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水戸地方裁判所 昭和23年(ワ)158号 判決

茨城県久慈郡太田町字仲城一三九番地所在家屋番号仲城第一〇五番木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪二十六坪外二階坪八坪の建物が反訴原告(本訴被告)の所有であることを確認する。

訴訟費用は本訴並に反訴を通じ本訴原告(反訴被告)の負担とする。

二、事  実

(以下本判決書において本訴原告(反訴被告)を単に原告、本訴被告(反訴原告)を単に被告と称する。)

第一当事者の申立

原告訴訟代理人は本訴につき「主文第二項掲記の建物が原告の所有であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を、反訴につき「被告の反訴請求を棄却する。」との判決を夫々求め、被告訴訟代理人は本訴につき「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を、反訴につき「主文第二項掲記の建物が被告の所有であることを確認する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を夫々求めた。

第二当事者の主張

一、本訴請求原因並に反訴答弁

(一)  主文第二項掲記の建物(以下本件建物と称する)はもと訴外久保木藤助が明治三十六年頃建築したもので同人の所有であつたが、同人が明治三十八年十月二十六日死亡に因り其の長男訴外久保木進一が家督相続によつて其の所有権を取得したところ、同人は明治四十二年頃之を訴外野沢寅之介に売渡し右訴外寅之介は大正八年四月十八日之を其の次男訴外秀之介に売買名義で贈与し、右訴外秀之介は大正十二、三年頃更に之を前記藤助の後妻訴外久保木すゑに贈与した。而して原告は右すゑの長男貞正の妻であるが、昭和十九年三月二十日右すゑから之を代金千円余で買受け其の所有権を取得した。そして本件建物は従前未登記の建物であつたので右すゑが同年三月二十九日太田区裁判所受付第八二六号を以て所有権保存登記申請を為し同裁判所(現在は水戸地方法務局太田支局)備付登記簿に登記番号第二二七〇号建物として登載登記せられ更に同日右すゑから原告に之が所有権移転登記を経由した。

(二)  然るに被告は昭和二十三年六月三日訴外和田弘見から本件建物を買受けたと称して原告の所有権を争つているが、被告が同年六月十六日太田区裁判所受付第六五二号を以て右訴外和田から同月三日の売買を原因として所有権移転登記を経由した同裁判所備付登記番号第一二二六号表示の建物は次に述べるように本件建物に該当しない。すなわち大正十二、三年頃茨城県久慈郡太田町字仲城一三九番地宅地七十七坪の地上に本件建物の外に木造亜鉛葺平家建居宅一棟建坪約十二坪の建物があり、本件建物は前述のように当時訴外久保木すゑの所有であつて右居宅約十二坪の建物は訴外久保木清(右すゑの次男)の所有であつたが、いづれも未登記の建物であつたところ、右訴外清は大正十三年二月頃訴外株式会社常磐銀行と極度額千五百円の当座借越契約を締結するに当り自己所有の不動産に対し根抵当権を設定する必要に迫られしかも自己所有の右約十二坪の建物ではこれを登記しても登記簿上一見して担保価値の不足が判明して了うので一策を案じ幸に同一敷地内に久保木すゑ所有の本件建物が未登記であつたのを奇貨とし、之と紛わしいように右約十二坪の建物を第一号木造瓦葺二階建居宅建坪二十五坪外二階二十坪と詐り表示して大正十三年二月十九日太田区裁判所受付第五二七号を以て其の所有権保存登記申請を為し、同裁判所備付登記簿に登記番号第一二二六号の建物として登載登記された。然るところ訴外清は昭和三年十一月二十三日右約十二坪の建物内で自殺したため該建物は同人の死後間もなく取毀され滅失して了つたが、右第一二二六号表示の建物はそのまま抹消登記手続もされず登記簿上残存していたので右清の長男訴外豊が昭和九年一月十三日遺産相続による所有権取得登記を経由し、更に右豊が今次戦争に応召して昭和十八年十一月二十三日戦死したので同人の実母である訴外ハツが登記簿上之を遺産相続した。然るに右ハツは其の実父訴外武藤敞と共謀して前述約十二坪の建物に関する登記(第一二二六号)を利用して本件建物を其の手中に収めようと企て、昭和十九年十一月二十二日当時既に死亡していた訴外豊の委任状を偽造し訴外ハツを代理人として豊名義で先づ太田税務署に対し家屋所有名義訂正申立書を提出し、同署備付の本件建物に関する家屋台帳(既に昭和十九年三月二十九日太田区裁判所に登記済であり原告所有名義に登記されて居る本件建物に関する太田税務署備付の家屋台帳)の所有者の氏名の表示中久保木スエとある「スエ」の部分を縦線を以て抹消し其の横に「豊」と記載訂正を受け即日同税務署から訂正後の家屋台帳謄本の交付を受けて之を添付証憑とし、昭和二十一年九月十四日太田区裁判所に対し同裁判所備付登記番号第一二二六号の建物表示更正登記申請書を提出して同建物の表示を本件建物の表示と同じように更正し、以て同裁判所備付登記簿に原告所有の本件建物とその所在地番構造建坪及び家屋番号の全く同一なる登記を作出することに成功した上、昭和二十三年五月一日訴外豊から訴外ハツ名義に遺産相続による所有権移転登記更に登記簿上同月五日右ハツから訴外和田弘見に売買を原因とする所有権移転登記、次で同年六月十六日右訴外和田から被告名義に売買を原因とする所有権移転登記をそれぞれ経由し、被告は現在原告の本件建物に対する所有権を争つているのである。然し前述したように訴外亡久保木清は現存する本件建物については全く登記意思を欠き、同人が登記意思を有して登記した建物は既に滅失した前述約十二坪の自己所有の建物であるから、前示登記番号第一二二六号表示の建物は本件建物に該当しない。従つてたとえ被告が訴外和田から本件建物を買受けたとしても右第一二二六号の登記を以て昭和十九年三月二十九日既に本件建物について登記を経由した原告に対抗し得ない。

(三)  又仮に訴外久保木清が本件建物につき登記意思があり右第一二二六号の登記が本件建物についての登記であつたとしても右訴外清は元来本件建物について真実の所有権を取得していないから斯る無権利者が為した右第一二二六号の所有権保存登記は当然無効であり従つて其の後の各所有権移転登記もすべて無効であるから被告は本件建物の所有権を取得するに由ない。

(四)  仮に訴外清が本件建物につき真実所有権を取得したとしても同人が大正十三年二月十九日為した所有権保存登記の建物の表示は前述のように「木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十五坪外二階坪二十坪」となつているが、現存する本件建物は「木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪二十六坪外二階坪八坪」であつて先づ「居宅」と「店舗兼居宅」との相違がありその建坪につき階下において「二十六坪」を「二十五坪」とし二階において「八坪」を「二十坪」と表示されてあり、右建物の構造及び二階坪数において著しく事実と相違し其の間に全然同一性が認められないから右保存登記は無効である。従つてたとえ其の後昭和二十一年九月十四日に至り之が更正登記(しかもこの更正登記申請は前述のように太田税務署備付の本件建物に関する家屋台帳中所有者原告名義を擅に訴外久保木豊名義に訂正を受け其の謄本を添付証憑として訴外久保木ハツが代理人となり既に昭和十八年十一月二十三日死亡し人格を失つている右豊名義を以てなされたものであるから無効である。)を為したとするも、これより先昭和十九年三月二十九日既に本件建物につき有効に登記を経由した第三者である原告に対し被告は其の所有権取得を以て対抗することができない。

(五)  以上の次第であるから被告に対し本件建物が原告の所有に属することの確認を求める。なお被告主張の事実中原告の主張に反する部分はすべて否認する。

二、本訴答弁並に反訴請求原因

(一)  原告主張事実のうち主文第二項掲記の本件建物がもと訴外久保木藤助において明治三十六年頃建築し同人の所有であつたこと、訴外久保木すゑ、同貞正、同清、同ハツ、同豊及び原告等の身分関係が原告主張の通りであること並に登記関係につき夫々原告主張の通りの各登記を経由したことはいづれも認めるが、其の余の事実は全部否認する。

(二)  本件建物は次のような事情から訴外久保木藤助の生前明治三十七年中其の妻たる訴外久保木すゑにおいて右藤助から贈与を受け其の後大正十三年二月訴外久保木清が右すゑから更に贈与を受けて其の所有権を取得し同年二月十九日太田区裁判所に本件建物の所有権保存登記を了したものである。すなわち訴外藤助には前妻との間に長男進一があつたが、同人は父たる藤助と別居し藤助の本籍地なる茨城県久慈郡機初村大字西宮に居住し太田町には出て来なかつた。藤助は自己死亡後の後妻すゑ及び同人との間に出生した貞正、清の二人の子供の生活のために生前本件建物を右すゑに贈与したものである。ところが貞正は性放埒であり清は真面目な性格であつたので藤助死亡後すゑは清を愛したため兄弟仲悪く財産争が生じたので大正十三年二月同じ町内に居住する訴外高田良蔵、同田所新之介及び相原某が仲に入つて斡旋の結果貞正には田六反歩と金千円を、清には本件家屋と其の敷地たる宅地七十七坪とをそれぞれ分与することに決まり、清は同年二月十九日太田区裁判所に本件建物の所有権保存登記申請を為したが、其の際本件建物の坪数等の表示を誤り久慈郡太田町字仲城一三九番地所在第一号木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十五坪外二階坪二十坪と表示して申請したため、同日同裁判所備付登記簿に登記番号第一二二六号建物として登載登記された。そして訴外清は同月二十五日本件建物及び宅地を担保に供して訴外株式会社常磐銀行と極度額千五百円の当座借越契約を締結し営業資金を借受けたのである。

(三)  原告は訴外清が右銀行と極度額千五百円の当座借越契約を締結し根抵当権を設定するにつき担保価値を増加するため故意に自己所有の約十二坪の平家を二階建とし且つ坪数を詐つて登記したものであつて、本件建物につき登記の意思がなかつたと主張するが、大正十二、三年頃前記字仲城一三九番の宅地上には本件建物一棟以外には原告主張のような木造亜鉛葺平家建居宅一棟建坪約十二坪の建物が存在した事実なく従つて又これを取毀した事実もないのであるから、訴外清の前述所有権保存登記は本件建物につき登記する意思を以て登記したものであること明らかである。

(四)  而して本件建物は訴外清が所有権保存登記後昭和三年十一月二十三日死亡し其の長男豊において昭和九年一月十三日遺産相続による所有権取得登記を経由したが同人は昭和十七、八年頃今次戦争に応召不在中なる昭和十九年三月二十九日に至り原告は叙上の事実を熟知し乍ら訴外亡清の所有権保存登記が実際の状況と多少相違しているのを奇貨として本件建物を奪取しようと企て前記の如く字仲城一三九番の宅地上には本件建物一棟しか存在せず又其の以外に新築の事実なきに拘らず訴外久保木すゑ名義を以て同地上に第三号建物として二重の所有権保存登記を申請し、太田区裁判所備付登記簿に登記番号第二二七〇号建物として登載登記を受け、同日右すゑから原告名義に売買に因る所有権移転登記を経由して了つた。

訴外清の妻であり豊の母である訴外久保木ハツは右豊の応召不在中其の一切の財産の処理を委任されていたが、昭和二十一年九月頃本件建物に対する家屋税の納税通知が来なくなつたので調査したところ、実際上建物は一棟しかないのに登記簿上二重に登記されて居り、太田町役場及び同税務署でもいつの間にか本件建物の所有名義が久保木すゑと登載された結果であることが判明したので当時右豊戦死の事実を知らないので(豊が昭和十八年十一月二十三日戦死したことは昭和二十二年暮公報があつて始めて知つた)訴外ハツが豊の代理人となり同人名義を以て太田税務署に本件建物の所有名義訂正の申立を為し且つ太田区裁判所の登記簿についても現在登載通りの更正登記を受けたのである。

(五)  以上の次第で訴外すゑが昭和十九年三月二十九日申請した所有権保存登記は実際存在しない建物について為された登記であるから無効である。仮に本件建物について登記申請されたものであるとしても前述の如く本件建物については既に大正十三年二月十九日訴外清が所有権保存登記を了しているから右すゑの所有権保存登記は登記すべからざる二重登記であるから無効である。従つて右無効なる所有権保存登記に基き為された原告の売買に因る所有権移転登記も亦無効であつて、原告は本件建物の所有権を取得すべき理由がない。

(六)  又仮に原告が訴外すゑから真実本件建物を買受けたとしても其の登記を経由した昭和十九年三月二十九日以前被告の前の所有者訴外清は既に大正十三年二月十九日本件建物の所有権保存登記を了しているから被告の所有権取得は原告に優先さるべきものである。よつて本件建物が現在被告の所有に属することの確認を求める。

第三証拠方法<省略>

三、理  由

一、証人久保木ハツ(第一、三回)同高田あき(第一回)同田所とく同中山米吉、同圷保太郎の各証言及び原告本人の供述(第一回)並に第一回検証の結果を綜合すると、主文第二項掲記の本件建物は明治三十六年頃訴外久保木藤助が建築(この事実は当事者間に争がない)して以来、昭和九年四月頃其の土台を修繕した外は増改築の事実なく其の構造や坪数等に何等の変更なくして現在に至つたものであること及び本件建物の敷地である茨城県久慈郡太田町字仲城一三九番宅地七十七坪の地上には大正十二、三年頃本件建物の外に木造杉皮葺建坪約四坪位の鶏舎一棟と木造亜鉛葺平家建建坪約六坪の建物一棟(この建物は訴外久保木清が建築した)が存在していたが、前者の鶏舎は其の後自然に朽廃滅失して了い又後者の約六坪の建物は昭和三年末頃取毀されたが其の後昭和四、五年頃その跡へ木造亜鉛葺平家建建坪二坪の物置一棟が新築されて現存していること、従つて大正十二、三年頃から現在まで右宅地上には木造瓦葺二階建の建物としては本件建物一棟しか存在しなかつたことをそれぞれ認めることができる。

二、然るに現在水戸地方法務局太田支局(元太田区裁判所)備付の登記簿に本件建物とその所在、地番、構造、建坪及び家屋番号を同じくする建物の登記が一は第一号建物として登記番号第一二二六号、他は第三号建物として登記番号第二二七〇号を以て二個登載されてあること、そして右第一二二六号表示の建物については(一)大正十三年二月十九日訴外久保木清が初め建物の表示を第一号木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十五坪外二階坪二十坪として自己名義に所有権保存登記を了し、(二)昭和九年一月十三日訴外久保木豊が昭和三年十一月二十三日の遺産相続に因る所有権取得登記を経由し、(三)昭和二十一年九月十四日同人名義で右建物の表示を木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪二十六坪外二階坪八坪と更正登記を受け、(四)昭和二十三年五月一日訴外久保木ハツが昭和十八年十一月二十三日の遺産相続に因る所有権取得登記、(五)同年五月五日訴外和田弘見が同年五月四日の売買に因る所有権移転登記、(六)同年六月十六日被告が同月三日の売買に因る所有権移転登記を夫々経由し又前示第二二七〇号表示の建物については、(イ)昭和十九年三月二十九日訴外久保木すゑが建物の表示を第三号木造瓦葺二階建店舗兼居宅一棟建坪二十六坪外二階坪八坪として自己名義に所有権保存登記を了し、(ロ)同日原告が同年三月二十日の売買に因る所有権移転登記を経由したこと及び前示(三)の建物表示更正登記は訴外久保木ハツが代理人となり、訴外豊名義で登記申請されたものであることはいづれも本件当事者間に争がない。

三、そこで先づ原告は訴外久保木清が大正十三年二月十九日為した前示(一)の所有権保存登記は同人が其の頃訴外常磐銀行との間に極度額千五百円の当座借越契約を締結するに当り自己所有の木造亜鉛葺平家建約十二坪の建物について担保価値を増加するため故意に該建物の表示を詐つて登記申請したものであつて、本件建物については登記意思なく従つて前示登記番号第一二二六号表示の建物は本件建物に該当しないと主張するが、右主張は次の理由により之を採用しない。それは成る程訴外清の右(一)の保存登記申請に係る建物の表示は原告主張のように木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十五坪外二階坪二十坪であつて本件建物のそれとは二階坪数等において著しい相違があり、又前示認定の如く大正十二、三年頃茨城県久慈郡太田町字仲城一三九番宅地七十七坪の地上には原告主張のような右約十二坪の建物はなかつたが、約六坪の訴外清が建築した木造亜鉛葺平家建の建物一棟が存在し、且つ訴外清が大正十三年二月二十五日訴外常磐銀行との間に極度額千五百円の当座借越契約を締結し同日右(一)の保存登記に係る建物に対し根抵当権を設定したこと成立に争のない乙第一号証によつて明らかであるが、然し訴外清が右銀行と右の契約を締結するに当り根抵当権を設定したのは右建物だけではなく其の敷地七十七坪に対しても根抵当権を設定したものであること成立に争のない甲第六号証により明らかであるばかりでなく、前示認定の如く其の当時右宅地上に瓦葺二階建の建物としては本件建物一棟しか存在しなかつた事実に第一回検証の結果に徴すれば、本件建物は右宅地の東側道路に面して建てられてあるが右約六坪の建物の存在位置は現存の二坪の物置と同じ位置で道路に面して居らなかつたところ、同検証調書添付書類(1) の訴外清が前示(一)の保存登記申請書に添付した図面写によれば該登記の目的建物は右宅地の東側道路に面した二階建として記載されてある等右添付図面写と本件建物の位置及び宅地の状況等を対照考察するときは訴外清は本件建物の所有権保存登記を為す目的即ち意思を以て申請したけれども偶々二階坪数等の表示を誤り前示の如く登記が為されたものと認めるを相当とし他に右認定を動かすに足る証拠がないからである。(尤も前示検証調書添附書類(1) の図面写と第一回検証の結果における本件建物の形状とを対照すれば其の形状全然別異の感があるが、しかし又一方同検証調書添附書類(2) の訴外久保木すゑが昭和十九年三月二十九日附保存登記申請書に添附した図面写と同検証の結果における本件建物の形状とを対照すれば矢張り其の形状が全く異つていることが認められるからこの点は必ずしも原告のみに有利な認定をなす資料とはなし難い。

四、一方被告は、(一)訴外久保木すゑが昭和十九年三月二十九日申請した前示(イ)の所有権保存登記は実際存在しない建物について為された登記であるから無効である。(二)仮に本件建物について登記申請されたものであるとしても本件建物については既に大正十三年二月十九日訴外清が所有権保存登記を了しているから右すゑの保存登記は登記すべからざる二重登記であるから無効であると主張するが、前示三において説示したと同様第一回検証調書添附書類(2) (3) の登記申請書写及び其の添附図面写と本件建物の位置等を対照しこれに原告本人尋問の結果を併せ考えれば訴外久保木すゑは本件建物につき所有権保存登記申請を為したものであることを認めるに足るから被告の右(一)の主張は之を採用しない。又同一の建物について二重の所有権保存登記を為すことは法の許容しないところであるから斯くの如き場合においては後に為された保存登記は原則として無効と解すべきこと勿論であるが、然し右に所謂二重の保存登記とは同一建物につき二個の保存登記が存在し、しかもそのいづれもが当該建物を表示するに足る場合、即ち二個の保存登記の間に登記簿上の関係において形式上同一性が認められる場合をいうのであつて、本件のように訴外清が大正十三年二月十九日為した前示所有権保存登記の建物の表示は木造瓦葺二階建居宅一棟建坪二十五坪外二階坪二十坪であり其の後昭和二十一年九月十四日に至り訴外豊名義で坪数等につき更正登記を為して実在の本件建物に一致せしめたけれども、訴外すゑが昭和十九年三月二十九日本件建物につき所有権保存登記を為した当時においては右二個の保存登記の間には其の二階坪数等において著しい相違があり、登記簿の関係において形式上同一建物についての保存登記とは認められない場合には実質的には同一建物についての二重の保存登記であつても形式的には全く別個の建物に関する保存登記であつて、前述の所謂二重の保存登記とは言えないから訴外すゑの為した右保存登記が単に登記すべからざる二重登記であるから無効であるとの被告の前示(二)の主張も亦之を採用することができない。

五、次に原告は仮に訴外清が本件建物につき登記意思があり大正十三年二月十九日為した前示所有権保存登記が本件建物についての登記であつたとしても、右清は元来本件建物について真実の所有権を取得していないから斯かる無権利者が為した所有権保存登記は無効であると主張するので按ずるに、この点につき本件建物がもと訴外久保木藤助の所有であつたことは当事者間に争がないところ、原告は右藤助が明治三十八年十月二十六日死亡に因り其の長男進一が家督相続によつて其の所有権を取得し同人は明治四十二年頃之を訴外野沢寅之介に売渡し右訴外寅之介は大正八年四月十八日之を其の次男訴外秀之介に売買名義で贈与し右秀之介は大正十二、三年頃更に之を訴外久保木すゑに贈与したと主張するに対し、被告は右藤助の生前明治三十七年中訴外久保木すゑにおいて右藤助から本件建物の贈与を受け其の後大正十三年二月訴外清が右すゑから更に贈与を受けて其の所有権を取得したと主張するから右双方の主張自体からして訴外藤助から進一、寅之介、秀之介を経て訴外すゑに贈与されたか又は藤助から直接すゑに贈与されたかは暫く措き、兎に角大正十二、三年当時においては訴外すゑが本件建物を所有していた事実は当事者間に争がないことになり結局問題は訴外すゑが大正十三年二月頃果して本件建物を訴外清に贈与したか否かに帰する。よつて審按するに(一)成立に争のない甲第八号証と原本の存在並に其の成立に争のない乙第十一号証及び証人久保木ハツの証言(第一回)によれば訴外清は訴外藤助同すゑの次男であつたが、父藤助死亡後其の家業を継いで大正十二、三年当時毋すゑ及び妻ハツと共に本件家屋に居住し瀬戸物商を営んで居り、兄貞正は其の妻である原告と共に同一町内の他の家屋に別居して古物商を営んでいたこと、そして訴外すゑは右清夫婦及び其の長男豊を伴つて昭和三年五月十五日久慈郡機初村大字西宮千二百七十三番地戸主久保木光雄(進一の長男)の家から太田町百三十九番地に分家した事実を認めることができる。又(二)成立に争のない乙第六号証と第一回検証調書添附書類(3) の太田町役場備付家屋賃貸価格調査票写の各記載並に証人大繩通之介(第一、二回)同久保木ハツ(第一、二、四回)の各証言を綜合すれば、太田町役場備付の家屋調査簿及び家屋賃貸価格調査票には昭和二、三年頃本件建物の所有者として訴外清が登載されていたこと及び本件建物に対する家屋税(県税)は大正十五年三月頃から昭和三年度までは訴外清に課税され同人が之を納めていたが、其の後日時は判然しないが右家屋賃貸価格調査票の所有者欄中久保木清とあるをすゑと訂正されてからはすゑ名義で課税されたが昭和十六年頃までは訴外ハツにおいて之を納入していたことを認め得ること等の事実に成立に争のない乙第四第五号証(いづれも当裁判所昭和二十年(ハ)第三〇号物件引渡請求事件の証人田所新之介、同武藤敞に対する各尋問調書)中の同証人等の供述及び証人高田あき(第一、二回)同久保木ハツ(第一乃至第四回)同武藤敞、同萩谷本之介、同野沢秀之介(第一回)の各証言並に弁論の全趣旨を参酌して考察すれば、大正十二、三年頃訴外清と其の兄貞正との間に財産争が生じた際近所に居住していた訴外高田良蔵、同田所新之介等が仲に入つて訴外すゑから貞正には田六反歩と金千円を、清には本件建物と其の敷地である宅地七十七坪をそれぞれ分与した事実を認めることができるのであつて、右認定に反し訴外すゑは田六反歩を貞正に、宅地七十七坪を清に各贈与したが、本件建物はそのまますゑの分として残して置いた旨の証人野沢秀之介の証言(第二、三回)及び原告本人の供述(第三回)はいづれも前顕各証拠と対比して遽に信用できないし他に右認定を左右するに足る証拠がない。そうすれば訴外清は真実の所有権に基いて本件建物の保存登記を為したのであるから之に反する原告の前示主張は之を採用しない。

六、然らば次に主要の争点は訴外清と同すゑが前示各為した所有権保存登記のいづれが優先して有効なりや否やにあるから按ずるに、この点につき原告は訴外清が大正十三年二月十九日為した保存登記の建物の表示と実在する本件建物のそれとは構造及び二階坪数において著しく事実と相違し、其の間に全然同一性が認められないから右保存登記は無効であると主張するが、凡そ建物の登記が実在の建物に関するものと到底認め難い場合には其の登記は無効たるべしと雖も、登記簿上の坪数等と実在建物の坪数等とにおいて差異があり其の差異甚しいとするも之のみによつて直ちに其の登記の効力を否定すべきものではない。要は実在の建物と登記とを照合して其の登記が実在の建物に関するものと到底認め難いかどうかを検討し、苟も該建物を登記する意思なりしことが窺知し得られ、しかも其の登記が実在の建物に関するものであることを認識するに足るときはたとえ未だ更正登記を経ざる以前と雖も其の登記はなお有効なるものとして、其の後に同一建物につき実際の坪数等に符合せる保存登記を経たる者に優先して其の権利を主張し得るものと解するを相当とする。今本件について之を観るに、訴外清が大正十三年二月十九日為した保存登記の建物の表示と実在の本件建物のそれとの間に其の二階坪数等において甚しい相違があること前示の通りであるが、訴外清が右登記申請に当り本件建物につき登記意思があつたことは前示認定の通りであり、しかも前示認定の如く本件建物の敷地である太田町字仲城一三九番の宅地上に瓦葺二階建の建物として存在しているのは本件建物一棟のみであつて、彼此混同せらるる虞ある建物は全然存在していないからたとえ二階坪数等において事実と相違して登記されていても、該登記と本件建物及び宅地の状況等を照し合せれば該登記が本件建物に関するものであることは当裁判所の第一回検証の結果によつても之を認識するに足るから前示説示の理由により該登記は未だ其の更正登記を経ざる以前と雖もなお効力を有し其の後昭和十九年三月二十九日本件建物につき保存登記を経たる訴外すゑに優先して其の権利を主張し得るものと謂わなければならない。然らばたとえ原告が其の主張のように同年三月二十日右すゑから本件建物を買受けて其の所有権を取得したとするも該権利はこれを以て、右訴外清が為した有効なる所有権保存登記に基き同人から豊、ハツ及び和田弘見を経て昭和二十三年六月十六日所有権移転登記を経由した被告に対抗し得ないわけであつて、成立に争のない甲第六号証と前記証人萩谷本之介、同久保木ハツ(第四回)の各証言並に被告法定代理人鈴木つや子尋問の結果を綜合するときは、訴外清の長男豊の死亡により遺産相続した訴外ハツは昭和二十三年五月四日本件建物及び其の敷地七十七坪を代金一万三千余円で訴外和田弘見に売渡し、右訴外和田は更に同年六月三日之を代金五万円で被告に売渡した事実を認めるに十分であるから結局本件建物は現在被告の所有に属するものと断定すべきものとする。

七、以上の次第であるから本件建物が現在被告の所有であることを争う原告に対し之が確認を求める被告の反訴請求は理由あるものとしてこれを認容し、之に反する原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 広瀬友信)

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