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水戸地方裁判所土浦支部 昭和53年(ワ)137号 判決 1982年9月16日

原告

藤田邦雄

原告

藤田清子

原告ら訴訟代理人

佐野徹

岡本好司

小野瀬有

被告

嶋田昭彦

右訴訟代理人

稲益賢之

被告

茨城県

右代表者知事

竹内藤男

右指定代理人

松本克己

外八名

主文

一  被告嶋田昭彦は原告ら各自に対し、金一四六〇万七〇六一円及び内金一三六〇万七〇六一円に対する昭和五三年三月二四日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告らの被告嶋田昭彦に対するその余の請求及び被告茨城県に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告嶋田昭彦との間においては、原告らに生じた費用の一〇分の九を被告嶋田昭彦の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告茨城県との間においては、全部原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一本件事故の発生

<証拠>によれば、原告ら夫婦の長女真由美(本件事故当時満五歳八月)は、昭和五三年三月二四日午後〇時四〇分ころ、茨城県新治郡八郷町吉生一四三三番地の一の自宅から直線距離にして約七〇メートル離れた農道付近で犬に襲われ、付近のかぶ畑に血まみれになつて倒れており、午後一時一〇分ころ、通りかかつた岡崎良五に発見され、救急車で病院に運ばれたが、「ワンコロにやられた。」と言い残したまま、同日午後二時一五分、同県石岡市府中二丁目二番一二号所在の滝田整形外科病院において、全身咬創による出血多量、肺損傷により死亡したことが認められる(右各事実は原告らと被告県との間では概ね争いがない。)。

二加害犬

1  白龍及び剛

<証拠>によれば、白龍は三、四歳の白毛、剛は白龍の父で一〇歳位の茶毛のいずれも牡の大型秋田犬であり、被告嶋田は別荘において右二頭及び白龍の母犬姫を飼育していたが、姫は本件事故発生日の一か月位前に保健所の散布した毒餌を食べ死んだこと、被告嶋田は雨が降つた後などに白龍と剛を放し飼いにすることが何回もあり、その場合右二頭の犬は別荘の敷地を出て大字小幡地区の一ノ沢、香取、細内から本件事故現場周辺の大字吉生の上根部落まで徘徊し、当日夜から翌朝にかけて被告嶋田の別荘まで戻つてくることが多かつたこと、本件事故の二日位前から降雨が続き、白龍と剛は犬小屋にけい留されたままであつたこと、被告嶋田が本件事故当日午前一一時三〇分ころ、別荘で白龍及び剛の鎖を解いて放し飼いにしたことが認められ、<証拠>中右認定に反する部分は措信しがたく、他には右認定に反する証拠はない。

2  真由美の着衣、咬創の状態

<証拠>によれば、真由美は本件事故当時上半身は下着、パジャマ、セーター、綿入れはんてんを、下半身はモモヒキとズボンを着衣していたこと、同日午後一時一〇分ころ現場かぶ畑の中に倒れているのを発見されたが右着衣は多量に血液を吸収して水に濡れたようになつていたこと、真由美の身体の咬創は、額、あご、首、胸、腹、背、大腿部に及んでいるが大部分の咬創は胸、腹、大腿部といつた着衣の下の部位であることが認められ、他には右認定に反する証拠はない。

3  本件事故前後ころ、現場付近に、秋田犬と思われる白毛と茶毛の二頭の犬がいたこと

<証拠>によれば、岡崎定一は本件事故発生前、本件事故現場から農道沿いに北西方約二八〇メートル位の所にあるじやがいも畑に行き農作業をしていたところ、本件事故直前又は直後ころ、本件事故現場の方から坂道を上つてきた体長約一メートル、体高約六〇センチメートルの白毛と茶毛の二頭の皮製の首輪のついた秋田犬と思われる犬を目撃したこと、同人は連れていた子供達に危険を感じ、これを避けようとして右二頭に石を投げつけて約二〇メートル追いかけたところ、右二頭は畑から本件事故現場の方に逃げ、事故現場から約八五メートルの地点で姿が見えなくなつたこと、また牛乳販売業者飯村定夫は、オートバイを運転して牛乳配達をしていた本件事故直後の当日午後〇時四四、五分ころ、本件事故現場西方約一〇〇メートルの地点の道路上を事故現場方向に向かい走行しているときに、進行方向右側の道路脇の畑に白毛の、進行方向左側の道路脇の畑に茶毛の、いずれも体長八〇ないし一〇〇センチメートル位の秋田犬と思われる犬二頭を目撃したこと、右飯村は、午後〇時四五分ころ、事故現場脇の道路を通過して右岡崎方方面に向かい、同四六分ころ、右岡崎と出会つたこと、右飯村は、事故現場通過の際、真由美に気づかなかつたことが認められる。ところで、右岡崎及び飯村が目撃した各二頭の犬は、目撃の時間的場所的関係、目撃状況に照らし、同じ犬であつたものと認めてよいであろう。

なお、<証拠>中には岡崎定一が目撃した秋田犬は白毛と「赤つぽい」毛のものとの記載部分があるが、<証拠>によれば、犬毛については一般に茶もしくは褐色のことを赤と表現することもあることが認められ、また<証拠>中には飯村定夫が目撃した秋田犬は白と薄い黒つぽい犬毛との供述記載部分があるが、<証拠>によれば、同一系統の色で濃い場合を黒つぽいと表現することもあると認められるから、右はいずれも前記認定を左右するものではなく、他には右認定に反する証拠はない。

4  白龍と剛は通常一緒に行動していたのに、本件事故後剛のみが捕獲されたこと

<証拠>によれば、被告嶋田は、本件事故発生後別荘に来た警察官から本件事故のことを聞かされて不安になり、当日午後四時ころその経営する会社の従業員ら数名に白龍と剛を捜しに行かせたところ、赤城地区経由で小幡方面に行つた稲見仁才と小松崎洋文の組が別荘から約三キロメートル離れた小幡内の細谷地区で午後四時一五分ころ剛を発見し、声をかけても近づいて来ないので一〇〇メートル位追いかけて捕獲したが、その際、稲見はいつも一緒にいるはずの白龍の姿が見えないことを不思議に思つたこと、白龍は結局右従業員らに発見されなかつたこと、剛を見分した右稲見及び被告嶋田は、剛に体に血液の付着はなかつた旨供述していることが認められ、他には右認定に反する証拠はない。

5  白龍の薬殺死体が現場付近で発見され、これにB型人血が付着していたこと

<証拠>によれば、石岡保健所員は、土浦保健所員と共同で本件事故発生当日午後七時三〇分ころから一時間位、上根部落内の本件事故現場付近一帯に硝酸ストリキンを塗布した饅頭六〇個と豚の骨八本を散布したところ、翌二五日朝右毒餌を食べて死んだと思われる淡褐色毛の小さい雑犬一頭と白毛の大型秋田犬一頭の死体が発見され、後者は、後に、被告嶋田の従業員によつて白龍と確認されたこと、白龍の死体は同日午前九時三〇分ころから一〇時ころの間に本件事故現場から南西二〇〇メートル位の所にあるU字溝にはまつているところを発見されたものであり、その際、頭及び右半身は水路の水に浸つて濡れていたが、左前足付け根部分に大豆大の血痕が付着し、口の周囲に血の流れた跡があつたこと、この足の付け根の血痕について鑑定した結果、真由美と同じB型の人血であることが判明したが、血痕が少量のため他の血液型(MN式、Q式、E式等)の検査は行われていないこと、また口の周囲の血の跡については、見分した警察官が硝酸ストリキン摂取による喀血と判断したため、検査がなされなかつたこと、白龍の胃の内容物中に人血はなかつたこと、白龍の口腔内の検査及び同犬の歯型の採取はなされなかつたことが認められる。

6  白龍に付着した人血について

前記のとおり、白龍の左前足付け根部分に付着していた血痕はB型の人血で、真由美の血痕も同じくB型である事実及び白龍の死体が発見された場所と本件事故現場とが近接している事実に、本件事故前後、現場付近で、本件事故以外に咬傷事故があつたことを認めるに足る証拠はないこと等を総合すると、白龍に付着していた右人血は、真由美の血液であると認めてよいであろう。

そこで、次に、白龍に真由美の血液が付着した経過について検討する。

<証拠>によれば、茨城県動物指導センター職員が人血及び犬の血を用いて、凝固時間、血液の犬毛への付着等について実験を行なつたところ、人血を用いての実験において、採取した人血は、試験管内で、二四分から三〇分で凝固したこと、凝固した血液は、そのままでは犬毛に付着しないこと、犬の血を用いての実験において、組織破壊により出血した犬の血液は、組織性の凝固因子が活性化することにより、一分以内で凝固したこと、犬の総頸動脈切断により噴出した血液を、一メートル離れた別の犬にあびせた「かえり血」の凝固試験において、犬毛に付着した血液は約一五分で凝固したこと、犬毛はたんぱく質であるが、皮膚の脂腺から分泌される脂肪等に被われているため血液が付着しにくいことなどの結果であつたことが認められる。

この結果に基づいて、白龍への人血の付着を検討してみると、同犬に真由美の血液付着が可能な時間は、出血後約三〇分以内である蓋然性が高い。ところで、真由美が襲われたのは、前記のとおり、事故当日午後〇時四〇分ころで、発見されたのが、同日午後一時一〇分ころであり、発見後は救急車で病院に運ばれているから、右状況に照らし、白龍に真由美の血液が付着したのは、真由美が襲われてから発見されるまでの約三〇分間である蓋然性が高く、その後は、血液が凝固し、付着は困難になつたものと考えられる。

7  現場から採取された犬毛及び足跡痕

<証拠>によれば、本件事故後現場から犬の足跡痕及び犬毛一〇本が採取されたので、茨城県警察本部刑事部科学捜査研究所において、白龍の足跡及び犬毛との対比検査を行なつたところ、犬毛については肉眼及び顕微鏡検査によれば採取された犬毛のうち一部に、白龍の犬毛と類似性が認められるものもあつたが、同属の獣毛は同じような性状を有することが多いため同一犬に由来するか否かは判定不能であり、足跡についても、犬の足跡については未だ研究段階を出ておらず、異同識別のための資料がなく、同一犬に由来するか否かは判定困難であるという結果であつたことが認められ、他には右認定に反する証拠はない。

8  他に加害犬を認めうる証拠はないこと

<証拠>によれば、岡崎良五は真由美を発見する直前の当日午後一時一〇分ころ、本件事故現場から約七〇メートル手前の道路上で体長約三五センチメートル、体高約三〇センチメートルの茶色に白いさし毛のある耳の垂れたポインター風の犬と約一メートルの距離ですれちがい、その際、同人は、立ち止まつて、「ジョン、ジョン」と声をかけたが、犬はそのまま行つてしまつたこと、そのときこの犬に血液が付着していたとは見えなかつたし、息が荒いとかの変つた様子も感じられなかつたこと、同人は、その直後、畑の中に、まだ息のある真由美を発見したが、そのとき、真由美の額には、血の固まりが付いていたこと、捜査当初は、この犬に加害犬の嫌疑をかけていたことが認められる。

この犬の体型、事故発生時間との懸隔、岡崎良五が目撃した際の同犬の状況及び、そのころは、真由美の血液で既に固まつたものもあつたこと等を勘案すると、右ポインター風の犬が本件加害犬であると認めることは困難である。

その他、本件各証拠を検討しても、真由美が襲われた時刻ころ、現場付近に、以上に述べた犬のほかに、これとは別の犬が存したことを窺わせるに足りる証拠はない。

9  当日午後一時ころ、被告嶋田の別荘で白龍及び剛を見たとする底茂の供述は措信できないこと

<証拠>中には、本件事故当日午後一時ころ底茂は被告嶋田の別荘で白龍と剛を目撃したという部分があり、<証拠>中には、被告嶋田が本件事故当日従業員らに白龍と剛を捜しに行かせる前、底から右事実を聞かされたという部分がある。

しかしながら、右各証拠によれば、同日午後、被告嶋田方では、底のほかに、大工、瓦葺職人数名及び玄関の前あたりで、セメント作業をしていた者数名がいたこと、目撃した犬は、その後、セメント作業をしている人達のいる方へ行つたと底が供述しているに拘らず、そのころ、底のほかに、白龍及び剛を目撃した者がいることを窺わせる証拠はないことに加え、底が右目撃事実を他人に話した日時については、乙第三号証では本件事故の翌日午前一〇時ころ、同証人の証言では本件事故当日午後五時ころと一貫していないこと、(なお、被告嶋田は本件事故発生後重ねて捜査機関から取調を受けていながら四月一七日に至り初めて右事実についての供述調書が作成されており、また底茂の捜査機関に対する右事実についての供述調書が作成されたのは四月一八日である。)、並びに前示各認定事実と対比すると前記各証拠中の底茂の供述部分はいずれもにわかに措信しがたいものといわなければならない。

10  結論

以上1ないし9記載の諸事実並びに口頭弁論の全趣旨を総合すれば、右3記載の岡崎定一及び飯村定夫が現場付近で目撃した二頭の犬は、白龍及び剛であり、そのうちの白龍が真由美を襲い死亡するに至らせたものと推認することができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。剛については、同犬も加害犬ではないかとの疑いは残るものの、同犬には血痕の付着が認められていないから、加害犬と断定できないと判断する。

なお、被告嶋田は、真由美は全身に咬創を負い、出血多量で死亡したものであるのに、白龍に付着した血痕はあまりにも微量であるから、同犬は加害犬ではないと主張するが、<証拠>によれば、犬は自分の体に付着した血液をなめとる習性があること、獣医師の資格を持ち、狂犬病予防員として昭和三八年から引続き犬関係の行政を担当してきた小沼誠は、これまでに約一〇〇頭の咬傷犬を見分したが、その中には血液の付着した犬はいなかつたことが認められ、更に、前示のとおり、茨城県動物指導センター職員が行なつた実験によると、犬毛には血液が付着しにくいとの結果が出ていること、真由美は当時綿入りはんてん、セーター、パジャマ、下着、ズボン及びモモヒキを着用しており、額及びあごにも咬創はあるが、大部分の咬創は胸、背、腹、大腿部といつた着衣の下の部位であることを総合すると、白龍に付着した真由美の血液が微量であることは、同犬を加害犬と認めるにつき特に不合理とはいえない。

三被告嶋田の責任

被告嶋田が本件事故発生当時、白龍を飼育占有していたことは原告らと被告嶋田の間で争いがない。したがつて、被告嶋田は民法七一八条一項の規定に基づき白龍が真由美に咬創を負わせ死亡させたことによる後記損害を賠償する責任がある。

四被告県の責任

1  <証拠>によれば、県知事は、昭和三二年一〇月一五日、「犬が人畜その他に害を加えることを防止することにより社会生活の安全を確保し、あわせて公衆衛生の向上を図ることを目的」として(一条)、茨城県飼い犬取締条例(同年被告県条例第三八号)を公布したこと、当初は飼い犬の所有者等に対する管理上の注意義務(二条)及びけい留義務(三条)並びに県知事の危険防止の措置命令権(五条)を定めたのみであつたが、その後三条及び五条違反の犬の抑留権(五条の二、昭和三四年四月一日施行)、薬物使用による駆除権(七条、昭和四三年三月三〇日施行)の規定を設けるなどの改正がなされ、その間昭和四一年一〇月一日には題名を茨城県飼い犬管理条例と改めたこと、本件事故当時は、五条「知事は、人畜その他に害を加えた飼い犬又はかむ癖のある飼い犬の所有者に対し、必要があると認めるときは、飼い犬に口輪をつけ、おりに入れ、又は殺処分する等の措置を命ずることができる。」、六条「知事は、当該職員をして第三条の規定に違反してけい留されていない飼い犬及び前条の規定による命令に従わない場合における当該飼い犬を抑留させることができる。2狂犬病予防法(昭和二十五年法律第二百四十七号)第六条第二項から第十項までの規定は、前項の場合について準用する。この場合において、これらの規定中『予防員』とあるのは、『当該職員』と読み替えるものとする。」、七条「知事は、所有者等のない犬又は第三条の規定に違反してけい留されていない飼い犬(以下「野犬等」という。)が人畜その他に害を加え、又は害を加えるおそれがある場合において、これを防止するため、緊急を要し、かつ、これらの野犬等の抑留を行なうことについて著しく困難な事情があると認められるときは、区域及び期間を定め、当該職員をして、薬物を使用し、これを駆除させることができる。この場合において、人畜その他に被害を及ぼさないように、当該区域内及びその近傍の住民に対して、薬物を使用して野犬等を駆除する旨を周知させなければならない。2知事は、前項の規定による野犬等の駆除の実施について必要があるときは、市町村長に対し、協力を求めることができる。」という規定が存していたことが認められる。

2  原告らは、条例の五条ないし七条の各規定は、同条例制定の背景、目的に鑑みて、右各規定の執行機関である県知事に対してそれぞれ作為義務を課しているものであると主張するが、前示の条例制定の趣旨、その後の改正の経緯等に鑑みても、条例一条の規定は一般的抽象的に公益の実現を目的とすることを定めたにすぎないし、五条ないし七条の各規定はいずれも県知事に権限を与えたものであつて、これを具体的な作為義務を負うものとしたと解釈することはできないから、原告の右主張は失当である。

3  ところで、ある事項につき、行政庁が法令により一定の権限を与えられている場合に、その権限を行使するか否か、仮に行使するとしても、どのような方法でこれを行使するかは、当該行政庁の裁量に委ねられているのが原則であり、従つて、行政庁が右権限を行使しない場合でも、その不行使については、行政上の責任が問題となり得ることは格別、それ以外の責任は生じないのが本則である。しかしながら、行政庁の裁量を認めるというのは、行政庁の恣意を認めることを意味するものではなく、裁量に属する事項であつても、その裁量権を行使しないことが著しく合理性を欠き、社会的に妥当でないものと認められるときは、その不作為が違法と評価される場合があり得る。ここで、裁量権の行使が著しく合理性を欠くというのは、差し迫つた生命、身体、財産に対する危険がある場合において、行政庁側にとつて被害が予見可能であり、行政庁側が権限を行使すれば、容易にこれを防止できる状況にあるのに、行政庁側が権限を行使しない場合と解するのが相当である。しかして、被害が予見可能であるというためには、一般的、抽象的に被害発生の危険が予想されるというだけでは足りず、具体的に生命、身体、財産に対する差し迫つた危険があり、かつこれが行政庁に認識可能であつたことを要すると解する。この点につき、原告らは、犬による咬傷等の事故は不慮の事故というべきもので、誰がいつ具体的危険に見舞われるかわからない状態にあるから、一般的抽象的危険性と具体的予見可能性を分けることは無意味であると主張するが、およそ抽象的に予想される全ての危険に備えて権限を行使することを要求するのは、人員や予算に制約のある行政庁に行政権の行使につき不可能を強いるものであつて、妥当とはいい難く、原告らの右主張は採用することができない。

以上のとおりであるから、条例五条ないし七条の規定は、県知事の権限を定めたにすぎず、具体的に右各権限を行使するか否か、行使の時期、方法等については原則として県知事の裁量判断に委ねられるべきものであるが、右で述べた要件に照らし、県知事が右権限を行使しないことが著しく合理性を欠くときは作為義務違反にあたるということができる。

そこで、以下にこの点を、本件の場合について検討する。

4  <証拠>によれば、次の事実が認められる。

被告茨城県においては、本件事故当時動物の保護及び管理に関する業務は衛生部環境衛生課の所掌事務とされており、規則により被告県の出先機関の長である保健所長に条例五条ないし七条等の規定に関する事務を委任していた。また狂犬病予防法及び条例に基づき野犬等の一掃を図り、あわせて犬の正しい飼い方を指導するため、昭和四五年四月一日、「茨城県飼い犬指導班設置要領」が施行され、県内五個所の保健所に飼い犬指導班(昭和五一年「獣医務室」と呼称変更)が設置され、各地を巡回し、犬の正しい飼い方の指導、野犬等の捕獲抑留等にあたつていた。

本件事故発生地を管轄するのは茨城県石岡保健所であり、茨城県土浦保健所に設置された県南飼い犬指導班であつたが、県南飼い犬指導班は八郷町内において、苦情のあつた地区を重点的に昭和五一年度一六日、同五二年度一七日、同五三年度一八日巡回しており、野犬等を昭和五一年度九四頭、同五二年度六〇頭、同五三年度八一頭捕獲し、苦情申出に基づき不用犬の引取りを昭和五一年度一八四頭、同五二年度一一一頭、同五三年度二〇一頭行なつた。なお、吉生地区においては昭和五二年度に四、五回申出のあつた不用犬の引取りを行なつていた。

また石岡保健所は、遅くとも昭和四九年ころから犬の正しい飼い方等に関するパンフレットを作成し、市町村を通じて各戸に配布したり、毎年四月、一〇月の飼い犬の登録のとき直接住民に交付したりし、また八郷町内では「週報八郷」に右パンフレットの記事を印刷して町民に配布していた。さらに昭和五〇年一〇月からはラジオ放送を通じての広報活動も始め、昭和五二年九月からは犬の正しい飼い方等についても放送していた。その他石岡保健所はおりにふれ飼育犬の実態調査を行ない、登録促進、予防接種のため戸別訪問も実施し、その際飼育状況、けい留の有無や地区の野犬等の状況についての見分もしていた。

5  本件事故は、前示のとおり被告嶋田がその飼育占有する秋田犬白龍のけい留を解いたため、白龍が本件事故現場付近を徘徊していて幼児の真由美を襲つたというものである。

まず住民が飼育占有する犬に対して行政機関が直接管理するというようなことはできないから、飼い犬が事故を起こすことを防止するのも第一次的にはその飼い主の責務というべきであり、行政機関としては住民である飼い主が適切な飼育をするように指導するという立場にあるものである。

被告県においては、条例で飼い主の管理上の注意義務(二項)及びけい留義務(三条)を定めていたこと、適切な飼育方法、けい留の必要等につき、広報活動をしてきたこと前示のとおりであるから、飼い主が右義務を遵守して犬を飼育することを一応は期待してもよいというべきである。

6  しかしながら、右のように飼い主の措置に委ね、適切な飼育を指導するのみでは一部の管理不適切な飼い犬による事故が発生する危険は存し得るわけであるから、この様な場合に県知事が条例五条ないし七条の規定する各権限を行使する義務の存否がやはり問題となるので、この点を検討する。<証拠>を総合すると、茨城県新治郡八郷町大字吉生地区では、本件事故が発生した昭和五二年度(昭和五二年四月から昭和五三年三月まで)において、本件のほかには、犬による咬傷事故は発生しておらず、保健所等に、犬についての苦情が寄せられたのも、昭和五二年六月に不要犬の引取り一件、同年八月に野犬捕獲一件の計二件のみであつたこと、同地区の存する八郷町全体では、同年度中、犬による咬傷事故発生件数は、本件を含め三件で、犬についての苦情受付件数は六件であり、又、前年の昭和五一年度では、八郷町全体で、咬傷事故発生件数一件、苦情受付件数一一件であつたこと、石岡保健所は、八郷町内で昭和五二年三月と六月に、大字小幡地区で昭和五三年二月二〇日から二二日にかけて薬殺駆除を実施したこと、その際大字吉生地区については対象地域としなかつたが、それは同地区の部落長、区長に問い合わせたところ苦情がなかつたためであることが認められる。

これらの事実と、本件が、たまたまけい留を解かれた飼い犬によつて引き起こされた事故であることを併せ考慮すると、本件事故発生の前において、飼い主の飼い犬に対する不適切な管理のため、吉生地区の住民の生命、身体、財産に、差し迫つた危険が存在しており、かつこれが県知事及びその委任を受けた石岡保健所長に認識可能であつたとすることはできない。

以上のとおりであるから、本件において、県知事が条例五条ないし七条の規定する権限を行使しなかつたことは著しく不合理であつたとはいえず、県知事に作為義務違反を認めることはできないから、その余について判断するまでもなく、原告らの被告県に対する請求は理由がない。

五損害

1  治療費、葬儀関係費

<証拠>によれば、原告らは真由美の治療費、死亡診断費として合計二万〇五五〇円を、葬儀、法要関係費として合計六六万〇一六〇円を支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

前示真由美の年令、本件事故の態様等の事情を考慮すれば、右支出のうち本件不法行為と相当因果関係のある損害額は治療費等二万〇五五〇円及び葬儀関係費のうち五〇万円であると認められる。

2  逸失利益

真由美が本件事故当時満五歳の女児であつたことは、前示のとおりであり、<証拠>によれば、同女は至極健康であつたことが認められるから、同女が一八歳から六七歳まで就労可能として、当裁判所に職務上顕著な昭和五三年度賃金センサス産業計企業規模計学歴計女子労働者全年令平均給与額に基づき、生活費として右収入の二分の一を控除し、新ホフマン方式により中間利息を控除して真由美の得べかりし利益の現価を計算すると、次のとおり一四六九万三五七二円となる(端数切捨て)。

年収 10万8700(円)×12+32万6000(円)=163万0400(円)

5歳児の新ホフマン係数 (67歳−5歳)の係数 27.8456

(18歳−5歳)の係数 9.8211

27.8456−9.8211=18.0245

163万0400(円)×(1−0.5)×18.0245=1469万3572(円)

3  慰藉料

前示のとおり真由美は本件事故当時満五歳八か月の女児であつたが、一人で歩行中大型犬に襲われ、無残にも全身に咬創を負い、三〇分以上畑の中に倒れていたあげく、「ワンコロにやられた。」と言い残したまま出血多量で死亡したこと並びに原告藤田邦雄本人尋問の結果認められる、当時真由美は原告ら夫婦の一人子で原告らはその将来を楽しみにしていたものであつたが、原告らにはその後昭和五四年七月長男が生まれたこと、さらに本件の発生については被害者に過失は認められないことなどの諸事情を考慮すれば、真由美の蒙つた肉体的精神的苦痛及び原告らの蒙つた精神的苦痛を慰藉するためには真由美については五〇〇万円、原告らは各三五〇万円が相当と認められる。

4  真由美の請求権の相続

本件口頭弁論の全趣旨によれば、原告ら夫婦は真由美の蒙つた損害(2記載の逸失利益一四六九万三五七二円及び3記載の慰藉料五〇〇万円合計一九六九万三五七二円)の賠償請求権を相続により各二分の一宛承継取得したことが認められる。

5  弁護士費用

原告藤田邦雄本人尋問の結果によれば、原告らは、捜査機関等により本件加害犬の特定がなされなかつたため原告ら訴訟代理人弁護士らに本件訴訟の提起、追行を委任したことが認められ、本件訴訟の難易、経過及び請求認容額を考慮すると、本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は二〇〇万円が相当と認められる。

6  原告ら各自の損害合計額

以上1ないし5記載の損害額(治療費、葬儀関係費及び弁護士費用については、各二分の一を各原告の負担とする)を合計すれば原告らは被告嶋田に対し金一四六〇万七〇六一円宛の賠償請求権を有すると認められる。

六結論

以上のとおりであつて、原告らの本訴請求は、被告嶋田に対し各自金一四六〇万七〇六一円及び弁護士費用を除く内金一三六〇万七〇六一円に対する本件不法行為発生の日である昭和五三年三月二四日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右部分を正当としてこれを認容し、被告嶋田に対するその余の請求及び被告県に対する請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(松岡登 大野博昭 長谷川誠)

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