大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

水戸地方裁判所 昭和26年(ワ)86号 判決 1953年11月11日

原告 小松崎 重弘

被告 株式会社日立製作所

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告が昭和二十五年五月二十四日附原告に対し為した解雇の意思表示は無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、若し被告が右解雇の意思表示を取消し同年九月二十日附原告に対し解雇の意思表示を為したときは予備的に該解雇の意思表示は無効であることを確認する、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、

一、其の請求の原因並に被告の答弁に対し次の通り述べた。

(一)  原告は昭和十四年一月以来引続き被告会社に雇われている従業員なるところ、被告会社は昭和二十五年五月二十四日附を以て原告に対し企業整備による人員整理を理由として原告を解雇する旨の通告を為し、爾来原告の職場復帰を認めない。しかし右解雇の意思表示は労働基準法第十九条に違反しているから無効である。すなわち原告は昭和二十五年五月十一日被告会社の茨城県日立市所在日立電線工場の警備員として勤務中同日午後八時四十五分頃同工場内に怪しい人影を発見し誰何したところ右人影は遽に逃げ出したので之を取押えようとして追跡の途上整流子工場前の下り坂路で小石に上り前辷りに転倒し左膝関節部に傷害を受けた。よつて原告は翌十二日日立病院長水野医師の診療を受けたところ「左膝の捻挫とその裏の筋を延ばしたもの」との診断をされ、疼痛は感じたものの欠勤を憚かり出勤していたが疼痛が止まないため同月二十六日公傷休業の手続をとつて日立柔道整復術師宮本正敏の手当を受けた。そして同月二十七、八日頃右宮本の診断書を電線工場の当該係員に提出したところ、係員から宮本正敏は医師でないから日立病院で渡辺医師の診断を受けその診断書を提出せよとの勧告があつたので、原告は同月三十一日同医師の診断を受け診断書を求めた。然るに意外にも同医師から「診断書は出せぬ、宮本整復術師で何が治るんだ」と一喝されたので原告は陳弁これつとめた結果兎に角注射してやるから一週間ばかり通えと申渡されその後通院していたが患部の手当は一向にせずただ注射するに過ぎなかつたところ、同年六月五日「腰椎カリエス」との診断を下された。しかし原告は渡辺医師の右診断を信頼することができないので翌六月六日水戸市の外科医師志村国作の診断を求めたところ同医師は科学的検診の結果「外傷後における腰痛及び左膝関節の捻挫」と断定され、引続き同年十月中旬まで同医師の治療を受けていた。従つて被告会社が原告に対し前述解雇の通告をした同年五月二十四日当時原告の右業務上の負傷(公傷)は未だ治癒されていないのであるから、右解雇の意思表示は労働基準法第十九条に違反し無効である。よつて之が無効確認を求める。

(二)  なお原告は被告会社から右五月二十四日附の解雇の意思表示を取消すとの通告を受けたこともなく又同年九月二十日附を以て解雇の通告を受けた事実もない。しかし仮に被告会社から原告に対し同年九月二十日附解雇の意思表示がなされたとするも当時原告の前述業務上の負傷は未だなお治癒していないから該解雇の意思表示は前示法条に違反し無効である。よつて予備的に之が無効確認を求める。

(三)  被告は被告会社が昭和二十五年五月二十四日附原告に対し為した解雇の意思表示は被告会社において之を取消したから原告は之が無効確認を求める法律上の利益がない旨主張するが、原告は本訴において該解雇の意思表示の無効確認を得ることによつて将来労働基準局並に被告会社に対し慰藉料若しくは損害賠償等の請求をなし得る利益があるから該解雇の意思表示の無効確認を求めるにつき法律上の利益がある。なお原告が被告の解雇手当金等と称する金六万六千百三十円を供託により受領したことは認めるが、右は原告は労働者でありながら災害補償金の支給も受けられないため負傷の治療費並に生活費として受領したものであつて、被告会社の解雇を容認したものではない。其の他原告の主張に反する被告の主張事実はすべて否認する。

二、立証<省略>

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、

一、答弁として次の通り述べた。

(一)  原告主張の事実のうち原告が昭和十四年一月以来引続き被告会社の従業員であつたこと、被告会社が原告主張の理由により昭和二十五年五月二十四日附を以て原告に対し解雇の通告をなしたこと、原告が被告会社の日立電線工場の警備員として勤務中同年五月十一日午後八時四十五分頃職務のため道路上で左膝関節部に傷害を受けたこと、原告が翌十二日日立病院長水野医師の診療を受けたが引続き出勤していたこと、原告が同年五月二十六日柔道整復術師宮本正敏の診療を受け翌二十七日右宮本の証明書を持参して公傷休業の申出をなしたこと、電線工場の係員が原告に対し日立病院の診療を受け其の診断書を提出することを要求したこと、原告が同月三十一日同病院外科医長渡辺医師の診療を受け同医師が同年六月五日原告の疼痛は「第五腰椎カリエス」に因るものと診断したことはいずれも之を認めるが其の余の事実はすべて不知又は否認する。

(二)  而して同年五月十二日日立病院長水野医師の診察の結果によれば原告の前示五月十一日の負傷は左足膝窩部裏側の筋を延ばしたものであつて局部炎症もなく就業に支障を認めない程度のものであり原告も引続き同月二十六日まで平常通り出勤し十三日以後は通院もしなかつた。然るに被告会社が同月二十四日附を以て原告に対し解雇の通告をなしたところ原告は同月二十七日柔道整復術師宮本正敏の証明書を持参して其の前日(五月二十六日)から業務上の負傷による療養を開始した旨申し公傷休業を申出たので被告会社は直ちに右解雇の通告を取消すと共に日立病院において外科医長渡辺医師が同年五月三十一日、六月一日、同月三日、同月五日の四回に亙り腰部X線写真、血沈、血液ワ氏反応等によつて詳細原告を診察した結果原告の疼痛は前示五月十一日の業務上の負傷に起因するものではなく、最近発生したものではない「第五腰椎カリエス」に因つて生ずる疼痛であることが診断されたので、其の後同年九月十三日に改めて原告に対し同月二十日附を以て解雇する旨を通告したのである。そして其の間原告は被告会社の従業員として取扱われ給与を受けて居り、又同年九月二十日の解雇の通告については被告会社は供託により原告に対し退職手当と解雇予告手当を含め税引金六万六千百三十円を支給した。

(三)  以上の次第で被告会社が昭和二十五年五月二十四日附を以て原告に対し為した解雇の意思表示は同月二十七日原告の業務上の負傷による休業申出により直ちに之を取消し、従前通り原告を被告会社の従業員として取扱つていたのであるから原告は被告会社に対し該解雇の意思表示の無効確認を求める法律上の利益がないし、又同年九月二十日附の解雇の意思表示については原告の前示業務上の負傷は遅くも同年六月五日には既に治癒しているから労働基準法第十九条に違反しない。よつて原告の本訴請求はすべて失当である。

二、立証<省略>

理由

よつて当事者間に争のない点を除き、本件主要の争点につき判断する。

第一、被告会社が昭和二十五年五月二十四日附原告に対し為した解雇の意思表示につき、原告が其の無効確認を求める法律上の利益を有するかどうかの争点について。

成立に争のない乙第三号証の十と各郵便官署作成部分の成立につき争がなく其の余の部分については当裁判所が真正に作成されたものと認め得る乙第一、第二号証の各一乃至三並に本件口頭弁論の全趣旨を綜合すれば、被告会社は其の主張の如く昭和二十五年五月二十四日附を以て原告に対し解雇の通告をなしたところ原告が同月二十七日柔道整復術師宮本正敏の証明書を持参して業務上の負傷による休業の申出をなしたので被告会社は直ちに右解雇の通告を取消し、其の後同年九月十一日附で日立労働基準監督署長から原告の休業は私病による休業である故同年六月五日附を以て労災補償を打切る旨の通達を受けたので、被告会社は同年九月十三日改めて原告に対し同月二十日附を以て解雇の通告をなしたものであること、そしてその間被告会社において原告を従前通り被告会社の従業員として取扱つていたものであることを認めることができ、右認定を動かすに足る証拠がない。

そうすると右事実に徴すれば、被告会社は昭和二十五年五月二十四日附を以て原告に対し一旦解雇の意思表示をなしたけれども同月二十七日之を取消し其の後改めて原告に対し同年九月二十日附を以て解雇の意思表示をなすに至るまで、原告が従前通り被告会社の従業員であることを認め現に其の間何等原告の労働契約上の権利又は法律関係の存否について争がないのであるから、従つて原告は本訴において前示五月二十四日附解雇の意思表示の無効なることにつき所謂即時に確定せらるべき法律上の利益を有しないものと謂うべく、原告が将来被告会社等に対し慰藉料若くは損害賠償等の請求をなし得る利益あるの故を以て右法律上の利益があるとなし得ないこと多言を要しないところである。而して即時確定の利益がない場合には確認の訴による権利保護に値しないから被告会社に対し右解雇の意思表示の無効確認を求める原告の請求は既にこの点において失当と謂わなければならない。

第二、次に被告会社が前示昭和二十五年九月二十日附を以て原告に対し為した解雇の意思表示が労働基準法第十九条に違反し無効であるかどうかの争点について。

(一)  原告が被告会社の日立電線工場の警備員として勤務中昭和二十五年五月十一日午後八時四十五分頃職務のため道路上で左足膝関節部に受けた傷害というのは、証人水野育雄、同渡辺正雄(第一、二回但し後記採用しない部分を除く)同佐藤道雄の各証言と右各証言によつて其の成立を認め得る乙第五号証及び成立に争のない乙第七号証の各記載を綜合すると、左足膝窩部裏側の筋を延ばしたものであつて、疼痛を伴うも局部腫張もなく就業に支障を認めない程度の軽微なものであつたことを認めることができる。(右認定に反し、右傷害は「左膝の捻挫」であつたとの原告の主張に符合する甲第五乃至第七号証、同第九乃至第十一号証の各記載並に証人志村国作の証言(第一回)及び原告本人の供述(第一回)はいずれも前顕各資料に照し遽に採用できないし他に右認定を左右するに足る措信すべき証拠はない。)

(二)  又成立に争のない甲第五号証、乙第八号証の一、二の各記載と証人佐藤道雄、同小川五郎の各証言並に原告本人の第一、二回尋問の結果(但し右甲第五号証及び原告本人尋問の結果中いずれも当裁判所の採用しない部分を除く)を綜合すれば、原告は同年五月十三日から同月二十六日まで平常通り出勤はしていたが、前示負傷箇所の疼痛が治つたわけではなく依然疼痛を感じたものゝ休業による収入の減少を恐れ自宅で患部に薬を塗つて治療をしていたが、疼痛が止まないので同月二十六日日立電線工場から公傷証明書を貰つて同日から同月二十九日まで四日間日立市の柔道整復師宮本正敏の治療を受けたこと、そしてこれより先同月二十七日右宮本の証明書を持参して同工場の係員に業務上の負傷による休業を申出でたものであることを認めることができる。

(三)  然るところ前顕乙第五号証と成立に争のない甲第六、第十一号証の各記載並に証人渡辺正雄(第一、二回)同志村国作(第一乃至第三回)の各証言及び原告本人の第一回尋問の結果(但し右甲第六、第十一号証の各記載及び証人渡辺正雄、同志村国作の各証言並に原告本人尋問の結果中いずれも当裁判所の採用しない部分を除く)を綜合すれば、原告が日立電線工場係員の勧告に従い同月三十一日日立病院において同病院外科医長渡辺正雄医師の診察を受け診断書の発行を求めた際、右渡辺医師に訴えた疼痛の箇所は左膝関節部だけでなく左腰部から左臀部及び左大腿部全体に亘つて居り其の症状が坐骨神経痛のようであつたこと及び同医師が同日から同年六月五日まで四日間(六月二日、四日を除く)原告に対し痛み止めの注射並に薬を塗布して加療をなすと共に腰部X線写真、血沈、血液ワ氏反応等による調査をした結果同月五日原告の第五腰椎に五月十一日の業務上の負傷とは関係のない旧い腰椎骨変化を認めたこと(同医師が右腰椎骨変化を「カリエス」と診断したのは後記鑑定人の鑑定の結果に徴し誤診であつたと思われる。)そして原告は更に日立電線工場から公傷証明書を貰つて其の翌六月六日水戸市の外科病院長志村国作医師の診察を受けた結果同医師から「外傷後における腰痛及び左膝関節捻挫症」との診断を受け、爾来同年十月十六日まで通院して治療を受けていたが、其の治療は左膝関節部だけでなく腰部等に対しても主として電気療法による治療を受けていたものであることをそれぞれ認めることができる。(原告本人の第一、二回尋問の結果中右認定に反する部分は前顕各証拠と対比してこれを信用しない。)

(四)  而して鑑定人谷口恒郎、同三木威勇治の各鑑定の結果に鑑定証人谷口恒郎の証言を綜合すると、昭和二十七年六月九日現在(鑑定人谷口恒郎が原告を診察した日)原告の第五腰椎左上下関節突起部に濃縮陰影を認め第四、第五腰椎間は左側において狭少となり脊椎分離症を思わせるものがあり、又第四、第五腰椎体縁に嘴状骨増殖、椎体前[糸也]走靱帯の石灰化像を認め変形性脊椎症の像を認めるが、右脊椎分離症並に変形性脊椎症は相当の年月を費して生じた骨変化であつて、昭和二十五年五月の本件負傷とは直接関連なく其の当時既に存在していたものと推定され、しかも右脊椎分離症並に変形性脊椎症による症状は腹痛及び坐骨神経痛であり、坐骨神経痛の一部として膝後面の疼痛を起す可能性があること、そして左膝関節部の負傷だけでは左腰部から左大腿部に亙る疼痛は起らないことをそれぞれ認めることができる。

そこで以上認定の各事実に徴して考えると、原告の昭和二十五年五月十一日の本件負傷は左足膝窩部裏側の筋を延ばしたものであつて、疼痛を伴うも局部腫張もなく就業に支障を認めない程度の軽微なものであつたが、しかし右負傷が遅くも同年六月五日には既に治癒していたとの被告の主張については右主張に添う証人渡辺正雄の証言(第一、二回)は遽に採用できないし他に之を認めるに足る資料もないから結局原告が日立病院外科医長渡辺医師に左膝関節部だけでなく左腰部及び左大腿部に亙る疼痛を訴えた同年五月三十一日以降においては原告の疼痛は本件負傷に因つて生ずる疼痛と之と直接関連のない原告の私病たる第五腰椎骨の変化(脊椎分離症並に変形性脊椎病)に起因する疼痛とが併存混同していたものと認めるの外はない。而して労働基準法第十九条において労働者が業務上負傷し又は疾病にかかつた場合其の療養のための休業期間並に其の後三十日の回復期間に限つて使用者に対し解雇を禁止しているのはもとより右の如き業務上負傷し又は疾病にかかつた労働者を保護するためではあるが、本件のように業務上の負傷に因る疼痛と之と直接関連のない私病に起因する疼痛とが医学的に区別し得られないため右両者が併存混同しているものと認めるの外ないような場合には業務上の負傷のみに因る疼痛が通常医学的に見て治癒する相当の期間を経過したときは、右業務上の負傷は其の時に治癒したものと認めるを相当とするところ、前記各鑑定人の鑑定の結果並に鑑定証人谷口恒郎の証言に徴すると、原告の本件負傷の程度では医学的に見て二週間位で治癒するのを普通とするが其の治療方法の如何によつては治癒するまでに二、三ケ月を要することもあることが認められるので、これ等を参酌して考えれば、原告の本件業務上の負傷は遅くも受傷後三ケ月を経過した昭和二十五年八月十一日頃には既に治癒し、其の後の疼痛は本件業務上の負傷と関連のない原告の前示私病に因るものと認定するのが相当である。

然らば被告会社が其の後三十日の回復期間を経過した同年九月二十日附を以て原告に対し為した本件解雇の意思表示は労働基準法第十九条に違反していないわけであるから、右違反を理由として被告会社に対し該解雇の意思表示の無効確認を求める原告の予備的請求も亦失当と謂わなければならない。

よつて原告の本訴請求をすべて棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 広瀬友信)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例