水戸地方裁判所 平成14年(行ウ)20号 判決 2005年2月22日
原告
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
川人博
山下敏雅
被告
土浦労働基準監督署長
細谷克
同指定代理人
山本美雪
外10名
主文
1 被告が,原告に対して,平成9年10月23日付でした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要
本件は,外科医として勤務した総合病院××病院(以下,「本件病院」という。)からの転勤後間もなく自殺した甲野次郎の父である原告が,労働者災害補償保険法(以下,「労災保険法」という。)に基づき,次郎の自殺は本件病院における業務に起因するうつ病によるとして請求した遺族補償年金支給請求につき,次郎の自殺は業務上の事由によるものとは認められないとして不支給決定(以下,「本件不支給処分」という。)をした被告に対し,本件不支給処分の取消を求めた事案である。
1 前提事実
(1) 甲野次郎は,昭和37年5月17日に原告と甲野花子の二男として生まれ,昭和63年3月,○○大学医学部を卒業後,同年4月から平成元年3月まで,同大学附属病院に研修医として勤務し,同年4月から同年9月まで,総合病院△△病院麻酔科に勤務医として勤務した後,平成元年10月1日から平成4年3月31日まで,本件病院の外科に勤務医として勤務し,同年4月1日から,○○大学附属病院第1外科勤務となった。
(2) 次郎は,遅くとも平成4年3月中旬ころまでに,うつ病を発症し,上記転勤から1週間後である平成4年4月7日,うつ病による自殺念慮から,両親宅において,薬物を自己の身体に注射して自殺した。次郎は,死亡時29歳であった。
(3) 次郎は,自殺に際して,両親宛と警察宛の遺書(乙第24号証)を記していた。同遺書には,次の記載がある。
「……30年という短い人生をふりかえると,物心ついて,大学入学,そして医師として働くようになってから,毎日が楽しいとか,生きててよかったと思った事は一度もありませんでした。……いつも人にどう思われるかを気にし,何をやるにも,人の為と思いながらの行動が多く,あまり自分の為と思ってやった事がありません。やはり気疲れしてしまい,そろそろゆっくり休みたい気がしてきました。両親からも期待され,自分なりにそれに応えてきたつもりですが,まだ精神的にも幼稚な私には,pressure以外の何ものでもなく,物事をaggressive又はpositiveに考えていけない私の限界と思いました。……やり残したことはないと思っています。」
「……動機は,毎日の生活に心も体もつかれ,精神的にまいってしまい,休息したいということです。」。
(4) 原告は,被告に対し,平成9年4月7日,次郎の自殺が本件病院での過密勤務が原因であるとして,遺族補償年金の支給を請求した(乙第1号証6頁,第2号証)が,被告は,同年10月23日,死因と業務との因果関係が認められないとの理由で,本件不支給処分をした(乙第1号証196頁)。そこで,原告は,平成9年12月19日,本件不支給処分を不服として,茨城労働者災害補償保険審査官に対し,審査請求をした(乙第1号証195頁,第4号証の1)が,同審査官は,平成11年2月25日,同請求を棄却する決定をした(乙第1号証179頁,第5号証)。原告は,さらに,平成11年4月7日,労働保険審査会に対し,再審査請求をしたが(乙第1号証1頁),同審査会は,平成14年5月15日,同請求を棄却する裁決をした(甲第3号証)。
(5) 本件病院は,○○大学の関連病院のひとつである。平成2年当時,職員数は746人(うち医師79人,看護師357人),病床数は865床,1日平均の患者数は外来が1462人,入院が622人(病床利用率は71.9%)であった。次郎が勤務していた外科は,医師の数は10人(同年4月当時),1日平均の患者数は外来が91人,入院が87人であった。なお,本件病院は,救急救命センターを設置している。
(6) 本件病院の所定労働時間は,月曜日から金曜日までは午前8時30分から午後5時までのうち午後0時から午後1時までの休憩時間を除いた7時間30分,土曜日は午前8時30分から午後0時30分までの4時間とされており,所定休日は,日曜日,国民の祝日,年末年始(12月29日から1月3日まで)とされている。年次有給休暇は,勤続1年以上の者は年度を通じて20日間とされている(乙第20号証)。
次郎の所定労働日数,所定休日日数,宿直・日直・半日直の日数,実際に休んだ日数を平成3年9月から平成4年3月までについてみると,表1のとおりである。なお,宿直の勤務時間は午後5時から翌日の午前9時までの16時間,日直の時間は午前9時から午後5時までの8時間,半日直の時間は午後12時30分から午後5時までの4時間30分である(乙第16,第21,第22号証,第27号証の1,第31号証)。
(表1)次郎の宿日直数・休日数一覧表
年.月
所定労働
日数
所定休日
日数
宿直日数
日直・
半日直日数
実休日数
3.9
23日
7日
2日
2日
(日1,半1)
2日
10
26日
5日
1日
0日
1日
11
24日
6日
1日
0日
0日
12
23日
8日
1日
0日
1日
4.1
23日
8日
1日
0日
1日
2
24日
5日
1日
0日
1日
3
25日
6日
2日
1日(日1)
1日
(※日直・半日直日数欄の「日」は日直を,「半」は半日直を示す。)
平成元年10月から平成4年3月までの各月別の次郎の時間外労働時間数(早出残業時間,休日勤務時間を指し,宿日直の労働時間を含まない。)は,表2のとおりである(なお,次郎の「日直・宿直・半日直時間外休日勤務票」〔乙第27号証の1〕の勤務時間欄記載の時間数の合計と被告が計算した時間数〔乙29号証,第30号証の1〕とが異なる月については,前者を左側〔括弧外〕,後者を右側〔括弧内〕に記載した。賃金台帳〔乙第21号証〕によれば,平成3年10月から平成4年3月までの次郎の時間外労働時間数はいずれも80.5時間とされているが,これは本件病院の予算上の理由によるものにすぎず,実態を反映したものではない〔乙第26号証〕)。
(表2)次郎の時間外勤務時間数一覧表(宿日直を除く)
年.月
時間数
年.月
時間数
1.10
154.5
3.1
130.5
11
186.5
2
153.0
12
243.5
3
149.5
2.1
225.5(219.5)
4
131.5
2
124.5(117.5)
5
117.0
3
141.0(140.5)
6
144.0
4
139.0
7
155.0
5
160.5(155.5)
8
147.0(115.0)
6
151.5
9
133.5
7
124.0(113.5)
10
167.0
8
107.5
11
170.0
9
103.0
12
116.0(115.0)
10
129.5
4.1
167.5
11
152.0
2
140.5
12
189.5
3
164.0
平成元年10月から平成4年3月までの各月別の次郎の宿直,日直,半日直の時間数は,表3のとおりである(乙第31号証)。
(表3)次郎の宿日直時間数一覧表
年.月
時間数
年.月
時間数
1.10
20.5
3.1
16.0
11
16.0
2
16.0
12
16.0
3
20.5
2.1
16.0
4
16.0
2
40.0
5
32.0
3
16.0
6
16.0
4
36.5
7
16.0
5
24.0
8
40.0
6
16.0
9
44.5
7
32.0
10
16.0
8
16.0
11
16.0
9
24.0
12
16.0
10
36.5
4.1
16.0
11
16.0
2
16.0
12
0
3
40.0
(7) 次郎が本件病院に勤務中に関与した手術数は,平成元年中は術者として64件,介者として13件,平成2年中は術者として158件,介者として51件,平成3年中は術者として169件,介者として55件,平成4年は術者として41件,介者として15件である(乙第17,第19号証)。「術者」とは,チームで行う外科手術に際し,執刀(メス,ハサミ等による操作),剥離,縫合等の業務を行って手術の進行を主導する者,「介者」とは,術野の展開,縫合糸の結紮等,手術者を援護する者をいい,介者が手術者より経験が深い場合は手術進行に対する助言,指導も行う(乙第18号証の1,2)。
次郎が平成3年10月から平成4年3月までに術者として行った手術の具体的内容は,別紙1のとおりである。これらの手術のうち所要時間が3時間を超えたものは,平成3年10月は手術件数18件中1件,同年11月は11件中3件(うち4時間を超えるもの1件),同年12月は16件中2件,平成4年1月は15件中1件,同年2月は8件中3件(うち4時間を超えるもの1件),3月は18件中4件(うち4時間を超えるもの2件)であった(乙第19号証)。
(8) 労働省は,平成10年2月,精神障害等の労災認定に係る専門検討会を設けて,精神障害の業務起因性の判断を迅速,適正に行うための検討を重ね(同検討会の報告書は,(10)②参照),その結果に基づき,平成11年9月14日,労働省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(基発第544号。乙第7号証。以下,「判断指針」という。)を発出した。その主な内容は,以下のとおりである。
① 判断指針で対象とする疾病は,原則として国際疾病分類第10回修正(ICD−10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害とする(具体的な分類は,別紙2のとおりである。)。
② 次のaないしcの各要件をいずれも満たす精神障害は,労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱う。
a 対象疾病に該当する精神障害を発症していること
b 対象疾病の発症前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発症させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること
c 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発症したとは認められないこと
③ 上記②の各要件のうち,bに関するものとして,業務による心理的負荷の強度の評価に当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等について総合的に検討する必要があり,検討の指標としては「職場における心理的負荷評価表」(別紙3)を用いることとする。
a 同表中の「出来事の類型」欄は,職場において通常起こり得る多種多様な出来事を一般化したものである。発症前おおむね6か月の間に,当該精神障害の発症に関与したと考えられる業務による出来事としてどのような出来事があったのかを具体的に把握し,その出来事がどの「具体的出来事」に該当するかを判断して,平均的な心理的負荷の強度を「Ⅰ」(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷),「Ⅱ」(ⅠとⅢの中間に位置する心理的負荷),「Ⅲ」(人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷)のいずれかに評価する。
b ただし,その出来事の内容等によってはその強度を修正する必要が生じることから,別紙3の(2)に掲げる視点に基づいて,上記ⅠないしⅢの位置付けを修正する必要がないかを検討する。なお,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労働者が,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合には,それ自体で,上記(2)の欄による心理的負荷の強度を修正する。
c さらに,出来事に伴う変化等に係る心理的負荷がどの程度過重であったかを評価するため,出来事に伴う変化として別紙3の(3)の欄の各項目に基づき,出来事に伴う変化等はその後どの程度持続,拡大あるいは改善したかについて検討する。検討にあたっては,仕事の量(労働時間等)の変化,仕事の質の変化,仕事の責任の変化,仕事の裁量性の欠如,職場の物的,人的環境の変化,支援,協力等の有無等に着目すべきである。
d 以上の手順によって評価した心理的負荷の強度の総体が,客観的に当該精神障害を発症させるおそれのある程度の心理的負荷と認められるかについて総合評価を行う。「客観的に精神障害を発症させるおそれのある程度の心理的負荷」とは,別紙3の総合評価が「強」と認められる程度の心理的負荷とする。ここで,「強」と認められる心理的負荷とは次の場合をいう。
(a) 別紙3の(2)の欄に基づき修正された心理的負荷の強度が「Ⅲ」と評価され,かつ,同(3)の欄による評価が相当程度過重であると認められるとき(「相当程度過重」とは,同欄の各々の項目に基づき,多方面から検討して,同種の労働者と比較して業務内容が困難で,業務量も過大である等が認められる状態をいう。)。
(b) 別紙3の(2)の欄により修正された心理的負荷の強度が「Ⅱ」と評価され,かつ,同(3)の欄による評価が特に過重であると認められるとき(「特に過重」とは,同欄の各々の項目に基づき,多方面から検討して,同種の労働者と比較して業務内容が困難であり,恒常的な長時間労働が認められ,かつ,過大な責任の発生,支援,協力の欠如等特に困難な状態が認められる状態をいう。)。
e 業務による心理的負荷の強度は,基本的には上記dにより総合評価されるが,次の(a),(b)及び(c)の事実が認められる場合には,上記dにかかわらず総合評価を「強」とすることができる。
(a) 別紙3の(2)の欄に基づき修正された心理的負荷の強度が「Ⅲ」と評価される出来事のうち,生死に関わる事故への遭遇等心理的負荷が極度のもの
(b) 業務上の傷病により6か月を超えて療養中の者の発症した精神障害
業務上の傷病によりおおむね6か月を超える期間にわたって療養中の者に発症した精神障害については,病状が急変し極度の苦痛を伴った場合など上記(a)に準ずる程度のものと認められるもの
(c) 極度の長時間労働
極度の長時間労働,例えば数週間にわたり生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働により,心身の極度の疲弊,消耗をきたし,それ自体がうつ病等の発症原因となるおそれのあるもの
④ 上記②の各要件のうち,cに関するものとして,業務以外の心理的負荷の強度は,発症前おおむね6か月の間に起きた客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事について,「職場以外の心理的負荷評価表」(別紙4)により評価する。同表で示された心理的負荷の強度が「Ⅲ」に該当する出来事が認められる場合には,その具体的内容を関係者からできるだけ調査し,その出来事による心理的負荷が客観的に精神障害を発症させるおそれのある程度のものと認められるかについて検討する。
⑤ 同じく上記②の各要件のうち,cに関するものとして,個体側要因の検討に際しては,既往症,生活史(社会適応状況),アルコール等依存状況や性格傾向について,それらが客観的に精神障害を発症させるおそれのある程度のものと認められるかについて検討する。
⑥ 判断指針で対象とする精神障害の発症が明らかになった場合には,上記③ないし⑤の各事項について各々検討し,その上でこれらと当該精神障害の発症との関係について総合判断する。
⑦ 別紙2のF0ないしF4に分類される多くの精神障害では,精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高いと医学的に認められることから,業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発症したと認められる者が自殺を図った場合には,原則として業務起因性が認められる。
なお,遺書等の存在については,それ自体で正常な認識,行為選択能力が著しく阻害されていなかったと判断することは必ずしも妥当ではなく,遺書等の表現,内容,作成時の状況等を把握の上,自殺に至る経緯に係る一資料として評価するものである。
(9) なお,厚生労働省労働基準局長は,平成13年12月12日,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務起因性の判断基準に関し,通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(基発第1063号。乙第41号証。以下,「脳疾患等認定基準」という。)を発出した。その主な内容は,以下のとおりである。
恒常的な長時間労働等の負荷が長期間にわたって作用した場合には,「疲労の蓄積」が生じ,これが血管病変等をその自然経過を超えて著しく増悪させ,その結果,脳,心臓疾患を発症させることがある。
このことから,脳,心臓疾患の発症との関連性において,業務の過重性を評価するに当たっては,発症前の一定期間の就労実態等を考察し,発症時における疲労の蓄積がどの程度であったかという観点から判断することとする。
業務の過重性の具体的な評価の際,疲労の蓄積をもたらす最も重要な要素と考えられる労働時間に着目すると,その時間が長いほど,業務の過重性が増すところであり,具体的には,発症日を起点とした1か月単位の連続した期間をみて,①発症前1か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は,業務と発症との関連が弱いが,おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど,業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること,②発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できることを踏まえて判断すること。ここでいう時間外労働時間とは,1週間当たり40時間を超えて労働した時間数である。また,休日のない連続勤務が長く続くほど業務と発症との関連性をより強めるものであり,逆に,休日が十分確保されている場合は,疲労は回復ないし回復傾向を示すものである。
(10) 本件自殺の業務起因性の判断の参考になるものとして,以下のような知見がある。
① 産業医学第20巻第5号日本産業衛生学会交代勤務委員会「夜勤・交代制勤務に関する意見書」(昭和53年9月。甲第12号証)
夜勤,交代制勤務によって単に生活周期の混乱が起こるにとどまらず,従事労働者の健康にまで有害な影響の及ぶことは,本委員会による健康調査結果や内外の夜勤,交代勤務者の安全衛生に関する近年の諸文献によって明らかである。夜業あるいは勤務の交代が健康障害をもたらす第1の原因として,生体リズムの乱れに伴う疲労と睡眠不足あるいは栄養摂取の不整等による病気への抵抗性の減弱が考えられるが,それと並んで第2に自律神経系機能失調もしくは精神身体医学的要因等による直接の発症機転が重視される。各産業にわたって交代制勤務が拡大しつつある現状に鑑みれば,深夜業と交代制勤務の導入自体を法規によって規制すべきであるが,やむを得ずに交代制勤務を採用する場合には,厳しい労働時間基準と勤務編成基準とに従って交代制勤務を実施すべきである。
② 「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」(平成11年7月29日。乙第6号証)
a 精神障害の成因について,医学上,これまで様々な議論がされてきた。そして,今日では多くの精神障害の発症には,単一の病因ではなく素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因が関与すると考えられている。その上,同一の精神障害でも,その両要因の関係の程度はそれぞれの事例によって異なる。さらに別の観点から,精神障害の成因は,生物学的−心理的−社会的な要因による多次元的なものであるという理解の仕方が今日広く受け入れられている。その場合でも,生物学的にも心理的,社会的にも,素因と環境因の双方が関与することは同様である。
このような精神障害の成因に対する理解の変遷から,歴史的には精神障害の分類について次のように変わってきた。すなわち,20世紀前半の精神医学にあっては,精神障害はその成因の区別である外因,心因に沿った形で器質性精神病(外因性精神病),心因性精神病に分類され,そして,なお原因のよくわからない精神病を(素因,特に遺伝因が強いだろうという推定のもとに)内因性精神病と呼んだ。内因性精神病としては主として精神分裂病と躁うつ病を指してきた。しかし,このような単純な外因,心因,内因という原因論による分類は,次第に古典的なものとなった。20世紀に入り,脳科学の進歩と精神障害の心理社会的研究の発展により,また一面,時代の変遷による精神障害そのものの多様化,変貌もあり,外因,心因,内因の3分類では精神障害を分類できなくなった。そして,精神障害を「ストレス−脆弱性」理論で理解することが,多くの人に受け入れられるようになった。「ストレス−脆弱性」理論とは,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で,精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方である。ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずる。精神障害を考える場合,あらゆる場合にストレスと脆弱性との両方を視野に入れて考えなければならない。なお,この場合のストレス強度は,環境由来のストレスを,多くの人々が一般的にどう受け止めるかという客観的な評価に基づくものによって理解される。今日では,そのような考えに立って,精神障害の分類は,主として症状,状態像によって行われるようになった。
b 精神障害の成因を考えるとき,ストレスの侵襲性と個体側の脆弱性の両方が偏りなく検討されねばならない。したがって,精神障害に係る労災請求事案の業務起因性の判断に当たっては,当該精神障害の発症において業務によるストレスと業務以外のストレス,個体側要因を総合して行う必要がある。
c 後者については,ストレスに対する個体側の反応性,脆弱性を窺い知るものとして,既往歴,生活史(社会適応状況),アルコール等依存状況,性格傾向,家族歴等があり,これらを総合して個体側要因を精神医学的に判断することになる。なお,このうち,性格傾向については,精神医学的には,一定の精神障害との結び付きにおいていくつかの性格傾向(循環器質,メランコリー親和型性格,分裂気質,強迫性格等)が議論され,精神障害の成因の理解に役立つけれども,類型判定自体難しく,あえて拘泥する必要はない。
d 前者,すなわち,業務によるストレスについては,判断指針の「職場における心理的負荷評価表」策定の前提となったストレスの要因,業務によるストレスの影響,客観的に一定のストレスを引き起こすと考えられる出来事の抽出,類型化,出来事の評価期間が論ぜられ,心理社会的ストレス要因の強度評価の客観化として,上記評価表が提案されている。
上記評価表に示した具体的出来事は,急性ストレス要因が多いが,持続する出来事も含まれる。評価に際しては,まず,出来事自体の平均的ストレス強度を評価し,個別具体的な出来事の内容から具体的評価を変更する必要がないかを検討し,さらに出来事後の変化や問題はどうであったか,出来事がどのくらい持続したのか,出来事の影響を緩和する対処や対応がとられたか等を総合的に検討し,総合評価として,ストレスの強弱を判断する。出来事自体の平均的ストレス強度の評価として具体的に同表に掲げられているものは,これまでの労働者を対象としたストレス研究等から得た限られた出来事の例示であり,これ以外にも多種多様なものがあり得るから,もとより全ての労災事案に対応できるものではない。
ストレス要因のうち,特に,極度の長時間労働,例えば数週間にわたる生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長時間労働は,心身の極度の疲弊,消耗をきたし,うつ病等の原因となる場合があることが知られている。また,出来事に対処するため発生する長時間労働,休日労働等は,心身の疲労を増加させ,ストレス対応能力を低下させる意味で重要となる。特に発症前6か月の間に生じた労働の長時間化はストレス要因となる。
労働の長時間化の評価に当たって重要なことは,どの程度の労働時間を基準にするのかによって,そのストレス強度の評価も変わってくる点である。発症の6か月以上前から続く常態的な長時間労働も,それが過重性を増す傾向を示すような場合には,その変化の度合いが小さくても,強いストレスと評価される。
また,長時間労働は一般に精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性があることから,出来事の評価に当たって,特に恒常的な長時間労働が背景として認められる場合,出来事自体のストレス強度は,より強く評価される必要がある。
さらに,ある出来事に続いて,また,その出来事への対処に伴って生じる変化によるストレスの加重も重要である。このようなストレス要因としては,労働の長時間化とともに,出来事に伴う仕事の質,量の変化(出来事の後,仕事の密度が濃くなったり,本人の意思に反した強制的スケジュール,同種労働者に一般的に要求される適応能力を超えた適応の要求等),責任の度合い,作業困難度,強制性の増加等が重要である。
③ 東京都医師会勤務医委員会「勤務医の現況−2003−」(平成15年3月。甲第14号証)
都内に設置された医療機関373施設にアンケート1万4750人分を配布し,3698人より回答を得た。
勤務日数をみると,労働基準法で定めている週5日勤務の回答者は33.7%,業務の終了時刻が平均して午後5時以前と回答したのはわずかに3.7%であった反面,平均で午後9時まで勤務するという回答が37.0%にのぼった。就業時間外や休診日に患者,家族への説明の時間を割いているという回答者が66.6%にのぼった。また,勤務日程表に示される日,当直のほかにほぼ毎日on-call体制にある回答者は32.3%を占めた。
当直時の平均睡眠時間が4時間に満たない回答者が51.4%であった反面,当直翌日に何らかの形で休養を取ることができるのは1.6%にすぎなかった。当直翌日の体調に支障がないと回答したのは12.9%にすぎず,医療上のミスを起こした事も含め当直翌日の勤務に支障があると回答した者は37.5%にのぼった。
④ 日本産業精神保健学会理事長高田勗「平成15年度委託研究報告書Ⅰ 精神疾患発症と長時間残業との因果関係に関する研究」(主任研究者黒木宣夫東邦大学佐倉病院精神医学研究室。平成16年3月。甲第15号証。以下,「委託研究報告書」という。)
表題のテーマに関する厚生労働省の委託研究報告書である。6人の分担研究者の調査研究の概要が報告されている。そして,研究概要の総括として,「長時間残業による睡眠不足が精神疾患発症に関連があることは疑う余地もなく,特に長時間残業が月間100時間を超えるとそれ以下の長時間残業よりも精神疾患発症が早まるとの結論が得られた。」としている。以下は,各分担研究者の調査報告である。
a 国立精神・神経センター精神保健研究所内山真「精神疾患発症と長時間残業との因果関係に関する調査−睡眠と精神障害との関係−」(甲第16号証)
(a) 勤労者を対象とした疲労度を評価した調査によると,睡眠の障害度と疲労度(精神的,身体的)との間に有意な正の相関が認められている。交代勤務者では,睡眠不足だけでなく,精神科的訴が多いことから,睡眠リズムの乱れが心身症状と関係していることが疑われる。同時に,社会的ストレスが,睡眠障害をさらに悪化させているとの報告もあり,勤労者の抑うつ症状と睡眠の関係,仕事への満足度と睡眠障害の関連を指摘している。このように,現代人では,生活リズムの多様化から心身の不健康(睡眠障害,倦怠感,胃腸障害,抑うつ気分)に陥ることが多々みられ,さらに睡眠による休養も十分取れず,疲労やストレスへの対処に失敗し悪循環にはまってしまうことが多い。
(b) 近年,概日リズム睡眠障害が多く報告されるようになり,これらの中にうつ状態の既往を持つ症例やうつ状態を呈する症例が含まれていることがわかり注目されている。概日リズム睡眠障害とは,夜勤や時差地域への移動等,生体リズムに逆らったスケジュールで生活することにより生じる睡眠障害(時差症候群,交代勤務睡眠障害),生体リズム自体の変調により睡眠−覚醒リズムが望ましい時間帯から慢性的にずれてしまう睡眠障害(睡眠相後退症候群,非24時間睡眠覚醒症候群,睡眠相前進症候群)をいう。
(c) 労働条件等による睡眠不足がうつ病のリスクファクターになるかについて,文献調査から直接的な因果関係を示すような研究結果は得られなかった。交代勤務に従事した年数がうつ病発症の危険率を高めることは明らかになった。このメカニズムとして,交代勤務を続けることによる身体的,精神的なストレス,家族関係や社会的交流の問題,疲労による身体疾患の合併等が介在することが指摘されている。交代勤務における心身の問題の中で,睡眠障害及び睡眠不足が最も頻度が高く,かつ長時間においても順応しにくいものである。この点から,交代勤務に伴う睡眠障害や睡眠不足がうつ病の直接のリスクとなり得る可能性が高いことが考えられた。
b 大阪樟蔭女子大学人間科学部心理学科夏目誠「ストレスドックにおける長時間労働とライフイベント」(甲第17号証)
平成13年から平成14年度までに大阪府こころの健康総合センターのストレスドックを受検した勤労者832人を対象に,長時間労働とライフイベント法(ストレス測定法)との関連性について調査を行った。その結果,平均残業時間の増加とライフイベント(出来事)の体験項目数の増加は関連が深く,平均残業時間が月間60時間以上は残業なしに比べて大きな差異が認められた。
男性は,平均残業時間が60時間以上になると職場ストレス度の点数が極めて高くなり,女性も大きな有意差を認めた。この結果から,平均残業時間が60時間以上はストレス度の見地から問題が多いことを指摘したい。
c 東京大学保健センター大久保靖司「勤労者における労働時間と精神健康度及び睡眠時間の関連についての調査」(甲第18号証)
労働時間の職業性ストレス,SDS(抑うつ度調査)及び睡眠時間の関係を調査し,労働者の健康,休養に影響を与えると考えられる労働時間に関して検討したものである。
d こうかん会鶴見保健センター廣尚典「精神障害発病と長時間労働との因果関係に関する調査研究−医療機関(主治医)調査−」(甲第19号証)
精神障害の発症と睡眠時間及び長時間労働の関連性についての基礎的資料を作成すべく,全国の精神科クリニック1070か所及び総合病院精神科680か所に質問票を郵送し,143人の精神科医から寄せられた回答について検討を行ったものである。
その結果,長時間労働が精神疾患の発症に関与したとみなされた例は271例あった。これらの平均残業時間の内訳をみると,4時間以上5時間未満が最多であった。この代表値を4.5時間として,月労働時間20日を乗じると,100時間となり,労災認定上,脳,心臓疾患の発症に関与するとみなされている発症前1か月間の平均残業時間と一致する(前記(9)参照)。また,次いで多かったのは,3時間以上4時間未満であり,それを3.5時間として,月労働時間20日を乗じると,70時間となる。月25日の出勤とすると,87.5時間となる。これらは,脳,心臓疾患の労災認定の判断で使用される目安とほぼ同程度と考えることができよう。
e 東邦大学佐倉病院精神医学研究室黒木宣夫「労災認定された自殺事案における長時間残業の調査」(甲第20号証)
過去に労災認定された51例に関して月間時間外労働が44時間以内,45〜79時間,80〜99時間,100時間以上に分類し検討を加えると同時に,100時間を境に99時間以内(Ⅰ群),100時間以上(Ⅱ群)と2つに分類して検討を加えた。
その結果,今回の対象事案の53%に100時間以上の時間外労働がみられ,管理職と専門技術職の両者で全体の74%を占めた。発症から死亡までの期間は,3か月以内に71%が自死に至っていた。そのうちの52%が100時間の時間外労働をしていた。出来事から6か月以内に自死に至っていた者は63%であり,その中で100時間以上の時間外労働に従事していた労働者は59%であった。全体の75%は未受診か,受診しても診断はつけられていなかった。
(11) 次郎のうつ病発症の業務起因性に関する医師の意見は,概要以下のとおりである。
① メンタルクリニックみさと所長天笠崇(甲第13号証)
次郎は,平成4年3月中旬ころにうつ病を発症したと考えるのが妥当である。次郎は,本件病院において悲惨な事故や災害の結果運ばれてくる患者や家族等を目撃し,治療に当たったと考えられる。また,医師にとって患者の生命を救うことは当然の責務であるが,難しい症例や再発,死亡例を経験することにより,次郎はノルマを達成することが出来なかったことに近い経験をしている。さらに,発症直前の平成3年9月から平成4年2月までの6か月間の時間外労働時間数は,その直前の6か月間の時間外労働時間数よりも増加しており,仕事内容も難度を増していったと考えられる。したがって,判断指針の職場における心理的負荷評価表(別紙3)で「ストレス強度Ⅱ」とされている4つの項目に該当する。その一方で,職場以外のストレスには該当するものがない。また,次郎の性格傾向も,同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではない。したがって,次郎のうつ病発症は業務に起因したものと判断すべきである。
労働精神医学(疫学)的にみても,そもそも医師は長時間労働と激務に従事し,うつ病のハイリスク集団といえるし,本件病院における次郎のうつ病発症前の労働ストレスは,「高要求度」「低裁量度」「低支援度」と特徴付けられるから,次郎のうつ病罹患の原因は業務にあったとするのが妥当である。
② 筑波大学大学院人間総合科学研究科社会環境医学専攻助教授松崎一葉(乙第33号証の2)
次郎は,遅くとも平成4年3月中旬ころには中等度のうつ病を発症していたと認められる。しかし,判断指針の職場における心理的負荷評価表で,出来事の平均的な心理的負荷の強度の評価が「Ⅱ」に該当するものはない。悲惨な事故等の結果運ばれてくる患者の治療に当たることは,医師として日常から遭遇する出来事であるし,患者の生命を救うことは,医師にとってノルマというよりもむしろ自発的な職業的使命感に基づく行為と考えるべきであるから,天笠医師の述べるようなストレス強度Ⅱに当たる出来事はない。また,次郎の労働時間数をみると,全国の研修医を対象に行われた調査の結果と比較しても平均的な長さであり,研修医期間を終えて間もない若手医師としては標準的な生活を送っていたものと推測される。その結果,睡眠時間についても,研修医の平均睡眠時間(平均5.5時間±0.9時間)は少なくとも確保されていたと判断でき,次郎が享受できたであろう自由時間数を考えても,生理的に必要な最小限度の睡眠時間を数週間にわたって確保できないほどの長時間労働はなかったと考えられる。したがって,本件自殺には業務起因性はないと判断するのが妥当である。
③ 筑波大学大学院人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻社会精神保健学分野助教授,医学博士,精神科医佐藤親次(乙第36号証)
次郎は,元来の性格(強い責任感,仕事熱心等を特徴とするメランコリー親和型性格,あるいは執着気質)と自殺念慮,厭世観,不眠等の症状から,従来の内因性うつ病と診断される。業務からは過重な責任もなく,強いストレスがあったとはいえない。一方,次郎の遺書の内容からは,自ら楽しむ傾向が乏しく,与えられた課題をこなすことでその楽しめない感覚を麻痺あるいは希薄化させて生きてきたように考えられる。そして,社会経験を積む中で,自ずと生じてきた抑うつ傾向が生まれ,これまでに自覚されなかったこの楽しめない感覚(他者配慮的である)が明白に自覚されるようになったという性格傾向が窺える。したがって,次郎のうつ病発症の原因は,業務の負担が有力であるとはいい難く,元来の性格,価値観等によるものと考えられる。
2 当事者の主張
(1) 原告の主張
① 次郎は,本件病院勤務当時,とりわけ平成3年10月から平成4年3月までの時期の過重な業務による精神的肉体的負荷が原因となってうつ病に罹患し,自殺念慮を生じて本件自殺に至ったものである。
② うつ病発症の業務起因性については,次のように考えるべきである。
a 労災補償制度は,被災者や遺族の生活保障を主たる目的として設けられた制度であるから,その目的に照らして考えれば,業務起因性が肯定されるためには,業務上の過労,ストレスによる心身の負荷が被災者の発症,死亡の原因の一つとなっていれば足りると解すべきである(共働原因論)。
被告は,業務による危険性(過重性)が,その他の業務外の要因(当該労働者の個体側要因,私生活上の身体的,精神的負荷等)に比して相対的に有力な原因となったと認められることが必要であると主張する(相対的有力原因説)が,この説は,そもそも定量的に測定することが困難な原因のどれが有力かを論ずることにより,結果的には,行政機関が恣意的に業務外の事由を有力と評価し業務外決定を行う基盤を作っている。精神障害の発症においては,業務上の要因と被災者の個別的な要因とは不可分一体のものであるから,精神障害の発症の業務起因性の判断に際して,相対的有力原因説ではなく,共働原因論こそが正当である。
b 業務が過重であったかどうかについて,平均的労働者を基準として判断するのは誤りであり,被災者本人を基準として判断するのが労災保険法の趣旨に合致する。労働者が過重な労働を強いられている職場においても,うつ病に罹患する労働者は多いとはいえず,統計比率としては,少数にとどまる。そもそも,職場においてうつ病に罹患する労働者が多数を占める状態は,実際には,企業における職場が崩壊し,成り立たないことを意味する。過半数の労働者がうつ病を発症して休むか,辞めるか,自殺するかの状態にあるような職場は考えられない。それにもかかわらず,被告は,平均的労働者を問題にし,平均的労働者がうつ病を発症する可能性がある程度に「客観的にみて」「強度な」ストレスを考え,その程度のストレスでないと,当該労働者の心理的な脆弱性に起因するものとして業務外と判断しようとするが,このような主張は不合理で非現実的なものである。
c 判断指針は,従前の認定基準と比べれば改善されているが,なお,相対的有力原因説や平均人基準説に固執し,また,業務による心理的負荷の多くの項目を形式的に過小に類型化することにより,被災者の受けた心身の負荷を過小に評価して,多数の事案を業務外決定に導く危険性を内包している。したがって,判断指針にとらわれることなく,労災保険法の趣旨に基づき,次郎の業務による心身の負荷とうつ病発症との因果関係の有無を判断すべきであり,次郎のうつ病発症の業務起因性は,判断指針に照らしてみても,肯定されるべきである。
d 電通社員過労自殺事件において,最高裁は,自殺した労働者に対する使用者の損害賠償責任が問われた事案について,二審判決が労働者が真面目で責任感が強く,几帳面で完璧主義だったこと等をとらえ,個体にうつ病親和性ないし病前性格が存したことその他の個体側の事情を過失相殺すべき要因として3割過失相殺したことに対して,ある業に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には,過失相殺する要因として斟酌できないと判断した(最判平成12年3月24日民集54巻3号1155頁)。この判断の基礎にある考え方は,使用者の指揮,命令に服して過重,過密な労働に従事している労働者が自殺した場合には,労働者に対して公平,公正な補償をさせようとする考え方であり,労災補償制度の趣旨を考えれば,過労自殺における労災の業務起因性をめぐっての因果関係を判断する場面でも同様に適用されるべきである。すなわち,当該労働者にとって,過重,過密な業務上のストレスにより,大きな心理的負荷を負い,これが原因でうつ病を発症したと認められれば,当該労働者の性格等の個体的要因が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでないかぎり,それら個体的要因を因果関係を否定する要因として評価すべきではなく,業務上のストレスとうつ病の発症との因果関係を肯定すべきである。
③ 本件病院における次郎の業務が過重であったことは,次のとおり明らかである。
a 次郎は,本件病院の外科勤務医師として,外来患者の診療,外科手術,入院患者中自らの担当患者に対する診療,検査業務,緊急患者に対する診療,治療方針の検討,診療経験に基づく学会等への論文書類の作成等の業務に従事していた。
医師の診療業務は,人の命と健康に大きな影響を与えるものであり,高度の精神的緊張を求められる労働である。特に,外科の手術は,人体に決定的な作用をもたらすものであり,精神的肉体的負荷は極めて大きい。また,次郎は,研修を終えたばかりの駆け出しの外科医であり,経験豊かな医師と比較して慣れないことが多く,精神的負担が大きかった。さらに,本件病院に来て期間が経過するに従い,担当する手術の難易度も高まっていった。
厚生労働省は,脳疾患等認定基準(乙第41号証)において,業務の過重性を判断する要素として,日常的に精神的緊張を伴う業務を挙げ,その例として,常に自分あるいは他人の生命,財産が脅かされる危険性を有する業務,人命や人の人生を左右しかねない重大な判断や処置が求められる業務を示しているが,外科医の業務は,その典型的なものである。
b 次郎の時間外労働時間は,前提事実表2記載のとおり,本件病院に勤務していた30か月間すべてにつき,100時間を優に超えている。
上記時間数には,日直,宿直の際の労働時間が加算されていないから,宿直1回につき労働時間を16時間増やして考えるべきで,これだけでも,月に16時間ないし32時間の労働時間が加算されなければならない。
さらに,日直(実質8時間労働。証人Bの証言),半日直(実質4時間労働)についても加算されるべきである。宿日直の労働時間を含めた次郎の実際の時間外労働時間数は,次頁の表のとおりとなる。
なお,被告は,所定労働時間中の休憩時間を1時間と主張するが,証人Bの証言によれば,昼休みは15分〜20分間程度であったと認められるから,午前8時30分から午後5時までの拘束時間のうち,多めに30分の休憩時間を差し引いたとしても,平日の勤務時間内の実労働時間は8時間として計算することができる。したがって,次郎の全労働時間は,上記時間外労働時間に平日の勤務時間内の労働時間を加えたものとなり,ほとんどすべての月で月間300時間を優に超え,400時間を超える月もあった。
次郎の時間外勤務時間一覧表
年.月
時間数
年.月
時間数
1.10
174.5
3.1
146.5
11
202.5
2
169.0
12
259.5
3
169.5
2.1
235.5
4
147.5
2
153.5
5
149.0
3
156.5
6
160.0
4
175.0
7
171.0
5
175.5
8
187.0
6
167.5
9
177.5
7
145.5
10
183.0
8
123.5
11
186.0
9
123.0
12
131.0
10
165.5
4.1
183.5
11
168.0
2
156.5
12
189.5
3
204.0
c 次郎の実際の休日は,月平均わずか1回であった。
d 次郎は,夜10時から朝5時までの深夜帯に労働することが多く,深夜労働の多さは,同人の労働負荷をより重いものとした。同人は,少ない月で6回,多い月で19回もの深夜勤務を行っている。
本件病院は救急救命センターに指定されており,宿直医が同センターの担当も兼ねていたため,本件病院での宿直は,事実上ほとんど睡眠を取ることができず,徹夜労働となる。宿直1回につきほとんど睡眠を取れずに実質的に16時間連続で勤務を続け,その中で急患の診察を行うのは,心身に多大な負荷のかかる極めて過酷な労働である。しかも,次郎は,宿直明けにそのまま通常勤務を続けるのであるから,その過重性は計り知れない。
e 次郎ら本件病院の若手医師らは,「オンコール」というシステムを作り,週1回は緊急対応をする輪番制を作っていた。このシステムでの担当以外でも,次郎は,担当患者や緊急患者の対応のため,自宅の電話で相談を受け,指示することが常態化し,自宅にいても落ち着いて睡眠を取ることができなかった上,平日深夜や土曜日,日曜日に働くこともしばしばあった。オンコール体制等により,次郎への負荷が一層過重なものとなった。
f 次郎は,多忙のために有給休暇を取ることができず,体調が悪いときでも出勤せざるを得なかった。
g 本件病院は,他の病院と比較して,医師の労働条件がきつかったことは,関係者の供述の一致するところである。これは,本件病院が地域の中核病院として救急患者等の受入を行っていたこと,多忙さに見合う医師の数が揃っていなかったことなどが原因である。
h 以上のとおり,本件病院での次郎の労働は,質的にも量的にも極めて過重なものであり,特に,平成3年10月から平成4年3月までの労働は,同人の心身に極度の負荷を与えるものであった。
④ 委託研究報告書は,次郎の長時間労働がうつ病発症の原因となったことを裏付けるものである。
⑤ 次郎は,深夜勤務の多さ,オンコール体制等の業務上の理由から,睡眠の妨害を受け続けてきたのであり,このこともうつ病発症の重要な要因となった。睡眠障害がうつ病発症の原因となることは,委託研究報告書で報告されているとおりである。
⑥ 被告は,次郎の業務が平均的な外科医のものと変わりないものであって,業務による精神的,身体的ストレスが心理的負荷となったとまでは認められないと主張する。しかし,厚生労働省が脳疾患等認定基準で示した「月80時間以上の時間外労働」という基準は,他者との比較ではなく,当該労働者が何時間働いたかだけを問題にしており,脳心臓疾患の場合には他者との比較をせずに労働の過重性を判断し,精神障害の場合には平均的かを問題にするのは合理性に欠ける。
また,本件病院は,他の病院に比して勤務がきつかったことは複数の医師が供述しているところである。
⑦ 次郎には,業務以外に精神障害に罹患する原因はなかった。次郎は,温厚,実直,真面目な性格であったが,そのような性格の人は社会に多数存在するのであり,次郎の性格をもって業務起因性を否定することはできない。
⑧ 次郎の「警察の方へ」と題した遺書には,「動機は,毎日の生活に心も体もつかれ,精神的にまいってしまい,休息したいということです。」と書かれているが,この記載は,次郎が,業務上の過労,ストレスが原因となり,うつ病に罹患し,自殺したことを証明している。
⑨ 脳疾患等認定基準は,発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月ないし6か月にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できるとしている。また,判断指針は,長時間労働が心理的負荷の原因,加重要因となることを明白に認めている。さらに,委託研究報告書の各論文は,脳血管疾患,心疾患事案での労働時間数の過重性基準は,精神障害の判断指針にも適用すべきであることを示唆している。したがって,次郎のうつ病発症は,厚生労働省の現行判断指針によっても,業務起因性が肯定されるべき事案である。
(2) 被告の主張
① 次郎が遅くとも平成4年3月中旬ころまでにうつ病に罹患していたことは争わないが,本件病院における次郎の業務による心理的負荷は,客観的に精神障害を発症させるおそれがある程度に強いものであったということができず,次郎のうつ病が上記業務により発症したと認めることはできないから,次郎の死亡に業務起因性を認めることはできないというべきである。
② うつ病発症の業務起因性については,次のように考えるべきである。
a 労災保険法に基づく遺族補償給付及び保険給付は,労働基準法79条及び80条所定の「労働者が業務上死亡した場合」に行われるものであり(労災保険法12条の8第2項),精神障害による自殺についても,「労働者が業務上死亡した場合」にあたるというためには,精神障害が労働基準法施行規則別表第1の2第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することを要し,精神障害につき業務起因性が認められなければならない。そして,労災保険法に基づく労災補償制度が,業務に内在ないし随伴する危険が現実化して労働者に傷病等を負わせた場合には,使用者の過失の有無にかかわらず労働者の損失を補償するのが相当であるという危険責任の法理に基づく制度であることに鑑みると,業務起因性を肯定するためには,業務と死亡の原因となった疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,疾病が業務に内在ないし随伴する危険の現実化と認められる関係,すなわち相当因果関係があることを要するというべきであり,業務が単に疾病の誘因ないしきっかけにすぎない場合には,相当因果関係を認めることはできないのであって,この理は,疾病が精神障害の場合であっても異ならない。けだし,業務が,疾病の発症に何らかの寄与をしていることが認められたとしても,業務外の要因が,より有力な原因となって疾病の発症をもたらした場合には,当該疾病は,業務に内在する危険の現実化ではなく,業務外の危険が現実化して発症したものというべきであり,そのような場合には,当該発症を使用者の無過失責任に帰せしめることはできないというべきであるからである。
b 現在の精神医学では,精神障害の発症について,「ストレス−脆弱性」理論によって理解することが広く受け入れられているから,業務と精神障害発症との条件関係についても,業務上の一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるストレスが発症に寄与し(少なくとも一原因となっており),当該ストレスがなければ精神障害は発症していなかったという関係が高度の蓋然性をもって認められる必要がある。
c そして,相当因果関係の存否を判断するにあたっては,「ストレス−脆弱性」理論によれば,当該精神障害が業務に内在する危険の現実化といえなければならないから,①当該業務が,客観的にみて,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる労働者(平均労働者)にとっても精神障害を発症させる程度に危険(過重)であると認められること(危険性の要件),②当該精神障害が,当該業務に内在する危険の現実化として,すなわち,業務による危険性(過重性)がその他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となって発症したと認められること(現実化の要件)のいずれの要件をも満たすことが必要である。
d 原告は,危険性の要件につき,本人基準説によるべきであると主張するが,当該業務の危険性は,当該業務の内容や性質に基づいて客観的に判断されるべきであり,本人の脆弱性は,判断の対象である「業務」に内包されない業務外の要因であって,本人の脆弱性の程度によって業務の危険性が左右されるのは不合理であるし,また,労災補償制度の前提となる使用者の補償責任が危険責任に基づく無過失責任であること,労災補償制度が使用者の保険料の拠出によって運営されている制度であることに照らせば,脆弱性の大きな労働者に発生した精神障害まで労災補償制度で救済することは,労災補償制度の趣旨に反し,採用し得ないというべきである。
③ 本件病院における次郎の業務内容,労働時間は,外科医として平均的な業務内容,労働時間であり,同人のみが過剰な負担を強いられていたということはできないから,次郎が従事していた業務それ自体が,日常業務を支障なく遂行できる平均的労働者にとって精神障害を発症させる程度に危険,過重な業務であったということはできない。
a 次郎の業務内容は,同僚であるC医師やB医師の業務内容と比較して大差はなく,むしろ平均的であり,業務内容自体が次郎に与えた精神的負荷は少なく,業務起因性は認められないというべきである。
(a) 診療内容,手術の件数や難易度は,いずれも次郎の外科医師としての経験年数や技量に照らし,過剰な責任を負わされたとか,特段に困難な手術を先輩医師の指示や補助を受けないままに執刀させられたというような状況にはない。
(b) 若手医師の担当患者数は,次郎を含めて20人前後と多く,その点については,C医師もB医師も,業務としてはかなり忙しかったと供述しているが,若手医師にのみ過重な負担がかかるようなことはなかったし,また,職場の先輩医師による支援体制は整っており,次郎だけが過重な業務を担当していたとは認められない。
(c) 宿直,オンコールについても,確かに十分な休息がとれるような状況ではなく,客観的にも長時間労働であったことは間違いないとしても,いずれも機械的に輪番制で担当しており,都合が悪ければ個人的に交代してもらうなどして勤務医が公平に担当していたことが認められるから,次郎だけが過重勤務をしていたという事情はない。
(d) 原告は,次郎の臨床経験そのものに加え,徐々に難しい症例を担当するようになったことが強度の心理的負荷となった旨主張するようであるが,救急救命センターを併設している本件病院においては,悲惨な事故や災害の被害者が患者として日常的に搬送されてくるのが常態であり,また,難しい症例を扱うようになるのは,医師としての経験を積んでいく中で徐々に与えられる業務であり,本件病院にあっては,決して能力以上のノルマを課していたものではないから,原告の上記主張は失当である。
b 問題となるのは,月平均150時間近くの時間外労働が次郎に与えた精神的負荷の程度であるが,この点も,次郎に対して精神障害を来すような心理的負荷となるほどのものと評価するに足る事情とはいえない。
(a) 次郎が月平均150時間近い時間外労働をしていたこと,その他オンコールや論文作成等,勤務時間に反映されない勤務の実態があったことは間違いない。しかし,上記長時間労働は,次郎に限られたことではなく,同期であるB医師と比較しても,本件病院の外科医一般からいっても,次郎の勤務時間が突出した状況にあったとはいえない。
(b) 原告は,恒常的な長時間勤務自体が精神的負荷となり,うつ病の発症原因になったと主張し,天笠医師は,殊に平成3年3月から同年8月までの6か月間の時間外労働時間に比し,同年9月から平成4年2月までの6か月間の時間外労働時間数の増加は,脳疾患等認定基準に沿って評価すれば,業務と次郎のうつ病発症との関連性が認められるとの意見を述べる(甲第13号証8頁)。しかし,平成3年3月から同年8月までの時間外労働時間数844時間と同年9月から平成4年2月までの時間外労働時間数893時間を比較すると,半年間に49時間,1か月当たり8時間程度増えたにすぎないし,次郎の本件病院における時間外労働時間は,平成元年12月に243.5時間を記録するなど,過去においてはより長時間に及んだ時期が認められるから,同人のうつ病の発症半年前に時間外労働時間が急に増えたということはできない。
(c) 本件病院の勤務医にはタイムカードがなく,出勤時間を含め,時間管理は個人の自覚に任されている部分があり,手術の後などは,病院内の休憩室のソファで仮眠を取ったりする自由な時間もあったと認められるから,病院滞在時間が長いことが直ちに心理的負荷と評価できるかは疑問である。
(d) そもそも,労働の長時間化は,生理的に必要な睡眠を取れないほどの長時間労働と認められる場合には,それ自体でうつ病の発症原因となり得るが,その程度までに至らない労働の長時間化は,長時間労働が心身の疲労を増加させ,ストレス対応能力を低下させるために精神的負荷の度合いを修正する要素として考慮されるにすぎない。
(e) 平成3年9月から平成4年2月までの次郎の自由時間を分析してみると(乙第34号証の2),自由時間が7時間未満の日は16日,うち,休日の宿日直の日が7日間あることを考えれば,残業によって自由時間が少なくなったのは9日間にすぎず,逆に,自由時間が10時間以上ある日は71日間認められるから,長期間にわたって生理的に必要な睡眠時間も確保できないような状況に至ったことはなく,労働の長時間化だけをとらえてうつ病発症の原因となるような心理的負荷と評価することはできない。
(f) 原告は,脳疾患等認定基準を精神疾患の場合にも適用すべきであると主張する。しかし,脳,心臓疾患は,血管病変を伴う器質的疾患であり,血管病変は加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し発症するものがほとんどであるが,この自然経過中に著しく血管病変を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷,すなわち過重負荷が加わると,その自然経過を超えて急激に発症することがあるため,脳疾患等認定基準は,業務による過重負荷と血管病変等の増悪に起因する脳,心臓疾患の発症との関連性を検討した専門検討会の検討結果を踏まえて,過重負荷と業務との関連を検討し,業務上外の基準を定めたのである。したがって,脳疾患等認定基準が精神疾患に適用されないことは当然である。
c 判断指針の「職場における心理的負荷評価表」(別紙3)における心理的負荷の強度(以下,「ストレス強度」という。)の観点から検討しても,次郎には,総合評価を「強」と認めるだけの心理的負荷があったということはできない。
(a) 天笠意見書は,同表の「出来事の類型」欄記載①(事故や災害の体験),②(仕事の失敗,過重な責任の発生),③(仕事の質・量の変化)の各項について,ストレス強度Ⅱに該当する事由があるとするが,①,②については,医師としての経験を積むことにより耐性が生ずるから,ストレス強度はⅠと評価すべきであり,③についても,生理的に必要な睡眠がとれないほどのものでない以上,精神的負荷が認められた場合の修正要素として考慮すれば足りる程度のものにすぎず,職場におけるストレス強度をⅡとする同意見書の意見は失当である。
(b) これに対し,松崎意見書は,ストレス強度Ⅱに該当するものはないとしており,佐藤意見書は,ストレス強度はなしとすべきであるとしている。佐藤意見書の「ストレス強度はなし」とする点については,ストレス強度Ⅰに修正すべきであるが,次郎の職場における心理的負荷は,外科医という職種であることを前提とすれば,殊に,伸び盛りの若手医師の平均像を念頭に置けば,日常的に経験する程度のストレスにすぎず,その強度がⅡに該当するということはできないというべきである。
(c) 以上に対して,次郎の個体側の要因を検討すると,関係者の供述によれば,総じて,次郎は,責任感が強い,真面目,他者配慮的など,執着性格又はメランコリー親和型性格であったと認められ,職場における心理的負荷が前記の程度にすぎなかったことと併せてみれば,次郎のうつ病発症は,その性格傾向に原因があるということができる。
④ 以上のとおりであるから,次郎の担当業務,労働時間,職場の支援体制を含む職場環境を考慮しても,本件病院における業務が,客観的にみて,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる平均的労働者(本件病院の勤務医一般)にとっても精神障害を発症させる程度に危険(過重)であるとは認められず,むしろ,次郎のメランコリー親和型の性格傾向からすれば,同僚が医師としての通常の業務として受け入れる程度の心理的負荷によっても精神障害がもたらされる危険性があったということができ,したがって,業務による危険性(過重性)がその他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となって精神障害を発症したとみることはできないから,次郎に生じた精神障害について,業務起因性を認めることはできないというべきである。
第3 当裁判所の判断
1 前提事実に前掲各証拠及び甲第4,第5号証,第9号証の1,2,第10号証の1,2,乙第1号証,第3号証の1,第4号証の2,第9ないし第17号証,第19ないし第24号証,第26号証,第27号証の1ないし11,第28,第29号証,第30号証の1,第31号証,第34号証の2(乙第1号証,第3号証の1のうち,後記採用しない部分を除く。),証人J,同Bの各証言,原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。
(1) 本件病院は,○○大学病院の関連病院のひとつであり,同大学の関連病院の中では規模が大きく,経験することができる手術の種類も量も多いため,同大学出身医師が手術等の指導を受ける修練病院4,5か所のうちの最上位に位置付けられていた。同大学を卒業した外科医は,大学の医局に1年程度研修医として勤務した後,麻酔科医として半年程度関連病院で勤務し,更に1,2か所の関連病院で3年程度修練した上で同大学医局に戻り,その後は,本人の希望や医局の事情等により,研究職等に就く者と関連病院に転勤する者等に分かれるのが通例である。
また,本件病院は,土浦市及び周辺地域の中核病院として,多数の患者の診療にあたっており,殊に,平成元年4月,救急救命センターが竣工し,平成2年4月,3次救急救命センターに指定されて以来,医師数の増加がなかったため,同病院の医師らは多忙を極めた。なお,救急医療には,1次から3次まであるが,3次救急救命センターは,外来診療だけで済むような患者から緊急手術や高度の医療処置を必要とする救急患者まで全てを担当する。茨城県南部の3次救急救命センターは,本件病院のほかには1病院しかなかった。
(2) 次郎は,昭和37年5月17日に長野県諏訪市で生まれ,その後,両親とともに東京に移り住み,昭和63年3月,25歳で○○大学医学部を卒業し,昭和63年4月から平成元年3月まで1年間,同大学附属病院に研修医として勤務し,平成元年4月から同年9月まで半年間,総合病院△△病院麻酔科に勤務した後,平成元年10月1日から平成4年3月31日まで,2年6か月間,本件病院第1外科に修練のための勤務医として勤務した。本件病院第1外科(以下,単に「外科」という。)は,○○大学の第1外科出身者で占められていた。次郎は,自殺の1週間前である平成4年4月1日,出身大学である○○大学附属病院第1外科に転勤している。
(3) 次郎は,平成4年4月7日,29歳で自殺した。
(4) 次郎が本件病院に勤務していた当時,本件病院外科の医師は,指導的地位にあるD医師,E医師,F医師,G医師のほか,中間に,H医師,C医師,その下に,I医師,次郎,B医師がおり,他に研修医がいた。
① E医師,D医師,F医師,G医師らベテラン医師は,前立ちと呼ばれる指導を担当する立場であり,術者となることもある。
② H医師,C医師ら中堅医師は,ローテーターと呼ばれ,術者となって前立ちの指導を受けることもあり,また,次郎ら後輩や研修医が術者となる場合の指導者となることもある。
C医師は,昭和59年に○○大学を卒業し,研修医等を経て,昭和61年4月から本件病院外科に勤め,その後,同大学及びその関連病院に勤務した後,再び平成3年4月から本件病院外科に転勤し,平成5年6月まで在籍した。次郎とは,平成3年4月から平成4年3月までの1年間,勤務が重なっているが,次郎との私的な付き合いはなかった。
③ I医師,次郎,B医師ら新人医師は,外科医としての修練のため,順次,次第に難度の高い手術の術者を担当するようになった。新人医師が担当する手術は,研修医より難度の高い手術である。
B医師は,○○大学病院第1外科に入局したのが次郎と同期であり,その後,次郎より半年遅れて,平成2年4月,本件病院に着任し,その後,本件病院外科に2年9か月勤務して,平成5年1月に○○大学病院に転勤した。次郎とは,平成2年4月から平成4年3月までの2年間,本件病院での勤務が重なっている。
本件病院の外科医が担当する手術の内容は,医師としての経験が浅いうちは虫垂炎や鼠径ヘルニア等の比較的簡単な手術のみを行い,経験を積むに従って,胆石,乳癌等といった難度の高い手術に進むようになる。B医師は,着任時期が次郎より半年遅いため,難度の高い手術への移行も,次郎より半年遅れていた。
なお,I医師は,次郎と同時に,本件病院から転出している。
④ Jは,平成2年4月から本件病院の西4階病棟の看護婦をしており,同病棟には,末期癌を含め,重症の癌患者が多い。外科の入院患者は,西5階と西4階の病棟に多かったため,J看護婦は,次郎と接触が多かった。Jは,看護学生として本件病院で実習をしていたため,平成2年4月以前から,次郎を知っていた。
(5) 本件病院の外科医の担当業務は,外来,入院患者の診察にあたるほか,学会等に提出する論文等の作成等であり,具体的には,おおむね次のようなものであった。
① 平日の始業時刻は,午前8時30分であるが,医師の場合にはさほど厳密に守られていたわけではなく,外来診療等が始まる午前9時より前に出勤すれば足りるとする扱いになっていた。
② 出勤後,受持の入院患者の様子を診て回った上で,午前9時からは午前中の担当業務(外来診療,外来手術,内視鏡検査等の各担当が曜日毎に決められていた。)に就く。午前9時前に受持患者を診る仕事については,B医師は,時間がなければ患者の顔を見る程度のこともあったと述べている。
次郎の午前中の担当業務は,月曜日が外来診療,火曜日が内視鏡検査,水曜日が外来手術,木曜日が内視鏡検査,金曜日が外来手術であった。
③ 外来診療は,午前9時に始まり,午後1時前後まで途切れなく続くのが通常であった。内視鏡検査や外来手術は,午前9時から始まり,午後0時ないし午後0時30分ころまで続く。
平成3年10月から平成4年3月までの6か月間,次郎の外来診察日は,1か月当たり平均4.7日であった。
④ 昼食は,本件病院の食堂で,午前中の業務終了後,午後の業務開始前にとることになるが,昼休みとしての実際の休憩時間は,食事をする15分か20分ほどしかなかった。
⑤ 午後の担当業務は,入院患者の診療であり,手術も,原則として,この時間帯に行われる。次郎やB医師らは,術者を担当することが多かった。
⑥ 本件病院では,当時,複数の外科医が1人の患者を担当するのではなく,1人の医師が1人の患者を担当する1人受持制がとられていた。受持患者の手術については,受持医が前週末までに患者の容態を整理し,診断結果や術式の選択等をまとめ,術前カンファレンスにかけておくのが原則であった。もちろん,緊急の手術もあった。
手術後は,患者の容態を確認し,引き続き,手術記録を記載し,臓器を切除したときは,付属臓器を仕分けしたりして標本を作成し,写真を撮ったり,ホルマリンに漬けて固定したり,病理検査に出したりする。夜間にわたる手術の場合には,これらの作業が深夜まで及ぶこともあった(なお,このような方式は,その後若干改められ,標本の整理は,手の空いている他の医師が行うこととなった。)。なお,原則として後日,手術の経過,結果や爾後の治療方針等について,術後カンファレンスが行われるため,必要に応じて,その準備をする。
⑦ 受持の入院患者に対するその他の診療は,午前午後を通じて,時間をやりくりして,病棟の患者の容態を診たり,必要な処置をとったり,注射,点滴,検査等の指示を出したりすることになる。また,他の医師が執刀する手術を見学することもある。
⑧ こうして業務を終了する時刻は,次郎やB医師の場合,午後10時ころになるのが通常であり(次郎の具体的終業時刻は後述する。),夕食は,その後にとるのが普通であった。
⑨ 論文の作成等の業務は,午後に空き時間のあるときや1日の業務が終了した後に行うことになる。
次郎は,平成2年には5件の学会発表を担当し,本件病院の外科医中最も件数が多かった。しかし,平成3年は1件であり(D医師によると,仕事の合間に書くとして3週間程度かかるものである。),平成4年の3か月間は,学会発表を担当したことはない。
⑩ 前記のとおり,本件病院には,手術前の術前カンファレンスや手術後の術後カンファレンス制があったが,急患の緊急手術等はひとりで方針を決定して行うこともあり,また,患者の担当については,1人受持制がとられており,大学付属病院とは異なって,上位の医師に対する相談等がシステム化されておらず,指導者クラスの医師は,相談されれば応ずるという姿勢ではいたものの,次郎クラスの外科医にとっては,受持患者に対する診療についての責任をひとりで負っているという心理的負担がかかっていた。1人受持制のもとで,上位の指導的医師が入院患者を回診することにより全体の状況を把握するよう努めてはいたが,担当医に責任が集中する傾向は否めなかった。
本件病院の外科医が受け持つ受持入院患者は,通常,E医師,D医師らベテラン医師は10人以下,中堅医師は10人強,次郎やB医師ら新人医師は20人前後であった。C医師やB医師は,受持患者数が20人を超えると,名前と顔が一致しなくなるほどの多忙感を抱いた。
(6) 本件病院の所定労働時間は,月曜日から金曜日までが午前8時30分から午後5時までのうち,昼の休憩時間午後0時から午後1時までの1時間を除く7時間30分,土曜日が午前8時30分から午後0時30分までの4時間であった。タイムカードはなく,医師については,午前9時までに出勤すれば足りることとされていたが,他方,医師は,昼の休憩時間については,15分ないし20分で食事をとる程度であったから,時間内の実労働時間は,平日が7時間30分,土曜日が4時間とみることができる。
E医師やD医師は,平均して朝が早く,午前8時前には出勤していたが,午後は,7時ころには帰宅していた。他の医師は,午前9時前ころ出勤する者が多く,帰宅時刻は,平均して午後9時から午後10時ころであった。
(7) また,本件病院には,宿直,日直,半日直の制度があり,宿直は,午後5時から翌朝午前9時までの終夜勤務であり,仮眠は可能とされているが,仮眠の有無にかかわりなく,翌日の勤務は平常どおりとされていた。宿直医は,救急救命センターの担当も兼ねていたため,夜間,交通事故によって傷害を負った患者等を含む相当数の緊急患者の診療にあたることになり,必要に応じて,複雑,困難な手術を緊急に実施しなければならないこともあり,仮眠を取ることすらできないのが通常であった。そして,宿直明けの休暇制度などはなく,宿直の翌日も通常の勤務につくことになる。
① 宿直は,月に1,2回程度の頻度で,各科の医師に割り振られていた。
B医師は,宿直の際,2,3時間まとまって眠ることができれば非常に運がよく,うとうとしていると起こされるのが通常だったと述べている。
② また,本件病院には,「オンコール」と呼ばれる制度があり,宿直医の専門外の患者に対する緊急の処置等が必要な場合に備えて,各専門ごとにあらかじめ当番の医師を定めて待機することになっていた。例えば,整形外科の医師や耳鼻科の医師が宿直の場合,外科医の対応を必要とするときは,当番の外科医が帰宅後であってもポケットベルで呼び出すこととされていた。次郎が本件病院に勤務していた当時は,H医師,C医師,I医師,次郎,B医師らが,曜日を決めて外科の当番を務めており,これらの医師は,毎週1日程度,当番を担当していた。オンコールの当番として呼出を受けた場合,電話連絡により応答するだけで済むときもないではなかったが,病院に駆け付けて緊急の処置をとったり,緊急に手術を実施することもあった。緊急の呼出がある頻度は,月に数回程度であった。
③ 休日である日曜日,祝日等に当番で出勤して勤務することを日直と呼んでいた。日直は,午前9時から午後5時までの勤務である。半日直は,土曜日の時間外午後5時までの勤務をいう。
④ なお,土曜日の外来を担当していなかった次郎やB医師らは,土曜日が「研修」日とされていた。
B医師は,土曜日は休日も同様であり,受持の入院患者の容態次第であるが,朝病院に顔を出して患者の容態を診た後,特に問題がなければ遊びに行くこともできたと述べる。しかし,気になる入院患者がいる場合は,土曜日や休日であっても,病院に出て容態を診ることがあり,実際には,次郎も,B医師も,病院に顔を出さない方が珍しい状況であり,次郎は,土曜日や日曜祝日も出勤しているのが通常であった。
⑤ 宿直及び日直等は,前記所定労働時間には含まれておらず,時間外労働にあたる。しかし,本件病院では,予算上の都合から,時間外手当は,全額支払うことができず,毎月定額が支払われていたこともあって,各医師が自ら記載することとされていた「日直・宿直・半日直時間外休日勤務票」(乙第27号各証。以下,単に「勤務票」という。)には,オンコール待機時の出勤も含めて,全部の記載をしない場合もあった。
⑥ また,本件病院では,一般に,医師が平常期間内に有給休暇をとることはなかった。B医師は,夏季に日程調整して1週間程度の夏休みをとるのが通常であったとするが,次郎についてみると,平成2年は,8月22日〜25日の4日間有給休暇をとっているが,平成3年の8月には,全く1日も休暇をとっていない。
これに対し,I医師の平成3年8月分の勤務票(乙第27号証の4)には,2日〜4日,9日〜11日,14日,16日〜18日,22日,23日,25日,30日の14日分の記載がない(全部が休日であったかどうかは明らかでないが,少なくとも定時退勤であったことが窺われる。)。また,C医師の平成3年8月分の勤務票(乙第27号証の3)には,3日〜5日,7日,11日,13日,14日,21日,25日,26日,29日〜31日の13日分の記載がない(これも全部が休日であったかどうかは明らかでないが,少なくとも定時退勤であったことが窺われる。)。さらに,H医師の平成3年8月分の勤務票(乙第27号証の5)には,4日,5日,12日〜14日,18日,19日,25日,26日の9日分の記載がない(これも全部が休日であったかどうかは明らかでないが,少なくとも定時退勤であったことが窺われる。)。
⑦ 以上の勤務体制,多忙度から,B医師は,本件病院の外科医の数は2人くらい不足だったのではないかと回顧している。本件病院の医師は他の関連病院に勤務する医師と比較しても,多忙であった。
また,C医師も,本件病院における外科医の勤務が極めて多忙であったことは認めるが,「有給は誰も取りません。医者の勤務体制はそういうものではなく,大学関連病院ではそういう雰囲気でもないからです。……遊びに行くために休暇をとるという考えが外科医にはなく,……せいぜい2〜3年で大学に帰れるので,その間はきちんとやろうという感じでした。」と述べている。
(8) 次郎や同僚外科医らの勤務票記載の時間外労働時間数(早出残業時間,休日勤務時間を指し,宿日直の労働時間を含まない。)は,別紙5(乙第29号証)のとおりであった(なお,厳密には,別紙5のもとになる資料である乙第27号各証自体によると,次郎の時間外労働時間が更に多いことは前提事実記載のとおりである。)。
これによると,次郎の時間数とB医師の時間数との間には遜色がないが,他の医師の時間数との間は相当顕著な差がある。
(9) 次郎について,上記時間外労働時間数に前提事実表3記載の宿直,日直,半日直勤務の時間数を合計すると,次頁の表のとおりとなる。
次郎の時間外労働時間数一覧表(宿日直を含む)
年.月
時間数
年.月
時間数
年.月
時間数
1.10
175.0
8
123.5
6
160.0
11
202.5
9
127.0
7
171.0
12
259.5
10
166.0
8
155.0
2.1
235.5
11
168.0
9
178.0
2
157.5
12
189.5
10
183.0
3
156.5
3.1
146.5
11
186.0
4
175.5
2
169.0
12
131.0
5
179.5
3
170.0
4.1
183.5
6
167.5
4
147.5
2
156.5
7
145.5
5
149.0
3
204.0
(10) 本件病院の月曜日から金曜日までの所定労働時間は午前8時30分から午後5時までであるが,E外科部長兼副病院長(当時)の見ているところ,医師らの実際の帰宅時間は,午後7時か8時であったという(乙第11号証)。
しかし,次郎やB医師の終業時刻は,本件病院勤務期間を通じて,概ね午後10時過ぎであった。次郎の終業時刻を月毎に一覧すると,別紙6(「次郎の終業時刻一覧表」)のとおりである。同表は,次郎の勤務票(乙第27号証の1)及び乙第31号証によるものである。横軸の時刻は,それぞれ「同時刻まで」を表し,例えば午後9時30分で勤務を終えている場合には,午後10時の欄に数えることとした。なお,勤務票は,時間外労働時間全部を記載したものではないことは前示のとおりであり,しかも,同票は,時間外労働をした場合の時間数だけが記載されているため,時間の記載のない日が定時勤務,宿日直勤務をした日であるか,それとも休暇をとった日であるかの識別は,記載自体からはできない。そのため,平成2年8月と同年9月は,☆印を付し,日数を特定していないが,他の月は全ての日について時間外勤務時間が記入されているか,又は,記入がない日が1日か2日にすぎないので,関係供述等に照らし,宿日直勤務をしたと認められた日以外は休日であったと認定した。ただし,平成3年10月以降は,賃金台帳(乙第21号証)により休暇を取得していないことが認められるから,平日で記入がない日については出勤したものと認定した。また,ある月の末日に勤務を開始し,翌月の初日に勤務を終えている場合には,勤務を開始した月の「それ以降」の欄に数えることとし,平成3年1月31日から翌2月1日,同年3月4日から翌5日等,いったん勤務を終了した後,数時間後に再び勤務を開始したケースにおいては,同一夜について2回分算入することを避けるため,連続して勤務したのと同じ扱いをすることとした。
別紙6の表によると,次郎の退勤時刻は,本件病院着任当初は,午後10時ころの日が比較的多いが,後半になると午後11時ころまで勤務している日の方が多くなっている。また,午前0時又はそれ以降,場合によっては早暁あるいは翌朝始業時まで勤務を続けている日も相当の数にのぼる。次郎の勤務時間が午後10時を超える深夜時間帯に及んだ日数は,同表「11時以降計」欄記載のとおりであって,軒並み10日を超えているのであり,殊に,平成3年9月から同年12月まで及び平成4年3月は,1か月の約半分又はそれ以上の日で深夜帯まで勤務している。
なお,同表で☆印を付したうち,平成2年9月20日は,鹿児島市で行われた学会での発表日に当たっており,休日には該当しない。
(11) また,52頁記載「次郎の時間外勤務時間一覧表(宿日直を含む)」の時間外労働時間を単に1か月の日数で除して,1日当たりの時間外労働時間を算出し,また,実際に出勤した日の1日当たりの時間外労働時間を算出すると,別紙7のとおりとなる(なお,乙第17,第19号証により認められる,術者として担当した手術の件数も併記した。また,「実休日数」欄記載の日数は,本件病院に実際に勤務していた日の1日あたり時間外労働時間を算出するために記入したものであるが,少なくとも,平成2年9月の「7」は,前記鹿児島市における学会発表の前後を含んでおり,休んでいたことを示すものではない。)。
これによると,実労働日数1日あたりの時間外労働時間は,全期間平均で5.9時間であり,これは,月曜日から金曜日であれば,午後5時の定時後,午後11時近くまで勤務するような状態が常であったことを示している。午後11時まで勤務し,その後,食事をとるとすると,本件病院までの出勤自体に要する時間がさほどかからなかったとしても,午前0時から翌朝8時ころの間が入浴,洗面,朝食,身支度等と睡眠の時間であったことになり,新聞を読んだり,テレビを見たり,寛いだりといった時間はない計算になる。
次郎がほとんど休暇をとっておらず,土曜日や日曜日も出勤した日が多いことは前示のとおりであり,実際に休んだ日は,全期間を通じた平均でも1か月に1.47日であるが,平成2年の夏と平成3年5月に各月5日以上休んだのを除くと,1か月に1度も休んでいない月及び1日しか休んでいない月がそれぞれ10か月もある。
さらに,次郎は,平成元年10月5日から6日,28日から29日,同年11月2日から3日,6日から7日,9日から10日,21日から22日,24日から25日,同年12月1日から2日,27日から31日(4日間連続である。),平成2年1月2日から3日(いずれも休日である。),12日から13日,14日から15日(いずれも休日である。),26日から27日,29日から30日等々,以下,一々掲げないが,多数回にわたって,翌日にまたがって勤務している。
(12) 次に次郎の業務の性質について検討するに,次郎やB医師ら新人外科医は,本件病院で初めて,自らの手で執刀し,術後の経過を観察し,その間,患者の家族とも面識ができ,その後,時には病気が再発するなどして患者が死亡するといった一連の経験をするようになる時期であり,B医師も,そのような経験が非常につらい経験であると述べている。医療措置のいかんが生命に直結する場合もある外科の場合,拘束時間も長くなる傾向がある一方,本件病院でとられていた1人受持制のもとでは,医師の心理的負担は特に重かった。
次郎が本件病院に勤務していた期間内に関わった手術の件数は,術者として1か月平均14件,介者として1か月平均4,5件であったが,前記のとおり,医師としての経験を積むに従って,術者として難度の高い手術を行うようになり,難度が高くなるほど,死に直面する頻度も高くなるため,仕事自体によるストレスは高まる。
次郎が本件病院で術者として執刀した手術は,着任当初は,所要時間も1時間ないし2時間程度の比較的簡単な手術が多かったが,所要時間の点だけからいっても,平成2年3月からは,4時間程度の手術,平成3年8月からは5時間半といった手術も担当しており,内容的にも,癌の患者の手術も相当回数行うようになり,平成3年11月5日には,所要時間9時間35分に及ぶ転移性肝癌の手術も行うようになった。その他,夜間,深夜の手術も相当の回数がある。
特に平成4年3月には,2日(月曜日)から3日(火曜日)にかけての宿直後,3日から5日まで連日午後,胆石症・総胆管結石,胃癌,乳癌の手術を行い,7日(土曜日)午後6時ころ虫垂炎の手術をした後,同日午後8時20分ころから胃十二指腸潰瘍穿孔の患者につき所要時間約4時間の手術を行い,翌8日朝まで連続勤務した上,そのまま8日(日曜日)の日直を担当し,さらに,翌9日まで連続勤務した上で,9日(月曜日〔外来担当日である。〕)には,午後5時25分から急性胆嚢炎の患者の手術を行い,午後11時まで残業している。翌日以降も午後11時,午前0時までと,同様の勤務状態が12日(木曜日)まで続き,13日(金曜日)は,次郎らの送別会のため,6時半には退勤している(その送別会での出来事は後述する。)が,翌14日(土曜日)も出勤し,1日の休みをとったのは,15日(日曜日)になってからであった。16日(月曜日)以降も,16日〜19日,夜間の手術を含む午後11時又はそれ以降までの勤務等が続き,23日の退勤が午後11時,24日の退勤が午後11時30分,25日の退勤が午後10時,27日の退勤が午後9時,29日は日をまたいで翌30日午前3時退勤,30日の退勤が午前0時となっており,3月末まで休日をとっていない。
(13) 次郎は,平成2年3月ころから,自ら処方箋を書いて睡眠導入剤ハルシオンを服用するようになり,その後,鎮痛剤セルシンを自ら注射するなど,不眠に悩んでいた。また,平成3年初めころから,徐々にやせ始め,顔色も悪くなり,表情を欠くようになった。次郎は,不眠を他の医師に訴えたことはなかったが,術後の患者の容態を診た後にナースステーションに立ち寄った際,J看護婦に対して,時折,「よく眠れない。」と話したことがあり,平成3年の後半ころには,「薬を飲んでも効かなくなったので,注射をしているが,効かない。」と述べたり,同じころ,「医者を辞めて,ゆっくりしたい。」とか,出生地のペンション村で喫茶店でもやりたいなどともらしたこともある。
(14) 以上の経過を経て,次郎は,遅くとも平成4年3月中旬ころまでにはうつ病を発症した。
同月13日に開かれた送別会の際,次郎は,同席したJ看護婦に対し,険しい表情で,「人のためにしか生きられなかった。」,「長生きはしたくない。」,「病気で死ねればいいんだけど,無理なら自分から手を下すしかない。」,「親より早く死んでしまうのは,一番親不孝なんだよ。それは分かっているんだが。」,さらには,結婚すると,妻や子供を残して自分が死ぬことになるから,結婚はしない旨話した。
(15) 次郎の個体側の事情として,次のものが認められる。
① 次郎は,大学時代はテニス部に所属し,同じクラブに所属していたK医師と親しく,K医師と酒を飲むこともあったが,研修医を終了して別々の関連病院に転勤してからは,K医師とも出会う機会がなくなった。K医師は,平成4年3月中旬,次郎に会っているが,やせたと感じたほかは特別な印象を受けなかった。K医師はもとより,次郎を知っている同期の友人たちも,次郎の自殺に驚いている。次郎は,平成4年4月1日付の転勤後は,K医師の所有する日本橋のマンションを借りて転居する予定にしており,荷物も一部同マンションに移してあったが,転勤当初は,両親方で起居していた。しかし他方,転勤後も,本件病院に近い借上マンションは借りたままにしていた。次郎は,転勤後,上記大学に戻った同期の仲間の希望している専門の研究テーマをとりまとめて大学に提出する役割も受け持った。次郎は,両親に対しては,大学に早く戻りたいかのように述べていたこともあるが,臨床医になる希望を述べており,K医師は,次郎から,大学に残って研究職に就きたいと聞いたことはなく,C医師も,次郎が臨床に関心が高く,大学に戻りたいという意向が少ないと認識していた。
② C医師によると,次郎は,「礼儀正しく,絵に描いたような好青年」,「素直」な「ナイスガイ」であるが,「真面目すぎる」という印象であり,「皮肉を言うだとかのデモーニッシュなところがなく」,「発散が下手な人のよう」に感じられ,「ちょっと陰があり,ペシミスティックで,悲観的というか,引いたところがある感じ」で,「大雑把なタイプの人が多い外科医の中では繊細なタイプ」であり,「ひとりで考えてしまう方」であって,責任をひとりで背負い込むような状況に関して,「そういう処理が下手なタイプ」であり,外向的なB医師とは対照的で,C医師に対して,患者に関する相談を持ちかけたりすることはなく,次郎は,上下の関係が薄かったため,負担感がきつかったかも知れないと述懐する。次郎が本件病院に勤務していた当時,若手外科医が多数いるのに対して,指導する立場の医師の数は少なく,先輩医師が個人的努力によって目配りするには限界があり,C医師とH医師は,チームで組んで仕事をするようにすべきだとか,標本整理を交代制にすべきだなどと話し合っていた状況にあった。C医師は,他方で,上記のような本件病院の状況は,事細かに指示する関連病院と比較して自由にやらせてくれるとして,本件病院では評判がよかったとも述べている。また,C医師は,知っている限りでは,外科医が睡眠薬を常用しているなどという話は聞いたことがなく,外科医の仕事は疲れるので,健康であれば不眠などあり得ず,常時,寝不足であると述べている。
C医師の評価によっても,次郎は,外科医としての能力も責任感もあり,手術もうまかったが,控えめで自信家ではなく,内科向きではなかったかとされる。しかし,外科医の中には,「性格的に外科医に本当にフィットしている人ばかりではない」のは,C医師も認めるところである。
③ 次郎は,もともと細身ではあったが,次郎に半年遅れて本件病院に赴任したB医師は,1年振りに次郎に会い,大学病院で研修医をしていた当時と比べてやせたなあという印象を持った。
B医師の印象によると,次郎は,「外科医としての技量も同期の中で指折りで,優しく思いやりのある性格」で,「患者や周囲のスタッフを思いやり」,「とてもいいやつで,上司からも人望が厚く,可愛がられていた」と思う,「患者からも慕われていて,『いい先生と評判』」だった,「同僚から見ても,責任感が強く,仕事も優秀」だった,横で見ていて,「性格もよく,仕事もできて,みんなから好かれる好青年」だった,「スポーツもスキーやゴルフが上手く,ハンサムで看護婦からも人気があり,非の打ち所のないような人間」だった,「口調も穏やかで,謙虚な話し方」をしており,「真面目で,人付き合いもよく,プライドが高く,弱みを人に見せないタイプ」だった,「たまにいい格好しいなところもあったように思う」,「女の子に人気があり,もてるのに」,特定の女性との付き合いはない様子であり,噂もなかった,スキー,ゴルフが趣味で,本件病院に勤務するようになってから購入したと思われるイタリア車に乗っており,運転も好きだったようである,几帳面な性格で,一人暮らしのマンションの部屋も片付いていた,患者に対しても親切で,カンファレンスについてもよく勉強して発表していたと述べている。
B医師の経験によっても,次郎は,本件病院勤務当時,一人で酒を飲みに行くようなことはなく,もとよりそのような時間の余裕もなかった。
次郎は,平成3年の初めころから次第にやせ,平成4年3月ころにはかなり体重が減っているようにみえ,いつも疲れているようにみえた。
次郎は,患者について「患者送り状」を作成していたが,B医師は,次郎がそのようなものを作成していたことは全く知らなかった。
B医師は,次郎と第1外科医局研修医として同期でもあり,次郎と仲がよかったと認識しているが,次郎から,不眠等の不調の訴えを聞いたことがなく,次郎が不眠のため薬剤を使用していたことは,本件労災申請手続の中で事情聴取を受けた際に初めて知った。B医師は,仕事帰り等に次郎と食事をともにすることがあったが,患者の話や仕事の話が中心であり,プライベートな話題に及ぶことはなかったものの,結婚はしないつもりだという話を聞いたことがある。
B医師は,次郎は,同期の中でも外科医としての実力はあった方だと思う,したがって,力量不足で押しつぶされたとは考えられない,しかし,適性の点からいうと,B医師の表現によると,胃癌などの患者が再発したとか,転移したといった場合に,患者のことに気持ちが入り過ぎて,割り切ることができない性格であり,それが人間的魅力でもあったろうが,真面目すぎたともいえると述懐する。
B医師の捉え方は,本件病院での初任の外科医の仕事は,多忙で負担の大きい過酷な労働という側面はあるものの,納得ずくで外科医の道に入った以上,覚悟の上であり,多忙であることは,他面,自己の能力を高めるのによい職場であったと前向きな捉え方をしている。
同医師の尋問の結果によると,B医師は,宿直明け等の勤務日に空いた時間に医局のソファで横になっても非難されたりすることはないと述べている。
しかし,J看護婦の印象でも,B医師は,比較的仕事を早く切り上げて帰る方であり,次郎とは割り切り方が異なっていた。
④ J看護婦は,次郎の印象を「非常に真面目」,「仕事を細かくきっちりやる先生」,「全てのことに真面目な人」,「悪ふざけのできない人」,「看護婦に対しても非常に気を遣って」くれるなどと評価しており,通常は,看護婦が処置の道具を積んだ回診車を押して患者の傷の消毒に回るのであるが,「看護婦が忙しそうにしているときは,ひとりで処置に回ってくれるなど,自分でできることは全てやってくれる先生」,通常は,2階での手術後,看護婦がベッドに載った患者を4階の病室までベッドごと押して行くのであるが,次郎は,「自分で点滴を持って,看護婦と一緒に病室まで運び,その後の処置もできることはやってくれる」,休日でも,ポケットベルの圏外に出るときは,あらかじめ連絡先を知らせたり,他の医師に頼んだ旨告げたり,あるいは出先から電話連絡をしてくるなど周到な配慮をしていたと述懐する。
⑤ 以上のような次郎に近かった者の印象や経験については,諸種の裏付がある。2,3の例をあげれば,本件病院外科医長であったD医師も次郎が仕事熱心であったとしているし,次郎の外来介助を担当していた看護婦は,わざわざ原告ら両親に対して,次郎の外来患者や看護婦に対する配慮の行き届いた対応振りについて手紙を書き送っているし,重い病気で手術を受けた次郎の受持入院患者も文集に丁寧な説明についての感謝の文章を載せている。
⑥ 次郎は,本件病院に勤務していた間は,本件病院に近い借上マンションに住んでおり,月に1度か2度,土曜日の晩に,両親方に来て泊まることもあったが,常に患者のことを心配している様子で,翌朝,両親方から本件病院に電話をかけて,看護婦と患者の容態について話していることもあり,ポケットベルが鳴るなどして,本件病院に連絡を取ると,そのまま本件病院に戻ってしまうこともあった。
(16) 次郎は,平成4年4月1日,○○大学附属病院第1外科勤務となり,同日から同月3日まで出勤した後,土浦に戻って片付けをし,本件病院の医局に行って荷物の整理をした際には,C医師に対し,顔も上げず,目も合わせずに,大学がつまらないと言っていた。
(17) そして,次郎は,同月6日夜,実家で母親と話したり,一緒に写真を撮ってもらったりした後,翌7日午前0時過ぎ,自室に戻り,その後,薬物を自己の身体に注射して自殺した。遺書が遺されていたこと,その内容は,前提事実記載のとおりである。
以上の事実が認められ,この認定に反する乙第1号証,第3号証の1の各一部は採用せず,他に同認定を覆すに足りる証拠はない。
2 労災保険給付の対象となる業務上の疾病については,労働基準法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙されており,精神疾患であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには,同別表第9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当すること,すなわち業務起因性が認められることが必要である。
そして,労災補償制度の趣旨は,業務に内在又は通常随伴する危険の発現としての労働災害について,使用者の過失の有無を問わず,被災労働者の損害を填補するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するところにあると解されるから,業務と疾病との間に業務起因性があるというためには,単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在又は通常随伴する危険の現実化として疾病が発生したと法的に評価されること,すなわち相当因果関係が認められることが必要である。
精神疾患は,様々な要因が複雑に影響し合って発症するものと考えられているが,業務と精神疾患の発症との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発症させた原因の一つに含まれると認められるだけでは足りず,当該業務自体が,社会通念上,当該精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性を内在させ,又は随伴していると認められること,換言すると,業務が相対的に有力な原因となったと認められることが必要であると解するのが相当である。
この観点から,前提事実記載の知見等を踏まえて検討するに,次郎が本件病院でしていた月間平均170時間を超え,時に200時間をも超えた時間外労働の時間の長さ及びその内容,性質に照らすと,次郎のうつ病は,心理的負荷の重い本件病院における長時間の業務が相対的に有力な原因となって発症したものと認めるのが相当である。
3 被告は,上記長時間労働にもかかわらず,本件病院における業務による心理的負荷は,労働時間の点からも,業務内容の点からも,客観的に精神障害を発症させるおそれがある程度に強いものであったとはいえないと主張するので,以下,これらの点について説明する。
(1) まず,業務の内容,性質についてみると,高度の専門技術と集中力が要求され,人の生命にかかわる外科手術を行うことは,熟練した外科医にとっては日常業務といえるとしても,順次,初めての症例にあたり,初めての手技を自らの手で行う新人外科医にとっては,次第に難度を増すそれぞれの外科手術の施術を担当すること自体が,相当の心理的負荷となるものと認めることができる。
被告は,次郎の業務内容は,同僚医師と比較して大差なく,むしろ平均的であるとして,業務が次郎に与えた負荷は少ないと主張する。しかし,次郎は,勤務医としての立場で受持患者をもっていたのであるから,研修医の業務とは比較にならないことはいうまでもない。また,次郎は,研修期間を経て本件病院に着任した新人外科医であり,熟練した外科医と比較するのも相当でない。前記認定事実によれば,本件病院の外科医が皆激務であったということができるとしても,次郎の業務上の心理的負荷の程度は,あくまで,初めての経験を順次積みつつある新人外科医として検討されなければならない。この意味で,同程度の段階にあった医師は,本件病院では,I医師とB医師だけである。そして,I医師との比較では,別紙5のとおり,単に時間外労働時間だけを比較しても,両者の間には2倍又はそれ以上の差があることが明らかである。これに対し,B医師は,時間外労働時間の点では,次郎に匹敵する長時間労働をしているが,B医師は,次郎とはかなりタイプが異なる。C医師によれば,B医師は,次郎と対照的な外向的性格であるというのであり,B医師自身が,覚悟の上で外科医になったのであるから,多忙であることや困難な手術を担当することは,自己の能力を高めるためによい機会であると捉えているというのであって,その供述状況からしても,B医師が何事も前向きに捉え,物事について割り切った考え方,感じ方をすることができる性格であることは明らかである。
これに対し,次郎の本件病院における仕事振りは,前記認定のとおりであり,要するに,真面目で,責任感が強く,他者配慮的で,几帳面な性格によって,患者のみならず,看護婦等にも周到に配慮して気を遣い,常に患者の容態を心配していたことが認められるのであり,そのような外科医も,向き不向きは別として,社会的に期待される医師のひとつの典型ということができ,このような医師を心理的負荷の強度を判断する際の基準外とすることはできない道理である。そして,次郎は,本件病院で初めて,勤務医として人の生命を直接左右する責任の重い立場に立ち,自ら執刀して手術を担当したり,治療行為を行ったりして,場合によっては,患者の死や再発に直面し,緊迫した事態のもとで治療,救命にかかわるようになったものであるから,業務が次郎に与えた心理的負荷は客観的にも相当に重いものであったと認めることができ,これが軽かったなどということは,到底できない。
さらに,緊急かつ重大な業務に突発的に携わる可能性が常時ある状態に置かれていたオンコール制による心理的負担も無視することはできないし,オンコール制のもとでの当番の際や,あるいは,受持患者の容態の急変等により,ポケベル等で呼び出される可能性のある状態が連続していたことによる心理的負担も軽いものとはいえない。また,帰宅後実際に呼び出されたりして,患者の診療にあたったり,場合によっては,深夜,早暁に緊急手術を行ったり,深夜勤務,終夜勤務等を断続的に繰り返したりすることによる睡眠リズムの乱れ等も,長時間労働とあいまって,うつ病発症の要因となる性質のものであったことは前記知見上明らかである。
(2) また,時間外労働時間についてみると,次郎の時間外労働時間は,うつ病発症と強い関連性が指摘されている月間100時間以上どころか,最大259.5時間,平均170.6時間に及んでおり,しかも,次郎は,ほとんど休みの日がない状態で,更に不規則な時間帯で,連続した勤務を長期間にわたって続けていたものであって,それ自体がうつ病発症と強い関連性のある負荷となっていたということができる。
被告は,他の医師と比較して,次郎だけが突出した長時間労働をしていたわけではないと主張する。しかし,B医師以外の医師と比較すれば,次郎の時間外労働時間が顕著に長いことは前示のとおりである。なるほど,B医師の時間外労働時間は,次郎に匹敵するものがあるが,J看護婦によれば,比較的仕事を早く切り上げて割り切る方であったというのであって,B医師自身によっても,例えば,午前9時前に受持患者を診る仕事については,時間がなければ顔を見る程度のこともあるとか,土曜日については,受持患者に特に問題がなければ,遊びに行くこともできたから休日と同じであるとか述べているように,割り切りが早く,気持ちの切り替えがうまかったことが認められ,「患者のことに気持ちが入り過ぎて,割り切ることができない性格」であり,両親方に戻っても,本件病院に電話をかけて受持患者の容態を聞いたりしていた次郎とは,業務に対する対応ないしは割り切り,気持ちの切り替えが全く異なっている。そして,次郎のようなタイプの医師も,医師の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではなく,また,期待される医師の一典型であることは前示のとおりであり,B医師が長時間労働をこなしてなお精神疾患等を発症していないことをもって,次郎が受けていた負荷が軽いということはできない。
また,被告は,平成3年9月から平成4年2月までの6か月間の時間外労働時間がその直前の6か月間と比べて49時間しか増加していないとか,最長時間外労働時間を記録したのは平成元年12月であるなどと指摘する。しかし,まず,次郎が担当した手術の難度が次第に高くなっていったこと,したがって,その心理的負荷が次第に重くなっていったことは前示のとおりであり,長時間化の程度だけを云々することはできない。また,次郎の時間外労働時間が極端に長いことは,前示のとおりであり,次郎が本件病院勤務当初からの長時間労働に耐えたからといって,長時間労働が次郎にとって負荷にならなくなったとはいえないことも多言を要しない。次郎の労働の長さと質は,本件病院に勤務するようになる前と比較すれば,格段の差があったと解される。そもそも,専門検討会報告や判断指針が発症前6か月に注目すべきであるとしているのは,急性のストレス要因となる特定の具体的出来事の影響を検討するに際し,発症前6か月に注目すべきこと,また,持続性のストレスとなる長時間労働については,それ以前の労働時間と比較して顕著に長時間化することが発症の要因となり得ることを指摘するものにすぎず,長時間労働がより長期にわたって常態化することが発症の要因にならないとの前提に立つものでないことは明らかであり,同報告も,発症の6か月以上前から続く常態的な長時間労働が更に過重性を増す場合には,その変化の度合いが小さくても,強いストレスと評価すべきであるとしているのである。その上,次郎のうつ病発症時期が遅くとも平成4年3月中旬ころまでと認められるのは,次郎が送別会の席上でJ看護婦に話した自殺念慮を示す発言を主たる根拠とするものであり,それ以前に全く精神症状を呈していなかったと断定することができるからではない。前記認定のとおり,次郎は,平成2年3月ころ以降,睡眠導入剤等を使用しており,平成3年後半には,既に,薬を飲んだのでは効かないので注射をしていると話したり,医者を辞めてゆっくりしたいなどと発言したりすることがあったのであって,当時,次郎が専門医の診察を受けるなどしていないこともあり,発症時点や症状経過を詳細に特定することができないものの,平成4年3月中旬以前に次郎がうつ病を発症していた可能性は,必ずしも否定することができないのである。したがって,認定した上記発症時点である平成4年3月中旬は,「遅くとも」そのころという意味であって,確定的な時点ではないから,この時点からさかのぼること6か月間のみに限って検討対象とすれば足りると解することには合理性がない。
さらに,被告は,本件病院の勤務医の時間管理には裁量性が認められていたから,病院に滞在した時間が長いことは心理的負荷と評価し得ない旨主張するが,前記認定の次郎の性格や仕事振りからすると,次郎は,勤務時間内に適宜に休息をとることが下手であり,むしろ,裁量性が認められていたからこそ,次郎の業務に対する真摯な姿勢が勤務時間内の業務の密度を濃くし,次郎自身の受ける負荷を高めたと考えられる。被告は,病院内のソファで仮眠を取ることもできたと主張するが,不眠に悩んでいた次郎が勤務時間内に被告主張のような方法で仮眠を取っていたと認めるに足りる証拠はない。
また,被告は,7時間未満の自由時間をもって初めて負荷と捉えるかのごとく主張するが,7時間しか業務を離れる時間がないとすると,一定の時刻に出勤を要する者にとって,夕食,入浴,朝食,出勤のための身支度等,最低限の準備時間を除けば,そもそも休息といえるほどの睡眠時間がほとんどないことになってしまうのであり,被告の上記主張は現実味がない。次郎の勤務実態は,前示のとおり,1か月中,ほとんど休日をもつことなく,時に,徹夜勤務を繰り返すような状態にあり,これをもって心理的負荷が低いということは無理である。他の外科医が夏休みをとっていたほか,定時退勤したり,又は実質的な休暇(研修日)をとっていたりしたことが窺われることは前示のとおりであるのに対して,次郎について,休養がとれていたことを窺わせる証拠はないのである。専門検討会報告や判断指針は,「極度の長時間労働」の例として,「数週間にわたる」,「生理的に必要な最小限度の睡眠時間を確保できないほどの長労働時間」をあげるが,「極度の長時間労働」がこれに限られるものでないことは当然であり,同報告や指針からは,労働時間としては上記の例よりもやや短い時間であろうと,はるかに長期間にわたる長時間労働の場合を除外する趣旨を読み取ることはできない。
(3) 専門検討会報告や判断指針は,業務による心理的負荷の強度を評価する手法として,ストレス要因となる「出来事」を類型化してストレス強度を評価する方法,その際着目すべき点を示しているが,同時に,長時間労働が精神障害の準備状態を形成する要因となっている可能性があるとして,出来事の評価にあたって,特に恒常的な長時間労働が背景にある場合,ストレス強度は,より強く評価される必要があると指摘している。その見解に沿って検討しても,次郎の業務は,重症の受持患者等の診療それ自体が,自己の責任において他人の生命等を左右するという意味で,それぞれ「出来事」としての性質を有するものと評価することができ,本人の意思とかかわりのない患者の病状の変化という事態に対応を余儀なくされるという意味で,「仕事の裁量性の欠如」,「本人の意思に反した強制的スケジュール」,「仕事の密度が濃くなった」といった「仕事の質,量の変化」を伴うものであり,「責任の度合い」,「作業困難度」という点からも,研修医であった当時,麻酔医の研鑽をしていた時期とは,格段の差があったと解されるのである。
(4) 次に,次郎の個体側の要因の有無についてみると,佐藤医師は,意見書の中で,次郎の性格傾向について,メランコリー親和型性格であるとしており,なるほど,次郎は,性格上,ひとりで問題を抱え込んでしまうような面があったため,同じ出来事に対してでも,感ずる心理的負担感がB医師より重かったことが窺われる。しかし,そもそも,メランコリー親和型性格とは,あくまでも人格の特徴,人間の存在様式の一つであり,個性の多様さとして通常想定される範囲内のものにすぎず,それ自体がうつ病発症に直結するほどの強い関連性をもつとはいえないのであり(乙第37,第38号証),他に,次郎の個体側にうつ病発症の原因となるような要因は,これを認めるに足りる証拠がない。
(5) 以上のとおりであるから,次郎が本件病院における業務の上で感じていた心理的負荷は,社会通念上,うつ病を発症させる危険性を内在させているといえる程度に強いものであると認められるのに対し,同人の個体側要因にはうつ病発症と強い関連性を持つ要因は認められないのであって,次郎のうつ病発症及びそれによる本件自殺は,同人の本件病院における業務に起因するものと認めるのが相当である。
4 よって,原告の請求は理由がある。
(裁判長裁判官・松本光一郎,裁判官・上原卓也,裁判官・岸野康隆)
別紙
1 亡次郎が術者として行った手術内容(平成3年10月〜同4年3月)<省略>
2 ICD―10第Ⅴ章「精神および行動の障害」分類<省略>
3 職場における心理的負荷評価表<省略>
4 職場以外の心理的負荷評価表<省略>
5 「日直・宿直・半日直時間外休日勤務票」の時間外労働時間一覧表<省略>
6 次郎の終業時刻一覧表<省略>
7 <省略>