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横浜家庭裁判所 平成4年(家)233号 審判 1992年7月08日

申立人 長野晶代

主文

申立人の氏『長野』を『山口』に変更することを許可する。

理由

1  申立ての要旨

(一)  申立人は明治40年10月18日、父長野勝利、母しのの4女として、千葉県に生まれ、昭和3年頃上京し、実の姉夫婦である山口仁一、みよ方に身を寄せた。

(二)  ところが、申立人は山口仁一と男女関係が生じ、昭和3年6月1日に仁一との間の子である文男を出産した。文男出生後、申立人は一時、千葉の実家に帰ったが、結局、半年後に仁一に呼び戻され、姉と別居した仁一と横浜市中区○○町で同居生活を始め、爾来、仁一が死亡する昭和46年2月26日までの間、事実上の夫婦として、同居生活を継続していたものである。したがって、みよは仁一の死亡まで、仁一とは別居のままで経過し、この間に仁一から離婚を申し出たが、みよがこれに応じなかったものである。なお、みよは昭和55年8月18日に死亡した。

(三)  ところで、申立人は仁一との間に前記の文男のほか、静子(昭和6年3月25日生)、義巳(昭和8年3月10日生)、忠夫(昭和8年3月10日)、恵子(昭和11年3月31日生)、政治(昭和12年2月13日生)、昇(昭和15年5月13日生)、登志江(昭和18年3月9日生)及び智子(昭和21年11月9日生)の5男4女をもうけたが、非嫡出子にしたくないとの仁一の意向で、いずれも仁一とみよ間の子として出生届が出され、戸籍上、同人ら間の嫡出子として記載されている。

(四)  仁一は公私共に申立人を妻として遇し、申立人も妻としての立場で仁一を助け、子供らとの家庭を守ってきたため、周囲も申立人を仁一の妻と認め、また、子供らも申立人と仁一を正式な夫婦と信じて育っていたが、就職等で戸籍謄本を見て、初めて申立人らが事実上の夫婦であることを知る状況にあった。

(五)  以上の次第で、申立人は仁一との同居以降、同人の氏である『山口』の姓を名乗り、『山口晶代』として生活して現在に至っている。

(六)  申立人は60年もの長きに亙り『山口』の姓を使用し、周囲からも『山口晶代』として認められているところ、戸籍上の氏が『長野』であるため、社会生活上不便を感じている。

(七)  よって、申立人の氏『長野』を『山口』に変更することの許可を求める。

2  当裁判所の判断

本件記録によれば、上記の申立ての要旨にかかる各事実すべて認めることができる。要するに本件は重婚的内縁関係にあった申立人が自己の氏を永年に亙り通称として使用してきた事実上の夫の姓に変更したいというものであるが、このような場合、考慮されなければならないことは、婚姻関係法規秩序の維持といわゆる本妻並びにその親族の感情と解される。これを本件について考えると、上記のとおりすでに婚姻の当事者である仁一及びみよの死亡後10年以上も経過しており、かつ、もともとみよと申立人は実の姉妹であるから、重婚的内縁関係といっても、通常の場合と異なる心情にあったものと推認でき、上記のとおり申立人と仁一間の子らがすべてみよ間の嫡出子として戸籍上記載されたことは、婚姻関係法規秩序に著しく反するものというほかないが、一面、そのような記載が維持されて現在に至っていることは、みよもこれを容認していたものと推認でき、また、本件記録によれば、仁一とみよ間の子らはいずれも本件申立てをやむを得ないものと受け止めていることも認められる。

以上によれば、現時点では婚姻関係法規秩序の維持等を考慮する必要は認められず、一方、申立人が日常使用している姓と戸籍上の氏とが異なることにより、社会生活上多大の不便を被っていることは明らかであるから、本件申立ては戸籍法107条1項にいう『やむを得ない事由』に該当すると解するのが相当である。

よって、本件申立てを相当として認容し、主文のとおり審判する。

(家事審判官 東原清彦)

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