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水戸地方裁判所 昭和61年(行ウ)7号 判決 1991年4月30日

茨城県取手市取手二丁目一〇番二五号

原告

有限会社長谷商事

右代表者代表取締役

長谷ひろ子

右訴訟代理人弁護士

奥野善彦

野村茂樹

滝久男

山中尚邦

井上由理

藤田浩司

茨城県竜ケ崎市川原代町字古川一一八二番五号

被告

竜ケ崎税務署長 千代顕治

右訴訟代理人弁護士

二井矢敏朗

右指定代理人

杦田喜逸

市川日出夫

和田寛治

大森健一

白石武

三澤力男

神谷宏行

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五八年六月二七日付で原告に対してした昭和五三年四月期以後の法人税の青色申告承認取消処分を取り消す。

2  被告が原告の昭和五二年五月一日から昭和五三年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五八年六月二七日付でした更正処分及び重加算税賦課決定処分を取り消す。

3  被告が原告の昭和五三年五月一日から昭和五四年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五八年六月二七日付でした更正処分のうち、所得金額八四万六〇〇七円を超える部分並びに過少申告加算税及び重加算税の各賦課決定処分(ただし、いずれも審査請求に対する裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

4  被告が原告の昭和五四年五月一日から昭和五五年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五八年六月二七日付でした更正処分のうち、所得金額一三五万一八一二円を超える部分及び重加算税賦課決定処分(ただし、いずれも異議申立てに対する決定及び審査請求に対する裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

5  被告が原告の昭和五五年五月一日から昭和五六年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五九年四月二六日付でした再更正処分のうち、所得金額二一四万二四四二円を超える部分及び重加算税賦課決定処分(ただし、いずれも審査請求に対する裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

6  被告が原告の昭和五六年五月一日から昭和五七年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五八年六月二七日付でした更正処分のうち、所得金額二三三万三三二六円を超える部分及び重加算税賦課決定処分(ただし、いずれも異議申立てに対する決定及び審査請求に対する裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

7  被告が原告の昭和五七年五月一日から昭和五八年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和五八年九月一四日付でした欠損金の繰戻しによる還付請求には理由がない旨の通知処分を取り消す。

8  被告が原告の昭和五八年五月一日から昭和五九年四月三〇日までの事業年度の法人税について、昭和六一年一二月五日付でした更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分を取り消す。

9  被告が原告に対して昭和五八年六月二七日付でした源泉所得税の納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分(ただし、いずれも異議申立てに対する決定及び審査請求に対する裁決により一部取り消された後のもの)を取り消す。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告は原告に対し請求の趣旨掲記の各処分をしたが、その経緯は別表1ないし10記載のとおりである。

2  右各処分は後述のような理由で違法であるから、原告はその取消を求める。

二  請求の原因に対する被告の答弁

請求の原因1項の事実は認める。

三  被告の処分の根拠及び適法性についての主張

1  被告の本件各処分の根拠及びその適法性についての主張は、別紙準備書面(一)(本件青色承認取消処分及び昭和五九年四月期を除く本件各更正処分の根拠及び適法性)、準備書面(二)(本件各加重加算税賦課決定処、昭和五九年四月期を除く本件過少申告加算税賦課決定処分及び本件通知処分の根拠及び適法性)、準備書面(三)(本件納税告知処分の根拠及び適法性)、準備書面(十)(本件納税告知処分及び本件各更正処分の根拠及び適法性)準備書面(十一)(本件納税告知処分の根拠及び適法性)及び準備書面(六)(昭和五九年四月期に係る本件更正処分及び本件過少申告加算税賦課決定処分の根拠及び適法性)記載のとおりである。

2  本件税務調査の手続について

原告は、本件税務調査の手続は違法であり、この調査に基づいてされた本件各処分は違法であると主張するが(後述)、原告のこの主張は失当である。

(一) 税務調査の手続は、課税庁が課税要件の内容となる具体的事実の存否を調査するための手続にすぎず、課税手続自体が課税処分の要件となることはないのであるから、調査手続が仮に違法であったとしても、それに基づく課税処分が客観的な所得に合致する限りにおいて適法であって、課税処分に取り消されるべき瑕疵があるというこはできない。

したがって、本件各処分に至る調査手続において、原告が主張するような違法が仮にあったとしても、それが本件各処分の取消事由になるとはいえない。

(二) 本件調査の経緯は以下のとおりである。

被告所部係官伊藤隆一及び関東信越国税局係官冨山彪の両名は、昭和五七年一〇月二六日午前九時半頃、原告の法人税調査のため、取手市に所在する原告の事務所兼原告代表者方居宅を訪れ、同日午後二時過ぎまで調査を行ったが、右調査は、原告代表者の了解と協力のもとに、必要な質問及び帳簿書類その他の物件の確認をしており、極めて平穏裡に行われたものであって、両係官が印鑑や預金通帳の提出を強要したり、乱暴な態度や言動に出た事実は全くない。

また、原告代表者とは、初対面であった冨山係官は、身分証明書を提示している。原告代表者は、当日、親戚の病気見舞いに行くと述べていたが、両係官は、調査の必要性が強いと判断したので、これを引き止めて調査に協力を要請した。必要以上に時間を費やしたのは、むしろ原告代表者が、伊藤係官らの質問に対し敏速かつ正直な答弁をしなかったことによるものである。

なお、被告は、原告の担当税理士に対し事前に調査の通知をしていないが、税務官庁としては、法律上納税者本人に対してさえ調査実施の事前連絡の必要はないのであり、税理士に通知する必要のないことは当然のことである。

伊藤係官らの調査は、質問検査権に基づくものであり、その質問検査は、同人らの合理的選択に基づき必要の範囲内でされた社会通念上相当なものであるから、原告主張のような重大な瑕疵はない。

四  処分の根拠及び適法性についての被告の主張に対する原告の答弁及び原告の主張

1  別紙準備書面(一)の主張に対する答弁

(一) 「第一 本件青色承認取消処分の根拠及び適法性について」のうち、原告が青色承認を受けていたことから、昭和五三年四期分の法人税について青色の確定申告書により申告をしたこと、被告が昭和五八年六月二七日付で本件青色承認取消処分をしたことは認め、その余の事実は否認する。

(二) 「第二 本件各更正処分の根拠及び適法性について」のうち、各期分について、原告が提出した確定申告書に記載されていた所得金額、原告が被告主張の役員報酬を損金の額に算入して申告したこと及び原告が被告主張の役員名義使用料を損金の額に算入していないことを含め、原告の申告の内容が被告主張のとおりであることは認める。

各期分について、原告の所得金額が被告主張の金額であること、桑原もと、甲田三郎兵衛、甲田旬子、桑原進及び甲田敏一(以下「桑原ら」と総称する。)に原告が役員報酬を支払っていないと、原告が桑原らに役員名義使用料を支払うこととしていたことは、否認する。

昭和五三年四月期分(一項)について、4のうち、原告が昭和五二年四月期に生じた欠損金六一万〇一一七円のうち三七万九三五五円を当期の欠損金に算入したことは認める。

昭和五四年四月期分(二項)について、3のうち、原告が当期において損金の額に算入して申告した事務費三二二万二二九〇円のうち一八〇万円は損金の額に算入する理由のないことは認める。残り一二〇万円は、桑原らの役員報酬の一部(報酬増額分)として支払われたものであり、それを事務費として計上したのは誤計上にすぎない。

昭和五五年四月期分(三項)について、4は認める。その余の被告の主張は争う。

(三) 「第三 役員報酬の損金不算入について」のうち、一項は認める。

二項のうち、被告が原告を対象に調査をしたことは認め、その余は知らない。

三項1のうち、被告の調査担当者が被告主張の日に、被告主張ような面接を調査したこと、二回目の調査の際に、桑原もとらは本件役員報酬を受領していない旨の質問てん末書が作成されていることは認め、その余は否認する。調査に際し、被告調査担当者は、税務署の言うとおりにしないと退去しないなど脅迫的な言動をもって自己の作成した質問てん末書に署名捺印するよう強制したので、被質問者は、やむなく書面の内容等を十分に検討する余裕を与えられずに署名押印したものであって、右質問てん末書の内容は信用性を欠くものである。

三項2、3は認める。

三項4は否認する。

三項5のうち、被告主張の両普通預金が桑原もと及び甲田三郎兵衞に帰属するものではないことは否認し、その余は認める。

三甲6のうち、原告がいわゆる同族会社であること、原告代表者と桑原らとの関係が別紙2のとおりであって、親族同様であることは認め、その余は否認する。

2  別紙準備書面(二)の主張に対する答弁

(一) 「第四 本件各重加算税賦課決定処分の根拠及び適法性について」のうち、原告が本件係争各事業年度に桑原ら役員に役員報酬を支給したものとして損金の額に算入して申告をしたことは認め、その余は否認する。

(二) 「第五 本件過少申告加算税賦課決定処分の根拠及び適法性について」は、不知ないし争う。

(三) 「第六 本件通知処分の適法性について」のうち、原告が被告に対し、昭和五八年四月期分の法人税につき青色確定申告書及び当該年度の欠損金につき繰戻しによる還付請求書を提出したことは認め、その余は否認する。

3  別紙準備書面(三)の主張に対する答弁

(一) 「第七 本件納税告知処分の根拠及び適法性について」一項の納税告知処分がされたことは認める。

同二項前文は否認する。

同二項1(一)のうち、原告が、本件納税告知処分に係る各月において、桑原ら非常勤役員に対する報酬として別紙二の<1>欄記載の金額を支払ったとして、これを損金の額に算入して申告したこと、被告がその主張のような金額をもって長谷ひろ子への給与支給額と認定したこと、原告名義の普通預金からの引き出し及び桑原もと、甲田三郎兵衞名義の普通預金口座への振込に関する事実は認め、その余は否認する。

同二項1(二)のうち、原告が役員報酬未払金として処理した金員のうち、別紙二の<9>欄記載の金員の支出をしていることは認め、その余は否認する。

同二項1(三)のうち、原告が昭和五五年八月頃、長谷はつに対する未払役員報酬として五万三七〇〇円を支出したことは認め、その余は否認する。

同二項1(四)は否認する。

同二項2(一)のうち、桑原もと及び甲田三郎兵衞名義の普通預金に関する事実は認め、その余は否認する。

同二項2(二)のうち、原告が同族会社であること、長谷ひろ子が原告の経理等に携わっていたこと、被告が使途不明と主張する金額相当のものは、原告の資産取得、経費又は負債の支払いには充当されていないこと、桑原ら非常勤役員に支払ったとする報酬の額のうち、三四万円が桑原もと及び甲田三郎兵衞名義の普通預金口座に振り込まれていることは認め、その余は否認する。

同三項のうち、原告が被告の主張する長谷ひろ子への給与に対する源泉所得税を納付しないため、被告が右給与に対する源泉所得税を算出して納税告知したことは認め、その余は否認する。

(二) 「第八 本件不納付加算税賦課決定処分について」のうち、原告が被告の告知した源泉所得税額を法定納期限までに完納しなかったこと、被告が納税告知した税額に一〇〇分の一〇を乗じた金額の不納付加算税を賦課決定したことは認め、その余は否認する。

4  原告は、桑原ら五名の取締役に対し、別紙被告準備書面(一)の別紙1記載のとおり役員報酬を支払っている。以下、この点につき詳述する。

(一) 桑原らの業務は、次のとおりである(なお、桑原らと原告の常勤取締役である長谷貴、長谷ひろ子との身分関係は被告準備書面(一)の別紙2記載のとおりである。)。

(1) 甲田三郎兵衞

同人は昭和五〇年八月二九日に就任し、同五八年四月二三日に辞任しているが、原告所有建物のテナント交代時にはその人脈をもって新規テナントの募集を行い、あるいは、長谷信之助名義の不動産を原告に移転するにつき長谷信之助の説得に当たる等の業務に携わってきた(長谷信之助は、長谷家の家付き娘である長谷はつと婿養子縁組婚姻届出をし、長谷家の戸主として同家の不動産等を家督相続するに至った。しかし、長谷信之助は長谷はつとの婚姻の前に他の女性と婚姻し、子を設けていたので、長谷家の資産の一部が右の子に承継されることになった。そこで、これを防ぐ意図などから、原告が設立され、長谷信之助所有の不動産は同人から原告に移転された。原告の目的は、不動産の管理及び運用である。)。

(2) 桑原もと

同人は昭和五〇年八月二九日に就任し、同五八年四月二三日に辞任しているが、長谷はつの私的な問題を含めたあらゆる相談事の相手となり、原告の業務に関しても、長谷はつの相談相手として原告の取締役に就任することとなった。そして、長谷信之助名義の不動産の原告への移転につき、取締役として長谷信之助の説得に当たるなとの功績を有している。

(3) 桑原進

同人は昭和五三年八月二五日に就任し、同五五年四月二〇日に辞任しているが、株式会社常陽銀行の役員であったことから、その幅広い人脈によって原告所有の賃貸用建物のテナントの募集に当たった結果、太陽神戸銀行取手支店の誘致に成功した。同銀行は最優良テナントであり、同銀行からの賃料は原告の賃料収入の大半を占めており、原告の基盤を支えている。その功績及び同人の長年の事業者としての経歴から、原告の取締役に迎えられることとなった。

なお、同人が取締役に就任する前である昭和五三年五月から同年七月までの原告からの金員支給の趣旨は、役員報酬ではなく従業員に対する給料である。

(4) 甲田旬子

同人は昭和五三年八月五日に就任し、同五八年四月二三日に辞任しているが、賃貸用建物の清掃等の管理業務ないし賃料集金業務を行った。

(5) 甲田敏一

同人は昭和五五年四月二〇日に就任し、同五八年四月二三日に辞任しているが、賃貸用建物の修繕・清掃、新規テナントの募集についての協力、新規賃料の設定等の相談、不動産の取得に当たっての現地の見分など、原告の業務に広範に協力した。

(二) 役員報酬額の決定方法

原告は、昭和五三年一二月二五日開催の臨時社員総会において、取締役の報酬額に関し、一期三六〇〇万円を限度とし、各取締役に対する配分額は取締役会決議に委任する旨の決議をした。

そして、昭和五三年四月期以降の各会計年度毎に取締役会において、別紙被告準備書面(一)の別紙1記載のとおり各取締役の報酬月額を決定する旨決議された。

(四) 桑原もと及び桑原進に対する役員報酬の支払い

(1) 通常の支払方法

桑原もとに対しては、昭和五〇年九月六日に太陽神戸銀行に開設された同人名義の普通預金口座に毎月一六万〇八二〇円(報酬月額一七万円から源泉所得税を控除したもの)を振り込むことにより、役員報酬の一部を支払っていた。

もっとも、桑原もとは高齢であり、また長谷貴の実母であったことから、実際には、長谷ひろ子あるいは貴が同預金口座から適当な額を下ろして、その現金を土浦の桑原家に持参することによって交付していた。また、預金の管理そのものについても、桑原もとは長谷夫妻に任せており、同夫妻及び原告で資金が必要な場合には、ある程度自由に同預金からの流用を認めていた(しかし、その使途や残高については、報告がされていた。)したがって、預金通帳及び印鑑は長谷家で管理し、口座開設依頼書の住所欄にも原告の本店所在地を記載した。

その後役員報酬月額が改定されているにもかかわらず、振込額が一定であったのは、桑原もとへの金員の交付は、現金で持参する方法によっており、預金口座の振込額を変更する必要性がなかったからである。同女が役員を辞任した後である昭和五九年六月まで振込が続いていたのは、同女に対する役員報酬の未払金が残っていたためであり、同女の死去(昭和五九年五月二二日)に伴って口座振込を中止したものである。

右預金口座への振込のほか、長谷貴・ひろ子夫妻が桑原もと及び桑原進の居宅へ現金を持参して、同人らに対する役員報酬をまとめて交付していた。その交付額は必ずしも一定していなかったが、ほぼ毎月持参し、一回につき二〇万円ないし四〇万円前後であった。その記録も受領証も一切残さなかったが、長谷貴・ひろ子夫妻と桑原もとらとの特殊な身分関係による家族的な感覚のためである。

(2) 桑原もとに対する一〇〇〇万円の支払い

桑原もとに対する役員報酬のうち、銀行振込によって支払われるものについては、桑原もとはその受領権限を長谷貴・ひろ子夫妻らに与えており、長谷貴・ひろ子夫妻が桑原もとのために預かっている役員報酬があった。

このような状況の中で、昭和五五年一二月頃、桑原もとから長谷貴に対し、一〇〇〇万円を融通してもらいたいとの話があった。そこで、長谷はつの定期預金(井上健夫名義)を解約し、長谷貴・ひろ子夫妻が個人的に桑原もとに貸し渡した。そして、長谷ひろ子らは桑原もとに対して報酬預かり金債務を負っており、これと右一〇〇〇万円の返還債務とを相殺することによって決済することにした。

原告は、右一〇〇〇万円の会計処理について、審査請求の段階では、原告から桑原もとへの報酬の支払いであるとの主張をしているが、このうよな主張をしたのは、一〇〇〇万円の支払いの当時長谷ひろ子は長谷はつの指図通りに動いているだけで、会計処理の方法についてよく理解していなかったからである。

また、桑原もとが「役員報酬として金一千万円を長谷貴より受領いたしました」との証明書(乙第九号証)を提出したのも、右のような複雑な処理をしたので同女自身もよく理解しておらず、あまり関心のないことであったからである

桑原もとは、乙第五六号証において、「おばあちゃんも大変だろうということでもらったものであって、報酬をもらったということではないです。」と答述しているが、調査官の誘導による疑いが強く、また、「もらった」という表現は受領したという意味であり、必ずしも贈与の趣旨とは限らない。ここで重要なのは、一〇〇〇万円の受領の事実であり、この事実が桑原もとに対する役員報酬の支払いの事実を裏付けるのである。

(3) 桑原進に対する退職慰労金の支払いが否認されていないことについて

桑原進の取締役辞任に伴い、原告は同人に対し退職慰労金四〇〇万円を支払った。この支出については、本件に関する昭和五九年四月七日付被告の異議申立てに対する決定において、支出の事実及びその額が過大ではないことが認定されている。このことからも、桑原進の役員性は十分に認められ、また、この認定と被告が役員報酬の支払いを認めなかったこととは矛盾する。

(四) 甲田三郎兵衞、甲田敏一及び旬子に対する役員報酬の支払い

(1) 役員報酬支払いの方法

原告は、桑原もとの場合と同様に、太陽神戸銀行取手支店に昭和五〇年九月六日開設された甲田三郎兵衞の普通預金口座に、当時の同人の役員報酬月額一七万円から源泉所得税相当額九一二〇円を控除した一六万〇八二〇円を毎月振り込む方法で役員報酬の支払いをしていた。この預金の管理等の状況については、桑原もとの預金と同様である(なお、被告は、桑原もと及び甲田三郎兵衞の両預金は長谷貴・ひろ子夫婦の預金であると主張している。しかし、もしそうであるとすれば、原告の右両預金に対する送金額は、長谷貴に帰属する金員と長谷ひろ子に帰属する金員とに区別されるべき筋合いであるが、被告は、本件納税告知処分についての主張において、右両預金への毎月三四万円の入金額全額を長谷ひろ子に対する給与の支払いであると主張しており、被告の各主張の間には明らかな矛盾が存在する。両預金が桑原もと及び甲田三郎兵衞に帰属しないとする被告の主張が根拠のないものであることは明白である。また、被告の右主張が正当であるならば、被告において両預金への入金額中の長谷貴・ひろ子への各帰属額を明らかにしていない以上、本件納税告知処分はその根拠を失うことになる。)。

また、長谷ひろ子は、毎週実家である甲田家を訪れていたが、毎月の月末前後に訪問する際には、現金四〇万円を持参し、役員報酬として甲田三郎兵衞らに交付していた。この金員は、甲田三郎兵衞の預金あるいは原告が徴収した家賃収入からのものであった。

(2) 甲田家建物敷地の買取資金の貸付

長谷ひろ子は、甲田三郎兵衞に、同人が居住している建物の敷地(借地であった。)の買取資金として、昭和五〇年一二月に一五〇万円を、昭和五一年三月ないし四月頃に二〇〇万円を貸し付け、この三五〇万円の貸付金は、甲田三郎兵衞が原告から受領すべき役員報酬の中から順次返済された。

(3) 甲田三郎兵衞及び甲田敏一に対する八〇〇万円の貸付

長谷ひろ子の実弟で小川家の養子となっていた小川仁助から甲田三郎兵衞に対し、昭和五二年、金銭的援助の願い出があったが、甲田三郎兵衞には経済的余裕がなかったので、同人は長谷ひろ子に援助を求めた。

そこで長谷ひろ子は、甲田三郎兵衞に対し、小川仁助を援助する資金とするために、昭和五二年二〇〇万円、昭和五三年に一〇〇万円、昭和五四年に二〇〇万円を、甲田三郎兵衞の役員報酬と相殺勘定とするとの条件で貸し付けた。

昭和五五年以降も、小川仁助から甲田敏一に対し同様の援助の願い出があったので、長谷ひろ子は、甲田敏一に対し、昭和五五年に二〇〇万円、昭和五六年に一〇〇万円を、同様の条件で貸し付けた。

(4) 甲田家に対する立替金

長谷ひろ子は、昭和五三年二月三日から同五八年八月一一日までの間、別表11記載のとおり、甲田敏一、甲田旬子及び甲田三郎兵衞が負担すべき買掛代金債務合計一三八一万三六九一円を、右三名の役員報酬と相殺処理する条件で、立替払いした。この中には、一部長谷家で消費されたものが混入しているが、それ以外のものはすべて甲田家の消費に係るものである。

右立替金に係る領収書の一部は再発行されたものであるが、これは、本件税務調査の際に、被告担当官が右消費は全て長谷家のものであると決めつけ、領収書がないと指摘したので、原告代表者らは、原告の主張を裏付けるために、領収書を再発行してもらったのである。

5  役員報酬についての予備的主張

仮に原告が桑原らに対して原告主張の役員報酬を支払ったことが認められないとしても、桑原らが原告の役員であったこと、同人らの役員報酬の額として原告主張の金額が定められていたことは明らかであるから、原告は当該報酬額についてその支払義務を負っているのであって同報酬額は未払金として損金に計上されるべきである。

したがって、結局のところ原告の所得額は原告の申告した金額のとおりとなる。

6  本件調査手続の違法性

昭和五七年一〇月二六日、被告主張の二名の係官が原告代表者宅を調査のために訪れたことは認めるが、右調査は、以下述べるとおり、原告代表者の任意の了解なしに敢行された上に、税理士の立会いを妨害し、高圧的な口調・態度によって異議の申し出を事実上不可能にしながら、約六時間もの間行動の自由を拘束して行われたものであって、任意調査の範囲を逸脱しており、重大な違法がある。

(一) 係官は、原告代表者に対して「国税から調べることがあるから来た」とは述べたが、身分証明書や名刺を提示することもなく、また、原告代表者宅に上がることについての承諾・許可を受けることなしに家の中に入った。

法人税法一五七条は、職員は関係人の請求があったときは身分証明書を提示しなければならない旨規定しているが、本件のような場合には職員は積極的に身分証明書を提示する義務があるものと考えるべきである。

(二) 原告代表者は折しも母親の見舞いに行くところであったが、両係官の口調・態度は、原告代表者が何ら異議を留めることのできないほどの乱暴かつ強硬なものであった。

(三) 税理士法三四条の法意からすれば、被調査者が税務調査を受ける場合には税理士の立会いを求める権利があると解するべきであるが、原告代表者が顧問税理士の立会いを求めるために同税理士に電話しようとしたところ、両係官はこれを認めなかった。

(四) 両係官は、通帳、印鑑等を調べる過程で、原告代表者に対して「これで全部か」「隠したらためにならないぞ」等と述べ、女性を恐怖に陥れるに十分な口調と言葉づかいで関係資料の提出を強要し、その後、原告代表者の行動を事実上拘束しながら、高圧的な態度で原告代表者宅及び取引銀行の貸金庫を調べるなど、結局午前九時頃から午後三時頃まで原告代表者に昼食をとる機会も与えずに調査を行った。

(五) 以上の調査について、両係官が行き過ぎのあったことを認め、昭和五七年一一月中旬に両係官が原告代表者宅を訪れて謝り、原告代表者の夫や顧問税理士にも電話で謝罪した。このことは、調査が違法であったことの何よりの証左である。

以上のとおり、本件調査は憲法三五条、三八条、法人税法一五三条に違反するものであり、このように調査手続に重大な違法がある場合には、適正手続の保障を定めた憲法三一条の法意からしても、その調査を前提にしてされた本件各処分も違法性を帯びるものというべきである。

五  前項の原告の主張4、5に対する被告の反論

1  桑原もと及び甲田三郎兵衞名義の預金について

別紙被告準備書面(一)の第三、三、5において主張したとおり、右預金からは長谷はつらの固定資産税の支払いに充てるための払戻しがされているが、そのほかにも、両預金から引き出された金員が専ら原告代表者の家族の預金の原資となり、若しくは右金員を同人ら家族が費消している。そして、右固定資産税の支払いについても、後日納税義務者から各預金の名義人へ填補された事実はない。

この事実に加え、原告代表者夫婦の経済力は桑原及び甲田の両家のそれをはるかに上回っていることを勘案すると、両預金は、原告代表者夫婦が各名義人から管理を委任されているものではなく、口座名義にかかわらず、原告代表者夫婦の預金であるといわざるをえない。

2  現金による交付について

原告は、本件役員報酬について、誰に、いつ、いくら支払ったかを帳簿等に記帳しておらず、本件役員報酬を受領したことを証する書類等も保存していないのであり、原告代表者もその旨を自認し、かつ、自らもこれを明確にできない状態である。このような状況からすれば、本件役員報酬が原告代表者らを通じて桑原らに支払われたとは到底認め難い。

3  桑原もとに対する一〇〇〇万円の支払いについて

太陽神戸銀行取手支店に井上健夫名義の定期預金があったことは認めるが、以下の諸事情を考えると、一〇〇〇万円の金員の交付そのものが極めて疑わしいものであり、ましてや、右金員が貸付であってその返済が原告主張のように行われていたとは到底認められない。

(一) 原告は、審査請求時には一〇〇〇万円の金員交付の趣旨について本件役員報酬の支払いであると主張したにもかかわらず、本訴では桑原もとに対する貸付金であると主張するに至った。

右主張の変更には首肯しうる理由も認められないことに加え、両主張は桑原もとが受領したとされる一〇〇〇万円という高額な金員について、その支払主体及び支払原因を全く異にするもので、桑原もとにとって役員として当然受けるべき報酬なのか債務負担なのかという通常誤認するはずもない正反対の内容であり、このような主張の変遷自体原告の主張が根拠のない場当たり的なものであることの証左である。

(二) 桑原もとは、原処分調査時である昭和五七年一〇月二五日には、原告から給与を受け取ったことがあるかどうかとの質問に対し、年に二回程度数万円を原告代表者から受け取っているが、毎月の給料は存在しない旨述べ、役員報酬については言及していない。ところが、調査がさらに進行した同年一二月二五日頃に至り、初めて原告から役員報酬として一〇〇〇万円を受領した旨の証明書(乙第九号証)を提出している。

このように、桑原もとの陳述の内容も一貫していない。

(三) 一〇〇〇万円の交付に係る証拠書類も作成されていないばかりでなく、原告代表者もその尋問において右金員の交付について何ら明確な説明もできない状態である。

原告の主張に沿う証拠として桑原もと作成の前記証明書があるが、桑原もとは異議申立てに対する審理においては、右金員の趣旨を贈与であると答述しており、右証明書は信用できない。

4  甲田三郎兵衞に対する三五〇万円の貸付について

原告は、審査請求時には右金員を甲田三郎兵衞に対する役員報酬の前払いである旨主張しながら、本訴では同人に対する貸付であると主張しており、一貫性に欠ける。

右金員の貸付けを証する客観的証拠もない。

役員報酬中から順次返済されたと主張するが、その時期・額について具体的な主張も立証もしていない。

以上の事情を勘案すれば、原告の主張は根拠がなく、仮に右三五〇万円の貸付があったとしても、右貸金と本件役員報酬との関連性は否定せざるをえない。

5  甲田三郎兵衞らに対する八〇〇万円の貸付について

原告代表者の供述によれば、右貸付は同人が行ったものではなく、原告が甲田三郎兵衞に対し貸し付けたものであり、しかも、原告は右貸付に係る経理処理をしていないというのであり、その主張とは異なる。

6  甲田家に対する立替金について

以下の各事実に微すると、右立替金に係る消費は、そのほとんどが甲田家においてされたものとは認められず、むしろ、長谷家においてされたものであるというべきである。右消費が甲田家のものでない以上、原告の立替支払いなどありえず、本件役員報酬と相殺処理したとの原告の主張は前提を欠き、失当である。

(一) 原告代表者の供述によれば、原告は右立替金を本件各事業年度において全額回収していないのであるから、右未回収金は原告の債権として立替金勘定が設定されるべきであるのに、右各事業年度に係る決算書上にはその計上がされていない。

(二) 原告代表者も、尋問において、右立替金中には、甲田家が直接支払いをしているため立替金には該当しないものが混入していることを自認し、その他の立替金についても、原告による甲田家の立替金であるとは断定できなかったものである。

(三) 右立替金の受領者とされる者のうち、川久、いとう屋及び熊田規矩夫は、当該購入品は原告代表者、長谷はつあるいは長谷家が使用するものである旨答述している。

(四) 原告主張の立替金の大部分は衣料品購入代で占められており、その各年別の金額は昭和五三年分(以下、いずれも暦年である。)が二七三万三七三五円、五四年分が六〇万円、五五年分が六二万八〇〇〇円、五六年分が五四〇万三四五八円、五七年分が七六万円、五八年分が七八万円である。そして、長谷家から甲田家へ度々金員が貸与されているというのであるから、甲田家の経済状態は平均的収入を大きく上回る裕福なものとは到底いえないものであったと考えられる。

ところで、総理府統計局編集の家計調査年報によると、昭和五五年ないし五八年における被服費の全国の一か月平均支出額は約一万八〇〇〇円であるから、一か年の平均支出額は約二二万円となる。したがって、甲田家では平均支出額をはるかに上回る高額の被服費を支出していることになり、原告の主張はこの点からも常識的に是認できない。

また、購入品の中には、紬二二六万四〇〇〇円、毛皮コート七八万円、宝飾品一四七万円等の高価なものが含まれているが、甲田敏一の証言によれば、甲田家は昭和五五年頃家業が赤字状態であったため、区から一〇〇万円程度の融資を受けているのであり、これらの物品を購入するはずはない。

(五) 右立替金に係る領収証等のうちには、再発行されたものがある。そのうち川久発行の領収証は、当初長谷宛に発行されていたものであるが、昭和五八年一一月頃原告代表者に依頼され名宛人を「長谷」から「甲田」に代えて再発行されたものであり、また、奥庄発行の領収証も同じ頃原告代表者に依頼され、昭和五三年に買った品物について名宛人を「甲田」とし、二枚に分けて発行されたものである。

領収証等には、「甲田分」と記名押印のあるもの及び甲田家の消費であることを表す記載があるものが含まれているが、これらの記載は本件調査開始後にされたものと考えられる。

7  本件役員報酬の受領者とされる者の答述等について

(一) 桑原もとは、昭和五七年九月八日及び同年一〇月二五日、伊藤係官に対し、原告から毎月の給料を受領したことはなく、年に二回数万円程度受領している旨答述している。一〇月二五日の答述については質問てん末書が作成されている。

(二) 甲田敏一及び旬子は、昭和五七年九月八日及び同年一〇月二五日、伊藤係官に対し、原告から毎月の給料は受領しておらず、盆、暮の年に二回程度数万円位、名義料として受け取っているだけであり、確定申告はしていない旨申し述べている。一〇月二五日の申述については質問てん末書が作成されている。

また、昭和五七年一〇月二五日、甲田三郎兵衛、敏一、旬子連署により、右三名は年に一人当たり二〇万円の役員名義料のうち一〇万円を現金で受け取り、残り一〇万円は原告に貸し付けている旨の申述書が被告に提出されている。

さらに、昭和五八年一一月一七日、甲田敏一の妻富子は、異議調査担当の係官に、原告からの金員支払いの証拠として、それぞれ「金五万円」、「金一〇万円」と書かれたのし袋を提出した。

(三) 以上の質問てん末書等は申述人らの任意にした申述に基づいて作成されたものであり、原告主張のような押し付けの事実は全くなく、また、原告主張のような極めて多額の収益に関する事実について、二回にわたり調査担当者の質問を受けたのに、いずれも錯誤によって全く桁違いの収入であると答述し、しかも書面にするなどおよそ考えられないところである。

(四) ところが、甲田敏一は本訴において、同人に対する役員報酬として三年間で一〇回位、一回の受領額は三〇万円から四〇万円が支払われたなどと、極めてあいまいな証言に終始し、ついにその受領額、受領日について明確にしなかったのみならず、同人の右受領額に係る証言は、甲田家の三人分まとめて三郎兵衛に一か月四〇万円渡していたとする原告代表者の供述と全く齟齬するものである。

また、右敏一は、右報酬の未払金額についても全く証言できず、原告最大のテナントである太陽神戸銀行への賃貸料の額さえ知らない上、同人が原告の業務にかかわったといえるのは、台風で壊れた建物の補修程度のものであり、議事録上出席したことになっている原告の社員総会にも出席していないなど、明らかに名目上だけの役員といえる。

(五) 甲田敏一の右証言と本件調査開始直後に係官に対してされた前記答述とを対比すると、後者は記憶の定かな時点で何らの予断も持たずにされ、しかも二回にわたり同趣旨の答述がされていることからすれば、右答述は真実に符号するものとみるのが相当であり、のし袋の存在及び敏一が名目上の役員にすぎないことに照らせば、同人が原告から二十万円程度の役員名義料を受領していたことはうかがえるものの、本件役員報酬を受領していたとは到底認められない。

8  原告の予備的主張について

原告の予備的主張は争う。

桑原らが原告の商業登記簿上、原告の取締役であったことは認めるが、既に主張したとおり、同人らは実質的に原告の役員として就任し、その職務を遂行したものではない。したがって、同人らには原告に対する役員報酬の支払請求権はなく、原告にはその支払い義務はない。

原告には、桑原らに対し、役員名義使用料の支払義務があり、原告からその一部が支払われていると認められるにすぎない(その詳細は別紙被告準備書面(一〇)の第一、二、3において主張したとおりである。)。

第三証拠

証拠の関係は、記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因1項の事実(本件各処分の存在とその経緯)は当事者間に争いがない。

二  原告に対する税務調査とその後の経緯について

1  本件税務調査とその後の経緯

原本の存在と成立に争いのない甲第四三号証(原本は成立に争いのない乙第九号証)、第七三号証の三八、第七四号証、第九五、九六号証、乙第一一、一二号証、第一四ないし第二一号証、弁論の全趣旨によって原本の存在と成立が認められる甲第四四号証、第四五号証の一、二、第五三、五四号証、証人甲田敏一の証言によって原本の存在と成立が認められる甲第四六号証、第四七号証の一、二、第四九号証の一、二、第五〇号証の一ないし四、第五一号証、同証言によって成立が認められる甲第四八号証、第五二号証、桑原もと名義部分の成立は争いがなく、証人伊藤隆一の証言によってその余の部分の成立が認められる乙第二号証、甲田敏一名義部分の成立は争いがなく、証人伊藤隆一の証言によってその余の部分の成立が認められる乙第三号証、甲田敏一名義部分の成立は争いがなく、甲田三郎兵衛名義の部分は「富子代筆」と記載されているから甲田富子が作成したものと認められ、証人甲田敏一の証言により甲田旬子名義部分は甲田敏一が作成したものと認められる乙第四号証、証人金田豊の証言によって成立が認められる乙第四八号証の一ないし四、成立に争いのない甲第九九号証の一ないし三、乙第五ないし第八号証、第一〇号証(ただし、弁論の全趣旨により、六枚目の桑原進名下の押印は桑原もとによるものであると認められる。)、第二二号証の一ないし九、第四九号証の一、二、同号証の三の一ないし三(欄外の記載を除く。)、第五五号証の一ないし三、第五六号証、第五九号証、弁論の全趣旨によって成立が認められれる乙第五〇号証、証人伊藤隆一の証言によって成立が認められる乙第五八号証、証人伊藤隆一、同金田豊及び同甲田敏一の各証言並びに原告代表者の本人尋問の結果(ただし、証人甲田敏一の証言及び原告代表者の本人尋問の結果については、その一部)によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する甲第五五号証の一、二、第七五号証、第一〇一号証並びに証人甲田敏一の証言及び原告代表者の本人尋問の結果中この認定に反する部分は採用できない。

(一)  竜ヶ崎税務署は、昭和五七年七月頃、原告に対する法人税等の調査を開始することとした。その端緒は、原告の確定申告書によれば、高額の役員報酬が何人もの役員に支払われているということであった。

調査を担当した伊藤隆一係官は、同年九月中旬に、まず原告の顧問税理士である海老原克美税理士に面接し、同税理士の事務所で原告の帳簿、伝票類等を閲覧した。そして、伊藤係官は、その当日、税理士事務所からの帰途、原告代表者宅に税理士とともに立ち寄り、原告代表者に会ってあいさつをした。

(二)  その後、伊藤係官は、役員報酬に係る給与支払報告書が関係市町村に提出されているかどうか、役員であるとされている桑原らが役員報酬の受給を前提とした所得税等の申告をしているかどうかを調査したところ、その提出及び申告はされていなかった。

そこで、伊藤係官は、同年九月中に、千葉県野田市所在の甲田敏一宅を訪れ、甲田敏一及び旬子に会い、身分証明書を提示して竜ヶ崎税務署の者であると述べて、原告から役員報酬を受領しているかどうかを質問した。これに対し、甲田敏一は、毎月受領しているという事実はない、年に二回程度、わずかな金額(金額についての説明はなかった。)を受領していると答えた。なお、伊藤係官は、見聞きした生活状況や甲田敏一らとのやりとりから、甲田家が多額の役員報酬を受け取っているという感じは受けなかった。

伊藤係官は、同日、土浦市所在の桑原もと宅を訪れ、同人に生活状況等を訪ねた。同人は、貸家を数軒所有しているので、その賃料によって生活していると述べた。

なお、伊藤係官は、同年九月一〇日に、被告名で、太陽神戸銀行取手支店に対して、桑原ら五名及び長谷貴・ひろ子とその家族(光子、豊、誠、はつ)と右銀行との取引状況(預金、貸付等)等について照会し、その回答は同月三〇日にあった。

(三)  伊藤係官は、その後、関東信越国税局の冨山彪実査官と共同で調査に当たることになった。

右両名は、同年一〇月二五日、甲田敏一を訪れ、甲田敏一とその妻の富子に会い、原告からの役員報酬について質問した。甲田敏一は、原告から給与をもらったことがあるかとの質問に対し、「一年に二回程度、数万円位、代表者から受け取っている。名義料としてもらっているので毎月の給料はない。したがって、少額であるので、確定申告をしていない。」と答え(なお、名義料という表現は、最初は冨山係官から出たものである。)、原告の役員会等に出席したことはあるかとの質問に対しては、「ない。代表者が書類を野田へ持って来て、印鑑を押すだけである。」と答えたので、両係官は、その場でその旨の質問てん末書を作成し、これを甲田敏一に読み聞かせ、さらに示したところ、同人は誤りがないと述べて署名捺印した。また、甲田敏一らは、甲田三郎兵衛、敏一及び旬子連名の被告宛申述書を提出したが、その内容は、「私共は(有)長谷商事より役員の名義料として一年に一人当り二十万ずつもらちい半額の十万円を現金で受取り残りの十万円は(有)長谷商事へ貸付けております。」というものである。この本文は甲田富子が記載し、甲田三郎兵衛の署名は富子が代筆し、敏一及び旬子の署名は敏一が記載した。冨山係官はこの文書の様式だけを教示し、下書きなどはしていない。甲田敏一は、右申述書の記載と同趣旨のことを述べていた。

両係官は、同日、桑原もと宅にも赴き、原告からの役員報酬についての質問をした。桑原もとは、原告から給与をもらったことがあるかとの質問に対し、「一年に二回程度、数万円位ずつ、代表者から受け取っている。毎月の給料はない。したがって、少額であるので、確定申告をしていない。」と答え、収入についての質問に対しては、「近所にあるアパートからの収入があり、月末に持って来てくれる。約十五万円位である。」と述べた。両係官は、その場でその旨の質問てん末書を作成し、これを桑原もとに読み聞かせ、さらに示したところ、同人は誤りがないと述べて署名捺印した。

(四)  両係官は、翌一〇月二六日午前九時半頃、原告代表者宅を調査のために訪れた。この自宅以外に原告の事務所はない。

伊藤係官は原告代表者に会うのは二回目であったので身分証明書は示さなかったが、冨山係官は身分証明書を提示した。そして、原告の法人税の調査のために訪れたと説明した。原告代表者は、親戚の病気見舞いに出かけるところであると述べたが、両係官が時間はそれ程かからない予定であるなどと述べて説得したところ、原告代表者はその日に調査を実施することを了解した。

両係官は、原告代表者に対し、現金や預金通帳の保管方法について質問し、預金通帳の提示を求めた。提示された預金通帳の中には、甲田三郎兵衛や桑原もと名義のものがあり、長谷家において預かっているとの説明であった。甲田、桑原という印鑑も提示された。原告名義の預金通帳の提示はなかったので、冨山係官が原告代表者に対し、預金通帳が全部提示されていないから出していただきたい、お互い時間が忙しい、と述べたことはあるが、大声を出したとか、隠すとためにならないと述べたことはない。

預金通帳や印鑑は原告代表者と冨山係官が別室へ赴いて持ってきたが、その際、鍵も持参して来た。原告代表者はその鍵がどこの鍵であるかなかなか言わなかったが、最終的に太陽神戸銀行取手支店の貸金庫の鍵であると述べたので、両係官と原告代表者が同支店に出かけ、原告代表者の了解の下に貸金庫の中身を調べたが、預金通帳は保管されていなかった。そこで、両係官が、原告の預金通帳の所在を追及したところ、原告代表者は、自宅裏の蔵の中にあると答え、蔵の中に定期預金証書等が保管されており、原告の預金通帳もそこに保管されていた。

結局、同日の調査は、午後二時頃までかかったが、原告代表者が蔵の中に預金通帳が保管されていることを最後まで言わなかったことも調査に長時間を要した原因の一つである。また、両係官が、調査の際に、乱暴な言葉づかいであったとか、怒鳴り散らしたという事実はない。

後日、一〇月二六日の調査について、両係官が原告代表者とその夫貴に対し、びっくりしたのであれば申し訳なかったという趣旨のことを儀礼的に述べたことはあるが、謝罪したということはない。

(五)  甲田三郎兵衛、敏一及び旬子は、連名で、昭和五七年一一月三日付の申立書を被告に提出した。その内容は、右三名は、原告から、役員報酬規定に基づいて、報酬を受領しているというものである。その金額は、本訴において原告が主張している金額と同一である(甲田敏一は昭和五五、五六年分、三郎兵衛及び旬子は五四年ないし五六年分)。また、この申立書に添付されている所得税の源泉徴収簿によれば、役員報酬の全額が支払われたものとされている。

右三名は、右役員報酬を受領していることを前提とする確定申告もしくは修正申告に係る所得税を昭和五七年一一月二二日に納付し、甲田敏一は、同月二六日に五五年分及び五六年分の所得税の修正申告書を提出している(なお、桑原ら五名が、本件各更正処分等のための調査が開始された後に、役員報酬の受給を前提とした確定申告又は修正申告を行っていることは、当事者間に争いがない。)。

(六)  甲田三郎兵衛、敏一及び旬子は、連名で、昭和五七年一二月二三日付の書面を竜ヶ崎税務署係官に提出した。その内容は、右三名は、原告についての調査時に、所得税の確定申告書もれがあり、又は確定申告書を提出していなかったため、事実と異なる申立てをしたので取り消すこと、右三名は、役員に就任以来、報酬を、原告本社で受領し、又は原告代表者が直接右三名の住居へ持参して支払っていること、その使途は、生活費、融資、不動産の購入等であること、甲田三郎兵衛は、昭和五〇年九月六日、太陽神戸銀行取手支店に普通預金講座を開設し、原告から報酬の振込を受けており、これは同銀行の原告に支払う家賃が原告にとって主要なものであるため、銀行側の要請により開設したものであり、甲田三郎兵衛は、自分の都合上、原告代表者に出金を依頼していたものであって、この預金は原告代表者のものではないこと、報酬のうち未払金の額は、昭和五七年四月末で甲田三郎兵衛が四四三万七九六〇円、旬子が五六五万四四五〇円、敏一が四八六万九九九〇円であって、不明ではないこと、以上である。

(七)  桑原もとは、昭和五七年一二月二五日付書面を竜ヶ崎税務署係官に提出した。その内容は、自分は竜ヶ崎税務署担当官に役員報酬をもらっていないなどという申立書を提出した覚えはないこと、自分と故桑原進は、役員に就任以来役員報酬を支給されており、長谷貴・ひろ子から原告本社で受領し、又は右両名が住居まで持参して支払っていること、その使途は、生活費、子供達の生活費、その他であること、自分の報酬のうち未払金の額は昭和五七年四月末で五八三万七九六〇円であって、不明ではないこと等であり、昭和五〇年九月六日、太陽神戸銀行取手支店に開設した桑原もと名義の普通預金口座については、前記甲田三郎兵衛ら提出の昭和五七年一二月二三日付書面と同趣旨の記載がある。

この桑原もと提出の書面には、同人名義の証明書が添付されていたが、その内容は、「私は、昭和五五年一二月一三日、原告の役員報酬として金一千万円を長谷貴より受領いたしました。」というものである。

また、桑原もとは、被告に、昭和五八年一月四日付説明書を提出した。その内容は、「自分は、昭和五五年一二月一三日一〇〇〇万円を現金で受領した。その使途は、自分が世話になった人々にお礼として差し上げた。誰に支払ったかは、時間がたったので忘れてしまった。」というものである。

(八)  小川仁助(甲田敏一の弟)は、被告に昭和五八年一月一一日付「説明書」を提出した。その内容は、自分は、甲田旬子、敏一から、店舗改装、設備費などの費用及び家計費とするために合計八〇〇万円(昭和五二年に二〇〇万円、五三年に一〇〇万円、五四年、五五年に各二〇〇万円、五六年に一〇〇万円であって、昭和五七年四月末の残高は八〇〇万円)を借用している、というものである。

(九)  甲田三郎兵衛、敏一及び旬子は、連名で、昭和五八年一月三〇日付の書面を被告に提出した。その内容は、「昭和五七年一〇月二五日、竜ヶ崎税務署の担当官二名が当家を訪れて、原告から役員報酬をもらっていないではないか、その証拠として所得税の申告書が提出されていないと言われた。そして、役員報酬をもらっていないという書類を作成しなければいつまでも帰らないと言われたので、怖くなり、調査官の言うとおりになって書類に署名捺印した。この書類は事実無根なので取消を願いたい。その後自分達が提出した昭和五七年一一月三日付申立書、同年一二月二三日付説明書等に記載のとおり、役員報酬は支給されている。太陽神戸銀行取手支店の甲田三郎兵衛、敏一及び旬子の預金の出入金については、昭和五七年一二月二三日付の申立書に述べたとおり、遠隔地に住んでいるので、長谷ひろ子に依頼しているのであって、長谷ひろ子のものではない。」という趣旨である。

また、右三名は連名で、昭和五八年七月二七日付「申述書訂正願」を被告に提出した。その内容は、自分達が昭和五七年一〇月二五日付で被告宛提出した申述書は間違っているので、取り消し願いたい、自分達は、原告の役員報酬規定に基づき、昭和五七年一二月二三日付申立書のとおり、報酬を受け取っている、というものである。

甲田敏一も、昭和五八年七月二七日付「質問てん末書の訂正願」を被告に提出した。その内容は、昭和五七年一〇月二五日付の質問てん末書の記述に間違いがあるので訂正願いたいというものであり、具体的には、原告から給与をもらったことがあるかという質問に対して右質問てん末書記載のようなことを答えた覚えはなく、自分は原告から役員報酬を受け取っている、また、原告の役員会に出席したことがあるかという質問に対する答えは全部取り消す、代表者から役員会の議案を事前に聞き、出席することもあり、委任することもある、というものである。

(十)  桑原もとは、昭和五八年八月一九日付「質問てん末書訂正書」を被告に提出した。その内容は、昭和五七年一〇月二五日付質問てん末書には「原告から一年に二回程度数万円位ずつ代表者から受け取っている。毎月の給料ではない。」と記載されているが、このように言った覚えはない、自分は原告から給料をもらっており、長男宏が昭和四四年に腎臓病にかかり、昭和五八年七月の死亡まで療養を続けたので、自分は発病当時からその面倒を見ており、五五年から五六年頃まで宏が家に来た時に渡し、来られない時は貴に依頼していた、というものである。

(十一)  昭和五八年六月二七日に本件各更正処分等がされ、原告はこれに対して同年八月二二日に異議を申立てをした(この事実は当事者間に争いがない)。

(十二)  甲田三郎兵衛、敏一及び旬子は、連名で、昭和五八年一一月一四日付の書面を竜ヶ崎税務署に提出した。その内容は、自分達は原告から役員報酬を受け取っており、その使用の内訳として先に小川仁助に対する貸付金八〇〇万円及び土地購入資金四〇〇万円について証明したが、その外の例として昭和五三年二月から昭和五八年八月まで合計一七一〇万円(その内訳は、着物、宝石、毛皮、車などの購入である。)を使っている、というものである。

(十三)  前記異議申立てに対する調査、審理を担当したのは竜ヶ崎税務署の金田豊係官であるが、同係官は、甲田三郎兵衛らから提出された前記昭和五八年一一月一四日付の書面記載の事実を確認する等の目的で、昭和五八年一一月一七日、甲田敏一宅を訪れた。

甲田敏一は不在であったので、同係官は妻の富子に対し、右書面記載の品目の購入の有無を質問したところ、富子から、自動車の六四万円の領収書(右書面では七〇万円となっている。)、着物を購入した際の買上げで明細書あるいはローンの契約書数枚、保険契約者を甲田廣美(敏一・富子の子)、保険金受取人を甲田敏一とする一時払い生命保険の保険証書(保険料一〇〇万円)、ダイヤの指輪の保証書及び翡翠の指輪の現物の提示があったが、前記書面記載のその外のものについては領収書や現物の提示はなかった。

同係官が原告から役員報酬を受け取っている事実を証明するものがあるかどうかを質問したところ、富子は、報酬はいつもこのようにのし袋に現金を入れてもらっていると述べて、昭和五七年一二月頃受領したものであるとしてのし袋三枚(一枚は「兄上様 粗品 長谷 五万円」と記載され、一枚は「粗品 長谷商事 一〇万円」と記載されている。一枚は金額の記載がなかった。)を提出した。そして、富子は、同日、このような内容を記載した被告宛の書面を提出した。

金田係官は、昭和五八年一二月七日、役員報酬授受の有無について調査するために桑原もと宅を訪れた。同人は、最初は、原告から役員報酬をもらっていると言えば自分に税金がかかると思ったので、もらっていないと言ったが、その後長谷貴が家に来て本当のことを言ってくれと言われたので、役員報酬を受領している旨の昭和五七年一二月二五日付書面を提出した、昭和五五年一二月一三日に受領した役員報酬一〇〇〇万円は、長男も入院しており、孫も結婚したりで、おばあちゃんも大変だろうということで貴から受け取った、これを誰に差し上げたかは忘れた、長男の病院の関係では特に大金がかかったわけではない、孫が一一人もいるので親族の祝事等で使ってしまったものである、預金はしていない、一〇〇〇万円を受け取った後役員をやめた昭和五八年八月頃までは、毎月四〇万円を現金で貴又はひろ子からもらっている、退職したので全部もらったから現在はもらってない部分はない、役員としての具体的な仕事はない、したがって一〇〇〇万円は、おばあちゃんも大変だろうということでもらったものであって、報酬をもらったということではない、と答えた。金田係官はそのような内容の質問てん末書を作成し、桑原もとに読み聞かせ、さらに示したところ、誤りがない旨述べて署名捺印した。

金田係官は、甲田三郎兵衛らから提出された前記昭和五八年一一月一四日付の書面に、昭和五五年に柏市の川久から帯三本を二五〇万円で購入した旨の記載があったので、昭和五八年一二月一二日頃と同月一五日に右川久へ調査のため赴いた。その結果、株式会社川久は、当初は長谷商事宛に発行されていた昭和五六年一二月二八日付の一二六万六六〇〇円の領収書、同日付の六〇万四五〇〇円の領収書及び同年九月二四日付の一九五万六〇〇〇円の領収書を、昭和五八年一二月頃原告代表者に依頼されて、甲田宛で再発行したことが判明した。株式会社川久は、これらの取引についての仕切書の宛先も、原告代表者の依頼で、長谷ひろ子宛から甲田宛に書き変えた。

異議申立て後の調査の段階で、役員報酬がいつ、誰に、どれだけの金額が支払われたかを確認できる書面などの客観的な証拠は一切提出されなかったた。

(十四)  原告は、昭和五九年一月二四日に被告に対して異議申立書の理由を追加する書面を提出したが、この書面には、甲田三郎兵衛、敏一及び旬子連名の同年一月一五日付申立書が添付されており、これには、甲田家が受領した役員報酬の使途が判明したものとして、別表11記載のもののほか、小川仁助への貸付金八〇〇万円、土地購入資金三五〇万円、島野悦子への貸付金二〇〇万円、一時払い保険金一〇〇万円、廣美の結婚費用二〇〇万円及び家具一〇〇万円、廣美の車一〇〇万円が記載されている。

また、原告提出の右書面には川久の昭和五九年一月一五日付「申立書訂正願」も添付されているが、その内容は、昭和五八年一二月一五日付申立書記載の三件の物品購入は、長谷ひろ子及び甲田旬子が同行して購入したものであるから、そのように訂正願いたいというものである。

(十五)  昭和五九年四月七日、異議申立てに対する決定があり、原告は同年五月四日、審査請求をした(この事実は当事者間に争いがない。)。

(十六)  甲田敏一、旬子及び富子は連名で、国税不服審判所に対し、昭和五九年一一月三日付「役員報酬受領についての説明書」を提出した。その内容は、役員報酬をもらった主な理由は、亡長谷信之助・はつから原告が土地建物を購入した際、両人を説得して承諾させたこと及び長谷ビルの建築、テナントの獲得に協力した功績であり、役員報酬の受領方法は、長谷ひろ子が週に一回以上実家に来るので、主としてその際に各役員が受け取っているが、たまには長谷宅に行った時に受領したこともある、役員報酬は主に太陽神戸銀行の袋に入っている、当家において土地の購入、小川仁助に対する貸付金、結婚費用等の臨時的支出がある際は、長谷家から借入れして、自分達の報酬の支払時に精算している、というものである。

また、甲田旬子は、同日付「(株)川久において購入品について」と題する書面を提出した。その内容は、「川久からの物品購入は自分と長谷ひろ子が同行して購入したもので、納入書に自分の捺印があるものは自分のものである。私の分は私の役員報酬で支払いました。」というものである。

(十七)  原告は、昭和五九年一二月二一日、関東信越国税不服審判所審判官に対し、各役員に対する役員報酬の支給状況と各期ごとの明細及び各人別の未払報酬の状況などを記載した書面(給与明細)を提出したが、これによると昭和五七年四月末現在の未払報酬額は甲田敏一は四七五万一八三〇円であって、昭和五七年一二月二三日付書面の金額(四八六万九九九〇円となっている。)とは異なっている(桑原もとについては昭和五七年一二月二五日付書面の金額と一致しており、甲田三郎兵衛及び旬子についても昭和五七年一二月二三日付書面の金額と一致している。)。

2  本件税務調査と違法性の有無

原告は、昭和五七年一〇月二六日の原告代表者宅における税務調査手続は違法であると主張するので、以上認定の事実に基づいて判断する。

(一)  前記認定のとおり、伊藤係官は一〇月二六日の前に原告代表者に会っており、冨山係官は身分証明書を提示している。また、前記認定の事実によれば、原告代表者は、両係官が自宅に立ち入ることについて少なくとも黙示的に了解したものということができる。

なお、法人税法一五七条の規定は、関係人からの請求がなくとも、職員は積極的に身分証明書を提示する義務があるという趣旨に解することはできないから、原告の主張は採用できない。

(二)  前記のとおり、両係官の口調、言葉づかい、態度などが、原告主張のような高圧的ないし乱暴なものであったとは認められない。

(三)  海老原税理士に対する電話に関する原告代表者の供述は、係官から単に動いてはいけないと言われたというのか、海老原税理士に実際に電話をしようとしたがこれを制止されたというのか、明らかではないが、仮に後者の趣旨であり、そのような事実があったとしても、重大な手続上の瑕疵とはいい難いから、これによって本件各処分が違法となるものではない。

(四)  以上のとおり、前記調査手続には重大な違法があるとする原告の主張は採用できない。

三  本件役員報酬について

1  桑原らが原告の商業登記簿上、原告の役員であったこと、原告代表者長谷ひろ子と桑原らとの身分関係が別紙準備書面(一)の別紙2記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

2  原告の業務内容と桑原らの業務

成立に争いのない甲第一号証及び原告代表者本人尋問の結果によれば、原告の主な業務は不動産の管理であって、四棟の建物を所有し、これを九人の賃借人に賃貸していること、原告の収入はこれら賃借人からの家賃収入及び駐車場収入であること、原告代表者の自宅に原告の事務所として使用している一室があるが、原告には従業員は全くいないことが認められる。そうすると、原告は多数の役員による業務ないし事務の執行を要するような事業を営んでいるものではないことが明らかである。

また、原告は桑原らが原告の役員として行った業務について主張しているが、その多くは、親族として相談に預かったとか、親戚として原告の業務のごく一部を手助けしたという程度のものであって、役員としての業務というに値しないものであり、これをもって原告の役員としての業務に従事したなどとは到底いえない。

ちなみに、証人甲田敏一は、原告の経営状態や原告の最も重要な賃借人である太陽神戸銀行の賃料額さえ知らないと証言しており、原告の役員としての実質的活動をしていなかったことは明らかである。

なお、成立に争いのない甲第七ないし第二三号証によれば、甲田三郎兵衛は、もと長谷信之助が代表取締役であっ三陽興行株式会社の代表取締役に就任し、長谷信之助あるいは長谷ひろ子が代表取締役である三陽商事株式会社の取締役に就任したことがあること、桑原進は右三陽興業株式会社の監査役及び右三陽商事株式会社の取締役や監査役に就任したことがあること、甲田敏一は右三陽興業株式会社の監査役及び右三陽商事株式会社の取締役に就任したことがあること、桑原もとは右三陽商事株式会社の取締役や監査役に就任したことがあること(ただし、以上はいずれも商業登記簿上、そのような登記がされているということである。)が認められる。しかし、仮に甲田三郎兵衛らがこれらの会社の役員であったとしても、直ちに同人らが原告の役員としての業務に実際に従事していたことの裏付けになるものではない。

3  役員報酬を支給する旨の決議

昭和五三年一二月二五日付の原告の臨時社員総会議事録が作成されており(甲第九四号証)、「役員報酬支給額改定の件」という議題について、「総額一期三六〇〇万円以内とし、各役員に対する配分については、取締役会に一任することに承認可決した」との記載がある。また、同日付の取締役会議事録も作成されており(乙第六一号証)、昭和五四年一月分から各取締役(長谷ひろ子、長谷はつ、桑原もと、甲田三郎兵衛、桑原進及び甲田旬子)の役員報酬年額をいずれも六〇〇万円とすることが可決された旨の記載がある。そして、原告代表者は、このような決議が実際にされたと供述している。

しかし、実際にこのような決議がされたかどうか極めて疑わしい。すなわち、まず、原告代表者は、役員報酬についての取り決めは、年末と四、五月頃、長谷はつ、桑原もと、甲田三郎兵衛及び海老原税理士らが話し合って行っていたとも供述しており、極めて漠然とした取決め方である。また、証人甲田敏一は、原告では、取締役が一堂に会するような会合はなかったとか、取締役会には二度位出席したことがあるが、そのうちの一回はたまたま甲田敏一が原告会社に出向いた時に長谷ひろ子と貴が出席して聞かれたものであって、いずれにしても改まって会という名称は使わなかったとか、あいまいな証言をしている。そして、同人は、前記のとおり、昭和五七年一〇月二五日には、原告の役員会等には出席したことはないと明確に述べている(乙第一〇号証の昭和五八年七月二七日付「質問てん末書の訂正願」では、これを全部取り消すとしているが、採用できない。なお、この訂正願に役員会に出席したことがある事実を裏付けるものとして添付されている昭和五五年四月二〇日の臨時社員総会議事録には出席取締役の一人として桑原進の記名押印があるが、成立に争いのない甲第六号証によれば、同人はこれより以前の昭和五四年一〇月二二日に死亡していることが認められる。この一時をもってしても、原告の社員総会議事録などがいかに杜撰なものであるかが明らかである。)。原告代表者も、甲田敏一は取締役会には一回位出たか出ないかという状況であって、ほとんど出ていないと供述している。

なお、原告代表者の本人尋問の結果によれば、本件係争に係る昭和五二年五月から五七年四月まで原告代表者に対する原告からの役員報酬は月額五〇万円であって、全く増額されていないことが認められる。これに対して、原告の主張によれば、桑原らの役員報酬は順次増額されており、昭和五六年五月以降は一人月額四七万円であるというのであるが、原告代表者の報酬と比較して均衡を失しており、極めて不合理である。

4  桑原もと及び甲田三郎兵衛名義の普通預金口座への振込について

昭和五三年四月期ないし同五七年四月期の全期間を通じ、毎月原告から各一六万〇八二〇円が太陽神戸銀行取手支店の右両名名義の普通預金口座に振り込まれていることは当事者間に争いがないが、これらの預金については、別紙準備書面(一)の第三、三、5の事実(両普通預金の印鑑届に記載された住所は原告代表者の住所と同一であること、原告代表者が通帳及び印鑑を管理し、入出金手続を行っていること、両普通預金から桑原もとら両名と無関係の使途に充てるための四件の払戻しがあること)があることも当事者間に争いがない。

また、以下の各項目の括弧内に掲載する証拠によれば、両普通預金からの出金に関し、さらに次のような事実が認められる。

(一)  昭和五三年六月二日、甲田三郎兵衛名義の普通預金から長谷貴名義の預金口座に三〇万円が振り込まれている(成立に争いのない甲第三二号証の二、原本の存在と成立に争いのない第三〇号証、原本の存在と太枠外の部分の成立は争いがなく、弁論の全趣旨により太枠内の部分は長谷家の何者かが作成したものと認められる乙第三一号証)。

(二)  昭和五五年三月八日、甲田三郎兵衛名義の右口座から四三万円が引き出され、この金員は電気製品の購入代金として貴名義で右購入先に振り込まれている(成立に争いのない甲第三二号証の三、原本の存在と太枠外の部分の成立は争いがなく、弁論の全趣旨により太枠内の部分は長谷家の何者かが作成したものと認められる乙第三二号証、原本の存在と成立に争いのない乙第三三号証)。

原本代表者は、この点について、貴が日立家電販売株式会社の社員であり、割引き購入ができるので、実際は甲田家が購入したものであるが貴名義で購入し、振込をしたと供述しているが(平成元年一一月二八日の口頭弁論期日)、平成元年九月五日の口頭弁論期日には誰が何を購入したのか分からないとも供述しており、平成元年一一月二八日の口頭弁論期日における供述はにわかに信用できない。

(三)  昭和五六年四月一〇日、甲田三郎兵衛名義の右口座から引き出された一〇〇万円と、長谷はつ、原告代表者の長男豊、次男誠及び長女光子(以上の身分関係は成立に争いのない甲第三号証により認められる。)の各預金から引き出された合計一〇〇万円の金員をもって、甲田三郎兵衛名義の二〇〇万円の定期預金を設定している(成立に争いのない甲第三二号証の四、原本の存在と成立に争いのない乙第三六号証ないし第四一号証)。

(四)  昭和五九年二月一八日、甲田三郎兵衛名義の右口座から三五万円が引き出され、この金員は光子の学費として送金されている(成立に争いのない甲第三二号証の七、原本の存在と成立に争いのない乙第三四、三五号証)。

(五)  昭和五五年七月一〇日、桑原もと名義の前記口座から四〇〇万円が引き出され、うち一五〇万円は貴名義の口座に入金され、うち二五〇万円は原告代表者名義の預金に入金されている(成立に争いのない甲第三一号証の四、原本の存在と成立に争いのない乙第四三号証、第四五号証、原本の存在と太枠外の部分の成立は争いがなく、弁論の全趣旨により太枠内の部分は長谷家の何者かが作成したものと認められる乙第四四号証)。

そして、両普通預金からの以上の払戻しについて、後日原告代表者あるいはその家族らからの補填がされたことを認めるに足りる証拠はない。原告代表者は、月末の家賃収入の中から補填していたかのように供述しているが、成立に争いのない甲第三一、三二号証の各一ないし八(両普通預金の通帳)によれば、甲田三郎兵衛名義の口座には毎月一六万〇八二〇円の振込がされているほかは昭和五九年六月二二日に二万円の預け入れがされているだけであり(これも同日の二万円の支払いを訂正したにすぎないものとも考えられる。)、桑原もと名義の口座には毎月一六万〇八二〇円の振込のほかは、四〇〇万円(昭和五五年七月三日)、四〇万円(昭和五八年四月一六日)及び五万円(昭和五八年四月三〇日)の預け入れがあるだけであることが認められるから、右供述は信用できない。原告代表者は、毎月桑原もとらの自宅に持参してゆく現金で埋め合わせをしていたとも供述しているが、具体的にどのように補填したというのか明確ではない。

以上の事実と原告の主張によれば役員報酬額は順次増額されているのに両普通預金口座への振込額は一定であること、桑原もとが役員を辞任した後まで振込が続けられていること(これらの事実は原告の自認するところである。また、原告の主張によれば甲田三郎兵衛が辞任したのは昭和五八年四月二三日であるが、前記甲第三二号証の一ないし八によれば、同人名義の口座にも昭和五九年六月まで月額一六万〇八二〇円の振込がされている。原告代表者は、振込額が変わらなかったのは、毎月現金で持参していたからであり、辞任後も振り込んでいたのは、未払金があったからであると供述しているが、現金で持参した金額は証拠上明確になっていないのであるから、原告代表者のこの供述が計算上正しいのかどうか明らかではない。)を併せ考えると、両普通預金が甲田三郎兵衛及び桑原もとに帰属するものであって、これらの口座への原告からの振込が役員報酬の支払いであると認めることは困難であるといわざるをえない。

5  現金による支払いについて

原告代表者は、自分か貴が桑原もと宅に、毎月必ず一、二回、一回当たり二〇万円ないし三、四〇万円の役員報酬を現金で持参していた、また、甲田家へも、自分が三人の役員の報酬として毎月一、二回、一か月当たり四〇万円を持参し、ほとんど甲田三郎兵衛に渡していた、敏一に渡したことは余りない、しかし、桑原家からも甲田家からも領収証は受けとっておらず、いつ、いくら、誰に支払ったかを記録したものは一切ない、と供述している。

また、証人甲田敏一は、原告代表者が役員報酬を大体月末か月の初めに、一回三、四〇万円ずつ(金額は一定していない。)持参し、甲田三郎兵衛(その生存中)ないし自分に渡していた、と証言する一方で、自分一人分の報酬として三年間に一〇回位、一回三〇万円ないし四〇万円を受け取った、甲田三郎兵衛と甲田旬子にはこれとは別に渡されていたがその金額は分からない、とも証言しており、証言自体が矛盾している。なお、領収証を書いたことはなく、いつ、いくら受領したかを記載したものもない、とも証言している。

右の原告代表者の供述と証人甲田敏一の証言は、授受したという金額、回数、受領者などが食い違っており、金員の授受についての領収証も交付されず、記録も一切残されていないというのであるから、いずれもにわかに信用し難いものといわざるをえない。

その他、証人甲田敏一は、甲田三郎兵衛と家計は同一であるが、同人が役員報酬をいついくら受領しているか細かいことは聞いていない、自分の営んでいる米穀商は赤字経営であるが(したがって、原告から受領する役員報酬は同人にとって極めて貴重な収入であるはずである。)、本件税務調査を受けたために嫌になり原告の役員は辞任した(同時に甲田旬子も辞任したという。原告の主張によれば、右両名は昭和五八年四月二三日に役員を辞任したという。)、役員報酬の未払金は証言の時点でも約五〇〇万円あるが、なぜ未払金が生じたのか分からいし、その支払いを請求したこともない、役員に就任する昭和五五年一月から四月までの間も原告から毎月金員を受け取っているが(原告の主張によれば月額三〇万円である。)、これは従業員としての給料である、しかし出勤はしていない、などと証言しているが、これらの点は著しく不合理であるといわざるをえない。

さらに、原告の昭和六二年八月二〇日付準備書面における主張は、桑原進・もとへの持参額は桑原もと名義の預金口座からの出金額(前記甲第三一号証の一ないし八によれば、一回の出金額は六万一三五〇円ないし四〇〇万円であり、毎月の出金はない。)にほぼ照応し、甲田家へは毎月二ないし四回、一回当たり一〇万円ないし四〇万円程度を持参していたというのであって、原告代表者の供述及び甲田敏一の証言とは全く異なっている。

前記認定のとおり、桑原らから竜ヶ崎税務署係員に対して提出された書面等にも、役員報酬が現金で支払われた旨の記載があるものがある。甲田三郎兵衛、敏一及び旬子連名の昭和五七年一二月二三日付書面(報酬を原告本社で受け取り、又は原告代表者が自分達の住居に持参して支払っている、とある。)及び昭和五九年一一月三日付説明書(原告代表者が週に一回以上実家に来るので、主としてその際に各役員が受け取っているが、たまには原告代表者宅へ行った時に受領したこともある、という内容である。)並びに桑原もとの昭和五七年一二月二五日付書面(報酬を長谷貴又は原告代表者から、原告本社で受け取り、又は自分達の住居に持参してもらって受け取っている、とある。)である。また、桑原もとは、昭和五八年一二月七日には、金田豊係官に対し、原告から一〇〇〇万円を受領した後は、長谷貴又は原告代表者から毎月四〇万円を現金でもらっていると述べている(同日付の質問てん末書がある。)。

しかし、これらの書面等は、それ以前に係官に述べた内容と全く異なる趣旨のものであって、信用することができない。なお、原告代表者及び証人甲田敏一は、原告本社で報酬を授受したことがあるとは供述しておらず、この点にも重大な食い違いがある。

甲田富子が、役員報酬を受領していることを裏付けるために、のし袋を提出した事実があるが、のし袋に入れて授受された五万円あるいは一〇万円という金員が役員報酬であるとは到底考えられない(なお、証人甲田敏一は、のし袋に入れた金を受け取ったことはないと証言している。役員報酬をこのような形で受け取ったことはないという趣旨であろう。)。

6  桑原もとに対する一〇〇〇万円の支払いについて

原本の存在と成立に争いのない甲第八八号証によれば、太陽神戸銀行の井上健夫名義の一〇〇〇万円の定期預金が昭和五五年一二月一三日に解約されていることが認められる。

桑原もとは、昭和五七年一二月二五日付の証明書で、「原告の役員報酬として一〇〇〇万円を長谷貴から受領した」旨を初めて主張するに至ったものであるが、この証明書は、一〇〇〇万円は役員報酬であるとしている。成立に争いのない甲第九七号証によれば、原告は異議申立ての段階においては、桑原もとに対する昭和五五年一一月分までの役員報酬一〇〇〇万円を長谷ひろ子が蓄積、保管しておき、これを昭和五五年一二月一三日に一括して桑原もとに支払ったと主張したことが認められる。成立に争いのない乙第一号証によれば、原告は審査請求の段階でも、右一〇〇〇万円は役員報酬として受領した旨主張したことが認められる。ところが、本訴においては、この一〇〇〇万円は長谷貴・ひろ子夫妻が個人的に桑原もとに貸し付けたものであり、一〇〇〇万円の返還債務とひろ子らが負う役員報酬の預かり金債務とを相殺して決済したと主張している。このように、その主張が変遷していること自体、主張に係る事実の存在を疑わせるものである。

原告代表者は、自分と貴が桑原もと宅へ現金一〇〇〇万円を持参して桑原もとに渡したと供述しているが、その交付についての証拠書類は作成していないというのであり、また、金員の趣旨、決裁の方法などに関する右供述はあいまいかつ不明確であって(贈与であるかどうかも分からないと供述している。)、信用することはできない。原告代表者は、この点について、この当時は長谷はつが処理しており、自分は関与していなかったので、よく分からないと弁解しているが、原告代表者夫婦が貸し付けたというのであるから、その事実関係を知っているはずである。

原告は、本訴において、この一〇〇〇万円は、桑原もとの長男宏の腎臓病のための入院費用、宏の長女の結婚費用などを支出するために融通されたものであると主張しており(平成二年一一月一六日付準備書面)、原告代表者の供述も同旨である。しかし、桑原もとの提出した書面等によれば、この点は極めてあいまいである。すなわち、前記認定のとおり、昭和五八年一月四日付説明書では、自分が世話になった人々にお礼として差し上げた、誰に支払ったかは時間がたったので忘れたというのであり、昭和五八年八月一九日付質問てん末書訂正書は、宏の腎臓病の治療費に使ったという趣旨であると理解される。ところが、昭和五八年一二月七日には、一〇〇〇万円は誰に差し上げたか忘れた、長男の病院の関係では大金がかかったわけではない、孫が一一人もいるので親族の祝事等で使ってしまったと供べている。このように、一〇〇〇万円もの大金について、その使途が明確でないのであるから、その交付の事実は疑わしいといわなければならない。

なお、桑原もとの昭和五八年一二月七日の陳述も、一〇〇〇万円は役員報酬ではないというものである。

以上のとおりであるから、この点に関する原告主張の事実は認めることができない。

7  桑原進に対する退職慰労金について

原告の指摘する異議申立てに対する決定における判断は、一貫しないという評価も可能であろうが、そのために本件において役員報酬に関する原告の主張が認められなければならないという結論が導かれるものではない。

8  甲田家建物敷地の買取資金の貸付について

前記甲第九七号証及び乙第一号証によれば、原告は異議申立て及び審査請求の段階では、この点について、この買取資金は長谷ひろ子が原告に代わって甲田三郎兵衛に対して役員報酬の前払いをしたものであり、原告は甲田三郎兵衛に対して支給した昭和五一年一月分から同五二年一二月分までの役員報酬をもって長谷ひろ子に返済したと主張していたことが認められるが、本訴においては長谷ひろ子の甲田三郎兵衛に対する貸付であり、役員報酬の中から順次返済されたと主張している。

このように、原告の主張は一貫していない。また、役員報酬による返済についても、具体的な主張、立証はない。したがって、少なくともこの買取資金と役員報酬との関連性を認めることは困難である。

9  甲田三郎兵衛及び敏一に対する八〇〇万円の貸付について

この点に関する原告の主張は次々と変わっている。

すなわち、前記甲第九七号証によれば、異議申立ての段階では、甲田敏一及び旬子が原告から受領した役員報酬のうちから小川仁助に貸し付けたとか、原告代表者が甲田家に貸し付けたものを甲田家がさらに小川仁助に貸し付けたと主張した(この両主張は矛盾している。)ことが認められる。また、前記乙第一号証によれば、審査請求の段階においては、甲田家が受領した役員報酬の支払い先の一つとして小川仁助に対する貸付を挙げている。本訴においては、当初は、原告代表者が甲田敏一及び旬子に最初は返済条件を定めずに貸し付けたと主張したが、最終的には事実摘示のとおり、原告代表者が甲田三郎兵衛及び敏一に対して、役員報酬と相殺勘定とするとの条件で貸し付けたと主張するに至っている。

原告代表者の供述も不明確であるが、原告が甲田三郎兵衛に対して貸し付けたとも供述している。しかし、証人甲田敏一の証言は、原告代表者から甲田三郎兵衛及び敏一が借り受けてさらに小川仁助に貸し付けたというものである。なお、前記認定のとおり、昭和五八年一月一一日付の小川仁助の説明書には、貸主は甲田敏一及び旬子である旨の記載がある。

原告代表者は、当初は右貸金のうち一〇〇万円は小川仁助から原告に直接返済されたと供述したが(そうであるとすれば、甲田三郎兵衛及び敏一の役員報酬と相殺するという条件とは矛盾することになる。)、その後、この一〇〇万円は右八〇〇万円とは別に原告代表者が小川仁助に直接貸し付けたものの返済であり、このような直接の貸付は一、二回あり、いずれも返済されていると供述している。しかし、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第五七号証の一、二によれば、昭和五二年五月一三日から五五年一二月一一日までの間に合計五回、小川仁助から常陽銀行取手支店の長谷貴名義の預金口座に各一〇〇万円の振込があったことが認められ、八〇〇万円の貸付とこの返済のあった五〇〇万円との関連が明確でなく、原告代表者の右供述の信用性には疑問がある。

以上のとおり、原告の主張等は、その内容がまちまちであり、原告代表者の供述もにわかに信用し難いから、この点に関する原告の主張は採用することができない。

10  甲田家に対する立替金について

(一)  原告の主張は、原告代表者が立替払いをしたというものであるが、原告代表者は、かならずも明確ではないが、原告が立替払いをしたとも供述している。そして、原告代表者は、立替金は役員報酬から全額は回収されていないと供述しているが、本件各事業年度に係る決算書には右未回収金が原告の債権として立替金勘定が設定されていない(乙第二四ないし第二八号証中の賃借対照表によって認められる。右賃借対照表は、成立に争いのないものと、一部につき成立に争いのあるものとがあるが、争いのある部分は弁論の全趣旨によって成立を認めることができる。)。

なお、前記認定のとおり、甲田三郎兵衛、敏一及び旬子が竜ヶ崎税務署係官等に提出した書面においては、原告から受領した役員報酬によって原告主張のような物品の購入をしたとされていたものであって、原告ないし原告代表者が購入代金を立て替えたというものではなかったものである。前記甲第九七号証及び乙第一号証によれば、異議申立て及び審査請求における原告の主張も右書面と同旨であったことが認められる。このように、原告の主張自体、一貫していない。

また、購入したという物品の内容も、昭和五九年一月一五日付書面(甲第五〇号証の一ないし四)と平成元年七月一七日付書面(甲第九〇号証)とを対比すると、代金の合計金額が前者は一三九五万二二〇一円であるのに対し、後者は一三八一万三六九一円であって、差異がある。

(二)  原告代表者は、原告が立替金であると主張しているもの(別表11)のうちには、甲田家が支払いをしているものが混入しているとして、昭和五五年四月二〇日のいとう屋への二〇万円、昭和五六年六月二〇日の鈴乃屋への二八万二三〇〇円及び昭和五八年八月一一日の中央自動車への六四万円は、甲田家が直接支払っており、立替金ではない旨認めている。また、いずれも日本サンバース株式会社への昭和五七年一二月一日の一二二万円、昭和五八年二月三日の二五万円及び同年五月三一日の五万六〇〇〇円の支払いについては、誰が支払ったのか良く分からない、記憶がないなどと供述している。

証人甲田敏一も、右の中央自動車への支払いに充てた金員は、原告代表者が甲田敏一宅へ持参したと証言している。

(三)  前記乙第五〇号証によれば、株式会社柏川久の役員は、関東信越国税局訟務官に対して、別表11の昭和五六年九月二四日の一九五万六〇〇〇円の取引及び同年一二月二八日の取引のうち一二六万六〇〇〇円の購入について、原告代表者及びその娘が着用するために購入された商品についての取引であると述べていることが認められる。

また、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第五三号証によれば、株式会社いとう屋取手店の店長は、関東信越国税局訟務官に対して、同店からの購入品は長谷はつの着用する衣料品であると述べていることが認められる。

さらに、弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第五四号証によれば、別表11の昭和五四年一二月の六万円の贈答品の購入先である熊田規矩夫は、関東信越国税局訟務官に対して、この贈答品(りんご)は全部長谷家の歳暮用の贈答品であると述べていることが認められる。

そして、これらの購入先の陳述が信用できないと考える根拠はない。原告代表者は、川久から購入した品物のうち留袖と訪問着は自分と甲田旬子が二人で着用するためのものであるが、それ以外は甲田家の者が着用するものである、いとう屋からの買物も甲田家のためのものである、熊田規矩夫から購入した歳暮用のりんごのうち六万円は甲田家で購入したものである、と供述しているが、信用することができない。

(四)  証人甲田敏一は、原告主張の立替えの事実について、話しは聞いていると証言しているが、誰が、どのような物を、いつ頃、どこから購入したのかという詳細については、知らないとか忘れたとか証言している。しかし、原告がその主張に係る立替金についての領収書等であるとして提出している甲第七三号証の一ないし三八の中には、結城紬合計二二六万四〇〇〇円(一及び二)、翡翠一二二万円(三四)、ダイヤ二五万円(三五)、毛皮コート七八万円(三六)等が含まれており、自分の家族によるこのような高価な品物の購入について、ほとんど何も知らないというのは納得することができない。

また、右証言によれば、同人は米屋を営んでおり、昭和五五年当時は赤字経営であって、大売出しの期間中に区の連帯責任によって融資を受ける制度を利用して一〇〇万円位を仮り受け、ようやく営業を維持していたような状況であったことが認められる。このような経済状態にあった甲田家において、右のような高額の品物を購入することは考えられないことである。

甲田家の経済状態については、原告代表者も苦しい状態であったと認めているし、成立に争いのない甲第三三ないし第三九号証の各一、二、第五六、五七号証の各一、二、第五九、六〇号証の各一、二によれば、昭和五三年から五六年の所得税の確定申告書では、所得金額は甲田敏一が最も多い年で一七〇万円(事業所得である。ただし、この外に事業専従者甲田旬子への三八万円ないし五五万円の給与の支給があるとされている。)、甲田三郎兵衛が最も多い年で三二万円(不動産所得)とされていることが認められるから、決して裕福なものではなかったと考えられる。

(五)  前記乙第四八号証の一ないし四、第五〇号証、証人金田豊の証言及び原告代表者の本人尋問の結果によれば、右領収書等のうら、川久発行のもの(甲第七三号証の二八ないし三〇)は、株式会社柏川久が昭和五八年一一月頃、原告代表者の依頼により、長谷商事宛であったものを甲田宛に書き変えて再発行したものであること、株式会社柏川久は、同社に保管されていた仕切書についても、原告代表者の依頼により、長谷ひろ子宛であったものを甲田宛に書き変え、さらにその後住所を取手市から野田市に書き変えたこと、株式会社奥庄発行の領収書(甲第七三号証の一、二)及び日本サンバース株式会社発行の領収書(甲第七三号証の三四、三五及び三七)も本件税務調査開始後に原告代表者の依頼により宛名を長谷ひろ子から甲田に変えて再発行されたものであることが認められる。

前記乙第四九号証の二(川久の昭和五九年一月一五日付「申立書訂正願」)には、乙第四八号証の一の申立書は、調査官に二時間も調査され、調査官の下書きどおり書かないと脱税ほう助になると言われ、怖くなり書いたので、事実と反する旨の記載があるが、証人金田豊の証言と対比して信用できない。

なお、甲第七三号証の一ないし三八の領収書等の中には、「甲田分」あるいは「甲田旬子分」と記載され「甲田」という印が押捺されているものがあるが、これが購入当時に記載されたものであることを認めるに足りる証拠はない。むしろ、原告が右のとおり領収書について画策していることからして、この記載も本件調査開始後にされたものと推認される。

(六)  前記認定のとおり、異議申立てについての調査、審理を担当した金田係官に対し、甲田富子は、甲田家において役員報酬によって購入した事実を証明するものとして、数軒の購入品に係る領収書等と翡翠の指輪を提示したにすぎない。

(七)  以上の事実によれば、原告主張の立替金に係る消費が甲田家においてされたものということは疑問であり、むしろその大部分は長谷家においてされたものと考えるのが相当である。そして、仮にその一部が甲田家において消費、使用されているとしても、その代金を原告代表者あるいは原告が立て替え、役員報酬と相殺処理したという事実は認めることができない。

11  桑原らの陳述について

前記認定のとおり、桑原もとは昭和五七年一〇月二五日に、甲田敏一及び旬子は同年九月中と一〇月二五日に、伊藤係官に対して、原告から役員報酬を受領している事実はない旨述べている。

ところが、その後右三名はこの陳述を撤回している。しかし、伊藤係官らの調査に際して右三名が事実に反することを述べざるをえなかった何らかの事情があったことを認めるに足りる証拠はない。

証人甲田敏一は、この点について、役員報酬分の確定申告をしていなかったので、隠そうと思い事実と異なることを述べた、また、一〇月二五日付質問てん末書に記載されているようなことは述べていない、右質問てん末書は読み聞かされたが、上の空で聞いていたと証言している。しかし、質問てん末書に記載されたことを述べていないという点は、到底信用できない。また、役員報酬を受領していることを隠そうと思ったというのであるが、役員報酬が授受されていることが事実であるならば、税務当局が原告側について調査をすれば役員報酬が支払われていることは直ちに判明することであるから、このような一時的な言い逃れは無意味である。したがって、実際に役員報酬を受領していないからこそ、そのとおり述べたものと考えるのが合理的である。

また、前記認定とおり、甲田敏一らが被告に提出した昭和五八年一月三〇日付申立書(甲第四七号証の一、二には、「竜ケ崎税務署の係官から役員報酬ををもらっていないという書類を作成しなければいつ迄も帰らないと言われたので、怖くなり、係官の言うとおりになって書類に署名捺印しました」との記載があるが、証人甲田敏一は、係官が本当にこのようなことを言ったかどうか覚えていないと証言している。

桑原もとも、昭和五八年八月一九日付「質問てん末書訂正書」で、昭和五七年一〇月二五日付質問てん末書に記載されていることは述べたことがないとしているが、右書面は読み聞かされた上で署名捺印しているのであるから、右訂正書は到底採用することはできない。

したがって、前記三名の当初の陳述を撤回した後の書面ないし証言は、信用することができない。

12  確定申告等の状況について

桑原らの昭和五二年分ないし五六年分における所得税又は住民税の申告による所得の内訳が被告主張のとおりであり、同人らは本件役員報酬の受領を前提とした所得税又は住民税の確定申告をしていなかったが、本件税務調査が開始された後に、役員報酬の受給を前提とした確定申告又は修正申告をしたこと、原告は、地方税法三一七条の六の規定によって、給与等の支払者が関係市町村の長に対して提出すべきものとされている給与支払報告書を、桑原らについて提出していないこと(証人伊藤隆一の証言によれば、原告代表者に係る右報告書だけが提出されていこたとが認められる。)は、当事者間に争いがない。

また、前記乙第一一、一二号証、第一四ないし第二一号証、証人甲田敏一の証言及び原告代表者の本人尋問の結果によれば、甲田敏一は昭和五七年一一月二六日に昭和五五年分及び五六年分の修正申告をしたが、その手続は従来から同人が申告の手続等を依頼していた森下税理士ではなく、原告の経理事務等を担当している海老原税理士によってされたものであること、甲田三郎兵衞、旬子の申告も海老原税理士によってされたこと、甲田敏一は右の申告に係る税額がいくらであったかについてさえ記憶していないこと、甲田敏一、三郎兵衞及び旬子の前記申告に係る納税は、右修正申告書提出の四日前の昭和五七年一一月二二日に、右三名の住所地ではなく原告代表者宅の近くの太陽神戸銀行取手支店からされていること、少なくとも甲田敏一分の右税金は原告が支払ったことが認められる。これらの事実によれば、本件調査開始後に提出された桑原らの申告書は、本件役員報酬支払いの事実を仮装するために、原告代表者が海老原税理士にその作成を依頼したものであり、右申告に伴う納税も、甲田敏一分だけでなく、全て原告又は原告代表者が行ったものではないかという疑問がある。

13  原告がいわゆる同族会社であり、代表者と桑原らとが親族同様の関係にあることは当事者間に争いがない。そうすると、原告ないし原告代表者との間において、役員報酬の授受に関し、架空の事実を作り出すことが容易であることは否定できない。

14  役員報酬についての結論

以上2ないし13に述べたところを総合すれば、原告主張のような役員報酬を支給する旨の決議がされ、原告にその支払義務があることも、また実際に原告主張のような役員報酬が支払われたことも認めることはできないといわざるをえない。したがって、原告の主張は、主位的主張も、予備的主張も、いずれも採用することができない。

原告に最も有利に考えたとしても、被告が認定したとおり、桑原もと、甲田敏一、旬子らの当初の陳述に従い、原告は名義上役員である桑原らに対して、名義使用料として、一役員につき毎年八月及び一二月に各一〇万円(一年に二〇万円)を支払うことになっており、そのうちその半額を実際に支給していたと認めることが可能であるにとどまる。

四  本件各処分の適法性

1  本件青色申告承認取消処分

原告は、昭和五三年四月期の法人税について、桑原もと及び甲田三郎兵衞に真実役員報酬を支給していないのに、これを支給しているとして損金の額に計上して申告したものである。したがって、原告は、会計帳簿にもその旨記載しているものと推認することができる(前記乙第一号証によれば、国税不服審判所の調査において、原告の会計帳簿に右役員報酬が計上されていることが認定されこことが認められる。)。

右事実は、法人税法一二七条一項三号に規定する青色申告承認の取消事由である「その事業年度に係る帳簿書類に取引の全部又は一部を隠ぺいし又は仮装して記載し、」との事実に該当するから、本件青色申告承認取消処分は適法である。

2  本件各更正処分(昭和五三年四月期分から五七年四月期分まで)

被告が原告の確定申告による所得金額に加算したもののうち、役員報酬を支給したとして損金の額に算入して申告した金額を加算した点については、前記認定のとおり正当である。

次に、昭和五四年四月期分について、損金として申告に係る事務費のうち三〇〇万円を加算した点は、原告において一八〇万円は損金の額に算入する理由がないことを認めており、残りに一二〇万円も桑原らの役員報酬の一部であるというのであるから、やはり損金の額に算入すべきものではない。

昭和五四年四月期分について、原告が損金の額に算入した欠損金を加算した点は、当該欠損金は昭和五三年四月期において更正処分によって所得金額が増加したことに伴って同期の損金の額に算入済みであるから、正当である。

そうすると、被告が加算した金額はすべて正当であり、原告の本件各係争年度における所得金額についての被告の認定に誤りはないことになるから、本件各更正処分は適法である。

3  本件各重加算税賦課決定処分及び昭和五四年四月期に係る過少申告加算税賦課決定処分

原告が、桑原らに対して役員報酬を支給していないにもかかわらず、これを支給したものとして損金の額に算入して申告したことは、国税通則法六八条一項にいう、法人税の「課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき納税申告書を提出し」たものというべきであるから、原告は、昭和五三年四月期から五七年四月期までの事業年度において重加算税を賦課されることになる。

昭和五四年四月期を除く年度については、重加算税の基礎となる税額及び重加算税額が被告主張のとおりとなることは明らかである。

昭和五四年四月期についての重加算税額及び過少申告加算税も、以下のとおり、被告主張のとおりである。

まず、本件更正処分により納付すべき法人税額は、審査請求に対する裁決後の法人税額六〇一万六四〇〇円から確定申告による法人税額二三万六八〇〇円を控除した五七七万九六〇〇円である。

次に、本件更正処分により増加した所得の金額は、重加算税対象分が一三五九万〇七六二円であり(役員報酬の損金不算入額一四一六万円に繰越欠損金の損金不算入額二三万〇七六二円を加え、雑費の損金算入額すなわち役員名義料八〇万円を控除する。)、過少申告加算税対象分が二七〇万四五九〇円となる(事務費の損金不算入額三〇〇万円から事業税の損金算入額二九万五四一〇円を控除する。)。

本件更正処分により納付すべき法人税額のうち、隠ぺい又は仮装されていない部分の税額は、確定申告による所得金額八四万六〇〇七円に前記二七〇万四五九〇円(増加した所得のうち過少申告加算税対象分)を加え、この合計額三五五万円(国税通則法一一八条一項により一〇〇〇円未満を切り捨てる。)に税率二八パーセント(昭和五六年法律第一二号による改正前の法人税法六六条二項)を乗じ、これから確定申告による法人税額二三万六八〇〇円を控除して七五万七二〇〇円となる(国税通則法施行令二八条一項)。

重加算税対象税額は、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六八条一項により、本件更正処分により納付すべき法人税額五七七万九六〇〇円から右七五万七二〇〇円(隠ぺい又は仮装以外の部分の法人税額)を控除して、五〇二万円となる(五〇二万二四〇〇円であるが、昭和五四年四月期の重加算税の額は、昭和六一年六月九日に裁決時に一部取り消され新たに再計算されたため、現行国税通則一一八条三項により、一万円未満切捨てとなる。)。そして、重加算税額は、右五〇二万円に税率三〇パーセント(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六八条一項)を乗じて一五〇万六〇〇〇円となる。

過少申告加算税対象額は本件更正処分により納付すべき法人税額五七七万九六〇〇円から重加算税対象税額五〇二万二四〇〇円を控除して七五万七〇〇〇円となる(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法一一八条三項により、一〇〇〇円未満の切捨てとなる。)。そして、過少申告加算税額は、右七五万七〇〇〇円に税率五パーセント(昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六五条一項)を乗じて四万七八〇〇円となる(現行国税通則法一一九条一項により、一〇〇円未満切捨てとなる。)

したがって、本件各重加算税賦課決定処分及び昭和五四年四月期に係る過少申告加算税賦課決定処分は、いずれも適法である。

4  本件通知処分

本件青色申告承認取消処分は適法であるから、原告は昭和五八年四月期に生じた欠損金について法人税法八一条の規定の適用を受けることができないことは明らかである。

したがって、本件通知処分は適法である。

5  昭和五九年四月期の更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分

原告の確定申告の内容が被告主張のとおりであったことは、原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

そして、本件青色申告承認取消処分は適法であるから、原告は法人税法五七条一項の適用を受けることはできず、被告が欠損金当期控除額を当期の所得金額に加算したことは正当である。

したがって、昭和五九年四月期の更正処分及びこれに伴う過少申告加算税賦課決定処分は適法である。

6  本件納税告知処分及び本件不納付加算税賦課決定処分

(一)  原告が桑原らに支払ったとしている役員報酬のうち、使途の明らかなもの(未払金として処理した額、桑原らに対し名義使用料として支払った額並びに長谷ひろ子及び長谷はつの未払役員報酬の支払いに充てた額)を控除した額については、その使途について何ら原告による説明がないから、被告がこれを長谷ひろ子への給与支給額であると認定したことは相当である。

(二)  また、桑原らに対する役員報酬に係る未払金として原告が支払ったとしている金額のうち、当月分役員報酬額を超えて支払われた金額(これが被告主張のとおりであることは前記乙第五九号証によって認められる。原告がこの金員の支出をしていることは当事者間に争いがない。)は、原告から社外に支出された使途不明金であるといわざるをえない。

乙第五九号証によれば、原告は昭和五五年八月に長谷はつに対し当月の同人に対する役員報酬額五〇万円を五万三七〇〇円上回る五五万三七〇〇円を支払ったと経理処理していることが認められる。しかし、前記乙第八号証及び弁論の全趣旨によって成立が認められる乙第六〇号証によれば、昭和五二年五月以降原告から長谷はつの預金口座に毎月役員報酬月額五〇万円から源泉所得税相当額五万四三〇〇円を控除した四四万五七〇〇円が振り込まれていることが認められ、同人に対する未払金は存在しないから、この五万三七〇〇円も原告から社外に支出された使途不明金であると認めることができる(原告が昭和五五年八月頃、長谷はつに対する未払役員報酬の支払いであるとして五万三七〇〇円を支出していることは当事者間に争いがない。)。

そして、これらの使途不明金についても原告による使途の説明はないから、長谷ひろ子に対する給与として支払われたものと認めることができる。

(三)  以上(一)、(二)の金額について、これを長谷ひろ子に対する給与であると認定する根拠として被告の主張するところ(別紙準備書面(三)、第七、二、2及び準備書面(十)第一、三)は首肯することができる(右準備書面掲記の証拠のうち、項第七七号証は成立に争いがない。)。

(四)  右の長谷ひろ子に対する給与に係る源泉所得税額の計算過程として被告が主張するところ(別紙準備書面(十一)は正当として是認することができる。

なお、原告の自主納付額は原告の存在と成立の争いのない乙第六二号証の一ないし一四によって認めることができる(各月分のものとして納付したもののほかに、数か月分を一括して納付したものがあるが、これについては各月分に振り分けてある。)。

原告に還付した金額とその各月への振り分けは、弁論の全趣旨によって原本の存在と成立が認められる乙第六三号証の一、二によって認められる。

原本の存在と成立に争いのない乙第六四号証の一ないし五及び第六五号証の一ないし四によれば、長谷ひろ子及び長谷はつには控除対象配偶者及び扶養親族並びに障害者及び老年者等に該当する者がいないことが認められる。また、原本の存在と成立に争いのない乙第六六号証の一ないし五及び第六七号証の一ないし四によれば、長谷ひろ子及び長谷はつには給与等から控除すべき社会保険料がないことが認められる。

(五)  そうすると、本件納税告知処分によって原告が納付すべきものとされた源泉所得税の金額は、原告の納付すべき源泉所得税の金額と同額又はこれを下回るから、本件納税告知処分は適法である。

また、原告が右納税告知に係る源泉徴収税額を法的納期限までに完納しなかったことは当事者間に争いがないから、本件不納付加算税賦課決定処分も適法である。

五  結論

以上述べたとおり、本件各処分はいずれも適法であるから、その取消を求める原告の各請求は理由がない。

よって、本件各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 矢崎秀一 裁判官 山﨑まさよ 裁判官 神山隆一)

別表1

自昭五二・五・一 至昭五三・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

別表2

自昭五三・五・一 至昭五四・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

別表3

自昭五四・五・一 至昭五五・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

別表4

自昭五五・五・一 至昭五六・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

備考

昭和五九年六月六日付け審査請求は、同年四月二六日付け再更正、賦課決定処分に対しなされた異議申立てについて国税通則法九〇条の規定を適用し、みなし審査請求とされたものである。

別表5

自昭五六・五・一 至昭五七・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

別表6

自昭五二・五・一 至昭五三・四・三〇

事業年度以後の青色申告の承認の取消処分の経緯

<省略>

別表7

欠損金の繰戻しによる還付請求に理由がない旨の通知処分の経緯

<省略>

別表8

源泉所得税の納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分の経緯

<省略>

別表9

源泉所得税の納税告知処分等(別表8)の内訳

<省略>

別表一〇

自昭五八・五・一 至昭五九・四・三〇

事業年度分課税の経緯

<省略>

別表11

購入資金立替金一覧

<省略>

準備書面(一)

被告は、原告に対する昭和五三年四月期(昭和五二年五月一日から昭和五三年四月三〇日までの事業年度)以後における法人税の青色申告承認の取消処分(以下「本件青色承認取消処分」という。)昭和五三年四月期・昭和五四年四月期(昭和五三年五月一日から昭和五四年四月三〇日までの事業年度)・昭和五五年四月期(昭和五四年五月一日から昭和五五年四月三〇日までの事業年度)・昭和五六年四月期(昭和五五年五月一日から昭和五六年四月三〇日までの事業年度)及び昭和五七年四月期(昭和五六年五月一日から昭和五七年四月三〇日までの事業年度)の各事業年度に係る法人税の更正処分及び重加算税の賦課決定処分(昭和五三年四月期分を除きいずれも審査裁決後のものをいい、それぞれ「本件更正処分」及び「本件重加算税賦課決定処分」という。)、昭和五四年四月期に係る過少申告加算税の賦課決定処分(以下「本件過少申告加算税賦課決定処分」という。)、昭和五八年九月一四日付け欠損金の繰戻しによる還付請求に理由がない旨の通知処分(以下「本件通知処分」という。)、昭和五八年六月二七日付け源泉所得税の納税告知処分及び不納付加算税の賦課決定処分(いずれも審査裁決後のものをいい、それぞれ「本件納税告知処分」及び「本件不納付加算税賦課決定処分」という。)の根拠及び適法性について、次のとおり主張する。

第一 本件青色承認取消処分の根拠及び適法性について

原告は、従前より青色申告の承認を受けていたことから、昭和五三年四月期分の法人税について青色の確定申告書により申告をした。

ところで、被告が右申告について調査したところによれば、原告は後記第二、一及び第三において述べるとおり、取締役桑原もと及び同甲田三郎兵衞両名に真実役員報酬を支給していないのにかかわらず、これを支給したかのごとく仮装して原告の会計帳簿に計上し、これを損金の額に算入して申告した。

右事実は、法人税法一二七条(青色申告の承認の取消し)一項三号に規定する青色申告の承認の取消事由である「その事業年度に係る帳簿書類取引の全部又は一部を隠ぺい又は仮装して記載し、」との事実に該当するものである。

そこで、被告は昭和五八年六月二七日付けで本件青色承認取消処分をなしたものであり、同処分は適法なものである。

第二 本件各更正処分の根拠及び適法性について

一 昭和五三年四月期分

原告の当期における所得金額は、次表のとおり四四四万九二三八円であって、本件更正処分における金額と同額であるから、同処分は適法である

<省略>

1 所得金額 〇円

原告が昭和五三年六月三〇日付けで被告に提出した当期における法人税の確定申告書に記載されていた所得金額である。

2 本件役員報酬の損金不算入額 五〇八万円

原告は、当期において、取締役桑原もと及び同甲田三郎兵衞両名に対し、別紙一、当期欄記載のとおり、合計五〇八万円の役員報酬を支給をしたとし、これを損金の額に算入し申告をした。

しかしながら、後記第三において述べるとおり、右両名が原告から右役員報酬の支払を受けた事実はないので、右五〇八万円を原告の申告所得金額に加算したものである。

3 雑費の損金算入額 四〇万円

原告は、当期において、右両名に対しそれぞれ二〇万円宛、合計四〇万円を役員名義使用料として支払うことしていたのであるが、右四〇万円を損金の額に算入しないで申告をしていたので、同金額を原告の申告所得金額から減算したものである。

4 繰越欠損金の損金算入額 二三万七六二円

原告は、昭和五一年五月一日から昭和五二年四月三〇日までの事業年度(以下「昭和五二年四月期」という。)において生じた欠損金六一万一一七円のうち三七万九三五五円を法人税法五七条(青色申告書を提出した事業年度の欠損金の繰越し)の規定に基づいて当期の額に算入し、残額の二三万七六二円を翌事業年度以降に繰り越す欠損金として申告をした。

ところで、当期の更正処分により、所得金額が増加したことに伴い、昭和五二年四月期において生じた欠損金はその全額が当期の損金の額に算入されることとなった。

そこで被告は、昭和五二年四月期に生じた欠損金のうち、原告が翌事業年度以降に繰り越すこととした欠損金二三万七六二円を欠損金の損金算入額として原告の申告所得金額から減算したものである。

5 所得金額 四四四万九二三八円

右所得金額は、前記1の申告額に加算金額2を加え、当該金額から減算金額の3及び4を控除した金額であり、被告が本訴で主張する原告の当期における所得金額である。

二 昭和五四年四月期分

原告の当期における所得金額は次表のとおり一七一四万一三五九円であって、本件更正処分における所得金額と同額であるから、同処分は適法である。

<省略>

1 所得金額 八四万六〇〇七円

原告が昭和五四年六月三〇日付けで被告に提出した当期における法人税の確定申告書に記載されていた所得金額である。

2 本件役員報酬の損金不算入額 一四一六万円

原告は、当期において取締役桑原もと、同甲田三郎兵衞、同甲田旬子及び同桑原進に対し別紙一、当期欄記載のとおり、合計一四一六万円の役員報酬を支給したとしてこれを損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、後記第三において述べるとおり、右桑原もとら四名の者が原告から右役員報酬の支払いを受けた事実はないので、原告が右桑原もとら四名に対する役員報酬として損金の額に算入した一四一六万円を原告の申告所得金額に加算したものである。

3 事務費の損金不算入額 三〇〇万円

原告は、当期において事務費三二二万二二九〇円を損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、右申告額のうち三〇〇万円はその使途が明らかでなく、事務費として損金の額に算入する理由が認められないので、これを原告の申告所得額に加算したものである。

4 繰越欠損金の損金不算入額 二三万七六二円

原告は、当期において昭和五二年四月期において生じた欠損金二三万七六二円を損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、前記一、4で述べたとおり、右欠損金二三万七六二円は、昭和五三年四月期において損金の額に算入ずみであるから、原告が損金の額に算入した欠損金二三万七六二円を原告の申告所得に加算したものである。

5 雑費の損金算入額 八〇万円

原告は、当期において前記桑原もとら四名に対しそれぞれ二〇万円宛合計八〇万円を役員名義使用料として支払うこととしていたのであるが、右八〇万円を損金の額に算入しないで申告をしていたので、右金額を原告の申告所得金額から減算したものである。

6 事業税の損金算入額 二九万五四一〇円

昭和五三年四月期の更正処分額に見合う事業税二九万五四一〇円を当期の所得金額から減算したものである。

7 所得金額 一七一四万一三五九円

右所得金額は、前記1の申告額に加算金額である2ないし4を加え、当該金額から減算金額である5及び6を控除した金額であり、被告が本訴で主張する原告の当期における所得金額である。

三 昭和五五年四月期分

原告の当期における所得金額は次表のとおり一三八〇万六五二円であって、本件更正処分における所得金額と同額であるから、同処分は適法である。

<省略>

1 所得金額 一三五万一八一二円

原告が昭和五五年六月三〇日付けで被告に提出した当期における法人税の確定申告書に記載されていた所得金額である。

2 本件役員報酬の損金不算入額 一六七四万円

原告は、当期において取締役桑原もと、同甲田三郎兵衞、同甲田旬子、同桑原進及び同甲田敏一に対して、別紙一、当期欄記載のとおり、合計一六七四万円の役員報酬を支給したとし、これを損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、後記第三において述べるとおり、右桑原もとら五名が原告から右役員報酬の支払いを受けた事実はないので、原告が右桑原もとら五名に対する役員報酬として損金の額に算入した一六七四万円を原告の所得金額に加算したものである。

3 雑費の損金算入額 八〇万円

原告は、当期において右桑原もと、甲田三郎兵衞及び甲田旬子に対してそれぞれ二〇万円宛合計六〇万円、桑原進及び甲田敏一に対し合計二〇万円を役員名義使用料として支払うこととしていたのであるが、右総合計金額八〇万円を損金の額に算入しないで申告をしていたので、同金額を原告の所得金額から減算したものである。

4 雑収入計上額の損金算入額 一八〇万円

原告は、昭和五四年四月期において損金の額に算入して申告した雑費の額のうち一八〇万円を当期分の雑収入として益金の額に算入して申告をした。

しかしながら、前記二、3で述べたとおり、右一八〇万円は、被告が昭和五四年四月期において所得金額に加算した事務費の額三〇〇万円のなかに含まれているから、原告が益金の額に算入した一八〇万円を原告の申告所得金額から減算したものである。

5 事業税の損金算入額 一六九万一一六〇円

昭和五四年四月期の更正処分額に見合う事業税一六九万一一六〇円を当期の所得金額から減算したものである。

6 所得金額 一三八〇万六五二円

右所得金額は、前記1の申告額に加算金額2を加え、当該金額から減算金額3ないし5を控除した金額であり、被告が本訴で主張する原告の当期における所得金額である。

四 昭和五六年四月期分

原告の当期における所得金額は次表のとおり一七八四万二五〇二円であって、本件更正処分における所得金額と同額であるから、同処分は適法である。

<省略>

1 所得金額 二一四万二四四二円

原告が昭和五六年六月三〇日付けで被告に提出した当期における法人税の確定申告書に記載されていた所得金額である。

2 本件役員報酬の損金不算入額 一七七六万円

原告は当期において取締役桑原もと、同甲田三郎兵衞、同甲田旬子及び同甲田敏一に対して別紙一、当期欄記載のとおり、合計一七七六万円の役員報酬を支給したとし、これを損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、後記第三において述べるとおり、右桑原もとら四名が原告から右役員報酬の支払を受けた事実はないので、原告が桑原もとら四名に対する役員報酬として損金の額に算入した一七七六万円を原告の所得金額に加算したものである。

3 雑費の損金算入額 八〇万円

原告は、当期において右桑原もとら四名に対してそれぞれ二〇万円宛合計八〇万円を役員名義使用料として支払うこととしていたのであるが、右八〇万円を損金の額に算入しないで申告をしていたので、同金額を原告の所得金額から減算したものである。

4 事業税の損金算入額 一二五万九九四〇万円

昭和五五年四月期の更正処分額に見合う事業税一二五万九九四〇円を当期の申告所得金額から減算したものである。

5 所得金額 一七八四万二五〇二円

右金額は、前記1の申告額に加算金額2を加え、当該金額から減算金額3及び4を控除した金額であり、被告が本訴で主張する原告の当期における所得金額である。

五 昭和五七年四月期分

原告の当期における所得金額は次表のとおり二二三九万五八〇六円であって、本件更正処分における所得金額と同額であるから、同処分は適法である。

<省略>

1 所得金額 二三三万三三一六円

原告が昭和五六年六月三〇日付けで被告に提出した当期の法人税の確定申告書に記載されていた金額である。

2 本件役員報酬の損金不算入額 二二五六万円

原告は、当期において取締役桑原もと、同甲田三郎兵衞、同甲田旬子及び同甲田敏一に対して、別紙一、当期欄記載のとおり、合計二二五六万円の役員報酬を支給したとし、これを損金の額に算入して申告をした。

しかしながら、後記第三において述べるとおり、右桑原もとら四名が原告から右役員報酬の支払いを受けた事実はないので、原告が桑原もとら四名に対する役員報酬として損金の額に算入した二二五六万円を原告の申告所得金額に加算したものである。

3 雑費の損金算入額 八〇万円

原告は、当期において右桑原もとら四名に対してそれぞれ二〇万円宛合計八〇万円を役員名義使用料として支払うこととしていたのであるが、右八〇万円を損金の額に算入しないで申告をしていたので、同金額を原告の申告所得金額から減算したものである。

4 事業税の損金算入額 一六九万七五二〇円

昭和五六年四月期の更正処分額に見合う事業税一六九万七五二〇円を当期の所得金額から減算したものである。

5 所得金額 三二三九万五八〇六円

右所得金額は、前記1の申告額に加算金額2を加え当該金額から減算金額3及び4を控除した金額であり、被告が本訴で主張する当期の所得金額である。

第三 役員報酬の損金不算入について

一 原告は、前記第二において述べたとおり昭和五三年四月期から昭和五七年四月期までの各事業年度における法人税の確定申告に当たり、別紙1のとおり、桑原もとら五名の非常勤役員に対し、役員報酬を支払ったとし、これを損金の額に算入して申告をした。

二 被告は、原告の右各期における非常勤役員に対する役員報酬などの給料科目の額が、収入金額に比較して多額であるうえ、原告の代表取締役である長谷ひろ子や常勤役員である長谷はつらの役員報酬と比較しても、多額であることなどから調査を実施した。

三 その結果、以下、1ないし6に述べる事実により、原告が右桑原もとら五名の非常勤役員に対し役員報酬を支給していないのにかかわらず、これを支給したと仮装して原告の右各期の会計帳簿に計上し、かつ損金として経理していたことが認められた。

1 被告の調査担当者が、昭和五七年九月八日桑原もと、甲田敏一及び甲田旬子と面接・調査した際、同人らはいずれも同担当者に対し原告から本件役員報酬を受給していない旨答述し、更に、同担当者が同年一〇月二五日再度、桑原もと及び甲田敏一と面接・調査した際同人らは同担当者に対し再び同一の答述をしたこと。なお、同担当者は二回目の調査の際右答述を主な内容とする質問てん末書を、作成している。

2 地方税法三一七条の六(給与支払報告書の提出義務)の規定によれば、給与の支払を受けている者について、その支払者は、その給与所得の金額を給与支払報告書に記載して関係市町村に提出しなければならないとされているところ、原告は、昭和五七年九月八日現在において、本件役員報酬に係る給与支払報告書を関係市町村長に提出していなかったこと。

3 右桑原もとら五名の昭和五二年分ないし昭和五六年分における所得税又は住民税の申告による所得の内訳は次表のとおりであり、同人らは本件役員報酬の受給を前提とした所得税又は住民税の確定申告をしていなかったこと。

なお、同人らは、本件更正処分等のための調査が開始された後において、役員報酬の受給を前提とした確定申告又は修正申告を行っている。

<省略>

4 不動産賃貸業を主たる内容とする原告の事業内容から、右桑原もとら五名の者が、原告の日常の業務に従事していたとは考えられず、実際にも同人らが原告の業務に従事していたことを証する書類のなかったこと。

5 桑原もと及び甲田三郎兵衞の両名については、昭和五三年四月期ないし同五七年四月期の全期間を通じ、毎月原告から本件役員報酬の全額又は一部に相当する金額が、太陽神戸銀行取手支店の右両名らの名義普通預金(以下「両普通預金」という。)口座にそれぞれ振り込まれた外形をとっているものの、両普通預金の印鑑届の住所欄に記載された住所「取手市取手二丁目一〇番二五号」は、いずれも原告の代表者である長谷ひろ子の住所と同一であり、かつ、同人が両普通預金の通帳及び印鑑を管理し、入出金手続きを行っており、さらに両普通預金から次表のとおり前記両名らと無関係に使途に充てるための払戻しの事実があることなどから、両普通預金は、名義人である同人らに帰属するものでないこと。

<省略>

6 原告はいわゆる同族会社であり、代表者長谷ひろ子と桑原もとら役員とは、別紙二のとおり親族同様にあり、架空の事実を作出しやすい状況にあったこと。

被告は、以上の諸事実により、原告から桑原もとら五名の役員に対する役員報酬の支払いはなかったものと認定した次第である。

準備書面(一)の

別紙1

原告申告にかかる本件役員報酬月別内訳表

<省略>

別紙2 役員等身分関図

<省略>

準備書面(二)

第四 本件各重加算税賦課決定処分の根拠及び適法性について

原告は、被告が、その準備書面(一)の第二及び第三で主張したとおり、本件係争各事業年度において、真実は桑原もとらの非常勤役員に対し役員報酬を支給していないのにもかかわらず、これを支給したものとして損金の額に算入して申告をしていたものである。このことは、法人税の課税標準等又は税額等の計算の基礎となるべき事実の一部を隠ぺいし、又は仮装し、その隠ぺいし、又は仮装したところに基づき本件係争各事業年度に係る法人税の確定申告書を提出していたことにほかならないので、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)六八条一項の規定が適用されるものである。

ところで、右重加算税の額の計算の基礎となるべき法人税額は別紙の<1>欄記載のとおりであるところ、右各税額(国税通則法一一八条三項の規定に基づき一万円未満切り捨て、ただし、昭和五三年四月期については昭和五九年法律第五号改正前の規定により一〇〇〇円未満切り捨て)に一〇〇分の三〇の割合を乗じて計算した別紙の<3>欄記載の重加算税額となり、これと同額の重加算税を賦課決定した本件各処分は、適法である。

第五 本件過少申告加算税賦課決定処分の根拠及び適法性について

被告は、昭和五四年四月期に係る更正処分をしたことに伴い納付すべき本税の額五七七万九六〇〇円のうち七五万七〇〇〇円(昭和五九年法律第五号改正前の国税通則法一一八条三項の規定により一〇〇〇円未満切り捨て)について、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの、以下同じ)六五条一項の規定に基づき一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額三七、八〇〇円(同法一一九条の規定に基づき一〇〇円未満切り捨て)を過少申告加算税として賦課したものであるから、本件過少申告加算税の賦課決定処分は適法である。

第六 本件通知処分の適法性について

原告は、被告に対し昭和五八年四月期分の法人税について青色申告書である確定申告書を法定申告期限内に提出すると同時に、当該事業年度に生じた欠損金について法人税法八一条に基づき欠損金の繰戻しによる還付請求書を提出した。

しかしながら、法人税法八一条の規定は、青色申告の承認を受けた納税者に対してのみ適用されるものであるところ、被告は昭和五八年六月二七日付けで原告の昭和五三年四月期以後の法人税の青色申告の承認の取消し処分をしているので、原告の昭和五八年四月期において生じた欠損金については右規定の適用を受けることはできないことはいうまでもない。したがって、被告が昭和五八年九月一四日付けでした右欠損金の繰戻しによる還付請求は理由がない旨の通知処分は適法である。

準備書面(二)の別紙

重加算税一覧表

<省略>

準備書面(三)

第七 本件納税告知処分の根拠及び適法性について

一 本件納税告知処分の内容は別紙一のとおりである。

二 本件納税告知処分の根拠について

原告は、別紙二の「年月分」欄記載の年月に「長谷ひろ子への給与支払合計額」欄記載の金額(別紙二、<12>欄)を同人に対し、給与として支払っていたものであり、その支払形態等は、次のとおりである。

1 給与の支払形態について

(一) 原告は、本件納税告知処分に係る各月において、桑原もとら非常勤役員に対し報酬として別紙二の<1>欄記載の金額(各人ごとの内訳は、被告準備書面(一)添付の別紙1参照。)を支払ったとして、これを損金の額に算入して申告したが、被告がその準備書面(一)の第三で述べたとおり、原告が右報酬に相当する金額を桑原もとに支給した事実はない。

ところで、右報酬額(別紙二、<1>欄)のうち、右報酬について、未払金として処理した額(別紙二、<2>欄)、桑原もとら非常勤役員に対し名義使用料(被告準備書面(一)の第二中一の3、二の5、三の3、四の3及び五の3参照)として支払った額(別紙二、<3>欄)並びに長谷ひろ子及び長谷はつの未払役員報酬の支払いに充てた額(別紙二、<4>、<5>欄)などの使途の明らかなものを控除した額が、本件納税告知処分において、長谷ひろ子への給与支給額と認定した金額であるところ、同金額は本件納税告知処分に係る各月において、太陽神戸銀行取手支店の原告名義の普通預金から引き出されて、そのうち三四万円が同支店の桑原もと名義の普通預金及び甲田三郎兵衞名義の普通預金(以下「両普通預金」という。)口座へそれぞれ一七万円づつ振り込まれ(別紙二、<7>欄、なお、実際の振込み金額は、一七万円から源泉所得税九一八〇円を控除した一六万八二〇円である。)、その残額(別紙二、<8>欄)が現金で支出されその使途は不明である。

(二) また、原告は、前記未払金として処理した金額のうち、別紙二の<9>欄記載のとおり、金員の支出をしているところ、被告が準備書面(一)の第三、三、1で主張したとおり、桑原もとら非常勤役員に対し右金員が支払われたことはないので、その使途は不明である。

(三) 更に、原告は、昭和五五年八月に五万三七〇〇円を支出し、これを長谷はつに対する未払役員報酬の支払いである旨の経理処理をしているところ、長谷はつに対する同月分までの役員報酬はすでにその全額が原告から支払い済みで同人に対する報酬の未払金はなく右五万三七〇〇円が長谷はつに支払われたものと認めることはできないので、その使途は不明である。

(四) 右(一)ないし(三)で主張した両普通預金へ振り込まれた金額(別紙二、<7>欄)及び使途不明な金額(別紙二、<8>、<9>及び<10>欄)の合計額(別紙二、<12>欄)は、後記2のとおり長谷ひろ子に対し支払われたものである。

2 長谷ひろ子への給与として支払われたことについて

(一) 原告が原告名義の普通預金から振り込んだ両普通預金が長谷ひろ子に帰属するものであることは、被告がその準備書面(一)の第三、三、5で主張したとおり、同預金の名義人である桑原もと及び甲田三郎兵衞らに帰属するものではないこと、かえって、両普通預金の印鑑届の住所欄には、いずれも長谷ひろ子の住所である「取手市取手二丁目一〇番二五号」と記載されていて、しかも同人が両普通預金の通帳及び印鑑を管理し入出手続きを行い、両普通預金の払戻し金の中には長谷ひろ子の家族の者の固定資産税が支払われていることから明らかである。

そうすると、長谷ひろ子の預金である両普通預金に振り込まれた各月の三四万円(ただし昭和五四年一二月については二八万五〇〇〇円が長谷ひろ子に給与として支払われたものであることはいうまでもない。

(二) その余の使途不明に係る金額は、次のとおり長谷ひろ子に給与として支払われたものということができるのである。

すなわち、原告は、長谷ひろ子を中心とする同族会社で、長谷ひろ子が原告の経理・業務等の一切を一人で掌握していたこと、右使途不明に係る金額相当のものが、原告の資産の取得や経費又は負債の支払いで充てられた形跡はないこと、前述したとおり、桑原もとら非常勤役員に支払ったとする報酬の額のうち、各月三四万円は長谷ひろ子に帰属する両普通預金へ振り込まれていること及び原告において、右使途不明金の使途について、何等合理的な説明がなされたことがないことを総合勘案すると、右使途不明に係る金額は、長谷ひろ子に対して給与として支払われたものということができるのである。

三 本件納税告知処分の適法性について

被告は、原告が前記二で述べた長谷ひろ子への給与に対する源泉所得税を納付していないため、所得税法一八五条一項及び一八六条一項により右給与(報酬及び賞与)に対する源泉所得税を算出のうえ、所得税法二二一条に基づき原告に対し納税の告知を行ったものであるから、本件納税告知処分は適法である。

第八 本件不納付加算税賦課決定処分について

被告は、原告の源泉所得税がその法定納期限までに完納されなかったことから、国税通則第六七条一項に基づき、前記納税告知に係る源泉所得税額(裁決による一部取り消し後のもの。なお、内訳については別紙一、<6>欄参照)に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した金額の不納付加算税(別紙一、<7>欄参照)を賦課決定したものであり、同処分は適法である。

準備書面(三)

(別紙1)

<省略>

準備書面(三)の別紙二

長谷ひろ子に対する給与支払額の月別内訳表

<省略>

準備書面(十)

第一 本件納税告知処分について

本件納税告知処分の根拠及び適法性については、被告準備書面(三)で述べたところであるが、更にふえんして述べる。

一 本件納税告知処分は、原告が本件役員報酬(以下、本準備書面では、原告が主張する報酬増額分を含むものをいう。)のうちから、原告代表者長谷ひろ子(以下「原告代表者」という。)に対し支払った給与に係るものである。

右告知処分に係る給与の支払額は、本準備書面別表1ないし5のうち太線で囲った年月分の<12>欄記載のとおりである。

なお、別表1ないし5は、後記第二の二における賞与と報酬の区分を説明する必要上、本件各事業年度中に支払われた本件役員報酬のすべての年月分について示した。

二 右給与の支払額の計算課程は別表1ないし5のとおりであるが、右各年月分ともその算出根拠は同一であるところ右算出根拠を別表4の昭和五五年一二月分を例にとって、以下のとおり説明する。

なお、右年月分には、同別表<10>欄に該当する金額が存在しないので、右欄についての説明は同五五年八月分を例に後記7においてする。

1 本件役員報酬(同別表の<1>欄)

原告が、桑原もと、甲田三郎兵衛、甲田旬子、及び甲田敏一(以下「本件役員ら」という。)並びに桑原進に支払ったと主張する役員報酬の金額である。右金額が右五名に支払われた事実がないことはすでに詳述したところである。

2 未払金(同別表の<2>欄)

乙第五九号証(原告が審査請求時において、担当審判官に提出した役員報酬の明細並びに支給金額及び未払金額の内訳書)では、原告の昭和五五年一二月分の役員報酬のうち未払額は、二〇万四三〇〇円(本件役員らに対するそれぞれの給与額から支払額(甲田敏一にあっては、給与額と同額)を控除した金額の合計額)であるとされているが、前記1のとおり、本件役員報酬はそもそも本件役員らに支給されるべき事実はないのであるから、右役員らに対する未払額はなく、したがって、本件役員報酬のうち右未払額と称する二〇万四三〇〇円は少なくとも当月においては原告から社外に支出がなかったものである。

3 役員名義使用料(同別表の<3>欄)

昭和五五年一二月当時における本件役員報酬に係る役員は、本件役員ら四名であったところ、被告は、一役員につき盆(八月)暮れ(一二月)の二回にそれぞれ五万円ずつ右四名に役員名義使用料として現金で支払われたと認定したものであり、右金額は本件役員報酬から充てられたものと認められる。

なお、本件各事業年度中の右役員名義使用料のうち、現金で支払った金額の内訳は、別表六のとおりであり、役員名義称料として本件各事業年度で損金の額に(雑費として)算入した額の内訳は、別表七のとおりである。

また、右各別表において八月支払分を「前期分」と一二月支払分を「後期分」とした。

4 原告代表者及び長谷はつの未払役員報酬への充当額(同別表の<4>欄及び<5>欄)

原告は、昭和五五年一二月分の役員報酬のうち、原告代表者は四〇万七四〇〇円、長谷はつは二〇万七四〇〇円の未払額が存在する(乙第五九号証の同人らの給与額から支払額を控除した額)としているが、乙第二四号証の三及び乙第六〇号証によれば、昭和五二年一一月以降原告から右両名の普通預金口座には、右両名の月額役員報酬額各五〇万円から源泉所得税相当額五万四三〇〇円を控除した四四万五七〇〇円の金員がそれぞれ振り込まれており、右両名に対する未払金は存在せず全額支払済となっていることが認められ、また、右各未払金についてこれを右振込によって支払ったとする経理処理が原告の会計帳簿でされていないことから、右各未払金は、本件役員報酬のうちから支払われたものと認められるものである。

5 長谷ひろ子への給与支給額(同別表の<6>欄)

右に述べたことから、原告が当月分に係る本件役員報酬として損金の額に計上した額のうち、原告から社外に支出された金額は、同別表<1>欄の金額から同別表<2>ないし<5>欄の各金額を控除した額四六万九〇〇円となる。

なお、右支払額のうち、原告代表者夫婦のものと認められる桑原もと及び甲田三郎兵衛名義の普通預金口座に対する振込み(実際の振込額は源泉所得税控除後である。)によって支出された額は合計三四万円(同別表の<7>欄)であり、その他の方法によって支出されたのは一二万九〇〇円(同別表の<8>欄)である(ただし、当月以外の月分で同欄の金額に△印が付されたものは、当該月において右両普通預金口座に振り込まれた金員のうち社内(原告)に戻し入れられた金員に相当するものである。)。

6 本件役員報酬に係る未払金の支給額(同別表の<9>欄)

乙第五九号証によれば、原告は甲田敏一に対し、昭和五五年一二月前に発生した同人の本件役員報酬に係る未払金の支払として、当月の同人に対する右報酬相当額三七万円を五七八〇円上回る三七万五七八〇円を支払ったと経理処理しているが、もともと本件役員報酬が同人に支給された事実はないのであるから、当月分役員報酬額三七万円は当月の本件役員報酬のうちから、原告が同人以外に支払ったと認められるが、右額三七万円を超えて支払われた五七八〇円は、原告が当月前に損金の額に計上した本件役員報酬額のうち、当該月には支払われなかったものが当月において当月の本件役員報酬とは別途に原告から社外(甲田敏一以外)に支出された金員である。

7 長谷はつの未払役員報酬の支払額(同別表の<10>欄)

前期のとおり、同表<10>欄に該当する金額については昭和五五年八月を例にとって説明する。

乙第五九号証によれば、原告は長谷はつに対し、昭和五五年八月前に発生した同人の役員報酬に係る未払金の支払として、当月の同人に対する役員報酬額五〇万円を五万三七〇〇円上回る五五万三七〇〇円を支払ったと経理処理しているが、右五万三七〇〇円は前記4で述べたとおり昭和五五年七月までは同人に対する役員報酬の未払がないにもかかわらず支払われたものであるから、原告か本件役員報酬として当月以外の月で計上したもののうちから社外に支出されたものと認められる。

8 本件役員報酬のうち原告代表者に支払われた金額(同別表の<12>欄)

右金額は、以上説明したところに基づき同別表の<6>欄の金額に<9>欄及び<10>欄の金額を加算した金額であり、右算出過程によって算出された別表1ないし5の各<12>欄の金額は、本件役員報酬のうら原告から社外に支出されたもの(以下「本件役員報酬支払額」という。)であって、次の三で述べるところから原告代表者に帰属するものといわざるを得ないものである。

三 本件役員報酬支払額が原告代表者に帰属することについて

1 右役員報酬支払額は、以下に述べる理由から原告代表者に帰属するものと認められる。

(一) 原告は、役員がすべて親族により構成されているいわゆる同族会社であり(甲第一、第七七号証)、原告の業種からしてもともと役員、従業員をさほど必要としないことからすれば本件役員らはいずれも名目上の役員にすぎず、原告代表者の経営に参加していた事実は認められないこと、原告代表者の夫貴は日立家電販売株式会社に勤務する会社員であり(乙第一号証六一丁)、長谷はつは明治二二年生まれの高齢者で、かつ、本件事業年度中の昭和五六年一〇月七日に死亡(当時九二才)していること(乙第一号証六一丁、平成元年九月五日原告代表者本人調書四六丁裏)、原告代表者が賃料の管理を行い(同本人調書二三丁裏)、原告の経理につき税理士にその旨報告していたこと(平成二年一一月二八日同人本人調書九丁裏)等の諸事情にかんがみれば、原告代表者が事業を掌握し、原告の資金を管理していたことは明らかである。

他方、原告は、経理帳簿に日々の取引を継続記録しておらず(平成元年九月五日原告本人調書二五丁裏、二七丁表)、また、原告代表者個人の家計と原告の資金が渾然とし、未分離の状態であったこと(平成元年一一月二八日同人本人調書二丁裏ないし四丁表)等の事実を総合すると、経理担当者でもある原告代表者は、正規の経理処理を経ずに原告の資金を容易に自己の家族若しくは自身の個人的消費に充て得る立場にあったことは明らかである。

(二) 事実、原告が本件役員報酬に係る立替金と称して主張した消費の殆どが長谷家においてされたものであり、しかもその内容に照らすと、原告代表者が本件役員報酬のうちからこれらの消費を行ったものといわざるを得ない。

(三) その他、本件役員報酬の一部が振り込まれている桑原もと及び甲田三郎兵衛名義の普通預金口座から、原告代表者家族の固定資産税及び同人らの消費に充てられ、同じく右両口座から原告代表者及び同人の家族のための振替出金、振替送金、振替による定期預金の設定等がされている。

2 さらに、判例は、同族会社に使途不明金がある場合、会社経営の実験を掌握し、簿外預金も事由に出し入れし得る地位にあった代表者において、これを自己の用途に費消した等何らかの形で代表者に帰属したものとして認定賞与と認めることを肯定し(最高裁昭和五一年一二月七日第三小法廷判決、税務訴訟資料九〇号七三二ページ)、また、代表者の個人会社ないし同族会社と目される法人の簿外資産たる使途不明金については、首肯するにたる合理的な使途の説明がないかぎり、原則として当該使途不明金は、これを代表者個人に対する臨時的給与、すなわち賞与金と推認するを妨げないと判示しており(同旨福岡高裁昭和五二年九月二九日判決、訴訟月報二三巻一一号一九七二ページ、同旨水戸地裁昭和五四年六月一四日判決、税務訴訟資料一〇五号六三〇ページ、高松高裁昭和五七年三月一八日判決、訟務月報二八巻六号一二三二ページ他多数)、右各判断に照らしても、本件役員報酬支払額を原告代表者に帰属するとしてこれを同人の給与とした被告の右認定には合理性があるというべきである。

四 法人の代表者が、その法人から受ける金銭及び経済的利益は、退職金を除き給与に該当し(所得税法二八条、三〇条、三六条)、給与の支払をする者はその支払の際、源泉所得税を徴収し、国に納付することとされている(同法一八三条)。

また、右納付がない場合、税務署長は、その所得税給与支給者から徴収することとなっている(同法二二一条)。被告は、原告から原告代表者に対し支払われた本件役員報酬支払額について、右所得税の納付がなかったところ、右支払額を後記第二の一及び二のとおり給与(報酬)と賞与に区分し、給与(報酬)については所得税法一八五条を、賞与については同法一八六条をそれぞれ適用して所得税額を算出し、右税額について本件納税告知処分を行ったものである。

第二 本件更正処分について

本件更正処分の根拠及び適法性については、被告準備書面(一)の第二で述べたところであるが、更にふえんして述べる。

一 法人税の所得金額の計算においては、給与のうち退職給与以外の給与を給与(報酬)と賞与に区分し(法人税法三四条二項、三五条四項)、役員に支給された給与(報酬)のうち不相当に高額な部分及び役員に支給された賞与は、損金の額に算入しないこととされている(同法三五条一項、同法三四条一項)。

右の賞与と給与(報酬)の区分は、その支給が臨時的なものであるか否かにより判断するものと規定され(同法三五条四項)、右判断は、その支払が専ら臨時的な性格の給与であるか否かという給与の支給形態ないし外形を基準として区分するものと解されている(昭和五六年五月二七日東京高裁判決、税務訴訟資料一一七号四七八ページ)。

また、右不相当に高額な部分とはその法人が社員総会等の決議により報酬支給限度額を定めている場合に右限度額(右限度額が、比準同業者の支給額より多い場合にはその額)を超えて支給した部分と定めている(同法施行令六九条二号)。

二 これを本件役員報酬支払額についてみると、本件役員報酬の原告代表者に対する支払額は、別表1ないし5の各<12>欄に記載した金額となっており、昭和五三年四月期ないし同五五年四月期の各年月分においては、おおむね定額の支給がされていること、昭和五六年四月期及び同五七年四月期の各年月分においては、定額の支給がされているものとは認められないことから、前三期に係る支給は報酬、後二期に係る支給は、臨時的な給与すなわち賞与と認めるのが相当である。

三 ところで、原告は、その社員総会で役員報酬の総額を定め(甲第九四号証)、また、取締役各人の報酬限度額は取締役会に委任し、同取締役会は原告代表者の右限度額を六〇〇万円と定め(乙第六一号証)、右定めに従って、原告は原告代表者に対し公表の役員報酬(原告の会計帳簿に記帳されている同人への報酬)として、本件各事業年度を通じて毎月五〇万円、一事業年度六〇〇万円を支払っている(乙第一号証六三丁、第二四号証の三)。

したがって、本件役員報酬支払額のうち、昭和五三年四月期ないし同五五年四月期に係る右支払額(前記二で報酬と認定した部分)については、右限度額を超えて支払われたものであるから、損金の額に算入することはできず、また、本件役員報酬支払額のうち、昭和五六年四月期及び同五七年四月期に係る右支払額(前記二で賞与と認定した部分)については、役員(原告代表者)に対する賞与であるから、損金の額に算入されないので、これらを本件各事業年度の申告に係る所得金額に加算したものである。

四 本件役員報酬のうち、本件役員報酬支払額を除いた残額は、本件役員報酬がもともと本件役員らに支給されるべきものでない以上同人らに対する未払金も存在せず、また原告のその他の費用に充てられた事実もないことから(別表七の役員名義使用料については、別途損金の額として認容している。)、右残額は損金の額に算入されないので、これを本件各事業年度の申告に係る所得金額に加算したものである。

準備書面(十)の別表1

本件役員報酬に係る長谷ひろ子に対する給与支払額の月別内訳表

昭和53年4月期

<省略>

準備書面(十)の別表2

本件役員報酬に係る長谷ひろ子に対する給与支給額の月別内訳表

昭和54年4月期

<省略>

準備書面(十)の表3

本件役員報酬に係る長谷ひろ子に対する給与支給額の月別内訳表

昭和55年4月期

<省略>

準備書面(十)の表4

本件役員報酬に係る長谷ひろ子に対する給与支給額の月別内訳表

昭和56年4月期

<省略>

準備書面(十)の表5

本件役員報酬に係る長谷ひろ子に対する給与支給額の月別内訳表

昭和57年4月期

<省略>

準備署名(十)の

別表 六(役員名義使用料現金支払金額)

<省略>

準備署名(十)の

別表 七(役員名義使用料)

<省略>

準備書面(十一)

被告は、本件納税告知処分の根拠及び適法性について、被告準備書面(三)及び同準備書面(十)・第一で既に述べたところであるが、原告から原告代表者に支払われた本件役員報酬支払額(被告準備書面(十)別表1の<12>欄)のうち本件納税告知処分に係る年月(以下「本件各月」という。)分に係る源泉所得税の計算過程及び被告主張額について補足し、本件納税告知処分の適法性について、以下のとおりふえんする。

なお、本準備書面において、次の法律は左の略称による。

(法律名) (略称)

昭和五五年法律第八号

による一部改正前の所得税法 五五年改正前所得税法

昭和五六年法律第一一号

による一部改正前の所得税法 五六年改正前所得税法

昭和五九年法律第五号

による一部改正前の所得税法 五九年改正前所得税法

昭和六三年法律第一〇九号

による一部改正前の所得税法 六三年改正前所得税法

第一 本件役員報酬支払額に係る本件各月分の源泉所得税の計算過程及び被告主張額

別紙一に従い、右計算過程を順次説明し、本件役員報酬支払額に係る本件各月分の源泉所得税額について主張する。

一 自主納付額(別紙一の<1>欄)

右各金額は、本件各月において原告が支払った給与に対する源泉所得税額として原告が自主納付したものである(乙六二号証の一ないし一四)。

二 右自主納付した額のうち還付した額(別紙一の<2>欄)

右各金額は、右自主納付した額のうち本件納税告知処分前に被告が原告に対し還付(右還付額は、原告の昭和五七年四月期分に係る法人税に充当)したものである(乙六三号証の一及び二)。

被告が、右金額を還付したのは、原告が本件役員報酬を本件役員ら(甲田三郎兵衞、甲田旬子、甲田敏一、桑原もと及び桑原進)に支給したとして右報酬に対する同役員らの源泉所得税として納付していたものであるが、被告が行った本件法人税調査により右報酬は同役員らに支給されていなかったことが判明したこと並びに原告代表者及び長谷はつに公表で支給した報酬(各月において各五〇万円。以下「公表支給額」という。)に対する源泉所得税額のうち昭和五三年四月及び七月分について各月六〇〇円(証明の合計は二四〇〇円)が過大に納付されていたことによるものである。

三 還付後の自主納付額(別紙一の<3>欄)

右各金額は、原告が自主納付した額から前記二のとおり被告が還付した額を控除した残額(各公表支給額に対する納付すべき源泉所得税額)であり、本件納税告知処分時において原告が納付している給与等に係る源泉所得税額である。

四 原告代表者の総支給額に対する源泉所得税額(別紙一の<4>欄)

1 昭和五三年四月、同七月、同五四年四月、同七月、同八月、同一二月及び同五五年三月分の右金額について

本件役員報酬支払額のうち右各月に支払われたものが報酬であることは、既に被告準備書面(十)・第二・二で述べたとおりであるから、右各月において支給された本件役員報酬支払額の原告代表者に対する公表支給額(月額五〇万円)との合計額に対する源泉所得税額について、同人の扶養控除等申告書(乙六四号証の一ないし三)及び所得税源泉徴収簿(乙六六号証の一ないし三)を基に、六三年改正前所得税法一八五条一項一号イ(賞与以外の給与等に係る徴収税額)の規定を適用し、次表のとおり算定したものである。

なお、右規定中で適用すべき別表は、五五年改正前所得税法の別表第四である。

<省略>

2 昭和五五年八月、同一二月、同五六年四月及び同五七年四月分に係る原告代表者の総支給額に対する源泉所得税額について

本件役員報酬支払額のうち右各月で支払われたものが賞与に該当することは、既に被告準備書面(十)・第二・二で述べたとおりであるから、右賞与に対する源泉所得税額と原告代表者の公表支給額(月額報酬五〇万円)に対する源泉所得税額を、次の(一)及び(二)のとおり算定し、右各月における合計額を同人に係る右各月分の給与等に係る源泉所得税額としたものである。

(一) 賞与に対する源泉所得税額

右各月に支給された賞与(右各月の本件役員報酬支払額)に係る源泉所得税額について、同人の扶養控除等申告書(乙六四号証の三ないし五)及び所得税源泉徴収簿(乙六六号証の三ないし五)を基に、六三年改正前所得税法一八六条一項一号のイの規定を適用し、次表のとおり算定したものである。

なお、右規定中で適用すべき別表は、昭和五五年八月及び同一二月分にあっては、五六年改正前所得税法、同五六年及び五七年の各四月分にあっては、五九年改正前所得税法の各別表第六である。

<省略>

(二) 公表支給額に対する源泉所得税額

右各月において原告代表者に支給された公表支給額(月額報酬五〇万円)に対する源泉所得税額について同人の扶養控除等申告書(乙六四号証の三ないし五)及び所得税源泉徴収簿(乙六六号証の三ないし五)を基に、六三年改正前所得税法一八五条一項一号イの規定を適用し算定すると、右各月分はいずれも五万三七〇〇円の源泉所得税額となる。

なお、右規定中で適用すべき別表は、昭和五五年八月及び一二月分にあっては五六年改正前所得税法、同五六年四月及び四月分にあっては五九年改正前所得税法の各別表第四である。

3 前記1及び2で述べた計算過程のうち昭和五四年及び同五五年の各一二月で支給した賞与及び報酬は、原告代表者に対する右各年最後の給与に該当するが、右各年中の同人に対する総支給額は、いずれも一〇〇〇万円を超えている(昭和五四年分は公表支給額六〇〇万円(月額五〇万円の一二か月分)と本件役員報酬支払額一〇五七万円との合計額、同五五年は公表支給額六〇〇万円(月額五〇万円の一二か月分)と本件役員報酬支払額九五七万二四八〇円との合計額)ことから、年末調整(五六年改正前所得税法一九〇条)の対象とはならないこととなる。

五 長谷はつに係る源泉所得税額(別表一の<5>欄)

右金額は、原告が長谷はつに支給した月額五〇万円の報酬に対する源泉所得税額を次のとおり算定したものである。

1 本件各月分に係る右税額について同人の扶養控除等申告書(乙六五号証の一ないし四)及び所得税源泉徴収簿(乙六七号証の一ないし四)を基に、六三年改正前所得税法一八五条一項一号イの規定を適用し、算定すると、右各月分はいずれも五万三七〇〇円となる。

なお、右規定中で適用すべき別表は、昭和五五年三月分までにあっては五五年改正前所得税法、同五五年八月分にあっては、五六年改正前所得税法、同五六年四月分にあっては、五九年改正前所得税法の各別表第四である。

2 前記1で述べた税額算定のうち昭和五四年及び五五年の各一二月に支給した右報酬は、同人に対する右各年の最後の給与であることから、右報酬をに対する源泉所得税額について、五六年改正前所得税法一九〇条(年末調整)の規定をそれぞれ適用することとなるが、次の(一)及び(二)で算出した金額が同額となることから、同条に規定する超過額若しくは不足額は右いずれの年分についつても算出されず、同人の右各年分の右調整は要しないこととなるので、右各一二月分の源泉所得税額は前記1で算定した額となる。

(一) 同条一号に規定する徴収された又は徴収されるべき所得税の額 六四万四四〇〇円

右金額は、前記1で算定した同人に対する各月の源泉所得税額五万三七〇〇円に一二か月を乗じた金額である。

(二) 同条二号に規定する右各年分の税額 六四万四四〇〇円

右各金額は、同号の規定に基づき次の(1)ないし(4)のとおり算定したものである。

(1) 右各年分の給与所得控除後の給与等の金額 四三五万円

右金額は、同人の右各年分におけるそれぞれの報酬合計額六〇〇万円(月額五〇万円に一二か月を乗じた額)について、五九年改正前所得税法の別表第七の付表を適用して算出した右各年分の給与所得控除後の給与等の金額である。

(2) 右金額から控除すべき同号イないしニに掲げる右各年分の金額 二九万円

同人の所得税源泉徴収簿(乙六七号証の二及び三)には同号イ及びロの金額に該当するものがなく、また同人の扶養控除等申告書(乙六五号証の二及び三)には同号ハの金額に該当するものがないことから、右各年分とも控除すべき金額は同号二に規定する基礎控除の額二九万円のみとなる。

(3) 右各年分における同号に規定する課税総所得金額とみなす金額 四〇六万円

右金額は、前記(1)の給与所得控除後の給与等の金額から前記(2)の基礎控除の額を控除した額である。

(4) 課税総所得金額とみなす金額に対する税額 六四万四四〇〇円

右金額は、右各年分における前記(3)の金額について、五六年改正前所得税法の別表第七を適用して算出した課税総所得金額とみなす金額に対する右各年分の税額である。

六 原告が納付すべき源泉所得税額(別紙一の<6>欄)

本件各月において原告が給与等の支払をしたのは原告代表者及び長谷はつの二名であるから、右各月分として原告が納付すべき給与等に係る源泉所得税額は、前記四(原告代表者分)及び五(長谷はつ分)で算定した額の右各月ごとの合計額となる。

七 被告主張額(別紙一の<7>欄)

原告が、本件各月において納付すべき給与等に係る源泉所得税額は前記六で述べて金額(別紙一の<6>欄)であるところ、原告が本件納税告知処分等にいて既に納付していた源泉所得税は前記三で述べた額(別紙一の<3>欄)であるから、右各金額の差額(別紙一の<7>欄)は原告が給与等に係る源泉所得税として納付すべきであったにもかかわらず、本件納税告知処分時においてその納付がなかったものであり、右差額は本件役員報酬支払額に対し被告が主張する本件各月分の源泉所得税額である。

第二 本件納税告知処分の適法性

本件各月分の本件役員報酬支払額に対し原告が納付すべき源泉所得税の額は、前記第一で述べたとおり別紙一の<6>欄の各金額であるところ、被告が所得税法二二一条の規定に基づき本件納税告知処分によって原告から徴収することとした源泉所得税の額(審査裁決後のもの)は、別紙一の<8>欄の各金額(答弁書別表9の「審査裁決」欄記載の額)であり、右各金額はいずれも被告が主張する各金額(別紙一の<7>欄)と同額又はその範囲内であるから、本件納税告知処分は適法である。

準備書面(二)の

別紙1

<省略>

昭和六一年(行ウ)第七号、同六三年(行ウ)第四号

原告 有限会社長谷商事

被告 竜ケ崎税務署長

昭和六三年八月四日

被告訴訟代理人 二井矢敏朗

被告指定代理人 石黒邦夫

櫻井卓哉

飯田信一

渡辺康雄

小笠原治一

水戸地方裁判所民事第二部 御中

準備書面(六)

被告は、原告の昭和五八年五月一日から同五九年四月三〇日までの事業年度(以下、「昭和五九年四月期」という。)に係る法人税の更正処分(以下、「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税の賦課決定処分(以下、「本件賦課決定処分」という。)の根拠及び適法性について次のとおり主張する。

第一 本件更正処分の根拠及び適法性について

原告の昭和五九年四月期の所得金額は、次表のとおり二七九八万八五〇二円であって、本件更正処分における所得金額と同額であるから、同処分は適法である。

<省略>

1 申告所得金額 〇円

原告が昭和五九年六月二九日付けで被告に提出した、昭和五九年四月期の法人税の確定申告書に記載されていた所得金額である。

2 繰越欠損金の当期控除額の損金不算入額 二七九八万八五〇二円

原告は、昭和五九年四月期の所得金額の計算上、昭和五七年五月一日から同五八年四月三〇日までの事業年度(以下、「昭和五八年四月期」いう。)において生じた欠損金三〇七〇万一五〇九円のうち二七九八万八五〇二円(以下、「本件繰越欠損金当期控除額」という。)を、法人税法五七条一項(青色申告書を提出した事業年度の欠損金の繰越し)の規定に基づき損金の額に算入して申告をした。

ところで、国内法人が法人税法五七条一項の規定の適用を受けるためには、欠損金の生じた事業年度について青色申告書である確定申告書を提出し、かつ、その後において連続して確定申告書を提出していることが必要であるところ、原告の昭和五八年四月期の確定申告書は、被告が原告に対し昭和五八年六月二七日付けで、昭和五二年五月一日から同五三年四月三〇日までの事業年度以降における法人税の青色申告承認の取消処分を行ったことにより青色申告書以外の申告書となることから、原告は昭和五八年四月期に生じた欠損金を昭和五九年四月期の所得金額の計算上、これを控除して損金の額に算入することはできない。

そこで、被告は本件繰越欠損当期控除額を、当期の所得金額に加算したものである。

第二 本件賦課決定処分の根拠及び適法性について

被告は、本件更正処分により納付すべきと本税の額一一一三万円(国税通則法一一八条三項の規定により一万円未満切り捨て)について、国税通則法(昭和六二年法律第九六号による改正前のもの。以下同じ)六五条一項及び二項の規定に基づき次の算式によって計算した金額一〇八万八〇〇〇円(同法一一九条四項の規定に基づき一〇〇円未満切り捨て)を過少申告加算税として賦課したものであり、本件賦課決定処分は適法である。

<省略>

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