津地方裁判所 昭和28年(タ)2号 判決
原告 前川さよ子
被告 前川定之
一、主 文
原告と被告とを離婚する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として原告と被告とは昭和二十五年二月十二日事実上婚姻し同月二十五日正式にその旨の届出をして夫婦となつた。しかして原告家は純農家で原告の父前川忠助を世帯主とし忠助夫婦は二人の子女をもつていたが次女たる原告にその家督を継がせる考えで先には長女を他家に嫁せしめたので原告の夫としては見合の人で且つ農業に従事するに適う人として被告を夫に迎へた次第であつて当時原告の父は長年の病気で十分に農事が出来ない状態であつたが被告は結婚当時国鉄駅手として柘植駅に勤務していたので当分農繁期や勤務の余暇に農事を手伝わせて適当の時期に退職させることとし被告においてもこの事を承知していた。然るに被告は一見十人並以上の体格をもち十分農事に堪え得るように見えたが結婚後間もなく原告及その父母は被告の身体の何処かに欠陥があることを発見し被告亦昭和二十五年六月の農繁期に腰が痛いとて仕事は全然出来なかつた。そこで昭和二十六年一月に至り被告は奈良市の国鉄診療所で診察を受けたところカリエスらしいと診られその翌日更に国鉄天王寺病院にて腰椎カリエスと断ぜられ即日排膿処置を受け爾来国鉄を欠勤してギブスをはめ臥床していたが同年四月初め頃実家にて養生してくるとてその実家に赴き爾来同所で静養中であつてその間原告方には同年四月二十日の氏神の祭礼に一泊帰宅したのみである。このような状態で原告の父の健康は依然思わしくないので原告はその母と二人の女手にて田九反の耕作に当つているが常に人を雇つて辛うじて維持し経済的損失多く到底このままの状態を続けることが出来ない状況にある。被告が仮りに或る程度健康を回復するとしても農事の如き激労に従事出来ないから被告と原告の父母との感情甚だよろしくなく被告が帰宅するも家庭の円満は期待し難い。さりとて原告は父母の行末を見なければならぬから農を捨てるわけにはゆかず又被告との夫婦関係は被告が腰椎カリエスと診断されて以来全くなく原被告間の結婚は両人にとつて甚だ不幸なものであるので原告は協議上の離婚を希つて家庭裁判所に調停の申立をしたが不調に帰したから已むを得ず民法第七百七十条第一項第五号の婚姻を継続し難い重大な事由に該る敍上の事実を原因として被告との離婚を求めるため本訴に及ぶと陳述した。<立証省略>
被告は原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として原告の主張事実中原被告が婚姻したこと、原告の家は純農家で原告の父前川忠助を世帯主とし忠助夫婦は二人の子女をもつていて長女を他家に嫁せしめたこと、原被告婚姻当時原告の父は長年の病気で十分に農事が出来ず被告は柘植駅に駅手として勤務していたこと、被告は昭和二十六年一月原告主張の如く腰椎カリエスと診断され排膿処置を受け爾来国鉄を欠勤して療養していたこと、原告の家は田地約九反耕作していて原告の父は依然病弱であること、及原告が離婚の為家庭裁判所に調停を申立て不調に帰したことは之を認めるが原被告の婚姻に対する原告の父母の意図、及原告の家の農業経営状態は不知、その余の事実はすべて否認する。被告は原告と結婚当時はもちろん健康体で柘植駅に勤務し結婚後は婚家より通勤しており休日には殆んど欠かさず農事を手伝い殊に結婚した年の六月の農繁期中勤務の休日には終日農事を手伝いその年の秋の取入には勤務の許す限り農事に励んで来た。ところが昭和二十六年一月中旬頃の休日に山仕事に行つているとき急に腰痛を覚え、同月二十四日奈良で翌二十五日大阪で診察を受けた結果腰椎カリエスと診断されて驚いた次第である。それ以来被告は婚家において療養に専念していたところ同年六月の農繁期も近づいた頃家人より実家に行つて当分養生するように云われ被告は婚家においては人手は少いしその上病人まで居ることは困るだろうと察し爾来実家において養生することになつた。然し被告は婚家の事が気にかかり又自分の病気療養の長引くのを詫びる気持と妻たる原告から慰められたい病体の切ない気持もあつて身体の許す限りしばしば婚家に戻るに拘らず原告始めその父母は次第に被告の帰宅を喜ばなくなりその態度は益々冷たくなり昭和二十六年七月末日婚家の氏神の祭礼に婚家に帰つたときは原告やその父母の態度は殊更であつて被告を家に留めたまま家内一同親戚に行つて仕舞い被告は不覚の涙にくれて留守居をしたのであつた。然るところ被告は今や殆ど回復して見るからに頑丈になり昭和二十八年八月十六日より国鉄の職場に復帰して職務に励んでいるので一時も早く婚家に帰り余暇に農事を手伝い妻たる原告を愛しその父母に敬い仕える極めて純心な気持でいるから婚家の人との感情阻隔し家庭の円満を害するものとは到底考えられない。尚原告は被告に無断にて堕胎手術を施し又実家に加養中の被告を一度も見舞わず遺憾の点多々あるもこれは両親始めその周囲の人々に強いられている結果と思われる。之を要するに原告の請求は正当な理由に基くものでないから失当であると述べた。<立証省略>
三、理 由
案ずるに成立を認める甲第一号証(戸籍謄本)に依れば原被告は昭和二十五年二月二十五日婚姻したこと明らかである。しかして証人前川忠助同前川勘次郎同北出貞雄同服部桐之助同中江四郎の各証言、原告本人及被告本人(但し後記措信しない部分を除く)各尋問の結果並に公文書であるから成立を認める乙第一乃至第四号証を綜合すれば被告は昭和二十五年二月十二日原告と結婚式を挙げ原告方の人として同棲し結婚後も数年来勤務していた国鉄柘植駅に引続き駅手として勤務していたが元来原告方は農を生業となし田地約七反を耕作していて原告の父が長年の病弱にて農事は思うに任せずその他の家族としては原告とその母丈であつて両人が中心となつて農に励むも及ばず親戚の者の手を借ること多く辛うじて農業を維持して来た状態でこのため原告に夫を迎へ家業を支うべく農家に適する良き縁として原被告間に婚約整い原被告は昭和二十五年二月十二日結婚式を挙げ爾来原告方に同棲したものであるが被告は数年来国鉄に勤務していたので将来は農に専念するとして当分は引続き勤務を続けることとなり結婚後も従来通り柘植駅の駅手として通勤し傍ら家業の農を手伝つて来たが被告は従来出勤良く結婚前の昭和二十四年八月末及結婚後の昭和二十五年五月末の職場における各体力検査において疾病ありとは診られなかつたが昭和二十五年初め頃から軽度の腰痛があつて原告と結婚当初の頃から坐したときそのままの姿が保たれずして食事の際には飯台に肘をつき土間より室に上るときには柱か戸に掴つて上らねばならず歩くときは左肩が下る等健康体とは見られずそのためか農仕事には時に犂、鍬を持つことあるも男仕事に堪えずかかる中自ら身体の調子に懸念せざるを得ない状態となつて昭和二十六年一月二十四日奈良の国鉄診療所、次で翌二十五日大阪の国鉄の病院で診察を受けた結果胸推及腰推カリエスと診断せられ爾来原告方にて臥床し時々右国鉄病院に通つて治療を受けていたが同年四月頃農繁期に人手少い原告方にて病身を横たえているに忍びず原告方の意向も察して実家に帰り更に療養に努めたかいあつて同年十月頃には膿が溜らなくなり、昭和二十七年三月頃には痛みが去り同年八月コルセツトを外し昭和二十八年三月の所見では既にカリエスの治癒が認められ同年六月下旬より通院の要なきに至り同年八月十六日頃から再び国鉄の勤務に入り現在ではその事務に格別の障りを見ていないが将来農に勤しむ健康体となることは覚束ない身なる事実、他方原告方は病弱の父に母も神経痛をもつていて農業を廃するには他に生計の途を見付け難くさりとて被告の収入は到底原告方の家計を維持するに遠く又村の寄合、出合に男手を要するときも叶わない状態で原告の苦労一方でなくかかる立場に置かれた原告は昭和二十六年九月頃からようやく被告に対する愛情を失い被告の愛に反し今日にては被告と夫婦として終生を伴にする意思を全く失つている事実を認めることが出来右認定に抵触する被告本人尋問の結果は措信しない。さて敍上認定の事実は果して離婚原因たり得るか否かに付て考えるに凡そ夫婦は一且婚姻した以上時に夫婦の愛情に起伏の波あるも能くお互に家庭の維持に努力し身体を害するとも、或は精神上多少の障りが生ずるとも相倚り相扶け以つて終生の伴侶として人間的使命を全うしなければならない社会的義務あることは今更多言を要しないところであつて生業を維持し得るか否かはそれ自体婚姻を破る正当の要素となり得ないものであるが他面又家の制度が廃された今日と雖も家族的共同生活を打捨てたものでなく能う限り親が子を護り子が親の行末を見守ることは扶養の法律上の義務を俟つ迄もなく人倫の大道である。ひるがへつて本件を観るに原告は両親に仕え生業たる農を維持する決心固くその心は環境として已むを得ないところであつてそのために将来農家の中心となつて働き得る人を夫として求めたいと思う念より被告に対する夫婦としての愛情を失い回復すべきもない状態にて婚姻継続の意思を失つたことは詮ない次第で亦深く咎め難いから被告の立場に一掬同情の念を禁じ得ないものがあるが右事実は民法第七百七十条第一項第五号に所謂婚姻を継続し難い重大な事由に該るものと謂うべく被告との間の離婚を求める原告の本訴請求は理由あるものとして之を認容し訴訟費用の負担に付き民事訴訟法第八十九条に則つて主文の通り判決する。
(裁判官 西川力一 米山義員 家村繁治)