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水戸家庭裁判所 昭和62年(家)687号 審判 1988年10月07日

申立人 島浦一郎

主文

申立人が次のとおり就籍することを許可する。

本籍 ○○県○○○郡○○村大字○○×××番地

氏名 島浦一郎

出生年月日 昭和16年11月3日

父母の氏名 不詳

父母との続柄 男

理由

第1申立の趣旨及び理由

申立人は、昭和59年11月2日夜○○県○○○市○○○○海岸において記憶喪失状態で発見され、翌3日から同県○○○郡○○村大字○○×××番地医療法人○○○○○○病院(以下、「○○○病院」という。)に収容されたが、3年を経過した現在に至るも自己の全生活史についての記憶を回復せず、このまま、○○○市の世話になり続けて年老いて行くのに耐えられず、社会復帰して人間らしい生活を送りたいので、主文掲記の就籍事項で就籍することを許可する旨の審判を求める。

第2当裁判所の判断

1  認定事実

本件記録によれば、以下の各事実が認められる。

(1)  昭和59年11月2日午後6時30分ころ、○○県○○○市○○○○海岸の岸辺から50メートル位の海中に、腰まで海水に浸かって佇立している男を通りすがりのアベックが発見して警察に連絡し、男は午後8時ころ警察に保護された(申立人は、<被打際でずぶ漏れになっている状態で気がつき、どうしてそのような所にいるのか分からないまま、遠方に人家の灯らしい光を認めてその方に歩き出したところ、後方から来た男女に声をかけられた>と申述しており、発見時の状況に若干の食い違いが見られるが、これは、通行人が申立人を発見した時点と申立人が意識を回復した時点とのずれによるものと解される。)。警察からの連絡により、○○○福祉事務所が男を引き取ったが、住所・氏名も分からず、記憶喪失状態であると認められたため、翌3日午前10時15分福祉事務所員は、警察官同道のうえ、男を○○○病院に連れて行き、緊急入院させた。

(2)  男は、ベージュのワイシャツ、ワインレッドのセーター、ベージュのジャンパー、えんじのフード付きヤッケ、紺のジーンズという服装で、ALBAのデジタル腕時計、黒の革靴を身にっけていたが、所持金はなかった。なお、○○○警察署防犯係長によれば、男の左腕の手首から10センチメートル位上部に長さ3センチメートルの切創が認められ、自殺するための創傷と思われたという。

申立人によれば、<保護された直後警察官にいろいろと聞かれたが、頭の中にあったのは強い赤い閃光と砂山だけで、言葉の言味もよく分からなかった。翌日病院に行ってからは、言葉の言味は分かったが、自分が何者か思い出せなかった>という。

(3)  ○○○病院では、男を2年間は閉鎖病棟に入れ、3年目からは開放病棟に移した。農作業や園芸などの作業療法を行っているが、器用で何でも上手にやる他人とのコミュニケーションはよく、読書好きである。。酒は好きなようであるが、病院の規則に従い、飲酒しない。健康状態は良好で、知能は普通域である。

社会一般の過去の出来事については結構知っているが、自分に関する過去は分からない。地図や道路事情については非常に詳しい。言葉に訛りはあまりないが、群馬県か埼玉県の人の話し方に似ていると思われる。年令は55―6歳位ではないかと思われる。○○○署で指紋照会をしたが、該当者は発見出来なかった。同署では、県内各警察署に申立人の人相・着衣を記入した書面を配布し、○○県警察本部からも、全国の都道府県警察本部に申立人の写真を電送して手配したが、該当者発見の報告はない。

(4)  申立人の陳述によれば、<親兄弟のこと、育った場所、学校の名前など、全く思い出せない。幼少時のことで思い出せるのは、祖母がいて、大変躾に厳しかったことである。空襲のことは覚えていないが、B―29は知っている。高いところを一機飛んでいた。小学校に上がるか上がらないころ、朝鮮動乱があり、くず鉄を拾って年長の者に売ってもらい、菓子を買い食いしたのを祖母に見つかり、ひどく叱られたのを覚えている。小学校の近くに木のアーチの橋のかかった川があり、遠くに山が見えた。20歳のころ、人工透折を受けていた結婚相手の女性が死亡した。そのため、私はまだ結婚していないものと思う>という(これに対し、○○○病院におけるアミタール・インタビューの結果によれば、申立人は、家庭の不和で家出した意味のことをいい、妻と娘の名前を挙げて激しい憎悪感情を示し、殺してやるなどと述べたという。)。また、申立人によれば、<登山・渓流釣り・潜水が好きで、経験がある。音楽は、ポップスが好きで、カーペンターやブラザース・フオーをよく聴いた。中学生になったかならないころ、ペレス・プラードが来日したのを覚えている。○○○病院のカラオケ大会では、前から知っていた「ガラスのジョニー」を歌って2位、「赤と黒のブルース」、「中の島ブルース」で1位になった。以前は大学・高校の入試問題が解けたと思うが、問題集を見ても解けなかった>という。<横文字はある程度分かるかもしれない>というので、英語の本を読ませたところ、<英語だと思うが、犬が星を見ているようなものである>と答えた。

(5)  申立人は、自動車運転の専門的知識があり、日本国内の地理・観光地の知識に非常に詳しく、観光バス運転手をしていたことが推測されるので、関東近県(茨城・千葉・埼玉・東京)の公営・私営のバス会社等に申立人発見当時の状況を記載した書面を送付して身元確認調査を行ったが、該当者を発見するに至らなかった。

2  就籍要件

就籍は、本来本籍を有すべき者、換言すれば、日本人であって、いまだ戸籍に記載されていない者について認められる。そこで、申立人について、これらの点を検討する。

(1)  申立人については、その父母を知ることができないから、父母の国籍から申立人の国籍を明らかにすることはできない(旧国籍法――明治32年法律第66号――1条ないし3条参照)。

そこで、申立人の場合が旧国籍法4条に定める「日本ニ於テ生マレタル子ノ父母カ共ニ知レサルトキ」に当たるかどうかについて検討すると、申立人が日本国内で生まれたことの直接証拠はない。しかし、申立人が日本国外で生まれ、その後本邦に入国したものであることを窮わせる証拠も皆無である。そして、上記のような申立人の申述する断片的な記憶によれば、申立人が幼少のころから日本国内で成育したことが明らかであり、これと申立人の言語、風貌、日本国内の社会現象・地理等に関する知識その他諸般の事情を総合すれば、申立人は日本国内で生まれたものと認めるのが合理的かつ自然である。したがって、申立人は、旧国籍法4条により、日本国民であると認められる。

(2)  つぎに、申立人がいまだ戸籍に記載されていないかどうかの点であるが、申立人が日本国内で生まれた者と認められる以上、その推定年令、記憶している限りの成育歴など諸般の事情に照らしてみても、申立人がこれまで一度も就籍したことがないものとは考え難い。しかし、上記のような事情で、申立人の本籍の有無を知ることができないので、このような場合には就籍は許されるものと解すべきである(上記認定事実からすれば、申立人が家族との不和から家出し、自殺を企てて果たさなかったものとの疑いがないではないが、それ以上に、申立人において、他の犯罪ないし前科を隠蔽するため、殊更に本籍を秘匿し、就籍を申し立てたものと疑うべき資料はない。)。

(3)  以上のとおり、申立人については、その就籍を許可するのが相当であるから、進んでその就籍事項につき次項で検討する。

3  就籍事項

(1)  本籍

申立人の希望するとおり、現に申立人の居住する○○○病院の所在地である「○○県○○○郡○○村大字○○×××番地」とするのが相当である。

(2)  氏名

申立人の希望するとおり、現に申立人の仮の氏名として通称している「島浦一郎」とするのが相当である。

(3)  出生年月日

申立人の出生年月日を知る手掛かりは、きわめて僅少である。申立人は、<昭和16年ないし18年生まれの人と話が合うので、その辺の年齢と思う。えとは覚えていない。50歳過ぎという人もいるが、自分では45歳から48歳まで位の間と思う。出生年月日は、昭和16年11月3日でよい>と申述している。○○○病院では、申立人の年齢を55―6歳位と見ており、申立人がB―29の飛来(遅くとも昭和20年8月以前)を記憶していることと併せて考えると、申立人の生まれたのは昭和10年より前ではないかとも思われる。他方、朝鮮動乱時(昭和25年6月ないし28年7月)に小学校入学前後であったとの申述からすれば、昭和20年前後の生まれということになり、決め手に欠ける。要するに、申立人の生まれた年を客観的に確定することはできないのであって、そうだとすれば、申立人の申述する昭和16年が誤りであるとして排斥すべき根拠もないこととなるから、特段の事情のないかぎり、申立人の申述するとおりに認定するのが相当である。

次ぎに、申立人の誕生日については、これを知る手掛かりは皆無といってよい。申立人の申述する「11月3日」は、同人が○○○病院に収容された日であるという以外に特段の意味を有しない。したがって、申立人の出生年月日を「昭和16年以下不許」とすることも考えられないではない。しかし、社会生活上満年齢を月日まで正確に算定する必要のある場合もしばしば有りうるから、できるかぎり出生の月日まで特定しておくことが申立人の今後の社会生活に利便であること、申立人の出生の月日を11月3日と特定することによって、戸籍上その他の行政面で、あるいは申立人の公的・私的生活面で、特段の不都合を生じるものとは考えられないことを併せ考慮し、申立人の申述するとおりに認定するのが相当である。

そこで、申立人の出生年月日は「昭和16年11月3日」と認定する。

(4)  父母の氏名上記のような事情で、これを知ることができない。

(5)  父母との続柄(4)に同じ。第3結語よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 半谷恭一)

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