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水戸地方裁判所 昭和63年(ワ)116号 判決 1992年3月17日

原告

辻川慎一

福田弘行

柴田利夫

右三名訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

森健市

被告

東日本旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

住田正二

右代表者支配人

長井忠昌

右訴訟代理人弁護士

茅根熙和

春原誠

主文

一  原告らの主位的請求をいずれも棄却する。

二  原告ら三名と被告との間において、原告ら三名がいずれも水戸駅営業係の地位にあることを確認する。

三  原告辻川慎一及び同柴田利夫のその余の予備的請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

(主位的請求)

1 原告辻川慎一と被告との間において、同原告が水戸運転所運転士の地位にあることを確認する。

2 原告福田弘行と被告との間において、同原告が水戸運転所車両係の地位にあることを確認する。

3 原告柴田利夫と被告との間において、同原告が水戸運転所運転士の地位にあることを確認する。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

(予備的請求)

1 原告辻川慎一と被告との間において、同原告が水戸駅営業指導係の地位にあることを確認する。

2 原告福田弘行と被告との間において、同原告が水戸駅営業係の地位にあることを確認する。

3 原告柴田利夫と被告との間において、同原告が水戸駅営業指導係の地位にあることを確認する。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

(本案前)

1 原告らの主位的請求及び予備的請求にかかる訴えをいずれも却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(本案)

1 原告らの主位的請求及び予備的請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、いずれももと日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に採用され、現在は被告の従業員の地位にあるもので、その経歴の概略は次のとおりである。

(1) 原告辻川慎一(以下「原告辻川」という。)

昭和五三年四月一日国鉄採用後、営業系統業務を経て、水戸機関区に配属され、動力車乗務員としての教育を受け、昭和五九年九月から電車運転士として勤務した後、昭和六一年八月水戸機関区人材活用センター(以下「人材活用センター」を単に「人活センター」という。)担務指定、昭和六二年三月三一日国鉄退職、同年四月一日被告入社。

(2) 原告福田弘行(以下「原告福田」という。)

昭和五四年四月一日国鉄採用後、水戸機関区に配属され、一貫して車両係として勤務した後、昭和六一年八月水戸機関区人活センター担務指定、昭和六二年三月三一日国鉄退職、同年四月一日被告入社。

(3) 原告柴田利夫(以下「原告柴田」という。)

昭和五四年四月一日国鉄採用後、水戸機関区に配属され、動力車乗務員としての教育を受け、昭和五八年三月から電気機関士として勤務した後、昭和六一年八月水戸機関区人活センター担務指定、昭和六二年三月三一日国鉄退職、同年四月一日被告入社。

(二) 被告は、昭和六二年四月一日、いわゆる国鉄の分割民営化によって設立された株式会社である。

2  原告らに対する発令行為

被告(被告設立委員会を含む。)は、原告らに対し、順次次のとおり発令(右発令のうち、昭和六二年三月一六日付発令の関連事業本部兼務発令の部分及びそれ以降のすべての発令を以下「本件各発令」という。)をした。

(一) 原告辻川

(1) 昭和六二年三月一六日(同年四月一日の地位)

水戸運転所運転士(二級)兼水戸駅兼関連事業本部(水戸在勤)

(2) 同年四月七日 平駅営業係兼務

(3) 同年一一月一日 平駅営業係兼務を命ずる。東海駅兼務を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。東海在勤を命ずる。

(4) 昭和六三年四月二日 東海駅営業指導係を命ずる。(水戸運転所運転士〔二級〕兼東海駅兼関連事業本部〔東海在勤〕の発令解消)

(二) 原告福田

(1) 昭和六二年三月一六日(同年四月一日の地位)

水戸運転所車両係(二級)兼水戸駅兼関連事業本部(水戸在勤)

(2) 同年四月七日 湯本駅営業係兼務 関連事業本部兼務(湯本在勤)

(3) 昭和六三年二月八日 湯本駅営業係兼務を免ずる。湯本在勤を免ずる。荒川沖駅兼務を命ずる。荒川沖在勤を命ずる。

(4) 昭和六三年四月一日 荒川沖駅営業係を命ずる。(水戸運転所車両係〔二級〕兼荒川沖駅兼関連事業本部〔荒川沖在勤〕の発令解消)

(三) 原告柴田

(1) 昭和六二年三月一六日(同年四月一日の地位)

水戸運転所運転士(二級)兼水戸駅兼関連事業本部(水戸在勤)

(2) 同年四月七日 高萩駅営業係兼務 関連事業本部兼務(高萩在勤)

(3) 昭和六三年四月一日 高萩駅営業指導係を命ずる。(水戸運転所運転士〔二級〕兼高萩駅兼関連事業本部〔高萩在勤〕の発令解消)

(4) 平成二年三月二〇日 大甕駅営業指導係を命ずる。

3  本件各発令の無効

(一) 不当労働行為

本件各発令は、以下に述べるとおり労働組合法七条一号の不当労働行為として無効である。

(1) 原告らの組合活動

原告らは、いずれももと国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)の組合員であったが、国鉄労働組合(以下「国労」という。)と共に、国鉄分割民営化に伴う大量の要員合理化、労働組合運動の解体、運転保安の悪化等に反対し、組合運動に身を投じていたところ、動労は、昭和六〇年に突如、鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)及び全国施設労働組合(以下「全施労」という。)と共に分割民営化を支持する方針を採るに至り、原告辻川及び同福田は昭和六一年七月の動労全国大会で分割民営化反対の姿勢を示したことを理由に動労本部から組合員権停止の処分を受けた。

原告らは、さらに勝田駅の売店に配属された国労組合員Tの自殺に対する抗議集会等を通じて動労本部との対立を深め、国鉄当局と一体化し、分割民営化を推進している動労本部に対抗し、昭和六一年一月一九日、「国鉄分割民営化反対、一〇万人首切阻止」を旗印に、新たに、動労組合員四〇名をもって、国鉄水戸動力車労働組合(以下「動労水戸」という。)を結成し、原告辻川は同組合執行委員長、原告福田は同組合書記長(平成二年一一月からは同組合副執行委員長)、原告柴田は同組合水戸支部副委員長を経て昭和六三年一月からは同組合執行委員、教宣部長の地位に就き活動している。

なお、動労水戸は、昭和六一年一一月三〇日には、国鉄千葉動力車労働組合(以下「千葉動労」という。)を中心とする他の三つの組合と連合して動労総連合を結成している。

(2) 国鉄改革反対派組合に対する国鉄ないし被告の対応(不当労働行為)

(ア) 国鉄時代

(a) 全般の動向

国鉄の分割民営化を前提とした合理化は、昭和五九年二月に貨物を中心に二万四五〇〇人、昭和六〇年度に五万人、昭和六一年三月に三万人を対象として行われた。分割民営化の過程で、労働組合に対しては、一方で国鉄改革推進派の動労、鉄労などの協力を得て(動労、鉄労及び全施労は昭和六一年一月、国鉄当局との間で、国鉄改革のために労使が立場を超えて最善の努力を尽くし、必要な合理化は積極的に推進するという内容の労使共同宣言に調印し、さらに同年八月には国労からの分裂組合である真国鉄労働組合〔以下「真国労」という。〕を加え、新会社発足後の労働組合のストライキ自粛と一企業一組合まで打ち出す第二次労使共同宣言を締結した。)、国労、千葉動労等の改革に反対する組合員を遠隔地に配転し、人活センターに送り込む、あるいは新会社に採用されないという恫喝を加えながら労働組合を弱体化する方策がとられた。

昭和六一年三月一一日には、国鉄当局から職員管理調書を全国的に作成するよう指示が出され、これに基づいて職員の選別が行われ、人活センターへの職員配置の資料に使用されている。

人活センターは、余剰人員対策という名目で昭和六一年七月一日以降全国に設置された(昭和六一年一〇月に全国で一三八三箇所、一万七七二〇人配置)が、その目的は組合活動家と他の国鉄職員の接触を絶ち、隔離収容することにあり、分割民営化の直前に廃止されたものの、同センターに配置されていた国労等国鉄改革反対派組合員は本務に復帰できないまま新会社へ移行するか、国鉄清算事業団の職員となった(昭和六二年三月一六日の新会社の職員採用において、北海道で不採用者四七〇〇人のうち国労組合員六八パーセント、九州では不採用者二四〇〇人のうち国労組合員57.4パーセント、定数割れの本州三社と四国会社でも約八〇人といわれる不採用者のうち国労組合員は八〇パーセント、千葉動労組合員は一二名が不採用であったのに対し、国鉄改革推進派組合を中心に同年二月二日に結成された全日本鉄道労働組合連合(以下「鉄道労連」という。)組合員の新会社不採用者は北海道二二人、九州四人、本州三人であり、所属労働組合による差別は明白である。)。

(b) 水戸の動向

前記のとおり、原告らは、動労本部から組合員権停止の処分を受けたが、それと時期を同じくして原告らは人活センターに担務指定され、水戸駅北口駐車場で料金の徴収業務に従事させられた。しかし、原告らは現在に至るまで一貫して人活センター担務指定前の運転職場に戻ることを強く希望しているうえ、勤務成績の面で問題は全くなかった(原告柴田は、一〇万キロメートルを無事故で乗務した旨の表彰を受けている。)。

前記のとおり人活センターに担務指定されることは、当時は、新会社に採用されず、国鉄清算事業団の職員となることを意味しており、国労組合員Tはそのことによる心理的重圧で遺書を残して飛び降り自殺している。

水戸駅の人活センターにも国労の役員、活動家が一〇名程度配属され、仕事らしい仕事はない状況にあり(一日中時刻表を読ませる、草むしり、ペンキ塗りをさせるなど)、ノイローゼになる者もいた。運転職場の人活センターについては、動労内で分割民営化に反対していた青年部役員(動労左派、後に動労水戸を結成しているメンバー)ばかりが主に配属された(運転関係職場において人活センターに最後まで配置された二一名のうち動労左派は一〇名〔四八パーセント〕で国労の八名〔三八パーセント〕と比較しても多く、動労左派は運転職場では国労以上に差別を受けていた。)。

また、人活センターへの配属以外にも、①動労水戸と国労の組合員を対象とした昭和六一年一二月の期末手当の五パーセントカット、②昭和六二年三月の組合活動家にとどまらず、動労水戸の一般組合員をも含めた売上の少ないミルクスタンドや無人駅等への大量強制配転、③団体交渉拒否などの明白な不当労働行為がされた。

このように、国鉄当局の不当労働行為の結果、動労水戸結成時四〇名の組合員の約一割が希望退職に追い込まれ、さらに昭和六二年二月から三月にかけては、当時の所属組合員三四名中二一名(六二パーセント)が強制配転され、組織の一八パーセントが本務を外された。また、昭和六二年三月一〇日に人活センターが廃止され、水戸鉄道管理局における運転職場関係の人活センターでは、国労組合員を含め、大部分が本務に復帰したが、動労水戸組合員だけは勤務態度に問題がないのに基本的に本務に復帰させられず、原告ら三名を含む五名の水戸駅北口駐車場勤務の動労水戸組合員は、人活センターの担務指定が解かれても、そのまま駐車場整備の仕事に従事させられた。

(イ) 被告設立以後

被告は、法的には国鉄とは別に独立して人事権を行使している形式になっているが、国鉄時代の人事課職員の大部分が被告設立後も同一職務を担当しており、その他a被告社長の分割民営化に反対する組合を敵視する言動、b水戸運行部総務課の総合現場長会議における組合差別的な発言内容、c湯本駅の業務用掲示板における国労批判のビラ放置、d動労水戸組合員に対する多数の配転(組合結成後延べ四六回)、e同組合員の分散(水戸、大子、勝田の三つから一三の職場)、f運転士への登用、昇進試験、事故時の社内処分、組合に対する便宜供与等における組合差別、g被告設立後相当長期にわたる動労水戸からの団交要求拒否等の多数の証左がある。

また、国鉄及び被告は昭和六二年三月から平成二年四月までの間に国鉄時代にいわゆる多能化教育に応募して他系統に移動した者を中心に三五名を水戸運転所の運転士に復帰させているのに対し、動労水戸組合員で運転士の資格を持っている二八名のうち五名を除き乗務から外し、最近は右有資格者をさておき、新規に運転士を養成するなどして動労水戸の組合員を水戸運転所の運転職場から意図的に排除している。

この結果、国労や動労水戸組合員は、売上の見込めない関連事業に多数配置されており、原告辻川の配置された平駅旅行センター分室は他の二名が国労組合員、東海駅トキワ店の三名全員が動労水戸組合員、原告福田の配置された荒川沖直営売店の他の三名は国労組合員である。

このように、被告は国鉄時代と同様、国鉄改革反対派の国労や動労水戸に対し、強い不当労働行為意思を有しているのは明らかである。

(3) 本件各発令の業務上の必要性欠如

(ア) 関連事業本部兼務の発令について

(a) 原告らの昭和六二年四月一日時点での地位

原告らは、被告発足までは人活センター担務指定当時の駐車場の業務に従事していたが、昭和六二年四月一日の被告設立以降は同月一一日まで水戸運転所に勤務しており、当初の数日同運転所からの指示により水戸駅北口駐車場から同運転所のテーブル、椅子、ロッカー等を持ち帰る作業に従事したにすぎない。

(b) 業務上の必要性

被告における直営売店には二種類あり、水戸駅ル・トラン広場の直営四店舗のように大規模な設備投資を行い、売上も極めて良好である売店(店員も国鉄改革賛成組合員がほとんどであり、自ら出向を希望しており、結局平成三年四月一日付で別会社である株式会社水戸サービス開発に経営を移行している。)に対し、動労水戸や国労の組合員の配置されている売店は右売店に比べ設備投資等に決定的な差があり、売上努力をしても売上の増加を期待できる状況になく、このような関連事業への配置や内部異動自体業務上の必要性は全くない。

なお、国鉄当時の昭和六二年三月一〇日付発令により多能化教育に応じて他系統業務に従事していた者三名を水戸運転所乗務員に戻している。

(イ) 転勤命令について

(a) 昭和六二年四月七日付発令

① 原告ら三名共通

原告らの従前従事していた水戸駅北口駐車場業務が終了したとしても、水戸駅の関連事業には他に直営売店のミート店とトキワ店や水戸ストアと旅行センター分室が存在しており、他駅に転勤させる必要はなかった。

② 原告辻川

配属先の平駅旅行センター分室の要員は五名とされているものの、原告辻川の業務は当初二か月は午前午後各三〇分程度駐車場整理と称して構内をぶらぶらするだけの仕事であり、その後の特急券やオレンジカードの販売も売上が乏しく業務と呼べるものではなかった。

このように、平駅旅行センター分室は過員状態であり、実際、昭和六二年七月一日付でキヨスクの水戸営業所に一名が出向させられている。

また、平地区から水戸地区へ通勤している者で平地区への転勤を希望している者も多く、水戸に居住する原告辻川を平地区へ異動させる必要性はない。

③ 原告福田

配属先の湯本駅トキワ店は、原告福田の転勤により定数五を上回る六名が配属されることになった。

④ 原告柴田

配属先の高萩駅トキワ店は、原告柴田の転勤により過員状態となり、数か月の間に二名の職員が他の職場へ転勤している。

(b) 昭和六二年一一月一日付発令(原告辻川)

大甕駅にいた者を用地管理室に異動させた関係で東海駅にいた社員を大甕駅へ移したことにより東海駅に生じた欠員を補充させるため原告辻川を転勤させたにすぎず、業務上の必要性はない。

(c) 昭和六三年二月八日付発令(原告福田)

荒川沖駅の直営売店に二名の欠員が生じたとして原告福田を転勤させたにすぎず、業務上の必要性はない。

(d) 平成二年三月二〇日付発令(原告柴田)

定年退職による欠員が生じたとして原告柴田を転勤させたにすぎず、業務上の必要性はない。

(ウ) 兼務発令の解消について

前記のとおり、そもそも原告らを関連事業に従事させる業務上の必要性は存せず、また発足後一年で従業員の適性は把握できないのであるから、関連事業業務についての営業係ないし営業指導係のみの発令をし、運転士ないし車両係の兼務発令を解消させる業務上の必要性は存しない。

また、昭和六二年八月一日付で五名(北海道の清算事業団からの採用者)、同年一一月一日付で三名(多能化教育に応じて他系統業務に従事していた者)をいずれも水戸運転所乗務員に復帰させており、運転職場への復帰を強く望み、他職場へ強制配転されている原告らを運転職場へ復帰させず、逆に運転士等の発令を解消させる必要性は全くない。

(4) 本件各発令により原告らの被った不利益

(ア) 原告辻川

(a) 職務上の不利益

電車運転士から慣れない売店業務に従事させられたことにより十二指腸潰瘍に罹患した。後の兼務発令の解消により本務に復帰することが一層困難となっている。

平駅では、元の人活センターの配置場所で仕事らしい仕事を与えられず、東海駅でも直営売店(トキワ店)の店長の地位にあるが、衛生管理者の資格さえ取得させていない。また、同店は便所が至近距離にあり、その汲み取り口が二メートルの場所に設置されている。

(b) 生活上の不利益

平駅に勤務中は、水戸市千波町の国鉄アパートからの通勤が事実上不可能(通勤時間約二時間)となり、単身で平の独身寮に入ることを余儀なくされた。

運転士の仕事を外されたことにより旅費、特別勤務手当等で月約五万円の減収となり(昭和六三年四月の兼務発令解消により乗務員としての加給分二号俸も平成二年四月二日から減給)、妻との共働きを余儀なくされている。

(c) 組合活動上の不利益

動労水戸は、旧水戸鉄道管理局内の電車運転士、電気機関士、運転検修係などの運転関係職場の国鉄職員を主として組織されており、その執行委員長たる原告辻川が他の駅に転勤すること自体組合活動に打撃を与えることは明らかである。

(イ) 原告福田

(a) 職務上の不利益

車両の検修業務から慣れない売店業務に従事させられたため腰部椎間板ヘルニアによる腰痛が激化した。後の兼務発令の解消により本務復帰が一層困難となっている。

荒川沖駅では湯本駅より人員が一人少なく労働強化となっている。

荒川沖駅は、飲食店として使用することに構造上問題があり、看板も二か月以上にわたって壊れたまま放置されている。

(b) 生活上の不利益

湯本駅の勤務中は、友部町の両親宅からの通勤が不可能となり(昭和六二年二月に長女出生後、妻との共働きを維持するため両親宅へ転居するのは被告も知悉していた。)、単身でいわき市の独身寮に入ることを余儀なくされ、妻は心労のため左眼網膜中心動脈枝閉塞症に罹患した。

一年も経たない内に湯本から荒川沖と一四四キロメートルに及ぶ遠距離配転され、荒川沖駅でも午前五時五五分には自宅を出発しなければならず(水戸運転所当時は午前七時三〇分出発)通勤上の不利益は依然続いている。

(c) 組合活動上の不利益

原告福田は、動労水戸の書記長、組織部長、その後、副執行委員長の地位にあり、本件各発令により従前の同組合の実務、組織化についての任務を遂行できなくなった。

(ウ) 原告柴田

(a) 職務上の不利益

電気機関士から慣れない売店業務に従事させられている。後の兼務発令の解消により本務復帰が一層困難となっている。

昭和六三年四月の兼務発令の解消により、平成二年四月一日から乗務員としての加給分二号俸が減給となる。

(b) 生活上の不利益

高萩駅に勤務中は、旭村の両親宅(同人の両親は高齢であり、父は心臓が悪く同居が必要である。)から通勤しており、通勤時間二時間二〇分を要する不利益を受けた。その後、早朝の朝食の支度等かえって両親に迷惑をかけることから両親との同居を断念せざるをえなくなり、現在は水戸市に居住している。

(c) 組合活動上の不利益

原告柴田は、動労水戸の執行委員、教宣部長の地位にあり、本件各発令により組合活動をすることが困難となっている。

(二) 人事権濫用

(1) 業務上の必要性

前記のとおり、本件各発令には業務上の必要性は全く認められず、人選の合理性もなく、原告らに多大な不利益を与えるものであるから、本件各発令は人事権の濫用で無効である。

(2) 就業規則違反

被告は、本件転勤発令について、就業規則二八条に基づく旨主張するが、右就業規則自体国鉄と労働組合との労働協約や協定、慣行を無視し、労働法に反するという重大な違法事由が存するうえ、本件転勤命令は、労働基準法九〇条一項所定の労働者の過半数を代表する者の意思を聴く手続を行う前(昭和六二年四月七日付発令)に右規則に基づき、しかも右規則の規定する「業務上の必要性」なくされたものであり、無効である。

また、同規則二七条では「社員の任用は、社員としての自覚、勤労意欲、勤務態度、知識、技能、適格性、協調性、試験成績等の人事考課に基づき、公正に判断して行う」と定めているが、昭和六二年四月一日に発足したばかりの被告が同日に原告らを公正に判断しうるはずはなく、昭和六二年四月七日付転勤命令(同月一日事前通知)は右規則にも違反し無効である。

(三) 本件各発令についての被告の責任

(1) 関連事業本部兼務発令の無効

(ア) 昭和六二年三月一六日付の被告設立委員会からの被告発足時における所属、勤務箇所及び職名についての通知が右三月一六日当時の国鉄における勤務箇所及び職名を機械的に読み替えたにすぎないとしても、国鉄は被告を含む承継法人の職員の採用及び配属を含む労働条件に関し、当該承継法人の設立委員の行為を代行していたものであるから(橋本運輸大臣の国会答弁)、右職員の採用過程で国鉄の不当労働行為もしくは人事権の濫用があった場合は被告の行為として評価し、被告が労働組合法上の使用者としての責任を負うべきである。

そして、前記のとおり、原告らは国鉄時代の人活センター担務指定や昭和六二年三月一〇日の人事異動等により本務を外され、水戸駅北口駐車場の業務に従事していたが、右異動が国鉄改革に反対する動労水戸の組合員である原告らを嫌悪してされた不当労働行為あるいは業務上の必要性の全くない人事権の濫用であることは明らかであるから、右責任も被告が負うべきである。

(イ) また、被告が国鉄当時の人事異動について責任を負わないとしても、被告設立委員及び被告としては、国鉄の判断から独立して職員の配属を決定することが十分可能であるにもかかわらず、国鉄による不当労働行為ないし人事権濫用の結果をそのまま追認して設立当初の配属命令を行った点で不当労働行為ないし人事権の濫用としての責任を負うべきである。

(2) 転勤命令及び兼務発令の解消の無効

本件各発令のうち、転勤命令及び兼務発令の解消は、被告設立後、被告が独自で行ったものであるから、前記の不当労働行為ないし人事権の濫用としての責任は被告が負うべきである。

4  結論

よって、原告らは被告に対し、次のとおり求める。

(一) 主位的請求

原告らに対する本件各発令(但し、兼水戸駅の部分の発令解消は争わない。)のいずれもが不当労働行為ないし人事権の濫用として無効であることを前提として、原告辻川及び原告柴田は水戸運転所運転士、原告福田は水戸運転所車両係の各地位確認を求める。

(二) 予備的請求

原告らに対する請求原因第2項掲記の発令のうち、(1)の関連事業本部兼務発令並びに昭和六三年四月一日及び同月二日付の兼務発令の解消の発令が有効な場合には、各転勤命令(但し、兼水戸駅の部分の発令解消は争わない。)のみの無効を前提として、原告辻川及び原告柴田は水戸駅営業指導係、原告福田は水戸駅営業係の各地位確認を求める。

二  被告の本案前の主張

1  原告らと被告との間の労働契約は、就業場所、職種を限定しない契約であるから、使用者は業務上の必要に応じて給付すべき労務の種類、労働する場所、態様等を決定し、かつこれを的確に実施しうるよう労働者を指揮する権限を有するから、原告らをどのような職務上の地位に就けるかは使用者たる被告の労務指揮権の範囲内の問題であって、これは労働契約の履行過程における事実行為にすぎず、労働契約上の権利義務に変動を及ぼすものではない。

よって、原告らの訴えは、いずれも権利義務の確認を求めるものといえず、法律上の利益を欠く不適法なものである。

2  主位的請求にかかる訴えは、兼務発令を外した形での職務上の地位にあることの確認を求めるもので、法律上の地位の不安定を除去するという目的を達しえず、確認の利益は認められないし、また原告らは、主位的請求にかかる職名の業務には被告設立後実際に従事したことがないのであるから、その職名は原告らの職務上の地位を表わすものではなく、その地位にあることを求めることは許されず不適法である。

3  予備的請求にかかる訴えについては、これまで被告が原告らに右職務上の地位への発令行為を行ったことはないのであるから、裁判によって発令行為を形成しようとするもので不適法である。

三  本案前の主張に対する原告らの反論

1  本案前の主張1に対して

本件各発令のように勤務場所及び職種に大きな変化が生じている事例では、労働者が給付すべき給付の内容も全く異なっており、本件各発令が労働者の法的権利義務関係に変動を及ぼしていることは明白であって確認の利益はある。

2  本案前の主張2に対して

原告らは、兼務発令自体が不当労働行為ないし人事権の濫用として無効であると主張しているのであるから、実体的に右発令が有効か否かの判断を離れて確認の利益の観点のみから、兼務発令を外した形での職務上の地位の確認が認められないなどといえないのは明らかである。また、前記のとおり、原告らの昭和六二年四月一日における勤務場所は水戸運転所であるから、主位的請求にかかる職名に現実に従事したことがないとはいえないのも明白である。

3  本案前の主張3に対して

被告自身、「昭和六一年四月一日当時、関連事業本部(水戸在勤)」という職にあった者に対し何らの転勤命令等もなかったとすれば、その者は現在、「水戸駅営業指導係もしくは水戸駅営業係」の地位にあることを認めているのであるから、右は単なる組織改正上の読み替えにすぎず、新たな発令行為を形成することにならないのは明らかである。

四  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因第1、第2項の事実は認める。

2  同第3項(一)(1)のうち、原告らがもと動労組合員であったこと、勝田駅売店に勤務していたTが自殺したこと、原告らが昭和六一年一一月一九日「国鉄分割民営化阻止、一〇万人首切阻止」を旗印に動労水戸を結成したこと、原告辻川が同組合の執行委員長、原告福田が同組合書記長、原告柴田が同組合水戸支部副委員長を経て昭和六三年一月に同組合執行委員の地位に就いたことは認め、その余は否認ないし知らない。

同項(一)(2)(ア)(a)のうち、動労、鉄労及び全施労が昭和六一年一月、国鉄当局との間で労使共同宣言に調印したこと、同年八月に動労、鉄労、全施労及び真国労が第二次労使共同宣言に調印したこと、昭和六一年七月に全国的に人活センターを設置したこと、その設置箇所数及びそこに配置された職員数は認め、その余は否認ないし争う。

同項(一)(2)(ア)(b)のうち、原告らが人材活用センターに担務指定され、水戸駅北口駐車場の業務に従事したこと、Tが自殺したこと、原告らが昭和六一年一二月の期末手当を五パーセント減じられたことは認め、その余は否認ないし争う。

同項(一)(2)(イ)は否認する。

同項(一)(3)は否認する。

同項(一)(4)(ア)(a)のうち、原告辻川が電車運転士をしていたこと、現在東海駅トキワ店の店長の地位にあることは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(ア)(b)のうち、水戸市千波町の国鉄アパートから平駅の職場までの通勤時間が約二時間であること、原告辻川が平の独身寮に入っていたこと、旅費、特別手当の支給を受けていないことは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(ア)(c)のうち、動労水戸が旧水戸鉄道管理局内の電車運転士、電気機関士、運転検修係などの運転関係職場の国鉄職員を主として組織されたこと、原告辻川が動労水戸の執行委員長であることは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(イ)(a)のうち、原告福田が車両の検修業務に従事していたことは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(イ)(b)のうち、原告福田がいわき市の独身寮に入ったことは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(イ)(c)のうち、原告福田が動労水戸の書記長の地位にあることは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(ウ)(a)のうち、原告柴田が電気機関士をしていたことは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(ウ)(b)のうち、原告柴田の両親が高齢であり、両親が旭村に居住していることは認め、その余は不知ないし争う。

同項(一)(4)(ウ)(c)のうち、原告柴田が動労水戸の執行委員の地位にあることは認め、その余は不知ないし争う。

同項(二)、(三)は争う。

3  同第4項は争う。

五  被告の主張

1  関連事業本部兼務の発令について

昭和六二年四月一日時点での被告の各社員に対する配属命令は、以下に述べるとおり国鉄がその責任において独自に判断して行った結果を機械的に読み替えてされたものにすぎず、被告の判断の入る余地はなかったし、また、被告が全く法人格を異にする国鉄の不当労働行為や人事権濫用の責任を承継することもないのであるから、四月一日時点での発令は無効ではない。

(一) 被告は、日本国有鉄道改革法(以下「改革法」という。)に基づき、同法にいう承継法人の一つとして新たに設立された株式会社であって、被告が国鉄から引き継ぐべき事業等、権利及び義務の内容は同法において厳格に規定され、この範囲に限られている。

改革法によると、運輸大臣は、閣議決定を経て、国鉄の事業等の承継法人への引継ぎ並びに権利義務の承継に関する「基本計画」を定め(改革法一九条一項)、さらに、この「基本計画」に従い、国鉄に対し、承継法人ごとに事業等の引継ぎ並びに権利及び義務の承継に関する「実施計画」の作成を指示し(同条三項)、国鉄は右指示を受けて「実施計画」を作成して運輸大臣の認可を受ける(同条五項)。

被告を含む各承継法人は、右の運輸大臣の認可を受けた「実施計画」(認可後は「承継計画」とされる。)の範囲においてのみ昭和六二年四月一日に国鉄の事業等を引き継ぎ、権利義務を承継する(同法二一条及び二二条)。

「承継計画」となる「実施計画」には、①当該承継法人に引き継がせる事業等の種類及び範囲、②当該承継法人に承継させる資産、③当該承継法人に承継させる国鉄長期債務その他の債務、④当該承継法人に承継させる②③以外の権利及び義務、⑤①〜④のほか当該承継法人への事業等の引継ぎに関し必要な事項について記載される(同法一九条四項)が、国鉄と国鉄職員との間の労働契約に基づく債権債務等は含まれない。

承継法人は、同法二三条の定めるところに従い、社員を新規採用し、承継法人に採用されなかった国鉄職員については国鉄清算事業団にその労働契約関係が移行する(同法一五条)。

このように、改革法は、明文を持って、被告が国鉄とは全く独立した別個の法人であり、しかも国鉄の職員との労働契約関係を承継しないことを明確に規定しているのである。

なお、国鉄改革にあたって、職員の労働契約関係が承継法人に承継されない形で立法されたのは、国鉄再建監理委員会の意見にも指摘されているとおり、国鉄は大規模な余剰人員を抱え、その生産性が私鉄と比較して著しく低かったため、民営化にあたってはこれを私鉄と同等に引き上げる必要があったからである。

このような事情故にNTTや日本タバコ産業の設立の場合には公社の職員の労働契約関係がそのまま承継される形で立法(例えば日本電信電話株式会社法附則四条、六条参照)されたのに対し、これらの場合と異なる形で改革法が制定されたのである。

(二) ところで、原告らは、橋本運輸大臣の国会答弁に触れたうえ、国鉄が行った昭和六二年三月一〇日の人事異動等は、設立委員が決定する事項である労働条件について国鉄が設立委員の行為を代行したものであり、右のような職員の採用過程の中で国鉄の不当労働行為があった場合は被告の行為として評価し、被告が労働組合法上の使用者として責任を負うものであると主張している。

しかし、右主張は採用手続きにおける設立委員と国鉄の役割分担を定めた改革法二三条を無視するものであり、到底容れられる余地はない。

(1) 設立委員は、「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」附則二条一項に基づき設けられた機関であり、発起人の職務の外に改革法二三条に定める業務等を行うことがその責務とされていた。

一方、国鉄は日本国有鉄道法に基づく公法上の法人であって、設立委員とは法律上全く独立した存在であることはいうまでもないところであるが、国鉄改革にあたり、これが円滑に実施されるよう最大限の努力を尽くすことが要請され(改革法二条二項)、また、改革に際し具体的に行うべき行為も改革法によって規定されていた。

一般に、新しい会社を設立する場合には会社設立後会社の経営者が社員を採用することとなるが、鉄道を間断なく運行することが求められる国鉄改革の場合はそのような方法をとることができないため、設立委員を設け、改革法二三条において社員の採用を決定する権限を設立委員に与えたのである。しかし、採用すべき社員を国鉄職員に限定せざるをえないことと、一度に二〇万人を超える大量の人員の採用を決定せざるをえないという特殊な事情があることから、改革法二三条は採用の母体となる国鉄職員個々のデータ等を把握している国鉄にも新企業体の社員の採用に関して一定の権限(同条二項)を与えることとした。

すなわち、改革法二三条は採用手続に関する権限を設立委員と国鉄の両者に分配したものであり、両者はこの規定に従いそれぞれ独立してその権限を行使したにすぎず、両者間に「委任」、「準委任」あるいは「代行」というような関係はなかったのである。

原告が拠り所とする橋本運輸大臣の国会答弁は、改革法二三条に定める採用過程を比喩的に説明したものにすぎず、法律的解釈の論拠となるようなものではない。

(2) 国鉄では、毎年年度末に退職者が大量に出ることから、年度末の二月から三月に定期的に異動を実施してきたところであるが、昭和六一年度は、通常の年度末退職者のほかに、「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために昭和六一年度において緊急に講ずべき特別措置に関する法律」に基づく希望退職者、公的部門への転出ないし転出予定者が大量に出たほか、昭和六二年二月一二日の時点で職員のうち承継法人に採用になる者が確定したことを踏まえて、国鉄の判断により、そのルールに従って、三月一〇日までに大規模な人事異動を順次実施した。

この人事異動の目的は、国鉄改革が実施される直前の三月三一日までの国鉄の行う事業が滞りなく遂行されること、及び国鉄改革が実施される三月三一日から四月一日にかけて一切の列車運行に支障が出ないで、円滑に新企業体に国鉄の事業が承継できるような体制を整備するというところにあった。

これは、政府機関の一つである国鉄の責務として当然のことであり、また強いていえば、改革法二条二項の国鉄の努力義務を果たしたものということもできよう。

どの職員をどこに配置し、どのような業務を行わせるかということについては、国鉄における通常の人事異動と同様、当該職員の能力、意欲、適性等の勤務成績や通勤事情などを、国鉄において個別に判断しつつ決定したものであり、この人事異動に関して、設立委員から国鉄への指示等は一切なかった。

以上のとおり、国鉄の昭和六二年三月までに行われた人事異動は国鉄が自らの責任においてしたものであり、設立委員の行うべき行為を代行したものでないことは明白である。

付言するに、設立委員の任務・権限は法によって定められているところであり、昭和六二年三月当時の国鉄の人員配置について設立委員にその権限はなく、したがって本来権限のない事項についてこれを国鉄に代行させるなどということがありえないことは法論理上当然のことである。

(三) また、設立委員が、新会社に採用が決定した国鉄職員全員に対し、四月一日の勤務箇所・職名・等級・賃金を現に従事している国鉄の勤務箇所・職名等をもとに、これをそのまま機械的に新会社の勤務箇所・職名等に読み替えて通知したのは、列車の運行を間断なく継続し、四月一日からの新会社の業務開始が円滑に行われることを確保するために最良の方法として行われたものであって、それ自体不当労働行為や人事権の濫用にあたらないのは明らかである。

2  原告らに対する本件各発令(但し、関連事業本部兼務発令を除く。)の根拠と理由について

(一) 原告らに対する転勤命令の根拠

(1) 原告らに対する転勤命令は被告就業規則二八条に基づくものである。

すなわち、右就業規則二八条一項は「会社は、業務上の必要がある場合は、社員に転勤、転職、昇職、降職、昇格、降格、出向、待命休職などを命ずる」と規定しており、被告は同規定に基づいて業務上の必要から原告に対し、転勤発令をしたものである。

なお、右就業規則の内容は第二回の設立委員会の段階で検討されたうえ昭和六二年三月二三日に開かれた第一回の取締役会で決定され、その後国鉄の各現業機関の職員に周知させるべく掲示された。

そして被告は、会社発足後直ちに事業場の労働者の過半数を占める労働組合の意見を聴いたうえ労働基準監督署への届出を終えている。

また、労働基準法九〇条一項所定の意見聴取の手続及び同法八九条一項所定の行政官庁に対する届出は就業規則の効力要件ではなく、これら手続の履践を欠く就業規則も有効である。

(二) 原告らに対する本件各発令の業務上の必要性について

(1) 昭和六二年四月七日付発令について

(ア) 被告は、昭和六二年四月一日の会社発足当初より鉄道事業等に必要とされる人員数を超えて採用された膨大な余力人員を擁したため、これらの余力社員を鉄道営業収入の増収に向けた営業活動に従事させるとか、国鉄当時外注業務としていた業務を直轄化してこれに従事させるとか、鉄道輸送業務以外の業務を開拓してこれに従事させる、さらには他社へ出向させる等の施策を実施することが緊急の課題とされていた。

水戸運行部においても昭和六二年四月一日時点で二二〇人もの余力人員を擁しており、そのうち水戸運転所では五〇数名もの余力を抱える状況にあった。これらの余力人員のうち出向、直営店舗、ボイラー、オートセンター、駐車場等有効活用策に従事していたのは三七人にすぎなかった。

水戸運転所での余力人員の解消はその後もはかばかしくなく、平成二年六月時点においても約四〇数人もの余力人員が存在している。

(イ) 原告らは国鉄当時の昭和六一年八月一日に営業部旅客課兼務・水戸機関区人材活用センター担務指定・水戸駅在勤との発令を受けて水戸駅北口駐車場に勤務していたところ、昭和六二年四月一日の被告発足時においても関連事業本部兼務の発令を受けて同駐車場の整備員としての業務に従事することとなったのである。

水戸駅北口駐車場用地は、昭和六二年四月一日から国鉄清算事業団に移管されたため、同駐車場の営業は同年三月三一日をもって廃止されたのであるが、原告らは同年四月一日から四月三日までの間同駐車場の帳簿類の整理、環境整備等の残務整理業務に従事した。

(ウ) 原告らの水戸駅北口駐車場での業務は四月三日をもって終了したため、被告としては原告らを新たな業務に就かせることが必要となったのであるが、水戸運転所には五〇人を超える余力人員が存在し、しかもその余力人員すべてを活用しきれていない状況にあり、ここへ原告らを配置しても有効活用が図れないだけでなく、ブラ勤等職場規律を乱す虞れもあることから、関連事業の今後の発展を期し、関連事業要員の確保・養成を目的として四月七日付をもって本件発令をしたものである。

右の目的のもと、原告福田、同柴田に対しては湯本駅及び高萩駅の直営売店におけるラーメン、ハンバーガー等を扱う業務に従事させ、原告辻川に対しては当時適当な直営売店も見当らないことから、鉄道営業収入の増収に向けた営業活動に従事させることとし、平駅営業係への発令を実施し、社員駐車場の整理、駅ホーム等の環境整備、特別改札、オレンジカード販売等の業務に従事させた。

なお、原告ら三名を水戸駅の関連事業に配置しなかったのは、当時水戸駅で実施されていた関連事業に必要な所要員は既に充足されており、これ以上要員を配置する必要がなかったためである。

すなわち、当時水戸駅の関連事業としては、直営売店のミート店とトキワ店の二店舗が存在していた。ミート店は昭和六〇年一二月七日、駅のコンコースに開設された売場面積一坪ほどの物販店であり、主に菓子、SL写真、プラモデル、飲料、煙草等を販売していたが、新会社発足当時既に二名の社員がここに配置されていた。

また、トキワ店は昭和六〇年八月一七日、上り線ホーム場に開設された売場面積四坪ほどの店舗で、パン類、アイスクリーム、飲料等飲食を主体とした店で、新会社発足当時は五名の社員が配置されていた。

右両店はその面積、業務量からみて当時配置されていた要員以上の社員を配置する余地はなかったため、原告ら三名をここに配置しなかったものである。

(2) 昭和六二年一一月一日発令について

被告は、昭和六二年一〇月二四日、原告辻川に対し、同年一一月一日付で、平駅営業係兼務を免ずる。東海駅兼務を命ずる。関連事業本部兼務を命ずる。東海在勤を命ずる。との発令の事前通知を行い、同原告は右発令に従い、一一月一日以降東海駅の直営店の店長としての勤務に従事している。

右発令は、次の事情のもとに行われた。

すなわち、被告は国鉄改革に伴い、国鉄から承継した不動産にかかる所有権移転登記の手続等を行ってきたが、その業務量が膨大で水戸運行部における従前の組織体制では効率的に業務を遂行できないことから、昭和六二年一一月一日付で「水戸保線区用地管理室」と称するプロジェクトチームを設置し、右業務遂行にあたることとした。それに伴う人事異動において東海駅直営店の社員一人が他へ異動となったため、この欠員補充のために原告辻川を東海駅直営店に異動したのである。

(3) 昭和六三年二月八日付発令について

被告は、原告福田に対し、同年二月八日付で「湯本駅営業係兼務を免ずる。湯本駅在勤を免ずる。荒川沖駅兼務を命ずる。荒川沖在勤を命ずる。」との発令を行い、同原告を荒川沖駅の直営店に異動した。

右異動は、荒川沖駅の直営店に勤務していた社員のうち二人が他の勤務箇所へ異動となって欠員補充の必要が生じたため、同原告の通勤等の事情をも考慮して行ったものである。

(4) 昭和六三年四月一日及び二日付発令について

(ア) 被告は、昭和六三年四月一日及び二日付をもって原告福田を荒川沖駅営業係に、同柴田を高萩駅営業指導係に、同月二日付をもって原告辻川を東海駅営業指導係に発令し、兼務発令の解消を行った。

兼務を解消し、営業係を命ずる発令は、原告らに対してのみ行ったものではなく、兼務発令を受けて関連事業部門に従事していた社員すべてを対象として行われたものであるが、この実施に至る経緯は以下に述べるとおりである。

(イ) すなわち、国鉄が昭和六二年三月一〇日までに行った人事異動において、鉄道輸送業務に従事しない社員に対しては関連事業等に従事するという位置づけを明確にするために兼務発令がされる例が多かったのであるが、被告の設立委員会も国鉄での最終的配置である三月中旬時点での勤務箇所、職名をそのまま機械的に読み替えて新会社発足時点における勤務箇所、職名として扱ったために、被告においても関連事業部門に従事する社員には兼務発令が多いというのが実情であった。

そして、発足当初の被告の組織では関連事業は本社直轄で管理運営していくこととしていたため、運行部所属の社員であっても関連事業部門の業務上の指示は本社から行われることとなっていたことから、業務上の指揮命令系統を明らかにする必要上「関連事業本部兼務」という兼務発令を行っていたのである。

(ウ) 民間企業として発足したばかりの被告にとって関連事業はいまだ導入期にあり、将来の展望も流動的であるために昭和六二年度中は暫定的意味合いをもつ兼務発令をそのままにしておいたのであるが、発足二年目を迎えるにあたり、会社として健全で安定した経営基盤のもとで総合サービス企業として発展を目指すという観点から、一年の実績を踏まえて、昭和六三年四月一日付をもって組織改正を行い、これに伴って兼務発令を解消することとした。

すなわち、本社において、沿線地域等の不動産開発をはじめ大規模な開発を推進する開発事業本部を新設するとともに、流通事業、ホテル・飲食事業等の各種サービス事業を積極的に開発、推進し、また構内営業、広告等の事業管理、関連企業グループの一体的管理・指導を行う関連事業本部の内部部課を充実した。また、関連事業のうち、駅構内の直営店舗の管理運営は、本社関連事業本部から駅に移管された。

これらの組織改正に伴い、関連事業に従事する社員について、指揮命令系統を明確にし、また昇進ルート等をはっきりさせることが可能となったため、暫定的な発令形態である兼務発令の解消を図ることとし、実施したものである。

したがって、昭和六二年四月一日当時「関連事業本部(水戸在勤)」という職にあった者に対しその後何らの転勤命令等もなかったとすれば、その者は現在「水戸駅営業係」もしくは「水戸駅営業指導係」の地位にあることになる。

なお、この兼務発令解消により「運転士」の職名のなくなった原告辻川及び同柴田は二号俸が減じられることとなった(但し、二年間二号俸が保証される特別措置が講じられている。)が、これは運転士の職に就いていない以上当然のことである。

また、原告らは原告らの勤務する直営店舗は営業努力をしても売上の増加を期待できる状況にないと主張するが、今現在売上額が少なくても駅という優れて集客機能を持つ場所における店舗が大きく発展する可能性は十分にあり、この直営店舗を維持発展させる意義は大いにあるというべきである。

そして、新規の関連事業の開拓には今後相当の期間が必要とされる段階では既存の関連事業の拡大に努めることが必要であり、さらに今後の大規模な展開に備えて多数の社員を養成する必要もあるのである。

また、水戸支社における直営売店の多くは人件費等を考慮すれば赤字経営ではあっても、人員に余力のある現状ではこの職場の売上によって人件費の一部が賄われることになり、会社全体の経営には貢献している結果となるのである。

(5) 平成二年三月二〇日付発令について

被告は、平成二年三月二〇日付をもって原告柴田に対し、大甕駅営業指導係を命ずる旨の発令を行ったが、これは同駅の直営売店「ル・トラン」において社員一人が定年退職するため欠員が生じたので、その補充のために原告柴田を異動したものである。

3  原告らに対する本件各発令と不利益性について

原告らは、本件各発令により職務上、生活上、組合活動上の不利益を受けたと主張するが、不利益があったとしてもその程度はいずれも一般の転勤に伴う通常の範囲内にとどまるものであり、不当労働行為あるいは人事権濫用を問われるようなものにはあたらない。

(一) 職務上の不利益について

(1) 原告らは、国鉄当時従事していた運転士または車両係の職務に就いていないことをもって不利益であると主張する。

しかし、被告はその定款にも記載してあるとおり旅客鉄道事業以外にも旅行業、倉庫業、駐車場業、旅館業、飲食店業等々多彩な事業を営むことを目的として設立された会社であり、しかも発足当初より鉄道事業以外のこれらの関連事業の強化を図ってきたのであるから、本件各発令によって原告らが従事している各職務も被告の営む主たる事業における職務であり、鉄道事業における各職務と軽重の差はないのである。

しかも、原告らは被告入社時点から運転士、車両係の職務に就いたことはなく、職種を限定して採用されたものではないのであり、この面からみても原告らが運転士、車両係の職に就いていないことが不利益となるとの主張はあたらないというべきである。

なお、原告らは国鉄時代に運転士、電気機関士、運転検修係の職に就いていたことがあるとしても、その期間は原告辻川が約二年、原告柴田が約三年、原告福田は約六年であり、それほど長い期間ではなく、国鉄時代も職員が希望する職に必ずしも就くことができなかったことは原告辻川も原告柴田も認めているところである。

(2) 原告福田は湯本駅、荒川沖駅の直営売店での業務が労働強化であるとの主張をしているが、原告福田の業務内容は他の直営売店の業務に従事する社員のそれと変わるものではなく、これは到底不利益にはあたらない。

また原告らは現在原告らが従事している直営店舗の職場の環境を問題としているが、これらの店舗と他の直営店舗との職場環境には差はないのである。

(二) 生活上の不利益について

(1) 原告らは、昭和六二年四月七日付発令によって勤務地までの通勤時間が延長され、あるいは妻子との別居を余儀なくされたことを問題とするが、被告において水戸地区と平地区間の人事異動は数多く行われ、その結果多くの社員がこの間を日常通勤しているのであるから、原告らが平、湯本、高萩に転勤したからといって他の社員と比較し特段に不利益を被ったわけではない。

そして原告らの現在の勤務地までの通勤時間は原告辻川については約四〇分、同柴田については約二〇分、同福田については約一時間であり、全く通勤時間の上で不利益はない。

なお、原告福田は生まれたばかりの乳児の面倒をみてもらうために妻子と共に友部町の両親宅に転居を予定し、そのことは被告に既知の事実であったと主張するが、同原告が転居することを被告に伝えたのは四月七日の発令より三か月後の七月一三日のことであり、右の主張は事実に反する。

原告柴田も父の心臓が悪いため両親の自宅である旭村に居住して通勤せざるをえないと主張しているが、四月当時原告は水戸の千波寮に居住しており、原告自身は四月七日発令通知前に旭村に居住する予定であることを上司にも申し出たことはないのであるから、被告は右の事実を事前に知らなかった。

原告柴田は、現在は旭村から勤務地の大甕まで約一時間で通勤することが可能であるにもかかわらず両親と同居することをやめて水戸市に住んでおり、そもそもこのことは特段の不利益と評価されるべきではない。

(2) 原告辻川は動力車乗務員の仕事を外されたことにより、給料から旅費、特殊勤務手当が減収となっていること、また、原告辻川及び柴田は昭和六三年四月一日及び二日付発令の日から二年後に二号俸分(約二、〇〇〇円)が削減されることになることを不利益と主張する。

しかし、旅費、特殊勤務手当等は実際に乗務した場合に支給される特別手当であり、乗務に従事していない原告辻川らに対して支給されないのは当然のことであり、運転士であっても乗務せず指導の職に就いている社員にも右の手当は支給されないのである。

また、原告ら両名は運転士の職名がなくなったことにより賃金規程の規程に従い二号俸が減じられることとなったが、これも運転士の職名で兼務発令を受けていた社員全員に対して行われた措置であり、原告らのみそのような扱いをされたわけではなく、不利益取扱いと評価されるべきものではない。

(三) 組合活動上の不利益について

原告らは本件各発令によって組合活動をすることが困難となったと主張するが、原告らは勤務時間外に組合活動をする余裕は十分に存したのであり、現に組合活動が可能であったからこそ原告らは本件各発令後も一度として動労水戸の組合役員の職を辞することもなく再任されてきたのである。

4  不当労働行為の主張について

(一) 前記のとおり、国鉄の行った人事異動等について被告は何ら責任を負う立場にない。

(二) 原告らが被告の不当労働行為意思の証左として指摘するものは、いずれも些細な、しかも特殊な事実であり、不当労働行為と結びつくものではない。

(三) 原告らは、国鉄及び被告が昭和六二年三月から平成二年四月までの間に三五人を水戸運転所の運転士として復帰させており、過員といわれる運転職場に人員を配属させることは十分に可能であったのに動労水戸の組合員は配属されず、意図的に排除されていると主張する。

しかし、国鉄が行った配属に関して被告が何ら責任を負わないことについては前述したとおりであるが、付言するに、昭和六二年三月に水戸運転所に転入した職員八人のうち五人はいずれも動労水戸と同様に分割・民営化に反対の立場をとっていた全動労及び国労の組合員であり、この事実は国鉄が所属組合によって配属差別をしていないことを裏付けている。

被告発足後平成二年四月までに水戸運転所に転入した運転士二七人のうちの大半の者は、他の運転職場との相互の人事交流によって異動したのであるから、水戸運転所の所属運転士が特に増加したわけではない。例外的に運転系統以外からの転入者が認められるが、これは国鉄時代の昭和六一年一一月に運転系統の余力人員解消策として実施された多能化教育に当時の要員事情を認識し敢えて積極的に応募して他系統職場の業務に従事したものの、結局これらの職場になじめなかった者を本来の運転職場に戻したという特殊事情によるものであり、これらの者の中に動労水戸の組合員が含まれていないからといって何ら組合所属によって差別したことにはならない。

なお、昭和六二年八月一日付で北海道の国鉄清算事業団から採用された者のうち比較的年齢が高く他系統で働くのは困難と思われた者を国鉄で就いていた職種と同じ職に就けるため水戸運転所の検修関係に配属したが、配属となった五人のうち三人は国労及び全動労所属の組合員であり、この事実からも被告が組合所属により差別をしていないことは明らかである。

以上のとおり、被告が過員状況にある水戸運転所へ社員を配属したことにはいずれも業務上の理由があり、何ら組合所属による差別は行っていない。

そして水戸運転所の過員状況は右のような配置をせざるをえなかったこともあって現在に至るも解消されていないのであるから、その結果動労水戸の組合員が水戸運転所へ配属されないからといって、これを意図的な排除と主張するのはあたらないというべきである。

5  人事権濫用の主張について

原告らは人事権濫用の主張もしているが、前述したとおり本件各発令はいずれも業務上の必要に基づいて行ったものであり、また、その発令によって原告らに不利益は生じていないから、人事権濫用にはあたらない。

六  被告の主張に対する原告らの認否

いずれも争う。

第三  当事者の提出、援用した証拠<省略>

理由

一請求原因第1項(当事者)及び第2項(原告らに対する発令行為)の各事実は当事者間に争いがない。

二そこで、本件各発令が不当労働行為もしくは人事権の濫用に該当するか否かについて検討する。

1  前記争いのない事実と証拠(<書証番号略>、証人水野正美、同伊藤嘉道、同成島陸郎、原告辻川、同福田、同柴田各本人、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一)  国鉄改革の経緯

(1) 国鉄は、公共輸送機関として全国的規模で鉄道輸送業務を遂行してきたが、昭和三九年頃から赤字経営となり、その後再三にわたる経営改善策の実施にもかかわらず、改善はみられず、昭和五〇年代に入りますます赤字は増大し、経営は著しく悪化した。

このような国鉄の経営状態は国の財政に深く影響するものであったから、昭和五六年に内閣に設置された臨時行政調査会において、国鉄問題は重要な審議事項とされた。昭和五七年七月三〇日の同調査会の「行政改革に関する第三次答申―基本答申」は、国鉄の経営の再建は国家の緊急課題であって、「分割・民営化」をする必要があり、その改革を推進するため、第三者機関を設置すべきであるとした。

(2) 政府は、前記答申を受けて、昭和五七年九月二四日、いわゆる行革大綱を閣議決定し、国鉄については、五年以内に分割・民営化を図ること、そのために必要な監理委員会を設置することとした。また、同日国鉄の事業の再建を図るために当面緊急に講ずべき一〇項目の対策に取組むことも決定した。そして、政府は、国鉄事業に関し効率的な経営形態の確立のための方策を検討するため、「日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法」案を国会に提出し、同法は翌昭和五八年五月に成立した。同法に基づき、国鉄再建監理委員会(以下「監理委員会」という。)が同年六月一〇日発足したが、同法には内閣総理大臣は監理委員会の答申を尊重すべき旨の規定がおかれていた。監理委員会は、同年八月二日に第一次緊急提言を、昭和五九年八月一〇日には第二次緊急提言を行った後、昭和六〇年七月二六日には、昭和六二年四月を目途として国鉄分割・民営化を実施すべきことを内容とする「国鉄改革に関する意見―鉄道の未来を拓くために」を政府に答申した。

前記意見は、国鉄の経営が悪化し破綻に瀕した最大の原因は、公社という自主性の欠如した制度の下で、全国一元の巨大組織として運営されている現行経営形態そのものに内在するから、国鉄事業を再生させるためには、分割・民営化施策を断行するしかないとして、①旅客鉄道部門を六地域に分割、②貨物部門は一社、③新幹線鉄道は一括して保有機構で所有し、運営する旅客会社に貸付ける等を骨子とするものであった。

(3) この意見の答申を受けた政府は、昭和六〇年七月三〇日、監理委員会の意見を最大限に尊重する旨の閣議決定を行い、その主旨に沿って改革法案等国鉄改革関連九法案を第一〇四国会に提出した。このうち「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために昭和六一年度において緊急に講ずべき特別措置に関する法律」は昭和六一年五月二一日に可決成立し、同月三〇日に公布施行されたが、残る八法案は衆議院解散のために廃案となった。そこで政府はこれら八法案を第一〇七臨時国会に再提出し、同法案は昭和六一年一〇月二八日衆議院で、同年一一月二八日参議院でそれぞれ可決されて成立し、同年一二月四日公布施行された。

この結果、国鉄の行っていた事業の大部分は、昭和六二年四月一日をもって、新たに設立された被告を含む六旅客会社等一一の新事業体に引き継がれ、その余は国鉄清算事業団に移行することとなった。

(二)  国鉄改革をめぐる労使関係の推移

(1) 国鉄全般

(ア) 国鉄には、国鉄改革当初、国労のほか、動労、鉄労及び全施労等の労働組合があった。

(イ) 国労は、国鉄分割民営化の動きが出た当初から組合員の雇用を確保する立場で国鉄分割民営化に反対する態度を明らかにし、一貫して強く反対していた。

(ウ) 臨調の第二次答申が出された昭和五七年二月一〇日の後の同年三月九日、日本労働組合総評議会(以下「総評」という。)全国産業別労働組合連合、国労、動労及び全施労等による「国鉄再建問題四組合共闘会議」が結成され、国鉄民営化反対運動を展開した。

なお、昭和五七年末頃から、鉄労、動労などは争議行為を行わなくなった。

(エ) 昭和五九年六月五日、国鉄は各労働組合に対し、余剰人員対策として退職制度の見直し、職員の申出による休職の取扱い及び派遣に関する取扱いを提案した。

同年一〇月九日、上記三項目のうち退職制度の見直しを除き国鉄は動労、鉄労及び全施労と妥結したが、国労は派遣及び休職等について本人の意に反した強制、強要は行わないことを要求したため、交渉が難航し、国労と国鉄との間には妥結がみられなかった。翌一〇日、国鉄は国労、千葉動労及び全国鉄動力車労働組合連合会(以下「全動労」という。)に対し「雇用の安定等に関する協約」(以下「雇用安定協約」という。)の破棄を通告した。

昭和六〇年四月九日、国労は国鉄との間で前記三項目について協定を締結し、同日国鉄は国労に対し雇用安定協約の破棄通告を撤回した。

(オ) 国労は総評を始めとする他の労働組合と共に国鉄分割民営化反対の署名運動を全国的に展開していたが、同年八月五日、国労は、国鉄分割民営化反対のストライキを実施し、千葉動労も同年一一月二八日から同様に二四時間ストライキを実施した。

一方、八月六日、鉄労は第一八回定期全国大会を開催し、国鉄分割民営化を支持する運動方針を採択した。この大会には杉浦喬也国鉄総裁(以下「杉浦総裁」という。)が出席して来賓あいさつを行った。また、動労は、同年六月第四一回定期全国大会を開催し、分割民営化反対の方針を決定したが、新たに松崎明委員長を選出した。

(カ) 国鉄は国労に対し、国労が「辞めない、休まない、出向かない」といういわゆる「三ない運動」を展開したことを理由に雇用安定協約の継続締結を拒否したため、雇用安定協約は同年一一月三〇日をもって失効した。

一方、国鉄は、動労、鉄労及び全施労と雇用安定協約を再締結した。

(キ) 昭和六一年一月一三日、国鉄は国労を始めとする各労働組合に対し「労使共同宣言」(以下「第一次共同宣言」という。)を提案したが、その内容は、a労使は諸法規を遵守し、全力を挙げてこれを実現する、bリボン、ワッペンの不着用、c新しい事業運営の体制を確立する、d希望退職について労使は積極的に取り組む等であった。

国労は、右第一次共同宣言の締結を拒否したが、動労、鉄労及び全施労は同日第一次共同宣言に調印した。(動労、鉄労及び全施労が昭和六一年一月第一次共同宣言に調印したことは争いがない。)

(ク) 同年三月、国鉄は各労働組合に北海道、九州から東京、大阪への約三四〇〇名の職員の広域異動を提案し、これに対し国労は反対したが、国鉄は動労、鉄労及び全施労の同意を得て実施した。

また、同年三月五日付総裁通達に基づき「職員管理調書の作成等について」と題する文書が発せられ、その後職員管理調書が作成された。

(ケ) 国鉄分割民営化案が具体化されてくる過程で、国労内部においても国鉄分割民営化を推し進める動きが現れ、同年四月一三日、国労脱退者により真国労が結成された。

(コ) 同年五月二一日、東京都内で動労東京地本各支部三役会議が開かれ、葛西敬之国鉄職員局次長が出席し、同次長は、「これに対しては『分割民営』を遅らせれば自然に展望が開けるという理論を展開している人達がいる。国労の山崎委員長です。……私はこれから、山崎の腹をブンなぐってやろうと思います。みんなを不幸にし、道連れにされないようにやっていかなければならないと思うんでありますが、不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないという時点で、つまり、やらないということはうまくやるということでありまして……」等と発言した。

また、同月、岡田圭司国鉄車両局機械課長(以下「岡田課長」という。)名で全国の各機械区所長あてに文書が送付された。この文書において岡田課長は、「四月一〇、一一日のK労のワッペン闘争で言えば、一五パーセントの職員がワッペンを着用しております。……いくら業研や提案で実績をあげても、ワッペン着用一回で消し飛んでしまうのです。ここで、次の諸点を再度認識する必要があります。」として、国鉄改革の完遂には職員の意識改革が必要であるが、意識改革とは、当局側の考え方を理解でき、行動できる職員にすることであるから、職員の意識改革を行うためには労使の対決は避けられないとの考えを述べ、さらに「個別に心ある職員と話し合い、理解を深めさせて頂きたい。イデオロギーの強い職員や、話をしても最初から理解しようとしない職員、意識転換に望みを託し得ない職員等は、もうあきらめて結構です。いま大切なことは、良い職員をますます良くすること、中間帯で迷っている職員をこちら側に引きずり込むことなのです。」等と述べた。

(サ) 国鉄は、同年六月二一日付「要員運用の厳正化について」と題する職員局長通達に基づき、余剰人員を集中的に一括管理するため、同年七月一日以降速やかに「人活センター」を設置することとした(昭和六一年一〇月に全国で一三八三箇所、一万七七二〇人配置)。(昭和六一年七月に全国に人活センターを設置したこと、その設置箇所及びそこに配置された職員数は争いがない。)

(シ) 同年七月、鉄労(第一九回)及び動労(第四二回)が、同年八月、全施労がそれぞれ全国大会を開催したが、各大会にはこれら組合の代表が相互に来賓として出席し、あいさつした。なお、動労は第四一回大会以後事実上分割民営化容認の姿勢を示していたが、右大会で、a国鉄改革に向け国鉄の「分割民営化」を進める政府案に修正を求めていく、b国鉄の新事業体移行という節目の中で労働組合運動強化のために一企業一組合の結成を目指す、などの方針を決定した。

また、各大会に出席した杉浦総裁は、国鉄改革に対する各組合の対応を賞賛し、まじめな職員を一人たりとも路頭に迷わせないようにすることが必要であるなどと述べ、さらに、動労大会では「国鉄の組合の中にも『体は大きいが、非常に対応が遅い組合』があります。この組合と仮に、昔『鬼の動労』といわれたままの動労さんが、今ここで手を結んだといたしますと、これは国鉄改革どころではない。そのことを想像するたびに、私は背筋が寒くなるような感じがします。」などと発言した。

(ス) 同年七月一八日、鉄労、動労、全施労及び真国労からなる「国鉄改革労働組合協議会」(以下「改革労協」という。)が結成され、その後改革労協は、同月三〇日には国鉄と「国鉄改革労使協議会」を設置し、さらに同年八月二七日、a鉄道事業のあるべき方向について、bあるべき労使関係について、c望ましい職員像について等に関し「労使共同宣言」(以下「第二次共同宣言」という。)を締結した。(昭和六一年八月動労、鉄労、全施労及び真国労が第二次共同宣言を締結したことは争いがない。)

これに伴い、翌二八日、国鉄は東京地方裁判所に係属中の動労に対する損害賠償請求訴訟を取り下げる旨の総裁談話を発表し、同年九月三日、国鉄は上記訴えを取り下げた。

(セ) 昭和六二年二月、鉄労及び動労のほか日本鉄道労働組合や鉄道社員労働組合が鉄道労連を結成し、国労を脱退した旧主流派を中心とする鉄道産業労働組合(以下「鉄産労」という。)ほか五労働組合により日本鉄道産業労働組合総連合会(以下「鉄産総連」という。)が結成された。

(ソ) このような状況の中で、国労の組合員は減少し、組織比率も昭和六一年四月には七割弱であったが、昭和六二年二月には三割弱となった。

(2) 水戸における動向

(ア) 水戸鉄道管理局管内では、昭和六一年七月一日、土浦駅など一八箇所に人活センターが設置され、当初三二名の職員が配置されたが、うち三一名が国労組合員、一名が動労組合員であった。

また、人活センターにおける作業内容は草取り、駅のペイント塗り、清掃及び時刻表を見ることなどが多く、配置された者の中にはノイローゼになった者もいた。

(イ) 原告らは、国鉄入社以来動労に加入し、動労水戸支部の役員等として活動してきたが、前記のような動労の方針転換に対して反発し、「分割民営化反対、国労擁護」の主張を続け、動労水戸地本五支部のうち、茨城県内の三支部青年部執行部の支持まで得たが、動労本部は第四二回全国大会において原告辻川及び同福田らが同大会を妨害したとして昭和六一年七月に組合員権停止の処分をし、同年八月一日には原告ら三名は、他の動労組合員と共に人活センター(水戸駅北口駐車場)に担務指定された。(原告らが人活センターに担務指定され、水戸駅北口駐車場の業務に従事したことは争いがない。)

(ウ) 昭和六一年九月二八日、勝田駅売店に配属されていた国労組合員Tが自殺したのを契機に、原告らを中心に動労水戸地本の茨城三支部の青年部が国労水戸機関区分会青年部と合同の追悼集会を開催して分割民営化に反対するハンガーストライキや街頭宣伝等を行ったことから、動労本部は、同年一一月初旬右青年部員二〇余名に対して反組織的活動を行ったとして統制処分を行った。(Tが自殺したことは争いがない。)

そこで、原告ら三名を含む青年部員四〇名は、同年一一月一九日、分割民営化反対策を掲げて動労水戸を結成し、原告辻川が執行委員長、原告福田が書記長(後に副執行委員長)、原告柴田が水戸支部副委員長(後に執行委員)の地位に就いた。(右事実のうち、原告福田が動労水戸の副執行委員長になった点を除き争いがない。)

同月三〇日には、動労水戸は、千葉動労を中心とする他の三つの組合と連合して動労総連合を結成した。

なお、原告らのこのような動労本部の方針に反する言動については、組合選挙等の掲示やビラ等で動労水戸結成前に国鉄当局も知りうる立場にあった。

(エ) 水戸鉄道管理局においては、同年一二月一日時点で人活センターに配置されていた職員は二三九名であり、国労組合員がその過半数を占めており、運転職場の人活センターについては、配置者二〇名のうち動労左派(後に動労水戸に加入した者等)組合員が一一名を占め、八名が国労組合員であった。

(オ) 昭和六一年五月七日、水戸建築区長は主任を集め、ワッペンを着用すれば新事業体には残れない、組合に向いているか当局側に向いているのかが問われるなどと発言した。また、同年八月二一日、水戸建築区において朝の点呼の際、遠藤忠彦水戸鉄道管理局建築係長は、会社の方針に反対する従業員は新会社に残れないとの国鉄幹部の考え方を明らかにしている。

(カ) 国鉄は、水戸鉄道管理局において、昭和六二年二月二五日、一一五名の職員に対し配転配属を発令し、さらに同年三月一〇日人活センターを廃止すると共に三七九名の職員に対し配転配属を発令した。

これは、昭和六一年一一月のダイヤ改正で整った業務遂行体制にあわせ、昭和六二年二月一二日の新会社採用結果、年度末退職者の補充等に対応すると共に四月一日確実に新会社を発足させるためのものであった。

国鉄のこの異動の方針は、旅客鉄道会社の基本である輸送業務について、勤務態度(職務規律、責任感など)や勤務意欲のより優れた者を本務に就けるというものであって、主として職員管理調書を判断資料としたが、右異動について、どの職員をどこに配置し、どのような業務を行わせるかということについては、設立委員から国鉄への指示等は一切なかった。

なお、国労の申立てにより、少なくとも神奈川県地方労働委員会と茨城県地方労働委員会から、右配転が不当労働行為に該当するとして配転前の職場に戻すよう被告に命ずる救済命令が出されている。

(キ) 右三月一〇日の人活センター廃止により本務に戻った職員が多かったが、原告らは人活センター担務指定を解かれた後も他の二名の動労水戸組合員と共に従前どおり水戸駅北口駐車場業務を担当した(発令内容は、いずれも水戸駅営業係兼務、営業部課員兼務)。

運転職場の人活センターに配置されていた動労水戸組合員一〇名のうち本務に復帰したのはわずか一名であった。また、動労水戸は、大子、水戸、勝田の運転区に所属する者たちで結成されたが、当時の組合員三四名のうち二一名が人活センター担務指定前の職場から他へ配転された。

(三)  被告発足時の社員の採用手続

(1) 被告を含む各承継法人が国鉄から引き継ぐべき事業等、権利及び義務の内容は国鉄改革法一九条ないし二二条に厳格に規定され、この範囲に限られており、この中には国鉄と国鉄職員との間の労働契約関係は含まれない。

承継法人は、その職員を新規採用することとされ、その採用手続については、同法二三条に規定してあるが、その概要は次のとおりである。すなわち、各承継法人の設立委員は、国鉄を通じてその職員に対し、それぞれの承継法人の職員の労働条件及び職員の採用の基準を提示して、職員の募集を行う(同条一項)。

国鉄はこれを受けて職員の意思を確認し、各承継法人の採用の基準に従い、当該承継法人の職員となるべき者を選定してその名簿を作成し設立委員に提出する(同条二項)。

そして、この名簿に記載された職員のうち設立委員から採用する旨の通知を受けた者が各承継法人の職員として採用される(同条三項)というものである。

(2) 昭和六一年一二月四日運輸大臣から任命された各承継法人の設立委員は、同月一一日第一回設立委員会を開き、新会社職員採用の基準と労働条件の基本的な考え方を決定し、さらに、同月一九日開かれた第二回設立委員会において、国鉄の労働条件とは異なる内容の新会社職員の詳細な労働条件を決定し、決定された採用基準及び労働条件は同日国鉄に示された。

国鉄は、これを受けて同月二四日以降昭和六二年一月七日までの間に、その職員の意思確認を実施した。

その意思決定の資料として、国鉄は各新会社の職員の労働条件及び職員の採用基準を記載した書面を全職員に配付した。

右書面には、「1.就業の場所」として、「各会社の営業範囲内の現業機関等において就業することとします。ただし、関連企業等へ出向を命ぜられることがあり、その場合には出向先の就業場所とします。」と記載され、「2.従事すべき業務」として、「旅客鉄道事業及びその附帯事業並びに自動車運送事業その他会社の行う事業に関する業務とします。なお、出向を命じられた場合は、出向先の業務とします。」と記載され、さらに「主な業務」の一つとして「関連事業の業務」が明記されていた。なお、国鉄の機関誌「つばめ」にも各承継法人の職員の労働条件及び採用基準が記載されている。

原告らを含む被告の社員はいずれも右労働条件を知りえたものであるが、そのうえで、被告を希望する旨記入した意思確認書を国鉄に提出した。

国鉄は、承継法人への採用を希望した職員がその採用の基準に合致するか否かを個々に判断し、社員候補者名簿を作成し、同年二月七日にこれを設立委員に提出した。

そして同月一二日開催された第三回設立委員会は、国鉄から提出された名簿に記載された全員を採用することを決定し、同月一二日付書面をもって同月一六日以降名簿登載者に対してその旨通知した。

その後、被告等承継法人に採用された者は昭和六二年三月末日付の退職届を提出し、国鉄との労働契約は終了した。

(3) 各会社の設立委員は、昭和六二年三月一六日以降新会社発足までに、さきに採用を決定した者に対し、同年四月一日の勤務箇所、職名、等級及び賃金を通知したが、その勤務箇所、職名は同人等が現に従事している国鉄の勤務箇所、職名をもとに、これをそのまま機械的に新会社の勤務箇所、職名に読み替えて通知した。

設立委員としては、列車等の運行を間断なく継続し、同年四月一日からの新会社の業務開始が円滑に行われることを確保するため、新会社の社員に対し、新会社における勤務箇所、職名等を明示しておく必要性を検討したが、これらの作業は本来新会社がその判断において行うべきところ、新会社がいまだ設立されていないことから、とりあえず国鉄における最後の人事異動終了後において、国鉄での最終的配置と考えられる三月中旬時点での勤務箇所、職名をもって新会社発足時点における勤務箇所、職名として扱うことが最良の方法として、右の通知をしたものである。

(4) 昭和六二年三月二三日、被告の創立総会において役員が決定されたが、一五人の常勤取締役のうち、一一人が国鉄の役職員であった。また、国鉄時代に人事課に在籍していた職員の大部分が新会社発足後も同一の職務を担当している(例えば、成島陸郎は、国鉄分割民営化直前、水戸鉄道管理局人事課で新会社発足のための要員体制作りの仕事に従事しており、新会社発足後は要員係長を経て人事課課長代理の地位にある。)。

(5) 同年四月一日、被告が発足し、その時点で八万二四六九名の社員が採用された(希望退職者数が多かったため、改革法に基づく基本計画で定められた定員八万九五四〇人を下回った。)。これに先立って、これらの社員は同年三月三一日付で国鉄へ退職届を提出したが、改革法二三条六項及び七項により国家公務員等退職手当法に基づく退職手当は支給されず、被告を退職する際に国鉄職員としての在職期間を通算して支給されるとの取扱いがされた。

さらに、これらの社員の国鉄における勤務歴、処分歴、賞罰、性格及び組合活動歴等を記載した職員管理調書が被告に引き継がれた。

(四)  被告設立後における労使関係

(1) 昭和六二年四月一日、被告は発足と同時に就業規則及び同規則に基づく出向規程を制定し、同年五月労働基準監督署へ届出を行った(右規則は昭和六二年三月二二日に開かれた被告の第一回の取締役会で決定され、その後国鉄の各現業機関において閲覧に供された。)。

(2) 原告らがこれまで勤務していた水戸駅北口駐車場用地は、昭和六二年四月一日から国鉄清算事業団に移管されたため、同駐車場の営業は同年三月三一日をもって中止されたが、被告発足後も同年四月三日頃まで同駐車場の残務整理(帳簿類の整理、環境整備)の業務があり、原告らはこれに従事した。その後四月七日付発令による新しい勤務箇所へ赴くまでの短い期間原告らは水戸運転所に出勤していたが、運転士や検修の業務に就いたことはなかった。

(3) 昭和六二年四月頃、三回に分けて各ブロックごとに駅長、区長、所長等の現場長が参加する「総合現場長会議」が水戸運行部長を始め、課長なども出席して、水戸運行部総務課主催で開催された。

この会議においては、集団討議方式によりグループごとに「原因」、「対策」及び「スローガン」等が討議されたが、そのテーマの一つとして、「『会社を潰してもかまわないと思っているような人と一緒には仕事は出来ない』この社長の意志を現場運行部門の管理者としてどのような受け止めかつ実行していくのか」が取り上げられ、「会社を潰してもかまわないと思っている人」としては「組合意識の強い人」、「教条主義、主張で飯が食べていけると思っている人」、「『現場に労働運動を』と主張する社員」等があげられ、さらに、社長の意志を管理者として実行していく「対策」としては、「出向させて意識を改革させる」、「随時適切な処置―排除―」、「意識改革の重要性を認識させる」、「遠隔地へ転勤させる」、「基本的には辞めてもらう」などの意見が出された。これらの意見を水戸運行部総務課が取りまとめ、同年六月、総務課人事担当課長名で業務上の参考資料として参加者に送付した。

(4) 同年五月二五日、被告本社で開かれた「昭和六二年度経営計画の考え方等説明会」において、被告の松田昌士常務取締役は、「会社にとって必要な社員、必要でない社員の峻別は絶対に必要……、会社の『方針派』と『反対派』が存在する限り、とくに東日本は別格だが、穏やかな労務方策をとる考えはない。『反対派』は峻別し断固として排除する。」と発言した。

(5) 同年六月から七月にかけて、湯本駅の業務用地掲示板に、「良識ある国労組合員の皆さんに訴える」及び「良識あるJR水戸社員に訴える」と題する文書が「JR水戸を守る有志一同」名で約一か月間掲示された。

「良識ある国労組合員の皆さんに訴える」のビラには、「国労は組織的にも、財政的にも崩壊を迎えることになった……良識ある国労組合員の皆さん、このようなことでよいのでしょうか。この際国労から決裂を!」と、また、「良識あるJR水戸社員に訴える」のビラには、「会社の方針に反対しているあるグループは、エセ革新の不良社員の牛耳る暴力団まがいの過激派グループとなっています。……こんな連中の指導を受ける運動が正しい労働運動と言えるでしょうか。……不良社員は、新会社にふさわしくありません。新会社が嫌いなようですから、早くやめてもらいましょう。」とそれぞれ記載されていた。

(6) 同年八月に開かれた東日本旅客鉄道労働組合(被告の職員によって組織された労働組合であって、鉄道労連に所属する。以下「東鉄労」という。)の統一大会において、被告の住田社長は、「今後も皆さん方と手を携えてやっていきたいと思いますが、そのための形としては一企業一組合というのが望ましいということはいうまでもありません。残念なことは今一企業一組合という姿ではなく東鉄労以外にも二つの組合があり、その中には今なお民営分割反対を叫んでいる時代錯誤の組合もあります。……このような人たちがまだ残っているということは会社の将来にとって非常に残念なことですが、この人たちはいわば迷える子羊だと思います。皆さんにお願いしたいのは、このような迷える子羊を救ってやって頂きたい。皆さんがこういう人たちに呼びかけ、話し合い、説得し、皆さんの仲間に迎えいれて頂きたいということで、名実共に東鉄労が当社における一企業一組合になるようご援助頂くことを期待し……。」とあいさつした。

同月七日、被告と東鉄労との間で、また、同年九月二四日、東日本鉄道産業労働組合(以下「鉄産労」という。)との間で「労使共同宣言」をそれぞれ発表した。

(7) 被告は、昭和六三年四月一日付をもって、組織改正を行い、関連事業本部の内部部課を充実すると共に、関連事業のうち、駅構内の直営店舗の管理運営は、本社本部から駅に移管した。

これらの組織改正に伴い、関連事業に従事する全社員について、暫定的な発令形態である兼務発令を解消することとし、原告らに対しても前記のとおり発令した。なお、これにより、例えば昭和六二年四月一日当時関連事業本部(水戸在勤)という職にあった者に対し、その後何らの転勤命令等もなかったとすれば、その者は現在「水戸駅営業係」もしくは「水戸駅営業指導係」の地位にあることになる。

(8) 被告発足後、平成三年三月までの間において、被告は動労水戸組合員三八名のうち、原告らを含む一六名に対し、延べ二三回の配転を命じ、組合員は結成時三つの職場から一三の職場に分散している。

なお、昭和六二年四月の時点では平地区には原告ら以外に動労水戸の組合員はいなかった。

(9) 被告発足後平成二年四月までに水戸運転所に転入した運転士は二七人おり、その大半は他の運転職場との相互の人事交流であるが、例外的に昭和六一年一一月に余力人員解消策として実施された多能化教育に応じて他系統の職場に従事していた者も若干いる。

(五)  被告における関連事業の展開

(1) 被告に採用された社員数八万二四六九人のうち旅客輸送業を遂行するために必要な社員数は約七万三〇〇〇人であるから、約九五〇〇人の余力人員があり、水戸運行部においても昭和六二年四月一日時点において、採用者約三六二〇人のうち、鉄道事業に必要な社員数約三四〇〇人を除いた約二二〇人(水戸運転所では約五〇人)が余力人員であった。

このような状況におかれた被告においては、発足当初から多数の余力人員についてこれを有効に活用すべく、鉄道営業収入の増収に向けた営業活動に従事させるとか、国鉄当時外注業務としていた業務を直轄化して社員をこれに従事させるとか、鉄道輸送業務以外の関連事業を拡大、開拓してこれに従事させる等の施策、さらには余力人員を他社へ出向させる施策を実施することが必要であった。

(2) 被告において関連事業に従事していた社員数は昭和六二年四月一日時点では約一九〇〇人で、そのうち約一二〇〇人が直営売店に従事しており、平成元年九月一日時点では右一二〇〇人が約三三〇〇人まで増加している。水戸運行部(昭和六三年四月一日水戸支社となる。)においても関連事業に従事していた社員数は昭和六二年四月一日時点での七〇人から平成二年四月時点での二四〇人に増加しており、直営店舗数も国鉄時代は一四店であったものが被告発足後は一七店舗新設して平成二年六月現在では三一店舗となっている。関連事業収入も昭和六二年度は一七億六一〇〇万円であったのが、平成元年度は二七億四九〇〇万円に増加した。

(3) しかしながら、現在関連事業に従事している社員は、特に希望して従事している者を除き、被告において鉄道輸送業務で成績の悪いと評価している(特に本件において具体的な証明はないが)社員(多くは国労及び動労水戸組合員)である。

そして、一般に自ら希望して関連事業に従事している社員は、水戸駅ル・トラン広場直営四店舗(平成三年四月一日に株式会社水戸サービス開発に移行)等設備投資も充実し、売上も多い直営店舗に配置されるのに、それ以外の者の配置される直営店舗は設備も貧弱で、売上もあまり期待できないという傾向がある(例えば、原告辻川の勤務する東海トキワ店には同人を含め動労水戸組合員ばかり三名が配置されているが、昔ながらのそば屋であり、すぐ近くには汲取式の便所があるような環境である。原告福田の勤務する荒川沖トキワ店には同人のほか三名の国労組合員が配置されているが、その看板は壊れたまま二、三か月以上放置されており、店舗内の排水口が少なくて掃除が不便であるし、商品管理場所のスペースも不十分である。原告柴田の勤務するル・トラン大甕店は、自動ドアが壊れたまま放置されている。)。

(4) 昭和六二年四月当時、水戸駅の関連事業としては、直営売店のミート店(二名配置)及びトキワ店(五名配置)のほか水戸ストア(二名配置)、水戸駅旅行センター(六名配置)が存在していた。

(5) 原告辻川の最初に配転された平駅旅行センター分室においては五名が配置されていたが、同原告の仕事は当初二か月間午前午後各三〇分程度駐車場整理をするだけであり、その後の特急券やオレンジカードの販売も業務量が極めて乏しく、昭和六二年七月一日付で同所から一人が他に出向となり、原告辻川が東海駅へ配転された後しばらくして結局同センター分室は廃止された。

原告福田の最初に配転された湯本駅トキワ店では六名の配置となり、過員状態(店長は店舗に立たず事務をするだけ)であった。

原告柴田の最初に配転されたトキワ高萩店は、五名の配置となって過員状態となり、原告柴田配転後数か月内に二名が他業務へ移った。

なお、被告は関連事業には定員はない旨主張している。

(六)  本件各発令により原告らの被った不利益

(1) 原告辻川

(ア) 関連事業本部兼務発令及び兼務発令の解消による不利益

昭和五五年一〇月に電気機関士見習となって以来電気機関士もしくは電車運転士としての教育を受け、昭和五九年九月電車運転士となって以来電車運転の業務に従事していたが、人活センター担務指定、さらにその後の売店勤務と慣れない業務に従事し、昭和六二年二月頃十二指腸潰瘍に罹患していることが判明した。(原告辻川が電車運転士をしていたことは争いがない。)

また、昭和六三年四月の兼務発令の解消により乗務員としての加給分二号俸も平成二年四月二日から減給となった。

(イ) 転勤命令による不利益

(a) 平駅に転勤したことにより、それまでの水戸市千波町の国鉄アパートからの通勤が事実上不可能となり(通勤時間約二時間)妻との共働きで育児の必要もあり、家族ぐるみの転居は不可能なため、単身で平の独身寮への入居を余儀なくされた。(水戸市千波町のアパートから平駅までの通勤時間が約二時間であること、原告辻川が平の独身寮に入居したことは当事者間に争いがない。)

また、動労水戸の組合事務所は水戸にあり、平から水戸に来て執行委員長としての十分な活動をすることはかなり困難となった。(原告辻川が動労水戸の執行委員長であることは争いがない。)

(b) 東海駅に勤務するようになり、通勤や組合活動の面ではかなり改善されたが、なお水戸から離れていることにより組合活動上の支障がある。

(2) 原告福田

(ア) 関連事業本部兼務発令及び兼務発令の解消による不利益

昭和五五年二月以降車両検修業務に従事していたが、人活センター担務指定、さらにその後の売店勤務と慣れない業務に従事し、腰痛を患った。(原告福田が車両検修係に従事していたことは争いがない。)

(イ) 転勤命令による不利益

(a) 昭和六二年二月に長女が生まれ、看護婦をしている妻が勤務を続けるため、水戸市千波町のアパートから同年四月一二日に友部町にある両親宅へ転居したが、これにより湯本駅への通勤が不可能となり、単身でいわき市平の独身寮に入居を余儀なくされた。(原告福田が、いわき市の独身寮へ入居したことは争いがない。)

また、組合活動の面では原告辻川同様、書記長としての十分な活動がかなり困難となった。(原告福田が動労水戸の書記長であることは争いがない。)

(b) 荒川沖駅への通勤は、約一時間一〇分を要し、水戸勤務当時に比べると相変わらず通勤上、組合活動上(副執行委員長)の支障は続いている。

(3) 原告柴田

(ア) 関連事業本部兼務発令及び兼務発令の解消による不利益

昭和五四年一〇月に機関助士見習となり、電気機関士としての教育を受け、昭和五八年三月に電気機関士の資格を取得して以来電気機関士の業務に従事していたが、人活センター担務指定、次いでその後の売店勤務と慣れない業務に従事させられ精神的苦痛を感じている。(原告柴田が電気機関士をしていたことは争いがない。)

また、昭和六三年四月の兼務発令の解消により乗務員としての加給分二号俸も平成二年四月一日から減給となった。

(イ) 転勤命令による不利益

(a) 高萩駅に転勤となり、その後約一か月して旭村の高齢の両親(父親は七九歳で心臓が悪くペースメーカーを使用しており、また母親は七六歳である。)のことが心配で旭村の両親宅に同居することになったため、通勤時間が約二時間二〇分となり、とても通勤できず、朝食の支度等でかえって両親に迷惑をかけることになり、やむなく水戸市城南にアパートを借りて一人で居住している。(原告柴田の両親が高齢であり、旭村に居住していることは争いがない。)

水戸に転居後も高萩まで通勤に長時間を要し、動労水戸の水戸支部の副委員長(委員長代行)、動労水戸執行委員としての組合活動がかなり困難となった。(原告辻川が動労水戸の水戸支部の副委員長、動労水戸執行委員であることは争いがない。)

(b) 大甕駅に転勤となり、通勤時間は緩和されたが、なお水戸を離れていることにより組合活動に支障がある。

2  以上認定の事実に基づいて、原告らの主位的請求及び予備的請求の当否について検討する。

(一)  主位的請求について

(1) 本案前の主張について

(ア) 被告は、原告らと被告との間の労働契約は、就業場所、職種を限定しない契約であるから、原告らをどのような職務上の地位に就けるかは労働契約の履行過程における事実行為にすぎず、確認の利益はない旨主張する。

しかしながら、原告らは前記のとおり本件各発令により職種、勤務場所等が従前のそれと大きく異なっていることは明らかであるうえ、このような職務内容も労働契約の要素であると解されるから、その地位確認を求める訴えは労働契約上の給付内容、すなわち労使間の具体的な権利義務の確認を求めるものであるというべきであり、適法である。

(イ) また、被告は、兼務発令を外した発令の一部の無効確認を求め、さらに現実に就いたことのない地位にあることの確認を求める点で不適法であると主張するが、兼務発令の部分だけでも独立した発令の対象になりうるものである以上、確認訴訟の対象適格に欠けるところはなく、また、原告らは被告発足後少なくとも数日間は水戸運転所に勤務している以上、本務発令(水戸運転所運転士ないし水戸運転所車両係)の部分が現実の地位と全く無関係であると断定することはできず(運転士なる発令は二号俸が加給されることから給与規則上は少なくとも意味のある発令である。)、確認の利益を有するものというべきである。

(2) 本案の主張について

(ア)  主位的請求は、関連事業本部兼務発令と後の兼務発令の解消のいずれもが不当労働行為もしくは人事権の濫用として無効であることを前提とするものである。

ところで、前記のとおり、被告採用時における発令内容は、原告らの右事前通知当時における国鉄の発令内容を機械的に読み替えてされたにすぎないのであり、また被告は改革法によって新たに設立された法人であって、同法二三条の解釈上その職員との間の雇用関係を承継するものではなく、勤務箇所等の通知までに四月一日以降の新会社における業務が円滑に運営されるよう配慮すること(改革法二条二項)を目的としてされた国鉄による人事異動も国鉄独自の判断と責任において行われたものといわざるをえず、設立委員と国鉄との具体的関係において、新会社(被告)の社員の人事異動に関して関係法令上具体的委託ないし命令の関係がないのであるから、採用時の兼務発令についての責任を被告に帰することはできないというべきである(橋本運輸大臣が国会答弁において「代行」なる用語を用いて改革法二三条の趣旨を説明したからといって、同条の右解釈が左右されるものではない。)。

原告らは、被告設立委員が国鉄の判断から独立して職員の配属を決定することが可能であるのに、国鉄による不当労働行為ないし人事権の濫用の結果をそのまま追認した点で不当労働行為ないし人事権の濫用の責任がある旨主張するが、改革法二三条等関係法令の解釈上、採用候補者の選定は国鉄の専権に属し、設立委員の権限に由来すると解する余地はない以上、設立委員は改革法二条二項の趣旨からされた人事異動の内容は尊重すべきであり、新会社発足までの間において国鉄が何らかの不当な意思をもって人事異動を行ったか否かを問擬しうる立場になかったというべきであるから、原告らの右主張も採用できない。

また、兼務発令の解消についても、前記のとおり、被告の組織改正に伴い、当時関連事業に従事していた社員全員を対象として行われたものであり、採用の際の関連事業本部兼務発令について被告に不当労働行為ないし人事権の濫用の責任がない以上、右の発令解消に関しても不当労働行為や人事権の濫用として無効となる余地はないものといわなければならない。

(イ)  右のとおり、関連事業本部兼務発令及び兼務発令の解消が有効である以上、その余の点について判断するまでもなく原告らの主位的請求は理由がない。

(二)  予備的請求について

(1) 本案前の主張について

(ア) どのような職務上の地位に就けるかは労働契約の履行過程における事実行為にすぎず不適法である旨の主張については、予備的請求にかかる訴えに関しても主位的請求にかかる訴えにつき判示したと同様確認の利益は認められるというべきであり、被告の主張は採用できない。

(イ) 次に、予備的請求にかかる訴えの職名については、これまで被告により発令されたことのないものであるから、このような地位を確認すると、裁判所が発令行為を形成することになり不適法であるとの主張について検討する。

しかし、原告らは予備的請求において、予備的請求にかかる地位を形成することを裁判所に求めているものではなく、既にその地位にあるとしてその確認を求めているのであって、被告の右主張はその前提を欠くものであり、失当である。

(2) 本案の主張について

まず、原告らに対する各転勤命令が不当労働行為にあたるか否かについて判断する。

(ア)  不当労働行為意思について

前記認定にかかる人活センターの設置及びその配置職員の選定、役職者の各種言動等によれば、国鉄は、分割民営化に向けて国鉄改革を推し進める過程において、分割民営化に反対する国労、千葉動労、動労水戸等の労働組合と対立し、国鉄改革に協力的な動労や鉄労などの組合との協調関係を推進、維持しようとしており、国鉄改革を成し遂げるために国鉄の方針に協力する者と反対する者とに職場を二分させ、前者の職員を増加させようとしたことは明らかである。

以上からすれば、国鉄分割民営化に反対する国労、千葉動労、動労水戸などに強い嫌悪感を抱き、その弱体化を図る意図を有していたというべきである。

そこで、被告についてみると、国鉄とは別会社になったとはいえ、その職員構成がほとんど変わっていない以上、前記のとおり、国鉄当時、現在の東鉄労を中心とする労働組合の協力を得て国鉄改革を成し遂げたのであるから、国鉄改革が終了した今、それに対する一種の論功行賞として国鉄改革に協力的であった東鉄労等の労働組合を一層優遇し、その反面国鉄改革反対派組合を冷遇するに至るのはその事柄の性質上容易に推認しうるところであるうえ、前記認定のとおり、被告の取締役の大部分が国鉄の役職員であり、人事課職員もほぼ共通していること、総合現場長会議の内容(被告水戸運行部総務課が組合を敵視したかのような内容の討議結果)をそのまま書面にして参加者に配付すること自体異様であり、被告自体が右討議結果を是認しているものとみざるをえない。住田社長や役職者の発言、国労中傷のビラ放置、動労水戸組合員に対する度重なる配転等の諸事実に鑑みると、被告においても国鉄当時と同様、国鉄改革反対派の国労や動労水戸に対し、いまだ強い嫌悪感を抱き、その弱体化を図る意図を有しているのは明らかであるというべきである。

(イ) 本件転勤命令の理由

(a) 就業規則違反について

被告は、本件転勤命令は就業規則二八条に基づく旨主張するところ、原告らは昭和六二年四月七日付発令は、右規則につき労働基準法九〇条一項所定の労働者の過半数を代表する者の意見を聴く手続を行う前にされたものであるから無効である旨主張するが、労働基準法九〇条一項の要件は就業規則の効力要件ではないと解されるうえ、前記認定のとおり、被告は昭和六二年三月の時点で国鉄の各現業機関に就業規則を配置し閲覧に供したというのであるから、実質的には既に労働基準法九〇条一項所定の手続を経たのと同視できるものと解され、原告らの右主張は採用できない。なお、労働基準法八九条一項の所轄行政庁への届出についても就業規則の効力要件ではなく、行政上の取締規定と解するべきであるから、右要件を欠いていたとしても被告の就業規則は無効ではない。

また、原告らは、右発令は就業規則二七条や二八条の文言にも違反する旨主張するが、それは結局のところ、不当労働行為ないし人事権の濫用の主張に等しいからその点で判断すれば足りると解される。

(b)  業務上の必要性について

①  昭和六二年四月七日付発令

被告は、原告らの勤務していた水戸駅北口駐車場の業務が終了したため、今後の関連事業の発展を期し、関連事業要員の確保、養成を目的として発令した旨主張する。

そこで検討するに、前記認定のとおり、被告は、設立当初から今日に至るまで旅客輸送業務の余力人員を関連事業に配置しているものの、その中の中心的役割を占める駅の直営売店においては、一部の希望者を除けば、被告において成績が悪いと評価している社員を配置しており、しかもそれにもかかわらず、特段の教育を施した形跡は窺えず、一部の例外店を除けば、設備投資もそれほど積極的に行っているとは認められず、必然的に売上金額も少ないというのである。

してみると、被告における直営店舗の現状が右のようなものである以上、通常考えられる適正配置の観点からすれば、そもそも直営売店相互間の人事異動自体さして意味のないものであって、一般的に業務上の必要性に乏しかったものと判断せざるをえない。

なお、証拠(<書証番号略>、証人成島陸郎)によれば、水戸運行部の職員(管理職は除く。)のうち、平地区から水戸地区に通勤している職員は極めて多数であり、右のような職員の多くは平地区での勤務を希望しているが、逆に水戸地区から平地区に通勤ている職員はほとんどいなかったことが認められ、原告ら三名に対する四月七日付発令は異例のものであったことは明らかである。

そして、原告ら三名の異動先の売店等は前記認定のとおりいずれも過員状態にあり、一方、水戸駅の関連事業についても必ずしも原告らを配置する余裕がなかったとまで認めるに足りる証拠はない(被告は水戸駅の関連事業はいずれも定員に足りていた旨主張するが、右のように異動先自体過員なのであるから、必ずしも水戸駅に原告らを配置する余裕がなかったとは断定できない。)のであるから、右発令は業務上の必要性につきかなり疑問があるというべきである。

②  その後の転勤命令

被告は、いずれも欠員補充のため原告らを異動させた旨主張するが、そもそも従前の配置人員自体が必要なものか明らかでなく(被告自身関連事業には定員はない旨主張している。)、また当初の昭和六二年四月七日付発令自体その必要性に疑問がある以上、それを前提とする転勤命令も前記の一般的な直営店舗相互間の異動の必要性の乏しさに鑑みると、業務上の必要性に疑問があるといわなければならない。

(ウ)  原告らの被った不利益

原告らがいずれも昭和六二年四月七日付発令により従前の居住地からの通勤が不可能となり、転居により家族との別居を余儀なくされるなどしたことは前記認定のとおりであり、その後の異動により通勤事情は緩和されているとはいえ(但し、原告福田はさほど緩和されていない。)、水戸勤務当時に比べれば、やはり家庭生活上の不利益を被っているというべきである。

また、組合活動については、前記のとおり原告らはいずれも動労水戸の幹部であり組合活動の中心的立場にあるにもかかわらず、昭和六二年四月七日付発令により組合の拠点である水戸から通勤不可能な遠隔地に、しかも三人別々に異動させられたのであるから、組合活動に重大な支障が生じたのは明らかであり、右の点もその後の異動により緩和されているが、なお水戸在勤当時に比べれば一定の不利益を被っており、右異動により当初の異動による不利益が回復されたとまで認めることはできない。

(エ)  まとめ

以上検討したとおり、原告らに対する本件転勤命令の業務上の必要性の乏しさ、他方、原告らの受ける重大な不利益、原告らのこれまでの組合活動及びこれに対する被告の態度、そして本件転勤命令に至る経緯を総合勘案するときは、本件転勤命令は、結局被告が原告らの組合活動を嫌悪し、右活動を困難ならしめ、組合員に対する影響力を減殺する意図のもとにしたものであり、これが本件転勤命令を発するに至った決定的動機であると推認できる。

したがって、人事権の濫用の有無について判断するまでもなく、本件転勤命令は、労働組合法七条一号の不当労働行為にあたり無効であるといわなければならない。

そして、前記認定のとおり、被告は昭和六三年四月に組織改正を行った結果、昭和六二年四月一日当時「関連事業本部(水戸在勤)」という職にあった者に対し、その後何らの転勤命令等もなかったとすれば、その者は現在「水戸駅営業係」もしくは「水戸駅営業指導係」の地位にあるのであるから、少なくとも「水戸駅営業係」の地位の限度では単なる組織改正に伴う呼称の変更にすぎないと解され、原告らは現在、少なくともこのような地位にはあるということができる。

しかしながら、「水戸駅営業指導係」の地位については、その職名からしても一定の指導的立場にあるものであるから、その発令にあたっては被告の裁量の余地が大きいものと判断せざるをえず、また駅の大小等も発令内容に当然影響を及ぼすと解されるから、A駅の営業指導係の地位にあったものが当然B駅の営業指導係と同格の地位にあったとまで直ちに認めることはできず、これを認めるに足りる証拠はない。そうすると、現在原告辻川が東海駅営業指導係、原告柴田が大甕駅営業指導係の地位にあるからといって、本件転勤命令がいずれも無効な場合、両原告がいずれも当然に水戸駅営業指導係の地位にあるとまで認めることは困難であるというべきである。

したがって、予備的請求のうち、原告辻川及び同柴田が水戸駅営業指導係の地位確認を求める部分は理由がないというべきである(しかしながら、右請求の趣旨の中には当然「水戸駅営業係」の地位確認を求める趣旨も包含されているものというべきであり、右の限度で地位確認を命ずることは請求の一部認容として許容されると解される。)。

三よって、原告らの主位的請求はいずれも理由がないから棄却し、予備的請求は、水戸駅営業係の地位確認を求める限度で理由があるから認容し、その余の予備的請求は理由がないから棄却することとして、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官矢崎秀一 裁判官山﨑まさよ 裁判官神山隆一)

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