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津地方裁判所 昭和51年(ワ)71号 判決 1983年3月31日

原告

井上冨士子

右訴訟代理人

石坂俊雄

村田正人

中村亀雄

赤塚宋一

花田啓一

山田幸彦

山田万里子

水野幹男

斉藤洋

冨田武生

松葉謙三

川嶋冨士雄

良原栄三

石川憲彦

富永俊造

福井正明

伊藤誠基

被告

日本電信電話公社

右代表者総裁

真藤恒

右指定代理人

服部勝彦

外一〇名

主文

一  被告は、原告に対し、金一二〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和五一年五月二七日から、内金二〇万円に対する本裁判確定の日の翌日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五一年五月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、前身の電気通信省から、昭和二七年八月一日、日本電信電話公社として設立され、その主たる業務は公衆電気通信業務及びこれに付帯する業務その他公社設立の目的を達成するために必要な業務を目的とする。

(二) 原告(昭和八年八月二八日生)は、昭和二六年一二月、当時の電気通信省(後の日本電信電話公社)に入社し、当時の木本電報電話局(昭和二九年一二月一日、熊野電報電話局となる。以下「熊野局」という。)に電話交換手として配属されて以来、昭和三〇年から三一年にかけての約一か年付帯業務と交換手の新入社員の作業訓練に従事したほかは、昭和四七年四月一八日の休業に至る迄の間一貫して電話交換業務に従事してきたものである。

2  原告の発症・増悪の経過

(一) 原告の病状の経過

昭和二六年一二月

被告人に入社当時は、健康そのものであつた。

昭和二八年

プレストをかけると息苦しいことが度々あり、医師に肋間神経痛と診断された。このころから頭痛もおぼえた。

昭和三三年・同三四年・同三六年

この間に三回妊娠するが、妊娠する度につわりが重く、そのため中絶一回、妊娠中毒症一回、人工分娩二回という状態であつた。

昭和三八年・同三九年

頭痛、胃痛、吐気、目の疲れ等のため、内科・眼科・産婦人科を受診、内科医より仕事との関連性について指摘された。このころから、椅子に腰かけて仕事するのが苦痛であり、椅子の上に正座をして仕事をせざるを得なかつた。また、肩こりにも悩まされ、勤務中に按摩にかかることもあつた。

昭和四〇年

仕事中交換証の線や字が見えなくなつた。午後になると下肢が腫脹、真夏であつても冬の厚い肌着を着ないとすごせなくなつた。

昭和四一年

下肢の腫脹、しびれがあり、腹痛にも悩まされた。また物を手からよく落とすようになり、休日はほとんど寝て過ごすようになつた。

六月二〇日、仕事場に冷暖房機が設置され、窓が密閉された。冷房中金属製の交換台が冷え込み、これに手が触れると差し込むような苦痛が伴うため、交換台に交換証をちりばめて作業をした。また、腹部のはりや痛みがあつたため、腹部の冷えを防ぐため番号簿を膝に乗せて、体と交換台の間を遮断した。この頃から耳から頭へかけての突きさすような痛みが加わり耳鳴りが始まつた。

昭和四三年

三月ころ、手首から肘にかけての突き刺すような痛みで指が使えなくなり、外科を受診したところ、「リューマチ」と診断され、電気治療を受けた。療養中、首も動かなくなつたが、一週間の治療で治つた。しかし、手の症状はむしろ増悪し、手拭も絞れず、水も使えなくなり、約一か月半の治療を受けた。

九月末、ひきつるような下腹部痛を伴い性器出血があり、卵巣の手術を受け、五〇日間休業した。手術後、生理が順調になり、体全体の調子がよくなつた。出勤後一か月ぐらいから下肢浮腫、疼痛、息苦しさが加わり、「冠不全」と診断された。

昭和四四年

三月ころ流産。

胃腸に異状な痛みのため、胃と大腸のレントゲン検査及び血液検査を受けたが異状ないといわれた。

頭痛、倦怠感が入浴により軽快することに気付き、出勤前に入浴するようになつた。

手、指が時々動きにくくなり、字を書くのが苦痛になり、手のはれも起きた。

五、六分歩くと下肢痛が起きたり息苦しくなつたりした。

頸が動かなくなり、レントゲン検査の結果、異常な肩こりといわれ、注射、針で治療した。

買物も吐気やめまいのためできなくなつた。

昭和四六年

二月ころ、眼の白目の部分から出血したため、眼底検査を受けたが異状なしといわれた。

右手首の痛みのために治療によく通つた。秋頃から鉛筆もにぎれないことがしばしばあり、感覚がなくなり、火傷をすることもよくあつた。

昭和四七年

四月一日、急に頸に火の走るような痛みをおぼえ、頸が全然動かなくなつた。電気治療を受けながら出勤したり休暇をとつたりした。

四月一八日、一〇日間休業の診断書がでた。毎日電気治療を受けるも改善せず、自分一人では寝ることも起きることもできなくなつた。

体中につきさすような痛みをおぼえ、風にあたると気分が悪くなつた。力が抜けたようになり、ハンドバックも持てなくなり、髪をさわるとハリで刺したような頭痛があるため髪がとけないという状態になつた。

四月二二日、津市柳山診療所において、「頸肩腕症候群」との診断を受けた。

(二) 発症及び増悪の時期

(1) 原告は、昭和三三年から同三七年にかけて病気休暇を取つているが、これは、原告がこの間、昭和三三年一〇月に妊娠中絶、同三四年一二月及び同三六年一二月に各出産しており、右妊娠のためのつわりが極めて重く、食事ができないばかりかほとんど寝たままの状況になつてしまうことや、妊娠中毒症、産後の肥立ちが悪かつたため休まざるを得なかつたものである。

(2) 原告は、昭和三八年、九年ころから、頭痛、胃痛、目の疲れのほか肩こりにも悩まされるようになり、勤務中にもマッサージにかかるという状況になつていることからして、このころから頸肩腕障害の前駆症状が見られ、昭和四一年には、全国自動即時網への編入、同四一年から四二年にかけて外集局の設置、地域集団電話の増設がされ、仕事量が飛躍的に増大したにもかかわらず、これに伴う要員措置がとられず、昭和四一年には冷暖房機の設置、窓の密閉等環境面においても劣悪化したため、原告は、昭和四二年ごろには頸肩腕障害に罹患した。

そして原告の症状は、その後も引き続く仕事量の増大や慢性的要員不足、環境悪化に加えて後記の1号応答観測装置の設置や背面パトロール等による労務管理の強化や不十分な健康管理により増悪し、昭和四七年には日本産業衛生学会の本症の分類の重症にあたるⅤ度に罹患し、同年四月一八日には休業せざるを得ない状態まで健康を破壊されたのである。

3  原告の業務内容等

(一) 原告は、前記のように、昭和二六年被告に入社以来、昭和三〇年から三一年にかけての約一か年付帯業務と交換手の新入社員の作業訓練に従事したほかは、昭和四七年四月一八日休業するに至るまで一貫して電話交換業務に従事してきたものであるが、電話交換作業は、迅速・正確・公平・親切という機能的かつ精神的サービスを旨として、共同作業(手の空いている時間を利用して、他の忙しい座席の「呼」に応答すること)、重複動作(ある動作を行つている間にそれと並行的に別の動作をすること)を要求される肉体的・精神的に厳しい仕事である。

(二) 原告の職務内容

(1) お客の「呼」があると受付線ランプが点火する。それを目でとらえて、使用するコードに対応する結合キーを操作し、リヤコードを点火しているランプに対応するジャックに腕を伸ばして差し込む。ここでお客即ち請求者と対話が可能になる。

(2) ヘッドホーンを通して請求者と対話しながら交換証に受付事項を記入する。そして応答したコードを一旦抜いて空いているTCG(出中継線)ジャックにさし、請求者の番号をダイヤルして、信号キーを操作して呼出音を送出し、請求者を呼び出して請求者を確認する。その後分割キーを操作して、フロントコードを空いた市外線ジャックにさし込み、対話者の番号をダイヤルし、対話者が出たら、それを確認して再び分割キーを操作し、通話中に始話を促し、時分計を起動させる。この時点で、通話可能になる訳である。

(3) 結合キーを操作して通話が正常に行われているか否か監話し、正常な通話を確認したら結合キーを操作して監話をやめ、交換証に時分及び取扱者番号を記入する。

(4) コード監視ランプが点火したら、通話終了を確認し、時分計レバーを操作して、交換証に時分及び料金を記入する。フロントコードをジャックからぬいて結合キーを操作する。信号キーを操作して請求者に信号を送出して、請求者が応答したら時分料金を通知して、リャコードをジャックから抜いて、時分計レバー、結合キーを操作する。そして最後に交換証を腕を伸ばして棚に上げて、一通話の作業が終了する。

(三) 原告は、昭和三八年当時は日夜勤勤務をなし、その後昭和四〇年ころまで宿直六輪番(一般に宿直勤務といつていた)、昭和四〇年から昭和四二年七月ころまで日夜勤勤務、昭和四二年七月から昭和四三年一一月ころまで宿直六輪番、昭和四三年一一月以降から四七年四月ころまで日夜勤勤務を行つて来た。

(四) 昭和三四年自動改式前後も忙しかつたが、昭和三八年以降は年を追うごとに忙しくなり、原告が休職した昭和四七年ごろはそのピークであつた。一日のうち昼間の時間帯でさえ待機する時間が余りないくらい繁忙であつたが、これに加えて午前六時から八時ころまでと夜間八時から一〇時ころまでは一段と忙しく、一日のうちでも業務量に甚だしくむらがあつた。

(五) 原告は、電話交換作業に従事する迄は、健康そのものであつたが、前記のように昭和三八年ごろから本症を思わせる症状が出現し、昭和四二年以降、徐々にその症状が悪化し、昭和四七年には日本産業衛生学会の分類によればⅤ度にあたる重症となつた。

4  頸肩腕障害

(一) 定義

昭和四八年三月、日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会の出した頸肩腕障害に関する報告書の定義によれば、「頸肩腕障害」とは「業務による障害を対象とする。すなわち、上肢を同一肢位に保持、又は反復使用する作業により神経、筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害」である。

(二) 病像の分類

左のような経過をとり、病像が進展することが多い。ただし、急性に発症又は症状の増悪した症例については、経過を観察して、診断を確定する必要がある。

Ⅰ度:必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められない。

Ⅱ度:筋硬結・筋圧痛などの所見が加わる。

Ⅲ度:Ⅱ度の症状に加え、左記の所見の幾つかが加わる。

(イ) 筋の腫脹・熱感

(ロ) 筋硬結・筋圧痛などの増強又は範囲の拡大

(ハ) 神経テストの陽性

(ニ) 知覚異常

(ホ) 筋力低下

(ヘ) 脊椎棘突起の叩打痛

(ト) 神経の圧縮

Ⅳ度:Ⅲ度の所見がほぼ揃い、手指の変色・腫脹・極度の筋力低下なども出現する。

Ⅴ度:頸腕などの高度の運動制限および強度の集中困難・情緒不安定・思考判断力低下・睡眠障害などが加わる。

(三) 電話交換手の頸肩腕障害

(1) 電話交換手においては、昭和三七、八年ころから患者の発生がみられ、被告は頸肩腕障害患者の多発職場である。

(2) 電話交換手の頸肩腕障害の病像について

電話交換手の頸肩腕障害患者の病像は、他職種の頸肩腕障害の患者の病像と比べてきわだつた特色を有している。

すなわち、同一職場の一般事務作業者と比べて、電話交換手では、頸・肩・腕の個々の局所症状について訴えが高いものがみられるが、むしろ全身症状、あるいは日常生活の不便・苦痛としての訴えが強く、特に精神・神経的負担によると考えられる項目も含めて全身疲労の強いことが特徴と言える。又、椅坐位作業であるにもかかわらず腰・下肢の症状が強い。

5  業務起因性

(一) 原告の頸肩腕障害と業務起因性

原告は、昭和四七年四月二二日柳山診療所の向井医師によつて業務に起因する頸肩腕障害であると診断され、その後昭和四八年三月三〇日被告指定医の三重県立大学医学部附属塩浜病院の畑中医師によつても業務に起因する頸肩腕症候群と診断され、さらに頸肩腕障害の権威である関西医科大学衛生学教室の細川汀医師からも、昭和四九年七月一日に頸肩腕障害であると診断されており、昭和五五年七月九日には、杏林大学医学部上畑鉄之丞医師によつても頸肩腕障害であるとの診断を受けており、原告を実際に診察した四名の医師が頸肩腕障害であると診断しているのであつて、原告の罹患した頸肩腕障害が業務に起因するものであることはこれだけでも明白であるが、さらに以下の事実からも業務起因性は疑問の余地のないものである。

(二) 全国的にみた電話交換業務従事者における頸肩腕障害の多発

被告における本症罹患者数は、合理化による労働条件の悪化・労務管理の強化、労働環境の劣悪に伴つて増大した。

全電通の第二七回定期全国大会報告(昭和四九年)によると、本症の多発職場である七分会の聴取り、三五分会のアンケート調査の結果によると昭和三八年から同四九年までの本症の罹患者の推移は別表1のとおりであり、昭和四五年以降急激に増加の形をとつている。

また、昭和四八年から昭和五五年一〇月迄の間の全国的規模での罹患者数の推移は別表2・3のとおりである。

(三) 頸肩腕障害の多発要因

被告で頸肩腕障害が急増・多発した背景として、昭和三五年ころからの電話交換業務の全国自動即時化の動きの中で作業条件に変化が起きており、交換手の疲労が強くなり、蓄積されつつあつたことが指摘される。その中で、多発要因として、(1)クロスバー交換機の導入による作業密度の上昇、作業テンポの規制強化、(2)交替制勤務における八輪番制から六輪番制への変更、週休二日制導入に伴う一連続作業時間の延長、(3)夜間割引一〇〇番通話者の増加による夜勤時の作業量増加、(4)昭和四六年頃からの労務管理の強化、班長による監視、一一秒以内に応答出来なかつた通話率の算定、背面パトロールなどによる精神的、神経的緊張の増大などが上げられる。

特に昭和四七年、四八年に被告電話交換手の頸肩腕障害が急増した点については、この労務管理からくる精神・神経の緊張の増大が無視し得ない要因であつた。又、各電話局においては、それぞれの置かれた状況によつて、一人当たりの作業量の増加や夜間の一〇〇番通話の増加などにみられる作業量のむら、あるいは急激な加入者数の増加に設備整備が伴わないために余儀なくされた、無理な作業動作などが直接の引き金になつた例もある。このような引き金が加わつた場合、患者の多発が起き得る作業負担の増大、作業者の疲労蓄積の状況が背景にあつた。

(四) 熊野局における電話局交換業務従事者の頸肩腕障害の多発

原告と全く同一の職場環境にある熊野局の電話交換手の間で本症が多発している。

(1) 昭和四〇年熊野局において、組合婦人部が行つた健康アンケート調査によると、四四名中四〇名の回答があり、その内、局所症状として足がはれると答えたもの二三名、腰痛一三名、全身症状として頭のしんが痛い二五名、生理痛二五名、耳が遠い二〇名などの訴えが出ており、このアンケート結果は、職場における健康破壊が相当程度進んでいたことを示している。

(2) 昭和四四年の健康アンケート調査によると五〇名中四八名の回答があり、その内、局所症状として足がはれる二九名、頭痛二五名、肩こり二四名、腰痛一五名、めまい一四名といつた回答があり、目が疲れる二七名、耳が遠い一二名といつた症状が出ている。

また、神経痛一三名が出ている。これら症状はいずれも頸肩腕障害の症状をあらわすものであり、頸肩腕障害に罹患していた者が多数にのぼつていたことをうかがわせるものである。

(3) 昭和四七年の健康アンケートの結果によると、四一名中三五名に肩がこる、だるい、腕がだるい、二〇名に首がこる・だるい、といつた首、肩、腕の症状が出ており二〇名以上に耳が聞えにくい、目が痛いといつた感覚器の症状が出ており、二五名以上に下肢が冷える、だるいといつた下肢の症状が出ており、三〇名以上に体がだるい、頭が重い、生理時の苦痛があるといつた全身症状が出ている。

これらも電話交換手の頸肩腕障害の患者に特徴的な訴えである。

(4) 熊野局においては、昭和四七年以降になつてようやく頸肩腕障害と診断名がつけられた患者が出た為、昭和四七年から昭和四八年にかけて発症した頸肩腕障害者が多数にのぼつているかのごとくであるが(別表4)、これらの患者は前記アンケート調査より明らかなとおり、右年度より以前において既に罹患していたものであつて、昭和四七年から四八年に初めて発症したことを示すものではない。

(5) 原告とはほぼ同時期に被告に入社し、電話交換手の仕事を行つてきた結果、本症に罹患し頸肩腕症候群であると被告が認める者に、須崎ちえ子、下川京子、弓場宏子、大西いほ子らがいるが、原告の症状は右四名とほぼ共通である(別表5症状一覧表記載のとおり)。

(五) 被告も頸肩腕障害の業務起因性を認めている。

(1) 被告が遅きに失する頸肩腕障害対策を昭和四八年一二月にとつたあと、はじめて本症の発生が減少し、(別表2・3参照)、熊野局においても、頸肩腕障害対策がとられたあと、昭和四九年七月以降、新規の患者の発生がみられない。

(2) 被告は、昭和四八年一二月一七・八日、全電通に対し、本症の業務起因性を認める趣旨の発言をした。

即ち、被告と組合との交渉記録書である四八名中記第一四六号によれば、被告は、「電話交換部門等を中心に頸肩腕症候群が多発している実態を深刻に受けとめ経営当事者としての責務からも問題の重要性を強く認識している」と被告の経営責任を認め、さらに「この疾病は、いわゆる電話交換作業に従事する者に多数発症しているものである」と述べた。

また、被告は、全電通熊野分会との交渉の場で、熊野電報電話局における本症の業務起因性を認めた。

(六) 病気休暇と症状の回復との明確な関連性

原告の症状は、休業中に回復傾向をたどり就業すると増悪をきたし再休業によつて又改善し、昭和五三年一〇月に復職後は、ほぼいい状態が続いているのであつて、業務との相関関係が明瞭に認められる。

以上のような原告の症病歴、業務歴、医師の判断、被告における電話交換手の本症の多発と原告と同一職場である熊野局における本症の多発、並びに熊野局における業務上認定患者と原告の症状との共通性、全国的及び熊野局における頸肩腕障害対策後の新規患者数の減少、休職と病気回復との相関関係からすれば原告の頸肩腕障害が業務に起因するものであることは明らかである。

(七) 労働省通達について

(1) なお、労働省通達について付言するに、労働省では、昭和三九年九月一六日「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第一〇八五号)を発して職業病認定の行政基準としていたが、その後他の職種にも同種の障害が拡大し、症状も手指だけでなく頸、肩にも及ぶことが明らかとなつたため、労働省労働基準局長は、昭和四四年一〇月二九日「キーパンチャー等の手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第七二三号)を発し、さらに昭和五〇年二月五日「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第五九号)を発し、右基準をもつて職業病認定の行政基準とし現在に至つている。

(2) 右通達は労災保険給付の申請があつた際に、労働基準監督署長が業務上外の判断をし、給付の有無を決定するために定めた内部の物差しにすぎないのであるから、行政庁の内部基準にすぎない労働省通達をもつて業務起因性の有無の判断基準とすべきでないことは当然である。

(3) もつとも、原告の症状からすれば今まで縷々述べてきたとおり、右基準によつても業務起因性があることは明白である。

6  被告の責任

(一) 被告の一般的債務不履行

被告は、労働基準法四二条、労働安全衛生法二三条及び労働契約に基づき労働者の生命・身体・健康を保護すべき義務を負つているのにもかかわらず、昭和三九年当時予防義務を尽くさなかつたため昭和四二年には原告をして頸肩腕障害に罹患せしめ、昭和四二年以降においても健康管理義務を尽くさなかつたため、原告の症状は昭和四七年には日本産業衛生学会の本症の分類の重症に該るⅤ度にまで増悪し、休職せざるを得ない状態にまで至つたものであるから、被告には後記記載のとおりの債務不履行に基づく損害賠償責任がある。

(1) 被告の予防義務

ア 被告においては昭和三二年頃よりキーパンチャーにおいて頸肩腕障害―当時は「腱鞘炎」といわれていた―が問題となり、昭和三四、五年ころから職業性障害として多くの調査研究がなされた。

また、被告は、昭和三五年に電話交換手と健康障害との関係についての医事調査研究、同三九年には広島電報電話局における本症の多発に関する調査をなしている。

更に、全電通労組は、昭和三九年に学者に依頼し電信電話作業者の健康調査を行つており、この調査の結果、本症が多発していることが判明した。

イ 右のような事実からするならば、被告は昭和三二年にキーパンチャーにおいて本症が発生してから本症に関する調査・研究をなし、昭和三九年には労使双方が本症に対する調査をなし、その結果、電話交換手に多発している健康障害はその業務と環境に原因があることが指摘され、当時の労働密度・労働条件・労働環境が改善されなければさらに全国的に本症が多発する可能性があることが指摘されていたのであるから、遅くとも、被告は昭和三九年当時において、本症の全国的多発を予見してその予防のために最善の措置をとるべきであつた。

ウ 更に右のことは、被告の健康管理体制が労働安全衛生法に従つてなされていれば容易にできたことなのである。

被告は、逓信病院という全国的に見ても人的・物的設備の極めて整つた総合病院を有しており、健康管理医をおいて職員の健康管理をなしていたのであるから、労働安全衛生法に則つた健康管理をしていれば、昭和三五年頃から本症の症状を訴える交換手が増えてきており、広島局で多発した昭和三九年頃には、全国的に極めて多くの局において本症による健康障害を訴える交換手が多発している―このことは、熊野局における昭和四〇年のアンケート調査の結果からも明らかである―ことは容易に健康管理医の診察により発見できたはずである。

しかも、原告を含む交換手が訴えている健康障害は頸肩腕障害の部分的症状であり、電話交換業務との関連が強いという疑いは十分にうかがわれるのであるから、被告が労働安全衛生法・労働安全衛生規則の趣旨どおりに原告を含む交換手らの健康障害には業務との関連があるか否かという観点に立つて健康診断を十分になしていれば容易に本症であることが分りそれが職業病であることが発見でき、その予防・治療対策は十分にできたはずである。

ところが、被告は、かつて電信業務に多発した結核性疾患のための簡易な一般検診しかしておらず、本症に関する検査、問診は全くしていなかつた(被告の健康管理規定第二一条第三項によれば問診は感覚器、循環器、呼吸器、消化器、神経系その他について行うとなつているのにもかかわらず、これさえもなされていない)。その結果、本症に対する対応が全くなされずに放置され、作業方法、作業量、作業密度、職場環境、作業機器の改善はなされなかつた。

エ 右のような事実からすれば、被告はすでに電話交換手においても昭和三五年頃本症の患者が発生しており、遅くとも昭和三九年には本症が多発していることが分つているのであるから、原告の申告などを待たなくても当然に昭和三九年の時点においては、本症の全国的多発を防止するために被告自ら進んでその予防対策を講ずる義務があつたのであり、原告の申告を待つてはじめて右義務が発生するものではない。

このことは、本症についての医学・労働衛生上の知識を得て分析し、予防するという面において被告と原告とではその能力において絶対的な開きがあり、本症を予防するための労働条件・労働環境を改善するか否かの権限は被告が独占的に有していることからしても当然のことである。

オ 被告は、昭和三九年当時においては、当時の労働密度・労働条件・労働環境を改善しなければ全国的に本症が多発することが予見できたのにもかかわらず、なんら改善措置をとらず、かえつて次のような「合理化」を実施してきた。

即ち、第二次(昭和三三年度〜同三七年度)に続いて実施される第三次(昭和三八年度〜同四二年度)の長期計画により、全国主要都市間の自動即時化は逐次実施され、市内通話、市外通話の自動化(以下、全国自動即時化という。)が全国的に実現すれば、交換手による通話の手動接続はなくなり、大量の余剰人員が発生し、大きな労働問題となる。そこで、こうした事態を防ぐために交換要員は極力増員せず、全国自動即時化を実現するというのが、交換部門の「合理化」計画であつた。

即ち、被告は、全国自動即時化が完成(昭和五二年末に完成した)するまでは、作業量が増加しても交換手を増員しないという方針をとつたために、作業量の増加に対しては第三次長期計画の修正ではなく、後記記載のとおり交換手に労働条件の引き下げを強要し、労務政策・労務管理の強化をすることにより切り抜けようとした。

そのため、当然のこととして、交換手一人当りに対する作業負荷は増大し、昭和四二年頃から本症の罹患者が全国的に出現するに至つたものである。

(2) 被告の健康管理義務

仮に、昭和三九年当時予防義務を尽くすことが無理であつたとしても、被告は、原告を含む電話交換手に対する十分な健康管理を尽くし、遅くとも昭和四二年当時においては本症が多発している事実を認識し、本症の多発の予防及び早期発見につとめ、発症した患者に対しては適切な早期治療を施し症状の悪化を防ぎ、さらに症状が悪化している場合には最善の治療を受けさせ、病状の進行を防ぎ健康の回復に必要な措置を講ずべきであつた。

ところが被告は学者、労働組合、罹患者が本症は業務に起因するものであるとして健康回復措置を取るよう警告、要求しているにもかかわらず、しかも自ら電話運用部門に多発していることを認めておきながら昭和四七年に至るまで本症に関する健康回復措置を全く取らなかつた。

被告が仮に予防義務を怠つたとしても健康管理義務を尽くしていれば、原告は昭和四七年に日本産業衛生学会の本症の分類の重症に当るⅤ度に罹患して休職せざるを得ないという状態にまで健康を破壊されずに済んだのである。

(二) 被告の具体的債務不履行

(1) 仕事量の増加

ア 電話加入者数の増加

(ア) 熊野局においては、昭和三四年七月、市内通話は自動交換機になり、一時的に交換業務は楽になつたが、昭和三七、八年頃から加入者の増加と交換取扱者が産前・産後の休暇で休む人が多かつたということもあり、また忙しくなりはじめた。

(イ) 熊野局では、昭和四一年八月全国自動即時網に編入されたため、全国主要都市及び地方都市間の即時通話が可能になつた上に昭和四一年には、熊野市周辺の神志山、市木局等九局の、昭和四二年には、西山・入鹿二局の半自動即時化がそれぞれ実施された。

右のような周辺局の半自動即時化により、電話加入者数は約一〇〇〇個増加した。

また、昭和四二年六月の金山局をはじめ、昭和四八年までに七局の地域集団電話を増設した。熊野局における全電話に対する地域集団電話の占める割合は約三〇%であり、全国平均の7.5%よりはるかに多いものである。

(ウ) その結果、昭和四二年当時の地域集団電話・外集局・一般加入電話の合計数は二五〇〇加入であつたのが、昭和四六年には五五〇〇加入に増設され、昭和四八年には六八〇〇加入に増設され、昭和四二年から四八年にかけて約2.5倍くらい加入者数が増えた。

イ 取扱数の増加

全国自動即時網編入、半自動即時化、地域集団電話の増設は通話対地を拡大する結果となり、扱数は増加した。特に地域集団電話は、一本の電話回線に一〇人の加入者を接続することができる多数共同方式であり、通常は七、八人の加入者が接続されている。その結果、請求者または対話者が「話中」になつている場合が極めて多い。そのため電話交換手は請求者話中の場合は何回となくダイヤルをして請求者を呼びださざるを得ず、また対話者話中の場合は何度も通話の申込みをしてくるため一般加入電話の呼とあいまつて受付線の呼は増大することになる。

これに加えて、熊野局においては出中線ジャック、市外線受付線に空線表示がないため、クリック・テストをしながら空線ジャックをさがさねばならないため、約1.3センチメートルの間隔のジャックからジャックの間をこきざみに宙にうかした腕を左から右へ移動させながらガリ・ガリという音のでない空線ジャックをさがさねばならなかつた。

右のような地域集団電話と外集局及び一般加入電話の増設により、原告を含む熊野局の電話交換手の作業量は昭和四二、三年頃から急激に繁忙となり、案内交換台を改造して即時・待時の交換台として使用しなければならなかつた。

ウ 早朝・夜間の取扱数

(ア) 早朝午前六時から一〇時までと夜間午後八時から一〇時までの間に特に呼量が多く殺人的な忙しさであつた。

(イ) 昭和四二、三年頃からの夜間の時間帯の忙しさは次のとおりであつた。

夜間割引時間に入る午後八時前のわずかな時間は通話の申込みも減り、台風の前の静けさといつた緊張感に職場全体がひたり、椅子に腰かけていた管理職も、席から立ち、ヘッド・ホーンを持つて交換台の前に来て応答の準備をする。

そして、管理職によつては騒音のはげしい冷暖房機をとめ、騒音のない、扇風機やストーブに変え、午後八時と同時に管理職も含め全交換台に着席する。するとそれに合わせたように一〇〇番・外集の全回線の呼出ランプが一斉に全部点火し、待機していた電話交換手らの腕がのび、指がキーをさばき、応答の声が一斉に発せられ、瞬間的な静寂から戦場のような騒しい職場に一変する。そして、空線表示のない出中継線ジャック、市外線ジャック、受付線ジャックを左から右、右から左へたこ焼の油ぬりのようにコードを持つた手が移動しながら、何度も何度もクリック・テストをして空線ジャックをさがしまわる。

この間に点火したランプはフラッシュ(一一秒間以上応答しないと受付線ランプがフラッシュして、他の点火ランプよりも優先的に応答することをうながす。この一一秒以上のフラッシュの分布率を調査するのが、1号応答サービス観測装置である)に変わる。

空線を少しでも早くさがすか否かが全体の応答サービスの良し悪しに影響するため、電話交換手はこのフラッシュランプにおわれ、ジャックの上を左から右へプラグの先に一個ずつふれるのでは間に合わなくなり、一直線にザー、ザーと走らせて空線をさがすことを強いられる。

このような動作をしながら、接続中の通話の状態を確認しつつ、手当り次第にフラッシュしているランプのジャックに応答をする作業を二時間以上も継続するが、応答しても応答しても、ランプは次から次へと点火し、フラッシュしていくため、昭和四一年以降自動即時網に編入されたため必要のなくなつた照合コード(請求者が告げる請求者番号が正当であるかどうかを確かめるコード)をも使用して応答するありさまであつた。

このような繁忙の中に多数共同方式の地域集団電話の通話を受けつけると前記のように「話中」が多いため、何度も請求者にダイヤルをすることが強いられ、その忙しさは筆舌につくしがたい。

(2) 要員不足

被告は右のような加入電話取扱量の増加にもかかわらず熊野局の電話取扱要員を増加しなかつた。

昭和三八年一二月から同四九年七月までの熊野局における電話取扱要員の人数は次のとおりである。

年月日

人数

(名)

新規採用

者数(名)

昭和三八年一二月

四八

同三九年一二月

五〇

同四〇年一二月

五一

同四一年一二月

五三

同四二年七月

五〇

同四三年四月

四八

同四四年一二月

五一

同四五年一二月

五一

同四六年三月

五〇

同四七年三月

五三

同四七年四月

六六

一三

同四八年四月

六七

同四九年四月

七一

同四九年七月

八三

一二

被告は組合が昭和三九年ころから一貫して要員を増加するよう要求していたのにもかかわらず、昭和四七年四月まで、ほとんど要員しなかつたのみならず、昭和四三年四月には二名削減さえしているのである。

したがつて、被告は遅くとも昭和四二年以降は仕事量に対応して少なくとも毎年数名以上の要員増加をすべきであつたにもかかわらず、それを怠り要員不足を補うために後記の通り昭和四一、二年以降昭和五〇年に至るまで1号応答サービス観測装置を設置したり、用語の簡略化・二重動作の奨励をしたり、背面パトロール等をしたりして、交換手の労働強化をすることにより、取扱量の増加に対処してきた。その結果、交換手の疲労は蓄積し、健康をも破壊されるに至つたのである。

(3) 劣悪な労働条件

ア 交換取扱者の作業姿勢及び動作

(ア) 電話交換作業は、交換台に向つて足のせ台のない椅子に腰かけたまま、胸にプレストを掛け、または頭にヘッドホーンをつけて前傾姿勢を保持し、常に肘は空中に浮かせてコードやジャックの差し込み、クリック・テスト、ダイヤルやキーの操作、案内簿の出し入れ、交換証の出し入れ及び記入等を反復、継続するものであり、上肢を過度に使用する仕事である上に、利用者と顔を合わせることなく正確・迅速な応対を要求されているためその精神・神経的緊張の持続が極めて強い職種である。

(イ) 交換作業は、上肢を反復・継続して使用する作業であるため椅子に腰を深くかけ背もたれにもたれながら仕事をするということはできず、椅子には浅くかけ、しかも肘は常に空中に浮かして仕事をせざるを得なかったため頸筋群及び胸・腰椎部の旁脊柱筋の持続的緊張を要求された。更に、交換作業は共同作業のため自席のパネルを含めて、左右五パネルの範囲を取扱わなければならないが、熊野局の場合交換取扱者は最長九五センチメートル腕を伸ばさなければ交換作業ができない状態である。腕を九五センチメートル伸ばして接続するためには通常の姿勢では不可能であり、どうしても椅子より腰を浮かして接続作業をしなければならず、これを続けると身体が疲れてしかたないため、交換取扱者は、椅子の上に「正座」をして、交換作業をやらざるを得なかつたという状況にあつた。

(ウ) また、被告はお客の「呼」に迅速に応答するため、交換取扱者に対して、待機状態においては、一方の手でコードを持つて、その手は常に肘を空上に上げたままの位置に保持し、他の手は何時でもキーを操作できる状態で待機するように指導・監督していた。

この状態は、上肢の持続的筋緊張を要求されるものである。もつとも、昭和四一年から昭和四八年頃において忙しかつたため待機状態の余裕はなかつた。

(エ) 熊野局において、原告らがいかに無理な姿勢・動作で上肢を反復・継続する作業をしていたかについては、昭和四二年から昭和四七年にかけて受付線ランプ及び交換証入れを二回にわたり交換取扱者が作業しやすいように下の方に収容がえしているところからも明白である。

イ 作業時間及び休憩時間

熊野局における一連続着席時間は二時間であり、休憩時間は一五分であつた。しかし時間帯によつては二時間を越えて連続着席することもあり、一五分間という短時間の休憩では右連続着席による疲労を回復することは望めなかつた。さらに朝出勤するまでその日の休憩時間が分らなかつたり、時間帯によつては仕事にかかる前に休憩時間があるというようなこともあり、休憩時間の設定が交換取扱者の肉体的、精神・神経的疲労を回復することを考慮し作られてはいなかつた。

更に、労働時間については、昭和四六年四月より隔週二日制になつたが、一日当りの労働時間は六輪番交替服務で日勤で三〇分、日夜勤交替服務では夜勤で五〇分のびたため、特に日夜勤交替勤務者には夜勤が二日続くため苦痛であつた。

ウ 仮眠時間

宿直勤務における仮眠時間は三時間であるが、極めて不十分である。仮眠による疲労回復効果を期待するには一般に六時間以上を要するといわれている。

三時間という短時間の仮眠時間に加え仮眠施設もまた、極めて不十分なものであつた。

エ 交替制勤務

(ア) 交替制勤務の身心に与える影響

電話交換業務は、女子に深夜勤務が認められている数少ない職種の一つであるが、夜勤勤務を含む交替制勤務が労働者に与える肉体的、精神的影響は次のとおりである。

夜間勤務は、人間に存在するいわゆる「生体潮汐現象」と呼ばれる生体固有の日周期リズムに逆らい、昼間、身体が活動に適した状況のもとで睡眠をとり、夜間、身体が休息に向かう状況のもとで活動しようとするものであるから、生体のリズムを大きく狂わすこととなる。夜勤は人間の生理機能が休息に向かう方向にあるとき、これに逆つて活動するのであるから、夜勤での疲労は昼間の場合よりも大きいものであるにもかかわらず、その疲労回復をなすべき昼間の睡眠効果は極めて悪い。

その結果、交替勤務では夜勤の疲労を回復しないまま、その疲れを残して出勤し、疲れを一層積み重ねることとなる。

更に、交替勤務者の生活は非常に不規則になるため、食事の時間・回数が不規則となり、然も夜勤時は消化機能自体も低下しているので、交替勤務者は胃腸障害をきたすことが多い。

(イ) 原告の従事した交替勤務

これについては、前記3・(三)で述べたとおりであるが、付言すると日夜勤交替勤務は、六輪番で日勤と夜勤を専らおこなう交替制服務であるが、夜勤が二日続くため十分に休養が取れないことと、六日に一回の週休日が必ず設定されていたというものではなく、週休日の設定方法によつては、八日から一一日間連続して服務をしなければならないということもあり、労働者が最も敬遠した服務であつた。

原告はその日夜勤交替服務に組み入れられた期間が前記のとおり特に長期間にわたつていた。原告が右服務に組み入れられた真の理由は休務が多かつたからではなく思想差別をされたためである。

右勤務による過労が原告の健康破壊の有力な原因となつている。

オ 以上のとおり電話取扱作業は、不自然な作業姿勢・動作を要求されるため、頸筋群及び胸・腰椎部の旁脊柱筋の持続的緊張状態を招くほか、手指上肢の反復使用による酷使、感覚器の過度の使用に加えて極度の精神・神経的緊張を要求される仕事である。

(4) 労務管理の強化

ア 1号応答観測装置

被告は、応答サービスの改善という名目で応答時間を一一秒以内にするという目標管理をとつた。熊野局においては右装置は昭和四一年三月に設置された。これは一一秒以内に応答できなかつた分布率の基準値を一五%、限界値を二〇%と決め、右値を達成するべく交換取扱者の尻たたきとして利用されていた。

イ 用語の簡略化と二重動作の奨励

被告は、多くの「呼」に対応するために通話取扱用語を簡略化し一通話当りの手数時分を短縮し、そのために浮いた時間を二重動作を奨励することにより取扱数の増加に対処した。

熊野局においては、二重動作の奨励は昭和四二年ころから強いられ、用語の簡略化は昭和四六年二月より行われた。

ウ 背面パトロール

被告は、交換取扱者の背後より職制が個別管理することにより労働密度を上げて取扱数の増加に対処しようとした。

全国的には、主任が交換作業中背面から監督するという方法であつたが、熊野局においては、余りにも繁忙であるため主任及び副課長も交換取扱業務に従事していたことから、課長自ら背面管理を強め、特に昭和四二年ころよりこの管理は強化された。

特に、この背面パトロールは交換取扱者の精神的・神経的緊張を増大させた。

エ 録音による秘密監査と応待評価

被告は、交換手に秘密で応答内容を録音し、その内容をABCDEの五ランクに評価し、C以下にランク付けられた者は再訓練の対象になつた。再訓練は、課長、訓練担当者、係長、主任が臨席し、グループごとにC以下の評価を受けた交換手の応待内容を聴取し、欠点を指摘した。

熊野局では昭和四四、五年ころからこうした方法が強化されたために、交換手は出勤と同時に、「今日も録音されるんでは」と神経をとがらせていた。

これも、組合から本症とのかかわりで問題があると指摘されていたため、昭和五〇年五月廃止したものである。

オ 無事故競争

熊野局においては昭和四二、三年ころから交換証の記入間違いをなくするように組ごとに無事故競争体制が強化された。その方法は主任が背後から「事故を出さんように」とか、組会で「事故」の原因を分析するという方法がとられたが、「事故」を出せばその原因について私的生活まで詮索したり、記入間違いの交換証を交換室内に掲示した。

カ 反共攻撃

熊野局では、組合活動家に対しては「アカ」だというレッテルを貼付し、交替勤務についても交換手が最も嫌つた単配置の日夜勤交替服務に入れ他の交換手と隔絶した。

キ 各種休暇の付与

被告は、休暇をなるだけ与えないで要員不足を補おうとした。

(5) 頸肩腕対策の遅れ

被告は、昭和四二年以降急激に取扱数が増加したのにもかかわらず、組合の要員増の要求を無視し続け、前記のとおりの労務管理を強めることにより労働強化と労働密度を高めることにより取扱数の増加に対処しようとしたため、交換取扱者は肉体的・精神・神経的に酷使され、多くの者が健康を害し、頸肩腕障害に罹患していつたものである。

被告に前記のような予防義務・健康管理義務違反があつたということは、昭和四七年以降に至りようやく電話運用部門における頸肩腕障害の発症の要因が作業態様・作業環ママ管理方法・作業環境設備等の複合的なものであるとの立場から、予防対策として次のような改善措置を取つたことからも明白である。

(一) 採用時検診、定期検診及び安全衛生委員会の活用

(二) 交換台の改善、ヘッドホーンの改良をはじめとした設備等の改善・改良

(三) 照明、温度、湿度等作業環境の整備改善

(四) 保健、治療器具の配備

(五) 1号応答観測装置による労働強化の中止

(六) 主任係長等による背面パトロールを中止し、主任を一定の席に固定配置

(七) 取扱い用語の簡略化の中止

(八) 秘密監査による応対内容の公表、再訓練の中止

(九) 番号案内簿の軽量化

(一〇) 初期症状対策

(一一) 機能回復のための体操時間の新設

(一二) 連続して交換作業をする時間の六〇分への短縮

(6) 環境の劣悪化

ア 冷気について

熊野局では、昭和四一年六月、大型冷暖房機が交換室に設置され、これによる冷気と騒音が、原告を含む電話交換手の健康破壊に拍車をかけた。

冷房は、昭和四一年から毎年六月から九月にかけて入れられたが、冷房は専ら交換機の保守を目的として行われた。

即ち、夏場の室温の上昇と、窓の密閉(これは、交換室内の交換機を外部から遮断することによつて潮風からの交換機の保護と塵あいの侵入を防ぐ目的でなされた)に伴う室温の上昇から交換室を冷す為になされていた。さらに、冷房機が部屋にふつりあいなくらいの大型であることと自動調整機能がないことも冷却し過ぎともいえる程の冷却結果をもたらしていた。

このため、昭和四一年以降、交換室の気温は異常に低く、室外との温度差が一〇度以上という驚くべき温度差を呈することが多かつた。

このため、原告ら熊野局の交換手らは、真夏であるにもかかわらず、夏服の上に長袖の冬服を重ね着し、腹巻をしてスラックスや長ズボンをはいて自衛するしかなかつたが、こういつた自衛策についても、被告は見苦しいといつて嫌悪感を示し、冬服等の着用をさせようとしなかつた。

こういつた人体にあわない強冷房は、本症の一原因であることはすでに昭和三九年に学者が指摘しているのにもかかわらず、被告はなんらの改善措置を取らなかつたため、原告ら熊野局の交換手は毎年夏場ごとに冷気にさらされて仕事をせざるを得ず、冷気による健康破壊を受けた。

イ 換気不十分による空気の汚れ

被告は、大型冷暖房機の導入後間もなく交換室に八枠あつた窓のうち、六枠を溶接で固定して密閉した。

このため交換手が自分達で窓の自由開閉により換気することもできなくなり、原告ら交換手は汚れた空気の中で交換作業をせざるを得なかつた。

被告が交換室の窓を溶接で固定した理由も交換機保護のためである。

この措置は、昭和四一年から続けられ、昭和四五年七月に一部三枠の固定が解除されたものの、全八枠の解除がなされたのは昭和四九年一二月になつてからのことであつた。

このため、冷暖房機が稼動していない春期(毎年三月半ばから六月半ばまで)と秋期(毎年九月半ばから一二月まで)の時期においては、交換室の空気が汚れていても建物外部の新鮮な空気を取り入れることができなかつた(残つた二枠でさえ、交換手が作業中に自由にあけることも許されず、二枠は残されていたとしても、実際は、全部の窓が密閉された状態に等しかつた)。

そのため交換手の多数が換気の悪さのため、息苦しさを訴えながら、交換作業に従事していた。特に、昭和四二、三年頃は、原告も含めて、交換手の多くが妊娠していた時期であるが、妊娠中の交換手は特に息苦しさを訴え、密閉から免れた二枠の窓に外の新鮮な空気を求めて殺到する現象も見られた。

冬期においても窓を密閉すると暖房によつて空気が汚れるので組合は被告に対し、昭和四一年一二月から昭和四四年一二月にかけて、毎年の如く、交換室の窓をあけてくれるよう再三再四要求を繰り返したが、被告は空調は換気もするので窓の密閉の必要はないはずであるとして交換室の空気の汚れに全く対処しようとしなかつた。

ウ 騒音

大型冷暖房機の騒音は、交換作業を妨害したので、被告は、導入した翌年の昭和四二年一一月頃、パッケージ室を設けたが、騒音対策効果は上がらぬまま、右以外に格別の措置をとらなかつた。

大型冷暖房機の騒音は、夏期は送気口の騒音とパッケージの機械音とが重なりやかましく、組合は、昭和四二年一二月特に当局の装置は騒音が高いように思うと改善を申し入れたことがあるが、被告はこれに応じなかつた。

大型冷暖房機以外でもトットメーター等の機械が多くなり、機械の複合した騒音のため、交換作業中の客との応対ができにくかつたが、被告は、これについて真摯な改善措置を取らなかつた。大型冷暖房機のファンの音や、送気口の音がやかましいとの訴えは、昭和四五年六月ころまで続き、大型冷暖房機の騒音に加えて、各種機械の騒音増大により交換室内の騒音は年を経るに従つて増大していつた。

しかるに、被告は騒音源の増大について全く組合の要望を聞こうとせず、昭和四二年に測定値が六〇ホーン以下であつたとの一事をもつて片づけ、真摯な態度で騒音対策にとりかからなかつた。

被告は、昭和四五年七月に送風機モータープーリーの取替に応じてはいるが、これは到底抜本的対策とはいえず、組合は昭和四八年四月になつてもまだ、冷房装置の音が大きく、かつ自動調節ができないので設備取替(冷暖房機の取替)か、防音壁の設備を要求せざるを得ない状態であつた。

エ 前記のような環境の劣悪化は、仕事量の増大、要員不足、劣悪な労働条件、労務管理の強化によつてひきおこされた原告を含む交換取扱者の健康破壊に拍車をかけたものである。

(三) 被告の不法行為責任

被告は、労働基準法四二条、労働安全衛生法二三条及び労働安全衛生規則四五条等の趣旨に基づき、労働者の生命・身体・健康を保護すべき注意義務があるのにもかかわらず、前記債務不履行のところで述べたごとく予防義務を怠つたため原告をして昭和四二年に本症に罹患せしめ、同四二年以降は本症が多発していることを認識しながら適切な健康回復措置をとらなかつたため、同四七年には日本産業衛生学会の分類による重症であるⅤ度に増悪させたものであるから民法七〇九条による不法行為責任がある。

7  損害

(一) 慰謝料

原告の発症・増悪の経過は前記2のとおりであり、原告は、昭和四二年より頭痛・胃痛、肩こり、下肢の腫脹に悩まされ、昭和四六、四七年ころには鉛筆もにぎれなくなり、熱湯の中に手を入れても熱さが分らなくなり、ハンドバックさえも持てず、歩行さえも十分にできない状況になつた。また、髪の毛に手がふれたり、風で動いたりすると頭に突き刺すような痛みが走り、腕の筋肉は中でミミズがばたくつているようであり、活字を目で追うと涙がポロポロと流れるようになつた。そして、昼間は家の中で足を抱え込んで体を丸くし、柱にもたれかかつていなければならなくなつた。

このような不自然な姿勢を取らざるを得なかつたのは、体の各所にうずきがあるため、体を伸ばしているとそのうずきに耐えられず、丸めているといく分でも楽になるからであつた。右のような姿勢は寝る時も同様であり、体を伸ばし睡眠を取るなどということはできなくなり、何回も自殺をしようかという追いつめられた精神状態にまで至つたのである。

右のような症状のため、原告は発症から五年後の昭和四七年四月一八日には休業せざるを得なくなりその後長期にわたり療養生活を余儀なくされたものである。

しかも、原告が頸肩腕障害に罹患したために、原告は子供のめんどうも十分に見ることもできず、夫の世話も十分にしてやることができなくなり、原告は母及び妻としての役割を家庭では果せなくなり家庭生活は破壊された。

しかも、原告が本症により健康を破壊されたのは、被告の企業利益を最優先し、労働者の健康などかえりみない極めて杜撰な健康管理体制にあるのである。被告は昭和五五年度には三八八一億円、同五六年度には三五五八億円という莫大な黒字を出しているが、これは、原告のように健康を破壊されながらも馬車馬的に働き続けさせられてきた多くの労働者の健康と引きかえに得ているといわざるを得ない。

右のような事実に加え、被告は、原告の症状は明らかに業務に起因するのにもかかわらず業務上の認定をしなかつた上に、再審査請求に対しても誠意ある態度を示さなかつたために、原告としてはやむを得ず訴訟をせざるを得なかつたことを考えるならば、現在原告の症状が軽快しているとはいえ、原告が今までに被つた精神的苦痛は計りしれず、慰謝料額は金八〇〇万円を下らない。

(二) 弁護士費用

原告は、被告が原告の健康破壊をしておきながら業務外の認定をし、再審査請求に対しても事実上放置するなど不誠実な態度を取り続けたため本訴を提起せざるを得なかつた。そのため、原告は原告代理人らとの間に訴訟委任契約をなし、弁護士費用を支払う約束をなしたが、右のうち少なくとも金二〇〇万円は本件債務不履行または不法行為と相当因果関係にある損害である。

8  (結論)

よつて、原告は、被告に対し、右債務不履行若しくは不法行為に基づき、損害賠償金一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五一年五月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2・(一)の事実のうち

(1) 昭和二六年一二月の段の事実は認める。

(2) 昭和二八年の段の事実については不知。

(3) 昭和三三年、三四年、三六年の段の事実については、昭和三四年、三六年に出産した事実は認めるが、その余は不知。

(4) 昭和三八年、三九年の段の事実については不知。

(5) 昭和四〇年の段の事実については不知。

(6) 昭和四一年の段の事実については、六月二〇日に仕事場に冷暖房機が設置され、窓が密閉されたとの事実は認めるが、交換台に交換証をちりばめて作業をしたとの事実は否認し、その余は不知。

(7) 昭和四三年の段の事実については、卵巣の手術をうけ、五〇日程度休業した事実は認めるが、その余は不知。

(8) 昭和四四年及び四六年の段の事実については不知。

(9) 昭和四七年の段の事実については、四月一八日から一〇日間の休業及び津市柳山診療所において「頸肩腕症候群」との診断を受けた事実は認めるが、その余は不知。

なお、一〇日間の休業は頸部捻挫によるものであり、柳山診療所の作成にかかる診断書の日付は四月二七日である。

同2・(二)(1)の事実のうち、出産の事実、同(2)の事実のうち昭和四七年四月一八日の休業の事実は認める。

3  同3・(一)の事実については、電話交換作業は迅速・正確・公平・親切を旨とする作業であるとの事実は認めるが、その余は争う。

同3・(二)の事実については、自動局における一〇〇番通話の一般的作業手順であることは認める。

4  同4の事実のうち、日本産業衛生学会が同趣旨の見解を発表していることは認める。

被告が依拠している業務上の頸肩腕症候群の定義と診断基準は次のとおりである。

(一) 被告は、日本電信電話公社法八二条により、労働者災害補償保険法三条二項の規定の適用については国の直営事業とみなされていることから、労働基準法七五条によつて企業内補償(療養補償、休業補償、障害補償等)を行うこととなつている。

また、公共企業体等労働関係法八条で業務災害補償は団体交渉事項となつているので、被告は労働組合との間で業務災害補償協約を締結し、この協約に基づき具体的な補償の運用をしている。

(二) ところで、労働組合と被告との了解事項「けんしよう炎等罹患者の取扱いに関する了解事項」によれば、「業務上外の認定については、労働省通達昭和四四年一〇月二九日基発第七二三号に基づいて行う」こととされている。

しかして、労働省通達基発第七二三号は、主として、いわゆる手指作業に従事する労働者を対象としているものであつて、被告における電話交換手を十分念頭においているとは必らずしもいえなかつたことから、被告は、電話交換業務における頸肩腕症候群の発生状況等公社の実情を十分勘案した認定基準に改正されるよう労働省に要望し、あるいは国会においても発言し、その結果労働省は、昭和五〇年二月、新通達基発第五九号を発したのであるが、この通達は手指作業のほか上肢を過度に使用する業務に従事する労働者も対象とすることが明記され、かつ、最新の医学水準に即応した業務上外の認定が行われるよう配慮されているのである。

したがつて、被告職員の災害補償の業務上外の認定にあたつては、右各労働省通達に準拠することとなる。

(三) 労働省通達基発第五九号解説3において、頸肩腕症候群につき、いわゆる「頸肩腕症候群」とは、種々の機序により、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、「こり」、「しびれ」、「いたみ」などの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張若しくは硬結を認め、時には神経血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群に対して与えられた名称であると定義されている。

同解説4において、同症の鑑別診断の基準につき、これらの症状は、外傷及び先天性の奇形による場合のほか、次に掲げる疾病などによつても発症するので、その鑑別診断は慎重に行わなくてはならない。

(1) 頸・背部の脊椎、脊髄あるいは周辺軟部の腫瘍

(2) 頸・背部及び上肢の炎症性疾病

(3) 関節リウマチ及びその類似疾病

(4) 頸・背部の脊椎、肩甲帯及び上肢の退行変性による疾病

(5) 胸郭出口症候群

(6) 末梢の神経障害

(7) 内臓疾病に起因する諸関連痛

(8) 類似の症状を呈しうる精神医学的疾病

(注) 前記(1)から(8)までに掲げた疾病に該当するものであれば、ここにいう「頸肩腕症候群」ではない。と示されている。

(四) ところで、被告は前述のとおり、職員の業務災害補償については、労働省通達が定める認定基準に依拠し、次の六項目によつて弾力的に実施している。

(1) 当該業務に六か月程度以上(基発第五九号以前は「一年程度以上」として運用)継続して従事していること。

(2) 自覚症状があること。

(3) 医学的見地からみて他覚的所見があること。

(4) 他に発症原因が考えられないこと。

(5) 基発第五九号では「その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合、又は業務量に大きな波がある場合」とされ、同解説で具体的に説明されているが、被告は「発症前六か月程度以上通常の状態で勤務していればよい。」として弾力的に運用している。

(6) 例えば、タイピストのアルバイト等私的事由が明らかにないこと。

そして頸肩腕症候群は、医学界における扱い方も確立されていない現状であり、その業務災害認定については、専門医師の公正かつ斉一的な判断を得る必要があるが、そのため被告は、前記(2)、(3)及び(4)の医学的分野に属する事項に関し専門医師の医学的所見を求めるにつき、その精密検診の実施機関には、労働組合との話し合いにより、次の条件に適合する病院を指定することとされている。

ア 整形外科を有する総合病院であること。

イ 臨床設備が整い、専門スタッフを擁し、多くの事例を取り扱つており、かつ労働省通達の趣旨を理解し、それに沿つた検診を実施してもらえる十分に信頼できる病院であること。

右の条件に適合する病院として労働組合との話し合いにより具体的には中部労災病院及び静岡労災病院が東海電気通信局における精密検診実施機関と指定されている。

5  同5は争う。

原告の症状の原因をなしている疾病は、電話交換業務とは関係のない加齢的変形頸椎症を基盤とし、体質的な点と相まつて、自律神経失調症等の不定愁訴が付加されたものである。

(一) 原告は、過去いくたの病歴を重ねてきたが、昭和四七年四月四日、新宮市日下外科医院において、同医院の荒井英医師の診断を受け、左肩部・左腕疼痛及び左手放散痛を訴え、その心当りとして、バスの中で眠つていた際に頸部をひねつたのではないかと思う旨述べ、その後、同月二一日までの間、一〇回にわたり同病院に通院し治療を受けたが、その間、同月一八日には同医師から「頸部捻挫により約一〇日間の加療を要する」旨の診断書の交付を受けた。

その後原告は、柳山診療所向井医師から頸肩腕症候群の診断を受け、同症は被告の業務に従事していたことによつて発症したものであるとして、その認定をするよう被告に申請した。

(二) しかして原告は、昭和四九年二月二六日右指定病院たる中部労災病院において小菅医師の精密検診を受診したところ、その結果は、頸部と、肩甲帯(左肩)の愁訴(本人の主観的な不快な訴え)、及び僧帽筋圧痛と斜角筋部圧痛(左)があるが、他覚的な筋硬結(筋肉が凝つてかたくなつている状態)、知覚異常(触覚、痛覚、温度覚の過敏・低下等)、筋緊張、放散痛(神経の走行に沿つての痛み)等はみられず、レントゲン上に変形性頸椎症の軽度のものが認められる。よつて、「同人には年齢的変化による軽度の変形性頸椎症が認められるほか、いわゆる頸肩腕症候群の所見はない」したがつて「医証なし」と診断された。

(三) 変形性頸椎症は変形性脊椎症の一種であるが、変形性脊椎症は次のような疾病であるとされている。すなわち、脊柱は関節突起間関節と椎間軟骨を介する軟骨の結合組織によつて運動機能を維持しているが、椎体縁あるいは関節に変形が現われる症状である。

ところで、年齢を重ね椎間軟骨の弾力性が欠如するようになると、椎体上下の縁に骨棘が生ずるようになり、特に椎体後側縁に生じた骨棘は椎間孔で神経根を圧迫して神経痛を起したり、脊椎の機能減退を来し、疲労し易くなる等の障害をもたらすものである。このような老人性変化は頸椎においても認められるものである。一般にこのような老人性の変化は個人差の大きいものであるが、原告は昭和八年八月二八日生れであるから中部労災病院受診時には四〇歳になつており、原告の頻回にわたる妊娠及び自律神経失調症などの病歴、多忙な家庭環境等もあわせ考えれば頸椎の退行性変化が早めにこの年齢で現われたものと理解できるのである。

(四) 要するに、中部労災病院小菅医師の精密検診によれば、原告の主訴の部諸筋について、前記労働省通達にいう緊張若しくは硬結の他覚所見が認められず、レントゲン所見による加齢的変形頸椎症以外に右主訴を裏付けられるものがなかつたので、右主訴は加齢的変形性頸椎症によるものとの診断に至つたものである。

(五) かくして被告は、小菅医師の右診断に基づき、原告の症状は加齢的変化によるものであり、業務災害と認められないと判断し、昭和四九年五月三一日付けでその旨原告に通知した。

原告はこれを不服として、同年八月一二日、業務災害補償審査地方委員会へ再審査申し立てを行つたところ、同委員会は、第三者的医療機関で精密検診を実施し、その結果に基づいて改めて審査すること、またその機関として、原告の住居に比較的近く、医療施設が充実し、かつ治療効果のあがつている尾鷲市民病院を指定することを決定し、これに基づき被告は、昭和五〇年三月五日、この旨を原告に説明し、受検を求めたのである。

しかるところ、原告は、同病院での受検を拒否し、本訴損害賠償の訴えに及んだのである。

(六) 以上のとおり原告の症状と疾病に関し、被告の実施した小菅医師の精密検診の結果と原告の主治医向井医師の診断が対立しているので、本訴に至り、被告は東京女子医科大学名誉教授森崎直木医師に鑑定を依頼した。

同医師作成の鑑定書によると、

「本人の症状は変形性頸椎症を基盤とする症状が主であつて、これに二次的ないし派生的に血管の圧迫刺激による循環障害、加うるに、体質的な点も相まつて、自律神経失調症による不定愁訴が付加されたものと推定できる。」と鑑定されている。

ところで、前記労働省通達の診断基準では、頸椎の変性変化のある場合は、頸肩腕症候群と診断せず、その頸椎変性変化を独立の疾病として取扱うことを要求している。

したがつて、変形性頸椎症が認められる場合は、同症の業務起因性につき、判定さるべきであるところ、原告の場合は加齢変化による頸椎の変性であるから、業務起因性を認める余地はない。

(七) 更に、いわゆる頸肩腕症候群の治療期間については、労働省通達基発五九号解説8によると、「いわゆる頸肩腕症候群の病訴の加工ないし固定の要因としては、筋緊張、精神的心理的緊張などの関与が考えられるので、個々の症例に応じて適切な療養を行えば、おおむね三か月程度でその症状は消退するものと考えられる。したがつて、三か月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合は、他の疾病を疑う必要があるので、鑑別診断のための適切な措置をとらなければならない。」とされており、現に、中部労災病院小菅医師の検診により「頸肩腕症候群の医証あり」と診断された七名の認定患者は、短期間の休業によつて、あるいは休業を要しないで比較的早期に軽快し、すでに全員治ゆしているのに対し、同じ医師の検診によつて「頸肩腕症候群の医証なし」と診断された原告は長期間の治療期間を経過しても未だその症状が消退していないことからすれば、原告の症状の原因をなしている疾病は、業務に起因した頸肩腕症候群ではなく加齢的変形性頸椎症であることは明らかである。

6  同6は争う。

(一) 原告は、被告が昭和三九年当時予防義務を尽くさなかつた、昭和四二年以降、労働安全衛生法に則した健康管理義務を尽くさなかつた、と主張する。

しかし、被告の健康管理は、労働基準法(昭和四七年一〇月以降は労働安全衛生法)及び関係法令に従い、他企業には例をみない程度の人的・物的に充実した医療設備をもつて、その時々になし得る最善の措置を講じてきたものである。

即ち、被告は、定期健康診断にあたつては、関係法令・規程等に定められた項目については十分留意して行つており、昭和三二年五月健康管理規程を制定し、従前の保健に関する各種通達等を集大成して、被告の事業場に適した健康管理の基準となるべき事項及び実施手続を定め、更に、昭和三六年四月及び昭和四三年九月にそれぞれこれを疾病構造の変化に即応したものに改正のうえ、実施しているところであり、「以前、電信業務に多発した結核性疾患に対する一般的健康診断にすぎない。」という原告の主張は、曲解もはなはだしく、健康診断の際、健康管理医が職員に対して、自覚症状等の問視診及び各種検査を行い、その結果、精密検診の実施、又は専門医の診断、治療等が必要な場合はそれぞれの措置を講じ、そのうえ、被告は常々作業方法、職場環境、作業機器等の改善についても努力するとともに、職員の健康保持のため必要があると認めるときは、配置換、労働時間の軽減等適切な措置を行つている。

原告に対する健康管理も同様に行つており、原告の主張する「問視診も公社の健康管理規程によつても感覚器、循環器、呼吸器、消化器、神経系等について行うべきにあるにもかかわらず、それさえ十分になされていない。」ということは明らかに事実に反する。

ところで、いわゆる頸肩腕症候群は、未だその病態生理が不詳であつて、引き続き医学的究明が進められている現状にあり、日本産業衛生学会においても、定義、病像分類、診断基準等がまとめられたのは昭和四七年である。

また、労働省通達の業務上外認定基準において、電話交換手を頸肩腕症候群の対象としたのも昭和五〇年に発出した基発第五九号である。

そのうえ被告において、業務上の頸肩腕症候群と認定した患者のうち最初の発症は昭和四二年で、急増したのは昭和四七、八年である。

これらの状況の中で被告は頸肩腕症候群の予防及び治療に関し、最善を尽くしてきたのである。

すなわち、被告は、発症原因不明の段階においても、有効であり、かつ可能な疾病の予防、罹患者の早期発見、早期治ゆを期して、労使間で協約を締結し、昭和四七年から以下の諸施策を実施してきた。また、昭和四八年当初に関東逓信病院の専門医師を中心として頸肩腕症候群に関するプロジェクトチームを編成し、医学的解明と的確な対策の究明にあたつている。

なお、右プロジェクトチームの意見も積極的に施策の中に取り入れられている。

(1) 予防対策

ア 職場環境の整備、改善

交換室、休憩室、宿直室等の照度、湿度・室温等については作業上支障のないよう十分配慮している。また、職員の希望を尊重して交換室等にじゆうたんを敷いたり、植木鉢を置いたり、その他休憩室のテレビや冷蔵庫を更改したり、人形や絵画を飾つたりして、環境の改善に努めている。

イ 保健器具の配備

あんま器、ベルトマッサージ器、バイブレーター、握力計等の保健器具を配備し、職員の健康管理に役立てている。

ウ 刊行物による保健・衛生知識の普及

雑誌「私たちの健康」(季刊)や「東海でんしんでんわ」(月刊)の「あなたの健康」欄で、保健、衛生知識の普及に努めている。

エ 早期発見の措置

毎年一回、原則として定期健康診断時に頸肩腕症候群に関する健康診断を実施することにしている。

オ 初期症状者に対する措置

日常、職員の健康状態に留意し、肩こり等初期症状者から申し出があつた場合は、健康管理医等の指導助言に基づき、健康管理、一時的な担務変更などの措置を講じている。

(2) 罹患者対策

頸肩腕症候群罹患者のうち後述する業務災害認定で業務上と認定された職員には業務災害補償を行うが、それ以外の罹患者でも指定病院で頸肩腕症候群と診断された場合は、当該職員が早期治ゆに専念でき、経済的負担が軽減されるよう、次の特別措置を行つている。

なお、指定病院は、労働組合と合意のうえ東海電気通信局管内では、大学病院、労災病院、国立病院、県立病院等五八を指定している。

ア 所属長が必要と判断した場合の勤務時間内の通院を認める。

イ 共済組合給付により難い、はり、きゆうの施術料を負担する。(月額最高二万二〇〇〇円、負担期間二年)

ウ 指定病院への通院及び診断書取得に要する費用を負担する。

エ 療養期間中の定期昇給、給与、休暇発令時期について、結核罹患者と同様に一般私傷病罹患者より有利な扱いをする。

原告は、昭和四二年に頸肩腕症候群に罹患したと主張するが、原告の過去の症状のほとんどは、原告自身の病弱な体質そのものに起因した不定愁訴を主訴とする婦人特有の自律神経失調症とのかかわりにおいて理解できるものであり、また、原告は毎年多日数の病気休暇を取得しているものの、虫垂炎、卵巣手術等で長期休暇を取得した以外は、いずれも医師の診断書のいらない二日以内のものばかりであり、かつ、原告が右病気休暇を取得する際訴えた症状ないし疾病は、頭痛、かぜ、腹痛などであつて、頸・肩・腕・手指等が痛いとか、しびれるとかいうものではなかつたのである。

このように、当時原告には頸肩腕症候群を疑わせるような症状ないし疾病はなかつたのであつて、被告が原告に対し健康管理義務を尽くさなかつたとの主張は、事実に基づかない一方的主張に過ぎないものである。

(二) また、原告は、本件損害賠償の請求について、被告に健康保護義務等違反があつたとして、第一義的には債務不履行責任を、予備的には不法行為責任を主張し、仕事量、要員、労働条件、労務管理等について被告に右義務違反があつたとしている(これらの事項と原告の症状の発症との間の因果関係について何ら具体的な主張・立証がなされていない。)。そこで、以下各事項ごとにその本旨を説明し、被告にいかなる債務不履行もないことを主張する。

(1) 電話交換作業について

電話交換作業は、交換取扱者が椅子に腰かけ、上肢を使用して身体を上下、左右に動かし、指先でキーを操作したり、プラグをジャックにそう入したりする一連の作業で、この間に交換証に数字等記入する作業もあり、身体の特定の筋肉のみを持続的に使用するものではない。これを詳論すると次のとおりである。

ア 交換作業においては、応答、受付、接続などの各動作が組み合わされていて、これらの動作により名部位の筋肉が断続的に無理なく使用されるものであつて、原告が主張するように無理な姿勢・動作で行うものではなく、手指・上肢を過度に使用するものではない。

また、視覚、聴覚等の感覚器を過度に使用する作業でない。

イ 交換作業は、共同作業を基本とするものであり、手空き時間を利用して隣席の呼にも応答することになつているが、これを行うには交換台の手近の方の受付線で応答すればよいのであつて、原告主張のように九五センチメートルも腕を伸ばしたり、又は腰をいすから浮かした姿勢で作業をする必要はなく、また実際にもそのような事実はなかつた。

ウ 原告は、加入者の呼のない待機状態においては、一方の手でコードをもつて、その手は常に肘を空中にあげたままの位置に保持すると主張しているが、そのようなことは全く必要がない。待機状態にあつては、両手は交換台のキーボードの上に置いて待機しているものである。

エ 原告は、被告において交換台の受付線及び交換証入れを二回にわたり下方に収容替えしたことをもつて、それ以前は原告らに無理な姿勢・動作による作業を強いてきたことの裏付けであるかのように主張するが事実に反する。

これは、昭和五〇年から同五三年にかけて市外集中局(市内相互の通話の接続と市外発着通信話の取次ぎを行う局)の自動化により、市外集中回線が撤去され、交換台下部に空スペースが生じたので、それまで上部に収容されていた回線及び交換証入れを下方に移したに過ぎないのである。

(2) 作業時間及び休憩時間について

ア 被告は、労働組合との間で締結した労働協約に基づき、休憩時間を付与しているが、電話交換部門における休憩時間は労働基準法三四条に定める基準(労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない)よりもはるかに上回つて付与しており、これを日勤服務についてみると、労働時間六時間四五分に対し、休憩時間は一時間二〇分を付与していたものであり、電話交換取扱者の疲労回復については十分配意していた。

イ 原告は、熊野局における一連続着席時間は二時間であつたと主張するが、食事休憩時間帯及び深夜帯における例外を除き、一連続着席時間は九〇分を標準としていた。

ウ 原告は、「昭和四六年より週休が隔週二日となつたが一日当たりの労働時間がのびたため、電話交換取扱者にとつては苦痛であつた」と主張するが、右週休増により出勤日において延長された労働時間は一日平均にすれば一八分程度であつて、苦痛を伴うほどのものではない。かえつて休日の増加により、従来より充実した休養ができるようになつたのである。

(3) 仮眠時間について

原告は、仮眠時間等が不十分であつたことが健康破壊の一因にもなつていると主張するが、仮眠時間は、六輪番交替服務の宿直・宿明け勤務の場合に連続して三時間以上を付与していたのであり、右勤務は午前八時三〇分には終了するのであるから、帰宅後においても十分休養をとり得るものである。

また、仮眠を取る宿直室には、仮眠に必要な用具を配備し、シーツ等は定期的に洗濯するなど衛生上の配慮も十分行つていた。

まして、原告が六輪番交替服務に従事していたのは、短期間であつたのであるから、原告の主張は到底理由がない。

(4) 原告の従事した日夜勤交替服務について

原告を日夜勤交替服務に従事させてきたのは、原告は休務が多かつたことによるものである。日夜勤交替服務は日勤三日、夜勤二日、週休というパターンの繰り返しであつて不規則なものではなく、また生活のリズムを狂わすものでもなく、十分休養をとり得る服務である。

なお、昭和四四年八月以降原告が勤務した日夜勤交替服務は六日目ごとに必ず週休日を設定していたものである。

(5) 服務の改善措置について

原告は、被告が早朝出勤、連続着席時間等服務関係の改善措置を講じたことから、被告の健康保護義務違反が明白である旨主張するが、いずれも理由のない主張である。

右の服務の改善措置を講じたのは次の理由によるものである。

すなわち、電話運用部門における作業量は、自動即時化の進展等に伴つて手動即時通話が、また住宅用電話及び公衆電話の普及による借り電話の減少等に伴つて一〇〇番通話(終話後に料金を通知する通話)が、それぞれ昭和四九年ごろから年々減少し、交換要員に余剰が生じるようになつてきた。

このため被告は、取扱数の減少で要員が過剰配置となる早朝出勤服務を廃止したほか、過剰要員の配置の実態を考慮して昼食時間の三交替制、仮眠時間の延長、連続着席時間の短縮等の措置を講じたものである。

(6) 作業繁忙と要員について

原告は、被告が加入電話加入数及び通話取扱数の増加にもかかわらず、要員を増加しなかつたため、交換手の疲労が蓄積し健康を破壊した旨主張するが、右主張は事実に反するものである。

原告は、昭和三九年ころから同四七年四月までの間、電話交換要員をほとんど増員しなかつた旨主張するが、被告は右期間中に熊野局電話運用課に社員六名の増員を行つてきたほかに、夜間の一時的繁忙要員として、同四四年七月から同四六年度末にかけて継続的に臨時雇を一ないし五名雇用し、さらにこれに加えて、同四六年度においては、午前中の一時的繁忙要員として臨時二名雇用しており、その時々において必要な要員措置を行つてきているのである。

交換業務において、「呼」の発生には波があつて、一日のうち、繁忙時とされている午前九時から一時間及び午後八時から一時間に「呼」が集中して発生するので、これらの時間帯に合わせて右のとおり臨時雇を雇用してきたものであり、これら臨時雇は、六輪番交替服務の職員とは異なり、右繁忙時間帯に一斉に勤務するので、職員の負担軽減となるとともに効率的な業務運営上の一施策である。

また、夜間の繁忙期については、午後八時からは通話が夜間割引となるため、どこの局においても呼量が一時的に増加するのであつて、熊野局に特有の現象でなく、このような一時的な繁閑の波は他の企業においても通常みられるところであり、右の一時的な繁忙をもつて、損害賠償の帰責事由をみることは到底できない。

そして、右繁忙時間帯においても交換取扱者は常に上腕等を動かしづめではなく、手空き時間があるのであつて、また、原告は、地域集団電話(以下「地集」という。)からの通話申込みを受け付けた場合は、話中が多いため何度も請求者にダイヤルをすることを強いられたと主張するが、昭和四八年ごろまでは熊野局に収容されていた金山地集を除く六か所の地集については、熊野局から請求者にダイヤルすることが交換機の機能上からできなかつたものであり、そのほか熊野局だけが他局に比し繁忙であつたとする事情は一切見い出せない。

(7) 業務遂行上の諸施策について

被告は、業務遂行上その時々に必要とする諸施策を講じてサービス確保に努めてきているが、これを原告は曲解し、これらの施策は個々の交換取扱者の労働強化を目的としたものであり、電話交換取扱者を肉体的・精神的に酷使したと主張するが、右は次のとおり全く事実に反する主張である。

なお、原告は被告がとつた諸施策につき、反共攻撃を目的とした労務管理の強化であるとし、これも原告が頸肩腕障害に罹患した一原因であると主張しているが、例えば原告が従事した服務形態として日夜勤交替服務が長期にわたつたのは、前述のとおり休務の多い原告であつたので、休務に対する措置が比較的講じやすい服務形態につかせることとしたものであつて、反共攻撃が頸肩腕障害の一原因であるとの原告の主張は、全く事実に反し、その主張の趣旨が理解できない。

ア 一号応答サービス観測装置について

被告は、利用者に提供すべき通話サービスに関する品質を一定の水準に維持するために、「応答サービス一一秒以上の分布率」(以下「分布率」という。)というサービス管理を行つている。

この分布率によるサービス管理は、局全体のサービス水準を調査し、その結果が管理限界値をこえるなどサービスが低下している場合は後日原因分析を行い、設備面、要員面等必要な改善措置を講ずるものであつて、取扱者個々人の対応状況を管理するものではない。

ところで、一号応答サービス観測装置は、従来の人手による分布率調査を自動的に調査できるようにした機械装置であり、人手による場合は通常困難な夜間帯調査の実施、分布率の信頼度向上を図るための調査数の増加等を目的として開発されたものであつて、熊野局には昭和四一年三月にこれを設置したものである。同装置は、個人単位での測定機能を備えておらず、取扱者は同装置に関係なく自分のペースで応答すればよいのであつて、分布率が基準値をこえないよう個々人に指導あるいは要請した事実はなかつたのである。

なお、同装置は通話サービスの品質を把握するため、現在も使用しているものである。

イ 用語の簡略化と二重動作について

被告は、良好な通話サービスを提供するため、交換取扱いの基本的事項に関し、「電話通話取扱方法」(以下「取扱方法」という。)を定めているが、この取扱方法は、時代の変遷、電話交換の即時化の進展等により実情にそぐわなくなつた時点でその都度改正してきたものである。

ところで、原告主張の「用語の簡略化」は、被告が労働組合と話合いのうえ、昭和四六年二月一日に実施した取扱方法の改正の一部を指しているのであり、この改正は、自動即時化の進展に伴うサービス態様の変化に応じて、取扱方法を実態に適合させる必要があること、また、地域社会の実態に即したサービスを提供する必要があることなどから実施されたもので、例えば、「始話通知の省略」もその改正の一つである。これは、自動化の進展に伴つてダイヤルでかけられる通話が多くなり、利用者が取扱者の介在しないダイヤル通話に慣れてきたことから、交換手扱いの通話においても従来、取扱者が利用者に対し、通話の開始に先だち「どうぞお話しください。」といつていた「始話通知」を省略して、請求者において対話者が受話器をあげるのを待つて直接話し始めるのが自然であることから、不必要となつた用語を簡略化したものである。

このように、用語の簡略化は労働密度を高めるためのものではない。

次に、二重動作又は重複動作は電話交換作業の基本動作であつて、例外的な動作ではなく、いわんや労働強化のための動作でもない。

ウ 背後巡回について

原告は、職制が取扱者の背後より個別管理することにより労働密度をあげた旨主張するが、そのような事実はない。

交換作業における主任の業務は、要するに、交換室内において佇位又は移動をして取扱者の指導・援助等を行い、電話交換業務の円滑化を図ることを任務としているものである。

また、原告は、熊野局では課長が背後巡回をしたと主張するが、いわゆる背後巡回は主任の業務であつて、最繁時間帯においても主任が交換作業を行いながら必要により主任業務を行つていたのであつて、課長が一般的管理を行うのは当然ではあるが、原告主張のような背後巡回を行つたことはなかつた。

エ 録音監査と相互監査について

被告は、利用者に良好な通話サービスを公平に提供すべき責務があり、また取扱者としても被告の職員として、常に対応の改善に努力する義務を負うことから至極当然である。

収録したテープの中から良好なものを選び組会等で取扱者が聴取するということも行つていたが、これは監査ではなくて、訓練の一方法にすぎないのである。

オ 無事故競争について

原告は、交換証の記入間違いをなくするために、被告が組ごとに無事故競争体制を強化したと主張しているが、被告は無事故競争なる施策を実施したことはない。

発信交換証の記入間違いは、お客に間違つた料金を請求する原因になりかねないので、記入間違いの事故が発見された場合は、その原因を分析、周知し再発防止を図ることは至極当然のことである。

(8) 職場環境

被告は、職員が就業する職場環境については、労働基準法及び関係法令に依拠した「健康管理規程」なる内規を設け、その維持管理に努めている。

交換取扱者にかかる職場環境の対象としては、交換作業を行う電話交換室、休養のための休憩室、休養ないし仮眠をとる宿直室及び保健室であるが、これらの各室は少しでも休養のとりやすいように、それぞれ近接して配置し、休憩室及び宿直室は常に整備しており他の企業に比して何ら遜色のないものであつたと確信している。

原告が環境の悪化として指摘している冷気、換気、騒音の三点についても、職場環境を快適に維持するべく、これを管理していたものである。

ア 冷気について

そもそも、冷暖房機は、交換取扱者が快適な作業環境のもとで働けるよう設置したものであり、専ら交換機の保護を目的として設置したとする原告の主張は当たらない。

被告は、局舎内の気温、湿度については常に適度に保持するよう努めていたのであつて、熊野局交換室の気温についても、夏季においては室内温度と外気温を考慮して冷房を実施し、適温に保持していたのである。

イ 換気について

冷暖房機を運転する夏期及び冬期は、空気調整装置により交換室内は換気される。春や秋の換気についても出入口通路のドアをいつも開放しており、そこから階段からの風が相当入るので、換気は十分行われていたものである。

ウ 騒音について

熊野局交換室における冷暖房機の騒音は六〇ホーン以下であり、交換作業に何ら支障をきたすものではなかつた。

被告は、前記「健康管理規程等」に基づき、局舎内で衛生上有害と認められる強度の騒音があるときは、その改善に努めているのであるが、右交換室には職員に有害な騒音は全くなかつた。

なお、原告は、交換室の騒音は大型冷暖房機の騒音に加え、トットメーター等他の機械の騒音が複合し、交換作業中の客との対応ができにくかつた旨主張しているが、熊野支局の場合、トットメーターは交換室(二階)とは別の営業課事務室(一階)に配備されており、このため、トットメーターがたとえ機械音を発するとしても、それが交換室に入る余地は全くなかつた。

7  同7は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の各事実は当事者間に争いがない。

二原告の発症、増悪の経過及び医師の診断結果等

原告が昭和二六年一二月被告に入社した当時は健康であつたこと、昭和三四年三六年に出産したこと、昭和四一年六月二〇日仕事場に冷暖房機が設置され、窓が密閉されたこと、昭和四三年に卵巣の手術を受け、五〇日程度休業したこと、昭和四七年四月一八日から一〇日間休業し、津市柳山診療所において「頸肩腕症候群」との診断を受けたことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告の入社当時から昭和四七年までの症状の経過(主に主訴による)は次の点を付加するほか請求原因2・(一)のとおりである。

(一)  昭和三九年四月の健康診断の際に健康管理医に「右下肢のしびれが時々ある」と訴え、「心音純、下肢浮腫なし、肺呼吸音異常なし」と診断された。

同年一一月の健康診断では「両側扁桃腺やや腫大、心音、呼吸音とも異常なし」と診断された。

(二)  昭和四〇年五月の健康診断の際の「右下肢浮腫特に午後あり」との訴えについて、健康管理医が診察したところ、「心音、呼吸音とも異常なし」と診断された。

(三)  昭和四一年一一月の健康診断の際、胃炎で治療中の旨健康管理医に連絡した。

(四)  昭和四二年六月と一〇月の健康診断の際、偏頭痛を訴えた。

(五)  昭和四三年一一月の健康診断の際、心悸昂進症を訴えたが、心音に異常はなかつた。

(六)  昭和四四年一一月の健康診断で健康管理医に対し、心電図に病的所見があり、治療を受けていると話す。

(七)  昭和四五年六月の健康診断で神経性心悸昂進症を訴えた。

(八)  昭和四六年一一月の健康診断では右腕関節炎を訴えた。

2  荒井医師の診断

原告は、昭和四七年四月四日、新宮市日下外科医院において、荒井英医師の診断を受け、左肩部・左腕疼痛及び左手放散痛を訴え、その心当りとして、同月一日、バスの中で眠つていた際に頸部をひねつたのではないかと思う旨述べ、その後、同月二一日までの間に一〇回にわたり同病院に通院し、治療を受け、その間、同月一八日に同医師から頸部捻挫により約一〇日間の加療を要する旨の診断書の交付を受けた。

3  向井医師の診断

次に、原告は、同月二二日、柳山診療所向井智志医師の診療を受け、頸肩腕症候群と診断されたが、同医師は同日以降問診及び各種検査を実施し、前記1の症状経過を知るとともに以下の各所見、検査結果を経て、同年五月二五日ころ、原告の症状を非常に重度(産業衛生学会分類Ⅴ度)の頸肩腕障害であると確定診断した。

(一)  原告の自覚症状

原告は、部位別症状においては、肩のこり、だるい、痛いといつた症状が時々あり、翌日まで持ち込されて続く強い症状である。

腕がだるいという症状はいつもあり、指がだるい、痛いという症状はいつもあつて、痛みは翌日まで持ち越されている強い症状であること、足がだるい、しびれるといつた症状がいつもあり非常に強い症状である。肩頸筋、背中、腰の左右にもときどき症状がでるというものである。

全身症状としては、体がだるい、いらいらするといつた症状が特に強く、ものわすれ、どうき、息ぎれ、月経時の苦痛、頭が重いといつた症状がいつもあり、目の症状、耳の症状やめまい、たちくらみといつた症状もあつた。

さらに、産業衛生学会の問診表に基づいて作られた「日常生活の不便苦痛についての調査表」をとつたところ、ふとんのあげおろしがつらい、ハンドバックを持つのがつらいといつた腕の症状や、平地を歩くとすぐ疲れるといつた足の症状のほか、頸肩腕障害の特徴的なものである水の中に手を入れるのがつらいとか、今までよりも冷房がつらいといつた循環障害の症状もみられ、中枢神経系の疲労や障害の症状もみられた。

(二)  他覚的所見

(1) 頸椎については、頸椎肢位をみるに右斜傾位であり、運動時雑音があり筋肉が硬くなつており、可動性については、前屈はよいが後屈がやや不良で、そらしたときに痛みがあり、側屈で右に傾けたときも左に傾けたときも右の頸筋が痛いし回旋動作もやや悪かつた。

(2) ホールステッド検査において右が陽性、ハイバーアブダクション検査(別名ライトテスト)において両側陽性、ホフマンテストやバビンスキーテストでは陽性であり、スカレヌス圧痛があり右の斜角筋に筋緊張があつた。

(3) 前腕(ひじから手首までの間)の小指側部分に知覚異常があつた。

(4) エビコン(上腕骨外顆―ひじの外側の骨の出つぱりのこと)は、右に圧痛があつた。

(5) 右側伸筋腱の腱鞘炎があり、手首にはれがあつて手首を動かしたりすると痛みがあつた。

(6) 握力は、左右両側とも頸腕障害の特徴的症状である筋持久力低下がみられた。

(7) 背筋力は、四七キログラムに低下していた(同年齢女子の正常位は六〇ないし八〇キログラム)。

なお、レントゲン所見については、頸椎の生理的前湾が減少ないし消失しているほか著変はみられなかつた。

即ち、他覚的所見としては総じて筋肉のこりや緊張が増強しておるために頸が右に傾いており、それにより頸筋の動きが悪くなつて動かすと痛いこと、上腕骨外顆にも症状があること、手首の部分には腱鞘炎が部分症として存在すること、知覚障害が左側の尺側に存在し、握力の持久力の低下、背筋力の低下があつた。

(三)  容積脈波検査

初診から約一か月後の昭和四七年五月二五日、指先の循環障害を調べるため、容積脈波検査をしたところ、右示指で0.875ミリボルト、左示指で0.778ボルトと正常な人の三ないし五ミリボルトと比べて極めて低い数値を示し循環障害が顕著にみられた。

4  畑中医師の診断

昭和四八年三月三〇日、原告を診察した被告指定病院である三重県立大学医学部附属塩浜病院の畑中生稔医師は、「一、病名頸肩腕症候群上記ハ職業ニ起因シテ発症シタルモノデアリ慎重ナ治療ヲ必要トスル」旨の診断を下した。

5  小菅医師の診断

原告は、昭和四八年八月八日、被告に対し、業務上災害認定の申請をし、被告が精密検診の実施機関に指定していた中部労災病院において、他の申請者とともに受診した(熊野局からは原告のほか七名が同じ時期に受診した)。

原告らは、昭和四九年二月二六日、同病院において、小菅真一医師の検診を受診し、同医師は原告の頸肩腕症候群の有無について、視診、触診、運動診及び補助検査を行つた。その結果、姿勢はなで肩であるが、脊柱、胸、腰、肩、肘、手、指及び頸は形、運動範囲とも正常範囲であること、僧帽筋部に圧痛があるが、筋緊張、硬結、知覚異常は認められないこと、左の斜角筋部にも圧痛があるが、筋緊張、放散痛は認められないこと、また、モーレイ試験、ライト試験、アドソン試験、エデン試験等を実施したがいずれも異常は認められず、腋下神経、僥骨動脉膊動、発汗に異常はなく、筋委縮、指チアノーゼ、指振せん、皮ふ描画症は見られず、上肢反射は正常であり、握力は右三一キログラム、左二八キログラムであり、赤血球沈降速度は中等価が一三ミリメートルで、いずれも正常であり、リュウマチの検査にも異常が認められなかつたこと、更に、頸椎のレントゲン撮影の結果によれば、骨棘の形成が見られ、年齢的変化による軽度の変形性頸椎症が認められたが、以上の診断の結果、原告には頸肩腕症候群の所見はなく、医証なしと判定された。

6  昭和四九年七月一日関西医科大学助教授細川汀医師は原告を診察し、各種検査をも実施したうえ頸肩腕障害と診断した。

7  森崎直木医師の鑑定

同医師は、東京女子医科大学名誉教授で、整形外科が専門であるが、被告の依頼により原告の疾病、症状についての鑑定を実施し、昭和五五年四月二五日付鑑定書(乙第三五号証)を作成した。

同人の用いた資料は、向井医師の診療録(甲第五〇ないし第五四号証の各一、二)、小菅医師の診断表(乙第二七号証)、中部労災病院撮影のレントゲン写真(乙第二八号証の一ないし三)、日下外科の診断書(乙第一八号証)、慶応堂医院の診断書(乙第一六号証の一、二)、訴状、向井医師の証人調書、小菅医師の証人調書などである。

同医師は、(一)柳山診療所の診療録に頸椎のレントゲン写真の所見として「頸椎の生理的前彎滅少以外著変なし」との記載があることから、右のような頸椎の生理的前彎の滅少ないし消失は一般に加齢的変化が進む過程で認められるとし、(二)昭和四九年二月二六日中部労災病院撮影のレントゲン写真四枚の所見として、(ア)頸椎の前彎の消失(第四ないし第六頸椎においてはむしろ軽度の後彎を呈している)、(イ)骨棘の形成(第五頸椎の下縁前、後方、第六頸椎の上縁の後方、第四頸椎の下縁前方にみられる)、(ウ)椎間板狭小化(主に第五、六頸椎間と、第四、五頸椎間にみられる)、(エ)鉤椎関節(ルシユカ関節)の変化(第五、六頸椎間と第四、五頸椎間に硬化像を認める)、(オ)椎間孔の狭小化(第五、六頸椎間孔にみられ、これは鉤椎関節の棘形成によるもので、(エ)の変化をも示している)のように頸椎の変性、変形変化を認め、これらの変化は加齢的変化による変形性頸椎症であると考え、(三)臨床的所見として向井医師の診療録から、頸、肩の痛みとこり、腕の痛み、だるさ、手指のしびれなどの症状、同診療録の知覚障害を表わす人体図斜線から、左拇指のしびれ、左前腕後橈側、左拇、示、中指の異常知覚などの症状をとりあげて検討した結果、これらの症状は、前記(二)のレントゲン所見の頸椎の変化の部位程度からみて、この頸椎変化によつて発現しうる蓋然性が十分認められ、特に右の症状のうち拇指、示指のしびれ、知覚異常及び前腕橈側の知覚異常は第五、六頸椎間の変性、変形変化に一致すると診断し、原告の症状は変形性頸椎症を基盤とする症状が主であつて、これに二次的ないし派生的に血管の圧迫刺激による循環障害、加うるに、体質的な点も相まつて、自律神経失調症による不定愁訴が附加されたものと推定できると鑑定した。

三原告の業務内容等

1  請求原因3の事実のうち、(一)の原告の入社以来の業務歴及び電話交換作業が迅速、正確、公平、親切を旨とする作業であること、自動局における一〇〇番通話の一般的作業手順が同(二)のとおりであることは当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、電話交換手の作業は、交換台に向つて椅子に腰かけ、前傾姿勢をとり、頭を上下左右に動かし、ランプの点滅を見て、コードをジャックに差し込んだり、ダイヤル操作、キーの切換え、交換証の記入、ヘッドホーンで客の声を聞き対応することなどから成り立つており、上肢を頻繁に使用する作業であることが認められる。

(六輪番交替服務)

服務種別

勤務時間

休憩時間

労働時間

①日勤

八、二五~一六、三〇

一時間二〇分

六時間四五分

②日勤

七、三〇~一五、〇〇

一時間〇五分

六時間二五分

③夜勤

一四、〇〇~二一、〇〇

一時間二〇分

五時間四〇分

④宿直

一六、二五~

~八、三〇}

四時間五五分

一一時間一〇分

⑤宿明

⑥週休日

(日夜勤交替服務)

服務種別

勤務時間

休憩時間

労働時間

①日勤

八、二五~一六、三〇

一時間二〇分

六時間四五分

②日勤

八、二五~一六、三〇

一時間二〇分

六時間四五分

③日勤

八、二五~一六、〇〇

一時間〇五分

六時間〇〇分

④夜勤

一四、〇〇~二一、〇〇

一時間二〇分

五時間四〇分

⑤夜勤

一四、〇〇~二一、〇〇

一時間二〇分

五時間四〇分

⑥週休日

2  <証拠>によれば、請求原因3の(三)の事実(原告の担当服務)が認められ(右認定を左右するに足りる証拠はない。)、また、<証拠>によれば、電話交換取扱者の服務のうち原告の担当した服務の内容は次のとおりであることが認められる。

四頸肩腕症候群

1  <証拠>によれば、頸肩腕症候群に関する業務上外認定基準として、昭和四四年一〇月二九日の労働省通達「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和四四・一〇・二九基発第七二三号)があり、右通達によれば、頸肩腕症候群とは、「頸部、上腕、前腕、手指に慢性の疼痛、しびれ感、だるい感じ、肩こり、知覚鈍麻、知覚過敏、異常知覚、手指の冷感、橈骨動脈、脈搏の変化等のうち、疼痛に加うるに、他の一つ又は数種の症状を合併し、それらの症状が頸部、項部、肩、上肢のみに限局して存在するものに対して便宜上与えられた名称と理解される。」と定義されていたが、手指作業に従事する労働者に限らず、電話交換手をも含めて広く上肢を過度に使用する業務に従事する労働者を念頭に置き、医学的な研究開発の成果も踏まえた改正が行われ、昭和五〇年二月五日「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(昭和五〇・二・五基発第五九号)(その内容は別紙のとおり。ただし、解説部分は省略する。)が発せられ、業務上外認定の行政基準とされていることが認められる。

ちなみに<証拠>によれば、昭和四五年七月一日の被告と全国電気通信労働組合との間の「けんしよう炎等罹病者の取り扱いに関する了解事項」では、電信電話運用従事者等で手指を中心とした疾病に罹病した者の取り扱いにつき、業務上外の認定については労働省通達「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和四四・一〇・二九、基発第七二三号)に基づいて行うこととされている。

2  次に、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

昭和四七年度労働省委託「頸肩腕症候群に関する研究」委員会(日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会を兼ねる)報告書により、頸肩腕症候群、腱鞘炎との診断名を改め、「頸肩腕障害」とすべき旨提案され、これは、「業務による障害を対象とする。すなわち、上肢を同一肢位に保持、又は反復使用する作業により、神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。」と定義され、但し、病像形成に精神的因子及び環境的因子の関与も無視し得ず、したがつて、本障害には従来の成書に含まれる疾患も含まれるが、大半は従来の尺度では診断し難い性質のものであり、新たな観点に立つた診断基準が必要であるとされている。そして、右報告書によればその病像をⅠ度からⅤ度に分類し、以下のような経過をとつて病像が進展することが多いが、急性に発症又は症状の増悪した症例については、経過を観察して、診断を確定する必要があるとしている。

Ⅰ度 必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見が認められない。

Ⅱ度 筋硬結、筋圧縮などの所見が加わる。

Ⅲ度 Ⅱ度の症状に加え、左記の所見の幾つかが加わる。

(イ)筋の腫脹、熱感

(ロ)筋硬結、筋圧痛などの増強又は範囲の拡大

(ハ)神経テストの陽性

(ニ)知覚異常

(ホ)筋力低下

(ヘ)背ママ椎棘突起の叩打痛

(ト)神経の圧痛

(チ)末梢循環機能の低下

Ⅳ度 Ⅲ度の所見がほぼ揃い、手指の変色、腫脹・極度の筋力低下なども出現する。

Ⅴ度 頸腕などの高度の運動制限及び集中困難、情緒不安定、思考判断力低下、睡眠障害などが加わる。

3  <証拠>によれば、頸肩腕症候群については整形外科、産業医学等の立場から種々の医学的見解が発表されており、その名称自体の表現からして意見の相違がみられ、その定義についても右のような医学の専門分野ごとに種々の差異が存することが窺知できる。しかるところ、先に掲げた基発第五九号通達及び解説(乙第一九号証の二)の定義は医学上の研究開発の成果を踏まえて集約的な形での見解を示したものであるから、一応標準的見解と考えて差し支えないものと認められるが、いうまでもなく右通達は、業務上災害の認定を行うにあたり、画一的かつ迅速に判定し、休業補償等を行う基準として出されたものであるから、本件のように職業病に基づくものとして提起された損害賠償請求訴訟において業務と疾病との間の因果関係の有無を判断する場合には直ちに右通達の認定基準に拘束されるという筋合のものではなく、要するに、右の基準を参考にしながら、当該労働者の従事した業務内容、業務量、業務従事期間、作業環境、疾病の発生及びその症状の推移と業務との相関関係、当該労働者の肉体的条件、発症についての他の原因の有無等を総合的に判断して、当該発症が医学的常識に照らし業務に起因するものと納得することができれば足りるものと解するのが相当である。

五業務起因性

そこで、以上の考え方にしたがつて原告の疾病の業務起因性について判断する。

1 まず、原告の症状が変形性頸椎症に起因しているとする被告の主張について判断するに、前記二・5の小菅医師の診断、同7の森崎直木医師の鑑定において認定した事実と<証拠>によれば、原告の疾病は少なくとも小菅医師による診断が行われた昭和四九年二月当時は主として加齢的変化による変形性頸椎症(変形性頸椎症とは、頸椎骨軟骨症、頸部脊椎症とも呼ばれ、頸椎の退行変性的変化であり、椎間板の変性、骨棘形成により脊髄及び神経根に圧迫刺激を生じ、二次的に斜角筋症候群発症による腕神経叢、鎖骨下動脈圧迫などを生ずるものであり、レントゲン写真の所見として(1)椎間板の狭小化、椎体上・下縁の硬化像、(2)椎体前後縁の骨棘形成、(3)生理的前彎の消失、限局性後彎形成、(4)椎間孔の狭小化、鉤状突起と椎間関節突起の変形、骨棘化が見られるのが特徴であるとされている。)に起因していたものと認めるのが相当であり、<証拠>のうち右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  しかしながら、原告の症状、とりわけ昭和四九年二月ころ以前のものについては、前同様主として変形性頸椎症に起因しているものと認めるのは以下の諸点からみて相当でない。

(一) 前記二・3の向井医師の診断は前記のように原告の疾病について、従前からの経過もふまえ自覚症状、他覚的所見、諸検査等に基づく診断である。

(二)  前認定のように、原告の頸椎骨の変性変化は向井医師が診断した昭和四七年四月当時には顕著なものではなかつたものの、症状は悪化しており、これに対して、小菅医師が診断した昭和四九年二月当時には頸椎骨の変性は進行しているにもかかわらず、症状はむしろ好転した状態にあつたことが認められる(森崎証人は、「変形性頸椎症という病気は経過の長いものですから、波をうつことがあつてもおかしくないですし、ある程度の治療とか安静などということをされておればよくなることがあつてもよろしいかと思います。」と証言しているが、少なくとも積極的に右の関係を合理的に説明しつくしたものとは認め難い。)。

(三)  小菅医師の診断は、前認定のように原告が病気休業となつた昭和四七年四月一八日から約二年後になされたものであるうえ、証人小菅真一の証言によれば、同医師は業務上外の認定の精密検診の依頼を受けたとは認識しておらず、原告の既往症を詳しく尋ねてはいないこと、循環障害の有無の詳しい検査もしていないこと、圧痛点について痛覚針等を使用して調べることはしていないこと(たくさんの場合いちいちやれないとの理由で)などが認められ、原告に変形性頸椎症があつたことの診断のほかに頸肩腕症候群がなかつたと診断した点については、前記の向井医師の診断内容と比較して厳密さを欠くものと推認される。

(四)  森崎医師は前記のとおり原告を直接診察して鑑定したわけではなく、間接的な判定にとどまるものである。

(五)  <証拠>を総合すれば、原告の勤務する熊野局において労働組合により請求原因5の(四)の(1)ないし(3)記載の各アンケート結果が出ており、原告と同一の電話交換業務を担当する交換手の中に原告と同一の症状を訴えるものが多数存在していたものと認められ、原告とほぼ同じ時期に入社し、電話交換手をしていた須崎ちえ子、下川京子、弓場宏子、大西いほ子らは原告とほぼ同一の症状を訴え(四名の症状は別表5のとおりである。)、いずれも被告により業務上の頸肩腕症候群であると認定されている(右認定を左右するに足りる証拠はない。)。

(六)  更に、<証拠>によれば原告の休業と症状の回復、復職と症状の悪化との間に多少の波はあるもののある程度の相関関係が認められる。

(七)  <証拠>によれば、熊野局では昭和四二年から同四八年にかけ、周辺局の半自動即時化、地域集団電話の増設等により加入者数も二倍以上となり、したがつて、当然取扱数も増加したのに対し、昭和四七年に至るまで電話取扱要員は増加されず(その間なされた増員は退職者の補充に見合う程度であつた。)、昭和四七年度に一三名の新規採用者によりはじめて純増が計られた。その間昭和四一年六月設置された大型冷暖房機をめぐり、冷気、換気、騒音等職場環境の改善について組合(分会)から要求が出されたが昭和四五年以降までめぼしい改善策はとられなかつた。昭和四七年一〇月二一日の団体交渉において罹病者六名ありとして頸肩腕症候群対策が問題とされ、局においても検討する旨回答された。

以上の事実と前記二・1で認定の原告の発症増悪の経過同3の向井医師の診断並びに同三で認定した原告の業務内容を総合して考えれば、少くとも原告の昭和四七年四月前後頃から同四九年二月頃までの症状は主として頸肩腕症候群(頸肩腕障害)によるもので、業務に起因して生じたものと認めるのが相当である。

六被告の債務不履行責任

業務起因性の認められる原告の頸肩腕症候群についての被告の債務不履行責任について検討する。

(一) 被告は、使用者として、労働基準法、労働安全衛生法(昭和四七年一〇月以降)及びその関連法規並びに労働契約の趣旨に基づき、その被用者に対し、その業務から発生しやすい疾病の発症ないしその増悪を防止すべき注意義務(安全配慮義務)を負つていると解されるところ、労働基準法、労働者災害補償保険法等の法意に照らすと、被用者の疾病について業務起因性が肯認される以上、被用者の右疾病は特段の事情なき限り使用者側において右注意義務を充分つくさなかつたことによるものと推定するのが相当であり、右特段の事情の存在については使用者側においてこれを証明する責任を負うものと解すべきである。

(二) しかるところ、<証拠>によれば、被告は、既に昭和三二年五月、健康管理規程を制定し、被告の事業場に即した健康管理の基準となるべき事項及び実施手続を定め、その後昭和三六年、同四三年にそれぞれ改正を行い、健康管理所等の設置、職場における健康管理の実施、一般検診、特殊検診等の健康診断の実施、休憩室の設置など環境衛生に対する配慮等を行つてきたこと、被告の行つてきた定期健康診断の内容としては、健康管理医が職員に対して、自覚症状等の問視診及び諸検査を行い、その結果、精密検診の実施又は専門医の診断、治療等の措置を講じてきたことが認められ、また、原告に対する休暇関係についても、原告は年次有給休暇を比較的早期に発給分全部を取得しており、生理休暇、病気休暇についても他の職員と同様に、又はより多く取得し、しかも、病気休暇については診断書の不要な二日以内のものが多いことが認められる。

(三)  しかしながら他方、前記五の2の(五)及び(七)で認定した諸事実と<証拠>により認められる組合と被告との業務上疾病としての頸肩腕症候群に対する認識とこれに対する対応のずれなどを併せ考えると、右(二)の事実だけでは被告が原告ら電話取扱要員に対して適切な頸肩腕症候群予防対策を講じてきたものとは認めがたく、他にこの点について適切な措置を講じてきたと認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、結局特段の事情について立証されたものとはいいえず、そうすると、被告は原告に対する前記注意義務を怠つたものというほかないから、被告は原告が前記疾病によつて受けた損害を賠償すべき責任があるというべきである。

七損害

1  慰謝料

原告が前記認定のとおり頸肩腕障害に罹患し、また昭和四七年四月以降長期間の療養生活により個人生活上も職場生活上も種々の身体的、精神的苦痛を受けたことは推測に難くないが、既に認定したところから明らかなように発症後の右療養期間における原告の症状のうち、少なくとも昭和四九年二月以後におけるものの多くは加齢的変化に基づく変形性頸椎症に起因するもので、これについては本人の体質的要素の占める比重が大きいと認められること、<証拠>によれば、被告は原告に対し、特別措置を適用して一般私傷病罹患者より有利な扱いをしていると認められること、症状に応じた勤務軽減も行つてきていると認められること、本訴が内部規程に則つた再審査請求の方途をとりうるにもかかわらずあえてこれによらずして提起されたものであること(仮に原告が再審査請求の手続において被告指定病院で診断を受け、その結果業務上疾病の認定をうけえたとしても、証拠上、そのことによつて前認定の昭和四七年四月前後ころの罹病から同四九年二月ころまでの間の頸肩腕障害によつて原告が被つた前記精神的損害が当然に回復されるものとは認め難いから右手続を経ていないことをもつて直ちに本訴請求を理由なしとすることはできないが、事柄の性質上慰謝料額の算定につき当然斟酌すべき事由の一つとなる。)、その他記録にあらわれた諸般の事情を総合すると、被告に負担させるべき慰謝料は金一〇〇万円とするのが相当である。

2  弁護士費用

原告が本訴提起にあたつて訴訟に関する一切を原告代理人らに委任したことは本件記録上明らかであり、本件事案の難易度、本訴で認容される額、日本弁護士連合会報酬等基準規程その他諸般の事情を総合して判断すると、被告に負担させるべき弁護士費用は金二〇万円をもつて相当と認める(本件は債務不履行に基づく請求であるが、前認定の事実関係からすれば不法行為の構成要件をも充足している。)。

八結論

以上のとおりであるから、被告は原告に対し、前記七の1及び2の合計金一二〇万円及び内金一〇〇万円に対する本訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五一年五月二七日から内金二〇万円に対する本裁判確定の日の翌日から(弁護士費用については支払期の主張立証がない。)各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

よつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、なお、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(上野精 大津卓也 今泉秀和)

別表1ないし5<省略>

別紙

1 指先でキーをたたく業務、その他上肢(上腕、前腕、手、指のほか肩甲帯も含む。)を過度に使用する業務に従事する労働者が、次の(1)〜(3)に該当する症状を呈し、医学上療養が必要であると認められる場合には、(1)については労働基準法施行規則第三五条第一三号に、(2)及び(3)については同条第三八号に、それぞれ該当する疾病として取り扱われたい。

(1) 指先でキーをたたく業務において使用する手指に、振せんまたは書痙様症状が医学的に認められ、かつそれらが当該業務外の原因(振せん、麻ひ、薬物もしくは有害物による中毒等)によるものでないと判断されるものであること。

(2) 指先でキーをたたく業務において使用する手指筋群の中手部または手関節部背側の腱、腱鞘または腱周囲に、圧痛を伴う炎症症状(イ腱周囲の腫脹、ロ腱または腱鞘の肥厚、ハ腱または腱鞘の軋轢音、ニ中等度以上の手指の運動制限のうち一以上)が明らかに認められ、かつ、それらが当該業務以外の原因(結核性もしくは化膿性の腱鞘炎または関節炎、関節リウマチ、ガングリオン、月状骨軟化症等)により発症したものでないと判断されるものであること。

(3) 上肢の動的筋労作(例えば打鍵などのくり返し作業)または上肢の静的筋労作(例えば上肢の前・側方挙上位などの一定の姿勢を継続してとる作業をいうが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業を含むものとする。)を主とする業務に相当期間継続して従事した労働者であつて、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合または業務量に大きな波がある場合において、次のイ及びロに該当するような症状(いわゆる「頸肩腕症候群」)を呈し、それらが当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続によりその症状が持続するか、または増悪の傾向を示すものであること。

イ 後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり、「こり」、「しびれ」、「いたみ」、など相当強度の病訴があること。

ロ 筋硬結、圧痛あるいは神経走行に一致した圧痛ないし放散痛が証明され、その部位と病訴との間に相関が認められること。

2 症状の判断に当つては、前項に掲げる各症状に対する診断病名は多種多様にわたることが考えられる実情にあるので、単に診断名のみをもつて判断することは厳に慎しみ、専門医によつて詳細には握された症状及び所見を主に行うこと。

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