津地方裁判所四日市支部 平成2年(ワ)207号 判決 1998年3月20日
原告
伊藤貢
外三名
右原告ら訴訟代理人弁護士
伊藤宏行
原告
伊藤昌幸
外二名
右原告ら訴訟代理人弁護士
野呂汎
同
原田彰好
被告
南松ヶ島漁業協同組合
右代表者組合長兼理事職務執行代行者
伊藤好之
被告
中村力次郎
外二一名
右被告ら訴訟代理人弁護士
岡本弘
同
中根正義
被告
加藤良雄
右被告訴訟代理人弁護士
在間正史
主文
一 原告伊藤貢、同伊藤照幸、同桃崎正良、同伊藤昌幸、同中村末春及び同中村幹夫と被告南松ケ島漁業協同組合(以下「被告組合」という。)、同佐藤近史、同山口等、同水谷武次、同佐藤達也、同阿野如市、同水谷ふみ、同加藤良雄、同大橋新八、同澤敏正、同斉藤昭次、同伊藤秀雄、同佐藤博文、同加藤保、同大橋誠人、同中村光二、同森川芳治、同伊藤和芳、同伊藤重夫及び同中村婦美恵との間において、被告組合を除く右各被告らがいずれも被告組合の組合員の地位を有しないことを確認する。
二 原告伊藤貢、同伊藤照幸、同桃崎正良、同伊藤昌幸、同中村末春及び同中村幹夫と被告組合との間において、被告中村力次郎が被告組合の組合長兼理事の地位を有しないこと、並びに被告佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄がいずれも被告組合の理事の地位を有しないことを確認する。
三 原告桃崎のり子の訴えを却下する。
四 原告伊藤貢、同伊藤照幸、同桃崎正良、同伊藤昌幸、同中村末春及び同中村幹夫のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、原告らに生じた各費用の五分の一と被告中村力次郎、同加藤明、同佐藤幸助及び同橡尾保太郎に生じた各費用を原告らの負担とし、原告桃崎のり子に生じたその余の費用を同原告の負担とし、その余の原告らに生じたその余の各費用とその余の被告らに生じた各費用をその余の被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 原告らの請求
一 原告らと被告らとの間において、被告組合を除く被告らがいずれも被告組合の組合員の地位を有しないことを確認する。
二 原告らと被告組合との間において、被告中村力次郎が被告組合の組合長兼理事の地位を有しないこと、並びに同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄がいずれも被告組合の理事の地位を有しないことを確認する。
第二 事案の概要
本件は、原告らが、自ら被告組合の組合員であることを前提に、被告らに対し、被告ら(被告組合を除く。)が被告組合の定款に定められている組合員資格を被告組合に加入した当初から有していない、あるいは、加入後に喪失したとして、被告ら(被告組合を除く。)の右組合員たる地位の不存在の確認を求めるとともに、被告組合に対し、被告らのうち組合長兼理事や理事とされている者について、平成元年四月一日開催の被告組合総会においてなされた各役員の選任決議(以下「本件総会決議」という。)が不存在であるとして、その者らが理事等の地位を有しないことの確認を求めたところ、被告らも、原告らが被告組合の組合員たる地位を有しないとして、これを争った事案である。
一 争いのない事実等
1 被告組合は、昭和四八年二月一六日に設立され、三重県桑名郡長島町を地区としている水産業協同組合法所定の漁業協同組合である(争いがない。)。
2 被告組合の定款及び役員選任規定には、次のような定めがある(甲イ第一号証によって認められる。)。
(一) 次に掲げる者は、この組合の正組合員となることができる(定款八条1項)。この組合の地区内に住所を有し、かつ、漁業を営み若しくはこれに従事し又は河川において常例として水産動植物の採捕若しくは養殖をする日数が一年を通じて六〇日を超える個人(同項1号)。
(二) 次に掲げる者は、この組合の准組合員となることができる(定款八条二項)。この組合の地区内に住所を有する漁民で前項1号に掲げる者以外のもの(同項一号)。この組合の地区内に住所を有しない漁民で、その営み又は従事する漁業の根拠地がこの組合の地区内にあるもの(同項二号)。
(三) この組合の組合員となろうとする者は、氏名又は名称、住所又は事業所の所在地及び引き受けようとする出資口数を記載した加入申込書を組合に提出しなければならない(定款九条一項前段)。この組合は、前項の加入申込書を受け、これを承諾しようとするときは、その旨を申込者に通知し、出資の払込をさせた後、組合員名簿に記載するものとする(同条二項)。申込者は、前項の規定による出資の払込をすることによって組合員となる(同条三項)。
(四) 組合員は、この組合の承認を得なければ、その持分を譲り渡すことができない(定款一〇条一項)。組合員でないものが持分を譲り受けようとするときは、前条一項及び二項の規定を準用する。ただし、同条二項の出資の払込をさせない(同条二項)。
(五) 組合員は、次の事由によって脱退する(定款一四条二項)。組合員たる資格の喪失(同項一号)。死亡又は解散(同項二号)。除名(同項三号)。持分全部の譲渡(同項四号)。
(六) この組合は、事業の経費に充てるため、組合員に経費を賦課することができる(定款二〇条一項)。
(七) この組合に役員として理事五人及び監事二名を置く(定款二七条)。理事は、正組合員の中から総会において選任する(定款二八条一項)。理事の定数の四分の一以下は、前項に規定する者以外の者から選任することができる(同条二項)。役員の選任は、前二項に規定するもののほか、役員選任規定の定めるところによる(同条三項)。
(八) 理事は、組合長一人を互選するものとする。ただし、組合長は、正組合員に限るものとする(定款二九条)。
(九) 総会の議事は、出席した正組合員の議決権の過半数でこれを決し、可否同数のときは議長の決するところによる(定款四二条)。
3 原告ら及び被告ら(被告組合を除く。)は、いずれも被告組合の組合員として行為している(争いがない。)。
4 被告中村力次郎、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄は、いずれも本件総会決議により、被告組合の理事にそれぞれ選任され、同組合の理事として行為している。また、被告中村力次郎は、本件総会決議によって理事に選任された者の互選により、同組合の組合長に選任され、同組合の組合長として行為している(争いがない。)。
二 争点
1 原告らが被告組合の組合員であるかどうか。
(原告らの主張)
原告らは、次のとおり、被告組合の組合員であり、いずれも本件訴えについて確認の利益を有している。
(一) 原告伊藤貢は、昭和四八年二月一六日に被告組合が成立した後、被告組合の承認を得て、被告組合の組合員であった原告伊藤貢の母伊藤照子の持分を譲り受けて、被告組合に加入した。当時は、昭和四七年から漁船を所有してシジミ漁に従事していた父親の原告伊藤昌幸とともに、少なくとも年間六〇日漁業に従事していた。以後、被告組合は、同原告に定款所定の経費としての賦課金の支払義務を課し、同原告は、これを支払っている。
(二) 原告伊藤照幸は、昭和五四年三月に中学卒業後、直ちに父親の原告伊藤昌幸の漁船に乗り、以後日曜日を除く毎日シジミ漁に従事しており、昭和五七年三月ころ、自分の漁船を所有して、被告組合に加入した。
(三) 原告桃崎正良は、昭和四六年六月から漁船を所有し、日曜日を除く毎日シジミ漁に従事しており、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に、同組合に加入した。
(四) 原告桃崎のり子は、昭和四六年六月から夫の原告桃崎正良所有の漁船に乗り、日曜日を除く毎日シジミ漁に従事しており、昭和五三年六月ころ、被告組合に加入した。
(五) 原告伊藤昌幸は、第二次世界大戦中から親と一緒に長良川等で漁業をして生活しており、昭和三四年九月の伊勢湾台風後一時漁業から離れたことがあったが、昭和四三年ころから再び長良川等で専業として漁業に従事するようになり、昭和四五年ころから病気で倒れるまでの間、シジミ漁に従事していた。その年間出漁日数は、毎年二〇〇日くらいであり、漁穫物を仲買人に売却して、家族が生活し、かつ漁船や漁具を維持し続けるのに十分な収入を得ていた。そして、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に、発起人となって同組合に加入し、初代の組合長に就任した。
なお、同原告は、右加入当時、公務員であったが、公務員であることは漁民であることと相排斥するものではない。
(六) 原告中村末春は、子供のころから父を手伝って長良川等で漁業をしており、戦後も現在まで一貫して専業としてシジミ漁などの漁業に従事している。その年間出漁日数は、毎年二〇〇日くらいであり、漁穫物を仲買人に売却して、家族が生活し、かつ漁船や漁具を維持し続けるのに十分な収入を得ていた。そして、昭和六一年二月ころ、当初所属していた桑北漁業協同組合を脱退し、同年八月一日、被告組合に加入した。
被告組合は、同原告の住居が被告組合の地区外の三重県桑名市にあることを承知の上で、被告組合の地区内に住所を移すこと(寄留)を条件に正組合員としての加入を認め、同原告は、これに従って寄留したものであり、被告らが同原告の組合員資格を否定することは、信義則(禁反言則)上許されるものではない。
仮に同原告が被告組合の正組合員でないとしても、同原告は、被告組合定款八条二項二号により、その准組合員としての地位を有する。
(七) 原告中村幹夫は、昭和四〇年ころから原告中村末春とともに漁業に従事するようになり、昭和四六年からは同原告から独立して、現在まで漁業に従事している。その年間出漁日数は、毎年一五〇日くらいである(昭和五六年から魚介類の仲買業を始め、平成二年三月にこれを法人化したが、その年間出漁日数については、これまでと同程度である。)。そして、昭和六一年二月ころ、当初所属していた桑北漁業協同組合を脱退し、同年八月一日、被告組合に加入した。
被告組合は、同原告の住居が被告組合の地区外の三重県桑名市にあることを承知の上で、被告組合の地区内に住所を移すこと(寄留)を条件に正組合員としての加入を認め、同原告は、これに従って寄留したものであり、被告らが同原告の組合員資格を否定することは、信義則(禁反言則)上許されるものではない。
仮に同原告が被告組合の正組合員でないとしても、同原告は、被告組合定款八条二項二号により、その准組合員としての地位を有する。
(被告組合を除く被告らの主張)
原告らは、長良川河口堰にかかる漁業補償を目当てに被告組合に加入してきたものであり、次のとおり、もともと組合員資格を欠くか、あるいは、被告組合への加入手続を欠き、加入当初から被告組合の組合員ではないから、本件訴えについて確認の利益を有しないものであり、本件訴えは却下されるべきである。
(一) 原告伊藤貢は、独立して漁業を営む漁民ではなく、また、被告組合への加入手続(被告組合に対する書面による加入申込及び出資全額の払込)をとっておらず、被告組合においても、同原告を被告組合の組合員として取り扱ったことはない。
(二) 原告伊藤照幸は、被告組合への加入手続がとられたが、その加入当時、全く漁業に従事していなかった(なお、現在でも独立して漁業を営む漁民ではない。)。
(三) 原告桃崎正良は、被告組合への加入手続がとられたが、その加入当時、一年を通じて六〇日を超えて漁業に従事していなかった。
(四) 原告桃崎のり子は、原告伊藤昌幸の子であり、被告組合への加入手続がとられたが、その加入当時から現在に至るまで、全く漁業に従事したことがない。
(五) 原告伊藤昌幸は、被告組合への加入手続がとられたが、その加入当時、桑名市役所勤務の公務員であり、漁業に全く従事していなかった(なお、現在でも年間六〇日を超えて漁業に従事していない。)。
(六) 原告中村末春及び同中村幹夫は、昭和六一年八月一日付けで被告組合に加入した当時から三重県桑名市内に住み、同市内で仲買業を営んでいるものであって、三重県桑名郡長島町に住む者ではなかった。
(被告組合の主張)
争う。
2 被告ら(被告組合を除く。)が被告組合の組合員であるかどうか。
(被告組合を除く被告らの主張)
(一) 職業には兼業が考えられる以上、一般的に他の職業を有することと漁民であることとは相排斥するものではない。また、現在漁業活動をしていない場合でも、その活動休止の事由が本人の意思に基づかず、やむを得ないものであるとき(例えば、長良川河口堰建設による将来の不安から他に生計の途を求める事由によるとき等)は、漁業実績の推移、将来における漁業再開の意欲及び見込みを勘案して漁民であるかどうかを判断すべきであるから、現在漁業活動をしていないからといって、直ちに漁民であることを止めたものとはいえない。さらに、一年を通じて六〇日を超えて水産動植物の採捕若しくは養殖をしているかどうかは、単年度の現実の出漁日数だけで判断すべきものではなく、出漁の準備に要した日や雨天、時化のために待機した日を含めた比較的長期間にわたる漁業実績、被告組合の総体的な漁業実績を勘案し、一時的休止した場合にはその理由等をも考慮して、実質的に判断すべきである。
(二) 被告中村力次郎、同佐藤近史、同山口等、同佐藤幸助、同大橋新八、同澤敏正、同斉藤昭次、同伊藤秀雄、同佐藤博文、同加藤保、同水谷武次及び同中村婦美恵は、いずれも昭和四八年二月に、同水谷ふみは、昭和五三年六月に、同佐藤達也及び同大橋誠人は、いずれも昭和五六年九月に、同加藤明、同中村光二、同橡尾保太郎、同森川芳治、同阿野如市、同伊藤和芳及び同加藤良雄は、いずれも昭和五七年八月に、同伊藤重夫は、昭和六一年八月にそれぞれ被告組合に加入した。
被告ら(被告組合を除く。)は、被告組合加入前から、伝統的な漁法に従って長良川で漁業を営み、それによる収益を生計の一部に充てており、被告組合加入前の漁業実績からしても、少なくとも常例として一年を通じて六〇日を超えて水産動植物の採捕若しくは養殖をする個人であったといえるから、正組合員として適法かつ有効に被告組合に加入したものである。
したがって、被告ら(被告組合を除く。)は、いずれも被告組合に加入した当初から、被告組合の組合員資格を有している。
(三) もっとも、被告ら(被告組合を除く。)のうちには、近年に至って漁業活動を休止した者や、単年度の出漁日数が六〇日を下回る者もいる。しかし、前記のとおり、現在漁業活動をしていないからといって、直ちに漁民を止めたといえるものではなく、その活動の休止は、長良川河口堰建設の一部着工により伝統的漁法が困難となってきたことや、右河口堰建設による将来の不安から、やむを得ず他に生計の途を見い出さざるを得なかったことによるものであって、右の者らは、再び漁業を再開する意欲を失っているものではなく、漁具等も保有して、容易に漁業を再開する見込みを有している。そして、常例として一年を通じて六〇日を超えて水産動植物の採捕若しくは養殖をしているかどうかは、実質的に判断すべきであって、被告組合の漁業実績自体が低落傾向にあり、個人の漁業実績の低下だけを取り上げるわけにはいかないこと、特に漁業活動の縮小は長良川河口堰の建設という不漁に準ずる事由によるものであること、漁業活動の推移を審査するに足りるだけの期間を経ていないことなどを勘案すれば、右の者らは、常例として一年を通じて六〇日を超えて水産動植物の採捕若しくは養殖をしていないとはいえない。
また、被告ら(被告組合を除く。)のうち、現在では桑名郡長島町内で住民登録をしていない者もいる。しかし、被告組合の組合員資格の要件として要求される住所は、住民登録上の住所とは必ずしも一致せず、組合活動との関連において実質的に考えなければならないものであるし、右の者らは、もともと被告組合の地区内に生活の本拠があったものの、疾病その他のやむを得ない事由のため、一時的かつ便宜的に他地区に住民登録をしているにすぎず、被告組合の地区内で漁業活動を再開する意欲と可能性を有している。
したがって、被告ら(被告組合を除く。)は、被告組合の加入後にその組合員資格を喪失したものではなく、仮に正組合員でないとしても准組合員たる資格は有している。
(四) よって、被告ら(被告組合を除く。)は、いずれも被告組合の組合員である。
(被告組合の主張)
争う。
(原告らの主張)
(一) 被告中村力次郎は、北勢同和食肉流通事業組合の理事長であり、同中村婦美恵及び同佐藤達也は、いずれも右組合に勤務している。被告山口等及び同加藤明は、いずれも木工業を、同加藤良雄は、自動車修理業を営んでいる。被告伊藤秀雄は、名古屋市内に居住し、運送業を営んでいる。被告橡尾保太郎は、船大工をしている。被告大橋新八は、愛知県大府市内に居住し、高校教師をしている。被告佐藤近史は株式会社近畿日本ツーリストに、同森川芳治は鉄工所に、同伊藤重夫は写真屋にそれぞれ勤務している。被告佐藤幸助、同澤敏正、同大橋誠人及び同伊藤和芳は、いずれも会社員である。被告斉藤昭次は、三重県桑名郡長島町に居住していない。被告佐藤博文は、無職であり、同水谷武次は、病気である。
このように、被告らは、いずれも被告組合加入当初から被告組合定款八条所定の組合員資格を欠いていた。
(二) 仮に被告ら(被告組合を除く。)が被告組合に加入した当時、その組合員資格を有していたとしても、その後漁業活動を止めるなどしており、組合加入後(遅くとも昭和六三年末まで)にその組合員資格を喪失した。
(三) よって、被告ら(被告組合を除く。)は、いずれも被告組合の組合員ではない。
3 被告中村力次郎が被告組合の組合長兼理事の地位を、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄が被告組合の理事の地位をそれぞれ有するかどうか。
(被告組合の主張)
被告中村力次郎、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄を被告組合の理事に選任した本件総会決議は有効に存在している。したがって、被告中村力次郎は、被告組合の組合長兼理事の地位を、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄は被告組合の理事の地位をそれぞれ有している。
(原告らの主張)
被告組合を除く被告らは、平成元年四月一日当時、いずれも被告組合の組合員でなかったものであるから、被告中村力次郎、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄を被告組合の理事に選任した本件総会決議は、被告組合の組合員でない者が多数出席し、その多数決によりなされたものである以上、不存在であるというべきである。したがって、被告中村力次郎は、被告組合の組合長兼理事の地位を、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄は被告組合の理事の地位をそれぞれ有していない。
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 原告伊藤貢について
(一) 甲イ第四号証の一及び二、第一二号証、第一四号証、第一七号証、原告伊藤貢本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告伊藤貢は、昭和三六年三月に出生し、三重県桑名郡長島町内に居住し、昭和五四年三月に高校を卒業して会社勤めをしていたが、昭和六一、二年ころに退職し、父親の原告伊藤昌幸とともにシジミ漁に従事するようになったこと、昭和六二、三年ころ、被告組合の組合員であった母親の伊藤照子から、その持分を譲り受けたこと、その後、被告組合に対し、原告伊藤貢の名義で賦課金を支払っており、被告組合は、原告伊藤貢に対し、昭和六三年度上期及び同年度下期の賦課金各六〇〇〇円の支払を受けた旨の領収証を交付したこと、原告伊藤貢は、シジミ漁に従事するようになってから少なくとも平成二年二月までの間、原告伊藤昌幸とともに採捕したシジミを三重県四日市市内で魚介類の仲買業を営む早川良平に対して売却しており、平成元年における売上は、原告伊藤昌幸の分と併せて合計約二一〇〇万円であり、その後、原告伊藤昌幸が健康を害し、原告伊藤貢が単独で出漁するようになってから現在までの売上は、年間一〇〇〇万円弱程度であること、原告伊藤貢は、平成七年一二月に「第三照幸丸」という船名の動力漁船を使用している旨の登録をし、以後現在まで同船の使用を継続していること、現在一週間のうち約五日間、日の出から正午前後まで出漁していることが認められる。
原告伊藤貢の出漁状況等についての右認定に反する被告加藤明の供述は、その内容が曖昧であり、自ら同原告の出漁状況を正確には知らない旨を供述していることなどに照らし、採用することができない。
右認定の事実関係を総合すれば、原告伊藤貢は、被告組合の組合員であった伊藤照子からその持分を譲り受けた昭和六二、三年ころから現在に至るまでの間、毎年少なくとも六〇日を超えてシジミ漁等の漁業に従事していたものと認めることができる。
(二) 被告組合の定款は、組合員の持分の譲渡について、その持分を譲り受けようとする者が氏名又は名称、住所又は事業所の所在地及び譲り受けようとする出資口数を記載した加入申込書を組合に提出し、被告組合が持分譲渡を承諾し、持分を譲り受けようとする者にその承諾を通知し、組合員名簿にその旨を記載することが必要であると定めていることは、前判示のとおりであり、原告伊藤貢が加入申込書の提出等の所定の手続を履践したことを示す証拠はない。
しかしながら、他方、被告中村力次郎本人尋問の結果によれば、被告組合は、組合員が持分を譲渡する場合、これまで何の手続も履践してきていなかったことが認められ、これに被告組合が原告伊藤貢に対して賦課金の支払を受けた旨の領収証を交付していたことなどの前記認定の事実を併せ考えれば、被告組合は既にその持分譲渡につき承諾を与え、原告伊藤貢を被告組合の組合員として取り扱っていたものといえる。
そうすると、たとえ組合員の持分の譲渡について定款所定の手続が履践されていないとしても、実体的に原告伊藤貢が組合員資格を有していると認められる限り、その手続的瑕疵は、もはや治癒されたものというべきである。
2 原告伊藤照幸について
甲イ第三号証、第一三号証及び第一八号証、原告伊藤貢及び同伊藤照幸各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告伊藤照幸は、三重県桑名郡長島町内に居住し、昭和五四年三月に中学卒業後、両親とともに漁業に従事するようになり、これまでに他の職業に従事したことがないこと、昭和五七年三月ころに被告組合に加入する手続をとったこと、昭和六一年から少なくとも平成二年二月までの間、採捕したシジミを三重県桑名市内で魚介類の仲買業を営む長谷川政司に対して売却しており、平成元年における売上は、合計約一〇〇〇万円であり、それ以後も現在まで同程度の売上があること、原告伊藤照幸は、平成元年四月に「第四照幸丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、以後現在まで同船の使用を継続していること、現在一週間のうち約五日間、日の出から正午ころまで出漁していることが認められる。
原告伊藤照幸の出漁状況等についての右認定に反する被告加藤明の供述は、その内容が曖昧であり、自ら同原告の出漁状況を正確には知らない旨を供述していることなどに照らし、採用することができない。
右認定の事実関係を総合すれば、原告伊藤照幸は、被告組合に加入した昭和五七年三月ころから現在に至るまでの間、毎年少なくとも六〇日を超えてシジミ漁等の漁業に従事していたものと認めることができる。
3 原告桃崎正良について
甲イ第二号証、第一一号証及び第一五号証、乙ロ第一一号証、原告桃崎正良及び同伊藤貢各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告桃崎正良は、昭和二八年二月に佐賀県に生まれ、昭和四三年ころから三重県桑名郡長島町内に居住するようになり、昭和四七、八年ころ、原告桃崎のり子と婚姻したこと、昭和四八年二月当時、実際にシジミ漁に従事していたこと、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、昭和五五年七月に「大桃丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、以後現在まで同船の使用を継続していること、平成二年二月当時、原告桃崎のり子とともに採捕したシジミを三重県桑名市内で魚介類の仲買業を営む水谷常三郎に対し、過去数年来にわたって売却しており、平成元年における売上は、原告桃崎のり子の分と合わせて合計約一二〇〇万円であり、それ以後も現在まで一〇〇〇万円前後の売上があること、現在一週間のうち約五日間、日の出から正午ころまで妻の原告桃崎のり子とともに出漁していることが認められる。
原告桃崎正良の出漁状況等についての右認定に反する被告中村力次郎及び同加藤明の各供述並びに乙ロ第一一八号証の記載は、その内容が曖昧であり、同被告ら自身が同原告の出漁状況を正確には知らない旨を供述していることなどに照らし、いずれも採用することができない。
右認定の事実関係を総合すれば、原告桃崎正良は、被告組合に加入した昭和四八年二月から現在に至るまでの間、毎年少なくとも六〇日を超えてシジミ漁等の漁業に従事していたものと認めることができる。
4 原告桃崎のり子について
甲イ第九号証、第一〇号証、第一一号証及び第一六号証、原告桃崎正良及び同伊藤貢各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告桃崎のり子は、昭和五三年六月、被告組合に出資金二万円(出資一口一〇〇〇円を合計二〇口)を払い込んで加入し、被告組合から同月一五日付けで出資証券の交付を受けたこと、夫の原告桃崎正良とともに採捕したシジミを三重県桑名市内で魚介類の仲買業を営む水谷常三郎に対して売却しており、平成元年における売上は、原告桃崎正良の分と合わせて合計約一二〇〇万円であり、それ以後も現在まで一〇〇〇万円前後の売上があること、現在一週間のうち約五日間、日の出から正午ころまで原告桃崎正良とともにシジミ漁に出ていることが認められる。
しかしながら、右認定の事実関係に前記認定の原告桃崎正良の出漁状況等を総合しても、原告桃崎のり子が被告組合に加入した昭和五三年六月当時、シジミ漁等の漁業に従事していたものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
5 原告伊藤昌幸について
甲イ第一二号証、甲ロ第一号証の一及び二、甲ロ第六号証の一ないし四、乙ロ第一一号証、原告中村末春、同中村幹夫、同桃崎正良及び伊藤貢各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告伊藤昌幸は、かつて公務員をしていたこともあったが、昭和四八年二月当時、三重県桑名郡長島町内に居住し、実際にシジミ漁に従事しており、以後平成五年一二月までこれを継続し、その間一年当たり約二〇〇日、一日五時間程度出漁していたこと、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入し、初代の組合長に就任したこと、昭和四八年から少なくとも平成二年二月までの間、原告伊藤貢とともに採捕したシジミを三重県四日市市内で魚介類の仲買業を営む早川良平に対して売却しており、平成元年における売上は、原告伊藤貢の分と合わせて合計約二一〇〇万円であったこと、平成四年には原告中村幹夫の経営する株式会社中村水産にシジミを売却しており、同年における売上は、一〇九八万四九五〇円であり、平成五年一月から同年一一月までの売上は、九七六万六四五〇円であったこと、昭和六〇年三月に「第二照幸丸」、平成二年三月に「平成丸」という船名の各動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、以後現在まで右各船の所有を継続していること、平成三年八月二二日付けで同年九月三日から平成六年九月二日まで有効の、また、同日付けで同月三日から平成九年四月三〇日まで有効の各「さし網による採捕許可証」の交付を受けていたこと、平成六年一月以後現在まで病気療養中で、漁業に従事していないが、病気がよくなったら再び漁業に従事するつもりであることが認められる。
原告伊藤昌幸が昭和四八年二月当時公務員であり、漁業に従事していなかった旨の右認定に反する被告中村力次郎の供述は、その内容が曖昧であり、採用することができない。
右認定の事実関係を総合すれば、原告伊藤昌幸は、被告組合に加入した昭和四八年二月から平成五年一二月に至るまでの間、毎年少なくとも六〇日を超えてシジミ漁等の漁業に従事していたものと認められ、また、平成六年一月から現在に至るまでの間は、年間六〇日を超えて漁業に従事しているとは認められないものの、三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったと認められる。
6 原告中村末春について
甲ロ第二号証の一及び二、第四号証の一ないし五、第七号証、第九号証の一及び二、原告中村末春本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告中村末春は、昭和二〇年ころから現在に至るまでの間、木曽川、長良川及び揖斐川において専業として漁業に従事しており、一年当たり約二〇〇日、一日約五時間出漁していること、昭和五四年七月五日付けで同日から昭和五七年七月四日まで有効の、また、平成六年四月二七日付けで同年五月一日から平成九年四月三〇日まで有効の木曽川、長良川及び揖斐川の三重県水域を採捕の区域とする各「さし網による採捕許可証」の交付を受けていたこと、当初は桑北漁業協同組合に加入していたが、昭和六一年二月にこれを脱退し、同年八月一日、被告組合に出資金二万円(出資一口一〇〇〇円を合計二〇口)を払い込んで加入し、被告組合から同日付けで出資証券の交付を受けたこと、昭和六一年八月当時、三重県桑名市内に居住し、現在も同市内で生活しているが、住民票上は平成元年七月四日付けで同県桑名郡長島町内に異動した旨の届出をしたこと、平成六年四月に「第二末広丸」、平成七年三月に「第三末広丸」及び「第六末広丸」という船名の各動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、以後現在まで右各船の使用を継続していることが認められる。
右認定の事実関係を総合すれば、原告中村末春は、被告組合に加入した昭和六一年八月から現在に至るまでの間、被告組合の地区内に住所を有しているものではないが、その従事する漁業の根拠地が被告組合の地区内にある漁民であったと認められる。
7 原告中村幹夫について
甲ロ第三号証の一及び二、第五号証の一ないし五、第八号証、第一〇号証の一及び二、原告中村幹夫本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告中村幹夫は、昭和四〇年ころから現在に至るまでの間、木曽川、長良川及び揖斐川において漁業に従事しており、一年当たり約一五〇日、一日三時間ないし五時間程度出漁しているが、昭和五六年ころからは魚介類の仲介業も始めたこと、昭和四一、二年ころに桑北漁業協同組合に加入したが、昭和六一年二月にこれを脱退し、同年八月一日、被告組合に出資金二万円(出資一口一〇〇〇円を合計二〇口)を払い込んで加入し、被告組合から同日付けで出資証券の交付を受けたこと、昭和六一年八月当時、三重県桑名市内に居住し、現在も同市内で生活しているが、住民票上は平成元年七月四日付けで同県桑名郡長島町内に異動した旨の届出をしたこと、平成元年一月一〇日付けで同日から平成三年一月九日まで有効の、また、平成六年四月二七日付けで同年五月一日から平成九年四月三〇日まで有効の木曽川、長良川及び揖斐川の三重県水域を採捕の区域とする各「さし網による採捕許可証」の交付を受けていたこと、昭和五六年五月に「豊栄丸」、平成六年四月に「第三豊栄丸」、平成七年三月に「第八豊栄丸」という船名の各動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、以後現在まで右各船の使用を継続していることが認められる。
右認定の事実関係を総合すれば、原告中村幹夫は、被告組合に加入した昭和六一年八月から現在に至るまでの間、被告組合の地区内に住所を有しているものではないが、その従事する漁業の根拠地が被告組合の地区内にある漁民であったと認められる。
8 まとめ
以上検討したところによれば、原告伊藤貢、同伊藤照幸及び同桃崎正良は、被告組合の正組合員であり、原告伊藤昌幸、同中村末春及び同中村幹夫は、被告組合の准組合員であると認められ、いずれも本件訴えについて確認の利益を有しているというべきである。しかしながら、原告桃崎のり子については、同原告が被告組合に加入した当時、漁業に従事していたものと認めることができない以上、たとえ現在漁業に従事しているとしても、被告組合の組合員であると認めることはできず、本件訴えについて確認の利益を有していないものといわざるを得ない。
二 争点2について
1 被告中村力次郎について
(一) 乙ロ第一一号証、第一二号証、第一三号証の一ないし五、第二四号証の一及び二、第六二号証、第七九号証ないし第八二号証、第八九号証、第一〇三号証、第一〇四号証、第一一六号証、第一一九号証ないし第一六三号証、被告中村力次郎本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告中村力次郎は、名古屋市内の屠場に勤務し、昭和三九年ころから三重県桑名郡長島町内に居住していたが、同年四月に被告中村婦美恵と結婚し、その父親である佐藤勘次を手伝って、同年六月ころから早朝や夜間に長良川で川エビやシラスウナギを採るようになり、以後現在に至るまでの間、食品加工業などにかかわる一方、漁業に従事することもあったこと、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入し、昭和五四年に組合長に就任したこと、採捕した川エビ等については、三重県桑名市内の桑名魚市場に対して昭和五九年六月二二日から同年八月二二日までの間(合計二四回)、昭和六〇年七月一一日、平成八年五月一五日から同年八月一九日までの間(合計四五回)、これを売り渡し、また、その売買代金として、名古屋市内の中部水産株式会社から平成元年三月二二日に五万三三六六円、同年四月四日に二万八五九二円の各振込入金を受けたが、昭和六一年八月一日ころは出漁していなかったこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたこと、平成元年一〇月に「リキ丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、平成二年一月二〇日当時も右船を所有し、使用していたこと、同日当時、漁具を所有していたこと、平成六年ないし平成八年の漁業による年間の売上高は、大体三〇万円から五〇万円であったことが認められる。
被告中村力次郎は、その本人尋問において、平成七年ないし平成八年ころの年間出漁日数が一〇〇日ちょっとである旨を供述するが、右供述は、その内容自体が暖昧であり、他にこれを裏付ける証拠もなく、採用することはできない。
右認定の事実関係を総合すれば、被告中村力次郎は、被告組合に加入した昭和四八年二月から現在に至るまでの間、年間六〇日を超えて漁業に従事していると認めることはできないが、三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったものと認められ、被告組合の准組合員であるといえる。
(二) なお、被告らは、一年を通じて六〇日を超えて漁業に従事しているかどうかは、単年度の現実の出漁日数だけで判断すべきものではなく、出漁の準備に要した日や雨天、時化のために待機した日を含めた比較的長期間にわたる漁業実績、被告組合の総体的な漁業実績を勘案し、一時的休止した場合にはその理由等をも考慮して、実質的に判断すべきである旨主張するが、その判断に必要とされる具体的な事実関係を何ら明らかにするものではなく、その主張は、採用することができない。
2 被告加藤明について
乙ロ第一五号証、第四〇号証の一及び二、第八三号証、第八七号証、第九三号証、第一〇五号証、第一〇六号証、第一一七号証、被告加藤明本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告加藤明は、電力会社勤務を経て、昭和四二年末か昭和四三年一月初めころから、姉(被告水谷ふみ)の夫である被告水谷武次を手伝って、シジミを採捕するようになり、昭和四七年三月か同年四月ころ、姉(山口きみこ)の夫である被告山口等と共同で漁船を購入し、以来独立してシジミ漁に従事するようになったが、同年二月ころ、同被告とともに工場を造り、以来木工業に従事するようにもなったこと、昭和四九年一一月、名古屋市内から三重県桑名郡長島町内に移り住んだこと、被告山口等とともに採捕したシジミについて、これを有限会社丸仁産業などに対して売却していたが、昭和五二、三年ころに漁船を失い、その後は、自宅で食するためのシジミや川エビ等を伝馬船で採捕する程度で、年六〇日も出漁することはなかったこと、昭和五七年三月、被告組合に加入したこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたこと、平成二年一月二〇日当時、船及び漁具を所有していたことが認められる。
右認定の事実関係を総合すれば、被告加藤明は、被告組合に加入した昭和五七年三月から現在に至るまでの間、年間六〇日を超えて漁業に従事していると認めることはできないが、三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったものと認められ、被告組合の准組合員であるといえる。
3 被告佐藤幸助について
乙ロ第一一号証、第二七号証の一及び二、第一一八号証、被告佐藤幸助本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告佐藤幸助は、三重県桑名郡長島町内に居住し、昭和三七年に愛知県海部郡蟹江町内の建築用金物製作会社に就職し、現在も同社に勤務しているが、その勤務の傍ら、休日や早朝などに、漁師であった父親の代からの船を使用して、長良川や揖斐川でウナギなどの川魚を採捕していること、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたこと、平成七年に船外機のついた船を購入し、以来これを使用していること、勤務している会社を定年などにより辞めることになれば、その後は漁業で生計を立てるつもりでいることが認められる。
被告佐藤幸助は、その本人尋問において、出漁日数が月に四、五回、年に五、六十日である旨や、何もせずに帰ってくることも含めれば、出漁日数は年間六〇日を超え、七〇日くらいである旨を供述するが、右供述は、その内容自体が曖昧であり、他にこれを裏付ける証拠もなく、採用することはできない。
右認定の事実関係を総合すれば、被告佐藤幸助は、被告組合に加入した昭和四八年二月から現在に至るまでの間、年間六〇日を超えて漁業に従事していると認めることはできないが、三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったものと認められ、被告組合の准組合員であるといえる。
4 被告橡尾保太郎について
乙ロ第一六号証、第四二号証の一及び二、第八四号証、第八五号証、第九〇号証、第一一一号証、第一一二号証、第一六五号証、被告橡尾保太郎本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告橡尾保太郎は、明治四三年一〇月二日生であり、三重県桑名郡長島町内に居住し、船大工をしていたが、昭和五二年ころから木造船を造る仕事がなくなったため、シジミ等を採捕するようになったこと、採捕したシジミについては、昭和五二年ころから平成元年ころまで、三重県桑名市の大橋商店に売却するなどしていたこと、かつてはシジミの売却により、年間の六〇万円くらいの売上があったが、最近は三〇万円くらいに売上が減少していること、昭和五七年三月、被告組合に加入したこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたこと、平成二年一月二〇日当時、船及び漁具を所有しており、現在もこれを所有し、使用していることが認められる。
被告橡尾保太郎は、その本人尋問において、出漁日数が年間百数十日に及ぶ旨を供述し、乙ロ第一六五号証にも同趣旨の記載があるが、その一方で、出漁日数は年間七、八十日である旨をも供述している。右各供述等は、その内容自体が齟齬するのみならず、曖昧であって、他にこれを裏付ける証拠もなく、いずれも採用することはできない。
右認定の事実関係を総合すれば、被告橡尾保太郎は、被告組合に加入した昭和五七年三月から現在に至るまでの間、年間六〇日を超えて漁業に従事していると認めることはできないが、三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったものと認められ、被告組合の准組合員であるといえる。
5 被告佐藤近史について
乙ロ第一一号証、第二五号証の一及び二及並びに第六三号証によれば、被告佐藤近史は、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、平成元年一〇月に「ちかし丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をしたこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属しており、同組合は、シラスウナギにつき、同月一一日付けで同月一五日から平成二年四月三〇日まで有効の「特別採捕許可証」の交付を受けていたことが認められる。
しかしながら、他方、乙イ第一号証、原告桃崎正良、被告中村力次郎及び同加藤明各本人尋問の結果によれば、被告佐藤近史は、被告組合が設立された当時、未だ高校生であり、設立認可を得るために必要な人数を集めるために、設立認可申請書に発起人として名を連ねたものにすぎないこと、シラスウナギを採捕するためには採捕許可が必要であるが、その許可を持っている三重県養鰻漁業協同組合にシラスウナギ採捕従事者として所属していたとしても、実際にシラスウナギの採捕に従事しているとは限らないことが認められる。
そうすると、前記認定の事実関係によっても、被告佐藤近史が、被告組合に加入した昭和四八年二月から現在に至るまでの間、漁業に従事していたことを認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告佐藤近史は、被告組合の組合員であるとはいえない。
6 被告山口等について
乙ロ第一一号証、第一五号証、第二六号証の一及び二、第八三号証、第八七号証、第九三号証、第一〇五号証、第一〇六号証、第一一七号証並びに被告加藤明本人尋問の結果によれば、被告山口等は、三重県桑名郡長島町に居住し、昭和四七年三月か同年四月ころ、被告加藤明と共同で漁船を購入し、シジミ漁に従事していたが、同年二月ころ、同被告とともに工場を造り、以来木工業に従事するようにもなったこと、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、被告加藤明とともに採捕したシジミについて、これを有限会社丸仁産業などに対して売却していたが、昭和五二、三年ころに漁船を失う事態に至ったこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたこと、平成二年一月二〇日当時、船及び漁具を所有していたこと、平成六年ころ、勤務先で怪我をし、以後漁業に従事することが不可能になったことが認められる。
右認定の事実関係を総合すれば、被告山口等は、被告組合に加入した昭和四八年二月ころから平成六年ころまでは、少なくとも三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったと認められ、被告組合の准組合員であったといえるが、その後は、もはや漁民であると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告山口等は、被告組合加入後遅くとも平成六年ころまでに、その組合員(ただし、准組合員)の資格を喪失したものであり、被告組合の組合員であるとはいえない。
7 被告水谷武次について
乙ロ第一一号証、第一四号証、第一一五号証並びに原告桃崎正良及び被告加藤明各本人尋問の結果によれば、被告水谷武次は、三重県桑名郡長島町内に居住し、昭和四二年ころから昭和五九年ころまでシジミ漁に従事していたこと、昭和四五年一月ころから昭和五六年一一月末ころまでの間、採捕したシジミを有限会社丸仁産業に対して売却しており、その年間の売上は、約四〇〇万円から四五〇万円であったこと、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、平成二年一月二〇日当時、漁具を所有していたが、昭和五九年ころに脳溢血で倒れて以来、現在に至るまでの間、シジミ漁等の漁業には一切従事していないことが認められる。
右認定の事実関係を総合すれば、被告水谷武次は、被告組合に加入した昭和四八年二月ころから昭和五九年ころまでは、少なくとも三重県桑名郡長島町内に住所を有する漁民であったと認められ、被告組合の准組合員であったといえるが、その後は、もはや漁民であると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告水谷武次は、被告組合加入後遅くとも昭和六〇年ころまでに、その組合員(ただし、准組合員)の資格を喪失したものであり、被告組合の組合員であるとはいえない。
8 被告佐藤達也について
乙ロ第三七号証の一及び二、第六一号証並びに被告加藤明本人尋問の結果によれば、被告佐藤達也は、平成元年一〇月に「たつや丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をしたこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属しており、同組合は、シラスウナギにつき、同月一一日付けで同月一五日から平成二年四月三〇日まで有効の「特別採捕許可証」の交付を受けていたこと、現在漁業に従事していることが認められる。
しかしながら、被告佐藤達也が被告組合に加入した年月を特定するに足りる証拠はなく、右認定の事実関係によっても、被告佐藤達也が被告組合に加入した当時に漁業に従事していたものと認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告佐藤達也は、被告組合の組合員であるとはいえない。
9 被告阿野如市について
乙ロ第一七号証、第一八号証、第四四の一及び二、第五四号証、第九四号証ないし第九六号証によれば、被告阿野如市は、昭和五七年ころから昭和六〇年ころまで、愛知県刈谷市内で魚介類の販売業を営む成田辰三に採捕したシジミを売却していたこと、昭和六一年五月一三日当時、「芳香丸」という船名の遊漁船を所有していたこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属しており、同組合は、シラスウナギにつき、同月一一日付けで同月一五日から平成二年四月三〇日まで有効の「特別採捕許可証」の交付を受けていたこと、平成二年一月二六日当時、漁具を所有していたことが認められる。
しかしながら、被告阿野如市が被告組合に加入した年月を特定するに足りる証拠はなく、右認定の事実関係によっても、被告阿野如市が被告組合に加入した当時から現在まで漁業に従事していたことを直ちに認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
したがって、被告阿野如市は、被告組合の組合員であるとはいえない。
10 被告水谷ふみについて
乙ロ第四九号証の一及び二によれば、被告水谷ふみは、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属しており、同組合は、シラスウナギにつき、同月一一日付けで同月一五日から平成二年四月三〇日まで有効の「特別採捕許可証」の交付を受けていたことが認められるが、シラスウナギの採捕許可を持っている三重県養鰻漁業協同組合にシラスウナギ採捕従事者として所属していたとしても、実際にシラスウナギの採捕に従事しているとは限られないことは前判示のとおりであり、被告加藤明がその本人尋問において、被告水谷ふみは実際にシラスウナギ漁に従事することはなかった旨を供述していることなどをも併せみれば、右認定の事実によっても、被告水谷ふみが漁業に従事していたことを直ちに認めることはできない。
また、乙ロ第一四号証には、有限会社丸仁産業が昭和四五年一月ころから昭和五六年一一月末ころまでの間、被告水谷武次及び同水谷ふみからシジミを購入した旨の記載があるが、前判示のとおり、右当時、被告水谷武次がシジミ漁に従事していたと認められる以上、単に同被告が採捕したシジミを被告水谷ふみが売却していたにすぎないと考える余地もあり、右記載から被告水谷ふみ自身が漁業に従事していたことを直ちに認めることはできない。
そうすると、他に被告水谷ふみが漁業に従事していたことを認めるに足りる証拠はなく、同被告は、被告組合の組合員であるとはいえない。
11 被告加藤良雄について
乙イ第一号証、乙ロ第二八号証の一及び二、第五一号証、第八六号証、第一〇七号証によれば、被告加藤良雄は、昭和六〇年ころ、被告組合に加入したこと、昭和六一年一〇月に「エヨヤミ丸」という船名の動力漁船を所有し、使用している旨の登録をし、平成二年一月二〇日当時も右船を所有し、使用していたこと、平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属していたことが認められるが、他方、被告組合に加入した当初から、自動車修理、貸自動車業に従事し、レジャーや自家消費のために魚介類の採取をする程度で、日常的、通例のこととして漁業に従事しているものではないことも認められる。
そうすると、被告加藤良雄は、被告組合の組合員であるとはいえない。
12 その余の被告ら(被告組合を除く。)について
乙ロ第一一号証、第二九号証の一及び二、第三三号証ないし第三六号証の各一及び二、第三八号証の一及び二、第三九号証の一及び二、第四一号証の一及び二、第四三号証の一及び二、第四五号証の一及び二、第四六号証の一及び二、第四八号証の一及び二、第五二号証、第六〇号証、第六四号証、第一一三号証、第一一四号証によれば、被告大橋新八、同澤敏正、同斉藤昭次、同佐藤博文、同加藤保及び同中村婦美恵は、三重県知事に対し昭和四七年九月二七日付けで被告組合の設立認可が申請された際には、発起人としてこれにかかわり、昭和四八年二月一六日、被告組合が設立された際に同組合に加入したこと、被告斉藤昭次は、昭和四八年七月に「港丸」という船名の動力漁船を、同加藤保は、昭和五七年二月に「保丸」という船名の動力漁船を、同大橋新八は、昭和六一年二月に「新八丸」という船名の動力漁船をそれぞれ所有し、使用している旨の登録をしたこと、被告大橋新八、同澤敏正、同斉藤昭次、同伊藤秀雄、同佐藤博文、同加藤保、同大橋誠人、同中村光二、同森川芳治、同伊藤和芳、同伊藤重夫及び同中村婦美恵は、いずれも平成元年一二月一五日当時、シラスウナギ採捕従事者として三重県養鰻漁業協同組合に所属しており、同組合は、シラスウナギにつき、同月一一日付けで同月一五日から平成二年四月三〇日まで有効の「特別採捕許可証」の交付を受けていたこと、被告森川芳治及び同伊藤重夫は、いずれも平成二年一月二〇日当時、漁具を所有していたことが認められる。
しかしながら、前判示のとおり、シラスウナギの採捕許可を持っている三重県養鰻漁業協同組合にシラスウナギ採捕従事者として所属していたとしても、実際にシラスウナギの採捕に従事しているとは限られないことなどを併せみれば、右認定の事実関係によっても、右各被告らがそれぞれ漁業に従事していたことを直ちに認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
なお、被告中村力次郎は、その本人尋問において、被告大橋新八が父親の跡を引き継いで出漁しており、被告澤敏正も同大橋新八とともにたまに出漁していた旨を供述し、また、乙ロ第一一八号証には、被告佐藤博文が川魚の漁業で生計を立てていた旨の記載があるが、いずれもその内容自体が曖昧であり、採用することはできない。
したがって、右被告らは、いずれも被告組合の組合員であるとはいえない。
三 争点3について
被告組合の総会決議が有効になされたというためには、その正組合員の二分の一以上が出席して議決される必要がある。
本件総会決議に関する議事録自体は、証拠として提出されていないが、弁論の全趣旨によれば、被告組合においては、平成元年四月一日当時、原告ら及び被告ら(被告組合を除く。)を含む三十数名がその正組合員として取り扱われており、本件総会決議は、原告ら及び被告ら(被告組合を除く。)の大多数が出席し、議決権を行使してなされたものと認めることができる。
しかしながら、原告桃崎のり子、被告佐藤近史、同水谷武次、同佐藤達也、同阿野如市、同水谷ふみ、同加藤良雄、同大橋新八、同澤敏正、同斉藤昭次、同伊藤秀雄、同佐藤博文、同加藤保、同大橋誠人、同中村光二、同森川芳治、同伊藤和芳、同伊藤重夫及び同中村婦美恵は、平成元年四月一日当時、被告組合の組合員であったとは認められないこと、原告中村末春、同中村幹夫、被告中村力次郎、同加藤明、同佐藤幸助、同橡尾保太郎及び同山口等(ただし、平成六年以降は、組合員資格を喪失した。)は、平成元年四月一日当時、被告組合の准組合員であって、議決権を有していなかったことは、これまでに判示したところから明らかである。
そうすると、本件総会決議は、被告組合の組合員とは認められない者あるいは議決権を有しない准組合員にすぎない者が相当多数出席するとともに、その多数決により、被告組合の定款に違反してその組合員とは認められない者を三名も理事に選任したものであって、もはや総会決議の体裁をなしていないほどに著しい瑕疵を帯び、法律上存在するものとは認められないというべきである。そして、本件総会決議によって選任された理事の互選による組合長の選任も、無効であるといわざるを得ない(なお、被告中村力次郎は、被告組合の准組合員にすぎないから、組合長となる資格も有していない。)。
したがって、被告中村力次郎は、被告組合の組合長兼理事の地位を、同佐藤近史、同山口等及び同加藤良雄は被告組合の理事の地位を有しているものと認めることはできない。
四 結論
以上によれば、原告桃崎のり子の訴えは、不適法であるからこれを却下し、その余の原告らの請求は、主文一項及び二項記載の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官柄夛貞介 裁判官大工強 裁判官中吉徹郎)