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水戸地方裁判所土浦支部 平成9年(ワ)263号 判決 2001年11月20日

原告

甲野太郎

甲野春子

上記法定代理人親権者

甲野太郎

原告ら訴訟代理人弁護士

田中俊夫

工藤昇

佐藤進一

小林秀俊

被告

下館市

上記代表者市長

冨山省三

同訴訟代理人弁護士

南出行生

榎本孝芳

北澤龍也

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  被告は、原告甲野太郎に対し、金4497万0855円及びこれに対する平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告甲野春子に対し、金3610万0855円及びこれに対する平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は、常位胎盤早期剥離(以下「早剥」という)とこれに伴う播種性(汎発性)血管内血液凝固症侯群(disseminated intravascular coagulation syndrome;DIC、以下「DIC」という)を原因とする出血性ショック及び多臓器不全により死亡した妊婦の夫及び子である原告らが、被告が開設し、経営する病院の医師らの対応や治療処置等に過失があったとして、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づいて損害賠償を請求した事案である。

1  前提となる事実(当事者間に争いのない事実及び掲記の証拠によって認められる事実)

(1) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という)は、亡甲野花子(以下「花子」という)の夫であり、原告甲野春子(以下「原告春子」という)はその長女である。(甲1)

被告は、下館市民病院(以下「被告病院」という)を開設し、経営する地方公共団体である。

(2) 花子は、平成6年1月18日、被告病院で診察を受け、妊娠6週6日、出産予定日9月8日と診断され、同日、被告との間で、花子が以後定期的かつ適宜に被告病院で診察を受け、第2子を出産し、その産前産後に適切な医療措置を受けることを内容とする診療契約を締結した。

(3) 花子は、同年2月15日、切迫流産のおそれがあったことから被告病院に入院したが、同月19日に退院し、以後、同年3月8日から8月24日までの間、被告病院で10回の検診を受けたが、異常はなく、妊娠の経過は順調であった。

(4) 同年8月30日午前9時ころ(以後、特に断りなく時刻のみを示すときは、同日の時刻を表す)、花子は、被告病院で主治医のA医師(以下「A医師」という)の診察を受けたが、在胎週数は38週と5日であり、特に異常はないと診断され、同医師から、「予定どおり1週間前後で元気な赤ちゃんが生まれるでしょう」などと言われた。花子は、その時点では、頚管は硬く、子宮口の開大は約1、2センチメートルであり、ビショップスコアは5項目全てが1で5点であり、未だ分娩状態にはなかった。(乙1 34頁)

(5) 花子は、その後、友人と会い、一緒に昼食をとるなどし、午後4時ころ帰宅したが、そのころ花子に格別異常はみられなかった。

(6) 花子は、帰宅後、原告春子と遊んだり、ピアノを弾くなどしていたが、しばらくすると頭痛を感じ、横臥して頭を冷やすなどして休んでいた。その後、花子は、義母の甲野夏子(以下「夏子」という)に対し、「少し楽になったようです。体温を計ったら36.7度でした」などと言った。(甲9)

(7) 午後5時ころ、夏子が、花子に対し、夕食の準備ができたことを告げたところ、依然として横臥して休んでいた同女は、「頭が痛くて具合が悪いので、もう少し経ってからにする」などと答えた。(甲9)

(8) 花子は、午後5時10分ころ、勤務先の原告太郎に電話をかけ、同人に頭痛を訴え、「被告病院に電話をしたところ、様子を見るように言われた」旨話した。(甲8、原告太郎)

(9) 花子は、午後8時15分ころ、被告病院に電話をかけ、応対したB助産婦(以下「B助産婦」という)に対し、「午前中に妊婦検診を受けた。病院でたまたま友人と会い、お茶を飲んで帰宅したら頭が痛くなった。転げ回るほどの痛さだった。病院へ電話をして応対した女の人に、『頭が痛い』と話したら、その人から、『そのまま少し様子を見てみて下さい』と言われた。様子を見ていたら、頭痛は少し落ち着いてきたが、今度は持続的に感じる腹緊がでてきた。陣痛はない」などと話した。B助産婦は、花子の話し方や応対が落ち着いており、電話連絡の内容自体からは頭痛の他は格別異常は感じられなかったことや、同女が経産婦で、腹緊から陣痛に移行することも考えられるし、また、妊娠の週数からみても間もなく分娩が始まる徴候ではないかと考えたことから、同女に対し、「気を付けて、急いで入院して下さい」などと指示するとともに、直ちに、当日の準夜勤務者のD助産婦(以下「D助産婦」という)に対し、花子から受けた電話連絡の内容と同女に入院するよう指示したことを告げた。(乙2 11頁、19、証人B)

(10)  花子は、午後8時15分ころ、勤務先の原告太郎に電話をかけ、「頭が痛いし、吐き気もするけど、お知らせが来たようなので、病院に行きます」などと話した。(甲8、原告太郎)

(11)  花子は、そのころ、夏子に対し、「今ちょっとおりものがあったの。お産かも知れないから、病院に連れて行って下さい」などと言い、被告病院と原告太郎には既に連絡した旨話した。(甲9)

(12)  花子は、その後、「お風呂に入ってきます」などと言って、風呂場でシャワーを浴び、「これから頑張らなくてはいけないので、ご飯も食べていくわ」などと言って、普段どおり夕食をとった。その際、特に頭痛等は訴えていなかった。(甲9)

(13)  花子は、午後8時30分ころ、夏子の運転する自動車で被告病院へ向かった。花子は、その途中、後部座席で横になっていたが、「お母さん、2人目の子は男の子じゃないのと皆に言われるの」などと嬉しそうに話していた。(甲9)

(14)  花子らは、午後9時5分ころ、被告病院に到着した。同女は、到着直後に1回嘔吐したが、その後、「ああ、さっぱりしたわ」などと言い、自分で歩いて被告病院内に向かった。同女は、夏子が入院手続をしている間、「お母さん、私は3階ですから、先に行っています」などと告げ、1人で3階の産婦人科病棟に向かった。(甲9、乙2 14頁)

(15)  被告病院では、助産婦が夜間勤務をし、医師は拘束勤務として自宅で待機する体制をとっていた。平成6年8月30日から31日にかけての夜間は、C医師(以下「C医師」という)が拘束勤務医として被告病院から自動車で10分ほどの距離にある下館市民病院医師住宅の自宅で待機していた。(乙3、4、5の1、2、乙19、証人C)

(16)  花子の来院後、E助産婦(以下「E助産婦」という)が花子を診察したところ、顔色がすぐれず、頭痛、悪心、吐き気を訴え、腹部全体が固く、胎児心音が聴こえなかったので、D助産婦は、午後9時30分ころ、花子の主治医のA医師と拘束勤務医のC医師の自宅に連絡した。(乙2 3頁、弁論の全趣旨)

(17)  A医師及びC医師は、被告病院から花子の胎児心音が聴こえないとの連絡を受け、直ちに自動車で被告病院に向かった。A医師は午後9時35分ころ、C医師は午後9時40分ころ、それぞれ被告病院に到着し、そのころ花子の診察を開始した。(乙23頁、14頁、19、証人C)。

(18)  花子を診察したA医師は、胎児心音を聴取することが出来ず、超音波断層検査の結果、胎盤後血腫を認めたので、胎児の死亡を確認した上、C医師に対し、「胎盤後血腫がある。早剥だ。早く児を出そう」などと言った。(乙2 3頁、19、証人C)

A医師の作成に係る診療録には、「考えられる死亡原因は、①胎盤早剥、②臍帯絞やく、③他 奇形? 他には特に考えられない」、「原因不明だが、家族にはどう説明するか」、「9:50 母親に一応説明 現状 胎児死亡 原因不明」、「10:15 甲野氏に説明 ①胎児死亡の事実を伝える、②本人には今は伝えていない、③原因は不明 考えられることは胎盤早剥か臍帯絞やくか 今は不明」、「遂娩を急ぐべし DIC対策」との記載がある。(乙2)

(19)  A医師は、C医師に対し、経膣分娩を行う旨を告げたので、同医師が、「帝王切開でなくて大丈夫ですか」などと尋ねたところ、A医師は、「4指開いている。すぐ下から出る。帝王切開しなくて大丈夫だ」などと言った。(乙19、証人C)

(20)  A医師は、経膣分娩の実施を決定すると、午後9時46分ころ、花子に対し、採血をして、血液検査を実施するとともに、輸血準備のためのクロスマッチテスト(血液交差試験)を行い、輸血5本の準備を指示し、午後9時55分、同女の左手に点滴のための血管を確保した。(乙2 14、37頁、乙19、証人C)

(21)  A医師は、午後10時ころ、被告病院に来た原告太郎に対し、「胎児の心音がないんです。胎児は死亡している可能性が高い。その原因としては、胎盤剥離か臍帯絞扼が考えられますが、現時点では不明です」などと説明するとともに、「胎児を早く母体から出さなければDICになってしまい、母体が危険な状態になってしまう」などと告げた。原告太郎は、A医師に対し、「帝王切開ですよね」などと尋ねたところ、同医師は、しばらく間をおいた後、「いや、普通分娩でやります」などと答え、原告太郎が更に「大丈夫ですか」と聞いたのに対し、A医師は、「やってみます」などと答えた。(甲8、原告太郎本人)

(22)  午後9時58分ころ、花子の子宮口は三指大(約6、7センチメートル)に開大し(なお、診療録・乙2中には「外子宮口3.0開大」と記載されており、それが3センチメートルの開大をいうのか、或いは、三指大の開大をいうのか明示されていないが、証人C、同吉村泰典の各証言や、後記認定のとおり子宮口を開大させるために挿入したネオメトロが脱出していること、花子の妊娠が37、38週目で、同日午前の診察時からの子宮口の開大経過としても決して不自然とはいえないことなどを考慮すれば、上記記載は三指大の開大を意味するものと認められる)、破水していた(自然破水か人工破水かは明らかでない)。A医師は、更に子宮口を拡大するために、120ミリリットルのネオメトロを挿入して精製水150ミリリットルを注入するなどしたが、「ネオメトロは子宮口が開いているから出てしまう」などと言い、ネオメトロを抜去した。(乙2 5、14頁、19、証人C)

(23)  A医師は、花子に対し、分娩を促進するためアトニンO、マイリス、ブスコパン等を投与し、午後10時20分ころ、頚管切開を施行し、午後10時30分ころ、吸引カップによる吸引分娩を開始し、午後10時58分ころ、死亡胎児と胎盤を同時に娩出した。分娩終了時までに測定することができた同女の出血量は230ミリリットルであった。(乙2 5、14、15頁、19、証人C)

(24)  A医師は、花子の分娩中、同女に対し、点滴によって、午後10時30分にノイアート500単位を4バイアル、午後10時34分にFOY100ミリグラムを10アンプルビン、午後10時45分にフサン50ミリグラムを2アンプルをそれぞれ投与した。(甲6の1、乙2 6、14頁、19、証人C)

診療録中のC医師作成に係るメモには、「DICにならないように(結果はまだわからず)①5%TZ500+フサン100mg ②5%TZ500+FOY1000mg(10A) ③ノイアート4V+ノイアート4V追加(2:00頃か) 点滴針穴より出血続く」、「出血量は多くなくDIC予防の治療を行う 全体状態よく通常なら投与するミラクリッドはまだいいと思われた」との記載がある。(乙2 35頁、19、証人C)

(25)  しかしながら、花子は、分娩直後に2250ミリリットルの出血をし(そのうち1730ミリリットルが分娩時既に生じていた内出血であったと考えられる)、その後も子宮収縮が不良で、子宮からの出血量が増え続けたので、分娩直後から、同女に対し、保存血や献血による新鮮血の大量の輸血が行われたが、出血は止まらず、翌31日午前0時50分ころには心停止状態となり、カウンターショックを施行されて蘇生したが自発呼吸を維持できず、人工呼吸が必要な状態となり、同日午前5時ころには同女の血液は58/24、出血量は合計8850グラム、輸血量は合計7600ミリリットルに達した。(乙2)

(26)  花子は、原告太郎の希望により、同日午前5時50分ころ、救急車で被告病院を出発し、筑波メディカルセンター病院へ搬送された。(甲8、乙2 20頁、19、証人C、原告太郎)。

(27)  花子は、同日午前6時5分ころ、筑波メディカルセンター病院に到着し、集中治療室で治療を受けたが、その後も出血が止まらず、同年9月1日午前8時38分死亡した。

(28)  花子の直接死因は、出血性ショック及び多臓器不全であり、その原因は、早剥を原因とするDICであった。(甲2、3、6の1)

(29)  8月30日午後9時46分ころ採血した花子の血液検査の結果によると、血中FDPは2560mg/ml(正常値は10mg/mlより少ない)、フィブリノーゲンは18mg/dl(正常値は170から410mg/dl)、PT(血液の凝固し易さ)は25パーセント(正常値は80から130パーセント)、APTTは38秒(正常値は25から45秒)、カルシウム再加凝固時間(血液が凝固するまでにかかる時間)は162秒(正常値は60から120秒)、アンチトロンビンⅢは70パーセント(正常値は80から130パーセント)、血小板数は95000/μl(正常値は130ないし400/μl)であった。(乙2 36、37頁)

(30)  花子の行政解剖の結果を記載した剖検報告書には、「剖検診断」として、頚管切開後状態について、「周囲に血腫は明らかでない」と、子宮漿膜側、頚部の出血傾向(大量輸血後)について、「骨盤腔、後腹膜に及ぶ広汎な血腫(左>右)」と記載されている。(甲5の3)

(31)  証拠(甲10の5、13、乙6ないし15、18、21、鑑定結果)によれば、早剥及びDICに関し、以下のような医学的知見があったことが認められる。

ア 早剥は、正常位置に付着した胎盤が、胎児娩出前に子宮壁から剥離する疾患である。早剥は、脱落膜の出血に始まり、出血の貯留により形成された胎盤剥離面の血腫(胎盤後血腫)がこれに接する胎盤を更に剥離、圧迫し、胎盤機能を障害する。早剥は、胎児を低酸素症に陥らせ子宮内で仮死又は死亡させるに至り、母体には高い割合でDICを併発させる。

イ DICとは、血管内において血液凝固性が異状に亢進し、前進の微小血管に多発性微小血栓が生じる状態をいう。

早剥はDICの代表的な基礎疾患であり、早剥が生じている場合、胎盤後血腫の血清成分と胎盤、脱落膜の中に存在する凝固活性化物質(組織トロンボプラスチン等)が母体血液中に流入し、血管内で血小板、フィブリノーゲンを始め各種凝固因子が消費されて消費性凝固障害となり、同時に血管内血栓を溶解、排除するための反応として線溶現象が亢進することから、生体全体としては出血傾向が増大し、また、血栓や血流障害によって腎臓をはじめとする主要臓器が循環障害に陥る。

ウ 早剥は突発的に発症し、発症後は急速に悪化し、DICを併発させる危険性が高いので、その早期診断と迅速な治療が極めて重要である。

早剥の臨床症状としては、下腹部激痛、持続性疼痛、腹部板状硬(持続的な子宮収縮)、急激な子宮底の上昇、胎児心音消失、胎動消失、性器出血、急性貧血等がみられる。

早剥の症状出現後は、直ちに超音波断層検査、CTG、血沈、血液検査等を行い、DICスコアによりDIC併発の有無を評価した上、速やかに治療を行う必要がある。

DICを併発している場合には、血液検査の所見として、赤沈値の延長、出血時間の延長、全血凝固時間の延長、血中のフィブリン体分解物(FDP)の増加、血小板数の減少、フィブリノーゲン量の著減、プロトロンビン時間(PT)の延長、活性化トロンボプラスチン時間(APTT)の延長、アンチトロンビンⅢの低下等がみられる。

エ 早剥の場合のDICの治療においては、DICの進行を抑えるために、できる限り速やかに胎児、胎盤等の子宮内容物を排除することが最も重要であり、そのために急速遂娩を行うことが必要となる。

急速遂娩の方法としては、帝王切開と経膣分娩とがあるが、担当医師は、分娩の進行の有無、程度、胎児の死亡の有無、母体の全身状態等を基準にして、いずれの方法を選択するかを決定する必要がある。一般的には、分娩が進行しており子宮口が全開大又は全開大に近い場合、胎児が死亡してその救命の必要がない場合、母体の全身状態が悪化して手術に耐え得ない場合等は、人工破膜、陣痛促進剤の投与により分娩を促進し、吸引分娩術、鉗子分娩術によって経膣分娩を行い、他方、分娩が進行しておらず子宮口の開大が不十分で、分娩が短時間で終了する見込みがない場合、胎児が生存している場合、母体の全身状態が悪化しておらず手術に耐えうる場合等は、帝王切開を行うとされるが、特に、胎児が死亡している場合は、胎盤の剥離が相当進んでいることを示し、母体の全身状態が悪化していることが多いため、早急に子宮内容物を娩出させる必要があるので、短時間で経膣分娩が終了すると予測される場合を除いては、帝王切開が選択されるべきである。また、子宮からの弛緩出血が止まらない場合は子宮摘出術を行う。

そして、上記のような産科的処置に加え、各血液成分の補充並びに抗凝固療法及び酵素阻害剤による治療を行う。前者としては、必要に応じ保存血、新鮮凍結血漿、血小板、新鮮血等の輸血を行い、後者としては、メシル酸ガベキサート(FOY)、アプロチニン(トラジロール)、アンチトロンビンⅢ(ノイアート、アンスロビン)、ヘパリン、ウリナスタチン(ミラクリッド)、メシル酸ファモスタット(フサン)等の薬剤を投与する。

2  争点

(1) 花子からの電話連絡に対して、被告病院の職員のとった対応に誤りがあったか。(以下「争点(1)」という)

(2) A医師は、花子を診察後、同女が早剥を発症していることの診断を遅延し、同女に対し、早剥とこれに伴うDICの進行予防、症状改善のために必要な治療処置を怠った事実があったか。(以下「争点(2)」という)

(3) A医師が急速遂娩の方法として、帝王切開によらず、経膣分娩を行ったこと及びその際にとった処置、方法並びに遂娩後の措置等に誤りがあったか。(以下「争点(3)」という)

(4) 損害額(以下「争点(4)」という)

3  争点についての当事者の主張

(原告らの主張)

(1) 争点(1)について

ア 花子は、午後4時ころから午後5時ころまでの間に、被告病院に電話をし、異常な症状がある旨を訴えたのだから、これに応対した被告病院の職員は、花子に対し、直ちに入院するように指示するべき義務があったのに、これを怠り、しばらく様子を見るように指示したに止まった。

イ また、花子は、午後8時15分ころ、B助産婦に対し、電話で、「陣痛はなく、持続的な腹緊がある」などと、異常な症状がある旨を訴え、同助産婦は、花子に対し、直ちに入院するように指示したのであるから、同助産婦は、その時点で花子の早剥を疑い、直ちに同女の主治医であるA医師らに連絡し、被告病院に同医師らを待機させ、花子の到着後に迅速な治療処置がとれるようにするべき義務があったのに、これを怠った。

ウ その結果、同女の到着後、医師による花子の診察及び同女に発症した早剥とこれに伴うDICに対する治療処置が遅れ、同女の死亡を招いた。

(2) 争点(2)について

ア A医師は、花子に対し、超音波断層検査を実施して胎児の死亡を確認した時点で、早剥の診断をするとともに、これに伴うDICの発症を疑い、必要な検査を行ってDICの発症を早期に診断し、その進行防止、症状改善のために必要な治療処置を行うべき義務があったのに、これを怠り、超音波断層検査を実施した時点でも、早剥について確定的な診断をせず(このことは、A医師の作成に係る診療録中に、胎児の死亡原因として複数の原因を記載していることや、「原因不明」との記載がみられることなどからも明らかである)、また、DICの発症を迅速、簡便に判定し得る赤沈検査を行わず、さらに、DICの進行防止のために必要なミラクリッドを投与しなかった。

イ その結果、A医師は、DICの診断が遅れ、その進行防止、症状改善のために必要な治療処置を行わないまま、花子のDICを進行させ、多量の出血を招いて同女を死亡させた。

(3) 争点(3)について

ア 花子は、午前9時ころの診察においては、頚管は硬く、子宮口の開大は1、2センチメートルであり、ビショップスコアは5項目全て1で5点であり、未だ分娩状態にはなく、また、分娩開始時においても、陣痛はなく、子宮口は全開大ではなかったのであるから、経膣分娩によっては死亡胎児等を容易に娩出できないし、しかも既にDICを発症していたのであるから、A医師としては、帝王切開によって死亡胎児等を娩出し、さらに、花子の子宮からの出血が止まらない場合等は子宮摘出術を行うべきであったのに、これをせず、しかも、分娩の際、花子に対し、分娩を促進するためにアトニンO、マイリス、ブルコパン等の薬剤を投与して、無理な経膣分娩を強行した。

イ また、その際、多量出血や頚管裂傷の危険のある頚管切開を行い、しかも、分娩後、何ら有効な止血のための措置を講じなかった。

ウ さらに、A医師は、分娩後、出血が止まらなくなり、花子が重篤な容体を呈した時点で、同女を早期に高次医療施設に転送すべきであったのに、これをしなかった。

エ その結果、A医師は、花子に多量の出血を生じさせ、同女を死亡させた。

(4) 争点(4)について

ア 花子の損害

(ア) 逸失利益 4720万1710円

(イ) 慰謝料 1500万円

原告太郎及び同春子は、上記花子の損害賠償請求権を各2分の1づつ(各3110万0855円)相続した。

イ 原告らの固有の損害

(ア) 慰謝料 各500万円

(イ) 葬儀費用 原告太郎につき150万円

(ウ) 弁護士費用 原告太郎につき737万円

ウ 各原告の請求額

(ア) 原告太郎につき、合計4497万0855円及びこれに対する不法行為日の後である平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金

(イ) 原告春子につき、合計3610万0855円及びこれに対する不法行為日の後である平成6年9月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金

(被告の主張)

(1) 争点(1)について

ア 花子が午後4時ころから午後5時ころまでの間に被告病院にした電話連絡の内容自体が明らかでない上、同女は、その電話連絡の際、特に異常な症状を訴えていたとはいえないのであるから、同女に応対した被告病院の職員が、花子に対し、直ちに入院を指示せず、しばらく様子を見るように指示したに止まるとしても、被告病院の対応に過失はない。

イ B助産婦が、午後8時15分ころ、花子から、頭痛、腹緊等を訴える電話連絡を受けたことだけから、「同女が早剥を発症しており、直ちに医師に連絡をとり医師を緊急待機させる必要がある」との判断をすることは極めて困難である。

また、その電話連絡の後、花子は、自宅で食事をした上、午後9時5分ころ来院し、助産婦による診察後、直ちにA医師、C医師に連絡がなされ、A医師は午後9時35分ころ、C医師は午後9時40分ころには被告病院に到着して花子の診察にあたっているのであるから、同女の来院後の被告病院の対応にも遅れはない。

したがって、B助産婦が花子からの電話連絡の後、直ちに医師に連絡しなかったとしても、被告病院の対応に責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

(2) 争点(2)について

A医師は、花子を診察した際、胎児の死亡を確認するとともに、超音波断層検査によって胎盤後血腫を認めていることから、超音波断層検査を実施した時点で同女の早剥を確定的に診断していた。

A医師は、早剥の診断を前提とし、午後9時46分ころ、直ちに花子の採血をし、DICの診断のために必要な血液検査を行っている。赤沈検査は実施していないが、これを実施しなかったからといってその後のDICの治療処置が遅れたということはない。

そして、A医師は、その検査結果が判明する前に、花子のDICの発症に備え、輸血準備のため、クロスマッチテスト(血液交差試験)を行い、輸血5本を準備し、午後9時55分ころ同女の両手に点滴のための血管を確保した上、急速遂娩を実施し、分娩中から、同女に対し、DICの抗凝固療法、酵素阻害剤による治療のために必須の薬剤であるノイアート、FOY、フサンを投与しており、分娩直後の午後11時2分から輸血を開始している。同女に対し更にミラクリッドの投与が必要であったとはいえない。

このように、A医師は、花子の早剥の診断に遅れはなく、同女のDICの進行防止、症状改善のために必要な治療処置を行っているのであるから、同医師の治療処置に誤りはなく、したがって、被告病院に責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

(3) 争点(3)について

ア 早剥とこれに伴うDICの発症が危惧される場合は、できるだけ短時間で死亡胎児等の子宮内容物を娩出することが最も重要とされるところ、A医師は、胎児が既に死亡しておりその救命の必要がなかったこと、花子の子宮口が三指大(6、7センチメートル)開大していること、同女の胃内容物が残存しており、全身麻酔に伴う危険を考慮する必要もあったことなどから、吸引分娩による急速遂娩が可能であると判断し、経膣分娩を行い、分娩開始から約1時間ほどの短時間で死亡胎児等を娩出させている。

イ 既に重篤なDICを発症していた花子に対して帝王切開を実施することは、手術に伴い大量出血を招き、止血が困難となり同女が死亡する危険が極めて高かった。また、手術の準備、実施にもかなりの時間を要したと思われることから、帝王切開を行っていれば経膣分娩に比べてより早く分娩が終了したとはいえない。

ウ 花子の血液検査の結果や分娩後の強い出血傾向等から、分娩時、花子が既に重篤なDICを発症していたことが窺われるのであるから、帝王切開を行った上、更に子宮摘出を行うことは極めて危険であり、仮に、帝王切開や子宮摘出を行っていたとしても、同女の救命は不可能であった。

エ 頚管切開は、子宮口を2、3か所、5ミリメートルから1センチメートル程度切開するものであるが、帝王切開に比べて出血ははるかに少なく、縫合も簡単であり、多量の出血を招く危険は小さく、実際にも、花子に対して行った頚管切開による出血は多くなく、頚管裂傷もみられず、結果的には短時間での急速遂娩を遂げているのであるから、頚管切開を行ったことが同女の状態を増悪させたとはいえない。

オ さらに、原告らは、「A医師は、花子の分娩後、同女に対し何ら有効な止血のための措置を講じなかった、同女が出血により重篤な容体を呈した時点で、同女を早期に高次医療施設に転送すべきであったのに、これをしなかった」旨主張するが、同女の止血は不可能な状態であり、輸血のほか有効な止血措置はなかったし、また、同女を高次医療施設に転送していたとしても、同女の救命は不可能な状態であった。

カ したがって、A医師が、花子の分娩方法の選択、実施方法等を誤ったとはいえず、A医師の行った急速遂娩に誤りはなく、被告病院に責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

第3  当裁判所の判断

1  争点(1)について

(1) 花子が午後4時過ぎころから午後5時10分ころまでの間に被告病院に電話連絡をしたこと、その際花子は被告病院側で応対した女性職員に対し、「頭が痛い」などと訴えたこと、同職員は、花子に対し、しばらく自宅で様子をみるように指示したのみで、直ちに入院することなどは指示しなかったことは前記第2の1(8)及び(9)で認定したとおりである。

しかしながら、早剥の臨床症状としては、前記第2の1(31)ウのとおり、下腹部激痛、持続性疼痛、腹部板状硬(持続的な子宮収縮)、急激な子宮底の上昇、胎児心音消失、胎動消失、性器出血、急性貧血等がみられるとされるところ、花子は、その電話連絡の際、対応した被告病院の職員に対し、少なくとも頭痛を訴えたことは認められるものの、その他にどのような話をしたのかは明らかではなく、花子が上記のような早剥の発症を示す一般的な症状を訴えたことを認めるに足りる証拠がないことに加え、前記第2の1(3)及び(4)で認定したとおり、同女は平成6年8月30日までの妊娠経過中に妊娠中毒症等の異常は認められず、同日午前の診察時にも異常はみられなかったのであるから、同女の電話連絡に対応した被告病院の職員が、その時点では、花子に対し、しばらく自宅で様子をみるように指示したのみで、直ちに入院を指示しなかったとしても、そうした指示に誤りがあったとは認められない。

(2) また、花子が、午後8時15分ころ、被告病院に電話をかけ、対応したB助産婦に対し、「頭痛は少し落ち着いてきたが、今度は持続的に感じる腹緊がでてきた。陣痛はない」などと訴えたこと、同助産婦は、花子に対し、すぐに入院するように指示したものの、その時点では、同女の主治医であるA医師や拘束勤務医であるC医師には連絡をしていないことは、前記第2の1(9)で認定したとおりである。

しかしながら、花子の上記訴えをもって早剥の発症を示す一般的な症状を訴えたと認めることはできず、他に花子がそうした訴えをしていたことを認めるに足る証拠はないから、B助産婦に対し、上記のような電話連絡の内容だけをもって、直ちに花子が早剥を原因とする異常を訴えているものと判断することを要求することは困難であったと言わざるを得ない。

また、花子は、その電話連絡の後、シャワーを浴び、夕食をとった上、夏子に付き添われて自ら来院しており(前記第2の1(12)、(13))、さらに、花子が午後9時5分ころ来院した後は、E助産婦が花子を診察し、胎児心音の不聴を認めると、直ちにA医師とC医師に連絡し、A医師は午後9時35分ころ、C医師は午後9時40分ころ、それぞれ被告病院に到着して花子の診療にあたっているのであり(同(14)ないし(17))、花子の来院後、医師による診療が開始されるまで、さほどの遅れがあったとはいえない。

以上を総合考慮すれば、B助産婦が、午後8時15分ころ、花子から電話連絡を受けた時点では、同女に対し、入院することを指示したのみで、同女が早剥を発症しているとの判断に至らず、直ちに医師に連絡をとらなかったことをもって、同助産婦の指示に誤りがあったとは認められない。

(3) 以上のとおり、花子に電話で応対した被告病院の職員の指示に誤りがあったとは認められないのであるから、被告病院の対応に責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

2  争点(2)について

(1) 早剥及びDICに関する医学的知見は、前記第2の1(31)アないしウで認定したとおりである。

(2) そこで、上記医学的知見に基づいて検討するに、本件においては、A医師は、午後9時40分ころ花子を診察し、胎児心音の不聴から胎児の死亡を確認するとともに、超音波断層検査の結果、胎盤後血腫があることを認め、その旨を診療録に記載した上、C医師に対し、「胎盤後血腫がある。早剥だ。早く児を出そう」などと告げており(前記第2の1(17)、(18))、また、午後10時ころ、被告病院に来た原告太郎に対しても、胎児死亡の原因として花子が胎盤剥離を発症している可能性があることを説明するとともに、早く胎児を娩出しなければDICを発症し母体が危険な状態に陥る旨を告げている(同(21))。

そして、A医師は、花子に対し、超音波断層検査に引き続き、採血して血液検査を行い、その検査結果の判明を待たずに、直ちに急速遂娩の実施を決定し、輸血の準備、点滴のための血管の確保を行い(同(18)ないし(21))、吸引分娩による急速遂娩を実施し(同(22)、(23))、分娩中にも、DICの進行予防、症状改善のための抗凝固療法、酵素阻害剤による治療として必須の薬剤の投与を行っている(同(24))。

以上によると、A医師は、花子に対する超音波断層検査の結果、胎児の死亡と胎盤後血腫を確認した時点で、花子が早剥を発症していることを認識し、その後は、早剥に伴いDICを発症する危険があることを念頭に置いた上で、DICの進行防止、症状改善のための治療処置をとっていると認められるのであって、その処置が不適切であったとすることはできない。

(3)ア なお、原告は、診療録中、A医師が、胎児の死亡原因として複数の原因を記載していることや、「原因不明」との記載がみられることなどを根拠として、A医師が、超音波断層検査を終えた時点では花子の早剥につき確定的な診断をしていなかった旨主張するが、上記診療録の記載は、A医師が胎児娩出前に、胎児の死亡原因として一応考えられるものを列挙したものであり(乙21、証人C)、その記載自体をみても、胎児の死亡原因として早剥を第1に挙げていることや、「遂娩を急ぐべし DIC対策」との記載もみられること、また、前記(2)のような、A医師の行った超音波断層検査の結果、その検査後の同医師の言動、花子に対してとられた一連の治療処置等に照らすと、A医師は、超音波断層検査によって、花子の早剥の発症を確定的に診断した上、その検査後は直ちにDICの進行防止、症状改善のための治療処置をとっているといえるから、前記のような原告の主張は採用することができない。

イ また、原告らは、A医師が、赤沈検査を行っていないことや、ミラクリッドを投与していないことを指摘するが、A医師は超音波断層検査実施直後から花子に対し前記(2)のような一連の治療処置等を行っていることに照らすと、赤沈検査の不実施が、同女に対するDICの治療処置を遅延させたとは認められないし、ミラクリッドは、出血性ショック等の急性循環不全等に対して適応のあるウリナスタチン製剤であるところ(乙18、21、証人C)、A医師は、分娩実施中に、花子に対し、DICの進行防止、症状改善のための抗凝固療法、酵素阻害剤による治療として、FOY、ノイアート、フサンを投与していること(同(24))、分娩後に同女の多量の出血がみられたことから、直ちに保存血や献血による新鮮血の大量輸血を行うなど、出血性ショックに対する当時の医学的知見に基づく治療を実施していることなどからすると、本件において、花子に対しミラクリッドを投与しなかったことをもって、必要な治療措置を怠ったとはいえない。

(4) したがって、A医師に、早剥の確定診断を遅延したとか、早剥とこれに伴うDICの進行予防、症状改善のために必要な治療措置を怠ったという事実はなく、被告病院に責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

3  争点(3)について

(1) 急速遂娩の方法として、帝王切開を行うか、経膣分娩を行うかを選択する基準となるべき要素についての医学的知見及び出血が止まらない場合にとるべき処置についての医学的知見は、前記第2の1(31)エで認定したとおりである。

(2) そこで、上記医学的知見に基づいて検討するに、本件においては前記第2の1で認定したとおり、

ア 花子は、平成6年8月30日午前の診察時には、頚管は硬く、子宮口は約1、2センチメートルしか開大しておらず、ビショップスコアは5項目全てが1で5点であり、未だ分娩状態にはなかったが(前記第2の1(4))、分娩開始直前の午後9時58分ころには、陣痛はなく、子宮口は全開大ではなかったものの、既に三指大(6、7センチメートル)には開大して分娩は始まっており、また、そのころ破水があり(自然破水か人工破水かは明らかでない)、更に子宮口を拡大するために挿入した精製水150ミリリットルを注入したネオメトロが脱出していること(同(22))、

イ 吸引カップによる吸引分娩が実施されていることから、児頭がある程度下降していたことが窺われること(同(23))、

ウ 胎児の死亡が既に判明しており、その救命を考慮する必要がなかったこと(同(18))、

エ 花子が午後8時15分過ぎころ食事をしており(同(12))、胃内容物の残存が考えられたことから、帝王切開を行うに当たっては、全身麻酔に伴い嚥下性肺炎を併発する危険等をも考慮する必要があったこと、

オ A医師は、分娩開始から1時間ほどで死亡胎児と胎盤を娩出しており、結果的には、比較的速やかに急速遂娩を遂げたたといえること(同(23))、

カ 帝王切開を行う場合、施術を決定したとしても、皮膚消毒や麻酔等の手術準備のため、手術開始までに少なくとも2、30分の時間を費やさざるを得ず、更に執刀のためにも相当の時間を要することを考慮すると、仮に、本件において、帝王切開を実施していたとしても、経膣分娩より早く急速遂娩を遂げることができたとは認められないこと、

キ 本件では、分娩開始時には既に胎児が死亡しており、また、分娩時には死亡胎児と同時に胎盤が娩出されており(同(23))、胎盤の剥離面は相当大きかったことが窺われ、また、午後9時46分ころ採血した血液検査の結果(同(29))や、花子は、分娩直後に2250ミリリットルもの多量の出血をしており、そのうち1730ミリリットルが分娩時既に生じていた内出血であったと考えられることから(同(25))、花子は分娩開始時には既に重篤なDICを発症し、全身に強い出血傾向があったと考えられること、

ク 花子に対しては、分娩中からDICの進行防止、症状改善のために抗凝固療法、酵素阻害剤による治療がなされ、分娩直後から大量の輸血がなされたにもかかわらず、同女は出血が止まらず死亡していること(同(25)ないし(28))、

といった事実が認められるのであって、そうした事実を総合すれば、本件において、A医師が、花子に対し、経膣分娩を選択して急速遂娩を行ったことが不適切であったと認めることはできず、また、帝王切開を行った場合に比べて同女を死亡させる危険が高かったとも認められない。

(3)ア 原告らは、花子の主たる出血の原因は子宮からの弛緩出血であったのだから、帝王切開を行うとともに、手術時に子宮の状態を観察し、子宮からの弛緩出血が止まらない場合には、直ちに子宮摘出すれば、止血が可能となり、花子を救命し得た旨主張する。

しかしながら、前記(2)キのように、花子は分娩開始時には既に重篤なDICを発症しており、全身に強い出血傾向がみられたのであるから、そのような状態にあった同女に対し、帝王切開及び子宮摘出を完遂することは極めて困難であったと言わざるを得ず、帝王切開及び子宮摘出を行っていれば、A医師の行った経膣分娩に比べて花子を救命し得る可能性が高かったとは認められない。

イ また、原告らは、A医師が、急速遂娩を実施するにあたり、アトニンO、マイリス、ブスコパンを投与するなどして無理な分娩を強行した旨主張するが、証拠(乙7、11、証人C)及び弁論の全趣旨によれば、それらの薬剤は経膣分娩を誘発、促進する目的で、急速遂娩の実施に当たっては通常投与されるものと認められ、これらの薬剤を投与したこと自体をもって、A医師が花子に対し、無理な分娩を強行して同女が死亡する危険を高めたと認めることはできない。

ウ さらに、原告らは、A医師が、経膣分娩の実施に当たり頚管切開を行ったことが多量の出血を生じた原因であり、しかも、何ら有効な止血のための措置を講じなかった旨主張するところ、証拠(乙21、証人C、同吉村泰典、同人の鑑定結果)によれば、頚管切開は、胎児娩出時に切開部が拡大し、頚管裂傷を惹起するなどして、大量出血を招くなどの危険があるため、子宮口が7、8センチメートル開大している場合に、母児の危険のために急速遂娩が必要であり、かつ、帝王切開に間に合わない場合に限り行うもので、特に、早剥の場合はDICを発症するおそれもあるため、頚管切開に伴い多量出血を生ずる危険があることも十分考慮するべきであるとされていることが認められる。

しかしながら、本件においては、既に子宮口が6、7センチメートル開大して分娩が始まっており、破水している状態の下で、経膣的な急速遂娩を円滑に行う目的で頚管切開が行われたものであるが(前記第2の1(22)、(23))、A医師は、頚管切開後、吸引分娩により約40分ほどで死亡胎児と胎盤を娩出していることからすると(同(23))、同医師が頚管切開を行ったこと自体が不適切であったとはいえず、また、花子の行政解剖の結果によっても、頚管切開を行ったことが同女の出血状態を増悪させ、同女を死亡させる危険を高めたとは認められないこと(同(30))からすると、A医師が頚管切開を行ったことをもって誤った処置であったとは認められない。

また、花子は分娩開始時には既に重篤なDICを発症し、全身に強い出血傾向がみられ、子宮摘出術を実施することも極めて困難な状態に陥っていたのであり、分娩後の同女に対しては、輸血を行うほか、特に有効な止血措置があったとは考えられないから、A医師が、花子に対し輸血を行うほか、他の止血措置を講じなかったことが誤りであったとは認められない。

エ さらに、原告らは、A医師が花子を早期に高次医療施設に搬送すべきであったのに、これをしなかったことを問題としているが、同女は分娩開始時には既に重篤なDICを発症しており、分娩直後から多量の出血がみられ、被告病院においても、同女に対し多量の新鮮血を輸血したが、止血できない状態に陥っていたのであり、原告らが主張するように、「花子の分娩後、出血が止まらなくなり、重篤な容体を呈した時点」で同女を他の医療施設等に転送していたとしても、同女を救命し得たとは認められないから、A医師がこれをしなかったこともって誤りであったとはいえない。

(4)  以上のとおり、A医師が急速遂娩の方法として経膣分娩を行ったこと、その際にとった措置、方法並びに遂娩後の措置等に誤った点があったとは認められないのであるから、被告病院にそれらの点について責に帰すべき事由或いは過失があったとは認められない。

第4  結論

よって、原告らの請求にはいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・川島貴志郎、裁判官・若林弘樹、裁判官・出口博章)

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