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水戸地方裁判所土浦支部 昭和49年(ワ)101号 判決 1976年3月23日

主文

1  被告らは、各自、原告瀬古沢貞郎に対し、金二〇八万二、三二五円およびうち金一八八万二、三二五円に対する昭和四八年一〇月一七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、各自、原告瀬古沢博子に対し、金二〇八万二、三二五円およびうち金一八八万二、三二五円に対する昭和四八年一〇月一七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

3  原告らの被告らに対するその余の請求は、いずれもこれを棄却する。

4  訴訟費用は、これを一〇分し、その六を原告らの連帯負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

5  この判決は、原告勝訴の部分にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1  被告らは、各自、原告両名それぞれに対し、各金五一二万円およびそれぞれに対する昭和四八年一〇月一七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら(請求の趣旨に対する答弁)

原告らの請求を棄却する。

第二当事者の主張

一  原告ら(請求原因)

1  (事故の発生)

被告高橋正一(以下、被告高橋という。)は、昭和四八年一〇月一六日、茨城県土浦市小岩田町一、三五四の一番地先路上において、小型貨物自動車(以下、被告車という。)を運転中、同車を訴外亡瀬古沢章喜(以下、訴外章喜という。)に接触せしめ、同人に対し、頭頸部外傷を与え、よつて、同日、土浦市横町の常陽病院において、同人を右傷害により死亡せしめた。

2  (責任原因)

(一) (被告高橋の責任)

被告高橋は、前記1の場所で、自転車に乗つて通学途中の訴外章喜を含む三名の中学生を認めたのであるから、それを追越す場合は、警音器を吹鳴する等して十分注意を与え、かつ、中学生であるから、いつ飛び出すかもしれないから、その動向を注視し、自転車等に接触しないように注意して進行すべき義務があるのに、これを怠り、漫然、時速五〇キロメートルで進行した過失がある。したがつて、被告高橋には、民法七〇九条による損害賠償責任がある。

(二) (被告大塚正男の責任)

被告大塚正男(以下、被告大塚という。)は、被告本田陽造(以下、被告本田という。)が病気により被告車の運転を中止したので、その間、被告本田より被告車を賃借し、もぐり運送により利益を得ていたものであるから、被告大塚には、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条による、または運転手である被告高橋を雇用していたものとして民法七一五条による損害賠償責任がある。

(三) (被告本田の責任)

被告本田は、被告車の所有者として運行利益を得ていたものであるから、同被告には、自賠法三条による損害賠償責任がある。

3  (損害)

(一) (訴外章喜の逸失利益) 金八〇四万円

訴外章喜は、昭和三五年一〇月一七日生で、本件事故当日は満一二歳であつたが、事故の翌日、満一三歳となるので、損害の計算に際しては、同人の年齢を満一三歳と考えることとする。しかるところ、満一三歳の者の就労可能年数は、四九年で、その新ホフマン係数は、二一・四四二である。昭和四八年の男子一八歳の平均給与月額は、統計資料によれば、金六万二、五〇〇円である。そこで、生活費五割を控除して、訴外章喜の逸失利益を計算すると、金八〇四万円となる。

(二) (慰謝料) 金六〇〇万円

原告らは、昭和三四年に同棲生活に入り、翌三五年三月一〇日に婚姻届をしたが、訴外章喜が原告らのはじめての子供であつたため、同人に対し慈愛をそそいできた。昭和四一年に第二子が誕生したので、原告らは、二人の子供を育成することにし、その後、産児制限を施した。しかるに、本件事故により、原告らは、一子を残すのみとなり、その寂しさは筆舌につくせない。したがつて、原告らの慰謝料は、金六〇〇万円をもつて相当とする。

(三) (葬式費用) 金四〇万円

原告らは、葬式費用として金四〇万円を負担した。

(四) (弁護士費用) 金八〇万円

着手金三〇万円、報酬金五〇万円。

4  (損害の填補)

原告らは、自賠責保険より金五〇〇万円の支払を受けたので、これを前記損害額から控除する。

5  (身分関係)

原告瀬古沢貞郎(以下、原告貞郎という。)は、訴外章喜の父、原告瀬古沢博子(以下、原告博子という。)は、訴外章喜の母であり、各自、訴外章喜の前記3(一)の逸失利益を二分の一あて相続した。

6  よつて、原告らは、被告ら各自に対し、前記損害の合計金一、〇二四万円の二分の一である各五一二万円およびそれぞれに対する昭和四八年一〇月一七日から支払ずみまで、年五分の割合による金員の支払を求める。

二  被告ら(請求原因に対する認否)

1  (被告高橋の認否)

(一) 請求原因1のうち、事故の日時、場所および訴外章喜死亡の事実は認めるが、その余の点は不知。

(二) 同2(一)は争う。

(三) 同2(二)のうち、被告本田が本件事故当時、病気(足を捻挫していた。)であつたことは認めるが、その余の点は争う。

被告高橋は、被告大塚に雇用されていたのではなく、被告本田に一日金二、五〇〇ないし三、〇〇〇円で臨時的に雇用されていたものである。本件事故発生日の数日前に、被告本田が、病気のため運転できなくなり、被告高橋に運転を依頼してきたので、被告高橋は、右依頼を引き受けて、被告車の運転をしたものである。

(四) 同2(三)のうち、被告本田が被告車の所有者であることは認める。

(五) 同3は不知。

(六) 同4、5は認める。

2  (被告大塚の認否)

(一) 請求原因1のうち、事故の日時、場所および訴外章喜死亡の事実は認めるが、その余の点は不知。

(二) 同2(一)は不知。

(三) 同2(二)のうち、被告本田が本件事故当時、病気であつたことは認めるが、その余の点は争う。

被告大塚は、被告本田から被告車を借りたことはないし、また被告高橋を雇用したこともない。本件事故は、被告高橋が被告本田に臨時に雇用されていた間の事故であり、被告大塚は、本件事故当時、被告本田に対し、荷物の運搬を頼んだだけであり、その運賃も被告本田に支払つた。

(四) 同2(三)のうち、被告本田が被告車の所有者であることは認める。

(五) 同3は不知。

(六) 同4、5は認める。

3  (被告本田の認否)

(一) 請求原因1のうち、事故の日時、場所および訴外章喜死亡の事実は認めるが、その余の点は不知。

(二) 同2(一)は不知。

(三) 同2(二)のうち、被告本田が本件事故当時、病気(足を捻挫していた。)であつたこと、被告大塚に被告車を貸したことおよび被告大塚が被告高橋を雇用していたことは認めるが、その余の点は不知。

被告本田は、被告大塚に対し、同被告の求めに応じ、被告車を貸したものである。

(四) 同2(三)のうち、被告本田が被告車の所有者であることは認める。

(五) 同3は不知。

(六) 同4、5は認める。

三  被告ら(抗弁)

被告高橋は、本件事故現場の手前で警音器を鳴らしながら、時速二〇キロメートルにスピードを落とし、次いで、アクセルをふかして出ようとしたが、その時に、訴外章喜が、急に転んでくるような状態で、突然、右側に寄つてきた。したがつて、訴外章喜にも過失があるので、過失相殺されるべきものである。

四  原告ら(抗弁に対する認否)

被告らの過失相殺の主張は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  (本件事故の発生)

成立に争いのない甲第一、第二号証、同第四号証の二ないし一八、証人桜井修(ただし、後記採用しない部分を除く。)、同袴塚清の各証言および被告高橋本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  本件事故現場は、茨城県土浦市小岩田町一、三五四の一番地先の歩車道の区別のない幅員五・八メートルの直線道路で、同所付近は、追越しのための右側部分はみ出し禁止の規制がなされていた(以上の事実のうち、本件事故発生の場所については、当事者間に争いがない。)。

2  被告高橋は、昭和四八年一〇月一六日午前八時一〇分ころ、車幅二・一六メートルの普通貨物自動車(被告車)を運転し、前記1の道路を阿見町方面から土浦市方面に向かつて、進行中、本件事故現場の約二〇〇メートル位手前で、前方を同一方向に自転車に乗つて進行中の訴外章喜らのグループに気付き、同事故現場の約三〇メートル位手前で対向車とすれちがつた後(このときの被告車の速度は三〇ないし四〇キロメートル位である。)、訴外章喜らのグループを追い越すためにハンドルを右に切つたところ、約三メートル位左前方を進行していた訴外章喜の自転車がフラフラとして右側の方へ少し寄つてきたが、その直後に、被告車の左側部が訴外章喜に衝突し、その結果、同人は、頭頸部外傷の傷害を受け、同日午前八時二五分ころ、土浦市横町五五三番地の常陽病院において、右傷害により死亡した(以上の事実のうち、本件事故発生の日時および訴外章喜が死亡したことは、当事者間に争いがない。)。

3  訴外章喜は、本件事故当時は、友人の中学生桜井修、同袴塚清とともに中学校へ通学する途中であり、前記1の道路の左側を右三名とも自転車に乗つて、桜井修、訴外章喜、袴塚清の順で一列縦隊となつて時速二五キロメートル位で進行していた。衝突地点より数メートル阿見町寄りの道路上にマンホール(道路より〇・〇〇五メートル低くなつている。)があつたところ、桜井修および訴外章喜の両名とも右マンホールを避けるために、その右側を通つたが、右桜井修がマンホールをよけてから(その際、訴外章喜は、桜井修の五〇センチメートル位後のところにいた。)、一秒位たつたときに本件事故が発生した。

証人桜井修の証言中には、被告車の速度が六〇ないし七〇キロメートルであつたとの証言があるが、右証言は、前掲甲第四号証の二、同号証の四ないし八(右証拠によれば、スリツプ痕の長さは約一〇メートルであることが認められるが、この長さは、時速六〇ないし七〇キロメートルで進行していた車両のものとは考えられない。)に照らして採用できない。

他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

二  (被告らの責任)

1  (被告高橋の責任)

前記一で認定した事実によれば、幅員のさほど広くない道路において、車幅二・一六メートルの被告車を運転する被告高橋としては、自動車と比較して、一般的に安定性の低い自転車に乗つて進行中の訴外章喜らの中学生を追越す際は、同人らの動向に注意し、自転車との間隔を十分にとり、かつ、道路状況に応じた安全な速度で進行すべき注意義務があるというべきところ、これを怠り、自転車を追越す際に十分な間隔をとらず、かつ、適切なる減速をしなかつた過失があつたものと認められる。そうとすれば、被告高橋には、民法七〇九条による損害賠償責任があるというべきである。

2  (被告大塚および被告本田の責任)

被告三名の各本人尋問の結果(ただし、被告高橋、被告大塚の各本人尋問の結果中、後記採用しない部分を除く。)によれば、次の事実が認められる。

(一)  被告大塚は、本件事故当時、トラツク二台を所有し、運転手二人を雇用して(このほかにも、被告大塚のところへは、一〇名位の者が車を持ち込みで来て、同被告の指示で仕事をしていた。)、主として、吉野石膏から依頼される荷物の運搬の仕事をしていた。

(二)  被告本田は、本件事故の二〇日位前から、一日ずつ七、八回、被告大塚の車で、同被告の仕事をし、同被告から給料をもらつていた。被告本田は、自己所有の被告車を被告大塚のところへ持ち込んで(すなわち、車持ち込みで)、仕事をする予定でいたところ(被告車が被告本田に納車されたのは、本件事故の四、五日前で、それまでは、同被告は、前記のとおり被告大塚の車を使用していた。)、被告車が納車されたときに足を捻挫していたので、被告本田において、運転することができなかつた。しかるところ、被告本田は、そのころ、被告大塚から、被告高橋という運転手が仕事にあぶれているので、仕事をさせたらどうかといわれたので、被告大塚に被告車を貸すことにした。そこで、被告本田は、被告大塚宅の前にある市営駐車場に被告車を入れ、その旨を被告大塚に連絡し、同所へ来た被告高橋に被告車を引き渡したが(被告本田と被告高橋はこのときが初対面である。)、そのとき、被告本田は、被告車が被告大塚のところの吉野石膏の仕事のために使われることは知つていたものの、被告高橋が土浦の方へ行くことは知らなかつた(以上の事実のうち、被告車が被告本田の所有であることおよび同被告が本件事故当時、病気であつたことは、当事者間に争いがない。)。

(三)  被告高橋は、昭和四八年八月ころから被告大塚(同被告は、被告高橋の兄弟の知人である。)を知つており、近隣であつたためその後、同被告と往き来をしていたものであるところ、本件事故は、被告高橋が、被告大塚から、具体的な仕事の指図を受けて、小名浜の吉野石膏から被告車に荷を積んで、土浦へ行く途中に発生したものである。

(四)  本件事故当時、被告車により行なわれた荷物の運搬は、吉野石膏が被告大塚に頼んでいた仕事であつて、被告大塚は、吉野石膏から右の運送料(右運送料は、被告大塚と吉野石膏との間で取り決められたものである。)として約一万円位を受けとり、その中から一部を差し引いたうえ、残額を被告本田に渡した。被告本田は、右受領した金額の中に、被告高橋の報酬分も含まれていたので、その分を被告高橋に支払つた。

被告高橋、被告本田の各本人尋問の結果中、以上の認定に反する部分は、被告本田本人尋問の結果に照らして採用できない(被告大塚本人は、本件事故当時、被告大塚は、被告高橋に仕事の指示をしていない旨供述し、また被告高橋本人は、本件事故当時、被告高橋は、被告本田の指示で仕事をした旨供述するが、吉野石膏の仕事は被告大塚が同所から依頼されている仕事であること、しかして、具体的な仕事の内容ならびにその適確なる指図は被告大塚でなくてはできるはずがないこと等を考えれば、右各供述は採用し難いところである。)。

他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、被告大塚および被告本田の両名は、いずれも被告車に関して、運行支配および運行利益を有していたものとみうるから、自己のために被告車を運行の用に供したものとして、右両被告とも、自賠法三条による損害賠償責任があるというべきである。

三  (損害)

1  (訴外章喜の逸失利益) 金五三三万八、五〇〇円

成立に争いのない甲第三号証、同第五号証の二、三および原告瀬古沢貞郎本人尋問の結果によれば、訴外章喜の生年月日は、昭和三五年一〇月一七日であること、一三歳の者の就労可能年数は四九年であることおよび統計(賃金センサス)による本件事故当時の一八歳男子の平均給与月額は金六万二、五〇〇円であることが認められるところ、原告の主張するとおり、訴外章喜は、本件事故の翌日、満一三歳となるので、損害の計算に除しては、同人の本件事故当時の年齢を満一三歳として考えることは合理的であると解する。そこで、右の各数値を基礎とし、訴外章喜の生活費を五割とみてこれを控除して、同人の逸失利益を計算すると、左式のとおり金五三三万八、五〇〇円となる(なお、本件のように長期間の計算の場合においては、中間利息の控除につき、新ホフマン係数を用いるよりもライプニツツ係数を採用する方が相当であると解する。)。

六万二、五〇〇円×二分の一×一二ケ月×一四・二三六(ライプニツツ係数)=五三三万八、五〇〇円

しかるところ、請求原因5は、当事者間に争いがないので、原告両名は、各自、訴外章喜の前記逸失利益を二分の一あて相続したものということができる。

2  (葬式費用) 金四〇万円

原告瀬古沢貞郎本人尋問の結果によれば、原告らは、葬式費用として金四〇万円を支出したことが認められる。

3  (慰謝料) 金四〇〇万円

成立に争いのない甲第三号証および原告瀬古沢貞郎本人尋問の結果によれば、原告ら夫婦の間には、長男であつた訴外章喜のほかに次男秀光(昭和四一年一月二一日生)がいるが、次男出生後、産児制限を施したこと、訴外章喜の学業成績は良い方で原告らは、同人の将来に期待していたことおよび訴外章喜の突然の死亡により原告らは相当なシヨツクを受けたこと等が認められるが、これらの事情を斟酌すれば、原告らの慰謝料としては、原告一名につき各金二〇〇万円として、合計金四〇〇万円が相当である。

4  (過失相殺)

前記一で認定したとおり、訴外章喜は、道路の右側の方へフラフラとして少し寄つており、同人にも、後方から進行してくる車両に十分注意せずに走行した点があることは否定できない(先行している桜井修の自転車との車間距離を十分にとるとともにマンホールを避けるためにその右側を通るときは、後方からの車両の有無およびその動向にとりわけ注意すべきであつたと考えられる。)。なお、被告らは、本件事故現場の手前で警音器を鳴らしたと主張するところ、被告高橋本人の供述中には、右主張に添う部分があるが、右供述は、証人桜井修、同袴塚清の各証言に照らし採用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

右に検討した点と前記二1で検討した点とを勘案すれば、訴外章喜と被告高橋の過失の割合は、訴外章喜一割、被告高橋九割とみるのが相当である。

しかして、訴外章喜の右不注意を斟酌し、原告らは、被告らに対し、前記1ないし3の損害額合計金九七三万八、五〇〇円のうち、九割に相当する金八七六万四、六五〇円(原告一名につき、この半額の各金四三八万二、三二五円となる。)を請求し得るにとどまると解するのが相当である。

5  (損害の填補)

請求原因4は、当事者間に争いがないので、前項の金額(金八七六万四、六五〇円)から自賠責任保険金五〇〇万円を控除すると金三七六万四、六五〇円(原告一名につき、この半額の各金一八八万二、三二五円となる。)となる。

6  (弁護士費用) 金四〇万円

本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、被告らに負担させることのできる弁護士費用としては、原告一名につき各金二〇万円として、合計金四〇万円が相当である。

四  (結論)

よつて、被告らは、各自、原告貞郎に対し、金二〇八万二、三二五円およびうち弁護士費用を除く金一八八万二、三二五円に対する本件事故発生日の翌日である昭和四八年一〇月一七日から支払ずみまで、年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務ならびに原告博子に対し、金二〇八万二、三二五円およびうち弁護士費用を除く金一八八万二、三二五円に対する右と同旨の遅延損害金の支払をする義務があり、右の限度で原告らの本訴請求は理由があるから認容し、被告らに対するその余の請求は失当としていずれも棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき、同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中田昭孝)

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