水戸地方裁判所 昭和46年(ワ)185号 判決 1974年3月18日
原告 森正治
原告 森きよ
右両名訴訟代理人弁護士 阿部三郎
中利太郎
大石徳男
小林清二
柳瀬康治
右訴訟復代理人弁護士 井上勝義
被告 株式会社三笠荘
右代表者代表取締役 山口明一
右訴訟代理人弁護士 横山隆徳
主文
原告等の請求は、いずれもこれを棄却する。
訴訟費用は、原告等の負担とする。
事実
第一、当事者双方の求めた裁判
原告等訴訟代理人は、「被告は原告等に対しそれぞれ金一、四四七万一、〇四九円及びこれに対する昭和四六年六月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決を求めた。
≪以下事実省略≫
理由
一、森猛が日東ステンレス工業株式会社東京営業所に勤務し屡々水戸市へ出張していたこと、被告が旅館業を営むこと及び右猛が被告方に投宿し昭和四六年二月二日午前零時過頃伊吹の間に案内されて就寝したが同日午前四時から同五時頃までの間にガス(一酸化炭素)中毒のため死亡するに至った事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二、原告等は、本件事故は被告の従業員が被告の業務執行中過失によって惹起したものである旨主張するので、先づ、この点について判断する。
(一) 本件伊吹の間には松下電器産業株式会社製のスケルトン型ストーブが暖房器具として設置され壁際の元栓からゴムパイプによってこれに導かれた都市ガスを燃焼しこれによって同室を暖めていたが、夜中何らかのはずみで右ストーブのパイプ接続部分からゴムパイプが外れ元栓が開かれていたため都市ガスが同室内に充満した結果本件事故が惹起された事実も、また当事者間に争いがない。
(二) 次に伊吹の間の係女中が被告の従業員星いちであったこと、山口良一が被告の従業員であり同人がストーブ、元栓及び大元栓を閉めなかったこと並びに右パイプのストーブ接続部分に締めバンドの存しなかったこと、ゴムパイプが「く」の字型に曲っていた事実は、いずれも当事者間に争いがなく、右の事実に≪証拠省略≫を綜合すると
(1) 伊吹の間は東西に長い七畳半の定員を三名とする日本間であって、東側は雨戸、ガラス戸、障子によって三重に仕切られた腰高窓(その下は壁)、北側は北東の隅に存する巾約〇・九米の押入れを除いて壁、西側には巾約四一糎の床の間が存し、両側に巾二・七米の腰高押入れがあり、その西側に存する約一・六平方米の靴脱場は西側においてドアーを経て廊下に北側の襖を経て右室内に通じており、本件事故当時右床の間の南端から約三七糎の個所に電話器、その北側に屑籠が置かれ、同室内に備えられた前示ストーブは長さ約二・七米のガスパイプによって東南の窓下の壁に嵌込まれた元栓に接続されていたが、同室には他に換気孔、換気扇等の換気装置が存しなかったこと。
(2) 前記ストーブは高さ約二八糎、巾約三八・五糎、横約二一糎(但し上部一四糎、下部一八糎)のものであってその裏側左下端には三重に溝を刻してその先に赤線が表示されたゴムパイプ接続部分があり、その上のブレートには右パイプを赤線表示部分まで装着するようにと記載されており、また、前示ゴムパイプは東部ガス株式会社が昭和四二年頃右ストーブとともに被告に売渡したものであるが、鉄の螺旋管を硬質のゴム管で覆い、その上を布張りし、更にその上を厚さ約二粍のビニールで被覆し、両端は螺旋状となっていてその上部を部厚いゴムで覆った衣張螺旋管と呼ばれるものであって、これを踏んでも曲るようなことはなく、またこれをストーブの接続部分に挿入すると容易に離脱し難い構造となっており、右接続部分に締めバンドは存しなかったこと。
(3) 被告の従業員星いちは同四六年二月一日午後四時頃出勤し、同日午後六時頃室内を暖めるため伊吹の間の前示ストーブに点火したが、その際右ストーブは同室東南隅から約〇・九米離して西北隅に向けて置いてあり、弛んだゴムパイプ部分は元栓との間に輪状にして置かれていたこと、次いで同人は午後七時頃前示腰高窓の扉戸、ガラス戸、障子を閉めて押入れの前に西枕になるよう布団を敷いたが、その際テーブル及び座布団を床の間の前に動し枕元の稍左側に水呑みを置き室内灯を点灯したこと、次いで同人は同日午後一一時同室を見廻り異常のないことを確めたうえ、従業員山口良一に対し「伊吹の間に火がついているから気をつけて下さい。」と申し向けて帰宅したこと。
(4) 他方、猛は昭和四五年八月頃から被告方に毎月三ないし四日位投宿していたが、同四六年一月三一日に引続き翌二月一日も宿泊することとしていたこと、右猛は右同日仕事を終えた午後八時三〇分頃から日東ステンレス工業の代理店岩谷産業株式会社常磐営業所に勤務する浜田政宣外一名の者を接待すべく同日午後九時頃勝田市の飲食店に赴いて食事をなしその後右三名で銚子四本の清酒を飲酒し、次いで同市内のバーでホステスを交え同日午後一一時四〇分頃までにビール六本を飲酒したうえ、自ら自動車を運転して右浜田をその居住する寮に送り届けた後被告方に投宿するに至ったが、右運転中浜田に対し「寒い寒い」といって寒さを訴えていたこと。
(5) 猛は前示のとおり翌二日午前零時頃右伊吹の間に入って就寝したが、同日午前六時頃被告会社代表者山口明一の妻山口輝子が電話交換台に伊吹の間の呼出しランプが点いているのに不審を抱いて同室に赴き猛を呼んだが返事がなく、ガスの臭いがしたので急ぎ入口のドアーを開けて同室に入ったところ、内室は真暗であったが、急ぎ腰高窓の雨戸等を開けたうえストーブの栓及びガスの元栓を閉めて右山口を呼びに行ったこと。
(6) その際における右伊吹の間の状況は、猛が床の間の電話器のところを頭とし足を窓際に向けて開き仰向けに倒れて受話器に外れかかっており、布団は押入れの西側に南枕に敷かれて掛布団がまくれ、枕の南側に置かれた水呑みの盆と枕との間にガスパイプが蛇行するようにして延ばされてあり、略々その先端付近にストーブが布団の方に(枕の方)向けて置れていたが、右パイプはストーブの接続部分から外れ先端の部厚いゴムの部分から三〇糎位の個所が「く」の字型に曲っていたほか、窓下(布団の東側)には猛のズボン、シャツがきちんと畳んで置かれていたこと。
を認めることができる。そして、前顕各証拠を綜合すると、当時第三者が伊吹の間に侵入した形跡は全くなく、また、猛には自殺をする動機或いはこれを思わせる不自然な行動は存しなかった事実を認めることができ、他方、猛の死亡の原因となった一酸化炭素は、無臭無刺戟で血液中のヘモグロビンと親和性をもち、空気中に一〇、〇〇〇分の一程度混在していても数時間のうちに中毒を起し、一、〇〇〇分の一程度では三〇分から一時間のうちに死亡するといわれているが、鑑定人益子賢蔵の鑑定結果によると、伊吹の間において戸を締め切った(腰高窓は前示の戸によって三重に)うえ元栓及び前示ストーブの栓を全開した場合に一酸化炭素が致死量に達するまでの時間は五三分前後である事実を認めることができ、更に前示ストーブの如き開放型燃焼器具は、室内燃焼器具のうち最も室内空気を汚染するものであることはいうまでもないが、前示の如く締め切った伊吹の間において右ストーブを全開点火した場合に発生する一酸化炭素は、約一〇分間で一〇〇PPM(〇・〇一パーセント)以下であって七時間燃焼を継続しても自然換気によってそれ以上の量に達しないこと、すなわち、右ストーブの燃焼を継続しても、これによって発生する一酸化炭素が致死量に達しない事実も、また右鑑定の結果によって認めることができる。
(三) そこで、原告等の主張するところに従い、被告従業員の過失の有無について検討を加える。
(1) ゴムパイプとストーブ接続部分の締めバンド等について右に認定したところによれば、ゴムパイプはストーブと接続するに当り締めバンドを必要としない構造を有していたものというべきであり、また、右構造に欠陥があったとか、ストーブの接続部分に右パイプの挿入が不十分であったとの事実を認めるに足る証拠も存しない。≪証拠省略≫には、ゴムパイプのストーブ接続部分に締めバンドが存するけれども、本件のガスパイプと右接続部分における構造を異にするものであることは、これ自体によって明らかであるから、これをもって右認定を動かすことはできず、また、≪証拠省略≫をもってしても、これを動すことはできない。従って、右パイプが老朽化してストーブとのガス洩れ防止ないし接続のため締めバンドを必要としたというような具体的事実を認め得ない限り、締めバンドの存しなかったことを問題とする余地は存しない。
(2) ゴムパイプの老朽化について
本件ゴムパイプは被告が昭和四二年頃買受けたものであることは、前示のとおりであって、甲第九号証には「ゴム管の寿命は約三年です。」との記載があり、甲第七号証の一、二(原告森正治の手帳)には「ホースは口金の赤線まで、しかし赤線のところでは抜ける、もっと奥へ差込まねばならない。」旨記載され、証人浜田教宣は「右パイプには亀裂があり三、四ヵ所にわたって線糸が出ていた古いものである。」旨供述するほか、原告本人森正治も「右パイプは弾力性を失っておりストーブの赤線表示部分より深く差込んでも引張ると簡単に抜けた。」旨供述する。しかして、証人磯部喜平の供述によると、本件ゴムパイプは事故後被告において他のゴムパイプ全部を取替えた際東部ガス株式会社において持帰り、その後倉庫改築の際これを破棄した事実を認め得るところから、現在において右ゴムパイプの老朽化の有無を認定することは困難であるが、証人五町昇、片桐保雄、磯部喜平の各供述に照らして検討すると、右各証拠をもってしては、いまだ本件ゴムパイプが老朽化していてストーブとの接続も不十分であったものと認定することはできず、他にこれを認めるに足る証拠も存しない。もっとも、本件事故後右ゴムパイプが「く」の字型に曲っていた事実は、既に認定したとおりであるが、鉄の螺旋管を芯とされているゴムパイプは踏んだ程度では曲らないものであるとの前叙認定事実に徴すると、右の事実は、曲った部分に相当大きな力が加えられたことを物語るものとしても、これをもって直ちに右パイプが老朽化したことを裏付けるものとは認めることは困難である。
(3) 換気装置等について 伊吹の間の換気は主として東側の腰高窓によって行われ特に換気装置の存しなかった事実は、すでにみたとおりであるが、≪証拠省略≫によると、和風建物の自然換気は一時間に二回(普通の場合)であることが認められるばかりでなく、右伊吹の間において前示ストーブを全開点火した場合における一酸化炭素は燃焼を継続しても致死量に達しないとの前叙事実に徴すると、伊吹の間に換気装置の存しなかったこと及び被告の従業員星いち及び山口良一が同室の換気に注意を払わなかったとの事実の如きは、本件事故と何らの関係も有しなかったものとしなければならない。
(4) 本件ストーブを消さなかったこと等について およそ、旅館に宿泊するに当って宿泊客と旅館との間に締結される宿泊契約とは、一回的債権関係を目的とするものであって、各室の賃貸借契約を基本としこれに売買等の諸契約が結合した混合契約であるから、格別の事情が存しない限り、宿泊客が客室に入室後におけるその室内に備えられたストーブ、電灯、テレビ、ラジオ等の点滅等特殊な技術や危険性を有しないものの取扱いは、宿泊客に委ねられているものと解するを相当とするところ、本件事故は、前説示のとおり、猛が伊吹の間に入室した後のことに属するから、他に格別の事情につき主張を立証も存しない本件にあっては、被告の従業員山口良一がその後伊吹の間に立入ってストーブを消さず、元栓を閉めなかったとしても、敢えて咎むべきものとは認められない。
(5) 大元栓を閉じなかったことについて 被告方における都市ガスは室外に設置された大元栓から導管によって七つの客室に導かれていた事実は、検証の結果によって明らかであるが、大元栓を閉じた場合には右の各客室のストーブも自然消火するに至るため元栓及びストーブの栓を開いたまま放置される場合の存することは、十分考え得るところであるから、ガスの流出による危険防止のためには、非常の場合を除くのほか、大元栓を閉じることなく、むしろ開放しておくに如くはない。してみると、被告の従業員山口良一が大元栓を閉じなかったことをもって過失と認めることもできない。
(6) 電話交換台の連絡用ブザーの作動停止について 検証の結果に≪証拠省略≫を綜合すると、被告方の事務室には電話交換台が設けられ客室と電話によって連絡をとり得るように設備されており、右交換台は客室の受話器を外すとランプが点きブザーがなるように装置されていたこと及び被告は午前零時頃から右ブザーの作動を停止しており、本件事故当日も同様であった事実を認めることができる。原告等は、被告において右ブザーの作動を停止しなかったなら猛の死亡前同人を救出することも可能であった旨主張するが、かような事実を認める足る証拠は全く存しないばかりでなく、被告方における右の如き設備は、宿泊契約に基づく宿泊客の要求、または旅館側の提供するサーヴィス等を、直接事務室ないし客室に出向かずに連絡伝達するもの、換言すれば、当事者間の利便のために設置されたものに過ぎないものであり、また、被告において通常の営業時間後たる午前零時以降においても稀有の非常事態の発生を予想してまでブザーを作動させておくべき根拠を見出すことは困難であるから、いずれにしても、被告の従業員山口が右ブザーの作動を午前零時頃停止したことをもって、過失とする原告等の主張は、当を得たものとはいい難い。
(四) ところで、本件事故は、猛の自殺と認め得ないこと、前叙認定のとおりであるが、伊吹の間に第三者が侵入した形跡も存しないこと及び右事故が猛の伊吹の間入室後に生じたとの前叙事実によると、本件事故を猛以外の者の行為にその原因を求めることは困難である。しかして、猛が被告方に投宿する直前飲酒した後「寒い寒い」と寒さを訴えていたこと、布団が敷替えられていたこと及びストーブが元栓から略々ゴムパイプ一杯の位置に布団の方に向けられていたこと等の前叙認定事実によると、猛は寒さを感じていたところから、伊吹の間に案内された後、寝ながら暖をとるべく西枕に敷いてあった布団をストーブの移動可能範囲内に南枕になるよう敷き直したうえ元栓の前にあったストーブを西の方へ元栓からゴムパイプ一杯の長さの位置に布団へ向けて置こうとしたが、その際ストーブを強く引張ったためゴムパイプがストーブから外れかかったのに気付かずして就寝したためガスが室内に充満するに至って苦しさを感じ、これを被告の事務室に知らせるべく床の間の電話器のところまで行って倒れたが、その間何らかのはずみで右パイプがストーブから外れ、もって本件事故の発生をみるに至ったと推定することもできるのである。そして、検証の結果によると、ゴムパイプの一方をストーブに他の一方を元栓に装着したうえ右ストーブをパイプと直角に保ち(ストーブを西に向けて)元栓と反対の方向に引いた場合、右パイプは元栓の装着部分から脱落したが、ストーブの装着部分には異常が存しなかったこと、また、右パイプをストーブの装着部分の赤線表示部分まで装着したうえ、右パイプをストーブ裏面右角に当て(ストーブを北に向けて)て装着方向に直角の角度(西の方へ)で引いた場合は、右パイプを装着方向と反対方向に引いた場合に比して装着部分のパイプの脱落は容易であるが、装着方向に対し直角の方向、すなわち装着部分のパイプが他の部分のパイプと直角になるようにして(ストーブを南に向けて)引いた場合よりもパイプの脱落は困難である事実を認めることができ、前示ゴムパイプの「く」の字に曲った部分は、右パイプをストーブに装着しこれを右ストーブ裏面右角に当てた場合に略々その右角付近に該る事実は、≪証拠省略≫によって認めることができ、右の如き事実は、前示推定事実を支持する間接事実たり得るであろう。
(五) してみると、伊吹の間にガスが充満して発生した本件事故が被告従業員の過失によることを認めるに足る証拠は存しないから、これが存在を前提とする原告等の損害賠償の主張は、その前提において採用することはできない。
三、次に、原告等の民法第七一七条による主張について考えるに、ゴムパイプの老朽化、右パイプに締めバンドの存しなかったことをもって土地工作物と認め得るかどうかは暫く措くとしても、前叙認定事実によれば、本件ストーブに使用されていたゴムパイプが老朽化していたとは認められないのみならず、伊吹の間には雨戸、ガラス戸及び障子により三重に締め切った腰高窓のほか、換気孔等の換気設備の存しなかったこと、室外に設置したガスの大元栓を開放したままにしてあったこと及び右パイプのストーブとの接続部分にガス洩れ防止の締バンドを設けていなかったこと等原告等の主張する事実をもって、土地の工作物の設置保管に瑕疵があったと認め得ないことは、以上に説示したところから明らかである。してみると、この点に関する原告等の主張も、また採用することができない。
四、原告等は、被告にはストーブを消さなかったこと、元栓の取扱い等に関する宿泊契約上の債務不履行が存する旨主張するが、被告にそのような債務不履行の事実を認め得ないことも、また、既に説示した事実関係に徴して明らかであるから、この点に関する原告等の主張も、採用することができない。
五、以上の次第であるから、原告等の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当として棄却すべきものである。よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 長久保武)
<以下省略>