水戸地方裁判所 平成22年(ワ)15号 判決 2015年2月20日
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は、原告に対し、1億7583万3000円及びこれに対する平成21年7月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は、原告が、被告との間で都市計画道路3・4・8号線工事について設計業務委託契約を締結したところ、被告の擁壁の設計に瑕疵があったことにより、工事中に擁壁の天端が水平変位(以下「本件水平変位」という。)し、擁壁背面上部の市道舗装部分に亀裂が生じ、擁壁としての基本的安全性を欠く状態となったため、上記変位の原因探求に要した調査費用788万5500円及び擁壁の修復及び補強工事費用1億6794万7500円の損害を被ったとして、被告に対し、民法634条2項又は709条に基づき、上記損害の合計1億7583万3000円及びこれに対する請求後の平成21年7月25日から民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
1 前提事実(当事者間に争いがないか文末に掲記する証拠等により容易に認められる事実)
(1) 当事者
被告は、土木・農業土木及び建築に関する研究、設計、測量、機械器具の設計、機械施工計画、工事の施工管理並びに地質・土質調査及びそれに関する構造物の設計等を目的として設立された株式会社である(甲1)。
(2) 事実経過
ア 原告と被告は、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)道路工事について、以下のとおり設計業務委託契約を締結した(甲2の1ないし6)。
(ア) 工事名 都市計画道路3・4・8号線土質調査道路予備設計委託
概 要 道路予備設計、土質調査
契約日 平成元年8月24日
請負金額 319万3000円
ただし、同年12月12日に327万5400円に変更
(イ) 工事名 都市計画道路3・4・8号線設計委託
概 要 形式比較検討、道路予備設計、鳥瞰図及び透視図の作成
契約日 平成3年2月7日
請負金額 412万0000円
ただし、同年3月7日に438万7800円に変更
(ウ) 工事名 都市計画道路3・4・8号線道路予備設計修正業務委託
概 要 道路予備設計修正、交差点予備設計、橋梁設計計画(A)、設計協議
契約日 平成7年2月20日
請負金額 1266万9000円
ただし、同年7月27日に939万3600円に変更
(エ) 工事名 都市計画道路3・4・8号線道路予備設計業務委託
概 要 道路予備設計、地質調査業務委託
契約日 平成9年9月8日
請負金額 735万0000円
ただし、平成10年3月4日に805万3500円に変更
(オ) 工事名 都市計画道路3・4・8号線道路詳細設計委託(以下「本件道路詳細設計委託契約」という。)
概 要 道路詳細設計、地質調査業務委託
契約日 平成11年12月20日
請負金額 1354万5000円
(カ) 工事名 都市計画道路3・4・8号線修正設計委託(以下「本件道路修正設計委託契約」という。)
概 要 仮設構造物詳細設計
契約日 平成14年10月17日
請負金額 561万7500円
ただし、平成15年3月24日に583万8000円に変更
(キ) 本件道路詳細設計委託契約及び本件道路修正設計委託契約の契約書(以下「本件各契約書」という。)には、いずれも、以下の定めがある(乙6の1及び2)。
第38条 甲(発注者)は、成果物の引渡しを受けた後において、当該成果物にかしがあることが発見されたときは、乙(受注者)に対して相当の期間を定めてそのかしの修補を請求し、又は修補に代え、若しくは修補とともに損害の賠償を請求することができる。
2 前項の規定によるかしの修補又は損害賠償の請求は、第29条第3項又は第4項(第35条第1項又は第2項においてこれらの規定を準用する場合を含む。)の規定による引渡しを受けた日から3年以内に行わなければならない。ただし、そのかしが乙の故意又は重大な過失により生じた場合には、請求を行うことのできる期間は10年とする。
イ 被告は、本件道路詳細設計委託契約に基づき、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)に設置する擁壁の設計を含む設計図、擁壁設計計算書、設計報告書、地質調査報告書等を作成し、平成12年11月21日、原告の検査員、立会員等の立会いの下検査に合格した上で、原告に納入した(甲2の5、13の1ないし5、15、乙3の4、5の1、11の3、12、13)。
ウ 被告は、本件道路修正設計委託契約に基づき、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)に擁壁の設置工事における仮設構造物(鋼矢板)の設計を含む設計図、報告書等を作成し、平成15年3月31日、原告の検査員、立会員等の立会いの下検査に合格した上で、原告に納入した(甲2の6、16、19)。
エ 被告による擁壁の設計では、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)道路工事において、土留めとして、10のブロックで構成される逆T型擁壁を設置することが計画された(以下第1ないし第8ブロック擁壁までを「本件擁壁」という。甲13の1ないし5、15、乙13)。
本件擁壁のうち、第1ないし第3ブロック擁壁の高さはいずれも8mより低く、第4ないし第8ブロック擁壁の高さはいずれも8mを超えている(甲13の1ないし5、15、乙13)。
オ 本件擁壁の設置工事(以下「本件工事」という。)の施工手順の概要は、①鋼矢板打設、②掘削・支保工、③擁壁支持層の置換え工(第4ないし第6ブロック擁壁)、滑動抑止杭工(第6ないし第8ブロック擁壁)、④擁壁躯体の構築、④埋戻し・支保工撤去、⑤擁壁背面側の鋼矢板は残置したまま擁壁前面側の鋼矢板引抜き、⑥擁壁前面土砂の掘削をするというものであった(甲4の2、17、21、27、28)。
カ 原告は平成14年度から本件工事を開始し、平成19年8月24日、第8から第9ブロック擁壁にかけて擁壁前面土砂の掘削を開始したところ、同年9月1日、全掘削深さの3分の2程度を掘削した段階で、第8ブロック擁壁の天端で21mmの水平変位(本件水平変位)が観測され、同月2日、本件工事は中止された(甲23、24、28)。
キ 原告は、本件水平変位の原因の調査のため、平成20年1月31日、訴外a株式会社茨城営業所(以下「訴外a社」という。)との間で、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)擁壁構造解析・安定設計及び地質調査を委託業務内容とし、代金703万5000円(税込み)として設計業務等委託契約を締結した(甲3の1)。
その後、原告は、同年8月29日、同委託契約の代金を85万0500円(税込み)増額する旨の設計業務等変更委託契約を締結した(甲3の2)。
ク 訴外a社は、平成20年10月、上記キの設計業務等委託契約に基づき、「都市計画道路3・4・8号線(○○工区)擁壁構造解析・安定設計及び地質調査委託報告書」と題する書面(以下「訴外a社報告書」という。)を作成した(甲4の1ないし3、21)。
ケ 原告は、平成21年7月14日、被告に対し、本件擁壁の変状原因が被告の設計にあるとして、擁壁補強工事費用1億9000万円及び擁壁構造解析・安定設計及び地質調査委託費用813万7500円の合計1億9813万7500円の支払いを求める内容証明郵便を発送した(甲9)。
コ 原告は、平成21年7月31日、訴外b株式会社との間で、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)擁壁補強(その2)工事請負契約を代金5460万円(税込み)で締結した(甲8)。
サ 原告は、平成21年8月17日、訴外c特定建設工事共同企業体との間で、都市計画道路3・4・8号線(○○工区)擁壁補強(その1)工事請負契約を代金1億1550万円(税込み)で締結した(甲7)。
(3) 道路土工・擁壁工指針(平成11年3月発行。以下「擁壁工指針」という。乙1)の記載
擁壁工指針19頁以下には、地盤の許容支持力の算定方法について、「地盤の許容支持力は、原位置試験などを行って決定することを原則とする。特に大規模な擁壁、特殊な施工条件のもの、重要度の高い擁壁あるいは、緩い砂質地盤、柔らかい粘度地盤上の擁壁については慎重に検討する必要がある。地盤の許容支持力は標準貫入試験によるN値、一軸圧縮試験、三軸圧縮試験などの結果を検討して決定したせん断抵抗角φ、粘着力cを用いて「道路橋示方書・同解説Ⅳ下部構造編」により求める場合と、平板載荷試験により地盤の直接的な降伏荷重を求める場合がある。載荷試験結果は荷重~沈下曲線、時間~荷重曲線で表し、この荷重~沈下曲線の変曲点を降伏荷重とする。ただし、支持力を決定するときは、平板載荷試験の結果だけではなく、N値、土質試験結果など総合的に判断して決めなければならない。なお、高さ8m以下の擁壁で、現地の試験を行うことが困難な場合には表1―6を使用してもよい。」との記載がある。ここにいう「表1―6」とは、擁壁工指針21頁記載の「表1―6 支持地盤の種類と許容支持力度(常時値)」のことであり、その内容は別紙のとおりである。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(本件擁壁の設計に瑕疵があるか)について
(1) 認定事実
前提事実、文末に掲記する証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 第8ブロック擁壁の高さは11.312mであり、基礎幅は6.00mである(甲15)。
イ 被告は、本件水平変位が観測される前に原告の依頼を受け、平成19年8月7日、車道側鋼矢板の引抜きにより擁壁本来の荷重状態になった場合の第7ないし第10ブロック擁壁までの天端の理論上の予測変位量を検討した資料を提出し、第8ブロック擁壁の天端の予測変位量は20.3mmと報告した(甲28)。
ウ 原告は、平成19月9月1日、第8ブロック擁壁の天端で21mmの本件水平変位が観測された後、被告に対し、変位量の検討を依頼し、被告は、同月6日、イの検討結果について修正した資料を提出し、第8ブロック擁壁の天端の予測変位量は27.2mmと報告した(前提事実(2)カ、甲28)。
エ 被告は、平成19年9月27日、原告との打ち合わせにおいて、再度予測変位量を修正した資料を提出し、第8ブロック擁壁の設計時の地盤定数から算出した擁壁天端の予測変位量は30.6mm、施工時の平板載荷試験結果から算出した擁壁天端の予測変位量は104.3mmと報告した(甲28)。
オ 被告は、平成19年10月、これまで原告に提出した資料を取りまとめ、「都市計画道路3・4・8号線(施工時の擁壁挙動に対する検討)報告書」と題する書面(以下「被告報告書」という。)を作成し、原告に提出した(甲28)。
被告報告書には、本件水平変位の原因の検討結果として、①設計時の地盤定数を前提に算出した予測変位量が30.6mmであるのに対し、施工時の平板載荷試験結果から算定した予測変位量は104.3mmであるという数値を示して、設計時の地盤定数と施工時の平板載荷試験結果から算定した擁壁天端での水平変位が大幅に異なるブロックがあり、後者の場合、大きな変位が生じる可能性があること、②擁壁前面側の山留め壁撤去後の閉塞処理が十分でない場合、支持地盤の緩み、水平抵抗の低下が懸念されるとの記載がある。
また、今後の方針として、①山留め壁の天端変位の計測結果は、掘削時のみ変位し、掘削を休止している間は進行していないことから弾性範囲の挙動を示していること、②山留め撤去から時間が経過していること及び前面地盤を盛土してあることから、地盤の緩みがある程度回復している可能性もあること、③平板載荷試験結果にはバラツキがあり、変形係数が小さめに計算されている可能性があること、④設計時のボーリング調査は、直接基礎の採用を前提としたものであり、変形に対して最も必要な情報である孔内水平載荷試験等が実施されていないことを理由として、ボーリング調査を実施し、その結果から、対策工法の必要性を判断した上で、必要ならば対策工法や対策範囲等の検討を行う必要があるとの記載がある。
カ 訴外a社報告書は、新たに3箇所の土質ボーリング、標準貫入試験、室内土質試験を内容とする地質調査を行って作成されているところ、本件水平変位は、①擁壁前面側の鋼矢板引抜き、②擁壁前面土砂の掘削及び③その他に潜在する変状原因が複合して発生したと考えられること、対策工法の必要性については、第3ないし5、7及び8ブロック擁壁について、被告の設計において算出された擁壁の支持層の地盤の許容支持力が、道路橋示方書・同解説Ⅳ下部構造編により求める方法により算出した許容支持力を下回る状態になっているため、同ブロック擁壁について支持力対策工が必要であること等の記載がある(甲21)。
キ 地盤の安定性判断等に関する知見(弁論の全趣旨)
擁壁設計における許容支持力の算出方法等に関する専門委員Aの説明(以下「専門委員の説明」という。)の概要は、次のとおりであり、これらの知見の内容は十分合理的であって、本件記録上、その合理性を否定する確実な根拠を示す証拠はない。
(ア) 地盤の安定性判断の指標
擁壁の壁面頭部が前面に傾斜する変形モードの場合、壁面の変形量から、構造物・地盤系が崩壊につながる不安定な状態か否かを推定する指標として、地盤中に発生するせん断ひずみ(矩形土要素が平行四辺形に変化するときの角度の変化)の大きさがあるところ、通常の地盤条件では、せん断ひずみが0.5%程度であれば、直ちに地盤が不安定な状態であると判断することはない。
また、単純に直立壁面が前面に傾斜するモードを考えた場合、せん断ひずみが0.5%程度という状態は、高さ約10mの擁壁に対しては壁面頭部での水平変位量が50mm程度であることに相当する。
(イ) 地盤改良の要否の判断手法
高さ約10m程度の擁壁の天端の水平変位量が20mm程度生じた段階で、擁壁底版下部の地盤改良の必要性を判断する場合、通常は、地盤調査・土質試験等を実施し、設計で採用された地層断面と選択された地盤定数の適否を確認するとともに、加えて擁壁構築前に行われた地盤掘削時の土留め変位や切梁荷重の計測データから、当該地盤の地盤諸定数を逆算し、それらを用いて数値解析を行い、擁壁構築後の前面掘削完了時の擁壁・地盤系の挙動のシュミレーション結果から安全性、地盤改良の要否を判断する手法が取られる。
(ウ) クラッシュパイラーの特性
本件擁壁工事で採用されている鋼矢板の引抜き機械であるクラッシュパイラーは、既設の鋼矢板3枚を反力として隣接する端部の鋼矢板を引き抜くメカニズムを採用しており、鋼矢板引抜き時の地盤挙動は2次元状態より軸対称状態に近いものとなる。
したがって、鋼矢板引抜きに影響する領域の判断は、単杭あるいはアンカーの引き抜き現象に近く、破壊領域はカクテルグラス状のような地表面に向かって開く対数らせんで近似される形状となり、2次元状態よりずっと局所的な範囲におさまる。
(エ) 本件における鋼矢板引抜きによる地盤内の空隙発生の影響の程度
鋼矢板引抜き時には、支持力に影響を及ぼす可能性のある底版部深さの地盤は10mの土被り圧が作用している応力状態にあるから、引抜きによって形成される空隙は安定を保つことができず、直ちに閉塞する。
地盤中浅い深度で鋼矢板引抜きによる空隙が存在するとしても、垂直な円形断面の支保工なしの立杭の自立高さまでとなり、粘着力が小さい砂・礫層では極めて浅い範囲に限定される。
したがって、鋼矢板引抜きによって不可避的に起こる地盤の緩みは発生するものの、本件のような引抜き時の地中応力状態及び擁壁規模の場合、適切に引抜き作業が行われれば、本体構造物に重要な影響を与えることは少ない。
(オ) 支持力算定における別紙「表1―6」の取り扱い
別紙「表1―6」は、過去の平板載荷試験結果、実務で行われてきた調査及び設計の精度等を勘案して、公的機関が通常規模の構造物に対して安全性も考慮して経験的に定めた許容支持力の上限値であり、実務設計者の目安としての役割を有しており、擁壁工指針における8mの擁壁高さの記載は、直接別紙「表1―6」の適用を制限したものではない。
本件擁壁の許容支持力の算定にあたり、別紙「表1―6」を設計の目安として用いることは問題ないが、偏心・傾斜荷重が作用する本件擁壁基礎(壁高10m、基礎幅6m)については塑性力学理論から導かれた支持力式による手法でも安全性を確認すべきであった。
(カ) 平板載荷試験の評価
直接基礎の支持力は、基礎の幅と根入れ深さに依存して計算されるところ、根入れなしの状態で30cm直径の円盤を用いて鉛直方向に載荷される平板載荷試験の条件と実際の6m幅の基礎との対応を考えると、根入れによる押さ荷重の効果、載荷される基礎幅、基礎形状の相違、偏心・傾斜荷重の有無が異なり、平板載荷試験結果から当該基礎の支持力を直接には算定できない。
一般には過去の資料や土質試験結果などを参考にして、支持力公式と平板載荷試験結果からせん断定数を逆算して、そのせん断定数を用いて再度支持力公式を用いて当該基礎の支持力を算定する方法が用いられ、その結果は支持力算定に大きく影響する可能性があるため、他の資料等を参照して総合的な技術判断がなされているのが実情である。特に下層部に強度の小さい層が存在する場合には、平板載荷試験結果は危険側となりうることに留意すべきである。また、礫層や転石混じり層では、試験位置の地盤状態によっては試験値がその地盤の代表値であるか十分検討する必要がある。
(2) 検討
ア 本件擁壁支持層の地盤の許容支持力不足の有無
原告は、本件擁壁について具体的な危険性がなくても、設計段階で安定性を確保できる許容支持力が算定されなければ、擁壁としての基本的安全性を欠き、設計の瑕疵となるとした上で、本件擁壁について、道路橋示方書・同解説Ⅳ下部構造編に基づき算出した地盤の許容支持力を下回っており、被告の設計に瑕疵がある旨主張する。そして、これに沿う証拠として、訴外a社報告書(甲21)の記載中には、前記認定のとおり、第3ないし5、7及び8ブロック擁壁について、被告の設計において算出された擁壁の支持層の地盤の許容支持力が、道路橋示方書・同解説Ⅳ下部構造編により求める方法により算出した許容支持力を下回る状態になっているため、同ブロック擁壁について支持力対策工が必要である旨の記載がある。
そして、訴外a社報告書は、許容支持力を算出するにあたって、本件水平変位が生じた原因として鋼矢板の引抜きによる地盤への影響を想定し、①鋼矢板引抜き時に鋼矢板に付着する土砂排出によって地盤内の空隙が発生し、地盤変形により擁壁を支持する支持層が沈下したこと、②鋼矢板の引抜きに伴い一次的にスリット状の空隙が生じ、擁壁背面側から作用する土圧に擁壁前面の埋戻し土砂の自重が加わって大きな地盤反力が発生することで支持力が不足していた可能性があること、③擁壁背面側の支持層である礫層の平均N値が50であるのに対し、鋼矢板引き抜いた側の擁壁前面側の平均N値は36で低下しており、この結果は、鋼矢板引抜きによる礫層が緩んだ結果を示唆する、としてこの調査結果を基に設計土質定数を再設定した上、擁壁安定計算を実施し上記の結論を出している。
しかしながら、①及び②については、本件擁壁工事では、鋼矢板の引抜きにクラッシュパイラーが採用されており、鋼矢板引抜きに影響する破壊領域はカクテルグラス状のような地表面に向かって開く対数らせんで近似される形状となり、局所的な範囲におさまること、また、鋼矢板引抜きによって不可避的に起こる地盤の緩みは発生するものの、適切に引抜き作業が行われれば、本件の引抜き時の地中応力状態及び擁壁規模の場合、本件構造物に重要な影響を与えることは少ないと考えられることは、専門委員の説明のとおりであり、これらの地盤工学における知見と異なる仮定に基づく支持力計算及び擁壁安定計算には疑問がある。
また、③についても、過去に何度か実施された相隣接して実施された複数の標準貫入試験結果の比較から予想される地盤の不均質性に起因するN値の差異を考慮することなく、本件水平変位後に擁壁前面と背面で行われた標準貫入試験の結果得られた2点のN値のみから、鋼矢板引抜きにより礫層が緩んだ結果N値が低下したことを示唆するとしている点並びに専門委員の説明のとおり、鋼矢板引抜き時には支持力に影響を及ぼす可能性のある底版部深さの地盤に10mの土被り圧が作用する応力状態にあるから、引抜きによって形成される空隙は安定を保つことができず直ちに閉塞すること及び地盤中浅い深度で鋼矢板引抜きによる空隙が存在するとしても、垂直な円形断面の支保工なしの立杭の自立高さまでとなり、粘着力が小さい砂・礫層では極めて浅い範囲に限定されることに照らせば、検討不足であることは否めない。
このように、訴外a社報告書の内容には、その支持力算定・擁壁安定計算の過程において種々の疑問があり、直ちに採用できない。
したがって、訴外a社報告書をもって本件擁壁支持層の地盤の許容支持力が不足していることを直ちに認定することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
そうすると、被告の本件擁壁の設計には、許容支持力不足による瑕疵があると認めることはできない。
イ その他の被告の設計の瑕疵の有無
原告は、本件水平変位が生じた後、被告から第8ブロック擁壁天端の許容変位量が32mmであるのに対し、施工時の平板載荷試験結果から算定した車道側鋼矢板の引抜きにより擁壁本来の荷重状態になった場合の予測変位量が最大で104.3mmであるとの報告を受けたこと、専門家である被告及び訴外a社が本件擁壁の対策工が必要と判断していることから、本件擁壁には基本的安全性を欠く具体的危険性があるとした上、このような具体的危険性をもたらした原因として、被告の設計には、①本件擁壁設置側の土地について地質調査を怠ったこと、②一部のブロックにおいて、平均N値=18の細砂層を支持層として直接基礎を選択しており、基礎形式の選択を誤ったこと、③本件擁壁について使用が認められない擁壁工指針の表1―6を用いて算出する方法により地盤の許容支持力を算出したこと、④擁壁前面の鋼矢板につき擁壁の基礎部分の周辺部分を残置したまま頭部を切断する設計をすべきであったにもかかわらず、擁壁前面の鋼矢板を全て撤去する設計を行ったことの各瑕疵がある旨主張する。
しかしながら、通常の地盤条件では、せん断ひずみが0.5%程度であれば、直ちに地盤が不安定な状態であるとはいえないことは専門委員の説明のとおりであるところ、これは壁高10mの擁壁に対しては壁面頭部での水平変位量が50mm程度に相当するものであり、第8ブロック擁壁について、これを超える水平変位を生じる具体的危険性を認めるに足りる的確な証拠はない。
なるほど被告報告書には、施工時の平板載荷試験結果に基づき算定した車道側鋼矢板引抜きにより擁壁本体の荷重状態になった場合の予測変位量が最大で104.3mmであると記載されてはいるが、被告報告書も直ちに対策工が必要と断定しているものではなく、専門委員の説明のとおり、平板載荷試験については、根入れなしの状態で30cm直径の円盤を用いて鉛直方向に載荷される平板載荷試験の条件と実際の6m幅の基礎との対応関係をみると、根入れによる押さ荷重の効果、載荷される基礎の幅及び形状の相違並びに偏心・傾斜荷重の有無が異なり、平板載荷試験結果から本件擁壁の基礎の支持力を直接算定できず、特に下層部に強度の小さい層が存在する場合には、平板載荷試験結果は危険側になり得る反面、礫層では試験値がその地盤の代表値として適正かどうかも検討しなければならないから、平板載荷試験結果に基づき算出した前記予測変位量は、第8ブロックの具体的危険性を直ちに示すものとはいえない。
また、上記のとおり、被告が設計の基礎とした本件擁壁設置地盤の許容支持力では直ちに具体的危険性が生じるとまでは認められない以上、原告が被告の設計上の瑕疵として主張する①擁壁設置側の地質調査をしなかったこと及び④擁壁前面の鋼矢板全部撤去の設計をしたことが被告の設計上の瑕疵であるともいうことができない。
②については、擁壁工指針(乙1)によれば、擁壁の基礎形式としては、支持地盤や背後の盛土と一体となって挙動する直接基礎が望ましく、表層の地盤が軟弱な場合でも、比較的浅い部分に支持層が存在する場合は軟弱層の置き換えや改良を行い、直接基礎とすることが多いとされており、細砂層を支持層として直接基礎を選択したことが直ちに基礎形式の選択を誤ったものと認めることはできない。
さらに、③については、そもそも擁壁の高さ8mを超える場合に、別紙「表1―6」を用いることが直接制限されるわけではなく、本件擁壁の許容支持力算定にあたり、設計の目安として用いることは問題ないとされていることは専門委員の説明のとおりであるから、被告が設計にあたり、別紙「表1―6」を用いて支持力を算定していること自体が設計上の瑕疵に該当するとはいえない。
したがって、結局、原告の主張はいずれも採用できず、被告の本件擁壁の設計に瑕疵があるとは認められない。
2 争点(2)(被告の原告に対する不法行為責任の存否)について
上記1のとおり、そもそも本件擁壁が擁壁としての基本的安全性を欠く状態であることや被告の設計に瑕疵があるとは認められないから、これらを前提とする被告の注意義務違反行為を認めることもできない。
よって、原告の主張は理由がない。
3 まとめ
したがって、その余の点について判断するまでもなく、被告が民法634条2項又は709条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任があるとは認められない。
第4結論
以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 日下部克通 裁判官 鈴木義和 高橋静子)