水戸地方裁判所 平成18年(レ)9号 判決 2006年10月24日
控訴人
甲野花子
(原審判決時の姓名 丙山花子)
被控訴人
乙山太郎
主文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の訴えを却下する。
3 訴訟費用は,第一,第二審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
2 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴を棄却する。
第2 事案の概要
1 本件は,被控訴人が,控訴人に対して,平成17年7月17日,20万円を貸し付けたと主張して,同額及び遅延損害金の支払を請求している事案であり,原審は,この事実が認められるとして,請求を認容した。
2 前提事実
以下の事実は,当事者間に争いがないか,後掲の各証拠または弁論の全趣旨により容易に認定できる事実である。
(1) 控訴人と被控訴人は,平成17年6月5日,結婚相談所を介して知り合い,その後,遅くとも同月25日までに交際を開始した。
(2) 被控訴人は,借用書兼同意書(甲1。以下「甲1号証の書面」という。)をパソコン等を用いて作成した上,同年7月17日,控訴人に同書面を提示した。控訴人は,同書面に署名押印し,被控訴人から20万円を受け取った(以下「本件金銭授受」という。)。
甲1号証の書面には,大略以下の記載がある。
ア 結婚トライ期間及び同居期間について
(ア) 結婚トライ期間
控訴人及び被控訴人は,平成17年9月から6か月間の結婚トライ期間を設け,同居生活を送ることにする。その過程の中で,お互いの長所・短所を認め合い,お互いを許し合えるか,お互いの家族関係を含めて幸せな結婚生活が成り立つかを検証する。仮に,問題があっても控訴人及び被控訴人で話し合いを続け,可能な限り結婚することを目指す(甲1「同意書」第1項)。
(イ) 同居期間
上記結婚トライ期間の後は,正式な同居期間とし,入籍については控訴人と被控訴人は,控訴人の2人の娘のことも考慮して話し合って決定する(甲1「同意書」第2項)。
イ 本件金銭授受について
控訴人は,平成17年7月17日,被控訴人から,以下の約定で金20万円を借用する。
(ア) 返済期間
2年以内。
ただし,上記ア(ア),(イ)記載の結婚トライ期間及び正式な同居期間内において,控訴人及び被控訴人が結婚生活を継続していくことが困難な事態になった場合は,その責任が控訴人,被控訴人のいずれの側にあるかを問わず,その時点で全額返済する(甲1「借用書」第2項)。
(イ) 返済方法
被控訴人名義の通帳を作成し,平成17年8月から,毎月定期的に返済金を積み立てる方法により返済する(甲1「借用書」第1項)。
(ウ) 特約
控訴人と被控訴人間に紛争が生じた場合は,円満な話し合いで解決して返済するものとし,借金返済のための裁判の申立てはしない(甲1「借用書」第3項。以下「本件特約」という。)。
(3) 控訴人と被控訴人は,遅くとも平成17年8月9日までに交際を終了した。
(4) 控訴人は,平成18年6月6日,甲野次郎と婚姻した。これに伴って,控訴人は,氏を丙山から甲野に変更した。
3 当事者の主張
(1) 被控訴人の主張
ア 本件金銭授受
(ア) 被控訴人は,平成17年7月17日,本件金銭授受により,控訴人に対し,前記2(2)イの(ア)ないし(ウ)記載の約定で20万円を貸し付けた(以下「本件消費貸借」という。)。
(イ) 控訴人と被控訴人は,現在,結婚生活を継続していくのが困難な事態にあり,前記2(2)イ(ア)(返済期間)の「ただし書」に当てはまるから,本件消費貸借の弁済期は到来した。
(ウ) 控訴人は,本件金銭授受について,被控訴人が控訴人宅を訪問した際に費消する被控訴人の生活費として受け取ったものであり,返還義務はないと主張する。
しかしながら,被控訴人は,控訴人の生活費を援助したものではない。控訴人との具体的交際を考えても,生活費を援助するような関係ではなかった。被控訴人が控訴人宅を訪問した回数は2ないし4回程度であり,そのうち被控訴人が飲食をしたのは,1度インスタントラーメンを食べた時だけであるから,控訴人が,被控訴人のために費消した金員はほとんどないはずである。
被控訴人は,控訴人から,控訴人が以前交際していた男性が控訴人の預金通帳を盗み,控訴人の預金口座から900万円を引き出したなどの話を何度も聞いているうちに,控訴人を不憫に思い,本件消費貸借をしたものである。よって,控訴人の主張は認めることができない。
イ 本件特約
本件特約は,控訴人と被控訴人間に紛争が生じた場合,お互いが円満に解決することを約したものであるが,それができないときは,訴えを提起することができる旨の合意である。
控訴人は,本件消費貸借について,円満な話し合いによる返済を拒否しており,紛争が円満に解決できない以上,被控訴人は,訴えを提起して,本件消費貸借に基づく貸金返還請求をすることができる。
ウ 小括
よって,被控訴人は,控訴人に対し,本件消費貸借に基づき,貸金20万円の返還等を求める。
(2) 控訴人の主張
ア 本件金銭授受
本件金銭授受は,被控訴人が控訴人宅を訪問した際における生活費のために行われたものであり,控訴人は,受け取った20万円を被控訴人のための生活費として消費した。したがって,控訴人は返還義務を負担しない。
イ 本件特約
本件特約は,本件金銭授受について,紛争が生じても,控訴人及び被控訴人は,紛争の解決のために裁判をしない旨を合意したものである。
第3 当裁判所の判断
1 不起訴の合意の成立
甲1号証の書面には,「絶対に,借金返済のための裁判の申し立てはしないものとする。」と明確に記載されていること,金銭消費貸借に関する紛争において,訴えを提起するのは,通常,貸主(被控訴人)であると考えられること,甲1号証の書面の文案は,被控訴人自身が作成したものであること,以上の事実並びに甲1号証及び弁論の全趣旨を考慮すると,控訴人と被控訴人は,平成17年7月17日,本件金銭授受に際し,将来,本件金銭授受に関する紛争が生じた場合,双方が裁判を申し立てないことを合意したものと認められる(なお,甲1号証の書面には被控訴人の署名押印はないが,本件特約内容について,甲1号証の書面を介して,控訴人と被控訴人の意思は合致したというべきであり,本件特約は成立した。)。
以上によれば,本件特約は,控訴人及び被控訴人が,本件金銭授受の際,互いに,訴訟制度を利用しないという合意(いわゆる不起訴の合意)をしたものと解されるから,かかる合意に反して,被控訴人が本件金銭授受について提起した本件訴えは,訴訟要件を欠く不適法なものであるといわざるを得ない。
2 被控訴人の主張について
この点につき,被控訴人は,本件特約は,控訴人と被控訴人との間で円満に解決できない場合には裁判をすることが妨げられない趣旨の合意であると主張する。
しかしながら,そもそも訴訟は,当事者間の紛争が円満に解決できない場合に提起されるのが通常であって,甲1号証の書面に記載された文言に反してまで,被控訴人の主張のように解するべき特段の事情を認めるに足りる証拠はなく,被控訴人の主張は根拠を欠くといわざるを得ない。また,被控訴人はその他縷々主張するが,これらを考慮しても,被控訴人による本件消費貸借に基づく訴えは,訴訟要件を欠き不適法であり,認め難い。
3 結論
よって,被控訴人の請求を認容した原判決を取り消し,被控訴人の訴えを却下することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法67条2項第1文,61条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 坂口公一 裁判官 上原卓也 裁判官 佐藤文子)