0ppb、浮遊粒子状物質又は浮遊粉じん20.0から63.0μg/m3であり、調査地区における大気汚染レベルは大気汚染のほぼ最大に近いところから大気汚染の比較的小さいところまでを含んでいる。

(2) 児童調査

① 「ぜん息様症状・現在」の有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化硫黄においては女のみ、二酸化窒素においては男女ともに、浮遊粉じんにおいては男のみに有意な相関が認められた。また、「ぜん息様症状・現在」の有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計すると、個々の濃度階級に属する各地域の有症率にはかなりのばらつきがみられるが、男女とも濃度の高い階級ほど有症率が高く、x2検定の結果、男女とも有意であることが認められている。

② 持続性ゼロゼロ・たんの有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素、浮遊粉じんにおいては男のみ、二酸化硫黄においては男女とも有意な相関が認められた。

③ 都市形態別に「ぜん息様症状・現在」、持続性ゼロゼロ・たんの有症率を比較すると、いずれもUで最も高く、Rで最も低い値を示し、統計的にも有意の差が認められた。また、体質、過去の病気、現在の病気、過去の栄養、家族構成、部屋密度、室内汚染、遺伝的要因及び居住環境に関する因子と有症率との関連をみたところ、体質、過去の病気及び現在の病気に関する因子については有意な関連がみられた。そこで、これらの因子により有症率の都市形態間の差を説明できるか否かをみるため、これらの因子を有している群と有していない群に分けて有症率の都市形態間の差を検討すると、いずれもU、S、Rの順に高くなる関係がみられ、少なくとも他にも有症率の差をもたらしている因子があることを示唆した。ただし、この差は年度、性毎にみると、必ずしも有意なものではなかった。一方、室内汚染に関する因子等については、有症率と有意な関連はほとんどみられなかった。なお、この調査においては、一部の小学校について全員を対象にIgEの検査が行われ、IgE分布に学校間の差がみられなかった。

(3) 成人調査(昭和五七年度及び昭和五八年度)

① 「持続性せき・たん」の性・年齢・喫煙訂正有症率と大気汚染との相関をみると、当該年度の年平均値の二酸化窒素においては男女ともに有意な相関はなく、当該年度の年平均値の二酸化硫黄及び浮遊粉じんにおいては男女ともに有意な相関が認められた。ただし、大気汚染濃度を過去三年の平均値でみた場合、二酸化窒素においても男で有意な相関が認められている。また、「持続性せき・たん」の粗存症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、男女とも濃度の高い階級ほど有症率が高く、X2検定の結果、有意であることが認められている。

都市形態別に「持続性せき・たん」の有症率を比較すると、ほとんどUで最も高く、Rで最も低い値を示したが、統計的に有意な差が認められる場合は少なかった(昭和五八年度の男及び男女計のみで有意であった。)。また、家族数、部屋密度、室内汚染、既往症、職歴及び喫煙に関する因子と有症率との関連をみたところ、既往症に関する因子については有意な相関が認められ、喫煙に関する因子等については一部に有意な関連がみられたが、室内汚染に関する因子等については有意な関連はほとんどみられなかった。

② 「ぜん息様症状・現在」の有症率と大気汚染物質との有意な相関は男女とも認められていない。

都市形態別に「ぜん息様症状・現在」の有症率を比較すると、ほとんどUが最も高く、Rで最も低い値を示したが、統計的に有意な差が認められる場合は少なかった(昭和五七年度の女及び男女計のみで有意であった。)。また、家族数等に関する因子と有症率との関連は「持続性せき・たん」の結果とほぼ同様であった。

2 「大気汚染健康影響調査報告」(甲一五五七、乙一六八、丙三八九、証人福富和夫)

(一) 環境庁大気保全局は、大気汚染の健康への影響を調査する目的で、昭和五五年度から昭和五九年度までの間、北海道から鹿児島県までの日本海側を含む二八都道府県五一地域において、ATS方式に準拠した質問票を用いて、小学校(一五〇校)に通学する全児童、同居する成人(父母及び祖父母)を対象とした呼吸器疾患に関する疫学調査を実施し、居住歴三年以上の児童及び成人について解析した(以下「環境庁b調査」という。)。

(二) 調査結果

(1) 大気汚染濃度

各調査地域の調査年度前三年平均値は、二酸化窒素五から四三ppb、二酸化硫黄五から二四ppb、浮遊粉じん二〇から九〇μg/m3であった。

(2) 児童調査

① 「ぜん息様症状・現在」の有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素で男女とも、二酸化硫黄で女のみに有意な相関が認められた。また、「ぜん息様症状・現在」の有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppb間隔の濃度別に集計してみると、個々の濃度階級に属する各地域の有症率にはかなりのばらつきがみられるが、男女とも三一ppb以上の地域で三〇ppb以下の地域より有症率が高率であり、x2検定で有意であることが認められている。

② 持続性ゼロゼロ・たんの有症率と大気汚染との相関をみると、二酸化窒素、二酸化硫黄で男女とも有意な相関が認められた。

③ 持続性ゼロゼロ・たんでは男女とも、「ぜん息様症状・現在」では男において、両親のぜん息、本人のじんましんの既往等でみたアレルギー素因ありの群はなしの群に比べ、二酸化窒素及び二酸化硫黄との相関が有意となる傾向が認められている。

(3) 成人調査

① 「持続性せき・たん」の年齢訂正有症率と大気汚染との相関をみると、女においては二酸化窒素及び二酸化硫黄との間に有意な相関が認められているが、男においては有意な相関は認められていない。また、「持続性せき・たん」の年齢訂正有症率を二酸化窒素を指標として一〇ppbの濃度別に集計してみると、女においては濃度の高い階級ほど有症率が高かったが、男においてはそのような結果は得られていない。なお、女においてみられた二酸化窒素との有意な相関は、因子別解析すると、呼吸器疾患の既往が交絡因子として働いていることが示唆される。

② 「ぜん息様症状・現在」の有症率と大気汚染との有意は相関は、二酸化硫黄で女において、浮遊粉じんで男において認められたが、二酸化窒素との間には男女とも認められなかった。また、五〇歳以上と五〇歳未満に分けると、女においては五〇歳以上のみで二酸化硫黄との間に、男においてはともに浮遊粉じんとの間に有意な相関が認められている。

六  「学童の呼吸器症状と大気汚染(環境庁大気保全局調査資料についての検討)」(甲一五〇七、一五五二、証人福富和夫)

1 宮崎医科大学常松俊三らは、環境庁b調査の中から重要と思われる資料を整理、追加し、既存の知見を加え、今後の大気汚染の健康に及ぼす影響についての研究に資する目的で、環境庁b調査のうち学童の健康影響を取り上げて解析した。

2 解析結果

(一) 発症に関連すると考えられている因子のうち家族歴、アレルギー疾患の既往、アレルギー素因、既往歴、栄養方法、家族の喫煙、家屋構造、暖房方法等について因子の有無別に有症率を検討したところ、家族歴、アレルギー疾患の既往、アレルギー素因、既往歴の一部について、あり・なし群の間に有意差が認められ、その他の因子については有意差が認められなかった。

(二) 有意差が認められた家族歴、アレルギー疾患の既往、アレルギー素因、既往歴の一部について、それぞれの因子の有無別に分けて、各地域の有症率と大気汚染との間になお有意な相関が認められるか否かを検討したところ、「ぜん息様症状・現在」と二酸化窒素との関連について、男においては家族歴、アレルギー疾患の既往、アレルギー素因の各因子にあり群において、女においては家族歴とアレルギー素因のなし群において、有意な相関が認められた。

(三) 環境庁b調査で検討しなかったぜん息の発症に関連する因子のうち職業病等にみられる特定アレルゲン、気象条件、動物性蛋白の摂取量、社会経済因子、精神的因子、都市化因子は、地域間の差がないものや報告のないものであり、大気汚染と有症率との関連についての交絡因子となり得ない。

七  「大気汚染健康影響継続観察調査報告」(甲一六三七)

1 環境庁大気保全局長の諮問機関「大気汚染健康影響継続観察調査検討会」は、二酸化窒素、浮遊粒子状物質を中心とした大気汚染の推移と学童のぜん息等呼吸器症状、疾患との関連性を検討し、環境基準の妥当性を科学的に検討する目的で、昭和六一年から平成二年までの五年間、朝霞市、京都市、大阪市及び羽曳野市の合計八地区の小学校において、その学童を対象として、ATS−DLD標準質問票に準拠した質問票(環境庁改訂版)を用いた質問調査、呼吸機能検査及び血清中の非特異的IgE抗体の測定を年一回ずつ実施して継続観察調査を実施し、また、同一対象を長期間追跡調査することにより新規発症、ぜん息様症状の予後についても検討した。

2 調査結果

(一) 大気汚染濃度

大気汚染濃度は、昭和五六年から平成元年までの間の年平均値の平均値(以下「九年間平均値」という。)を用い、調査地区の右九年間平均値は、二酸化窒素16.1ppb(羽曳市)から38.0ppb(大阪市西区)、浮遊粒子状物質27.1μg/m3(京都市左京区)から52.8μg/m3(朝霞市)であり、二酸化硫黄は最も高い地区でも11.2ppb(京都市南区)であり、いずれも環境基準を満たしていた。

(二) 大気汚染状況とぜん息様症状有症率の関係

調査前三年間の二酸化窒素濃度年平均値と調査年毎のぜん息様症状有症率との関係においては、昭和六三年の女及び男女計、平成元年の女で有意な相関がみられた。しかし、大気汚染状況とせん息様症状有症率の関係を全体的にみると、有意な相関がみられなかったものの方が多く、大気汚染濃度の九年間平均値と五年間のぜん息様症状有症率の平均値についても、二酸化窒素濃度との間に有意な相関はみられなかった。

(三) アレルギー疾患の既往等とはぜん息様症状

各地区ともぜん息様症状の有症率は、アレルギー既往歴がある者はアレルギー既往歴がない者に比べて極めて高く、両者の間には有意差がみられた。また、アレルギー素因を有すると考えられる非特異的IgE抗体陽性者の分布には二酸化窒素濃度による地区差がみられなかった。これは、ぜん息様症状有症率が高学年になっても、低下しないという今回の調査結果のほか、これまでの各種調査の結果から学童のぜん息様症状有症率が増加傾向にあることが指摘されていることなどを考え併せると、ぜん息様症状の発現に大気汚染以外の因子の介在を示唆するものである。なお、アレルギー既往あり群の男及び男女計において、二酸化窒素濃度とぜん息様症状有症率との間に有意な相関がみられ、ぜん息様症状有症群及び喘鳴症状有症群の非特異的IgE抗体陽性率はアレルギー既往歴あり群及び呼吸症状・アレルギー既往歴なし群と比較して有意であった。

(四) ぜん息様症状の新規発症

受診行動や治療の予後等の交絡因子が入る余地が小さいと考えられる調査開始時症状なし群の男及び男女計においては、おおむね二酸化窒素濃度が高い地区でぜん息様症状の新規発症率が高率になる傾向があり、両者に有意な相関がみられた。また、男及び男女計においては、二酸化窒素濃度の九年間平均値が三〇ppbを超過する地区は、ぜん息様症状の新規発症率が増加していない地区もみられたが、三〇ppb以下の地区よりぜん息様症状の新規発症率が高い傾向がみられた。一方、女においては、二酸化窒素濃度とぜん息様症状の新規発症率との間に有意な相関はみられず、また、二酸化窒素濃度の九年間平均値が三〇ppbを超過する地区のぜん息様症状新規発症率と三〇ppb以下の地区のぜん息様症状新規発症率との間に有意差はみられなかった。また、全追跡対象については、男でぜん息様症状新規発症率と二酸化窒素濃度及び浮遊粒子状物質濃度との間に有意な相関がみられた。

(五) 喘鳴症状群の予後

喘鳴症状有症者で発作回数及び症状の程度が軽減した者を「軽快」とし、二年間に症状が起こらなかった者を「寛解」とし、それぞれの割合を地区、性別にみた結果、軽快率及び寛解率とも地区間に差がみられるものの、二酸化窒素濃度が低い地区で高率になる傾向はみられなかった。

八  「神奈川県下広域的気管支ぜん息患者実態調査について」(甲一五六四、一五六五)

1 神奈川県医師会は、神奈川県環境部の委託を受け、昭和五七年度より三か年調査として、神奈川県内の広域的気管支ぜん息患者実態調査を実施した。昭和五七年、昭和五八年度においては、同県内一一地区の郡市区医師会に患者調査を依頼し、結果はその都度集計報告を実施した。そして、昭和五九年度においては、前二年度の調査から得られた気管支ぜん息患者の人口一〇〇〇人対患者数のうち回収率の高かった昭和五八年度の結果を資料として用いて、大気汚染、生活環境等の要因との相関を求めて解析した。

具体的には昭和五八年一〇月一日から同月三一日までの期間内に気管支ぜん息の病名で一回以上調査対象地区内の医療機関を受診した者を一名と数え、調査用紙を対象地域の全医療機関に配付し、これを回収した。調査依頼医療機関数は一五八九機関であり、回収状況は平均99.8%であった。

2 調査及び解析結果

(一) 昭和五八年度の調査

回答を得た患者総数のうち医療機関と同一地域に居住する患者のみに限り、人口千人対患者数を求めたところ、川崎市医師会川崎区が9.9人で最も多く、津久井郡医師会が2.5人と最も低く、両者の患者数は四倍となる。なお、川崎市医師会幸区は5.9人である。

(二) 昭和五九年度の解析

(1) 大気汚染物質との相関

神奈川県環境部発表の昭和五八年度神奈川県内の大気汚染常時測定点の測定結果からその地区別に平均値を算出し、これと同年度調査における地区別人口千人対患者数との間の相関係数を調査した。

① 二酸化硫黄との相関は、年平均値、一時間値の最高値、日平均値の二%除外値において、全年齢及び〇から一四歳で高い正の相関がみられ、特に日平均値の二%除外値において、かなり高い正の相関がみられた。

② 二酸化窒素との相関は、年平均値及び日平均値の九八%値において、全年齢及び〇から一四歳で高い正の相関がみられ、特に〇から一四歳でかなり高い正の相関がみられており、大気汚染物質との相関を求めた中で最も高い相関係数であった。

③ 浮遊粉じんとの相関は、年平均値及び一時間値の最高値において、人口一〇〇〇人対患者数との明らかな相関はみられなかった。

(2) 生活環境との相関

都市計画法第六条に基づき施行された都市計画基礎調査、道路交通情勢調査等より得られた成績から生活環境要因を設定し、これらの地区別成績と人口千人対患者数との相関を調べた。

① 人口密度との相関は、全年齢及び〇から一四歳でいずれも明らかな相関はみられなかった。

② 患者調査を実施した同時点における道路交通情勢調査表による自動車走行台数との相関は、全自動車走行台数において、全年齢及び〇から一四歳で正の相関がみられた。また、大型自動車走行台数において、全年齢及び〇から一四歳でいずれも高い正の相関がみられた。なお、地区別の全自動車及び大型自動車走行台数をみると、一観測点あたりの走行台数が最も多いのはいずれも川崎区であった。

九  四日市市における調査

1 「四日市ぜん息について」(甲一二五、二七三、一六一七)

(一) 三重県立大学医学部付属産業医学研究所らは、気管支ぜん息と大気汚染との関連を中心として四日市市における大気汚染とその影響について考える目的で、昭和三六年から昭和三九年までの四年間、四日市市の一三地区(二酸化硫黄最高値4.8mg/一〇〇cm2/日)において、国民健康保健診療報酬請求書による罹患率を検討した。

(二) 調査結果

大部分の疾患でほとんど特別な受診率の差はなく、疾病の地域偏在性はないが、感冒、気管支ぜん息、咽喉頭炎(扁頭腺炎、アンギーナ等を含む。)の気道性三群及び前眼疾患(結膜炎、角膜炎、トラコーマ、眼異物等)で受診率に例外的な強い地域差が認められ、これらの疾患の年間累積受診率と降下煤じん総量及び二酸化硫黄との相関関係において、極めて高い相関が認められたが、特に幼年層の咽喉頭炎と高年齢層の感冒、気管支炎及び気管支ぜん息は地域的に大気汚染濃度との間に相関が非常に大きかった。また、五〇歳以上の気管支ぜん息の経年的な罹患率は、四日市市で最も汚染の著しい塩浜地区において、昭和三六年から急激に増加し、非汚染地区と考えられる保々及び三重地区に比べ、著しく高率であった。

2 「ばい煙等影響調査報告の概要」(甲一六一八)

(一) 厚生省環境衛生局は、大気汚染防止のための基礎資料を得る目的で、昭和三九年から昭和四〇年までの間、四日市市及び大阪府において、汚染地区と非汚染地区を選定し、調査地区に居住する四〇歳以上の全住民を対象として、企画判定委員会で採用された質問調査票の自記式による調査及び慢性気管支炎様症状のある者に対する医学的検査を実施した。

(二) 調査結果

(1) 調査対象地区における環境測定結果は、降下煤じんについては、大阪府の汚染地区八から一三t/Km2/月、同非汚染地区三から四t/Km2/月、四日市市の汚染地区七から一八t/Km2/月、同非汚染地区二から六四t/Km2/月、浮遊粉じんについては、大阪府の汚染地区487.7μg/m3、同非汚染地区187.5μg/m3、四日市市の汚染地区260.8から399.2μg/m3、同非汚染地区211.4から234.2μg/m3、硫黄酸化物については、大阪府の汚染地区1.05mg/日/一〇〇cm2、同非汚染地区0.57mg/日/一〇〇cm2、四日市市の汚染地区0.5から2.3mg/日/一〇〇cm2、同非汚染地区約0.2mg/日/一〇〇cm2であった。

(2) 質問調査票により咳、痰等の呼吸器症状の自覚症状発現頻度をみると、何らかの症状を訴えた者は男女とも明らかに汚染地区に高率であり、汚染・非汚染地区間の有症率には有意差が認められた。また、慢性気管支炎症状群の発現には性、年齢、喫煙の有無等による影響を受けることが明らかであるが、性別、年齢階層別、喫煙の有無別に分けて汚染・非汚染地区間を比較すると、いずれも汚染地区において高い有症率を示し、さらに、これらの因子の地区差を除くため、昭和三五年国勢調査による年齢別標準人口構成及び全調査対象の平均喫煙率等により地区間の差を補正して各々の有症率を求めると、男女とも非汚染地区に比べ、汚染地区の有症率が高く、x2検定により有意差が認められた。

また、息切れについては、いずれも汚染地区において高い有症率を示し、ぜん息様発作の地区別頻度についても、明らかに地区差が認められ、汚染地区で高率であり、非汚染地区で低率であった。

3 「二酸化硫黄による大気汚染・四日市型の汚染」(甲二七三、一六一七)

(一) 三重県立大学医学部付属産業医学研究所は、四日市市の大気汚染の人体に及ぼす影響を知る目的で、昭和三九年から昭和四二年までの間、汚染地区九地区及び非汚染地区三地区を選定し、簡略化したBMRC質問調査票にぜん息様発作の項目を加えたものを用いて、四〇歳以上の住民を対象として、住民検診を実施した。

(二) 調査結果

(1) 慢性気管支炎の罹患率は、汚染歴が古く、比較的煤じん汚染の占める割合が高い四地区において、対象地区の4.5から6.4倍と高かった。また、気管支ぜん息の罹患率は、ガス汚染の著しい地区において、対照地区の2.06倍で最も高率であり、二酸化硫黄汚染度が高くなるに従って罹患率が上昇した。なお、医学的検査により気管支ぜん息と診断された者について種々の検討を試みると、三親等以内の気管支ぜん息の家族歴及びハウスダストによるアレルギー皮内反応に関し、汚染地区と対照地区との間に差はみられなかった。四日市市における二酸化硫黄濃度は0から0.7ppmまでの鋭いピーク性変動であり、四日市市磯津地区においては、昭和四一年度の月間ピーク値が0.48ppm、年間平均値が0.06ppmである。

(2) 慢性気管支炎有症率は、非喫煙者群においては、汚染地区で非汚染地区の5.9倍、喫煙者群においては、汚染地区で非汚染地区の2.7倍(特に磯津地区は、非喫煙者群においては8.3倍、喫煙者群においては3.8倍とさらに高い。)を示している。さらに、喫煙による増加率は、非汚染地区においては、3.2倍、汚染地区においては、1.4倍にであり、汚染地区においては、圧倒的に汚染が大きな影響因子であることが認められる。

4 「大気汚染の人体に及ぼす影響について―学童検診―」(甲一六一六)

(一) 三重県立大学医学部付属産業医学研究所は、住民全般の健康についての影響を調査する目的で、昭和四〇年、四日市地区で汚染の最も著しい塩浜及び三浜小学校(二酸化硫黄平均濃度0.68から0.73mg/100cm2/日、降下煤じん12.9から13.5t/km2/月)、全く汚染されていないと考えられる桜小学校及び神前小学校(二酸化硫黄平均濃度0.05から0.07mg/100cm2/日/、降下煤じん4.4から5.0t/km2/月)の児童を対象として、質問調査、問診及び呼吸機能検査を実施した。

(二) 調査結果

汚染校において、眼痛、咽頭痛、吐気、咳、痰を訴える者が増加しており、非汚染校に比べ、咽頭痛3.5倍、痰3.2倍、吐気2.7倍、咳1.9倍、眼痛1.8倍であり、ボディープレチスモグラフによる気道抵抗の測定においては、汚染校の方が気道抵抗が高く、有意差が認められた。

5 「四日市ぜん息について」(甲一六一五)

(一) 三重県立大学医学部付属産業医学研究所は、磯津地区でぜん息様患者が多発している実状を把握する目的で、昭和三九年一月、同地区(二酸化硫黄濃度0.5から2.0ppm)において、同地区の開業医のカルテにより気管支ぜん息の診断のある患者を選び、そのうちの比較的重症である者の集団検診を実施した。

(二) 調査結果

ハウスダスト及びタタミオモテのアレルギー皮内反応陽性者が計五人であり、家族歴も気管支ぜん息を有する者は六人であり、いずれも低率であり、また、発病後の経過年数は、一年以内一四人、一から三年九人、三から五年三人、五年以上二人であり、ほとんどの者が工場の操業が本格化した五年以内に起こっている。

一〇  「ばい煙等影響調査報告(五カ年総括)」(甲一四五、一六九八)

1 近畿地方大気汚染調査連絡会は、大気汚染と慢性気管支炎有症率とを数量的に関連づける目的で、成人を対象とした慢性気管支炎住民調査、学童を対象とした肺機能検査等を実施した。

2 大気汚染の住民に及ぼす影響

(一) 昭和三九年から昭和四四年までの間、大阪府内の大気汚染度既知の二五地区において、同地区在住の四〇歳以上の者を対象として、BMRC標準質問票に準拠した自記式による自覚症状調査及びそのうちの自覚症状のある者についての問診、胸部X線検査、呼吸機能検査等を実施し、そのうち一部地区(西淀川地区等)の対象者について、慢性気管支炎の有症率と年齢、喫煙との関係を解析した。

(二) 解析結果

(1) 解析対象地区の二酸化硫黄濃度は、調査前年度が1.22から3.87mg/100cm2/日、調査前三年間平均値が0.90から3.34mg/100cm2/日、降下煤じん量は、5.55から43.90t/km2/月であった。

(2) 医学的検査受診者から無作為に抽出した一部の者について、質問票による自覚症状と問診による自覚症状を比較すると、高い一致率をみた。

(3) 慢性気管支炎の有症者率は、男女とも年齢及び喫煙量の増加とともに高率であった。また、慢性気管支炎の地区別の年齢、喫煙量訂正有症者率は二酸化硫黄濃度の高い地区ほど高率であった。

(4) 年齢及び喫煙量に関する数式と汚染度に関する数式との組合わせにより慢性気管支炎有症者率に対する年齢、喫煙量、大気汚染度の関係を数式化することができ、大気汚染が慢性気管支炎の有症率に相加的な影響を与えていることが明らかになった。慢性気管支炎の有症率は二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度1.0mgの増加により約二%増加する。なお、解析の対象としなかった旭地区の調査結果及び解析の対象として福島地区の調査後四年目の調査結果が同数式に合致するか否かを検討したところ、ほぼ合致する結果となった。

(5) 慢性気管支炎の閉塞性障害者率は年齢、喫煙量とともに高率となった。なお、閉塞性障害者率の地区間の比較においては、著明な差はみられなかった。

(6) 慢性気管支炎、肺気腫、ぜん息等非特異性呼吸器疾患患者の症状悪化の頻度は亜硫酸ガス濃度(日最高値及び平均値)の増加とともに高率となった。また、自覚症状の悪化だけではなく、亜硫酸ガス濃度の変動につれて呼吸機能の悪化するもののあることが明らかになった。

3 大阪市内大気汚染の学童の肺機能に及ぼす影響

(一) 昭和三八年から昭和四〇年までの間、四回にわたり、大阪市内の工業地区、商業地区及び住宅地区の小学校学童を対象として、肺機能測定を実施した。

(二) 調査結果

(1) 年間を通じておおむね2.0mg/100cm3/日以上の二酸化硫黄濃度を示す工業地区においては、年間を通しておおむね1.0mg/100cm2/日以下を示す住宅地区に比べ、寒期に肺機能の低下が認められる。

(2) 大気汚染の年間平均値に著しい差は認められないが、年間を通じて0.5ppm以上の二酸化硫黄濃度の汚染ピークがしばしば出現する工業地区と寒期にしばしば0.5ppmに近い汚染ピークが出現し、暖期にはおおむね0.3ppm以下の汚染ピークが認められる商業地区の学童の肺機能を比較すると、工業地区において低下する者が認められ、この場合、その肺機能低下は慢性的傾向を示した。

(3) 最大呼気流量と肺活量比の関係から検討すると、肺機能低下時においては、閉塞性様肺機能低下の傾向を示す異常低下者の出現率が増大する。最大呼気流量は、肺機能測定時の二酸化硫黄と逆相関の傾向を示すが、浮遊粉じん濃度との相関は明らかでない。

(4) 以上の結果により大阪市内の大気汚染度、特に二酸化硫黄濃度の著しく増大している工業地区においては、寒期に学童の肺機能が低下し、その影響は急性的な影響のみならず、慢性化の傾向を有するものと考えられる。

4 「大気汚染の人体影響―自覚症状調査についての考察―」(甲一六一九)

(一) 大阪府立成人病センター常俊義三らは、前記「ばい煙影響調査報告」中の数式において、二酸化硫黄濃度(α)の下限について言及していず、αが零でも同数式が成立するかを明らかにする目的で、非汚染地区(能勢町及び洲本市)の女子非喫煙者について解析した。なお、女子非喫煙者を選定したのは関係する作用因子を単純化するためである。

(二) 解析結果

(1) 実測した年齢別有症者率(平均2.5%)は同数式の二酸化硫黄濃度0.9前後に相当するから、αの下限は1.0mgSO3/100cm2/日とみなした。

(2) これに基づき計算すると、西淀川地区は、昭和四〇年当時、四〇歳以上の住民の7.7%が慢性気管支炎有症者であったが、もし汚染が三分の一の一mg程度であれば、有症者率は2.7%前後に止まっていたと考えられる。なお、1.0mgSO3/100cm2/日は、調査地区において、ほぼ0.03ppmに相当すると考えられる。

一一  「窒素酸化物等健康影響継続観察調査報告」(甲二一二二)

1 環境庁大気保全局は、二酸化窒素をはじめとした大気汚染の推移と学童のぜん息等呼吸器症状・疾患との関連性を検討し、環境基準に適性な科学的知見を反映させる目的で、平成四年度から平成七年度までの四年間、六都府県の一一調査地区(一九小学校)において、学童を対象として、環境庁版ATS―DLD質問票を改定した質問票を用いてた追跡調査、血清中の非特異的lgE抗体検査等を実施した。

2 調査結果

(一) 昭和六一年から平成七年までの一〇年間の平均値は、二酸化窒素が0.035(大和市)から0.007(国富町)ppm、浮遊粒子状物質が0.057(大和市)から0.028(高萩市)mg/m3であった。

(二) 「ぜん息様症状(現在)」の有症率

性別、学年、家屋構造、家族の喫煙状況等の影響を除くため、統計的な処理を実施した各地域の有症率と各調査地域の最寄りの大気汚染常時測定局の二酸化窒素の年平均値との間に統計的な関連性が認められた。二酸化窒素濃度の環境基準値に相当する年平均値二〇から三〇ppbについては、三〇ppbを超える四地域の有症率がそれ以下の七地域より高い傾向が認められ、また、二〇ppbを超える五地域の有症率がそれ以下の六地域の有症率より高い傾向が認められた。また、浮遊粒子状物質においても、有症率と最寄りの大気汚染常時測定局の年平均値との間に統計的な関連性が認められた。

(三) 「ぜん息様症状(現在)」の新規発症率

いずれの大気汚染物質濃度に対しても明らかな傾向は認められなかった。

(四) 非特異的lgE抗体の検査

「ぜん息様症状(現在)」の非特異的lgE抗体陽性率が二酸化窒素の低濃度地域群、中間地域群、低濃度地域群の順であり、既存の知見に合致し、症状なし群も中間地域群の方が高濃度地域群よりわずかに低いものの、低濃度地域群において最も高率であり、大気汚染が抗体陽性率を高める可能性が少なく、「ぜん息様症状(現在)」群の有症率の地域差がぜん息発症に関与すると考えられている個体の素因(アレルギー素因)の地域分布の差によるものではないことを示唆した。

一二  「大都市ぜん息等調査報告」(丙三一五)

1 公害健康被害補償予防協会は、平成七年九月、昭和六三年三月一日以降に新規に発症した気管支ぜん息に関し、臨床データ、生活環境データ等を解析することにより病像・臨床像、原因(発症因子、増悪因子)、治療方法、健康管理方法について、可能な限り明らかにする目的で、東京、大阪及びその近郊の市町村のうち二酸化窒素の年平均値(昭和六二年から平成三年までの間の一般環境大気測定局の年平均値)が三〇ppb以上の地域に居住し、昭和六三年三月一日以降に新たに気管支ぜん息に発症した患者群(大都市地域患者群)、同地域に居住する非患者群(大都市地域非患者群)、同地域以外の市町村のうち二酸化窒素の値が二〇ppb以下の地域に居住し、昭和六三年三月一日以降に新たに気管支ぜん息を発症した患者群(対照地域患者群)、同地域の非患者群(対象地域患者群)に分類し、また、大都市患者群及び対象地域患者群の二酸化窒素個人暴露濃度の年平均値推計値が三〇ppb以上の患者群(二酸化窒素高暴露患者群)、それ以下の患者群(低暴露患者群)に分類し、さらに、これらを合わせた患者群(二酸化窒素個人暴露濃度推計患者群)、二酸化窒素個人暴露濃度を推計した非患者群(二酸化窒素個人暴露濃度推計非患者分)に分類し、各分類毎に大人、子供のケースコントロール調査を実施した。

2 調査結果

(一) 大都市地域における昭和六三年三月一日以降の新たな気管支ぜん息の発症について、大都市地域患者(児)群と大都市地域非患者(児)群及び二酸化窒素個人暴露濃度推計患者(児)群と二酸化窒素個人暴露濃度推計非患者(児)群において、アトピー素因、生活習慣、生活環境等を比較、検討を実施したところ、大人、子供ともにアトピー素因が有意であり、特にハウスダスト及びダニが主要なアレルゲンであることが示唆され、気管支ぜん息の発症因子として二酸化窒素が関与することを示唆する結果は、大人、子供ともに得られなかった。

(二) 気管支ぜん息の増悪については、大人においては、二酸化窒素高暴露患者群の方が二酸化窒素低暴露患者群より病態が重い傾向があるのに対し、子供においては、二酸化窒素低暴露患児群の方が二酸化窒素高暴露患児群より病態が重い傾向があった。また、アトピー素因、生活習慣、生活環境等の項目について、大人、子供ともに両患者群間に特段の差が認められず、東京、大阪及びその近郊において、昭和六三年三月一日以降に新たに発症した大人の気管支ぜん息の増悪因子の一つとして二酸化窒素が何らか関与している可能性は否定できないが、大人、子供を総じてみると、気管支ぜん息の増悪因子として二酸化窒素が関与しているとはいえなかった。

一三  川崎市における調査

1 「川崎市における気管支ぜん息患者実態調査報告」(甲七八、七九、八四、一六三〇〜一六三四)

(一) 社団法人川崎市医師会は、川崎市の委託を受け、大気汚染が市民の健康に与える影響を明らかにする目的で、昭和四七年度、昭和四八年度、昭和五四年度から昭和五六年度までの間及び昭和六一年度から昭和六三年度までの間の各年一〇月の一か月間、同会に所属する全医療機関に調査票を配付、回収し、期間中に受診した気管支ぜん息患者のうち川崎市に居住する者について、地域別、年齢の人口に対する比率(人口一〇〇〇人対患者数)を求め、それぞれの比較、検討をして調査した。

(二) 調査結果

(1) 区別患者数

患者の住所区毎に集計し直して、市内各区毎の患者数を算出し、人口千人あたりの患者数(人口一〇〇〇人対患者数)を求めて比較したところ、川崎区が調査実施年度のうち昭和四七年度及び昭和四八年度を除き、毎年一位であり、また、幸区が昭和四七年度で一位、その他の全年度で二位であった。なお、昭和四七年度及び昭和四八年度において、硫黄酸化物濃度の高低と患者数の多少とは一致せず、昭和五四年度において、人口千人当たりの気管支ぜん息有病率と大気汚染物質との相関については単一物質汚染濃度との一致はみられなかった。

(2) 公害指定地域内外別患者数

年齢階級毎に人口一〇〇〇人対患者数を公害指定地域内外別(川崎区及び幸区とそれ以外)で比較すると、昭和六一年度においては、〇、一歳を除く全年齢階級で、また、昭和六三年度においては、〇から四歳を除く全年齢階級で公害指定地域内の方が指定地域外よりも多かった。

(3) 神奈川県医師会調査との比較

同時期に同様の形式で実施された昭和六一年及び昭和六二年度の神奈川県医師会の調査との間で地域内患者の一〇〇〇人対比率を比較したところ、いずれの年度においても、川崎区が最も多く、11.7人(昭和六一年度)及び12.4人(昭和六二年度)であり、七から八人台の二位以下と大きな差がみられ、最も少ない津久井郡の3.4から4.2倍にも及んでいた。また、幸区も川崎区に続く二位集団に位置していた。

(4) 全国平均有病率との比較

毎年同時期に調査される厚生省国民健康調査から、気管支ぜん息患者有病率(人口一〇〇〇人対有病率)と気管支ぜん息人口一〇〇〇人対患者数を比較すると、全国平均と比べ、川崎区において、1.7から五倍、幸区において、2.5から4.2倍という高い値を示した。また、全国平均においては、昭和四四年以降、各年ともに一〇〇〇人対比率が2.0前後で推移しているのに対して、川崎区及び幸区においては、漸増傾向にあることが注目される。

(5) 年次推移

昭和四七年以降、同様の形式で実施された調査に基づく各区別の気管支ぜん息人口一〇〇〇人対患者の年次推移をみると、川崎区、幸区ともに顕著な増加傾向を示し、昭和六三年と昭和四七年を対比すると、川崎区で3.6倍、幸区で2.2倍と急増している。

2 「川崎市における小児・ぜん息並にぜん息様疾患調査」(甲八一〜八三)

(一) 社団法人川崎市医師会は、川崎市の委託を受け、小児ぜん息を構成する疾患群を解明する目的で、昭和五一年二月、昭和五一年一〇月及び昭和五二年一〇月の各一か月間、同会に所属する小児のぜん息及びぜん息様患児を取り扱う可能性があると推定される医療機関において、受診した七歳未満の小児で診断名が気管支ぜん息の者又は喘鳴をともなう中・下部気道疾患のいずれかに罹患している者について、調査票(昭和五二年一〇月においては、調査項目に「交通環境」、「症状」を追加した。)を配布、回収し、小児ぜん息の実態を調査した。

(二) 調査結果

(1) 昭和五一年二月においては、大気汚染公害が従来の沈降煤じん、二酸化硫黄主体の古典的なものからここ数年来、窒素酸化物、浮遊粉じん(重金属等)をも含めた新しい公害へと移行しつつあるということがはっきりとうかがわれる。

(2) 昭和五一年一〇月においては、川崎市各区相互間の比較において、気管支ぜん息罹患数とぜん息性気管支炎罹患数の有症率と二酸化硫黄及び二酸化窒素の大気汚染状況が一致していると認めざるを得ない。

(3) 昭和五二年一〇月においては、交通環境と小児ぜん息の有症率との間には相関関係を見出せなかったが、交通環境の似通った川崎区及び幸区における症状発現率が極めて類似し、また、発作の程度と交通環境の関係は車の絶え間なく走行する道路に直面している子供に重症発作の比率が大きい傾向がみられ、交差点に近接している子供に重症、中程度の発作の比率が多く、離れている子供に軽症発作が多く、小児ぜん息の症状、特に呼吸器症状の発現率と交通環境は何らかの相関があった。また、大気汚染の推移からみて、幼児、小児のぜん息及びぜん息様疾患に対し、硫黄酸化物単独に変り、窒素酸化物を含めた複合汚染の面から捉えて対処すべきであるとした。

3 「小児(九歳以下)気管支ぜん息調査」(甲一六三五、一六三六)

(一) 社団法人川崎市医師会は、前記「川崎市における気管支ぜん息患者実態調査報告」を踏まえ、高い患者数を示す階層のうち小児階層について、さらに詳細に解析する目的で、昭和五九年一一月及び昭和六〇年一〇月、気管支ぜん息患者を取り扱う医療機関において、小児(九歳以下)を対象として、各医療機関窓口で患者(家族)に調査票記入を依頼、回収し、小児の気管支ぜん息の実態を調査した。

(二) 調査結果

公害指定地域内外別人口一〇〇〇人対患者数は、〇歳(昭和五九年)及び八歳(昭和六〇年)を除き、全年齢で明らかに公害指定地域内が指定地域外よりも多かった。

4 ぜん息日誌による公害被害認定患者の症状調査

(一) 「ぜん息日誌による公害被害認定患者の症状調査及び大気汚染との関連について」(甲七六、七七)

(1) 社団法人川崎市医師会は、川崎市衛生局の委託を受け、大気汚染に関する健康被害認定者を追跡調査する目的で、昭和四六年二月から同年三月までの二か月間及び昭和四七年二月から同年三月までの間の二か月間、救済法の指定地域とされた大師及び田島地区において、健康被害認定患者を対象として「ぜん息日誌」を配布し、二か月間の毎日の発作や症状の状態を調査し、大気汚染及び気象状況と毎日の発作との関連を調査した。

(2) 調査結果

気管支ぜん息及びぜん息性気管支炎の一日の発作例数と亜硫酸ガス濃度とは一日位のずれが認められることがあってもほぼ平行し、相関が認められたが、浮遊粉じん濃度、気温及び湿度とは全く相関が認められなかった。

(二) 「川崎市における閉塞性呼吸器疾患実態調査報告」(甲八〇)

(1) 社団法人川崎市医師会は、川崎市の委託を受け、患者個々の症状経過等の詳細な調査等の課題に応える目的で、昭和四九年九月から同年一〇月までの二か月間、同会に所属する全医療機関のうち標榜科目等により二三五機関を抽出し、これらに日誌形式による調査票を送付し、各医療機関に受診した指定四疾病及びその続発症並びに併発症の患者で市内に居住する者について、医療機関側でその調査用紙にその間の症状及び受療状況を記入させ、これを集計して調査した。

(2) 調査結果

大気汚染との関連においては、発作の少なかった日には汚染物質(二酸化硫黄、オキシダント、一酸化窒素、二酸化窒素)は低値で空気がきれいであったが、逆に汚染物質の高値と発作数には相関がみられなかった。

5 川崎市による呼吸器症状有症率調査

(一) 「川崎市大師・田島地区における呼吸器症状有症率について」(甲八六)

(1) 川崎市は、厚生省の委託を受け、公害に関する健康被害の救済措置実施のための基礎資料を入手する目的で、昭和四四年七月から同年八月までの間の一〇日間、大師地区及び田島地区において、調査地域内の世帯で現に公務員がいる世帯の四〇歳以上の男女を対象として、BMRCの呼吸器症状に関する質問票を参考として作成した呼吸器症状に関する質問調査及び簡易肺機能検査を実施した。

(2) 調査結果

① 両地区全体の「持続性せき・たん」の有症率は男7.1%、女2.1%であった。

② 四〇歳代の男子において、大気汚染非汚染地域である茨城県鹿島地区の住民についての報告と比較すると、川崎の場合は、鹿島地区に比べ、「最近の呼吸器疾患」を除き、相対的に有意に高率を示している。

(二) 「川崎市中央地区における呼吸器症状有症率について」(甲八七)

(1) 川崎市は、環境庁の委託を受け、救済法の認定地域に指定されるための基礎資料を入手する目的で、昭和四六年一〇月の四日間、川崎市独自の認定地域としていた東海道線以東の川崎区中央保健所管内において、調査地域内に三年以上居住する四〇歳以上の男女を対象して、面接調査の方式によるBMRCの呼吸器症状に関する質問票を参考として作成した呼吸器症状に関する質問調査及び肺機能検査を中心として実施した。

(2) 調査結果

「持続性せき・たん」は男11.4%、女5.1%であり、昭和四四年に実施した大師及び田島地区の調査結果と比較すると、いずれの症状においても、男女ともに中央地区が高率を示している。

(三) 「昭和四八年度公害健康被害補償法地域指定等基礎調査(呼吸器疾患問診調査)」(甲八八)

(1) 川崎市は、環境庁の委託を受け、公健法施行にともなう地域指定のための基礎資料とする目的で、昭和四九年二月の七日間、幸保健所管内旧御幸地区及び日吉地区において、調査地域内に三年以上居住する四〇歳以上六〇歳未満の男女を対象として、BMRCの呼吸器疾患に関する面接質問票に基づき環境庁で作成された質問票を用いた問診及び肺機能検査を実施した。

(2) 調査結果

「持続性せき・たん」は、旧御幸地区において、男14.8%、女3.5%、日吉地区において、五〇歳台について、男5.6%、女10.0%であり、昭和四四年に実施した田島地区及び大師地区、昭和四六年に実施した中央地区と比較すると、昭和四四年度より昭和四六年度の有症率が高く、今回で有症率がさらに高くなっている。

(四) 「環境庁委託業務結果報告」(甲九〇)

(1) 川崎市は、当該地域における大気汚染の状況とこれによる慢性気管支炎等の閉塞性呼吸器疾患の発生状況を把握する目的で、昭和五三年一月から三月までの間の約二か月間、川崎地区において、調査地域内に三年以上居住する四〇歳以上六〇歳未満の男女を対象として、訪問面接方法によるBMRCの呼吸器疾患に関する面接質問票に基づき環境庁で作成された質問票を用いて、問診を実施した。

(2) 調査結果

「持続性せき・たん」は、男9.6%、女5.5%であった。

6 「川崎市の呼吸器症状等に関する住民健康調査」(甲八九)

(一) 川崎市は、衛生行政上公害病患者のみならず、市民全体の健康管理の立場から指定地域に限らず、市内全域にわたり、市民の健康状態を調査する目的で、昭和四七年四月から昭和五二年三月までの間、川崎市内の三五歳以上の全住民を対象として、BMRCを準用した質問票を用いた自記式のアンケート調査及び回答者のうち一定の症状項目に該当した人について健康調査を実施した。

(二) 調査結果

(1) 地区別にみると、個々の有症状況は、川崎区、幸区(旧御幸)において有意に高率であった。アンケート有症状況を主要六項目と既往症について、指定地域(川崎区、幸区)と非指定地域(中原区、高津区、多摩区)別に比較すると、各訴えともに指定地域の方が非指定地域よりも有意に高率であった。

(2) 住居環境別にみると、各地区ともに交通の激しい所に居住すると答えた人と激しくない所に居住すると答えた人との有症率は、全ての項目において、交通の激しい所に居住すると答えた人に訴えが多い。複合症状においては、全般的に各地区ともに交通の激しい所に居住すると答えた人が激しくない所に居住すると答えた人の二倍の訴え率がみられた。

(3) 居住年数別にみると、三年以上と三年未満の居住者で各地区ともに三年以上の居住者が全般的に訴えが高率であり、五年以上と五年未満の居住者とで川崎区において五年以上が明らかに高率であったのに対し、他の地区においては、全般的にあまり差がみられなかった。

第四  動物実験

主な疫学に関する動物実験の知見は以下のとおりである。

一  嵯峨井勝らによる動物実験

1 「ディーゼル排気微粒子(DEP)のマウスへの気管内投与によるぜん息様病態の発現について」、「ディーゼル排気微粒子(DEP)によるぜん息様病態の発症に関する実験的研究」、「粒子状物質を主体とした大気汚染物質の生体影響評価に関する実験的研究」(甲一七〇五、一七〇六、一七二〇、一七二一、二五〇〇の1、2)

(一) 国立環境研究所嵯峨井勝らは、マウスを用いて、ディーゼル排気微粒子(DEP)による気管支ぜん息様病態の発現に関して研究した。

なお、気管支ぜん息の基本病態は、血管透過性の亢進(気管支粘膜下の毛細血管が傷つけられ、水分や炎症細胞が気管支粘膜下に浸透してくること)、粘液の過剰分泌(痰を生成する細胞である杯細胞が気管支皮を広く覆っている線毛細胞に代わって、急激に増殖することの結果として粘液の分泌が過剰にもたらされること)、気管支周囲粘膜下の炎症(白血球の一種の炎症細胞である好中球や好酸球が血管から漏れだし、気管支周囲に炎症を生じさせること)及び気道過敏性の亢進(気管支粘膜下に炎症が起こることにより気管支皮細胞が傷害され、その底面に分布している知覚神経が露出されることにより気道周辺の神経が過敏に反応するようになり、わずかな刺激だけでも気道を取り巻いている気管支平滑筋が収縮するようになり、気道が狭まって呼吸困難となること)により構成される。

(二) 実験結果

(1) 血管透過性の亢進

マウスに0.8mgのディーゼル排気微粒子を気管内に投与し、微少循環傷害の検索試薬としてモナストラルブルー色素を用いて、病理学的に血管内皮細胞傷害を調査した結果、ディーゼル排気微粒子投与のマウスにおいては、肺胞壁毛細血管の基底膜に顕著な血管内皮細胞傷害がみられ、二から四時間後に最高レベルに達し、これにともない肺の水分含量及び肺湿重量当たりの水分含量比も増加し、血管透過性が亢進した。

(2) 粘液の過剰分泌

マウスに0.2mgのディーゼル排気微粒子を毎週一回ずつ連続一六週間投与し、五週、八週、一一週、一六週目に肺の病理標本を作製し、肺胞洗浄液中の粘液の指標としてシアル酸濃度を測定して調査した結果、ディーゼル排気微粒子投与マウスはディーゼル排気微粒子の投与回数が多くなるにしたがって粘液合成、分泌がさらに促進され、また、PAS染色病理像により大から中等大気管支上皮の線毛細胞が減少し、粘液を多量に含んだ粘液分泌細胞の著しい増成が認められた。

(3) 気管支粘膜下の炎症

マウスに0.1mg又は0.2mgのディーゼル排気微粒子を毎週一回ずつ連続一六週間気管内に投与し、五週、八週、一一週、一六週目の病理標本の気管支粘膜下組織の炎症細胞の好酸球をディフクイック染色法により染め分け、好酸球等を数えて調査した結果、一一週目の投与したマウスの好酸球数が急激に増加し、典型的な慢性的炎症が認められた。

(4) 気道過敏性の亢進

マウスに0.1mg又は0.2mgのディーゼル排気微粒子を毎週一回ずつ連続一六週間気管内に投与し、アセチルコリンを気道収縮刺激薬として用いて、気道抵抗の増加を測定し、また、ディーゼル排気微粒子を投与する前のマウスの気道及びディーゼル排気微粒子のみを投与したマウスの気道を電子顕微鏡により観察して調査した結果、ディーゼル排気微粒子を投与したマウスの気道抵抗は、これを投与しないマウスの一〇倍(0.1mg投与)から一〇〇倍(0.2mg投与)であり、十分に気道が過敏となっていることを示した。この気道過敏性の機序について考えると、好酸球が細胞毒性に強い蛋白質を放出し、本体は外から侵入してきた細菌、ウイルス又は体内の寄生虫等に対する生体防御システムが自分自身の気管支上皮細胞を傷害し、この上皮細胞の底面に分布している知覚神経を露出させ、これにより気道が過敏に反応するようになったものと考えられた。また、電子顕微鏡による観察によりディーゼル排気微粒子を投与したマウスにおいては、気道を取り巻く筋肉層が収縮して太くなり、気道が収縮していた。

2 「抗原物質である卵白アルブミンとの併用投与による肺の生化学的および疫学的変化について」(甲一七〇九、一七一〇、一七二五、二五〇〇の1、2)

(一) 同嵯峨井勝らは、マウスに0.1mgのディーゼル排気微粒子を毎週一回ずつ七週間投与し、その間、さらに卵白アルブミン(OA)一μgを三週間おきに三回投与し、肺胞を洗浄した肺胞洗浄液中の細胞数、生化学成分として総蛋白質量及びシアル酸濃度を測定し、また、血清中の抗OA―IgG1及びIgE抗体価を測定して実験した。

(二) 実験結果

洗浄液中の総蛋白量はOAとディーゼル排気微粒子の併用投与群において増加する傾向を示しており、血管透過性が亢進していることが示唆された。また、シアル酸もOAとディーゼル排気微粒子の併用投与群において増加する傾向を示しており、粘液の分泌が亢進していることが示唆された。マウス血清中の抗体価を測定したところ、IgG抗体はOAとディーゼル排気微粒子の併用投与群において著しく増加したが、抗OA―IgG1抗体が著しく増加し、IgG2a抗体はほとんど増加しなかった。OAとディーゼル排気微粒子の併用投与によるぜん息様病態の発現はこれまで報告されてきたようなIgE抗体の関与よりはIgG抗体、特にIgG1抗体が関与する好酸球活性化を介したアレルギー性炎症によるものと考えられた。

3 「吸入によるマウスの気道炎症と気道反応性について」、「ディーゼル排気(DE)暴露のマウスの気道反応性に及ぼす影響について」(甲一七七六、一七七七)

(一) 同嵯峨井勝らは、マウスにディーゼル排気暴露の直前に一〇μgの卵白アルブミン(OA)を腹腔内投与で能動感作し、一mg/m3又は三mg/m3のディーゼル排気を一日当たり一二時間ずつ三か月暴露し、対照群に清浄空気を暴露した上、その間、さらに三週間毎に一%の卵白アルブミンを四回吸入チャレンジを実施し、呼吸抵抗、染色による病理学的観察、肺胞洗浄液中の好酸球、好中球及びマクロファージ数の測定を実施して実験した。

(二) 実験結果

ディーゼル排気の濃度に依存して気道反応は亢進し、肺組織の病理学的観察によりディーゼル排気暴露による気管支上皮細胞の粘液産生細胞化や気管支粘膜下への好酸球の浸潤が認められ、これらも濃度に依存して増強されている傾向が認められた。また、ディーゼル排気暴露群の肺胞洗浄液中には対照群と異なり、好酸球及び好中球の増加が観察され、ディーゼル排気による気道過敏性の亢進は炎症細胞の浸潤にともなって起こることが示唆された。ディーゼル排気暴露によりマウスにぜん息様の基本病態が発現することが明らかとなり、ディーゼル排気微粒子又はディーゼル排気が人に対してもぜん息様症状発症の危険因子となり得ることが示唆された。

4 「DE吸入によるマウス鼻粘膜の形態変化について」、「DE吸入による鼻過敏性について」(甲一七七八、一七七九)

(一) 「DE吸入によるマウス鼻粘膜の形態変化について」

(1) 同嵯峨井勝らは、マウスに三mg/m3と六mg/m3のディーゼル排気(DE)ガスを三か月、0.3mg/m3、一mg/m3、三mg/m3のディーゼル排気を一年間吸入暴露し、同型チェンバー内で清浄空気を暴露したものをコントロールとして、マウスの呼吸上皮と嗅上皮を染色して光学顕微鏡により観察した短期(三か月)及び長期(一年間)の暴露によるマウスの鼻粘膜の変化を組織学的に検討して研究した。

(2) 実験結果

ディーゼル排気濃度が高いほど上皮障害が起こり、特に嗅上皮に変化が出やすいと考えられた。また、0.3mg/m3という比較的低濃度の場合でも長期(一年間)暴露を受けると、鼻粘膜に変化が生じることが明らかになった。

(二) 「DE吸入による鼻過敏性について」

(1) 同嵯峨井勝らは、ラットを四群に分け、第一群は清浄空気暴露のみ(コントロール群)、第二群は清浄空気暴露下で卵白アルブミン(OA)の全身感作を行ったもの(OA群)、第三群はディーゼル排気暴露のみ(DE群)、第四群はディーゼル排気暴露とともに卵白アルブミンにより全身感作を行ったもの(OA+DE群)とし、三mg/m3のディーゼル排気を毎日一二時間ずつ三五日間暴露し、PBS(生理食塩水)点鼻及び卵白アルブミン点鼻によるくしゃみ、鼻かき動作の回数を調べ、併せて鼻骨甲介粘膜で組織学的変化を観察して実験した。

(2) 実験結果

PBS点鼻によるくしゃみは、ディーゼル排気群、卵白アルブミンとディーゼル排気の併用投与群において明らかな増加がみられ、PBS点鼻による鼻かきは卵白アルブミン群、ディーゼル排気群において明らかに増え、卵白アルブミンとディーゼル排気の併用投与群においてはより著明にみられた。また、卵白アルブミン点鼻によるくしゃみ、鼻かきも同様な結果がみられた。鼻骨甲介粘膜の組織学的変化として、炎症細胞がコントロール群に比べ、ディーゼル排気群で増加していた。くしゃみ、鼻かきは、人においては鼻のむずがゆさを示す指標であり、鼻過敏症の兆候の一つである。ディーゼル排気暴露のみで非特異的刺激に対するくしゃみ、鼻かきを生じたことから、ディーゼル排気暴露により鼻過敏症が亢進したと考えられ、卵白アルブミンとディーゼル排気の併用投与群においてはさらに過敏性を示し、卵白アルブミン感作による鼻過敏性をディーゼル排気暴露が増強することが示唆された。

5 東京大学大利隆行は、ヒトの鼻粘膜上皮細胞を培養してこれにディーゼル排気Pを添加する実験においてディーゼル排気微粒子濃度に依存してGM―CSF、IL―8というサイトカインの産生が増強されることを確認した(甲一七一二、一七一三)。

二  「都市街路沿道における長期野外動物曝露実験」(甲一七七五)

1 大阪市立環境科学研究所環境医学課岡三知夫らは、昭和五二年から昭和五四年までの約二年間、大阪市内の中程度の交通量である市道都島阿部野線(四車線)に面する大阪市立桃山病院車庫前に設置した二基のチェンバーの一基(Aチェンバー)には外気を供給し、その他の一基(Bチェンバー)には粒子フィルターにより除塵した外気を供給する一方、その対照群を収容する右各チェンバーの位置から直交距離約五〇mの大阪市立環境科学研究所内のチェンバー(Cチェンバー)には浄化空気を供給し、各チェンバー毎にマウス一二〇匹を収容し、その間、三回にわたり、血液性状及び病理組織学的検査等を実施し、重要と思われる排気ガス成分のうち特に粒子状物質及び窒素酸化物等のガス状物質について、現実の汚染レベルにおけるマウスに対する生体影響を検討して実験した。

2 実験結果

(一) 環境基準の長期的評価法を適用すると、観察期間中の各日平均値の九八%値は二酸化硫黄が適合する以外の二酸化窒素及び浮遊粒子状物質はいずれも基準値(二酸化窒素は上限値)を超えていたが、チェンバー内の汚染質濃度はAチェンバーにおいても、外気と比較して一定の低下がみられ、A、Bチェンバー間の汚染質濃度はBチェンバーの二酸化硫黄のわずかな低下以外はおおむね同様のレベルであった。

(二) Aチェンバーのマウスのみにみられた所見は、気管支の多数の粉じん貧食細胞、肺胞腔内の粉じん細胞又は異物多核細胞の出現、肺胞壁又は気管支周囲リンパ組織等の黒色粉じんの沈着、肉芽種様の変化があった。A、Bチェンバーのマウスに共通にみられた所見は、鼻粘膜及び気管支のゴブレット細胞の増加、気管支粘膜下の気管腺の増加と拡張、粘膜上皮線毛の軽度の減少、上皮細胞の配列の乱れ、気管支周囲のリンパ組織の増加、末梢気管支上皮細胞の増生傾向、肺胞壁の軽度の浮腫性肥厚、小葉中心性の軽度の気腫及び肺全般にわたる極めて軽度の気管、気管支、肺胞の炎症像、赤血球系の軽度の貧血傾向があった。

(三) A、Bチェンバー内の二酸化窒素平均濃度は約0.04ppmレベルと見積もられるところ、末梢気管支上皮の増生を起こす実験室内二酸化窒素暴露の下限濃度として、これまでに知られているレベルより著しく低い平均濃度で同様な所見が認められ、その理由として現実の汚染大気中の二酸化窒素とその他の種々のガス状成分の複合効果や時間的に変動する汚染大気の積算効果が必ずしも平均レベルに対応しない可能性等が考えられた。

三  「気道上皮細胞とサイトカイン産生」(甲一七一二、一七一三)

1 東京大学医学部物療内科大利隆行は、主に人の鼻粘膜の上皮細胞を培養し、サイトカインの存在を確認するため、単層になった段階において、各種刺激因子を添加し、主に四八時間後に培養上清中のサイトカイン濃度をELISA法により測定して実験した。

2 実験結果

(一) 大気中浮遊粒子状物質

一様単層になった培養上皮細胞に浮遊粒子状物質を添加し、培養上清中のGM―CSF(好酸球や好中球に対し、成熟、分化、遊走、寿命延長等の生物活性を有するもの)濃度を測定した結果、高濃度においては、培養上皮細胞に対し、細胞傷害性に働いたが、それ以下の濃度においては、濃度依存的に人の正常気管支上皮細胞からのGM―CSF産生を増強させた。また、BEAS―2B細胞株に対しても、同様にGM―CSF産生を増強させた。

(二) ディーゼル排気微粒子

培養上皮細胞にディーゼル排気微粒子を添加した結果、一〇〇μg/ml以上の濃度においては、培養上皮細胞に対し、細胞傷害性に作用した。傷害を示さない濃度においては、人の気道上皮細胞に対し、GM―CSF、IL―8(好中球やリンパ球の遊走、活性化のみならず、他の物質と結びつき、好酸球の遊走を促進する生物活性を有するもの)の産生を増強した。

(三) 二酸化窒素、二酸化硫黄等

二酸化窒素、二酸化硫黄等の液化産物(HNO3、H2SO4等)を人の気道上皮細胞株BEAS―2Bに添加した結果、これらの刺激によりGM―CSFの産生が増強された。増強効果はIL―1ほど強力ではなかった。

四  「小動物におけるディーゼル排気の吸入と慢性閉塞性肺疾患」(丙三五五)

1 財団法人日本自動車研究所は平成六年一〇月、モルモット、ラット及びマウスを四群に分類し、それぞれに高濃度(二酸化窒素三ppm、ディーゼル排気微粒子三mg/m3)、中濃度(二酸化窒素一ppm、ディーゼル排気微粒子一mg/m3)、中濃度ガス(二酸化窒素一ppm、ディーゼル排気微粒子〇mg/m3)、低濃度(二酸化窒素0.2ppm、ディーゼル排気微粒子0.2mg/m3)の四種類のディーゼル排気を一日一六時間ずつ週六日で二四か月吸入暴露し、慢性気管支炎の気道粘液過分泌を明らかにするため、杯細胞数、シアル酸及びフコース量を調査し、気管支ぜん息の気道過敏性を明らかにするため、ヒスタミン・エーロゾル吸入に対する気道反応性テスト及びIgE抗体測定を実施し、また、肺気腫の気腫性変化を明らかにするため、終末細気管支と肺胞領域における肺胞壁、肺胞孔の状況の変化を観察して実験した。また、気道閉塞についても、全呼吸気流抵抗を測定した。

2 実験結果

(一) 高濃度群

高濃度群においては、慢性閉塞性肺疾患の基本病態発生の原因である肺の炎症が六か月吸入から観察され、肺の炎症が慢性閉塞性肺疾患及び気管支ぜん息の基本病態である気道粘液過分泌や気道過敏性の、また、肺気腫の初期変化の発生に関連していると考えられた。

(二) 中濃度群

中濃度群においては、気道粘液過分泌は一八か月吸入から観察され、肺気腫の初期変化は六から一二か月吸入で観察された。

(三) 低濃度群

低濃度群においては、慢性閉塞性肺疾患の基本病態がみられる状態又は基本病態はみられないが、その発生、増悪に関わると考えられる状態に相当する一貫した変化は、二四か月吸入においても、観察されなかった。

(四) 慢性閉塞性肺疾患の重要な基本病態である気道閉塞は、モルモットの気流抵抗値からみる限り、肺機能的にも示されていないし、形態学的にも気道閉塞を積極的に支持する所見は検出されなかった。

五  「大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会報告」に掲載された動物実験の知見(乙一六八)

1 肺形態学的影響

(一) ラットへの二酸化窒素4.0、0.4、0.04ppmの九か月、一八か月、二七か月暴露において、二酸化窒素4.0ppm暴露群については、九か月目に定型的な形態学的変化すなわち気管支上皮の肥大と過形成、杯細胞の増加、線毛上皮の異形成及び気管支肺接合部から肺胞道へかけての細胞浸潤をともなう壁肥厚とクララ細胞の増殖が光顕的に明らかに認められ、これらは一八か月目にさらに進行し、これに加えて、細胞道近接細胞に軽度の壁肥厚と局所的増殖が認められるようになり、二七か月目に気管支肺接合部から近接肺胞領域における線維化と上皮増殖が進行した。しかし、一般の肺胞壁には変化は明らかではなく、肺気腫像も認められていない。これらの変化は二酸化窒素0.4ppmの二七か月間暴露群についても軽度ながら認められたが、二酸化窒素0.04ppm暴露群では認められてない。一方、電顕形態計測的平均肺胞壁厚の増加傾向が二酸化窒素四ppm暴露群においては九か月目から、二酸化窒素0.4ppm暴露群においては一八か月目から、二酸化窒素0.04ppm暴露群においてもより軽度ながら一八か月目から認められている。なお、二酸化窒素0.04、0.12、0.4ppmの三か月、六か月、九か月、一八か月暴露が各実験の再実験として実施されたが、光顕的にその結果がほぼ支持された。

(二) ラットへの二酸化窒素1.0、0.5、0.3ppmの三か月、六か月、一二か月、一八か月暴露で0.3ppm群においては、肺の形態学的変化は三か月、一八か月で疑陽性であるが、全般としては確定的ではなく、一方、0.5ppm群においては、一八か月後には軽度ながら定型的病変(気管支粘膜上皮の肥大や増殖等)が出現した。

2 肺生理学的影響

犬への二酸化窒素0.64ppmと一酸化窒素0.25ppmの混合ガスの長期暴露において、一八か月目には肺機能に異常はなかったが、六一か月目には肺一酸化炭素拡散能と呼気ピーク流量の低下が認められている。犬は、その後二年間、清浄大気内に置かれた場合、対象群とは異なり、肺一酸化炭素拡散能の低下傾向と動肺コンプライアンス増加の傾向を示している。

3 肺生化学的影響

ラットへの二酸化窒素四ppmの九か月及び0.4、四ppmの八か月暴露において、肺のTBA値の増加と同時に二酸化窒素0.04、0.4、四ppmの九か月、一八か月暴露において、呼気エタン濃度に基づく過酸化脂質が有意な増加を示した。

4 気道感染抵抗性に関する影響

モルモットに対する二酸化窒素一ppmの六か月連続暴露においては、肺炎双球菌による、また、マウスに対する二酸化窒素0.5ppmの三か月連続暴露又は六か月以上の間欠暴露(六時間/日・五日間/週)においては、肺炎かん菌による吸入感染死亡率が増加している。

5 免疫に対する影響

マウスへの二酸化窒素0.9ppmの四〇日暴露又は二酸化窒素0.4、1.6、6.4ppmの四週間暴露においては、6.4ppmで羊赤血球投与時の脾臓におけるプラーク形成細胞数が亢進し、他は抑制を示した。一方、二次反応においては、1.6ppmのみで亢進を示した。

6 気道反応性に対する影響

モルモットへの二酸化窒素七から一四六ppmの一時間暴露において、その直後にヒスタミンエーロゾルに対する気道反応性が二酸化窒素濃度に比例して亢進している。ただし、この反応は二時間後にはほとんど認められていない。

六  「二酸化硫黄(イオウ酸化物)の環境基準設定のための資料と考察」に掲載された動物実験の知見(甲一三九)

1 ラットへの二酸化硫黄濃度0.7から1.6ppmの一六五日暴露において、ラットの四〇%の肺に粘液、膿、乾酪物質等が暴露開始後二週間以上で発生するとみられた。

2 ラットへの二酸化硫黄濃度一、二、四、八、一六、三二ppmの一六か月慢性暴露において、ラットの喘鳴、目の溷濁、脱毛の発生とその程度は濃度に関係していた。

3 犬への二酸化硫黄濃度一から一五〇ppmの二〇から四〇分気管切開暴露において、犬の肺コンプライアンスに変化がなかったが、気流抵抗は暴露開始後一〇秒以内に五〇から一二五%増加した。

4 犬への二酸化硫黄濃度1.1ppmから一四一ppmの二〇から四〇分鼻及び口への暴露において、犬の肺及び胸部のコンプライアンスが減少し、非弾性抵抗が全ての例で上昇し(平均四七%)、濃度の高いほど高い値を示した。

5 モルモットへの二酸化硫黄濃度二ppmの一時間暴露において、モルモットの気道抵抗が二〇%増加した。

6 ラット、ウサギ、マウスへの二酸化硫黄濃度7.51ppm(瀝青炭より)の二三時間/日の八〇日間暴露において、ヘモグロビン、白血球数、赤血球数の増加、肺炎、気管支炎が発生した。

7 ウサギへの二酸化硫黄濃度一〇ppm摘出気管への直接暴露において、ウサギの線毛運動が停止した。

8 ウサギへの二酸化硫黄0.5から1.0%容量の五から九〇分/日の四から六二二日漸次延長暴露において、ウサギの鼻腔粘膜に与える変化は急性暴露で呼吸部粘膜に偽膜性線維性炎症を発生し、緩徐な暴露で呼吸部粘膜上皮に萎縮、変性、後には増殖、鼻甲介の癒着、嗅上皮細胞の萎縮をみた。

第五  人体負荷実験

一  「大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会報告」に掲載された人体負荷実験の知見(乙一六八)

1 肺機能への影響

(一) 正常者

(1) 二酸化窒素

間欠的運動下の二時間暴露において、二酸化窒素0.5ppmに暴露された一〇から一二人の各種肺機能のうち一部の指標で暴露濃度・影響関係からみて、意義の不確かな変動がみられるようになり、1.0ppmに暴露された一六人においては、再現性に乏しいが、FVCの減少や一部の者に動肺コンプライアンス(呼吸を行いながら、測定する肺の伸度)の減少がみられるようになった。

(2) 粒子状物質

硫酸エーロゾルで間欠的運動下の二時間暴露において、0.4mg/m3位から各種肺機能のうち一部の指標で暴露濃度・影響関係からみて、意義の不確かな変動がみられるようになり、0.939mg/m3に暴露された一一人においては、FEV1.0の減少、また、0.98mg/m3のエーロゾルをマスクで一時間吸入した一〇人においては、気道のクリアランスの増加がみられた。硝酸塩エーロゾルで間欠的運動下の0.295mg/m3の硝酸アンモニウムに二時間暴露された二〇人においては、各種肺機能に影響が認められなかった。

(二) 呼吸器疾患患者

(1) 二酸化硫黄

気管支ぜん息患者がアトピー患者(アレルゲン皮内反応検査で二つ以上のアレルゲンに陽性反応を示し、喘鳴の既往のない者)や正常者に比べ、より低い濃度への暴露で気道狭窄が起こることが示されていた。そして、運動負荷下で経口吸入させた場合、二酸化硫黄に反応を示す患者の一部においては、0.10ppmの一〇分間吸入でSRaW(特異性気道抵抗)の有意な増加が起こることが示されていた。さらに、二酸化硫黄0.1ppmの乾燥冷気下で過換気状態の経口吸入においては、乾燥冷気が気道狭窄の効果を高める可能性があった。

(2) 二酸化窒素

マスクで二酸化窒素1.0ppmを四時間吸入した場合の六人の各種肺機能には変化が認められなかった。間欠的運動下で二酸化窒素0.5ppmに二時間暴露された二二人の各種肺機能には変化が認められなかったが、七人の慢性気管支炎患者群を含めた患者グループとしてみると静的コンプライアンス、TLC(全肺気量)、RV(残気量)及びFRC(機能的残気量)の増加が認められたが、これらの変化が二酸化窒素への暴露によるものかどうかは疑問であった。間欠運動下で二酸化窒素0.2ppmに二時間暴露された三一人においては、有意ではないが、呼吸抵抗の増加とFEVの減少が認められた。二酸化窒素0.1ppmに一時間暴露された二〇人のうち一三人においては、SRaWのわずかではあるが、有意な増加が、また、同濃度に同時間暴露された一五人においては、有意ではないが、小さな増加が認められた。

(3) 粒子状物質

間欠的運動下で硫酸エーロゾル0.075mg/m3に二時間暴露された六人の気管支ぜん息患者の各種肺機能に変化が認められなかったが、個人別にみると、二人がRtの増加を示した。経口吸入で硫酸エーロゾル0.5mg/m3に一六分間吸入させられた一五人の気管支ぜん息患者においては、SGaWの有意な低下が認められた。硫酸エーロゾル1.0mg/m3を一〇分間吸入させられた六人の気管支ぜん息患者の各種肺機能に有意な変化は認められなかった。硫酸亜鉛アンモニウム0.0156mg/m3に間欠的運動下で二時間暴露された一九人の気管支ぜん息の各種肺機能でいくつかの指標で有意な変化がみられたが、一定の傾向は認められなかった。しかし、個人的にみると、三人にFEVの減少が認められた。間欠的運動下で硫黄第二鉄0.096mg/m3に二時間暴露された一八人の気管支ぜん息患者の各種肺機能には有意な変化は認められなかったが、個人的にみると、四人が肺機能に小さいが、有意な減少が認められた。間欠的運動下で硫酸水素アンモニウム0.085mg/m3に二時間暴露された五人の気管支ぜん息患者及び硫酸アンモニウム0.100mg/m3に暴露された五人の気管支ぜん息患者について、各種肺機能で有意な低下を示す変化は認められなかった。経口吸入においては、硫酸水素ナトリウム又は硫酸水素アンモニウム1.0mg/m3を一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者においては、硫酸水素アンモニウムでSGaWとFEV1.0の有意な低下が認められた。間欠的運動下で硝酸アンモニウム0.189mg/m3に二時間暴露された一九人の気管支ぜん息患者の各種肺機能について有意な変化は認められなかった。経口吸入においては、硝酸ナトリウム又は硝酸アンモニウム1.0mg/m3を一〇分間吸入した五人の気管支ぜん息患者においては、各種肺機能に有意な変化は認められなかった。

2 気道クリアランス機構への影響

(一) 正常者

(1) 二酸化硫黄

三二人について五ppmの二酸化硫黄又は二酸化硫黄を含まない空気に四時間暴露後、はなかぜウィルスを含む液を鼻腔に接種された者の鼻粘膜の線毛運動の速度を調べたところ、線毛運動速度は二酸化硫黄に暴露されず、また、感染を受けなかった者においては、有意な減少がみられなかったのに対し、ウィルスに感染された者も感染されなかった者も二酸化硫黄に暴露された者においては、五〇%近く減少した。感染されたが、二酸化硫黄に暴露されなかった者においては、接種後二日目に減少しはじめ、三から五日目には五〇%近く減少した。

3 自覚症状への影響

(一) 正常者

(1) 二酸化窒素

咽頭痛、咳、胸部絞扼感、胸痛は間欠的運動下の二時間暴露で1.0ppm位から認められる。

(2) 粒子状物質

硫酸エーロゾル1.0mg/m3位から咽頭の刺激感を認める。

(二) 呼吸器疾患患者

(1) 二酸化窒素

二酸化窒素0.5ppmの二時間暴露においては、二二人の気管支ぜん息患者のうち三人が胸部絞掘感、一人が運動中に呼吸困難、一人が軽度の頭痛、二人が目の刺激感を認め、七人の慢性気管支炎患者のうち一人が鼻汁を認めたが、これらの変化が二酸化窒素への暴露によるものかどうかは疑問であるとしている。間欠的運動下で二酸化窒素0.2ppmの二時間暴露においては、三一人の気管支ぜん息患者の呼吸器症状を主とした自覚症状スコアの増加が認められたが、その増加は二酸化窒素によるものとは思えない。

4 血液生化学的分析値への影響

(一) 正常者

(1) 二酸化窒素

間欠的運動下で二酸化窒素一ppmに2.5時間暴露させられた一〇人においては、アセチルコリンエステラーゼ活性の有意な低下が、0.3ppmに二時間暴露させられた七人においては、血漿ヒスタミンの有意な増加がみられた。また、二酸化窒素0.2ppmに二時間暴露させられた一九人においては、還元型グルタチオンの有意な増加がみられた。

5 気道反応性への影響

(一) 正常者

(1) 二酸化窒素

二酸化窒素五ppmの二時間暴露において、気道反応性の亢進はみられないが、一四時間暴露で亢進がみられた。

(2) 粒子状物質

間欠的運動下で硫酸エーロゾル0.2mg/m3に暴露させられた七人又は硝酸ナトリウム0.14mg/m3に暴露させられた八人においては、アセチルコリン・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進はみられなかった。

(二) 呼吸器疾患患者

(1) 二酸化窒素

間欠的運動下で二酸化窒素0.2ppmに暴露させられた三一人の気管支ぜん息患者は、約三分の二の患者にメサコリン・エーロゾルに対する気道反応性の亢進がみられた。二酸化窒素0.1ppmに一時間暴露させられた二〇人の気管支ぜん息患者においては、一三人にカルバコール・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進がみられたが、さらに四人の患者を二酸化窒素0.2ppmに暴露したところ、0.1ppmの暴露よりも強い気道反応性の亢進を示したのは一人のみであった。二酸化窒素0.1ppmに一時間暴露させられた一五人の気管支ぜん息患者においては、グループとしてみると、メサコリン・エーロゾル吸入に対する気道反応性の亢進はみられなかったが、個人的にみると、六人の気道反応性がいくらか亢進していた。

(2) 粒子状物質

硫酸エーロゾル0.1mg/m3を経口吸入で一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者のうち二人においては、カルバコール吸入に対する気道反応性の亢進がみられた。硫酸水素ナトリウム1.0mg/m3又はアンモニウムを経口吸入で一六分間吸入した一五人の気管支ぜん息患者においては、カルバコール吸入に対する気道反応性の亢進はみられなかった。

二  「二酸化窒素に係る判定条件等について」に掲載された人体負荷実験の知見(甲一三四)

二酸化窒素と他の汚染ガスとの混合実験として、一一人の健康人の気管支収縮剤に対する反応についての研究において、二酸化窒素0.05ppm、オゾン0.025ppm、二酸化硫黄0.1ppmの混合ガスの二時間暴露で気道抵抗や動脈血酸素分圧に何ら影響を与えなかったが、アセチルコリンに対する気道の反応が増強することを見出した。

第六  大気汚染と健康被害との関係についての評価

一  「浮遊粒子状物質による環境汚染の環境基準に関する専門委員会報告」(甲一三一)

1 生活環境審議会公害部会浮遊ふんじん環境基準専門委員会は、昭和四五年一二月、浮遊粒子状物質の影響と測定方法について検討し、以下のとおり報告した。

2 浮遊粒子状物質の影響

浮遊粒子状物質による人の影響と福祉に及ぼす影響において注目すべきことは以下のとおりである。

(一) 年平均値(二四時間値)一〇〇μg/m3の地区における非特異的非伝染性呼吸器症状(慢性気管支炎症状等)の有症率がそれ以下の地区に比べ、増加がみられる。

(二) 年平均値(二四時間値)一〇〇μg/m3の地区に居住する学童の気道抵抗の増加がみられる。

(三) 英国における研究によれば、年平均値一四〇μg/m3から六〇μg/m3に改善されたときは地域の「たん」の排出量の著明な減少がみられた。

3 濃度条件の提案

地域環境大気中の浮遊粒子状物質の濃度条件について、測定方法と影響の資料に基づき、連続する二四時間の平均一時間値一〇〇μg/m3以下、一時間値二〇〇μg/m3以下であり、両条件が常に満足されていなければならない。

二  「窒素酸化物等に係る環境基準についての専門委員会報告」(甲一二九)

1 中央公害対策審議会大気部会窒素酸化物等に係る環境基準専門委員会は、昭和四七年六月、窒素酸化物等の影響と測定方法について検討し、以下のとおり報告した。

2 人の健康への影響

窒素酸化物は、人の健康への影響はもちろんのこと、視程の障害、大気の着色(赤褐色)等をおこし、そのうち人及び環境基準への影響を考えて注目すべきものは一酸化窒素と二酸化窒素であるが、一酸化窒素の影響については、動物に対する極端な高濃度暴露においては中枢神経系の傷害や血球素との強い親和性などが認められているものの、実験手法の困難さのためもあり、人に対しては十分な知識がないとして、主として二酸化窒素の影響に関する資料を整理した。

(一) 二酸化窒素は浮遊粒子状物質の存在の有無と関係なく、呼吸器深部に容易に到達する性質を持っている。一方、浮遊粒子状物質と共存するときは気道の気流抵抗の増加という生体反応でみると、両者は相加作用を持つことが人の実験で確かめられている。したがって、二酸化窒素は古くから呼吸器刺激ガスとして知られ、その中毒は職業病として注目されてきた。動物実験及び職業病においても、高濃度の急性二酸化窒素中毒による死因は肺水腫等であり、慢性影響においては、慢性気管支炎、肺気腫の発病が憂慮されている。

(二) 二酸化窒素16.9ppmの一〇分間暴露で人の気道の気流抵抗に有意の上昇がみられる。また、気道抵抗の増加という反応でみると、二酸化硫黄と二酸化窒素は相加的作用が認められる。

(三) 動物実験においては、0.5ppmの四時間暴露で肺細胞への影響がみられ、0.5ppmの数か月暴露で細気管支炎、肺気腫の発症が認められる。

(四) 動物実験においては、二酸化窒素に暴露すると、肺炎桿菌、インフルエンザウイルスに対する感受性が高まること、生存期間の短縮、生菌排除能の減弱等が指摘されている。

(五) 二酸化窒素一〇ppmの一日二時間暴露でインフルエンザウイルスを感染させると間質性肺炎像がみられ、その病理学的所見は暴露日数の増加により高度となる。また、0.5ppmの六か月暴露で末梢気管支の上皮細胞の反応性増殖が認められ、肺気腫を軽度に認めることができる。これにインフルエンザウイルスを感染させると、肺炎像は高度となり、かつ、末梢気管支上皮細胞の腺腫様増殖がみられるようになる。

(六) 二酸化窒素が気管支ぜん息の発症の原因となる可能性が動物実験で示されている。

(七) 米国においては、二酸化硫黄汚染がほとんどなく、二酸化窒素(0.062から0.109ppm)及び硝酸塩(3.8μg/m3)汚染のある地区の学童のインフルエンザ感染率及び欠席率の上昇が報告されている。

(八) 慢性気管支炎の有症率の疫学調査においては、四〇歳以上の成人の慢性気管支炎の有症率は非大気汚染地区で約三%であるが、二酸化硫黄の二四時間平均濃度の年間平均値0.05ppm以下の地区における東京都の男子自治体職員の慢性気管支炎(「持続性せき・たん」)の有症率(昭和四三年から昭和四六年)が五%を示しており、この場合の二酸化窒素の二四時間平均濃度の年間平均値は0.042ppm以上であった。

(九) 昭和四五年から昭和四六年までの間の冬季に実施された全国六か所における三〇歳以上の家庭の主婦の「持続性せき・たん」の有症率調査において、有症率と二酸化窒素濃度は高い水準の関連性を示した。「持続性せき・たん」の有症率が四%を超えた地域の二酸化窒素濃度は一時間値の測定期間中の平均濃度で0.029ppmであった。

3 濃度条件の提案

地域環境大気中の二酸化窒素の年間を通じて常に維持されるべき濃度条件は、測定方法と人の健康への影響の資料に基づき、その影響、特に慢性影響が憂慮されていること、さらに二酸化硫黄との相加作用があることに注目し、一時間値の二四時間平均値0.02ppm以下とする。

三  「硫黄酸化物に係る環境基準についての専門委員会報告」(甲一二七、一二八、証人香川順)

1 中央公害対策審議会大気部会硫黄酸化物に係る環境基準専門委員会は、昭和四八年三月、硫黄酸化物の影響と測定方法について検討し、以下のとおり報告した。

2 人の健康への影響

(一) 二酸化硫黄は、それ自身が大脳生理学的反応、気道抵抗の増大、上気道の病理組織学的変化、呼吸器の細菌、ウイルスによる感染に対する抵抗性の低下等影響を及ぼすことが実験室における研究により証明されている。

一方、地域環境における二酸化硫黄の住民に対する影響について、病人の症状の悪化が疫学的に証明されないこと、死亡率の増加が証明されないこと、慢性閉塞性呼吸器症状の有症率の増加が証明されないこと、年少者の呼吸機能の好ましかざる反応又は障害が疫学的に証明されないこと及び現在までに知り得た知識に基づく限り、二酸化硫黄が人の健康に好ましからざる影響を及ぼすことのないことも考慮した。

(二) 参考にした知見は以下のとおりである(なお、(1)ないし(3)については、昭和四三年一月の「生活環境審議会環境基準専門委員会報告」が注目した知見である。)。

(1) 大阪市における調査において、二酸化硫黄濃度の一時間値の二四時間平均値が0.1ppm以上で死亡率の増大を来す傾向を示し、日平均値又は月平均値0.08ppm以上はともに感受性の強い学童の肺機能を低下させ、三日平均値0.05ppm以上で死亡数が増大する傾向が認められた。

(2) 時間的濃度変化の大きい四日市市においては、年間を通じて日最高値(一時間値)の平均値が0.1ppmを、また、一時間値の二四時間平均値の一〇%が0.07ppmを超えると、気道炎症の有症率が二倍以上に増加し、学童の気道性疾患による欠席率は前一週間の平均値が0.09ppmを超えたときは平常時の三倍となる。

(3) 地域住民を対象としたBMRC方式による疫学調査において、一時間値の年間平均値が約0.05ppmを超える地区においては、慢性気管支炎の有症率が約五%になり、汚染のまだ生じていない地区と比較すると、約二倍に達している。

(4) 北九州地区における調査において、二酸化鉛法による昭和三五年から昭和四三年までの間の平均値で1.04mgSO3/100cm2/日(0.033から0.036ppm)の地区においては、0.53mgSO3/100cm2/日(0.017から0.019ppm)の地区に比べ、学童のぜん息様症状の訴え率が二倍に認められた。

(5) 二酸化硫黄汚染が急激に悪化した場合の過剰死亡についての大阪市における調査において、二酸化硫黄濃度六日間平均値が0.12ppmの高濃度汚染がみられたときに特に循環器系疾患を有する者に死亡率が増大した。

(6) 兵庫県赤穂市及び大阪府における調査において、四〇歳以上の成人について、咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管炎症状有症率は、二酸化鉛法で年平均値1.0mgSO3/100cm2/日(0.032から0.035ppm)以下の地区においては、約三%であるが、それ以上の値を示す地区においては、二酸化鉛法による測定値と有症率との間には正の相関がみられた。

(7) 全国六か所における煤煙等影響調査において、三〇歳以上の家庭婦人について、咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管炎症状有症率三%になるのは二酸化鉛法による値が五か月平均で約0.7mgSO3/100cm2/日(0.022から0.025ppm)であった。

(8) 四日市市における閉塞性呼吸器疾患の新規患者の発生数(三年移動平均値)とその年の二酸化硫黄濃度の年平均値は、おおむね0.04ppmを超えたところにおいては、濃度と発生患者数に正の相関があり、かつ、一時間平均値0.1ppmを超えた回数が年間おおむね一〇%以上測定されたところにおいては、新規患者数と一時間平均値0.1ppmを超えた回数に正の関連性が認められた。

(9) 年少者の呼吸機能特に閉塞性機能低下と二酸化硫黄濃度との関係は各地の調査で確かめられている。

3 濃度条件の提案

人の健康への影響に関する資料に基づき、総合的に判断した結果、地域環境大気中の二酸化硫黄について、人の健康を保護する上で維持されるべき濃度条件を二四時間平均一時間値に対し、0.04ppm、一時間値に対し、0.1ppmとする。

なお、大気汚染の影響は濃度と暴露時間の組合せで定まるが、影響を受ける側の素因、状態を無視できず、大気汚染に敏感に反応する集団又は感受性の高い集団、例えば年少者、老人という年齢による人口集団、慢性の呼吸器又は循環器疾患等の病人集団への影響が注目されなければならない。

四  「WHO窒素酸化物関する環境保健クライテリア」(甲一三四)

1 世界保健機構(WHO)に設けられた環境保健クライテリア専門委員会は、昭和五一年八月、窒素酸化物単独の影響について検討し、以下のとおり報告した。

2 人の健康への影響

報告された疫学研究の結果それ自体は二酸化窒素の暴露についての健康影響を評価するための定量的な基礎資料を示し得ないが、現在の疫学データの結果は、肺への影響が二酸化窒素暴露に関連しているという実験的知見と矛盾していない。そこで、人の健康保護が図られる暴露限界の指針値を勧告する上で主に動物実験及び人の志願者に対する研究からのデータに頼らざるを得なかった。

比較的高濃度における二酸化窒素による形態学的変化やその他の変化だけではなく、二酸化窒素の比較的低濃度における気道抵抗の増加、気管支収縮物質に対する感受性の増加、呼吸器系感染の感受性の増加等の呼吸器系への影響も好ましからざる影響とみなした上、二酸化窒素による短期暴露について、長期暴露と同様に約九四〇μg/m3(0.5ppm)を起点とする濃度で呼吸器系に好ましからざる影響を及ぼすと評価したこと、管理された条件下において、一三〇〇から三八〇〇μg/m3(0.7から2.0ppm)の二酸化窒素の一〇分暴露で気道抵抗の増加を呈していること、ぜん息患者に対する一九〇μg/m3(0.1ppm)の二酸化窒素の一時間暴露で化学エーロゾル(カルバコール)の気管収縮効果が増加することから動物及び人に対する好ましからざる影響が明らかになっていることを考慮し、二酸化窒素の短期暴露により観察された最低の影響レベルを九四〇μg/m3(0.5ppm)とした。

3 暴露限界の提案

高い感受性を有する人に対する最低の好ましからざる影響のレベルが不明であることと二酸化窒素の高い生物学的活性に注目し、相当な安全係数が要求され、二酸化窒素の短期暴露に対しての最小の安全係数は三から五であり、公衆の健康保護が図られる二酸化窒素の暴露限界について、最大一時間暴露として一九〇から三二〇μg/m3(0.1から0.17ppm)の濃度が規定され、一時間暴露は一か月に一度を超えて出現してはならないとする。

ただし、二酸化窒素と共存する他の生物学的に活性のある大気汚染物質との相互作用に関する知見によれば、より大きな安全係数すなわちより低い最大許容暴露レベルが必要となり、現時点においても、より高い感受性を有する人々の健康を守るためにはより大きな安全係数を必要とする。

なお、健康影響の評価に当たり、二酸化窒素の人への長期間暴露による生物医学的影響は公衆の健康の保護という観点から勧告するに足りるほどには確かめられていないから、長時間平均値に関する暴露限界は提案しなかった。

五  「二酸化窒素の人の健康影響に係る判定条件等について」(甲一三四、丙二六)

1 中央公害対策審議会は、昭和五三年三月、環境庁長官から公害対策基本法九条三項の趣旨により環境基準の基礎となる判定条件等について諮問を受け、同会大気部会に二酸化窒素に係る判定条件等専門委員会を設置して検討し、以下のとおり報告した。

2 人の健康への影響

(一) 地域の人口集団や疾病やその前兆とみなされる影響が見出されないだけでは十分ではなく、さらにそれ以前の段階である健康な状態からの偏りについても留意した。指針はこのような健康影響に関する条件に対応するものであり、また、現在見出される大気汚染の状況を念頭に置いたものである。

(二) 重要視した知見は以下のとおりである。

(1) 短期暴露による影響

① 明確な影響が認められるのは動物を用いた短期暴露実験において、肺の形態学的変化が0.5ppmの四時間暴露で観察されたと報告されており、それ以下の濃度においては、影響が報告されていない。

② 人の志願者に対する実験において、ぜん息患者の気管支収縮剤に対する反応の増加が0.1ppm又は0.2ppmの一時間暴露で観察されているが、健康人においては、類似の反応は五ppmの二時間暴露でみられず、7.5ppmの二時間暴露で観察される。

③ 人の志願者に対する実験において、肺機能のうち気道抵抗の変化は、慢性気管支炎患者においては、1.6から2.0ppmの三〇回暴露で観察され、健康人においては、2.5ppmの二時間暴露で観察されるが、0.5ppmの三〇分暴露で運動を負荷しても影響は観察されない。これらの結果は、短期暴露による肺機能への影響の作用レベルを提示していると考えられる。

(2) 長期暴露による影響

① 動物を用いた長期暴露の実験において、呼吸器の感染抵抗性の減弱が0.5ppmの三か月暴露で観察され、肺の形態学、生理学、生化学的変化が観察される濃度は0.3から0.5ppm程度からであるとする報告が多い。さらに、ごく微少な肺の形態学的変化が血液の生化学変化とともに0.12ppmの三五日暴露で認められた。しかし、0.1ppm程度の長期暴露で変化が見出されないとする報告もあり、0.1ppm以下で変化が見出されたとする報告はない。動物実験の結果、0.1ppm以下の長期暴露で変化が見出されたとする報告はないが、低濃度の暴露期間の延長、他の汚染物質の共存及び加齢の要素が加わることにより影響の悪化を起こす可能性がある。このような要素を考慮した場合、長期暴露の指針は、動物実験で影響が見出せた濃度レベルを起点としてより低いレベルに求められる。

② 米国の疫学調査において、年平均値0.06から0.08ppmを超える地域においては、年平均価0.03ppmの地域に比べ、急性呼吸器疾患罹患率の増加が観察される。

③ 各地の成人を対象とした疫学調査において、年平均値0.02から0.03ppm以上の地域においては濃度と「持続性せき・たん」の有症率との関連が認められている。

④ 米国の疫学調査において、年平均値0.05ppm以上の地域とそれ以下の地域で慢性呼吸器症状に差が見出されていない。しかし、米国の疫学調査はより症状の重いものを捉えており、また、大気環境因子その他の環境因子にも差があるから、日本の疫学的研究の成果は米国のものとは独立して評価することが可能である。

⑤ 小学生を対象とした末梢気道の肺機能変化に着目した疫学調査において、年平均値0.04ppm程度の都市において、各調査日の特定の時間帯の濃度(0.02から0.29ppm)と一部の感受性の高いと思われる者の肺機能に正常調節機能範囲で相関を見出している。

3 濃度指針の提案

動物実験、人の志願者に対する実験、疫学調査等の成果を総合的に判断し、地域の人口集団の健康を適切に保護することを考慮し、環境大気中の二酸化窒素濃度の指針として、短期暴露については、一時間暴露として0.1から0.2ppm、長期暴露については、種々の汚染物質を含む大気汚染の条件下において、二酸化窒素を大気汚染の指標として着目した場合、年平均値として0.02から0.03ppmを参考とできるとする。

六  「大気汚染と健康被害との関係評価等に関する専門委員会報告」(乙一六八、証人香川順、証人福富和夫)

1 中央公害対策審議会「環境保健部会大気汚染と健康被害との関係の評価等に関する専門委員会」は、昭和五八年一一月、環境庁長官から大気汚染の態様の変化を踏まえ、公健法二条一項に係る対象地域(第一種地域)の今後のあり方について諮問を受け、諮問事項に関する検討のうち医学を中心とした自然科学の領域に関する専門的知識を明らかにする目的で、昭和六一年四月、大気汚染の態様の変化と汚染レベルの現状の評価及び大気汚染と生体影響の関係に関する知見の現状の評価を実施し、その上で大気汚染と健康被害の関係を総合的に評価し、以下のとおり報告した。

2 現状の大気汚染と慢性閉塞性肺疾患との関係

(一) 慢性気管支炎の基本症状

慢性気管支炎の基本症状に対応する疫学的指標は、「持続性せき・たん」症状であり、これはかつて広く用いられたBMRC方式に準拠した問診票であり、最近においては、ATS方式に準拠した質問票で使用されている。

(1) 「持続性せき・たん」を指標とした疫学調査を歴史的に比較すると、昭和三〇年代後半のいわゆるスモッグ時代の調査、昭和四〇年代後半の二酸化硫黄の低下傾向の続いている時期の調査、昭和五〇年代後半の二酸化硫黄、二酸化窒素、大気中粒子状物質の汚染動向が比較的安定した時期の調査の間に以下のような傾向の差がみられる。

昭和三〇年代後半の化石燃料の燃焼にともなう硫黄酸化物と大気中粒子状物質が相当高濃度に存在していたころの時代に実施されたほとんどの疫学調査の結果は、「持続性せき・たん」と硫黄酸化物や大気中粒子状物質の濃度との間に量―反応関係を示唆するようなものを含む強い関連がみられている。

大気汚染対策により硫黄酸化物及び大気中粒子状物質濃度が昭和四〇年代に顕著に減少し、昭和四〇年代後半の調査においては、ほぼ前記の関連が依然みられたものの、その末期においては、「持続性せき・たん」有症率と二酸化窒素との間に有意な相関が認められるようになった。

昭和五〇年代後半に行われた環境庁の二つの疫学調査(環境庁a調査及び環境庁b調査)の結果は、その調査規模及び調査地域の大気汚染濃度からして比較的安定的に推移している大気汚染の現状を全体として反映しているとみることができる。これらの調査は、調査方法は同様であるが、各々独立して行われ、解析対象年齢層等も異なっているため、それぞれの結果を直接対比して比較することはできないが、成人の「持続性せき・たん」の有症率は、環境庁a調査においては、男女ともに喫煙、室内汚染、職歴等の因子を考慮しても人口密度の高い地域に有症率が高くみられ、かつ、おおむねどの大気汚染物質との間にも有意な相関がみられ、また、環境庁b調査においては、女のみが二酸化窒素と二酸化硫黄との間に有意な相関がみられ、現状の大気汚染が「持続性せき・たん」の有症率に何らかの影響を及ぼしていると示唆される。しかしながら、環境庁b調査の男の「持続性せき・たん」の有症率においては、大気汚染物質との間に有意な相関が認められていない。

なお、動物実験の結果からは二酸化窒素0.4から0.5ppm以上の長期暴露下で気道粘液の過分泌を起こす可能性のある形態学的変化の発生が、二酸化窒素0.5ppm以上の長期暴露下で気道感染抵抗性の低下がそれぞれ認められている。

以上から判断して、現状の大気汚染が地理的変化にともなう気象因子、社会経済的因子等大気汚染以外の因子の影響を超えて、「持続性せき・たん」の有症率に明確な影響を及ぼすようなレベルとは考えられない。

(2) なお、慢性気管支炎の基本病態の一つである気道粘液の過分泌状態との関連で「持続性たん」の有症率が環境庁の二つの調査で共通して二酸化硫黄、浮遊粉じん及び二酸化窒素と有意な相関が認められたことが注目される。この咳をともなわない「持続性たん」の中には気管、気管支以外の分泌物(鼻汁等)も含まれている可能性もあり、健康影響指標としてどのような意義を有するかは今後の検討課題である。

(二) 気管支ぜん息の基本症状

気管支ぜん息において、発作性呼吸困難、喘鳴等の臨床症状はかなり特徴的であり、これに対応する疫学的指標はATS方式に準拠した質問票の「ぜん息様症状・現在」で代表される。また、持続性ゼロゼロ・たんも児童の気管支ぜん息やぜん息性気管支炎との関連で注目されている。児童の気管支ぜん息はアレルギーの関与が強く、成人の気管支ぜん息はアレルギー以外の因子に関連したものがより多いこと等その発症機序において異なる点も多いことから評価に当たっては、それぞれ別に扱うことにした。

(1) 児童

児童の「ぜん息様症状・現在」については、環境庁の二つの調査に共通した結果としては、児童の「ぜん息様症状・現在」の有症率は、男で二酸化窒素、女で二酸化窒素と二酸化硫黄との間に、持続性ゼロゼロ・たんの有症率は、男で二酸化窒素と二酸化硫黄、女で二酸化硫黄との間にそれぞれ有意な相関を示した。

環境庁a調査によれば、「ぜん息様症状・現在」及び持続性ゼロゼロ・たんの有症率は、人口密度別に三群に分けて検討すると、人口密度の高い地域ほど有意に高い有症率がみられた。さらに、この三群を受動喫煙の有無別、暖房器具等による室内汚染の有無別、家屋構造別等に検討しても、受動喫煙、室内汚染、家屋構造の有意な影響は検出されなかったが、このような質問の項目は調査実施時点における状況を捉えたものである。

一方、環境庁b調査によれば、両親のぜん息、本人のじんましんの既往等からみたアレルギー素因の有無別に大気汚染物質の有症率への影響を検討しているが、アレルギー素因ありの群はなしの群に比べ、持続性ゼロゼロ・たんは男女とも、「ぜん息様症状・現在」は男で二酸化窒素と二酸化硫黄との相関が有意となる傾向が示されている。また、受動喫煙の有無別、暖房器具等による室内汚染の有無別、家屋構造別等に層化して検討してみても、男女とも持続性ゼロゼロ・たんは二酸化窒素との間に有意な相関が認められることが多かった。

気管支ぜん息の基本病態である気道過敏性に関しては、実験的にその短期間の持続を証明した報告はあるが、その過敏性はそれほど長く継続しないようである。一方、長期間持続して実験動物が気道過敏性を示すことを検討した研究例はない。

以上から判断して、現状の大気汚染が児童の「ぜん息様症状・現在」や持続性ゼロゼロ・たんの有症率に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないと考える。しかしながら、大気汚染以外の諸因子の影響も受けており、現在の大気汚染の影響は顕著なものとは考えられない。

(2) 成人

成人のぜん息症状・現在に関しては、環境庁の二つの調査とも大気汚染との関連はほとんど認められていない。なお、気管支ぜん息の有症率は老人期に増加することが知られているが、これに関し、環境庁b調査において、五〇歳以上の女で二酸化硫黄との間に有意な相関が認められている。

以上から判断して、現在の知見から現状の大気汚染が成人の「ぜん息様症状・現在」の有症率に相当の影響を及ぼしているとは考えられない。

(三) 結論

(1) 大気汚染の健康影響に関する疫学研究において、診断の確定した疾病を対象とした研究は少なく、多くは慢性気管支炎の基本症状である「持続性せき・たん」、気管支ぜん息の基本症状である「ぜん息様症状・現在」等を対象としたものである。したがって、大気汚染と慢性閉塞性肺疾患の関係の評価に利用できる疫学知見の大部分はこの二つの疫学指標に関する有症率であり、その評価に当たっても、慢性閉塞性肺疾患を代表できるものと考え、これらの有症率を中心に実施することにした。

(2) 通常、現在の大気汚染も過去の大気汚染の場合と同じく、そのほとんどは化石燃料の燃焼によるものである。したがって、現在においても、大気汚染は二酸化硫黄、二酸化窒素及び大気中粒子状物質の三つの汚染物質で代表しておいても大きな誤ちを来すことはないと考える。しかし、燃料消費事情、汚染対策、発生源の変化、特に交通機関の構造変化により最近の大気汚染は二酸化窒素と大気中粒子状物質が特に注目される汚染物質であると考えられる。

現在の大気汚染が総体として慢性閉塞性肺疾患の自然史(疾患の発症に至る過程、発症後の経過)に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないと考える。しかしながら、昭和三〇年代から昭和四〇年代にかけては、一部地域において、慢性閉塞性肺疾患について、大気汚染レベルの高い地域の有症率の過剰をもって、主として大気汚染による影響と考えられる状況にあった。これに対し、現在の大気汚染の慢性閉塞性肺疾患に対する影響はこれと同様のものとは考えられなかった。

(3) 大気汚染と慢性閉塞性肺疾患の評価にともない、以下のことに留意すべきである。

検討の対象としたものは、主として一般環境の大気汚染の人口集団への影響に関するものである。したがって、これよりも汚染レベルが高いと考えられる局地的汚染の影響は考慮を要する。

従来から、大気汚染に対する感受性の高い集団の存在が注目されてきている。このような集団が比較的少数にとどまる限り、通常の人口集団を対象とする疫学調査によっては結果的に見逃される可能性のあることに注意せねばならない。

七  米国環境保護庁(EPA)の基準設定(甲一七八四、二一三〇)

1 米国環境保護庁(EPA)は、一九九六年一二月、粒子状物質の健康影響及びその現行基準の改定を検討し、以下のとおり報告した。

2 健康影響に関する証拠の評価

様々な粒子状物質指標の短期濃度と死亡や罹患の関連性を評価した八〇以上の疫学研究のうち六〇以上において統計学的に有意な正の関連性が報告されている。これらは、世界中に多くの地域(異なる天候及び共存汚染物質を持つ。)で異なる研究者により様々な統計学的手法や時間的関係で行われているにもかかわらず、比較的一致した結果が得られている。

より具体的には短期の粒子状物質(粒径一〇μ以下)濃度と死亡及び罹患との関連性を評価した研究をみると、様々な側面において一貫性と整合性が観察できる。例えば、クライテリアドキュメントにおいて定量的に比較可能と認められた研究の二四時間粒子状物質(粒径一〇μ以下)測定値が五〇μg/m3増加した場合の特定原因の死亡及び罹患(呼吸器疾患による入院、COPD又は虚血性心疾患による入院、咳及び下部や上部の呼吸器症状)における相対危険度の推計値について、共存汚染物質が様々なレベルの地域における粒子状物質(粒径一〇μ以下)と死亡との関連性を検討したところ、一貫した健康影響推定値が観察された。

粒子状物質との関連性にみられた一貫性に加えて、これらの研究における粒子状物質と関連する各種の健康影響には整合性が存在する。例えば、粒子状物質と死亡の関連性は主として呼吸器及び心血管系の死因にみられるが、粒子状物質と入院の関連性も呼吸器及び心血管系の疾患に見出され、整合している。また、短期暴露とともに長期暴露の研究においても、統計学的に有意な関連性が存在することは一方の研究のみから推察される場合に比べ、粒子状物質が早期死亡の原因因子である可能性を強化する。

これら定性的な整合性は、いくつかの健康影響の指標に関する定量的な整合性により支持される。例えば、その関連性が因果関係であれば、粒子状物質関連の入院は粒子状物質関連の死亡より高い頻度で起こると期待されるところ、クライテリアドキュメントは、短期暴露研究による呼吸器及び心血管系疾患の入院における相対危険の増加が同じ死因の死亡について予測される増加よりもかなり大きいと指摘している。

証拠の整合性は、同じ対象集団において、異なる健康影響が粒子状物質濃度と関連性を持つことにより強化される。具体的にはデトロイト、バーミンガム、フィラデルフィア、ユタバレーの研究は一様にこれらの都市の粒子状物質濃度と高齢者や成人の各種の呼吸器及び心血管系の健康影響の増加に関係していることを示している。

要約したように、粒子状物質暴露は症状のない肺機能の低下から入院を必要とする呼吸器及び心肺疾患、呼吸器及び心血管系の過剰死亡に至る様々な重篤度の健康影響リスクを増加するという証拠がある。疫学的証拠の一貫性と整合性は報告された関連性を大きく強化し、もっともらしさを高めている。クライテリアドキュメントは、健康影響に関する証拠の全体的な整合性は大気中の粒子状物質が報告された健康影響の原因としての役割を果たしていることを示唆するものと結論している。

3 粒子状物質の現行基準改定の必要性

疫学研究にみられる粒子状物質関連の健康影響の証拠は、いくつかの粒子状物質指標と死亡、入院、呼吸器症状の増加、肺機能の低下等との関連を示す多くの研究結果からしても、かなり強固なものといえる。これらの疫学的知見の全てを統計的な方法の不適切性又は誤用、量反応モデルの誤った特定化、研究の計画や実行に際してのバイアス、健康影響の測定の誤り、他因子と粒子状物質との交絡等に帰することはできない。疫学研究の結果は慎重に解釈されるべきであるが、現行の環境基準以下の粒子状物質濃度で関連する健康影響が存在するという十分な理由が提供されている。

これらの影響が現行の環境基準以下の汚染レベルで発生すること、公衆衛生上のリスクの重大性及び潜在的な規模、微細分画と粗大分画に分ける必要性等について根拠が与えられたとして、スタッフペイパーとCASACは環境基準を改定するのが適切であるとし、環境保護庁長官は粒子状基準を改定すべきであると結論づけた。

4 環境保護庁の改定提案

日々の死亡及び呼吸器症状について統計的に有意な粒子状物質(粒径2.5μ以下)と影響の関連性が得られている北米六都市を総合した解析による年平均値を検討した結果、一六から二一μg/m3の範囲の値が得られたのに加えて、クライテリアドキュメントにおいて短期暴露との関連の統計的有意性が認められた都市の平均は一一から三〇μg/m3の範囲にあり、これらの証拠を併せて微細粒子による短期影響のリスクを下げるためには年基準値を一五μg/m3に設定するのが妥当であると提案した。

次に、この値を二つの長期コホート研究に当てはめたところ、二つの研究の対象となった多数の都市の粒子状物質(粒径2.5μ以下)の年平均濃度はいずれも一八μg/m3であり、スタッフペイパーは、これらの研究における濃度と影響の関連を評価し、年平均濃度が一五μg/m3以上でリスクの増加の証拠が明らかであると結論づけた。しかし、推定された健康影響の程度には研究が実施された期間より高濃度の過去の暴露に幾分は関連しているようであるから、一五μg/m3の基準は一定の幅の安全性を含むものとなっている。

そして、クライテリアドキュメントにおける短期暴露の関連の有意性又はほぼ有意性を認めた都市の大気質の検討においては、粒子状物質(粒径2.5μ以下)の二四時間平均濃度の九八パーセンタイル値は三五から九〇μg/m3の範囲に、また、ほとんどの都市においては、四〇から五〇μg/m3以上の範囲にあった。その検討により二四時間平均基準値は九八パーセンタイル値で五〇μg/m3が適切な補助的基準であると考えられた。

そこで、環境保護庁長官は年基準値を一五μg/m3とした。また、環境保護庁長官は、二四時間平均基準値については、限定された回数のピーク暴露のみで一年間のうちに総合的リスクの程度がどの位になるかは不明確であるが、大気質の分布全体にともなうリスクよりはるかに少ない。さらに、その他の面においては、清潔である地域において、稀にピーク二四時間暴露があった場合のリスクは現時点で十分に理解されていず、五〇から六五μg/m3の範囲のより厳しいレベルの選択のための基盤にはならない。一方、その範囲内の基準レベルである程度の安全性マージンが得られることは明らかである。このような要素を考慮すると、六五μg/m3というレベルの二四時間基準を設定することは年基準に対する補足の役割という点で効果的な制限になるとする。

第一〇章  本件地域における大気汚染と本件疾病の発症又は増悪の危険性

第一  因果関係総論

訴訟上の因果関係の証明は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを要し、かつ、それで足りると解すべきであるから(最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁参照)、本件地域における大気汚染が原告らの本件疾病の発症又は増悪という結果を招来したという関係を是認し得るためには高度の蓋然性が証明される必要があるというべきである。

第二  大気汚染物質と本件疾病の関係

一  疫学的知見は、もとより因果関係の生物学的、医学的メカニズムを明らかにするものではないけれども、慢性気管支炎、肺気腫及び気管支ぜん息(これらの疾病を併せて、以下「本件疾病」という。)の発症又は増悪の性質及びこれに関する科学的解明が未だ十分に進んでいない事情の下にあっては、疫学的知見が疫学的因果関係の判定基準を満たしているような場合には訴訟上の因果関係を証明する極めて重要な資料の一つであるというべきである。

二  二酸化窒素

1 前記のとおり、二酸化窒素と健康影響についての疫学的知見は調査方法の同じものや縦断研究、追跡研究等異なるものが多数存在するところ、これらにおいては、それぞれ問題点を少なからず包含するものがあり、また、必ずしも結果が一致しているわけではないものの、おおむね二酸化窒素濃度と慢性気管支炎の基本症状である「持続性せき・たん」、気管支ぜん息の基本症状である「ぜん息様症状・現在」及び児童の気管支ぜん息の基本症状である「持続性ゼロゼロ・たん」の有症率、新規発症率等の健康指標との間に有意差の検定を経た統計学的な関連性が認められる知見が多くあること、これらにおいては、全てで実施されているわけではなく、また、必ずしも結果が一致しているわけではないものの、喫煙、居住環境、暖房器具等の攪乱因子や交絡因子を考慮して分析した結果、攪乱因子と健康指標との間に関連性が認められない場合が多い上、攪乱因子や交絡因子を調整した場合においても、なお二酸化窒素濃度と健康指標との間に関連性が認められている場合が多いこと、以上のような傾向は、例外はあるものの、複数の各種疫学的知見において、比較的共通して認められること、多くの疫学的実験(動物実験及び人体負荷実験)において、二酸化窒素が動物及び人の呼吸器に種々の障害を発生させるという実験結果が存在すること、前記「WHO窒素酸化物に関する環境クライテリア」においては、二酸化窒素の最大一時間暴露として0.1から0.17ppmを暴露限界として提案し、前記「窒素酸化物に係る環境基準についての専門委員会報告」においては、一時間値の二四時間平均値0.02ppm以下を濃度条件として提案し、また、前記「二酸化窒素の人の健康影響に係る判定条件等について」においても、一時間暴露として0.1から0.2ppm、年平均値として0.02から0.03ppmを濃度指針として提案していること、環境基準が一時間値の一日平均値が0.04から0.06ppmまでのゾーン内又はそれ以下と設定されていること、「自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法」及び大気汚染防止法により自動車や事業所から排出される二酸化窒素を含む窒素酸化物への対策が取られていることが認められ、以上の事実からすると、二酸化窒素による大気汚染が疫学的知見に現われた濃度により定量的に本件疾病を発症させる危険性があり、また、発症の危険性がある以上、当然これらの疾病を増悪させる危険性もあると認めるのが相当である。

なお、前記「大気汚染と健康被害との関係評価等に関する専門委員会報告」においては、現在の大気汚染と慢性閉塞性肺疾患の関係について消極的に評価しているけれども、前記のとおり、その発表以降においても、多数の二酸化窒素と健康指針の間に関連性を認めた疫学的知見が存在しており、これからすると、右「大気汚染と健康被害との関係評価等に関する専門委員会報告」は、二酸化窒素による大気汚染が定量的に本件疾病を発症又は増悪させる危険性があると認められることの妨げとはならない。

2 そして、前記のとおり、本件地域における二酸化窒素濃度は、昭和四三年から本件地域で開始された吸光度法による測定において、田島一般局で昭和四八年から昭和五五年までの間、昭和五〇年を除き、いずれも年平均値が0.035ppm(ザルツマン係数0.84)を超えるなど各一般局の各年の年平均値が0.035ppmを超える場合が多く、経年的に極めて高い濃度を示しており、昭和四三年から一七年間にわたって継続して測定している全国の測定局の平均値と比較してみても、同年以降、全国平均値を上回る場合がほとんどであり、本件地域における二酸化窒素濃度は全国でも有数であったこと、本件地域は公健法上の第一種地域に指定されていたこと、濃度を特定できる昭和四三年以降の本件地域における二酸化窒素濃度は、二酸化窒素と慢性気管支炎及び気管支ぜん息についての疫学的知見でその関連性が認められた地域の二酸化窒素濃度と比較してみても、これと同程度又はこれを上回る濃度であったこと、本件地域における呼吸器症状有症率は高いことが認められ、以上からすると、本件地域における二酸化窒素濃度を特定できない昭和四三年ころ以前においては、二酸化窒素の本件疾病に対する影響を認めることはできないものの、ある程度その汚染期間が経過した昭和四四年ころ以降においては、本件地域における二酸化窒素による大気汚染は、本件地域に継続して居住した者に対し、単体で本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である。

三  浮遊粒子状物質

1 前記のとおり、浮遊粒子状物質濃度と気管支ぜん息の基本症状である「ぜん息様症状・現在」の間に統計学的関連性を認める疫学的知見(前記「窒素酸化物等健康影響継続観察調査報告」等)が存在すること、浮遊粒子状物質のうちディーゼル排気微小粒子が動物の呼吸器に主にぜん息症状の障害を発生させるという動物実験等(前記嵯峨井勝らの動物実験等)が存在することが認められる。しかし、浮遊粒子状物質濃度と本件疾病の健康影響についての疫学的知見は未だ少なく、従来の知見のみでは浮遊粒子状物質濃度と本件疾病の間に一貫して関連性が認められるか否かが不明であるといわざるを得ない。したがって、少なくとも現時点においては、浮遊粒子状物質による大気汚染が定量的に本件疾病を発症又は増悪させる危険性があるとまで認めることは困難である。

2 もっとも、前記のとおり、浮遊粒子状物質のうちディーゼル排気微小粒子が動物の呼吸器に障害を発生させるという動物実験等が存在することから浮遊粒子状物質が定性的に呼吸器の障害を発生させる性質を有していること、浮遊粒子状物質と二酸化窒素の複合で基本症状(「ぜん息様症状・現在」等)との統計学的関連性が認められる疫学的知見もあること、本件地域における浮遊粒子状物質濃度は、昭和四九年から本件地域で開始された光散乱法等による測定において、昭和四九年から昭和五四年までの間、年平均値が0.060mg/m3を超える一般局が多いなど経年的に極めて高い濃度を示していたことからすると、ある程度その汚染期間が経過した昭和五〇年ころ以降の本件地域における浮遊粒子状物質は、同じ呼吸器系の健康影響を単体で及ぼす二酸化窒素と相加的に作用して本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である。

四  二酸化硫黄

1 前記のとおり、二酸化硫黄と健康影響についての疫学的知見は多数存在しているところ、これらにおいては、それぞれ問題点を少なからず包含するものではあるものの、昭和三〇年代から昭和四〇年代前半の疫学的知見において、おおむね二酸化硫黄と慢性気管支炎の基本症状である「持続性せき・たん」の有症率等健康指標との間に有意差の検定を経た統計学的な関連性が認められること、以上のような傾向は、例外はあるものの、複数の疫学的知見において、比較的共通して認められること、多くの疫学的実験(動物実験及び人体負荷実験)において、二酸化硫黄が動物及び人の呼吸器に種々の障害を発生させるという実験結果が存在すること、前記「硫黄酸化物に係る環境基準についての専門委員会報告」において、二四時間平均一時間値0.04ppm、一時間値0.1ppmを濃度条件として提案したこと、環境基準が一時間値の一日平均値が0.04ppm以下であり、かつ、一時間値が0.1ppm以下と設定されていること、前記「大気汚染と健康被害との関係評価等に関する専門委員会報告」において、昭和三〇年代から昭和四〇年代においては、一部地域で慢性閉塞性肺疾患について、大気汚染のレベルの高い地域の有症率等健康指標の過剰をもって、主として大気汚染による影響と考え得る状況にあった旨評価していること、大気汚染防止法により事業所から排出される二酸化硫黄への対策が取られていることが認められ、以上からすると、二酸化硫黄による大気汚染が疫学的知見に現われた濃度で定量的に本件疾病を発症させる危険性があり、また、発症の危険性がある以上、当然これらの疾病を増悪させる危険性もあると認めるのが相当である。

2 そして、前記のとおり、本件地域における二酸化硫黄濃度は、昭和四〇年から本件地域で開始された導電率法による測定において、大師一般局で昭和四〇年から昭和四二年までの間、いずれも年平均値が0.1ppmを超えるなど経年的に極めて高い濃度を示しており、昭和四〇年から二〇年間にわたって継続して測定している全国の測定局の平均値と比較してみても、昭和四九年ころまでは全国平均値をかなり上回っており、本件地域における二酸化硫黄濃度は全国でも有数であったこと、本件地域は公健法上の第一種地域に指定されていたこと、昭和四〇年代の本件地域における二酸化硫黄濃度は、二酸化硫黄と慢性気管支炎及び気管支ぜん息についての疫学的知見でその関連性が認められた地域の二酸化硫黄濃度と比較してみても、これと同程度又はこれを上回る濃度であったこと、他方で昭和五五年の二酸化硫黄濃度が昭和四〇年と対比して約一六%に減少するなど昭和五〇年ころ以降は本件地域における二酸化硫黄濃度が著しく改善されたことが認められ、以上の事実からすると、昭和四〇年代においては、本件地域における二酸化硫黄による大気汚染は、本件地域に継続して居住した者に対し、単体で本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である。他方、本件地域における二酸化硫黄濃度が著しく改善した昭和五〇年ころ以降においては、二酸化硫黄単体で本件疾病に対する影響を認めることはできない。もっとも、前記のとおり、二酸化硫黄は定性的に呼吸器の障害を発生させる性質を有していること、二酸化硫黄と二酸化窒素の複合で気管支ぜん息の基本症状の間に関連性を認める疫学的知見もあることからすると、昭和五〇年ころ以降の本件地域における二酸化硫黄は、同じ呼吸器系への影響を単体で及ぼす二酸化窒素と相加的に作用して本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である。

五  複合大気汚染

以上のとおり、本件地域における大気汚染は、二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の複合的な大気汚染であるところ、これらの大気汚染物質はそれぞれ異なる化学的特性を有しており、呼吸器への影響も全く同一というわけではないが、いずれも呼吸器系への影響を及ぼすことに変わりはなく、本件疾病を発症又は増悪させる性質を有するということができるから、昭和四四年ころから昭和四九年ころまでの間は二酸化窒素及び二酸化硫黄の相加的作用により、昭和五〇年ころ以降は二酸化窒素を中心に浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の相加的作用により本件地域に居住する者に対し、本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である(なお、昭和四三年以前は二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の各濃度が不明であるから、本件地域に居住する者に対し、二酸化硫黄単体により本件疾病を発症又は増悪させる危険性があったと認めるのが相当である。)。

六  被告らの反論

1 これに対し、被告らは、疫学調査の結果において、必ずしも高濃度の地域が有症率等の健康指標が高いわけではなく、また、かなりの部分で統計学的関連性が認められていない旨反論する。

しかし、前記のとおり、高濃度でありながら有症率等の健康指標が高いわけではない地域は都市部に対する沿道部がほとんどであり、その他の知見においては、高濃度の地域が有症率等の健康指標が高い傾向が認められるし、また、統計学的関連性が認められない場合には標本の数が少ないために統計学的に有意な差があると判定できない場合も含まれるから、関連性が認められない場合があるからといって、厳しい基準の有意性の検定を経て関連性があると認められた疫学調査の結果を直ちに否定することはできず、他の疫学的知見や科学的実験の結果と総合して判断すべきである。

2 また、喫煙、居住環境、職業性暴露、アレルギー等の攪乱因子、特に交絡因子の検討が不十分であり、また、非特異性疾患においては、未知のアレルゲン等の解明されていない攪乱因子の存在が想像される旨反論する。

しかし、前記のとおり、多数の疫学的知見において、喫煙、居住環境等多くの攪乱因子について検討してみても、攪乱因子と健康指標との間に関連性が認められないものが多い上、攪乱因子を調整した場合においても、なお大気汚染と健康指標との間に関連性が認められるものが多く、疫学的知見全体でみた場合、必ずしも攪乱因子の検討が不十分であるとはいえないし、また、解明されていない攪乱因子というのも甚だ抽象的で根拠が希薄である。

3 さらに、動物実験は、動物と人との間の種差があること、実験が高濃度投与であること、実験が短期間であること、吸入実験ではなく、注入実験が多いこと、十分な症状を捉えることのできる実験や追試実験が実施されていないこと等の問題があり、人にそのまま外挿できない旨反論する。

しかし、動物実験にはこのような限界があるものの、直接大気汚染の健康影響を把握するものではなく、動物実験は疫学的知見の結果を生物学的に妥当であるか否かを判断し、疫学的知見の結果を裏付けるものにすぎないから、動物実験にこのような限界があることを理由にその意義が認められないということはできない。

4 その他にも被告らは疫学的知見について多岐にわたって反論するが、被告ら提出の証拠をもっては、未だ大気汚染の健康影響の存在を覆すに足りないというべきである。

第一一章  被告らの責任

第一  共同不法行為

一  総論

1 前記のとおり、大気汚染物質の排出量や本件地域の大気汚染濃度に対する寄与度に変化はあるものの、自動車走行の用に供されている被告らの設置又は管理する被告道路並びに神奈川県及び川崎市の設置又は管理する関連道路から本件地域に居住する住民へ本件疾病を発症又は増悪させる危険性のある二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の複合した大気汚染物質が排出されている事実が認められるところ、原告らは、被告道路からの大気汚染物質の排出と関連道路からの大気汚染物質の排出の間には関連共同性があり、被告らと神奈川県及び川崎市間には共同不法行為が成立する旨主張する(なお、原告らは、従来被告となっていた日本鋼管株式会社外一二社と被告らの間の共同不法行為の主張を撤回した。)。

2 ところで、原告らは、被告らに対し、国家賠償法二条一項における営造物の設置又は管理の瑕疵を主張しているが、この場合にも競合して被害を発生させる場合が考えられるから、民法七一九条一項が適用され、関連共同性がある場合には共同不法行為が成立すると解するのが相当である。そして、同項の共同不法行為の成立のための関連共同性については、被害者の保護を図るため、共同の行為が客観的に関連共同していれば足りると解すべきであるが、不法行為責任を明確にするため、その客観的関連共同性は社会通念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性があるものに限定されると解するのが相当である(なお、同項前段及び後段で減免責の主張の拒否に違いがあると解するのが相当であるが、被告らにおいて減免責の主張がないから、関連共同性を区別しない。)。

二  本件道路の関連共同性

1 本件道路の位置関係

前記のとおり、本件道路のうち国道一号線、同一五号線、横羽線及び産業道路は本件地域をおおむね南北に縦断し、その他の本件道路は本件地域をおおむね東西に横断し、相互に交差点で接続している上、これらの道路間の間隔は、産業道路周辺及びそこから臨海側を除き、四〇〇から六〇〇mであるから、本件道路は本件地域において近接した幹線道路網を形成していると認めるのが相当である。

2 本件道路の供用・拡幅の経緯

前記のとおり、昭和三〇年代から昭和四〇年代前半にかけて、自動車交通量が増加したことにともなって国道一号線や同一五号線の拡幅、横羽線の供用等多くの本件道路において拡幅・供用が実施されており、本件道路の幹線道路網が昭和四〇年代前半に本件地域において完成したと認めるのが相当である。

3 本件道路の利用形態

前記のとおり、道路からの大気汚染物質は自動車排出ガスから排出されると認められるところ、道路を走行する自動車は、一本の道路のみを走行する場合は少なく、交差点を利用して接続する他の道路へ流出入し、道路を一体として利用するのが通常の道路利用形態である。そして、本件道路は本件地域において幹線道路網を形成し、相互に交差点で接続しており、本件道路がこのような道路利用形態以外の利用形態で自動車走行の用に供されている形跡はないから、本件道路を利用する自動車の多くは交差点で本件道路相互に流出入し、本件道路を一体として利用していると認めるのが相当である。

なお、前記のとおり、横羽線は産業道路上を高架で建設され、産業道路もこれにともなって拡幅され、産業道路上に横羽線へ流入又はこれから流出するための大師、浜川崎及び浅田の各ランプが設置されており、横羽線及び産業道路は構造的に一体である上、本件地域において、横羽線を利用する自動車は産業道路上の各ランプを利用しており、横羽線及び産業道路は横羽線を利用する自動車により一体として利用されていると認めるのが相当である。

4 本件道路からの大気汚染物質の排出の状況

自動車走行の用に供することにより本件道路から本件地域の一般環境大気へ排出された本件疾病を発症又は増悪させる危険性のある二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の排出量の経年推移は前記のとおりであり、本件地域の大気汚染濃度に対する本件道路の寄与度は、二酸化窒素が昭和四三年ころから約三〇%程度、浮遊粒子状物質が昭和四九年ころから昭和五〇年代前半まで約二五%程度、昭和五〇年代後半から約四五%程度、二酸化硫黄が昭和四〇年代後半から約一〇%程度であり、本件道路からの大気汚染物質の排出量は少なくなく、また、本件地域の大気汚染濃度に対する寄与度もかなりの割合であるところ、本件道路から排出された大気汚染物質は道路端から緩やかに減衰し、大気中で拡散、複合すると認められるから、本件道路から排出された大気汚染物質は本件地域の一般環境大気に到達していると認めるのが相当である。

5 本件道路からの大気汚染物質の排出の一体性

(一)  以上の本件道路の位置関係、供用・拡幅の経緯、利用形態、大気汚染物質の排出の状況からすると、本件道路からの大気汚染物質の排出は社会通念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性があるというべきであり、被告道路同士の大気汚染物質の排出の間のみならず、本件道路からの大気汚染物質の排出の間に関連共同性を認めるのが相当である。

(二) また、前記のとおり、国道四〇九号線は、昭和五六年の路線指定及び昭和六一年の区域指定以前は県道大師河原幸線又は県道川崎府中線の一部であったと認められるところ、(一)と同様に考えると、国道四〇九号線に指定される以前の各県道と国道四〇九号線以外の本件道路からの大気汚染物質の排出も社会通念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性があるというべきであるから、昭和五六年及び昭和六一年以前の各県道とその他の本件道路からの大気汚染物質の排出の間にも関連共同性を認めるのが相当である。

(三) これに対し、被告らは、共同不法行為においては、不法行為者間に主観的な共同関係や少なくとも共同の意思があるといえる程度の強い客観的な共同関係が要件とされ、本件道路は川崎市内において道路網を形成しているが、その関係は道路網を形成していることから認められる通常の関係にすぎず、これらの道路間に通常の関係を超えて加害行為について特別の一体性を認めるに足りる事情は存在しない旨主張するが、前記のとおり、そもそも客観的関連共同性は社会通念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性があれば足りると解するのが相当である上、本件道路の幹線道路網の形成の他にもその位置関係、利用形態等一体性を基礎づける事情が存在するから、被告らの主張は採用することができない。

三  まとめ

したがって、本件道路の設置又は管理の瑕疵により原告らに被害が発生したと認められる場合、被告らは、被告道路の設置又は管理の瑕疵から発生した被害について、互いに連帯して損害賠償責任を負うのみならず、原告らの被害全体について、関連道路を設置又は管理する神奈川県及び川崎市と連帯して損害賠償責任を負うと解するのが相当である(なお、原告らは、被告らが産業道路の費用負担者であるとして、国家賠償法三条一項に基づき、右道路から発生した損害についての賠償を請求するが、右請求と原告らが従来から右道路について神奈川県等と共同不法行為責任が成立するとして被告らに請求している右道路から発生した損害についての賠償請求は、いずれも国家賠償法二条一項の損害賠償請求権に基づく請求であるから、これを別個の訴訟物であるとみる余地なく、また、原告らは従来から右道路について関連共同性がある旨主張しており、費用負担者の主張に固有の事実は費用負担の有無及びその程度のみであり、これが訴訟の完結を遅滞させるとは考え難いから、時機に遅れた攻撃防御方法ということもできない。もっとも、前記のとおり、被告らに神奈川県等との共同不法行為責任が認められるから、原告らの主張する国家賠償法三条一項の費用負担者の成否については判断しない。)。

第二  国家賠償法二条一項の責任

一  総論

1 前記のとおり、被告ら並びに神奈川県及び川崎市が設置又は管理する本件道路から本件地域に居住する住民へ本件疾病を発症又は増悪させる危険性のある大気汚染物質が排出されている事実が認められるところ、原告らは、本件道路からの大気汚染物質の排出は国家賠償法二条一項における被告らの営造物の設置又は管理の瑕疵に該当する旨主張する。

2 ところで、国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵は、営造物が通常有すべき安全性を欠いている状態をいい、安全性を欠いている場合には当該営造物を形成する物的施設自体に存する物理的、外形的な欠陥ないし不備によって他人に危害を生ぜしめる危険性がある場合(以下「物的性状瑕疵」という。)だけでなく、その営造物が供用目的に沿って利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合(以下「供用関連瑕疵」という。)をも含み、その危害は、営造物の利用者に対するもののみならず、利用者以外の第三者に対するものを含むと解するのが相当である。したがって、当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りでは危害発生の危険性がなくても、これを超える利用に供されることによって危害発生の危険性の存する状況にある場合にはそのような利用に供される限りにおいて右営造物の設置、管理には瑕疵があるということができる。そして、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、利用につき適切な制限を加えないまま、右営造物を利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生じさせたときは、それが右設置・管理者の予測しえない特別の事情のある場合でない限り、国家賠償法二条一項の規定による責任を免れることができないと解される。そして、第三者に対する関係において、違法な権利侵害ないし法益侵害になるか否かを判断するに当たっては、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間にとられた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察して違法な権利侵害ないし法益侵害となるか否かを検討すべきである(最判昭和五六年一二月一六日民集三五巻一〇号一三六九頁、最判平成七年七月七日民集四九巻七号一八七〇頁参照)。

二  本件道路の設置又は管理の瑕疵

前記のとおり、本件道路から本件地域への一般環境大気へ排出された本件疾病を発症又は増悪させる危険性のある二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の排出量の経年推移は前記のとおりであり、本件地域の大気汚染濃度に対する寄与度は、二酸化窒素が昭和四三年ころから約三〇%程度、浮遊粒子状物質が昭和四九年ころから昭和五〇年代前半まで約二五%程度、昭和五〇年代後半から約四五%程度、二酸化硫黄が昭和四〇年代後半から約一〇%程度であり、本件道路は自動車走行の用に供することにより本件地域に居住する住民へ本件疾病を発症又は増悪させる危険性のある二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄をその他の発生源とともに排出していたと認められるから、本件道路からの大気汚染物質の排出は本件地域に居住する住民へ危害を及ぼす危険性があったと認めるのが相当である(なお、本件道路からの大気汚染物質の排出は営造物そのものからではなく、本件道路を走行する自動車の排出ガス中からであるから、物的性状瑕疵としてではなく、供用関連瑕疵として検討する。)。

三  違法性の諸要素

1 被侵害利益

原告らは、被侵害利益について、本件地域に現に居住し、または居住していた患者原告ら又は死亡患者らの本件疾病の発症又は増悪という健康被害を主張している(本件疾病の発症又は増悪についての有無・程度や大気汚染との因果関係については後述する。)。

2 侵害行為

(1) 前記のとおり、本件道路から排出された大気汚染物質は本件地域に居住する住民へ本件疾病を発症又は増悪させる危険性があり、また、二酸化窒素が昭和四三年ころから、浮遊粒子状物質が昭和四九年ころから、二酸化硫黄が昭和四〇年ころから継続的に本件道路から排出され、かつ、その排出は二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の複合した大気汚染物質として排出されている上、本件道路からの大気汚染物質の年間排出量は小さくなく、かつ、その本件地域の大気汚染濃度に対する寄与度もかなりの割合であると認められるから、本件道路は、本件地域の一般環境大気に対し、昭和四四年ころから昭和四九年ころまでの間は二酸化窒素および二酸化硫黄の複合した大気汚染物質を、昭和五〇年ころからは二酸化窒素、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の複合した大気汚染物質を多量かつ継続的に排出しており、その侵害行為の態様や程度は小さくないと認めるのが相当である。

(二) もっとも、前記のとおり、二酸化窒素の測定は昭和四三年から、浮遊粒子状物質の測定は昭和四九年から開始され、それまでの二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の濃度は不明であるから、本件道路からの大気汚染物質の排出は昭和四三年ころ以前は二酸化硫黄のみを排出していたと認められるが、前記のとおり、昭和四〇年代前半までの本件地域の二酸化硫黄濃度に対する本件道路の寄与度は極めて小さいと認められるから、昭和四三年ころ以前の本件道路からの大気汚染物質の排出はその侵害行為性が低く、これに違法性があると認めることはできない。

3 公共性又は公益上の必要性

(一) 道路一般の公共性(甲二六〇二の1、2、丙一三四、一三五、三二七、五〇〇の1、2、五〇七)

(1) 道路の機能は、交通機能と空間機能に分類され、前者はトラフィック機能(走行サービス機能)とアクセス機能(出入サービス機能)に分類される。トラフィック機能は、自動車、自転車、歩行者等の走行サービスを提供する機能をいい、アクセス機能は、沿道の土地、建物、施設等への出入サービスを提供する機能をいう。空間機能は、電気、電話、ガス、上下水道等の公共公益施設を収容する機能、都市の中における緑化、通風、採光という良好な居住環境を形成する機能、地震災害時の避難路、延焼防止、消防活動という防災機能を強化する機能をいう。なお、水道事業及び下水道事業の一〇〇%(平成五年三月現在)、電信電話事業のうち管路の九八%(平成五年三月現在)、ガス事業の89.9%(平成四年一二月現在)が道路空間を利用している。

(2) 自動車保有台数は、昭和二五年度が約三五万七九四一台、昭和四五年度が約一八一六万四九一二台、昭和六三年度が約五二四六万一二七一台と漸次増加している。

また、自動車走行台キロメートルは、昭和二五年度が約三七億五五四五万五〇〇〇台Km、昭和四五年度が約二二六〇億一六八五万八〇〇〇台Km、昭和六三年度が約四七八二億八八七八万六〇〇〇台Kmと漸次増加し、貨物輸送トン数における自動車輸送分担率は、昭和二五年度が63.1%、昭和四五年度が88.1%、昭和六三年度が90.4%と漸次増加し、輸送人員ベースにおける自動車輸送分担率は、昭和二五年度が15.1%、昭和四五年度が59.2%、昭和六三年度が65.2%と漸次増加している。

(二) 本件地域における本件道路の公共性

(1) 本件地域の地域・交通特性(甲一一〇三〜一一〇五、二六〇一の1、2、丙一〇五、一八五、一九三)

① 前記のとおり、本件地域の概要は、昭和六〇年の本件地域の人口が三三万一二六〇人、本件地域の面積が約四三〇〇ヘクタール、昭和四五年の本件地域の人口密度が九四七六人/Km2である。

また、本件地域の都市計画で定められた用途地域の指定状況をみると、昭和六二年において、商業系地域(近隣商業地域及び商業地域)の割合は、川崎区が16.6%、幸区が15.6%、工業系地域(工業地域、工業専用地域及び準工業地域)の割合は、川崎区が63.6%、幸区が21.5%である。なお、本件地域においては、臨海部がほとんど工業地域であるのを除き、工業地域に隣接して住居地域がある。

そして、昭和六三年の本件地域の製造業の事業所数は一二五六か所、従業者数は七万〇五七八人、製造品出荷額等(製造品出荷額、加工賃収入額及び修理料収入額)は金三兆三〇四〇億八一〇〇万円、商店数は七二二一店舗、従業員数は三万四六八〇人、年間商品販売額は金八七一四億九三〇〇万円である。なお、本件地域の従業人口の産業別構成は、第一次産業の就業者が0.1%。第二次産業の就業者が41.6%、第三次産業の就業者が57.8%である。

② 昭和五八年度の本件地域に関連する物資の発生集中量を輸送機関別にみると、船舶に次いで貨物自動車が多く、輸送トン数一〇万七八三三t、全輸送機関合計の27.9%であり、陸上輸送(鉄道及び貨物自動車)に限ると、貨物自動車の割合が73.8%である。

また、昭和五七年度の本件地域の品目別の輸送手段構成でみると、発生量ベースにおいては、窯業品(81.1%)、廃棄物(73.4%)、軽・雑工業品(70.9%)、農林水産品(67.0%)、金属機械工業品(63.7%)、鉱産品(56.0%)の自動車輸送の比率が高く、また、集中量ベースにおいては、窯業品(97.1%)、農林水産品(96.0%)、軽・雑工業品(81.2%)、廃棄物(76.6%)金属機械工業品(74.5%)の自動車輸送の比率が高い。

そして、本件地域に関連する物流の状況を輸送距離帯別にみると、自動車輸送が高いのは主に輸送距離が一〇〇Km未満の場合であり、自動車輸送が全輸送手段の過半数である。

(2) 本件道路の役割(甲九一三、一一〇九〜一一一一、二六〇一の1、2、二六〇二の1、2、丙一〇二、一一七、一八五、一九二、一九四、三三一、三三二、三三六、三三九、五〇〇の1、2)

① 昭和五五年度の本件道路の起終点別利用内訳は、国道一三二号線において、本件地域に起終点の両方又はいずれか一方を持つ交通が全交通量の99.7%、同一号線において、本件地域に起終点の両方又はいずれか一方を持つ交通が全交通量の47.8%、同一五号線において、本件地域に起終点の両方又はいずれか一方を持つ交通が全交通量の55.7%、横羽線において、本件地域に起終点の両方又はいずれか一方を持つ交通が全交通量の29.3%である。

② 昭和五五年度の本件道路の車種別交通量は、国道一号線において、貨物車が全交通量の60.6%、普通貨物車・特殊(種)車が同14.1%、大型車が同14.9%、同一五号線において、貨物車が全交通量の57.9%、普通貨物車・特殊(種)車が同19.2%、大型車が同18.2%又は同21.3%、同一三二号線において、貨物車が全交通量の48.9%、普通貨物車・特殊(種)車が同18.9%、大型車が同15.1%又は同39.3%、横羽線において、貨物車が全交通量の59.8%、普通貨物車・特殊(種)車が同25.9%、産業道路において、貨物車が全交通量の64.5%、普通貨物車・特殊(種)車が同34.7%である。

③ 昭和六〇年度の横羽線の川崎市内における総利用交通量は一二万三九〇三台/日であるところ、川崎市内に設置されている大師、浅田、浜川崎の各ランプの利用状況をみると、利用車両数の総数は三万七七七四台/日、そのうち川崎市内に発着をもつ交通量は三万二〇〇九台/日であり、川崎市内に利用目的を有する交通量の割合は総利用交通量の25.8%である。

同年度の本件地域の各ランプの利用車種区分をみると、各ランプ利用交通量三万七七七四台/日のうち乗用車類の利用が二万一四六台/日(53.3%)である。

同年度の横羽線の本件地域の各ランプを流出入する自動車のうち臨海部工業地域を発着地とする自動車は、大師ランプが47.5%、浅田ランプが43.1%、浜川崎ランプが23.8%である。

④ 神奈川県防災会議は、「神奈川県地域防災計画―地震災害対策計画―(平成二年修正)」において、本件道路のうち国道一号線、同一五号線、同一三二号線及び横羽線の本件地域の全区間を同県内の広域的な輸送に不可欠な高速自動車道、国道等の主要な幹線道路で最優先に確保すべき路線である第一次確保路線に指定している。

4 被害の防止に関する防止措置(甲二六〇二の1、2、丙一〇八、一一一、一三八、二〇五、三二三、三二四、三三五、三三六、三四四、三四五、五〇〇の1、2、証人竹本雅俊)

(一) 環境行政

前記のとおり、昭和三七年六月にばい煙規制法が制定され、昭和三九年九月にばい煙規制法における規制対象物質の第二次指定において、二酸化窒素が指定された。

また、昭和四二年八月に公害対策基本法が制定されたのを経て、昭和四三年六月に大気汚染防止法が制定され、自動車排出ガスが規制対象物質とされたほか、昭和四六年六月に大気汚染防止法施行令の改正により新たに窒素酸化物が自動車排出ガスの有害規制対象物質とされた。

さらに、昭和五〇年代前半から自動車からの窒素酸化物の排出規制が開始され、緩和された二酸化窒素の環境基準値の達成目標が昭和六〇年に設定され、平成四年には「自動車から排出される窒素酸化物の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法」が制定された。

(二) 道路整備

(1) 前記のとおり、昭和三〇年代半ばから昭和四〇年代にかけて、国道一号線や同一五号線の拡幅、横羽線の供用等多くの本件道路で拡幅・供用が本件地域において実施された。

(2) 昭和四四年に東海道の交通量の激増に対処するため、東名高速道路が供用を開始し、その供用前の昭和四三年とその供用後の昭和四六年の関係路線の交通量の推移は、国道一号線が五万四七一四台から四万五一一四台(一二時間交通量)へ、国道一五号線が三万六五〇六台から二万九四四三台(一二時間交通量)へ減少した。

(3) 昭和四〇年に都県道東京野川横浜線(第三京浜)が供用を開始し、自動車専用道路として通過交通を処理しており、昭和六三年の第三京浜の川崎市を通過する交通量は約八万三四一二台/日である。

(4) 平成六年一二月に首都高速道路湾岸線が供用を開始し、その供用前の平成六年度とその供用後の平成七年度の横羽線の交通量は、多摩川渡河部が一一万四五九四台/日から九万八八八三台/日へ、鶴見川渡河部が一一万一九六三台から九万六三六〇台/日へ減少した。

(三) 本件道路の道路構造の改良

本件地域においては、交差点改良の実施箇所が二一か所、踏切の立体化が一か所、道路の拡幅が三か所あり、そのうち本件道路に関する改良は、交差点改良が九か所、踏切立体化が一か所である。川崎市内の主要重点ポイントは一〇か所であり、本件地域の主要渋滞ポイントは国道四〇九号線と産業道路が交差する箇所(大師河原交差点)及び国道一三二号線と川崎市道が交差する箇所(夜光交差点)の二か所であるが、後者については右折車線を設置した。

(四) 本件道路の緑化

本件地域における道路緑化は一三か所であり、国道一号線においては、幸区都町地先において延長一〇三m区間の植栽を、同一五号線においては、川崎区宮前町から元木町地先及び新川通地先から元木町地先の区間の延長一三八〇m区間の植栽を、同一三二号線においては、川崎区富士見町、中島町、千鳥町等の延長三四〇〇m区間の植栽を、川崎区富士見町一丁目等の区間に中央帯グリーンベルトの設置を実施した。

(五) 横羽線

(1) 平成二年四月一六日に空港入路の合流部を羽田トンネル出口側に移設し、平成三年三月一九日に空港入路の合流部から昭和島インターチェンジまでの本線(上り)を二車線から三車線へ拡幅し、横浜公園から羽田までが最大三〇分短縮され、羽田トンネル付近を先頭とした渋滞が約六Km減少した。

(2) 平成三年八月二〇日に下り線大師出路の中間部から信号制御なしで街路へ流入できる新たな出路を分岐させ、大師出路を先頭とした横羽線下りの渋滞約一Kmを解消した。

(3) 平成元年に横羽線の交通管制を完全自動化した。

四  まとめ

1 以上からすると、昭和四四年ころ以降の本件道路からの複合した大気汚染物質の多量かつ継続的な排出はその侵害行為性が低いとはいえず、自動車交通量、本件地域の大気汚染濃度に対する本件道路の寄与度がほぼ横ばいであるなどその継続の経過及び状況にもあまり変化がない上、このような観点からは被害の防止に関する措置もその効果が十分ではないというべきところ、原告らが被侵害利益として主張する本件疾病の発症又は増悪という健康被害の性質や内容の重大性からすると、本件道路からの大気汚染物質の排出に違法性があることを否定することはできない。

2 もっとも、前記のとおり、本件道路は重要な社会資本として本件地域内外を結び、細街路を結ぶ重要な幹線道路網を形成している上、京浜工業地帯等の産業用輸送手段等の重要な交通手段である自動車交通にとっても重要な道路であり、その公共性又は必要性のあることは否定できず、また、本件地域に居住する住民が本件道路からその生活上便益を受けていることは否定できないところであるから、本件地域に居住する住民において、本件道路が存在することによる影響もある程度は受忍せざるを得ないと解するのが相当である。

3 以上を総合考慮すると、前記のとおり、各本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域においては、大気汚染の距離減衰が三分の二程度とあまりなく、本件道路からの大気汚染物質の排出により著しい濃度の大気汚染が発生、継続し、その侵害行為性が高いと認められるから、本件地域に居住する住民が本件道路の影響をある程度受忍せざるを得ないことその他の事情(前記被害の防止に関する措置等)を考慮しても、本件道路からの大気汚染による被害は受忍限度を超えているというべきであり、本件道路からの大気汚染物質の排出の違法性を否定することはできない。しかし、それ以外の地域においては、本件道路から排出された大気汚染物質は距離減衰し、大気汚染濃度に対する寄与度は著しいとはいえず、本件地域に居住する住民が本件道路の影響をある程度受忍せざるを得ないことその他の事情を総合考慮すると、本件道路からの大気汚染による影響は受忍限度内にあるというべきであり、その違法性を否定すべきである。

4  したがって、本件道路からの大気汚染物質の排出は、昭和四四年ころ以降の各本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域における健康被害に限って違法性が認められるから、本件道路からの大気汚染物質の排出により同年ころ以降にその地域に居住する原告らに本件疾病の発症又は増悪という健康被害が発生したと認められる場合、被告らは、その被害について国家賠償法二条一項の損害賠償責任を負うと解するのが相当である。

5 これに対し、被告らは、本件道路には高度の公共性又は公益上の必要性があるから、本件道路からの大気汚染物質の排出には違法性がない旨主張する。

確かに、前記のとおり、本件道路は自動車交通にとって重要な幹線道路であり、その公共性又は公益上の必要性のあることは否定できないものの、その公共性又は公益上の必要性は国民の日常生活の維持、存続に不可欠な役務の提供のように絶対的ともいうべき優先順位を主張できるものとはいえず、その公共性の実現は本件道路の沿道地域に居住する住民の特別の犠牲の上でのみ可能であり、そこに看過することのできない不公平が存在することを否定できない。

また、本件地域に居住する住民が本件道路からその生活に便益を受けていることは否定できないものの、本件道路は住民の日常生活にとって必ずしも不可欠な道路とはいえず、京浜工業地帯等の産業用輸送手段等としての性格を併せ持つ道路というべきであるから、本件道路の存在による受益と被害との間に後者の増大に前者の増大が必然的にともなうといった関係(彼此相補関係)までを認めることはできない。

したがって、本件道路の公共性又は公益上の必要性から直ちに本件道路からの大気汚染物質の排出による被害が受忍限度内であり、違法性がないということはできず、被告らの主張は採用することができない。

第三  免責の抗弁

一  総論

前記のとおり、被告らは、国家賠償法二条一項の損害賠償責任を負う場合があると解するのが相当であるところ、その責任を負う場合は営造物が通常有すべき安全性を欠いている場合であるから、およそ被害の予見可能性や回避可能性がないような管理可能性の存在しない場合にまでその責任を認めるのは相当ではない。したがって、その責任を負うとされる者は予見可能性又は回避可能性の不存在を基礎づける具体的事情を主張・立証してその責任を免れることができると解するのが相当である。ただし、国家賠償法二条一項の責任が危険責任に依拠するものである以上、予見可能性又は回避可能性の不存在は客観的に判断されると解するのが相当である。

二  予見可能性の不存在

1 被告らの主張

被告らは、従来自動車排出ガスとして言及されていたのは一酸化炭素、鉛等であり、窒素酸化物が大気汚染物質として注目されるようになったのは昭和四五年の立正高校事件を契機としてであり、昭和四六年六月の大気汚染防止法施行令の改正により規制対象物質として窒素酸化物が指定されるまでは自動車排出ガス、特に二酸化窒素の本件疾病への影響について認識することができず、また、そのころにディーゼル排気微小粒子についての調査、報告もなく、本件疾病との関連も問題とされていなかった旨主張する。

2 自動車排出ガスをめぐる状況

(一) ロサンゼルススモッグ(甲五九九、九一一、乙一六八、丙七三、証人館正和)

ロサンゼルス市においては、一九四〇年ころからスモッグが発生し、カリフォルニア州は、一九四七年三月、大気汚染防止法を設立させ、大気汚染防止本部を設置したが、一九五二年に炭化水素と二酸化窒素が光化学的に反応してオゾンができることが判明し、大気汚染防止本部は、一九五五年六月、大気中の一酸化炭素、窒素酸化物、二酸化硫黄又はオゾンが一定数値になった場合に警報を発令し、その場合には自動車の走行を中止するなどの対策を採用した。

(二) 立法措置等(甲七三八、九〇二、九九七)

(1) 昭和三七年六月のばい煙規制法制定の際、国会審議において、自動車排出ガスの影響が深刻になっていることについても議論され、同法律案の付帯決議として、自動車排出ガス等の公害問題に対処するため、その技術的研究を強力に推進し、その対策の確立に努めることが決議された。

(2) 昭和三九年九月にばい煙規制法における規制対象物質の第二次指定に二酸化窒素が指定された。

(三) 調査、研究等(甲九〇二〜九〇五、九〇七、九〇八、九九七、九九八、九八八、二六〇一の1、2)

(1) 昭和三九年から昭和四一年までの間、厚生省は、自動車排出ガスが一酸化炭素、窒素酸化物、炭化水素、鉛化合物等の有害物質を含み、人体呼吸面に近い位置で排出され、発生源が任意に移動するものであることから一般の大気汚染とは別個の問題を提起しているとして、東京都内において、汚染地区と非汚染地区に分類し、自動車排出ガスの実態及び影響の調査を実施し、自動車排出ガスの防除に関する技術開発や自動車排出ガスの法的規制等住民の健康保護の見地から適切な対策が確立されることの必要性を指摘した。また、建設省もこの調査から自動車排出ガス等の公害防止の必要性を指摘した。

(2) 昭和四一年、厚生省環境衛生局公害課杉山太幹は、(1)の調査を紹介し、激しい刺激性物質として知られ、急性中毒以外に慢性肺疾患の状態を生ずるともいわれている二酸化窒素その他の物質を取り上げ、自動車排出ガスの排出基準の設定や自動車の個々の排出量の防除技術等の必要性を指摘した。

また、同年、厚生省環境衛生局公害課長橋本道夫も、(1)の調査を紹介し、一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物の大気汚染に自動車排出ガスが極めて大きな役割を果たしているとして、自動車のスピード化にともなって一酸化炭素は減るが、窒素酸化物が増えること、地方の中小都市における交通の頻繁な道路や高速自動車道路沿道においては、自動車走行台数の増加にともなって自動車排出ガスによる汚染が必然的な結果になること、一酸化炭素の規制の数年後には鉛や窒素酸化物が問題となることを指摘した。

(四) 立正高校事件(甲二六〇二の1、2、丙三三七、三三八、五〇〇の1、2)

昭和四五年七月に東京都内の立正高校校庭で学生が咳、吐き気、目の痛みを訴えて倒れ、病院へ運ばれる事態が発生し、その後、その原因が窒素酸化物と炭化水素が光化学的に反応してできたオゾン等の光化学スモッグによるものであると判明した。

3 予見可能性の有無

以上の事実からすると、少なくとも昭和四四年ころまでには自動車排出ガスが問題化し、二酸化窒素を含む窒素酸化物の健康影響も示唆されていたと認めるのが相当であり、その当時、二酸化窒素を含む窒素酸化物の本件疾病への影響を予見できたと認める余地があるところ、そのころまでに被告らが二酸化窒素を含む窒素酸化物の定性的又は定量的な健康影響を検討した調査、研究がない上、その健康影響を否定した知見もない以上、二酸化窒素を含む窒素酸化物の本件疾病への影響をおよそ予見できなかったか否かが不明であるから、被告らの主張・立証をもっては、被告らが二酸化窒素の本件疾病への影響を予見できなかった事実を認めるには足りないというべきである。

また、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄については、自動車排出ガスに起因する浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄より本件疾病が発症又は増悪すると予見できなかったことについて十分な主張・立証がなく、浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄の本件疾病への影響を予見できなかった事実を認めることも困難である。

三  回避可能性の不存在

1 被告らの主張

被告らは以下のとおり主張する。

(一) 道路の設置・管理者には本来有する道路行政権及び道路管理権並びにその延長線上に属する権限(道路の供用、路線の廃止、道路網の整備、道路構造の改善等)があるにすぎない。

(二) 道路の設置・管理者の判断により道路の供用を停止・廃止し、また、その機能を大きく損なうような使用制限をすることは、道路に高度の公共性があり、また、このような措置をするのに手続上の制約があるから、事実上不可能であり、また、仮に道路を停止・廃止すると、大量の自動車交通が一般街路に移行し、深刻な交通渋滞、沿道環境の悪化、交通死亡事故の増大等の危険性がある。

(三) 道路の設置・管理者として実施可能な措置として考えられるものは道路構造の改善(道路本体の地下化、シェルター化等)、道路網の整備等に限られるが、権限内にあるとしても、一定地域全体の幹線道路の変更や道路網の整備のみを取り出しても、莫大な費用と時間がかかる上、社会的・技術的な制約も大きい(用地等取得の困難性、技術的可能性、運転者の疲労、事故時の対策、新たな公害発生の危険等)。

(四) ロードプライシングについては、横羽線の場合、新たに割増料金を徴収するための本線料金所を設置すると、料金所渋滞の発生、料金所における一時停止による料金所付近の自動車排出ガスの増加、割増料金を嫌う自動車が産業道路、国道一五号線へ迂回し、全体的な環境改善に効果がないこと等の問題があり、これを本件地域へ導入することは困難である。

2 自動車排出ガス対策

(一) 被告国による対策(甲一一四一、一一四三〜一一四七、二六〇一の1、2)

(1) 運輸省は、昭和四三年、「交通公害の現状と対策」において、自動車排出ガス対策として、交通環境の整備(交通渋滞等に起因する局部的な汚染を排除するための立体交差等)、交通規制の実施(特定の渋滞地区や渋滞時間において高濃度の汚染が発生するのを防止するための交通規制)、自動車の改善(完全燃焼のためのエンジン改良、排気弁直後への空気噴射装置、再燃焼装置等の取付)、都市計画上の配慮(高層建築物及び工場配置等における排出ガス停滞の排除)を提案した。

(2) また、建設省は、昭和四五年から昭和四八年にかけて、自動車自体の規制の強化、交通法規遵守の徹底、大型車・重量車の交通規制、植樹帯の設置、道路環境の整備、道路構造の改善等を提案した。

(3) さらに、昭和四六年に総合交通体系にかかわる政策として、運輸省の「総合交通体系に関する答申」、警察庁の「総合交通体系における道路交通管理」、建設省の「総合交通政策に関する基本的考え方」等において、大都市、特にその都心部においては、需要に応じた道路の整備には限界があるので、既存の道路の効率的な利用を図るための自動車の使用についての法的又は経済的な規制を強化すべきであること、自動車の走行の禁止、制限等の交通規制を行う必要があること、区画街路等の生活環境道路、都市内幹線道路、通過交通のための幹線道路等の区分を明確にし、それぞれの道路機能の純化を図ること、必要に応じて可能な限りの幅員の拡大、堀割又はトンネル型式の採用、市街地再開発に対応した立体的構造、植樹帯の設置等道路構造自体の質的改善を図ること、排出ガス、騒音等の被害が著しい地区については、走行速度の制限、大型車両の流入規制、駐車規制等各種の規制施策を強化すること、道路整備に当たって、特に路線計画上及び道路構造上自然環境との調和を図ること等を提案した。

(二) 被告公団による対策(甲一一四〇)

被告公団は、昭和四六年から昭和四七年にかけて、首都高速道路基本問題調査会の答申において、道路沿道に環境保全のため、緩衝地帯の設置、高欄の嵩上げ、側方空間の確保、速度規制等を提案した。

(三) ロードプライシング(甲一一二三〜一一二九、丙三四六)

ロードプライシングは、道路の利用に対してかかる社会的費用を利用者に課すこと(料金による外部不経済の内部化)により道路の最適な利用を図ろうとするものである。この手法の目的は、道路混雑対策、自動車公害量抑制策が考えられている。

(四) 道路のトンネル化(甲一一七〇、二六〇二の1、2、丙五〇〇の1、2)

昭和三九年までに完成し、または建設途中の東京都内の首都高速道路の多くにおいて、トンネル構造や半地下構造が採用され、首都高速道路一号線の十三%の区間がトンネル構造、その一四%の区間が半地下構造であり、当時既にトンネル構造や半地下構造を採る技術があった。

3 横羽線の建設の経緯(甲二六〇二の1、2、丙一五八、三三六、三三九、三四〇、五〇〇の1、2)

横羽線の建設の経緯について、川崎市内における横羽線の路線計画及びルート選定に関する実地調査等は日本道路公団により実施され、以下の三つの案が比較、検討されたが、(一)案はその他の案と比較して物件取得、物件補償上の困難が少なく、建設費が安価であったこと等から(一)案に従って横羽線が現行のルートを高架構造で建設された。

(一) 産業道路の幅員は二五mであったが、四〇mに拡幅する計画決定がされていたため、これを前提として産業道路上を利用するもの

(二) 産業道路の沿道を利用し、下部を既存の建造物と同様に利用できる特殊高架橋により建設するもの

(三) 川崎市大師地区は既に工業地帯であったため、国鉄塩浜操車場予定地までは在来道路を利用し、その先は建設中の国鉄引込線に沿って進み、工場地帯は空地を利用し、鶴見川付近までは国鉄鶴見貨物線に沿って進み、鶴見川を橋梁で渡って産業道路に連絡するもの

4 回避可能性の有無

以上の事実からすると、昭和四〇年代前半には既に種々の自動車排出ガス対策が考えられていたと認めるのが相当であり、大気汚染物質による健康影響を回避できたと認める余地があるところ、以上のような回避措置を採ることに被告らの主張・立証するような困難がともなうことは一般的・抽象的には否定できない。

しかし、営造物の設置・管理者の有する法令上の権限にない回避措置を採ることには困難がともなうことは否定できないとしても、権限のある回避措置を採ることは当然可能である上、関係省庁との連絡、協議により事実上実行可能な措置を採ることや行政指導その他の事実上の行為を採ることも考えられるから、本件道路にこのような回避措置を採ることの具体的な可否を考慮することなく、形式的に権限の有無のみから被告らが本件道路から排出された大気汚染物質による健康影響を回避できなかった事実を認めることは困難である。また、技術的・社会的・財政的制約についても、具体的にこれらとの関係で本件道路にこのような回避措置を採ることの可否や回避措置を採った場合の本件地域の自動車交通に与える影響の有無や程度、代替手段の有無等を考慮することなく、一般的・抽象的な回避措置の困難から被告らが本件道路から排出された大気汚染物質による健康影響を回避できなかった事実を認めることは困難である。

そして、被告らがこのような回避措置を採ることができたか否かを検討した調査、研究がない以上、本件道路から排出された大気汚染物質による健康影響をおよそ回避できなかったか否かが不明であるから、被告らの主張・立証をもっては、被告らが本件道路から排出された大気汚染物質による健康影響を回避できなかった事実を認めるには足りないというべきである。

なお、以上のほか、前記のとおり、横羽線については、現行ルートと異なるルートによる建設も検討していた経緯からすると、被告らが横羽線から排出された大気汚染物質による健康影響を回避できなかった事実を認めることは一層困難である。

四  まとめ

したがって、被告らにおいて、本件地域に居住する住民の本件疾病の発症又は増悪について予見可能性及び回避可能性がなかった事実を認めることはできないから、昭和四四年ころ以降の本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域に居住する原告らに本件道路からの大気汚染物質の排出により健康被害が発生したと認められる場合、被告らは、その被害について、国家賠償法二条一項の損害賠償責任を免れることはできないと解するのが相当である。

第一二章  原告らの損害

第一  個別的因果関係

一  公健法における認定手続等(甲一六〇二、乙二五一〜二五四)

1 公健法上の認定手続においては、申請者が認定申請に係る疾病について、医師の診断書等を都道府県知事等に提出することにより申請されるが、医師の診断のばらつきを調整、検討するため、都道府県知事等が任命する医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関して学識経験を有する者一五名以内の委員で構成される公害健康被害認定審査会の意見を聴いて認定の審査がされる。そして、公害健康被害認定審査会においては、主治医診断書、主治医診断報告書、医学的検査結果報告書及び検査結果資料を検討し、指定疾病の罹患の有無を審査する。

また、指定疾病に罹患していると認定されても、認定の有効期間三年以内に治癒する見込みがない場合には三年(本件疾病の場合)で認定の更新手続をしなければならず、認定申請時と同様の審査を受ける。

2 以上のような公害健康被害認定審査会による審査については、審査数が多いことから一件の審査に充てられる時間が少ないこと、主治医診断書が重視されていること等が指摘されているが、本件疾病が慢性疾患であり、医師の経過観察が患者の症状を把握する上で重要であることから主治医診断書を重視することもやむを得ないこと、患者原告ら又は死亡患者らが認定手続において審査を受け、また、更新手続においても再度審査を受けていることからすると、このような手続による患者原告ら又は死亡患者らの指定疾病(慢性気管支炎、肺気腫及び気管支ぜん息)の認定は信頼性が高く、患者原告ら又は死亡患者らが本件疾病に罹患した事実を推認させると解するのが相当である。

二  患者原告ら又は死亡患者らの本件疾病への罹患

1 前記のとおり、患者原告ら又は死亡患者らは公健法等の認定手続を経て指定疾病の認定を受けていることに加えて、これらの患者原告ら又は死亡患者らに咳、痰、喘鳴、息切れ等の本件疾病の存在をうかがわせる自覚症状があり、本件疾病による入通院歴があること(各患者原告ら又は死亡患者らの別冊「個人票」記載の証拠)が認められるから、患者原告ら又は死亡患者らは、公健法等による指定疾病の認定のとおり、本件疾病を発症し、また、その認定等級が上がった場合には本件疾病を増悪したと認めるのが相当である。これに対し、被告らは、これらの患者原告ら又は死亡患者らの疾患は本件疾病ではなく他病の疑いがある旨主張するが、その主張は抽象的であり、被告らの主張・立証をもって、患者原告ら又は死亡患者らの疾患が本件疾病である事実を覆すには足りないというべきである。

そして、別冊「個人票」記載のとおり、患者原告ら又は死亡患者らが認定された本件疾病を発症又は増悪したこととともに患者原告ら又は死亡患者らの居住歴、発症時期及び認定関係を認めるのが相当である。

2 ところで、前記のとおり、本件道路からの大気汚染物質の排出は本件疾病を発症又は増悪させる危険性があるところ、本件道路からの大気汚染物質の排出による昭和四四年ころ以降の各本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域に居住する患者原告ら又は死亡患者らの本件疾病の発症又は増悪に限り受忍限度を超えると認められる。そして、前記居住歴、発症時期及び認定関係からすると、昭和四四年ころ以降に各本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域に居住し、本件疾病を発症又は増悪したと認められる患者原告ら又は死亡患者らは別紙「損害額表」の沿道原告ら名欄記載の患者原告ら又は死亡患者ら(以下単に「沿道原告ら」という。)のみであると認めるのが相当である(なお、本件道路から患者原告ら又は死亡患者らの居住地までの距離は、本件道路の道路端から集合住宅の場合には専有部分まで、それ以外の場合には敷地までとした。)。したがって、沿道原告ら以外の患者原告ら又は死亡患者らについては、その被害が受忍限度内であると認めるのが相当であるから、その余について判断するまでもなく、これらの患者原告ら及び死亡患者らの相続人である原告らの被告らに対する請求は理由がない。

三  大気汚染との因果関係

1 前記のとおり、沿道原告らは、昭和四四年以降、本件道路の沿道地域に居住して一般環境大気の中で生活し、本件道路からのものを含む多量かつ継続的な本件疾病の発症又は増悪の危険性のある複合した大気汚染を受けていたと認められるところ、大気汚染は本件疾病の発症又は増悪に影響を及ぼす大気汚染以外の因子と相まって本件疾病を誘発するなど大気汚染以外の因子がある場合にもその影響を否定することはできないというべきであるから、本件疾病の発症又は増悪に影響を及ぼす大気汚染以外の因子により発症又は増悪したとの反証がない限り、沿道原告らの本件疾病の発症又は増悪と本件道路の沿道地域における大気汚染の間に因果関係があると認めるのが相当である。

そして、本件において、沿道原告らについてはこのような反証はなく、沿道原告らの本件疾病の発症又は増悪と本件道路の沿道地域における大気汚染の間に因果関係があると認めるのが相当である。

2 これに対し、被告らは、患者原告ら又は死亡患者らの一部について、喫煙、アトピー素因等が原因であると疑われ、患者原告ら又は死亡患者らの本件疾病の発症又は増悪と大気汚染の間の因果関係はない旨主張するが、前記のとおり、大気汚染は本件疾病の発症又は増悪に影響を及ぼす大気汚染以外の因子と相まって本件疾病を誘発することもあることからすると、単なる大気汚染以外の因子による発症又は増悪の疑いがあることのみからその因果関係の存在を否定することはできず、被告らの主張・立証をもって、その因果関係の存在を覆すには足りないというべきである。

3 まとめ

したがって、沿道原告らは、本件道路の沿道地域における本件道路からのものを含む大気汚染により本件疾病を発症又は増悪したと認めるのが相当であるから、本件道路から本件地域へ大気汚染物質を排出している被告らは、沿道原告らに対し、国家賠償法二条一項の損害賠償責任を負うと解するのが相当である。

第二  患者原告ら又は死亡患者らの損害の範囲

一  補償給付

1 補償給付の状況

前記のとおり、救済法により医療費、医療手当及び介護手当が、公健法により療養給付・療養費、障害補償費、遺族補償費、遺族補償一時金、児童補償手当、療養手当及び葬祭料が、「大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則」により医療費が、「大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する規則」により医療費及び医療手当が、「川崎市公害病認定患者死亡見舞金支払要綱」により見舞金が、「川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例」により療養生活補助費、療養手当及び弔慰金が、「川崎市公害健康被害補償条例」により療養補償金、医療手当、遺族補償金その他の給付が、「川崎市公害健康被害補償事業のうちいわゆる過去分の補償に関する確認書」及び「財団法人川崎市公害対策協力財団公害健康被害補償事業実施要領」により補償一時金及び遺族補償金がそれぞれ指定疾病認定患者に給付されていると認められる。

2 補償給付の損益相殺

そして、これらの補償給付は、その性質からみて指定疾病認定患者の受けた被害を填補するものである点において、損害賠償と同一の事由の関係があり、その給付額により損害額を填補しているというべきであるから、その給付額を沿道原告らの損害額から損益相殺して控除すべきであると解するのが相当である(ただし慰藉料を除く。)。

3 給付額の推計方法

ところで、沿道原告らは、指定疾病認定患者としてこれらの補償給付を受けていると認められるが、原告らにおいて、損益相殺すべき補償給付の実際の給付額を明らかにしない事情の下にあっては、公表されている資料により推計される給付額に基づき、沿道原告らが受けた給付額を推計するのが合理的であり、その推計方法は以下のとおりである。

(一) 大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則に基づく医療費(乙九一〇の1、九一一の1)

医療費については、原告らに対する給付実額を示す公刊資料が存在しないので、川崎市の資料により昭和四四年度の認定患者一人当たりの平均給付額を算出すると、図表六二のとおりである。これに基づき、右規則上の認定を受けた原告らについて、その実施期間における給付額を推計した。

(二) 救済法に基づく給付

(1) 医療手当及び介護手当(乙九二二の1〜5)

公刊資料により認められる昭和四四年度から昭和四九年度までの間の医療手当(同法七条、八条、同法施行令四条、五条)及び介護手当(同法九条、同法施行令六条)の給付月額は図表六二のとおりであるから、原告らについての認定関係資料に基づき、その入通院日数を合理的に推定し、これらを基礎として医療手当を推計し、介護手当を受給し得る原告らについては、少なくとも最低額である月額金五〇〇〇円の介護手当を受給したものとして、その給付額を推計した。

(2) 医療費(乙九一〇の1、九一一の1)

右規則に基づく医療費の算出と同一の手法により川崎市の資料により救済法が実施された昭和四四年度から昭和四九年度までの間における各年度(四九年度については四月から八月まで)毎の認定患者一人当たりの医療費平均給付額を算出すると、図表六二のとおりであるので、これに基礎づき、患者原告らは又は死亡患者らに対する給付額を推計した。

(三) 大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する規則に基づく医療手当及び医療費(乙九〇二、九一四、丙三五九、三六〇)

その給付額の推定手法は、救済法と同一の手法を用い、医療手当(同規則一一条、一二条)については、川崎市の資料により認められる給付月額は図表六二のとおりであるので、認定関係資料により認められる入通院日数を基礎として原告らが受給した給付額を推計した。医療費については、認定患者一人当たりの平均給付額は救済法によると、図表六二のとおりであるので、これに基づき、原告らに対する給付額を推計した。

(四) 川崎市公害病認定患者死亡見舞金支払要綱見舞金について

原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(五) 川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例に基づく給付

(1) 療養生活補助費及び療養手当(乙九〇四、九一四)

同条例四条等及び川崎市の資料によると、一五歳以上の認定患者が受給し得る療養生活補助費の給付月額は図表六二のとおりであり、同条例五条及び川崎市の資料によると、一五歳未満の認定患者が受給できる療養手当の給付月額は同表のとおりであるから、認定関係資料等に基づき、原告らに対する給付額を推計した。

(2) 弔慰金

原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(六) 川崎市公害健康被害補償事業のうちいわゆる過去分の補償に関する確認書及び財団法人川崎市公害対策協力財団公害健康被害補償事業実施要領に基づく補償一時金及び遺族補償金(乙九〇七、九一二)

公刊資料によれば、昭和四五年一月一日〜昭和四九年八月三一日までの間に川崎市長の認定を受けた者のうち同日における生存者については、図表六二の補償一時金が、死亡者については図表六二の遺族補償金が支給されることとされている。認定関係資料に基づき、原告らの補償一時金の給付額を推計した。なお、遺族補償金については、原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(七) 公健法に基づく給付

(1) 障害補償費及び児童補償手当(乙九〇八の1〜18、九〇九の1〜34、丙三六一の1〜5、三六二の1〜6)

公刊資料に記載されている昭和四九年度から平成八年度までの間の障害補償給付基礎月額(同法二六条、同法施行令一条、環境庁告示)、児童補償手当給付月額(同法三九条、同法施行令二〇条)は図表六二のとおりであり、特級患者については、図表六二のとおり、介護加算月額(同法二六条、三九条、同法施行令一一条)が合算支給されることとされているので、認定関係資料に基づき、昭和四九年九月一日から平成八年三月末日までの間の患者原告ら又は死亡患者らに対するこれらの給付の額を推計した。

(2) 遺族補償費及び遺族補償一時金(乙九〇八の1〜18、丙三六一の1〜5)

公刊資料に記載されている昭和四九年度から平成八年度までの間の遺族補償標準給付基礎月額(同法三一条、同法施行令一七条、環境庁告示)は図表六二のとおりであり、遺族補償一時金は遺族補償費の給付基礎月額に相当する額に公健法施行令で定める月数を乗じて算出されるが、原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(3) 葬祭料(乙九〇九の1〜34、丙三六二の1、2、6)

公刊資料に記載されている昭和四九年度から平成八年度までの間の葬祭料給付額(同法四一条、同法施行令二四条)は図表六二のとおりであるが、原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(4) 療養手当(乙九〇九の1〜34、丙三六二の1〜5)

公刊資料に記載されている昭和四九年九月一日から平成八年三月末日までの間の療養手当(同法四〇条、同法施行令二三条)の給付月額は図表六二のとおりであるから、認定関係資料に記載されている入通院日数に基づき、受給できる原告らについて給付額を推計した。

(5) 医療費(乙九一〇の1〜14、九一一の1〜3、丙三六三の1〜5)

医療費(同法一九条、二四条)については、川崎市の資料により各年度別の川崎市全域における認定患者一人当たりの平均受給額を算出すると、図表六二のとおりである。これに基づき、患者原告ら又は死亡患者らに対する昭和四九年度ないし平成八年度の給付額を推計した。

(八) 川崎市公害健康被害補償条例に基づく給付

(1) 医療費、障害補償費、児童補償手当、療養手当及び葬祭料(乙九〇五)

医療費、障害補償費、児童補償手当、療養手当については、公健法の例によることとされている(附則七項)ので、その推計方法は公健法と同様である。なお、葬祭料については、原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

(2) 療養補償金

同条例四条によると、認定患者が極めて軽症のために公健法の障害等級を受けられず、障害補償費又は児童補償手当を受給することができないときに月額金四〇〇〇円の療養補償金が支給されるので、認定関係資料記載の等級外認定に基づき、患者原告ら又は死亡患者らの給付額を推計した。

(3) 医療手当

同条例五条によると、公健法による療養手当を受給できない場合において、入通院日数が一月で二日又は三日である場合に月額四〇〇〇円の医療手当を受給できるとされているので、認定関係資料記載の入通院日数に基づき、受給できる患者原告ら又は死亡患者らについて、給付額を推計した。

(4) 遺族補償年金

原告らの給付額を算出する資料がないので、計上することができない。

4 実際の給付額

そして、その推計によると、沿道原告らは、図表六三のとおり、補償給付を支給されていると認めるのが相当である。

二  損害額の算定

1 包括請求

沿道原告らは、沿道原告らが本件疾病を発症又は増悪した時点から本件口頭弁論終結時(死亡者については死亡時)までに受けた社会的、経済的及び精神的被害の全体を包括するものを損害として捉え、公健法等の行政上の給付額を控除した損害額を内金として、死亡者、特級患者が金三〇〇〇万円、一級患者、二級患者が金二〇〇〇万円、三級患者が金一五〇〇万円(未成年者については、それぞれの等級の前記請求額から一律金五〇〇万円を減額した額)を請求するが(包括請求方式)、その実質は財産的損害(積極損害及び消極損害)、精神的損害及びその複合した損害であり、このような損害を具体的に算定することができない部分については、これを慰藉料として算定することができると解するのが相当である。

2 損害額の減額

ところで、沿道原告らの損害額について、大気汚染物質以外で本件疾病の発症又は増悪に関与している因子がある場合には公平の観点からその寄与割合で損害額が減額される場合があると解するのが相当である。

そして、前記のとおり、本件疾病の発症又は増悪に関与する主な因子は、喫煙、受動喫煙、職業性暴露、室内汚染、加齢及びアトピー素因であるところ、喫煙以外の因子については、いずれも生活上やむを得ない事情又は生来的・自然的な事情であり、これらを回避することは不可能又は困難であるから、これを考慮しないことが公平を著しく害するということはできず、これらの寄与割合による損害額の減額を考慮することはできないが、喫煙については、喫煙者の自由意思によるものである上、健康上の好ましくない影響があることは従来から知られていたというべきであるから、その喫煙の程度に従った寄与割合による損害額の減額を考慮すべきであると解するのが相当である(これを考慮した沿道原告については、その旨を別冊「個人票」に記載した。)。

3 沿道原告らの損害額

(一) 損害額の算定

そして、前記のとおり、患者原告ら又は死亡患者らに前記補償給付が支給されているところ、その趣旨からすると、救済法による医療費、医療手当及び介護手当、公健法による療養給付・療養費及び療養手当、「大気汚染による健康被害の救済措置に関する規則」による医療費、「大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する規則」による医療費及び医療手当、「川崎市公害健康被害補償条例」による医療手当、療養給付・療養費及び療養手当はおおむね治療費、介護料及び入通院雑費に相当する性質、内容を、公健法による葬祭料、「川崎市公害病認定患者死亡見舞金支払要綱」による見舞金、「川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例」による弔慰金、「川崎市公害健康被害補償条例」による葬祭料はおおむね葬儀費用に相当する性質、内容を、公健法による障害補償費、遺族補償費、遺族補償一時金及び児童補償手当、「川崎市公害病認定患者療養生活補助費等助成条例」による療養生活補助費及び療養手当、「川崎市公害健康被害補償条例」による療養補償金、遺族補償金、障害補償費及び児童補償手当、「川崎市公害健康被害補償事業のうちいわゆる過去分の補償に関する確認書」及び「財団法人川崎市公害対策協力財団公害健康被害補償事業実施要領」による補償一時金及び遺族補償金はおおむね生存者又は死亡者の休業損害及び逸失利益に相当する性質、内容をそれぞれ有すると解するのが相当である。

ところで、前記のとおり、公健法上の認定手続による指定疾病の認定は信頼性が高く、これに基づく認定患者に対する給付決定もその実情を十分考慮したものというべきであるから、被害内容の類似性や個々の被害の把握の困難性から類型的な被害の把握もやむを得ないことも考慮し、沿道原告らについて、少なくとも前記補償給付に相当する被害が発生し、逸失利益以外については、前記補償給付に見合う損害が発生したとして損害額を算定するのが相当である。そして、前記のとおり、公健法による補償給付は平均賃金の八〇%を基準額としているから、これに残りの二〇%を加えた額をもって、逸失利益であると解するのが相当である。

したがって、以上を合計した額が沿道原告らが最低限受けた財産的損害であると解するのが相当である。

(二) 補償給付の損益相殺

前記のとおり、補償給付は沿道原告らの損害額から損益相殺して控除されると解するのが相当であるところ、右補償給付は沿道原告らの財産的損害と見合うものであるから、その損益相殺により沿道原告らの財産的損害は、公健法が実施される以前の逸失利益及びその後の逸失利益の二〇%を除き、おおむね填補されたと解するのが相当である。したがって、沿道原告らの損害については、公健法が実施される以前の逸失利益及びその後の逸失利益の二〇%という財産的損害及び精神的損害が残ることになるが、その財産的損害を具体的に算定できる立証がない以上、これを精神的損害の算定の際に考慮すべき事情として加味して慰藉料を算定すれば足りると解するのが相当である。

なお、前記のとおり、喫煙者については、損害額を減額すべきであり、また、公健法上の認定時において、既に逸失利益のない者又はその少ない者も存在し、補償給付の給付額がこれらの者の財産的損害を上回る可能性があるが、前記のとおり、財産的損害に相当する補償給付は財産的損害を填補する性質を有するにすぎず、精神的損害を填補する性質を有しないから、これが損益相殺による慰藉料から控除されると解することはできず、慰藉料は別途算定されると解するのが相当である。

(三) 慰藉料の算定

以上のとおり、沿道原告らについて、その損害額として前記事情を加味した慰藉料を算定すべきところ、その被害内容の類似性や個々の被害の把握の困難性からみてある程度類型化した算定もやむを得ないから、沿道原告らの認定関係についての等級や期間(認定時から口頭弁論終結時又は死亡患者については死亡時までの間)及び収入に関係する年齢的要素を中心として、その他に居住歴、発症時期、認定関係、職歴、症状の程度、入通院歴、死亡原因等の諸事情を総合考慮して財産的要素を加味した慰藉料を算定するのが相当である。なお、前記のとおり、喫煙者については、その減額を考慮するのが相当である。

(四) 沿道原告らの損害額

以上にしたがって、沿道原告らの損害額すなわち慰藉料を算定すると、その損害額は別紙「損害額表」の損害額欄記載のとおりであると認めるのが相当である。そして、最終的な損害額の算定の基準時は口頭弁論終結時又は死亡日となるから、遅延損害金の起算日も口頭弁論終結日(平成九年一〇月二三日)又は各死亡患者の死亡日(ただし、死亡日が訴状到達日の翌日以前の場合は訴状送達日)と解するのが相当である。

三  被告らの分割責任

1 被告らの寄与割合

前記のとおり、昭和四四年ころ以降の本件道路の道路端から五〇mまでの沿道地域における大気汚染は、本件道路その他の発生源から排出された大気汚染物質により発生しているところ、本件道路からの排出により本件道路沿道の大気汚染濃度は一般環境大気より高いと認められるから、本件道路のその沿道地域に対する大気汚染物質濃度の寄与率をもって、沿道原告らの被害に対する寄与割合であると認め、他の大気汚染物質の発生源がある場合、公平の観点から沿道原告らに対する損害賠償責任はその寄与割合で分割され、被告らはその寄与割合の限度でその責任を負うと解するのが相当である。

ところで、本件道路の沿道地域における寄与率は前記のとおりであるところ、本件道路から排出された大気汚染物質のうち昭和五〇年ころ以降の浮遊粒子状物質及び二酸化硫黄については、二酸化窒素との相加的作用により本件疾病を発症又は増悪させる危険性があると認められるものの、その影響の程度については不明であり、これらを総合した寄与度を算定するのは困難であるから、昭和五〇年ころ以降は単体で健康被害へ影響を及ぼす濃度で大気汚染物質の中心となっていた二酸化窒素の沿道地域に対する本件道路の寄与率約四五%をもって、昭和四四年ころから昭和四九年ころまでの間はいずれも単体で健康被害へ影響を及ぼす濃度で相加的に作用していた二酸化窒素の寄与率約四五%と二酸化硫黄の寄与率約一〇%を平均した沿道地域に対する本件道路の寄与率約二七%をもって、被告らの寄与割合であると解するのが相当である。

2 したがって、被告らは、昭和四四年ころから昭和四九年ころまでの間に本件疾病を発症又は増悪したと認められる沿道原告らに対し、寄与割合二七%の限度で、昭和五〇年ころ以降に本件疾病を発症又は増悪したと認められる沿道原告らに対し、寄与割合四五%の限度で、別紙「損害額表」の負担額欄記載のとおり、前記損害額を分割した額を賠償する責任を負うと解するのが相当である。

そして、弁護士費用も、別紙「損害額表」の弁護士費用欄記載のとおり、前記負担額の一〇%が相当因果関係のある損害であると解するのが相当であるから、これを前記負担額に合計すると、被告らが責任を負う損害額は別紙「損害額表」の認容額欄記載のとおりであると解するのが相当である。

四  和解金(解決金)の弁済又は損益相殺

1 被告らと共同被告となっていた日本鋼管株式会社外一二社と原告らが、平成八年一二月二五日、右各企業が原告らに解決金二二億五〇〇〇万円を一括して平成九年一月末日限り支払うなどを内容とする訴訟上の和解を成立させた事実は当裁判所に顕著な事実であるところ、被告らは、前記解決金が損害の填補であるとして、右各企業と不真正連帯債務を負う場合には原告らに対する弁済であり、また、単独で債務を負う場合には損益相殺により損害額から控除されるべきである旨主張する。

2 しかし、前記のとおり、被告らの沿道原告らに対する損害賠償責任はその寄与割合の限度で分割されると解するのが相当であり、右各企業と被告らが不真正連帯債務を負うと解することはできない。そして、右各企業と原告らの間に成立した前記和解の趣旨及び内容からすると、前記和解はもっぱら原告らの右各企業に対する損害賠償請求に関するものであり、原告らの被告らに対する損害賠償請求に関するものとはいえないから、前記解決金は被告らが責任を負うべき損害の弁済又はその填補を目的としたものということはできない。したがって、前記解決金を弁済と解することや損害の填補として損益相殺すべきものとも解することはできず、被告らの主張は採用することができない。

五  まとめ

したがって、沿道原告ら本人又はその相続人である前記「認容額一覧」の「原告名」欄記載の原告らは、被告らに対し、連帯して、「認容額」欄記載の損害賠償金及びこれに対する「遅延損害金起算日」欄記載の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができると解するのが相当である(なお、相続人である原告らについては、その相続分に従った額となる。)。

第一三章  差止請求

第一  差止請求の適法性

一  当事者の請求等

1 原告らの請求

別紙「差止原告目録」記載の原告ら(以下「差止原告ら」という。)は、被告らに対し、本件道路を自動車の走行の用に供することにより、右原告らの居住地において、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質について、一定の数値を超える汚染となる排出をしてはならない旨のいわゆる抽象的差止めを求める。

2 被告らの本案前の主張

これに対し、被告らは、本案前の主張として、右差止請求は侵害結果を発生させないことを求めるにすぎず、被告らのすべきでない作為を特定していないこと、右差止請求の実質は一定の数値以下にするための作為を求めるものであるが、多数の方法のうちの具体的方法が特定されず、被告らのどのような作為を求めるのが不明であること、右差止請求は裁判所における審理の対象、範囲を不明確にし、適正、迅速な審理判断が困難となること、右差止請求は強制執行が可能な程度に一義的に特定されておらず、執行方法等をめぐり混乱が発生することから右差止請求の程度では請求が特定されていず、また、大気汚染物質による汚染状態は刻々変化し、捕捉することが極めて困難であること、特定の発生源から排出された物質とその他の発生源から排出された物質を区別する手段がないことから被告ら及び執行裁判所が本件道路からの大気汚染物質を測定、把握することは極めて困難であり、右差止請求は不適法で却下されるべきである旨主張する。

二  適法性の判断

1  差止原告らの差止請求においては、被告らのすべきでない作為は一定の数値を超える汚染となる大気汚染物質の排出をしてはならないというものであり、右作為が少なくとも測定方法により把握可能な数値をもって、一応特定されていると解するのが相当である(不作為命令により禁止されるべき全ての将来の侵害行為を予測して特定することを原告らに要求することは無理であり、現実に切迫している具体的侵害行為の結果を捉えて、その結果との関係で特定することで原告らの請求の特定としては足りると解する。)。そして、いかなる方法を採って大気汚染物質を一定の数値以下とするかについては、確かに道路の供用の停止・廃止、走行制限等の交通規制、トンネル化、植樹帯の設置等多数の方法が考えられるけれども、被告らは科学的・専門的な知識や情報に基づき、その方法を総合的に選択できる立場にあり、大気汚染物質を一定の数値以下にするためにいかなる作為をすべきかを判断することがおよそ不可能であるということはできず、この場合、被告らにおいて、多数の方法の中から有効と考えられる一つ又は複数の方法を選択して実施すれば足りると解すべきであるから、大気汚染物質を一定の数値以下にする方法が具体的に特定されていないからといって、被告らにおいて、大気汚染物質を一定の数値以下とすることが実現不可能というわけではない。

また、実際に大気汚染物質の測定が実施され、大気拡散シミュレーション、距離減衰調査等が実施されている現在の技術水準からすると、大気汚染物質の数値を測定することや発生源を特定することが必ずしも不可能ではないから、被告ら及び執行裁判所において、大気汚染物質の数値を測定、把握することがおよそ不可能であるということはできない。

さらに、継続的な侵害行為による被害発生が現に継続して認められる場合におけるこのような差止請求の強制執行方法については、有効と考えられる一つ又は複数の方法を債務者が任意に選択し、その実施を図るべきであるから、まず間接強制をして債務者にその機会を与え、これが功を奏しない場合に将来のための適当な処分又は代替執行の方法を採ることも許されるべきであると解する。

以上からすると、原告らの差止請求が特定を欠き不適法ということもできず、また、その強制執行がおよそ不可能であり不適法であるということもできない。

2  したがって、原告らの差止請求は、請求として特定され、その実現も可能であるから適法であると解するのが相当であり、被告らの本案前の主張は採用することができない。

第二  差止請求の本案の可否

一  差止基準の相当性

原告らは、二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の環境基準(二酸化窒素については旧環境基準)をもって差止基準とし、これを超える数値の排出の差止めを求めている。しかし、前記のとおり、二酸化窒素については、新環境基準が設定されているところ、これ以上に旧環境基準が相当であることを認めるに足りる証拠はない。また、環境基準はある程度の安全を見込んで設定されているから、その値を超えると直ちに健康影響が発生するものでもない。したがって、環境基準を差止基準とすることに合理性を認めることができない。

二  差止めの必要性

1 前記のとおり、被告らにおいて、原告らの請求する差止めを実現するための方法は多数あり、その中には道路の廃止まで含まれるから、差止めの必要性は実現方法の多様性を踏まえて、その有効性とともにこれがもたらす効果について慎重に判断せざるを得ない。

2 前記のとおり、各本件道路の道路端から五〇m以内の沿道地域以外の地域に居住する差止原告らについては、そもそも本件道路からの大気汚染物質の排出による被害も受忍限度内であり、その余について判断するまでもなく、その差止請求は理由がない。

また、各本件道路の道路端から五〇m以内の沿道地域に居住する差止原告らについても、前記のとおり、本件道路からの大気汚染物質の排出はその量や濃度が多く、本件疾病を発症又は増悪させる危険性があると認められるものの、必ずしも沿道地域に居住する住民の全て又は大多数が本件疾病を発症又は増悪しているとは認められないこと、沿道地域における患者数が他の本件地域と比較して著しく多いとも認められないことからすると、本件道路からの大気汚染物質の排出の危険性は差し迫ったものではなく、本件道路の有する公共性を犠牲にしてまでも本件道路からの大気汚染物質の排出を差し止めるべき緊急性があると認めることはできず、その他に右緊急性を認めるに足りる証拠もないから、各本件道路の道路端から五〇m以内の沿道地域に居住する差止原告らの差止めの必要性を認めることはできない。

三  まとめ

したがって、差止原告らの主張は差止基準について合理性を欠き、差止めの必要性も認め難いから、差止原告らの差止請求は理由がない。

第一四章  結語

よって、原告らの被告らに対する損害賠償請求は以上の限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について、民事訴訟法六一条、六四条本文を適用し、なお右認容部分の仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小川克介 裁判官福島節男 裁判官河本寿一)

別紙

損害額表

(単位:円)

沿道原告ら名

損害額

負担額

弁護士費用

認容額

(二次訴訟)

田中久子

12,110,000

3,269,700

326,970

3,596,670

福田金太郎

4,860,000

1,312,200

131,220

1,443,420

井上義雄

3,960,000

1,069,200

106,920

1,176,120

池上幸一

2,860,000

1,287,000

128,700

1,415,700

大山ツル子

5,709,000

2,569,050

256,905

2,825,955

古川日出夫

8,052,000

3,623,400

362,340

3,985,740

髙坂秀

10,011,000

2,702,970

270,297

2,973,267

齋藤錬太郎

12,615,000

5,676,750

567,675

6,244,425

伊藤廣

4,708,000

1,271,160

127,116

1,398,276

水田節子

7,920,000

3,564,000

356,400

3,920,400

森島ヨシ

13,200,000

3,564,000

356,400

3,920,400

塩崎雪子

13,432,000

6,044,400

604,440

6,648,840

秋元セキ子

6,380,000

1,722,600

172,260

1,894,860

(三次訴訟)

金末南

2,365,000

1,064,250

106,425

1,170,675

多木芳子

5,868,000

2,640,600

264,060

2,904,660

粕加屋サチ子

5,973,000

2,687,850

268,785

2,956,635

小野寺教子

11,462,000

5,157,900

515,790

5,673,690

中島美惠子

9,876,000

2,666,520

266,652

2,933,172

小野タミ

7,173,000

1,936,710

193,671

2,130,381

五十嵐シゲ

13,917,000

3,757,590

375,759

4,133,349

内田信子

9,675,000

4,353,750

435,375

4,789,125

土田ヨシエ

17,435,000

4,707,450

470,745

5,178,195

十河タツ

10,695,000

4,812,750

481,275

5,294,025

倭文ヨシ

9,440,000

2,548,800

254,880

2,803,680

山田ふさ

12,930,000

5,818,500

581,850

6,400,350

孔福順

10,024,000

4,510,800

451,080

4,961,880

千金岳

12,580,000

3,396,600

339,660

3,736,260

朝倉志津子

7,524,000

3,385,800

338,580

3,724,380

寺坂森盈

3,795,000

1,707,750

170,775

1,878,525

(四次訴訟)

太田トシ江

8,844,000

3,979,800

397,980

4,377,780

大野喜代寿

4,050,000

1,822,500

182,250

2,004,750

早瀬紀大

8,899,000

4,004,550

400,455

4,405,005

佐藤阿つ子

5,640,000

2,538,000

253,800

2,791,800

鈴木ヤエ子

9,507,000

2,566,890

256,689

2,823,579

加覧軍吉

5,225,000

2,351,250

235,125

2,586,375

館野あきえ

2,746,000

1,235,700

123,570

1,359,270

金子千代

1,620,000

729,000

72,900

801,900

仲澤忠

3,880,800

1,746,360

174,636

1,920,996

佐藤志津子

3,597,000

1,618,650

161,865

1,780,515

土屋ツル

6,545,000

2,945,250

294,525

3,239,775

金福仙

10,408,000

4,683,600

468,360

5,151,960

申載分

14,745,000

3,981,150

398,115

4,379,265

深澤登羊子

3,850,000

1,732,500

173,250

1,905,750

浅川壽々代

4,158,000

1,122,660

112,266

1,234,926

油井きみ

3,420,000

1,539,000

153,900

1,692,900

曺徳順

15,314,000

4,134,780

413,478

4,548,258

別紙

道路一覧表

設置・管理者

道路名

起点・経由地・終点

本件地域内の幅員・実延長

イ 国道一号線

(第二京浜国道)

東京都中央区を起点、大阪市を終点とし、本件地域内では幸区小向仲野町から同区柳町を経由する。

二三メートル・

三〇八七メートル

ロ 国道一五号線

(第一京浜国道)

東京都中央区を起点、横浜市を終点とし、本件地域内では川崎区本町二丁目から同区池田一丁目を経由する。

19.5~50メートル・

二六七〇メートル

ハ 国道一三二号線

川崎港千鳥橋詰を起点とし川崎区宮前町を終点とする。

二五~五〇メートル・

四五六二メートル

ニ 国道四〇九号線

川崎市を起点、木更津市を経由地として、成田市を終点とする。本件地域内では幸区鹿島田から川崎区浮島町を経由する。

八~三一メートル・

一二八七〇メートル

首都高速道路公団

ホ 高速横浜羽田

空港線(横羽線)

横浜市中区を起点、東京都大田区羽田旭町を終点とし、本件地域内では川崎区浅田四丁目から同区殿町一丁目を経由する。

16.5メートル・

六五六〇メートル

別紙差止原告目録<省略>

別紙請求金額目録<省略>

別冊個人票<省略>

図表<省略>

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