水戸地方裁判所 昭和24年(行)36号 判決
原告 川上甚吾
被告 恋瀬村農業委員会
一、主 文
被告の前身である恋瀬村農地委員会が、茨城県新治郡恋瀬村大字大増字下根六七七番田九畝二十五歩、同所六七八番田八畝十八歩及び同大字字マセ口二六七番畑九畝十八歩につき、原告を売渡しの相手方として樹立した売渡計画を昭和二十四年四月十二日附文書をもつて取り消した処分はこれを取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「主文同旨」の判決を求め、その請求原因として、
第一、字下根の田二筆の分
(一) 恋瀬村農地委員会(以下村農委と略称する)は、昭和二十二年三月十五日、従来訴外青木頴一所有であつた恋瀬村大字大増字下根六七七番田九畝二十五歩、同所六七八番田八畝十八歩につき、自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する。)第三条第五項第六号(改正後第七号)に基き、買収期日を同年三月三十一日と定めて買収計画を樹立し、縦覧公告の手続をした。茨城県知事は右買収計画にもとずき買収令書を発行し、同年八月十五日右買収令書を青木に交付して買収処分がなされた。
(二) 右買収地は、元来訴外郡司正夫が地主青木頴一より賃借小作していたものであるが、郡司は耕作をしない意思で該農地の買受け申込をしなかつたので、原告は右農地につき昭和二十三年度の耕作をなし、且つ同年六月七日村農委に対し右農地の買受申込をした。よつて村農委は第一順位者である郡司正夫の買受申込がないので、昭和二十三年六月十五日右農地につき売渡の相手方を原告とし、売渡の時期を昭和二十二年三月三十一日と定めて第三回売渡計画を樹立し縦覧公告の手続をした。茨城県知事は右計画に基き売渡通知書を発行しこれを原告に交付し、原告は昭和二十三年九月二十九日右代金二千六十四円四十銭を納入した。
(三) 郡司が右農地について耕作の意思を放棄して買受申込をしなかつたのは次のような事情によるものである。恋瀬村に於ては昭和二十三年七月中に自創法に基く農地の買収、売渡並びに交換分合の基準を民主的且つ合理的に定めるため村民大会を開いたが、その際
(イ) 小作人の現小作地が五反歩未満のときはその全部を該小作人に売り渡すこと。
(ロ) 右小作地が五反歩を超えるものについてはその六割(六割が五反歩に達しないときは五反歩まで)を売り渡し、その他は極力交換分合を行うこと。
という根本方針が定められ、その旨村民大会の決議として村農委に申入れがなされ、村農委は右方針に準拠して買収、売渡、交換分合の手続を進めることにきまつた。ところが郡司正夫は当時一町一反九畝十六歩の田畑を小作していたのであるが、その小作地のうち前記字下根六七七番・六七八番の二筆につき耕作権を放棄し、村民大会の基準を超過する田畑八反六畝十九歩を買い受けることになつたものである。
(四) 以上のような次第で前記二筆について原告に対する売渡処分が終つたに拘らず、村農委は何ら正当の理由なくして昭和二十四年三月二十九日、原告に対する前記売渡計画を取り消す旨の議決をしたと称して同年四月十二日附文書をもつて、原告にその旨通告し、原告は右文書を同月二十日受領した。
第二、字マセ口の畑一筆の分
(一) 恋瀬村大字大増字マセ口二六七番畑九畝十八歩は、元来訴外入江安太郎の所有で、原告が以前から賃借小作していた。入江は貸付地が法定保有面積以下であるため右農地は買収にならなかつた。一方同大字字下根六二〇番畑七畝二十二歩は元来訴外大槻武夫の所有で、訴外鹿島源之助が以前から賃借小作していたのであるが、大槻武夫の保有地制限超過分として自創法第三条第一項第二号に基き、村農委は昭和二十二年八月二日買収期日を同年十月二日と定めて買収計画を樹立し、縦覧公告の手続をし、県農地委員会の承認を経て、茨城県知事発行の買収令書が大槻に交付され買収処分がなされた。
(二) 村農委は前記村民大会の決議に則り、自作農に精進せんとする者に買収農地の売渡を受ける機会を公平に与えるため、自創法第二十三条の規定に基き、国の所有となつた字下根六二〇番の畑と入江安太郎所有の字マセ口二六七番の畑とにつき、所有権の交換を行うべく、昭和二十三年七月二十五日附文書をもつて入江安太郎に対し右農地交換の指示をした。そこで入江安太郎は同月二十七日村農委と協議をし、交換期日を昭和二十二年十月二日とし、交換に伴う差金決済方法をも定め、円満に協議が成立した。
(三) よつて字マセ口二六七番の畑は昭和二十二年十月二日に遡つて国の所有となつたので村農委は原告の買受申込に基き昭和二十三年九月十五日自創法施行令第十七条第一項第一号に従い、交換期日におけるマセ口の畑の耕作人たる原告を売渡の相手方と定め売渡の時期を昭和二十二年十月二日として第五回売渡計画を樹立し縦覧公告の手続を了し、茨城県知事は右計画にもとずき売渡通知書を発行し原告に交付した。原告は昭和二十三年十二月九日代金四百六十円八十銭の納入をした。
(四) しかるに村農委は右交換分合による原告への売渡計画についても前記第一の字下根の二筆の分と同様に昭和二十四年三月二十九日、前記売渡計画を取り消す旨の議決をしたと称し、同年四月十二日附文書を以て原告にその旨通知し、原告は同月二十日右文書を受領した。
第三、前記第一の(三)及び第二の(四)の取消処分はいずれも正当の理由にもとずかないもので違法の処分である。よつてこれが取消を求める。と述べ、被告の主張に対し、原告、訴外川上浜一及び同入江忠が通謀して、郡司正夫を欺き同人の字下根の田二筆に付ての買受申込を阻止したとの点、入江安太郎宛農地交換指示書が入江忠において独断で作成したものであるとの点はこれを否認する。なお又本件三筆の土地については売渡計画の取消前に原告に対し売渡通知書が交付され、売渡処分も済んでいるのであつて、かかる場合にはもはや該売渡処分の基礎となつている売渡計画を取り消すことはできない筋合であるから、村農委が売渡計画の取消をなしたのは違法であると述べた(立証省略)。
被告訴訟代理人は「請求棄却」の判決を求め、答弁として
原告の請求原因事実中第一の(一)の事実は認める。
(二)については、郡司正夫が字下根六七七番・六七八番の二筆につき耕作の意思を放棄して買受けの申込をしなかつたとの点は否認し、其の他の事実は認める。
(三)については、原告主張の村民大会が開かれ、原告主張のような決議がなされたことは認めるが、それは自創法運用の方針を明らかにしたまでのことで関係人を拘束する力はないのである。
(四)については、原告主張の日時村農委が原告を相手方とする売渡計画を取り消したことは認めるが、村農委が右売渡計画を取り消したのは次のような理由によるものである。即ち原告は本件農地の所在地区を担当する村農委の補助員訴外川上浜一の姉の夫にして、右浜一と相通じて当時村農委の専任書記であつた訴外入江忠に頼み、原告のため本件土地を買い受けようと計画した。入江はその依頼に応じ昭和二十三年四月初頃より七、八月頃までの間に郡司方に赴き、前記字下根の二筆の土地は将来交換分合の予定地とするのであるから買受申込をしないようにとこれを詐り、買受申込書の提出を阻み、なお入江及び浜一は交々郡司方に行き昭和二十三年七月の村民大会の根本方針によれば、郡司はその小作地の六割しか買い受けられないのであるが、本件二筆の土地の耕作の意思を放棄すれば同人小作中の他の農地全部を買い受けられるようにし、且つ金員及び物品を交付する旨虚構の事実を申し向け、よつて同人をしてその旨誤信せしめて前記二筆の買受申込をなさしめず、結局同人から強引に前記二筆の土地を取り上げたものである。これは要するに原告と村農委補助員川上浜一及び書記入江忠が相通謀して関係者を詐つて手続を進めたもので、かかる方法により樹立された売渡計画は違法で取り消されるべきである。
第二の(一)の事実は認める。
(二)については、村農委名義の農地交換指示書が発せられた事実は認めるが、その余の点は否認する。
(三)の事実中原告主張の字マセ口二六七番の畑が自創法による交換の結果有効に国の所有に帰したとの点を除きその余は認める。
(四)については、原告主張のように、村農委が原告を相手方とする売渡計画を取り消したことは認める。しかし右売渡計画には次のような違法があるため村農委が取り消したものである。即ち、原告主張(二)のように村農委名義の入江安太郎宛農地交換指示書が出された事実はあるが、右指示書は当時の村農委の入江書記が原告の請託をいれて独断で作成したもので、村農委においては農地交換に関する協議をしたことはなく、交換指示書については委員会の関与しないところである。従つて右の農地交換の指示は無効のものである。仮りに右の指示が有効だとしても、その後自創法第二十三条第三項に規定する協議も、第四項の裁定もない。故にいずれにしても右農地交換の効力は生ぜず、字マセ口の畑は国の所有とはならない。しかるにこれを効力が生じたものとして、マセ口の畑につき原告を売渡の相手方として樹立された売渡計画は違法であるから取り消したものであると述べた(立証省略)。
三、理 由
一、原告主張の字下根六七七番・六七八番の二筆の土地について原告主張のとおりの買収手続の経過を経て原告を売渡の相手方とする売渡計画が樹立され、売渡処分がなされたこと、更に原告主張の日時に村農委が右売渡計画を取り消したことは当事者間に争がない。よつて右売渡計画の取消処分が違法な処分であるか否かについて案ずるに、成立に争のない甲第五号証の一、同第六号証の一ないし四同第七号証証人入江忠、同大沼忠一の各証言及び証人郡司正夫の証言の一部その他弁論の全趣旨を綜合すれば、恋瀬村においては県当局よりの指示にもとずき、自創法による買収地の売渡につき、買受の機会をなるたけ多くの小作人に与えるようにするため、昭和二十三年七月中村民大会を開き、その席で原告主張のように(イ)小作人の現小作地が約五反歩以下のときはその全部を該小作人に売り渡し、(ロ)小作地が右の基準を超えるものについては、大体その六割(六割が五反歩に達しない場合は五反歩まで)を売り渡し、その余については交換分合の方法をとる方針で処理すべき旨の決議がなされ、村農委ではそのような方針で売渡の手続を進めることにきまつたこと、ところで前記下根六七七番・六七八番の田の耕作人であつた郡司正夫はその他の小作地を含めて一町三反余の農地を耕作していたのであるが、そのうち字長石三〇八番畑五畝七歩同所三一七番畑一反一畝十六歩は法定保有面積を超過しない小地主の所有地なので、自創法による買収売渡即ちいわゆる解放の対象にならないことがはつきりしていたが、その余の一町一反余については、前記決議の趣旨によるとその六割約六反六畝歩が解放となり他は交換分合の対象となる筈であつたこと、そこで村農委の書記入江忠や村農委の補助員川上浜一等が郡司と何回か交渉を重ねた末、郡司はその耕作地のうち字下根六七七番田九畝二十五歩、同所六七八番田八畝十八歩の二筆以外の解放地は全部自分に売り渡してもらうならば、右二筆についてはその耕作権を放棄し、従つて売渡も受けないことにし、原告川上甚吾が売渡を受けることに異存がない旨諒解を与えたこと、そこでその趣旨に従つて昭和二十三年の耕作は原告がこれを行い、郡司は右二筆を除いてその他の農地について村農委に買受の申込をし、右二筆については原告がその買受申込をしたので、その二筆については昭和二十三年六月十五日原告を売渡の相手方と定めて売渡計画が樹立されたこと、一方郡司の方では字下根六〇七番・六〇八番の畑約一反歩(三輪彌寿吉所有)については、それが買収されなかつたために売渡を受けることができなかつたが、その他は予定通り売渡を受けたことが認められる。郡司証人の証言中右認定に反する部分は措信しない。してみれば、字下根六七七番・六七八番の二筆については郡司において耕作をしないつもりで買受の申込をしなかつたものと認める外はない。
被告は原告と川上浜一、入江忠が相通謀して郡司に対し右土地の耕作の意思を放棄すれば、村民大会の方針以上に他の農地全部を買い受けられるようにし、且つ金品を与える旨虚偽の事実を申し向け同人を欺罔して右土地についての買受申込を阻止した旨主張するが、川上浜一や入江忠において前記字下根六〇七番・六〇八番の土地が解放にならないことを知りながら、それが解放地であり郡司が買受けられるように取り計らう旨申し向けて郡司を欺罔したとの点については、この点に関する郡司証人の証言はにわかに信用しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はない。又、郡司証人の証言によれば川上浜一が郡司との間に前記のような交渉をしていた際、同人等の間に郡司が前記六七七番・六七八番の二筆の耕作をやめた場合に、川上の方から金二千円と紺木綿反物の一反や二反はやつてもよい旨の話合のあつたことをうかがい得ないではないが、同証人の証言の全趣旨及び前記認定のように村民大会で決議された方針によれば、郡司が売渡を受け得られるのは約六反六畝までであつたことや、証人入江忠、同飯田祐広(第一回)の各証言の一部を合せ考えると、郡司が前記耕作をやめることの意思決定をした動機としては、右金品をもらうことはいわば附随的なものであり、主たる理由は村民大会の方針以上に売渡を受けられることにあつたものと認められる。又浜一が真実前記金品をやる意思がないのにその意思があるように装うて郡司を欺罔したとの点、被告主張のような欺罔手段により郡司をして買受申込をなさしめないようにすることにつき、原告が浜一や入江忠と共謀したとの点についてはいずれもこれを認めるに足る証拠はない。そうすると郡司が字下根六七七番・六七八番について耕作の意思を放棄し買受の申込をしなかつたのは原告や浜一らの共謀による欺罔行為にもとずくものとも断じ難く、従つて字下根六七七番・六七八番の二筆について原告を売渡の相手方として樹立した売渡計画について被告の主張するような違法原因は認められないのである。尤も行政庁は先にした行政処分が公益に反する場合には、その点において瑕疵あるものとして取り消し得るのであるが、村農委が右売渡計画を取り消した当時には、既に売渡処分が完了していたことは当事者間に争なく、弁論の全趣旨によればその売渡処分に対する出訴期間も経過し出訴の途もなくなつていたことが認められるのであつて、このような場合には原告の既得権を侵害することを正当化するだけの強い公益上の必要性が存するのでなければ処分庁たる村農委が職権で前記売渡計画を取り消すことは許されないものというべく、かかる公益上の必要性の存することは被告の立証によつてこれを肯認するに足らないのである。以上の理由により、村農委のした前記売渡計画の取消処分は違法であるといわねばならぬ。
二、字マセ口二六七番畑九畝十八歩に関する分については、原告主張のとおり字下根六二〇番畑七畝二十二歩が買収されたこと、右土地と入江安太郎所有の字マセ口二六七番の畑との所有権交換の指示をなす旨の昭和二十三年七月二十五日附村農委名義の農地交換指示書が発せられたこと、右交換によりマセ口の畑は昭和二十二年十月二日に遡つて国の所有になつたものとして、昭和二十三年九月十五日原告を売渡の相手方とする売渡計画が樹立され、売渡処分がなされたこと、その後原告主張の日時に村農委が右売渡計画を取り消したことは当事者間に争がない。そこで右の取消処分が違法であるか否かについて判断するに、被告は原告を売渡の相手方とする前記売渡計画の前提たる土地交換は、交換の指示も協議も村農委の関知しないところで、書記入江忠が独断で勝手に手続を進めたものであると主張し、証人飯田祐広の証言(第一回)中これに照応する部分があるけれども、以下に掲げる証拠と対比し信用するに足らない。却つて証人入江忠の証言によりその成立の認められる甲第一号証及び証人入江忠同入江勝一、同大沼忠一の各証言をあわせ考えると、被告村農委は前記村民大会の決議方針に準拠して、買収農地の売渡、交換分合を実施するため、各大字毎に農地委員及び補助員をもつて字の小委員会を構成し、同委員会の協議により交換案や売渡計画案を作り、交換協議の折衝も小委員会に委任し、交換の話合ができたときはそれを村農委が承認して正式の売渡計画を立てることにしたこと。買収により国の所有となつた字下根六二〇番の畑と入江安太郎所有の字マセ口二六七番の畑との所有権の交換の指示をすることについては大増部落の小委員会の協議によつて決定されたこと、前記昭和二十三年七月二十五日附交換指示書は右の協議に基いて作成されたもので、村農委の書記入江忠がその作成事務に当つたのであるが、それは同人の独断に基くものではなかつたこと、その指示に基き入江安太郎は右小委員会との間に協議を遂げ、同月二十七日原告主張のような協議が成立したこと、同年九月十五日の村農委の会議において書記入江忠よりその経過を説明し、村農委はこれを承認し、前記協議の結果国の所有となつた字マセ口二六七番の畑につき、その耕作人である原告を売渡の相手方とする売渡計画が樹立されたものであることが認められる。そうだとすれば、右売渡計画樹立の前提たる交換については、被告の主張するような瑕疵は存しないものといわねばならない。なお飯田証人の証言(第一回)によれば、村農委は字下根六二〇番の畑と字マセ口二六七番の畑とを交換すると鹿島源之助の耕作地が分散することになり、自創法の精神に反すると考えているようにもみられるのであるが、前記交換は所有権の交換であり、即ち買収により国の所有に帰した字下根六二〇番の畑を入江安太郎の所有とし、従来入江安太郎の所有であつた字マセ口二六七番の畑を国の所有とするに過ぎず、鹿島源之助の右字下根六二〇番の畑に対する耕作関係には影響がなく、同人は従前通り右の畑を耕作し得るのであるから、同人の耕作地が前記交換のため分散するということになるわけはないのである。かくして、村農委が前記字マセ口二六七番畑九畝十八歩について原告を売渡の相手方として昭和二十三年九月十五日に樹立した売渡計画を後に昭和二十四年四月十二日附文書をもつて取り消したのはこれまた違法の処分といわねばならない。
以上の次第であるから、本件土地につき原告を売渡の相手方とする売渡計画の取消処分の取消を求める原告の本訴請求は全部正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 多田貞治 森松万英 高井清次)