横浜家庭裁判所 平成5年(家)205号・平5年(家)206号・平5年(家)207号
主文
1 未成年者はる、同一郎の親権者は相手方、監護者は申立人と定める。
2 未成年者なつの親権者は申立人と定める。
理由
1 申立の趣旨
申立人は、未成年者三名の親権者を申立人と指定する旨の審判を求めた。
2 本件申立の経緯
申立人は、平成3年8月23日相手方に対し夫婦関係調整調停事件(当庁平成×年(家イ)第×××号)を申立て、同事件について10回の調停期日が持たれたが、未成年者らの親権者指定について合意が成立しないものの、当事者双方共に離婚訴訟を避け、家庭裁判所の手続によって結論を得たいとの意向が一致したため、平成5年1月22日「申立人と相手方とは離婚する。未成年者らの親権者指定については審判によって定める。」旨の調停が成立し、本件が申立てられた。
3 前記夫婦関係調整事件における家庭裁判所調査官○○○○○の調査報告書、その他同事件記録、及び本件記録、同調停事件の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(1) 申立人と相手方とは、昭和58年2月6日婚姻して、両名間に昭和59年6月26日未成年者長女はる(以下はるという。)、昭和61年3月29日未成年者長男一郎(以下一郎という。)、平成元年10月12日未成年者二女なつ(以下なつという。)が生まれた。
(2) 相手方は、○○大学理工学部機械工学科を卒業後株式会社××に入社し、現在は同社の生産技術研究所に勤務している。
申立人は、○○短期大学を卒業後×××に勤務したが、相手方との結婚と同時に退職して専業主婦となった。
申立人と相手方とは、婚姻後社宅に居住して多少のトラブルをしながらも前記のとおりはるが生まれ、昭和61年2月には相手方の肩書住所である自宅を取得して、前記のとおり一郎が生まれたが、同年1月から申立人が切迫流産となって入院したため、はるは相手方の実家に預けられ、申立人の産後の再入院などのため同年5月の連休まで相手方の両親によって育てられた。申立人が退院した後一家での生活が始まったが、申立人は一郎の世話に追われ、疲労感も強い時期にはるが申立人になつかないことにいらだち、ささいなことで相手方に当たり、相手方も申立人の感情的言動を理解しないで自説を押し付ける傾向があり、申立人は次第に相手方と精神的に距離を持つようになった。
(3) 平成元年4月はると一郎は、幼稚園に入園したが、二人とも幼稚園に行きたがらないことがあった。そうして、申立人は同年7月切迫流産のため入院しその後も入退院をしたため、はると一郎は両方の実家に預けられ、休日は相手方が自宅に引き取って世話をした。なつが出生時、陣痛促進剤の投与をめぐって申立人と相手方との間に意見が対立し、申立人がヒステリックになったため、相手方は申立人の出産を控えたデリケートな神経を思いやらないで、申立人を殴打してしまった。
その後、相手方は申立人の手伝いをするためできるだけ早く帰宅して家事、子供の世話を手伝ったが、これがかえって申立人にはストレスのもとになり、相手方は手伝いをするのに申立人から文句をいわれると受け取り、互いに感情的に口論することが多くなって行った。
(4) 平成2年後半ころから、一郎の登園拒否が激しくなり、申立人は幼稚園の送り迎えを個別にして努力したが、集団登園を方針とする幼稚園であったため、友達の母親から養育態度を非難されたりして、申立人も他の母親を敬遠する傾向があった。申立人は悩んで相手方に相談したが、相手方は申立人の悩みを理解しないで批判的対応をするのみで、一郎の登園拒否は改善されなかった。
平成3年4月はるは小学校に入学し、5月には家族旅行をしたが、相手方の運転する自動車の中で夫婦の激しい口論となった。その後、一郎は下痢、嘔吐などの症状がでたため、○○○○精神科に通院して平成4年3月まで治療を受け、その間申立人と相手方も月1、2回医師の面接を受けた。
申立人は、一郎の登園拒否は相手方が本人を蹴飛ばしたこと、幼稚園の担任の不用意な言葉、家族旅行の際の夫婦喧嘩などが原因であると思い、相手方は申立人が集団登園の母親達を敬遠して適応できなかったことが、一郎に影響したと思っている。
(5) 平成3年7月18日、申立人の自動車運転の練習に相手方が同乗して教えていたところ、申立人がカーブでスピードを出したため、相手方が危険を感じて申立人を殴打してしまった。申立人は、この相手方の暴力によって決定的なショックを受け、翌19日子供達三人を連れて実家に帰った。それ以来申立人と相手方との別居生活が始まり、申立人は8月23日離婚の決意をして前記離婚の調停を申立てた。
(6) 申立人は、実家で物心両面の世話になり、相手方から送金される月額15万円(年末には10万円加算)によって生活し、両親、兄、その配偶者、2人の子供と共に肩書住所(二世帯用住宅)で心身共に安定した生活を送っている。申立人は離婚後の自活のためにワープロ教室に行きながら、未成年者らと兄の子供の世話を実母らと共にしている。
(7) はるは、○○市立○○小学校2学年に、一郎は同小学校1学年に、それぞれ在学して、はるは1学期は腹痛を訴え保健室で休むこともあり、やや問題が感じられたが、学校でも次第に積極的になり学校生活にも適応して明るく素直な子供であると評価されている。一郎は、入学以来病気欠席1日で遅刻無しで心身共に発育良好であり、良く気が付き、頑張る性格と評価されている。
前記調査官が家庭訪問した際にも、なつは申立人に伸び伸びと甘え、はる、一郎の二人は調査官に自分らの写真や答案などを見せ、楽しそうに家の中を案内したり、申立人には学校の出来事を競って話しかけていた。
相手方と未成年者らは、別居後月1回(1泊2日)、夏休みは約2週間、冬休みには3日程度の面接交渉が行われ、一郎は相手方が迎えに行くと屈託なく喜々として出迎え、はるも申立人に気遺うものの父親との交流を楽しみにしている。なつも、平成4年夏以来姉兄と共に相手方方に泊まり楽しんでいる。相手方は、面接交渉の際には旅行をしたりしながら一生懸命世話をしている。
(8) 申立人は、前記調停において、相手方の性格に偏りがあるので自分が親権者になることを希望し、そのためには面接交渉、養育費について譲渡する旨を述べていた。
相手方も、未成年者らに対する親権、監護権を主張し、申立人は視野が狭く、社会性、経済力も乏しいので親権を委ねるのは不安であると述べた。相手方は、未成年者らを引き取った場合には、できるだけ在宅勤務時間を多くして家政婦を雇う予定にしている。特に、未成年者らの財産管理については、未成年者らが相当の財産を相手方の父から贈与されており、将来も未成年者らのために贈与が予定されているので、財産管理については相手方のほうが的確に処理できると述べている。
4 以上の認定事実によって未成年者らの親権者について判断する。
未成年者らは、現状では安定しているが、特に、はると一郎とは幼稚園の登園拒否などの問題があり、この原因について申立人、相手方共に相手の責任であるとする他罰的傾向があり、申立人はこれを被害的に受け止め不安定になり、互いに不信感を解決することができないまま離婚するに至ったものであるが、このような両親の度重なる激しい口論などの家庭内の不和は、未成年者らの拒否反応と無関係ではなかったということができる。未成年者らの現状は、申立人の監護によって安定した状況が生活全般について認められ、はる、一郎は学校、近隣の友達関係も積極的になりつつあり、申立人の実家の家族も申立人に協力的であり、家庭内の対人関係に問題は認められない。相手方の未成年者らに対する監護状況も、未成年者らの出生以来育児すべてに関心も強く、別居後の養育費の負担、面接交渉など積極的に子育ての責任を果したものということができる。しかしながら、未成年者らの現状を考えると、相手方が未成年者らを引き取った場合、現状以上の監護が可能であるかどうか疑問であるといわざるを得ない。相手方は父親として懸命な努力をするであろうことは考えられるが、未成年者らが過去において比較的神経質であったことを考えるならば、敢えて問題が認められない現状を変えることは、未成年者らの福祉に反するものといわなければならない。そうだとすれば、申立人を未成年者らの監護者と指定し、監護養育させることが望ましいものということができる。但し、未成年者らの親権者については、未成年者らの年齢を考慮して年長であるはる、一郎の親権者は相手方と定め、年少のなつの親権者は申立人と定めるのが相当である。すなわち、未成年者らの人格形成の観点から検討すると、特に年長のはる、一郎と相手方との従来の情緒的関係を見ると、相手方の関与が不可欠であると考えられる。相手方には多少一方的で強引な傾向があるとしても、相手方のこれまでに果した父親としての未成年者らに対する責任感、愛情は他をもって代替できないものということができ、これを継続させることが未成年者らの福祉に沿うものということができる。父母の離婚によって単独親権者となることはやむを得ないことであるが、未成年者らの健全な人格形成のために父母が協力することが可能である場合には、協力関係が形成されることが望ましいことはいうまでもなく、幸いに本件においては、申立人と相手方とは、未成年者らの養育全般について、その福祉に沿うように配慮し努力することができる能力を有するものと認められる。
以上の次第であるから、はる及び一郎の親権者は相手方、なつの親権者は申立人と定め、未成年者らの監護者はいづれも申立人と定めることとする。
よって主文のとおり審判する。