大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜家庭裁判所 昭和37年(家)2984号 審判 1963年1月16日

申立人 山木正利(仮名) 外一名

主文

一  被相続人亡林幸彦の相続財産である神奈川県藤沢市鵠沼字中藤ケ谷○○○○番○○

宅地二一六坪

及び神奈川県藤沢市鵠沼字中藤ケ谷○○○○番○○

宅地五四〇坪

をいずれも申立人山木正利及び同中村実に共有持分各二分の一宛として与える。

二  上記相続財産である神奈川県藤沢市鵠沼字下藤ケ谷○○○○番の○○所在家屋番号第五九三番の二号木造瓦葺平家建坪二九坪四合一勺及び附属建物木造瓦葺平家物置建坪四坪を申立人中村実に与える。

三  上記相続財産である電話加入権(日本電信電話公社藤沢電報電話局登録番号藤沢局(2)三六八五番)を申立人中村実に与える。

理由

申立人等は主文同旨の審判を求め、その実情として、

一  申立人山木正利は、山木新平と同フミの四男として明治四一年一一月六日出生した。フミの妹テツが被相続人の妻である。なお、フミは山木照一と同スミの養女で、新平は同人等と明治三二年五月二五日婿養子縁組婚姻をしたものである。テツは、実家の母中村リツの生家に預けられたが、間もなく照一とスミに引き取られ同人らに育てられて被相続人と婚姻するに至つた。フミは大正二年死亡し新平は同年養父母たる照一、スミと離縁した。新平とフミの二女美子(申立人正利の妹、大正二年生)は大正三年被相続人の養子となり、申立人正利及び弟貞郎は上記照一、スミ方に同居するに至つた。申立人正利はやがて東京都港区麻布材木町○○番地所在の被相続人の所有家屋に移つて生活することとなり大正一二年美子が八歳で死亡した後は被相続人とテツの間には子がなかつたので、申立人正利を我子同様に愛撫して面倒をみてくれた。被相続人は、昭和一四年頃から藤沢市鵠沼○○○○番地に住むこととなつたが、戦後の物価変動のため、手持金も残り少なくなり将来の生活に不安を感じ、利殖その他財産の管理処分については、申立人正利の兄照彦(銀行員)に種々相談をしていたが、同人が地方支店に転勤したため、既に長じて三〇有余歳となつていた申立人正利が主として何かにつけ被相続人の相談相手となり、その関係は被相続人が死亡するまで続いた。

申立人正利は、妹美子が被相続人の養子となり八歳で死亡するまで被相続人方で養育されていたので、被相続人とは特に密接な関係にあつた。

二  申立人中村実は、中村友助の三男で、友助は被相続人の妻テツの兄(テツと双生児)である。友助の父同名中村友助は、東京都日本橋に商店を構え盛大な貿易商を営んでいた。被相続人は一五歳の時同商店の店員となり、以来勤勉努力して遂に中村商店の大番頭、支配人となつた。明治四二年一一月四日友助が死亡した後、その家督を相続した友助は(申立人実の父)二代目店主として中村商店を継承したが、同人も先代同様被相続人を重用して営業を継続し、かくて被相続人は昭和九年同店を退職するまで専心中村家に尽忰してきたものである。

これよりさき、初代友助は、妻リツ死亡の後、林キヌと婚姻した。林家は家督相続人がなく廃家となつたので初代友助のはからいにより被相続人は明治二七年八月林家の再興戸主となつた。その後被相続人は、初代友助の四女テツと婚姻し、名実共に中村商店の重鎮となり実権を掌握するに至つた。

被相続人は、申立人実の中村家に対し分家格として交際を続けたばかりでなく、同申立人は幼少の頃から被相続人をパパ、テルをママと呼んで可愛がられ、被相続人とテツは上記養女美子の死亡後は、同申立人を養子としたい旨をその両親に申し入れ、同申立人は昭和三二年一月頃被相続人とテツにその養子となる旨を回答したところ、被相続人は非常によろこんだが手続未済のうちに実現することなく、テツも被相続人も死亡した。

申立人実は、昭和三七年一〇月二三日の調停(横浜家庭裁判所昭和三七年(家イ)第九六九号の結果、被相続人の祖先の祭祀を主宰すべき者に指定され、被相続人夫婦の系譜、祭具及び墳墓の所有権を取得した。

三  被相続人は、実子も養子もなく、その他相続をする者が存在しないまま、昭和三四年一二月二八日に死亡(妻テツは被相続人より前の昭和三四年四月七日死亡)したので、その相続財産の処理につき申立人等の他申立外木村学が協議した結果、被相続人のため相続財産管理人を置く必要を認め、木村学が横浜家庭裁判所に同管理人の選任を求め、(同庁昭和三五年(家)第一二三六号事件として昭和三五年九月五日藤沢市鵠沼○○○○番地井田幸雄と東京都新宿区神楽坂二丁目○○番地大野養助(大野養助は就任後間もなく死亡したので東京都北区西ケ原一丁目○○番地○○金山藤男が同人に代つて選任され現在に至る)両名が選任された。管理人井田幸雄、同金山藤男は、昭和三五年一二月七日相続債権申出の公告をなし、更に同管理人等の申出により、同裁判所は同庁昭和三六年(家)第二一二四号事件として昭和三六年六月二四日相続権主張の催告をなし昭和三七年六月二四日同催告期間が満了したが、相続人の申出はなかつた。

四  申立人等は上記のように被相続人と特別の縁故があるものであるから、相続財産の付与を受けられるものとして本申立に及んだものである。

とそれぞれ述べた。

当裁判所は、

(1)  当庁昭和三五年(家)第一二三六号相続財産管理人選任審判事件、昭和三六年(家)第二一二四号相続人搜索公告審判事件、昭和三五年(家イ)第一〇〇二号遺産分割調停事件、昭和三七年(家イ)第九六九号調停事件等の各記録

(2)  申立人等及び被相続人に関する除、戸籍謄本

(3)  申立人等の提出せる各参考資料

(4)  主文記載の各不動産の登記簿謄本及び日本電信電話公社藤沢電報電話局長作成の電話加入原簿登録事項証明書

(5)  当庁調査官植木満作成の調査報告書

により申立人等主張の実情を認めた。よつて相続財産管理人井田幸雄、同金山藤男の意見を聞き、かつ上記各資料を参照したうえ、申立人等両名を民法第九五八条の三にいわゆる被相続人の特別の縁故者として、両名に主文一記載の宅地二筆を持分各二分の一宛の共有として与え、申立人実に主文二記載の家屋及び同三記載の電話加入権を与えることを相当とし、主文のとおり審判した。

(家事審判官 内藤頼博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例