水戸地方裁判所 昭和52年(ワ)89号 判決 1982年9月16日
原告
小林旦周
被告
茨交タクシー株式会社
主文
1 被告は原告に対し、金一五一万四、九五三円及びうち金一三六万四、九五三円に対する昭和五二年三月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告の、各負担とする。
4 この判決は第1項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨(原告)
1 被告は原告に対し、金六八三万八、四〇二円及びうち金六三三万八、四〇二円に対する昭和五二年三月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁(被告)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二原告の請求原因
一 (本件事故の発生)
原告は被告方に自動車(タクシー)運転手として勤務していた者であるところ、普通乗用自動車(以下「被害車」という。)を運転し、昭和四八年八月二八日午後三時五五分ころ、水戸市大町三丁目四番一〇号先道路上において、信号待ちのため停車中、後方から進行してきた被告方の運転手小林義高運転の普通乗用自動車(以下「加害車」という。)に追突され、よつて後頭部打撲、頸部捻挫、腰部挫傷、外傷性脳幹・小脳障害等の傷害を受けた(以下「本件事故」という。)。
二 (被告の責任)
被告は、旅客自動車運送業(タクシー)を営むことを目的とする会社であるところ、前記小林義高運転の加害車を所有し、右営業のため、運行の用に供していたものである。
したがつて被告は、自動車損害賠償法(以下「自賠法」という。)三条により、原告の蒙つた後記損害を賠償する責任がある。
三 (原告の治療経過)
原告は、本件事故による前記傷害につき、以下のとおりの治療を受けた。
1 志村病院への通院 (実通院日数四三一日)
原告は、昭和四八年八月二八日(本件事故日)から昭和五〇年五月二六日までの間に合計四三一日、水戸市泉町一―七―三八所在の志村病院に通院した。
2 東京労災病院への入院 (五三日)
原告は、その後、昭和五〇年六月一一日から同年八月二日までの五三日間、東京都大田区大森南四―一三―二一所在の東京労災病院に入院した。
3 東京労災病院への通院 (実通院日数四日)
原告は、右入院治療の前後にわたり、合計四日間、右東京労災病院に通院した。
4 志村病院への入院 (六〇四日)
原告は、以上の各治療により、次第に症状も好転してきたのであるが、昭和五〇年八月二六日に至り、突然、手足がしびれて動かなくなり、救急車の出動を要請して前記志村病院に入院し、昭和五二年四月二〇日までの六〇四日間、同病院に入院した。
5 志村病院に対する通院 (実通院日数三二日)
原告は、右志村病院退院後、昭和五二年六月六日までの間に、合計三二日、同病院に通院した。
6 以上のとおり、原告は、本件事故により受けた傷害のために、本件事故発生日である昭和四八年八月二八日から昭和五二年六月六日までの間に、合計六五七日間の入院治療、通院実日数合計四六七日の通院治療を受けたものである。
四 (原告の損害) 合計金一、二八三万八、九七八円
原告は、本訴において、本件事故によつて蒙つた損害のうちの一部である本件事故当日の昭和四八年八月二八日から昭和五二年六月六日までの損害について請求するものであるが、その内訳は以下のとおりである(なお本件事故は、被告方の従業員であつた原告が、その職務に従事中発生したもので、治療費はその全額が、労働災害として労災保険より支給されている。)。
1 家族付添費 金三万円
原告は、昭和五〇年八月二六日救急車で志村病院に入院した後の一〇日間、身動きすることすらできない状態であつたので、その間、原告の妻が付添看護をした。しかして、家族のなした入院付添については、一日当り三、〇〇〇円の付添費用が認められるべきであるから、これによつて原告の受けた損害額は、一日三、〇〇〇円の割合による一〇日分の合計三万円となる。
2 入院雑費 金四五万九、九〇〇円
前記三記載のとおり、原告は、本件事故により合計六五七日もの間入院治療を余儀なくされたところ、右入院に伴う一日当りの必要な雑費は七〇〇円を下ることはなかつたので、これによつて原告の受けた損害額は、一日七〇〇円の割合による六五七日分の合計四五万九、九〇〇円となる。
3 通院交通費 計金二万二、六一〇円
原告は、前記傷害の治療のため、前記三記載のように通院し、右通院に伴う交通費として、次のとおり合計二万二、六一〇円を要した。
(一) 第一次志村病院通院分 金五、四〇〇円
前記三1記載の事故当日から昭和五〇年五月二六日までの志村病院への通院のうち、茨交バスのストライキがあつた六日間について、原告はタクシーを利用しての通院を余儀なくされ、一往復につき九〇〇円を要した(その余の日の通院については、被告から原告に発行された茨交バス無料利用券を使用した。)。
よつて、この間の通院交通費は、一回九〇〇円の六回分五、四〇〇円となる。
(二) 東京労災病院通院分 金八、九二〇円
前記三3記載の東京労災病院への通院(常磐線急行列車、都内国電利用)には一往復二、二三〇円を要した。よつて、右の通院交通費は、一回二、二三〇円の四回分合計八、九二〇円となる。
(三) 第二次志村病院通院分 金八、三二〇円
前記三5記載のように、原告は、昭和五二年四月二一日から同年六月六日までの間に合計三二日(実日数)志村病院に通院し、一往復二六〇円(若宮団地から水戸市泉町一丁目間のバス料金)を要した(この間のバス通院については、被告から茨交バス無料乗車券は交付されなかつた。)。よつて、この間の通院交通費は、一回二六〇円の三二回分合計八、三二〇円となる。
4 休業損害(毎月の賃金分) 計金六五〇万一、七三二円
原告は、本件事故当時三五歳で、被告方のタクシー運転手として稼働し、事故前三カ月間に合計三一万五、一四一円(一カ月平均一〇万五、〇四七円)の収入を得ていたものであるが、本件事故による傷害により、本訴請求の昭和四八年八月二八日から昭和五二年六月六日までの間休業を余儀なくされ、その間、次の(一)ないし(六)のとおり合計六五〇万一、七三二円の毎月の賃金相当分の収入を失つた。
(一) 昭和四八年八月二八日(事故日)から昭和四九年三月二〇日まで二〇四日間分 金七二万四、二〇四円
前記のとおり、原告の本件事故前三カ月(昭和四八年五月二一日から同年八月二〇日まで)間の収入は合計三一万五、一四一円であつたから、その平均日額は、右金額を九〇日で除した三、五〇一円となる。
なお、右の収入額は、被告が水戸労働基準監督署に提出した「平均賃金算定内訳」(甲第九号証の三)によるところの原告の本件事故前三カ月の賃金合計(基本賃金、各種手当を含む)三〇万九、七四一円に、原告が昭和四八年六月に被告方の労働組合活動に参加し、労動組合から右活動に費した時間の賃金相当分として支給された五、四〇〇円を加算した額である。
すると、右二〇四日間の休業損害は、右日額三、五〇一円に二〇四日を乗じた七一万四、二〇四円となるところ、昭和四八年一二月二七日にタクシー運賃の値上げが実施された際、被告はその従業員である運転手全員に一万円を特別手当として支給したから、これを加えた七二万四、二〇四円が右期間中の休業損害額となる。
(二) 昭和四九年三月二一日から同年一二月二六日までの二八一日間分 金一一四万一、九八四円
原告が被告から支給される賃金の内訳は、(1)基準賃金、(2)時間外手当、(3)歩合給、(4)家族手当、(5)通勤手当、(6)皆勤手当、(7)水戸駅構内勤務の皆勤者に対する保証手当(以下「構内手当」という。)で構成されているところ、右期間中の各項目の金額は、以下のとおりである。
(1) 基準賃金
昭和四九年一月分以降の基準賃金は五万〇、七五〇円(甲第三、第四号証)であり、昭和四九年度(昭和四九年三月二一日以降)は一律に一万四、六五〇円増額された(甲第六号証)から、頭書期間中の基準賃金は、六万五、四〇〇円となる。
(2) 時間外手当
本件事故前三カ月間において、原告の時間外手当が基準賃金に占める割合(甲第九号証の三による)は一カ月平均二六・七六パーセントであるところ、原告は本件事故に遭遇しなければ事故前と同様に就労したであろうことは明らかであるから、右割合も変化がないと考えられる。
したがつて、右期間中の時間外手当は、(1)の基準賃金六万五、四〇〇円に二六・七六パーセントを乗じた一万七五〇一円と考えることができる。
(3) 歩合給
歩合給は、総売上額から一六万円を控除した残額の二一パーセントの額である(甲第六号証)。しかして、原告の事故前三カ月間における一カ月平均総売上額は二四万〇、三八六円であるところ、昭和四九年一月二三日からタクシー運賃が平均二三・一パーセント値上げされたから、原告の総売上額も右と同率の割合により、次の計算のとおり、二九万五、九一五円に増加したものと考えられる。
したがつて、頭書期間中における一カ月当りの歩合給は、次の計算のとおり、二万八、五四二円となる。
240,386円×1.231=295,915円
(295,915円-160,000円)×0.21=28,542円
(4) 家族手当
原告には妻と子供一人がいるところ、右の家族手当として二、五〇〇円が支給される(甲第六号証)。
(5) 通勤手当
原告は、現在、被告方まで四キロメートルの距離内にある水戸市若宮町に居住しているので、通勤手当として月五〇〇円が支給されるべきである(甲第六号証)。
(6) 皆勤手当
原告は、事故前三カ月間皆勤であつたことからして、事故後も皆勤を続けたものと考えるべきである。しかして、被告は労働組合との間で皆勤手当として月二、〇〇〇円を支払う旨合意していたから、原告に対してもこれを支払うべきである。
(7) 構内手当
被告は、労働組合との間で、水戸駅構内勤務の皆勤者に対し構内手当として月五、五〇〇円を支給する旨約していたところ、原告は本件事故当時水戸駅構内に勤務し、前記のように事故前三カ月間皆勤であつたから、本件事故後も構内手当の支給を受ける資格があるというべきである。
(8) 以上によれば、原告の頭書期間中における一カ月当りの賃金額は、右(1)ないし(7)の合計一二万一、九四三円であるから、その平均日額は、右金額を三〇日で除した四、〇六四円となる。
したがつて、頭書期間中の休業損害は、右日額四、〇六四円に二八一日を乗じた一一四万一、九八四円となる。
(三) 昭和四九年一二月二七日から昭和五〇年三月二〇日までの八四日間分 金三八万八、五八四円
基準賃金、時間外手当、家族手当、通勤手当、皆勤手当、構内手当については前記(二)記載の期間と同様であるが、歩合給については、昭和四九年一二月二七日から、タクシー運賃が平均二七・一パーセント値上げされたことにより、以下のとおりとなる。
すなわち、右値上げにより、原告の一カ月平均総売上額も前記(二)記載の期間の金額に比して二七・一パーセント増加したものと思料されるので、歩合給は、次の計算のとおり、四万五、三八二円となる。
295,915円×1.271=376,108円
(376,108円-160,000円)×0.21=45,382円
よつて、頭書期間中の一カ月の賃金額は、前記(二)(1)(2)(4)ないし(7)の金額合計九万三、四〇三円に右歩合給四万五、三八二円を加えた一三万八、七八五円であるから、その平均日額は、右金額を三〇日で除した四、六二六円となる。
したがつて、頭書期間中の休業損害は、右日額四、六二六円に八四日を乗じた三八万八、五八四円となる。
(四) 昭和五〇年三月二一日から昭和五一年三月二〇日までの三六六日間分 金一七六万一、九二四円
(1) 基準賃金
昭和五〇年度(三月二一日から翌年三月二〇日までを一年度とする。以下同じ。)の基準賃金は昭和四九年度の基準賃金に一律月額七、一五〇円が加算された(甲第七号証)から、頭書期間中の基準賃金は七万二、五五〇円となる。
(2) 時間外手当
基準賃金の増額により、時間外手当も増額し、その額は前記(二)(2)記載のとおり、基準賃金の二六・七六パーセントとなると考えられるから、(1)の基準賃金七万二、五五〇円に〇・二六七六を乗じた一万九、四一五円(端数切上げ)となる。
(3) 歩合給
原告の一カ月平均総売上額は前記(三)記載の三七万六、一〇八円に変動はないものの、昭和五〇年度からは、歩合給は、総売上額から二〇万円を控除した残額の二一パーセントとなつたから、頭書期間中の一カ月当りの歩合給は、次のとおり、三万六、九八二円となる。
(376,108円-200,000円)×0.21=36,982円
(4) 家族手当
その額は、従前と変動はない。
(5) 通勤手当
昭和四九年暮、被告はその本店を水戸駅前から水戸市金町に移転し、そのため原告の住所地からの距離は四キロメートルを超え一〇キロメートル以下となつたから、通勤手当は一、五〇〇円支払われるべきである(甲第六号証)。
(6) 皆勤手当
その額は、従前と変動ない。
(7) 構内手当
昭和五〇年度は九、五〇〇円が支払われることで労使の合意が成立しているから、同額支払われるべきである。
(8) 以上によれば、原告の頭書期間中における一カ月の賃金は、右(1)ないし(7)の合計一四万四、四四七円であるから、その平均日額は、右金額を三〇日で除した四、八一四円となる。
したがつて、頭書期間中の休業損害は、右日額四、八一四円に三六六日を乗じた一七六万一、九二四円となる。
(五) 昭和五一年三月二一日から昭和五二年三月二〇日までの三六五日間分 金二〇二万四、二九〇円
(1) 基準賃金
昭和五一年度の基準賃金は前年度の基準賃金に一律月額四、八〇〇円増額された(甲第八号証)から、昭和五一年度の基準賃金は七万七、三五〇円となる。
(2) 時間外手当
基準賃金の増額により、時間外手当も増額し、その額は(1)の基準賃金七万七、三五〇円の二六・七六パーセントに当る二万〇、六九八円となる。
(3) 歩合給
昭和五一年度の歩合給は、総売上額三一万円以上については、二〇万円を控除した残額の三〇パーセントと定められた(甲第八号証)ところ、原告の一カ月平均総売上額は少くとも前年度と同額の三七万六、一〇八円は下らないものと考えられるから、原告の昭和五一年度中の一カ月当りの歩合給は、次の計算のとおり、五万二、八三二円となる。
(376,108円-200,000)×0.3=52,832円
(4) 諸手当
家族手当以下の諸手当は、前記(四)記載の金額と変動がなく、その合計額は一万五、五〇〇円である。
(5) 以上によれば、原告の頭書期間中の一カ月の賃金は、右(1)ないし(4)の合計一六万六、三八〇円であるからその平均日額は右金額を三〇日で除した五、五四六円となる。
したがつて、頭書期間中の休業損害は、右日額五、五四六円に三六五日を乗じた二〇二万四、二九〇円となる。
(六) 昭和五二年三月二一日から同年六月六日までの七八日間分 金四六万〇、七四六円
(1) 基準賃金
昭和五二年度の基準賃金は前年度の額に対比し、一律五、三五〇円及び定期昇給分七五〇円増額された(甲第一九、第五号証)から、頭書期間中の基準賃金は、八万三、四五〇円となる。
(2) 時間外手当
前年度と同様、基準賃金の二六・七六パーセントが時間外手当として支給されるべきであるから、その額は、(1)の基準賃金八万三、四五〇円に〇・二六七六を乗じた二万二、三三一円となる。
(3) 歩合給
昭和五二年度の歩合給は、前年度の算式によつて算定された(ただし、総売上高が三三万円以上の)歩合給に対し、一律三、一〇〇円加算されることとなつた(甲第一九号証)。原告の一カ月平均の総売上額は前年度と変化ない三七万六、一〇八円とみるべきであるから、原告の頭書期間中の一カ月当りの歩合給は、前記(五)(3)記載の歩合給額五万二八三二円に右三、一〇〇円を加えた五万五、九三二円となる。
(4) 諸手当
家族手当以下の諸手当は、前記(四)記載の金額と変動がなく、その合計額は一万五、五〇〇円である。
(5) 以上によれば、原告の頭書期間中の一カ月の賃金は、右(1)ないし(4)の合計一七万七、二一三円であるから、その平均日額は、右金額を三〇日で除した五、九〇七円となる。
したがつて、頭書期間中の休業損害は、右日額五、九〇七円に七八日を乗じた四六万〇、七四六円となる。
5 休業損害(賞与分) 金一三八万四、七三六円
原告は、本件事故による傷害により、本訴請求の昭和四八年八月二八日から昭和五二年六月六日までの間休業を余儀なくされ、その間、次のとおり合計一三八万四、七三六円の賞与相当分の収入を失つた。その内訳は次の(一)ないし(七)のとおりである。
(一) 昭和四八年年末分 一二万七、二〇〇円
被告方の従業員に対する賞与は、一律支給額、勤続年数の割合による支給額、稼働高の割合による支給額により、算定されることになつている(甲第三三号証)。
(1) 一律支給額
協定書によれば、一律支給額は、平均支給額一二万円の八〇パーセントとされている(甲第三三号証3(2))ので、従業員は誰でも九万六、〇〇〇円の支給を受け得たものである。
(2) 勤続割合支給額
右協定書によると、平均勤続年数の従業員に対しては平均支給額一二万円の一〇パーセントが支給されることになつている。
しかして、昭和四八年一二月の賞与に関し、被告方の従業員の平均勤続年数は六・〇四年であるのに対し、原告は、昭和四〇年四月一六日雇用されたので、七・八年の勤続者として扱われたため、右の割合は、次の計算のとおり、一二・九パーセントとなる。したがつて、一二万円の一二・九パーセントである一万五、四八〇円が、勤続割合として支給されるべきこととなる。
10×7.8/6.04=12.9
(3) 稼働割合支給額
前記協定書によると、平均稼働(すなわち総売上)額を稼ぐ者に対して、平均支給額一二万円の一〇パーセントが支給されることになつている。しかして、昭和四八年度の水戸駅構内における平均稼働高は、一八万四、〇〇五円(甲第三二号証)であるところ、前記四4(二)(3)記載のとおり、原告の事故前三カ月間の平均稼働月額は二四万〇、三八六円であり、本件事故なくば少くとも同額の稼働高をあげていたものと扱われるべきなので、原告の右割合は、次の計算のとおり、一三・一パーセントとなる。したがつて、一二万円の一三・一パーセントである一万五、七二〇円が稼働高割合として支給されたはずであつた。
10×240386/184005=13.1
(4) よつて、原告の昭和四八年年末分の賞与相当額は、右(1)ないし(3)の合計一二万七、二〇〇円となる。
(二) 昭和四九年夏期分 金一五万〇、七〇〇円
(1) 一律支給額
協定書(甲第三四号証)によれば、一律支給分は平均支給額一四万円の八〇パーセントであるから、一一万二、〇〇〇円となる。
(2) 勤続割合支給額
昭和四九年前半における被告方の従業員の平均勤続年数は、六・五年である(甲第三一号証)のに対し、原告は八・二年になつていた者である。しかして、右の平均勤続年数の者に対し平均支給額一四万円の一〇パーセントが勤続割合として支給されているから、原告に対しては、その勤続割合は次の計算のとおり一二・六パーセントとなるので、右支給額一四万円の一二・六パーセントにあたる一万七、六四〇円が支給されるべきである。
10×8.2/6.5=12.6
(3) 稼働割合支給額
昭和四九年前半における一人平均稼働高は一九万六、二五五円であり(甲第三一号証)、この者に対し平均支給額一四万円の一〇パーセントが稼働割合分として支給されているところ、原告の昭和四九年夏期における平均稼働高は前記四4(二)(3)記載のとおり二九万五、九一五円と認めるべきであり、その平均稼働高との割合は、次の計算のとおり一五・一パーセントであるから、原告に対しては平均支給額一四万円の一五・一パーセントに当る二万一、一四〇円が稼働高分として支給されるべきものである。
10×295915/196255=15.1
(4) よつて、原告の昭和四九年夏期分の賞与相当額は、右(1)ないし(3)の合計一五万〇、七八〇円となる。このうち八〇円を控除した一五万〇、七〇〇円を請求額とする。
(三) 昭和四九年年末分 金一八万一、七〇〇円
(1) 一律支給額
協定書(甲第三五号証)によれば、一律支給分は、平均支給額一六万円の七〇パーセントに当る一一万二、〇〇〇円となる。
(2) 勤続割合支給額
昭和四九年後半における被告方の従業員の平均勤続年数は不明であるが、昭和四八年年末(六・〇四年)と昭和四九年前半(六・五年)との平均値六・二七年をもつて、右年数と考えるのが妥当である。しかして、右協定書によると、平均勤続年数の者に対しては、平均支給額一六万円の二〇パーセントが勤続割合分として支給されているから、当時勤続年数八・八年であつたはずの原告に対しては、その勤続割合は次の計算のとおり二八パーセントとなるので、右支給額一六万円の二八パーセントにあたる四万四、八〇〇円が、勤続割合分として支給されるべきであつた。
20×8.8/6.27=28
(3) 稼働割合支給額
平均稼働高も書証上は不明なので、昭和四八年末と昭和四九年末の平均をもつて、平均稼働高とするのが相当である。しかして、右の平均稼働高は一九万〇、一三〇円であり、この者に対し、平均支給額の一〇パーセントが稼働高分として支給されているところ、原告の昭和四九年年末における平均稼働高は、前記四4(二)(3)記載のとおり二九万五、九一五円であり、その平均稼働高との割合は、次の計算のとおり一五・六パーセントであるから、原告に対しては、平均支給額一六万円の一五・六パーセントにあたる二万四、九六〇円が稼働高分として支給されるべきである。
10×295915/190130=15.6
(4) よつて、原告の昭和四九年年末分の賞与相当額は右(1)ないし(3)の合計一八万一、七六〇円となる。このうち六〇円を控除した残一八万一、七〇〇円を請求額とする。
(四) 昭和五〇年夏期分 金一四万七、九四五円
昭和五〇年夏期以降の賞与の額は、次のA、B、Cの和である。
A=本人給比例原資(a)×原告の月額基本給(b)組合加入全従業員の基本給総額(c)
B=稼働・勤続分支給額
C=査定評価分支給額(被告の裁量)
しかして、Aは、(a)に八六一万二、二〇〇円(甲第三一号証)、(b)に七万三、三〇〇円(甲第三六号証)、(c)に五〇二万六、二五〇円(甲第三一号証)をあてはめると、一二万五、五九五円となり、B、Cは、原告は少くとも平均額(甲第三一号証)を下らない額を受け得たことは明白であるから、それぞれ、一万四、九〇〇円、七、四五〇円が相当である。
したがつて、原告の昭和五〇年夏期分の賞与は、右の合計額である一四万七、九四五円となる。
(五) 昭和五〇年年末分 金二〇万八、五八〇円
Aは前記算式の(a)に九一三万九、二〇〇円(甲第三一号証)、(b)に七万三、三〇〇円(甲第三六号証)、(c)に四九七万五、七七六円(日給総額一九万一、三七六円((甲第三一号証))の二六日分)をそれぞれあてはめると、一三万四、六三二円となる。
BとCの合計値は、協定書(甲第三八号証)によれば次の算式により求められることになる。
B+C={(原告の半年分の売上高×0.49)-(原告の半年分の総給料)+勤続分支給額}×0.274
しかして、右算式に、原告の昭和五〇年における一カ月平均稼働額である四4(三)、(四)(3)記載の三七万六、一〇八円の六カ月分、同年における賃金の平均日額である四4(四)記載の四、八一四円の一八〇日分、及び甲第三八号証により求められるところの勤続分支給額二万七、〇〇〇円をあてはめると、次の計算のとおり、七万二、九四八円となる。
{(376,108円×6×0.49)-(4,814円×30×6)+27,000円}×0.274=72,948円
よつて、原告の昭和五〇年年末分の賞与は、右の合計額である二〇万八、五八〇円となる。
(六) 昭和五一年夏期分 金二五万五、〇六九円
Aは、前記算式に、甲第三一号証から得られるところの(a)五四五万六、〇〇〇円、(b)七万七、三五〇円、(c)四九九万六、三八〇円をあてはめると、八万四、四六五円となる。
Bは、協定書(甲第三九号証)によると、次の算式に従つて算出される。
B={(原告の半年間の売上高×配分率)-(昭和50年12月から昭和51年5月までの給与総額)+(5,000円×勤続年数)}×0.579
しかして、右算式に、前記(五)記載の原告の一カ月平均売上高、一日平均賃金等をあてはめると、Bは、次の計算のとおり、一五万五、一〇四円となる。
{(376,108円×6×0.5円)-(4,814円×30×4+5,546円×30×2)+(5,000円×10)}×0.579=155,104円
Cについては、原告は少くとも平均値である一万五、五〇〇円(甲第三一号証)を下らない額を受け得たはずであるから、右額をもつてCの値とする。
よつて、原告の昭和五一年夏期分の賞与総額は、右の合計額である二五万五、〇六九円となる。
(七) 昭和五一年年末分 金三一万三、五四二円
Aは、前記算式に、甲第三一号証によつて得られるところの(a)六一七万一、〇〇〇円、(b)七万七、三五〇円、(c)四九九万六、八五〇円をそれぞれあてはめると九万五、五二五円となる。
Bは、協定書(甲第四〇号証)によると次の算式により求められることになる。
B=(原告の半年分の売上高×配分率)-(原告の半年分の給料)+(8,000円×勤続年数)
しかして、右算式に、前記(五)記載の原告の一カ月平均売上高、一日平均賃金等をあてはめてその値を求めると、次の計算のとおり、二〇万一、〇一七円となる。
(376,108円×6×0.496)-(5,546円×30×6)+(8,000円×10)=201,017円
Cについては、原告は少くとも平均値である一万七、〇〇〇円を下らない額の支給を受け得たであろうことは明白であるから、右額をもつてCの値とする。
よつて、原告の昭和五一年年末分の賞与総額は、右の合計額である三一万三、五四二円となる。
6 慰藉料
(一) 入院期間中についての慰藉料 金二五〇万円
前述のように、原告は本件事故により合計六五七日間の入院を余儀なくされた。この入院治療期間中に原告の受けた精神的苦痛は大きく、これを金銭に評価すると二五〇万円が相当である。
(二) 通院期間中についての慰藉料 金一四四万円
同様に、実通院日数四六七日に及ぶ通院期間中に原告の受けた精神的苦痛を金銭に評価すると、一四四万円が相当である。
7 弁護士費用 金五〇万円
原告は、本訴の提起・追行を原告代理人らに委任し、その費用として五〇万円を支払うことを約した。
五 (休業損害算定についての予備的主張)
原告は、原告の休業損害について、前記4、5において詳細に算定して、その根拠を示したが、仮に、右算式に根拠がないとされた場合のため、賃金センサスに基づき、以下のとおり主張する。
すなわち、原告(昭和一三年二月二〇日生)は、本件事故当時、高校卒で満三五歳の健康な男子であつたから、同年齢の一般男子労働者と同額の収入をあげ得たと考えられるところ、賃金センサス第一巻第一表によると、高校卒男子三五歳ないし三九歳の年度毎収入額は、次のとおりであるから、原告の休業損害は後記のとおりとなる。
(一) 昭和四八年度 年収 一八八万一、六〇〇円
(日額五、一五五円)
(二) 昭和四九年度 年収 二三八万四、五〇〇円
(日額六、五三二円)
(三) 昭和五〇年度 年収 二七一万八、九〇〇円
(日額七、四四九円)
(四) 昭和五一年度 年収 三〇〇万五、五〇〇円
(日額八、二三四円)
(五) 昭和五二年度 資料がないので前年度と同額とする。
右によれば、原告の本件事故当日から昭和五二年六月六日までの休業損害の総額は、次の計算のとおり、一、〇二四万八、七八四円となる。
(5,155円×126)+2,384,500円+2,718,900円+3,005,500円+(8,234円×181)=10,248,784円
右によると、原告休業損害は、前記四4、5で算定した合計額である七八八万六、四六八円を上回ることとなるが、原告はこのうち、右七八八万六、四六八円の限度で損害と主張する。
六 (損害の填補) 計金五九九万九、七〇〇円
原告は、本件事故による休業損害に対する填補として、次のとおり、賃金分として五四五万〇、六〇〇円、賞与分として五四万九、一〇〇円の合計五九九万九、七〇〇円の支払を受けた。
1 毎月の賃金分 金五四五万〇、六〇〇円
原告は、本件事故による損害として、労災保険から、本件事故当日から昭和四九年一二月三一日までの四九一日間は一日につき三、三八七円、昭和五〇年一月一日から同年一二月三一日までの三六五日間は一日につき四、二三三円、昭和五一年一月一日から昭和五二年三月三一日までの間四五五日は一日につき四、二〇八円、同年四月一日から同年六月六日までの六七日間は一日につき四、八九四円の支払を受けた。
その額は、次の計算のとおり、合計五四五万〇、六〇〇円となる。
(3,387円×491)+(4,233円×365)+(4,208円×455)+(4,894円×67)=5,450,600円
2 賞与分 金五四万九、一〇〇円
被告は、原告に対し、賞与分として、昭和四八年年末に九万一、二〇〇円、昭和四九年夏期に一四万〇六〇〇円、同年年末に一六万七、三〇〇円、昭和五〇年夏期及び年末、昭和五一年夏期に各五万円の合計五四万九、一〇〇円を支払つた。
七 (結論)
以上、昭和五二年六月六日までの損害総額(右第四項の一、二八三万八、九七八円)から右填補額五九九万九、七〇〇円を控除すると残額は六八三万九、二七八円となる。
よつて、原告は被告に対し、本件事故による損害賠償として金六八三万八、四〇二円及びうち弁護士費用を除く金六三三万八、四〇二円に対する本訴状送達の翌日である昭和五二年三月二六日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三請求原因に対する被告の答弁
一 請求原因一のうち、原告が被告方のタクシーの運転手をしていた事実は認め、原告の受傷の内容は不知、その余の事実は否認する。
二 同二は争う。
三 同三は、いずれも不知。
四 同四、五は否認する。
五 同六は認める。
六 同七は争う。
第四原告の損害額算定に対する被告の反論
一 原告は、本件事故に基づく休業損害(得べかりし基準賃金及び賞与)の算出基礎を事故前三カ月間の賃金実績に置いているが、右は明らかに妥当性を欠く。
すなわち、原告は、事故前三カ月間はたまたま無欠勤であつたが、それ以前はかなり欠勤が多く、最も欠勤の少い昭和四四年ですら年間で四六日、一月平均で三・八日も欠勤しているのである。なお、原告は本件事故前に二回にわたり(第一回目は昭和四二年六月三日、第二回目は昭和四五年一〇月一二日)、本件事故と同様の追突事故にあつているが(以下「第一回目事故、第二回目事故」という。)、第一回目事故前五カ月間(昭和四二年一月から五月まで)をみても総計三六・五日欠勤しているから、原告の欠勤は前記事故に基づくものとはいえない。
このことは、とりも直さず、原告の本件事故前三カ月の出勤状況をもつて同人の一般的勤務状況とみることが妥当でないことを示すものである。なるほど、労災保険による休業補償の場合には事故前三カ月間の平均支払賃金を基礎とすることになつているが、これは立法政策上の配慮もあつて決められたものであり、本件の如く、事故前三カ月の勤務状況ないし賃金が一般的な勤務状況と著しくかけ離れているときは、事故前三カ月間のみの状況に基づくことは不合理であつて許されないというべきである。
二 次に原告は、本件事故後の休業損害(歩合給)の算出にあたり、タクシー運賃の値上げ率をそのまま原告の売上額の増収率として算定しているがこの点も妥当でない。
すなわち、タクシー運賃の値上げ率は、一定の区域内の指定タクシー会社の営業成績を勘案し、その平均をもとに東京陸運局において発表するものであるから、個々のタクシー会社における増収率は必ずしもこれと同率となるわけではなく、加えて運賃値上げが行なわれた場合、業界の一般的現象として、一時的にいわゆる客離れ現象が生じ、長期的には客の他の交通機関への移行がみられるため、運賃値上げ率即売上げ増収率とはなり得ないのである。
このようにして、売上げの増収率はタクシー運賃の値上げ率を常に下回るのが、過去の実績の示すところであつて、原告の主張は、右の実態を無視したもので失当である。
三 更に原告は、休業損害(歩合給)算定につき、運賃値上げの時点で直ちに歩合給が上昇するとの前提をとつているが、この点も誤りである。
すなわち、昭和四九年一二月二七日の二七・一パーセントの運賃値上げにより、歩合給の引上げが実際に行なわれたのは翌五〇年三月二一日からであり、それまでは、従来の基準により歩合給は算定されたものである。
四 賞与額の算定にも、売上高の多少が重大な影響を与えるものであるところ、ここでも原告は実態と合致しない事故前三カ月の売上高を基礎にし、運賃値上げ率をそのまま売上増収率として算出しており、適正な算出方法とはいえない。
のみならず、原告は協定書(甲第三三号証以下)記載の「一人当りの平均支給額」を基に算定しているが、右協定書に記載されている「一人当りの平均支給額」は協定書受給資格欄の記載に明らかなごとく、無遅刻無欠勤の者の平均支給額を意味するものであるところ、前記のように事故前三カ月の原告の勤務状況は原告の実態を反映していないものであるから、これを前提として算定した原告の計算方法は明らかに誤まつている。事実、本件事故後の被告方の構内運転手で、平均支給額をそのまま算出基準とされた者は一人もいないのである。
原告の賞与算定方法が不当であることは次の点からも明らかである。すなわち、別紙(四)は労使協定書による一人当りの平均賞与額(甲第三三号証以下)、被告方の構内運転手一人当りの平均賞与額(乙第六号証)と原告主張の休業損害(賞与分)とを比較したものであるが、これによると被告方の構内運転手一人当りの平均賞与額はいずれも協定書の平均支給額を下回つているにもかかわらず、原告主張の休業損害(賞与分)は、昭和四八年と昭和五〇年の夏期賞与を除きいずれも協定書の平均支給額を上回つており、その差は年を追うごとに広まり、昭和五一年に至つては原告主張の休業損害(賞与分)は平均支給額の倍以上にもなつているのである。
このような結果は、原告の計算方法がいかに実態を無視したものであるかを如実に示すものである。
五 原告は、休業損害額算定につき予備的に賃金センサスに基づく算出方法を主張している。
しかし、賃金センサスによる算出方法は、そもそも幼児の場合のように、基礎とすべき収入が把握できない場合とか収入の把握が困難な場合に用いられるべきであつて、実態に即した算出方法が可能な本件のごとき事例においては用いられるべきではない。
まして、賃金センサスに基づく算出が、被告さらにはタクシー業界一般の賃金実態にそぐわないとなればなおさらである。すなわち、例えば昭和五〇年八月二一日から昭和五一年八月二〇日までの被告方の運転手一人当りの平均年収額は一五〇万円前後であるのに比して、原告の援用する昭和五一年度の賃金センサスによれば年収額は約三〇〇万円にもなるのである(タクシー業界において一人当りの年収額が低いのは、その収益性の悪さ、賃金上昇率の低さからくるものである。)。
よつて、原告の予備的主張にかかる算出方法も採用されるべきではない。
六 そこで、被告は、原告の休業損害算定の最も妥当な方法として、原告の本件事故前一カ年の収入を基礎とし、原告とほぼ同時期(原告は昭和四〇年四月一六日入社、青沼運転手は同年一二月二四日入社)に被告方に入社した青沼運転手の賃金あるいは被告方全運転手の平均賃金のその後の上昇率をスライドさせる方法が妥当であると考える、右の方法により、原告の昭和四八年八月から昭和五三年八月までの得べかりし年収総額を算出すると別紙(五)のとおり、青沼運転手の上昇率を基準にすれば七五九万六、八四五円に、全運転手の上昇率を基準にすれば八三〇万八、六二五円となる。そこで、この額を基に、原告が本訴で請求している昭和五二年六月六日分までの休業損害を算出すると、青沼運転手に準じた場合には五七二万五、六四二円に、全運転手平均に準じた場合は六三三万一、六二九円となる。
ところで、前記のように原告は本件事故前、二度も本件事故と同種(追突)の交通事故にあつており、しかもいずれの場合にも、本件事故による受傷とその部位、内容をほぼ同一とする傷害を負つている。そして、原告は、本件事故当時、第二回目事故による傷害が完治しておらず(六〇ないし七〇パーセントの快復にすぎず)、治療継続中であつたものであり、また本件事故による傷害には前記二回の事故による傷害が影響を与えていることは明らかである。
そうである以上、本件事故による損害の全てを被告に負担させることは明らかに不合理であるから、いわゆる割合的認定(東京高裁昭和五二年一二月六日判決判例時報八八二号四九頁等参照)によるべきであり、これによれば原告の損害に対する本件事故の寄与の割合は五〇パーセントを超えないというべきである。
七 以上のように、被告の主張する右六の休業損害額に五〇パーセントの割合的認定を施し、さらに前記填補額を差引いた場合、休業損害について三〇〇万円を超える過補償ということになるから、原告主張にかかるその余の損害を計算に入れても、もはや被告には損害を賠償する義務はないというべきである。
第五証拠〔略〕
理由
一 (本件事故の発生)
原告が被告方のタクシーの運転手をしていた者である事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、第一〇ないし第一四号証、第一六ないし第一八号証、証人志村弘道の証言により真正に成立したと認められる甲第二、第一五号証によれば、請求原因一記載の本件事故が発生した事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
二 (被告の責任)
前掲甲第一四、第一六、第一八号証及び弁論の全趣旨によれば、被告は、タクシー業を営む会社であるところ、加害車を所有し、これを右営業のため、運行の用に供していたものであることが認められる。
右の事実によれば、被告は、自賠法三条により、原告に対し、本件事故による後記損害を賠償すべき義務がある。
三 (原告の傷害の部位、程度、治療経過等)
成立に争いのない甲第九号証の二、第一〇号証、第一三、第一七、第一八号証、第四一号証、乙第二、第三号証、第七号証(原本の存在及び成立を含む。)、第九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二〇ないし第二六号証(第二二ないし第二六号証については原本の存在及び成立を含む。)、前掲甲第二号証、第一四ないし第一六号証、証人志村弘道、同小林愛子の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。
1 原告は、本件事故後直ちに水戸市泉町の志村病院で診察を受け、「頸部捻挫、腰部挫傷、安静加療約三カ月を要する。」旨診断され、同日から同病院に通院を始めたのであるが、治療は長びき、結局昭和五〇年五月二六日までの間に四三一日(実日数)同病院に通院した。
2 その後原告は、昭和五〇年五月二七日に東京都大田区大森南所在の東京労災病院で診察を受けたのち、同年六月一一日から同年八月二日まで五三日間同病院に入院し、治療を受けた(なお、右入退院の前後に四日(実日数)同病院に通院している。)。
3 原告は、右東京労災病院退院後、同年八月二六日に、再び手足のしびれを訴えて、前記志村病院に入院し、その後昭和五二年四月二〇日までの六〇四日もの間、同病院に入院して治療を受け、右退院後も、昭和五二年六月六日までの間に合計三二日(実日数)同病院に通院した。
4 原告は、その後も現在に至るまで同病院に通院を続けており、服薬及び骨盤牽引、マツサージ等の治療を受けているのであるが、他方、昭和五四年九月ないし一〇月の時点で原告を診察した茨城県立中央病院脳神経外科山田量三医師の所見によれば、原告は頭痛、眩暈、目のかすみ等の自覚的症状を訴えてはいるものの、頭蓋単純撮影、頸椎六方向レントゲン撮影、眼底検査、CTスキヤンによる検査、脳波検査等において、いずれも何らの他覚的異常は認められないとのことであり、なおかつ、念のため行なつた神経耳科的検査によつても何らの異常も認められていない。
しかも原告は、本件事故の前後を通じて、自家用車を保有し続けており(なお、原告方では、運転できる者は原告のみである。)、日常生活において自己保有の普通乗用自動車を運転したものと推認されるところ、昭和五五年七月ころから約五カ月間、継続的(毎日連続したこともある。)に、午後六時過ぎころから深夜の午前一時ころまでいわゆる代行運転手として自動車運転の業務に従事していたものである。
なお、原告の治療に当つている志村弘道医師の所見によると、原告は、昭和五一年一二月一日時点において、「後遺症等級七級相当の障害が認められ、これはその後最良の経過をたどつたとしても九級の障害は残存するものと推定される。」ものであり(甲第二号証)、また同医師が証言をなした昭和五六年二月二三日時点においては、「タクシー運転手として稼働するには困難な状態にあり、それが可能となるまでにはなお四年ないし五年の治療を要する。」とのことである。しかしながら右所見は、前記認定の原告の傷害の部位・程度、その症状、前記山田医師の所見、殊に原告がいわゆる代行運転手として夜間長時間にわたつて運転業務に従事していた事実に照らし考えると、採用できない。
5 ところで、原告は本件事故前に、本件事故と同種の交通事故に二回遭遇している。すなわち、原告は、昭和四二年六月三日の第一回目事故と昭和四五年一〇月一二日の第二回目事故との二度にわたり追突事故にあつており、ことに第二回目事故においては、前記志村病院で入院治療を受け、本件事故(第三回目事故)の時まで、同病院に通院を継続していた(これを否定する原告本人の供述部分は措信できない。)。すなわち、原告は、少くとも同医師に対しては、本件事故直前ころにおいても、第二回目事故による後頭部打撲、頸部捻挫、腰部挫傷、外傷性脳幹、小脳障害等の傷害が治ゆしていないとして、頭痛、後頭部のしびれ感、はきけ、吐、腰部痛、頸部痛、めまいの症状を訴えていたものである。
しかしながら、原告は、右の第二回目事故を原因として、右事故の日から昭和四七年六月までの間は、ほとんど欠勤していた者である(ことに、昭和四五年一二月から昭和四七年五月までは出勤日ゼロである。)ところ、昭和四七年七月からは欠勤日(休暇日も含む)がきわだつて少くなり、第一回目事故の影響が全くなかつた、昭和四二年一月から同年五月までの出勤率をも上回る出勤率を示しているばかりか、ことに、本件事故直前の昭和四八年六ないし八月の三カ月間は欠勤日が全くない状況になつていた。
また、原告の賃金(これは勤務状況の反映でもある。)も、昭和四七年七、八月分については資料を欠くためその対照はできないけれども、同年九月分から一一月分までは、被告方における運転手一人当りの平均賃金を上回るに至つている。
右の勤務状況からすると、原告の第二回目事故による傷害は、遅くとも昭和四七年九月の時点において、原告のタクシー運転手としての稼働能力に影響を与えない程度に治ゆしていたものと認めるのが相当であると解される。
ところで、被告は、「原告は本件事故当時、第二回目事故により受けた傷害が未だに治ゆしていなかつたのであるから、原告が本件事故(第三回目事故)により蒙つたとする損害の全額を被告にのみ負担させることは不合理であり、割合的に減額されるべきである。」旨主張する。しかしながら、右にみてきたごとく、原告は本件事故当時、第二回目事故により受けた傷害の治療を継続していたものの、その勤務状況からすると、右傷害は、タクシー運転手としての稼働能力に影響を及ぼさない程度に治ゆしていたのであるから、本件事故後の休業損害は、すべて本件事故に起因するものといわざるを得ない。
結局、被告主張の前記事情は、慰藉料額の算定において考慮されるにとどまらざるを得ないものである。
四 (損害額の算定)
1 家族付添費
前掲甲第二〇号証、証人小林愛子の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五〇年八月二六日志村病院に入院し、その際原告の妻が一週間程度付添つたことが窺われるけれども、前記三認定の傷害の部位、程度、治療経過等に照らし考えると、右の期間につき付添看護を必要とする症状にあつたとは認め難い。したがつて、原告の付添費の請求は理由がない。
2 入院雑費 金三二万八、五〇〇円
前記三認定のとおり、原告は本件事故により合計六五七日間入院治療を受けたことが認められるところ、右入院に伴う雑費は、その病状からみて、経験則上一日五〇〇円が相当であると認められる。すると、原告が右入院に伴つて要した雑費は一日五〇〇円の割合による六五七日分合計三二万八、五〇〇円となる。
3 通院交通費 金二万二、六一〇円
弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したと認められる甲第四二号証によれば、原告は前記三認定の通院のための交通費として、請求原因四3記載の合計二万二、六一〇円を要したことが認められる。
4 休業損害 金五八一万三、五四三円
成立に争いのない甲第六ないし第八号証、第一九号証、第三一ないし第四〇号証、乙第一号証の一、二、第二、第三号証、証人太田憲三の証言及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第五、第六、第八、第一〇号証、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の(一)ないし(四)の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
(一) 原告は、昭和四〇年に被告方にタクシー運転手として入社し、本件事故当時、水戸駅構内に勤務していた者であるが、昭和四二年以降の勤務状況は別紙(一)「小林旦周勤務及給与表」のとおりであつた。
ところで、原告は、前記認定のとおり、本件事故前において、昭和四二年六月三日の第一回目事故と昭和四五年一〇月一一日の第二回目事故との二回にわたり本件事故と同種の交通事故(追突)にあつており、第一回目事故のときは通院治療を受けたのみであつたが、第二回目事故のときには入院をも余儀なくされているものであるが、右の勤務状況表によると、原告は第一回目事故前においても昭和四二年一月に一一・二五日、同年二月に六・五日、同年三月に二・五日、同年四月に八・七五日、同年五月に七・五日欠勤しており、以降本件事故までの全期間を通じて休暇及び欠勤日が一日もなかつた月は昭和四四年の一ないし三月、同年五月、昭和四五年一月、同年八、九月、昭和四七年九月、昭和四八年一ないし三月、六ないし八月である。
(二) 被告方の賃金は、前月二一日から当月二〇日までの期間の分が当月二五日に支給されるが、それは基準賃金、時間外手当、歩合給、家族手当、通勤手当、皆勤手当、構内手当で構成されているところ、時間外手当、歩合給、皆勤手当、構内手当は、勤務状況によつて変動するものである。
すなわち、時間外手当は実際の時間外勤務の時間に応じて決定されるものであり、歩合給は、月間の総売上額に応じて決定されるものであり、皆勤手当、構内手当はいずれも一カ月間の皆勤者に対してのみ支給されるものである。
また、賞与は六月と一二月の年二回支給されるが、賞与額決定においても、欠勤の有無、売上高の多寡が考慮されることになる。
(三) 本件事故後、昭和四九年一月二三日から平均二三・一パーセント、同年一二月二七日から平均二七・一パーセントそれぞれタクシー運賃の値上げがなされた。
しかしながら、タクシー運賃値上げ後は値上げによる客離れ現象が生ずるのが通常であつて、売上高が平均値上げ率の割合だけそのまま上昇するものではない。
また、被告方において、昭和四九年一二月二七日からの運賃値上げによる売上高の増加が歩合給の算定に反映されたのは、昭和五〇年三月二一日からであり、それまでは、従来の基準に従つて算定されていた。
(四) 被告方における構内勤務のタクシー運転手の昭和四七年九月以降の一人平均賃金(賞与を含む)額は別紙(二)「運転手平均給与表」のとおりである。
また、原告とほぼ同時期(昭和四〇年)に被告方にタクシー運転手として入社した青沼運転手の昭和四七年九月以降の勤務状況及び賃金賞与の支給状況は別紙(三)「青沼正行給与表」のとおりである。
(五) 以上の事実によれば、原告の本件事故による休業損害額の算定は、以下のように、原告の通常の勤務状態における収入額と原告と同種勤務である被告方の構内勤務の運転手の平均収入額との対比による方法によつて行なうのが最も合理的であると考えられる。
ところで、前記三で認定したとおり、原告は本件事故より一年前の昭和四七年九月には第二回目事故による傷害も、タクシー運転業務に従事するには支障のない程度に治ゆし、平常の勤務を継続し得る状況にあつたものと認められるから、右の昭和四七年九月から本件事故時である昭和四八年八月までの原告の年収額は、原告の通常の勤務による年収額を示しているものと解するのが相当であると考える(なお、昭和四七年の年末賞与額については、原告が運転業務に支障のない程度に治ゆしたものと認められる以前である同年の夏期賞与支給時以降同年八月までの勤務状況も反映されているものであるから、厳密にはこれを除外すべきものとも考え得るか、原告に不利な右の期間は賞与の対象期間に対比して短期間であり、それに右の年末賞与に関し、原告の賞与額は被告方の構内勤務の運転手の平均賞与額を上回つているのであるから、右の賞与額を除外して対比するのは却つて合理性を欠くものと解される。)。しかして、原告の右期間の年収額(諸手当を含む)は一一一万五、五三一円(乙第一〇号証、別紙(一)の該当期間の集計)であるのに対し、被告方の構内勤務のタクシー運転手一人当りの右期間における平均年収額(諸手当を含む)は一一五万九、四七一円(乙第六号証、別紙(二)の該当期間の集計)であり、原告の賃金額は、被告方の構内勤務のタクシー運転手一人当りの平均賃金額の約九六パーセントに相当する。
したがつて、原告の本件事故後の休業損害額も、同期間の被告方の構内勤務のタクシー運転手一人当りの平均賃金額の九六パーセントと推認するのが相当であると考える。
そうすると、原告の本件事故当日から昭和五二年六月六日までの休業損害(賞与を含む。)額は、別紙(六)「原告の休業損害額算定表」記載のとおり、五八一万三、五四三円と認められる。
これに対し、原告は、「事故前三カ月(すなわち昭和四八年六ないし八月)の原告の平均賃金月額を基準とし、右期間中原告が皆勤であつたことから、将来にわたつても皆勤を続けることを前提とし、さらに売上高も、運賃値上げの際には、その値上げ率の割合だけ売上高も上昇するとして、休業損害額の算定を行うべきである。」旨主張している。しかしながら、まず、運賃値上げにより、運賃値上率そのままの割合で売上高が上昇するという前提が、前記認定のとおり誤りであることは明らかであり、また、原告が将来にわたつて皆勤を続けていくという前提も、前記のとおり相当とはいいがたい。さらに、本件事故前三カ月間の賃金ないし勤務状況を基準とすることも、前記認定の原告の従前の勤務状況に照らせば妥当性を欠くものといわざるを得ない。たしかに、労働者災害補償保険法八条は、同法による保険給付の日額を、事故発生前三カ月間の平均日額による旨定めているが、これはあくまで右保険日額の算定基準であつて、不法行為による休業損害の賠償額を算定するにつき一応の目安とはなるものの、右規定による算定方法によらなければならないものでないことは当然の事理である。
なお、原告は、予備的に、賃金センサスによる休業損害額の算定を主張しているが、前記認定のとおり、原告の休業損害額を合理的に算出し得るものであるうえに、賃金センサスによる金額が原告の主位的主張にかかる賃金額を超えるのであるから、原告主張の右算定方法は採用することができない。
以上のとおり、損害額算定についての原告の主張は、いずれも採用することができない。
他方、被告は、「賃金決定については、勤続年数も加味されることから、原告とほぼ同時期に被告方に入社した訴外青沼運転手の賃金額をもつて原告の休業損害額算定の基礎とすべきである。」旨主張するが、勤続年数による支給額の賃金額に占める割合が低いばかりでなく、比較対象が青沼運転手一人であつて、賃金額算定に当り欠勤状況、勤務時間数等の個人的事情の占める割合の大きな原告の場合においては、単に勤続年数が同様であるからとの理由で、その者と同額の収入を挙げ得たものと推認するのは妥当ではなく、被告の右主張も採用できない。
5 慰藉料 金一二〇万円
前記三で認定したような原告の傷害の部位・程度、その症状・治療経過、事故態様に、原告は本件事故当時年齢三五歳であつて、第二回目事故により受けた傷害の治療を継続中であつたこと、原告が本件事故により、事故当日から昭和五二年六月六日までの間入通院等をし、その他諸般の事情に鑑れば、慰藉料は金一二〇万円が相当であると認められる。
けだし、このように長期間の、特に通院による診療行為が、本件事故による傷害に対する治療としてどの程度必要であつたかどうかは、前記認定の第二回目事故による傷害に対する治療の経過及び本件事故による傷害に対する昭和五四年九月ないし一〇月以降の治療の経過に照らしてみると、疑問の残るところであり、この点は、治療の詳細な経過が不明である本訴においては、慰藉料を減額する資料とならざるを得ない。
五 (損害の填補) 金五九九万九、七〇〇円
請求原因六記載のとおり、原告が、本件事故により受けた休業損害(昭和五二年六月六日までの分)の填補として、被告及び労災保険から合計五九九万九、七〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。
六 (差引残損害) 金一三六万四、九五三円
原告の損害額は、前記四2ないし5の合計七三六万四、六五三円であるところ、これから右五填補合計五九九万九、七〇〇円を控除した一三六万四、九五三円が残損害額となる。
七 (弁護士費用) 金一五万円
成立に争いのない甲第四三号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は弁護士である原告訴訟代理人らに本訴の提起・追行を委任し、その際着手金として金一五万円を支払つたほか、認容額の一〇パーセントを成功報酬として支払う旨約した事実が認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らし考えると、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁講士費用は一五万円が相当であると認められる。
八 (結論)
よつて、原告の被告に対する本訴請求は、右差引残損害金と弁護士費用との合計金一五一万四、九五三円及びうち弁護士費用を除いた金一三六万四、九五三円に対する本件事故発生後であつて、訴状送達の日の翌日であることが当裁判所に顕著である昭和五二年三月二六日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 龍前三郎 新崎長政 大澤廣)
別紙〔略〕